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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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カチューシャと赤いサラファン。 <モスクワ旅行記・番外編2>

「名前はカチューシャ!」

「せっかくだから、大女帝のエカテリーナから名前を戴きましょう。呼び方は、エカテリーナの愛称であるカチューシャ!」


母が体調を崩さなければ、実はもう一匹 ポメラニアンを買う予定でした。
愛犬ヨンサマとクリスにお嫁さんを、と思ってのこと。
一匹のメス犬を二匹のオスで、、、というのはどうかな~と思いつつ、さすがにメス犬もニ匹というのは・・・。

以前、ヨンサマを買ったブリーダーさんに、「お宅で戴いたポメラニアンがとてもお利口さんで可愛いので、この子の子供を作るための相手を探して欲しい。」と頼んだことがあります。

「その子がメスなら相手もすぐ見つかるけれど、オス犬の相手を探すとなれば、その子がチャンピオン犬でなければ、なかなか難しいですよ。」

そこで、自分でメス犬も飼っちゃおう!と思い立ったのです。
残念なことに、その話はお流れになってしまいましたが、、、。


* * *

『カチューシャ』といえば、あの名曲。
カチューシャという娘が、川の岸辺で、兵役に出て行った恋人を思って歌う姿を描いたあの歌曲。

あの曲を歌う10歳のトルマチェフ姉妹があまりにも可愛らしかったので、ヨンサマとクリスのお嫁さんには是非カチューシャという名前を、、、な~んて思ったのでした。^^


日本ではロシア民謡と親しまれている『カチューシャ』ですが、本当はソビエト時代の流行り歌です。
1941年6月に独ソ戦が始まると、戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着しました。
戦後になると、国民が団結した戦時下に流行した誰もが知っている歌として、共産主義を褒め称えるという政治的な意味合いを付加されて歌われるようになりました。
                                      (Wikipediaによる)

エカテリーナだと堅苦しく聞こえますが、カチューシャという響きのおかげでかなり印象も異なります。
健気な娘をイメージするには、気の強いの女帝を連想させるエカテリーナと呼ぶよりも、カチューシャの方がお似合いですもの。


すっかりロシアに浸ってしまった私は、早速 ロシアを思い出させる音楽を購入することにしました。

実は、この『カチューシャ』が入ったCDが欲しかったのですが、
同い年のよしみで(笑)、ロシアのヴァイオリニストであるアナスタシア・チェボタリョーワのアルバムを一枚買いました。

1972年生まれのアナスタシアは、現在ではこの世代のヴァイオリニストとして世界最高峰の一人とする評価を得ているようですが、
ソ連社会主義体制の下で国家による英才教育を受けた事が災いし、ソ連崩壊後の一時期、ロシア国内において「旧体制側の人間」とのレッテルを張られ、不当な評価を受けていたそうです。(同)
                

ソ連崩壊、、、あの当時、私はその数ヶ月前に起こった ゴルバチョフ大統領の軟禁(ソ連8月クーデター)に対するショックが大きく、崩壊当時の様子までは詳しく覚えておりません。

ただ、その地に生きるアナスタシアにとって、ようやく大人として花開こうとする18、9歳のアナスタシアにとって、その出来事は彼女の音楽人生だけでなく、奏でる音色そのものにも大きな影響を与えたのでしょうね。

美しい容姿から放たれるその音色からは、独特で複雑な哀愁が漂ってくるようです。
女性ならではの柔らかな響きの奥に潜む物悲しい響きが胸をえぐってくるようです。

それが多くの涙を飲みこんできた、哀しい歴史を無言で見つめてきたモスクワの表情をそのまま表しているようで、
帰国後しばらくは、この一枚にどっぷりハマっておりました。

このアルバムの題名になっている『モスクワの思い出』という曲は、
作曲家ヘンリク・ヴィェニャフスキが、1850年代に大流行していたロシア民謡の『赤いサラファン』と別の民謡のメロディを用いて編曲したもの。

懐かしさを感じさせるその美しい旋律、ソ連とロシアという同じ国であって全く違う両方の国と時代を生きてきたアナスタシアが奏でることで、そこにもう一つ趣きが加わるような気がします。


私は彼女のCDで初めて『赤いサラファン』を知りましたが、この音楽は戦後間もない頃に日本でも随分と歌われていたようですね。
合唱部に所属していた私の母も、このメロディが流れた途端、日本語訳のこの歌を口ずさみます。

歌詞の内容は、
「お母さん、赤いサラファン(婚礼衣装)なんて縫わないで。まだ結婚なんてしたくないもの!」という娘に対し、
「小鳥のように歌って過ごす、蝶のように花から花へと飛び交うような、そんな日々もいつかは色褪せ、楽しい遊びだって退屈になってくるものよ。
お母さんだって、若い頃は貴方と同じだったのよ。」と諭す、
娘を思う母親の気持ちが込められたもの。

この歳になっても気ままに生きている私には耳の痛い内容なのですが(笑)、旋律だけを聴いていると優しい愛情に包まれているような、そんな気分になれるのです。


ソビエトを思い起こさせる『カチューシャ』と、ロシアの原風景を感じさせる『赤いサラファン』。
私がモスクワを思い浮かべる時、これらの音楽はなくてはならない存在です。

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picchuko、78歳に恋をする?! <モスクワ旅行記・番外編>

「私、5月にモスクワへ行って来たの。」
その一言がやっとでした。

コンサートの後、購入したDVDのケースにサインをして貰いながら、私はアレクセイ・バルショフ氏に話しかけました。

胸の高鳴りを抑えることに必死で、伝えたいことを英語に訳すこともままならない私。
アレクセイはそんな私の顔をじっと見つめながら、私の台詞を待ってくれました。

一目でロシア好きの私を見てとったのか、
彼は素敵な笑顔で「じゃぁ、次回は是非ともペテルブルクへ!」と握手とともに答えました。

それからどれくらいドキドキが続いたでしょうか。
思い出すたびに鼓動は速まって、頬が赤くなるのを感じました。

もしかして、私、今、恋してる?!

* * *

私が恋したのは、アレクセイただ一人ではありません。

ロシアからやって来た4人組みのアンサンブル、『 テレム・カルテット(TEREM QUARTET)』。

随分と前のことになりましたが、
7月4日、母と二人で西宮市にある兵庫県立芸術文化センターへ彼らのコンサートを聴きに行きました。


~ 今、ロシアのみならず、ヨーロッパでも比類ない音楽で人々をひきつけるアンサンブル「テレム・カルテット」。

ロシア人が「ロシアの宝」と胸を張る、サンクトペテルブルク出身の、結成24年目のそのベテラン・アンサンブルは、
プーチンはもちろん、ローマ法王やチャールズ皇太子の御前演奏に、
世界でも指折りの一流アーティストとの共演など、その活動は幅広い。

ドムラ、バヤン、バラライカとロシア独自の民族楽器を使いながら、インターナショナルなそしてジャンルを超えた音楽!
それであってロシアの響きが根底にある何ともユニークな世界。

基本はジャンルを超えた楽しい音楽!
民族楽器のアンサンブルであり民族アンサンブルではない音楽!

民族楽器というこれまででは限定された音楽しか演奏できないとされてきたものを、
彼らの高い演奏技術とアレンジ力で、民族楽器の枠をこえ、様々なジャンルの音楽を創り出す。

それは、“ロシアの楽器から、インターナショナルな音楽へ”を意味している。

「もともとロシア人は今までも外国の新しい文化を取り入れ、それを自国のものにしてきた。
その考え方に基づき、テレムの音楽はインターナショナルであり、ロシアの音楽である。」

「テレム」とはロシアの伝統的木造の家を意味。
「一つ屋根の下にたくさんの人が楽しく一緒に生きる」ことにテレム・カルテットの願いがある。~


バッハの音楽から始まった そのコンサートは、最初こそ真面目(?)にクラシックやロシア民謡を演奏していたものの、
場が和むのを読みとりながら、次第に遊び心を加速させ、誰もが知ってる「猫ふんじゃった」や日本の歌謡曲である「恋のバカンス」など、
彼ら色にアレンジして、ところどころにロシア色を覗かせて、ユーモアいっぱい、
気が付けば、観客の誰しもが彼らの虜になっていました。


ロシアの民族楽器をまじまじと目にしたのも初めての私は、物珍しさと彼らのパフォーマンスのどちらにも釘付けになり、
このコンサートが永遠に終わりませんように・・・、知らず知らずにそう祈っておりました。(笑)

小ホールで開催されたおかげで、演奏者と観客の距離が今まで体験したこともないほど近く、
演奏者一人一人からも私達観客の表情や感情の移り変わりが手に取るように分かっていたことと思います。

会場が一体となり、笑いの渦に巻かれながら、彼らもますます熱く乗ってきたのだと思います。
オーケストラのコントラバスに匹敵する巨大な弦楽器 "バラライカ" の弦が一本、切れてしまう勢いでした。

これは実際に聴いて戴かなければ、その興奮は伝わりませんね。
(You Tube)

「また来いよ~!」 隣りに座る男性が大声で叫びました。
ホント、ホント、また来て下さいね~!


picchuko、78歳に恋をする?!
(左から、アレクセイ・バルショフ氏、ミハイル・ジューゼ氏、アンドレイ・スミルノフ氏、アンドレイ・コンスタンチーノフ氏)



4人の最年長で、曲のアレンジをされているのがアンドレイ・スミルノフ氏。
確か1932年生まれだったと記憶しています。 ということは、今年で78歳?

彼はロシアのボタン式クロマティック・アコーディオン "バヤン" を演奏しながら、彼らの音楽をリードしていきます。
「IL DIVO」ならば、バリトンのカルロスのように、彼らのサウンドを導き、その主軸になっているような存在。(笑)

ツルっとした禿げた頭が 河童のお皿みたいで可愛くて、彼の個性をも現わしているように思えました。^^

サイン会では、そのアンドレイ・スミルノフ氏を先頭に年齢順に並んでいたと思います。

離れた場所からは、 人の良いユニークな "おじいさん" にしか見えていなかったアンドレイ・スミルノフ氏ですが、
すぐ目の前で見てみると、肌はピカピカ艶があり、その優しい眼差しは甘ささえも漂わせておりました。

くらぁ~。 

私、78歳に恋したかも~。(爆!)

彼だけではありません。 
一人一人と握手を交わす度、頬が赤くなるのを感じました。

そして、最後の最後で勇気を振り絞ってアレクセイに声を掛けたというわけです。(*^^*)


私、ペテルブルク出身の男性に弱いのかな?
愛する(?)プーチン氏もサンクトペテルブルク出身です。(笑)

モスクワ旅行記の終わりに。

3ヶ月もに亘って綴ってきたモスクワ旅行記。

少しでもモスクワの雰囲気を感じて戴けたら、重いロシアのイメージを変えられたらと、
そう願いつつ進めてきました。


例え戦争の歴史を知らなくても、ロシア = 卑怯者 という方程式は日本人の中に根強くあるように思います。

一度植え付けられた感情は、そう簡単には消し去ることはできませんが、
それでもロシアってこんなに魅力的なんだよ!、面白い国なんだよ!って伝えたかったのです。

そう言いつつ、失敗談ばかりになってしまいましたけど、、、。(苦笑)


*

今年頭、私はハンガリーを訪れたことで、鉄のカーテンの向こう側にあった東欧諸国の苦しみを知ろうとするいい機会となりました。

まして、ハンガリー動乱やメルボルンの流血戦(水球)を描いた映画 『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』 を見た暁には、
「ソヴィエト、許せ~ん!!」なんて偉そうに思ったりなんかして。(笑)


そんな私でも、これほどロシアの魅力に気付くことができたのは、名画 『忘れえぬ女(ひと)』 だけではありませんでした。

それは可愛らしいネギ坊主頭の教会でも、クレムリンにあるダイヤモンドでも、圧倒される軍事パレードでも、プーチン首相の鋭い眼光(笑)だけでもありません。

何気なく言葉を交わしたロシアの人々の温かみある笑顔が、一番 私の心を溶かしてくれたのだと思います。^^

確かに、街中を歩くロシア人の表情は、どうしても硬く冷たく感じます。
事実、冷た~い!!って思った人も何人かいますけど、

けれど、一声かければ、ぱぁ~っと向日葵でも咲いたような笑顔を見せてくれる人、はにかみながらも優しく微笑んでくれる人、そんな出会いに恵まれました。


私が嫌っていたロシア(ソヴィエト)とは、ただロシアという名を被った国家に過ぎなく、
そこに生きる人々とは全く異なっていたのでした。

思えば、帝政ロシア時代においても、ソヴィエト時代においても、その国家に苦しめられたのは何も諸外国ばかりではありません。
最も辛い思いをさせられていたのは、その国家の下敷きとなったロシア人だったのだと気付きました。

そして、その厳しい時代を乗り越えて、逞しく強く生きるロシア人達は本当に美しいと思いました。


旅した国は友達の国であって、すでに他人ではありません。
ロシアの末永い幸せを心から願っております。


モスクワ旅行記の終わりに

モスクワ旅行記の終わりに


長らく このモスクワ旅行記にお付き合い下さいまして、まことに有難うございました。
あと少し、番外編を残して、終了したいと思います。


* * * * * * *


◆5月2日(日)

15:00 冷たい風が吹き荒れる中、ヘルシンキ到着

19:00 モスクワ(シェレメチェヴォ空港)着

20:30 ひたすら待たされた入国審査を終え、一路 ホテルへ

21:45 イズマイロヴォホテル チェックイン


◆5月3日(月)

6:50 ホテル出発

8:00頃 ヤロスラーフスキー駅到着

8:43 モスクワ発

10:10 セルギエフ・ポサード着

10:30~10:50 小さな食堂にてピロシキを食べる

10:50~12:45 世界遺産『トロイツェ・セルギエフ大修道院』観光

12:45~13:30 セルギエフ・ポサード散策

13:30 セルギエフ・ポサード発

15:00 モスクワ着
 
16:00 レストラン『グラブリ』で遅めの昼食(バイキング形式)

17:00 一旦、ホテルへ戻る

18:00~ モスクワ川水上バスに乗る為、雀が丘船着き場へ向かう

20:00 乗船

21:00~23:10 遊覧船にて『モスクワ川クルーズ』

23:50 ホテル着


◆5月4日(火)

7:30 ホテル出発

8:00~9:00 レストラン『カフェ・プーシキン』にて朝食(カプチーノ&特製目玉焼き)

9:30~10:30 国立歴史博物館前にあるマネージナヤ広場より『赤の広場』へ向かうが入場禁止
(10:00 航空ショー)

10:30~13:00 世界遺産『クレムリン』見学
 ・トロイツカヤ塔
 ・クレムリン大会宮殿(外観)
 ・十二使徒教会(外観)
 ・アルハンゲリスキー大聖堂
 ・ブラゴヴェッシェンスキー大聖堂
 ・ウスペンスキー大聖堂
 ・イワン大帝の鐘楼(外観) 
 ・大砲の皇帝・鐘の皇帝
 ・大クレムリン宮殿(外観)
 ・『ダイヤモンド庫』

13:00~13:30 クレムリン周辺散策

14:00~16:30 トレチャコフ美術館(名画『忘れえぬ女』との再会)

17:00~19:30 再び『赤の広場』に挑戦

19:30~20:30 グム百貨店のカフェで一服(パイナップルジュース)&ブログ更新(笑)

20:30~21:30 戦勝記念軍事パレードの予行演習の見学

22:00 ホテル着


◆5月5日(水)

5:30 地下鉄の始発に乗る為、パルチザンスカヤ駅へ向かう

6:00 懲りもせず、再々度『赤の広場』を目指す

6:00~6:45 『赤の広場』と『聖ワシーリー寺院(外観)』の観光!!!(涙)

7:00~8:00 レストラン『カフェ・プーシキン』にて朝食(パイナップルジュース&パンケーキ&カプチーノ)&読書(アンナ・カレーニナ)

8:45 ホテルをチェックアウトし、空港へ

10:30 空港着(大パニック!(><))

12:50 モスクワ発

17:20 ヘルシンキ発 関空へ          

モスクワ旅行記の終わりに

忘れえぬロシア。

名画「忘れえぬ女(ひと)」が日本へやって来る!
しかも、私が最も好きな街・広島へやって来る!!
昨夏、国立トレチャコフ美術館展の広告を新聞で見つけた時、私は思わず歓声をあげ 手を叩きました。


それについて、詳しくは過去('09.09.26) の日記に記していますので、ここで改めることはしませんが、
その展覧会からの帰り道、気がつけば瞼にあの絵の女性がチラついて、その名の通り 私にとっても「忘れえぬ女(ひと)」となりました。

そして、「いつの日か、もう一度 あの絵に会いにロシアへ行きたいなって思うの。」 そう冗談交じりに話していました。

*

あの絵に再び会うこと。
それが、今回の旅の一番の目的でした。

この絵が本来あるべき空気の中で彼女と対面したかったから。

気高く美しく、どこか寂しげな一人の女性。
まるで自分の人生を、否 暗雲たちこめた世の中の流れを憂いているかのような瞳。
時代は19世紀後半。 まさに激動の時代を彼女の瞳は映してきたのだと思います。

うっすら涙を浮かべているかに見える あの瞳が忘れられなくて、
その絵に導かれて、まさか自分の足でモスクワの地を踏むことになろうとは、半年前の私は全く想像もしていませんでした。
ですが、それくらい あの絵に私は魅了されたのです。


その絵は、国立トレチャコフ美術館 2階の一室に、その他多くの名作とともに並べられています。

広島で見た彼女は、彼女がその展覧会のメインということもあり、一枚だけ特別扱いの展示方法がされていました。
けれど本場トレチャコフ美術館は、この絵に勝るとも劣らぬ名作で、それこそロシア美術の傑作たちで溢れていますので、彼女だけ特別、、、ということはありませんでした。

だからでしょうが、、
彼女の持つ高慢さよりも、むしろあどけなさの方が強く表に現れており、
手が届かない上流階級の貴婦人というより、まるで妹のような親しみやすさを感じました。

きっと日本に居た時の彼女は、私がロシアに居た時と同じように背筋を伸ばし緊張しており、ロシアに帰国して それが解けてしまったのでしょうね~。


彼女を見つけた瞬間、不思議とずっとこの場所で彼女が私を待っていてくれたように思えました。

なんとなく口をモゴモゴさせているように見え、
日本に滞在した時のよそよそしく気取った(?)彼女ではなく、ふるさとの空気に包まれている安心感から、少しお喋りになっていたのだと思います。

「言いたいことがあるのなら、なんでもいいから言ってごらん。」
周りに人がいないことを確認して、私はこっそり彼女に耳打ちしました。(笑)
もちろん絵画の中の彼女ですから、本当に口を開くわけはありませんけど、ですが本当に目の前に実在する人物のように、私には彼女の中の生命力が伝わってきたのです。


1時間くらい彼女を独占したでしょうか、、、。
素晴らしい作品の中に埋もれた彼女に気付かずに、多くの見物客は勿体なくも素通りしていきました。
おかげで 誰にも気兼ねすることなく、思う存分 彼女と心の対話ができたものと自負しております。



「もう行くね。」
けれど、やはり振り返らずにはいられません。

次の部屋に移っても、まだ後ろ髪を引かれるような気がして、再び彼女の前へ戻ってしまいます。

「帰れないじゃない。。。」
困った顔で、私は彼女に言いました。
彼女の口元は、やはりモゴモゴ動いているように思えるのです。

それを何度か繰り返した後、私は意を決して立ち去ることにしました。
それほど彼女に心を奪われたような、あの場所に心を置き忘れたような、、、そんな錯覚を今でも感じています。


忘れえぬロシア



この絵のことは、以前 あるブログ友達さんが日記で紹介して下さったことで初めて知りました。
その時は、「いつか本物を間近で見たいな~。」程度の思いだったのですが、
まさか これほど私に影響をもたらす絵になろうとは思いもしませんでした。
いや、これほど強く私に語りかける絵がこの世に存在することすら想像もしていませんでした。

私をロシアへ呼ぶほど、彼女の波動は強いのです。
そして、それこそロシアという大国も、この絵に負けないほど強烈な印象を私に残しました。

そして、実際にロシアの地に立ちこの絵を前にすると、この絵の表情も空気感も まさにロシアを表しているな~と感じます。
画家クラムスコイは、単なる一人の女性ではなく、時代や国そのものを彼女を通して描いたのでしょうね。


もしも この先、なんらかの形でロシアを思い続けるならば、この絵が、この絵を紹介してくださった Mさんが、私の人生を変えたことになります。
大袈裟な言い方かもしれませんが、それくらい今回の旅は忘れられないものとなりました。

純粋に、ロシア好き~!ってことにはなりませんでしたけど。(笑)




*トレチャコフ美術館には、正教会に見られるイコン画の大傑作から 繊細な写実をもって表現された近世のロシア美術、印象派などの影響が感じられる近代の作品、そしてカンディンスキーに代表される抽象画にいたるまで、奥深く幅広く名画を楽しむことができます。
そのコレクションは13万点にも及ぶそうです。

ロシアの美術館といえば、西洋画を多く揃えたサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館が筆頭に上がってしまいますが、
純粋なロシア美術をめいいっぱい堪能したい方には、このトレチャコフ美術館をお勧め致します。       

忘れえぬロシア

ロシアからのしっぺ返し。

ロシアからのしっぺ返し

*モスクワ グム百貨店のマネキン。【'10.05.04】


ここまで意地になったのは、たぶん相手がロシアだったから。
そして、そのロシアの象徴とも言える「赤の広場」と「聖ワシーリー寺院」だったからに他なりません。

むふふ、私はロシアに勝ったんだ!!!


時計の針は6時40分。

モスクワ観光も残すところ2時間となりました。
そこで、どうしても もう一度 行きたいと思っていた「カフェ・プーシキン」へ意気揚々と向かいます。
手にはトルストイの「アンナ・カレーニナ」を持って。

洗練されたボーイ達も その重厚で壮麗な内装も、カフェ・プーシキンは昨日と同様に私を出迎えてくれました。
私はといえば、この先の予定は飛行機で帰国・・・だけでしたので、服装も化粧もかなりの手抜きです。
ここへ来る時は、自分の名誉にかけても身なりをピシッとしなくちゃ~、なんて ちょっぴり反省。。。(笑)

俯きかげんで、「パイナップルジュースを1杯下さい。」とまずは注文しました。
前日にグム百貨店で飲んだパイナップルジュースの美味しさが忘れられなくて、ここでも頼んでみたのでした。

早朝のカフェは人も少なく、静かで穏やかな空間が漂っています。
本をめくる指も、思いの外 進みます。

そんな居心地の良い夢の時間がいつまでも続いてくれれば嬉しいのですが、、、

あら、もう8時だわ!

「Check please!」
慌てて勘定を済ませた私は、余韻に浸ることなく、半ば駆け足でカフェ・プーシキンを後にしました。

バタバタと地下鉄を乗り継いで、ホテルに着いたのが8時35分。
25階へとゆっくり上るエレベーターにイライラさせられながら、なんとか約束の8時50分までにチェックアウトを完了させました。


*


迎えの車の中には、戦勝キャンペーンで配られる「ゲオルギーのリボン」が飾られています。
*「ゲオルギーのリボン」とは、黒とオレンジ色のストライプ模様で、帝政時代の聖ゲオルギー勲章及びソ連時代の栄光勲章の綬を模したもの。
2005年の戦勝60周年から、これを身に付けて戦勝記念を祝おうという運動が始められました。


ホテルから空港まで約1時間の道のり。

3日前 初めて目にしたモスクワの街は、どんよりと灰色の雲が空を覆い、それに合わせたかのような侘しい廃墟が続いている、、、
それは肌をまとう湿度感こそ違えども、北京やバンコクの裏町にも通じるものを感じました。

しかし、帰国を前にした私の心には そんなモスクワはどこにもありません。
ぬけるような青空がどこまでも続き、廃墟に見えた無数のビルは その一つ一つに表情があります。
こんなに色鮮やかな街だったかな、、、?
それくらい、最初の印象とは正反対の姿でモスクワは 私を見送ってくれたのです。


* * * * * * *



ただ、、、変わらないことといえば、永遠に改善されない渋滞でしょうか・・・。

余裕な表情で車窓の景色を楽しんでいた私も、段々と不安が募ってきました。

私は何度も何度も時計に目をやりました。
ドライバーさんも焦りを隠せず、少しイラついているのが分かります。

前へ前へ、少しの隙間があればきわどいほど狭い場所にも割り込んでいきます。


けれど、時間がない・・・。 ドライバーさんは振り返り、首を横に振っています。

とにかく急いで!!!


脳裏には、入国時のあの恐ろしいほど長くかかった入国審査がよぎりました。

出国審査にはどれほどの時間を要するのだろうか、、、私は自分の顔から血の気が引くのを感じました。

時間がない!

早く!!! 急いで!!!!!
1時間の道のりが、渋滞の為にすでに40分もオーバーしています。

空港に到着した私はドライバーへのお礼もそこそこ、一目散にフィンランド航空のカウンターを目指しました。

すでに時は遅し??? そこはもぬけの殻。
大声で呼んでも誰も出て来る気配はありません。

サーーー。 私の顔からは全ての血が引ききってしまいました。

「どうかしたの?」
へなへなと地べたに座りこみそうになる寸前、一人の男性が声を掛けてくれました。

「私、ヘルシンキまで行きたいんだけど、、、もうチェックインは終わってしまったの?!」
きっと私は涙を浮かべていたんだと思います。

「とにかく落ち着いて。 チェックインなら、あのゲートの向こうでできるはずだから。」
見も知らぬ男性のその一言に、不安か安堵か分からない感情が私を一気に襲いかかり、
思わず わーっと泣き出しそうになりました。

彼にきちんと「ありがとう」と言えたかどうかさえ覚えていませんが、とにかく彼の指すゲートへと小走りで向かいます。


「私、ヘルシンキへ行きたいの! まだ大丈夫よね!!!」
ゲートには二人の女性が座っていました。

ところが、一人が「もう遅いわよ。」と首を横に振ったように見えたのです!

これに乗り遅れたら、帰国は明日以降になるってこと?
それとも航空会社を変更させるとか?
もし予定通り帰れなければ、職場に秘密で来た旅行なのに、どんな言い訳をすればいいのだろう。
いや、それよりビザはどうなるのだろう。

頭の中では答えのない問いかけがグルグルと駆け巡ります。


バンッ! 私は目の前の机を大きく叩き、叫びました。 「お願い! 助けて!!!(><)」

とにかく、予定通りにフィンランド航空に乗せてくれなきゃ困るのよ!

それでも、表情を一つも変えることのないロシア人係官。
「じゃぁ、通れば~。」って感じで、冷たく突き放されてしまったのです。。。

*

この瞬間、私は大パニックに陥ってはいるものの、少し冷静さを取り戻します。
というのも、思いっきりバンッ!と机を叩いたことが功を成してか、ふと我に返ることができたのです。

ぷはっ!(≧∇≦)/
無表情の係官が口にした「later」を、なんと「too late」に聞き間違えた私!(爆!)

いや、それは聞き間違いなんかじゃなくて、
はなっから大幅に遅れたと思い込んでいた私は、相手がどんな単語を使っても、同じく「too late」と聞こえていたことでしょう。(恥)

実は、出発時刻を私は1時間早く勘違いしていたのでした。(^^;

旅行会社のMさんは、モスクワの大渋滞を想定してか、ピックアップの時間を あらかじめ2時間前に手配してくれていたのでした。
渋滞でイラついていたドライバーが慌てていたと感じたのも、私の勝手な思い込みからでした。

ということは、まだ時間に余裕があるということ。
フィンランド航空のカウンターに人がいなかったのは、時間が早すぎた、、、ということだったのです。


いやぁ~、さすが私だわ!
たぶん、緊張に緊張を重ねたモスクワ滞在で、私はいつになく すっからかんになってしまっていたのでしょうね~。
思いこみで冷静さを失っていたんでしょうね~。


「ロシアに勝った!」な~んて思い上がりが、
      最後の最後で、逆にロシアからしっぺ返しを食らわされてしまいました。(爆)

ロシアからのしっぺ返し
    

それでも picchuko は諦めない!!!

かくして私は、大人しくホテルへ帰りました。

明朝8時50分にホテルを発ち、そのまま空港へと向かいます。

これで モスクワとはしばしの別れです。
僅か2日間であったにも関わらず、様々な表情を見せてくれた私のモスクワ。

「赤の広場」は最後まで私を受け入れてくれなかったけれど、貴重な場面は心にしっかりと刻みました。



・・・。

けれど、本当に これで日本へ帰っていいの?

耳元でプーチンが、、、もとい(笑)、 心の中で もう一人の自分が囁きます。

このまま諦めて帰っても後悔しない?

いいえ! "最後まで諦めない"っていうのが、私の旅の鉄則じゃない!!


* * *

5月5日、午前5時半。
始発に乗る為、地下鉄 パルチザンスカヤ駅に立つ私がいました。


昨晩 遅くまでパレードに参加した軍人達は、きっと夜を徹してお酒に溺れていたことでしょう。
ということは、早朝なら広場へ入ることも叶うかもしれない。


まずは先日、無情にも鉄格子で私を拒んだ ヴァスクレセンスキー門へと向かいます。


それでも picchuko は諦めない


はい、closed ☆
はい、そんなことは はなっから覚悟しておりました。


続いて グム百貨店側から広場を目指します。


       * * * * * * *



・・・。(●д●)

まだ やってる・・・。(ToT)

      


それでも picchuko は諦めない


早朝6時の「赤の広場」です。

まだ行進の練習を行っていました。

広場に面した場所には変わらず柵が設けられており、数人の警官が監視を行っております。

やる気のなさは感じられるものの、広場に入場しようとする者を一人一人チェックしているのです。
クレムリンへと向かう政府関係者のみ通行可能。


なかなか相手も手強いわ。

さらに私は進み、少しでも聖ワシーリー寺院に近づける場所まで移動しました。

そこにも やはり警官が・・・。(T_T)



                ところが、、、、、


・・・ずれている!

決して、警官の鬘ではありませんよ~。(笑)
10メートルくらいでしょうか、進入禁止の柵がほんの少しだけ中へずれていたのです!!!


一歩、私は「赤の広場」へ足を踏み入れました。

一歩、また一歩。。。


今、私は「赤の広場」に立っている!


ここに こうして立てることに これほどの苦労を要するとは思わなかったけれど、確かに私は立っている!!!

この場所でかつてどれほどの血が流れていようと、今はそんなことなど関係ないのです。

ここに立っていることに意味があるように思えました。


そして、どうしても見たかった「聖ワシーリー寺院」を間近で見上げながら、沸々と湧き上がる達成感を感じていました。


それでも picchuko は諦めない


たった これだけで私の全てが満たされたのです。

最後まで諦めないで良かった! 私はロシアに勝ったんだ!(笑)


朝陽に照らされた聖ワシーリー寺院とクレムリン城壁を瞼に焼き付け、
もう一度 ここへ来ることを誓った私は、きっと余裕の微笑みをたたえていたに違いありません。


それでも picchuko は諦めない

picchuko は諦めない!

クレムリン周辺ではパラソルの下、数々の露店が立ち並び、小学生らしき子供達が大はしゃぎでアイスクリームを食べていました。

やたら喉の渇きを覚えた私は、それを横目に、ノンガスのミネラルウォーターを1本、一気に飲み干しました。

その後、トレチャコフ美術館へと向かったのですが、話を少し先へと進めます。

* * * * * * *

一度は仕方がないと諦めた 『赤の広場』。

ですが、そろそろ開放してくれたっていいじゃない!
淡い期待を抱きつつ、再びそれを目指しました。

この季節、午後9時過ぎに日没を迎えるモスクワの空は、午後5時を回ったくらいでは、まだまだ真昼のような明るさです。


今度はグム百貨店側から挑戦してみよう!

"美しい広場"の意味を持つ 『赤の広場』は、
クレムリン城壁と国立博物館、誰もがお馴染みの聖ワシーリー寺院、そしてモスクワ最大の百貨店・グムによって囲まれています。

picchuko は諦めない

けれど、そちらも 赤の広場に面したところは全て柵で仕切られており、何人もの警官が無愛想な顔で見張りを行っていました。

picchuko は諦めない

私は広場に通ずる道という道 全てを巡ってみたものの、その徹底した警備にうんざり肩を落とすしかありませんでした。

どうしても、中へは入れさせないということね。。。


そうやって、私が何度も何度も広場侵入を試みようとしていた その頃、決して入場できない広場周辺に、ひとり、また一人とモスクワ市民が集まって来ました。

picchuko は諦めない

これから、また何かが始まるということ?

柵の向こうの広場全体を見渡すには、『赤の広場』は広すぎました。

実際、この広場に立ったことがある人は、意外と狭い印象を持つことと思いますが、
警官に囲まれ、思うように行動できなかった その時の私には、悔しいほど広く感じたのでした。

それでも、少しでも広場の様子を伺おうと、私はグム百貨店へと入ります。
百貨店の窓からなら、その全体像が見れるかも、と思ったのです。                       

picchuko は諦めない

ところが、ソヴィエト時代には十貨店と皮肉られていたその内部も、現在は 私では到底 手の届かない高価なブランドショップで埋め尽くされていました。
しかも、肝心の広場に面したショップほど高級品を扱っており、私は窓辺に近付くどころか 店内に足を踏み入れることすらできません。

悔しさを噛みしめながら 再び 外へ出てみると、すでに目の前には見物客でいっぱい。

これから何が行われるというのだろう。。。

ここで何かが始まることは確かでしたが、
そんなことよりも、
私ったらカフェ・プーシキンでの朝食の後、昼間のミネラルウォーター以外 な~んにも口にしていないわ!
ってことに気が付きました。(笑)

疲れもピークに達していましたし、もう一度 グム店内に戻り、カフェでいっぷく。
この時 飲んだ、フレッシュなパイナップルジュースほど美味しく感じたものはありません。
一瞬のうちに、緊張と疲れから私を解放してくれたのです。

外のざわつきを一切感じることなく、しばしカフェで寛いでいたものの、
「もう閉店ですから、、、。」との一言で席を立ちました。


時計の針は、すでに午後8時半を回っていました。

グム百貨店前の人だかりはいっそう大きく膨らんでいました。
見れば、広場には軍人さんの集団が次から次へと登場してきます。

picchuko は諦めない

鼓笛隊のような集団もありました。
労働者らしくヘルメット頭の集団も見られます。
その後をベレー帽姿の部隊が続きます。
立派な軍服姿のエリート達も現れてきました。

軍事パレード?
ここにプーチン首相とメドベージェフ大統領が揃えば完璧だわ!!(笑)


picchuko は諦めない

picchuko は諦めない


どう表現すればいいでしょうか。
ソヴィエト連邦が崩壊して すでに20年。
そのソヴィエトのまさかの復活のような物々しい場面が、今ここで展開されているのです。

以前の日記にも書きましたが、この時、私は対独との戦勝記念日については全く知りませんでした。
分かることは、第二次世界大戦に関する何らかの記念すべき行事であるということ。
これが、(たぶん)戦勝記念の軍事パレードの予行演習だとは想像もできるはずがありません。


picchuko は諦めない

picchuko は諦めない


戦車も姿を現しました。 ミサイルも登場です。
『赤の広場』は、今や 一万人を超す軍関係者で溢れ返っております。

まさか、私を歓迎してのパレードじゃあるまいし。。。( ̄▽  ̄)

くぅ~~~。(><) これじゃぁ、私が 『赤の広場』に入る隙間もないじゃな~い。


私が感じたところでは、軍事パレードは まだまだ延々と続くよう。

暗くなる前には帰らなくちゃ、、、
         一度にこれだけの軍人が 地下鉄へ押し寄せて来ては堪らない!(笑)

物騒だけれど、異常に気になる広場を後にして、
それでも まだ 『赤の広場』にこだわる心をなだめながら、午後9時半、私はその場を立ち去ることにしたのです。                     


picchuko は諦めない


 *こちらは2005年、60周年記念式典の映像ですが、雰囲気だけでも伝わるでしょうか…。
小泉元首相も、ほんの一瞬 映っております。 (You Tube)

クレムリンの昼下がり。

これが、5日後の戦勝記念日当日(5月9日)ならば、
中国の胡錦濤国家主席やドイツのメルケル首相など各国首脳も来訪され、もっとピリピリとした空気に包まれていたことでしょう。
さすがに その日だけは、クレムリンにおける一般観光客の入場は禁じられたのでは?、と思います。

*

ここクレムリンでは、世界一広大な面積を誇るロシアらしく、数々の「1番!」を見ることが出来ます。

まず、こちらは1568年に鋳造された大砲で、口径 89cm、重さ40t の「大砲の皇帝」。
当時は世界最大を誇っていました。
実際に使用されることはなかったそうですが、近くで見ると かなりの迫力があります。

クレムリンの昼下がり

そして、こちらが 重さ200tの「鐘の皇帝」。 高さ 約6m の世界最大の鐘です。
1737年のクレムリン火災の消火の際、鋳造中だった この鐘は、かけられた水に冷やされ亀裂が入り、一部が欠けてしまいました。
そのかけらだけで 11.5t もあるのだとか。

クレムリンの昼下がり

この八角形の鐘楼は、16世紀初頭に建立されたもの。
その名は、「イワン大帝の鐘楼」。
81m の高さで、24個の鐘を持ち、17~19世紀 モスクワで最も高い建物でした。
これ以上の高さのものを造らせなかった、と言う方が正しいでしょうか。


クレムリンの昼下がり

様々な意味において ロシアの凄さを噛みしめながら、私はプラプラと クレムリン内の庭園を散歩しました。
赤や黄色のチューリップの花達が、同じ背丈でちょうど見頃を迎えており、愛きょうある姿で揺れています。^^

ここはロシアの中枢としてだけでなく、モスクワ市民の憩いの場でもあるのでしょうか。

クレムリンの昼下がり

クレムリンの昼下がり

クレムリンの昼下がり


そういえば、、、数年前にロシアを旅した 親友M子がこんなことを言ってたっけ。。。

今にもポツポツときそうな薄曇りの空を見上げながら、私はM子の言葉を思い出していました。

「4年前はね、ロシア人達はまだ自由に慣れていなくて、自由を謳歌している僅か一握りの人達が、何だか特別に見えてたの。」

「そうそう picchuちゃん、ロシアって国はね、国家をあげて行う行事の日は、お天気さえも操ってしまう国なのよ。
空にミサイルを打ち上げて、雨雲さえも散らしてしまうんだって。
中止とか延期とか、そういう考えははなっからないみたいよ。^^」

そんな話を聞いた時、まさか そんなことまで…って半信半疑で聞いてたけれど、この国なら それもあり得るかも。

まだまだ紆余曲折しながらも、すっかり自由に馴染んだ彼らは、これからどう歩んでいくのだろうか、、、。

不思議な大国、あらゆる面で明らかに敵わぬ相手を前に、今後 日本はロシアに対してどう向き合っていくのだろうか、、、。

ホントだぁ~、もうロシアに対する古い固定概念は捨てるべきよね~。

ロシア政府だけを見るんじゃなくて、個人的に私もロシアの国と人を相手にお付き合いできたらどんなに勉強になるだろう。
実はかなり面白い国と見た!(笑)


この日のクレムリンでの昼下がり、
独特の緊張感と、圧倒的な芸術の全てに酔ってしまった私は、昼食を取ることもすっかり忘れ、
美しく咲くチューリップの花々を眺めながら、頭の中で まとまりのないことをグルグル思い巡らせておりました。



あ、あの女性(ひと)、なんてスタイルがいいんでしょう。 思わず、パシャリ!(*^^*)


クレムリンの昼下がり


* * * * * *


◆ちょっと気になる(?)今日のニュース◆

[モスクワ 16日 ロイター]

サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で勝敗予想を的中させ人気者となったドイツのタコ「パウル」が、ロシアの次期大統領を予想したことが分かった。
16日付のコムソモリスカヤ・プラウダ紙によると、記者がドイツ西部オーバーハウゼンの水族館にいるパウルを訪れ、それぞれプーチン首相とメドベージェフ大統領の名前を書いた2枚の紙を見せたところ、パウルが一方を触手で指したという。

ただ、その結果は大統領選挙が行われる2012年まで公表しないとしている。

                      ・・・ ほんまかいな。(笑)

だから、再びモスクワへ!

私は そこを訪れるまで、
クレムリンといえば、、旧ソヴィエト政府の核をなした場所くらいにしか思っていませんでした。
そして、ソヴィエト崩壊後も そのまま ここにロシア大統領官邸、大統領府が置かれている、と、まぁ その程度。

だから、再びモスクワへ

ピピッ!!
歩道を外れ、物珍しそうにウロチョロしている私を指さし、強面の警官が遠くから「ピピッ」と笛を鳴らしました。

え? 私のこと???(汗)

この日の観光客は比較的少なかったけれど、それでも多くの人の前で指をさされるのは結構 恥ずかしものです。
警官の怪訝そうな顔つきも嫌な感じですし、、、。

ここでは安易に行動してはならない、思う以上に緊張感漂う特別な場所なのです。

だから、再びモスクワへ

まして今日(5月4日)は、メドベージェフ大統領もいらっしゃるようで、改めてロシアの中枢なんだ!と気付かされました。

だから、再びモスクワへ

こちらが、その「大統領府」です。


「ピピッ!」 
ふふ。^^ 笛を鳴らされるのは、私だけじゃないみたい。

* * *


大聖堂を一通り観終わった私が、次に向かった先は、「武器庫」。

名前こそ物騒な雰囲気がしますけど、ここに戦利品やロマノフ家の宝物が飽きるほど展示されているのだとか。

エカテリーナ2世の戴冠式のドレスとか、歴代皇帝が戴冠式に使った「モノマフの王冠」、
イヴァン雷帝の玉座に、宮廷馬車なども見たいよね~。
そうそう、精緻な細工と仕掛けで有名な「インペリアル・イースター・エッグ」は必見よね~。

胸をときめかせ、けれど もう歩道からは外れません!
途中、どなたか要人を乗せた立派な車が、私のすぐ目の前を横切っていきましたが、
どうせ プーチン首相ではないでしょうから、ふんっ!て感じで、無視してやりました。(笑)


さて、武器庫らしき場所に到着です。
武器庫は 毎日、決められた時間(10:00、12:00、14:30、16:30)の4回しか入場できません。

確かな時間は覚えていませんが、たぶん12時少し前だったように思います。

地下へと続く狭い石段を降りて行くと、入口付近に数人の観光客が待っていました。
顔をあげると、セキュリティチェックをしているお兄さんが私に手招きをします。

「この下にクロークがあるから、手荷物を預けて来るように!」
「は~い。。。」 きっとカメラ類がダメなのでしょう。

しぶしぶ階下に降り、クロークの前まで行くも、何だか気持ちが萎えてしまった私。
面倒くさいな~。 
結局 荷物を預けることなく、先程の検査場に戻りました。
「預けて来るようにと言ったじゃないか!」 係員のお兄さん、眉間に皺が寄ってます。
「う~~~。」 だって、信用できないんだもん!

ほんの少し沈黙が続いた後、「まぁ、いいだろう。」と、そのお兄さんは許してくれました。
けれど、今度は 傍にいたもう一人のお姉さんに、「手荷物を見せて!」と呼び止められます。
「これは何?!」 キッと私を睨みつけます。
鞄の中を覗くと、一番上にカメラ付き携帯電話が堂々と姿を見せているではありませんか!

あち゛ゃ~。( ̄□ ̄;)!!
慌てた私は、どう説明しようかとパニックになりながら、「これは、Japanese ・・・」
「もう いいわ!」
きっと私なんて相手にもされなかったということでしょう。 あっさり 中へと通してくれたのでした。^^

*

中に入ってみると、、、、、何かが違う!????

真っ暗な部屋に 少し目が慣れてくると、
楽しみにしていた宝物はそこにはなく、眩いばかりの金とダイヤモンドが「これでもか!」というくらい無限の輝きを放ちながら 並んでいました。

もしや~?
もしや、ここは「武器庫」ではなく「ダイヤモンド庫」~~~???

後で知ったことですが、
偶然 私が足を踏み入れたこの場所は、帝政ロシア時代の秘宝の山とも呼べましょうか!
一生分のダイヤモンド運を使い果たしたかと思うほど、それはそれは目が眩むような宝石達で埋め尽くされていたのです。

本来なら、セキュリティチェックもそう簡単ではなかったはず!
カメラを没収されることなく、堂々と手荷物持参で容易に入場できた私は、かなり運が良かったのだと思います。

「ダイヤモンド庫」は「武器庫」に併設されており、別途料金が必要とのこと。
「武器庫」のチケットはトロイツカヤ塔のチケット売り場でも購入できますが、
「ダイヤモンド庫」のチケットは、武器庫の入り口でしか購入できません。
そして、実は カメラ・携帯電話・傘さえも持ち込み不可と書かれてありました。



元来、私は宝石類には全く興味がありません。
というのも、自分が宝石とは不釣り合いであることを百も承知だからです。

そんな私が、ガラスにへばり付くようにダイヤモンドから目が離せず、息をするのも忘れて、輝きの中に吸いこまれていきました。

この世のものとは思えない煌びやかさと誉れ高き美しさ、そして、これまで何人(なんびと)をも狂わせてきたであろう その妖しくも眩い魔性の輝き。

これは本当に現実なのだろうか、、、。
私はこれから、何を基準に生きていけばいいのだろうか、、、。
全てを狂わせてさえ、それでもなお 魅せられるその輝き。

何故に太古の昔から 人はこの輝きを追い求め、果ては全てを滅ぼすに至ったか、
それを初めて感じられたように思います。

だから、再びモスクワへ

ここには、かの有名な『オルロフ・ダイヤ』もあります。
世界で4番目に大きな そのダイヤ、ご存知の方も多いかと思いますが、あえて少しだけ説明を…。

だから、再びモスクワへ

最初にこのダイヤを所有したのはムガール帝国の王子でした。
当時は、500カラットもあったと言われる巨大ダイヤモンド!
王子はそのダイヤをヒンドゥー教の寺院に寄贈し、「かの石に触れるものに災いあれ」と言い残したそうです。

さて、時代は下り、あるフランス兵が そのダイヤを盗み出してから、王子の呪いの言葉通り、盗んだ者はもちろんのこと、それに関わる者を次々と不幸が襲います。
すでに買い手がつかなくなった そんな不吉なダイヤを手にしたのが、エカテリーナ2世の愛人であったオルロフ公爵でした。
オルロフは、疎遠になりつつあった彼女とよりを戻す為、これをプレゼントしたのだそうです。
こうして、この美しき不吉なダイヤはロシアの地に招かれました。

エカテリーナ2世は、190カラットのこのダイヤを愛用の王笏に取りつけて、大事に扱ったそうですが、
オルロフの方は、結局 すでに用なしで、ポイされちゃったようですね。(苦笑)


* * *


ここで私の受容範囲を大きく上回ってしまいました。

これ以上の宝物を一度に目にすることは、私の小さな頭と心では到底無理な話です。

どうやっても、私の中にこれ以上のものを収める隙間はないでしょう。

いや、無理やりに押し込めようとしてしまったら、この感動が「普通」の出会いになってしまう。

ですから 私は、敢えて この先にある「武器庫」へ向かうことはしませんでした。

クレムリンの大聖堂。

雪景色なら、なお一層 美しいに違いない。


クレムリンに入場し、

共産党大会などに使用する為、ソヴィエト時代に建てられた直線的で現代的な建築物「クレムリン大会宮殿」を通り過ぎ、

それとは対照的に、丸みを帯びた 歴史ある様々な寺院によって囲まれた「ソボールナヤ広場」に立った時、

そのギャップと、その想像以上の美しさに言葉を失いました。

眩しいネギ坊主の王冠をいくつも頭に戴いて、それら白亜の殿堂は、威厳に満ちた姿で私を出迎えてくれたのです。


クレムリンの大聖堂
<十二使徒教会>

では、ガイドブックを片手に、ほんの少しだけ ご案内致しましょう。


クレムリンの大聖堂

クレムリンの大聖堂
<ウスペンスキー大聖堂 (1475~1479年)>

ロシア正教の府主教会として、ここで歴代皇帝の戴冠式や総主教の任命式が行われていました。
現在でも、ロシア連邦大統領就任式でロシア正教会による祝福が行われるそうです。


クレムリンの大聖堂
<ブラゴヴェッシェンスキー大聖堂 (1484~1489年)>

皇帝、皇后の私的な参拝、礼拝所として使用された聖堂であり、16世紀半ばの火災の後、イワン雷帝によって修復されました。

雷帝との異称を持つイワン4世は、54年の生涯において、7回も結婚しました。(8回という説も)
4度目の結婚の時、すでに教会での礼拝に参加する権利を失った雷帝のため、ここに専用の階段付き玄関が設置されたのだとか。
処刑や拷問が好きだった雷帝ではありますが、礼拝や巡礼を好んだ敬虔な一面もあったと言われています。


クレムリンの大聖堂
<アルハンゲリスキー大聖堂 (1505~1509年)>

ロシア全土を統一したイワン大帝の死を目前に、大聖堂兼皇帝廟として建設が開始されました。
イコン画で覆われた薄暗く冷たいこの内部には、処狭しと多くの棺が並べられ、ここに歴代皇帝とその家族54名が安置されています。

セルギエフ・ポサードの地下納骨堂と同じく、ここでも多くのロシア人達が胸に十字を切り、棺に口づけをしていました。
新型インフルエンザ流行時には、ここは避けるべきかな、、、な~んて思ったりして。(笑)

それでも、壁一面に描かれた 数々のイコン画の迫力と、沈黙を守り 堂々と横たわる歴代皇帝を前にして、
人を惹きつける妖しくも美しいその魔力に、私もすっかり魅了されてしまったようです。
国境を越え、時代を越えて、私は歴代皇帝に招かれたような錯覚に陥りました。

不思議とここだけ時が止まり、
ダリの描いた時計のように、ぐにゃぁ~~~と 過去も現在も未来も歪んだ形で入り混じっているような、
このまま進めば霊界の入り口へと繋がっていくような、
言葉では決して言い表せない 恐いほど静かで冷たい空気が私の肌を包ました。



はっ! 
もしかして私の電話が鳴ってる?

歴代皇帝の手招きにより霊界へ入る一歩手前で、私は現界に引き戻されました。
バッグの底から携帯電話が鳴り続けていたのです。

一瞬、出ようか出まいか迷いましたが、
今回の旅行は職場に内緒のことですし、しかも ちょうど昨年度の決算期真っ只中であった為、
もしも上司からの電話なら一大事だと、恐る恐る携帯を手にしました。

国外では着信履歴が表示されない為、一体 誰からの電話か分からなかったのです。

「はい。」
「もしもし、、、もしもし?」 電話の向こうから小さな声がひたすら「もしもし」を繰り返しています。

「もしもし。」私も答えます。
「もしもし? もしもし?」
電波は届いているものの、その声はとても遠くて お互い言葉が通じません。

「もし、、、」 プツッ。 ツーツー・・・。

切れちゃったから、まぁ いっか・・・。
ですが、やっぱり気になって、
アルハンゲリスキー大聖堂を出て、聖堂の石段に腰をおろし、家に電話を掛けてみました。

「あら、どうしたの?」と母。
「何か変わったことない? 私に電話とか なかった?」
「ええ、今のところ 変わったことはないわよ。」
「あっそ。 なら、いいの。 じゃぁね。」

安心した私は、とにかく手短に、少しでも早く電話を切りました。
というのも、通話料の高さを恐れた為。(笑)


クレムリンの大聖堂

クレムリンの大聖堂


「あの電話はモスクワのクレムリンからだったのよ!」
帰国後、少々 鼻息を荒くしながら、母に自慢(?)しました。^^

そして、先日 au から請求明細書が届きました。
受信した「もしもし」を3回と、私から掛けた電話の僅か30秒。
これだけで、450円も掛かるんですねぇ~。(T_T)


高くついたその電話、ですが 私を霊界から連れ戻してくれたのも事実です。(笑)

クレムリンの大聖堂


* * * * * * *


こちらは2007年に東京と大阪で開催された「ロシア皇帝の至宝展」から拝借しました、ウスペンスキー大聖堂内の写真です。


クレムリンの大聖堂

え? 「クレムリン」にも入れません!??

かつて偉大な軍人であっただろう その団体は、クレムリン内にある「無名戦士の墓」に敬意を示し、祈りを捧げていました。

もちろん、その様子を遠くから眺めることで精いっぱい、近付くことは絶対に許されません。

やはり第二次世界大戦に関する行事が行われているのだ、、、悲しくも、分かることはそれだけでした。


ここには、対独戦におけるモスクワの防衛戦で散っていった多くの無名戦士が祀られているのです。
墓標には、「あなたの名前は知られていないが、あなたの偉業は不死身である。」
そう刻まれているそうです。
「1941 - 母国の為に倒れた人達へ - 1945」


*こちらは、モスクワ・クレムリンではなく、セルギエフ・ポサードの無名戦士の墓。
きっとロシアのあちこちで、このような記念墓地を見かけることがあるでしょう。

え? 「クレムリン」にも入れません!??

写真右手前に写っているのは、月桂樹の枝を表現した聖火台。
広島の平和公園で燃え続けている平和の灯とは、その意味だけでなく 漂う空気からして全く違います。



無名戦士の墓から、多くの元軍人さんらが現役兵を先頭に出て来ました。

え? 「クレムリン」にも入れません!??

え? 「クレムリン」にも入れません!??

テレビ局の取材は続きます。
もしかしたら、興味津々な表情で その周りをしつこくウロついていた私の姿は、カットされることがなければ、その日のモスクワのニュースに流れていたかもしれません。(笑)



「まさか、クレムリンにも入れないってことはないわよね?」
私と同じように、この様子をずっと見つめていた 大学生と思われる一人の男の子に声を掛けました。

「いや、たぶん今日は入れないと思うよ。」 その白い肌が、一層 彼をクールに見せます。

「え゛~~~! なんで、なんでぇぇぇ~?! o(T□T)o」
「なんでって、今日は・・・・・。」

ゴォ~~~! 背後から響く騒音に、彼の言葉は掻き消されました。

何、何、なんなのよぉ~!!(><)
振り向くと、超低空飛行で戦闘機が頭をかすめていきました。

今度は何~???
何十機もの飛行機が、次から次へと赤の広場の方角へ、建物すれすれで飛んで行くのです。
その向こうの様子は全く見えませんので、その戦闘機がどこまで飛んでいったのかは不明です。

過去に、山口県岩国市の米軍基地でも航空ショーを見たことがありますが、そんなもの全く比にもならない大規模な演出。
まして、市内中心部をこれほど低く飛ぶなんて、どれほどの腕前のパイロットでありましょう!

はっ! 写真 撮らなくちゃ!
時はすでに遅し、、、
ぽか~んと しばらく呆気にとられていたせいで、数えきれない戦闘機が何度も何度も頭上を通り過ぎたにも関わらず、
こんなお粗末なものしか撮れなくて、非常に残念です。


え? 「クレムリン」にも入れません!??

え? 「クレムリン」にも入れません!??

はぁ~、凄かった。
いやはや、今にも戦闘機に足元から掬われるのかと思ったわ。

凄いよ!凄いよ! 戦争はいけないことだけど、これは正にショーだ、芸術だ!と高鳴る胸を鎮めることにやっとでした。(笑)


クレムリン、もしも休みでもいいじゃない! 赤の広場がなんだっていうの!
改めて出直したらいいじゃない!

なんだか気分がすっとして、
なるようにしかならないわ!って、呆気らかんと微笑む余裕の私がそこにいました。


え? 「クレムリン」にも入れません!??

え? 「クレムリン」にも入れません!??


目の前に広がる 美しいモスクワの今を感じよう!

こんなにも、モスクワは今 輝いてる! 
この場所に立てたことが大切なのであって、この空気を吸うことが素晴らしいのであって、それが私の旅の原点なのだと気付きました。



「もしかして、今日 開いてます?」
観光客にとってクレムリンへの唯一の入場門、トロイツカヤ塔の傍にあるチケット売り場で尋ねてみました。

「ええ、開いてますよ。」
小さなこだわりを捨てたら、意外と物事は上手く流れるのかもしれませんね。


え? 「クレムリン」にも入れません!??

気分もすっかり転換され、清々しくクレムリンへと向かいます。
さぁ、ここがロシアの中枢、ロシアの全てを司る場所。

なんだか訳も分からず、ロシア万歳という気分でした。(笑)

「赤の広場」には入れません!!

「27日夜、来月9日の対ドイツ戦勝記念日に行われるロシアの軍事パレードの予行演習が行われた。」
これは4月28日付けの産経新聞の記事によるものですが、どうも予行演習は27日だけではなかったのでは、、、???と思われます。

* * * * * * *

明けて5月4日。

カフェ・プーシキンでゆったりと朝食を取った後、私は「赤の広場」を目指しました。
さすがはモスクワの中心たる場所です。
その日は平日にも関わらず、多くの人々が慌しく交差していました。

この先に「赤の広場」があり、そしてお馴染み「聖ワシーリー寺院」が見えてくるはず!

高鳴る鼓動を感じながら、「国立歴史博物館」を背に堂々と立つ銅像を見上げました。

「赤の広場」には入れません

これ誰?
無知な私は、一瞬 レーニンかスターリンだろう、と思いましたが、そんなわけはありません。(^^;

こちらは、ソヴィエト時代の軍人及び政治家であった「ゲオルギー・ジューコフ」という人物です。
第二次世界大戦において活躍し、その後も政治に大きく関与した彼は、ソヴィエトで最も人気の政治家の一人であったようです。

1945年の対独戦勝パレードにおいて、ジューコフは行進する将兵を馬上より閲兵する栄誉を与えられました。
当初、スターリン自ら閲兵を行なうつもりだったようですが、リハーサルで馬から振り落とされ、ジューコフを呼んでこの役を譲ったのだとか。(笑)

ちなみに、ソ連軍の北海道上陸作戦に反対してくれたのもジューコフでした。
実は1945年8月22日の時点まで、北海道上陸作戦の準備がされていた、、、ということを、私は今回 初めて知りました。



像の前では、胸に数えきれないほどの勲章をぶらさげた軍人らしき人物を真ん中に、記念撮影が行われていました。
またかぁ…。 まず、私はそう思いました。

例えば、ローマの"コロッセオ"やブダペストの"漁夫の砦"などのように、
コスチュームに身を包んだ人物達と 観光の記念に写真を撮っているのだろう、、、てっきりそう思ったのです。
もちろん、写真の後はお支払いが待っています。(笑)
軍人というのがロシアらしいなぁ~、、、根拠もなくそう思いました。


そんな人の輪を潜りながら、「赤の広場」に入るべく、私は勇み足で歩を進めました。

「ダメです、入れません!(キッパリ!)」
目の前に立つ軍服姿の美女が、手でバツを描きました。

え~~~??? どうして~???
ニヤッとした表情を浮かべ、首を横に振る軍服の美女。「入れません!」


そこで私は、博物館を挟んで反対側のヴァスクレセンスキー門から入ることを試みました。

え゛~~~????!(ToT)
大きな門扉によって、そちらも固く閉ざされておりました。

鉄格子の向こうに、小さく聖ワシーリー寺院が見え、、、、そうで、よく見えない!(><)


お願いだぁ~、入らせてくれぇぇぇ~!! o(T□T)o

はるばるモスクワまで来て、「赤の広場」に入れないなんてぇ~!!!
楽しみにしていた聖ワシーリー寺院を間近で見れないなんてぇ~~~!!!

うそでしょう!! これじゃぁ、何の為にモスクワまで来たというのか…。(><。)。。

私は囚人のごとく、その非情な門扉を何度も何度も揺すりました。(苦笑)
他の観光客も、恨めしそうに門の向こうの「赤の広場」を見つめます。
きっと私と同じ気持ちなのでしょう。。。


近くでマトリョーシカを売る露店のお姉さんに尋ねてみました。
「今日は赤の広場に入れないの? 何時になったら入れるの?」

「残念ねぇ~、今日は入れないのよ。 今日だけじゃなくて、毎日ダメね。」

うそつきっ! 毎日「赤の広場」に入れないなんて、そんな馬鹿げたことがあるものですか!

ところが、嘘ではなかったんですよね~。。。
その時はそう思ったのですが、いつになく気合の入った戦勝65周年記念式典を前に、
事実 モスクワの至るところに「偉大な勝利」などと書かれた無数の巨大看板や垂れ幕が掲げられ、記念日の数週間前から、市の中心部では幾度と通行止めやリハーサルが繰り返されていたそうです。

なんでなのよ~、誰かきちんと教えてちょ~だぁ~い!!(T□T)/
半べそかきつつ、もう一度 ジューコフ像の前に戻りました。

すると、胸に沢山の勲章をさげた人物達が、わんさと集まっているではありませんか?
TV局の取材に応えている模様です。
え? 観光記念ではなかったの???

んんん~?
冷静に辺りを見回すと、そこらじゅうに「65」の数字と、「1945 - 2010」と記された幕が、、、。
そこには戦争を思わせる写真が何枚も連なっていました。

「赤の広場」には入れません

1945、、、これは第二次世界大戦における何らかの行事に違いない。
しかし、その時、、、、、世界史を全く知らない私では、それが対独戦の戦勝記念だとは全く想像もできませんでした。

とにかく、目の前に並ぶ老齢の彼らは、戦争において国に貢献した人物ということなんだ。
ということは、意外な有名人もこの中にいるかもしれない???

誰か詳しく日本語で説明してくれぇ~~~!!!(><)
完全に壊れてしまったpicchukoです。(笑)


* * *

有名人がいるかも~~~と思って撮った写真です。 って、誰ですか?この人達?(笑)


「赤の広場」には入れません

「赤の広場」には入れません

「赤の広場」には入れません

「赤の広場」には入れません

モスクワ川クルーズ♪

さて、随分と話が逸れてしまいましたが、
5月3日、セルギエフ・ポサードよりモスクワへ戻った私は、遅めの昼食を取りに レストラン「グラブリ」を訪れました。
そこは200種類以上ものメニューが、バイキング形式で並ぶカジュアルレストラン。
お味はモスクワ市長のお墨付きというだけあって、どれもこれもハズレなし。
美味しそうな品々とあまりの空腹に、思わず沢山 取り過ぎてしまった私は、ここで予想以上に時間を費やしてしまいました。

その後、一旦 荷物を置きに イズマイロボホテルまで戻り、さて、これからどうしよう、、、。
机の上に置かれた小さな古い扇風機をカタカタ回しながら、ガイドブックをペラペラめくりました。

『モスクワ川クルーズ』

そうだった、そうだった!
市内を湾曲して流れるモスクワ川からの風景は、また違ったモスクワの魅力を教えてくれると、以前 ロシア語講座で紹介されていたのでした。

市内には何箇所か水上バスの停泊所があり、20~30分間隔で運航されるという便利さ。
"雀が丘船着き場からウスチンスキー橋付近がベストコース"ということで、
まずは地下鉄で雀が丘船着き場の最寄り駅「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」を目指しました。
余談ですが、この駅は3月末にモスクワ地下鉄テロが発生した「パルク・クリトゥーリ駅」から3つ目の駅です。


ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅に20時頃到着しました。
小雨の中、行き交う船を眺めながら、もしやあれが最終バスかも、、、と不安になってきました。

モスクワ川クルーズ

どうかまだ間に合いますように。。。

「これ、クレムリンまで行きます?」
「ええ、行くわよ。料金は400ルーブルね。」 

慌てて駆け込んだ船が、実は水上バスではなく、モスクワの夜景を楽しむ遊覧船だと気付いたのは、デッキに立つ私にメニューが配られてからのことです。

21時過ぎに船は出航しました。 静かに優しく滑るように船は進みます。

モスクワ川クルーズ

モスクワ川クルーズ

段々と街に灯りが灯ってきました。

モスクワ川クルーズ

40分程進んだ頃、左手に「救世主キリスト大聖堂」が見えてきました。
こちらもロシア正教会の中心地のひとつです。

モスクワ川クルーズ

モスクワ川クルーズ

河岸に建つこの大聖堂は、祖国戦争(ナポレオンによるロシア遠征)の戦没者を慰霊するために、計画から44年もの年月を経て、1833年に完成しました。
といっても、現在の大聖堂はソ連崩壊後の1997年に新生ロシアの象徴として、当時の姿を忠実に再現したもの。

当初の建物は、1913年にスターリンによって爆破されたからです。
それは、この地にソヴィエト宮殿を建設しようというスターリンの思惑からなのですが、
結局は、大聖堂跡地から地下水が吹き出し、宮殿建設は頓挫することになりました。
人々は、この地下水をキリストの涙だと噂したのだそうです。
その後 再建までの間は、巨大な温水プールがこの場所にあったのだとか。。。


船の中では、激しいダンスミュージックが流されていました。
ギラギラ眩しく、赤や緑のライトが回ります。

けれど私はこの白亜の建物を目の前にして、不思議と切なく胸が締め付けられ、思わず涙がこぼれそうになりました。
夜に浮かぶ大聖堂は威厳に満ち、そして哀しい歴史をそのまま物語ってくれています。


そして、そのうち見えてくるのが、ロシアの中枢「クレムリン」!

モスクワ川クルーズ

その先には、ぼぉっと聖ワシーリー聖堂も見えて来ました。

明日、その場所に立つ! 
それはまるで戦いを挑むように、先ほどの切なさを吹き飛ばし、熱い思いが湧きあがってきました。


そろそろ降ろしてくれるのかな~。
クレムリンが遥か後ろに遠ざかっていきます。

私、赤の広場で降ろしてもらいたいんだけど…。

船は進みます。 停まる様子はこれっぽっちもありません。

あれれ?

すると 目の前には、スターリン・ゴシック様式(スターリン時代、威厳を強調した象徴性の強いモニュメントとして、国家に承認された建築様式)の一つである「芸術家アパート」が聳える姿が見えてきました。
スターリンは、モスクワを"世界の規範的な首都"にするべく、このような荘厳な高層ビルを市内に 7つ建てたのです。

モスクワ川クルーズ

私はネギ坊主頭の方が好きだなぁ~。
そんなことを思いながら、どこが停泊所なのだろう、、、と探しておりました。

* * *

ところが、船はこの芸術家アパートの手前にあるウスチンスキー橋を潜ってUターンし、そのままどこにも停まることなく、もと来た川をもう一度 下って行くのです。

うそっ! このまま戻るの?

その時、時計の針は すでに午後10時を回っていました。
ということは、雀が丘の船着き場に着く頃には23時を優に過ぎることでしょう。

え゛~! そこからホテルまでは随分と遠いのにぃ~!!(><)
そんな夜遅くに地下鉄に乗らなければならないなんて、、、。

予想外の出来事に少々焦りました。 
やはり夜中の地下鉄はダメでしょう、ダメでしょう。。。

それから残りのクルーズは、その後のことで頭がいっぱい。 感傷に浸る場合ではありません。
夜中に地下鉄はどう考えてもダメでしょう。
ですが、地下鉄を使う以外、ホテルに帰る術は他にないのです。(><)


「どう? 十分に楽しめた?」
ちょっぴり素敵なスタッフのお兄さんの言葉もいいかげんに、船が岸に着くや否や、私は急いで飛び降りました。

船着き場から地下鉄駅までの道のりだって真っ暗です。
ところどころに釣りをしている男性を見かけました。 それが余計に恐い!

小走りで駅に向かい、地下鉄駅に到着するも、やはりホームには私一人だけで、、、。

あぁ、ホテルへは途中で路線を乗り換えなければならないのだった、、、。
ここで乗り間違えだなんて、ホント洒落にもなりません。 最終時刻も迫っているのですから。

*

焦る心を抑えながら、無事に真夜中の地下鉄を乗りこなし、
ホテルに着いたのは、もうすぐ次の日を迎える午後11時50分のことでした。

詩人・プーシキンとの再会。

たぶん、背伸びしたい年頃だったのだと思うのです。
高校生だった私は、学校の図書室で一冊の詩集を手にしました。

『プーシキン詩集(岩波文庫)』

和訳のどことなく古めかしい響きと、独特の侘しい空気感が、センチメンタルな気分に浸りたい年頃の私の心に居心地の良さを感じさせたのだと思います。

詩集に興味を持ったのは母の影響からです。
「母さんね、高校時代は よく授業中に先生の目を盗んで、色んな詩集を書き写してたのよ。
たとえば、ゲーテとかハイネとか、そうそうヘッセも好きだった、、、。」

当時、私の周りでは銀色夏生さんの詩が結構 人気だったと思います。
ですが、たぶん その頃から天邪鬼だった私には、それではどこか物足りなく、だからといってゲーテやハイネでは何かしら違ったのです。

プーシキン、、、ちょっと変わった名前よねぇ~。
ロシア人とも知らず、しかもゲーテに引けをとらない偉大な詩人だとも思わず、
ただ その白く広大な大地を思わせる うら悲しい世界を開くことが好きでした。
プーシキンがどこの国のいつの時代の人かなんて、そんなことはどうでもよかったのです。

図書室の貸し出しカードには、『プーシキン詩集』だけ私の名前で大賑わい。(笑)
それは国語の先生にも目に留まるほどの羅列でした。

*

彼がロシア人だったとは、一昨年の秋、ツルゲーネフの『はつ恋』を読んで気付きました。
そして、実はロシアを代表するほど有名な人物だったとは、今回 モスクワを訪れたことによって初めて知りました。

というのも、ドストエフスキーが「我々は皆、プーシキンから出た、彼の末裔である。」と表現するほど、ロシア人にとって偉大なる詩人であり劇作家だったのです。

帰国後 調べてみると、
「はじめて作品のなかに積極的に口語を取り入れ、独自の語りの文体を作り上げて近代文章語を確立し、後代のロシア文学に影響を与えた。」とWikipediaにあるように、
古典的なロシア詩の詩作規準を確立し、ヨーロッパ文学の模倣にすぎなかったロシア文学を真に国民的な文学に高めたのだとか。

だから、トルストイやツルゲーネフといった日本でも有名な作家達の作品の至るところに、プーシキンの詩が引用されているのですね。
また 彼の死後、その多くの作品が、ロシアの作曲家によってオペラ化されたそうです。

*

それほどロシアの文学界に影響を与えたプーシキンの肖像画が、「トレチャコフ美術館」にもありました。

数あるプーシキンの肖像画の中で、プーシキン自身がとても気に入り、後に買い取ったという、
オレスト・ギプレンスキー作 『詩人プーシキンの肖像画』 は、美術館の多々ある作品の中でも なぜかしら目を引く一枚です。

詩人・プーシキンとの再会


「まるで鏡の中の自分を見ているようだ。」 

そんなプーシキンの言葉ではありませんが、
「まるで生きたプーシキンが、ちょっぴり気取ったポーズで目の前に座っている」そんな感じかな。^^

口を開けば、今にも素敵な詩の一節でも飛び出してきそうな、ごく自然のプーシキンがそこに存在していました。

ちょっと色黒なところと、クルクルと巻いた髪の毛は、エチオピア人だった彼の曾祖父さんの血筋でしょうか。
ロシア近代文学の父に、実はアフリカの血が流れているっていうのも面白いですよね。
そして、若くして決闘によって 儚くもその生涯に幕を下ろしたところなど、まさに劇作家を地で行くような情熱的な人。
それでも素朴さを忘れない、そんな彼の一瞬の表情が この絵に現れているようで、もの凄く親しみやすさを感じました。

私もこの絵、大好きです。^^

*

彼の作品の持つ、本来の美しい韻の響きや表現力の巧みさは、原語でなければ掴み取れないといいます。
ロシアではこれほど有名な彼の作品が、世界に殆ど影響を残さなかったのは、まさにその翻訳が非常に難しいからだと言われています。

ということは、やはりそこにもロシア語という大きな壁が、、、。(T_T)

プーシキンとの再会は、私にとって ロシア語との新たな出会いになりそうです?!
って、それは絶対にあり得ませんけど。。。(苦笑)

ロシア文学を片手に…。

「たとえば このわたしが決闘を申し込んだとしよう」
そんな独りごとを続けながら、決闘申し込みの後で過ごす一晩のこと、自分に向けられるピストルのことをありありと思い浮かべたカレーニンは、ぎくりと身を震わせて、自分がけっして そんなまねをしないだろうと悟ったのだった。
             『アンナ・カレーニナ(光文社 古典新訳文庫)』 第2巻 P.117

これは、アンナによって、ヴロンスキーとの関係を打ち明けられた夫 カレーニンが、その後 どう振る舞うべきかを思い悩んでいる場面を抜き出したものです。


「仮にわたしがあの男に決闘を申し込んだとしよう。そうして決闘の作法を教わり」
彼は考えを進めた。

「決闘の場に立たされて、引き金を引き」 
彼は目をつぶりながら そう自分に語った。

「そして相手を殺したとしよう」・・・


文中において、カレーニンは次のように繰り返します。
「間違いなく わが国の社会はいまだにひどく野蛮だから、決闘を好意的に見る人間はきわめて多数にのぼる。
だが決闘をして どんな結果が得られるというのだ? たとえば このわたしが決闘を申し込んだとしよう・・・」

*

事実、ロシアには、このように愛人との「決闘」において尊い命を失った文学者がいるのです。

その名は、アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン。
ロシア近代文学の祖とも言われる、国民的詩人です。

それは、美貌の妻 ナターリアがニコライ1世の愛人であるかのような噂を流されたのがきっかけでした。

噂を流したのはオランダ大使のヘッケルン男爵。
その養子であり、ナターリアに執拗に言い寄っていたフランス人のダンテスにプーシキンが決闘を申し込んだのは1837年のこと。

夕闇が迫る中、銃弾を浴びた詩人は、2日後 自宅の書斎で静かに息を引き取ったそうです。
僅か37歳という若さで。


ロシア文学を片手に

* * * * * * *

ロシア文学と聞けば 少し重苦しく感じてしまいがちですが、それを手にする場所を選べば、それは趣きある魅力ある世界へと様変わりします。

そんな素敵な場所をご紹介致しましょう。

それは、前述のプーシキンにちなんだ高級レストラン「カフェ・プーシキン」です。
彼の生誕200年を記念して、1999年にオープンしました。

プーシキン広場から徒歩2分程度で、ピンク色した可愛らしい外観が見えてきます。

ロシア文学を片手に

入口にはドアマンが立っており、二重扉の向こうには、さりげなくドアを引く 若く洗練されたボーイの姿がありました。

店内は帝政ロシア時代を彷彿させる重厚な内装で、背後には誰もが知るクラシックのピアノ小曲が流されており、なんとも言えぬいい雰囲気。
そうそう、3階にはオーナーのコレクションである古書を陳列した書棚があるのだとか。
そちらは正午以降でないと入れないということでしたので、朝食に訪ねた私は1階の窓際の席に腰を降ろしました。

落ち着いた気品ある趣きは、私がこれまで訪れたカフェ&レストランの中では最高級。
とりわけ人数(ひとかず)の少ない時間帯でしたので、まるでその空間を一人占めしている気分です。^^

古新聞をモチーフにしたメニューには、軽く朝食といっても 選びきれないほどの料理が並びます。
さすがはモスクワを代表するレストランだけあって、お値段もかなり高めです。
カプチーノとパンケーキ、、、あ、パイナップルジュースも頼みましたっけ、、、それだけで945ルーブルもしました。
1ルーブルを単純に4円と計算して、田舎者の私にはちょっとビックリなお値段ですよね。

ロシア文学を片手に

そして、こちらは 簡単に言えば「目玉焼き」!(笑)
玉子の上にジャガイモ、トマト、マッシュルームなどが乗せられて、それをぐるっとソーセージで囲んでいます。
         

ロシア文学を片手に

お味の方は、どれもこれも見た目以上に美味でした!


あまりにも素敵な場所でしたので、僅かなモスクワ滞在中、二度ほど足を運びました。

モスクワに住んでいるのなら、毎日でも通いたいくらい、そんな私好みの優雅な時間が流れています。
それは、ウィーンの高級カフェでさえ味わうことができなかった至極の時間。
いつの日か「プーシキン詩集」片手に、もう一度 この場所を訪ねる私がいるでしょう。

ロシア文学を片手に

ロシアの文豪 『トルストイ』 を語りませう。

不覚にも、風邪をひいてしまいました。
暑いのに寒い、喉の痛みと鼻水に苦しめられ、そして気付くのです。
あぁ、私は毎年 この時期になると、必ずといっていいほど 風邪をひいてるなって。


先日、沢山の本を買い込んでしまいました。
それも"ロシア"に関するものばかり、、、書店の方も驚くほどのその量は、買った本人である私をも途方に暮れさせているのです。(笑)

今年の3月から読み始めた 『アンナ・カレーニナ』 を未だ全巻読破できていない状態で、この積み上げられた本をどうするのか。
読む気は十分にあるものの、微熱でじわじわ溶けてしまいそうな私の身体がブレーキをかけているこの頃です。

* * * * * * *

正直、『アンナ・カレーニナ』 という本は、単なる不倫話だと高をくくっておりました。

ソフィー・マルソー主演の映画を観た後でさえ、その美しさは絶賛しつつも、まだその奥に無限に広がるドラマを感じ取ることができませんでした。

ところが、実際に単行本を手にしてみると、これを熟読できれば 当時のロシア全てを語れるほどのものがぎっしり詰まっているのではないだろうか、、、と驚きに近いものを感じました。


ご存知、トルストイの代表作 『アンナ・カレーニナ』 は、
人妻であるアンナと青年将校ヴロンスキーとの不倫愛、そして 地主貴族であるリョービンと公爵家の末娘キティとの穏やかな愛を交互に描き進んでいきます。

確かに、人妻ゆえに醸し出す媚態のアンナが次第に余裕を失い、自分を失い、壊れていく様は物語の主軸になるのかもしれませんが、
まるで自身の語り部のように綴られたリョービンの堅実さによって、ややもすれば浮足立ちそうな話の流れをしっかりと固め、
アンナとは対照的にさえ思えるキティの健気な明るさが、長い冬の雲間から射し込む柔らかな光のように読む者をひととき救ってくれます。

そして、リョービンの目を通して 自身が体験した当時のロシアにおける農地経営、そして 革命へと向かうロシア社会の様々な側面の描きようは、歴史を知る上でも非常に勉強になるものです。

と偉そうに言いつつも、未だ4巻中3巻の半ばをウロウロしている私に、
この物語の続きは、もっと激しく強烈な印象を叩きつけてくれることでしょう。(^^;

なんてったって、かのドストエフスキーに「文学作品として完璧なものである。現代ヨーロッパ文学のなかには比肩するものがない」と言わしめさせた作品なのですから…!


あ、個人的には、リョービンとキティがお互いの思いを確認し合う場面が一番好きです。^^

* * *

自分には到底及ばないと思っていたロシア文学の面白さが感じられるようになったこれを機に、思い切って 同じくトルストイの代表作である 『復活』 を購入しました。


それは、若い貴族とかつて恋人だった女の贖罪と魂の救済を描き、それを通じて社会の偽善を告発するといったもので、
帝政ロシアにおける裁判、教会、行政などの不合理を大胆に摘発し、権力の非人間的行為へ激しく抗議したトルストイの力作です。

その 『復活』 の中で、「聖書を勝手に解釈したり正教を冒涜した」として、トルストイはロシア正教会から破門の宣告を受け、現在に至るまでその破門は取り消されていないのだとか。

せっかくの縁でロシア正教との繋がりを得た今の私にとって、そこのところが最も興味深いです。

* * *

そして、もう一冊をご紹介。
それは、ジェイ・パリーニ(米国人)作、『終着駅 ~トルストイの死の謎~』 です。

こちらも すでに映画化されており、この秋に日本でも公開されます。
*「うさぎの春子さん」、貴重な情報をありがとうございました!(*^^*)

主演は、映画 『クイーン』 でエリザベス女王を演じた ヘレン・ミレン。
世界三大悪妻とされるトルストイの妻ソフィヤが、彼女によってどう映し出されているのか、、、。

また、トルストイ役に クリストファー・プラマー。
こちらは、映画『サウンド・オブ・ミュージック』 のトラップ大佐でお馴染みですよね。^^


~ 1910年11月、トルストイは旅の途次、寒村の駅長官舎で息絶えた。
82歳の文豪を流浪へと駆りたてたものは何だったのか。
最晩年の謎にみちた日々を、トルストイ夫妻、娘、高弟、秘書、主治医、それぞれの視点から浮かびあがらせる。

回想のなかで明かされる、放蕩無頼の青春時代、情愛あふれる新婚の日々…高まる名声とともに信奉者が集いはじめると、作家と妻ソフィヤのあいだに断絶が生まれ、それは死の際までトルストイを苛みつづけた。
実在する多くの記録をもとに、ありうべき手記を創作し、新しい文学の誕生を告げるドキュメント・ノヴェルの傑作。 ~



次回はそんなロシア文学の似合う、モスクワの素敵なカフェ&レストランをご紹介致します。

ロシアの文豪 『トルストイ』 を語りませう

そうだったのか?! ロシア正教会☆

まずはじめに、前回の日記を訂正致します。

セルギエフ・ポサードで2010年5月3日に行われた行事とは、
正教における「主の昇天日」に関するものではなく、
第14代総主教・ピーメン1世(在位:1971年6月3日~1990年5月3日)がお亡くなりになって20年目の儀式だったようです。

その追悼の儀式は現(第16代)・総主教をはじめ、ロシア正教の多くの大主教達 列席のもと行われました。

そうだったのか?! ロシア正教会

(納骨堂入口にて)

ピーメン1世の棺は、修道院内にあるウスペンスキー大聖堂の地下納骨堂にあります。


あの日、地下納骨堂の狭い入口を目指して、一斉に信徒の渦が押し寄せました。
私のちょうど目の前にはかなり高齢であろうお婆さんがいらっしゃって、その渦に巻かれたら間違いなく転倒してしまう。
その時の私は、熱狂的な信徒達からお婆さんを守るため、できる限り彼女の後ろに立って、それを防ぐのに必死でした。

なんなんだ!この狂った人々は!!!

今なら、何故に信徒達が狂人のごとく 納骨堂を目指したのか、なんとなくですが 理解することができそうです。


そうだったのか?! ロシア正教会



先ほど、ブログ仲間の「とらのこどもさん」が面白いお話を教えてくださったので、ここに紹介致します。

2009年1月22日付け、JBpress(日本ビジネスプラス)の記事です。


「2008年12月5日にロシア正教会総主教・アレクシー2世が亡くなった。
後継者は今年(2009年)1月27日から29日まで開催される全国教会総会において、秘密投票で選ばれる。
即位式は2月1日に行われる予定だ。

秘密投票は2回行われる。
だが、その結果はもう明らかである。
次期総主教になるのは、12月6日から総主教代行になったキリル大主教だろう。
その確率はほぼ100%と言ってもよい。誰もがそう思っていた。


ロシア正教の規約では、総主教の選挙はできるだけ一般のロシア正教徒に参加してもらうことが望ましいとしている。
今回は時代の流れに沿って、ウェブで投票をやろうということになった。
ロシア教会だけではなく他の教会も、教会を宣伝し、若くて新しい信者を引き集めるためにネットを積極的に使っている。

ロシア正教会は、ロシア総主教の選挙に当たって特別のサイトを設置した。
そのサイトには、次期総主教の資格がある34名の大主教と77名の府主教の候補の写真が載っている。
写真の下のボタンをクリックすると、その候補に1票が入るという仕組みだ。
要するにネット上の人気投票である。

最初は予想通り、キリル大主教がリードしていた。
しかし1月13日に突然、候補者の列のはるか後方に掲載されていた東京の大主教、ダニイル主代郁夫(ぬしろ・いくお)が77%以上を集め、キリル候補の人気をはるかに上回って、トップになってしまったのである。
ダニイルは日本教会を代表する主教だ。

ロシア正教会では大騒ぎになり、サイトの管理者はダニイル大主教の写真の下に「投票数を恣意的に上げるハッカー攻撃があった」と書き付けた。
15日までにダニイル大主教への投票をマニュアルで削除したりしていたが、また大量の投票があり、70%台へと支持率が上がってきた。


そこで16日にはダニイル候補の支持率を削除し、票数だけを残して掲載した。
同時に、キリル候補の支持率は、一気に10倍の58%(1万5269票)へと押し上げられた(修正された)。
しかし、ダニイル候補の獲得票数は2万3799票と、キリル候補を追い越したままだった。


ダニイル大主教の写真は削除されないだろう。その必要はない。
必要なのは、ロシア文化の中核をなすロシア正教の総主教選挙で、どうして日本人候補の人気が突出して高いのかを解明することである。
ただのいたずらなのか、その背景には何かが隠れているのか。

現実的には日本人がロシア正教総主教になるのは夢のような話であり、まずあり得ない。
だが、理論的には可能であり、可能性がまったくのゼロとは言えない。


ロシア正教の決まりによると、総主教になれる候補は、
神学大学を卒業していること、教会の教主(大主教または府主教)であり、教区経営経験があり、40歳以上であること、とされている。
人種の規定はない。
ダニイル大主教はこれらの条件を完璧に満たす候補であり、日本でもロシアでも、信者を含めて教会関係者からの評判は高い。

ただし、1月13日まで、彼のことを知っていたロシア人は多くはなかった。
この事件を解明しようとするロシアのマスコミは、"若い日本アニメのファンがロシアに大勢いることが原因だ" と主張している。
毎日、ネットサーフィンしている彼らが東京のダニイル大主教の写真を見つけ、こぞって票を入れたのだろうという分析だ。」



これにはロシア正教会も大慌てしたでしょうね~。(^m^)
ですが、日本人を総主教に就けることは、ロシア正教会の名誉に掛けても譲れなかったことでしょう。

ローマ教皇を決めるカトリックの「コンクラーヴェ」もそうですが、トップの座を選出するのには、いつも何かしらあるのでしょうね。


*とらのこどもさん、とても興味深いお話をどうもありがとうございました。^^

「ハリストス復活!?」 「実に復活!??」

2010年5月3日。
この日、ロシア正教における特別な日であったに違いありません。


お恥ずかしいことに、私はロシアを訪れるその日まで、正教がキリスト教であることすら知りませんでした。
壁に描かれたイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)のイコン(聖像)を見て、「そうだったのか!」と知る始末。(苦笑)


正教会において、西方教会諸派における復活祭(イースター)に当たるものが「復活大祭(パスハ)」であり、それが正教会最大の祝祭日であること、

その他 降誕祭(クリスマス)など、十二大祭が行われること、

現行の太陽暦・グレゴリオ暦ではなく ユリウス歴を用いる為、西方の教会とは祝祭日が異なることが多いなど、

少なくとも基本中の基本は勉強してくるのだった、、、と、後悔しても後の祭りです。

これまで西側諸国において数々の大聖堂へ足を運んだにも関わらず、
キリスト教であることさえ知らなかったロシア正教会で、
この上なくその無知加減を腹立たしく感じ、これまでになくキリスト教の重みを肌に感じました。



総主教・キリル1世の掛け声に合わせ、大声で唱える信徒達。

日曜日でもないのに、一体何の騒ぎなの?
信徒達は一体、何と唱えてるの?
なぜ、総主教が現れたの?

帰国後 色々調べてみて、
"たぶん" その日は復活大祭から40日目にあたる『主の昇天祭』の関連行事だったのではないか、、、と分かってきました。
それは十二大祭のひとつであり、正教会ではこの日をもって復活祭期の終わりとするため、教会暦上の大きな節目のひとつでもあると書かれてあります。


また 信徒達の掛け声は、復活祭期の間に主教と信徒、又は信徒同士で交わす挨拶「ハリストス復活!」「実に復活!」であったと想像できます。

*

キリル1世は、まず金色屋根のトロイツキー聖堂にて祈りを捧げ、その次に向かった先がウスペンスキー大聖堂の地下。
この地下納骨所には、20世紀における何人かのロシア正教会の総主教らが眠っているのです。


私はまるで信徒のように、彼の後をついて回りました。

ですから、私が初めてロシア正教に足を踏み入れた場所が、トロイツキー聖堂(写真)となります。
トロイツェ・セルギエフ大修道院の中でも最も古い建物で、1423年に建てられました。
その内部のイコン画は、中世ロシア、モスクワにおける最も重要なイコン画家アンドレイ・ルブリョフによって描かれています。


一歩進むや、その狭く薄暗い厳かな内部と 迫り来るイコン画に、私は息を呑みました。

長い信徒の行列に、ぼんやり灯された蝋燭の光、美しく響く"パスハの讃詞"と呼ばれる聖歌の調べ。
人々は恭しく胸に十字を切り、イコンに口づけをする。

一瞬、妖しくも見えるその情景も、
まるで目の前にハリストスが現れたかのような喜びを内に秘めた人々の表情に、

ロシア正教に対して野蛮な印象を持っていた私は、驚きを隠しきれませんでした。
イコンに口づけするその姿からは美しさすら感じます。

私も大きな柱にもたれかかり、頭にスカーフを被せ、信徒達の祈りの姿を真似てみたものの、やはりそれは嘘っぽい。(笑)

仕方なく、私流に手を合わせ、ウスペンスキー大聖堂の地下へ移りました。


その地下納骨堂では、それまで恭しく謙っていた信徒達が熱狂者へと豹変☆
満足に息もできないほどもみくちゃにされた私は、押し合いへしあい「我先に!!!」という彼らの姿に、別の意味で驚かされました。

それは、そこで静かに眠っている歴代の総主教様もビックリして目を覚ましてしまいそうな勢いです。(笑)



不思議な縁で、訪れる予定でなかったこの地を旅し、
偶然にもその場所がロシア正教の聖地であり、その日がなんらかの特別な日であったこと。
そして、総主教様のお出ましに居合わせた この偶然。

それは、神様が私を正教へと導くべく、何かのお示しであったのかもしれません?(笑)

ですが、神様! 私にロシア語は絶対 無理ですぅ~。(><)
(日本正教会には興味ありませんので、あしからず…。)

*

写真は、トロイツキー聖堂とは対照的に、煌びやかな内部に圧倒されたセルギエフ教会(聖セルギイの食堂)です。


「ハリストス復活!?」 「実に復活!??」

「ハリストス復活!?」 「実に復活!??」

「ハリストス復活!?」 「実に復活!??」

「ハリストス復活!?」 「実に復活!??」


お出ましは、レニングラード生まれのウラジーミル様。

「クレムリン」といえば、まずモスクワのそれを頭に浮かべる方が多いでしょうが、
もともとロシア語で「城壁」を意味するクレムリンは、中世ロシアの多くの都の中心部に備えられていたのだとか。

ここ『トロイツェ・セルギエフ大修道院』も、同じくクレムリンで囲まれております。

その中に、金色の星型の入ったブルーの屋根を持つ「ウスペンスキー大聖堂」(写真)をはじめ、
金色の屋根が眩しい「トロイツキー聖堂」他いくつもの教会、そして神学校、僧坊、宮殿、病院などがあり、

ロシア最大の修道院として、またロシア正教において最も重要な修道院のひとつとして、
常に多くの信者で賑わって(ごった返して)おります。

その為か、ここの修道院長は、ロシア正教の長たる"モスクワおよび全ロシアの総主教"が務めることになっています。
実務はセルギエフ・ポサード駐在の院長代理が行うそうです。


お出ましは、レニングラード生まれのウラジーミル様

呑気にカメラを構える私とは対照的に、多くの信者達が 正面入口からトロイツキー聖堂に向かってずら~っと並び始めました。

何? 何かあるの?
図々しくも列に割り込み、これから現れるであろう その偉大なる人物を私も待つことにしました。

周囲の女性信者達は、頭にスカーフをかけ、恭しく手を合わせて入口を覗き込み、
観光客と思われる者達は、カメラを掲げ、同じく入口を向いて待機しています。

熱狂者に備えてか、はたまた怪しい人物に備えてか、目の前には多くの護衛兵がキツい表情で立っています。

そこで、私が大学時代に親しかった三谷君という友達によく似た兵隊さんが目に入りました。
あらー、久しぶり!って感じで、ちゃっかり彼の隣りに立ちました。(^m^)

「(ねぇねぇ、三谷く~ん!) 一体 これから 誰が来るっていうのぉ~?」と、
すっかり友達気分で慣れ慣れしく声を掛けてみるものの、、、

もちろん、彼は三谷君でもなければ日本人でもなく、今 自分が遂行しなければならない任務に超真剣です。
彼はギッと私を睨みつけました。

それでも私は全く怯みません。「ねぇ、誰が来るのか教えてよ~!^^」

ですが結局、何度も睨まれ無視されて、これ以上 しつこくすると 今にも監禁されそうでしたので、
仕方なく、彼の隣りで静かに待つことと相成りました。(笑)

*

一瞬、辺りがざわめき立ちました。

誰? 誰? やっぱりプーチン首相なの???
私も必死に背伸びしてみるものの、多くの信者にもまれて 何が何やら分かりません。
三谷君は相変わらず無表情で任務を遂行しております。^^

そのうちに、黒い服に身を包んだ修道士達を先頭に、厳かなる列が目の前に現れました。

お出ましは、レニングラード生まれのウラジーミル様

深々と頭を下げる人々に混じって、私は必死で頭をあげてキョロキョロ辺りを見回しました。

グラッ!
前へ前へとのめり込む信者の波に押されて、私の身体が前方へと押し出されてしまいます。

ガシッ!!!
これほど強く掴まれたことがないほど、勢いよく力強く、護衛兵の手によって 私の肩が抑え込まれました。

ひぃ~~~! ここで捕まえられては堪らない。(><)

ドキドキしつつも何事もなく、ホッと一息ついた頃、、、現れたのです、現れたのです!!!
レニングラード(現サンクトペテルブル)生まれのウラジーミル様が!!!

緑色の特別な衣装に身を包み、頭には十字架の付いた白いクーコリを頂いて、、、。
("クーコリ"とは、正教会における最上位格の修道士によって着用される帽子のこと)

お出ましは、レニングラード生まれのウラジーミル様

そうです。 
目の前に現れたのは、ロシア正教のモスクワおよび全ロシアの現・総主教、キリル1世。
1946年11月、レニングラードにて生を受け、 2009年2月1日、正式にモスクワ総主教としてご着座あそばされました。
本名、ウラジーミル・ミハイロヴィチ・グンヂャエフ。
正しく、レニングラード生まれのウラジーミル様です。(笑)

お出ましは、レニングラード生まれのウラジーミル様

私が待ち焦がれていたウラジーミル様は、レニングラード生まれのウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン様。
誰もが知る第2代ロシア連邦大統領なのでありまして、、、。(T_T)

総主教といえば、カトリックでいうローマ法王に値するお方。
そのような有難いお方のお出ましに、本来なら感謝しなければいけないところ、
思いっきり落胆してしまったpicchukoなのでありました。


* * * * * * *

余談ではありますが、

ロシア革命の主導者、かの初代ソビエト連邦共産党最高指導者 レーニン氏の名前も、ウラジーミル。
ロシアには、ウラジーミルという名の人物は、掃いて捨てるほど(失礼…^^;)存在します。

ロシア人の名前の種類は日本よりも随分と少なく、ですから ウラジーミルさんとか、ニコライさん、セルゲイさんなどが わんさといるわけです。

そこで(?)、ロシア人の発想はなかなかユニークでして、名前と姓の間に父称を入れ、
"ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン" のプーチン首相の場合でしたら、
"プーチン家のウラジーミルさんの息子のウラジーミル君"となるのだそう。
プーチン首相はお父さんの名前もウラジーミルなのね。(^^)


また、名前にはそれぞれ愛称が決まっており、ウラジーミルなら「ヴァロージャ」が一般的。
部下などが、敬意を表す場合には、「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」と呼び、
英語の「Mr.」に当たる「ガスパジン」を用いて、「ガスパジン・プーチン」と呼ぶのはよそよそしい言い回しになるので、ロシア人同士ではまず使われないのだとか。

そして、ロシアで人気のロシア大統領ブランドウォッカ「プーチンカ」は、"プーチンちゃん"となるようです。(爆!)

私、売られるの?(笑)

私、売られるの?

「これからどこへ行くつもり?」
バッセーリさんの言葉に、修道院までの道しるべを探さなくちゃと気付きました。

私、売られるの?

駅から修道院までは1kmばかり。 徒歩15分と書かれてあります。

ガイドブックの写真を見せながら、「ここへ行こうと思ってる。」そう日本語で答えました。^^

「道順は分かってる?」
「一人で大丈夫?」
「タクシーを拾う方が早いかなぁ~。」
「ちょっとついておいで。」
そんなことを言ってるであろうことは、例えロシア語でもなんとなく分かります。

私の返事を待たずして、彼は一人勝手に納得し、ドンドン先へと進みだしました。

ちょ、ちょっとぉ~、私にも考える時間をちょうだいよ~!!><
慌てて、後を追いました。

彼が向かった先はタクシー乗り場。
背の高いロシア人のドライバー集団は、ちょっと独特の迫力があります。

煙草をふかしながら、一人のお兄さんがバッセーリさんと何やらブツブツ。
私達を運転手のお兄さん達が取り囲みます。


「チッ、もう少しマシなヤツはいねぇのかよぉ~。」…(わが妄想・笑)

もしかして、私 売られる~???(><)


意味が分からずビクビクしている私に、バッセーリさんはロシア語で説明を始めました。
だからぁ~、私はロシア語が分からないって、さっきから何度も言ってるじゃない!!

説明が終わると、又もドライバーとの交渉再開。
そして、再び振り返り、私に説明するという繰り返し。

傍から見ると、きっと彼がロシア人と私の間に入って通訳をしているように見えるでしょうが、、、
彼はずばり! ロシア語しか喋っておりません!(爆!)

超真面目な顔で私を説き伏せる(?)バッセーリさん。
私は彼の肩に手を置いて、何度も首を横に振りました。「だから、分かんないんだって!」


とうとうバッセーリさんとドライバーとの間で交渉が成立したらしく、私のシベリア送りが決定したようです。(T_T)

ドライバーのお兄さん、指で「15」と示します。
15ルーブル? ってことは、日本円だと大体60円くらい?
私はそんなに安いのか?

そんなにわけないだろう!って感じで首を振りつつ「150だよ。」とお兄さん。
それでも 私の値打ちはせいぜい600円ということか、、、。(ToT)


と、冗談はさておき、
それが妥当なタクシー料金かどうか分からないまま、私は車に乗り込みました。
信じられるのは、バッセーリさんの心強い頷きだけです。

*

ほんの1時間半ばかりの貴重な出会いに手を振って、目指すはシベリア、、、(笑)
ではなく、世界遺産の『トロイツェ・セルギエフ大修道院』。

私、売られるの?

>こちらの大修道院内部には、数々の教会だけでなく モスクワ宗教大学と神学校も置かれており、聖書片手に黒い服で身を包んだ若き美しい神学生と出会えます♪

ロシア正教の中心地のひとつでもあり、きっと厳かな空気が流れていることでしょう。
多くの信者達が恭しく祈りを捧げる姿が、私の頭の中で膨らみます。

私、売られるの?
(あれれ? 何気にピース?・笑)


ところが、到着早々 何やら慌ただしい雰囲気で、、、?
警備も厳重になってきて、、、???

まっ、まさかぁ~~~!!!

まさか、プーチン首相のお出ましか?!
念ずれば、必ずや夢は叶うと言いますものぉ~~~!(*^^*)

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