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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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「私、ユジンの家に住んでいました。」

*古い話になりますが、韓国ドラマ"冬のソナタ"はご覧になりました?
ここは撮影に使われた「ユジンの家」のすぐ前の道、そしてヨン様演じるチュンサンが壁にもたれ掛かり煙草を吹かしていた坂道です。
昔、そのユジンの家に住んでいた"宋胤子さん"と共に【'08.05.05】


いつもの海外旅行では、私はものすごく夜更かしをし、朝は太陽を待ちかねて早起きをします。
興奮して眠っていられないのです。(^^)
それに、誰もいない早朝の街並みを散策すると、自分もその街に溶け込んでいくようで、その感覚が大好きなのです。

けれど 韓国最終日の5/5、前日見学した「独立記念館」による疲れと心の重さに、私はなかなかベッドから起き上がることができませんでした。

やっとのことで立ち上がった私は、その日の日程を頭に入れようとガイドブックを広げます。

15時には仁川空港行きバスに乗らなければなりません。

「西大門刑務所歴史館」に行く前に、「京福宮~キョンボックン」に寄ってのんびりしようかな。
カフェでくつろぐのもいいし。。

ペラペラ、ペラペラ。

京福宮では、伝統的な宮中文化の再現として、李朝時代に王宮の警備を担当していた守門将の交代儀式が"興礼門前広場"で行われます。
せっかくですから、これも観ましょう。、、、とイベントの時間を調べてみると、
「10:00 11:00 12:00....16:00」とあります。

10時かぁ~、、それまでどこで何しようかな~。。

ペラッと一枚ページをめくると、、
ソウルの中心部にも韓国の文化を感じる伝統家屋が残された村(マウル)があると、、。
その一つが、明洞のホテルから地下鉄で一駅"忠武路駅"からすぐの「南山韓屋マウル」。
最初はここに行くつもりでした。

けれど、京福宮の近くにもマウルがあると載っています。
それが、「北村韓屋マウル~プクチョンハノンマウル」です。
私は中学時代、"北村くん"という男の子が好きだったことを思い出し、「北村地区」に決定しました。*^―^*
(なんて単純な私、、。)


9時前に、その最寄り"安国駅"に降りた私は、都心にしてはひっそりとした佇まいの、どこか懐かしさを感じる町並みを、少し上り坂を歩いていきました。

どうも気が付かないうちに、「北村エリア」に入っていたようです。
緩い坂道を登り詰めたところにある「中央高校」まで、まずは行ってみましょう。

その高校のすぐ目の前で、ある女性に話しかけられました。
日本語です☆

「私、ユジンの家に住んでいました。」
「へっ?」・・・私。
「冬ソナ、知ってますよね。ユジンの家はすぐそこです。」
「へっ???」

へっ? ここがドラマの撮影場所~?
中央高校は、ユジンとチュンサンが通った高校です。

そうだったのかぁ~。
*私が持つガイドブックは、実は前回(2004年)の旅行で使ったもの。
確かその頃に冬ソナ人気が始まり、まだロケ地について記載されていませんでした。
最近のガイドブックにはしっかりと「冬ソナロケ地」と書いてありますね。

知っていれば、「南山地区」を選んでいたのにぃ~。
と悔やんだところで、その女性"宋さん"は一人勝手に喋り続けます。

「こちらですよ~。ユジンの家、覚えてますか?」
えぇ、えぇ~、一度は見たドラマですから覚えていますよ。。

「実は、ユジンの家は壊されてしまって、今はもうないのですよ。」
なら、なんで連れて行くのよぉ~。(>_<)

「でも、ここから見下ろす北村韓屋村の景色が一番美しいですよ~。」
そぉお~~~? まぁ、見晴らしは良さそうね。

この宋さん、今は中央高校前でスターグッズのお店を開いているとのこと。
私は韓流スターのファンではないわよ! 、と心の中で叫びつつ、いつの間にか宋さんのペースにはまっていました。(^。^;)

「お茶でもどうぞ。」 お店に案内されて、一杯のお茶を出されました。
ゴクッ。。 何のお茶だろう、とっても美味しい!o(^^)o

「これ、すごく美味しいですねぇ~。」 これには私、完全に負けてしまいました。
「そうでしょ。トウモロコシのお茶ですよ。」

気が付けば、、(*^_^*)
お店にあるグッズを手にとりながら、宋さんと話が弾む、弾む♪

結局、"チェ・ジウ"さんの写真集と、母が大好きな"パク・ヨンハ"さんの2008・2009年版カレンダーを買ってしまいました。

私、韓流スターのファンではないと言いながら、実はチェ・ジウさんに憧れていることを忘れていました。^^
宋さんに勧められて、ジウ姫の写真で埋め尽くされた傘を射しかけ、「はい、ポーズ!」。*^O^*
彼女のメモ帳までプレゼントされました。(-◇-;)

母もこのお土産が一番気に入ったようだし、、
何より、今回の重~い旅行で"ほっ"と一息つけた 優しいひとときでした。


*韓国旅行記、一旦終了です。お付合い、ありがとうございました。(カムサハムニダ~。^^)

*幼なじみの親愛なるN子ちゃん、お誕生日おめでとう!
物事をいつも冷静に見れる姿、尊敬していますよ。^^

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関心を持つこと。

*ソウル特別市西大門地区にある『独立門』。
高さ14.28m、幅11.48m。フランスのパリ凱旋門を模して、約1,850個の御影石で作られています。
【'08.05.03】


ガイドブック"ワールドワイド"によると、この独立門は「日本の圧力が強くなり始めた1894年に、韓国独立の実現を願って建てられた門。今でも独立のシンボルとして保存されている。」とあります。

しかし、実際は「清(中国)からの独立を記念する門」であると、韓国出身の日本評論家である呉善花~オ・ソンファ氏(拓殖大学教授)をはじめ多くの方達は述べています。

"Wikipedia"から引用すると、
「日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制(中国王朝の皇帝が、その周辺諸国の君主と名目的な君臣関係を結んだことによって作られた国際秩序)から李氏朝鮮の独立を認めさせた。
これにより、李氏朝鮮は清の支配から開放され、自主独立国家として歩みだすことにより、その記念として、清への服属のシンボルの一つであった"迎恩門"を壊し、そのすぐ隣に建設された。」とのこと。
それを多くの韓国人が"日本からの独立"を記念した門だと勘違いしているのだとか。

* * *

先週、「韓国はなぜ反日なのか ―内側から見た韓国の"真実"―(吉井英一著)」という本に出会いました。

第1章は"韓国人の特徴"について、第2章では"歴史問題と韓国反日の真因"についてが書かれています。

特に第2章では、「とかく韓国の歴史教育において明らかに恣意的に事実や解釈が歪められているであろう部分を上げて、日韓の捉え方の違いを考察しながら、なぜ韓国人が反日感情を抱くのかを検証する」とあります。

この本、韓国人が読めば腹が立つだろうなっていうのがまず感じた印象なのですが、、。

彼は、日本と同じく「韓国でも国定教科書に自国の不都合な部分は記載せず、悪いことが起きるのは全て日本のせいであるかのように教えている」と述べています。

もしかすると、吉井氏の言う通り、
壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)で全焼したと大きく掲げられている朝鮮正宮の"景福宮"は、実は当時の朝鮮で奴隷扱いを受けていた最下層の朝鮮人によって放火されたのかもしれません。
「従軍慰安婦」の強制連行はなかったのかもしれません。
「民族抹殺政策」として行われた創氏改名や韓国語の使用禁止も強制ではなかったのかもしれません。・・この意見には、少々首を傾げたくなります。

韓国で見た歴史記述が100%真実ではないだろうことと同様、この本の記載内容も全てが絶対ではないでしょうけどね。

「国」としての日本の行いではないにしろ、確かに一部の日本人による事実もあったでしょうし。。


日本が犯した罪も、彼らに誤解されていることも、この反日感情を韓国政府にうまく利用されているかもしれないことも、
韓国人がどのような教育を受け、それに対しどれほどの関心を持っているのかも、
せっかくですので、今後も興味を持って見ていきたいと思っています。

何故か、韓国の方達と縁の深い私です。
その友情を大切にする為の第一歩でもあるかな、、と思います。

色んな言い分があって当然だと思います。
けれど、無関心でいることだけはやめようと、今回の旅行で痛感しています。

「西大門刑務所歴史館」

*ソウル市内にも、日帝による残虐な行為が残されています。
その代表が、『西大門刑務所歴史館』。
地下鉄3号線"独立門駅"を出るとすぐ、駅構内にも案内があります。【'08.05.05】


5/5は韓国でも"子供の日"の祝日でしたので、通常月曜日が休館のこの場所も見学することができました。
「独立記念館」と同じく大勢の家族連れで賑わっていました。

「西大門刑務所歴史館」は、1908年に"京城(けいじょう)監獄"として始まった韓国で最初の刑務所跡です。
日本に対して抗日(独立)運動を行う韓国人を捕まえて監禁・拷問・そして処刑する為の場所。
一度ここに入れられたら、生きて出てくることはできなかったと言われています。
一昨日('08.05.19日記)にも紹介した、韓国のジャンヌダルクとも呼ばれる"柳寛順"さんもここに収容され、命を落としました。


私にとってこの刑務所跡は、あの独立記念館よりも、そして広島の平和記念資料館よりも辛く厳しい場所でした。

けれど、100年も経たない歴史の中、日本が隣国にしてきた事実を知る上で、一度足を運んでみる意味はあると思います。
ここでも日本人観光客の姿は、私を除くと一グループのみ。


この歴史館には、当時の拘禁室・拷問室・地下監獄・死刑場などが残されています。

拷問の様子は、等身大に近いリアルなロウ人形で再現され、何度も繰り返される録音による悲鳴が耳に残ります。
非情な態度の日本人と、もがき苦しむの韓国人。
当時、日帝が韓国を強制的に侵略しながら公に流布させた言葉の一つが、「朝鮮人と干し魚はたたいてやらなければならない」との侮辱的な暴言だったのだそう。

「朝鮮人は日本の法規に服従するか、死ぬかどちらかを選択せよ」

その臨時拘禁室に書かれた言葉、「独立を叫びながら死んでも、お前らには屈服しない」が強く胸に突き刺さります。

説明には拷問の様子がこう書かれています。
"日帝が韓国の男女愛国烈士達を捕まえて棒で殴るのは基本だった。
逆さまに吊り下げ、鼻や口にトウガラシ水を入れたり、手足を縛って全身を熱い鏝で焼き、また電気拷問や言葉では言い表せないほど残酷な方法で容赦なく性拷問を行った。"

日本人は誇り高い素晴らしい民族だと私は思います。
けれど悲しいかな、この行いも同じ日本人の歴史なのですよね。


ここにも「拷問体験の場」として、"壁棺"があります。
この壁棺とは、人一人が立って入るだけの大きさに作られた拷問用の独房で、2、3日監禁されると全身が麻痺するというもの。
内部には電気拷問器具までも設置されていたそうです。

監獄は、衛生面も食糧配給状態の面でも獣の檻と等しく、多くの投獄者達は飢え死にしました。
投獄される数もこの収容人数を大きく越え、1/3づつの交代で横になっていたといいます。


そんな投獄者達の悲痛な叫びがこだまする敷地内の一角に、ひっそりと建っている木造の建物があります。
それが投獄された愛国烈士達の絞首刑場でした。

内部には入れませんが、建物は開放されています。
開閉式床の上には死刑囚が座った椅子がそのまま置かれ、その目の前には太く無気味に垂れ下がった一本の縄の輪。
死刑執行人が使った長椅子もありました。
そして、地下には処刑された遺体を刑務所外にある共同墓地に捨てる為の秘密通路が伸びていました。

ここだけはその時のまま時間が止まっているかのように、ただただ静かなのです。

死刑場の入り口に今も空高く聳え立つ1本のポプラの木。
それは、死刑場に入る死刑囚達がこの木に向けてしばし慟哭したと言われています。
そして、塀の内側にあるポプラの木は、死刑囚の恨みであまり育たなかった話も伝えられているそうです。


私は言葉を失い、この場を立ち去りました。

私が見た韓国の歴史教育。

*「独立記念館」のゲートを潜ると、目の前に聳える"キョレー(民族)の塔"と大会堂"キョレーの家"。【'08.05.04】


説明によると、
『独立記念館~トンニプ キニョムグァン』は、1982年から建築資金を韓国の全国民からの募金活動で集め、5年間の建設工事の末に、解放(独立)以来の韓国国民の宿願事業のひとつとして、1987年"8月15日"に開館した歴史記念館。

その目的は、
自主と独立を守り通した韓民族の歴史と文化、特に国難克服史、及び日本帝国主義の侵略に対抗した独立運動、そして国家発展に関する資料を収集・展示・研究することにより、国民の強固な民族精神を打ち立て、人類平和に貢献することである。

実際、韓国の子供達の歴史教育の為にと、全国から学校の遠足、修学旅行で記念館に足を運んでいるとのこと。
また、子供に対する歴史教育として、家族連れも比較的多く、かなりの割合の韓国人がここを訪れているといえる。

* * *

私がここを訪れた日は、日曜日だったせいもあるのでしょうか、特に家族連れの多さが目立っていました。
子供達の声が賑やかです。

展示室内では、父親を子供達が囲み、何やら真剣に説明を聞いています。その興味深く覗き込んでいる姿が印象的でした。
きっと このお父さんも幼い頃、このように両親から当時の様子を詳しく教わって大きくなったのでしょう。

また、記念館の敷地内には、"拷問体験の場"が設けられ、見学者が当時の日帝による拷問を体験できるようにしてあります。
ここも遊び場と同じ、子供達には身近な場所のようです。

第1~7まである展示館の内(第2・3館は展示物の入れ替えの為、この日は見学できませんでした。)、
私が最も強烈に感じたのが、昨日も紹介した第4展示館「3・1運動館」。
多くのジオラマを用いて(これは全館共通)、万歳運動をリアルに伝えています。
室内を取り囲むように写真と説明文で埋め尽くし、内側には万歳をした等身大の人形が数多く並んでいます。

それらを観ることにより、当時の独立への熱い思いを感じ、まるで自分達も万歳運動に参加しているような気分にさせ、その気持ちが大いに高まったところで目の前の扉が開く仕組みになっていました。
そこで見上げるのが、「3・1精神像」です。('08.05.19日記の写真)

その仕組みに気が付かなかった私が、茫然とその像を眺めていた時でした。
突然、後ろの扉(それまでは単なる壁かと思っていました。)が大きく開き、何人もの韓国人が「万歳!」という歓声を挙げながら入って来ました。

これには私も驚きました。圧倒されました。

「バンゼ~イ! バンゼ~イ!」
大人も子供も、まるで まさに今ここで独立を宣言したかのような表情で像の周りを歩いています。
背景にも録音された「万歳!」の声が響きます。

なるほど、こうやって韓国では当時の記憶を鮮明に次世代に繋げていっているのか、、。
私は目眩すら感じそうになりました。


日本人として、正直 この記念館を見て回るのはキツいものがあります。
疑問に思うことも多々あります。

この教育を続けていくということは、これからもずっと日本に対する嫌悪感を抱いていくことにもなるでしょう。

伝えていくことも大切。
過ちを繰り返さないことはもっと大切。
けれど、それ以上にこの記念館からは憎しみがありありと伝わってきます。
これが今後の日韓両国の関係にどう影響を与えるかを考えた時、思わず眉をひそめてしまうのも確かです。

ただ、この記念館ができた背景には日本の教科書問題があるということ。
もしかすると、当時の出来事以上にそれに対する日本政府の誠意を感じられない対応が一番の問題だったのかもしれません。

昨日も書いたように、私はこれらの展示物の「全て」が事実とは受け入れていません。

では、私が一番に知りたかったこと。
それは、韓国ではどのような歴史教育がされているのか、ということ。
それを知るには、ここはどこよりも一番相応しい場所であったように思います。

「独立」への思い。

*天安市の「独立記念館」、その第4展示館にある『3・1精神像』。


なぜ「独立記念館」がソウルから特急列車で1時間余り南下した天安市に建てられたかというと、
"3・1独立運動"で活躍し、後に「韓国のジャンヌダルク」と呼ばれた梨花女子大学校の女学生、"柳寛順~ユ・グワンスン"さんの出身地であるからだそう。


『3・1独立運動』、これを私が高校時代に使っていた参考書で調べてみると、次のように記されていました。

「1910年の韓国併合によって、朝鮮は日本の支配下に置かれるようになったが、民族自決主義やロシア革命の影響のもとに、1919年、ソウルで"3・1事件(万歳事件)"と呼ばれる大規模な民族独立運動が起こった。
33人の人物によって独立宣言書が発表され、数千の学生達が公園に集まり"朝鮮独立万歳"を叫び、その影響はソウル以外の地にも広がった。
しかし、この運動は日本によって鎮圧され失敗に終わった。」


では、韓国ではこれをどう説明しているのか、、。

「1910年、国権を強奪した日本は、我が民族の言論・出版・集会・結社の自由を剥奪し、憲兵警察を先立たせて武断支配を恣行した。
それに対し、多くの愛国志達によって独立運動基地建設と独立戦争を準備し、国内でも地下運動を展開。
そんな中、突然の光武皇帝の死。それは日帝(日本政府)による毒殺という噂が広がり、国を失った悲しみと鬱憤が爆発するようになる。

この機会に乗じて1919年3月1日、あらゆる宗教界の指導者と学生層代表者は、我が国が独立国で、我が民族は自主民であることを宣言して、ソウル・平壌を始めとする色々な地域で万歳示威に入った。
それは遼原に烈火の如く広がっていき、全国津々浦々に述べ200万人が参加する全民族的な示威へと発展。
国内だけでなく、満州・ロシア・米国・日本など同胞がいるところ全てで万歳示威が起こった。」

まだまだ続きます。

「日帝は銃と刀で無慈悲に弾圧したが、そのような弾圧の中でも悠久な歴史と燦爛な文化を持つ民族としての自負心と、自由がないと死を選択する不屈な自由精神を全世界に見せた。
3・1運動は、日帝に我が民族は銃と刀で支配できないことを気付かせ、武断統治を文化政治へと緩和せざるをえなくした。
また、中国・インド・インドネシア・フィリピンなど弱小被圧迫民族の独立に大きな影響を及ぼした。」


"3・1運動"は、これから続く独立運動への序章。
ここからも、韓民族がいかに誇り高い民族であるかを伺い知れます。


説明は、上段から韓国語、英語、中国語、日本語で記されています。
いくら私が韓国人を装ったとしても、下を向いて読んでいれば日本人だってことは一目瞭然ですよね。
大勢の韓国人の中、私の心はドキドキでした。

私は、韓国で示すこれらの内容が全て絶対だとは思いません。
けれど、当時の韓国の独立への思いを少しは感じとることができたと思っています。
そして、日本が韓国にしてきた事実についても、逃げずに直視しようという覚悟で見たものを、備忘録という意味も込めて書いていこうと思います。


*今日から少し、重い内容の日記が続きます。お付き合いして頂ける方はお読み下さいませ。

私が何故、この場所を訪れようと思ったかは、('08.02.16日記)に書いてあります。

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