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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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スイスへ行こう!

さて、2006年暮れに私はスイス中央部にあるLuzern(ルツェルン)を旅して来た。

その時の想い出は、過去にブログでも綴ったことがあるので 改めないが、澄んだ湖と雪を被った山々は息を呑む美しさだった。


本当は、その年末年始の休みで英国へ行くつもりだった。
ロンドンまでの飛行機も、ホテルの手配も済ませていた。
毎朝 紅茶を飲みながら、英国やアイルランドの音楽を聴いて気分も高めていた。

だが、その年のクリスマスから年始にかけて、IL DIVOも休暇に入るという情報を得る。
もしかしたら、メンバーの一人であるUrsは 久しぶりに実家のあるスイスに帰るかもしれない、、、そんな気がしてきた。

ご存知、IL DIVOは多国籍4人組のヴォーカル・グループである。
その中のスイス人テナー・Ursにとりわけ熱を入れていた。

IL DIVOの活動拠点はロンドンだが、人混みの都会よりもスイスの方が偶然に出会う確率は高いはず、そう思い立った。


スイスへ行こう! 
思った時には、すでに手元のチケットは関空~チューリッヒ間になっていた。(笑)

でも今思えば、Ursに関係なく、昔からスイスへ行きたかったのだ。
子供の頃に好きだったアニメ「私のアンネット」の舞台もスイスであったし、
小学時代に使っていた算数の参考書「学習自在」、その見開きのページにあったアルプスの山々の写真に、私はずっと憧れていた。


Ursはきっかけを作ってくれたにすぎない。


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(2006.12.31)

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スイスの国民食とも言われるジャガイモ料理のレシュティ(Rösti)だが、2つの目玉焼きを乗せるとウルトラマンに変身する。(笑)



あ、当然と言えば当然であるが、スイスでUrsとご対面~は夢のまま。。。(悔)

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皆さまも良いお年を!

*スイス・ルツェルンの朝焼け【'06.12.31】


それは今から3年前、水面の煌めきが眩しい湖畔の街ルツェルンでの思い出です。

とても小さなその街は、見どころだけであれば十分 徒歩で回れます。

前日の夜にルツェルンに到着した私は、まだ道路が凍ったままの朝早くから散策に出掛けました。
その日は、2006年大晦日。

ルツェルン駅を降りると、すぐ目の前に街のシンボルともいえる美しい屋根付きの橋「カぺル橋」が現れます。

その一番の観光名所は、昨晩 ホテルへ向かう途中ですでに渡っていましたので、まずは「ライオン記念碑」へと足を運びました。('08.04.18日記)

ぐっるっと街を半周し、辺りが随分と明るくなった頃に 改めてカぺル橋を訪れました。


せっかくだから、誰かにカぺル橋を背にした私の写真を撮ってもらおう。

まだ夜が明けて間がない時間帯でしたので、あまり人影は見受けられません。
何度も周囲を見回していると、向こうから まるでサンタクロースのような真っ白な長い髭をしたおじいさんがやって来ました。
そのおじいさん、かなりきちんとした身なりをしていました。

「Excuse me,・・・。」
そう声をかける私を見た途端、そのおじいさんはいきなり大きな声で「ニイハオ!」と叫びました。

に、にぃはぉ~?????
一瞬引いてしまった私でしたが、何度も何度も「ニイハオ!」と叫ぶおじいさんがなんだか可愛らしくなってきました。

「私、日本人ですけど、、、。^^」
今でもその時のハッとしたおじいさんの顔が忘れられません。(笑)

ニッ、、、コンッコンィ~チワ~!!!」
なんだ~、おじいさんったら日本語も知ってるんじゃない。(^^;

そして、無事(?)に写真撮影。
おじいさんはその姿が見えなくなるまで、私に向かって「コンィ~チワ~!!!」と手を振り続けてくれました。

*

そして一日を終え、スイス最古のバロック様式のイエズス教会において、その年最後の礼拝に参列した後のこと。
ディナーの前に、ルツェルンにあるもう一つの教会を訪ねてみようと思いました。

ホーフ教会・・・
それはルツェルン市民が多く通うルネッサンス様式の教会で、2本の鋭い尖塔が印象的な建物です。(写真にも写っています。↑)
マリアの祭壇には1500年代のレリーフが飾られ、スイス一の音色と言われるパイプオルガンが見どころです。

その教会の入り口で、、、そこでも礼拝に参列した多くの市民でごった返しておりました。

こちらの教会の方が信者さんが多いのかな~、、、そう思いながら中へ入ろうとしたその時!

「ニイハオ~、ニイハオ~~~!!!」 誰かがこっちに向かって大きく手を振っているではありませんか。
大勢の人の頭に隠れて、高く伸ばしたその手しか見えません。

「ニイハオ~~~!!!!!」 あっ、今朝のおじいさんだわ!
私も苦笑しながら手を振りました。

またもハッとしたおじいさん! 「コンィ~チワ~、コンチワ~!!」
おかしなほど「」が強調されたおじいさんの「こんにちは」が、ルツェルンの大晦日の夜空に響いていきました。。。(笑)

同じ人に二度もお会いできるなんて、小さな街っていいですね。^^



* * * * * * *

懐かしくこの出来事を思い出したのは、
先日 TVで放送された、メンデルスゾーン生誕200年を記念した山口智子さんの旅を見たから。

旅を好んだメンデルスゾーンは、とりわけスイスを、そしてルツェルンを愛したといいます。
オルガン奏者でもあった彼は、このホーフ教会でその美しいパイプオルガンを奏でたことでしょう。

ホーフ教会の内部が紹介された時、そこでパイプオルガンを弾く男性を見てびっくりしました。
後ろ姿ではありましたが、そこにはサンタクロースのような長い白い髭をしたおじいさんが映っていたのです。

もしかしたら、あのおじいさんかもしれない。(*^-^*)
あの印象的な「ニイハオ!」と「コンィ~チワ~!」が脳裏に蘇ってきました。
あのおじいさんだったら嬉しいな♪^^



ハンガリー行きもとうとう明々後日になりました。
そこでも また思い出に残る、素敵な面白い出会いがあればいいなぁ~と思っております。^^

皆さん、この一年も大変お世話になり ありがとうございました。
今年出会った方々も、本当にありがとうございました。

来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 皆さまも良いお年をお迎えくださいませ。

今、晴天のリヒテンシュタイン公国にいます! (from きょん)

*我が大親友「きょん」さんより 【'08.06.22】


私の親友きょんさんは、只今 スイスを添乗中です。
今回、スイスのお隣「リヒテンシュタイン公国」に初めて足を踏み入れた模様。

私が以前に書いた「雨とファドゥーツ(リヒテンシュタインの首都)」の日記を覚えてくれていたらしく、晴天のリヒテンシュタインからメールを送ってくれました。(^o^)/
世界的に有名な"切手の国"に相応しい写真ですね。
きょんさん、ありがとう!!

今はヨーロッパを旅するには最高にいい季節です。
次回は私も青空のファドゥーツと出会いたいな。^^

* * *

実は私の"スイス&リヒテンシュタイン公国"への旅、、、
「ここで命がつきるのでは、、。」と真剣に(?)苦しんだ旅でもありました。


この旅行の出発より約1ヶ月前の'06年11月下旬のこと。
私の働く老人介護施設において、恐ろしき"ノロウィルス"が大流行しました。

何もうちの施設だけではありません。
香川県全般、いえいえ全国的にノロウィルスが蔓延した年です。

お年寄りも職員も、次から次へと感染していきます。
施設はもちろん面会謝絶。
デイサービスセンターでは平成6年開設以来 初めて一時閉鎖という事態にまで追い込まれました。

この悪夢の中、有難いことに事務員である私はノロウィルスにかかることはありませんでしたが、、。

大波乱の末、クリスマスの頃にやっと終結。
しかし、ほっとした私には"ぎっくり腰"の災いが待っていたのです、、。(T_T)
一週間ほど接骨院に通い、腰に腰痛ベルトを巻き、母から腰を固定する下着をもらい、痛々しい姿でスイスへと飛び立ちました。


そんな飛行機の中、後2時間でフランクフルト着陸という時になって激しい頭痛に襲われます。
我慢に我慢を重ねた私は、ドイツ人の客室乗務員さんに薬を頼みました。
アスピリンを飲んで一息ついたのも束の間、次は激しい吐き気に苦しみます。

もしかして、実は私、ノロウィルスに感染していたんじゃないかしら。( ̄○ ̄;)
だとしたら、ドイツまでノロウィルス菌を運んで来たことになります。

どうしよう!
私がヨーロッパ中にノロウィルスを撒き散らすことになるわ!(°д°;;)

せっかく飲んだ薬をもどした私は、顔面蒼白になってフランクフルトに降り立ちました。

不安と心配の中、それでも何とか体調は回復し、無事 スイスのルツェルンに予定通り12/30の19時到着。

きっと私の思い込みで気分が悪くなったんだわ。(^_^;)

次の日は元気にルツェルンを観光しました。

そして、明けて'07年正月元旦。
私はルツェルンからチューリッヒを経由してリヒテンシュタイン公国へと向かいました。

その列車の中、またも気分が悪くなります。やっぱり、ノロウィルスゥ~?

その日に泊まるホテルはチューリッヒ空港のすぐ近くです。
スイスまで来て非常に残念だけれど、今日一日ホテルで休んだ方がいいのかしら、、。(;_;)
苦しみながら迷う私。

しかし、不思議とチューリッヒに着いた時には体調が回復していました。

何とかなりそう。
そう判断をして、大雨のファドゥーツへと入って行ったのです。('08.04.09日記)

びしょ濡れになっての帰りの列車の中、又も気分が悪くなってきます。

やはり異常だわ、、。(∋_∈)
単なる吐き気ではありません。これはノロウィルスなんかじゃありません。

感覚として、身体に血液が回っていない感じ。意識が薄れていく感じ。

頭がもうろうとしていく中、
「あぁ~、私はここで息絶えるのね。
スイスに来たのは大好きなウルスの故郷が見たかったから。
でも私が強烈にウルスに惹かれたのは、ここスイスで命を終えるためだったのかも。。。」

今では冗談のようなこの話、、
その時は本当にそう思いながら、倒れそうな体を 残りの力を出しきって支えておりました。

さよなら、日本。。。。。(T_T)


そして、スイス旅行が終わりを迎えて気がつくのです。

ぎっくり腰で痛めた腰を守るため、しっかりと身体に固定した下着と腰痛ベルトのことを。
これが身体中の血流を悪くしていた張本人。

何故にもっと早く気がつかなかったのだろう。。(>_<)


きょんさんからのメールを見ながら、そんな遠い日の笑い話を思い出しています。^^;

ルツェルンで台湾人・・・。

*ライオン記念碑【'06.12.31 ルツェルン】

~スイスは中立国として宣言する以前から中立的な立場にあったが、生活のために他国で戦う傭兵が相当数いた。
傭兵とは、金で雇われて戦争をするのである。
戦争は理念や理想を守るため、あるいは愛国心からやむを得ず戦争に赴くこともある。
しかしスイス人は、伝統的に金のために戦争に参加し続けてきた。
剛胆な山の民であるスイス傭兵は、ヨーロッパ最強の軍団の誉れを得た。

その敢闘精神の表れは、ルツェルンの瀕死のライオン像にある。
1792年、フランス革命勃発。
パリのチュイルリー宮殿で、民衆に襲撃されたルイ16世とマリー・アントワネット王妃を警護するために、身を挺して玉砕した786人ものスイス傭兵。

スイス傭兵は、雇い主に忠誠を捧げるのだ。
傭兵は国の外で戦うことにより、国内への外敵侵入を防ぐ。
つまり、金を稼ぎながら自国の永世中立を守ってきたのである。
不思議だが、巧妙な国防理念だといえる。~

~戦死したスイス傭兵を、心臓を矢で貫かれた瀕死のライオンになぞらえて、1821年に慰霊碑が完成。
勇敢な彼らを讃えるとともに、戦争の悲惨さを伝えてくれる。
これは、天然の岩に刻み込んだもの。
作家マーク・トウェインは"世界で最も悲惨で心打たれる岩塊"と記している。~
以上、「るるぶ ワールドガイド スイス」より


この悲しいモニュメントに足を運んだのは、スイス到着後の一夜が明けてすぐでした。

キラキラ輝く湖畔を歩き、空に向かって伸びる2本の鋭い尖塔が印象的な"ホーフ教会"を横目に少し坂を登ります。

ライオン記念碑のある広場入り口で、一人の男性がカメラ片手に誰かを待っていました。

一人旅をする私も、通りすがりの人に写真をお願いすることがよくあります。
きっと彼も同じように写真を撮ってもらいたいんだろうな、と思いました。

「私がシャッターを押しましょうか?」

彼は待っていましたと言わんばかりに、笑顔で大きく頷きます。

一枚、ライオン像を背景に写真を撮ってあげました。
すると、彼も私の写真を撮ってくれると言います。

こういうことは よくある話ですので、私もお願いしました。

「もっとライオン像に近づいて写真を撮ろう」、と彼は言います。

その時、ライオン像の前にある小さな池の周りにはアジア系の団体さんでいっぱいでした。
一人旅だと思っていた彼は、その観光客の一員だったのです。
台湾から来たのだそう。

池の手前に立ち、パシャリ。
またも交代してシャッターを切ります。

次に、「一緒に並んで写ろうよ」ということで、彼の友達にお願いをし、仲良く並んで一枚に納まりました。

すると、そのお友達も私と一緒に写ると言い出します。

又もライオン像をバックに、もう一人の台湾男性と並んで写真に入りました。

なんだか有名人の気分?!
訳の分からないまま、パシャリ、パシャリと台湾人のカメラに納まった私。???

彼らはとっても気さくで、そして不思議な人達でした。


おかげでスイス傭兵の死を悼むモニュメントを前にしても、少しも悲しくありませんでした。

ライオン像よりも彼らの濃い顔の方が記憶に鮮明に残っています。

私は予習をせずに旅行に出ることが多い中、ルツェルンだけはウルスの故郷だと"しっかり"下調べをして行きました。
スイス兵の忠誠心に胸打たれるはずでした。
なのにぃ~・・・(^_^)です。

数分間のトキメキ?!

*スイス・ピラトゥス山 山頂より、遠くにルツェルンが見えています。【'06.12.31】


私にとって一番の慰めであり元気の源は、なんといってもウルス・ブーラー(IL DIVO)!!
彼の写真を見ずに、声を聴かずに一日を終えることは決してありません。

そんなウルスの故郷、スイスのルツェルン。
('07.12.19日記)にもルツェルンでの思い出について載せていますが、これはそのほんの数分前のお話です。

無事にピラトゥス山頂まで登ることができた私を前に、雪を覆ったアルプスの峰々が連なっていました。
スイスに来たんだぁ~、と感じた一番の瞬間です。

その年の暮れのルツェルンは、暖冬のために山頂(2070m)でも全然寒くありませんでした。
少し冷たい風が頬をつねるくらいでしょうか、、。

意外にも大勢の観光客。
冬のスイスは、スキーなどを楽しむ欧米人の観光客で溢れています。

皆さん、凍った足元に気を配りながら、その贅沢な絶景にため息を洩らしたり、はしゃいだり。。。

私もしばし その景色に見とれていましたっけ。
あまりにも空が近くて、思わず両手を広げてしまいます。

「ピラトゥス山」・・・
かつてイエス・キリストに死刑を宣告したというポンテウス・ピラトの亡霊がいると恐れられていたピラトゥス。
別の伝説では、大昔に竜が住んでいたとも。
標高はそれほど高くありませんが、天を突くような険しい岩だらけの山容はルツェルン市内からも望むことができます。

いくら暖冬といっても、山の天気は読めないもの。
私は、少し早めに下山をしようとロープウェイ乗り場まで行きました。

「君、下に降りるんだね。」
ロープウェイを管理するお兄さんに声を掛けられました。

「後5分くらいあるよ。お土産でも見てくるといい。」
乗り場からすぐの所に、観光客用のお店があります。

笑顔が眩しく、体格も良く、見るからに好青年のお兄さん。
年格好からして、私と(ウルスと)同年代かしら?

その他大勢の観光客は、まだまだ山頂からの眺めを堪能している様子。
ロープウェイは私とそのお兄さんだけを乗せて、山腹まで下りていきました。

眼下には愛らしい街ルツェルンが見渡せます。
澄んだフィアヴァルトシュテッテ湖も広がっています。

し~~~~~ん。。。。。

狭い空間に素敵なお兄さんと二人だけだなんて、、その沈黙が余計に緊張感を高めます。

「見てごらん。あれがルツェルン。いい眺めだろ?」
沈黙を破ったのはお兄さんから。やはり気まずかったのでしょうね。

「あなたは昔からルツェルンに住んでいるの?」
私も勇気を出して尋ねてみました。

「そうだよ。」
そう言って微笑む彼はなんて爽やか!(*^^*)

~もしや、もしや、ウルスのお友達ぃ~?~
ルツェルンはあまりにも小さな街です。ふと、そんなことが頭をよぎりました。

そうなると、それが気になって気になってたまらなくなりました。
ドキドキ、バクバク。胸の鼓動が高まります。

ウ~、ウ~。。「ウ~ルスのお友達ぃ?」
今にもその質問が喉から出てきそうです。

ウ~、ウ~。。。
バクバク、バクバク。真っ赤な顔をしていることは、自分が一番分かっています。

こんなにトキメキを感じたことは、本当に久しぶりでした。

ロープウェイが山腹に到着するまでの数分間、
私は窓の外を見ながら、ずっと「ウ~、ウ~。」とうなっていました。(心の中で)

さすがに、ウルスの故郷に来てまで恥ずかしいことはしたくないと、自分の気持ちを圧し殺しましたけれど、、。
あのお兄さん、もしもウルスの友達だったなら、、私は一生、いえ生まれ変わってさえも後悔することでしょう。
今となっては、それすら聞くに聞けませんけどね、、。(^^)

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