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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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氷水をキュッと一口。

その昔、7歳の空海(弘法大師)が山頂で大請願を立て、断崖絶壁から身を投げたという我拝師山へ歩いて登った。

今日は母の通院日で、病院の送迎の待ち時間にちょっと・・・と思い立ったのだが、今でも何故そう思ったのか謎である。(笑)


我拝師山.jpg


この山、決して高くはないのだが超急勾配で知られており、途中何度も引き返そうかと迷った。

どうしてこんな急な山、登ろうと思ったのか。
だが、一度諦めたらもう永遠に登らないだろう。

我拝師山7.jpg


それにしても、キツイ。

讃岐には石段で有名な金毘羅さんがあるけれど、この山を休まず登れる人はきっと金毘羅さんくらいスキップであがれるに違いない。
大袈裟ではなく、それくらい苦しい道のりだった。


けれど、その都度親切な方々に声を掛けてもらい、もう無理と座りこめば上方から聞こえるお寺の鐘の音に励まされ、なんとか四国霊場第73番出釈迦寺・奥の院まで辿りつけた。


出釈迦寺・奥の院2.jpg


「よう登れましたね。」
優しい声に振り向くと、道中出会った年配のご夫婦の笑顔がそこにあった。

「あれ? さっき山を降りてましたよね。」
「ああ、私たちは毎日ここを二往復しているの。」
お二人は定年後、雨の日以外は欠かさずこの山を奥の院まで登っているらしい。

ふと気づくと、100回以上お詣りした方は境内に名前が張り出されている。

「ここに名前があるんですか?」
「ええ、まだ下の方ですがね。」


その時、今度は二人連れの男性が登ってきた。

「今日は来ないのかと思ったわ。」 先ほどの奥さんが声を掛ける。
「いやあ、今日はなでしこ見てたからねー。なでしこ、勝ったよ!」
「それで遅かったのねー。なでしこ、良かったねー。」
話が弾む。

どうやら、毎日登ってる人は何人もいるらしい。

「一日に二度三度登る人、結構いるのよ。」

そのおかげで参拝仲間が自然とできるのだろう。
この険しい道のりが、自然と会話を引き出してくれる。


「一口飲むと楽になりますよ。」 奥さんが凍ったペットボトルの水を手渡してくれた。

「わあ、嬉しい! お言葉に甘えます。」 
ちょっと・・・で登った私は、水も帽子もなんにも用意していなかったから、その心配りに感動してキュッと一口流し込んだ。


「またの時まで顔を覚えていてくださいね。」
二人が降りて行った後、私は幼い空海が飛び降りたと云われる場所はどこか探すことにした。

我拝師山6.jpg


出釈迦寺・奥の院3.jpg


だが、そこから先は断崖絶壁。
鎖を伝って岩肌を登らなければならない。

「一緒に登りましょうよ。」

75歳くらいだろうか、一人のおばあさんに誘われたが、背後に聳える山頂への岩壁は体力の限界で断念することにした。

後で知ったが、そのおばあさん、この奥の院を1万5千回以上参っているらしい。
 
ああ、おばあさんを拝んでおくんだった。(笑)




帰りは楽ちんと言われた坂を、今度は膝が笑うのを必死に堪えて麓まで降りてきた頃、母から迎えの電話が鳴った。


我拝師山5.jpg



私はその僅か2時間程度の出来事を、息もつかず母に話した。

「もうねえ、ホント大変だったんだから!」

「でね、帰りの坂を後ろ向きに歩くおじいさんを見かけて、なるほど、その方がきっと楽だと真似してみたら、三歩も行けば尻もちついてそのままゴロゴロ転げ落ちるのかと思ったわ。
あんな急な坂、上りも下りももう二度とごめんだわ。」

そうひとしきり喋った後、目の前にあった冷たい水をゴクゴク一気に飲み干した。


?!


「あれ? 痛くない。」


実は、5日ほど前から知覚過敏で、左上の歯に冷たいものが触ると泣きそうなくらい痛むのだった。
それでも冷たいものを飲みたい時は、ストローで喉の奥へ直接送りこむなど苦労していた。

それが、痛くない。 まったく沁みない。

そういえば、奥の院で冷たい氷水を貰った時から痛くない。

「しんどい思いしたけど、ご利益あったじゃない。」
母の言葉に妙に納得の私であった。(苦笑)






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高野山。

6月6日の午後11時半、車に母と愛犬2匹を乗せ、まるで夜逃げでもするかのようにこっそり家を出た。
近所の家々はすでに寝静まっている。

けれど土曜の夜だったからか、県道沿いのファミレスでは多くの頭が窓ガラス越しに見えた。

「余裕があるから高松までは下道で行くね。」
午前2時55分に徳島港発の船に乗るには2時頃徳島に着けばいい。


行き先は和歌山。
和歌山港から再び車を2時間ほど走らせると到着する高野山が今回の目的だった。


先月下旬にやっとのことで四国八十八箇所を廻り終え、高野山の奥の院で一つの区切りがつく。

勢いのあるうちに行っておかねば、なかなか高野山へは辿り着かない。
またいつか、そのうちに、と言っている間に、いつのまにか高野山行きがお蔵入りとなる。

亡き父がそうだった。
弘法大師御入定1150年の昭和59年に四国を巡り、高野山のみを残し全て納経は終えていた。
だが、遠いから、不便だから、と言い訳しているうちに歳を取り、足腰に自由がきかなくなった。
そして、そのまま父の納経帳は本棚の奥にしまい込まれたまま今となった。

なので今回の高野山行きは、私が八十八箇所を巡り終えたということ以上に、父の納経帳を仕上げたいという気持ちが強くあった。


高野山・奥の院2.jpg


奥の院は、弘法大師入定の地。


そのもっとも奥に弘法大師が今も瞑想しているとされる御廟がある。
弘法大師が62歳の時、手には大日如来の印を組み、座禅した姿のまま永遠の悟りの世界に入り、今も生き続けていると信じられている場所。


高野山・奥の院.jpg


深い森に続く参道には無数の石塔が並び、独特の空気が流れている。

早朝のお詣りであったため人は殆どおらず、ひんやりとした澄んだ空気が肌を包み込んでくれるのが気持ち良かった。

鶯のさえずりも一段と美しく森じゅうに響いていた。

すべてが神聖だった。


高野山・奥の院3.jpg


チリーン、チリリーン。

そして、御廟橋から奥の聖域とされる場所に近づくと、どこからともなくお遍路さんの鈴の音が聞こえてきた。

今でこそ大型バスが行き交う四国八十八箇所の道中も、私が子供の頃はまだこの鈴の音を鳴らしながら田んぼのあぜ道を白装束で歩くお遍路さんを見かけたものだ。
その姿が四国の原風景であったし、その鈴の音が四国の音風景であったように思う。

だから、すごく懐かしい気持ちになった。


高野山・奥の院14.jpg



実は、この高野山参詣の前日、うつらうつらする母の夢に昨秋亡くなった父が現れた。
おぼろな記憶だが、「奥の院の納経が済んだら、わしの納経帳をあいつにやらんとな、」と言ったという。

あいつとは父がお世話になったデイサービス職員の男の子で、四国八十八箇所を彼が歩いて廻った納経帳を、以前父の仏前に供えてくれたのだった。


父は奥の院にお詣りできなかったことが長年気がかりであったが、今回それが叶った。
その納経帳を彼にと、母の夢に出てきたんだそうだ。

「思い込みからの夢じゃないの?」
その話に最初は半信半疑であったが、「そういうこともあるかもね、」と話し合った。

「じゃぁ、デイサービスまで持って行こうか。」
母と私はそのつもりであったが、なんとなく彼に連絡できず四日が過ぎた。


高野山・奥の院.jpg


「夜分、すみません。」
先程、連絡していないはずの彼が家の前に立っていた。

「先日からデイサービスを利用し始めた方がHさん(父)によく似てらして、あ、Hさんが帰って来たって思ったんです。」


「またHさんのところへ行かにゃって思ったんです。」
手には、恥ずかしそうに吉本新喜劇のお土産を持っていた。

「実は、、」
私が夢の話をすると、父の納経帳を気持ちよく貰ってくれた。

こんなことってあるんだ。
不思議な出来事だった。

「きっと、またお邪魔することになりますね。」
そう彼は笑顔で帰っていったが、彼の素直さがこの不思議な出来事を引き寄せたのかもしれないと思った。

父が亡くなって7ヶ月、今も忘れず訪ねてくれる彼に感謝するとともに、そういう出会いを人生の最後に得た父は本当に幸せ者だと思った。


高野山を参詣できただけでも有難いことなのに、この出来事は心の奥底に深く刻まれたことだろう。

母も私もすがすがしい気持ちで手を合わせた。



続、四国遍路。

珍しい5月台風の影響で風が強まる中、お寺詣りに出掛けてきた。
四国霊場第67番札所「大興寺」と、第68番「神恵院」、第69番「観音寺」の三ヶ寺へ。


大興寺.jpg


ちょっと恥ずかしい話。
せっかく四国で暮らしているのだからと2009年2月から始めたお遍路さんだが、八十八箇所どころか(バラバラで)三十六箇所を巡った後はずっとほったらかしにしていた。

お詣りに行ってもわざわざ納経所まで足を運ぶこともせず、という札所もいくつかあった。

当初はあんなに張り切って、「お詣りしたお寺をブログにもアップするので、私のブログを通して皆さんも一緒にお遍路しましょ!」、なーんて嬉しげに書いてた自分が本当に恥ずかしい。(苦笑)


このまま永遠に葬り去られそうになっていたが、トロトロしているうちに何人もの知人が結願を達成し高野山まで詣でているではないか。


大興寺3.jpg


そして、亡き父が一年ほど通っていたデイサービスの職員さんも2年半ほど前に歩き遍路で四国を巡っていた。

当時22歳の彼は、自分の将来に悩みを持ち、遍路することを決心した。
愛媛県の宇和島市で生まれ育った彼は、地元の人たちのお遍路さんへのお接待を幼い頃より身近で見てきた。
そういうことも、若いながらも人生の岐路で遍路することを思いついた理由だと思う。

そして、彼は第37番札所の岩本寺で、宮城から来ている一人のおばあさんと出会ったそうだ。
その方は東日本大震災で息子さんを亡くされ、心に深い傷を抱きながらも慰霊の気持ちで四国へ来られていたのだと思う。

「今頃、息子はハワイ辺りかの。」

夜、遍路宿でおばあさんが言ったそのひとことが彼の胸に突き刺さった。

おばあさんは八十八箇所の一部の寺を詣でたのち宮城へと帰ったそうだが、彼はそのおばあさんのことが忘れられなかった。

お遍路さんのほとんどは、結願後再び第1番札所である霊山寺にお礼詣りをするんだそうだが、彼は「平成のお遍路は東北だ!」とその足で宮城へと向かった。

仮設住宅まで訪ね、八十八箇所すべて埋め尽くされた納経帳を見せると、おばあさんは笑顔を見せてくれたんだそうだ。

「岩本寺で出会った時はおばあさんに何もしてあげることができなかった僕だけど、その時はおばあさんを笑顔にしてあげることができました。」


本当はその納経帳をおばあさんにあげるつもりだったらしいが、父の仏前で納経帳を手にそれらを話してくれた。

「これ、もらってください。」
宮城のおばあさんにもあげなかった納経帳を、私の父にくれるという。

「よく考えて持ってきました。どうか、もらってください。」


戸惑う私に、「僕はお寺に詣ること以上に、その道中が遍路だと思っています」とまっすぐな瞳でそう言った。

その言葉と瞳に心打たれた私は、感謝してそれを頂戴することにした。



それからも半年近くなるのだが、先日久しぶりに徳島県にある第23番札所の薬王寺をお詣りし、仕舞い込んでいた自分の納経帳を差し出した。

「記念スタンプも押しておきますね。」

薬王寺の納経.jpg


今年は高野山開創1200年でにぎわっているが、昨年の平成26年は四国霊場開創1200年の節年だった。
その記念に特別のスタンプと御影をくださるのだが、それが今年の5月末までという。

スタンプラリーのようなお詣りはあまり好きではないけれど、これを機に私も再び結願目指そうかという気になったのだ。

今日も三箇所巡りながら、「道中が遍路」という彼の言葉を思い出していた。


まだまだな私だが、せめて本堂と大師堂で手を合わす時くらいは思いを込めてお詣りしよう、そう強く心に留めた。




観音寺の蓮.jpg





第83番 一宮寺(いちのみやじ)

'11.07.09参詣  香川県高松市


この場所なら、グレゴリー・ペックはどう演じただろう?

たとえ真面目にお遍路さんをするとしても、その合間に面白いものを探そうという気持ちに変わりはありません。(笑)


私は、映画『ローマの休日』で有名な「真実の口」のあの名場面を思い出しながら、少しばかり首をひねりました。


というのも、高松市の『一宮寺』には、「真実の口」ならぬ「地獄の釜」というものがあり、ここにも似たような言い伝えが残っているからです。

「地獄の釜」とは地獄へ通じる穴。
その「地獄の釜」に、心がけの悪い意地悪な人が頭を入れると抜けなくなってしまうのだとか?!

片や「下水溝のマンホール」に対し、片や「薬師如来祠」。

片や「偽りの心」が試される口に対し、片や「心がけ」が試される祠。

片や「手」に対し、片や「頭」が抜けなくなる。


手なら噛みちぎられたように演じられても、さすがに頭の場合はあのようにはいくまい…。
グレゴリー・ペックよ、さぁ、どうする?(笑)

もちろん、この場所が映画のロケ地になることなど、まずあり得ませんけどね~。



私は祠に顔を近づけてみました。

実は私は意地悪が大好き。(^m^)

自分としては、意地悪というよりも、ちょっとした悪戯気分なのでありますが、、、。^^

にやけながら、私がちょっと意地悪なことを言うと、
同僚のI石氏などは「もしかして、君ってpicchukoさんっていうんじゃない?^^」と、意地悪な台詞を返されるくらい。(笑)


あ、意地悪を言う相手は誰でも~ってことはないのですよ。

自分が完全に心許せる相手とか、この人とは仲良くなりたいな~って思う相手に、好意のしるしとして意地悪をさせて頂いているのです。(笑)
もちろん、冗談が通じる人に限ります。


ですが、意地悪な私であることに違いはありませんからね~。
この祠に頭を入れることに少し戸惑ってしまいました。
(ちなみに、真面目にお詣りされている方達は、誰もそんなことをしておりません。^^;)

恐るおそる頭を突っ込んでみました。
あまり中まで入れてしまうと、祀られている薬師如来さまとチューしちゃいそうになっちゃいますので(*^^*)、ほんの入り口まで。


そして、今こうしてブログを書いているということは、祠の扉は閉まらずに、無事に帰って来れたということです。


もしかしたら、扉が故障中だったのかもしれませんが、
(いや、薬師如来さまのおかげかも?)
私の意地悪は愛情いっぱいの好意であるということを、きっと弘法大師さまも分かってくださったのだろう、、、そう解釈することに致しました。(笑)


5年ほど前には、ローマの「サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂(真実の口)」で私が嘘つきではないことが証明されましたし、
ここ「一宮寺」でも、私の意地悪は可愛いものだということが証明されました。(爆)



そうそう、イタリアには「地獄の口」というものもあるそうですね。
そちらは人が入れるほどの大きさとのことですが、そこにも何か言い伝えが残っているのかしら?

次は何を証明しに、「地獄の口」へ入りに行こうかな~。
それとも、三度目の正直で、今度こそ本当に中から出られなくなったりして…。(苦笑)

再び、お遍路さん。

チリ~ン。チリ~ン。

お遍路さんの持つ金剛杖に付けられた鈴の音が境内に響きます。

その音に、私は汗ばむ暑さを忘れました。
そして、この音を思い出すだけで、今も柔らかい線香の香りを感じられるのです。

瞼には実際に目にしていない、想像の、けれど懐かしい景色が浮かび上がってきました。


それは子供の頃に出会った絵本。
確か、小学1年生の夏休みに、読書感想文を書くために読んだ絵本だったと思います。

絵本の季節も夏で、
開いたページは一面が田んぼで、その緑色の中に立つ、すげ笠を被った白衣のお遍路さんが描かれていました。

物語は、母親を亡くしたばかりの男の子の家に、「一晩だけ泊まらせてください。」と女性のお遍路さんが訪ねて来ます。
その女性も、その少し前に自分の子供を亡くしたばかりでした。

男の子とお遍路さんが一緒に五右衛門風呂に入るシーンが、一番印象に残っているかな。


心に寂しさを抱いた二人の思いが通い合う、優しい気持ちになれる絵本だったと記憶しています。
そして、昔から続く「お接待」という温かい四国の慣習を、私たち地元の子供に伝えるいい絵本だったと、大人になってから気付きました。


「さよなら~。さよなら~。」
田んぼの向こうから大きく手を振るお遍路さん。

子供ながらも私の耳には、その時「チリ~ン。チリ~ン。」と杖の鈴が聞こえてくるようでした。

その音が、実際にお遍路さんが付けていた鈴の音で思い出されたのでした。

たぶん、今が絵本と同じ季節だからでしょう。

* * *

二ヶ月ほど前だったかな。

岩手から四国遍路にやって来たという一人の女性がTVで紹介されていました。

その方は、震災のせいで大切な家族も家も全て失い、当初 自分も死のうと思ったそうですが、
今は震災で亡くなられた方々の御魂をお慰めする為に、はるばる四国遍路に参ったのだと…。

道中、緑豊かな四国の自然に癒され、地元の人達の温かい「お接待」を受けながら、
八十八ヶ所全て巡り終えた彼女の顔には笑顔さえも戻っていました。

そのおばさんの明るい顔に私も心打つものがありまして、しばらくお休みしていた四国遍路の続きを再び始めることに致しました。

まずはGWに源平合戦で有名な屋島の札所をお詣りし、今日は第83番「一宮寺」と第81番「白峯寺」を参詣しました。


クライストチャーチ大地震と東日本大震災によって犠牲となられた多くの方々が、どうか安らかに眠れますように。

思いを込めて、手を合わせています。



お大師さまへ。 時々はNZにも出張してくださいね。^^                
2011-07-09 19:19:00

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