I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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長雨のひとやすみ。

長雨のひとやすみ


今年5月に「開運!なんでも鑑定団」で本物と認められた伊藤若冲の掛け軸を、丸亀城城郭内にある資料館で現在見ることができる。

双幅【鶏図】という。


本日、しとしとと数日前より続く雨の下、私も若冲を訪ねてみた。

若冲といえば、奇抜なほどの色鮮やかな鶏の絵を思い浮かべる人が多いのだろうか。
私も漠然とそんな印象を持っていた。

ただ、昨今の若冲人気のおかげでそれを知り得たくらい、私は彼の絵を全く知らない。
これまで唯一目にした本物が、金刀比羅宮(こんぴらさん)奥書院の障壁画「花丸図」であり、今日出会う作品が私にとって若冲の鶏第一号となる。

なので偉そうに若冲を語ることはできないのだが、ちょっとブログに残そうと思った。



あらかじめ掛け軸の写真を見て水墨画ということはわかっていたが、派手さのない若冲に一瞬戸惑った。
正直、「ふん」というのが第一印象だったのだが、じーっと眺めているうち味が出てくる。

まあ、「これは若冲が描いたものだよ」と聞かされているからかもしれないが、さすが若冲、面白い絵を描くなと思った。
墨の濃淡もいいが、絵に勢いがあった。
鶏の顔もひょうきんでいい。頭に残る。


若冲は鶏を描くにあたり、自身で鶏を飼い、一年ひたすら深く観察し、続く二年は写生を続ける修練を積んだという。

若冲研究者の第一人者である狩野博幸さんによると、「菊のこの描き方は若冲にしかできず、鶏も若冲がよく使う表情をしており、雄鳥と雌鳥の目線を意識的に合わせている」とのこと。
やはり「ふーん」程度にしかわからない私だが、この絵、好きだなと思う。



この鶏は、瀬戸内海に浮かぶ本島(香川県丸亀市)のある町家にあった。
現在所有している方の父親が海運業を営んでいた50年ほど前に、木材の運賃代わりに材木商から渡されたものらしい。

なので保存状態は完璧とは言えないのだが、対で残っていたのは幸運だろう。

もともと本島を中心とする塩飽(しわく)諸島は、昔水軍で栄えた場所。
江戸時代には船大工の技術を生かし家大工や宮大工として活躍していた彼らの裕福さは、島を訪れると今も残る古い町並みからもよくわかる。
この鶏と塩飽水軍に関わりはないだろうが、塩飽大工によって建てられた立派な民家から見つかったことは大いに頷ける。



資料館をでると冷たい雨はやんでおり、長雨はひとまずお休みということか。

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京都国立近代美術館へ。

大阪へ行くのなら京都にも足を延ばそう。

毎年世界で一ヶ所しか開催されないフランスのハイジュエラー・ヴァンクリーフ&アーペルと、日本工芸とがコラボした展覧会が京都であると知り、そう決めた。

もともとジュエリーには全く興味のなかった私だが、7年前にモスクワのクレムリンで迷い込んだダイヤモンド庫との出会いが私を変えた。
「本物」と呼ばれるものの圧倒的存在感は、人をも狂わすに値するだけのことはある。


京都国立近代美術館へ

1200年以上昔から都として栄えた京都には、衣食住に関連する最高級なものが生み出されてきました。
十二単や小袖、辻が花、能衣装など金襴を惜しげなく使った装束は、現在の西陣のような織ものから染ものまで技術の粋が詰まった地域で、熟練した職人の技と心意気により作られました。

フランスを代表するハイジュエリーメゾンのヴァンクリーフ&アーペルも同様に、熟練した職人が一子相伝のように技を伝えています。

本店では「技を極める」をテーマに、ヴァンクリーフ&アーペルの秀逸な作品が伝える「技」と、長い歴史の中で生まれた七宝や陶芸、漆芸、金工などの日本工芸の「技」の対比や結びつきを紹介します。
フランスと日本の技の競演をお楽しみください。
(リーフレットより)



私が最も見たかったのが、「ミステリーセッティング」という宝飾技法だった。

それは偶然テレビで見て知ったのだが、宝石を支える爪を表から見せない特別な技法で、格子状に作られた石座へ一つずつ石を置いていき、隣接する石がぴったりと合うようにカットして、パビリオン上にレーザーで溝を彫り格子状の枠へはめていくというヴァンクリーフ&アーペル独自のものである。
特にルビーとの相性がよく、思わずため息が出てしまう。
釘付けになった目の中でもキラキラと煌めきを放っていたに違いない。

もちろん、カッティングの素晴らしさだけでなく宝石の大きさや光具合にも心を奪われた。
とりわけバードクリップにつけられた大きな一粒のイエローダイヤモンドからはしばらく目が離せないほどだった。
小さなペンダントに輝くそのダイヤの大きさは、なんと96.62カラット。
はああああ、といった感じである。

そして数多く見ているうちに、本物と呼ばれるものほど光の放ち方が上品で、色合いも控えめだという印象を持つようになった。
控えめというより奥行きのある煌めきといった方がより近い表現かもしれない。
だから余計に石の世界に引き込まれてしまうのだろう。

多くの宝石に吸い込まれ心惑わされそうになりながら、だが、ふと心癒されていく自分に気付く。
手が届かない宝石の中にあって、段々と心が開放されていく感覚はフシギだった。

「本物」なんだと思った。

その「本物」を作り上げていく過程を、展覧会では工程ごとに映像で見ることができる。
驚くべきことは、そのすべてが今も手作業であること。
これだけコンピュータが浸透している現在において、デザインもすべて人の手で描かれているのだ。
細かい作業を一つ一つ見つめていると、そのすべてが愛おしくなってくる。
心が開放される、心が癒される、その理由がその時ほんの少し理解できたような気がした。


と、ヴァンクリーフ&アーペルのことばかり書いてしまったが、日本工芸も負けてはいない。
私が好きな並河靖之氏の七宝焼に、信じられないほど細かく見事な孔雀図屏風など、技を極めるということにかけて決してヴァンクリーフ&アーペルに引けを取らない作品たちがずらっと並んでいる。
ただ、今回の私はヴァンクリーフ&アーペルの煌めきに夢中になってしまっただけ。
それは自分でも愉快なほどヒカリモノに魅かれていったのだった。




私は現実に戻るため、美術館のカフェで少し早めのランチをとる。
ぼおおっと冷めやらぬ余韻にテラス席で浸っていると、一匹のスズメが私のパンを盗んでいった。
ダイヤやエメラルドはやれないが、パンならどうぞといった感じ。笑

京都国立近代美術館へ


この展覧会は京都国立近代美術館にて8月6日まで。
一見の価値ありと自信をもって伝えられる。

兵庫陶芸美術館。

これは展覧会を称賛すべきか、美術館を褒めるべきか。


05-15 2.兵庫陶芸美術館


比較的自然豊かな処に暮らしている私でも、非日常の緑の中は本当に気持ちいいと心底思う。

訪れた兵庫陶芸美術館は、深い緑に囲まれて思わず大空に手を伸ばしたくなるそんな場所だった。

すっかり初夏の陽射しが眩しい空はすぐそこだ。
流れる水の音がすでに恋しい涼を運んでくる。


そんな心地良い空間で、今日、言葉では言い表せられないいいものを見せてもらった。



05-15 3.展覧会『明治有田超絶の美』


デザインといい、

色遣いといい、


圧倒され続けてしまった。



富士を見に行く。

02-06 展覧会『北斎の富士』


母とモーニングに出掛けようと家を出て、「そういえば、広島の北斎展ってもうすぐ終わるんだったよね」との話から、急きょその足で広島まで車を走らせることとなった。


北斎といえば私が小学6年生の時、学研の「学習と科学」シリーズの付録にあったスタンプがその『神奈川沖浪裏』で、その年は多くの同級生の年賀状を北斎が飾ったのを覚えている。

遠い話ではあるが、当時私もそれに漏れず、北斎の描く大胆な絵の構図に魅了された。


今回の展覧会は、その『神奈川沖浪裏』をスタートに、北斎の描く富士の世界へと進んで行く。

02-06 2.北斎『神奈川沖浪裏』


それにしても、一口に富士山と言っても色んな表情を持っているのだと改めて感じた。


私が初めて富士山を見たのは23歳とデビューは遅く、それも熱海へ向かう何処かのサービスエリアから見上げた姿だった。
二度目は仙台へ向かう飛行機の中から。

その後何度か目にしたのはすべて新幹線の中からで、そういえばじっくり富士山を眺めたことなどあっただろうか。

それでも、その一つ一つが記憶に残っているというのは、さすが富士の御山ならではと思う。


この展覧会では、描かれた場所も具体的に示されており、遠く茨城や尾張、諏訪湖から望む富士の姿もある。

当たり前だが、そのどれもが富士山であるのに違いないが、私の中では静岡から見た富士山が最もしっくりくる。

一昨年だったか、朝の連ドラ「花子とアン」で、山梨と静岡、どちらの富士が表か裏かという話にそんなこと大したことじゃないのにと思っていたが、なるほど、なんとなくその気持ちも分かってきた。


そして、そこには富士山と共にある江戸時代の人々や生き物たちがイキイキと描かれていて、いつの間にか私は富士山よりもそちらに目がいくようになっていた。

旅人であったり船頭であったり、普段の生活を営む人々の姿が剽軽にあって、それらが絵に動きを与えていた。


富士の静と人々の動。

時に主役に、時に脇役に、どっしりと存在感を示したり消してみたり。


どちらにしろ、黙ってそこにあり続ける富士の山。


そういえば、大学入試の時だったかな。
二次試験の会場で親しくなった、静岡は三島出身の女の子が言っていた。

「富士山のない景色の方が変な感じ。」

きっとそうなんだろうな。
江戸の人々も動物たちも、いつも富士山に見守られて生活してきたのだろう。
いつも見上げると富士山がそこにあったのだろう。

北斎の富士山への思いも伝わってくるようだ。


『冨嶽三十六景』は言うまでもなく、これまで観ることのなかった『富嶽百景』も飽きることなく興味深くて面白い。

何気に心惹かれた作品は、『田面の不二』。


02-06 3.北斎『田面の不二』


海を見ていた午後。

気ままな午後。

本屋帰りに、ふらり東山魁夷せとうち美術館。

現在開催中のテーマは、「唐招提寺の障壁画」と「鑑真和上の捧げる風景」。
東山魁夷の鑑真和上に対する思いが、壮大な構想や綿密なスケッチからも溢れていて、ちょっぴり感動してしまった。


東山画伯の作品は、静けさの奥から聞こえる潮騒だったり、しっとりとした雨露だったり、肌にまとう霧雨だったり。
耳を澄まして、心を落ち着かせ、微かに漂う匂いが嗅ぎ、それらが自分と向き合う時間を与えてくれる。

自分の心の奥底にある邪悪なものさえ洗い流してくれるような、穏やかな時。

今回、特に気に入った絵は、中島敦の「山月記」をイメージさせる「黄山良夜」。



01-09 東山魁夷せとうち美術館


鑑賞後は美術館のカフェでぼんやり海を見ていた。



シャガールと私。

シャガールといえば、6本の指を持つ自画像であったり、首が真反対になった男性が空を飛んでたり、

子供の頃の私は、ずっと不可解で気持ちの悪い絵を描く画家だと思っていた。


それが19の秋、ひろしま美術館で「私のおばあちゃん」という彼の作品と出会ってから気持ちが変わった。

二十歳の誕生日、その「おばあちゃん」の前にひとり佇む私が居た。

成人するその日を、大好きな空間の中、穏やかな気持ちで迎えたい。
友達が計画してくれたパーティさえ日にちを変更してもらって美術館へと赴くほど、彼の描くおばあちゃんのファンになっていた。(笑)

それほど その「おばあちゃん」は、よく絵本に描かれるような暖炉にぽっと灯った火みたいに、柔らかい あったか~い絵だったのだ。

それ以来、シャガールは私のお気に入りの画家となる。



それでも、ここ最近は絵を見るなら旅先の、しかも作品と縁のある場所で、できれば作品が生まれた国、空気の中で見たいという気持ちが強くなり、全国を巡回するような大規模な展覧会からは足遠くなっていた。

それが、友人達の「良かったー!」という声がFacebookにアップされる度に私の心は揺さぶられ、
先日、広島県立美術館まで『シャガール展』を観に行って来た。

片道200km、軽自動車をふんふん飛ばし、なんと贅沢な芸術鑑賞であろうか。(笑)


しかし、これが本当に凄かった。

私だけじゃない、「凄い」と思わず言葉を漏らす観客のなんと多いことか。

しょっぱなのガルニエの天井画『夢の花束』からやられてしまった。
これは本物を見にゃならぬ、と思ってしまった。
しかも、ただオペラ座内部の見学ツアーでなく、天井画の下でバレエやオペラを楽しみたいと強く思った。

正直、パリのオペラ座やウィーンの国立歌劇場はあまりに有名すぎて、天邪鬼の私は自分がその場に似つかわしくないことを棚に上げ、時々ふんっ!て思ってた。(笑)

だが、悔しいことに天邪鬼だって感動する。


シャガールは言った。
「上部から、まるで鏡を乗せたように役者や音楽家の夢や世界を花束を抱えたみたいに反射させたい」というような言葉を。

正にそうなのである。
馬鹿で無知な私は、画と描かれた内容の説明を交互に見比べながら、その夢の世界を想像する。
その後に続く『「魔笛」の思い出』という作品の前ではしばし動けなくなってしまった。

そしてシャガールの『夢の花束』は、ただ単なる夢の花束とは違うと思った。


シャガールは後半生において、歌劇場や美術館、教会、大学等の公共空間を飾るモニュメントを多く手掛けている。
彼が60歳を過ぎてからのことだから、彼の集大成、人生そのものが描かれているといっても過言ではないだろう。

アメリカのメトロポリタン・オペラハウスの大壁画には、
「冷戦時代にあって、アメリカ音楽とロシア音楽の両方を賞賛し」表したシャガール。

その奥に、彼が旧ロシア(現ベラルーシ)で生を受け、東欧系ユダヤ人であったことが作品に大きな影響を与えていたことは否めない、と私は思う。


私は、この春巡った東欧に思いを馳せた。

そして、気付く。

この展覧会、確かに絵画の素晴らしさや色鮮やかさのみを観るのであれば、昨年の私でもそれなりに感動できたに違いない。

しかし、今回の展覧会の作品達が、絵画の持つ世界観を圧倒的迫力でもって私に迫ってきたのは、あの旅あってのことだろう。
極寒の中、厳しい歴史と逃げずに向き合ったことで、新しいシャガールとの出会いを見つけた。

感動というより打ちのめされてしまったというのが正しいか。


その中で、大きな赦しに抱かれる安心感を与えてくれるシャガールの絵。
いつまでもいつまでも眺めていたいと思った。


展覧会の謳い文句、「こんなシャガール見たことない!」

広島では12月25日まで開催されるということで、来月 もう一度観に行こうと思っている。

ミイラを観に岡山へ!

そうそう、岡山ってなかなか面白い展覧会をしてくれるのです。
文化意識の高い県民性なのかな?

中四国で一番大きな街といえば広島市になりますが、いいものは決まって岡山に集まりますね~。

岡山は、世界最古の庶民のための学校「閑谷学校」からも分かるように、古くから教育熱心であり、国際交流も盛んな場所です。


それにプラス、私には「ミイラが好きな県」ってイメージもあります!(笑)

ミイラが巡回する大きな展覧会は、必ず岡山へやってきてくれるのです。
例えば、数年前の「大英博物館展」や「インカ・マヤ・アステカ展」など。
確か、吉村先生の青いミイラマスク「セヌウ」もそうでした。

そして、今年早々には、岡山市デジタルミュージアムで開催された「(インカ帝国のルーツとなる)黄金の都 シカン展」でも"ミイラ包み"があった記憶が…!?


*

ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、

今日は久々に四国を脱出し、
岡山市立オリエント美術館へ、『古代エジプト 神秘のミイラ展』を観に行って来ました!
(こちらは、沖縄 → 福島 → 群馬 → 岡山の地方都市のみの開催となります。)


今回もメインはミイラということで、じっくりと2600年ほど前のミイラと心の対話をして参りました。(笑)
      

こういう時、時々思うのです。

数千年の時を越え、数千キロ離れた異国の地で、こうやって私達(私とミイラ)が出会う不思議な縁を。

長い眠りの中にあっても、深い深い意識の底で向き合う魂。

袖触れ合うも他生の縁と申しますが、これはどんな縁を意味するのかな?


古代エジプトにおいて、死後その肉体をミイラとして保存するのは、死者が再生復活すると考えられていたからです。
その為には、オシリス神による最後の審判で心臓を天秤にかけられ、真実の女神マアトの羽と自分の心臓が釣り合わなければなりません。
釣り合わない心臓はワニに食べられてしまうのです。

ミイラを観に岡山へ

ねぇ、オシリス神の前で最後の審判を受ける時、死ぬ時よりも緊張したでしょ?

ねぇ、あなたの心臓と真実の羽が釣り合って、ちゃんと死者の楽園に復活を成し遂げることができたの?

ミイラさんに色々聞きたいことはあったのですが、彼は堅く沈黙を守り通しました。(笑)


と、ふとミイラから外した目の先には、「どうか起こさないで下さい」との文字が…。

おぉ~っと、そうだった! 
変な質問なんかして、万が一 ミイラさんを起こしてしまったら、それこそ後が大変なことになるのだった!
どうか、どうか、そのまま静かにお眠りください~~~。(笑)


それでも こうやって出会えた縁は、やっぱり不思議だな~って思うのです。


ミイラを観に岡山へ


今回の展覧会はミイラそのものが凄い存在感でしたが、そのミイラを納めた三重の棺も見事でした。

ちなみに、そのミイラさんはエジプト末期王朝時代の神官アンクホルさん。
40歳前後でこの世を去ったとされていますが、こんなに丁寧に埋葬されているということは、生前 かなり高い身分の人物であっただけでなく、復活するのに相応しい人物だったということかな?^^


その他の見どころは、「死者の書」と呼ばれる、来世において復活するための呪文や美しい挿図と、
今回初公開となる、神聖文字ヒエログリフの解読者として知られるエジプト学者シャンポリオン(1790-1832)のノートなど。

そして、復活の象徴としてミイラの心臓の上に置かれたスカラベの装飾品も印象的でした。


それら200点もの展示物は、オランダ国立古代博物館のコレクションなのだとか。


オランダの博物館といえば、私はアムステルダム国立博物館くらいしか知らなかったのですが、
そのオランダ国立古代博物館は、古代エジプトコレクションにおいて、大英博物館やルーブル美術館と並ぶほど充実していることで有名なのだそうです。

確かに、これほど凄い展示物を一年以上に亘って日本へ貸出してもへっちゃら~なのですから、もっともっと驚くべきものが保存展示されているってことですよね!
考古学ファン、エジプトファンにはたまらないだろうな~。(*^^*)


岡山での開催は8月31日までの予定でしたが、9月4日まで延長されるのだそうです。
(これが全国巡回の最後かな?)

それまでに もう一度じっくり観に行ってもいいかな~と思うほど、内容の濃い展覧会でした!

木彫の巨匠「平櫛田中(ひらくしでんちゅう)展」

広島市中心部にある ひろしま美術館。

広島に住んでいた大学時代、私が何度も何度も足を運んだお気に入りの美術館です。

印象派を中心とした、まるでお手本のような西洋美術が並ぶ常設展はもとより、都心部にあって緑豊かで、静かに穏やかに鑑賞できるスペースが何よりも心地いい時間を演出してくれます。

そして、そうやって何度も訪れた者に懐かしい気持ちをもたらせてくれる作品たち。

この場所でシャガールのファンになったんだった!(^^)
ちょうど一週間前も、変わらぬ姿で私を和ませてくれました。


*


正直、常設展が目当てだった私は、6月5日まで開催中の特別展「平櫛田中(ひらくしでんちゅう)展」にさほど期待をしていませんでした。

と言うよりも、日本の近代彫刻界の巨匠・平櫛田中という人物を知りませんでした。

面白くなければ素通りしよう、
そう思いながら足を踏み入れて、その展覧会に来られている観客の多さに驚きました。

そして、並べられた作品の第一番目で釘付けにされてしまいました。


これまで彫刻家といえばロダンであったり、カミーユ・クローデルであったりと、
情熱を地で行く彼らの作品は、時に痛々しいほどの愛情、嫉妬、悲しみ、苦しみが剥き出しに迫り来る凄さに圧倒されたものでしたが、

今回出会った作品は、これが東洋の精神かと思わせる、ピンっと背筋の伸びる空間に、それこそ千差万別の豊かな表現を見せてくれておりました。

木彫とは思えない質感、木目の使い方、思わず笑みのこぼれる表情に、、、
ですが、一番は空気に動きを与えたり、留めたりする見事さだと私は思います。

第7回文展に出品された「堅指」を前にした時は、一瞬 身動きがとれなくなるほどの緊張感でした。

1957年の作品「良寛上人」では、彫刻でありながら背中で語る良寛上人の姿にびっくり。
ありゃ~、私より人生(?)濃ゆいよ、(木彫の)良寛さん!(笑)



田中作品には、仏教説話や中国の故事を題材にした作品が多いからか、俗世を一つ超えた世界観を感じました。

中性的で静も動も併せ持ち、それでもって見る者に親しみを抱かせる作品たち。

さすがは107歳で天寿を全うされるまで現役を貫いた田中(でんちゅう)さんならではの域なのだと思います。
それは書家としての一面にも現れていました。

本当に見応えのある良い展覧会に出くわすことができたな~と、とても得した気分です。^^


さらに この田中さん、岡山県井原市出身とのことで、そちらに田中美術館があるのだそう。
20年を経て完成させた代表作「鏡獅子」はそちらで観ることができるそうですので、近々 行ってみたいと思います!



* * * * * * *


さて さて、
今日はこれから、大阪は梅田芸術劇場にて、待ちに待ったミュージカル「MITSUKO」を観ます☆

後5分で開演です!
久しぶりのミュージカルに胸が高鳴ります!!!

手塚治虫記念館へ行って来ました♪

「で、宝塚歌劇場じゃないんなら、宝塚には何しに行ったん?」
お土産を分けている私に、同僚の I石氏が尋ねました。

「えぇ~とねぇ、手塚治虫記念館!」
「あはは、アトムを見に行ったんか~!?」

「いやいや、アトムが見たかったわけじゃなくて、、、とにかくいいところだから、一度 お子さん連れて行ってみなよ~。
私、10年くらい前にも行ったことがあって、これで2度目だったんよ。」

「ぷはっ! 2度目~?」と笑うI石氏。
ぷっ。 私とI石氏の会話を隣りで聞いていた A山氏も吹き出しました。

結局、話は高知の「アンパンマンミュージアム」に移ってしまいましたので、ここまで。

ですが、本当に本当に『手塚治虫記念館』は素晴らしいのです!!!

*

手塚先生の作品を初めて読んだのが10年ほど前。
それは、当時仲の良かったK君から無理やり押し付けられた漫画「アドルフに告ぐ」でした。

それこそ、手塚作品といえば「鉄腕アトム」と「ブラック・ジャック」しか知らなかった当時の私。
しかも中身は一度も読んだことはありません。アニメも見たことがありませんでした。

けれど、アドルフという3人の人物を要とし、ヒトラーがユダヤ人の血を引くという機密文書を巡っての歴史漫画の勢いに呑まれ、手塚治虫という人物が"漫画の神様"と呼ばれる理由がほんの少し理解できました。

そして、この秋。
偶然、書店で目にした「ブッダ」を手に取り、手塚先生の思想や宇宙観、圧倒的なスケールの大きさにひれ伏したい気分になりました。

そこで、急きょ 宝塚まで車を飛ばしたわけですが、やはり2度目でも大変素晴らしいものでした。

作品全てがそうですが、記念館の至るところで、自然への思いと命の尊さが込められた 先生のメッセージを感じることができるのです。
人間も動物も植物も、宇宙の中の地球の中の同じひとつの生命体だと、気付くことができるのです。

ホント、スケールが違うんですよね~。
改めて感動しまくりの私は、早速 先生の代表作「火の鳥」を購入しました。^^


記念館には大人も子供も大勢 来られていました。

2階に設けられたライブラリーでは、皆さん 夢中で手塚作品を読み漁っていました。
医学部時代の貴重なノートや中学時代の自画像、子供時代に写生した昆虫などなど、漫画家として大成する前の貴重な資料も見ることができます。

G階にはアニメ工房があり、実際に作品を作る体験をさせてくれたり、
こんな施設が近くにある子供達は幸せ者だぁ~って、目をキラキラさせている子供達を見ながら羨ましくも感じました。

ちょっとしたシアターでは、手塚先生にちなんだアニメが放映され、それだけでも心がじわ~って温かくなります。
そう! 先生の作品に囲まれていると、自然と温かい気持ちになれるんです!
先生ご自身が愛情に満ちた方だったのでしょうね~。^^

ここは何度訪れても感動する場所!!
今度、思いっきり笑ったI石氏とA山氏に、はっきりそう教えてあげようと思います。(笑)

今も続くpicchukoのロシア熱っ。

今も続くpicchukoのロシア熱


私のアンテナは、今もロシアに向けて伸びているらしい?

先月11日、産経新聞の『トルストイ没後100年・「共訳」を手がけた日本人に脚光』という記事が目に飛び込んできました。

読み進めていくと、それは岡山県出身の人物だとあります。
そういえば、社会主義・マルクス主義に傾倒し、日本で最初の社会主義政党である社会民主党の結成に幸徳秋水らとともに加わった"片山潜"という人物も岡山の出身。
ここで、ピクピクっと私の鼻が、、(もとい!)アンテナが動いたのが分かりました。(笑)

早速 調べてみると、岡山県倉敷市において、その人物に関する展示があるということが分かりました。
しかも、瀬戸大橋を渡ってすぐ、倉敷市児島です。(有名な美観地区からは随分と距離があります。)
私の町から30kmばかり、同じ香川の高松市へ行くよりも近いのです。

そこで、、いざっ、児島へ!

*

その人物は、小西増太郎。
日本人で初めてトルストイと出会い、彼の葬儀にまで参列したという。
あまり耳にしない名前だけど、どういう人物だったのか。


記事には、
「備前国(岡山)に生まれた増太郎は、東京の神田ニコライ神学校でロシア語を学び、明治20年、26歳でロシアへ。
モスクワ大学で師事した教授の勧めで『老子』のロシア語訳を始めた際、同書に興味を持っていたトルストイと知り合い、共訳作業を5カ月ともにした。
ロシア文学者の中本信幸・神奈川大学名誉教授は、「あるがままに生きるべきだとする『無為』に代表される老子の思想が、晩年、富や名声を嫌って家出するトルストイに与えた影響は大きい。
共訳が、老子への理解を深めさせた側面はあるだろう」と指摘する。」とありました。

増太郎と出会う前から、すでに東洋思想を好んでいたトルストイではありますが、彼との共訳作業でより一層 傾斜が進んだのかも(?)しれません。
そして、その思想が家族に理解されず、ソフィア夫人との確執を生み、一人寂しく冬の鉄道駅で最期を迎えることとなったトルストイを思うと、何とも複雑ではありますが、
それでもトルストイの言葉から影響を受けた人物が、世界に広がっているのもまた事実。
小西増太郎は、その鍵(?)となる人物なのかもしれません。


増太郎の死後、ある一冊の聖書が発見されました。
徳富蘇峰に托してトルストイから増太郎に贈られたロシア語の四福音書。
それが、今回の展示のメインだったのです。


今も続くpicchukoのロシア熱

「小西君、君が紹介せられた徳富という方が、統ヤスヤナを訪問し愉快に面談した。
同氏に托して、四福音書一冊を君に送った。
同書の中で重要だと思う節々には朱線を引いておいた。まずこの節々を学び、それで根本思想をつくったのち、青線を引いた節々をお読みなさい。
そしてどんな線も引いてないところは、大切ではないから学ぶに及ばぬ。」


今も続くpicchukoのロシア熱

その経緯を、徳富蘇峰が箱に直筆で記しているのがこちらです。

おお! トルストイが手にした聖書が目の前にあるぅ~!!!

薄いガラスを一枚隔てただけの、こんな間近にトルストイによって丁寧に線が引れた聖書があるんだ~!!!

かなり嬉しいぞ~、picchuko☆(笑)

私の他に誰もいなかった展示会場。 しばし、貴重な空間を独占させていただきました。
倉敷らしく、蔵の中での展示です。


今も続くpicchukoのロシア熱



今回、この展示会が開かれた場所が、国の重要文化財であり岡山県指定史跡の「野崎屋旧宅」。

今も続くpicchukoのロシア熱

江戸時代後半、岡山の瀬戸内沿岸に広大な塩田開発を行い、「塩田王」となった野崎武左衛門の居宅です。


今も続くpicchukoのロシア熱

今も続くpicchukoのロシア熱

今も続くpicchukoのロシア熱

今も続くpicchukoのロシア熱
(扇面の石)

なぜこの場所なのかと申しますと、増太郎がロシアへ渡る前にこの野崎家に奉公していたからなのです。
ロシア正教(ハリスト修道会)の宣教師に出会い、その教えに感銘を受けた増太郎は、野崎家を飛び出し、東京のハリスト修道会の神学校を目指しました。
そんな増太郎を、主人であった野崎武吉郎は生涯支援し続けたそうです。


岡山には、世界最古の庶民の為の「閑谷学校」を開いた藩主・池田光政候といい、この野崎武吉郎といい、器の大きな"あしながおじさん(?)"が多かったのですね~。

~アジアの大地に咲いた神々の宇宙~

アジアの大地に咲いた神々の宇宙

『世界遺産 アンコールワット展 ~アジアの大地に咲いた神々の宇宙~』

待ちに待っていた展覧会が岡山までやって来ました。


私が本気で外国に興味を持ったのは、私にとって三度目の渡航先、カンボジアでした。

アンコール・トム南大門の通路両側にずら~っと並ぶ神々と蛇神・ナーガ。
出発直前まで眺めていたその写真は、アンコールワット以上に私の想像を掻き立て、
今でも 当時の興奮を 鮮明に覚えています。
まるで太平洋に沈む伝説の大陸「ムー」を探しに、picchuko率いる探検隊が はるばる南の国まで赴くような、そんな錯覚すら感じていたのでした。(笑)

そして、密林から一気に姿を現したアンコールワットを見上げた時、一瞬 身体中に電流が走り、言葉を失い、自分とアンコールワットとの奇跡の出会いに涙を呑み込んだほどでした。


もう一つ、私にとってカンボジアを特別にしてくれた存在が、一対一でガイドをしてくれた見習い青年「サムナンくん」。
('07.12.14日記) ('08.04.28日記)
彼との出逢いによって、カンボジアだけでなく、世界とは本当に素晴らしいものなのだと教えられたように思います。


*

そのカンボジアの神々が日本へやって来る。
しかも、上智大学創立100周年記念事業として、約1年半もの永きに亘り、日本各地を巡回する。

2001年、それは私がカンボジアを訪ねた次の年のこと。
「上智大学アンコール遺跡国際調査団」が、バンテアイ・クデイ遺跡において、千体仏石柱と274体の廃仏を発掘しました。

また2007年には、アンコール遺跡群の拠点であるシェムリアップに「シハヌーク・イオン博物館」が開館しました。

私は当時の感動を思い出し、次回のカンボジア訪問を期待しながら、
「早く来い! 岡山へ来い!」と今か今かと楽しみにしていたというわけです。^^

*

上智大学の石澤良昭学長は、アンコールワット見たさに20歳そこそこでカンボジアを訪れ、
そこでアンコール遺跡群に魅了され、現地の遺跡調査団と共に活動を始めました。
しかし、その後に待ち受けていたのが想像を絶するあの内戦。
(今もその傷跡は、遺跡の至る所に痛々しく残っています。)

1980年、まだ内戦中であったカンボジアを12年ぶりに彼は訪ねます。
ポル・ポト時代の知識人抹殺政策によって、かつて一緒に働いた同僚だった遺跡保存官36人のうち、3人以外は全て殺害されたことを知り、
仲間の無念さに報いる為にも、カンボジア人の手による遺跡の発掘、修復を目指し、人材育成に力を注ごう、と決意されたそうです。

石澤学長は次のように仰っていました。(DVD 映像ですが、、、。^^;)

「当時、共に活動していたカンボジア人の仲間が言ってたんですよ。
カンボジアの風土に生まれ、カンボジアの水に触れ、風に触れ、雨に触れた我々カンボジア人の感性の結集がアンコールワットを生み出したと、、、。」

きっと、昔 夢を語り合った友人のこの一言が、石澤学長の中に深く刻まれていたのではないかな。
多くを語ってくれた石澤学長の言葉の中で、最も私の心に響いてきた台詞でした。

それを肌で感じるには、当然のことカンボジアの地を踏み、遺跡そのものに触れる以上にないけれど、
海を越えて運ばれてきた アンコール王朝最盛期の彫像作品は、それでも何かを語りかけてくれるはずです。

*

私は、仏教もヒンズー教も、それらの仏像についても全く無知ですし、
まして インドや中国の仏像、その他 ギリシャなどの彫刻との比較なんて、そういった細かい部分までは全く分かりませんけれど、

どの彫像も、一度 どこかでお会いしたような、そんな親しみのあるお顔をされていて、前に立つだけでもの凄く癒されました。

ヒョウキンなお顔のガネーシャも忘れてはいけませんね。
思わず笑みがこぼれます。^^


個人的には、リーフレットの表紙を飾っている菩薩様のご尊顔が、
正面から拝すると、以前 私が老人デイサービスセンターで勤務していた頃に仲良しだった ハルコさんというお婆さんにそっくりで、思わず声を掛けそうになりました。(笑)


そして、「鎮座する閻魔大王ヤマ天」。

アジアの大地に咲いた神々の宇宙

こちらは、"三島由紀夫が戯曲の題材にしたという砂岩の丸彫による大彫像" と説明にあるほどの閻魔様ですが、とても穏やかで素朴さすらも感じられるそのお姿。
今回の展示場の中心に置かれておりました。

前からのお姿の写真しかなくて非常に残念ですが、後ろ姿こそバランスの取れた いいスタイル!
とりわけ お尻のふっくら感に、「触ってもいい~?!」と(ご本人に)尋ねてみたくなったほどです。(爆)

他のアンコール朝の仏像のお尻が貧相なだけに、余計にそう思えてしまいました。^^;



すでに5会場で開催済みの この展覧会、まだまだ全国を巡回します。

岡山県立美術館では来月の5/30(日)まで。

群馬県立近代美術館   6/5(土)~7/7(水)
福岡市博物館       7/10(土)~8/29(日)
熊本県立美術館      10/19(火)~12/5(水)
大分県立芸術会館     12/11(土)~2011年1/23(日)

ミス・ポターと日本の春。

宍道湖畔に建つ島根県立美術館。

3月最後の土曜日に、私は瀬戸大橋を渡って はるばる島根県松江市まで『ビアトリクス・ポター展』を観に行きました。

ビアトリクス・ポターとは、絵本「ピーターラビットのおはなし」で世界中に知られる絵本作家であり、
またイギリスの美しい自然をこよなく愛し、農業生活や自然保護運動の推進者でもありました。

リーフレットから抜粋すると、
今回の展覧会は、そのビアトリクスの絵本作家としての活動とともに、これまで知られてこなかった優れた水彩の風景画、動植物画を中心に、スケッチ、貴重な初版本、映像などによって彼女の画業を振り返るものです。


厳格な両親の元で育ったビアトリクスは、子供のころから小動物や昆虫の写生を好みました。
学校に通わず家庭教師に学んだ彼女には同じ年頃の友人はおらず、ペットなどの動物が 何より大切な友達だったのです。

それを単なる友達で終わらせなかったところが、彼女の並み外れた才能だったのでしょう。

その細かく鋭い観察力は、後に解剖学的な精確なデッサンまで描くようになり、
キノコについてなどは、繁殖の実験と研究まで行って、研究論文を学会に提出するという熱心ぶりだったそうです。
そのとことん追求する性格は、例えば犬の頭骨をスケッチするほどまででした。
(その絵とリアルな蜘蛛のスケッチには、正直 一瞬ひいてしまった私です。^^;)

そんな彼女の一面を知って、子供時代に昆虫や科学に興味を持って 細かく写生していた手塚治虫先生を思い出しました。
やはり 何かに秀でている人は、小さい時から゛見る目"を鍛え養っているのですね。

ただ当時(19世紀末)としては、一風変わった女性であったことは間違いないですし、
それは映画 『ミス・ポター』 からも良い意味で窺えます。^^


彼女の作品の中で、とりわけ私の興味を惹いたものが、16歳の時に水彩で描いた「ぶどうと桃の静物」という作品でした。
果物の瑞々しさはもちろんのこと、木からもぎ取られた静物たちも、自然が生み出した確かな生き物だということが画面いっぱいに輝いていたのです。


そうそう、もう一つ心に残ったことは、
「ピーターラビット」という有名な一つのウサギの物語は、もとは彼女が家庭教師をしていた病弱な男の子の為にお話を作って贈ったことがはじまりだということ。

あの今にも絵本から飛び出してきそうなピーター達の愛らしさの中には、彼女の思いやりがぎっしり詰まっていたんだなって、
物語の誕生からして微笑ましいものだったんだなって、今回 初めて知りました。



この展覧会は、4/12まで島根県立美術館で開催された後、

4/23~5/23   北海道立旭川美術館、
6/4~7/11    新潟県立万代島美術館
7/17~9/5    郡山市立美術館 
9/16~10/24  下関市立美術館
                         を巡回致します。


英国の湖水地方とスコットランドは、私にとっても以前から訪れたい場所の一つでしたが、
彼女の自然を愛する気持ちと、彼女の描いた生き物達に出会える日を楽しみに、ますます夢を膨らませておこうと思います。^^


* * * * * * *


少しだけ <おまけ> 画像を。

花冷えがひどかったこの日、
島根までおよそ3時間の運転の途中、立ち寄ったサービスエリアから眺めた岡山県北・蒜山(ひるぜん)の雪景色。

ミス・ポターと日本の春
(本当は、鳥取県米子市近くで 雪を覆った美しい大山が姿を現わしてくれたのですが、写真を撮る機会を失ってしまい、それが非常に心残りです。)


こちらは、4月頭に足を運んだ、徳島県鳴門市の「ガレの森美術館」にて。
小さな美術館ですが、ここではフランスのアール・ヌーボーを代表するガラス工芸家「エミール・ガレ」の優美な装飾芸術を堪能できます。

ミス・ポターと日本の春
(この像は、エミール・ガレとは関係ありませんので、あしからず。)


そして、毎年3月下旬から5月31日まで吉野川上空を泳ぐ、徳島県大歩危峡の「鯉のぼり」たち

ミス・ポターと日本の春 ミス・ポターと日本の春

少し風がキツかったせいもあり、渓谷美を背景に いつになく大きくはためいておりました。

ミス・ポターと日本の春

笠岡生まれの竹喬(ちっきょう)さん。

笠岡生まれの竹喬(ちっきょう)さん
≪ 田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな ≫


「岡山のどこへ行きたい?」
ほぼ10ヶ月ぶりに会う 親友M子が、メールでそう尋ねてきました。

「岡山市から笠岡って遠い? 
笠岡市立竹喬美術館で『生誕120年 小野竹喬展』をこの14日までやってるんだけど、、、。」

「picchuちゃん、いいところに気が付いたわね~。
私、1月にその美術展へ行って、とても良かったから、もう一度観に行きたいな~って思ってたの。」

* * *


ブダペスト旅行記の途中ではありますが、
先日 鑑賞した小野竹喬展について、先に記しておきたいと思います。^^


明治22年、岡山県笠岡市において、日本画を代表する画家・小野竹喬は生まれました。
その生誕120年を記念して、10年ぶりの大回顧展が開催されているのです。


昨年の11月のこと。
ブログ仲間のsakura由子さんが、大阪で開かれたこの展覧会について日記で紹介されておりました。

小野竹喬?
日本画家に詳しくない私は、過去にその名前を聞いたこともありませんでした。
由子さんがアップして下さってる数点の絵画にどことなく惹かれ、少し竹喬さんについて調べてみました。

そこで、私の住む香川県のお向かいさん、岡山県出身だと知りました。
しかも笠岡市と海を挟んだだけの、すぐその向こうが私の住む町なのです。
不思議とそれだけで親近感が湧いてきました。^^

そして、セザンヌの影響を受けたという竹喬さんですが、
私にはどこか竹久夢二の世界にも通じる何かを感じて、同じ郷里の誼かな~、なんて思ってしまいます。^^

その回顧展が、現在、彼の故郷である笠岡を巡回中です。


雨降りにも関わらず、笠岡市立竹喬美術館は大賑わい。
皆さん、竹喬さん独特の柔らかい絵に癒されたかったのでしょうか。

どの絵からも温かい人柄が窺い知れて、とても心が和みました。

きっと竹喬さんは欲のない、素直な方だったのでしょうね~。
観ていて、気持ちがす~っとしてくるのです。
明るい青色や淡い茜色など、その色遣いも印象的で、、、
竹喬さんの優しい視線の先にある、ごく当たり前の風景に少し頬紅を加えたような、そんな可愛い感じがします。^^

もちろん、それだけが竹喬さんの作品ではありませんけど、そういう部分が特に私の中に残りました。
(もしかして、私の心は疲れてるのかな?)


そして、彼の晩年の代表作となる『奥の細道句抄絵』の、松尾芭蕉とのコラボレーション(?)が私的にはヒットでした。
これまで、感性の乏しい私が芭蕉の句を読んだとしても、さほど心に響くものはなかったのですが、
竹喬さんの絵とともに見る数々の句に、さすがは、芭蕉!としばし唸ってしまいました。(笑)

私にとって、俳句だけでは感じ得ることができなかったもの、絵だけでも何か足りないものを、
2人の世界が上手く融合して、その情景が心にしっかりと届いてきましたよ。


なかなか見ごたえのある展覧会、
この2/14(日)まで笠岡市立竹喬美術館で開催された後、
お次は 3/2(火)~4/11(日)まで、東京国立近代美術館で楽しめます。


笠岡生まれの竹喬(ちっきょう)さん
≪ 暑き日を 海にいれたり 最上川 ≫



<おまけ>

「竹喬さんの絵を見た後は、あぁ、やっぱり笠岡の景色だって思うよね~。」
美術館を出て、少し車を走しらせた頃、M子は言いました。

ちょうど私も、まるで竹喬さんの絵みたい、、、と車窓から眺める笠岡の風景にそう感じていました。
二人で同じこと思ってたんだ。^^

けれど、花より団子の私達。(笑)
「picchuちゃん、妖しいカレー屋さんに行きたくない?」というM子の一言で、
ランチお預けで竹喬さんの世界に浸っていた私達も、一路 倉敷にあるインド料理屋さんへと走りました。

実はこの日、私にとって生まれて初めてのインド料理だったのです☆
店の扉を押した途端、ぷ~んと妖しげなお香の香りが漂ってきて、竹喬さんの純日本からインドへと一気に空を飛んだようです。^^

「もう、おなかペコペコだよぉ~!><」
そこで、少し早目のディナーコースを頼みました。

「ラッシー。」 
インド人らしき店員さんは そう言って、まずはドリンクを運んできてくれます。

何も分からない私は、「ラッシー」が挨拶の言葉なのかと勘違いしてしまいました。
彼女につられて、首を傾げながら笑顔で「ラッシー」と答えてみました。(恥)

「picchuちゃん! ラッシーって、このジュースの名前だよ!(><)」
きっと私よりもM子の方が恥ずかしかったに違いありません。(苦笑)

それにしても、インド料理はもの凄~く美味しかったです!!
スパイスが効いてるのかな~、身体の内側から暖かくなって、一日経った今でもお腹に温もりを感じています。
また食べに行きたいなぁ~。             

笠岡生まれの竹喬(ちっきょう)さん

「きっと、あの人達はネパール人よ。」とM子。
「え? やっぱりインド人でしょう…。」
「いいや、岡山には沢山のネパール人が来てるから、きっと彼らはネパール人だって。」

美味しい料理が食べられるのなら、彼らがインド人であろうが、ネパール人であろうが、私には全く問題ありません!(笑)


〈インドレストラン&バー マタ〉
岡山県倉敷市宮前356-1
086-421-7344
http://indianrestaurentmata.com

ハプスブルクゆかりの2つの展覧会。

池田理代子さんの「ベルサイユのばら」だったでしょうか、私がマリー・アントワネットを知ったのは…。
それは、私が高校生の頃にテレビで再放送されたのがきっかけでした。

それから10年あまり経った 2000年1月。
パリ・ベルサイユの旅から帰国した私は、遠藤周作さんの著書「王妃 マリー・アントワネット」を読み耽っておりました。
そこで知った彼女の祖国、オーストリア。
名門ハプスブルク家も、母であるマリア・テレジアという大女帝についても、その時 初めて知ったように思います。

それから4年後、私はカフェの本場・ウィーンで美味しい珈琲が飲みたい、、、という単純な理由でウィーンへと出掛けます。
そこで外せないのが、定番の観光名所「シェーンブルン宮殿」。
訪れるまでは、きっと幼少時代のマリー・アントワネットの面影を感じられる場所なんだろうな~、くらいにしか思っていませんでした。
そして、それを期待していました。

ところが、そこでの主役は皇妃エリザベートだったのです。

誰? この綺麗な人???
彼女の存在を知らなかった私は、シェーンブルンで初めて その美しさに出会ったというわけです。

* * * * * * *


1月から開催中の、京都国立博物館の『THE ハプスブルク展』でも、岡山県立美術館の『華麗なるオーストリア大宮殿展』でも、かなりの人出で賑わっていました。


ハプスブルク家の今日の人気は、シシィ(エリザベート)も一役買っていることに違いありません。

やはり一番人気はシシィの肖像画ですね~。(*^^*)

特に、京都へ来ている星型の髪飾りをつけた見返り美人のシシィ像、その実物を見ることを私も非常に楽しみにしていました。

思ったよりも随分と大きなことに驚き、すでに知っていながらも その美しさに二度驚き、
しばし言葉を失い、見惚れてしまいます。^^

この人にとっては本望でなかったかもしれませんが、
彼女はフランツ・ヨーゼフではなく、天に選ばれてしまった皇后なのだと、私は思います。
(皇后としての役割を果たしたかどうかは別にして、、、。)

*

そして、悲しいかな、、、
それはフランツ・ヨーゼフ自身も言えることでした。

1896年頃に描かれた「オーストリア元帥姿の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」。
その瞳からは、何とも言えない憂いのようなものを感じました。

ハプスブルクゆかりの2つの展覧会
~THE ハプスブルク展~

部屋の片隅に飾られたこの絵。
シシィや11歳のマリア・テレジアの華やかさとは対照的なこの絵。

会場を回っている時はさほど思いもしなかったのですが、時間が経てば経つほど、じわ~っと哀れのようなものが心に広がっていきました。


1896年ということは、まだシシィは生きていた頃ですが、すでにフランツ・ヨーゼフの弟 メキシコ皇帝マクシミリアンも、長男 ルドルフも失った後です。

愛する妻(シシィ)は相変わらず放浪を続け、すでに欧州きっての帝国は傾きを隠せず、彼は必死で大国を守り続けようとがんじがらめになっていた頃。

この先、まだまだ襲ってくる不幸を予感させるかのような フランツ・ヨーゼフの表情は、どの作品よりも私の中で印象的なものとなりました。


弟の処刑、長男の情死、妻の暗殺、皇太子である甥夫婦の暗殺、
                         そして第一次世界大戦の勃発、、、。
(孫娘の貴賎結婚なんて、まだ可愛いものですね~。^^;)

ホント、もう呪われているとしか思えないような人生です。><

それでも、実質的にハプスブルク家最後の皇帝に相応しい人物は、天から見下ろして きっと彼しかいなかったのでしょう。

私が皇妃だったら、決して寂しい思いをさせなかったのに…、共に時代と戦ったのに、、、
な~んて、最後に冗談でも付け加えておきますね。

平山少年を訪ねて…。

風邪をひいて10日以上になります。

今年の風邪は例年になくしぶといようで、今も鼻がずるずる、、、
  もしかすると新型インフルエンザの方が治りが早いのかもしれません?!


随分と冬らしく、寒さが厳しくなってきました。
皆さまもくれぐれも気を付けて、体調管理はしっかりなさってくださいね。


* * * * * * *

もしかすると、これが風邪を拗らす原因だったのかもしれません。

12日の土曜日、片道2時間のドライブで広島県尾道市瀬戸田町へ行ってきました。

そこは、瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくちじま)。
12月2日に79歳でお亡くなりになった平山郁夫画伯の生まれ故郷です。

尾道市に編入されたのは2006年のこと。
市とは名ばかりの、島の斜面にはミカンやレモンの木が生い茂り、海岸線にはヤシの木が立ち並ぶ、いつ訪れても穏やかな周囲20kmばかりの小さな島です。

平山芸術の原点が、その自然豊かな生口島。

平山郁夫美術館で戴いたリーフレットにも書かれてありますが、
「神秘的な潮の流れや群青色の海は、平山少年の心に大きな影響を及ぼしました。
画家・平山郁夫の感性は、瀬戸内の風土に育まれたといえましょう。」

また、戦時中の中学3年生の時に広島市で被爆した体験が、後の作品に大きな影響を与え、『仏教伝来』などの平和を願う作品へと繋がっていきました。
その『仏教伝来』で、平山画伯は注目を集めることになるのです。

そこからシルクロードへ、世界の文化遺産保護へと活動が広がっていったそうです。

その全ての原動力は、平和への祈りでした。

*

画伯がお亡くなりになって10日後、
少し天気は下り坂でしたけど、心持ち体調も回復したかに思えた私は、まるで平山画伯に呼ばれるように生口島へ、平山郁夫美術館へ行くことを決心しました。


現在 秋の時別展として、「平山郁夫 幻想美の世界」が開催中です。
第三展示室には、画伯の文学的素養の研究に裏付けられた幻想画が独特の景色を生み出し、円熟期らしい筆の乗った作品が並んでいました。
これまでよく見てきた シルクロードや世界遺産を描いた作品と通じるところはあるものの、より画伯の内面に入り込んだかのようでした。

*

画家はその1本の線を見つけるために、何千、いえ何万本もの線を描き続けます。

集大成の域に入った作品たちは、確かに画伯らしい穏やかで壮大な世界観で観るものを圧倒させます。
けれど そこに至るまでの何万本もの迷った線こそが、画伯の歴史そのものであり、祈りなのです。

だからこそ、迷いの解けた晩年の作品からは天国にも似た安らぎさえも感じられるのでしょう。


私はそんな迷い悩んだ線こそが美しいと感じました。
そして、迷う前のスランプすら知らない子供時代ののびのびとした作品が愛おしいと思いました。

常設の第一展示室では、画伯の幼少時代から東京美術学校(現・東京藝術大学)入学試験の作品までを見ることができます。

幼いころから天才の素質はあったものの、まだまだ無駄な線がいっぱいの年頃。
上手だけれど、完成はされていない作品たち。
これが非常に面白いのです。
そして、それこそが大いに私を刺激してくるのです。

天才の作品とは、上手下手ではなく、「生きてる」んだなぁ~と感じました。

ただ絵を描くのが好きだった時代から、方向性を模索していた時代にかけて、
その作品たちの中に、今も生きる平山画伯自身にお会いすることができました。


79歳、まだこれからも素晴らしい作品を生み出して戴きたかった、、、
けれど これからは天国で絵筆を握って下さいね。

あらためて、ここにご冥福をお祈り申し上げます。


平山少年を訪ねて
~武者(源義朝)~   1943年、平山画伯13歳の作品です。

古代カルタゴとローマ展。

紀元前15世紀頃から紀元前8世紀にかけて、シリアの一角、地中海東岸にフェニキア人は都市国家を形成し、海上交易を中心に発展しました。

その都市国家の一つであるティロス(現在のレバノン)の王女エリッサは、神官である父王の弟シュカイオスと結婚をし、巫女として仕えていました。

父王は、エリッサと兄のピュグマリオーンが共同で国を治めるように、と言い残して亡くなりましたが、
兄ピュグマリオーンは王位の独占と財産目当てにシュカイオスを暗殺し、エリッサの命も狙おうとしました。

エリッサは忠臣を連れ、ティロスを脱出します。
地中海を西へ西へと進み、現在の北アフリカ・チュニジアの地に辿り着きました。

そこで彼女は、原住民の王イアルバースに「1頭の牝牛の皮が覆えるだけの土地が欲しい。」と願い出ます。
そして、牝牛1頭分の皮を細かく引き裂いて、砦を築くほどの広い土地を得ました。

イアルバースは彼女の才能に惚れて求婚しました。
けれど亡き夫以外の男性を拒んだ彼女は、自ら炎に飛び込み、命を絶つことで貞操を守り抜いたといいます。

そのエリッサが建国した国を、フェニキア語で゛新しい町"を意味する「カルト・ハダシュト」から、『カルタゴ』と呼ぶようになりました。
紀元前814年のことです。


* * * * * * *

岡山駅の駅ビルで少し遅めの朝食を取った私は、その足で゛岡山市デジタルミュージアム"へと向かいました。

只今、『古代カルタゴとローマ展 ~きらめく地中海文明の至宝~ 』が開催中です。


古代史といえばエジプトとローマ帝国くらいしか知らなかった私は、ここで初めて「カルタゴ」という地名を知りました。

入り口で建国にまつわる伝説(↑)を読み、地図で「ティロス」と「カルタゴ」の位置を確認しながら奥へと進みました。


海洋国家カルタゴは、広大な地域の人々を制圧するよりも貿易で富ませ、顧客として育てることで自らも繁栄したといわれています。
アリストテレスも賛嘆した優れた国制、大西洋沿岸をも探検した航海術、美しい工芸品(染色・金銀細工・ガラス製品)でその名を知られていました。

けれど100年にも及ぶ 新興国ローマとの戦い(ポエニ戦争)に敗れ、紀元前146年に滅亡してしまいます。

それから又も100年後、ローマのアウグストゥス帝により再建されたカルタゴは、「北アフリカのローマ」として再び円熟期を迎え、モザイクをはじめとする華麗な文化・芸術を花開かせることとなるのです。


今回の展覧会では、
第一章「地中海の女王カルタゴ」と、第二章「ローマに生きるカルタゴ」の大きく2つの時代に分けて展示されています。

目の前に並べられている発掘品の、その細かく優れた芸術性に溜め息を漏らしながら、丁寧にゆっくりと鑑賞していきました。

見学者の中には小学生も多く、一生懸命ガイドホンに耳を傾けながら、想像すら及ばない世界にワクワクしている姿が印象的でした。
幼い頃から゛本物"に接する機会に恵まれているなんて羨ましいなぁ~、、、子供たちのキラキラした目にそう思いました。^^

この展覧会、子供たちにとってはエジプト展やインカ展などよりも面白いんじゃないかな。^^

細かい調度品や装飾品だけでなく、富裕層などの邸宅の壁や床に施された大きなモザイクには神話の世界や動物などが描かれており、歴史的価値を知らなくても十分に楽しめるものです。
しかもガラス越しではなく そのまま直に展示されていますので、1500年以上も昔の職人の息遣いまでもが伝わってきそうです。


*

以下、会場で買ったポストカードの中から、私の気に入った展示物をご紹介致します。
説明文は公式サイトより。


古代カルタゴとローマ展

(1) 有翼女性神官の石棺(紀元前3世紀)
 棺の形式はエジプト型、傾斜の鋭い屋根形をした蓋はギリシア様式のもの。
 そして横に臥した女性神官の像は、エジプトのかぶりものを身につけ、エジプトの女神イシスやネフティスのイメージを想起させる人物像である。
 まさにフェニキア、ギリシア、エジプトの文化の融合を示し、数多くの芸術的潮流に着想を得た、古代地中海美術の結晶といえる。


古代カルタゴとローマ展

(2) ヴィーナス頭部像(2~3世紀)
 頭部しか残されていないが、裸身の女神が立ち上がり入浴しようとする姿をかたどった、ローマ時代に大変人気のあったタイプのヴィーナス像と推定できる。
 レプティス・マグナ(現リビア)にあるハドリアヌス浴場から非常に類似した作例が見つかっている。


古代カルタゴとローマ展

(3) メドゥーサ(3世紀)
 覗き込む者を石にしてしまう邪悪な眼と逆立った蛇の頭髪をもつメドゥーサのモザイク。
 ギリシア神話にヒントを得た作品であるが、本来は地母神的性格を持ち、豊饒と厄除けを願って描かれたメドゥーサ像は、北アフリカでは非常に好まれたモチーフの一つである。


古代カルタゴとローマ展

(4) バラのつぼみを撒く女性(5世紀)
 チュニス近郊シディ・グリブで発見された私邸の浴場の床を飾っていたモザイクの一部である。
 バラ園を背景に展開され、片方を前に出したその姿は、踊る身振りを示している。
 その形姿、半裸像、バラによって、愛と美の女神ヴィーナスとの関連性が指摘される。

* (1):古代カルタゴ、(2)~(4):ローマ時代のカルタゴ



《ご案内》

2009年10月31日(土)~12月20日(日) 岡山市デジタルミュージアム
2010年1月7日(木)~2月2日(火) 岩手県民会館
2010年2月11日(木・祝)~4月4日(日) 京都文化博物館
2010年4月17日(土)~5月30日(日) 浜松市美術館
2010年7月16日(金)~9月12日(日) 宮崎県総合博物館
2010年10月23日(土)~11月21日(日) 松坂屋美術館

古代カルタゴの至宝は、一年以上も掛けて日本中を巡回するのですね。

あの≪忘れえぬ女(ひと)≫…。

あの≪忘れえぬ女(ひと)≫

* イワン・クラムスコイ ≪忘れえぬ女(ひと)≫

原題は『見知らぬ女(ひと)』。
日本では いつしか『忘れえぬ女(ひと)』と呼ばれるようになる。
それはひとえに、描かれた女性の忘れられぬ美しさに起因する。

1883年に展覧会で公開された瞬間から伝説に包まれる。
ある者は皇帝の宮廷に近い具体的な人物を推量し、
ある者はトルストイの小説「アンナ・カレーニナ」を、
またある者はドストエフスキーの「白痴」のナスターシャを重ね合わせた。
これらの文学のヒロインは、行動と生き方によっていずれも社会のモラルの慣行に挑戦した。

凍てつく冬のネフスキー大通りを「幌を上げた馬車」で行く洗練された装いの貴婦人。
そのポーズも誘惑の眼差しも、その全てが約束事や厳格な行動基準に縛られ乙にすましたサンクトペテルブルクへの挑戦であり、対決ととれる。

クラムスコイは、混乱する当時の社会の中で一体何を訴えたかったのであろうか。
                                 (以上、解説文による)

*

一瞬゛ツン"としたこの表情、どこか見下された印象を抱きそうな この女性。

それでも離れがたくて、何かを秘めているようで、
私はしばらくの間、この女性の前から立ち去ることができませんでした。

顔を擦りよせるほど近くで見上げてみると、気位の高さの陰に隠れたあどけなさ、
そして、うっすらと涙を浮かべた憂いた瞳に気付きます。

解説には「誘惑な眼差し」と書かれてありましたが、
どれほど見ても、その瞳から誘惑を感じることはありませんでした。
混乱する当時の社会をただ憂いているような。。。

ある女性の一瞬の表情を捉えたに過ぎないこの絵ですが、
その瞳の奥にある渦巻いた感情、それらを押し殺して生きる一人の女性の生き様が気高く描かれているようにも思えます。
それは何も彼女だけではなく、そうせざるを得なかった当時の時代そのものを映し出しているようにも思えました。

その謎めいた表情が、「ロシアのモナ・リザ」と呼ばれる所以でしょうか…。

* * *


もう随分前のことになります。
ブログ仲間さんの日記でこの絵が紹介され、それまでロシア美術に触れたことのなかった私が何とも言えない感情の高ぶりを感じました。

音楽にも文学にも秀でた大国ロシアなのですから、美術においても優れた遺産を数多く残しているのも当然のことでした。
ただ どこか冷たく、暗く難しいイメージが強かった為か、これまで敬遠してきたことも事実です。

だからこそ、この絵と出合った感動の大きさには自分自身が一番驚きを隠せませんでした。


いつか本物を観たい。 彼女を間近で見上げてみたい。

想いって通じるものなのですね。
この絵を筆頭にして、
19世紀後半から20世紀初頭にかけての質の高いロシア美術が、モスクワからこの春 日本へやって来ました。

その名も『国立トレチャコフ美術館展 ~忘れえぬロシア』☆

4月に東京の「Bunkamuraザ・ミュージアム」をスタートした この美術展、
続く岩手県立美術館を巡回した後、広島県立美術館で只今 開催中です。

*

私はこの『忘れえぬ女(ひと)』が観たい一心で、広島まで車を走らせました。
そして この絵は、私が過去に出会った名作の中で最も心に残るものとなりました。
気が付けば、彼女の表情が自然と脳裏に浮かび上がっているのです。
この絵とは出会うべくして出逢ったと、そう思わせてくれる時間でした。


もちろん、素晴らしいのはこの絵だけではありません。
展覧会に一歩足を踏み入れた瞬間から、「あ~、これはいい作品ばかりだ。」と思いました。

美しいロシアの原風景に、まるで生きて目の前に立っているのかと思うほどリアルな肖像画たち。

そこに描かれている光は、フランス印象派の絵に見るようなキラキラ眩しい光ではなく、
もっと素朴な、そして暗く厳しい自然の合間に覗かせる安らぎと暖かさが滲み出ているようでした。

自然体でイキイキと表現された人物画には、思わず声を掛けたくなりそうな一枚もありました。



この展覧会は、10/18(日)迄 広島県立美術館で開催された後、

10/24(土)~12/13(日)まで 福島県の郡山市立美術館を巡回します。




<蛇足ですが、、、>

『忘れえぬ女(ひと)』が被っている帽子と、僅かに覗く手袋、
       とってもお洒落なんですもの、、、私も欲しくなっちゃいました。(*^^*)

新しい萩焼の世界。

先月のこと、ブログ仲間のタケ5451さんの紹介で、徳島県美馬市にある素敵な和カフェへ出掛けました。
*タケさん、いつもありがとうございます。 私、すっかり気に入ってしまいましたよ。(*^^*)

そこは単なるカフェではなく、 萩焼をはじめ 砥部焼・有田焼・伊万里焼などの陶芸品が展示され、重厚な箪笥の趣きと畳の温かさが心地よい、和の空間が広がっていました。
ママさんもお洒落で大変美しい方。 その柔らかい物腰が居心地の良さを増しています。^^



そこで私は山口県無形文化財萩焼保持者である大和保男さんの作品に出会い、今まで抱いていた萩焼のイメージが一変しました。
といっても、焼き物に詳しくない私ですから、萩焼といえば 土産品などで見かける無難で大人しいデザインと色合いのイメージしかありません。

萩焼にこれほどの幅があったなんて、その大胆な色彩と技法に驚きを隠せませんでした。


その隣りには保男さんの次男である大和努さんの作品も展示され、こちらも伝統と斬新さとが見事に融合されており、

ここで初めて 焼き物を眺める面白さを味わいました。^^

綺麗だな、見事だな、、、ってそんなレベルではなく、もっともっとワクワクする感じです♪

* * *


その感覚がまだ新鮮な私の手元に、徳島から「萩焼 大和猛展」の案内ハガキが届きました。(↑)

この連休中は私も日本にいることだし(笑)、
ちょうど奈良から母の旧友がお墓参りに帰省しており、美術品の好きな二人を乗せて、またも徳島まで足を伸ばして来ました。

この展覧会の作家である大和猛さんは、大和保男さんの長男です。
名古屋芸術大学彫刻科を卒業され、これまで数々の賞を受賞されています。

ハガキにある言葉を借りると、
「伝統的で素朴な萩焼に、モダンアートの美を取り入れた」作品とのこと。

これからが楽しみな若手作家さんだけに、勢いと華やかさも兼ね揃えていました。



少し頑張れば手が届くお値段のものもありましたが、作品に似合う置き場所がないことに気付き、断念。。。
こうやって、時々 拝見させて戴く方がより一層 楽しめそうです。

見て、見て、見て♪(^^)

見て、見て、見て

「貴女もがんばってますか?」
そうメールをくれたのは、高校時代の恩師・坂田福子先生でした。^^


坂田先生は、私の絵の先生です。 
その昔(笑)、職員室にいる先生の元へ、私の下手なデッサンを見せに 毎週 通っていました。


エネルギッシュな先生の作品は、いつも私に元気をくれます。

先日も、先生が子供たちと一緒に 毎年応募されている「全国かまぼこ板の絵展覧会」の出品作品を、写メールで送って来て下さいました。

先生は大の猫好きです。
その可愛らしい2匹の猫が、まるで水面から顔を出しているかのように、かまぼこ板の模様を上手く利用して描かれていました。

この作品、愛媛県の西予市文化協会長賞を受賞されたそうです。^^


見て、見て、見て♪
ねっ、とっても可愛らしいでしょう~!!(*^^*)


* 先生の愛すべき作品は、'08年 11/10~12の日記にも載せてあります☆

「いないいないばぁ」

「いないいないばぁ」

大学1年生の夏休み、私は初めて「足立美術館」を訪れました。

その時 買って帰ったポスターが、林義雄さんの『こんにちわ』(↑)です。


あれから17年ほど経ちますが、今も玄関に飾ってあります。


小さな男の子とつくしんぼ、そして小鳥や蝶々たちが楽しそうに笑い合う姿が、優しい色合いと溶け合って、なんとも可愛らしい作品でしょ~。^^


*

林義雄さんは、元々 日本画を学んでおられたそうです。
彼の師である蔦谷龍岬氏の死後、童話作家の道に専念されたのだとか。


親しみやすい彼の絵は、たぶん誰しもご覧になったことがあるでしょう。



先日も、その陽気で愛らしい作品を前に、思わず立ち止まって 微笑んでしまいました。


作品名は、『いないいないばぁ』!(笑)

「いないいないばぁ」

「いないいないばぁ」

「いないいないばぁ」

今日もお疲れさまでした。^^

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