I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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旅を熟成中。(1)

再就職してから10日余り。
そして、4月14日に欧州より帰国して早5ヶ月が経過した。

何を今さらと言われそうだが、自分の為に欧州6ヶ国周遊の旅を一応の形にまとめておこうと思う。

というか、実はまだブログに纏められるほど旅は完結していない。

旅先からリアルタイムでその時々を綴ってきた。
じゃあ後の残りは時間を掛けて熟成させ、じっくりじっくり味わっていこう。
なので、ここにまとめた後も旅行記を更新し続けるだろう。

旅行記はすぐじゃなきゃ忘れちゃうと、以前は帰国早々に慌ただしく書いてきたが、忘れたり薄れたりしてしまう程度のことなら書く必要もないことに気が付いた。(笑)
というよりも、中身のある旅ほど時間の経過とともに見えてくるもの感じられるものが、より深く濃くなっていくことに気が付いたのだ。


何度も書くが、私の旅は永遠に未完成である。

そして、どれも現在、いや未来進行形なのである。



*:*:*:*:* *:*:*:*:* *:*:*:*:*

・2013.03.22
フィンランド → ポーランド

           バスターミナル着

       04:15   善通寺インターバスターミナル発   関空リムジンバス
       08:30   関西国際空港着

           「picchukoを探せ!」スタート☆

       11:45   関西国際空港発   フィンランド航空78便
       15:10   ヘルシンキ空港着

           Where is Picchuko? (第1日目)

       17:20   ヘルシンキ空港発   フィンランド航空2743便
       18:05   ワルシャワ国際空港着

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文化科学宮殿(1952年、スターリンからの贈り物として建てられる。)
「ソビエトが建てたワルシャワの墓石」と呼ばれるほど評判の悪い建物だが、街歩きにはこれが意外と目印になり助かった。

       (宿泊)   Sheraton Warsaw Hotel

           こんな処に泊まっている。


・2013.03.23
ポーランド   

              カフェ・ア・ブリクレ

           スカーフにパーカーに。

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ポンチキ(バラジャムが入ったドーナツ風ケーキ)

              ワルシャワ大学・カジミエージュ宮殿(外観)
               かつてショパン一家が暮した建物
               1826年から29年まで、この大学でショパンも学ぶ。

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              チャプスキ宮殿<ショパン家のサロン>
               ワルシャワでのショパン一家の3番目の住居
               ここで数々のポロネーズやエチュードが作曲された。
              ヴィジトキ教会
               学生時代のショパンが日曜ミサでオルガンを弾いていた。
               第2次大戦時、破壊されず奇跡的に残った貴重な建物

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              聖十字架教会
               ショパンの心臓が納められている教会

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              コペルニクスの像
               地動説を唱えたミコワイ・コペルニクス
               (有名なガリレオはコペルニクスより1世紀後の人物)

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              三位一体プロテスタント教会(外観)
               1825年、ロシア皇帝の為にショパンがピアノを弾いた教会
              サスキ公園・無名戦士の墓
               毎時ちょうどに行われる衛兵交代式

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              ホテル・ル・ロイヤル・メリディアン・ブリストル
               1913年、キュリー夫人のワルシャワ訪問時に朝食会が行われた最高級ホテル
              大統領官邸(外観)
               ショパンはここで人生初の演奏会を行った。
               ポーランド初のオペラ上演が行われたのもここ。
              クラクフ郊外通り
              旧市街・人魚像
               
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第2次大戦で廃墟と化した旧市街であるが、王宮に残された絵画や建築学科の学生が描いた絵を参考に、崩れたレンガを用いて「壁のひびの一本まで正確」に元通りにした。
1980年、ユネスコ世界遺産登録

              洗礼者ヨハネ大聖堂
               ワルシャワで最も古い教会
              バルバカン
               街を守る円形の砦

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              レストラン・ホノラトカ

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           恋するショパン。

              キュリー夫人博物館
              聖母訪問教会(外観)
               キュリー夫人が洗礼を受けた教会
              カフェ・テリメナ
               かつてショパンが毎日通ったカフェ
              ワルシャワ蜂起博物館
              カフェ・バディダ

       (宿泊)   Sheraton Warsaw Hotel

           ショパンの「革命」。


有名なホールで一流ピアニストの生演奏を聴くのもショパンの楽しみ方であれば、街のそこかしこに転がる音符をショパンの足跡とともに拾い集めるのもワルシャワならではの楽しみ方であろう。

そう、ザルツブルクが空から音符が降ってくる感覚ならば、ポーランドのワルシャワは可愛いおたまじゃくし達がいたるところに転がっている、そんな感じなんだ。

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恋しいバルト海。

ちょうど2ヶ月前、私はヘルシンキに居た。

凍ったバルト海を、ただ凍っているだけの海を1時間あまり眺めていた。

冷たい霧雨が港に佇む私を濡らす。 気温は2℃、寒いというより心地良かった。

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只今の時刻、午前2時。
あれから たった60日そこらで、今の私は熱帯夜にいる。

まだ6月半ばだというのに、扇風機ではもう我慢できなくなり、とうとうエアコンを入れてしまった。

だが、すっかり覚めてしまった目はそう簡単には閉じてくれない。

仕方なくパソコンを立ちあげ、冷蔵庫から取り出したチョコレートをひとつ口に放り込む。


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ヘルシンキで買ったFAZER社の「Geisha」チョコ。

行きの機内食に付いていた このチョコレート、「あら美味しい!」と帰りに買おうと旅先中 包み紙を持っていた。

しかし このネーミング、忘れる心配はなかったかな。

ゲイシャ? 芸者?


そう、どうやら本当に芸者らしい。(笑) 北欧のWEBマガジンに書いてあった。

FAZERのウェブサイトによると、最初にGeishaという名前の商品が作られたのは、1908年。
当時はキャラメルにつけられた名前だった。

それから時を経て、Geishaチョコが生まれたのが1962年。
それまで純粋なミルクチョコレートを製造してきた同社にとって、初めてクリスピーを組み合わせた同製品の発売は新しいチャレンジであった。

そこで、この商品の成功の願いをこめて、最高級品であったGeishaキャラメルと同じ名前をつけたという。
その後、Geishaキャラメルは「Tokyo」という名前に。

では、なぜGeishaなのかというと、国際的にその名を知られ、夢や楽しみを与えてくれる存在であるのが「芸者」だからというのがその答え。



さほど高級でもないヘーゼルナッツ入りのこのミルクチョコレート、私は素直に美味しいと思う。

日頃 チョコレートにこだわりのある人にこそ、意外とおススメなんじゃないだろうか。


ほら、有名なパティシエが作ったなめらかプリンばかり食べていると、たまに出会うグリコのプッチンプリンがいやに美味しく感じたりするじゃない?(笑)


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この調子じゃ、今夏は酷暑を余裕で超して獄暑だろうが、

凍えそうなバルト海の写真を眺めながら、冷たく冷やした「Geisha」チョコで、とりあえず今晩の暑さは乗り越えよう。

どれだけ いいもの見たら 気がすむの!

本に囲まれることが昔から好きだった。

あ、だからといって、本を読む子だったわけではない。
人生の半分を終えた今でさえ、真剣に読破した本はたぶん100冊にも満たないだろう。

自分で思うに、私はあらゆる分野の、自分の小さな脳みそでは永遠に得られない無限の知識が高く高く積み上げられた空間の、

その隙間を縫うように泳ぐ感覚が好きなのだ。

もちろん、空想の世界である。

そこでは、私はシェイクスピアにだってなれるし、エジソンにだってなれる。
限界がない。


こんな私が、思わず両手を広げて抱きしめたくなる場所が、チェコのプラハにあった。


プラハを訪れた方はご存知と思う。

旧市街からカレル橋を渡り、プラハ城へ続く登り坂をさらに上ると現れるストラホフ修道院、
その図書室である。

そこには中世からの13万冊もの分厚い本の数々が処狭しと所蔵されているのである。

本だけじゃない。
これまた宇宙へも誘(いざな)うかのような地球儀と天球儀、天井のフレスコ画は別世界、いや別次元への扉であろう。

まさに夢の場所。

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― 神学の間 ―
(写真はクリックで大きくなる)


日々 向こうから写真を送っていた友達も、これにはぶったまげたようだった。
「どれだけ いいもの見たら気がすむの!」
「そうでしょ!そうでしょ!」 私は心でほくそ笑む。


もしも私がプラハに住んだら、きっと毎日通うだろう。

魅力いっぱいのプラハの中で、ここが私のイチオシだ。


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― 哲学の間 ―
(写真はクリックで大きくなる)



ひとつだけ残念なことは、実はこの図書室内に入ることは許されず、入口から指を咥えて眺めるだけ。
まあ、空想の世界を泳ぐのに、そんな制限 関係ないか。


ちなみに、写真撮影は別料金。
これを見たら、誰しも自分のカメラにおさめたい衝動に駆られること間違いなし。


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南か西か。

旅に出る半月ほど前だった。

そろそろアウシュビッツ博物館を訪れる日にちくらいは決めておかねば、中谷さんにガイドを頼めない。
私は机に向かい、カレンダーをめくった。


ヘルシンキ経由でワルシャワin、チューリッヒout。
決めていたのは、直感で選んだ2つの都市とアウシュビッツ、それだけだった。

基本、欧州は鉄道で巡りたい。

ワルシャワからまっすぐ南へ下れば、アウシュビッツの最寄りとなるクラクフの町だ。


だが、

うーん、いきなりアウシュビッツはキツイかなあ。

私はゴロンとベッドに横たわり、天井の一点を見つめた。
地図は頭の中にある。

なぜか東へのルートは思わなかった。
アウシュビッツを見るのなら、ベルリンの壁にも立ち寄りたい、そう思ったからだった。

ベルリンはワルシャワから真西だ。

いつもなら旅に出るまで開かないガイドブックに手を伸ばしてみる。


西だ。


2秒で決まった。


そこに、ポーランドの大平原を突っ走るSLの姿があったからだった。

ワルシャワからベルリンを結ぶルート上の、ちょうど真ん中あたりにポズナンという町がある。
そこから一部区間のみ、毎日決まった時刻にSLが走るのだ。

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私が乗ったのは、ポズナン発、ウォルシュティン行き。


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汽笛の音も石炭の臭いも、時おり風景を隠す黒い煙も、どこか懐しかった。

実際に走るSLを見るのも乗るのも初めてなのに、不思議なものだ。


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真っ白な大地にたなびく機関車の影と煙の影。

ハプスブルク案内。

そして、4つ目のバス停が「ハプスブルク」だった。

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少し走るとブルッグの街中を抜け、ちょっとした森の中に入って行く。

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窓に額を押しつけ、ワクワクする心を抑える。

乗車時間は僅か7分。

森が開けると見えて来る古城に、どこまでもつづく緑の風景。

緩い坂道を上る途中にバス停はあった。

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お城はすでに見えているし、ところどころに立つ案内板に道を迷うことはない。

素直に上って行くと、あのハプスブルクがここからなのか!とちょっと疑ってしまうほど小さなお城が目の前に現れる。

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古城の中は見学ができ、レストランがあることはチェック済みだ。

私はお城のドアに手を掛けた。

んん? 重いな。 冷静に辺りを見回してみる。

ここには私以外誰もいない。 もしかして、休み?


はあ~~~、こういうことは私の旅ではよくあること。

テラスに設けられた椅子に腰かけ、私はちょっぴり途方に暮れた。

今回は下調べが不十分というより、ハプスブルク城の情報そのものが少なかったから仕方ないか。

慣れているので、立ち直りも早い。(笑)

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私は目的地そのものより、自力でどこまで辿り着くか!ということに重きを置く性格なのだ。

城は目の前、すでに私の目標は達成している。

ここに初代ハプスブルク家の人達が居た、ここからハプスブルクが始まった、それだけでいい。

こんな負け惜しみを言うのも巧くなった。(笑)


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私は見下ろす風景に、「時間よ、止まれ」と念じた。

いつまでもいつまでも眺めていられる優しい景色がそこにあった。

お腹さえ空かなければ、余裕で一週間くらい見ていられるな。



<ハプスブルク城&レストラン>

5~9月は火曜~土曜、10~4月は水曜~土曜、どちらも朝9時から24時までオープン。



<行き方>

鉄道
 最寄り駅「ブルッグ(Brugg)」は、チューリッヒ近郊の「バーデン(Baden)」から2駅目(チューリッヒ側から行った場合)。
 特急などの場合、停車するかどうか要確認。

バス
  ブルッグからは、駅前のバス停から366番のバスに乗り、4つ目がハプスブルク。  
 バスはほぼ一時間に一本なので、降車時に帰りの便を確認することをお勧めする。
 ちなみに、2013年4月8日現在、バス代は片道4.4フラン(約440円)。
 

スイスで思った 小さな「なぜ」。

4月8日(月) AM7時50分、私は少し困っていた。

場所はベルン駅、自動切符売り場の目の前である。

九州ほどの大きさしか持たないスイスではあるが、そこに張り巡らされた鉄道網の多さに戸惑っているのである。
その切符の買い方、いや選び方に困っているのである。


行きたい場所は、ブルッグ(Brugg)駅。
だが、それらしき駅が2つあった。

しばらく腕組みしながら迷っていたが、「なんとかなるさ!」で適当(といっても、大体の距離感で金額を判断)に選んでみる。

誰かに聞けばいいのに。
いや~、内気な私にはなんとなく勇気のいる町、それがベルンに対する第一印象であった。


そして、列車に乗る時点でも、何種類もあるルートから選ばねばならぬことに苦労した。
正しいかどうかも分からぬ切符と、ずら~っと並んだ列車時刻案内板の経由地を何度も見比べ、

これまた「どうにかなるさ!」で列車に飛び込んでみる。

一応、ブルッグという名の駅には停まるみたいだし。


とにかく、単線・複線レベルしか利用する必要のない田舎者には、一つの駅から駅へ向かうのに、乗り換えもないのに、どうしてこんなにルートがあるのか腹も立ってくるのであった。

スイス鉄道の路線図なんぞ、これっぽっちも頭に入ってないし。
出発点と目的地の名前だけ覚えていればいい、ではいけないんだな。

こんな基本で躓いた自分に少し凹む。

しかも、乗ればすぐにやってくる改札までもがなかなか来ず、私は不安なまま列車に揺られていた。

普通の人には、たぶん世界一親切丁寧なスイス鉄道。
だが、慣れない超田舎者が予習もせずに飛び込むとこんな感じ。。(笑)


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そうやって着いたブルッグ駅で、次に探すのがハプスブルクへ向かうバスだった。

そう、私の目的は、かつてのヨーロッパ随一の名門 ハプスブルク家発祥の地を訪れることであった。

そこには今も古城が残されている。

ハプスブルク好きなら一度は訪れたいその場所、だが、『地球の歩き方』には載っていない。
ネット検索で見つかった僅かな情報には、バスの本数は少なく、ブルッグからタクシーを利用したと書いてある。

でも、できるなら贅沢したくない、と私は思った。

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40分ほど待てばバスは来る。
私は10時5分発に乗ることにした。


さほど大きくない駅の、そのすぐ前にある こちらもさほど広くないバスターミナル。

駅構内をぶらっとした後、がらんとしたバス停で私はぼお~っと待っていた。

発車10分前、バスが入って来る。

続いてもう一台入って来る。 

またまたもう一台続いてきた。

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1台、2台、3台、、、6、7台は並んだだろうか。

それでも、まだ続く、、、。 
とろとろしてたら、自分が乗るべきバスを見落とし、再び一時間待ちぼうけとなりそうだ。

そんなに本数ないはずなのに~、私は何気に各路線の時刻表を見比べた。


すると、どの路線も駅前を各時刻の4分か5分に発車する。

しかも、スイス、ピシっと定刻だ。


発車時刻がほぼ同じだから、一斉にバスが集まり、一斉に散っていく。
ターミナルといっても、何番線はここといった指定はなく、順次といった感じだが、

広くないこんな場所に十何台ものバス。

もう少し均等に配分すれば、乗り場もスムーズにいくであろうに、、、なぜ?


何事も計算され、そつのないスイスだけに不思議に思った、小さな出来事であった。。。

女、三十路を過ぎれば、、、

日本女性は基本若く見えるから、20代じゃあ まだどこか幼い感じ。

そして30代入口で、そろそろマドモアゼルからマダムへと昇格させてもらえるだろうか。
だが30代後半でも、まだ20代として誤魔化し可能だ。

しかし、さすがに10歳以上はサバを読めない。
40歳という大台に乗って初めてとなった今回の旅は、素敵な男性との出会いがぐっと減った。(苦笑)

というか、優しくしてくれる男性の平均年齢、めちゃくちゃ上がった。。。(涙)


ま、女が一人旅するのなら、30代が華だということ、、、、を今回、悟った。
と、冗談はここまでにして。


それでも、夢見る場所は残されている。


ベルリンのコンツェルトハウスで聴いたチューバのソロ演奏 を皮切りに、

ドレスデンのゼンパーオーバーでは、オペラ『リゴレット』(前3列目中央)、

次いでプラハ国立歌劇場では、バレエ『ジゼル』(前2列目中央)、

同じくプラハのスメタナ・ホールでは、ヴィヴァルディの『四季』にモーツァルトの代表作を、

実際にモーツァルトが指揮棒を振ったエステート劇場では、そのモーツァルト未完の作『レクイエム』をと、

5日連続、私は音楽と舞台にどっぷり浸った。

そして2日空け、クラクフでは教会での管弦楽の演奏に、レストランでのショパンコンサートと足しげく通った。 


約3週間の滞在で、中一週間は音楽に身も心もすべてうずめたのだ。

その感動は陳腐な私の言葉より、下手なりにも写真を見て戴いた方が きっと伝わりやすいだろう。
それぞれの舞台内容については、機会があれば改めたいと思う。


私のブログ上、いや人生上、これほど豪華絢爛のオンパレードはこれきりかもね。


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3月27日  ドイツ・ベルリン ― コンツェルトハウス ―

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3月28日  ドイツ・ドレスデン ― ゼンパーオーバー(ザクセン州立歌劇場) ―

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3月28日  ドイツ・ドレスデン ― ゼンパーオーバー(ザクセン州立歌劇場) ―

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3月28日  ドイツ・ドレスデン ― ゼンパーオーバー(ザクセン州立歌劇場) ―

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3月28日  ドイツ・ドレスデン ― ゼンパーオーバー(ザクセン州立歌劇場) ―

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3月28日  ドイツ・ドレスデン ― ゼンパーオーバー(ザクセン州立歌劇場) ―

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3月28日  ドイツ・ドレスデン ― ゼンパーオーバー(ザクセン州立歌劇場) ―

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3月29日  チェコ・プラハ ― プラハ国立歌劇場 ―

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3月29日  チェコ・プラハ ― プラハ国立歌劇場 ―

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3月29日  チェコ・プラハ ― プラハ国立歌劇場 ―

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3月30日  チェコ・プラハ ― スメタナ・ホール ―

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3月31日  チェコ・プラハ ― エステート劇場(スタヴォフスケー劇場) ―

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3月31日  チェコ・プラハ ― エステート劇場(スタヴォフスケー劇場) ―

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3月31日  チェコ・プラハ ― エステート劇場(スタヴォフスケー劇場) ―

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3月31日  チェコ・プラハ ― エステート劇場(スタヴォフスケー劇場) ―

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4月3日  ポーランド・クラクフ ― 聖パウロ教会 ―

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4月4日  ポーランド・クラクフ ― ショパンコンサート ―


何気に今の私、一人どや顔。(爆)


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あ、これはゼンパーオーバーに飾ってあった、ワーグナーのどや顔



女、40ともなれば、こういう世界に身を投じても、舞いあがることなく余裕を持って楽しめることに気が付いた。

おお~、モテ期過ぎてもいいんじゃない?(笑)

3月28日朝。

ベルリン、午前4時半。

大して気にも留めていないと思っていたが、どこか神経が高ぶって目が覚める。

「日本時間はまだ正午過ぎか。」 私は溜め息とともに時計を置いた。

数分後、時計を見る。 「はあ、まだ4時40分。」
5時が来るまでの間、私は幾度同じことを繰り返しただろう。
そして、溜め息をつく。

特に何かすることもなく、ただベッドでごろりごろり。
そろそろ寝がえりも飽きた頃、時計の針はやっと5時を回ってくれた。

「日本時間13時だ!」
夜じゅう充電していたipad miniを手にし、『 介護福祉士国家試験合格発表 』と検索欄にタイピングした。


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だが、私の勘違い。 
発表は14時からということで、私は再び1時間も悶々とした時を過ごすことになる。


「やっぱり無理だろうな~。 どう考えても、あれはイマイチだったもん。」
3月3日に行われた実技試験を思い出し、私は頭から布団を被った。

こういう時の1時間は15時間くらい長い。(苦笑)

脳裏には「3日再び☆」、自分の粗ばかりがリピートされる。
「あ゛~、気しない!気にしない!」 私は枕に顔をうずめ、足をバタつかせた。


合格発表が旅行中ならば、きっと合否も気にならないだろう。
帰国後、ゆっくり確認すればいいや。
な~んて、思っていたのに、なんて小心者なんだ、自分!

どんなに検索しても出てこない発表を、私は繰り返し繰り返しクリックし続けた。


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ベルリン、午前6時。 やっと、日本時間14時である。

その時が来たら、今度は胸がドキドキして開けない。(笑)
「ええ~い、ままよ!」 

『 K370-333 』  

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「あ、あった。。。」 私は目を擦りなおした。 
日本から遠く何百kmと離れた場所に居ても、八百万の神々は私を見捨てなかったのか。

ベッドに寝転んだまま、水に濡れたワンコがぶるぶる身体を揺さぶるように、私も震えた。

緊張のドキドキは、嬉しさのドキドキに変わっていた。

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そして、そのドキドキは一時間後、さらに迫力あるドキドキへと昇格を果たす。(苦笑)



写真一枚目は、ベルリンのマンホールの蓋。

二枚目、三枚目は、旧東ドイツ時代から使われている信号機『アンぺルマン』。
何気に人気のアンぺルマンは、あらゆるグッズとなって売られている。 旧東ドイツへ行った時には是非ともお土産に。

四枚目の写真は、本日届いた『介護福祉士登録証』。

シャンデリアが落ちてくる。

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オペラ座の怪人ではない、念の為。。。


3月25日の晩から28日の朝まで、私はドイツの首都ベルリンに滞在した。

宿は日本を発つ前に予約していた『 Hotel Amelie Berlin West 』。

ベルリン中央駅から近距離列車Sバーンで6つ目の駅、シャルロッテンブルクで乗り換えて1つ目のカイザーダム駅から徒歩3分だ。
慣れると簡単な地下鉄も、到着早々切符の買い方からして戸惑った。

すでに20時を回っている。 
初めての町、なるべく夜遅くには出歩きたくない。


路線図片手に、昨春 ベルリンを旅した親友の話を思い出していた。
「私はちょっと東ベルリン滞在にこだわってみたの。」

こんな不便な宿を取ったのは、もしかして彼女の影響?とも一瞬思ったが、手もとの紙にはしっかり「Berlin West」と書かれてある。


じゃあ、なんでわざわざこのホテルを選んだのだろう?
重い荷物を持ち上げながら登る階段で、私は数日前の自分の選択に疑問を持った。
ちなみに、エレベーターは今にも壊れそうで使っていない。

それは建物の2Fのみ、ホテル利用されている。
木造のその宿は、歩く度にミシミシ、ギシギシ。 これって一体、築何年なんだろう?
気持ち、廊下の床も歪んでいる?

この宿を予約した時の自分自身がますます理解できなかった。
安かったのか?
口コミぐらい読めよ! と自分につっこむ。


部屋の鍵も自力では開かず、フロントのお兄さんに助けてもらう。

こんなことなら見知らぬ誰かと同室のホステルの方がまだましかも。。。
だが、たった三晩だ、辛抱しよう。 私は自分に言い聞かせた。

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そして、やっとその宿から解放される朝。

私は忘れ物がないか、最後の点検にぐるっと部屋を見回した。
それまで気にしなかった天井にも目をやった。

ベッドの真上にシャンデリア。


うわっ!

もちろん、そこにシャンデリアがあることは知っていた。
だが、その付け根までは見ていなかった。

げっ☆

なんと付け根が半分、天井から剥がれているではないか!
ぐらっとくれば、今にも落ちてきそうな微妙な感じ。

じっと見つめていると、何気にゆらゆら揺れている?

私はこの下で、この真下で寝ていたのか!

想像するだけでぞっとした。


知らないことが良かったのか悪かったのか、そんなことはどうでもいい。
しかし、よくぞ耐えてくれた。 有難かった。

いやいやいや、有難いだなんて! 仮にも客人が泊まるホテルではないか!!!


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写真一枚目は、内容に関係ないがチェコ・プラハにある「エステート劇場」のシャンデリア。
1787年10月29日、ここでモーツァルトはオペラ『ドン・ジョバンニ』を初演した。

二枚目は、ベルリンの博物館島にあるボーデ美術館とテレビ塔。
三枚目は、ベルリン中央駅にて。

あ、ホテルのシャンデリアの写真は、あまりのショックに撮り損ねてしまった。

ベルが鳴りやまない。

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ホラーではない、念の為。。。


4月2日、私はチェコのプラハを22時29分発の寝台列車を予約していた。

プラハ本駅の最も端のホームから、その列車は発車する。
電灯も少なく、薄暗いホームだ。

「どこへ行きたいの? ワルシャワ?」
「いいえ、クラクフです。」
「クラクフなら一番前の車両だよ。」

重いスーツケースをゴロゴロ引き摺る私には、どこまでも連なる車両がいつになく長い。
だが、これから長い旅路に出るその列車の周りでは、どこかざわついた、浮足立った様子が感じられた。

やっとのこと、最前の356番車両の自分の部屋に辿り着く。
3段ベッドの上2段は折りたたまれていた。

ベッドに腰を降ろし、ホッと一息ついた時、車掌さんが現れた。
「明日、6時43分にクラクフ着だから。 あ、明朝は珈琲がいいかな?紅茶がいい?」
切符を確認しながら、彼は言った。

「飲み物持って来てくれるんですか? じゃあ、紅茶で。」
「何時に持ってこようか? 切符はその時まで預かっておくね。」

「今晩、この部屋は私ひとりなんですか?」
「そうだよ、じゃあ、ごゆっくり。」

私は6時にモーニングティーをお願いし、車掌さんに教えてもらったロックとチェーンを念入りにした。

昨秋の欧州鉄道の旅では、ベオグラード⇒フィラッハ、スプリット⇒ザグレブと二度乗った夜行列車のどちらも寝台車両を使わず、6人掛けのコンパートメントで横たわった。
なので、欧州で寝台に乗るのは今回が初めてである。


6時に起こしてくれるけど、一応私は女だ。
車掌さんが来る前に身支度を終えておきたい。

長年旅を共にしている100均で買った小さな時計を取り出した。
「よし、5時半にセットしよう。」 私は独り言ち、黒いつまみを回した。

そして それを枕元に置き、カーテンに手をやりながら窓の外を眺めていた。
もうプラハの町を過ぎたのだろうか? 灯りはなく、目を凝らしても見えないほど、辺りは真っ暗闇だった。

ゴトン、ゴトン、ゴトン。 時々思い出したかのように射し込むオレンジの灯り。

夜も更けたので、私は寝ようと上着を脱いだ その時。

キキキキィーーーー。 カタン。

急ブレーキとともに、何か音がした。
キョロキョロ見回すと、時計がない。 ベッドの隅に落ちたのだ。
手を伸ばすが届かない、ベッドの下を覗こうにも足元まで覆われているのでそれも無理。

「ま、いっか。 100円だし。」 私は薄い布団を被った。

いやいやいや、このまま時計を放っておくと、毎朝毎夕、5時30分にベルが鳴る。
しかも、1分間は鳴りやまない。

明朝はいいだろう、我慢するのは私だし。。。いや、隣り部屋にも聞こえるかも。

私は一生懸命、狭い隙間に手を伸ばした。 埃だらけの隙間をまさぐり続けた。


その甲斐むなしく、

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今日もまた、頭の下からベルが鳴る。 そして止まらない。

もしかしたら、それは地獄からの合図かも。。。


なんて言いたいところだが、どうやら持ちあげておいた目覚ましのスイッチが落ちた拍子にoffになったようだ。

朝が来るのをわくわく待つ私の耳にも、5時半のベルは永遠に鳴りはしなかった。



写真一枚目は、内容に関係ないがドイツ「ベルリンの壁」、二枚目はポーランドのクラクフ駅にて。

ランチ、5回我慢。。。

「今、ドイツとフランスでは同じ歴史の教科書が使われてるんでしょ。」

アウシュビッツで知り合った29歳の女性が教えてくれた。

聞いた時、最初はちょっと信じられなかった。
だって、ずっと敵対してきた二つの国、
欧州のもめごとは、常にこの二大国から起こったと言って過言ではなかろう。

そのドイツとフランスが?

それは高校最終学年で学ぶ1945年以降の歴史なんだそうだ。
日本(少なくとも、私が学生時代の日本)では最も省略する時代、だが最も大切な時代でもある。

調べてみると、本当に『共通歴史教科書』ってあるんだな。
しかも その発端は2003年、第一巻の刊行が2006年ということは、私は相当の時代遅れということになる。(苦笑)

欧州の要である二大国が、お互いを助け合うレベルまで達したことだけでも素晴らしいのに、それが歴史教育も歩み寄るほど進んでいるのが嬉しくなった。

フランスとドイツ、大人だ。(笑) 


まあ、ドイツはフランスだけでなくポーランドとの歴史問題も課題だろうが、昨今の日本を中心とする東アジアを見るとその差に恥ずかしくなる。

昔は島国日本って恵まれてると思ってた。
事実、恵まれているのだが、結局 身近に友達はおらず、いつもひとりぼっち。(笑)
このままもっともっと離れ小島になっていくのだろうか?
ちょっと、心配。


で、で(?)
その『共通歴史教科書』とはどんな内容なのだろう、どんな過程で生まれたのだろう。
色々知りたくなって、とうとう注文してしまった。
その価格、5040円也。 

無職には痛いがしょうがない。
なに、カフェでのランチを5回我慢すればいいだけのこと。(笑)


そして、その他にも読まなければならない、いや読みたい本がどんどん積読されていく。

その一部が、アウシュビッツで出会った日本人ガイド・中谷剛さん著書『アウシュビッツ博物館案内(2012年6月情報更新)』と『ホロコーストを次世代に伝える』の二冊である。

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あの中谷さんの本かと思うだけで手が震える。(笑)
しつこいようだが、それくらい素晴らしい人だったのだ。


う、これらも含めるとランチ、8回我慢か。。。


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これぞドイツの品格?(笑)
私に夢を見させてくれた、ドレスデンのゼンパーオーバー(州立歌劇場)。
装飾はブダペストやプラハの方がゴージャスだが、音響は素人の私でも分かるほど素晴らしかった。

あのおじいさん!

私は4月6日から12日まで、スイスの首都・ベルンに滞在していた。

以前も書いたが、私にとってスイス訪問は二度目である。

2006年から07年にかけての年末年始に訪れたのが最初の出会いであり、それはスイス中央部にあるルツェルンという町であった。

何度も書くなと言われそうだが、そこは私の愛するIL DIVO の スイステナー・Ursが青春時代を過ごした場所。
澄んだ湖畔に面した、それはそれは美しい町なのである。

それこそ、世界遺産に登録されているベルンよりも、私はルツェルンの輝きの方が眩しいんじゃないかと思っている。

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そのルツェルンの象徴ともいえるのが、屋根付きのカぺル橋。
それはヨーロッパ最古の木造橋と言われるが、20年前の火災で大半を一度失った。

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だが、ルツェルンに来たからにはカぺル橋は外せないし、カぺル橋を見ずに終えるにはルツェルンという町は小さ過ぎる。

2006年12月31日、私はそこで長く白い髭を持つあるおじいさんと出会った

そう、いきなり私に「ニイハオ!」と叫んだおじいさんだ。(苦笑)

そして その日の夕方、ホーフ教会のすぐ前の階段で再会したことも過去に書いた通りである。
たぶん、彼がホーフ教会のオルガニストという私の予想は正しいであろう。

*

2013年4月11日。

私はベルンから列車で1時間掛け、再び懐かしいルツェルンに降り立った。

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そして、またも私はカぺル橋近くで声を掛けられた、「ニイハオ!」と
それも当日に記した通り。

ルツェルンで、しかも髭もじゃのおじいさんに「ニイハオ!」と言われたのは、これで三度目だ。

正直、6年前と同人物かな?とその時はまだ確信までは持てなかった。 

でも、きっとそうだと強く思った。
そして そんな小さな偶然をくれるルツェルンは、なんて可愛い町なんだと改めて好きになった。


私はその場を後にして、次にライオン記念碑を目指して歩き始めた。

その途中にあるのがホーフ教会。

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メンデルスゾーンも愛したその場所に、私も少しだけ立ち寄ることにした。

そこで見つけた。


あ! やっぱり、あのおじいさんだ!


私は教会前のガラス越しに飾られた一枚のCDを見つけたのだった。
それは、ホーフ教会専属のオルガニストによる演奏が収録されたもの。

CDジャケットには、あのおじいさん。

これで私の記憶に間違いがなかったと自分自身に証明された。
私はますます嬉しくなった。

そして、ルツェルンをいっそう好きになったことは言うまでもない。


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ほら、今にも「ニイハオ!」って叫びそうなお顔でしょ!(笑)

中谷さん。

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「え? まったく?」 私はちょっとびっくりした。

「そう、前もって日本でポーランド語を学んでからじゃなくて、全く喋れないままポーランドに来たんだ。」

そう語るのは、アウシュビッツ博物館において、唯一の日本人ガイドをされて15年になる中谷剛(たけし)さん。


私も英語が全然できなくても平気でクライストチャーチに飛び込んだ口だが、それでも英語だもの、うわ言程度なら文法も分かる。

だが、世界の中でも相当難しいと言われるポーランド語だ。
中谷さんの度胸に感心した。

「だって、言葉が通じちゃったらそこまでってとこ、あるだろ?」

「僕はもっと深いところでポーランドの人達と接したかったし、ジェスチャーなんかで一生懸命伝えようとすること自体が楽しいじゃないか。」

あ、それは分かる。
分かるが、だからといって、言葉すら知らない世界へ単身で渡るあたり、さすが並みの人間じゃないと改めて中谷さんの顔をじっと見つめた。


「今のお仕事はガイドが中心なんですか?」
彼のガイドで共にアウシュビッツを回った29歳の女性も口を開いた。

「そうだね、だいたいここでガイドをやって、幸い少しポーランド語が分かるから翻訳なんかもやってる。
それと、半年に一度くらいは帰国して講演もしてるかな。」

そう彼は平然と言ったが、少しだなんてとんでもない。
ポーランド語で行われる超難関な試験にパスしてここでガイドをやってるんだ、相当の努力を重ね、今の彼はポーランド語を見事に操ることができるはずだ。


アウシュビッツ博物館と第二アウシュビッツであるビルケナウを3時間あまり彼と歩いて、
すでにその凄さは言葉だけでなく、人間としての奥行き、確固たる信念、頭の良さ、それらあらゆる魅力を見た私は、

ああ、彼ならやり通せるなという納得みたいなものを感じていた。


アウシュビッツと日々向き合うことだって半端じゃない。

しかも、その負の遺産を負では終わらせない、未来に繋がる大きなテーマを投げかけることのできる貴重な人だ。

だから、彼と共に歩くアウシュビッツは前を向いている。


これは、私だけが思った事ではなかった。
前述の29歳の女性も、同じく感じとっていた。

「もっと中谷さんの話が聞きたいよね。」


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私がアウシュビッツを訪ねた4月3日の午前中、彼に案内してもらったのは 1人の男性と私を含む4人の女性の計5人だった。

29歳の女性は和歌山県出身、現在は東京で暮しているようだが、30歳を前にここを是非とも見ておきたかったらしい。

そして、一人の女性はスペインから、残りの男女ペアはイタリアから来ていた。
どちらも留学で各国に滞在しているという。 

5人という人数もだが、私以外の4人が20代の若者というのも良かったと思う。
しかも、きちんとアウシュビッツと向き合おうとしている人ばかりだったので、おのずと中谷さんへの質問も多くなった。

私もずっと抱いてきた疑問、素朴に感じたこと、すべてを中谷さんに投げかけた。
中谷さんはそれに対し、押しつけの答えではなく、そこから新たな疑問を広げてくれる。 


「皆さんが非常に興味深そうな目をしてるので、今日はつい余計なことまで喋ってしまったかな。」
そう中谷さんが言ってくれたことがとても嬉しかった。


クラクフからアップした日記にも書いたが、ここは中谷さんにガイドしてもらうことをお勧めする。

誰にガイドされるかで、得るものは全然異なってくるだろう。
運が悪ければ、時代遅れの真逆の解説を聴くことになるかもしれない。

そして自分一人では、見落としてしまうもの、気付かないことも多いだろう。


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「アウシュビッツの解釈が時代とともに変化をし、だからアウシュビッツから発信されるメッセージもそうだ。
じゃぁ、ヒロシマやナガサキはどうなんだろう?」

中谷さんからヒントをもらったが、近々自分の目で確かめに行こうと思っている。


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あ、ちなみにアウシュビッツとはドイツ語名、ポーランドではオシフィエンチムと呼ぶのが一般的。


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足首の輪っか。

足首にまだ輪っかの痕がある。
まるで時代劇に出て来る囚人の手首の入れ墨みたいだ。(苦笑)

旅先で長時間歩く為に、2月3月と毎朝近くの小高い丘を2周歩いて訓練していた。
しかし、それはスニーカーでのこと。
旅先では少し長めのショートブーツを履いていたので、スニーカーのような自由さが足首にない。
石畳と氷にも苦労したが、そのブーツによって締め付けられた負担は大きかった。


その輪っかを眺めながら、よく歩いたよなと改めて思う。

そして、今までで最も満足度の高いものだったと、この旅を振り返る。

燃え尽きた、といっても過言でないほど充実したと自負している。


たぶん、あくまでたぶんであるが、私は今後、しばらく海外へは出掛けないだろう。

もちろん、行きたい場所はまだまだある。

だが、しばらくはいい。
そのしばらくが3年か5年か、もしくは10年かは分からないけれど、今の私は力を出し切ってしまったのだ。(笑)


自分でもこれだけの旅が出来るのかと、正直感動すらした欧州の旅であるが、

その反面、今の自分の器ではこの旅が限度だということも思い知った。


私が思う旅は、思いっきりダイナミックな旅。

それは、人生も同じこと。
エリートになりたいわけでも、セレブになりたいわけでも、可愛いママになりたいわけでもない。
ただ、ダイナミックに生きたい。
そう自分の望む人生に気付いた旅でもあった。

そして、そのためには今の私では無理だということも、よ~く分かった。

旅を続ける中で少しづつ変えていくことも可能だろう。
だが一度、じっくり自分の器を大きくすべき時が来たなと直観したのである。


それに今、日本の、四国の、瀬戸内の眩しさを五感全てでめいいっぱい感じられている。

なんか感動した。
こんなにもキラキラした世界に住んでいたのか、私は。

それは季節もあるだろうが、この感動は新鮮だった。

今、なにげない近所の道を歩くのもめちゃくちゃ楽しい。


この恵まれた中で、これからちょっと勉強しようと思うものも見つかった。
私にとって簡単ではなさそうな資格だが、ここらで努力とやらをしてみるのも人生必要なんじゃないかとも思っている。(笑)


やっぱりいい旅だったんだな。

足首の輪っかがなんだか勲章のように見えてきて、このまま消えなくてもいいんじゃないかとさえ思い始めた。(笑)



さて、帰国して半月以上経過してしまったが、これからゆっくり旅日記の補足を・・・。
といっても、わざわざこれ以上言葉にする必要ないのかも、と思ったりもしているが。

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写真は、チェコはプラハのカレル橋にて。('13.03.30)

ヘルシンキC型?

帰国便で大風邪をひいた。
風邪といっても、喉の痛みと激しい咳だけではあるが、10日経ってもまだ治らない。
あ、不思議なことに痰は全く出ない。


ワルシャワの極寒、アウシュビッツの吹雪、スイスの雪山、そして凍ったバルト海さえ乗り越えた私を倒したものは、

強烈な香水だった。

たぶん、前席の女性。
麻痺しやすい嗅覚を、延々9時間苦しめ続けた恐ろしい匂い、いや臭いであった。
逃げ場のない飛行機、あきらかにマナー違反だと私は思う。

一睡もできないだけでなく、私から鼻呼吸する自由を奪い、案の定 関空に着いた頃には喉が痛みだしていた。


検疫所では、「中国から帰国された方で熱や咳などの症状がある方は申し出てください」の貼り紙。
でも、中国へは行ってないもん。


昨今、巷を賑わすものといえば もっぱら鳥インフルエンザであるが、
そういえば、私が子供の頃にソ連A型というインフルエンザが流行った記憶。
なので今回、自分の風邪をヘルシンキC型と命名してみた。(苦笑)

いや、正確にはヘルシンキではなくフィンエアなのだが、乗った場所がヘルシンキだからということと、
そしてAでもBでもない、別になんでもいいのだが、素直にA、Bとくれば次はCかという安易なレベルで付けてみただけ。

こんなに長引く変な風邪、皮肉を込めて名前でもつけなきゃやってらんない。


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写真は、ヘルシンキ大聖堂。('13.04.13)
福音ルター派総本山ということはプロテスタント?
あ、すでに飽きるほど教会を見て来た私は中に入っていない、、、というよりも、正面の階段を上るのが なんとなく面倒だった?(笑)

凍った海。

2013-04-13 20:07:13


結局、入ったカフェは一箇所だけ。
ぶらぶら歩いて突き当たったバルト海をずっと眺めていた。

凍った海を見るのが初めてだからかもしれないが、なんだか氷の上で踊りたくなった。

ふと聴きたくなったカーペンターズを耳に、港で小さくステップ踏んでた。
変なアジア人に見えただろうな。(笑)


鼻を擽る潮の香り、低く飛び交うカモメ達。
私のヘルシンキ半日観光はこれで終わった。

でも、可愛い雑貨を手にはしゃぐより、私は凍った海に佇む女になりたかったんだな。(爆)


白く霞んだ景色を見つめながら、この旅を振り返った。
なかなか良かったんじゃないだろうか。
今までにない充実感が心に満ちた。

さて、これから どう生きよう。



フィンランド時間 14:10 空港へ向かうバスにて

ヘルシンキで寛ぎの時間。

ワルシャワの冷たさから、2枚のヒートテックを脱いでさえ暖かい。
それもそのはず。
現在、2℃もあるヘルシンキだもの。

3週間前、ここに降り立った時はマイナス8℃だった。
随分と変わるもんだな。
道端の氷も雨が優しく溶かしていく。


乗り継ぎに半日の時間を得たヘルシンキだが、あいにくの空模様。
なので、洒落たカフェでも巡ろうかと思う。

その一軒目が大きな書店の2階にあるカフェ・アアルト。
中欧とは違う、インテリアのちょっと軽めのシンプルさが新鮮だ。
ケーキの甘さもどこか軽い。

2013-04-13 17:50:58


フィンランド時間 11:45
ここカフェ・アアルトは、映画「かもめ食堂」にも登場しているらしい。

今、『プラハの春』。

プラハに着く前に読み終える予定にしていた春江一也著『プラハの春』を、私は今 読んでいる。

有名な本であるから ここに改める必要もないが、東西対立時のプラハを舞台に描かれた恋愛物だ。
しかも主人公・堀江亮介は1967年当時の日本大使館館員であり、相手は東ドイツ人の反体制活動家。
単なるロマンスではないことを、その題名以上に想像できる。


そして、読み進めていくほどに、今回私が巡った旅が凝縮されていることに驚いた。

劇中のシュナイダー夫人の台詞に、アウシュビッツで出会った中谷氏の言葉が重なる。
ベルリンの壁は、心の奥にどっしり重くのし掛かる。


物語は今後、勢いを持ってプラハの春へと突き進んでいくのだろうか。


面白すぎる。

たぶん、実際に目にした後、考えている最中だから尚更であろう。


今、ベルン駅でチューリッヒ空港行きの列車を待ちながら、夢中になって読んでいる。



スイス時間 12:30 ベルン駅にて

ベルン。

2013-04-12 17:14:47

ベルン最後に、私はまたカフェ・アインシュタインで朝食を取っている。

食欲のない今の私でも、ここの温かいクロワッサンは美味しく感じる。
落ち着いた照明に読書も進む。

*

さて、私が見たベルンは、首都にも関わらず こじんまりとして自然が多く、
だが、首都らしく ビシッときめたエリート達が颯爽と行き交う。

街中に並ぶウィンドウは、日本ともドイツともオーストリアとも違うセンスのいい良質の品々で溢れている。
色使いもお洒落で粋だ。

人も物も、あらゆるものがカッコいい。

でも、ちょっと真面目なんだよな。
もうちょっとリラックスしてもいいんじゃないかと思う固さがある。
ま、それもこの街の魅力だろうが、そこが少しだけ窮屈。

そして、物価の高さをどうにかならぬものかと思うのよ。


そういえば、クラクフからウィーン行きの寝台列車で同室だった、カナダはトロント出身の2人の女の子とこんなシーンがあった。

「ポーランドはトロントと同じで物が安くて助かったわ。」

「でも、ウィーンとザルツブルクは高いけどね。」
私が冷めた口調でそう答えると、ポーラとダイアナはお互い目を合わせ真ん丸にして、
「そう! めちゃくちゃ高いよね!」


私は今、彼女達に教えてあげたい。
ベルンに比べれば、ザルツブルクなんて非常に良心的だわよ。(苦笑)



スイス時間 10:00 ベルン旧市街、カフェ・アインシュタインにて

ずっとここに。

2013-04-11 00:17:34


ルツェルン湖の畔で IL DIVO を聴いている。

白く化粧した峰々と、キラキラ輝く水面が眩しい。
私はあてもなく湖畔を歩く。


ここで聴く彼らの歌声はひときわ心に響いてくる。
特にデビュー間もない1stアルバムがいい。

ルツェルンの面影が色濃く残る、碧いこのルツェルン湖のようなウルスの歌声がいいのだ。


私はこのままずっと、ず~っと、ここにいられそうだ。



スイス時間 17:10

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