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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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マチュピチュ列車は今日も往く。。

*マチュピチュ麓の町、アグアス・カリエンテスにあるジェシーお薦めのレストランにて
ピザがとっても美味しいお店でした。【'02.03.15】


『インカ・マヤ・アステカ展』にはマチュピチュのジオラマが置かれてあります。
ここで、私のすぐ後ろにいた女性二人の話し声が聞こえてきました。

「私がマチュピチュへ行った時、天候が悪くて遺跡に入れなかったんだよね。」
「え~、そんなことってあるの?」
「また行くにしても、簡単には行けないよねぇ~。」

ご存知、マチュピチュは「空中都市」の異名を持ちます。
遺跡に入れないからといって、「じゃあ、遠くから眺めましょうね」、、って訳にはいかないのです。

マチュピチュは、チケットを買って、ゲートをくぐって、そして"くねくね"した山道を登りつめてはじめて、"あの"姿を現します。

地球の裏側まで行ったのに遺跡に入れないという不運なことは非常に稀だと思いますが、
今後行かれる方には余裕のある日程の組み方をお薦めしますね。

クスコからの日帰りはちょっと勿体ないように思います。

* * *

クスコからマチュピチュへ向かう時、
大抵の方は『アウトバゴン』という特急列車を利用することになるでしょう。

『アウトバゴン』には車内販売のサービスもありますし、時にはアンデスの音楽を流してくれます。
列車の中で購入したそのCDは、今でも私のお気に入りです。


ジェシー率いる私達7名はマチュピチュからクスコへの帰り、オリャンタイタンボというインカ帝国時代の要塞跡のある町までその列車に乗りました。

そこで、私とオーストラリア人・パトリシアと向き合う形でアルゼンチン人のご夫婦が座りました。
真ん中にはテーブルがあります。

マチュピチュを出発して数分、お喋りなパトリシアが黙っているはずがありません。

気が付けば私達4人は、パトリシア中心に会話が弾んでいました。
パトリシアはオーストラリアから持ってきた小さなコアラの人形やオーストラリアの名所の写真などを拡げ、私達に説明します。

オーストラリアの"90マイル・ビーチ"の写真を前に私は、
「NZにも90マイルビーチがあるよ!」と"つい"口を挟みました。

するとパトリシア、
「NZはなんでもオーストラリアの真似をするんだからっ!!」
珍しく少し"ムッ"とした表情です。
*オーストラリアとNZの仲があまりよろしくないのは、まんざら嘘ではないようです。。


少しして、アルゼンチン男性がコーヒーを飲みはじめました。

その時、私は"ふっ"と思いついたように、彼に言いました。
「今、アルゼンチンの硬貨を持ってるの?」
持っているなら見せてほしいなぁ、というのが本心。

「荷物の中にあると思うよ。」
人の良さそうなその彼は、親切にも頭上の棚に乗せてあった荷物から硬貨を取り出そうとしました。

その時です。
列車は大きなカーブに差し掛かり、大きく"ぐらっ"と揺れました。

彼の体も大きく傾きます。

あっ!

パシャ~!! w(☆o◎)w
彼が手にしていたコーヒーが、彼の前に座っていたパトリシアのズボンにかかってしまったのです。

その日のパトリシアが履いていたのは"真っ白"なズボン!!

Oh!!! No!!!!! \(◎o◎)/

白色に茶色の大きなシミが広がります!!!

誰もが驚きました。
誰もがパトリシアの反応を見ていました。

「きゃはははははは!」
パトリシアは車両いっぱいに響き渡る甲高い声で笑いだしました。

私は一瞬、彼女の気が触れたのではと思ったほど。

その後の彼女がとった行動は、、。

そこら中の乗客に、
「見て、見て!! 私のズボン、こんなになっちゃった!!」と見せびらかし始めたのです。

「ごめんなさい。」、、私とアルゼンチン男性のお詫びの言葉にも、
「気にしなさんな。こんな愉快なことはないわ!!」

まるで、みんなの注目を一身に浴びたことを喜ぶかのように、、。
この日から、私の中にあるオーストラリア人のイメージは、世界一おおらかな国民性。


今日もあの列車は様々な思い出を乗せて、マチュピチュへと向かっていることでしょう。

パトリシアは今もあの列車での出来事を忘れずにいるでしょうか、、、。

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ラテンの男☆ジェシー

*マチュピチュ遺跡へと向かう道。
左からパトリシア、カトリーナ、ジェシー。【'02.03.15】


インカの旅をより愉快にしてくれたのは、やはり現地ガイドのジェシーでしょう!!
彼は私より一つ年下で、当時28歳でした。
まずまず堪能な英語を喋り、気遣いもなかなかのものです。

ツアーが始まる前日、ジェシーを囲んで、ツアー客7人で初顔合わせをしました。
私が高山病にかかったことをパトリシアが大げさに話していたらしく、部屋までジェシーが迎えにきてくれました。
第一印象から優しくて陽気な雰囲気。

そんなジェシーを、彼に勝るとも劣らず親切なオーストラリア人の皆さんは満面の笑顔で迎えました。

一週間常に行動を共にしますので、もちろん仲良しになりますよね。
温かいオーストラリア人の皆さんは、何かと独り者の私に目をかけてくれました。
ジェシーも唯一私と同年代ということで、「picchuko、picchuko、」と声をかけてくれます。

その中でもパトリシアは、私にとってペルー旅行の"お母さん"!!
(彼女がそう言っていました。)

可愛い?娘?に悪い?虫(ジェシー)が付かないように目を見張らせてくれます。


「あなたっ!! ちょっと、ジェシーに近づき過ぎよ!」
決してそんなことはなかったのですが、パトリシア母さんの目は光ります☆
オープンなオーストラリア人にしては???と思いませんか?!

しかし、彼女の男性を見る目は確かでした。
(ジェシーが悪い人という意味ではなく、、。)

* * * * * * *

ジェシーは至るところにガールフレンドがいます。

クスコ周辺では、常に若い女性から「は~い、ジェシー!」と甘い視線を投げかけられます。


それはマチュピチュへ向かう列車の中で、、、二人の魅力的な女性が彼の近くに座りました。
彼女達も彼と同じラテン系です。
列車が走る3時間ほど、彼らは仲良くお喋りをして、かなり親しくなったようです。

ジェシーは日本人の女性から好かれるタイプではないかもしれません。
でも、ラテンではかなりの色男☆☆☆


先ほど列車で知り合った二人の女性とマチュピチュ遺跡で再び出会い、ウィンクを投げる彼。。
一日目のマチュピチュ観光は、ジェシーにとっても実に愉快だったと思います。

* * *

麓のホテルで宿泊した私達は 次の日の午前中、二班に分かれて行動しました。

一班は私とパトリシアとカトリーナの「ワイナピチュ行き」。
そしてもう一班は「温泉」へ。
そのメンバーはパトリシアの友達と、カトリーナのご両親とおばあさんです。

マチュピチュ近郊には、「アグアス・カリエンテス」という村があり、そこは有名な温泉保養地なのです。
水着必着ですので、プール感覚で入れます。露天風呂だそうですよ。

おばあさんは足が若干不自由で、歩くのに杖が必要です。
ワイナピチュ登山が不可能な彼女を気遣って、他の3人も温泉を選ばれたようです。


ワイナピチュ行きは早朝5時半にホテル発の予定でした。
ホテルからマチュピチュ入り口まではジェシーが付き添うことになっています。

5:20には3人集合完了です。しかしジェシーはまだのよう。。。

約束の5時半になってもジェシーは現れません。

5:40。まだ彼は現れません。

パトリシア母さんはジェシーの部屋のドアを"バンバン"叩きました。
出てきません。

パトリシア母さんは叫びます。 「ジェシー!! 起きなさぁ~い!!(*`θ´*)」

何度もドアを叩かれて、眠たそうにジェシーは頭をかきながら現れました。
目は開いていません。
「急いで仕度しなさいっ!」とパトリシア母さん。

一本バスを遅らせて、私達はマチュピチュへと向かいました。

パトリシア母さんは私に耳打ちします。
「だから私は言ったでしょ! ジェシーに近づくのは危険だって!」
決して近づいてはいませんけど、、、?^-^?

「彼ねぇ、昨晩 私のところにお金を借りに来たのよ。昼間に出会った女の子達と遊ぶためにねっ。o(`へ')o」
「だから言わんこっちゃないっ!(`ε´)」

なるほどねぇ~、ジェシー君♪ やるねぇ~、君も♪ ( ̄ー+ ̄)ニヤリ

* * *

少人数で一週間もずっと一緒にいれば、初対面では分からなかったことも"しっかり"と見えてきます。

なるほどぉ~、パトリシア母さんは人生経験が豊富で、様々な国の人達を見ていますから、ジェシーの本性をいち早く見破ったのでしょう。

段々とばれてきた「遊び人ジェシー」ですが、人間としては優しくて人懐っこくて私は大好きです!!


ただ後になって怪しく思ったことが一つだけ。。(^人^;)

それはツアー初日のこと。

私達は朝一番、『サクサイワマン』へ行きました。
そこは毎年6/24に「太陽の祭り」が行われ、世界中から人々が集まる有名なインカの遺跡です。

まだ馴染みの薄い私達。
ジェシーはとても悲しそうな表情で話し始めました。

「昨晩、僕の友達が自殺したんだ。首を吊って、、、。」今にも泣き出しそうです。

私達もかなりのショックを受けて、何よりジェシーのことが心配でたまりませんでした。

優しいオーストラリア人達。
「ジェシー、今日は午後から休みなさい。私達は勝手にクスコ市内を見て回るから、、。
本当に私達のことは心配しなくていいから、今日はゆっくりしなさいね。」

? ? ? ? ?

果たして、この友達の話は真実だったのでしょうか、、?
その3日後に夜通し女の子と楽しんだジェシーを思うと、、???

そんなもの? 実に怪しい、、。。。。。( ̄ー+ ̄)/
今となっては迷宮入りですね、、、。( ̄ー+ ̄)/

さすがだねぇ~、ジェシー君♪ 君は私の知る典型的なラテン男です☆

「ワイナピチュ登山」のススメ

*霧に包まれて幻想的なワイナピチュ 【'02.03.16】
この急勾配を登っていくのです。。。

('08.01.31日記)('08.02.01日記)の写真をもう一度見て頂けるでしょうか。。
インカの遺跡の謎を解くヒントの一つは遺跡の形。

ガイドのジェシー曰く、ワイナピチュから見るマチュピチュは「コンドル」を描いているのだとか。。
私の写真では見えにくいですけどね。

余談ですが、
コンドルはご存知の通り、南米大陸アンデス山脈に生息する鳥。
クチバシから尾の先までは約1.2m、両翼の端から端までの長さは3mもあります。
コンドルの胸骨は、その大きな羽の筋肉を支えるには不十分な大きさ故に、
彼らは羽ばたいて飛行するのではなく、高空から滑空飛行で空を舞っているそうです。

そして、ワイナピチュを横から眺めてみて下さい。
人の横顔に見えませんか?
そうです、ワイナピチュ山頂が鼻の先です。左側が顎ですね。

あれ以来ワイナピチュを見る度に、「顔」に見えてしまうようになりました。

* * *

実は私、知りませんでした。

何をかと言うと、
「ワイナピチュ登山は一日当たり入山者400名」と限られており、200名で一度締め切るということを!!

7時きっかりに開門するそうですが、すでにゲートの前には長蛇の列が出きているそうで、できるだけ早く並ばないといけないらしいです。

その為に朝一番で向かう観光客の列は、麓のバス乗り場から始まっているもよう。
早朝6時ではすでに気の遠くなるほどの人の数です。
ちなみに始発のバスは5:30です。
(以上、2007年現在)

* * *

私が訪れた2002年3月は、こんなことは全くありませんでした。

ジェシーのせいで(これについては又後日)、予定よりかなり遅くに出発した私達。

7時過ぎにマチュピチュへ入り、その足でワイナピチュ入口へ。

入山者はここにある管理小屋のノートに、氏名とパスポート番号、入山時間を記入します。

私達はその日の4番目でした。その他に人は見当たりません。

一面を霧に包まれていますので、時代を遡ってインカ時代に舞い戻ったようでした。


ワイナピチュ登山は大抵の人なら、誰にでもできるものですが、
この登山中に滑落して亡くなる方が何人かいるのも事実です。

かなりの急勾配で、雨も多い地域なので足元は滑りやすくなっています。
(実際、下山途中にパトリシアも足を滑らしましたから。)

ですから、履きなれたハイキング用の靴、雨具などが必要でしょうね。
もちろん、リュックを背負い両手が使えるようにしていなければ、とても危険ですよ。

頂上に近づくほど その急傾斜は増し、鎖を持つ手にも力が入ります。


でも、山の頂にある当時の建造物や段々畑に目を見張り、
そこを登り詰めると眼下に広がる あのマチュピチュ全景に、乗り越えて良かったと心底思えます。
この登山だけでなく、遠く何万kmも離れた国からここまで訪れた苦労も一瞬にして消えてしまいました。

まさに「コンドル」になった気分です♪


〈追記〉

ワイナピチュ山の反対側にはマチュピチュ山が聳えています。

登山口はマチュピチュ遺跡から「太陽の門」に向かう道の右手、遺跡の外れにあるそうです。

この登山道はさほど危険ではなく、道も分かりやすいとのこと。

やはり頂上に近づくにつれて勾配はキツくなりますが、
こちらの方が人も少なく、落ち着いて景色を楽しむことができるかもしれませんね。

この展望地からは真下にマチュピチュを望み、ワイナピチュの全景もウルバンバ川もよく見える穴場のようですよ。

私がもう一度マチュピチュを訪れる時(行く気満々!!)、
次回は「マチュピチュ山登山」に挑戦しようと思っています。

クスコのタクシー事情?!

*マチュピチュ『主神殿』("本神殿"とも呼ばれています)。
これは多角の石で造られた神殿。
幅8mで、三方の壁に囲まれています。
"地球・先史文明研究家"、浅川嘉富氏によると、
マチュピチュは先史時代の高い技術力で建造した石積みと、それから遥か後のインカ人による石積み、遺跡崩壊直後に僅かに生き残った生存者達が再建した石積みの三種類あるそうです。
この神殿は、使われている石の切り口や積み方から、先史文明の遺構であるとのこと。

写真はその主神殿を前に、一週間このツアーを共にしたガイドの「ジェシー(右端)」と、彼の説明に熱心に耳を傾けるツアー仲間のオーストラリア人達。
左端が「パトリシア」。【'02.03.15】


('08.01.31日記)で、リマ空港で7人の荷物が出てこなかったことを書きました。

空港の係員さんに名前を言って、ペルーでの滞在先を伝えます。

奇遇にも、その中のオーストラリアのメルボルンから来た二人の女性が、私と同じツアーに参加することが分かりました。
それが「パトリシア」↑とそのお友達。
あんなに大勢の乗客がいた中でのほんの一握りの偶然。

そこからは一緒に行動することになりました。
リマ空港での乗り継ぎ、そしてクスコ空港から一人でホテルまで行くことに少々不安があった私にとって、このロストバゲージはラッキーな出来事だったようです!


リマ空港での長い待ち時間。
旅慣れている彼女らは、空港にあるシャワーを浴びてくると席を立ちました。

私はその間、職場の上司だったK.Kさんと、NZにいるChiekoに電話をしましたっけ。。

クライストチャーチ空港まで見送ってくれたChiekoは、誰よりも私のペルー行きを心配してくれていました。
彼女は私がペルー行きを断念してクライストチャーチへ戻って来たのだと思ったようです。
この時、ペルーでは早朝4時前。
日本は夕方6時、NZでは夜の10時前だったと記憶しています。


そうやって過ごした待ち時間も終わり、
いざ行かん! 憧れの街クスコへ!!

クスコに降り立った時の あの肌にまとわりつく哀愁漂う冷えた空気は、どの街の空気よりも感覚として残っています。


クライストチャーチの旅行会社で頂いた詳しい説明文には、
クスコ空港から私達が宿泊するホテル「San lsidro Labrador」まで、タクシーで約$10~$15と書いてありました。(注 : 米ドル)

そのホテルはクスコの中心「アルマス広場」から徒歩数分に位置しています。

タクシーのおじさんとパトリシア達が交渉を始めました。

おじさんは最初、「$15 でどうかな。」と言いました。

彼女達は首を横に振ります。私も一緒に横に振っていました。
当然です。

続いておじさん、「じゃぁ、$12は?」

やはり横に振る私達。

"しぶしぶ"おじさん、「じゃぁ、$10にしてやるよ。」

私は妥当なのかなぁ、と思わず首を縦に振りそうになりました。

その時パトリシアの友達は、
「そんな"あほ"な話がありますかいな!!」
ちょっと意訳し過ぎていますが、そんな勢いで彼の言い値をはねのけたのです!!o(^-^)o

結果、ホテルまで$3で構わないということに。。
一人たったの$1です!(^o^)/

私だけでしたら、間違いなく$10は支払っていたことでしょう。

こんなのあり??

あれ以来、私は彼女達ほど強気にはなれませんが、
海外での値段交渉が楽しくなったことは言うまでもありませんね。

『picchuko』の由来

*マチュピチュの背後に聳えるワイナピチュ頂上より。
マチュピチュ 標高2280m、ワイナピチュ 2720m。【'02.03.16】

一面を霧で覆われたマチュピチュ、私とカトリーナは雲が晴れるのを山頂でしばらく待っていました。。


マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って114km下った地点より、400m一気に登った山頂にあります。

あたりは同じように尖った山々で、周囲は断崖。
はるか下を流れるウルバンバ川流域は熱帯雨林の繁るジャングル。

海抜1180mのウルバンバ川から見上げてもマチュピチュは全く見えません。
そんな山上にあることから『空中都市』という異名を持つのです。

* * * * * * *

ピサロに率いられたスペイン軍に皇帝アタワルパを殺されたインカ帝国残党は、
クスコ北方の山奥に立て籠り抵抗を続けました。

その最後の都「ビルカバンバ・ビエホ(幻の都)」、
1911年にアメリカ人ハイラム・ビンガムがこの地を発見した当時、マチュピチュがそれであるかと思われました。

しかし、インカ帝国の人々が持ち出して隠したとされる黄金が発見されないことから、
ビルカバンバはさらに奥地であったことが分かっています。

未だにマチュピチュについての謎は深いままですが、
16世紀のある時期 この地に高度な文明を持つ人々が住んでいたことだけは確かです。

~"世界遺産の旅"&"地球の歩き方"より抜粋~

* * * * * * *

マチュピチュの綴りは《Machu Picchu》。
先住民の言葉で「老いた峰」の意味です。

対するワイナピチュ=Huaina Picchuは「若い峰」。

『picchuko』は、このマチュピチュ&ワイナピチュの「picchu」から頂きました。
これを訳したのが本名です。(*^_^*)

「pichu」と表記したものもありますが、世界遺産登録名の「picchu」を使っています。

今の私はまだ「ワイナピチュ子=若いピチュ子」でしょうか?
数十年後の私は「マチュピチュ子」ですね!o(^-^)o


<ご紹介>

少年漫画 『ジパング少年』 いわしげ孝著
小学舘より 全15刊

〈日本の管理教育に疑問を抱き、高校を退学させられてしまった主人公・柴田ハル。
彼は理想の学校を創るという夢実現の為に4人の仲間と日本を脱出。
南米大陸伝説の黄金郷「エルドラド」を探しに行くのですが、、。〉

このお話の後半、特に最後のクライマックスは、この古代インカにあります。

私は友達K君から借りて読んだのですが、気が付けばのめり込んでいました。
インカの場面は著者の創造から生まれたものですが、大変興味深いものになっています。

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