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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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模型に恋した「世界一孤独な鳥」ナイジェル死す。(AFP)

ニュージーランドの島で何年もの間たった1羽で暮らし、「世界一孤独な鳥」として知られていた雄のシロカツオドリ「ナイジェル(Nigel)」が死に、同国の野生生物愛好者の間に悲しみが広がっている。

「仲間のいないナイジェル」とも呼ばれていたこの鳥は、ウェリントン沖にあるマナ(Mana)島で、野生生物を呼び寄せようと環境保護活動家らが設置したコンクリート製模型のコロニーの中で数年間にわたり暮らしていた。
ナイジェルはこの模型の一つと恋に落ち、羽づくろいや巣作り、さらには交尾をしようとする姿も目撃されていた。

同国自然保護局(DOC)の監視員クリス・ベル(Chris Bell)氏は7日、「ナイジェルはマナ島に住むことを選んだ。
いつでも去ることができたのにそうしなかったので、彼が幸せだったことが分かる」と語った。


ナイジェルは先月末、コンクリート製の「恋人」の隣に横たわり死んでいるところをベル氏に発見された。
死因は今後の解剖で特定されるが、老衰とみられている。

悲しいことに、ナイジェルは偽のコロニーの効果が現れつつある中でこの世を去ってしまった。
ベル氏によると、昨年12月末には3羽のシロカツオドリがマナ島を訪れ始めた。
3羽は現在も定期的に島を訪れており、コロニーの形成につながればナイジェルの遺産となるだろうとベル氏は述べている。


シロカツオドリ

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内戦から20年、断絶つづく故郷ボスニアへ。(ナショナル ジオグラフィック)

スレイマン・ビエディッチさんは5歳でボスニアを離れた。
それでも、祖父母の家で遊んだことや、泳ぎを教えようとする父にネレトバ川に投げ込まれたことが今も記憶にある。
銃声も街頭の混乱も、父が捕虜収容所に連れて行かれるところも覚えている。
クロアチアの港に車で連れて行かれ、夜になってイタリア行きの船に乗ったことも忘れていない。
飛行機の音やサイレンが聞こえると、こうした記憶がよみがえることがある。

2016年、ビエディッチさんはカメラを携えてイタリアを発ち、母の故郷の村ポチテリに向かった。
小さいころに両親と一緒に訪れたことはあるが、今度は一人だった。
村に留まったムスリムたちの社会と、内戦後に戻ってきた人たちを記録したかったのだ。
このプロジェクトを、彼は「Odavle Samo U Harem」と呼んだ。
村の老人が言った「ここからは墓へ行くだけ」という意味の言葉だった。

ビエディッチさんの母が幼いころの思い出として語ったポチテリは、パブとレストランが立ち並び、自然に囲まれた牧歌的な村だった。
だが、ビエディッチさんが目の当たりにしたのは、内戦で破壊された村だ。
1990年代のユーゴスラビア分裂後、正教徒のボスニア系セルビア人、カトリックのクロアチア人、イスラム教徒のボスニア人による内戦が起こった。
地元の産業は崩壊し、残ったのは高い失業率と社会の緊張状態だった。
ネレトバ川にはごみが浮かんだ。

しかし毎年夏になると、先祖の地とのつながりを確かめようと、ビエディッチさんの世代がヨーロッパ各地から戻ってくる。
「彼らの親は、子どもたちに自らのルーツ、言語、一族との関わりを失ってほしくないと願っています」とビエディッチさんは言う。

外国に逃れた難民たちにとって、故郷に帰るのは厄介なプロセスだ。
内戦終結から20年あまり経つにもかかわらず、町のサッカークラブも商店も、民族ごとに分断されている。
ボスニア・ヘルツェゴビナはどこもそのような状態だ。

1995年に和平合意が成ると、90年代後半には、国際社会が難民にボスニアへの帰還を求め始めた。
「これによって、切望されていた経済支援がもたらされ、新たに見出された融和政策がうまくいっていると証明できるはずでした」と話すのは、人道活動家のハンネス・アインシュポーン氏だ。
同氏は2016年、英オックスフォード大学で修士号を取るため、ボスニア帰還難民の調査を行っていた。
内戦後に帰還する人々は、「国に帰ることで新しい体制に賛同を示し、国家が再び機能することに信頼を託そうとしています」とアインシュポーン氏は話す。

しかし、帰国はまだ第一歩に過ぎない。
帰国に続いて、土地の所有権を確認したり、家々を再建したり、関係を修復したりする道のりが始まった。
帰還難民を満載した国連のバスに護衛部隊が続き、帰還者たちには法的支援が与えられた。
一方、土地には地雷が埋まり、建物には偽装爆弾が仕掛けられていた。

敵意はまだ薄れてはいなかった。
帰還者は迫害に遭ったり、撃たれることすらあった。
特に、内戦の間に民族構成が変わった地域でその傾向が強かった。
2015年になってさえ、ボスニア北部に戻ってきた人たちが暴力を受けたりしている。
国内各地にある仮設住宅に住む人は、今も7000人以上に上る。

2004年、100万人目の難民がボスニア・ヘルツェゴビナに戻った。
だが平均的な帰還者は高齢か、引退した世代だとアインシュポーン氏は言う。
たいてい、彼らはヨーロッパのどこかに家を持ち続けていて、ボスニアの村と行ったり来たりするのだ。
雇用の機会が乏しいため、若者は親の母国に戻って永住したいとは思っていない。

アインシュポーン氏が調査を行ったボスニア・ヘルツェゴビナ北西部の都市プリイェドルも、分断されたままだ。
中心街の商店はセルビア人が所有し、元々の居住区に住むムスリムはほとんどいなかった。
帰還者が新しい家を何軒か建て、決まった季節にだけ住んでいた。
アインシュポーン氏は、隣人同士が互いを幽霊同様にみなしているという感じを受けた。
「住民が街に戻っても、別々の2つの街に分かれてしまっています。両者の間に、実質的な交流はありません」

時間が経てば経つほど、帰還は難しくなる。
アインシュポーン氏は、国際社会で「本国への帰還」という意味で使われている用語に疑問を呈する。
「『リパトリエーション(repatriation)』は、ラテン語の故国(パトリア)に戻るという概念です」とアインシュポーン氏は言う。
「故郷の国そのものが変化することは考慮されていません。実際には、母国は変わるのです」

アインシュポーン氏は自身の研究で、帰還者が母国での生活にスムーズに移行するには、政治的・経済的な力を得ることが欠かせないと結んでいる。
しかし、多様性のある国を建設する計画は、ボスニアの地域レベルでは具体化していない。
「内戦は凍りついた状態で、克服されたとはまだ言えません」とアインシュポーン氏。
内戦後の統合の必要性は、イラクやシリアといった地域でも取り組むべき課題だろうと彼は言う。
氏は現在、国際協力NGO「CARE」の一員としてイラクで活動している。

しかし、故郷へ戻って暮らせない人々にとっても、訪問で古い傷が癒えることがある。
母親の村を再訪したスレイマン・ビエディッチさんは、アブドゥラ・ボシュチェロさんというという老人に出会った。
ボシュチェロさんは、この若い写真家の求めるものを直感的に理解してくれた。
彼が危篤になった時、家族は病院に連れて行こうとした。
その度にボシュチェロさんは拒み、こう言うのだった。「ここからは墓へ行くだけ」

土地へのこうした愛着が、ビエディッチさんの心に響き渡った。
「生まれた場所と直に接触を持てなくなり、外国で育つのは、誰にとっても容易ではありません」と彼は言う。
「自分の足元にしっかりした土台がないようなものです」。
その土台を取り戻し、母国への誇りを認識する手助けをしてくれたのが、老いた友のボシュチェロさんだった。
ビエディッチさんは彼の言葉「Odavle Samo U Harem」を、撮影プロジェクトのタイトルにした。

「戦争は兵士が銃撃をやめた日に終わるのではありません」とビエディッチさんは言う。
「多くの人にとって、それは始まりに過ぎません。彼らは戦争が残したものを一生、あるいは数世代にわたって背負って行かなければならないからです」


 

(Nina Strochlic、訳・高野夏美)

仏像の中に歯や髪の毛!? ーCTスキャンでわかった運慶仏の内部 (日刊SPA!)

◆東京国立博物館に過去最多の22体が集結

史上最大の運慶展が上野の東京国立博物館でスタートし、初日から入館を待つ人の長蛇の列ができた。
仏像に疎くても、運慶の名前を聞いたことがある人は多いだろう。
2008年には運慶作とされる仏像がニューヨークのオークションに出品、約14億円で落札されニュースとなった。

運慶とは平安時代から鎌倉時代に活躍した仏師で、「慶派」と呼ばれる仏師集団に属していた。
治承4年(1180年)、平家による南都焼き討ちで、奈良の興福寺や東大寺は伽藍と仏像の大半を焼失。
父・康慶をはじめとする慶派の仏師たちは、その復興に携わった。
父亡き後は慶派一門の長となり、活躍を続ける。
武士の時代になり鎌倉に幕府が開かれると、東国武士からも仏像の注文が入るようになる。

現存する運慶作あるいはその可能性が高い仏像は31体と言われているが、今回の展示では過去最多の22体が集結。
普段お寺では見られない角度から、じっくりと鑑賞することができる。


◆仏像のリアルな表情をつくりだす「玉眼」

運慶は玉眼の使い方が非常にうまく、写実性の高さと相まって、存在感の強い生き生きとした仏像を作っている。
玉眼は、仏像の目をくり抜き、瞳を描いた水晶・白目の役割の白い和紙や綿・当て木で構成され、それを使用することで目に光が入りよりリアルな表情となる。

北条時政の注文に応じて造った願成就院(静岡県)の毘沙門天立像(国宝)の見開いた目にも、玉眼が使用されている。
はち切れそうな体躯で躍動的なポージングをとり、一点を見据える目が武将神としての毘沙門天の強さをよく表わしている。
伝統に縛られない東国の創作が、運慶の独創性を磨いていったと考えられる。

興福寺(奈良県)の無著菩薩立像・世親菩薩立像(国宝)にも玉眼が使用されている。
つぶらな瞳から漏れる小さな光が、逆に深い慈悲を感じさせる。
同じ玉眼でも、まったく表情が異なるのだ。

しかし運慶は後年、如来像や菩薩像には玉眼を使わなくなっていく。
悟りをひらく存在の目に人間的な表情は不必要と考えたのだろう。
今回の展示では、その違いを見比べることができる。


◆CTスキャンで得られた情報から、作者や制作年代を特定

仏像内部に仏舎利(釈迦の遺骨)やお経などを納めることは昔から行われていたが、運慶仏は納入品にも特徴がある。
真如苑真澄寺(東京都)の大日如来坐像(重要文化財)や光得寺(栃木県)の大日如来坐像(重要文化財)内部には、五輪塔の他に心月輪(しんがちりん)呼ばれる仏の心に例えられる球体が、心の位置に納入されている。

なぜそれがわかるかというと、仏像調査にX線によるCTスキャン(コンピューターによる断層撮影法)が用いられているのだ。
そこから得られる情報が、作者や制作年代の特定に繋がることもある。
遺髪や歯が納入されていることもあり、発願者の強い思いがうかがいとれる。
構造だけでなく、CTは過去の人々の思いも見つけ出す。

真如苑真澄寺の大日如来坐像が例のオークションに出された仏像なのだが、重要文化財に指定するにあたりボアスコープ(棒状の内視鏡)でも調査が行われた。
耳孔からボアスコープを挿入し、像内に金箔が押されていることや、鮮やかに色づけされた五輪塔が確認された。

当時の仏師や仏像たちは、まさか何百年後にこうして内部を見られるとは思っていなかっただろう。
今回の「運慶展」の展示では収納物についての解説もあるので、外側だけでなく内部も想像しながら見てほしい。


◆展示期間中に「仮説」をCT調査で解明

今回の展示期間中に、興福寺の無著菩薩立像・世親菩薩立像と四天王立像(国宝)のCT調査が行われる。
現在、興福寺では無著菩薩立像・世親菩薩立像は北円堂に、四天王立像は南円堂にと、別々に安置されている。
しかし今回の展示では「四天王立像はもともと北円堂に置かれていたのではないか」という仮説をもとに、同じ空間に配置している。

東京国立博物館企画課長の浅見龍介氏はこう語る。


仏像の中に歯や髪の毛


「内ぐりや収納物の有無、細かな造りなどを今回CTで調査します。無著・世親像と四天王像の調査結果を比較し、同じ堂に置かれていた可能性についても検討します。また、3D計測を行い、仮想空間の北円堂内部にそれらの仏像を配置してみる予定です。いろいろなことがわかると思います」

今回の展示で彫刻としての造形の美しさに感動したら、ぜひお寺へ訪れて信仰の対象として大切にされている運慶仏を拝観してみてほしい。
博物館とは異なる表情を見ることができるだろう。



(鈴木麦)

ノーベル賞授賞式に参加して④・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

④ 大隅先生と対面 <「仲間大切に」と助言>

2016年ノーベル生理学・医学賞受賞者である東京工業大学の大隅良典栄誉教授とは、日本大使館主催のレセプションで直接お話しさせていただくことができた。
私は非常に緊張していたが、実際に話してみると気さくでおおらかな方であるように感じた。
「それぞれ一つずつアドバイスを頂けますか」というお願いにも快く応じてもらった。

前日の記念講演や報道の内容から、大隅先生が共同研究者の方々を大切になさっているように感じていたため、「特にチームで研究を行う上で気を付ける点はありますか」と質問したところ、「若いうちから仲間を見つけて、大切にすること」というアドバイスを受けた。
自分なりの解釈ではあるが、損得抜きに助け合える仲間は貴重であり、年齢を重ねると見つけにくいという意味も込められているように感じた。

もう一人の日本人参加者で京都大学大学院の松本明宏さんの「良い研究テーマとはどのようなものでしょうか」という質問に対しては、「目先の結果だけでなく、5年、10年先を見据えたテーマを考えることが大切」と助言されていた。

ストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)ではノーベルレセプション、授賞式、晩さん会などに参加した。
どれも華々しく、きらびやかなシーンが印象に残っている。
私は現在、工業を志していることもあり、今後ノーベル賞を強く意識することはあまりないかもしれない。
それでも地道に研究に取り組んだ結果がいつか報われるという瞬間をこの目で見られたことは、研究に対する大きなモチベーションになった。
日頃から視野を広く持つよう意識していたが、より広い範囲にアンテナを張り、仲間を大切にして協力しながら研究にまい進したいと、強く思わされた8日間だった。

今春からは大学院に進学し、新しい分野で研究活動を続けていく。
研究分野を変えることもあり、これから多くの困難や挫折が待っていると考えられるが、今回のセミナーやこれまでの活動を通して得てきた経験を糧に、一歩ずつ地道に取り組みたい。
そして、これまで支援していただいた地元香川、ひいては日本に少しでも貢献できるような成果を上げることが将来的な目標である。
=おわり=


ノーベル賞授賞式に参加して




ノーベル賞授賞式に参加して③・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

③ 華やかな舞台 <羽織はかま姿で参加>

ノーベル賞授賞式と晩さん会は、普段の生活からかけ離れた華やかな舞台だった。
目の前にある光景なのに、どこか現実感が湧いてこなかった。
ただ、テレビや新聞でしか見ることがなかった場面に立ち会っているのだという思いで、胸がいっぱいになった。

当日のドレスコードはタキシードもしくは伝統衣装となっており、せっかくの機会だと思い、私は紋付き羽織はかまで参加した。

授賞式では、ステージを正面から見下ろせる2階席という素晴らしい場所に座ることができ、生演奏をする楽団やスウェーデン王室の方々、そしてノーベル賞授賞者の皆さんの様子がよく見えた。
生理学・医学賞を受賞した東京工業大学栄誉教授の大隅良典先生へのメダル授与の瞬間も間近で見ることができ、同じ日本人として誇らしく、純粋にうれしかった。

晩さん会では1千人規模の招待客やテーブルの上に並べられた光り輝くカトラリー(ナイフやフォークなど)、天井に映し出された幻想的な映像など、会場の雰囲気をよく眺めることができた。
晩さん会は約4時間続き、前菜、主菜、デザート、各種アルコールといったメニューに加えて、楽器を用いたオペラ風のショーも楽しめた。
料理はどれもおいしく、これまで食べたことのないような凝ったものばかりだった。

当日の2日前に初めて習った拙いテーブルマナーだったが、会場の雰囲気が素晴らしく、そんなことが気にならないほど楽しい時間を味わえた。

この後は会場の2階に上がり舞踏会が始まった。
はかま姿だったため不安もあったのだが、一度だけ踊った。
これも2日前に基本だけ習った。
そんな状態だったので、とてもうまく踊れたとは言えないが、ダンスの輪の中に入って、パートナーと体を左右に揺らしているだけでも舞踏会の空気感を楽しめた。

また、羽織はかま姿は他の招待客やストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)参加者から見ても珍しかったらしく、「一緒に写真を撮ってほしい」とお願いされたり、服装について褒められたりすることも何度かあった。
現地まで持っていき、一人で着付けするのは大変だったが、そのかいは十分にあった。


ノーベル賞授賞式に参加して


ノーベル賞授賞式に参加して②・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

② 世界の若き科学者 <積極性を見習うべき>

ストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)のスケジュールは濃密の一言。
朝7時から夜11時までみっちり予定が詰まっている日もあった。
アメリカ、中国、イスラエル、南アフリカといった18カ国24人の参加者、コーディネーターを兼ねた現地大学生と8日間を共に過ごした。

選考過程や人数は国によって異なっており、例えばアメリカでは全国規模の科学コンテストの入賞者4人程度が参加の機会を得ることができ、日本では国際科学技術財団(東京)による選考を経て派遣される。
共通としているのは、18歳から24歳までという点と、全員それぞれ独自の研究テーマを持っている点であり、医学、薬学、流体力学、電子工学、さらに植物学まで、幅広い分野の研究を行っていた。

参加者同士の話題は多岐にわたった。
文化の紹介や、米大統領選、イギリスEU離脱などの世界情勢、そしてもちろん、それぞれの研究に関する説明や議論もあった。
自身の放射線の遮蔽(しゃへい)方法学習教材に関しても多くの指摘があり、そして現在の福島の状況を問われるなど、興味を持ってもらうことができた。

自分よりも数歳若い他の参加者と交流していく中で最も気になったのは、18歳や19歳という年齢でどうやって研究活動に取り組めたのか、という点だった。
数学や物理といった理論の世界では、特別な設備なしに研究を行うことが可能かもしれないが、化学や薬学といった世界ではどうじても専門設備が欠かせない。
聞いてみると、高校1、2年のころから自分で大学の研究室にお願いして設備を貸してもらっていた、という人が複数いた。
自分も低学年の時から、ものづくりコンテストなどに積極的に取り組んでいるつもりだったが、当時の自分に大学の教授に直談判するという発想も度胸もなく、そういった積極性や主体的に物事に取り組む姿勢には、見習うべき点が多いように感じた。

交流は非常に刺激的だった。
自分の専門外の事柄であっても貪欲に知識や経験を吸収しようとする姿勢からは、多くのことを考えさせられた。
自身の研究をキラキラした目で語る彼らは学生という枠を超えて、立派な一人の若手研究者であるように感じた。


ノーベル賞授賞式に参加して



ノーベル賞授賞式に参加して①・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

① 派遣決定 <福島原発事故が契機>

昨年12月4日から12日にかけて開催されたスウェーデンのストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)へ思いがけず参加することがかなった。
世界各国から厳しい選考をくぐり抜けた若手研究者が一堂に集い、倫理セミナーと呼ばれる議論や1千人規模の現地高校生に向けた研究発表、そして授賞式や晩さん会をはじめとしたノーベル賞関連行事にも参加できる貴重な機会である。
これまでの人生で最も濃厚だった8日間を終えて、得たものは非常に大きい。

SIYSSは現地での研究発表がセミナー全体の大きな部分を占めており、参加者は自身の研究テーマを持ち、現地で研究の成果を分かりやすく発表することが求められる。
私は研究テーマである、放射線をどうすれば止めることができるのかを学ぶための教材「放射線の遮蔽(しゃへい)方法学習教材」を応募用紙に記した。

放射線や原子力の世界との出合いは、2011年3月までさかのぼる。
当時香川高専の本科2年生だった私は、現在の指導教官でもある天造秀樹准教授からの誘いを受け、3月6日から12日までの日程で、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所近郊のBWR運転訓練センターでの研修に参加した。
いわゆる「安全神話」がまだ信じられていた。
私は人一倍好奇心が強く、「もしも想定している安全装置や緊急冷却システムが全て機能しなかったときはどうなるのか」といった質問を行ったが、講師の方からは「そのような事態が発生することは考えられないし、予算の関係で全ての状況に備えるのには限界がある」という説明しか受けることはできなかった。

3月11日、東日本大震災の影響で福島第1原発事故が発生した。
1週間という短期間に起きた劇的な展開は、自身の考え方に強烈なインパクトを与えた。
特に、科学を志す以上「絶対」という言葉は慎重に使わなければならないこと、そして、「安全神話」の崩壊と震災後に出回った放射線に関する数々のデマを目の当たりにして、良いイメージにせよ悪いイメージにせよ、正しい知識を持って事実を受け入れ、世論やイメージに流されず、自分の頭で考えて備えることが大切だと感じるようになった。
そこで私は、拡張現実(AR)と放射線シミュレーションを組み合わせ、放射線を「目で見て」直感的に学ぶことができる教材の開発を始めたのだった。

国内からSIYSSへの派遣が許されるのは、毎年2人の狭き難関と知っていた。
過去の参加者を見ても東大や京大の方が多く、高専生の派遣は前例がない。
正直、自分が参加できるとは夢にも思っていなかった。
ただ、応募しても失うものはなく、将来的に後輩が応募する時に今回の経験が少しでも助けになればという思いだった。

面接審査後、紙1枚しか入っていないような薄い封筒が自宅に届いた。
私が不在のため代わりに受け取った母は落選したと思ったらしく、気を使ってしばらく封筒が届いたことを伝えてくれなかった。
数日後、机の上に置いてあった封筒を見つけた私が封を開けてみると、「派遣決定」の文字が目に飛び込んできた。

ノーベル賞授賞式に参加して





ヨーロッパの「静かな崩壊」が始まった!(現代ビジネス)

受け入れ側の疲労は限界に達している。

現在、ドイツに続々と到着している難民は、オーストリアからドイツのバイエルン州に入る。
オーストリアが、スロベニアから自国に到着した難民を、せっせとバスで運んでくるのだ。

国境には公式の通過地点が5ヵ所定められており、9月と10月だけで、到着した難民は31万8000人。
つまり人口1260万人のバイエルン州には、2ヵ月間、毎日平均5000人がやって来た勘定になる。

受け入れ側の警察、役人、ボランティアは、文字通り休みなしだ。
難民の身分証明書をスキャンし、指紋を登録し、健康チェックをし、食事を与え、仮眠所で休息させているうちに、次のバスが到着する。

ベッドが足りなくなると、数時間仮眠した人たちを起こして、チャーターしたバスに乗せ、他州に振り分ける。世
話をする人たちは、難民が到着すれば、どんなにくたびれていても放っておくわけにはいかない。

オーストリアからのバスは、しばしば深夜に、それも予告なしに、何百人もの難民を国境に置いていった。
そして、このやり方がドイツとオーストリアの間に緊張をもたらし、10月末、デ・メジエール内相が「了解できない」と強く非難した。

それに対してオーストリアのミクルライトナー内相は「ドイツは、難民を他のEU国に戻さないと宣言した唯一のEU国だ。それによって、難民の数が爆発的に増えた」と反論。
問題がここまで混乱したのは、ドイツのせいだと言わんばかりだった。

ただ、口には出さなくても、そう感じている国は、実は他にも多い。

しかし、国境で難民の怒涛の中に身を置いている警官や役人やボランティアにしてみれば、このような責任の擦りつけあいは机上の空論でしかない。

深夜の寒さの中、戸外で何時間も待たせれば、赤ん坊や年寄りは弱る。
下手をすると死んでしまうかもしれない。
だから、クタクタになってようやく帰宅した職員のところに、「また500人到着した。すぐに出動して欲しい」というようなSOSが入ることも珍しくないらしい。
彼らの疲労は限界に達している。


ダブリン協定を壊したメルケル首相の「人道主義」。

EUの難民政策を定めているダブリン協定によれば、本来、難民はEU圏に入ったら、その最初の国で難民申請をしなければならない。
そして、その最初の国が登録やら衣食住の世話など、初期対応を引き受けることになっている。

もちろん、不公平な協定だ。
しかし、この協定ができた頃は、まさかアフリカ人が地中海をボロ船で渡って来るとか、アラブ人がギリシャからバルカン半島を北上して来るなどとは、誰も想像もしていなかったのだ。

しかし事情は変わり、現実として、イタリア、ギリシャ、ハンガリーといったEUの外壁になっている国に、想像を絶するほどたくさんの難民が溜まってしまった。
そこで、その惨状を見かねたドイツのメルケル首相が、「ハンガリーから出られなくなっている難民を引き受ける」といったのが9月の初めだ。

また、今までの規則では、難民が他のEU国を通過して来た場合、その国に差し戻してよいという決まりだったが、ドイツはこのとき、難民を追い返すこともしないと宣言した。

これにより、メルケル首相は「人道的」であると賞賛され、ドイツ人自身も束の間ではあったが、自分たちの寛大さに酔った。
そして、これは同時に、ダブリン協定の終焉をも意味した。

ダブリン協定はどのみち無理がある。
だから、それを壊したドイツが、より良い難民対応策を生み出せれば問題はなかった。
しかし現実には、そうはならなかった。

難民で窒息しそうになっていた国々は、「ドイツが受け入れてくれるなら、これ幸い」とばかりに自分たちの国に入ってくる難民をどんどんドイツに移送し始めた。
もとより難民もドイツに行きたいのだから願ったり叶ったりで、難民の数は爆発的に増えた。

ドイツが自分の蒔いた種でパニックに陥るまでに、長い時間はかからなかった。
慌ててオーストリア国境で入国審査を始めたが、しかし、難民の流入はもう止められなかった。

難民の輸送を斡旋する犯罪組織が勢いづき、ゴムボートはひっきりなしにトルコからギリシャへ難民を運び、そこからドイツへと続く道が難民街道となった。
これまで難民で混乱していた国は限定的だったが、以来、多くの国が当事国になってしまった。


EUは静かに崩壊に向かっている。

11月2日、国連のUNHCR(難民高等弁務官事務所)が発表したところによると、地中海経由でEUに入った難民の数は10月だけで21万8000人で、去年一年分よりも多かった。
そしてUNHCRも、この極端な増加を「ドイツの寛大な難民政策のせい」と理由付けた。
ちなみにドイツでの難民申請数は、10月までにすでに80万人を超えた。

難民の波に音を上げたハンガリーは、セルビアとクロアチアとの国境に柵を作り、先月、ついに全国境を閉じた。
オルバン首相曰く、「ハンガリーは傍観者となった」。
ハンガリーを経由できなくなった難民はルートを変更し、セルビアからクロアチア、スロベニア経由でオーストリアへと向かった。

すると、今度はスロベニア、クロアチアがお手上げ状態となった。
流入を防ごうにも、あまりの人数にその手だてがない。入ってきた難民のケアをしつつ、無事通り抜けさせるだけでも大変なことだ。

夜の気温は零下すれすれで、すでに死者も出ている。
まさに惨状である。
クロアチアは今週、難民が仮眠するための暖房付きテント群を突貫工事で作った。

その難民がたどり着くのがオーストリアだ。
オーストリアはすでに多くの難民を受け入れているが、ここに現在、スロベニアから、毎日6500~7000人の難民が到着する。
しかし、これ以上、難民が増え続けると国内の治安が保てなくなるとして、ここへ来て、スロベニアとの国境に柵を作ることを検討し始めた。

もし、オーストリアが入国者を制限すれば、スロベニアもこれ以上難民が自国に入らないよう、軍隊を動員してでもクロアチアとの国境を防衛することになるだろう。

一つ国境が閉じれば、連鎖反応で難民街道はさらに悲惨なことになる。
オーストリアのファイマン首相はすでに、「EUの静かな崩壊」に言及している。


このままではドイツ全体が共倒れになってしまう。

難民問題で意見統一ができないのはEUの国々だけではない。
ドイツ政府は現在3党連立だが、ここでも三つ巴の対立だ。

メルケル首相(CDU)は依然として、政治難民の受け入れ数に上限は作らないと言い張っているが、このままではドイツ全体が共倒れになってしまうと、姉妹党CSUが警鐘を鳴らしている。

CSUはバイエルン州が根城で、難民で一番大きな困難を背負いこんでいるので、その発言には現実味がある。
そのうえ、CSUの意見に賛同する政治家が、メルケル氏のCDUの中にもたくさんいる。

11月1日、両党は8時間の協議の上、
①オーストリアとドイツの国境のところにトランジットゾーンを作り、そこで難民資格のない人間を選り分ける、
②選り分けた人たちを早急に強制送還する、
③ドイツが難民として受け入れる人たちの家族の呼び寄せを2年間凍結する、
という3点で合意を見た。

ところが、このトランジットゾーンのアイデアに、もう一つの連立党であるSPDが猛反対をしているからややこしい。

SPDの主張は、トランジットゾーンは擬似刑務所であり、そんなものを作れば、不法入国に拍車がかかるだけだ、というもの。
ただ、SPDのこの攻撃は、"CDUとCSUの言うことには何が何でも反対"といういつもの悪い癖が出ているだけのようにも見える。

不法入国者は、SPDが心配するまでもなく、確かに多い。
連邦警察の発表では、オーストリアとドイツの国境で、10月26日の1日だけで、1万1154人の密入国者が摘発されたという。


これが21世紀のEUの現実なのか。

ドイツの内憂は他にもある。
国内で台頭する難民排斥の気運だ。

今年になって、難民の宿舎が放火される事件が340件以上あり、最近は、難民が襲撃されて病院に担ぎ込まれるという事件も複数起こっている。
多くの国民は、増え続ける難民に不安を覚えており、メルケル首相の無制限受け入れの方針から、徐々に距離を取り始めている。

難民問題の解決策は、EUレベルでも、各国レベルでも、何も決まっていない。
その目処さえない。
しかし、現実として、今、難民が凍えている。
だから、まずは、彼らが寒さをしのげる場所を作るのが最優先事項だろう。
本格的な冬はこれからだ。

難民救済は、冬将軍の到来との競争となりつつある。
これが21世紀のEUの現実なのである。




(川口マーン惠美)

ミュンヘンの今。

アウグスブルク在住・suhさんより

難民問題は本当に刻一刻と状況が変わり、すぐに古い情報となってしまいます。

昨日の土曜日1日で1万2千人の難民がミュンヘン中央駅に到着、今日も何千人と続いています。
さすがに窓口のミュンヘンでは対応できなくなりました。

国境のコントロールが導入され、オーストリアからの汽車もストップされています。
とりあえず、このことで治安が不安定になるとか、そういう心配はありません。
もっと受け入れたいとの思いが人道的観点からあると思うのですが、バイエルン州、ドイツ、そしてEU諸国の後方支援が確立されない限り、この先は難しくなりそうです。

今日もICEが難民輸送用に振り替えられたりして、一般市民への影響はあります。
また、先ほどミュンヘン駅構内で爆発物が見つかったとかで駅が封鎖されましたが、再び開放されたようです。
駅構内も警官がいて、整然としています。

オクトーバーフェストを控え、この先大混乱することが予想されます。


(現地時間:2015.09.13 pm10:30)

「人権とは」:EU紛糾、難民16万人割り当て案発表。(朝日新聞)

欧州連合(EU)は9日、紛争地のシリア、イラクなどからの難民計16万人を今後2年間で加盟国に割り当てる案を発表した。
7月に4万人で合意していたが、その後の難民らの殺到に対応して12万人を上積みした。
中・東欧各国は義務づけに反発しており、議論の紛糾は必至だ。
一方、豪州や南米各国は欧州に連帯して難民の受け入れを表明。
国連は、アジアを含めた各国に公平な分担を求めている。

今回の12万人の内訳は、ドイツに約3万1千人(7月合意分と合わせて約4万2千人)、フランスに約2万4千人(同約3万1千人)など。
EUの行政を担う欧州委員会が人口や経済規模に応じて定めた。
欧州の「玄関口」となり、すでに多くの難民らが入国しているギリシャとイタリア、ハンガリーは対象外だ。
また英国、デンマーク、アイルランドは以前からEUの移民政策の適用除外が認められており、含まれない。

EUには、難民申請者が最初に到着した国が認定手続きをする規則があり、難民への対応は各国任せだった。
「割当制」は、これまでの難民対策を大幅に改めるものとなる。

各地で混乱は続いている。
ロイター通信によると、デンマーク当局は9日、ドイツとの間を走る国鉄の国際列車の運行を停止した。
「国境での例外的なパスポート検査のため」としている。
ドイツに通じる道路も閉鎖した。
難民保護が手厚い隣国スウェーデンでの難民申請を希望する数百人が、ドイツ方面から北上していたという。




(吉田美智子)



義務化に中・東欧反発

「EUと加盟国が協力し、大胆で決定的な行動をとる時だ。」
9日、仏ストラスブールの欧州議会。ユンケル欧州委員長が演説で訴えると、拍手が起きた。
「難民のための連帯」と記した紙を手にした議員もいた。

前日、ドイツのメルケル首相は記者会見で「世界が我々を見ている、」と強い口調で語った。
「『遠い国のシリアなんて自分には関係ない』とは言えないはずだ。」
東欧各国の反対が念頭にあったのは明らかだ。

会見にはスウェーデンのロベーン首相が同席していた。
2013年9月、同国に逃れたシリア人に永住権を与えると発表、難民受け入れの先陣を切った国だ。

ドイツの難民受け入れの背景には、労働力としての期待もあると指摘される。

だがメルケル氏がいま強調するのは、「保護すべき人は保護するのが欧州の伝統」という持論だ。
受け入れに積極的な国々には、難民問題は「人権」という欧州共通の理念に関わるテーマだ、との認識がある。

この点で、西欧と東欧の考えの違いはあらわだ。
ハンガリーのオルバン首相は「彼らが欧州に来るのは、我々と同じレベルの生活を望むから、」と発言。
紛争地出身でも「就労目的の不法移民」とみなす考えだ。

遅れてEUに加盟した東欧各国。
自国民もよりよい生活のため、豊かな西欧各国へ移っている。
「西欧を目指す難民を、なぜ我々が受け入れなければならないのか、」という思いは強い。

難民の受け入れには経済的、社会的に大きな負担が予測される。
欧州委は受け入れ国に補助金を出す一方、正当な理由なく受け入れを拒否した場合は、国内総生産(GDP)で最大0.002%分の「EU予算への財政的な貢献」を求めるという「アメとムチ」で臨む方針だ。



(玉川透・喜田尚)



豪・南米、受け入れ表明続々

欧州以外の各国も、相次いでシリア難民の受け入れを表明している。
まず手を挙げたのは、これまでも多くの難民や移民を受け入れて国造りをしてきた国だ。

オーストラリアのアボット首相は9日、シリア・イラクの紛争による難民を新たに1万2千人受け入れると発表した。
「迫害された少数派の女性、子供、家族」に焦点を当て、豪州政府のチームが現地入りして対象を決めるとしている。

中東戦争を逃れた人々などの大きなコミュニティーがあるブラジル。
ルセフ大統領は7日、独立記念日のメッセージで「ブラジルは多様な国籍の人々が集まり、平和に暮らす国だ、」と演説。
「両腕を広げて難民を迎え入れる」と述べた。

ベネズエラは2万人の受け入れを表明、チリは100家族の保護を打ち出した。
アルゼンチンも協力的だ。

カナダでは8日、ブリティッシュコロンビア州のクラーク首相がシリア難民の受け入れに向けて100万カナダドル(約9千万円)を支出すると表明した。



(郷富佐子・田村剛)



日本、シリアの難民申請60人 認定は3人のみ

国連で人口移動問題を担当するサザーランド事務総長特別代表は8日、難民申請者への対応について、「すべての国は公平に分担する義務がある、」と述べた。
米国やカナダ、南米などと合わせて「極東アジアも含む、」と述べた。

日本のNGO「難民支援協会」(JAR)によると、シリアから日本に入国して難民申請したのは60人(10年~14年11月)。
そのうち、難民と認定されたのは3人だけだ。

ドイツでは今、シリアから逃れた人はほぼすべて難民と認定されている。
だが日本で難民と認められるのは、難民条約が定める「人種や宗教、政治的な理由などで迫害される恐れ」がある人のみとされる。
内戦が起きている地域から逃れてきたというだけでは難民と認定されていないのが現状だ。

シリア難民と日本。(難民支援協会)

難民をめぐる悲痛なニュースが相次いでいる。
8月27日、ハンガリー国境付近で保冷車からシリアなどからの難民とみられる71人の遺体が発見された。
9月に入ってからは欧州に逃れようと家族で乗り込んだ船が遭難、トルコの海岸に漂着したシリア人男児、3歳のアイラン君の遺体写真が世界に大きな衝撃を与えた。

この報道を受けて、さらなる受け入れには消極的だったイギリスのキャメロン首相が一転してシリア難民受け入れを表明したほか、オーストラリア、ニュージーランドなども同様の意向を示した。
増加する難民への政策を当初から講じていたドイツ、オーストリアでは市民による支援活動が活発化しているとの報道もある。

冒頭の事件はあまりにも衝撃的だったため日本でも大きく報じられたが、言うまでもなく氷山のごく一角にすぎない。
中東・アフリカ地域から欧州をめざす難民の船の事故だけでも、2015年は既に2000人以上が命を落としている。
命がけの手段と知りながら、それを選択せざるえない人々の苦境は察するに余りある。

日本では「欧州の難民問題」のように報じられることが多いが、果たして実状はどうなのだろう。
この人道の危機にあって、日本および日本人は、対岸の火事ですませてしまってよいのか。
ここでは特に、出身国別で世界最多となったシリア難民の状況を見ていきたい。

シリア内戦がはじまって4年半、戦乱を逃れて国内外に避難したシリア人は全国民(2240万人)の実に半数以上にのぼる。

逃れる手段がないために国内にとどまる人(国内避難民)は760万人。
国外に避難した人(難民)は408万9千人だが、9割以上はトルコ、レバノン、ヨルダンなどの周辺国にあって、大多数が難民キャンプに入ることもできず劣悪な環境で困窮を極めている。

シリア難民のうち欧州にたどり着いたのはわずか36万人、全体の6%に過ぎない。
周辺国とUNHCRは、欧州をはじめとする各国政府に受け入れを増やすよう要請している。
(数字は2015年8月末現在、国連高等弁務官事務所〔UNHCR〕の統計)

とはいえ、2011年4月~2015年7月末までに欧州各国に入ったシリア人は、ドイツ9万8千人、スウェーデン6万4千人、オーストリア1万8千人、イギリス7千人と、その数は決して少なくない。
入国後の処遇を見ると、ドイツは87%以上、イギリスは91%以上を難民として認定し、保護している。
(2015年6月18日現在、UNHCRの統計)
シリア内戦が終結する見込みが当面ないことから、スウェーデンでは難民認定したシリア人全員に永住権を与え、すぐに家族を呼び寄せられる特別な措置を講じている。

自力でたどり着くシリア人に加えて、難民キャンプなどから直接受け入れる「第三国定住」による受け入れも、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどが名乗りをあげた。
28か国が計10万人以上の受け入れを表明しており、先のアイラン君の報道に接して、受け入れ数は拡大の方向にある。
しかし、安全な場所を求めるシリア人の数に遠く及ばないのが実状だ。

市民の反応はどうだろう。
既にシリア難民9万8千人がたどり着き、さらに3万人を受け入れる予定のドイツでは、反発の声も少なくないが、ドイツ公共放送が2015年7月末に行った世論調査では、「少なくするべきだ」との声も38%あるものの、「これまで通り」34%、「もっと多くすべきだ」23%という結果になった。
(「朝日新聞」2015年8月12日)
つまり6割近い人々が難民受け入れに協力的なのだ。
最近ではミュンヘン駅に到着した難民を市民が拍手で迎える光景も報道された。
難民排斥の動きに抗する、ドイツ市民のひとつの回答にも見える。


日本はシリアから遠く離れ、無関係に思えるかもしれないが、国内に400人以上のシリア人が暮らし、そのうち約60人が難民申請中である。
ビジネスや留学などで以前から日本に滞在していた人、安全を求めて国内外を転々とするなかでたまたま縁もゆかりもない日本にたどり着いた人など事情は様々だが、現在のシリアの国内状況では帰国ができないのは明らか。
にもかかわらず日本政府が難民として認定したのは現在までにわずか3人。
申請の結果が出た38人には人道的配慮による在留の一時許可が付与されたものの、欧米諸国の状況に比べて極めて冷淡な対応だ。

難民認定が得られていないひとり、ジュディさんを紹介したい。

シリアの裕福な家庭に生まれたジュディさんは、罪のない子供が殺される光景を目の当たりにしたのをきっかけに反政府デモに参加するようになった。
地元の有力者だったため影響が大きいと政府に狙われ、一刻を争う状況のなか、たまたま手配できたのが日本の査証。
身の危険の迫るジュディさんは、2012年、家族を残して取り急ぎ単身で日本に逃れることとなる。

日本に到着してすぐ難民支援協会(JAR)につながったが、ジュディさんの難民申請は日本政府に却下されてしまう。
理由は「反政府デモの参加者には皆危険が生じるわけで、ジュディさん固有の危険ではない、」といった趣旨のシリアの国情を無視した、理解に苦しむものだった。

人道的配慮による在留の一時許可は付与されたが、不安定な立場であり、就労するための公的支援等も受けられない。
なかでもジュディさんにとって最大の問題は、家族の呼び寄せが許されないことだった。
当時妊娠中の妻と娘は、ジュディさんの出国後さらに状況が悪化したシリアを離れ、隣国イラクの難民キャンプでテント生活を送っていた。
「家族を思うと不安で夜も眠れない、」と訴えていたジュディさん。
JARが日本政府など関係機関に働きかけ、特別措置による家族呼び寄せがようやくかなったのは約2年半後の今年1月。
シリア出国時、妻のおなかにいた息子は2歳になっていた。

ジュディさんの場合は特例で呼び寄せが実現したが、「家族と一緒に暮らしたい」というごく当たり前の願いさえ阻んでしまう日本の難民制度。
昨年の難民申請者総数5千人のうち認定されたのはわずか11人。
この背景には、本来「保護」の対象である難民を「管理」の対象として処遇しているなど、国際社会の常識に照らして真っ当とは言い難い状況がある。
シリア難民に関して言えば、UNHCRは難民条約上の難民にあてはまる可能性が高いとして、日本を含む批准国に保護の責任を呼びかけているが、先述の通り、日本の現実はそこからはほど遠い。

シリアに平和がもたらされることが最良の解決策であるのは言うまでもないが、化学兵器の使用が報告されるなど事態が悪化するなか、安全を求めて逃れた人々が受け入れられ、生活を再建する場所は必須である。
経済力のある国々が数万・数千単位での受け入れを議論するなか、日本は見て見ぬふりですませるのか。

現在、ジュディさん一家は埼玉県内で暮らしている。
妻は安全な日本に来られたことを心から喜んでいるが、難民認定ではないため、定住のための日本語学習や就労支援など公的支援が受けられず、ジュディさんは安定した仕事が見つけづらい状況だ。
「難民」とひと括りにされるが、ジュディさんをはじめ母国では家や仕事を持ち、ごく普通の日常を営んでいた人たちだ。
その意味でも、彼ら「難民」は永遠に支援を必要とする人ではない。
適切な支援が受けられれば、早期に自立を果たし、日本の市民社会に大いに貢献する可能性をもった人たちである。
事実、JARで支援した人のなかには企業に就職、あるいは起業するなどして就労し、納税者となり、地域社会で生活を送っている人も多くいる。
東日本大震災に際しては、お世話になった日本に恩返しがしたいと難民による支援グループが立ち上がった。
彼らは日本社会の負担などではなく、財産だ。

JARでは、シリア難民をはじめ正当な理由で逃れてきた人々が適正な難民認定を得られるよう、日本で安定した生活を確立できるよう、引き続きサポートしていく。

難民流入2万人超、もう限界。ーメルケル氏に「誤った判断」と批判も(産経新聞)

内戦が続くシリアなどから欧州に流入した難民や移民らは7日も、オーストリア発の特別列車でドイツ南部ミュンヘンの中央駅に次々と到着した。
DPA通信は7日、地元当局の情報として、5、6日の2日間の到着者が約2万人に達したと伝えた。
警察当局によると、7日朝の時点で、新たに約2000人が到着した。
警察当局は「ミュンヘンの収容能力は限界だ。さらに難民の到着に対応するには、既にいる難民を速やかに別の場所に移さなければならない状況だ、」としている。

フランスのオランド大統領は7日の記者会見で、難民問題をめぐる国際会議の開催を提案し、パリを会場とする用意があると表明した。

ドイツのメルケル首相はベルリンで連立与党の党首を集め、難民対策を協議した。
報道によるとドイツの連立与党内では、今回の難民らの受け入れを認めたメルケル氏に対し、「誤った判断」との批判の声も上がっており、与党内で足並みの乱れが見られる。

ミュンヘンのライター市長も6日の記者会見で、難民の受け入れには「全国的連帯が必要」と述べ、ドイツ国内の各州に連携強化を呼び掛けた。

ミュンヘンは、シリアなどから欧州に流入した難民のドイツへの玄関口。
ドイツ行きを求めてハンガリーの首都ブダペストの駅前に集まっていた難民らも、大半がオーストリア経由でミュンヘンの中央駅に降り立った。

地元当局は、国際見本市会場や屋内競技場を臨時の宿泊施設として使用。
非番の警官を急遽呼び出すなどして対応した。
大きなトラブルはないが、受け入れ先に速やかに輸送できなければ、新たな難民の対応に支障が出るのは必至だ。

ドイツでは税収と人口を基に各州の受け入れの割合が決まる。
ミュンヘンに到着した難民らは今後、全国の難民宿泊施設に割り振られる。


「寛容姿勢」に排斥派反発、政権運営に支障も

中東などからドイツ南部ミュンヘンに約2万人を超える難民や移民が押し寄せ、ドイツのメルケル首相が対応に苦慮している。
地元の警察当局からは「対応は限界」との悲鳴が上がり、連立与党からも難民に寛容な姿勢を取るメルケル氏への批判が出始めた。
難民排斥を訴える極右勢力の反発もあり、メルケル氏は難しい政権運営を迫られそうだ。


学校への交通費支援

ドイツ公共放送ARDが3日に公表した世論調査では、22%が難民受け入れを増やすべきだと回答。
難民に寛容な政策を念頭に、37%が現状を維持するべきだと答えた。
受け入れを減らすべきだとしたのは33%だった。

寛容な世論の背景には、第二次大戦後に失った旧東方領土から追放された多くのドイツ人を受け入れた歴史や、ユーゴスラビア紛争で約43万人の難民を保護した実績がある。

基本法(憲法)では政治的迫害を受けた者の保護を定めている。
高齢化が進み、労働市場で約60万人の人手が不足、難民らを雇用できれば経済的なメリットもある。

1年前にドイツに来たシリア難民の男性は「難民と認められれば、ドイツ語学校や専門学校の費用を負担してもらえ、交通費も出る。家賃に対する公的支援がある。ドイツ人家庭が部屋を提供してくれる場合もある、」と手厚い政策を喜んだ。


「一貫性がない」

だが、週末のミュンヘンの中央駅への難民殺到で雰囲気は変わりつつある。
報道によると、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟と統一会派を組む与党でミュンヘンなどが地盤のキリスト教社会同盟のゼーホーファー党首は6日、ドイツは欧州への難民のほとんどを受け入れていると主張。
「これでは持ちこたえられない、」と訴えた。

メルケル氏がハンガリーのオルバン首相に対し、首都ブダペストの駅前に集まった難民らをドイツに向けて通過させないよう要求しながら、その後一転して受け入れに同意したのが難民らの大量流入の原因だと指摘。
「一体どっちなんだ、」と問い掛け、一貫性がないと批判した。

今年中にドイツに流入する難民は、人口の約1%に当たる計約80万人と予想される。
難民らの急増でドイツ社会が大きな影響を受けるのは必至。
極右を中心に受け入れには強い反発もあり、各地で難民宿泊施設などへの放火事件が相次ぎ、不穏な空気が漂っている。

難民の波、欧州揺さぶる。ーハンガリーから大移動(朝日新聞)

ドイツなどで難民申請したいと望む人々が同じ欧州連合(EU)加盟国のハンガリー国内で足止めされていた問題は、ハンガリーの方針転換とオーストリアの柔軟な対応でひとまず収束に向かう見通しだ。
しかし紛争地から人々が欧州に押し寄せる状況は続く。
難民受け入れの共通政策を模索するEUも、内側に深刻な対立を抱え、「欧州統合」の理念が問われている。


■朝のオーストリア国境、人が埋め尽くした

ハンガリー国境に接するオーストリア東部ニッケルスドルフ。
夜明け時の5日午前6時過ぎ、近くの駅を目指す数百人が、幹線道路を埋め尽くした。

バックパックを背負った家族連れ。
汚れた衣服の若者のグループ。
ハンガリーからバスで送られ、徒歩で国境を越えた人々だ。

「こんな光景は、見たことがない。」
警戒にあたった警察官がうなった。

ハンガリー政府は4日深夜から、大量のバスを投入してオーストリアとの国境へ人々を運び始めた。
ニッケルスドルフに難民や移民が到着し始めたのは5日午前3時ごろ。
2007年まで国境審査に使われていた検問所の跡地が、人々で埋め尽くされた。

8月16日にダマスカスを出発したというシリア人学生スルタン・マーロウリさん(27)はブダペストに9日間も足止めされた。

摘発を恐れ、ブダペストの駅前を避けて通りで野宿していた。
街で見かけたテレビでバス輸送が発表されたのを知り、深夜にあわてて駅前に駆けつけ、バスに乗ったという。

「いろんな国を通ってきたけど、ハンガリーの警察は最悪だった。」

ニッケルスドルフ駅には、難民らが次々にバスで運ばれてきた。
ボランティア団体の人々が用意した水のペットボトルやお菓子、バナナ、中古の靴や服などが配られた。

妹家族や友人らと、シリアのアレッポから32日間かけてオーストリアにたどり着いたというパレスチナ人男性ハサン・ミアリさん(38)は、「ドイツに行って働きたい。アレッポの自宅に残る妻と子供を呼び寄せたい。ノーモア・シリアだ、」と話した。

独南部ミュンヘン行きの列車に、まず100人ほどが乗り込んだ。
「ドイツ・オーストリア・ありがとう、」英語でそう書いた厚紙を掲げる人もいた。

ドイツ警察は5日だけで最大1万人がオーストリアを経由してドイツに入るとみている。


■「経済目的」 独の世論反発

今年ハンガリーに流入した人は15万人を超え、さらにペースが増している。
ハンガリーの混乱収拾や、難民救援を求める世論の高まりを受けて、オーストリアとドイツは緊急的な入国許可に踏み切った。
だが、今回の対応を見て、ますます難民らの流入が増えることも予想される。

近年の難民増加の最も大きな要因は、シリア内戦の長期化だ。同国から約400万人の難民が流出した。
約200万人が身を寄せたトルコなど、周辺国に逃れた人も避難生活のめどが立たなくなっている。

中東やアフリカから欧州を目指すルートは大きく二つ。
リビアからの密航船でイタリアやギリシャにわたる「地中海ルート」と、トルコからギリシャを経由してバルカン半島を北上する「バルカンルート」だ。

多くの人が目指すゴールは、欧州最大の経済大国ドイツ。
同国では今年、過去最多の80万人が難民申請すると予測されている。

ドイツでの認定審査の間、申請者は政府による保護施設で暮らし、1人あたり最大月143ユーロ(約2万円)の手当も支給される。

いま、申請者の最大の出身国はシリアだが、一方で約4割は、EU未加盟の近隣国など、安全な国からの就労目的の「不法移民」だとされる。

そうした申請者が正式に難民認定されるのは1%以下にすぎないが、ドイツ国民には「税金が食い物にされている、」との不満がくすぶる。
世論の理解を得るためにも対応が急務だ。

独仏両政府は、「欧州の玄関口」となっているギリシャやイタリアに、EU主導の難民登録センターを設けることを提案した。
両国任せを改め、欧州の入り口で、保護すべき難民か否かを識別する狙いだ。


■受け入れ割当制、対応割れるEU

EUは、独仏などの主導で、加盟国に人口や経済規模に応じて難民申請者の受け入れを義務づける「割当制」の導入を検討している。
欧州委員会の報道官は4日、ギリシャやイタリア、ハンガリーに到着した難民申請者計16万人を加盟国に割り当てる方針を明らかにした。

ドイツのシュタインマイヤー外相は4日、「この局面で、欧州に分裂している権利はない、」と述べた。

「割当制」に消極的な英国のキャメロン首相も、シリア難民の男児の遺体写真が公開された後、世論の高まりに押され、数千人のシリア難民を受け入れるとの方針を発表した。

だがハンガリーやポーランド、スロバキアなど中東欧諸国は、経済的な負担などを理由に「割当制」を拒否している。
難民の殺到について、ハンガリーのオルバン首相は難民が定住を望んでいるのは西欧だとして「これは欧州の問題ではなく、ドイツの問題だ、」と反発している。

5日、外相会合を終えたEUのモゲリーニ外交安全保障上級代表は会見で「各国の立場は違い、義務的な受け入れの合意は非常に難しい」と率直に認めた。
同時に「責任を分担する仕組みを見つける必要がある」と語った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、バルカンルートから欧州入りする人の7割が紛争国の出身者であり、「何らかの保護を必要とする人々」にあたるとの見解だ。
グテレス国連難民高等弁務官は4日、EUが難民問題への対応で「決定的な局面」に直面していると声明で警告。
難民20万人の定住を受け入れるよう求めた。




(喜田尚・松尾一郎・玉川透・吉田美智子)

難民流入にトルコ危機感 与党副党首、「イスラム国」懸念。(日本経済新聞)

トルコの与党・公正発展党(AKP)のアクタイ副党首(外交担当)は4日、シリア北部の要衝、アレッポが過激派組織「イスラム国」(IS)によって制圧された場合「最低でも20万人の難民が新たにトルコに流入する、」との危機感を表明した。
トルコ経由で欧州を目指す中東の難民が急増しているが、事態が一段と深刻になりかねないと警告した。

アンカラの党本部で日本経済新聞の取材に応じた。

トルコ国会は3日、軍に与えているシリアやイラクでの越境作戦権限の1年間延長を承認した。
国境周辺での脅威が高まれば介入も辞さないという「公式のメッセージ」を改めて発した格好だ。

トルコには内戦が続くシリアから約200万人の難民が流入している。
難民らはトルコから対岸のギリシャに渡って欧州への移住を目指しており、欧州各国で政治問題化している。

4日、アンカラで開かれた20カ国・地域(G20)財務相・労働相会合でも難民問題が議題に上った。
密航ボートの転覆でトルコの海岸にシリア難民の幼児が溺死体で打ち上げられた事件を受け、欧州各国で政府に緊急対応を求める声が急速に高まった。
アクタイ氏は「(幼児は)唯一の被害者ではない。無数に存在する同等の悲劇にも目を向けるべきだ、」と述べ、関係国に対応を促した。

そのうえで政府軍、IS、反政府勢力が三つどもえの戦闘を続けるトルコ国境に近いシリア北部の都市アレッポに言及。
「脅威が迫れば、黙認はしない。地上軍派遣の可能性もゼロではない、」と強調した。
アレッポがISの手に落ちれば「トルコに難民の新たな波が押し寄せる、」とし、欧州の難民問題の悪化につながるとの見方を示した。

少数民族クルド人の非合法武装組織、クルド労働者党(PKK)に対する掃討作戦の再開を巡っては「停戦期間中にも武器を蓄え、兵員を増やしていた、」とPKK側を非難。
「暴力が我々の忍耐を超えた、」と説明した。

11月1日の総選挙をにらみ、PKKとの和平に反対する右派層の支持を取り付ける思惑から攻撃再開に及んだとの批判を退けた。




(佐野彰洋)

難民受け入れで東西が分断する欧州、試される人道主義と移動の自由。

「家族に未来を与えたかった。」

シリア内戦を逃れようとギリシャに渡る途中に溺死したクルド人難民アラン・クルディ君(3歳)と5歳の兄、母親が4日、故郷のシリア北部コバニに運ばれ、埋葬された。

現地からの報道によると、父親のアブドラさん(40)は「家族に未来を与えたかった。私には何も残っていない、」と唇を噛んだ。

国際子供支援団体セーブ・ザ・チルドレンのケイト・オスリバンさんは、シリアやアフガニスタンからの難民が殺到しているギリシャのレスボス島やマケドニア国境などで子供たちの支援活動をしている。

同団体は第一次大戦後の1919年、「私には11歳以下の敵はいない」と荒廃した敵国の子供を支援しようと立ち上がった英国人女性エグランタイン・ジェブによって創設された。

ケイトさんはマケドニア国境で母親、15歳と12歳の息子の3人家族に出会った。
シリアのコバニ出身だった。
15歳の少年が言った。

「シリアに残っていたら死んでいた。避難先のトルコでは僕たちは存在しないも同然だった。欧州は希望だ。」
父親はトルコに残って働いている。
3人家族がドイツにたどり着いたら送金するためだ。


危険にさらされる子供たち

「この家族はまだましです。多くの場合、子供たちだけで欧州に向かっています。家族で欧州に向かうにはお金が足りないからです。子供たちは旅の途中で誘拐されたり、搾取されたり危険にさらされています。」

ケイトさんは筆者の取材にこう応えた。

密航者が小さなボートを用意する。
料金は1回につき1人1千~1200ユーロ。
難民をぎっしり乗せたボートは未明に、ギリシャのレスボス島やコス島に近いトルコの海岸を出発する。
エンジンは焼きつき、怯えた子供たちの泣き叫ぶ声が暗闇に消えていく。

1回で成功することはない。
2回、3回と密航を試みる。
成功することもあれば、アラン君と兄、母親の3人のようにボートが転覆して命を落とすこともある。
「命懸けの密航のために父親は長い間、働いてお金を貯めるのです、」とケイトさんは言う。


空前の試練

戦闘地域をくぐり抜け、危険な船旅に未来と希望を託す小さな密航者たち。
2つの大戦とベルリンの壁崩壊を経て、人の自由移動が永遠の平和をもたらすという理想を掲げる欧州が空前の試練に立たされている。

2001年の米中枢同時テロに端を発するアフガニスタン、イラク戦争がもたらした混乱。
中東民主化運動「アラブの春」による独裁体制の崩壊とイスラム過激主義の増殖でシリア、イラク、リビアなどで内戦が激化し、約6千万人が家を追われた。

地中海を経由して欧州連合(EU)加盟国に渡った難民の数は今年1月から8月28日の時点で32万2914人。
内訳はギリシャに20万9457人。
イタリアに11万1197人。
スペインに2166人。
死者はすでに2432人にのぼっている。

今年6月時点で積み残しになっている難民認定申請はEU全体で56万7785人。
ドイツ30万6010人、スウェーデン5万6005人、イタリア4万8305人の順だ。

ドイツへの難民認定申請は2013年12万7023人、昨年20万2834人(認定は3万3310人)と増え、今年は80万人に達する見通しだ。
しかし、このうち約3割はセルビア、コソボ、マケドニア、ボスニアからの経済難民とみられている。


破綻した「ダブリン合意」

EU加盟国は「ダブリン合意」と呼ばれる取り決めに基づき、難民が最初にたどり着いた国が責任を持つことになっている。
難民が他の国に移っても最初にたどり着いた国に送り返すことができる。
中東・北アフリカに近いギリシャやイタリアが難民の最前線に立たされている。

イタリアのレンツィ首相は、隣接するフランス、オーストリア、スイスから難民を押し返され、「欧州が団結を見せなければ、わが国には奥の手がある、」と恫喝した。
EU加盟国が割当制を導入して応分の難民を受け入れなければ、玄関口のギリシャやイタリアだけが負担を押し付けられる。

レンツィ首相が言う奥の手は難民を片っ端から認定し、EU加盟国全体に拡散させるという非常手段だ。
ドイツのメルケル首相とフランスのオランド首相はレンツィ首相の割当制に同調した。

昨年、ドイツでは3万5100人の難民が最初にたどり着いた国への送還対象になったが、実際に送還できたのは4800人。
かかる送還費用と手間を考えると、「ダブリン合意」という難民管理の枠組みは破綻していると言って良い。

送還される難民に屈辱感を与える上、実効性に乏しく、EU加盟国間に不協和音を生じさせるからだ。


メルケルの決断

ドイツはもともと難民への支援体制が整い、待遇も良かった。
そこに加えてメルケル首相が8月21日、シリア難民については「ダブリン合意」の例外として扱うと表明したことから、雪崩のような大移動が起きた。
移動ルート上のハンガリーに難民があふれ返った。

4日、ドイツとはそりが合わないチェコ、ハンガリーに加えて、ポーランド、スロバキアまでもが「欧州団結の手段として義務化された恒久の割当制の導入につながるようないかなる提案も受け入れられない、」という共同声明を発表した。

割当制の導入は、さらなる難民流入の引き金になるというのが表向きの理由だ。
しかし、その背後には、文化や宗教、社会摩擦を引き起こす恐れがあるイスラム教徒を受け入れることに対する警戒心がある。

EUは7月に3万2500人のシリア難民を自主的に受け入れることで合意したが、国連からは最大20万人の難民を受け入れるように求められている。

ドイツではグーグルのインターネットサービス、マイマップを悪用して難民の自宅や施設の場所を表示する地図が公開された。
地図はその後、削除された。
しかし各地で、ネオナチの仕業とみられる難民施設への放火が相次ぎ、今年前半だけで昨年同期の3倍に当たる難民施設襲撃事件が起きている。

難民受け入れにずっと難色を示してきた英国のキャメロン首相はアラン君の死に関連して「1人の父親として心を動かされた、」と語り、4日、受け入れ枠を数千人拡大すると発表した。
セーブ・ザ・チルドレンを生んだ英国でも、欧州の普遍的な価値である人道主義と難民受け入れへの懐疑が複雑に交錯する。

かつて欧州の植民地支配と戦争によって確定された国境が完全に崩壊しようとしている。
ブッシュ米大統領とブレア英首相がアフガニスタン、イラク戦争でまいた混乱の毒が中東やアフリカに広がり、平和と安定を求めて人の大移動が起きている。
欧州は今こそ結束して人道の危機を乗り越える義務を負っている。




(在英国際ジャーナリスト・木村正人)

鉄道、大混乱・難民殺到、運行停止繰り返す。ーハンガリー(毎日新聞)

内戦が続くシリアなどから大量の難民や移民が殺到しているハンガリーの鉄道会社は3日、首都ブダペストの駅から西欧諸国へ向かう国際列車をすべて運行停止にすると表明した。 
「鉄道運行の安全を確保するためだ」としている。  
しかし、ブダペスト東駅で難民らが強引に乗り込んだ列車がその後、隣国オーストリア方面へと動き出すなど現場は大混乱となった。
西欧行きを訴える人々のうねりが、1国の鉄道機能をまひさせる異常事態になっている。

ほとんどの国際列車が発着するブダペスト東駅周辺では、3000人以上の人々が、ドイツなど西欧へと向かう列車に乗るチャンスをうかがいながら生活している。
AP通信などによると、駅への立ち入りを排除していたハンガリーの警察当局は3日朝、封鎖を解除。
それを受けて、人々が停車中の列車に殺到した。
その後、列車は動き出したが、ブダペストから西へ40キロの地点で止まり、人々は車内から追い出された。
難民らは、バルカン半島を北上して欧州連合(EU)加盟国のハンガリーに到着。
その後、ほとんどの人が、オーストリアを経由し、経済的により恵まれたドイツを目指している。

人口993万人のハンガリーに今年流入した移民・難民は15万人以上。
南のセルビア国境からやってくる人々の流入が続いており、東駅に滞在する人々の表情には疲労が目立つ。
シャワーなどがないため衛生状態も悪く、ぐったり横になっている人も多い。
アフガニスタン人のラジーク・アリさん(17)は2日、毎日新聞の取材に「ハンガリー政府がなぜ我々を足止めするのか理解できない」と疲れた表情で語った。

ハンガリーのオルバン首相は3日、ブリュッセルのEU本部を訪れ、指紋採取など「登録が済まない限り難民を国外に出さない」と強調。
こうした手続きはEUの法制に従っているだけだとして「ハンガリーを非難するな。難民は欧州に来ないでほしい」とも表明した。
ハンガリー政府は8月末、越境を阻止するため、セルビア国境(約175キロ)に約4メートルのフェンスを設置したが人々のうねりに歯止めがかかる様子はない。




(坂口裕彦・斎藤義彦)

難民急増で欧州に亀裂 ドイツ「保護」、東欧は強硬姿勢。(朝日新聞)

中東などからの難民、移民が欧州に殺到している問題で、経由地となっているハンガリーなどの中・東欧諸国が、難民申請希望者への強硬姿勢を強めている。
「各国で負担を分かち合うべきだ」とするドイツなどとの溝は深い。


国際列車が発着するハンガリーの首都ブダペストの東駅。
3日朝、難民や移民を駅から排除してきた警官隊が突然撤退した。
駅舎前に野宿していた数千人は大喜びで駅舎に入った。しかしドイツやオーストリアなど西に向かう列車はすべてキャンセルされた。
人々は大混乱に陥り、一部は線路にあふれ出した。

ハンガリー政府は、彼らの多くを不法入国者とみなしている。
政府報道官は「EUの対外境界に法と秩序を取り戻す」と述べた。
難民審査を経た上で、「違法な移民は経由国のセルビアに送還する」との方針だ。
8月には、たとえ紛争地出身でも「安全な第三国」を通過してきた人の申請は、短期間で却下できるとの新法を発効させた。

強硬姿勢は、ドイツなどへの牽制との見方も強い。

メルケル独首相は「保護すべき人を保護するのが欧州の伝統」と述べ、シリア難民などに柔軟に対応すべきだとの考えだ。
経済規模などに応じて、国ごとに難民受け入れ数を義務づける割当制が念頭にある。

メルケル氏は3日、オランド仏大統領との電話会談で、割当制の必要性で一致した。
独仏伊の外相は、4日からの非公式外相会合でこの制度について協議するようEUに求めている。
さらに14日には、EUの緊急内相会合も開かれる。

一方、ハンガリーは、割当制に強く反対してきた。
元々ハンガリーは難民に厳しい姿勢をとり、昨年の難民申請に対する認定率はEU最低レベルの9%だ。

 4日には、同様に割当制に反対するチェコ、スロバキア、ポーランドの各国とプラハで首脳会談を開き、結束を固める。

難民問題を協議するためにブリュッセルを訪問したハンガリーのオルバン首相は3日、難民が西欧での定着を望んでいるとして「これは欧州ではなく、ドイツの問題だ」と突っぱねた。
EU首脳会議のトゥスク常任議長は同首相との会談を前に「EUの東と西には(意見の)解離がある」と認めた。




(喜田尚・吉田美智子)

欧州で拡大する難民流入、ドイツは公平な分担求める。(ロイター)

欧州連合(EU)にかつてないペースで難民や移民が流入し、受け入れ側の対応が追いつかない状況となっている。

ドイツはこうした移民の最大の受け入れ国になるとみられており、シリア内戦を逃れてきた難民に対しては、EU内の最初の到着国で難民申請をするというEUルールの適用を実質的に停止している。
しかし、オーストリアやハンガリーを経由した大勢の移民がミュンヘンなどに列車で押し寄せたことを受け、ドイツ内務省は1日、ルールが依然有効であり、他のEU加盟国はこれを順守すべきだと主張した。


暴力や貧困から逃れる難民やその他の移民の大半は、欧州の南端や東端に到着した後、より豊かな北部や西部を目指して移動を続ける。
特にハンガリーはバルカンから陸路でEUに入るルートの入口となり、危機的な状況に直面している。

ハンガリー当局は1日、首都ブダペストの鉄道の駅を一時封鎖し、難民の入場を禁じるなど、難民の列車移動を阻止する措置に出た。政府報道官は、EUの法律を執行するためだと述べた。


「ダブリン協定」では、難民申請はEU内の最初の到着国で行うことになっており、手続きが終わるまで滞在しなければならない。
ただ、大半の難民が到着するイタリアやギリシャ、ハンガリーでは、これほどの規模の申請を処理するのは不可能だとしている。

EU首脳は前例のない難民流入ペースに危機感を強めている。


ドイツのメルケル首相は1日、ベルリンで開かれたスペインのラホイ首相との共同会見で「迫害を受け、戦争を逃れてきた難民に対し、欧州各国は経済の強さや生産性、規模に応じて公平に負担を受け入れるべきだ」と語った。

両首相は、欧州委員会が安全な国のリストを作成し、難民に分類されない移民を本国に送還できるようにすべきだとの考えを示した。

移民政策を担当するアブラモプロス欧州委員は、難民受け入れ負担や不適格な移民の本国送還について、同委員会が来週新たな方針を示すとしている。

オーストリアに難民3650人到着、欧州移民問題。(AFP通信)

ハンガリー当局が首都ブダペスト(Budapest)の駅に泊まり込んでいた難民に対し、欧州連合(EU)発効のビザなしのままEU入りすることを認めたことを受け、隣国オーストリアの首都ウィーンに1日、3650人の移民が列車で到着した。
オーストリアの警察当局は、1日のうちに到着した難民の数としては今年最高だと発表した。

ウィーンには31日にも、移民で満員の列車がブダペストから到着していた。
同日、ウィーンでは2万人が移民の受け入れを支持するデモを行ったが、第2次世界大戦(World War II)以降、最大といわれる移民危機に対応するため、欧州各国は四苦八苦している。

大半がビザを所持していない数百人の移民が乗った列車は、ウィーンのベストバーンホフ(Westbahnhof)駅に到着した。
多くは駅で一夜を過ごしたが、その後、ザルツブルク(Salzburg)やドイツ南部のミュンヘン(Munich)に向かう列車に乗り込んだ。
ドイツ当局は先週、シリアからの難民に関して受け入れ拡大を決定している。

移民たちは、ハンガリー・ブダペストの駅に一時的に作られた「難民キャンプ」に数日間、足止めされていたが、ハンガリー当局は移民たちが最終的に目指す欧州北部に向かうため、列車に乗車することを許可した。
本来、EUでは移民が最初に到着した国で保護申請などの措置を行う規定になっているが、オーストリア同様、欧州北部を目指す移民が通過するハンガリーは、新たに押し寄せる記録的な数の移民の対応に手が回らないとしている。

先月、オーストリアの高速道路に乗り捨てられていたトラックから、子ども4人を含む移民71人の腐敗した遺体が見つかった事件を受け、移民を乗せた列車は取り締まりが強化されたため、ブダペストから出発後も列車はオーストリア国境で数時間、停車した。

ウィーンでは同日、2万人が参加し移民の待遇改善を訴えるデモが行われた他、トラックから遺体で見つかった移民たちのための礼拝が教会で行われ、政府高官らが出席した。

EU諸国は今月14日に移民問題を話し合う緊急会合を開く予定だが、深刻化する危機的状況を受け、東西で移民への対応について意見が分かれている。

難民大量流入でEU制度が形骸化、「素通り」容認も。(ロイター)

中東やアフリカから欧州を目指す難民が増え続け、各国が対応に苦慮する中、オーストリアやドイツでは31日、多数の難民を乗せた列車がハンガリーから到着した。

欧州への難民の流入は増え続ける一方で、欧州連合(EU)は難民に対し最初に入国した国で申請するよう求めているが、実際には未申請のケースが多い。
難民の多くは内戦を逃れたシリア出身者で、経済的に豊かなドイツに向かっているという。

オーストリアのある警察スポークスマンによると、EUのルールに沿ってハンガリーで難民申請した者はオーストリア入国は認められないとされているが、難民の数が多過ぎることから列車による入国は黙認されている状況だ。

ウィーンの駅に到着したシリア人男性(33)は、欧州に入ってからパスポートの提示は求められなかったと話した。
駅構内では警官が警備に当たる中、数百人の難民がドイツに向かう列車に乗ろうと急いでいた。

こうした中、今年80万人の難民が流入すると見込むドイツでは、メルケル首相が会見で、他のEU加盟国が受け入れ枠を増やさなければ、域内の自由な移動を認める「シェンゲン協定」が崩壊しかねないと懸念を示した。

EU各国の関係閣僚は難民問題をめぐり、14日に緊急会合を開く予定。

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