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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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カチューシャと赤いサラファン。 <モスクワ旅行記・番外編2>

「名前はカチューシャ!」

「せっかくだから、大女帝のエカテリーナから名前を戴きましょう。呼び方は、エカテリーナの愛称であるカチューシャ!」


母が体調を崩さなければ、実はもう一匹 ポメラニアンを買う予定でした。
愛犬ヨンサマとクリスにお嫁さんを、と思ってのこと。
一匹のメス犬を二匹のオスで、、、というのはどうかな~と思いつつ、さすがにメス犬もニ匹というのは・・・。

以前、ヨンサマを買ったブリーダーさんに、「お宅で戴いたポメラニアンがとてもお利口さんで可愛いので、この子の子供を作るための相手を探して欲しい。」と頼んだことがあります。

「その子がメスなら相手もすぐ見つかるけれど、オス犬の相手を探すとなれば、その子がチャンピオン犬でなければ、なかなか難しいですよ。」

そこで、自分でメス犬も飼っちゃおう!と思い立ったのです。
残念なことに、その話はお流れになってしまいましたが、、、。


* * *

『カチューシャ』といえば、あの名曲。
カチューシャという娘が、川の岸辺で、兵役に出て行った恋人を思って歌う姿を描いたあの歌曲。

あの曲を歌う10歳のトルマチェフ姉妹があまりにも可愛らしかったので、ヨンサマとクリスのお嫁さんには是非カチューシャという名前を、、、な~んて思ったのでした。^^


日本ではロシア民謡と親しまれている『カチューシャ』ですが、本当はソビエト時代の流行り歌です。
1941年6月に独ソ戦が始まると、戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着しました。
戦後になると、国民が団結した戦時下に流行した誰もが知っている歌として、共産主義を褒め称えるという政治的な意味合いを付加されて歌われるようになりました。
                                      (Wikipediaによる)

エカテリーナだと堅苦しく聞こえますが、カチューシャという響きのおかげでかなり印象も異なります。
健気な娘をイメージするには、気の強いの女帝を連想させるエカテリーナと呼ぶよりも、カチューシャの方がお似合いですもの。


すっかりロシアに浸ってしまった私は、早速 ロシアを思い出させる音楽を購入することにしました。

実は、この『カチューシャ』が入ったCDが欲しかったのですが、
同い年のよしみで(笑)、ロシアのヴァイオリニストであるアナスタシア・チェボタリョーワのアルバムを一枚買いました。

1972年生まれのアナスタシアは、現在ではこの世代のヴァイオリニストとして世界最高峰の一人とする評価を得ているようですが、
ソ連社会主義体制の下で国家による英才教育を受けた事が災いし、ソ連崩壊後の一時期、ロシア国内において「旧体制側の人間」とのレッテルを張られ、不当な評価を受けていたそうです。(同)
                

ソ連崩壊、、、あの当時、私はその数ヶ月前に起こった ゴルバチョフ大統領の軟禁(ソ連8月クーデター)に対するショックが大きく、崩壊当時の様子までは詳しく覚えておりません。

ただ、その地に生きるアナスタシアにとって、ようやく大人として花開こうとする18、9歳のアナスタシアにとって、その出来事は彼女の音楽人生だけでなく、奏でる音色そのものにも大きな影響を与えたのでしょうね。

美しい容姿から放たれるその音色からは、独特で複雑な哀愁が漂ってくるようです。
女性ならではの柔らかな響きの奥に潜む物悲しい響きが胸をえぐってくるようです。

それが多くの涙を飲みこんできた、哀しい歴史を無言で見つめてきたモスクワの表情をそのまま表しているようで、
帰国後しばらくは、この一枚にどっぷりハマっておりました。

このアルバムの題名になっている『モスクワの思い出』という曲は、
作曲家ヘンリク・ヴィェニャフスキが、1850年代に大流行していたロシア民謡の『赤いサラファン』と別の民謡のメロディを用いて編曲したもの。

懐かしさを感じさせるその美しい旋律、ソ連とロシアという同じ国であって全く違う両方の国と時代を生きてきたアナスタシアが奏でることで、そこにもう一つ趣きが加わるような気がします。


私は彼女のCDで初めて『赤いサラファン』を知りましたが、この音楽は戦後間もない頃に日本でも随分と歌われていたようですね。
合唱部に所属していた私の母も、このメロディが流れた途端、日本語訳のこの歌を口ずさみます。

歌詞の内容は、
「お母さん、赤いサラファン(婚礼衣装)なんて縫わないで。まだ結婚なんてしたくないもの!」という娘に対し、
「小鳥のように歌って過ごす、蝶のように花から花へと飛び交うような、そんな日々もいつかは色褪せ、楽しい遊びだって退屈になってくるものよ。
お母さんだって、若い頃は貴方と同じだったのよ。」と諭す、
娘を思う母親の気持ちが込められたもの。

この歳になっても気ままに生きている私には耳の痛い内容なのですが(笑)、旋律だけを聴いていると優しい愛情に包まれているような、そんな気分になれるのです。


ソビエトを思い起こさせる『カチューシャ』と、ロシアの原風景を感じさせる『赤いサラファン』。
私がモスクワを思い浮かべる時、これらの音楽はなくてはならない存在です。

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picchuko、78歳に恋をする?! <モスクワ旅行記・番外編>

「私、5月にモスクワへ行って来たの。」
その一言がやっとでした。

コンサートの後、購入したDVDのケースにサインをして貰いながら、私はアレクセイ・バルショフ氏に話しかけました。

胸の高鳴りを抑えることに必死で、伝えたいことを英語に訳すこともままならない私。
アレクセイはそんな私の顔をじっと見つめながら、私の台詞を待ってくれました。

一目でロシア好きの私を見てとったのか、
彼は素敵な笑顔で「じゃぁ、次回は是非ともペテルブルクへ!」と握手とともに答えました。

それからどれくらいドキドキが続いたでしょうか。
思い出すたびに鼓動は速まって、頬が赤くなるのを感じました。

もしかして、私、今、恋してる?!

* * *

2010-09-05 18:13:58

私が恋したのは、アレクセイただ一人ではありません。

ロシアからやって来た4人組みのアンサンブル、『 テレム・カルテット(TEREM QUARTET)』。

随分と前のことになりましたが、
7月4日、母と二人で西宮市にある兵庫県立芸術文化センターへ彼らのコンサートを聴きに行きました。


~ 今、ロシアのみならず、ヨーロッパでも比類ない音楽で人々をひきつけるアンサンブル「テレム・カルテット」。

ロシア人が「ロシアの宝」と胸を張る、サンクトペテルブルク出身の、結成24年目のそのベテラン・アンサンブルは、
プーチンはもちろん、ローマ法王やチャールズ皇太子の御前演奏に、
世界でも指折りの一流アーティストとの共演など、その活動は幅広い。

ドムラ、バヤン、バラライカとロシア独自の民族楽器を使いながら、インターナショナルなそしてジャンルを超えた音楽!
それであってロシアの響きが根底にある何ともユニークな世界。

基本はジャンルを超えた楽しい音楽!
民族楽器のアンサンブルであり民族アンサンブルではない音楽!

民族楽器というこれまででは限定された音楽しか演奏できないとされてきたものを、
彼らの高い演奏技術とアレンジ力で、民族楽器の枠をこえ、様々なジャンルの音楽を創り出す。

それは、“ロシアの楽器から、インターナショナルな音楽へ”を意味している。

「もともとロシア人は今までも外国の新しい文化を取り入れ、それを自国のものにしてきた。
その考え方に基づき、テレムの音楽はインターナショナルであり、ロシアの音楽である。」

「テレム」とはロシアの伝統的木造の家を意味。
「一つ屋根の下にたくさんの人が楽しく一緒に生きる」ことにテレム・カルテットの願いがある。~


バッハの音楽から始まった そのコンサートは、最初こそ真面目(?)にクラシックやロシア民謡を演奏していたものの、
場が和むのを読みとりながら、次第に遊び心を加速させ、誰もが知ってる「猫ふんじゃった」や日本の歌謡曲である「恋のバカンス」など、
彼ら色にアレンジして、ところどころにロシア色を覗かせて、ユーモアいっぱい、
気が付けば、観客の誰しもが彼らの虜になっていました。


ロシアの民族楽器をまじまじと目にしたのも初めての私は、物珍しさと彼らのパフォーマンスのどちらにも釘付けになり、
このコンサートが永遠に終わりませんように・・・、知らず知らずにそう祈っておりました。(笑)

小ホールで開催されたおかげで、演奏者と観客の距離が今まで体験したこともないほど近く、
演奏者一人一人からも私達観客の表情や感情の移り変わりが手に取るように分かっていたことと思います。

会場が一体となり、笑いの渦に巻かれながら、彼らもますます熱く乗ってきたのだと思います。
オーケストラのコントラバスに匹敵する巨大な弦楽器 "バラライカ" の弦が一本、切れてしまう勢いでした。

これは実際に聴いて戴かなければ、その興奮は伝わりませんね。
(You Tube)

「また来いよ~!」 隣りに座る男性が大声で叫びました。
ホント、ホント、また来て下さいね~!

  テレム・カルテット.jpg
(左から、アレクセイ・バルショフ氏、ミハイル・ジューゼ氏、アンドレイ・スミルノフ氏、アンドレイ・コンスタンチーノフ氏)



4人の最年長で、曲のアレンジをされているのがアンドレイ・スミルノフ氏。
確か1932年生まれだったと記憶しています。 ということは、今年で78歳?

彼はロシアのボタン式クロマティック・アコーディオン "バヤン" を演奏しながら、彼らの音楽をリードしていきます。
「IL DIVO」ならば、バリトンのカルロスのように、彼らのサウンドを導き、その主軸になっているような存在。(笑)

ツルっとした禿げた頭が 河童のお皿みたいで可愛くて、彼の個性をも現わしているように思えました。^^

サイン会では、そのアンドレイ・スミルノフ氏を先頭に年齢順に並んでいたと思います。

離れた場所からは、 人の良いユニークな "おじいさん" にしか見えていなかったアンドレイ・スミルノフ氏ですが、
すぐ目の前で見てみると、肌はピカピカ艶があり、その優しい眼差しは甘ささえも漂わせておりました。

くらぁ~。 

私、78歳に恋したかも~。(爆!)

彼だけではありません。 
一人一人と握手を交わす度、頬が赤くなるのを感じました。

そして、最後の最後で勇気を振り絞ってアレクセイに声を掛けたというわけです。(*^^*)


私、ペテルブルク出身の男性に弱いのかな?
愛する(?)プーチン氏もサンクトペテルブルク出身です。(笑)

              2010-09-05 18:14:32

モスクワ旅行記の終わりに。

3ヶ月もに亘って綴ってきたモスクワ旅行記。

少しでもモスクワの雰囲気を感じて戴けたら、重いロシアのイメージを変えられたらと、
そう願いつつ進めてきました。


例え戦争の歴史を知らなくても、ロシア = 卑怯者 という方程式は日本人の中に根強くあるように思います。

一度植え付けられた感情は、そう簡単には消し去ることはできませんが、
それでもロシアってこんなに魅力的なんだよ!、面白い国なんだよ!って伝えたかったのです。

そう言いつつ、失敗談ばかりになってしまいましたけど、、、。(苦笑)


*

今年頭、私はハンガリーを訪れたことで、鉄のカーテンの向こう側にあった東欧諸国の苦しみを知ろうとするいい機会となりました。

まして、ハンガリー動乱やメルボルンの流血戦(水球)を描いた映画 『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』 を見た暁には、
「ソヴィエト、許せ~ん!!」なんて偉そうに思ったりなんかして。(笑)


そんな私でも、これほどロシアの魅力に気付くことができたのは、名画 『忘れえぬ女(ひと)』 だけではありませんでした。

それは可愛らしいネギ坊主頭の教会でも、クレムリンにあるダイヤモンドでも、圧倒される軍事パレードでも、プーチン首相の鋭い眼光(笑)だけでもありません。

何気なく言葉を交わしたロシアの人々の温かみある笑顔が、一番 私の心を溶かしてくれたのだと思います。^^

確かに、街中を歩くロシア人の表情は、どうしても硬く冷たく感じます。
事実、冷た~い!!って思った人も何人かいますけど、

けれど、一声かければ、ぱぁ~っと向日葵でも咲いたような笑顔を見せてくれる人、はにかみながらも優しく微笑んでくれる人、そんな出会いに恵まれました。


私が嫌っていたロシア(ソヴィエト)とは、ただロシアという名を被った国家に過ぎなく、
そこに生きる人々とは全く異なっていたのでした。

思えば、帝政ロシア時代においても、ソヴィエト時代においても、その国家に苦しめられたのは何も諸外国ばかりではありません。
最も辛い思いをさせられていたのは、その国家の下敷きとなったロシア人だったのだと気付きました。

そして、その厳しい時代を乗り越えて、逞しく強く生きるロシア人達は本当に美しいと思いました。


旅した国は友達の国であって、すでに他人ではありません。
ロシアの末永い幸せを心から願っております。^^

2010-06-19 04:14:15

          2010-06-19 04:13:43


長らく このモスクワ旅行記にお付き合い下さいまして、まことに有難うございました。
あと少し、番外編を残して、終了したいと思います。


* * * * * * *


◆5月2日(日)

15:00 冷たい風が吹き荒れる中、ヘルシンキ到着

19:00 モスクワ(シェレメチェヴォ空港)着

20:30 ひたすら待たされた入国審査を終え、一路 ホテルへ

21:45 イズマイロヴォホテル チェックイン


◆5月3日(月)

6:50 ホテル出発

8:00頃 ヤロスラーフスキー駅到着

8:43 モスクワ発

10:10 セルギエフ・ポサード着

10:30~10:50 小さな食堂にてピロシキを食べる

10:50~12:45 世界遺産『トロイツェ・セルギエフ大修道院』観光

12:45~13:30 セルギエフ・ポサード散策

13:30 セルギエフ・ポサード発

15:00 モスクワ着
 
16:00 レストラン『グラブリ』で遅めの昼食(バイキング形式)

17:00 一旦、ホテルへ戻る

18:00~ モスクワ川水上バスに乗る為、雀が丘船着き場へ向かう

20:00 乗船

21:00~23:10 遊覧船にて『モスクワ川クルーズ』

23:50 ホテル着


◆5月4日(火)

7:30 ホテル出発

8:00~9:00 レストラン『カフェ・プーシキン』にて朝食(カプチーノ&特製目玉焼き)

9:30~10:30 国立歴史博物館前にあるマネージナヤ広場より『赤の広場』へ向かうが入場禁止
(10:00 航空ショー)

10:30~13:00 世界遺産『クレムリン』見学
 ・トロイツカヤ塔
 ・クレムリン大会宮殿(外観)
 ・十二使徒教会(外観)
 ・アルハンゲリスキー大聖堂
 ・ブラゴヴェッシェンスキー大聖堂
 ・ウスペンスキー大聖堂
 ・イワン大帝の鐘楼(外観) 
 ・大砲の皇帝・鐘の皇帝
 ・大クレムリン宮殿(外観)
 ・『ダイヤモンド庫』

13:00~13:30 クレムリン周辺散策

14:00~16:30 トレチャコフ美術館(名画『忘れえぬ女』との再会)

17:00~19:30 再び『赤の広場』に挑戦

19:30~20:30 グム百貨店のカフェで一服(パイナップルジュース)&ブログ更新(笑)

20:30~21:30 戦勝記念軍事パレードの予行演習の見学

22:00 ホテル着


◆5月5日(水)

5:30 地下鉄の始発に乗る為、パルチザンスカヤ駅へ向かう

6:00 懲りもせず、再々度『赤の広場』を目指す

6:00~6:45 『赤の広場』と『聖ワシーリー寺院(外観)』の観光!!!(涙)

7:00~8:00 レストラン『カフェ・プーシキン』にて朝食(パイナップルジュース&パンケーキ&カプチーノ)&読書(アンナ・カレーニナ)

8:45 ホテルをチェックアウトし、空港へ

10:30 空港着(大パニック!(><))

12:50 モスクワ発

17:20 ヘルシンキ発 関空へ    

             2010-08-07 18:22:41

忘れえぬロシア。

名画「忘れえぬ女(ひと)」が日本へやって来る!
しかも、私が最も好きな街・広島へやって来る!!
昨夏、国立トレチャコフ美術館展の広告を新聞で見つけた時、私は思わず歓声をあげ 手を叩きました。


それについて、詳しくは過去('09.09.26) の日記に記していますので、ここで改めることはしませんが、
その展覧会からの帰り道、気がつけば瞼にあの絵の女性がチラついて、その名の通り 私にとっても「忘れえぬ女(ひと)」となりました。

そして、「いつの日か、もう一度 あの絵に会いにロシアへ行きたいなって思うの。」 そう冗談交じりに話していました。

*

あの絵に再び会うこと。
それが、今回の旅の一番の目的でした。

この絵が本来あるべき空気の中で彼女と対面したかったから。

気高く美しく、どこか寂しげな一人の女性。
まるで自分の人生を、否 暗雲たちこめた世の中の流れを憂いているかのような瞳。
時代は19世紀後半。 まさに激動の時代を彼女の瞳は映してきたのだと思います。

うっすら涙を浮かべているかに見える あの瞳が忘れられなくて、
その絵に導かれて、まさか自分の足でモスクワの地を踏むことになろうとは、半年前の私は全く想像もしていませんでした。
ですが、それくらい あの絵に私は魅了されたのです。


その絵は、国立トレチャコフ美術館 2階の一室に、その他多くの名作とともに並べられています。

広島で見た彼女は、彼女がその展覧会のメインということもあり、一枚だけ特別扱いの展示方法がされていました。
けれど本場トレチャコフ美術館は、この絵に勝るとも劣らぬ名作で、それこそロシア美術の傑作たちで溢れていますので、彼女だけ特別、、、ということはありませんでした。

だからでしょうが、、
彼女の持つ高慢さよりも、むしろあどけなさの方が強く表に現れており、
手が届かない上流階級の貴婦人というより、まるで妹のような親しみやすさを感じました。

きっと日本に居た時の彼女は、私がロシアに居た時と同じように背筋を伸ばし緊張しており、ロシアに帰国して それが解けてしまったのでしょうね~。^^


彼女を見つけた瞬間、不思議とずっとこの場所で彼女が私を待っていてくれたように思えました。

なんとなく口をモゴモゴさせているように見え、
日本に滞在した時のよそよそしく気取った(?)彼女ではなく、ふるさとの空気に包まれている安心感から、少しお喋りになっていたのだと思います。

「言いたいことがあるのなら、なんでもいいから言ってごらん。」
周りに人がいないことを確認して、私はこっそり彼女に耳打ちしました。(笑)
もちろん絵画の中の彼女ですから、本当に口を開くわけはありませんけど、ですが本当に目の前に実在する人物のように、私には彼女の中の生命力が伝わってきたのです。


1時間くらい彼女を独占したでしょうか、、、。
素晴らしい作品の中に埋もれた彼女に気付かずに、多くの見物客は勿体なくも素通りしていきました。
おかげで 誰にも気兼ねすることなく、思う存分 彼女と心の対話ができたものと自負しております。



「もう行くね。」
けれど、やはり振り返らずにはいられません。

次の部屋に移っても、まだ後ろ髪を引かれるような気がして、再び彼女の前へ戻ってしまいます。

「帰れないじゃない。。。」
困った顔で、私は彼女に言いました。
彼女の口元は、やはりモゴモゴ動いているように思えるのです。

それを何度か繰り返した後、私は意を決して立ち去ることにしました。
それほど彼女に心を奪われたような、あの場所に心を置き忘れたような、、、そんな錯覚を今でも感じています。

   忘れえぬ女.jpg


この絵のことは、以前 あるブログ友達さんが日記で紹介して下さったことで初めて知りました。
その時は、「いつか本物を間近で見たいな~。」程度の思いだったのですが、
まさか これほど私に影響をもたらす絵になろうとは思いもしませんでした。
いや、これほど強く私に語りかける絵がこの世に存在することすら想像もしていませんでした。

私をロシアへ呼ぶほど、彼女の波動は強いのです。
そして、それこそロシアという大国も、この絵に負けないほど強烈な印象を私に残しました。

そして、実際にロシアの地に立ちこの絵を前にすると、この絵の表情も空気感も まさにロシアを表しているな~と感じます。
画家クラムスコイは、単なる一人の女性ではなく、時代や国そのものを彼女を通して描いたのでしょうね。


もしも この先、なんらかの形でロシアを思い続けるならば、この絵が、この絵を紹介してくださった Mさんが、私の人生を変えたことになります。
大袈裟な言い方かもしれませんが、それくらい今回の旅は忘れられないものとなりました。

純粋に、ロシア好き~!ってことにはなりませんでしたけど。(笑)




*トレチャコフ美術館には、正教会に見られるイコン画の大傑作から 繊細な写実をもって表現された近世のロシア美術、印象派などの影響が感じられる近代の作品、そしてカンディンスキーに代表される抽象画にいたるまで、奥深く幅広く名画を楽しむことができます。
そのコレクションは13万点にも及ぶそうです。

ロシアの美術館といえば、西洋画を多く揃えたサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館が筆頭に上がってしまいますが、
純粋なロシア美術をめいいっぱい堪能したい方には、このトレチャコフ美術館をお勧め致します。                                                            2010-08-05 04:50:02

ロシアからのしっぺ返し。

*モスクワ グム百貨店のマネキン。【'10.05.04】


ここまで意地になったのは、たぶん相手がロシアだったから。
そして、そのロシアの象徴とも言える「赤の広場」と「聖ワシーリー寺院」だったからに他なりません。

むふふ、私はロシアに勝ったんだ!!!


時計の針は6時40分。

モスクワ観光も残すところ2時間となりました。
そこで、どうしても もう一度 行きたいと思っていた「カフェ・プーシキン」へ意気揚々と向かいます。
手にはトルストイの「アンナ・カレーニナ」を持って。

洗練されたボーイ達も その重厚で壮麗な内装も、カフェ・プーシキンは昨日と同様に私を出迎えてくれました。
私はといえば、この先の予定は飛行機で帰国・・・だけでしたので、服装も化粧もかなりの手抜きです。
ここへ来る時は、自分の名誉にかけても身なりをピシッとしなくちゃ~、なんて ちょっぴり反省。。。(笑)

俯きかげんで、「パイナップルジュースを1杯下さい。」とまずは注文しました。
前日にグム百貨店で飲んだパイナップルジュースの美味しさが忘れられなくて、ここでも頼んでみたのでした。

早朝のカフェは人も少なく、静かで穏やかな空間が漂っています。
本をめくる指も、思いの外 進みます。

そんな居心地の良い夢の時間がいつまでも続いてくれれば嬉しいのですが、、、

あら、もう8時だわ!

「Check please!」
慌てて勘定を済ませた私は、余韻に浸ることなく、半ば駆け足でカフェ・プーシキンを後にしました。

バタバタと地下鉄を乗り継いで、ホテルに着いたのが8時35分。
25階へとゆっくり上るエレベーターにイライラさせられながら、なんとか約束の8時50分までにチェックアウトを完了させました。


*


迎えの車の中には、戦勝キャンペーンで配られる「ゲオルギーのリボン」が飾られています。
*「ゲオルギーのリボン」とは、黒とオレンジ色のストライプ模様で、帝政時代の聖ゲオルギー勲章及びソ連時代の栄光勲章の綬を模したもの。
2005年の戦勝60周年から、これを身に付けて戦勝記念を祝おうという運動が始められました。


ホテルから空港まで約1時間の道のり。

3日前 初めて目にしたモスクワの街は、どんよりと灰色の雲が空を覆い、それに合わせたかのような侘しい廃墟が続いている、、、
それは肌をまとう湿度感こそ違えども、北京やバンコクの裏町にも通じるものを感じました。

しかし、帰国を前にした私の心には そんなモスクワはどこにもありません。
ぬけるような青空がどこまでも続き、廃墟に見えた無数のビルは その一つ一つに表情があります。
こんなに色鮮やかな街だったかな、、、?
それくらい、最初の印象とは正反対の姿でモスクワは 私を見送ってくれたのです。


* * * * * * *



ただ、、、変わらないことといえば、永遠に改善されない渋滞でしょうか・・・。

余裕な表情で車窓の景色を楽しんでいた私も、段々と不安が募ってきました。

私は何度も何度も時計に目をやりました。
ドライバーさんも焦りを隠せず、少しイラついているのが分かります。

前へ前へ、少しの隙間があればきわどいほど狭い場所にも割り込んでいきます。


けれど、時間がない・・・。 ドライバーさんは振り返り、首を横に振っています。

とにかく急いで!!!


脳裏には、入国時のあの恐ろしいほど長くかかった入国審査がよぎりました。

出国審査にはどれほどの時間を要するのだろうか、、、私は自分の顔から血の気が引くのを感じました。

時間がない!

早く!!! 急いで!!!!!
1時間の道のりが、渋滞の為にすでに40分もオーバーしています。

空港に到着した私はドライバーへのお礼もそこそこ、一目散にフィンランド航空のカウンターを目指しました。

すでに時は遅し??? そこはもぬけの殻。
大声で呼んでも誰も出て来る気配はありません。

サーーー。 私の顔からは全ての血が引ききってしまいました。

「どうかしたの?」
へなへなと地べたに座りこみそうになる寸前、一人の男性が声を掛けてくれました。

「私、ヘルシンキまで行きたいんだけど、、、もうチェックインは終わってしまったの?!」
きっと私は涙を浮かべていたんだと思います。

「とにかく落ち着いて。 チェックインなら、あのゲートの向こうでできるはずだから。」
見も知らぬ男性のその一言に、不安か安堵か分からない感情が私を一気に襲いかかり、
思わず わーっと泣き出しそうになりました。

彼にきちんと「ありがとう」と言えたかどうかさえ覚えていませんが、とにかく彼の指すゲートへと小走りで向かいます。


「私、ヘルシンキへ行きたいの! まだ大丈夫よね!!!」
ゲートには二人の女性が座っていました。

ところが、一人が「もう遅いわよ。」と首を横に振ったように見えたのです!

これに乗り遅れたら、帰国は明日以降になるってこと?
それとも航空会社を変更させるとか?
もし予定通り帰れなければ、職場に秘密で来た旅行なのに、どんな言い訳をすればいいのだろう。
いや、それよりビザはどうなるのだろう。

頭の中では答えのない問いかけがグルグルと駆け巡ります。


バンッ! 私は目の前の机を大きく叩き、叫びました。 「お願い! 助けて!!!(><)」

とにかく、予定通りにフィンランド航空に乗せてくれなきゃ困るのよ!

それでも、表情を一つも変えることのないロシア人係官。
「じゃぁ、通れば~。」って感じで、冷たく突き放されてしまったのです。。。

*

この瞬間、私は大パニックに陥ってはいるものの、少し冷静さを取り戻します。
というのも、思いっきりバンッ!と机を叩いたことが功を成してか、ふと我に返ることができたのです。

ぷはっ!(≧∇≦)/
無表情の係官が口にした「later」を、なんと「too late」に聞き間違えた私!(爆!)

いや、それは聞き間違いなんかじゃなくて、
はなっから大幅に遅れたと思い込んでいた私は、相手がどんな単語を使っても、同じく「too late」と聞こえていたことでしょう。(恥)

実は、出発時刻を私は1時間早く勘違いしていたのでした。(^^;

旅行会社のMさんは、モスクワの大渋滞を想定してか、ピックアップの時間を あらかじめ2時間前に手配してくれていたのでした。
渋滞でイラついていたドライバーが慌てていたと感じたのも、私の勝手な思い込みからでした。

ということは、まだ時間に余裕があるということ。
フィンランド航空のカウンターに人がいなかったのは、時間が早すぎた、、、ということだったのです。


いやぁ~、さすが私だわ!
たぶん、緊張に緊張を重ねたモスクワ滞在で、私はいつになく すっからかんになってしまっていたのでしょうね~。
思いこみで冷静さを失っていたんでしょうね~。


「ロシアに勝った!」な~んて思い上がりが、
      最後の最後で、逆にロシアからしっぺ返しを食らわされてしまいました。(爆)


                         2010-07-28 17:31:33

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