I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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ありがとう、ザルツブルク♪

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早いもので今日は2月1日、もうすぐ立春なのですね。

このザルツブルク&アウグスブルク旅行記もこれにて終了。
たった4泊6日(正味3日間)の旅なのに、1ヶ月にも亘ってよくぞここまで書けたものだと感心してしまいます。

あれからの月日の経過に寂しさを感じることもしばしばですが、
日記を書くことによって、1ヶ月もの間 ず~っとザルツブルクを旅する余韻に浸っていました。(笑)


写真はお馴染みミラベル庭園の入り口、まだうっすらと朝靄に煙っているホーエンザルツブルク城塞です。
旅行記の最後の写真は、どうしてもザルツブルク城で締めくくりたかったんです。^^

ここを「ドレミの歌」の撮影場所に使うだなんて、映画"サウンド・オブ・ミュージック"も憎い演出ですよねぇ~。
雪で覆われた冬の気高いザルツブルクもお勧めですが、より映画の舞台を感じたい人には春から夏の花々が咲き乱れる季節がいいでしょう。

* * *

帰国日の朝もミラベル庭園を訪れました。
ホテル・モーツァルトから旧市街へ向かう時は、いつもミラベル庭園を抜けて、「タンツマイスターハウス」と呼ばれるモーツァルトの住居、そしてカフェ・ザッハーを横目にマカルト小橋を渡ります。

その日の朝は特に冷え込んでいました。
地面は所々が凍っており、南国(?)育ちの私はおぼつかない足どり。。。
1/2にも書きましたが、至るところで「つるん、つるん」と滑っておりました。^^;

ミラベル庭園を目前に、、、
この時は「つるん☆」といった拍子に体のバランスを崩し、あっけなく「すってんころりん☆」(@@;
ザルツブルクで転んだのは今回が初めてです!、、、(だと、思います。。)


そんな時、目の前にはゴミ収集車のような清掃車のような、けれどそれにしては小さすぎる車が庭園内に入っていきました。
あの車、なんなんだろう???
滑りながら小走りで後を追いました。

男の人が何やら大きなスコップのようなものを振り回しています。
あわわ、危ないではないか!?(@@;;

しかしよくよく見てみると、車には小さな小石が積み上げられています。

そっかぁ~、ここを歩く人が(私みたいに・笑)滑らないようにと凍った道の上に小石を撒いているのね~!!!

きっと北国のどの町でも行われていることなのでしょうが、昨日の「岩壁」の心配りに感動している私には、ますます"ザルツブルクって優しい街なんだなぁ~"とキラキラ輝いて見えました。^^



ありがとう、ザルツブルク♪
それは、私を心の底から幸せにしてくれる街。

今もザルツブルクを思い出すだけで温かい気持ちになっています。
次回はどんな表情を見せてくれるのでしょう!!

*長らくザルツブルク&アウグスブルク旅行記にお付き合い下さってありがとうございました。^^

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清々しい気持ちで。。。

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ハルシュタットの旅を終え、ザルツブルク中央駅に到着したのが18:10。
まだ夜は始まったばかりですが、程よい疲れにそのままホテルへ向かいました。

はぁ、明日は帰国かぁ~。。。。。


<ホテル・モーツァルト>では、毎晩20:00から各部屋にて映画「サウンド・オブ・ミュージック」が放映されます。
その同じチャンネルで、毎日決められた時間帯にザルツブルク案内が流されます。
ドイツ語・イタリア語・英語・日本語の4ヶ国語で、それぞれ2回づつの計8回。
およそ45分の内容です。

その日、18:30に部屋へ戻った私がTVを点けると、すでに30分は経過していましたが、日本語版のそれが目に入りました。

画面に映ったのは、ザルツブルク音楽祭の会場で有名な"祝祭劇場"の隣りにある「馬洗い池」。(写真)
その昔、大司教は馬車用にと130頭もの馬を飼育しており、これはその馬の為の洗い場でした。

そして、その背後にそそり立つ切り立った岩肌が見えるでしょうか…。

それはホーエンザルツブルク城塞が聳える"メンヒスベルクの丘"の硬い岩壁。
*この岩を削って造られたのが祝祭劇場のホール「フェルゼンライトシューレ」。
「サウンド・オブ・ミュージック」では、音楽祭に出場したトラップ一家が歌うシーンに登場しました。

この岩肌からの落石で、以前は多くの人達が負傷していたのだそうです。
その危険を除く為、毎年4月になると13人もの地元男性が岩壁を丁寧にチェックします。
すでに落下しそうな石を取り除く作業です。
この期間のザルツブルク市内では、作業による落石注意の為の交通規制が行われるようですよ。

"コツコツ、コツコツ"音が響きます。
高い場所からロープで吊り下げられ、ひとつひとつ点検する姿には頭が下がります。
それこそ、そこから落下すれば彼らの命はありません。

その場限りの観光客では見ることのできない、けれど私達を危険から守る為に陰でこういう努力がなされていたんだ、、、
そう思うと、なんだか心の底から温かい気持ちになりました。

単なるザルツブルクの観光案内に過ぎないと思っていた番組だけに、思いもかけないザルツブルクの素顔を見れたようで嬉しかったです。


次の日の朝、いつになく清々しい気分でこの岩壁を見上げたことは言うまでもありません。^^

ようこそ、ホテル・モーツァルトへ♪

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*<ホテル・モーツァルト>に続く並木道。 【'09.01.03】


「picchu~ko~!!! How are you~? (o^―^o) 」
<ホテル・モーツァルト>のスタッフは、皆さん 気さくで陽気な人達。^^

とりわけ、いつもレセプションに座る可愛らしい女性は私の大のお気に入り☆
彼女は、私がワーホリ時代に語学学校で仲良しだった先生<メラニー>にそっくりです。^^
(メラニーの写真は、('07.09.25日記)の日記に載せてあります。)

「アウグスブルクでの年越しはどうだった~?」
「えぇ~! ハルシュタットまで行って来たの~? とっても遠かったでしょう! バスで行ったの?」

まるでホームステイ先のマザーと話しているみたい。^^
私から色んな話を聞きだそうと、彼女の目は爛々と輝いています。

「列車で行ったわ! 少し立ち寄ったバート・イシュルもなかなか素晴らしかったわよ!!」
そう、、、私は日本にいる家族や友達よりも、まずは彼女に旅の報告をしているのです。(*^―^*)

* * *

そして、私はこのホテルの朝食に出される山盛りのパンも大好き☆

クロワッサンにロールパン、様々な雑穀の入った薄い食パンにベーグルっぽいのもあったかな。。
好きなだけ食べれるようにと、テーブルごとに様々な種類のパンたちが山積みされているのです。

日本の食パンのふわっとした食感に比べるとかなり固いんですけどね、、、どうやら私はこちらの方が好みのようです。
どれもこれも美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまうのが難点ですが、旅行中はいつになく歩く距離も長いですから、それもよしとしましょうか。。。^^

:*:*:*:*:*

ザルツブルクに着いた時、懐かしさと安堵感に包まれて、思わず「ただいま~!」って叫びたくなる瞬間があります。

ひとつは<ホーエンザルツブルク城塞>を仰いだとき。
次に<ミラベル庭園>に立ったとき。

そして、ここ<ホテル・モーツァルト>の扉を押すときです。

親しみやすいスタッフの皆さんと、あのパンとともに煎れたての珈琲の香りが私の心をくすぐるんですよ~。^^


ザルツブルクの新市街、ミラベル宮殿からザンクト・アンドレー教会を左手に北東へ真っ直ぐ進んだところ、、、、、
ピンク色の可愛い建物が見えたら、それが<ホテル・モーツァルト>です>!

* ('07.12.17日記)でも、<ホテル・モーツァルト>について詳しくアップしています。^^

夏の離宮 「カイザーヴィラ」

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なだらかな坂道を上っていくと、目の前に"マリア・テレジア・イエロー"を思わせる建物が現れました。

「カイザーヴィラ」…その重い扉を開けると、皇帝の別荘というには慎ましい趣き。

けれど、館の壁いっぱいに飾られている鹿の角の数には驚かされました!(↑)
それは、狩りが何よりも好きだったというフランツ・ヨーゼフ皇帝が射止めた獲物たちです。
その数、2000頭以上。
鹿の頭に両翼を広げた鷲など、その剥製を眺めるだけでも充分に見応えがあります。


昨日も書きましたが、この館に来た目的は皇帝が大好物だったクグロフを食べる為、、、
その他は何も期待していませんでした。

入ってすぐの右手側にある売店をぐるっと回った後、何気なく中を覗きました。
目の前の人がそれぞれの言語で書かれた説明文を手にしています。
日本語はあるかなぁ~、、、、、?

「ここに入るには入場料がいるわよ。中はガイドが案内するから、後10分ほど待っててね。」
無断で説明書を取り出した私に、売店のお姉さんがそう教えてくれました。^^;
見ると、次のガイドツアーは14:15から。

* * * * * * *

ツアーは基本的にドイツ語のみの説明です。
館の内部を約1時間かけて一周します。

ウィーンの王宮と比べると、なんてこじんまりとしているのでしょう。。。
だからでしょうか、、、そのあちこちに皇帝と皇后エリザベート(シシィ)の面影が色濃く残されていました。


そして、サロンの奥にある小さな礼拝堂を覗いて言葉を失います。
なんと、そこにはシシィが亡くなる最期の時に敷かれていたクッションが置かれていました。
*ご存知の方も多いと思いますが、エリザベート皇后はスイス・ジュネーブの湖畔でイタリア人ルイジ・ルッケージによって暗殺されました。

あぁ~、シシィはこの上で息をひきとったの。。。
彼女の息吹が感じられそうな空間だけに、感慨もひとしおでした。

* * *

そのエリザベートの胸像が置かれたフランツ・ヨーゼフ皇帝の書斎。
ここで皇帝はセリビアに対する宣戦布告に署名しました。 1914年7月28日のこと。
長年に亘って栄華を誇ったハプスブルク家を崩壊させた第一次世界大戦のはじまりです。

署名後、皇帝はすぐにウィーンへと戻り、以後二度とバート・イシュルを訪れることはありませんでした。
その2年後、皇帝がこの世を去ったからです。
肩をおとし、寂しそうなフランツ・ヨーゼフ皇帝の後ろ姿が目に浮かびます。。。

皇帝が最後に過ごした時のまま、まるで時間が止まってしまったかのよう。
机の上は当時の状態のままで保存されています。


思いもよらず、歴史的意義のある場所を前にした私は、改めてオーストリアという国に深く興味を持ちました。
もっともっとこの国について知りたい。
この先も、きっと同じ場所に立つ私がいると思います。

:*:*:*:*:*:

ところで!! 肝心の「グーグルフプフ(クグロフ)」のお味ですけれど、、、
あはは。 実はこの日、カイザーヴィラ内のカフェは☆closed☆でした~。^^;

もう一度詳しくガイドブックを見てみると、カイザーヴィラが開いている期間は5~10月上旬とあります。

あれれ??? どうしてこの1月2日は入場できたのかしら???  
不思議ですねぇ。(o^―^o)

気になる街 「バート・イシュル」!

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もうすぐ昼休みという時間、私の携帯電話がメール受信を知らせました。
それは、一昨年の夏にハルシュタットで出会った韓国人Jeannaから。^^
('07.12.26日記)

「Oh, picchuko !
あなた、またザルツブルクとハルシュタットへ行って来たのね~。
うぅ~、ハルシュタットの冬景色はなんて美しいのでしょう、、羨ましいわ!

・・・・・・・
今年があなたにとって、素敵なことばかりの一年になりますように。  Jeanna 」 

先日、この旅で撮ったハルシュタットの写真を彼女に送っていたのでした。

* * * * * * *

'07年の7月、ハルシュタットからザルツブルクまでの道のりをJeanna達と行動を共にしました。

ハルシュタットを出ておよそ20分。
『バート・イシュル』という駅に到着しました。

その時は数分停車しただけの小さな街。
「ここって、皇帝のお気に入りだった街だよね。」 
Jeanneが指差しながら言いました。

だからでしょうか、、、何気なく私の中にその街の印象が残っていました。

* * *

そう、皇帝フランツ・ヨーゼフは、その生涯の殆ど毎夏をバート・イシュルで過ごしました。

そして、シシィこと皇后エリザベートと彼が出逢ったのもバート・イシュルでした。
二人の結婚を記念して、皇帝の母ゾフィーから贈られたものが「カイザーヴィラ」という別荘です。(写真)


1月2日、ハルシュタットへ向かう列車の中で偶然見つけたガイドブックのコラム欄。

~ バート・イシュルに滞在中のフランツ・ヨーゼフ皇帝は、毎朝4:15には執務を開始した。
そして、6:30きっかりになると皇帝の大好物のグーグルフプフと香り高いコーヒーとともに朝食を取るのだった。

グーグルフプフ(別名クグロフ)は、バターがたっぷり入ったスポンジケーキのこと。
マリー・アントワネットも大好物だったというこのケーキは、カイザーヴィラ内の小さなカフェでも味わえる。 ~


これは是非とも食べに行かなくっちゃ♪ なんとなく気になる街だったし…。
そこでハルシュタットからの帰り道、バート・イシュルで途中下車した私です。^^


ここは温泉町としても有名です。
ヨハン・シュトラウスが「温泉ポルカ」を作曲したのもここ、ブラームスが温泉名のタイトルを付けた「バーデン・バーデン交響曲」もこの地が由来です。^^

日本では温泉といえばもっぱら湯に浸かってばかりですが、ここでは鉱泉水を飲むのが主流なんだそうですよ。
死海よりも塩分の高い鉱泉水を、「トリンクハレ」という施設で「飲む」温泉療法を体験できるらしいです。

ですが、私の目的は温泉ではありません。
わきめも振らず、一直線に「グーグルフプフ(カイザーヴィラ)」へと向かいました。(笑) ・・・・・・・・・・・・・

静かなる眠り。

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「美しい湖畔の街、ハルシュタットに来ています。

鐘の音がちょうど正午を知らせます。

ほとんどがカトリック教徒のオーストリアですが、ここハルシュタットではプロテスタントを信仰する人々が半数近くも占めているそうです。

今、カトリックとプロテスタントの二つの教会の鐘の音が、まるで調和するように響いています。。。
           '09.01.02  picchuko」

* * *

写真は、急斜面の岩の上に建立されたカトリック教会の裏手側、墓地と納骨堂「バインハウス」です。

辺境の地で、しかも狭い土地では充分な墓地のスペースが取れないハルシュタットでは、10年ごとに墓の割り当てが決められていたのだとか。
そして、墓の再利用の為に掘り起こされた遺骨を納めた場所が、白い建物のバインハウスでした。

そこには故人の生没年とともに、一族を示す文字や彩色が施された頭蓋骨が整然と並べられていました。
その数、およそ600以上なのですって!(驚)
頭蓋骨の下にも、足や腕らしき骨がぎっしりと積み重なって…。

けれど、恐いとか無気味だとか、そういう雰囲気では全くないのです。
祖先を大切に敬う気持ちが伝わってくるようなところ。 
そして、いつかは誰にも訪れる死後の安眠の場所に見えました。

ですが、さすがに一人で入る勇気もなく、外から眺めるだけで引き返しました。


それぞれの墓地には可愛らしい装飾や生前の写真、きっと春が来れば美しいであろう花壇が設けられていました。

故人と静かに語り合えるような静けさと空間は、
人は死後、確かに神様の下に召されることを教えてくれるかのようでした。。。

ケルト音楽を聴きながら…。

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~~~ あなたにわかってもらえるかしら…  私に訪れた この変化を
ここ数日 恐くてたまらなかったの  私は流されてしまうんじゃないかと…

古い話を語ってみたり 歌をうたったりして 考えてみたの
自分がいったいどこから来たのか

だからこそ なんだか 今ではずいぶん遠い気がして… ~~~

*スコットランド出身の放浪詩人"ダギー・マクリーン"の名曲「CALEDONIA  ~カレドニア」より 。
"Celtic Woman"の2ndアルバムにも収録されています。^^
「カレド二ア」、古くローマ時代にはスコットランドをそう呼んでいたそうです。

* * * * * * *

自分でも不思議なことに、、、ここハルシュタットを旅する時は、なぜかケルト色の強い音楽を耳にしたくなります。

夏に訪れた時は「Celtic Woman」を、そしてこの冬は「Secret Garden」の曲を聴きながら自分の世界に耽りました。

私は、スコットランドやアイルランドを旅したことがありませんので、それらとハルシュタットを比べることはできませんが、
それでもケルト音楽とハルシュタットはとてもよく合うと思います。

幻想的で神秘的な雰囲気がそう感じさせるのでしょうか…。


けれど、実はハルシュタットとケルト人とは深い関わりがあるのです。
ケルト人は元々 中央ヨーロッパに誕生し、その後オーストリア・アルプスを中心にヨーロッパ全土へ広がっていきました。

しかし、紀元前1世紀にローマ帝国のカエサルによって征服され、続くゲルマン民族にも追われ、西へ西へと移動していきます。
そして、現在のスコットランドやアイルランドに辿り着き、生き延びた民族だそうです。

*紀元前1200~紀元前500年頃、ハルシュタットの裏山に眠っていた豊富な岩塩を求めて移住したケルト人の文化が有名な「ハルシュタット文化」です。
その世界最古の岩坑は、今も操業されています!(驚)


私がハルシュタットにケルト色を感じたのは、もしかするとそんな悠久の歴史を知らず知らずに肌で感じたからかもしれません。^^

* * *

~~~ 言わせてよ 愛していると  いつもあなたを想っていると
カレド二ア… あなたが私を呼んでいる

さぁ、故郷へと帰りましょう

けれど、もしも私がよそ者になるなら これ以上悲しいことはない
カレド二ア… 私にはあなたしかいない ~~~


遠く故郷を離れた移民たちの、切ない想いがこみあげてくる歌ですよね。。。

それは、遥か彼方から繰り返されてきた彼らの記憶からかもしれません…。

冬のハルシュタット

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1/2の朝、ザルツブルクはまだ眠りから覚めていないような深い霧に覆われていました。

白く染まったその街は、また違った趣きで佇んでいます。
けれど、いつもは雄雄しく街を見下ろすホーエンザルツブルク城塞も、今日は霧に隠れて姿を現してくれません。

「それならハルシュタットへ行こう!」
雪が降ったなら、少し遠出をしてハルシュタットへ向かうことを心に決めていました。

サクサクッとうっすら積もった雪を踏みしめ、中央駅まで急ぎます。
ホテル・モーツァルトから徒歩15分。


列車QBB(IC 547)は9:08に出発です。
切符売り場の窓口では、丁寧に私が乗車する列車と時間、乗り換え駅まで詳しく印字された紙を手渡してくれました。

ザルツブルク中央駅からウィーン行きの列車に乗り、
アットナンク・プッハイムまで47分。 9:55着。
そこで乗り換えて、ハルシュタットまで1時間14分。 10:13→11:27
待ち時間を含め、トータルで2時間19分。 距離は136kmです。
そう、誰が見ても分かるように書かれてありました。

座席にも、その列車の到着駅と到着時刻が記された紙が置かれています。
そこにも各駅からの乗り換え先など、乗客が下調べをしていなくても困らない心配りがされていました。

私、決して1等車に乗ったわけではないのですよ。 2等車の自由席。
1年半前もハルシュタットへ行く為に同じ列車に乗りましたが、こんなに親切だったかしら?

* * *

この列車で途中下車しなければ、お昼過ぎにはウィーンなのかぁ…。
それでも良かったかな~^^、、、なんて思いながら窓の外を眺めていました。

このザルツブルクからハルシュタットへ向かう車窓からの風景が、私、特に好きなんです。(*^―^*)

何気ない牧歌的な景色なんですけどね、
なんだか懐かしくなってしまって、思わず涙がこぼれそうになるんです。


ハルシュタットに近づくほど、辺りの山々は深く険しくなっていきます。
夏では感じられなかった威厳ある面持ち。
一瞬恐れを感じながら、それでも目を離せない美しさに息を呑みました。

その時の感覚は、きっと永遠に忘れないでしょう。
すでに私は虜になってしまったようです。^^

冬のハルシュタット、、、、、かなりオススメですよ♪

モーツァルト・クーゲル♪

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いつもご訪問、ならびに沢山のコメントをありがとうございます。o(^-^)o

本日、50000アクセスを突破することができました。
奇跡のようで驚いています。

皆さんからの足跡とコメントが大きな励みとなって、ここまで続けることができました。
本当にありがとうございます。^^/


50000アクセスの記念品として、今回はザルツブルクの銘菓『モーツァルト・クーゲル』を1名様にプレゼント致します♪

ザルツブルクのお土産で最も有名なモーツァルト・クーゲル。
これはその数ある製菓会社の中でも"元祖"「フュルスト社」のものです。

1890年に菓子職人パウル・フュルストが生み出しました。
当初はモーツァルトボンボンと呼ばれていたそうですよ。*^^*

ピスタチオというナッツのマジパンを、ヘーゼルナッツのヌガークリームとチョコレートでコーティングした球状のお菓子です。

6年間を費やして出来上がったこのチョコレート菓子は、瞬く間にザルツブルクの人気商品となり、1905年にはパリ菓子博覧会で一位の座を獲得しました。

今では大量生産のミラベル社やレーバー社に圧されきってしまいましたが、
しかしそこはさすが本家☆ 今でも手製の手法にこだわっています。

一般に見かけるモーツァルト・クーゲルの包み紙は赤と金色にモーツァルトの肖像画が描かれています。
本家フュルスト社のものは青と銀色の包みが特徴です。

* * *

私はいつも、旧市街・レジデンツ(大司教の館)のすぐ傍にある小さなお店に入ります。


1/3の朝、凍える手を擦りながらお店のドアを引きました。

店頭には綺麗に飾られたチョコレート達が並んでいます。

「今朝は冷えるわねぇ。」
真っ赤な鼻を啜りながら、私も「そうですねぇ・・・。」と答えました。

「少し暖まって行きなさい。^^」
少し年配の店員さんはそう声を掛けて下さいました。

このチョコレートには、そんなさりげない優しさも込められています。(*^_^*)


宜しければ、私のブログの左下側「Mail欄」からご連絡下さい。
もちろん、直接私の携帯に連絡して下さっても構いませんよ。^^

ご連絡、お待ちしております。(^o^)/

アウグスブルクを忘れない。

ヨーロッパはどこの国でも、大聖堂は街の象徴的存在ですよね。

これが、アウグスブルクの大聖堂(ドーム)です。
どんよりとした重い空が冬のヨーロッパらしいですね。


9~11世紀のロマネスクと、14世紀以降に改築されたゴシック様式を併せもつ教会だそうです、、、、、
が、"~様式"と言われても、無知な私にはさっぱり。。。f^_^;


そして、この教会に残されているステンドグラスは原型を留める世界最古のものだそうです!
そのステンドグラスは「預言者の窓」と言われ、旧約聖書に出てくるダニエルをはじめ5人の預言者の姿が描かれています。
12世紀初頭の作品と思われます。

とても古典的な絵画で、ユニークな表情の預言者たち。
ちょっと吹き出しそうな真面目なお顔と、カラフルな衣装が笑いを誘います。(^^)

他にも綺麗なステンドグラスが数多くある中で、その5枚の個性的な絵だけが全く違う時空間の流れにありました。(笑)

* * * * * * *

「Yes, picchuko!
きっと今頃、君は日本へ向かう飛行機の中だろうね~。

家に着いたら、どうか僕にメールしてね。
日本についても色々お話聞かせてよ。

写真を見て、そしてドイツを思い出してね。

I wish you all the best Picchuko-san!
アウグスブルクのMより」

それはアウグスブルクを経つ直前に、駅近くのバーガーキングで出会ったトルコ人のMさんからのメールでした。
彼はsuhさんと同じアパートの住人です。^^

先日の日記にも書きましたが、彼の優しく深い瞳が印象的でした。

suhさんが紹介して下さった人はどの方も親しみやすく、昔からアウグスブルクにいるような気分にさせてくれます。
古い友人のような気軽さが魅力的☆^^

* * *

この先も、相も変わらず 私は旅を続けることでしょう。
その中で懐かしい人達が集う街、それが私にとってのアウグスブルクです。
そうそう、そして愉快なオペラが楽しめるところもアウグスブルクの美点でしたよね。^^
役者さん(ヤーンさん)、とてもカッコ良かったですもの~。 *^^*('09.01.13日記)

大聖堂や市庁舎といった沢山の見所よりも、縁ある人との出会いによって この街がより一層素晴らしく私の中に刻まれました。


suhさん、ありがとうございました。
Tさん、Mさん、ありがとうございました。
その笑顔に また会いに行きたいです。(*^―^*)

カトリックとプロテスタントが同じ敷地に~?!

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こちらが、カトリックとプロテスタントが同居している世界でも珍しい『聖ウルリヒ&アフラ教会』です。

手前にあるのがプロテスタント、奥の大きな教会がカトリックです。
この写真では霞んでしまっている玉葱状の塔の高さは93メートルもあります。

カトリック教会は1474年に建設が始まり、
プロテスタント教会は1555年のルター派の信仰が認められた「アウグスブルクの宗教和議」を記念して増設されました。
*この歴史的背景と詳細は、('08.11.22日記)('08.11.23日記)の日記に記してあります。


カトリック教会の中には、細かく見事な装飾品で埋め尽くされた後期ゴシック様式の祭壇があるのだそうです。

「…だそうです。。。」
というのも、煌びやかな祭壇は修復中のために高く壁に囲まれており、残念ながらそれを見ることはできませんでした。(T_T)
そしてプロテスタント教会には鍵がかかっており、こちらは中に入ることさえもできませんでした。(><。。)

ですから、この教会の地下にある、そして教会の名前の由来となった「聖ウルリヒ」と「聖アフラ」の墓所も訪ねることができていません。

しかし、ここアウグスブルクはキリスト教の歴史の中でも特に重要な生き証人?なだけに、私としても非常に感慨深いものがありました。


また、ドイツは第二次世界大戦で被害を受けた歴史的建造物が多い中、この聖ウルリヒ&アフラ教会は戦火を免れた貴重な遺産です。

* * *

カトリックとプロテスタントの両教会は短い廊下で繋がれています。
こちらは普段でも一般の見物客や信者達が通ることはできません。 
特別な人物のみ通ることが許されているのです。


「もしかして、私が有名人になったらその廊下を通ることができるの~?」 
私は(もちろん)日本語でsuhさんに尋ねてみました。^^

ちょうどその時、suhさんのご主人Tさんもドイツ語で言いました。 
「君が名の通った人物になれば、この廊下を渡ることができるんだよ。」

両方の言葉を理解できるsuhさんは、私とTさんとの間でくすくすっと笑います。
「言葉は全く違うのに、二人の会話はちゃんと通じて合っているんだもの~。(^^)」


いつの日か、、、"picchuko大統領"が誕生した暁には一番にこの教会を訪れてみたいと思います。(笑)

「フッゲライ」

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では、続いてそのモーツァルトの曾祖父である「フランツ・モーツァルト」が住んでいたところを。(笑)
(注:私は決してモーツァルトのルーツを辿る旅に出たのではなく、訪ねてみようと思った処が偶然にもモーツァルト縁の場所だっただけのことです。^^;)

写真は、('08.11.21日記)でも紹介した『フッゲライ』の家並みです。
フッゲライは、1521年に豪商ヤコブ・フッガーが資金を提供して、生活に窮しているアウグスブルク市民の為に建設された集合住宅。

そのフッゲライの大工頭だったのが、「フランツ・モーツアルト」でした。
昨日の赤い家がお父さんの生家ならば、ここフッゲライは曾お祖父さんの亡くなった場所。
今でもフッゲライ博物館として当時の形で残されています。

* * *

フッゲライの入り口を入ると、左手にはマルクス教会があります。
ここで一日3回、フッガー一族の為に祈りを捧げるのも入居の条件の一つらしいです。(^^)


「玄関ベルの取っ手を見てみて! ねっ、家ごとに形が違うでしょう。」

suhさんの言葉によくよく取っ手に目をやると、、、ホント、ホント、それぞれの玄関によって形が全然違います。
それは、街灯がなかった時代に暗闇の中、夜遅く帰宅しても玄関ベルの形を触れば自分の家かどうかが分かるように工夫されていたのだとか。
ちょっとした遊び心にも意味があるんですね~。^^☆


現在の家の様子も見学できるようになっていて、その思いもよらない広さと快適さ?にもビックリしました☆
玄関と居間と寝室と、台所とバスルームも、そして裏庭まであるのですから驚きです。@@
しかも"年間88セント"!! 約120円です!!
思わず、「私もここで住みた~い!」と叫んでしまいました。^^



この世界最古の福祉住宅、、、21世紀の今でも使われているのですから、そのコンセプトの確固たるや、日本の政治家さん達にも見せてあげたいです。。。

そして私が最も尊敬する点は、
《貧しい人達が、人からお恵みをもらって生きてゆくのではなく、自活するための援助をする為にこの社会住宅を建設した》ということ。
最近では、バングラディッシュでグラミン銀行を設立し、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の概念と同じですよね。

私は、この『フッゲライ』こそがアウグスブルクの一番の見所であり懐の深さだと思っています。


ところで、フッゲライの入場料は大人2ユーロ、子供(8~18歳)は1ユーロ。
むむむ、、一年間の家賃よりも高いではありませんか!(笑)

モーツァルトの父「レオポルト」

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*黄色い左側の家が、作曲家"ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト"の生家 【オーストリア・ザルツブルク】
 右の赤い家が、その父"ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト"の生家 【ドイツ・アウグスブルク】


レオポルト・モーツアルトの最大の業績は、息子であるヴォルフガングの才能を発見し、芽生えさせ、当時考えうる世界最高の音楽教育を与え、歴史上比類のない作曲家を開花させたことである。
(Wikipediaより)

そのレオポルト・モーツァルトは、1719年11月14日にアウグスブルクで生まれました。
('08.11.20日記)

息子、ヴォルフガングは1756年1月27日の夜、ザルツブルクの↑の建物の4階で誕生しました。

私はヴォルフガングには姉ナンネル以外の兄弟はいないと思っていました。
しかし このレオポルトの生家には、成人することなく亡くなった他の兄弟達の写真も並んでいました。
ヴォルフガングは7人兄弟の三男だったのです。


昨年、ザルツブルクにあるもう一つのモーツァルトの住居を訪れた時、そこで初めて作曲家としてのレオポルトの一面を知りました。
レオポルトは教育者として、また音楽教育理論家として高い評価を得ていますが、作曲家としての評価はイマイチ。

ですが、そこで聴いた彼の音楽は、後のヴォルフガングに繋がる何かを感じさせてくれました。
息子に比べると洗練さこそ劣ってはいるものの、心地よく響くメロディはモーツァルトの音楽そのもの。
自然な流れで私の中に入ってきます。

今に残るレオポルトの写真はどこか気難しく厳しい表情をしていますが、彼の足跡を辿ることでより深い親しみを感じています。
もしかすると、レオポルトが生まれた ここアウグスブルクが天才作曲家モーツァルトの原点なのかもしれませんね。(*^^*)

「アウグストゥス」の登場に!!

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*アウグスブルク市庁舎外観 (裏手より)


アウグスブルクの街の名は、初代ローマ皇帝アウグストゥス(オクタビアヌス)に由来します。
紀元前15年に造られたドイツで最も古い街のひとつです。

市庁舎の前には、1594年に建都1600年を記念して建てられたアウグストゥス皇帝の像と噴水があります。
その像は堂々とした面持ちで右手を差し出していました。

噴水盤の縁には、市の水力を象徴する4本の川のシンボル像が配されています。
水の豊富な街なのかな? 
アウグスブルクを歩いていると、至る所で美しい噴水を見ることができます。 
そして、幾多の水路も…。
「旧市街に縦横張り巡らされた水路は、水の都として有名なイタリアのヴェニスよりも多いのよ。」ってsuhさんが説明してくれました。

* * * * * * *

突然ですが、、、今日放送されたTBS「世界ふしぎ発見!」。 
テーマは"古代ローマ クレオパトラの魔法を解け!"でした。

私がローマを訪れたのは3年前のことになりますが、この頃 何故か無性にクレオパトラに関する本ばかりむさぼり読んでいました。
私の中では、カエサルもアントニウスも魅了したクレオパトラが古代ローマの象徴なのです☆


カエサルはクレオパトラをローマに迎え入れます。
古代ローマでは、異国の女王、それも飛びっきり美人で華麗な女王に魅せられた市民の間でエジプトブームが巻き起こりました。

例えば、クレオパトラが好きだったというバラの花に需要が集まり、小麦を栽培していた農家が次々とバラ栽培へ移行した為に経済にまで影響が出てしまったほど。
その当時の女性達の間ではバラ風呂が流行っていたのでしょうか?(笑)
しかし、これには小麦が豊富に取れるエジプトへの人々の関心を誘うカエサルの思惑が隠されていたという話。

そんなカエサルとクレオパトラの死後も、ローマにおいてエジプトブームは続きます。
その第一人者?であった「アウグストゥス」は、エジプトから"オベリスク"を持ち帰ってくるほどでした。
オベリスクとはご存知、ピラミッドが造られなくなったエジプトにおいて、神殿などの前に立てられたモニュメントです。
現存するオベリスクはエジプトよりもローマの方が多いというのですから驚きです。


番組後半、この「アウグストゥス」の登場に、思わず耳がダンボになりました!!!(^^)

あれれ??? では、そのアウグストゥスと縁の深い「アウグスブルク」には"オベリスク"があったっけ???
どうも私の記憶ではアウグスブルクにオベリスクはないのですが、あまり意識していなかった為にそれは定かではありません。(残念だなぁ。。。)

そして、最後のクエスチョン♪ 『数多く造られたアウグストゥス像の共通点は?』
それは次の3つの中からの選択でした。 
1.服装が同じ、 2.ポースが同じ、 3.年齢が同じ

私はとっさにアウグスブルク市庁舎の前に立つ像を思い出しました。
服装までは忘れたけれど、、、確か、右手を差し出していたかなぁ…。 
答えは2番だ! ^^/
ローマにある像も右手を掲げていたのです。

ブッブー!!! 正解は、3番☆ 
その頃としては珍しく76歳まで生きた彼は、自分が最も雄雄しかった30代の姿で像を造らせたのだそうです。

私が見た像も若々しかったっけ~??? ちょっと記憶が乏しいですけれど、、、。^^;

意外な「アウグストゥス」繋がりに、一層番組を楽しむことができました。^^

アウグスブルクは古代ローマ時代から2000年も続く街。
市庁舎からも近い「ローマ博物館」では、そんな歴史をより感じることができますよ。

黄金に目が眩む~。@@

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クラクラするぅ~。@@
これがアウグスブルク市庁舎3F、「黄金の広間」の天井です!

そのあまりの絢爛豪華さに呆気にとられ、しばらく上を仰いでいた私はクラクラ目眩いを起こしそうになりました。

例えばヴェルサイユやシェ―ンブルンなど、過去にも数々の宮殿の大広間に驚かされてきましたが、これほど頭が沸騰する感覚を味わったことはありません。

思わず両手を広げて、くるくると踊ってみたくなりました~。(*^―^*)


なんという空間☆

一枚一枚の絵の価値よりも、今にも頭上に落ちてきそうな眩しい天井そのものに圧倒されました。
勿論、この天井を支える壁にしたって、細部に至るまで贅沢の限りを尽くした装飾です。

日本の「侘び・寂」の正に対極の文化ですね・・・。


今も街のシンボルとしてその存在感をアピールするアウグスブルク市庁舎は、1615~20年に当地の建築家エリアス・ホルによって建てられました。
当時、アルプス以北では最も美しいと賞賛されたルネッサンス様式の建物。

第二次世界大戦中の1944年には、空襲で天井が焼け落ちてしまいました。
その後、1985年の市の創立2000年を記念して、約3kgの大量の金箔を用いて復元されたそうです。(驚)

suhさん、ありがとうございました !

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*アウグスブルク市立劇場の外観【'08.12.31】


1月1日午前0時を迎えると、まずはシャンペンで乾杯です☆
suhさんご夫婦とグラスをカチンと合わせながら、私は2年前のスイス・ルツェルンでの年越しを思い出していました。

「A HAPPY NEW YEAR 2009 !」
またひとつ、思い出に残る素晴らしい年越しを迎えることができました。

すでに戸外では、新年を待ちきれない人々が花火をあげています。
冷たい空気が頬を醒ます中、さぁ、私達も花火大会に参加です♪^^

ご近所の皆さん総出でしょうか…。
あちこちで打ち上げられる花火の轟く音、、、
ヒュ~~~!!! どこへ飛んでいくか分からない空中を走る花火の数々に、suhさんと私はきゃぁきゃぁ言いながら逃げ回りました。
suhさん、どこ~???  最後には大きなゴミ箱の後ろに隠れていた私です。(笑)

そこでご一緒したドイツ人ご夫婦、そして話は飛びますが、その翌日出逢ったトルコ人Mさんとそのお友達。
初めて会った私に、どうしてあれほどの深みある笑顔ができるのでしょう。。。
その優しいまなざしと気さくな人柄に、私は感動すら覚えました。


帰国後、それを上司のKさんに話しました。
「良かったねぇ。全てsuhさんのおかげだね~。」

本当にその通りだと思います。
私ひとりがいきなり皆さんの前に立ったとしても、どうしてあれほど親しく受け入れてもらえたでしょう。
単身ドイツへ渡ったsuhさんが、これまで築き上げてきた人との繋がりがあってこそ、その土台の上で私は皆さんと知り合うことができたのです。
「ありがとうございます。」それだけでは全然足りませんよね。

明日からそのsuhさんが導かれた街、ドイツ・バイエルン州にあるアウグスブルクの満載な魅力を少しでもお伝えできればいいな、と思っております。^^

♪これほど愉快なオペラはない♪

《セビリアの理髪師》

舞台は18世紀、スペイン・セビリア。

大貴族アルマヴィーヴァ伯爵は、セビリア一の美人ロジーナに一目惚れ。
彼女の部屋の下でセレナーデを歌ってみても、財産目当てでご執心の後見人バルトロが見張っていて窓は開かない。

そこで伯爵は、お金さえもらえれば散髪から身の上相談、恋の仲介、手紙の代筆まで何だってする町の便利屋フィガロに助けを求める。
伯爵は身分を隠し、貧乏学生リンドーロに変装してロジーナに近付こうとするが、同じく彼女との結婚を望むバルトロの邪魔があって思う通りにことが進まない。

たびたび窮地に立たされながらも、あの手この手でバルトロ家に忍び込み、大混乱を巻き起こす。

フィガロの機転でピンチを脱した伯爵は、身分を明かして誤解を解き、ついにロジーナと結ばれるのであった。

* * * * * * *

12/31の夕方、30分遅れでアウグスブルク駅に到着。

suhさんとの再会、ご主人Tさんとの出会いの喜びを噛みしめる間もなく、
私達は大晦日の最大イベント『オペラ・セビリアの理髪師』を観る為にアウグスブルク市立劇場へと急ぎました。

18時開演です。

趣きある白い建物のその劇場の中は、思いの外小さくて、そして想像以上に優雅でした。
深いワインレッドのカーテンが印象的です。^^

私達は、一階席の一番後ろ、中央に座ります。
誰にも遠慮せず、舞台全体が見渡せる最高の場所。
こじんまりとしているこの会場は、舞台との距離を全く感じさせません。


ただ一つ、私には心配事がありました。

それは言葉☆
今回のオペラはイタリア語上演、ドイツ語字幕です。
あらすじはざっと読んで来ましたが、だからといって頭の中に全てが入っているわけではありません。

昨日、ミラベル宮殿のコンサートで居眠りしたしなぁ~。^^;
せっかく何ヵ月も前からsuhさんにチケットを取ってもらったのに、寝てしまったらどうしよう。。。('~`;)

待ちに待った舞台だけに、それだけが気になっていました。


ところが!!!
始まってみると、言葉が分からないなんてなんのその!!!

舞台上で愉快に転がる(この表現が一番合ってるように思います。^^)役者さん達の一挙手一投足に笑いの渦が巻き起こります!

手を伸ばせば届きそうなほど、役者さん達が近くに感じられます。

気がつけば、私も前のめりになって舞台に釘付けでした~。^^
大きなホールで名の通った舞台を観るのもいいですが、地方劇場ならではの個性的な役者さんや大道具で表現された舞台を鑑賞する魅力を教えてもらえました。
きっと私、こういう無条件で楽しめるオペラを求めてたんです!!!(^^)


あははははっ。きゃははははは。 可笑しくって、可笑しくって、、、。
これこそ正に喜劇の王様だと思いました。

* * *

そんな舞台の小休憩。
私達はTさんの案内で、劇場地下のレストランで一休みしました。
そこは、役者さんやオーケストラの皆さんがお食事をするところ!!
自身も舞台に立つことのあるTさんだからこそ、入れることの出来る特別な場所☆

テーブルを囲んでオーケストラの皆さんが楽しそうに団欒していました。^^

そんな様子をワクワクしながら見ていると、なんと理髪師フィガロ役の男性がそこに立っているではありませんか!!!!!

舞台の上でも目立ちますが、さりげなく存在する彼も大したもの。
否応にも目が彼を追います。

素敵~☆(*^_^*)
こういうのを一目惚れっていうのですね~。(笑)
suhさんと二人、胸をときめかせながら見とれていました。^^

そんな二人に見つめられながら、僅かな休憩時間にもかかわらず、彼は本格的に食事を取っていましたっけ。
第2幕が始まって、歌いながらゲップが出たらどうするのだろう~、と私の方が心配してしまいました。^^;
それでも大胆な食べっぷりは男らしくって!、ますます恋しちゃったpicchukoです~。
(*^―^*)


*写真は、suhさんのご主人Tさんが貰ってくれた、その愛しの彼・フィガロ役『ヤーンさん(Jahn Friedrich Eggers)』のサインです!
suhさん、Tさん、とても楽しい最高の時間でしたね~。
ありがとうございました。o(^-^)o

ただ今、練習中 !

さて、アウグスブルクに話を進める前に、suhさん宅で学んだことを復習したいと思います。*^^*


お恥ずかしいことですが、、、
私は今まで『エッグスタンド』の使い方を知りませんでした。^^;

ゆで卵が転がらない為の単なる"たまご立て"くらいにしか思っていませんでした。
もちろん、小物を入れたり、上手にお花をさしたりと色んな使い方があるのでしょうが、、。


1/1の朝、アウグスブルクのsuhさん宅の朝食に、スタンドの上にちょこんと座ったゆで卵達が並んでいました。

私は何も考えず、殼をむきむき。^^

するとドイツ人であるご主人のTさんが奇妙な表情で私を眺めます。

「ゆで卵はね、こうやって食べるんだよ~。」と、
エッグスタンドに乗せた卵の上半分をナイフで切り、上手くスプーンですくっているではありませんかぁ~!!!

36年も生きてきて、"目からウロコ"です☆(((@_@

もう一つゆで卵を戴き、私もそのやり方に挑戦してみました。

すっごぉ~い♪
綺麗に殼の際まで掬えるものなのねぇ。

ふふふ、今年初めての感動です☆(o~-')b

* * *

帰国した私は、両親にも職場の仲良しさんにも尋ねてみました。

「ゆで卵ってどうやって食べる~? ^^」
「そりゃあ、もちろん殼を剥くでしょう。」

「むふふふ、そうじゃないんだなぁ~。(*^m^*) 」、と皆にエッグスタンドの使い方を自慢している私です。^^

そして、我が家でもエッグスタンドでゆで卵を食べてみました!

しかぁ~し、上手く切れない。。。(T_T)

見た目がキタナイ上に、上手く掬えない。。。(T_T)

ナイフが悪いのか、卵が悪いのか、はたまたゆで方が悪いのか、、、。(∋_∈)


いつ社交界にデビューしてもいいように、これからしっかりと練習します!(笑)

橋を渡るとそこはドイツ。

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その後、私はザルツァッハ川に沿って駅へと向かいました。


川はU字に大きく蛇行しています。

向こう岸はドイツ。
少し離れた場所に橋が見えました。

「渡ろう!」

手前にはオーストリアの紋章が、そしてその先にドイツの印を見ることができます。
*写真は、ドイツ側から撮ったものです。

150m程の橋を渡るとそこはもうドイツなのです♪(o^―^o)

どこが国境なのかな~。(*^_^*)
楽しみにしながら歩いていたのに、知らぬ間にあっさり渡り終えてしまいました。^^;

『Bundesreoublik Deutschland』
この街の名前はなんて読むのだろう?

看板の後ろには『Bayern』の文字。
間違いなくドイツ・バイエルン州のようです。^^

おぉ~、歩いて国境越えしたぞ!!

* * *

橋の上から眺める景色も美しい。

川の煌めきと深い木立の情景。
ドイツ側の厳かな教会と、オーストリア側の赤く低い三角屋根の可愛らしい家並み。
(その一枚が('08.12.31日記)の写真です。)

もし私がオーベルンドルフの住民なら、きっと天気のいい日は決まってこの橋を散歩コースにするでしょう。。。^^

思わず口ずさんでいました。^^

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小さな小さな「きよしこの夜礼拝堂」。
中に入ると、きっと誰しも「きよしこの夜」を口ずさんでしまいますね。^^


これまで、1818年のクリスマス直前に聖ニコラウス教会のモール神父が作詞をし、教会のオルガ二ストであり小学校の先生であったグルーバーが曲をつけたとされてきました。

ところが最近発見された資料によると、モール神父はそれより2~3年前から自作の詩を温めていたのだとか。
ただグルーバーがこの美しいメロディを僅かな時間で作曲したのは、間違いがないとされています。

そうして出来上がったこの曲は、クリスマスイブにモール神父のギターとともに彼のテノールとグルーバーのバスソロ、最後には聖歌隊が加わって歌われたそうです。
それが「きよしこの夜」が誕生した瞬間だったのですね。

礼拝堂の両脇にあるステンドグラスには、生みの親であるヨゼフ・モール神父とフランツ・グルーバーの姿が描かれていました。

* * *

この礼拝堂のすぐ傍にある「きよしこの夜博物館」では、ドイツ語・英語・中国語で聴くことができます。

私はしばし博物館の窓から礼拝堂を眺めながら、3ヶ国語の「きよしこの夜」を楽しみました。

ドイツ語バージョンは当時と同じくギター伴奏。
そして意外だったのが、中国語で歌われるこの曲も陽気さと神聖さが巧く溶け合っていい雰囲気を醸し出していましたよ。^^

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