I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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氷水をキュッと一口。

その昔、7歳の空海(弘法大師)が山頂で大請願を立て、断崖絶壁から身を投げたという我拝師山へ歩いて登った。

今日は母の通院日で、病院の送迎の待ち時間にちょっと・・・と思い立ったのだが、今でも何故そう思ったのか謎である。(笑)


我拝師山.jpg


この山、決して高くはないのだが超急勾配で知られており、途中何度も引き返そうかと迷った。

どうしてこんな急な山、登ろうと思ったのか。
だが、一度諦めたらもう永遠に登らないだろう。

我拝師山7.jpg


それにしても、キツイ。

讃岐には石段で有名な金毘羅さんがあるけれど、この山を休まず登れる人はきっと金毘羅さんくらいスキップであがれるに違いない。
大袈裟ではなく、それくらい苦しい道のりだった。


けれど、その都度親切な方々に声を掛けてもらい、もう無理と座りこめば上方から聞こえるお寺の鐘の音に励まされ、なんとか四国霊場第73番出釈迦寺・奥の院まで辿りつけた。


出釈迦寺・奥の院2.jpg


「よう登れましたね。」
優しい声に振り向くと、道中出会った年配のご夫婦の笑顔がそこにあった。

「あれ? さっき山を降りてましたよね。」
「ああ、私たちは毎日ここを二往復しているの。」
お二人は定年後、雨の日以外は欠かさずこの山を奥の院まで登っているらしい。

ふと気づくと、100回以上お詣りした方は境内に名前が張り出されている。

「ここに名前があるんですか?」
「ええ、まだ下の方ですがね。」


その時、今度は二人連れの男性が登ってきた。

「今日は来ないのかと思ったわ。」 先ほどの奥さんが声を掛ける。
「いやあ、今日はなでしこ見てたからねー。なでしこ、勝ったよ!」
「それで遅かったのねー。なでしこ、良かったねー。」
話が弾む。

どうやら、毎日登ってる人は何人もいるらしい。

「一日に二度三度登る人、結構いるのよ。」

そのおかげで参拝仲間が自然とできるのだろう。
この険しい道のりが、自然と会話を引き出してくれる。


「一口飲むと楽になりますよ。」 奥さんが凍ったペットボトルの水を手渡してくれた。

「わあ、嬉しい! お言葉に甘えます。」 
ちょっと・・・で登った私は、水も帽子もなんにも用意していなかったから、その心配りに感動してキュッと一口流し込んだ。


「またの時まで顔を覚えていてくださいね。」
二人が降りて行った後、私は幼い空海が飛び降りたと云われる場所はどこか探すことにした。

我拝師山6.jpg


出釈迦寺・奥の院3.jpg


だが、そこから先は断崖絶壁。
鎖を伝って岩肌を登らなければならない。

「一緒に登りましょうよ。」

75歳くらいだろうか、一人のおばあさんに誘われたが、背後に聳える山頂への岩壁は体力の限界で断念することにした。

後で知ったが、そのおばあさん、この奥の院を1万5千回以上参っているらしい。
 
ああ、おばあさんを拝んでおくんだった。(笑)




帰りは楽ちんと言われた坂を、今度は膝が笑うのを必死に堪えて麓まで降りてきた頃、母から迎えの電話が鳴った。


我拝師山5.jpg



私はその僅か2時間程度の出来事を、息もつかず母に話した。

「もうねえ、ホント大変だったんだから!」

「でね、帰りの坂を後ろ向きに歩くおじいさんを見かけて、なるほど、その方がきっと楽だと真似してみたら、三歩も行けば尻もちついてそのままゴロゴロ転げ落ちるのかと思ったわ。
あんな急な坂、上りも下りももう二度とごめんだわ。」

そうひとしきり喋った後、目の前にあった冷たい水をゴクゴク一気に飲み干した。


?!


「あれ? 痛くない。」


実は、5日ほど前から知覚過敏で、左上の歯に冷たいものが触ると泣きそうなくらい痛むのだった。
それでも冷たいものを飲みたい時は、ストローで喉の奥へ直接送りこむなど苦労していた。

それが、痛くない。 まったく沁みない。

そういえば、奥の院で冷たい氷水を貰った時から痛くない。

「しんどい思いしたけど、ご利益あったじゃない。」
母の言葉に妙に納得の私であった。(苦笑)






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高野山。

6月6日の午後11時半、車に母と愛犬2匹を乗せ、まるで夜逃げでもするかのようにこっそり家を出た。
近所の家々はすでに寝静まっている。

けれど土曜の夜だったからか、県道沿いのファミレスでは多くの頭が窓ガラス越しに見えた。

「余裕があるから高松までは下道で行くね。」
午前2時55分に徳島港発の船に乗るには2時頃徳島に着けばいい。


行き先は和歌山。
和歌山港から再び車を2時間ほど走らせると到着する高野山が今回の目的だった。


先月下旬にやっとのことで四国八十八箇所を廻り終え、高野山の奥の院で一つの区切りがつく。

勢いのあるうちに行っておかねば、なかなか高野山へは辿り着かない。
またいつか、そのうちに、と言っている間に、いつのまにか高野山行きがお蔵入りとなる。

亡き父がそうだった。
弘法大師御入定1150年の昭和59年に四国を巡り、高野山のみを残し全て納経は終えていた。
だが、遠いから、不便だから、と言い訳しているうちに歳を取り、足腰に自由がきかなくなった。
そして、そのまま父の納経帳は本棚の奥にしまい込まれたまま今となった。

なので今回の高野山行きは、私が八十八箇所を巡り終えたということ以上に、父の納経帳を仕上げたいという気持ちが強くあった。


高野山・奥の院2.jpg


奥の院は、弘法大師入定の地。


そのもっとも奥に弘法大師が今も瞑想しているとされる御廟がある。
弘法大師が62歳の時、手には大日如来の印を組み、座禅した姿のまま永遠の悟りの世界に入り、今も生き続けていると信じられている場所。


高野山・奥の院.jpg


深い森に続く参道には無数の石塔が並び、独特の空気が流れている。

早朝のお詣りであったため人は殆どおらず、ひんやりとした澄んだ空気が肌を包み込んでくれるのが気持ち良かった。

鶯のさえずりも一段と美しく森じゅうに響いていた。

すべてが神聖だった。


高野山・奥の院3.jpg


チリーン、チリリーン。

そして、御廟橋から奥の聖域とされる場所に近づくと、どこからともなくお遍路さんの鈴の音が聞こえてきた。

今でこそ大型バスが行き交う四国八十八箇所の道中も、私が子供の頃はまだこの鈴の音を鳴らしながら田んぼのあぜ道を白装束で歩くお遍路さんを見かけたものだ。
その姿が四国の原風景であったし、その鈴の音が四国の音風景であったように思う。

だから、すごく懐かしい気持ちになった。


高野山・奥の院14.jpg



実は、この高野山参詣の前日、うつらうつらする母の夢に昨秋亡くなった父が現れた。
おぼろな記憶だが、「奥の院の納経が済んだら、わしの納経帳をあいつにやらんとな、」と言ったという。

あいつとは父がお世話になったデイサービス職員の男の子で、四国八十八箇所を彼が歩いて廻った納経帳を、以前父の仏前に供えてくれたのだった。


父は奥の院にお詣りできなかったことが長年気がかりであったが、今回それが叶った。
その納経帳を彼にと、母の夢に出てきたんだそうだ。

「思い込みからの夢じゃないの?」
その話に最初は半信半疑であったが、「そういうこともあるかもね、」と話し合った。

「じゃぁ、デイサービスまで持って行こうか。」
母と私はそのつもりであったが、なんとなく彼に連絡できず四日が過ぎた。


高野山・奥の院.jpg


「夜分、すみません。」
先程、連絡していないはずの彼が家の前に立っていた。

「先日からデイサービスを利用し始めた方がHさん(父)によく似てらして、あ、Hさんが帰って来たって思ったんです。」


「またHさんのところへ行かにゃって思ったんです。」
手には、恥ずかしそうに吉本新喜劇のお土産を持っていた。

「実は、、」
私が夢の話をすると、父の納経帳を気持ちよく貰ってくれた。

こんなことってあるんだ。
不思議な出来事だった。

「きっと、またお邪魔することになりますね。」
そう彼は笑顔で帰っていったが、彼の素直さがこの不思議な出来事を引き寄せたのかもしれないと思った。

父が亡くなって7ヶ月、今も忘れず訪ねてくれる彼に感謝するとともに、そういう出会いを人生の最後に得た父は本当に幸せ者だと思った。


高野山を参詣できただけでも有難いことなのに、この出来事は心の奥底に深く刻まれたことだろう。

母も私もすがすがしい気持ちで手を合わせた。



続、四国遍路。

珍しい5月台風の影響で風が強まる中、お寺詣りに出掛けてきた。
四国霊場第67番札所「大興寺」と、第68番「神恵院」、第69番「観音寺」の三ヶ寺へ。


大興寺.jpg


ちょっと恥ずかしい話。
せっかく四国で暮らしているのだからと2009年2月から始めたお遍路さんだが、八十八箇所どころか(バラバラで)三十六箇所を巡った後はずっとほったらかしにしていた。

お詣りに行ってもわざわざ納経所まで足を運ぶこともせず、という札所もいくつかあった。

当初はあんなに張り切って、「お詣りしたお寺をブログにもアップするので、私のブログを通して皆さんも一緒にお遍路しましょ!」、なーんて嬉しげに書いてた自分が本当に恥ずかしい。(苦笑)


このまま永遠に葬り去られそうになっていたが、トロトロしているうちに何人もの知人が結願を達成し高野山まで詣でているではないか。


大興寺3.jpg


そして、亡き父が一年ほど通っていたデイサービスの職員さんも2年半ほど前に歩き遍路で四国を巡っていた。

当時22歳の彼は、自分の将来に悩みを持ち、遍路することを決心した。
愛媛県の宇和島市で生まれ育った彼は、地元の人たちのお遍路さんへのお接待を幼い頃より身近で見てきた。
そういうことも、若いながらも人生の岐路で遍路することを思いついた理由だと思う。

そして、彼は第37番札所の岩本寺で、宮城から来ている一人のおばあさんと出会ったそうだ。
その方は東日本大震災で息子さんを亡くされ、心に深い傷を抱きながらも慰霊の気持ちで四国へ来られていたのだと思う。

「今頃、息子はハワイ辺りかの。」

夜、遍路宿でおばあさんが言ったそのひとことが彼の胸に突き刺さった。

おばあさんは八十八箇所の一部の寺を詣でたのち宮城へと帰ったそうだが、彼はそのおばあさんのことが忘れられなかった。

お遍路さんのほとんどは、結願後再び第1番札所である霊山寺にお礼詣りをするんだそうだが、彼は「平成のお遍路は東北だ!」とその足で宮城へと向かった。

仮設住宅まで訪ね、八十八箇所すべて埋め尽くされた納経帳を見せると、おばあさんは笑顔を見せてくれたんだそうだ。

「岩本寺で出会った時はおばあさんに何もしてあげることができなかった僕だけど、その時はおばあさんを笑顔にしてあげることができました。」


本当はその納経帳をおばあさんにあげるつもりだったらしいが、父の仏前で納経帳を手にそれらを話してくれた。

「これ、もらってください。」
宮城のおばあさんにもあげなかった納経帳を、私の父にくれるという。

「よく考えて持ってきました。どうか、もらってください。」


戸惑う私に、「僕はお寺に詣ること以上に、その道中が遍路だと思っています」とまっすぐな瞳でそう言った。

その言葉と瞳に心打たれた私は、感謝してそれを頂戴することにした。



それからも半年近くなるのだが、先日久しぶりに徳島県にある第23番札所の薬王寺をお詣りし、仕舞い込んでいた自分の納経帳を差し出した。

「記念スタンプも押しておきますね。」

薬王寺の納経.jpg


今年は高野山開創1200年でにぎわっているが、昨年の平成26年は四国霊場開創1200年の節年だった。
その記念に特別のスタンプと御影をくださるのだが、それが今年の5月末までという。

スタンプラリーのようなお詣りはあまり好きではないけれど、これを機に私も再び結願目指そうかという気になったのだ。

今日も三箇所巡りながら、「道中が遍路」という彼の言葉を思い出していた。


まだまだな私だが、せめて本堂と大師堂で手を合わす時くらいは思いを込めてお詣りしよう、そう強く心に留めた。




観音寺の蓮.jpg





第83番 一宮寺(いちのみやじ)

第83番 一宮寺(いちのみやじ)
'11.07.09参詣  香川県高松市


この場所なら、グレゴリー・ペックはどう演じただろう?

たとえ真面目にお遍路さんをするとしても、その合間に面白いものを探そうという気持ちに変わりはありません。(笑)


私は、映画『ローマの休日』で有名な「真実の口」のあの名場面を思い出しながら、少しばかり首をひねりました。


というのも、高松市の『一宮寺』には、「真実の口」ならぬ「地獄の釜」というものがあり、ここにも似たような言い伝えが残っているからです。

「地獄の釜」とは地獄へ通じる穴。
その「地獄の釜」に、心がけの悪い意地悪な人が頭を入れると抜けなくなってしまうのだとか?!

片や「下水溝のマンホール」に対し、片や「薬師如来祠」。

片や「偽りの心」が試される口に対し、片や「心がけ」が試される祠。

片や「手」に対し、片や「頭」が抜けなくなる。


手なら噛みちぎられたように演じられても、さすがに頭の場合はあのようにはいくまい…。
グレゴリー・ペックよ、さぁ、どうする?(笑)

もちろん、この場所が映画のロケ地になることなど、まずあり得ませんけどね~。



私は祠に顔を近づけてみました。

実は私は意地悪が大好き。(^m^)

自分としては、意地悪というよりも、ちょっとした悪戯気分なのでありますが、、、。^^

にやけながら、私がちょっと意地悪なことを言うと、
同僚のI石氏などは「もしかして、君ってpicchukoさんっていうんじゃない?^^」と、意地悪な台詞を返されるくらい。(笑)


あ、意地悪を言う相手は誰でも~ってことはないのですよ。

自分が完全に心許せる相手とか、この人とは仲良くなりたいな~って思う相手に、好意のしるしとして意地悪をさせて頂いているのです。(笑)
もちろん、冗談が通じる人に限ります。


ですが、意地悪な私であることに違いはありませんからね~。
この祠に頭を入れることに少し戸惑ってしまいました。
(ちなみに、真面目にお詣りされている方達は、誰もそんなことをしておりません。^^;)

恐るおそる頭を突っ込んでみました。
あまり中まで入れてしまうと、祀られている薬師如来さまとチューしちゃいそうになっちゃいますので(*^^*)、ほんの入り口まで。


そして、今こうしてブログを書いているということは、祠の扉は閉まらずに、無事に帰って来れたということです。


もしかしたら、扉が故障中だったのかもしれませんが、
(いや、薬師如来さまのおかげかも?)
私の意地悪は愛情いっぱいの好意であるということを、きっと弘法大師さまも分かってくださったのだろう、、、そう解釈することに致しました。(笑)


5年ほど前には、ローマの「サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂(真実の口)」で私が嘘つきではないことが証明されましたし、
ここ「一宮寺」でも、私の意地悪は可愛いものだということが証明されました。(爆)



そうそう、イタリアには「地獄の口」というものもあるそうですね。
そちらは人が入れるほどの大きさとのことですが、そこにも何か言い伝えが残っているのかしら?

次は何を証明しに、「地獄の口」へ入りに行こうかな~。
それとも、三度目の正直で、今度こそ本当に中から出られなくなったりして…。(苦笑)

再び、お遍路さん。

再び、お遍路さん


チリ~ン。チリ~ン。

お遍路さんの持つ金剛杖に付けられた鈴の音が境内に響きます。

その音に、私は汗ばむ暑さを忘れました。
そして、この音を思い出すだけで、今も柔らかい線香の香りを感じられるのです。

瞼には実際に目にしていない、想像の、けれど懐かしい景色が浮かび上がってきました。


それは子供の頃に出会った絵本。
確か、小学1年生の夏休みに、読書感想文を書くために読んだ絵本だったと思います。

絵本の季節も夏で、
開いたページは一面が田んぼで、その緑色の中に立つ、すげ笠を被った白衣のお遍路さんが描かれていました。

物語は、母親を亡くしたばかりの男の子の家に、「一晩だけ泊まらせてください。」と女性のお遍路さんが訪ねて来ます。
その女性も、その少し前に自分の子供を亡くしたばかりでした。

男の子とお遍路さんが一緒に五右衛門風呂に入るシーンが、一番印象に残っているかな。


心に寂しさを抱いた二人の思いが通い合う、優しい気持ちになれる絵本だったと記憶しています。
そして、昔から続く「お接待」という温かい四国の慣習を、私たち地元の子供に伝えるいい絵本だったと、大人になってから気付きました。


「さよなら~。さよなら~。」
田んぼの向こうから大きく手を振るお遍路さん。

子供ながらも私の耳には、その時「チリ~ン。チリ~ン。」と杖の鈴が聞こえてくるようでした。

その音が、実際にお遍路さんが付けていた鈴の音で思い出されたのでした。

たぶん、今が絵本と同じ季節だからでしょう。

* * *

二ヶ月ほど前だったかな。

岩手から四国遍路にやって来たという一人の女性がTVで紹介されていました。

その方は、震災のせいで大切な家族も家も全て失い、当初 自分も死のうと思ったそうですが、
今は震災で亡くなられた方々の御魂をお慰めする為に、はるばる四国遍路に参ったのだと…。

道中、緑豊かな四国の自然に癒され、地元の人達の温かい「お接待」を受けながら、
八十八ヶ所全て巡り終えた彼女の顔には笑顔さえも戻っていました。

そのおばさんの明るい顔に私も心打つものがありまして、しばらくお休みしていた四国遍路の続きを再び始めることに致しました。

まずはGWに源平合戦で有名な屋島の札所をお詣りし、今日は第83番「一宮寺」と第81番「白峯寺」を参詣しました。


クライストチャーチ大地震と東日本大震災によって犠牲となられた多くの方々が、どうか安らかに眠れますように。

思いを込めて、手を合わせています。

別格第9番 文殊院(もんじゅいん)

別格第9番 文殊院(もんじゅいん)

'09.12.23参詣 愛媛県松山市


今年2月にスタートした四国遍路の旅。
88ヶ所中、今日で32の札所を廻り終えることができました。

弘法大師ゆかりの霊場は、四国八十八箇所の他に番外霊場として二十の別格があり、
これを合わせると百八となって、人間の煩悩の数となるのです。

好奇心旺盛といえば聞こえもいいですけど(笑)、無限に続く煩悩だらけの私ですので、
別格霊場の方もお詣りしなければなりませんよね。(^^;

そこで、本年最後にふさわしく、別格第9番札所・文殊院を参詣することと致しました。

* * *

といいますのも、

このお寺は、四国霊場発祥の地といわれ、四国遍路の元祖とされる衛門三郎の屋敷跡と伝えられているのです。

衛門三郎については、第51番・石手寺参詣の日記にも書きましたように、

ある日、門前にみずぼらしい身なりで托鉢をしようとした弘法大師を三郎が追いかえし、お大師様の持つ托鉢を地面に叩き付け、鉢を8つに割ってしまいました。

その後、三郎の家では 次々と8人の子供が亡くなります。
そして、それによって自分の罪に気付いた三郎は、自分の行いを懺悔して、全てを捨て、お大師様を追い求めて四国巡礼の旅に出ました。

* 続きは('09.07.13日記)

これが、四国遍路の始まりなのだそうです。


*

文殊院の境内より北へ数百メートル、辺りに広がる田んぼの中に8基の古墳群が並んでいます。
                    
言い伝えによれば、それが衛門三郎の8人の子供たちの墓なのだとか。

実際は、古墳時代末期の円墳と方墳と推定され、平安時代に生きた弘法大師とは時代が一致しないのですが、
古墳の前には「衛門三郎の子供の墓」と記され、それぞれの古墳上にお地蔵さまが祀られていました。

どうも まだ未発掘の古墳らしく、もしかすると本当に衛門三郎の子供たちが眠っているのかもしれません。^^


ここはお遍路さんでもあまり訪れる人はいないようで、のぞかな風景の中に昔のまま静かに溶け込んでいました。
頬を撫でる風も冷たくはなく、とても気持ちの良い散策となりました。

一年の締めくくりに、いいお詣りができたと思います。^^


* * * * * * *

ところで、、、
香川の山は、平野にぽっこり並ぶ おむすび山が多いです。

それに比べて、同じ四国といってもお隣りの愛媛県には西日本最高峰の石鎚山(いしづちさん)が聳えます。

まだ紅葉の残る低い山々の背景に、雪に覆われた白い石鎚山系を高速道路から見ることが出来ました。

頂上付近は深い靄で白く煙って見えませんでしたが、その姿は雄々しく、そして気高くありました。


そこで、俳句の盛んな愛媛ですので、私も一句詠んでみました。^^

とはいっても、江戸時代の曹洞宗の僧・良寛の辞世の句
「散る桜 残る桜も 散る桜」をもじってみただけです~。(笑)


 とける雪 残る根雪も とける雪・・・                                                                                    失礼しました。。。(^^;

第33番 雪蹊寺(せっけいじ)

第33番 雪蹊寺(せっけいじ)

'09.09.12参詣 高知県高知市


月の名所として名高い高知の゛桂浜"の近くに、四国霊場第33番「雪蹊寺」があります。

久しぶり(といっても、50日ぶり ^^;)に高知へ出向きたくなった私は、下調べもせずにそのお寺を目指しました。

家から車で2時間弱、お寺の駐車場に着いた私は、とりあえずガイドブックを走り読みしました。


・・・弘法大師によって開かれた このお寺は、創建当時「高福寺」と称されていました。

後に仏師・運慶とその子 湛慶がこの地を訪れ、本尊をはじめとする仏像を造ったところから
「慶運寺」と名を改めます。
(運慶晩年の作である本尊・薬師如来坐像は、予約をすれば拝観可能だそうです。)

その後、廃寺の一途をたどっていましたが、それを復活させたのが月峰和尚です。
月峰和尚と面識のあった長宗我部元親がこの寺を保護することになり、元親の宗派であった臨済宗に改宗されました。

慶長4年(1599年)に元親が亡くなると、その菩提寺になったのを機に、
元親の法号「雪蹊恕三大禅定門」にちなんで、「雪蹊寺」と改名されました。・・・


* * *


つい先月 お詣りを済ませた第66番札所「雲辺寺」にも、長宗我部元親にちなんだ話がありました。
(8/25日記)
偶然にも元親ゆかりの地が続くなぁ~、、、と思いながら手をあわせました。


お詣リの後、せっかくここまで来たのだからと、13年ぶりに゛桂浜"を訪ねることにしました。
そうだ、遠く太平洋を望む龍馬さんにも挨拶しなくっちゃ!(^^)


その道中でのこと。
これまた偶然にも「長宗我部元親の墓 ←200メートル」という標識が目に入りました。

えっ? 元親の墓???   こんなところに~?

少し細道を入って行くように思えましたが、たった200メートルなら覗いてみてもいいかな。
急遽、左折です☆


車を停めて、うっそうとした石段を登ります。

30段ぐらい登ったでしょうか、、、
一時は四国統一を成し遂げた武将の墓としてはなんとも小さな、薄暗い場所にひっそりと一つだけ寂しそうに建っていました。
           
第33番 雪蹊寺(せっけいじ)

あつ、蝶々!

その時、大きな黒い羽に白の模様をつけた蝶々が、お墓の周りをぐるぐると飛び回っていたのです。

その蝶々を眺めながら、ふと 先日の日記のTeaさんのコメントに対する、私が何気なく書いた返事を思い出しました。
http://plaza.rakuten.co.jp/picchuko/diary/200908250000/

それは、
雲辺寺の俊崇和尚に「お前は土佐一国の器でしかない。」と四国統一の野望をくじかれ、
それを無視して統一するも、結局は秀吉に敗れて土佐一国に領土を減らされたという話から、

それでも、土佐一国でも十分 大きな器だと、、、いつか元親に会う日があれば教えてあげることにします、、、と書いたもの。

振り返ると、その蝶々は姿を消していました。


すでにその場を立ち去ろうとしていた私でしたが、その足を止め、
「この素晴らしい土佐の国を治めたあなたは 大きな器でしたね。」と心の中で話し掛けました。

すると、どこからともなく先ほどの黒い蝶々が姿を現し、私を見送るかのごとく石段の下まで ひらりひらりと舞い続けてくれました。

もしかして、あの蝶々は元親の仮の姿だったのかな?


ちょっぴり不思議な感覚を残して、その場を後にした私です。。。。。

第66番 雲辺寺(うんぺんじ)

第66番 雲辺寺(うんぺんじ)

'09.08.23参詣 徳島県三好市
(現在、本堂は修復中です。)


「はるばると 雲のほとりの 寺にきて 月日を今は 麓にぞ見る」(空海)


雲辺寺は、四国霊場中最高峰にして 海抜921メートル、僧侶達からは゛四国高野"と称されています。
場所は徳島県と香川県との県境、香川県観音寺市からロープウェイに乗ると、簡単に山頂まで登れます。^^

これで三度目の雲辺寺詣ででしたが、今回初めてロープウェイを使いました。
全長2694メートル、高低差657メートルも僅か7分で到着です!!
以前は 雪の中、足場の悪い遍路路を歩いて登ったこともありますが、その時は半日近く掛かりました。

楽チンな上に、遠く見下ろす讃岐平野と瀬戸内海の景色の素晴らしさに、、、
ロープウェイさん、ありがとう。(o^―^o)

*

789年、16歳の弘法大師が善通寺(2/9日記)建立の材木を探すために この場所を訪れました。
そこで秀麗な山の趣きに心を打たれ、一夜にして堂宇を建立し、↑の句を詠まれたのだとか。
(開基は807年。)


戦国時代、このお寺に土佐の大名・長宗我部元親もお詣りに来たそうです。
元親は、眼下に広がる山河を見降ろして、四国制覇の野望を抱きます。

それを住職の俊崇和尚に話してみたところ、「貴公は土佐一国の主の器だ。やめておけ。」と諭されたのだそう。(笑)

しかし、元親はその言葉を聞き入れず、「仏法のことは住職だが、兵法のことは武士が決めるもの。」という臣下の進言を受け入れて、ついには四国統一の兵を挙げてしまいました!(><)

そのため四国は戦乱の巷となって多くの寺が焼かれ、雲辺寺もまた炎上してしまうのです。。。

1585年、元親は四国を統一。
けれど同年、豊臣秀吉に攻められ降伏し、
結局、阿波(徳島)・讃岐(香川)・伊予(愛媛)の土地は没収され、土佐一国のみ領有を安堵されたという話。(^^;

和尚さんの言葉に素直であったなら、無駄な血を流さずにすんだのにね。(T_T)

その後 雲辺寺は、徳島藩主・蜂須賀家の祈願所として再興されたそうです。


この話を戒めに、
私も変な野望を抱かずに、人の意見には素直に耳を傾けられる人になろうと思いました。(笑)

*

このお寺には、等身大の羅漢像が500体も並んでいます。
羅漢とは、お釈迦様のもとで悟りを開いた高層たちのこと。

第66番 雲辺寺(うんぺんじ)

中には、こんな剽軽な像もありました。^^   
第66番 雲辺寺(うんぺんじ)

第66番 雲辺寺(うんぺんじ)

第38番 金剛福寺(こんごうふくじ)

第38番 金剛福寺(こんごうふくじ)

'09.07.19参詣 高知県土佐清水市


弘法大師さまの修行とは、いかに険しく厳しい道のりであったものか、、、。
今回、それを改めて噛みしめる旅となりました。

そして、この場所へ辿り着くまでの長い道中に見かけた 何人もの歩き遍路の皆さん。
その横を車で追い越す度に何だか申し訳ないような、思わず手を合わせたくなるような、そんな思いになりました。

*

第38番札所「蹉だ山 補陀洛院 金剛福寺」は、足摺岬をすぐ目の前にして建っています。

その山号である「蹉だ山(さださん)」の「蹉」と「だ」の文字は、両方とも「つまずく」を意味し、この場所がいかに難所であったかを示しているのです。
(「だ」は、足へんに它と書きます。)


私のような゛なんちゃって遍路"なんてもっての外!
この四国八十八ヶ所を巡る遍路路は、今から50年ほど前までは゛辺土"と呼ばれるほど道も悪く、決して現在のように容易に巡ることはできませんでした。

それは、いつどこで倒れても お大師さまの元へ行けるようにと、死装束であったと言われています。


1000年先を見通して、四国の観光業にも貢献して下さるなんて、さすがは弘法大師さまよね。
な~んて、その重みすら知らずに口走っていた自分が恥ずかしい。

気持ちの上で、これからは出直し遍路です。

第38番 金剛福寺(こんごうふくじ)

難所らしさを感じさせない、南国らしい陽気な雰囲気たっぷりのお寺でした。


ここは歴代の天皇の祈願所として、平安時代後期には都に聞こえるほどの信仰を集めていました。
そして源氏一門とも縁が深く、彼らによって多宝塔をはじめとする諸堂が寄進されております。

また、平安時代の歌人として有名な和泉式部もこの地を参詣し、彼女の黒髪を埋めて供養したという逆修塔(生前に死後の菩提の為に建てる供養塔)も見られます。
                       

第38番 金剛福寺(こんごうふくじ)

境内は広く、本堂前に満ちた池の水に気持ちが和むのが分かりました。

第51番 石手寺(いしてじ)

第51番 石手寺(いしてじ)


その昔、伊予の国(愛媛県)に強欲な長者の衛門三郎という人物がおりました。

ある日、三郎の門前で みすぼらしい身なりの僧が托鉢をしようとしました。
何度追いかえしても現れる僧に腹を立てた三郎は、僧の持つ鉄鉢を地面にたたきつけ、鉢を8つに割ってしまいました。
僧も姿を消してしまいましたが、実はそれこそが弘法大師様でありました。

それから、あろうことに 三郎の8人の子供たちが次々と死んでしまいました。
悲しみに打ちひしがれた三郎の枕もとに大師が立ち、あの托鉢僧がお大師様であったことに気付きます。

自分の行いを懺悔して、全てを捨て、お大師様を追い求めて四国巡礼の旅に出ました。
20周しても出会えず、21週目は逆回りで四国を巡りました。

そして、とうとう徳島県の焼山寺(第12番)で行き倒れてしまいます。
そこに やっとお大師様が現れ、三郎は「もう一度、生まれ変わって功徳を積みたい。」と言い残し、息を引き取りました。

お大師様は路傍の石に「衛門三郎再来」と書き、三郎の手に握らせました。

それは、天長8年10月のことでした。

*

数年後、伊予の領主・河野家に男の子が生まれます。
しっかりと握りしめたその子の掌から、「衛門三郎」と書かれた石が出てきました。

その石は、今もここ石手寺に納められています。

そして この伝説が、四国遍路の始まりと言われています。


* * * * * * *


゛困難にある方は、この再生の石をお持ち帰りください。
一年経ったら七個を足して、八個にして、元気になってお返しください。"


境内には、その話にちなんで「七転八起・衛門三郎 再生の石」が無数 置かれてありました。

私も一つ、、、と手に取ったのですが、
十分過ぎるほど恵まれている私が、これ以上欲張ることは あまりにも卑しく恥ずかしいことだと気付き、そのまま置き直して帰りました。



私にとっては両親を喜ばす為、そして ただ物珍しさの為に始めた遍路ですが、

そうだ、、、藁にもすがる思いで遍路をされている方もおられるのだということに、この時 改めて気付くことができました。


なんちゃって遍路の私でも、そこは さすがお大師様。
少しづつではありますが、私にも何かしら悟らせるようにと 働きかけておられるようです。^^

第27番 神峯寺(こうのみねじ)

第27番 神峯寺(こうのみねじ)

'09.06.28参詣 高知県安田町

*


゛お遍路さんになろう!"と思った当初、私はその道中の険しさについて何も知りませんでした。

但し、88ヶ所を通して巡ると、およそ1230kmの距離になります。
その道のりの長ささえ乗り越えれば、後はそれぞれのご本尊に手を合わすだけ、、、。

私は車遍路(?)ですから、四国一周くらい簡単に回れるだろうと、安易に考えておりました。

ところが、車なら車なりの険しさがあるということを、札所を巡る度に痛感させられている 今日この頃です。(^^;



子供の頃から慣れ親しんでいる讃岐の札所は、そのほとんどが平野の真ん中に立つお寺。
まさか、山の奥深くまで霊場が存在しているなどと予想だにしていませんでした。

すでにお詣りを済ませた徳島県の鶴林寺(3/16日記)、高知県の金剛頂寺などでは、
これまで運転したこともない急勾配を登らざるを得ませんでした。

細く険しい山道で大型バスとすれ違った時など、神経がすり減るほどのヒヤヒヤ感を体験しましたし、そのおかげで随分と肝が据わってきたように思います。(笑)


* * *


それでも、昨日の「神峯寺」へと向かう坂道だけは泣きそうになりました。

大人3人を乗せ、小さな軽自動車で よくも最後まで登りつめたものだと、今でも不思議に思います。


それは、標高450mほどの山を約1000mで山頂を目指す、゛真っ縦"の坂。

カーブに次ぐカーブ、しかも45度近くありそうな急傾斜がひたすら続いているのです。(><)

さすがに、ここでは大型バスと出会うことはありませんでした。

それもそのはず、、、
大型バスならば、お尻がカーブを越えた時には 同時に頭が次のカーブを曲がっていなければならないほどの くねくね道、しかも油断すれば ずり落ちそうなほど急な坂。


知っていれば、山の麓でタクシーを拾ったことでしょうし、
もう二度と自分の運転で このお寺にだけは行きたくないと、記憶が鮮明な今の私はそう思います。

ホント、知らなかったから登れた場所です。(><)

*

帰り道、目の前を走るタクシーに、大きく書かれた「従業員募集」の文字を見つけました。

あの坂を越えられた私ですから、もしかするとタクシードライバーにだってなれるかも?!(笑)


自分の運転で 四国八十八ヶ所全てを回り終えた暁には、きっとかなりの運転技術を身に付けることができるでしょう。

まだまだ続く遍路路。 山奥に立つお寺は、まだいくつも残っています。

さぁ、覚悟を決めて、頑張ります☆


* * *

「神峯寺」へは、その急な山道を越えた後、仁王門から本堂までも150段の石段を歩いて登らなければなりません。

ですが、その石段脇の日本庭園に、ホッと一息つけました。

第27番 神峯寺(こうのみねじ)

第37番 岩本寺(いわもとじ)

第37番 岩本寺(いわもとじ)

'09,05.04参詣 高知県四万十町


*

お寺の本堂の天井画には、よく゛龍"の絵が描かれています。


例えば、山梨県にある日蓮宗総本山・久遠寺大本堂の加山又造画伯による力作゛墨龍"。

それと同じ画方で、加山画伯が俵屋宗達の゛雲龍図屏風"などを参考に、
金の下地に墨色で描いた龍が、現在 高松市美術館で開催中の「加山又造展」でも展示されていました。


第37番 岩本寺(いわもとじ)

~≪龍図≫ 1988年 光記念館蔵~


昨日、その展覧会のギャラリートークに参加した私は、この絵を前に「天井画に描かれた龍の意味」を知ることができました。

龍は、仏の教えをたすける八部衆の一つで龍神と呼ばれます。

それを、住職が大衆に仏法を説く法堂に描くことにより、法の雨(仏法の教え)を降らせるのだとか。

また、龍は水を司る神様でもありますから、火(火災)から護るという意味が込められているのですね。

*


では、こちら。^^

そんな意味深い 迫力ある龍とは対照的に、
第37番札所「岩本寺」本堂の格天井には、色とりどりの個性豊かな絵が飾られています。^^


これは昭和53年に本堂を新築した際、全国から575枚の絵を公募しました。
作者は子供からお年寄りまでと様々。

ですから、決して上手なものばかりではありません。
けれど、それが逆に面白い空間を生み出しているというわけです。^^

花鳥風月に人物画、もちろん中には龍の絵だってありました。


↑の写真は、本堂入り口のすぐ近く。
どうも、これら天井絵の中で、一番人気が「マリリン・モンロー」なのだそう。(笑)

どうです~? 分かります~?(*~~*)


*

この岩本寺は四国霊場で唯一、5体の本尊を安置しています。
(不動明王・聖観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩)

第88番 大窪寺(おおくぼじ)

第88番 大窪寺(おおくぼじ)

'09,04.29参詣 香川県さぬき市


四国霊場88ケ所のうち、まだ20ヶ所程度しかお詣りできていない私ですが、いきなり結願の「大窪寺」へ行って来ました!(笑)

というのも、大窪寺では今、牡丹の花が満開だとのこと?
そのニュースをTVで見たという母の言葉を疑いもせず、
どうせお詣りするのなら、それぞれのお寺が最も美しい季節に訪れるのが一番だろうと、東へ南へ車を走らせました。

ところが、、、私の楽しみにしていた牡丹は庭園に一株あるのみ?????

どうも おっちょこちょいの我が母は、大窪寺前にある うどん屋・「八十八庵」の敷地に植えられた「シャクナゲ」と勘違いしたらしい。。。
しかも、、、そのシャクナゲも見頃を過ぎていました~。><

* * *

ここは第88番札所。
本来ならば、全てのお寺を参詣し終え、四国を一周歩き終えて辿り着く場所です。

このお寺に着いて本堂に手を合わせると、思わず涙がこぼれると聞きます。
それだけ88ヶ所を歩いて巡ることは大変なことでしょうし、一歩一歩込められた思いも深いものがあるのでしょう。



第88番 大窪寺(おおくぼじ)



たぶん、それは歩き遍路をされた方のみが味わえる感動。
私もいつか自分の足で結願したいと思いました。

   

第88番 大窪寺(おおくぼじ)

遍路を共にした金剛杖をここで奉納します。
その杖の先は、第1番霊山寺をスタートした時から10センチ以上擦り減ると言いますから、
それは、その道中の険しさを言葉以上に表していますね。

*

この大窪寺では、もみじの新緑の美しさに目を見張りました。

木洩れ日がキラキラと舞っていて綺麗。(*~~*) ホント、いい季節ですね~。^^


第88番 大窪寺(おおくぼじ)

第88番 大窪寺(おおくぼじ)




<おまけ>

こちらの仁王様、まるで口紅をつけているように見えません? (笑)

第88番 大窪寺(おおくぼじ)
              

第11番 藤井寺(ふじいでら)

第11番 藤井寺(ふじいでら)

'09.04.26参詣 徳島県吉野川市


~ ~ ~

先日、「加山又造展」でのこと。
大きな龍が睨みをきかせ、迫力ある姿で画面全体に迫って来ました。

「そうそう、加山又造さんって天龍寺の天井画の龍を描いたことで有名なんだよね。」
「picchuちゃん、知ってる? どこのお寺だったかな、手を叩くとね、天井画の龍が鳴くんだよ。」
「じゃぁ、この加山さんの龍も鳴くかしらねぇ~?(笑)」

周りをこっそり見まわして、小さな音で「パンッ、パンッ!」
M子も小声で「ニャー、ニャー!」
「えっ? 龍ってニャーって鳴くの?(爆)」

~ ~ ~

全国各地のお寺に存在する゛鳴き龍"。
それは、鳴らした音が天井や床に反響して龍の鳴き声に聞こえるのですね。^^

どうも、第11番札所「藤井寺」本堂の天井画゛雲龍"も鳴くらしい。。。

それは、地元出身の画家・林雲渓よって描かれました。
大きさは30畳ほど。
睨んだその眼は 今まで見た龍の中でもとびっきり大きく、薄暗い中でひときわ白く光っていました。

残念なことに、このお寺の本堂に入ることはできません。
お賽銭箱の上から天井画を覗き込んで見るだけ。
ですから、、、龍の鳴き声もおあずけです。。。^^

*


山の麓にあるこのお寺は、それを囲むような深い山々と清らかな川の自然に恵まれ、背景にはうっすら紫色をした野生の藤が奥ゆかしく盛りを迎えていました。

そして境内にも、お寺の名前の由来となった藤棚がちょうど見頃を迎えておりました。

第11番 藤井寺(ふじいでら)





その昔、この地からさらに山中へ入り 17日間修行を積んだ弘法大師は、ここに五色の藤を植えたといいます。

この藤には、そんな伝説が残されています。
              
第11番 藤井寺(ふじいでら)

第31番 竹林寺(ちくりんじ)

第31番 竹林寺(ちくりんじ)


'09.03.29参詣  高知県高知市


一言、大変素晴らしいお寺です。

縁起もさることながら、そこに納められている宝物も、名勝の指定を受けた庭園も、
それはお四国さんの札所というよりも、古都京都や奈良にも繋がる風情です。


それもそのはず。
その昔、聖武天皇は゛文殊菩薩の霊場として名高い唐の五台山(ごだいさん)に登り、文殊菩薩から教えを授かる"という夢をご覧になりました。

そこで天皇は、行基に日本国中よりその唐の五台山に似た霊地を探し、寺を建てるよう命じたのです。
それにより土佐のこの地が選ばれ、行基自らが文殊菩薩像を刻んで本尊としたのが始まりです。

このお寺の本尊は、京都・切戸、奈良・安倍の文殊とともに「日本三文殊」のひとつに数えられています。
そして、そのお姿は四体の待者像とともに行基の作と伝えられ、日本に現存する文殊五尊像の最古のものと伝えられています。


ふ~ん、だからなのかな…。^^

「○○大学に合格しますように」
他のどの札所よりも、学業に関する願い事が記された絵馬を多く目にしました。
きっと今頃、彼らも喜びの春を迎えていることでしょう。

゛サクラ咲く"、、、この霊場は、桜の名所としても有名です。(*^^*)

*

「大変ですね~。ご苦労様です。」
このお寺の方でしょうね、 客殿の廊下を丁寧に水拭きされているおばあさんにお会いしました。

「数年前に国の名勝に指定されてから、逆に修理がしにくくなったんですよ~。
廊下などは雨漏りもしますしねぇ…。」
それはそれで歴史を感じる趣きがあります。

「障子の張り替えも、昔は私達の手で何ヶ月にも亘ってしてたんですがね、
天候の都合もありますから、今では専門の業者さんにお願いしてるんですよ。」

「高知は雨が多いですものね。」


その客殿を囲むように広がる庭園は、
鎌倉時代の禅僧・夢窓礎石によって、中国の廬山などを模して造られた池泉観賞式の見事なもの。


また このお庭に限らず、その境内の足元には美しい苔が敷き詰められ、その緑がまぶしいです。

四季折々の表情で、きっと参詣する人々の心を癒してくれることでしょう。
お遍路さんの白装束も絵になります。^^



第31番 竹林寺(ちくりんじ)

第31番 竹林寺(ちくりんじ)

第24番 最御崎寺(ほつみさきじ)

第24番 最御崎寺(ほつみさきじ)


'09.03.20参詣  高知県室戸市


写真は、最御崎寺にある「鐘楼堂」。
慶安元年(1648年)、土佐藩2代目藩主・山内忠義によって寄進されました。
昭和59年に新しい鐘楼堂が建立された為、現在は使われておりません。

* * *

数ある弘法大師ゆかりの地で、
室戸岬にある「御厨人窟」という洞窟は、19歳の弘法大師が悟りを開き、『空海』と改名した場所として有名です。

弘法大師に最も相応しい、その雄大な名前が誕生した場所。
それは一体どんな処なのか、、、気になる私はお彼岸の中日にあたる3/20に室戸へと向かいました。


まずは、岬の先端にある第24番札所「最御崎寺」をお参りしましょう。
ここにも弘法大師の伝説゛ねじり岩"や、空海七不思議とされる゛鐘石"など興味深いものが沢山あります。^^


゛ねじり岩"とは、
(こちらは高野山にも似たような逸話が残されているようですが、)

この地で修行をしていたお大師様を、お母様の玉依御前がその身を案じて訪ねて来られました。
女人禁制であるその山に玉依御前が登りはじめたところ、山は荒れ、火の雨が降って来たそうです。
山上から麓を見下ろした弘法大師は慌てて山を駆け下り、傍の岩をねじふせて母親をその下に避難させたといいます。

その小さな洞窟が登山道の傍に残されています。


う~む、弘法大師は力持ちでもあったのか…。(笑)

*

そして、゛鐘石"。

最御崎寺の仁王門をくぐると、大師堂の少し手前に大きな石が目に留まります。
それには沢山の窪みがあって、それぞれに小石が置かれてありました。

鐘石をその小石で叩いてみると、「カーン、カーン」と金属音が響きます。

面白い☆^^
私は何度も何度も「カーン、カーン」と鳴らしては遊びました。(笑)

ふと目を上げると、鐘石についての説明文がありました。
それによると、
~石質安山岩で叩くと鐘のように音を発し、その響きは冥土まで届くと言われる~
とあります。

ふ~ん、この音はあの世にまで聞こえるのか…。
ということで、又も私は「カーン、カーン」!^^

あまりにも甲高い音が響くものですから、これが石の鳴る音とはどうしても思えず、
色んな角度から叩いてみました。
「カーン」「コーン」「カーン」「キーン」

…し、しつこい…(ー"ー;)
きっとあの世にいらっしゃる方達もうるさく思ったでしょうね。(笑)


もしも、もう一度私がこのお寺へお参りに行くことがあれば、
その煩い参詣を阻止しようとして、あの世から総出で邪魔されそうですね~。(^^;

それにしても、摩訶不思議な金属音でした。
あぁ~、もう一度鳴らしたい☆^^


第24番 最御崎寺(ほつみさきじ)

第20番 鶴林寺(かくりんじ)

第20番 鶴林寺(かくりんじ)


'09.03.15参詣  徳島県勝浦町


勝浦町の゛ビッグひな祭り"に合わせて、その近辺のお寺を一ヶ所だけお参りしようと話し合いました。

ちょうど同じ勝浦町に、第20番札所があるらしい。
下調べも十分にせず、その日を迎えた私達。

「先にお寺をお参りするべきだよね。」
車に乗った私は、ナビで「鶴林寺」を検索しました。
徳島市からほんの少し南に下ったところ、我が家から高速を使っておよそ2時間の距離です。

同時に「るるぶ 四国八十八ヵ所」を開いてみました。
それには、
『「お鶴さん」とよばれる寺は、山頂まで4キロメートル余の急勾配の参道が続き、八十八ヶ所中、焼山寺に次いで2番目の難所として知られている。』
とあります。。。(^o ^;)

まぁ、駐車場が境内に隣接とありますから、車でも登れるということでしょう?!
安易な気持ちで車を走らせました。

ところが、、、これがかなり急な坂道でして、運転の苦手な方や初心者の方にはお勧めできません。
゛対向車が来たら睨み合うしかないかも!"というほど細いクネクネ道が続きます。

車道でも厳しい道のりですが、どうも歩いて登る遍路道はもっともっと大変そう。
その名も「へんろころがし」と呼ばれているそうで、、、
うん、うん、思わず納得です!(笑)


そんな山道を10分くらい走ったでしょうか。
まるで時代を遡ったような、杉の大木に囲まれた格別な趣きを持つ参道が境内へと続いています。
この生い茂った大木の樹齢は千年を越えるといいますから、もしかすると弘法大師の時代からここに根を張っているのかもしれませんね。^^


さて その昔、弘法大師がこの場所で修業をしていた折のこと、
老杉の上で雄雌2羽の白鶴が、小さな黄金の地蔵菩薩像を守護していたといいます。

お大師様は霊木に高さ1メートル程の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が護っていた黄金地蔵を納めて本尊にしたのが始まりです。

また、周囲の山々の雰囲気は、お釈迦様が説法をしたインドの霊鷲山に似ているとのこと。


そんな言伝えに相応しく、本堂も三重塔も味わいのある佇まいを見せていました。
三重塔は江戸時代末期のものです。


「21番札所の太龍寺からも、この三重塔が見えるんだよ。」
すでに四国巡礼8度目だという、若々しくて爽やかなおじさんが教えてくれました。
その太龍寺さん、こちらも難所中の難所で有名です。
今ではロープウェイで山頂まで行けるということで、ほぉ~と一安心。^^



以前参詣した第71番弥谷寺(2/10日記)もそうですが、
゛もう一度訪ねてみたいなぁ~"と思う、清らかで厳かな場所ほど難所なのですよね~。
それでも、そんなお寺が大好きです。

第77番 道隆寺(どうりゅうじ)

第77番 道隆寺(どうりゅうじ)


'09.02.01参詣  香川県多度津町


「えっ! 、、、よく見えない…。」
小学5年生の春の視力検査でのことです。
前回の検査では一番下の段まではっきりと見えたのに、、、そのぼやけた画面に焦りました。

それから毎週土曜日の眼科通院が始まり、ただの仮性近視のはずが、そこで眼球の異常が発見されました。
紹介状を持って香川医大へ。
信じられないことに、10歳にして生まれながらの白内障だと診断されたのです。(><)
高齢出産だった母の羊水の中で起こったとのこと。

その少し後だったと思います。
「め」という文字を歳の数だけ書いて、第77番札所・道隆寺さんまで持っていきました。


その昔、このお寺の本尊である薬師如来に祈願して盲目が治ったという京極左馬造公は、その後眼病の名医となりました。
彼は死後、道隆寺の潜徳院殿堂に祀られました。

ここを訪れる大勢の眼病祈願に来た人達と混じって、私も一生懸命お参りしたことを覚えています。

また、弘法大師1150回忌に建てられた多宝塔(写真↑)において、護摩供養をして頂きました。


それからは視力低下も進むことなく、辛うじて今は両目とも「0.1」の視力を保っております。^^


このお寺は私の家から徒歩10分。
当時、今は亡き大好きな祖母に手を引かれ、足しげく通った懐かしい場所です。^^


* * *

子供の頃より当たり前のように身近だったこのお寺の住職さんは、

開基した和気道隆が一代目、
二代目がその息子・朝祐法師、
三代目が弘法大師の実弟・法光大師、
四代目が弘法大師の甥・円珍とも知られる智証大師、
五代目が弘法大師の孫弟子・理源大師(醍醐寺を開基)と名の知れた面々が並びます。

きっと、その偉大な方々のご加護もあったのかなぁ~。(*^^*)

第30番 善楽寺(ぜんらくじ)

第30番 善楽寺(ぜんらくじ)


'09.02.22参詣  高知県高知市


高校3年の春のこと、ある事情で学校を退学することになった友達に会う為に、私は校外模試をさぼって高知市内へ出掛けました。^^

私学に通った私の周りには、県外から来た友達が何人もいました。
高知出身の彼女もそのひとり。


それは雨降りの日だったように覚えています。
傘の下、二人で第30番札所「安楽寺」へお参りし、大学受験の合格を祈願しました。
高知城から歩いていける距離だったと思います。

ところが、最近手にした本にはどれも第30番札所は「善楽寺」とあります!!!

なんで~、なんで~????? 
私は何度も首をひねりました。┐(’~`;)┌

* * *

土佐で最も古くから開けた「善楽寺」は、明治元年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
それにより、本尊である阿弥陀如来は「安楽寺」へ、大師像は「国分寺」へ移されました。

昭和4年、大師像や寺宝が戻り、善楽寺は第30番札所として復興します。
ところが、安楽寺へ渡った本尊はかえってこない。。。。。
そればかりか、安楽寺までもが第30番の札所を名乗り一歩も譲らないものですから、、、
さぁ~、大変☆☆☆

当時、2ヶ所もある第30番は遍路迷わせの札所として有名だったようです。

数々の揉め事や裁判までも経て、平成6年1月1日に第30番札所は「善楽寺」、その奥の院が「安楽寺」として今日に至っているそうです。
善楽寺が認められた理由とは、「四国の札所は大師の霊跡が主体で、遍路はその霊跡を一途に慕い歩くのである」とのこと。
これでお大師さまもホッとされたかしらね。^^

私が安楽寺を訪れたのは平成2年のこと。
そんな背景を知らない私達は、ただ素直に手を合わせて帰りました。



写真は、名誉を挽回した(笑)善楽寺の本堂です。

ここでは大型バスでやって来たお遍路さんでいっぱいでした。
墨書をしてくださるお坊さんは、高く積み上げられた納経帳を前に必死で筆を走らせていました。
ご苦労さまです~。(^^)

第29番 国分寺

第29番 国分寺

'09.02.22参詣  高知県南国市


写真は、第29番札所「国分寺」の金堂(本堂)です。

さすがは聖武天皇の勅願によって建てられたお寺だけのこと、
他の霊場とは、格式が一段違うことが雰囲気からして伝わってきます。

4つの県の「国分寺」を比べてみるのも、当時のそれぞれの国勢を知れて面白いかな~って思いました。
ちなみに、徳島県は第15番、愛媛県は第59番、香川県では第80番の札所となっております。


この高知の国分寺には、聖武天皇自らが金光明最勝王経を書写して納められ、後に弘法大師によって真言宗の寺として中興し、近年では長宗我部氏や山之内家の庇護を受けて栄えたそうです。

それだけに、お寺全体が清楚でかつ堂々とした佇まいを見せてくれ、心地良い澄んだ空気が頬を掠めます。


本尊千手観世音菩薩を祀る本堂は、長宗我部元親によって1558年に再建されました。
柿(こけら)茸きの屋根と天平文化に模した寄棟造りが特徴です。

この屋根は、30年に一度は葺き替えをしなければ持たないそうで、その木材は岐阜県から取り寄せているのだとか。
岐阜県といっても、"たぶん美濃ではなく飛騨地方の辺りからかなぁ~"と、高山陣屋の立派な屋根を思い出しながら話を聞いていました。

* * * * * * *

「近場を先に廻ってしまうと、遠いところばかりが後に残ってしんどくなるよ。」
という上司Kさんのアドバイスに、"なるほど~"、、、と思わず納得してしまいました。^^

この高知行きも、前日に突然決心したもの。

行きは、愛媛県との県境まで一般道を走り、そこから高速で南下しました。
帰りは、南国ICから最寄りの善通寺ICまで一直線。
どちらもおよそ1時間30分の運転でした。

予想外の近さに驚いています。 (@@
それでも、途中に聳える深い四国山地を越えなければなりませんので、26もの長いトンネルが続きましたけど…。

この調子なら四国の最南端「足摺岬」もさほど厳しくない?!(^^)  …いえいえ、それほど甘くはありませんって。(^^;)


次回はどこへ行こうかなぁ~、、、すっかり観光気分の私です。(笑)

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