I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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『食は、人の天なり』

今月頭に京都を訪れた。
職場の元施設長との日帰り二人旅。

その折、彼女からこんなことを教わった。

「朝起きて、一日一回身支度をきちんと整えて外出する、
 一日十回は笑う、
 一日百文字を書く、
 一日千文字を読む、
 そして一日一万歩歩くといいようですよ」

日ごろスマホやパソコンに触れるようになって全く文字を書かなくなったことを改めて反省した。
書かないと書けなくなる。

そこで、本を読むときに曖昧に理解している言葉をノートに書きだし、きちんと確認した意味を書き留めることにした。
書かないといい加減に解釈している単語のいかに多いことか。



今、私は八年ほど前に出版され話題となった時代小説「みおつくし料理帖シリーズ(髙田郁著)」を読んでいる。
この5月に黒木華さん主演でドラマ化されるのを知りやっと手にした次第。

全十巻あり、残りは一冊、十巻目のみとなった。
今月10日過ぎから読み始めたのだが、面白くて次から次へと手が伸びる。
料理帖シリーズであるからそこに描かれる料理の品々も心惹かれるし、髙田さんの柔らかく豊かな表現からも学ぶことが多い。
このシリーズを読んでいると、毎日感謝して頑張ろうと思えてくる。

さて、その中で「生麩」が登場する話がある。
京坂では馴染み深いのに江戸では見かけない食材、生麩とは文字通り乾いていない生の麩。

「串に刺して、味噌をつけて炙った生麩田楽ほど美味しいものはないですよ。豆腐と違ってもちもちしていて、炙ると焦げ目が」
思わず涎が出そうになって、澪は慌てて口を押えた。



ちょうど先日、京都は美濃吉本店・竹茂楼で昼食をとった際、口に入れた途端に思わず唸ってしまった一品がその生麩田楽だったことを思い出した。

私が初めて生麩を食べたのは、確か四国霊場第87番札所長尾寺で戴いた菜懐石だったと記憶している。
その時も麩のイメージを180°変えたその味と舌ざわりに驚いたのだが、さすがは美濃吉、今思い出しても感動が胸に広がる。

『食は、人の天なり』


主人公である澪が自分の進むべき料理人としての道、それがはっきり見えたところで九巻目が終わった。

『食は、人の天なり』

食は命を繋ぐ最も大切なものだ。ならば料理人として、食べるひとを健やかにする料理をこそ作り続けたい。
澪は潤み始めた瞳を凝らして自身の手を見つめる。
叶うことなら、この手で食べるひとの心も身体も健やかにする料理をこそ、作り続けたい。
この命のある限り。そう、道はひとつきりだ。
「食は、人の天なり……」


作り手はその一心で料理する。

一心で無心。

だからいつまでも感動が残るのか。

いい本に出合った。





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岸惠子の『わりなき恋』。

心をぞわりなきものとおもひぬる 見るものからや恋しかるべき

古今和歌集にある、清原深養父(きよはらのふかやぶ)という歌人の歌らしい。

『わりなき恋』とは、理屈や分別を超えて、どうしようもない恋。


「どうにもならない恋、苦しくて耐えがたい焔のような恋のことだと思う。笙子、覚悟ある?」

パリ行きのファーストクラスで、69歳の女と58歳の男が偶然、隣り合わせとなったことがはじまり。
女の名前は伊奈笙子、男の名前は九鬼兼太。


国際色ある小説を探していて出会った本が、この岸惠子さんの著書『わりなき恋』であった。

この本が出版された頃、世間の話題に疎い私の耳にも入ってきてたくらいであるから、当時は相当注目されたのであろう。
テレビ画面に映っていた80歳の岸さんの頬は紅潮して、その姿に「おばあさん」はどこにも見られなかった。


だが、私は老人ホームで働く職業柄、どうしても70代にさしかかる女性の恋愛話に最初は戸惑いを感じた。
だって現実のホームでは、おむつをしている70代の利用者は普通にいる。
そこに「女」という「性」を感じろという方が難しい。

その歳で恋愛? その歳で男と溶け合う?


著者本人も何かの番組で、
「70歳を超えると、認知症だとか、介護だとか、ネガティブで後ろ向きな話題ばかりになるけど、そういうのはやめにして、ポジティブに前向きな話をしませんか」
という想いがそこに込められていると話したそうだが、

それにしても女っぷりでも体力的にも70歳とは思えぬ主人公・笙子であった。


いくつになっても男は男、女は女。

そうわかっていても、どこか嫌悪感やら羞恥心やらが働くであろうに、こうも開けっぴろげに生きれるものであろうか。
国際ドキュメンタリー作家と大企業のトップマネジメントという立場の2人であるから、舞台がパリに上海にブダペストにとそれが極当たり前に地球上にまたがることに、どこか非凡人的な背景を感じ、自然と笙子は私の頭の中で岸惠子そのものとして演じられていた。

普通の男女なら、「プラハの春」から恋は始まらない。


それでも、読み進めるうちにのめりこみ、この若くない2人の恋愛の結末が気になることもあり、ページをめくる指は止まらなかった。

70歳ならではの恋の甘み、苦み、しがらみ、痛み。


描写も美しく、選ばれた言葉も美しい。
美しすぎて、逆に「こういうのもありかな」と思ってしまった。


そして最後の最後、笙子が導いた先は、「さすがだな」と思うとともに、「理想だな」とも思う。
岸惠子の自伝ではないだろうが、80歳を超えた岸惠子の美意識なんだろうなと感じた。

いや、まったくの作り話でないことは、文中から溢れるつややかな表現からも汲み取れる。

☆わたしのマトカ☆

私のある日記の足跡に、なんとなく気になるブログがあった。
開いてみると、そのブログ主は活字中毒と自分で言い切るほどの読書家であった。
私なんぞのブログにたどり着いたその人はどんなジャンルの本を読むのだろう、ちょっと興味が湧いて彼女の読書記録に目を通した。

テレビでは、先週末に公開した映画『小野寺の弟小野寺の姉』の宣伝に、向井理さんと片桐はいりさんが頻繁に登場していた。
強烈だが憎めないはいりさんの圧倒的な存在感に、ちょうどはいりファンになりかけた時だった。

その人のブログに、<『もぎりよ今夜も有難う』 片桐はいり>という見出しを見つけた。
本文には、「個性的で大好きな女優、片桐はいりさん。 『グアテマラの弟』を読んで、面白い!と感じたので、こちらも読んでみました。」とあった。

グアテマラといえばマヤのティカル遺跡、いつかは行きたいと強く思う国。
そこではいりさんの弟が暮らしていることも「へえ~」であったし、はいりさんの目にはその国がどう映ったのだろうと気になった。
何より、はいりさんが俳優業だけでなくエッセイストでもあることに一番魅かれた。

『グアテマラの弟』も面白かったが、その読後すぐ手に取った『わたしのマトカ』に大いにウケた。
『わたしのマトカ』は、映画『かもめ食堂』の撮影で滞在したフィンランドが舞台の片桐はいり処女エッセイである。
マトカとは、フィンランド語でという意味なんだそうだ。


読んでいると、あのエラのはったはいりさんの顔が脳裏にチラチラ浮かび上がり、彼女の声がナレーションのごとく私の耳奥で響いてくるから愉快だ。
さすがは片桐はいり、姿が見えなくても強烈である。(笑)


彼女の旅日記にはガイドブックに出てくるような名所は一か所も登場しない。
なのに読み終える頃には何故かフィンランド時間とフィンランドの風景の中、フィンランド人の友人を得たような満足感がある。
フィンランドの思い出を語る上で記された、カンボジアやベトナムなど彼女の過去の旅描写も、その一役を買っている。

そして、彼女の旅に似たような場面を私自身の旅にも見つけ、全く異なる国なのに懐かしさが込み上げてきた。

たとえば、ヘルシンキでのカモメの場面。
近くで見るとわかるが、フィンランドのかもめはほんとうにでかい。
白いダブルの背広を着てのしのし歩く、マフィアの組長を思わせる。可愛い水兵さん、という柄ではない。

そんな組長が、港だけでなく町なかを、猫よりもいい気な感じでのしのし歩いている。
カウパットリの港では、屋外マーケットに押し寄せる観光客に負けない貧欲さで、食べ物をあさっていた。
近くへ寄っても逃げないばかりか、にらみ返してくる勢いなので、こちらのほうが、失礼しました、と引き下がるはめになる。

の一節では、私はニュージーランドのクライストチャーチを思い出す、今は地震で崩壊した大聖堂広場にわんさと屯していたシーガルを。
あいつらもなかなか凶暴だった。
友人の一人など、広場の隅に腰かけていたら、シーガルが細かく切った芋をどこからか運んできて彼女めがけて落としてきた。
白人がアジア人を嫌って生卵をぶつけてきた場面には何度も出会ったが、シーガルに狙われるとは笑えた話である。


また、「ヘルシンキでは、わたしは毎日のようにすずめと朝食をともにしていた。
いつもの時間に、陽の当たる外のテーブルに着くと、たいてい、一羽か二羽のすずめが隣の椅子の背のところにやってきた。

自分の口に運ぶのとおなじペースで、分け前を投げてやる。
すずめたちはなんの躊躇もなく、わたしの投げたパンくずを目の前でついばんでいる。
フィンランドのすずめは、日本人がすずめをまっぷたつにさいて、焼いて食べることを知らないのだろうか。

には大笑いをしながら、スロベニアの首都リュブリャナで馴れ馴れしいすずめどもと私も一緒に朝食を取ったことを思い出していた。

フィンランドの話なのに、読み手それぞれ膨らませ方ができるのも彼女の文章の巧みさだと思う。


普段はさほどきれい好きでもないのに旅に出る前だけは異常なきれい好きになるってところや、

特に本好きでも読書家でもないのに世界の何処ででもなぜか行き場所に困ると本屋に入るというくだりに、

はたまた彼女が帰国後も原稿用紙の上で旅をつづけたように私はブログを書いて旅の余韻を楽しむところまで、

そんな他愛ないところにも彼女のマトカと私の旅の共通点を見つけ、「そうそう、そうよね」と何度も何度もうなづきながらページをめくった。

魅力ある彼女の感性と重なる部分を自分の中に見つけ、一人嬉しくなった。
彼女と私の違いは、私はそうグルメではないことと、彼女のような機知に富んだ才能がないことくらいか。


読み終えて、はいりさんのあのニヤリとした不敵な笑みがまた脳裏に浮かんできて、それが読後の満足度を一層強く引き上げた。(笑)

『アイルランド幻想』を読み終える。

一週間程前のスコットランド独立投票の影響だと思う。

ふとケルトの話が読みたくなって、スコットランドではないが、手元にある唯一のケルト小説『アイルランド幻想』を開いてみた。
それは、全11話からなる短編集で、神話や伝承をベースにしたアイリッシュ・ホラーである。

ケルト音楽が大好きで、これまでコンサートやらリバーダンスに足を運び、その時も感じた霧の中を歩くようなどこか不気味で暗く妖しげな雰囲気と、しかし底辺にある何者にも屈するものかという強い思いが様々な描き方によって、それはリアルに表現されている。


視覚的な怖さじゃなく、そのひんやりとした独特の空気感が気に入って、夏の名残りを感じながらも秋の気配が深まるこの季節に数話づつ読み進めていたのだが、ここらで一気に読みたくなった。

だが、それでも一日に読める量は2~3話程度まで。 しかも通しでは読めなかった。

長編ではないのであるから、頁数でいうならばすぐに読めてしまうはずだ。
しかし、一話一話それぞれにインパクトが強く、頭の中のイメージを鮮明に描こうとすればするほど背後に異様な空気の流れを感じ寒くなる。


和訳も自然で見事であるから、

私は枕から体を起こし、首をそちらに傾けて、耳をすませた。 
描写しがたい音だった。
遠くから聞こえてくる歌声を思わせる。 
苦悶する魂がすすり泣いているかのような、声を忍ばせた哀悼歌の合唱のような、不思議な音だった。

(『石柱』P16)」

とあれば、本当に何処からか哀愁に満ちたすすり泣きが聞こえてきそうで身震いする。


私がまだ戸口に立っていたとき、夕暮れの薄明かりをつらぬくように、この世のものとは思えない泣き声が、聞こえてきた。
次第に音量を強めてゆく甲高い軋るような悲鳴であった。
一度、二度、さらに三度と、血も凍るような叫びは響き渡った。

(『髪白きもの』P151)」


一瞬、彼はそのまま、根が生えたかのようにその場に立ち尽くしていた。
全身の血管の中で、血が氷と化した。
だが次の瞬間、恐ろしさと息の詰まる暗黒に突き動かされて、大声で恐怖の絶叫を上げながら、錆びついている鉄の扉に全身で突進した。
古びた鉄の扉を、素手で乱打し続けた。 助けをもとめて、叫び続けた。

(『妖術師』P313)」


そして、幾度となく登場する<大飢饉(じゃがいも飢饉)>と、イングランドによる非人道的な植民地支配。

それら現実にあった歴史が、アイルランドという風土特有の物悲しさを一層濃くし、そこかしこから滲み出る悲哀をより強くした。

教科書めいた歴史書よりも、ずっと真実を伝えている気がする。


何度も何度も背筋をぞくぞくさせながら、そしてやはりこの独特のひんやりした空気感が好きだなと思う。

読んで、観た、『カティンの森』。

ちょっとまだ自分では消化しきれなくて、ここに感想を書くのはやめようと思ってた。

なのに、何らかの思いを綴らなければ次の本へ進めない。
いつまでも本棚に戻せない、机の上にあり続ける一冊があった。

そういう作品もあるんだな、と知る。

だが、読後半月以上経過しているため、詳細は定かでない。


*


それが、『カティンの森』。

随分長く積読していた本だが、わが年下の彼女(笑)、ブロ友nanaco☆さんの、映画化された同作品のレビューで読む決心がついた。


そこで彼女も触れていたが、思い出すのは 2010年4月に起きたポーランド空軍墜落事故

カティンの森犠牲者追悼式典に出席するためにロシアのスモンレスクへ向かった、ポーランド大統領夫妻と同政府要人96名を乗せた飛行機が墜落、全滅した事故だ。

私はその事故で初めて、背景にあるカティンの森事件を知る。
ニュースに疎い私がそれを強く記憶し、ざっと歴史を調べた理由は、その翌月にモスクワを旅することにしていたからだろう。

あの時、プーチン首相(当時)の冷めた目に、ロシアに対する胡散臭さをどうしてもぬぐえなかったことを覚えている。


また、その事故の3日前にも行われた式典に、ポーランド首相と共に参列したプーチン首相は、カティンの森事件について改めてソ連の責任を認めた上で、ロシア国民に罪を被せることは間違いだとし、謝罪しなかった。

その式典参列者の中に、この作品の映画監督アンジェイ・ワイダ氏もいた。

ロシア側のその態度に、その時 ワイダ氏はどう思っただろう。

ワイダ氏の父は、カティンの森事件で虐殺されている。


ひょっとしたら父親は生きている、、、
彼の母親は、ほとんど生涯の終わりに至るまで夫の無事を信じ、帰りを待ち続けたという。

彼は、この映画があの事件の真実を明るみに出すだけでなく、
カティン犯罪の巨大な虚偽と残酷な真実を、永遠に引き裂かれた家族の物語として描くことで、
歴史的事実よりはるかに大きい感動を引き起こし、祖国の過去から意識的、かつ努めて距離を置こうとする若い世代に語りかけたかったのだ。


この作品は、そう映画化されることを前提に、アンジェイ・ムラルチク氏によって執筆された。

ムラルチク氏は言う。
「独りでは、この主題を取り上げる勇気はなかったと思います。
カティンについて虚構の物語を書くと考えただけで、身が震える思いでしたよ。
でもそれが映画の原作となれば、別です。俳優が演じるわけですから、仮構も可能になるのです(訳者あとがきより抜粋)」

「ワイダと約束しました ― 彼には映画監督として独自のヴィジョンを創造する権利がある。
わたしは自著で自分のヴィジョンを守ると。
でも、映画と小説は理想的に補い合っていると考えています(同)」


私も思う。
この作品は原作を読み、映画を観ることによって、より深く理解できると。

映画の中で強烈な印象を残すのは、エンディングの、ただ淡々と、同じ血が通った人間の仕業とは思えない凍りつくような虐殺シーンだが、
片や原作では、そのような露骨な描写はなく、待ち続ける家族の痛々しい感情が細かく丁寧に記されている。
待つ女性たちに、一段とスポットを浴びさせている形だ。


それは、ポーランド将校であるアンジェイ・フィリピンスキ少佐の、母・ブシャと妻・アンナ、そして娘・ニカの物語。

ブシャとアンナは、アンジェイの生還をひたすら信じて待ち続けている。
「カティン以前」の光に満ちた生活と、「カティン以後」。

娘ニカも父との懐かしい想い出、父の誇らしい姿を忘れたわけではないのだが、彼女は父との再会をほとんど諦め、今を楽しみたいという気持ちの方が強くなる。


カティンを奇跡的に生き抜いたアンジェイの部下・ヤロスワフ大佐と、
後にニカのボーイフレンドとなる、戦時にパルチザンとして抵抗運動をしていた美術学生のユル、
この2人も物語を展開さす上で要となる人物である。

その6人の苦しみ、哀しみ、諦め、うらぎり。
ニカはある出来事から、アンナと同じ道(気持ち)を歩むこととなる。

それらを生み出したのが、カティンの森事件であり、その罪をナチス・ドイツになすりつけたソ連の嘘であり、
そして、その真相に触れることすら しばしタブーであったポーランドの弱さであった。



強国に挟まれ、常に侵略され続けたポーランド。
このカティンの森事件の直接な背景に、1939年のドイツとソ連によるポーランド侵攻がある。
さらに遡ると、ドイツ・ロシア・オーストリアの三国に分割された時代にぶつかる。


弱国ゆえの宿命か。


だが、だからといって、なぜソ連によって優秀なポーランド将校がカティンを含め1万数千人も虐殺されなければならなかったか

訳者はこう記す。

それは、ポーランドとソ連関係の「過去」と「未来」に関わると。

「過去」とは、ソ連が敗北したポーランド・ソ連戦争を根に持つスターリンが、ポーランド軍人に対して強い不快感を持っていたこと。
事実、虐殺された捕虜の多くが、ポ・ソ戦争に従軍した者だった。

それではなぜ、そのポ・ソ戦争が起こったかというと、第一次世界大戦後、ロシア革命で混乱しているソ連(ロシア)に対し、ポーランドがかつての領土を取り返すために侵略したからであった。


では、なぜそこに「未来」も関わってくるのか?

それは、ポーランドの軍人と知識人たちを抹殺することで、指導者を失ったポーランドに真空状態を作りだし、そこにソ連仕込みの連中を入れることで、


結局、いつの時代もソ連(強国)の思惑通りにされてきたということだ。


これらを頭に入れた上で改めて物語と向き合うと、もっとすんなり話に入っていけるだろうし、

映画の冒頭シーン、ドイツ軍から逃れるアンナ母娘たちと、ソ連軍から逃れてきた人達が橋の上ですれ違う、進んでも引き返しても先はないポーランド人の姿を理解できるだろう。

真実を闇に葬る為に消された人々のことも。。。




真実を知ろうとすると、いつも現れる「なぜ?」。

この「なぜ?」に歴史があり、「なぜ?」をどんどん遡っていくことが歴史教育だと思う。

答えは見つからないかもしれないが、
それを導き出そうとする過程が、今後 我々の未来に必要なこと、同じ過ちを繰り返さずにすむヒントを教えてくれると思っている。


ほぅ。。。苦し紛れにこう締めくくろう。(笑)

『卵をめぐる祖父の戦争』は5つ★

今年3冊目の本がこれ、『卵をめぐる祖父の戦争』だ。

昨年、ブロ友である日向永遠さんのレビューを読んだ時、思わず「これだ!」と思った作品。(笑)


この小説、なかなかユニークな邦題だが、
時は1942年、舞台はナチス包囲下のレニングラード、そこでの僅か一週間足らずの出来事が描かれている。

歴史に明るい方なら、レニングラード包囲戦といえば、ああ、第二次世界大戦における独ソ戦か!とピンとくるだろう。
1941年から1944年にかけて、ドイツ軍は900日もの間、ソビエト連邦第二の都市・レニングラード(現・サンクトペテルブルク)を包囲した。


だが、私は歴史にも疎い。(苦笑)

そして、それは歴史に疎い私でさえ ぐいぐい引き込んでしまう、見事な作品だった。
特に後半戦、手が止まらない。


一人称で語られるその歴史は、あの戦争から70年以上経っていても、それは歴史ではなく現実として読者に迫ってくる。
時にうざいとさえ思うほどの細かい描写が、脳裏に小説をリアル化させる。

また、主役級の登場人物の一人、脱走兵のコーリャ(本人は脱走兵とは認めていない)のあっけらかんな態度といい、物言いといい、これが実に爽快である。
ちょっと根暗で悶々とした主人公レフとの掛け合いも非常に愉快だった。

ユーモアのあるリズミカルな文章に、らしさもきちんと描いている。

ロシアらしさ、ロシア人らしさ、ユダヤ人らしさ、それらをきちんと描き切ってる上に、
他愛無い、ちょぴり下品でさえあるユーモアで、あまりに残忍な内容さえも重くならず、それが逆に戦争の悲惨さや浅はかさ、愚かさをストレートに伝える辺り、作者の力量に脱帽した。


これは戦争物である上に、二人の青年の青春物語でもあったりする。

だから、飽きない。



あ、面白さのあまり、どんな内容かも書かないうちに、とりとめもなく記してしまったが、、、


17歳である主人公のレフは、作者ディビッドの祖父として描かれている。

夜間外出禁止令を破って捕まったレフと脱走兵のコーリャは、軍の大佐から大佐の娘の結婚式のために卵を一ダース手に入れるよう命じられる。

今日は土曜日、期限は木曜の夜明けまで、一週間もない。

だが、レニングラードには卵などどこにもない。

こんな飢餓の中、どこに卵があるというのか?

卵を求める二人の前には、信じられない残酷な場面が展開する。

が、そこはコーリャだ。
この愛すべきキャラクターのおかげで救われたのはレフだけでなく、一読者である私もだった。



それにしても、命令を下す大佐のこの言葉。

「娘は本物の結婚式を望んでる。 きちんとした結婚式をだ。
それはいいことだ。 人生は続くのだからな。
今、われわれは野蛮人と戦ってはいるが、だからといって、人間らしさを失っていいことにはならん。
ロシア人でありつづけなきゃならん。
だから、音楽もダンスもある結婚式になるだろう・・・・・それにケーキもある結婚式にな」

ナチスもナチスなら、こいつもこいつだな。(苦笑)


だが、戦争というものはそんなものなのかもしれない。

大義名分なんて、はなっから存在しないのだ。



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皮肉だが、この写真は、2010年5月4日にモスクワは赤の広場で行われていた、対独戦の戦勝記念パレードの予行演習。


* 


この文中に出て来るパルチザンは、独ソ戦時のソ連におけるナチスドイツ占領地域の抵抗活動。
赤軍パルチザンともいう。

もともと、パルチザンとは、外国占領軍への抵抗運動や内戦・革命戦争における非正規の軍事活動、またそれを行なう遊撃隊およびその構成員を指す。

チトー率いるユーゴスラビアだけじゃなかったんだな。

パルチザンといえば、漫画家・坂口尚さんの作品『石の花』も、ナチスドイツに侵攻されたユーゴスラビアを見事に描いていた。

そして、この『卵をめぐる祖父の戦争』。

せっかくなので、しばらく同時期を描いた作品に多く接していきたいと思う。

同時期ではあるが、国が異なれば違って見える戦争の姿を比べるのも面白そうだ。

今、手にしてるのは『カティンの森』。

お次は船旅?

「新しい仕事が決まったら、再就職する前に2週間くらい旅行に出掛けたら? クリスは私が面倒見るから。」
今日、いきなり母がそんなことを言う。

「そうだね。」 返事はあっさりしてみたが、
「母さん、2週間といわず1ヶ月でもいいかしら?」と、心の中で手を合わせた。(笑)



こんなことを急に母が言い出したのは、きっと最近の私が読んでいた本のせいだと思う。

それは、先日 古本屋で見つけた平岩弓枝著『幸福の船』だ。


主人公・三帆子は、世界一周の豪華客船の船医の娘として船に乗る。
彼女は船に乗る直前、婚約解消という辛い出来事を経験していた。
船の中はあらゆる顔ぶれが並び、彼らを通して人は皆、誰しも心に悩みを、傷を持って生きていることに気付いてゆく、、、。

ざっと書くとそんな感じの内容である。


私がこの本を手にしたのは、船旅、豪華客船、世界一周といった言葉につられたこともあるが、
それは、船旅ならではの醍醐味を文章とともに楽しみたいからであった。

その醍醐味とは、、、そうだなあ、
デッキから見上げる雲の流れであったり、頬をかすめる潮風と鼻を擽る潮の香りであったり。


以前、豪華客船ではないが、世界一周の船旅に出掛けた親友が旅の途中で葉書を送ってくれたことがある。
もう10年以上前になるだろうか。

それは、「これからしばらく地中海が続きます」という出だしだったと記憶している。

陸路と飛行機しか知らない私は、すぐさまその言葉に酔ってしまった。
「こんな文章、船旅だから書けるんだよね。 しかも、世界一周だし!」
私はまるで自分の旅のように母や友人に自慢した。(笑)

そういった、船旅でしか体験できないこと、それがこの本の中にいっぱい詰まっているに違いない。
そう思ったのが、この本を選んだ理由だ。


ところが、期待は裏切られた。


いくら豪華客船といっても、船という限られた空間。
そこに一つの社会が生まれ、独特の人間模様が繰り広げられることは容易に想像がつく。
船とは少し異なるが、昔 ワーホリで滞在したクライストチャーチでの、小さな町の小さな日本人社会もそうであった。
そして、それを軸に描こうというのは、私でも分かる。

だが、私が思う船の醍醐味が描かれてなかったのだ。
しかも、ルクソールだのアクロポリスだの、そういった歴史ある美しい場所で場面に変化をつけるのなら、その場所を読者に感じられるように表現して欲しかった。

彼女の文章は、視覚でしか物を言ってはいない。
別にわざわざ舞台をそこにしなくてもいいんじゃないかとさえ思わせられる。

とにかく色気がない。
色気というと変に取られるかもしれないが、それは先ほども書いた、じとっとした潮風だったり、肌を突き刺す陽光だったり。
雨の描写ひとつにしろ、雨の匂いを感じたかった。
私は旅と同じような期待をこの本にした。 五感で楽しみたかったのに、残念である。

遺跡や町の説明は有難かったが、それはガイドブックの受け売りではなく、人物や土埃などから形作って欲しかった。

そして、それは主人公をはじめとする登場人物すべてにも当てはまった。
そこには大女優や老舗旅館の若女将など、文中では「美しい」人や「色っぽい」人は登場してきたが、実際、ちっともそうは思えない。

だからかな、誰にも感情移入しなかった不思議な小説である。


評価できるのは、ただ読みやすいという点くらいだ。

直木賞作家ということで、私が期待しすぎたのか。

期待が大き過ぎただけに空振りしてしまった。



今年最後に ちょっと ぶちぶち書いてしまったが、まあ、そんな本を読んでいた。

500ページ以上もあったので、ちびちびしか読まない私はいつまでもそれを手にしていた。
だから、母の目にもとまったのであろう。

そして、「旅に出たい」という私の気持ちを見たのだろう。



次回の旅は、すでに頭の中にできてある。
というか、母との会話から数分後、旅のコースは決定した。


あ、船旅ではない。

出発はまだまだ先であるし、期間は未定である。


だが とりあえず、2013年、私の旅は始まった。(笑)


* * * * * * *


皆様、今年もこの拙いブログにお付き合い下さいまして、真にありがとうございました。

読んで戴けるだけで、私はとても嬉しかったです。


2012年は、元日早々、いきなり腰を抜かす二つの出来事(→ ◆天然picchukoに乾杯?! ◆picchuko、ボスニア・ヘルツェゴビナで腰抜かす☆)からスタートした通り、

自分でも想像できない出来事の連続となりました。


マヤ暦ではありませんが(笑)、私にとっても何かしら節目の年だったと振り返っています。


さて、来る2013年は、今年よりも愉快に、そして大胆に向かって行こうと思います。

10年ぶりの日本での年越し、基本に立ち返る年にもなりそうです。


それでは、至らない私ではございますが、来年も宜しくお願い申し上げます。

どうぞ皆様もよいお年をお迎えください。                       picchuko


669.JPG 
今年10月、ザルツブルクの街角で。

カウントダウンは始まっている☆

しかしスタントンはヴォルシの旅程をもう一度見て、引っ掛かりを覚えていた。

AG126便。 どこかで聞いたような気がする。

そして思い出した。 「その帰国便は、昨日の朝に墜落している」
シェルは顔を上げた。 「なんですって」



ここで、私も顔を上げた。

飛行機、墜落。 どこかで聞いたような気がする。

そして思い出した。 
一昨日の12月9日、メキシコ北部で小型飛行機が墜落し、搭乗者7名全員死亡したというニュースを。

事故原因については明らかになっていない。


いつもなら、気の毒に~で流してしまう そのニュース。
だが、これは偶然か?必然か?

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私は、ロサンゼルス在住の作家、ダスティン・トマスン著『滅亡の暗号』を読んでいる。

物語では12月11日、ロサンゼルス発 メキシコシティ行きの飛行機が墜落した。
パイロットによる人為的ミスで。

そのパイロットは、ロサンゼルスですでに流行りつつある謎の伝染病の疑いがある。


ふむ、、、

どちらもメキシコか。
日にちに2日の差はあるけれど、どちらもはっきりとした理由が分からない。

まあ、この架空のAG126便と、実際に起こったメキシコの飛行機事故とは何ら関連性はないのだが、この微妙な偶然に、私は何やら薄気味悪いものを感じた。
人の死に対し そんなことを考えるなど、恥ずべきふとどき者だと分かっているが。


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2012年12月21日、人類は滅亡する。


古代マヤ暦を軸に展開するこの物語は、ロサンゼルスのとある病院に身元不明の一人の男が運ばれてきたことにより始まる。

スタートは12月11日である。

そして、今日がその日。 私は本を手にした。

たぶん、これからその謎の伝染病は世界に広がっていくのであろう。

それがどうマヤの古文書の中身と絡まって来るのか、本の帯には「千年の時空を超える、壮大なタイムリミット・ミステリ!」とある。


その謳い文句からして面白そうである。
そして、事実とても面白いのである。

私は当初、その物語と日にちを重ねて読み進もうと思っていたが、面白過ぎて読む手が止まりそうもない。

すでに読み終えた人の感想には、後半 その勢いは落ちるとあるが、上巻半ばの段階では先へ先へと引き摺りこまれる。
しかも、これからマヤの未知なる絵文書の解読が始まるのだ。


21日を過ぎてもその面白さに変わりはないと思うが、読むなら今だ!

これほど、「旬」がはっきりしているミステリもそうないであろう。

今しばらく、この小説のおかげで楽しめそうだ。

いつもなら見落としそうな世界の小さなニュースも気になるし。(笑)


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もしも21日以後も人類が存在し続けたなら(し続けるだろうが)、私はこの本を手に、再びマヤのピラミッドを訪れようと思う。

私は、旧ユーゴスラビアだけでなく中南米にも興味がある。
数年前から続くマヤ熱は未だ消えてない。

とりわけ、グアテマラの密林に聳えるティカル神殿はいつか必ず拝みたい、そう心に決めている。


人類滅亡説のあるなしに関わらず、古代マヤ文明の謎と浪漫は尽きることはないし、

密林というシチュエーションが、私に時空を越えた空想を楽しませてくれるのだ。



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あ、今年の10月、ザルツブルクでもこんなものを見つけていた。(笑)



*2枚目の写真は、2010年12月31日に撮影した、メキシコはユカタン半島にあるチチェン・イツァのピラミッド。
3枚目は、同じ日のエクバラム遺跡ピラミッド頂上にて。
(私は大のジャングル好き☆(笑))

龍馬さんより気になる男性は…。(笑)

異様な存在感で、それは私の目を引きました。

隣町のさほど大きくないスーパーの小さな書店で、私はある本に呼ばれました。

一度は手にしたものの、「きっと最初の2~3ページを読めば、いつもの通り眠くなって、そのまま本棚へ…ってことになるだろう。」
そう思った私は、ペラペラ目次を眺めただけで元の場所へ戻しました。


そして、次の週。

絶対に呼ばれている。。。
何故かそう感じて、もう一度手に取ってみました。 「意外と、これは読破できるかも~。^^」

それが、大前研一著『ロシア・ショック』です。

この本が最初に世に出てからは1年半近くも経っていますので、その当時からも随分と情勢は変化していることでしょう。

ですが、帯に書かれた「日本人よ、今こそロシアとの新しい関係を構築せよ!」
という力強いメッセージに、私はどうしても惹かれるものを感じました。


最も気になった点は「ロシアとEUの接近」なのですが、
何より「プーチン」について悪く書かれていない、、ということが私にこの本を買う決心をさせました。


私が高校時代、「会ってみたい歴史上の人物は?」と聞かれたら、それは本気で惚れこんでいた「坂本龍馬」であり、
「では、現代の有名人では?」と聞かれると、それは「ソヴィエトのゴルバチョフ書記長(当時)」と答えていました。

現在は、可笑しな盛り上がりを見せる世の龍馬熱にすっかり冷め、
けれど、会いたい人物は、ゴルバチョフに「ウラジーミル・プーチン」が加わりました。

いや、彼を気になり出してからは、もう数年は経つでしょうか、、、。
彼の持つ鋭い視線に惹かれ、背は低いものの あの素晴らしい肉体と私の許容範囲のイケメンだからというのも理由であります。(笑)

「プーチンをどう思うか?」と聞かれたら、まずは「恐い」と答えるでしょう。
けれど、強烈に惹かれる…。


ソ連崩壊後、どうしようもない どん底を体験したロシアの奇跡的な変貌ぶり(サブプライム問題後の世界経済の悪化を受け、ロシア経済は大打撃を受けたりと、まだまだ波はあるものの)は、
それは凄腕のプーチンならではのことであり、
そのプーチンは、2012年までメドベージェフに大統領の座を譲るものの、その後 再び大統領に返り咲きし、2期8年、つまり2020年までは「強いロシア」の復権を目指して君臨するだろう、、、とあります。
(この大前氏の予測は、2010年の現在では多くの方達が持っている意見でしょうが、、、。)


私のロシアに対するイメージは、完全に社会主義時代のままでした。
ゴルバチョフが゛ペレストロイカ"を掲げていた当時のままでした。
対ロシアといえば、「北方領土問題」でした。

いや、もっと悪いことに、
幼い頃、亡き祖母からよく聞かされた、「にっぽん勝った!にっぽん勝った! ロシャ負けた!」という日露戦争後の日本の流行り唄(?)のままだったのかもしれません。(爆!)

完璧にロシアは悪者、卑怯者、、、とずっと思い込んでいたように思います。



大前氏は語ります。
~ 今、日本が最も注目すべき国はどこかと聞かれれば、私は悩むことなく答えることができる。
ロシアである。

日本人は古いパラダイムのままで「ロシアはけしからん」と言うのではなく、
ロシアの真実の姿を知り、
メンタル・ブロック(心の壁)を解いて 一刻も早く新しいロシア・パラダイムへの転換を図らなければならないのである。 ~


この本に書かれていることは、すでに世間では常識になってきているのかもしれませんが、
それでも私には新鮮で清々しい驚きでした。

大前氏はこれ以前にも、著書『東欧チャンス』の中で、
「脱中国一辺倒、東欧(中東欧)のチャンスを生かすこと。
中東欧をうまく活用できないものは、21世紀に勝ち残れない。」と提言されているそうで、
こちらは もっと古い情報となりますが、これも私とハンガリーの縁の一つだと思って読んでみたいと思っています。

*

さて、私が『ロシア・ショック』を読み始めてから、
事実 ロシアでは、モスクワの地下鉄をはじめ南部の町にまで自爆テロというショッキングな事件が続いています。

まだまだロシアは大量の膿を出さなければならないことも事実ですし、
大前氏の意見が全て絶対ではないことも分かっています。


だけど、気になるプーチンさん! 
とても恐いように思えるけれど、今の私には龍馬よりもプーチンさんの方が非常に魅力的に映るのです。(*^^*)

ハプスブルク家物語より<フェリペ2世>とお帽子☆

ブダペスト行きを一ヶ月後に控え、そして来年早々に京都で開催される「THE ハプスブルク」展に備え、私にしては珍しく日々読書に励んでおります。

とはいっても、やはり難しく面倒くさい本は開いた途端に眠たくなってしまいますので、
鼻歌でも歌いながら 気軽に読める程度のものばかりです。(笑)

先日読み終わった一冊が、「名画で読み解くハプスブルク家 12の物語(中野京子著)」。
その後、ミュージカル「ルドルフ」の原作となった、フレデリック・モートン氏の作品「ルドルフ ―ザ・ラスト・キス―」と、
「ハンガリーを知るための47章(羽場久美子編著)」を並行に読み進めています。

* * *

高校時代、そのカタカナの多さと、「○○1世、○○2世」などという紛らわしい名前の数々に、世界史の教科書を開くやいなや<日本史を専攻しよう!>と決心しました。

今も似たような名前の羅列に混乱しながらも、ハプスブルク家系図を片手に、
当時のドロドロとした人間模様と個性的な主人公達に支えらて(?)、思うより簡単に欧州史デビュー(???)を果たすことができました。

その中に登場する人物の中には、もちろん マリー・アントワネット、マリア・テレジア、そしてマリー・ルイーズにエリザベート皇后といったお馴染みの顔ぶれも出てきます。
けれど、そんな魅力的な女性達の影に隠れた ひ弱な男性陣にも(それなりに)ドラマがあったというわけです。(笑)

そして、当時の英国やフランス、ロシアとの関わりも知ることが出来て、今までバラバラに存在していた人物達が綺麗に頭の中で整理されました。


「戦争は他の者にまかせておくがいい、幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし!」


この家訓も大変素晴らしいですけど(笑)、その下で画策された数々の結婚の愉快なこと。


私的には四度の結婚をしたスペイン・ハプスブルク家のフェリペ2世が最も興味深かったです。

オペラ「ドン・カルロ」の主人公カルロスの父フェリペ2世は、ポルトガル、イングランド、フランス、オーストリアから妻を迎え入れました。
(その全員に先立たれました。)

彼の2番目の妻は、英国エリザベス女王の異母姉メアリー1世。
フェリペより11歳も年上で、容姿もさほどのメアリーとの結婚は、彼にとってはずばりイングランド領土そのものでした。
片やメアリーは美男(?)であったフェリペを愛情込めて受け入れたといいます。

メアリーの世継ぎを産みたい執念は叶い、結婚半年後に侍医は彼女の懐妊を発表。
もしも男児誕生ならば、スペインはいっそうの大国に!!
近隣諸国はこの報に慌てふためきました。

ところが、悲しいかな、、、
それはメアリーの想像妊娠でしかなく、腹部の膨張は腫瘍と判明。

フェリペはそんな彼女に見切りをつけ、
腫瘍の悪化で先の短いメアリーに隠れ、なんと次期女王候補のエリザベスに近付いていき、、、。
メアリーの葬儀に参列することもなく、エリザベス1世が戴冠すると同時に、正式に花婿候補に名乗りをあげたのだとか!(驚)

結局、「カトリック教徒とは結婚しない」とエリザベスに振られてしまうフェリペも滑稽ですけど、、、。

3人目の妻は、信じられないことに 息子カルロスの婚約者!

4人目は、立派な後継ぎ欲しさに多産な妹の娘アナを選びます☆

不運なフェリペが4人目の妻を失ったのは53歳の時。

さすがに もう結婚はしませんでしたが、
実は5人目にとスコットランドのメアリ・スチュアートを目論んでいた説が真実ならば、それは もう天晴れとしか言いようがありません。
彼は、最後の最後までスコットランドとイングランドの領土を諦めきれなかったのでしょうか?
結果は、幽閉中のメアリにフェリペが密かにコンタクトを取ったせいで、彼女は謀反人としてエリザベスから首をはねられてしまい、無念!(笑)

けれど、その執念たるに いやはや感服致しました。

もう一つ。
ナポレオンとマリー・ルイーズの息子ライヒシュタット公とシシィ(エリザベート皇后)の姑ゾフィの関係も意外でした。
メキシコ皇帝・マクシミリアン(フランツ・ヨーゼフの弟、ゾフィの次男)のお祖父様は、もしやナポレオン…かも?!

こちらは、エドワール・マネの作品「マクシミリアンの処刑」と、ゴヤの傑作「マドリッド、1808年5月3日(ナポレオン軍によるマドリッド市民虐殺を描いた歴史画)」との比較が面白かったです。


一枚の絵に秘められた野望に、時代を経てこそ分かる歴史的面白さ。
あまり深く絵画を読み説くことがなかっただけに、こういう解読の仕方があるのものかと新しい発見もありました。

そして、今なら 映画「エリザベス」や「宮廷画家ゴヤは見た」など、その時代を描いた歴史物の これまた違った角度が見えてきそうです。


それらに登場する彼らは、その時代をただ懸命に生きただけなのでしょうけど、
高みの見物の私は おかげで十二分に楽しませて戴きました。

血族同士の結婚を繰り返し、恐ろしいほど血が濃くなったハプスブルク家独特のお顔にも段々と親しみが湧いてきましたし…。
王子様=ハンサムという方程式は、われわれ庶民の勝手な理想でしかないのかもしれませんね。
少なくとも、私好みのハンサムさんはいなかったようです。(笑)


* * * * * * *


先日、「アヌーナ」のコンサートの為に神戸へ立ち寄った際、又も新しい帽子を購入しました。


今回も私のお馴染みイタリア製『GREVI』です。

本当はロシアの画家クラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」が被っているような帽子を探したのですが見当たらず。 ('09.09.26日記)



ただ、冬のブダペストには黒色の帽子とコートで訪れたい私のこだわりで選びました。
せめて飾りだけでもと、ニューイヤーの華やかさをイメージ。

『GREVI』ならではのドレープ加減がお気に入りです。                    

ハプスブルク家物語より<フェリペ2世>とお帽子

女帝エカテリーナ。

先週末に鑑賞した「国立トレチャコフ美術館展 ~忘れえぬロシア」。(9/26日記)

会場から出た私は、高揚した感情を持て余しながら、ミュージアムショップで絵ハガキなどを選んでいました。

ふと顔を上げると、そこには図録などと混じって池田理代子さんの漫画『女帝エカテリーナ』が並べられているではありませんか!

池田理代子さんといえば、あの「ベルサイユのばら」☆
私の生まれた年に連載が開始した「ベルばら」は、リアルタイムでこそ読んでいないものの、
高校時代にTVで再放送されたアニメを見て感動し、今も全巻揃えて持っています。^^

「ベルばら」を描いた漫画家の作品かぁ~。
ロシアについて もっと沢山知りたいし…。
        ということで、全3巻まとめて衝動買いしちゃいました。(^^;

* * *


これは、フランスの小説家アンリ・トロワイヤ氏の作品を漫画化したものです。

モスクワ生まれであったトロワイヤ氏は、ロシア革命を避けて両親とともにヨーロッパへ移住し、その後 パリに定住しました。

フランス屈指のベストセラー作家であったトロワイヤ氏。
彼の描くロシア史上の人物やロシア文学者の評伝は、特に人気が高いそうです。
その中の一作品が、この『女帝エカテリーナ』。


エカテリーナ2世という女性を語るには、トロワイヤ氏のこの言葉が相応しく思いますので、ここに拝借致します。

「エカテリーナに私が興味をもった理由は、
あのドイツ生まれの小さなプリンセスが15歳でロシアに来て、あらゆる意味でロシア人になりきろうと努力をし、
ドイツの血を一滴たりとも残したくないと決意したところにあるのです。」


内容については史実を忠実に表わした大変興味深いもので、
私は漫画そのものこそ あまり好きになれなかったものの、これは今後 私のロシア研究の為の保存版と致します。(笑)


このエカテリーナ2世を知ることによって、
欧州でも、純粋なアジアでもない謎めいた大国ロシアの内側を覗くことが出来ました。

そして、見事な彼女の政治手腕も読み応えある部分でした。


時代的には「ベルばら」とも重なり、フランスのルイ15世やオーストリアのマリア・テレジアと同時代。

また エカテリーナは、親露派であり恋人の一人であったスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキをポーランドの王位につけ、そこからポーランドの内政に干渉をし、
これが後で言う「ポーランド分割」に繋がっていきました。

それらの歴史も、今後 もっともっと詳しく知りたいところです。


ロシア正教会も不思議な存在だし、、、。


とにかく未知な世界が多すぎて、私の知識欲をそそります。(笑)

*


エカテリーナの時代、
欧州から見たロシアは、゛遠く野蛮の北の国、けれど巨大な富と栄華がびっしりつまった素晴らしい宝石箱"と思われていました。

今のロシアは、、、
一昨年の夏にロシアを旅した私の親友の話によると、゛社会主義の名残と豊かさの両方が見られる まだまだ不思議な国"なのだそう。

その魅力を肌で感じる為には、、、これは実際に行ってみなければなりませんよね♪

また一つ、私の世界が広がるようで嬉しいです!!

小泉八雲とケルト文学。

あれから、小泉八雲について気になってきました。(笑)

どうやら私は月照寺を訪れたことで、小泉八雲の摩訶不思議な世界へと迷い込んでしまったみたい。^^


そこで彼について調べてみると、、、
八雲の描くどこか現実離れした独特の空気感が、ケルト民族と深い繋がりがあることを知りました。

*


小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンは、1850年、アイルランド人の父とギリシア人の母との間に生まれました。

ファーストネームの「パトリック」とは、アイルランドの守護聖人・聖パトリックに因んでいるのだとか。

ギリシアのレフカダ島で生まれた八雲ですが、その子供時分を父の故郷アイルランドのダブリンで暮らしました。
きっと そこで聞かされたであろうケルト神話や伝承などが、知らず知らずに彼の奥底に染みわたり、それがあの空気感を生み出していったのでしょうか。。。

*


もっと詳しく知りたい!
ケルト民族に興味があり、とりわけケルト音楽が好きな私です。

ちょうど今年のお正月に、ケルト人と深い関わりを持つオーストリアのハルシュタットを訪れたこともあって(1/26日記)、
この松江での小泉八雲との対面は、なんだか偶然ではないような気がしてきました。
(ちょっと大袈裟?!・笑)

*


今回、小泉八雲という人物を通して、ケルトについて検索してみました。

あるイギリスの情報サイトから、「小泉八雲とケルト文化」についての記事を見つけました。

そして、それに書かれたケルト文学の魅力がとても心に残ったので、ここに書き写すことにします。


【ケルト民族は文字を持ちませんでした。
したがって彼らの古い伝説や神話は、口承によって伝えられ、これらの物語はより深みを増したのです。
(その後6世紀ごろにオガム文字(オーム文字)を持ち始めました。これは現在すべて解読されています。)


現在でもアイルランドやイギリスではお話の語り部(Storyteller)が存在し、生活の中に語りが息づいています。
人が集まるところにストーリー・テリング(Storytelling)が始まるのです。

口承で伝えられてきた伝説や神話は、古代ケルトの人々の心の中のイメージを表します。

「読む」のではなく耳で「聴く」ことで、これらの物語は、人々の五感をより刺激し、想像力をかきたてます。
ファンタジーはここから生まれるのです。】


その世界にいた八雲だからこそ、
明治の日本人の自然観や美徳、神話など、日本の神秘的な部分に、故郷アイルランドと共通するものを感じ、深く理解できたのではないでしょうか、、、と締めくくっています。

*


ケルトといえば、昨年、ブログ友達のnanaco☆さんが紹介して下さった『アイルランド幻想(ピーター・トレメイン著)』が心に残ります。
*nanaco☆さん、いつもありがとう!!(^^)

あぁ~、そういえば、、、
その幻想の物語と八雲の描く幽玄の世界から、なにやら似たような匂いを感じてきました。


ケルトとは、まだまだ私の興味を引かずにはおられないようです。^^
そして、思いもよらない繋がりを発見した喜びは、もっともっとと深みにハマる予感をも匂わせています。(^^)

もう一人の『エリザベート』物語。

《祖母は皇后"シシィ"エリザベート、祖父はオーストリア国父と言われたフランツ・ヨーゼフ皇帝。
父は映画「うたかたの恋」で有名な悲劇の皇太子ルドルフ。

世紀末のウィーン。
皇女エリザベートは名門王家ハプスブルク家に生まれた。

5歳の時、父は若い男爵令嬢と心中し、第1次世界大戦でハプスブルク家は滅亡。

4人の子供を抱えて、動乱の20世紀中欧を果敢に生き抜いたエリザベート。

その誕生から死までの波乱万丈な生涯を、塚本哲也さんによる原作と、それを漫画化した水野英子さんの話題作です。》

* * *

『エリザベート』といえば、まず浮かんでくるのが美貌に満ちた皇后エリザベートに違いありません。

5年前、
ウィーンの旅を終えたばかりの私は、シェーンブルン宮殿の余韻に浸りながら、彼女についてもっと詳しく知りたいな~と思いました。*^_^*

彼女に関する本を検索してみると、ミヒャエル・クンツェ作のミュージカル"エリザベート"を小説化した『エリザベート 愛と死の輪舞』が最も面白そう。

そして、より史実に近いものをと、もう一冊を文春文庫から選んでみました。


届いてみると、"違う~。(T_T) これ私のエリザベートじゃな~い!!(T_T)"
後から追加したものは、私の求めていたシシィことエリザベート皇后の伝記ではなかったのです。

しかし、せっかく手元にある もう一人のエリザベート。
う~ん。。。まぁ、あらすじ程度は読んでみよう。

そこで、彼女が皇后エリザベートの直系の孫に当たることを知ります。

なになに、一目惚れで貴賤結婚!?
皇女の身分を捨てた~!?
若く美しい海軍士官との新しい恋と死別。
あげくには社民党のリーダーと再婚して、"赤い皇女"と呼ばれていたという。。。


彼女に興味が沸いてきた頃、偶然にもそれが漫画化された一冊を見つけました。
すぐに楽な方へと流される私は、迷わず購入。^^

これ、一人の女性の生涯を描いたものですけど、それは20世紀のヨーロッパそのものです。
オーストリア近代史の全てを語るような。
これだけで、当時の世界情勢までも窺い知ることができます。

詳しくは、塚本哲也さんの著者『エリザベート - ハプスブルク家最後の皇女』を読むのが一番ですが、
それは上下巻に分かれた長編ですので、私のような読書の苦手な人には まずは漫画をオススメします。


数奇な運命といえば、どちらかといえば皇后エリザベートの方でしょう。
孫娘のエリザベートは大変に気が強く、決して運命に翻弄されることなく激しく立ち向かっていった人。
そして、オーストリアをこよなく愛していたことが、読み手の私にも伝わってきました。

彼女の人生を前にすると、私はまだまだ本当の自分から逃げているなぁ~と痛感させられるのです。
私にとって、非常に魅力的な女性の一人。

何度読み返しても、いつも新しいエリザベートが出迎えてくれます。^^

〈書く力〉

爽やかな秋晴れとは裏腹に、どことなく身体がだるく やる気の出ない今日この頃。
せっかくの日曜日、私は一日中 ごろごろとしておりました。^^;

本でも読もうかな。
そうして手にとったのが、随分と前に父から貰った『原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝著)』。

あぁ~~、今、読むんじゃなかった。。。(∋_∈)
ただでさえ元気のない時に、ますます落ち込んでしまいました。(T_T)

いえ、決してマイナスの気分になる本ではないのです。

この本は、

【「引用力」のためには、「書くための読書術」を身につけ、キーワードをつかむ。

「レジュメ力」のためには、キーフレーズを見つけ、書く前に設計図を作成する。

「構築力」のためには、三つのキーコンセプトをつくり、それらをつなぐ。

「立ち位置」をつけるには、自分の立場をはっきりさせ、オリジナリティある文体をつくる。

これら四つの力を磨けば、だれでもかならず「書く力」が身につく!】

という内容で、
さすが齋藤孝さんの文章はとても理解しやすく、これから「書く力」をトレーニングするには実に役立つものです。


ただ今の私には、自分の「書く力」のなさを改めて突きつけられたような気がして、"ずど~ん"と落ち込んでしまいました。

その上、自分の読解力のなさ、表現力の乏しさ、
その未熟さを素直に認めたくない部分、あえて気付かないようにしてきた部分がはっきりと見えてしまったのです。。


齋藤さんは"まえがき"で、
「もっとも大事なことは、"書く力"を身につけることで、読書力がつくだけではなく、これからの社会でもっとも必要とされる"考える力"をつけることができるということだ。」
と述べています。

今まで特に文章力を問われる職種ではなかっただけに、私の「書く力」も「考える力」も貧しい学生レベルのまま。

この本は、だからこそどのようにすれば「書く力」を身につけることができるのか、
その有難い道しるべのはずなのですが、、、、、

何故なのだろう。
社会人としての自分の能力のなさに、ものすご~く落ち込んでしまいました。


しかし、これは非常に勉強になる本には違いありません。

もう少し元気になった時、改めて読むことにしましょう。。。

秋といえば、"ロシア文学"?!

ツルゲーネフ・『はつ恋』。
長年 気になっていた小説を、昨晩ようやく読み終えることができました。

【16歳のウラジミールは、別荘で零落した公爵家の年上の令嬢ジナイーダと出会い、初めての恋に気も狂わんばかりの日々を迎える、、、
が、ある夜、ジナイーダのところへ忍んで行く父親の姿を目撃する・・・。

青春の途上で遭遇した少年の不思議な"はつ恋"のいきさつは、作者自身の一生を支配した血統上の呪いに裏づけられて、不気味な美しさを奏でている。

恋愛小説の古典に数えられる珠玉の名作。】


目眩を感じる甘美さと、不意に足元から掬われそうな危険を匂わせた恋物語。
読み進むに連れ、意外な展開に胸を高鳴らせながらページをめくりました。^^

恋する相手の掌の上で、一喜一憂する青年の心情が細かく丁寧に描かれています。
その振り回され方が面白い☆^^

16歳という多感な年頃。
そうですよね。
恋する相手の薄情な薄笑いに、悪戯を秘めたその目付きに、つい踊らされてしまうのも頷ける年頃です。(*^_^*)
(余談ですが、、、。
今だって、もしもウルスの視線を目の前にしたら、私は間違いなく自分を失い 溺れてしまうことでしょう。^^;)


そんな16歳。
私がその年頃には、高校の図書室でよく"詩集"を借りていました。
"ハイネ"に"ゲーテ"に"バイロン"など、、。

それらを読むというよりは、詩集を手にする自分に酔いしれていたと言う方が正しいのかもしれません。
そして、ちょっと古めかしい和訳の言い回しが、どことなく心地良かったのです。

その中でも、最もよく借りたのが「プーシキン詩集」。
プーシキン、、、ご存知、ロシアの詩人・作家です。

ただでさえ文学に疎い私ですので、ロシア文学など何一つ分からなくて当然ですが、
それでもプーシキンの巧みな表現が好きでした。
きっと訳し方も自然な流れだったのでしょう、、す~っと高校生だった私の中に入ってきました。

小説『はつ恋』の中には、そのプーシキンの一節がところどころに登場します。

ロシアの近代文学に最も影響を与えたプーシキン。
ツルゲーネフとて例外ではなさそうですね。

そして、この微妙な年頃にはプーシキンの響きが似合うのかも。。

秋が深まるこれからの季節、
木の葉が舞い散る頃合いに、もう一度「プーシキン詩集」を開いてみるのも悪くはないかなって思っています。^^

* * *


どんな結末でも、、、
"はつ恋"って、いつまでもいつまでも心の奥深くに住み着いているものなのですね~。

はて、、、?
私の"はつ恋"っていつだったのかしら、、、???(^。^;)

珠玉の贈り物 ~星の王子さま~

ブログ友達「nanaco☆さん」は驚くほどの読書家です。^^

7/8の彼女の日記で、サン・テグジュペリの名作『星の王子さま』のレビューを読ませて頂きました。

恥ずかしながら、こんなに有名なお話を、私は今まで開いたことすらありませんでした。

遠い記憶に、、
私がまだ幼い時分、確かTVでアニメ放映をしていたと思います。
主題歌は完璧に覚えているのですが、
内容は? となると、王子さまと真っ赤なバラが言い争っている場面しか私の中には残っていません。

nanaco☆さんが改めて紹介してくれなければ、私は一生 この作品に触れることはなかったでしょう。
*nanaco☆さん、どうもありがとう !

* * *

◇いちばんたいせつなことは、目には見えない◇
キツネから王子さまへの贈り物の言葉です。

キツネと王子さま、そして王子さまと僕が結んだ絆に、私も少し泣きたくなってしまいました。

◇きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠の責任を持つんだ◇
きみは忘れちゃいけない。

1ページ、また1ページ。
ページが進む度に、私までも王子さまとの別れが淋しくなってきて、
私と王子さまとの間にも、いつのまにか絆が結ばれていることに気が付きました。


私も時々は星空を見上げてみよう。

頭の真上にある王子さまの星☆
けれど、その星は小さすぎて どこにあるのか分からない。

夜空いっぱいの星のどれかひとつ。
だから、ぜんぶの星を見るのが好きになる。
ぜんぶの星が友達になる。
5億もの星たちの、鈴のような笑い声が夜空に響き渡るのだから。


◇子どもたちだけが、なにをさがしているのか、わかってるんだね◇
と王子さま。


この物語の"僕"であり、"王子さま"でもあったサン・テグジュペリは、今もこの広い星空を泳いでいるんだろうな。

そして、こう呟いているんだろうな。

◇それがどんなに大事なことかは、おとなには、ぜんぜんわからないだろう◇
ホント、おとなって、まったくどうかしてるね。


そんな大人達へ、サン・テグジュペリからの珠玉の贈り物。
それが、『星の王子さま』なのです。

貧困なき世界をめざす銀行家。

ドーン! ドーン!
花火が上がり始めました!

今晩は花火大会です。
とはいっても、私は自宅でその音を聞いているだけですけど、、。

数年前、Iさん(昨日の写真 左端)家族と一緒に船に乗って花火を見たことがあります。
漁師さんであるIさんのご主人のご好意に甘えました。*^^*

港から見るよりもず~っと迫力があります。
真上に上がる花火を仰ぎながら、皆で飲んだり食べたりできるのも船上ならではのこと。
今年も誘って頂きましたが、今日はなんとなく体調が優れず、残念ですがお断りしました。(;_;)

* * * * * * *

昨日の夕方、Amazonで注文した本『ムハマド・ユヌス自伝』が届きました。
これは、私の尊敬するブログ友達のKさんから教えて頂いたもの。

一昨年にユヌス氏がノーベル平和賞を受賞した時、新聞で読んだ彼の記事に非常に興味を持った私。
その彼の自伝書が10年も前に出版されていたなんて、、。
Kさんのおかげで、彼について、そして世界の貧困について又一つ勉強ができます。^^
*Kさん、本当にありがとう!! 感謝、感謝です。o(^―^)o


ムハマド・ユヌス氏はご存知、1983年にバングラデシュにおいて「グラミン銀行」を設立し、農村の女性達に無担保融資を始めました。

「貧しい人達がお金を借りるのは援助ではなく権利である。
貧しい人には能力があり、単に資本に対するアクセスがないだけだ。」

「マイクロ・クレジット(小額無担保融資制度)」の発想自体も素晴らしいことですが、彼の柔軟な思考が今後どのように発展していくのか、私はこれからも彼の活躍から目が離せないと思っています。

彼はノーベル賞の賞金1000万スウェーデンクローナ(約1億6300万円)の使い道として、
1. 仏食品大手ダノン社とグラミン銀行の合併で、貧困層向けの低価格栄養補助食品を開発する事業に出資。
2. 自国の貧困層に電気を供給するソーラーパネルの開発、製造。
などの計画について、受賞当時 話していました。

元々、彼は米国で計量経済学を学び、マルクス経済学に傾倒していた経済学者です。
比べることではありませんが、同じく経済学部を出た私とは大違い。f^_^;
生きた経済学とはこういうことなのかと、彼の存在を知った私は一人感心してしまいました。


「永続する平和は、人口の大半が貧困から抜け出す方途を見い出せない限り達成されない。」

彼が学んだ知識や生み出した発想。
それを理想論として終わらせずに、今も発展し続ける彼の行動力。

そのパワーの源を少しでも盗み取り、私の今後に繋げていけたらなぁと、この本を開くことを楽しみにしています。^^

Dear...

「大芸術家であらせられる全知全能の神様が、最高傑作を生んだ日。」
それが37年前の今日です。(*^―^*)

そう、今日は「IL DIVO」のスイステナー『Urs Buhler ~ウルス・ブーラー』のB.D♪
世界中から愛のこもった"おめでとう!"の波動が彼の元に届いているはずですね。
(*^―^*)
私からもウルスへ、"Herzlichen Gluckwunsch zum Geburtstag!"(≧ω≦)b
そして、神様、ウルスのパパ&ママへありがとう!!!

* * *

そんな素敵な今日ですから、とっても愛らしい写真集を紹介します。

それは、ブログ仲間の「きりやまきっき」さんからのプレゼント☆

彼女のブログが28000アクセスになるのを記念して、先日 とても面白い企画がありました。
なんと、彼女のオススメの3冊の本を早い者勝ちで戴けるというもの。^^

絵画よりも写真を眺める方が大好きな私、
風景よりも人間や動物の写真がお気に入りの私は、
早速 それらの本の中からユニークな動物達の写真集『Dear Mom』をお願いしてみました。

すぐに「きっき」さんから当選のお返事が、、! 今週早々に送って下さいました。*^^*


『Dear Mom』
この本の著者は、ブラッドリー・トレバー・グリーヴさん、38歳。
オーストラリアのタスマニア島出身です。

この作品の前に出された、「ブルーデイ ブック」はかなり有名なのですね~。

この写真集を初めて開いた時、"どこかで見たことあるかも"、って思ったのは、すでにそれだけ知れ渡っているということでしょう。

今回も、母親への愛情と感謝の気持ちがこぼれんばかりに溢れている素晴らしい写真の数々。
写真の下にさりげなく書かれたコメントに、大きく "うん、うん!"と頷けます。
コメントと写真とのバランス、組み合せが最高なのです!


↑の写真に込められた言葉は、『よく見ると、つま先までそっくり。』^^


私も、たまには 自分の"おへそ"をいじりながら(笑)、素直に感謝の気持ちを母親に伝えてみようかしら、、。
生んでくれて、ありがとうって、、。o(^-^)o
やっぱり、照れくさい。。? (笑)


*きっきさん、とっても微笑ましいプレゼントをどうもありがとうございました。
私の宝物が また一つ増えましたよ! ☆^^☆

茂木さん崇拝。

今日もTVで茂木健一郎さんを拝見しました!
そう、最近の私は彼にはまっているのです。^^

彼の頭の中が非常に気になって、気になって。
脳科学者の脳をちょっぴり覗いてみたい心境です。^^

昨日は彼の著者、「脳を活かす勉強法 ~奇跡の強化学習」を一気に読んでみました。
面白いですよ。自分の脳にも無限の可能性を感じることができますもの☆

『したがって、脳科学的に見れば人間は誰しも境遇や年齢、性格などにかかわりなく、飛躍的な成長を遂げたり、劇的な変化を遂げる可能性を秘めた存在であるといえるのです。』
うん、うん、茂木さん、私、頑張るよ!! o^―^o


脳とは、
「できるかどうか分からないことに、一生懸命になってぶつかり、そして苦労の末それを達成した時、意外性が強ければ強いほど喜びが大きくなるしくみ」、
「この苦しい状況を何とかして突き抜けることが重要」とあります。

当然のことを言っているように思えますけど、実際、私の過去は困難から逃げてきた連続ですので、自分の脳すら喜ばせてあげたことがなかった事実に気付き、かなりショックでした。


逆に、自信をくれた内容も。。。^^

茂木さんは、かつてニュートンも学んだことのあるイギリスのケンブリッジ大学"トリニティカレッジ"に所属していたそうです。
このカレッジには、ありとあらゆる分野の人が所属し、食事の際には、各分野を代表する研究者達が それぞれの専門など気にも留めずに大変高度な議論をしているとのこと。
ノーベル賞を81人も排出した実績は、この環境があるからではないかと茂木さんは悟ったといいます。

そのトリニティカレッジの雰囲気から伝わってくる思想。
それは、「変人であることの自由」なんだとか。^^

ケンブリッジでは、格好が良い人は"どうせ普通の人"とバカにされ、
例えば、穴の開いたセーターを着て、ボロボロの自転車に乗ってカレッジ内を走っているような人に、"きっと偉い学者に違いない"と敬仰のまなざしを送るのですって!
さすが、面白い。

「変人であることの自由」とは、「自分の好きなことをとことん追求することが許される自由」だと茂木さんは言います。

そして、日本には「ほかの人と一緒でなくてはいけない」、「平均値に引きずり下ろそう」という無言の圧力があるために、それがグローバルな競争の足かせになると。
日本の和を大切にする文化を認めつつも、そう書いてありました。

もちろん、イギリスにも似たようなプレッシャーはありますが、「イギリス人の発想が卓越していたのは、彼らをスポイルするのではなく、その変な人たちを集めてコミュニティを形成し、"知"として消化させるしくみを作り上げたこと」とあります。

なるほど~、周りの人達に合わせるばかりが能ではない、「変人」でいいんだ~って分かって"純粋に"ほっとしました。
ご存知、どの角度から見ても、平均値からほど遠い私ですからね~。^^

まだまだ茂木さん崇拝は続きそうです。


*この本、自己啓発にもってこいですけど、子供さんをお持ちの方にとっても 将来の天才・秀才を育てるのに非常に参考になると思いますよ!o(^-^)o

そうだったのか!

私はあまりTVを観ません。
そして、恥ずかしながら新聞もほとんど読みません。
目を引く国際関係のニュースを読むくらいです。。
(お恥ずかしい。。。(〃_ _)σ∥)

だから、池上彰さんの本には重宝しています。

高校時代、日本史を専攻した理由に、現代世界史を殆んど知らなかった私。
(又もお恥ずかしい。。)

特に戦後の世界については、自分が訪れたことのあるカンボジアくらいにしか興味がありませんでした。

そんな私に、池上さんは救いの手を差し伸べて下さったのです。
(えっ? 私の為ではないですって?(^_^;))


池上さんの本に出会ったのは、2000年暮れのこと。
「そうだったのか! 現代史」です。

『ベルリンの壁の崩壊』が、実は共産党の広報担当シャボフスキー政治局員の「言い間違い」から始まったこと、
そして、それを当時の東ドイツのテレビが伝えたにもかかわらず、東ベルリン市民はそれには反応せず、西ドイツの放送が伝えた途端に動き出したこと。

ゴルバチョフが掲げていたペレストロイカをはじめとする三大政策の「理想」と「現実」について。

もちろん『天安門事件』に『ベトナム戦争』、『湾岸戦争』、『朝鮮戦争』、『中国vs台湾』etc、etc、、。


↑はほんの一部にしかすぎませんが、
知っているようで、実は何も分かっていなかった、
そして当然知らなければならない世界史を分かりやすく説明してくれている彼の本に、
私は夢中になりました。

ちょうど時を同じくして私がはまったのが、キューバ危機を描いた映画『13DAYS』。
(ケビン・コスナー主演です。)


こんなに世界の動きは目まぐるしくて、興味深いものだとは思いもしませんでした。

そして、特別な変化もなく"のんき"に生活している自分。
その自分が生きている『世界の今』を知ることの重要性を"ひしひし"と感じました。


「世界に目を向けたい!!」
あの日から、私はそう思っています。


昨日、偶然にも店頭で池上さんの「そうだったのか! ニュース世界地図2008」を見つけました。

「池上さん! 久しぶり!! 待ってました♪」

なんだか嬉しくなっちゃいました!!
彼の本を読むと、私の世界も広がり、そして動き出すのです!!

今回、世界の今を地域別に取り上げてくれています。

今日は一番好きなヨーロッパについて読みました。
『拡大続くEUとユーロ圏』を頭に、面白い内容が続きます。

世界情勢に詳しい人にはもの足りないかもしれませんが、
私のような世界の動きに疎い者が読むのには相応しいものです。

池上さんは1994年から2005年まで、NHKの「週刊こどもニュース」のお父さん役をされた方。
だから、子供並みの私にも分かりやすく説明してくれているのです。

無知な私は毎回"感動"します!
「そうだったのか!!!」ってね。

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