I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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東風吹かば

七十二候では「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」の今日、皮肉にもこの冬初めての氷柱を見た。


東風吹かば


立春を迎えた4日の朝、香川でもあちこちから降雪のニュースが届く。
とりわけ金毘羅さんのある琴平町では5cmほど雪が積もったようで、そこから来る職場の同僚は一人山奥から出てきたような車を走らせていた。
しかし、海沿いのわが町は一時期吹雪いた程度で終わってしまった。
今冬、雪に苦しめられている方々には大変申し訳ないが、私だって白く染まった景色が見たいと本日、明るい陽射しで溶けてしまわないうちに雪景色を見に出掛けることにした。

この氷柱はその出先で見つけたもの。


行先は琴平町を経由し、菅原道真が4年ほど滞在したことのある綾川町。
そこには讃岐では最も有名な滝宮天満宮がある。
また、内陸になるため香川の中では常に気温が低い場所でもある。


昨年も観梅の為、1月と2月に訪れていた。
確か去年、大宰府より株分けされた飛梅は、1月20日頃にはかなりの花を開かせていた。



雪の中に咲く白梅はなんと絵になるものかと、頭の中に思い描きつつ車を走らせる。



途中、車窓に広がる白い田んぼに胸弾ませながら、琴平を過ぎて東へと折れる。
そこから走ること15分ほど、悲しいかな段々と雪は減り、天満宮では道路脇でさえ雪はなくなってしまった。

ああ、残念。
だが、それは梅に雪だけではなかった。
やはり寒さ厳しい今年、梅の開花も大幅に遅れてしまっているらしい。
境内に150本ある梅の木は、どれも蕾のまま立春を迎えていた。


東風吹かば



東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな


東風はまだか。
梅の花はまだか。


東風吹かば

せめて2年続けてのお詣りなら、少しは賢くならぬものか。



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立春を前に

早春賦にあるように、この立春には再び寒波到来ということで、まさに「春は名のみ」と暖かさはしばらくお預けになりそうだ。

しかしニュースの騒ぎ用に比べると、瀬戸内沿岸のわが町は今のところ「言うほど寒くない」。
しばらく発熱に悩まされた私だが、今朝は早くから拭き掃除をした。


久々に気分よく迎えた朝、本当は四国霊場第七十五番、弘法大師生誕の地である善通寺をお詣りしたいと思っていた。


ふと昨日のデイサービスでの朝の会話を思い出す。
「みなさん、地元の美味しいものってなんですか?」 相談員がご利用者さん全員にそう尋ねる場面があった。

「熊岡のカタパン!」
ご利用者さんだったか職員だったかはっきり覚えていないのだが、誰かが「あれは名物やなあ」とつぶやいた。

その「熊岡のカタパン」とは、広大な善通寺さんの東院伽藍と西の誕生院を繋ぐ参道と垂直に交わる細道を折れるとすぐにある菓子店のこと。
お遍路さんもよく見かける。
そして大正時代の建物は、旧金毘羅街道だった当時の面影を今も残している。
その姿は、素朴なカタパンの味そのままである。


立春を前に



小麦粉と砂糖を練り上げて焼いた「カタパン」は、口に入れると生姜の味がする。
堅いのでなかなか噛むことはできないが、口に含んでいる時間も楽しませてくれる。

それは明治29年の創業時、兵隊さんの軍事食糧として考案されたものらしい。
善通寺市には陸軍第十一師団があった。



ああ、善通寺さんをお詣りするなら「熊岡のカタパン」へも立ち寄ろう。



母にそう伝えると、「父さんが調停委員をしてた時、善通寺の簡易裁判所に行ったついでによく買ってきてくれてたわなあ」と言う。
なんでも父さんとの思い出に繋がるのかと、思わず微苦笑した。


昔はガリガリ噛んでいた母だったが、「一番堅い石パンは遠慮するわ」とずらり並ぶ陳列ケースを前に弱気を見せる。

確かにテレビでも「日本一堅いカタパン」と紹介されたくらいだから、八十を過ぎた母に無理強いはすまい。
しかし、やはり私は石パンに挑戦せねばなるまい。
もちろん初めて食べるわけではないのだが、あまりにも久しぶりということもあり、石のごとく堅い石パンが懐かしくなった。



「石パンを100g、小丸パンは10枚、、、」

昔から使い続けているその古びた陳列ケースを眺めながら、
「あそこのえびせんも美味しいよなあ。添加物が入ってないけん、子供が小さいうちから食べさせられてええわ」と言っていた昨日の相談員を思い出した。

「あ、あとえびせんも。」


立春を前に



メインが「熊岡のカタパン」になってしまったので、善通寺さんへのお詣りはまた今度。

久々に石パンを口の中に放り込み、歯が折れないように柔らかくなるまで舐めてから噛んでみた。
砂糖の甘さと生姜の味が口いっぱいに広がる。
それでも「熊岡のカタパン」、やっぱり堅い。




明後日が立春ということで、本格的に平成三十年がスタートする。
小さな小さな目標として、毎日15分、大嫌いな漢字と、これまた大大大っ嫌いな英単語を勉強することに決めた。
まずは乏しい語彙力を増やしたい。


讃岐づくし

大寒のこの時期、人がまばらなこの場所をゆるり歩くのが好きだ。

今年は例年に比べても寒さ厳しく、ニュースから流れる遠方の大雪に震えている。
こちらは有難くも雪はなく、他県ほど冷えこみもキツくはないが、それでもひときわ寒さが応える。

その中にあって、ほんの少し寒さの緩んだ昨日の午後、私は一人栗林公園を訪れた。

讃岐づくし

讃岐づくし

梅もちらほら咲き始めている。
これほどまでに冷たいと、春はまだまだ遠いところに感じてしまうが、膨らんだ蕾は私たちより一足早く春の気配に気づいているのかもしれない。


讃岐づくし

讃岐づくし

讃岐づくし


ぴんと張り詰めた空気の中で見る松の緑は、年が明けてひと月足らず、すでに弛んできた私の心を正してくれるかのよう。

心が浄化される気がする。

2時間ばかりのんびりと身を置いた。


そして、冷えた体は讃岐のあん餅雑煮で温めよう。

といいつつ、昨日は先にお腹の中を温め済。
おかげで寒さを感じることなく一歩一景を楽しめた。


讃岐づくし


讃岐のあん餅雑煮。

それは、出雲地方の小豆雑煮と京都の白味噌雑煮が一緒になったような実に不思議な存在である。
出雲地方から伝わった小豆の食文化は、餅の餡として変化し、汁は京文化が伝わり白味噌仕立てになった。

味噌汁の中に餡餅が入っていると考えると、それだけで違和感を覚える人もいるだろうが、白味噌との相性は思いのほかよい。
白味噌といっても京都の西京味噌のように甘くはなく、どちらかといえば辛め。
餅をかじって中から餡が出てきて、それが煮干しの旨味がでた出汁と渾然一体となる。
これが、なんとも旨いのだ。


讃岐づくし


古い雑誌にはそんな風に紹介されていた。



これは、もう罪。

この美味しさは、もう罪だと思う。

しまなみ海道への道中、石鎚山SAで買った愛媛ブランド『紅(べに)まどんな』。
このSAのマルシェでは、季節ごとのみかん生しぼりジュースを楽しめるので、よく立ち寄る。
そして少し割高にはなるだろうが、ここで買うみかんはいつも満足できる美味しさでおススメだ。


この時期、近ごろは当然のこと紅まどんながずらりと並ぶ。
「樹になるゼリー」と評される紅まどんなはオレンジ色の見た目も美しい。


マルシェを一巡しながらも目はを追う私に気づいたのか、店員さんが声を掛けて来る。

「私も柑橘類で一番紅まどんなが好きです。」


「贈答用なら紅まどんながよろしいかと思いますが、ご自宅用でしたら媛まどんなで十分ですよ。」

「でも、は外れもあるんですよね。」


紅まどんな』には同品種に『媛まどんな』がある。

以前私はこの店で、はJA全農えひめが扱っている商品で 一定の品質基準をクリアした外れのないもの、の方は当たり外れがたまにあると教わっていた。

「確かに、紅まどんなは厳しいチェックに合格したものばかりなので間違いはないですが、の方も美味しいのを見分けるコツがあるんですよ。」

「触ってみて、なるべく柔らかいのを選んでください。」

お店の方が持ってきてくれた、少しぷよぷよ感のある媛まどんなを手に取った。

「これは熟して柔らかいわけではないんです。」
「このは決してに負けない味だと思います。」

一個1000円近くはする紅まどんなと比べると低価格で迷いなく手を出しやすい。
私は手にその感触を覚えようとした。


「じゃあ、媛まどんなを・・・」
と私がレジに向かおうとしたとき、「どちらもください」と背後に母。

「そんなにいっぱい買ってどうするの?」
「美味しいんだから、両方買ったらいいじゃない。」

「この時期なら、常温で2週間くらいはもちますから」と、店員さんも母を後押し。




これは、もう罪



しかし、美味しい。
ほんと、この美味しさは、もう罪じゃないかと思ってしまう。

好き好きだろうが、私は『まどんな』を食べてしまうと、昔大好きだった『せとか』をはじめ、どのみかんも残念に感じてしまう。


そして、愛媛県人のみかんに対するプライドに、毎度感服する瞬間。

日本総鎮守参詣

三年連続、古代より日本総鎮守と尊称される大山祇神社を参詣。


日本総鎮守参詣


御祭神は大山積大神。
風光明媚なしまなみ海道の真ん中、ここ愛媛県は大三島に鎮座したのは推古天皇二年、594年と伝えられている。

大山積大神は山の神であり、海の神、産土の神。
全国にある大山積神(大山祇神)を祀る神社の総本宮でもある。


朝廷より日本総鎮守を下賜され、天皇や多くの武将がこぞって宝物を奉納するような由緒ある神社が何故このような瀬戸内の小島にあるのかは学者さん達に任せることとして、日本の古い歴史に想いを馳せここに立つとき、なるほどなと思はざるを得ないのも確か。


日本総鎮守参詣


神社の周りには国の天然記念物に指定されているクスノキ群があり、樹齢2600年の御神木をはじめ、日本最古の楠「能因法師雨乞の楠」は伝承樹齢3000年といわれている。

日本総鎮守参詣

日本総鎮守参詣

残念ながら雨乞の楠は現在枯死しているのだが、まるで彫刻のような美しさで、私は何度出会っても感動する。
日本の総氏神さまにふさわしい老木に、身の引き締まる思いと安らぎとの両方の思いを抱いてしまう。
そして、私にとって大山積大神さまを身近に感じられる場所でもある。

大山積大神は霊峰富士の御山に鎮座するコノハナサクヤヒメの父神にあたる。
昨年、富士山と縁のある一年になったのも初詣にここ大山祇神社を参詣したおかげかもしれない、とふと思った。
ならば、今年もと思ってみたり。
もう一度富士山を訪れる機会があればその時は、コノハナサクヤヒメを祀る富士山本宮浅間大社にも足を運んでみたい、そんなことを思いながらの帰り道となった。


日本総鎮守参詣

日本総鎮守参詣


そして、大三島に来たらやっぱりこれでしょ。
神島(みしま)まんじゅう。
出来立てをホクホクと戴く幸せ。
お店の方は村上水軍の末裔なのか?、店の名に気づいたのも帰り道。
次回、尋ねてみようと思っている。


皆さま、あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

明日は七草がゆの日ですね。

雨滲むこんぴらさん。

お練りも三度目となると、場所取りもなかなか巧くなる。

雨滲むこんぴらさん

金丸座にて明日から始まる、琴平は春の風物詩「こんぴら歌舞伎大芝居」。
今日は14時からお練りが行われた。

雨滲むこんぴらさん


今年の座長は片岡仁左衛門さんということもあり、金刀比羅宮の沿道は多くの人でごった返す。

普段からこんぴらさんへと続くこの界隈は独特の趣きがあるのだが、歌舞伎役者の幟が立ち並ぶこの季節、とりわけ情緒あふれる景色となる。
特に桜の開花が遅れた今年は、こんぴら歌舞伎と桜の見ごろがちょうど重なり、より一層雰囲気を盛り上げる。

お練りはそれらを肌で感じられる上に、役者さん達を間近で見られる最高の機会。
ましてや人間国宝の仁左衛門さん。
これまで歌舞伎を見たことのない私でさえ、つい足を運びたくなる。

その仁左衛門さんが現れた瞬間「お年を召されたな」と思ったが、柔らかく優しいお顔がなんとも心に残って私までもがほんわかした気持ちになった。

今回の演目は、仁左衛門さんの得意とする「矢口渡」と「お祭り」。
どんな舞台が日本最古の芝居小屋で繰り広げられるのか、実は初めてチケットを入手できた私は今からわくわく楽しみにしている。
お練りで見せた表情と舞台に立つ姿と、両方見られるなんて贅沢な話だ。


雨滲むこんぴらさん


せっかくだから桜を観て帰ろう。
お練りの余韻に浸りながら、本宮へと続く参道を登って行く。

桜咲くこんぴらさん、雨に滲むこんぴらさん、しっとりとしたいい感じだった。

桜はやはり日本の景色に合うのだなあ。
優しい雨に濡れる桜も綺麗だなあ。

心までがしっとりと、桜の下、雨滲むこんぴらさんはまるで仁左衛門さんの柔らかいお顔のような雰囲気。


雨滲むこんぴらさん

雨滲むこんぴらさん

雨滲むこんぴらさん






滝宮→京都→大宰府の順で。

梅の香りに誘われて、天満宮を訪れた。

香川県綾川町、滝宮天満宮。

滝宮→京都→大宰府の順で

こちらは、菅原道真公が讃岐の国司として四年間住まわれた場所。

道真が地方で政権を取った唯一の地なんだとか。
此処での経験を活かして後に大出世した由縁で、ここは立身出世の登竜門と云われている。

滝宮→京都→大宰府の順で参拝するといいのだそう。

滝宮→京都→大宰府の順で

滝宮→京都→大宰府の順で


拝殿前には太宰府天満宮より株分けされた「飛び梅」がちょうど満開を迎えていた。

白梅のかぐわしい香り。
春には桜もいいが、この香りを嗅ぐと背筋がすっと気高い気分になる。

滝宮→京都→大宰府の順で

滝宮→京都→大宰府の順で

滝宮→京都→大宰府の順で

毎年、この時節には栗林公園の梅林を訪ねるのだが、今日はこちらに足が向いた。

不思議だ。
天満宮の梅と思うだけで、一段と凛々しく趣きが違って見える。

出世に興味はないけれど、ここ滝宮を参拝した今年はせっかくなので機会があれば京都と大宰府にもと思っている。


滝宮→京都→大宰府の順で

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う。

「節分の夜、こんぴらさんで小豆粥の接待があるよ。」

そう教えてもらった私は、次の日が仕事だったにもかかわらず、夜のこんぴらさんへ登ることにした。

こんぴらさんとはお馴染み、香川県琴平町にある金刀比羅宮のこと。
わが家からは20分ほど車を走らせた処にある。

地元の方の話では、そのこんぴらさんで年に三回、旧正月の前日と節分の夜、そして大晦日に小豆粥が振る舞われるとのことだ。

節分と言えば豆まきや恵方巻、小豆粥といえば小正月なのだろうが、白い息を吐きながら長い石段を登って小豆粥を戴く節分も悪くないと思った。
もちろん、こんぴらさんでも豆まきを行う節分祭もあり、それは午後5時より執り行われる。
小豆粥の接待は夜の10時からで、それを食すると邪気を除くとされるそうだ。


最近のこんぴらさんは奥社参拝を推しているのか、今年から新しい天狗守りが売り出され、「奥社はパワースポット」と書かれたポスターが至る所で目についた。
何故天狗なのかというと、奥社の西側は断崖となっており、そこに天狗とカラス天狗の彫物があるからだろう。

表参道を行くと、御本宮までは785段、奥社までなら1368段の石段を登らなくてはならない。
讃岐に住む私でも、奥社はこれまでに二度しか参拝していない。

しかし、小豆粥を頂ける接待所は神馬を飼養している御厩前の広場、だいたい400段目に設置される。
先日も表書院で円山応挙の障壁画を観るため430段ほど登ったばかりだったので、それなら貧血ですぐに息が上がる私でもなんとか登れるだろうと思った。

午後8時半、こんぴらさんの麓から登り始める。

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う

その夜、私と友達2人以外ほとんど人影はなく、暗くひっそりとした石段が続いていた。
夜のこんぴらさんは初めてだった。

普段の日は、巨大イノシシが出没するため夜間参拝は控えるよう申し渡しされている。

「もう200段目くらいかな。」
息切れがし、重い足を引き摺りながら顔を上げると「100段目」の文字。
なかなかキツイ道のりである。

御厩前の広場に近づいて、やっと人の気配を感じ始めた。
子供も数人元気に声を出して走り回っている。

ゆっくりと登ったので、午後9時頃接待場所に到着した。

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う


10時より早い時間であっても小豆粥が出来ていれば早く戴けると聞いていたのだが、その日の接待係は時間厳守の方のようで、それから1時間待たされることとなる。

風もなく、厚着のおかげで寒くもない夜だったが、さすがに冬空の下でただ待っているのはつらい。

そこで御本宮を参拝しようと決意した。
ただの参拝なら決意のいることではないのだが、あと385段の石段がそれを要した。

特に最後の100段が苦しい。
日ごろの運動不足で息は上がるのに足は上がらない。

​​​金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュ・・​・​​​
自分たちを鼓舞する意味もあって、大きな声で唄う。
辺りには誰もいない。

廻れば四国は讃州那珂の郡 象頭山金毘羅大権現 いちどまわれば・・・​
ちょうど785段目のところで唄い終えた。

「御本宮、到着ぅ~!」

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う

とその時、若い男性が一人、目の前に現れた。

かああぁぁぁ。 
その場が明るければ、顔面真っ赤っかな私が相手に見えてしまっただろう。

「うるさくしてすみません。」
「いえいえ、いいですよ。」

相手は確かに笑っている。
カメラを提げた、爽やかでなかなかイケメン風な男性だった。

「奥社まで行かれたのですか?」
「ええ、行って来ました。」

夜の真っ暗なこんぴらさん、しかもイノシシと遭遇するかもしれない長い石段を1000段以上も登る人がいるのか。しかも一人で。

違う意味でドキドキした私たちは、御扉閉していることもあってお参りするのをすっかり忘れてしまっていた。

いや、本日の目的は小豆粥。
お参りは改めて、その時は奥社にも挑戦したいと密かに誓う。

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う

優しい味にお腹の底からしっかり温まった夜である。





空にしられぬ雪ぞふりける

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


昨日は愛媛県今治市の大山祇神社に参詣しました。

空にしられぬ雪ぞふりける

空にしられぬ雪ぞふりける

こちらは芸予諸島の大三島にあり、しまなみ海道を渡ります。
しまなみの風光明媚な景色もさることながらこの神社の厳かな雰囲気が大好きで、少し遠出ではあるものの、時々お詣りさせていただいております。

空にしられぬ雪ぞふりける

樹齢2600年の御神木を前にすると、それだけで神代時代からのパワーを戴けるようで、気持ちも一段と引き締まります。

おみくじは大吉。
母が凶を引いたので、二人合わせて末吉くらいでしょうか。笑
良すぎるのも気が緩みがちになりますので、それくらいの方がよしとしておきましょう。

おみくじに書かれた御歌は、

桜ちるこの下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける (紀貫之)

桜の花びらを雪に例えた美しい歌です。
空にしられぬとは、つつましさを感じられる素敵な表現だなと、貫之の豊かさを感じずにはおられません。
今年、私もこのような感性を磨けたらと思いました。


そして本日、七草粥を戴く日。

空にしられぬ雪ぞふりける

新しい一年が皆様にとっても無病息災でありますように。




粟島。

瀬戸内国際芸術祭2016の春夏秋すべてが終わった。

3年に一度の大イベントは今回も大成功だったんじゃないだろうか。

私は春に沙弥島、秋に高見島と粟島を訪れた。

どれも香川県西部に位置する島。

今では世界的に有名なアートの島となった直島や豊島(てしま)、小豆島などの東部の島は世界的にも有名なアーティストを呼んでの華やかな作品群だったんじゃないかと思う。
対する西側は秋期のみ開催の島が多く、島民を中心に島の歴史や生活と密接した作品が中心だった。

もちろん、東の島もそうであったと思うのだが、香川県は日本一小さな県の割に、東讃(とうさん)・西讃(せいさん)ときっちり県民性も言葉も文化も異なっているので、表現の仕方に違いがみられるだろう。
ちなみに食べ物でいえば、うどんと骨付き鶏は西、和三盆は東である。

と話は逸れてしまったが、今回訪れた島のうち粟島は以前から行きたい思いの強い島だった。

隣町の港から船で10分、少し海岸線をドライブすればいつも目にする島なのだが、船に乗るというのが腰を重くさせていた。
瀬戸芸はそんな身近であって身近じゃない島を旅するきっかけをも作ってくれる。

そこは、日本初の国立粟島海員学校跡があり、夏は海ほたるが美しいところ。
そして、漂流郵便局が置かれている島だ。

粟島

漂流郵便局。

それは、届け先のない手紙を受け入れてくれる郵便局。
昔の郵便局跡を利用して、3年前の瀬戸芸のアートプロジェクトで始まったものだ。

伝えたくても伝えられない想い。
大好きな人へ、片思いの君へ、初恋の人へ、未来の花嫁さんへ、可愛がっていたペットへ、そして今はもう永遠に会えなくなったあの人へ。

そのほとんどが故人に宛てたもので、読みながら涙を流している人もちらほら見かけた。
そう、その誰かに宛てた手紙は私たちが気軽に手に取って読むことができるようになっている。

行き場のない思い、届け先のない思いを乗せた手紙を読んでいると、今、自分の周りにあるすべてのものに優しくしよう、大切にしようという気持ちがおのずから沸いてくるようだった。

それは素朴な景色のなかだから余計に心に沁みて来る。

それは島時間のなかだから余計に心に刻み込まれる。

そして漂流郵便局の局長さんの穏やかな笑顔に、センチメンタルになった心がほっとする。

粟島


3年後の瀬戸芸を待たずして、また訪れたい島だった。

この頃。

8月頭に行った健康診断の結果が出た。

一番に目を引いたのが「貧血」という文字。
これまで、貧血といえば細身のか弱い人がくらくら~と立ちくらみするというイメージだっただけに驚いてしまった。笑

そういえば、いつからかすぐに息切れするようになり、座っていても頻繁に眩暈を起こすようになっていた。
この夏の暑さだから、きっとそれは熱中症の初期症状だろうと水分や塩分補給で対処していたのだが一向に良くならない。

ひどい時は座る姿勢すら辛く、なにもやる気が起こらない。
寝込む日も時々あった。

その理由がやっとわかった。

病院で薬を処方してもらい、波はあるが少しづつ改善してきたように思う。



そして服薬するようになって2週間、その日は珍しく気分が良いこともあって、車で片道1時間半ほどにある四国霊場第八十七番札所長尾寺にて菜懐石を戴くことにした。

過去にも何度かその菜懐石についてはこのブログに書いたことがあるが、その一つ一つ心のこもった温かいおもてなしは身体の隅々まで染み渡る。

お寺の庭園を眺めつつ、静かに丁寧に食事を戴く時間は贅沢だった。


2016-09-22 01.長尾寺

2016-09-22 02.長尾寺

2016-09-22 03.長尾寺

2016-09-22 06.長尾寺

2016-09-22 04.長尾寺

2016-09-22 05.長尾寺

2016-09-22 07.長尾寺

2016-09-22 08.長尾寺

2016-09-22 09.長尾寺

2016-09-22 10.長尾寺

2016-09-22 11.長尾寺




そして、それはちょうど彼岸のお中日だったこともあり、長尾寺名物「甘納豆入おはぎ」をお供えにと持ち帰る。
美味しいものはご先祖様にも。

2016-09-22 12.長尾寺


瀬戸芸へ行く!

瀬戸芸へ行って来た。

瀬戸芸とは、2010年に始まった今回で三度目となる瀬戸内国際芸術祭のこと。

3年に一度、春・夏・秋と3期に分けて、香川と岡山の主な島々を中心に国内外のアーティストと島民が造り出すアートな世界だ。

かなりの集客とみられ、この時期 島々は大いに賑わう。


春の瀬戸内国際芸術祭2016は10会場で催され、会期は春分の日からこの週末の17日、日曜日まで。


2016-04-13 03.瀬戸内国際芸術祭2016


今日は香川県坂出市の沙弥島(しゃみじま)を巡った。

沙弥島は、島といっても昭和42年の埋め立てにより陸続きになっている。
なので私が生まれた時にはすでに島ではなかったが、改めて訪れてみると島の風情がところどころ残っていて面白い。

その沙弥島のメイン会場が数年前に廃校となった沙弥小中学校で、実は60年ほど前に私の母が小学校の臨時教師として赴任された場所でもある。

すでに当時の校舎はないが、裏の浜辺で子供たちとよく缶蹴りをして遊んだことを今も懐かしむ。

「月曜日の朝、特船で迎えに来てもらって、金曜日まで島にいて、土日だけ本土に帰る生活だったの。」

「学校に併設された宿舎にはテレビが一台あってね、夜になると島の人たちみんなが集まって来てね、・・・。」

産休代替え教師だった母の島での生活は僅か3ヶ月であったけれど、個性的な島の子供たちはとりわけ印象に残ったのだろう。

浜辺で九九を練習したという話も、古き良き昭和の島風景らしいいい話だ。

2016-04-13 14.瀬戸芸会場


その沙弥小中学校では、神戸芸術工科大学の教授や学生のみなさんで立ち上げたアートプロジェクトが楽しめる。
地元の子供たちと共同で制作したというのが特にいい。


2016-04-13 04.瀬戸内国際芸術祭2016
中山 玲佳「Las Islas -しま・しま-」


瀬戸内には無数の島々があるが、そのひとつひとつに個性があって、それを活かしたアートを体感できるのも瀬戸芸の魅力の一つであると思う。

地元の特産品、真っ赤な金時人参に金時いも、金時みかんも姿を化けて登場する。

2016-04-13 06.瀬戸内国際芸術祭2016
さくま はな「完熟の唄、海原に浮かぶ瀬戸の太陽」

2016-04-13 07.瀬戸内国際芸術祭2016
かわい ひろゆき「ハレの日、金時への道」

2016-04-13 08.瀬戸内国際芸術祭2016

2016-04-13 09.瀬戸内国際芸術祭2016
戸矢崎 満雄「空飛ぶ赤いボタン」

2016-04-13 12.瀬戸内国際芸術祭2016



2016-04-13 01.瀬戸内国際芸術祭2016

浜辺には、五十嵐靖晃さんの「そらあみ」がはためいて。
カラフルな網の向こうには、かすかに秋期の会場である高見島も見えていた。

2016-04-13 02.瀬戸内国際芸術祭2016


2016-04-13 15.瀬戸芸会場

2016-04-13 17.瀬戸芸会場・オオシマサクラ



桜の花びらが舞い散る中、潮の香を感じながらの島歩き。
靴の中に砂が入ってざらざらしても、かえってそれが嬉しかったりする浜辺でのひと時。


夏は、秋は、どの島を巡ろうか。



大洲の臥龍山荘。

この頃、よく愛媛へと足を延ばす。

波長が合うのだろうか。

今手に取ってる本までも、松山が舞台の「坊っちゃん」である。
それは、二宮くん主演の新春ドラマが思いの外面白くて、それに感化されたわけだけれど、
しかし、まぁ夏目漱石という人物は松山と松山の人々のことをああも貶して書けたものだ。(笑)

しかも松山は、それを逆手にとって町の個性にしちゃうあたり、やはり私は愛媛が好きだ。


年が明けて10日あまり、すでに二度も訪ねている。

来年にも道後温泉本館の耐震改修工事が始まるらしく、「坊っちゃん」ゆかりの温泉はそれまでに改めて足を運ぶことにして、

二日には大洲の臥龍山荘へ、昨日はしまなみ海道を渡って大三島の大山祇神社へ参拝に出掛けた。


その臥龍山荘とは、なんてことない町を流れる肱川の畔に建つ明治時代の山荘なのだが、
こんな田舎町の山荘がどうしてミシュランに選ばれているのか不思議だった。


2016-01-02 04.臥龍山荘


また、行く人行く人揃って「いい処だ」と言うものだから、ずっと気になっていたのだ。

だが、訪れてみて納得。

2016-01-02 02.臥龍山荘

足元に置かれた花弁の愛らしさに心を掴まれ門をくぐり、母屋の欄間の細かすぎる透かし彫りに息を呑む。
苔むした表情もまたいい。

各所に施された粋な計らいに何度も何度も驚かされた。

その憎いほど行き届いた心配りに、大洲の懐の深さを見たようだった。

そして、これが例えば京都の鴨川沿いにあったんじゃあ、大してつまらなかっただろう。


ここは道後の湯に負けていない思う。

ここで日がな一日、ぼんやりと肱川を眺めるも良し、愛媛ゆかりの小説を読むも良し。

松山やこの辺りは俳句や和歌が自ずと生まれる土壌もある。
その落ち着いた趣きは、新春を迎えるのにふさわしい場所だった。


坊っちゃんも連れて来てあげたかったな。
曲がったことが嫌いで喧嘩っ早い江戸っ子気質の坊っちゃんが、風流を愛でたかどうかは別にして。



               2016-01-02 06.臥龍山荘




お猿さんと私。

「あ!猿!」

香川県から徳島県へ抜ける県境の道で、木の上に登っている猿を見つけた。

そのまま通り過ぎても良かったけれど、両手で大事そうに柿を持って食べる真っ赤な顔をしたお猿さんがなんとも可愛らしくて、慌てて車を引き返した。

スマホを持って、そっと車から降りる。

その瞬間、目の前を一匹の猿がシュッと走り去ってしまった。

「あ!」
せっかくのチャンスを逃してしまったともう一度柿の木を見上げると、まだ一匹いた。

その一匹と目が合った。
一瞬、固まった彼ではあるが、ハッとした後、一目散に逃げ出した。

「あ、待って!」

待つはずがない。

木から飛び降り、電柱に登る。

11-29 1.逃げるお猿さん

てっぺんまで登ったら、今度は綱渡りのごとく慌てて電線を伝っていった。

11-29 2.逃げるお猿さん

11-29 3.逃げるお猿さん

11-29 4.逃げるお猿さん

2本の電線は、徐々に幅を広げて軒下へと繋がっている。
必死で伸ばすも手が届かなくなって焦った彼は、ターザンのごとく屋根の上へと飛び移る。

「あーあ。」
可愛く柿を食べる姿を写真に撮りたかっただけなのに。
来年の干支であるお猿さんの愛くるしい表情を残したかっただけなのに。

振り向くと、田んぼの向こうには優に10匹を超える猿軍団がたむろしていた。

再び近づきスマホを構える私を見つけ、またもや一目散に散らばる猿たち。


そんな私を見た地元の老婦人は、「よっけおるやろ。野菜も引っこ抜かれて困っとるんよ。猿も多いし、ここは猪も出るしねー。」

猿に負けじと夢中で追う私は、きっとおばちゃんには町の子に見えたんだろうな。(笑)



今日は私の43歳の誕生日でした。
惜しくも逃げられちゃいましたが、来年の主役くんに会えるなんて縁起いいでしょ。





内子を旅する。

子供の頃は同じ四国内と言っても遠い遠いところだと思っていた愛媛県の南予地方も、道が良くなった今では気軽に日帰りできるようになった。

最も南西部にある宇和島市へは3時間半、芝居小屋の内子座で有名な内子町へは高速に乗れば私の町から2時間で行ける。
それでもどこか縁遠くて、南楽園へ花菖蒲を見に行くほかは松山より向こうへ足を延ばすことはなかった。


ところが数ヶ月前、
「この前ね、テレビで内子の木蝋資料館上芳我邸(かみはがてい)が映ってて、なんかすごくいいところみたいだから、一度連れてってもらいたいわ」と、以前の勤め先の元施設長から電話があった。

「か、かみは? そのかみはなんとかって何ですか?」
無知な私は、読み名もわからなければ、上芳我邸という漢字なんて想像すら出来ない。

「昔、木蝋(もくろう)で財を成した豪商の大きなお屋敷よ。」
と言われても、「はあ、木蝋ですか、、、。」といった具合だった。

それから数日後、外出先に再び電話があり、
「さっき、うちにジパング倶楽部のパンフレットが届いたんだけど、そこに今度は下芳我邸っていうのが載ってるわ。」

「はあ、しもはがていですか。」
「前に言った上芳我邸と関係があるのかしらね。」
「はあ、、、。」


こうして、内子といえば内子座しか知らなかった私が内子町へ行くはめとなった。


内子町は、明治末期から大正にかけて、木蝋や生糸の生産で栄えた町。
とりわけ国内最大規模の製蝋業者であった本芳我家と、その分家であった上芳我家、中芳我家、下芳我家らによって一大繁栄を築いてきた。

今でも保存されている昔の町並みには立派な蔵構えがずらりと並ぶ。

そして、その有志らの出資によって地元の人々の娯楽の場として建てられた芝居小屋が内子座である。


2015-11-19 1.内子座


木蝋資料館である上芳我邸も、現在お蕎麦屋さんとして賑わっている下芳我邸も町を代表する名所であるが、内子といえば内子座と頭に刷り込まれている私たちが一番最初に訪れたのは、その内子座だった。


なぜか見物客が少ないといわれる木曜日、ぽつりぽつりとお客がいるだけで、思いのほか寛げる。

芝居小屋といえばわが香川県には日本最古の金丸座があるのだが、この内子座は金丸座よりこじんまりとしているものの、その佇まいは決して負けてはいない。
むしろ、客席と舞台は近く、花道と客席の段差が小さい内子座の方が、きっと贅沢に演者と向き合えるにちがいない。

2015-11-19 2.内子座

金丸座が故中村勘三郎さんの思い入れが特別強かった芝居小屋であったならば、内子座は人間国宝である坂東玉三郎さんが贔屓にされる芝居小屋。
内子座が金丸座に引けを取らないのも納得できる。


その場所で、地元の中学生たちにアンケートをお願いされた。
「どうして内子に来られたのですか? 内子座の良さはなんですか?」

その後も何人もの中学生に同じ質問をされたから、きっと校外学習の一環なのだろう。

玉三郎さん好きの上司は毎回丁寧に答えていた。
「それに、内子はノーベル賞を受賞された大江健三郎さんの故郷でもあるので、一度来てみたかったんですよ。」


たぶん、他にほとんど客のいなかった今日のアンケートは、みんなほぼ同じ答えになるんじゃないか。
真剣に答える上司と、少し難しい話になると目が泳ぐ中学生たちを交互に見ながら、そんなことを思って一人可笑しくなっていた。


その後は定番のコースを巡った私たちであったが、そう大きくない町でも一日では回り切れない見どころがある。


2015-11-19 6.中芳我邸



次回、そう遠くない先に訪れるのを楽しみに、そのときも下芳我邸ではお蕎麦を、上芳我邸ではお抹茶と愛媛の伝統和菓子「ゆずっ子」を戴きたいと思っている。


2015-11-19 4.下芳我邸

2015-11-19 8.上芳我邸

高いトコロはお好き?

2015-11-12 02.祖谷渓



この季節になると訪ねたくなるのが大歩危峡。
俳句が趣味であった祖父がその景色を好んで詠んでいたこともあり、母を隣りに乗せて昔話をしながら車を走らせる。


今年はそこから少し足を延ばして、祖谷渓を訪れてみることにした。


有名な祖谷のかずら橋までは行っても、そこから奥となるとまだ二、三度しか赴いたことがない。

明治30年から約20年かけて造られた道路は片側が断崖絶壁、細い急カーブの連続で、隔絶された深山幽谷と形容される秘境を走るのは、いつも億劫だったから。

今日も、どこかの家の取り壊しやら道路の維持改修やらで通行制限があったりと、ただでさえ対向車が来れば面倒な道が一段と難度を上げていた。

なにも紅葉の時期に行わなくてもと思ってみたが、そうか、雪の季節はもうすぐそこなんだ。


2015-11-12 10.祖谷渓


2015-11-12 06.祖谷渓




そして、祖谷渓といえば小便小僧。
かつて地元の子供達や旅人が度胸試しをしたという逸話をもとに作られたそうだ。


2015-11-12 04.祖谷渓



イサムノグチ庭園美術館。

イサムノグチが晩年アトリエを構えていた場所が現在、イサムノグチ庭園美術館として開放されている。

香川県は高松市牟礼町。

随分と前から行きたいと思っていたが、それは2週間前までに往復ハガキで予約申し込みをしなければならず、面倒くさがりの私には近くて遠い美術館だった。

だが先月のこと、岡山に住む親友から誘いがあった。
彼女もずっと行きたい思いは強かったのだが、これまでタイミングが合わなかったそうだ。


「10月27日、午後1時に予約が取れました。1時間の見学だそうです。
お昼を食べてから行きましょう。ランチはpicchuちゃんにお任せするわ。」


少しづつ木々も色づき青空が美しい季節、太陽の下で制作し続けた彼の作品を鑑賞するのに最高の機会である。

そしてそれは、想像以上に素晴らしいものだった。


絶妙な空間。

写真では表しきれない大胆な動きと安定感。
思わず手を触れたくなるなめらかな質感。

石の持つあらゆる表情に驚いた。


芸術とは時に挑戦的であるだろうが、彼の作品のもつ美しさは見る人に安心を与えてくれる。

美しいって、すごいことだと思った。


そして、「彼は相当の女好きだったのが分かるよね。」
友人の言葉に思わず笑った私も、かつて石の彫刻にこれほど艶かしさを感じたことはない。(笑)

彼の作品には色気があると思う。
そういうと、ただ表面的に捉えられては全く意味が異なってしまうが、放つ色気がより人を惹きつけてやまないのだと思った。


10-27 2.イサムノグチ庭園美術館



見学する前に流れていたビデオの中で、日本人とアメリカ人のハーフであった彼はどこにいても異邦人で、根無し草のような孤独を抱えていたというような内容があった。

アトリエは、イサムノグチも気に入ったこの辺りで産出される世界でも評価の高い庵治石を積んだ円で囲まれ、彼の指示したとおり完、未完に関わらず、そのままの形で保存維持されている。

彼が線を引き、その上を囲んだというその円を見たとき、もしかしたら、彼はここに自分の居場所を作りたかったのかな、根を下ろしたかったのかな、と感じた。


彼は84歳で亡くなったのだが、84歳の誕生日もこのアトリエで制作していたそうだ。

拠点は彼の生まれ故郷のニューヨークであったが、春や秋などの時候のいい頃はここに滞在していたらしい。
県内の丸亀市にあった武家屋敷を移築し、そこに居を構えた。

1988年11月17日、ここで84歳を迎えた後、もう一つのアトリエがあるイタリアに移った。
そこで風邪をこじらせニューヨークに戻ったのだが、そのまま肺炎となり帰らぬ人となってしまった。

彼は、春にはまたここで制作を続けるつもりだった。

このアトリエはその時のまま、今もイサムノグチとともにある。


10-27 1.イサムノグチ庭園美術館


それは、屋島と庵治石が採石される五剣山に囲まれた自然豊かな場所にある。

アトリエを見学後に訪れた屋島から、彼が造った庭園の盛り土とそこに置かれた卵型の石が小さく見えた。





乗り鉄になる!

大阪に住む友人が、ご主人と共に生後7ヶ月の赤ちゃんを連れてやって来た。

13年前、オーストラリア旅行で出会った友達だ。


ご主人は世界160ヶ国を旅しているツワモノで、国内も都道府県すべて制覇している。
その上、乗り鉄。(笑)


その彼の希望もあって、香川の私鉄である高松琴平電鉄(通称、ことでん)の琴平線に乗ることとなった。

琴平線は、もともと金刀比羅宮参詣のために開業したもので、高松築港駅と琴平を結んでいる。

高松築港駅は高松城跡(玉藻公園)のすぐ近くにあり、月見櫓がホームから間近に見える。
琴平駅は言うまでもなく金刀比羅宮の最寄りとなる駅で、1865年に建てられた日本一の高灯篭の隣りにある。

今回、幼い赤ちゃんが一緒ということもあり、乗った区間は琴電琴平駅から綾川駅までの8駅、僅か20kmほどを往復した。
高松より琴平を選んだ理由は、この後琴平からJRで3つめの多度津駅でJR四国のレアな車両を見るためだ。(笑)


ことでんには小学生の頃に数回乗ったことがあるだけで、JR沿線に住む私はあまり縁がなく、琴平から乗るのも初めてでちょっとした冒険だった。

列車は30分に1本。

昔ながらの改札口で切符を渡すと鋏で切ってくれた。


コトデン.jpg


今じゃ都会ではICカードなんだろうが、私の町のJRの駅はスタンプを押してくれる。
まだまだ時間が止まったままだが、それでも改札鋏はとうの昔に姿を消してしまって、ここ何十年拝んだこともない。
だから、この改札鋏が懐かしすぎて、ちょっと興奮してしまった。


そこから先はテンションあがりっぱなし。(笑)


コトデン2.jpg


運転席の写真を撮ってみたり、車内の天井でクルクル回る扇風機にも大はしゃぎしたり。


コトデン4.jpg


列車についての薀蓄は右耳から左耳へとスルーしたが、こんな近くにこうも面白い乗り物が残っていたのかと嬉しくなった。

たぶん線路も昔のままなのだろう。
ガタンゴトンと大きな音に合わせて跳ねる身体を、椅子から転げ落ちないよう保つのに必死だった。


もともと鉄道好きな私だが、その日自分の隠れた一面を知ったような、僅かながらも鉄道の旅を満喫。



また乗ろう、と密かに思っている。


コトデン3.jpg



今朝の事でございます。

芥川龍之介  

蜘蛛の糸

ある日の事でございます。
お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。

池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、、、、、





あらら、極楽で咲く蓮の花は白色でありましたか。

そうとは知らず、ピンク色に染まる蓮の花を写真に収めるのに一生懸命の私でございました。



栗林公園・蓮9.jpg



栗林公園・蓮8.jpg



栗林公園・蓮.jpg



その玉のようなピンク色した花は、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、なんとも言えないいい匂が、たえまなくあたりへあふれております。

栗林公園はちょうど辰の刻なのでございました。






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