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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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まわたロール。

私が大学4年の時、あるボランティア活動で高校1年生の男の子と知り合った。

当時、私が可愛がっていた女の子の幼馴染みで、ちょっとやんちゃな部分を持った、友人は多いだろうが、どちらかというと一匹オオカミ風の彼だった。

そんな彼と仲良くなった経緯は詳しく覚えていないが、彼の家に遊びに行ったこともあるし、私が大学を卒業して地元に戻る時には送別会に手作りのケーキをご馳走してくれた。


彼は小さい頃からお菓子を作るのが好きだった。

「売ってるケーキや本の通りに作ったケーキは甘すぎるだろ。だから、甘さ控えめのケーキを自分なりに作ってるんだ。」
確か、高校生の彼がそう話していたのを覚えている。


それからしばらくして、彼が東京の製菓学校へ入学したことを知る。

彼が東京にいる間、たった一度だけ電話で話したことがあるけれど、その後は疎遠になっていた。

それでも、東京や神戸で修行を積んだのち、広島でロールケーキの専門店を開いたと風の便りで伝わってきた。



Facebookとは、こういう時に役立つものだ。

仲間を通じて、彼と10年ぶりに連絡を取るようになった。


そして、昨年もちょうどこの時期、私は彼にロールケーキを送ってくれるようお願いした。
すでに飲み込みが悪くなっていた父も、彼のロールケーキは美味しく食べられると喜んでいたからだ。

あれは、1年前の11月3日。

朝、デイサービスへ行く準備をしていた父が転倒し、頭を強く打ってしまった。
念のため救急車を呼んだのだが、意識があったために病院から少し後に搬送してほしいとお願いされた。

それなら朝食もまだだから何か食べとこう、ということになった。

「ロールケーキが食べたい。」
いつも食べてるパンでも、ご飯と味噌汁でもなく、彼のロールケーキを食べると言うのだった。

そして、それがあっけなく逝ってしまった父のわが家で食べた最後の食事となった。


葬儀などの一切が終了し、少し落ち着いた頃、私はそのことを彼に伝えた。
正直、最後の食事が彼のケーキということが嬉しくもあった。


「最後に食べてもらえるのは、食べ物を作る仕事をしている人間からすると、名誉なことだねぇ。
なんだか違う喜びを感じました。
子供として立派に責任をはたしたね、picchuやん。」


じーんとした。



先日もまた、父の想い出の品として一周忌法要のお供えも兼ね、お世話になっている方々への贈り物として取り寄せた。


「あんな上品な生地は初めてです!」
贈ったものが、そうやって喜んでもらえることは贈り主である私も誇らしい。

早速彼に報告。

「おおー! ありがとう〜!
プレゼントする人と、作ってる人が上品だからかな。(笑)」


確かに、上品な生地。

素朴で素直な味は、彼そのものがよく表れている。

喜ぶ彼にまだ伝えていないことだが、彼のロールケーキは一年前よりも一段と美味しくなったと私は思う。



毎年、父を偲びながら彼のロールケーキの進歩を楽しむ秋にしたい。


11-06 2.父さん、一周忌・まわたロール

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つながり。

11月6日の朝、美しいお花を抱えた男性がわが家の前に立っていた。

見事なカサブランカにベージュのガーベラ、薄いピンク色したカーネーション、その優しい花達の向こうにある男性の顔は隠れていた。
玄関を開けた母は、「こんなお花頼んでない!」と慌てたらしい。(笑)


「今日がちょうど一周忌だと聞きまして。」
それは、昨年父の葬儀でお世話になった町内の葬儀屋さんだった。


早いもので、父がこの世を去って一年が過ぎた。
その間も、折に触れ父を偲んでわが家を訪ねてくれる方々はいた。

以前、ブログにも書いたデイサービスの青年もその一人。
つい先日、「そろそろ一年になると思って、胸がざわざわしたんです」、とお参りにきてくれたばかりだった。


だが、葬儀屋さんが一周忌になぜ?

「昨日、お宅の院主さんとお会いしまして。」

聞けば、前日にわが家の檀那寺の院主さんが、その葬儀屋さんの会館で一年ぶりにおつとめがあったとのこと。
どこか心に残る院主さんだったので声を掛けたというのだった。

そこで次の日にわが家で一周忌の法要があることを聞き、沢山のお花を抱えてお参りに来てくれたのだった。


「ちょうど院主さんとお会いして、今日が一年のまわりめやぁ言うやないですか。
ちょっと変な言い方やけど、こんな偶然があるのかと嬉しくなってな、私も手を合わさせてもらおうと思ったんや。」


去年の葬儀の時もそうだった。
彼はまだ35歳の若さなのだが、そのくだけた言葉にも心遣いにも優しいぬくもりがある。
ミスのないマニュアルに沿った形式だけの段取りとは違う、あったかーい気持ちを故人にも遺族にも与えてくれる。

親不孝者の私が父にできた最後で最高のプレゼントが、彼との出会いだったと思っている。

正直、お葬式で感動するなんて、それこそ変な表現だが、あの時の感動は今も心に残ったままだ。


「Hさんのお葬式は、僕も印象に残ってるから。」


私が彼との出会いを父にプレゼントした気になっていたが、一年経った今もこうした人とのつながりをもらっているのは私の方だったのだ。


父も母も私も、本当に幸せ者だなと、あったかい気持ちが心の中いっぱいに満ちている。


11-06 父さん、一周忌・大野さんより


誕生日は雨の中、長谷寺詣で。

11月29日は私の42回目の誕生日だった。

早いものだ。
四十路に入ったばかりと思っていたら、もうその5分の1も終わってしまった。
中身の伴わない年の重ね方をしてきたことへの後悔、年々増しているように思う。(苦笑)


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さて、先月受けたケアマネの発表は後10日足らずであるが、その合否に関わらず、私の思う資格の勉強を今年中にスタートさせるつもりだ。

それは社会保険労務士である。

もう随分と前から気になる資格であったが、ひと月半ほど前であったか、亡き父が「今回の法改正、試験に出るぞ」と二度三度私に忠告してくれていた。
ケアマネを受験する前後であったし、父とはそんな話したこともなかったのに、「何故そんなこと?」と内心思っていた。

根っから法律畑の父であったから、父が満足する資格ではないにしろ何かしら法律に関わる資格を取って欲しいと思っていたのだろうか?
それとも、私の内に秘めた思いに気づいていたのだろうか?

今となっては知る由もないが、どちらにしろ父の最後の思いを無視したくないと思っている。


来年8月の試験には間に合わないだろうが、とにかく始めよう。
それが42歳の私の決意。


*


その42歳を迎えた日、私は母を連れて奈良県は桜井市へ長谷寺詣でに出掛けた。

牡丹の名所である長谷寺だが、紫陽花の頃も紅葉の時期も素晴らしい景観である。


私は大学時代に一度と、

そして、ワーホリビザでNZへ旅立つひと月前の2001年6月とすでに二度訪れたことがある。
しばし日本を離れる私に両親が計画してくれた旅だった。

紫陽花を眺めながら、汗ばむ陽気の中300段あまりの石段を上った。
まだ70になったばかりの父と60代だった母は、私よりも勢いよく歩いていたように思う。

そんな父を偲ぶ意味も込め、母の思い付きもあって急きょ決めた誕生日の参詣。
雨が降ってはいたものの、それが逆に赤や黄色も落ち着いた色合いを見せ、しっとりと古き趣きに甚く感銘を受けたのだった。


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いいお詣りになったと思う。


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しだいにお寂しく。

父が他界して20日足らず。
院主さんの話にあった「しだいにお寂しゅうございます」の意味を噛みしめる毎日である。

母方のおばあちゃんっ子であった私は、父と祖母の確執に次第と父への反発を抱きながら成長した。
三姉妹の末っ子という甘えも人一倍あったのだと今ならわかる。


だが、そんな我儘いっぱいの私に、父は最期を看取ることを許してくれた。

そして入棺の際、足元でいた私に父は信じられないほど柔和で幸せそうな表情を見せてくれた。
生前、私には見せたことのない顔だった。
妻、子、孫、ひ孫、妹達に抱えられて、もしかしたら父の人生で一番の喜びの瞬間だったのかもしれない。
父に対する感謝の気持ちが湧き上がると同時に、だがそれは父を傷つけてきた自分を永遠に許せなくなる瞬間でもあった。

「しだいにお寂しく」
無性に寂しさと後悔の念だけが続いている。


*


そんなある日、母が「高山へ行かないか」と言い出した。
半年前、「高山にもう一度行ってみたいが、足腰が不自由になった今じゃ無理かな」と父が言っていたというのだ。

飛騨高山の冬は四国とはくらべものにならないほど早いだろう。

私は雪を懸念して、早々の高山行きを手配した。
手配といっても、道中は私の運転する軽自動車なので宿を押さえるだけだったのだが。

家族総出ということで2匹の愛犬も同行させた。
母が助手席、後部座席に犬が自由に寝転がれる空間を作った。

通常なら8時間ほどで着く距離も、疲れも溜まってか仮眠を取ることも多くなり、片道10時間近くかけての遠出によく辛抱してくれたものと思う。

車の中のウルス.jpg


その週末は気温がぐっと下がり、雪を避けたはずが積雪の中車を走らすはめとなった。

高速では飛騨清見手前はチェーン装着と掲示が続く。
チェーンもなくスタットレスタイヤでもなく雪に不慣れな私だが、とにかく行けるところまで行ってみようと前に進んだ。

運よく気温が上がると同時に雨が降り、道路上の雪は溶けていった。
父に感謝しながら高山市内へと降りた。

市内はまだ紅葉が残っており、次第に天気も良くなって初冬というより晩秋の表情で出迎えてくれた。

本山の紅葉.jpg

もう大丈夫だろう。
安堵しながら宿へと向かう。

飛騨牛.jpg

今晩の夕飯は飛騨牛だ。
母と「楽しみだね」と話しながら、呑気にハンドルを持つ。

その夜は温泉付きの犬も泊まれる宿ということで、奥飛騨温泉郷に宿をとっていた。

奥飛騨温泉にてクリス.jpg


奥飛騨といっても高山市、それほど遠くはなかろうと深く思いもしないし調べてもいなかった。

だが、そこは飛騨高山。瀬戸内に面したわが町のようにいくはずもない。


再び雪を被った山々が現れた。

行きながら分かったことだが、どうやら宿のある中尾という場所は奥飛騨の中でも穂高に近い奥のまた奥らしかった。
奥飛騨温泉と一括りで呼ぶくらいだから、その中にいくつもの地名があるなどと思いもしなかったのだ。

まずい、今度は雪を避けられない。
平湯というその辺りで最も標高の高い場所では雪は道路の真ん中まで覆っていた。

ハンドルを改めて握り直し、息を呑みながら前を見つめる。
この先、雪が増すのか減るのかさえ分からない私は、引き換えす場所の見極めすら難しかった。


だが、ここでも父が守ってくれたのか、平湯を過ぎる頃より雪は道路上から姿を消していってくれた。

無事、宿に到着。


宿のご主人の勧めで、次の日は新穂高ロープウェイにて西穂高口まで登ることもできた。

新穂高ロープウェイ.jpg


晴天に恵まれ、冬山では珍しく展望台からはこんな絶景が見渡せた。


西穂高岳と鳳凰の雲.jpg

槍ヶ岳.jpg

笠ヶ岳.jpg

白山連峰.jpg

白銀の世界.jpg

焼岳と乗鞍岳.jpg

父も共に眺めていたに違いない。


「しだいにお寂しく」
もしかしたらそれが私が父にできる最後の親孝行かも、そう思えてもきた。

私の故郷 〈続き〉

*今も昔も変わらない「旧ソウル駅」。
父にとっては、この場所が一番懐かしいように見えました。
現在、その隣りには空港のように立派な新ソウル駅が並んでいます。

:*:*:*:*:*:*:*:*:*:*:

〈続き〉


父は、私が小学校へ入学した頃から教育に厳格であった。
将棋に夢中になっていた時などは、駒を庭に放り投げられたこともある。
そして、よく怒られたものだ。

そのような父であったが、他方では 四季折々に触れて私を各地へ連れて行ってくれた。

春の夜桜、夏の仁川(インチョンを当時は日本語読みで"じんせん"と呼んでいた。)での海水浴。
また、会社からの一泊慰労会にも同行させてもらった。

年末には、会社から渡される大入袋(当時は10銭が普通であった。)を父からもらって喜んだものである。


芳山町の次に移り住んだ新堂町は京城郊外にあり、
自然の草花が溢れ、澄みきった水の流れのある小高い場所であった。

私の家から10分余り登った山頂には、当時兵隊の管理下に置かれていた水源地があった。

小学5、6年の私は、そこから東大門国民学校まで電車通学をしていた。

上級学校への準備として、放課後は担任の先生の作成した問題集を頑張った。
その頃からであろうか、自分の将来を少し考えるようになったのは、、。


だか家に帰ると、やはりそこは子供である。
桜並木に四季の草花、トンボや蝶が飛び交うその中で、
時には水源地まで駆け上がり、昆虫等を取ったりと自由に遊んだものである。

妹も4歳となり、50メートルほど下方のお宅へ毎日幾度ともなく行ったり来たりして走り回った。


家の中にはオルドルという暖房器具があり、冬季の寒い時期にも気持ちよく過ごすことができた。

夜は、遠く市内の灯りを窓から眺めていたものである。

* * *

老後に至った現在、私の人生を振り返ってみる時、
私はわが国の歴史の中で激動の時代を、特に戦後は最低の生活を過ごしたように思う。

しかし、その頃の気持ちとして自分の立場を特に不幸と思ったことはない。
むしろ、その後の人生を頑張っていこうと心中に期するものがあった。

このような私の人間形成ができたのは、
あの京城での幼少時代、自然の中において、まさに童謡「故郷」のとおりの暮らしがあったものと思われる。
本当に楽しい日々であった。

京城における はげ山、南大門、京城(ソウル)駅、漢江(ハンガン・ソウルを流れる大河。現在はそこに人工の島"ヨイド"が浮かび、国会議事堂や放送局、大企業のビルなどが集まった政治経済の中心地となっている。)、
そして幼き時代の友達等のことが走馬灯のごとく思い出され、
今、感謝の気持ちでいっぱいである。

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