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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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思い出は消えない。

ロイター通信。

【クライストチャーチ大聖堂が取り壊しへ、NZ地震で被害大きく】


昨年2月にニュージーランドのクライストチャーチを襲った地震により被害を受けた大聖堂が取り壊されることが決まり、その131年の歴史に幕を閉じることとなった。

同大聖堂が2日、発表した。


同市中心部にあり、観光名所にもなっていたクライストチャーチ大聖堂は、死者185人を出したマグニチュード(M)6.3の地震で一部倒壊するなど、大きな被害を受けた。

その後も続いた強い余震で被害はさらに拡大していた。


同大聖堂のビクトリア・マシューズ主教は「(取り壊しの)決定は、一番に安全性を考慮し、熟考を重ねた結果」だとし、

歴史的な特徴を損なわないように2、3メートルの高さまで慎重に取り壊すと説明した。

ブルドーザーや鉄球は使わないとしている。


パーカー市長はこの決定を「胸が張り裂けるようだ」とコメントし、クライストチャーチ大聖堂の取り壊しを残念がった。


* * * * * * *


覚悟はしていましたが、この決定には パーカー市長と同じで、私も「胸が張り裂けそう」です。

大聖堂側としても、本当に辛い決断だったと思います。

ですが、これが新しいクライストチャーチへの第一歩になるのなら、受け入れるしかないのですね。




思い出は消えない


クライストチャーチ大聖堂へ、これまでありがとう。

もう一度だけ、会いたかったな。

でも、みんなの思い出の真ん中に、これからも大聖堂は存在し続けるよね、きっと。


(写真は借り物です。)

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いつまで続くのでしょうか?

ロイター通信。

【ニュージーランドのクライストチャーチ近郊で23日、マグニチュード(M)5.8の地震があった。
警察は人的被害の報告はないとしたが、負傷者1人が病院に搬送されたとの報道もある。

同国当局によると、震源地は同市北東20キロ、震源の深さは8キロ。
最初の地震発生後、M5.3を含む強い余震が続いた。津波警報は発令されていない。

住民の1人は地元ラジオ局に対し、
「とても激しかった。棚に置いてあった食べ物が床に落ち、グラスや絵の額縁も落ちた」と話した。

地元ラジオ局によると、ショッピングセンターやオフィスにいた人たちは、建物の外に避難した。
スーパーなどでは、陳列棚から商品が落ちるなどの被害があり、液状化現象や落石の報告もある。
また、電力会社によると、1万5000世帯で停電が起きている。

発生当時、ショッピングセンターでは、クリスマス直前ということもあり、買い物客らでにぎわっていた。
強い地震の発生を受け、一部の道路はクライストチャーチを脱出しようとする住民の車で渋滞しているという。

クライストチャーチでは今年2月、M6.3の地震があり、日本人留学生を含む182人が死亡した。
同市内では、現在もなお立ち入りが制限されているところがあり、復興作業が進められていた。

同市のボブ・パーカー市長は、
「ここまで長い道のりだった。余震は終わったと皆が思っていた。タイミングが最悪だ」
とした上で、通常の生活に徐々に戻りつつあった市民には心理的にも影響するはずだと語った。

警察当局は、ビーチにいた4人が落石により閉じ込められたが、無事救助されたとし、2月の地震で損壊した建物2棟が倒壊したと発表。
クライストチャーチ空港は、ターミナルや滑走路の点検のため閉鎖された。】




涙はもう枯れ果ててしまいました。

どうか神様、やっと前を向いて歩き始めた人達を、街を、これ以上 傷つけないでください。

クライストチャーチ・ニュース (その3)

【NZの地震被災地が復興計画案、低層ビルや追悼施設】


ニュージーランド南島クライストチャーチ市は11日、市中心部の復興計画案を公表した。

高層ビルで多くの犠牲者が出た教訓から、市中心部の建物を7階建てまでに制限する。

公園や緑地を増やし、犠牲者追悼施設を設ける。


再建期間は10年以上で、事業費はおよそ20億NZドル(約1280億円)。

復興計画案は市民や専門家から寄せられた10万件以上の要望を考慮した。

今後、改めて市民らの意見を募り、最終案をまとめる。
                                (日本経済新聞)

* * * * * * *


地震より半年足らずの11日、ボブ・パーカー市長より「The Draft Central City Plan」が発表されました!

原案によると、市中心部はより環境に優しく、魅力的な街になるだろうと。

中心部を流れるエイボン川の川岸ももっと広くし、新たに公園を作るようで、
大聖堂広場はもっと緑豊かになるのかな。

クライストチャーチ・ニュース (その3)
(「The Press」より、借り物です。)

地震前の街並みを思い出しても、私の知るどの国のどの街よりも緑が輝き、人にも自然にも優しい街だったクライストチャーチ。

もともと公園が多く、春や夏には色鮮やかな花で溢れ、「ガーデンシティ」と呼ばれていた街が、ますますその名に相応しい街づくりを進めていくようですね。^^


ビジネス街はよりコンパクトに、
7階までと制限された建物の高さは、63メートルの大聖堂よりもかなり低くなるのですから、
将来、大聖堂が再建されると、街のどこからでも大聖堂の尖塔部分が見えるというのもいいですね!^^

そして、まずは市の中心部からカンタベリー大学への電車が登場するかもです!
ということは、私達がかつて たらふくピザを頬張った(笑)、懐かしいリカトンモールも電車で行きやすくなるのかな?

その上、新しい中央図書館に、オリンピックサイズの水上競技設備や屋内スタジアム、国際規模のコンベンションセンターなど、かなり気合が入っていますよね~。^^

これらは106,000もの市民の意見を基に形づくられましたが、しかし最終案ではありません。
これを基に、これから再び市民に意見を求めます。


こうやって市民の手によって街が造られていく過程に胸が熱くなります。

何より、市の中心部移設計画も浮上していた中、今までと同じ場所で再建する計画にホッとしました。
もちろん、その為には頑丈な地盤造りも課題になろうかと思われますが。


再建には10年から20年の月日が掛かるようですが、日々 生まれ変わるクライストチャーチを見守っていくつもりです。

手元にある2001年版の古いクライストチャーチの地図を広げながら、私なりにクライストチャーチの未来図を描きながら…。



クライストチャーチ・ニュース (その2)

【NZ地震の地に仮設大聖堂、日本人設計「復興象徴に」】


2月のニュージーランド南島クライストチャーチ市の地震で半壊し、再建のメドがたたないクライストチャーチ大聖堂の代わりとなる仮設大聖堂の建設計画が浮上し、

世界的に有名な日本人建築家の坂茂さんが無償で設計を担当することが4日、分かった。

坂さんは、「復興の象徴になれば」と願っている。


仮設聖堂は、地震発生から1年になる来年2月22日の完成をめざす。

設計案によると、安価で現地調達可能な紙管を使い、大きな三角屋根のデザインで700人を収容可能。 
デザインは基の大聖堂の外観からヒントを得たという。

市中心部に建設予定だ。

教会のほか、コンサートなど幅広い用途を見込み、10年前後は活用される見通しだ。


坂さんは阪神大震災の被災地でも紙製パイプを使った仮設礼拝堂を手掛けたほか、東日本大震災後も避難所支援や多層仮設住宅の建設を進めている。

こうした経緯を知った大聖堂のべック首席司祭が坂さんに設計を依頼した。


日本人を含む181人が死亡した地震から約半年。

街の象徴で観光資源だった大聖堂の代わりの建設に、市側は工費や地元施工業者の人件費に充当するため、400万NZドル(約2億6600万円)を募金などで集める。
                                  (日本経済新聞)


* * * * * * *

「仮設~」とくれば、これまで「トイレ」とか「住宅」くらいしか頭に浮かびませんでしたが、
いやはや『大聖堂』とは、驚きました!(笑)


ただ現実として、この案に対し、どうも概ね否定的な意見が多いのだとか。

確かに、2億以上も掛けて紙(段ボール)の大聖堂を建設だなんてどうかとも思いますし、
それ以外に目先必要なものがあるでしょうに。


ですが、あの大聖堂はクライストチャーチ市民の心そのものであると言えるものです。

街の象徴、そして復興の象徴が形になれば、それはクライストチャーチの復活への大きな原動力になるに違いありません。

設計模型の写真を見ましたが、なかなか素敵です。

クライストチャーチ・ニュース (その2) クライストチャーチ・ニュース (その2)
(写真は借り物です。)

私は、この仮設大聖堂の実現を楽しみにしております。


これで、近い将来 クライストチャーチを訪れる喜びが出来そうです。
傷ついた大聖堂や更地のシティだけなんて、寂しすぎて悲しすぎて、到底 耐えられないもの…。


この他、シティセンターでも建物が解体され 更地になった後にプレハブの洒落た仮設パブができたりと、少しづつですが日常を取り戻しつつある様子。
復活したカジノでは、レストランがスペシャルメニューをどんどん出してくれているようだし!(^^*


私も負けられない!

傷ついてなお、私を勇気づけてくれるクライストチャーチに感謝です。

クライストチャーチ・ニュース

【クライストチャーチ大聖堂、解体の危機 NZ、二度被災】


2月の大地震に続き、今月13日の余震で大きな被害を受けたニュージーランド・クライストチャーチの大聖堂が、解体の危機に直面している。


1864年から建設が始まった大聖堂は、年間70万人以上が訪れる観光名所であるとともに、
多くの市民の憩いの場としても親しまれてきた。

今年2月末に多数の死傷者を出した地震では高さ63メートルの尖塔が倒壊し、屋根の一部が崩れるなどの被害を出したが、

パーカー市長が「復興のシンボル」として大聖堂の再建に言及するなど、修復・再建の計画が進んでいた。


ところが、今月13日に相次いで起こったM5.6とM6.3の余震で大聖堂はさらに被災。


ピーター・ベック首席司祭によると、聖堂正面にあったステンドグラスの円形の窓が崩れ、
聖堂の西側の壁も75%まで崩壊した。

倒壊を免れた部分も非常にもろい状態だ。

残った建物を生かしながらの再建とともに、すべて解体して作り直すことも検討されている。

結論が出るには数ヶ月必要としている。


また、現地では強い余震が続き、建物倒壊などの被害が広がった市中心部を、
地盤の安定した別の地域に移す案までも浮上。


大聖堂が今の市中心部から移転を迫られる可能性もある。


ベック首席司祭は、
「大聖堂は市民のシンボルとして、また、強く、持続可能な街づくりを進めるなかで、やはり市の中心部に再建したい」と話している。
                                  (asahi.com)

* * * * * * *


初めてクライストチャーチ大聖堂を訪れたのは、今から10年前の7月下旬。

多くの市民に混じって、日曜日の礼拝に参列したのが大聖堂との出会いだった。

その日は偶然にも司祭さまの誕生日で、礼拝の後にみんなで歌った「Happy Birthday to you!」を、まるで昨日のことのように覚えている。

まだその頃は友達もいなくて、日本が恋しくてたまらなかった。

季節は冬で、重い雲が立ち込めた空がますます私の心を沈ませていた。

そんな時だったから、余計に 大聖堂の、そしてクライストチャーチの人達の温かさに救われを感じたのだった。

*


地震によって大聖堂が崩壊した姿に大きなショックを受けたけれど、時間とともに少し気付いたことがある。

それは、大聖堂がクライストチャーチを守ってくれたんだということ。

あの緩い地盤で、あれだけの液状化で、震源の浅さゆえマグニチュード以上の揺れを感じたその中で、

確かに尊い命は何人も失われてしまったけれど、

それでも市中心部以外はそれほど被害が大きくならずに済んだのは、

大聖堂が体を張ってクライストチャーチを守ってくれたんだと、

痛ましい姿の大聖堂を見て、私は思った。

大聖堂は、揺るぎない永遠の「クライストチャーチのシンボル」になったんだ。

例え、姿は変わっても…。



God bless.

Kia Kaha! ~強くあれ!

ニュージーランド航空からメールが届いていました。

「日本の皆様へ、私たちが今お伝えしたいこと。 Kia Kaha! 運動を始めました」と。

JAPAN & NEW ZEALAND

Kia Kaha(強くあれ)。

クライストチャーチに震災が起きたあの日から、私たちは、古くから伝わるこの先住民マオリの言葉に、どれだけの勇気や希望と、生きる力をもらったことでしょう。

今度はその力を、大切な友人である、日本の皆さんへ届けたい。

私たちは忘れません。

あの時、手を差し伸べてくれたことを。

私たちはそばにいます。 いつでもこの言葉とともに。

Kia Kaha!

今こそ強く、そして笑顔で。 いっしょにがんばりましょう。


*

クライストチャーチの市街地の3分の2の建物が壊されるという話を聞いて以来、私の心は沈んでいました。

街の中心、賑やかな通りだったコロンボストリートも殆ど更地のようになっていて。

クライストチャーチでもまだ大きな余震があるようで、日本では報道されなくなった現地の様子が気になって仕方がありませんでした。

すでに復興に向けて歩み出していることと思いますが、それも複雑です。

津波で流された東北の被災地に比べると、まだ街そのものは残っているといっても、
あの街が変わってしまうことに寂しさを覚えます。

東北もクライストチャーチも、今回の地震や津波で失われた街を 今度は災害に強い街へと大規模な計画がなされるのでしょうが、

あの素朴で懐かしい景色は二度と戻らない、面影さえも失われてしまうかもしれない。

そう思うと、以前は明るいイメージしかなかった「復興」や「再生」という言葉に対しても、素直に希望を見出すことができませんでした。



そんな時、クライストチャーチ在住のcantamamaさんがブログで嬉しい写真をアップしてくださいました。

つい先日、立ち入り禁止区域であったレッドゾーンが狭くなったそうで、
これまでレッドゾーンにあった、私が通っていた語学学校や通学路、放課後のアクティビティなどで行ったアートセンターを写してきてくださったのです。

私が心配しているだろうと思ってと、、、その優しいお心遣いに涙が出ました。
cantamamaさん、本当に本当にありがとうございます。


建物にはそれぞれ色紙が貼られていて、安全が保障される建物は緑の紙、危険な場所は赤色なのだとか。

語学学校には黄色の紙が貼られているそうで、今後 修復補強していくのか、建て直すことになるのか、それは全く分かりませんが、

それでも、あの地震に耐えてその姿を見せてくれたことに胸がいっぱいです。


きっと崩壊してしまっただろうと思っていた私たちの学校が、同じ姿で立っていた。


それだけで心から感謝することができました。

私たちの思い出は崩されていなかったのですもの!


クライストチャーチよ、日本よ、そして自分自身に、、、Kia Kaha!


* * *

最近、ボブ・ディランの名曲「Blowin' In The Wind(風に吹かれて)」をずっと流しています。

英国のクラシカル・ポップ・グループ「オール・エンジェルス」がカバーした この曲を聴いていると、訳もなくそのサウンドに、クライストチャーチの風の中に立つ自分を感じるのです。



何度見上げたら、空を見ることが出来るのだろう。

どれだけ耳を持っていたら、人々の叫びを聞くことが出来るのだろう。

どれだけの命が奪われたら、沢山の人が犠牲になっていることを知るのだろう。

友よ、答えは風の中にある。

答えは風に吹かれている。


友よ、答えは風に吹かれている。

答えは風に吹かれている。



How many times must a man look up, Before he can see the sky?

How many ears must one man have, Before he can hear people cry?

How many deaths will it take till he knows, That too many people have died?

The answer, my friend, is blowin' in the wind,

The answer is blowin' in the wind.


The answer, my friend, is blowin' in the wind,

The answer is blowin' in the wind.

Isle Of Hope, Isle Of Tears...

まだ流れる涙が残っています。

先日、またもクライストチャーチにいる夢を見ました。
正確には、市の中心部から10kmばかり南東へ下ったところにあるリトルトン(Lyttelton)という港町。
あの大地震の震源地、リトルトンです。

半壊したタイムボール・ステーションの中に私は居ました。
もう一度 余震がきたら怖いなぁ~、そう思った時に目が覚めました。

たぶん、被災後の映像の中に、悲惨な姿に変わり果ててしまったタイムボール・ステーションを見つけてしまったからでしょう。

*

私がクライストチャーチに滞在したのは9ヶ月間。
その間にもNZ一周の旅に出たり、オーストラリアやペルーなどにも出掛けましたので、実際に街でいたのは7ヶ月ほどでしょうか。

その間、私は5~6回ほどリトルトンを訪れました。

リトルトンはNZの主要な貿易港で、ロバート・スコット率いる英国の南極探検隊がここから出発したことでも有名です。
世界初の南極点到達を目指しこの地を後にしたスコット隊ですが、現実はノルウェーのアムンセン隊に先を越され、失意の帰路で遭難し亡くなったこともよく知られています。

また 1850年12月16日、リトルトンは英国からの最初の移民が4隻の船に乗って到着した場所でもありました。


そんな南極探検やスコットに関する資料が豊富で、植民地時代の面影を残した英国風建物の多いリトルトン。

南極ペンギンの剥製にこっそり触ってみたり(笑)、、、石造りの小さな教会を訪ねてみたり、
NZへ渡った当初は、一人寂しくリトルトン図書館でカモメを眺めていたりと、私にとっても色んな思い出がこの地とともに蘇ってきます。

そして、ここから船に乗り、リトルトン湾内にある無人島を探検したことも懐かしく思い出されます。

Isle Of Hope, Isle Of Tears


そのリトルトンの高台にあるタイムボール・ステーションは、まさに英国を思い起こさせるゴシック様式の建物で、その上に大きなタイムボールが乗っかっています。

タイムボールとは、船が海へ戻る前に航海士に正確な時間を知らせるための報時球のこと。

直径1メートルあまりの大きなボールが柱を伝え落ちることで、グリニッジ標準時を知らせ、
港の船舶はこれを見て航行機器を秒単位で合わました。

ビクトリア女王時代には世界中にあったタイムボール、現存するのは世界に僅か9機だけなのだとか。

このリトルトンのタイムボールはその中でも貴重なもので、
私は世界一美しいタイムボールだと、痛ましい姿になった今でもそう思っています。



クライストチャーチでは街のシンボルである大聖堂の尖塔が崩れおちました。

そして、リトルトンにおいてもまた、象徴であるタイムボール・ステーションが半壊しました。


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* * * * * * *

「行こうと思っとるやろ。」

ニュースにくぎ付けになっている私の背後で、同僚のI石氏がそう声を掛けてきました。

「行けるもんならね。」 私は答えました。

そう、行けるものなら行きたいけれど、、、

今 私が行っても、正しくは 今の私が行ったとしても、ただ足手まといになるだけのこと。

地震直後は、少しでも早くクライストチャーチへ行こうと色々考えていたのですが、でも今じゃない!


まずはクライストチャーチが必要とする自分にならなければ、、、と気付きました。

まだ思い悩んでいる最中ではありますが、あることを決意しつつ、
ここにこの悲しみを封印致します。


*

ケルティック・ウーマンの作品の中に、
Isle Of Hope, Isle Of Tears(希望にあふれ、涙にあふれる島)」という曲があります。

これはアイルランドからアメリカへ移民した一人の少女を歌ったものですが、

クライストチャーチを想う今の私の心の底に、深く深く染み込んできます。



In a little bag she carried All her past and history

And her dreams for the future

In the land of liberty And courage is the passport

When your old world disappears But there's no future in the past
When you're fifteen years


Isle of hope, isle of tears Isle of freedom, isle of fears
But it's not the isle you left behind
That isle of hunger, isle of pain Isle you'll never see again

But the isle of home is always on your mind

But the isle of home is always on your mind.....

クライストチャーチ大聖堂

クライストチャーチ大聖堂

珍しく、こんな夢を見ました。

「今晩は大聖堂広場でカウントダウンね。」
「最近、大聖堂前での年越しは若者達の派手な集まりになってしまったから、あまり行かない方がいいよ。」

それは予知夢だったのかもしれません。

2011年2月22日早朝、私はその会話で目を覚ましました。

夢の中では、
久しぶりにクライストチャーチを訪れた私が、カウントダウンを迎えるために大聖堂広場へ行こうとするのを他の邦人観光客にとめられて、仕方なく郊外の高台から街を見下ろし新年を迎えていました。

私が実際に大聖堂前で新年を迎えたのは2002年のこと。
たぶん、今も変わらず あの場所で大晦日にはコンサートが開かれ、大勢の市民達が賑やかに新年を迎えていることでしょう。

それなのに、何故 こんな夢を見たのでしょうか。
しかも2月も下旬になってカウントダウンの夢だなんて。
ここ数年、クライストチャーチを思い出すことも少なくなっていたのに、、、。

今となっては、それから数時間後に起こる大地震を告げる夢だったのでは、、、と思わざるをえません。

* * *


私は探しました。

NZに居た頃の写真 全てを引っ張り出してきて、必死になって探しました。

なのに何百枚もある中から見つかった大聖堂の写真は僅か数枚のみ。


あんなに普通に存在したのに。
いつも私達とともにあったのに。

あまりに馴染み過ぎていた大聖堂、なのに探しても探しても見つからないのです。


「じゃぁ、明日の9時に大聖堂前でね。」
「大聖堂前にいるんだけど、今すぐ来れる?」

たとえ約束をしなくても、あの場所へ行けば、必ず誰かと会うことができました。

クライストチャーチに居た当時、大聖堂を見なかった日などあったのかしら、
大聖堂という名を口にしなかった日ってあったのかしら、、、。


あの街には大聖堂だけなのです。
クライストチャーチと言えば、あの大聖堂なのです。

あれほど街に溶け込んだ、市民の心の拠り所的存在を私は他に知りません。


クライストチャーチ市民はもちろん、私のようにクライストチャーチで数ヶ月を過ごした人、僅か数日 クライストチャーチを観光した人、

クライストチャーチを知る人は、クライストチャーチを思う時、間違いなく あの姿を一番に思い浮かべることでしょう。
そう断言できるほど、みんなに最も近い存在だった大聖堂。


尖塔が崩れた大聖堂の姿がテレビに映し出された時、私の心臓は本気で止まるのかと思うほどショックを受けました。


そして、あの大聖堂がどれほど大きな存在だったのか改めて気付きました。

私達だけではありません。

遠い昔、はるばるヨーロッパから移民してきた人々がどんな思いで大聖堂を建てたのか、
どれほど心の支えであったかを思う時、またも私の胸は引き裂かれそうになるのです。


あんなに普通にあったのに。


クライストチャーチ大聖堂

そして、優しく善良なクライストチャーチのみなさんは、、、。

まだ救出作業が難航していると聞きます。
多くの方々が家を失い、避難場所で眠れない夜を過ごしていると聞きます。
電気も水道も止まったままだと聞きます。
余震がまだまだ続いていると聞きます。


私達に笑顔をくれたみなさん、私達に沢山の思い出をくれたみなさん。

みなさん、無事かしら。
みなさん、怪我などしていないかしら。
みなさん、家族と連絡は取れたのかしら。

被害がこれ以上広がりませんように、一人でも多くの方が助かりますように、
心の底から祈ってやみません。

クライストチャーチ!!!

こんなにショックを受けたことは初めてです。

まさか、まさか、クライストチャーチが、、、まさか、私達の大聖堂が、、、。


9月の地震の爪痕がまだ残っているのに。

9月の地震では、奇跡的に大聖堂は助かったのに。


涙出そう。

今すぐクライストチャーチへ飛んで行きたいです。

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