I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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東風吹かば

七十二候では「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」の今日、皮肉にもこの冬初めての氷柱を見た。


東風吹かば


立春を迎えた4日の朝、香川でもあちこちから降雪のニュースが届く。
とりわけ金毘羅さんのある琴平町では5cmほど雪が積もったようで、そこから来る職場の同僚は一人山奥から出てきたような車を走らせていた。
しかし、海沿いのわが町は一時期吹雪いた程度で終わってしまった。
今冬、雪に苦しめられている方々には大変申し訳ないが、私だって白く染まった景色が見たいと本日、明るい陽射しで溶けてしまわないうちに雪景色を見に出掛けることにした。

この氷柱はその出先で見つけたもの。


行先は琴平町を経由し、菅原道真が4年ほど滞在したことのある綾川町。
そこには讃岐では最も有名な滝宮天満宮がある。
また、内陸になるため香川の中では常に気温が低い場所でもある。


昨年も観梅の為、1月と2月に訪れていた。
確か去年、大宰府より株分けされた飛梅は、1月20日頃にはかなりの花を開かせていた。



雪の中に咲く白梅はなんと絵になるものかと、頭の中に思い描きつつ車を走らせる。



途中、車窓に広がる白い田んぼに胸弾ませながら、琴平を過ぎて東へと折れる。
そこから走ること15分ほど、悲しいかな段々と雪は減り、天満宮では道路脇でさえ雪はなくなってしまった。

ああ、残念。
だが、それは梅に雪だけではなかった。
やはり寒さ厳しい今年、梅の開花も大幅に遅れてしまっているらしい。
境内に150本ある梅の木は、どれも蕾のまま立春を迎えていた。


東風吹かば



東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな


東風はまだか。
梅の花はまだか。


東風吹かば

せめて2年続けてのお詣りなら、少しは賢くならぬものか。



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立春を前に

早春賦にあるように、この立春には再び寒波到来ということで、まさに「春は名のみ」と暖かさはしばらくお預けになりそうだ。

しかしニュースの騒ぎ用に比べると、瀬戸内沿岸のわが町は今のところ「言うほど寒くない」。
しばらく発熱に悩まされた私だが、今朝は早くから拭き掃除をした。


久々に気分よく迎えた朝、本当は四国霊場第七十五番、弘法大師生誕の地である善通寺をお詣りしたいと思っていた。


ふと昨日のデイサービスでの朝の会話を思い出す。
「みなさん、地元の美味しいものってなんですか?」 相談員がご利用者さん全員にそう尋ねる場面があった。

「熊岡のカタパン!」
ご利用者さんだったか職員だったかはっきり覚えていないのだが、誰かが「あれは名物やなあ」とつぶやいた。

その「熊岡のカタパン」とは、広大な善通寺さんの東院伽藍と西の誕生院を繋ぐ参道と垂直に交わる細道を折れるとすぐにある菓子店のこと。
お遍路さんもよく見かける。
そして大正時代の建物は、旧金毘羅街道だった当時の面影を今も残している。
その姿は、素朴なカタパンの味そのままである。


立春を前に



小麦粉と砂糖を練り上げて焼いた「カタパン」は、口に入れると生姜の味がする。
堅いのでなかなか噛むことはできないが、口に含んでいる時間も楽しませてくれる。

それは明治29年の創業時、兵隊さんの軍事食糧として考案されたものらしい。
善通寺市には陸軍第十一師団があった。



ああ、善通寺さんをお詣りするなら「熊岡のカタパン」へも立ち寄ろう。



母にそう伝えると、「父さんが調停委員をしてた時、善通寺の簡易裁判所に行ったついでによく買ってきてくれてたわなあ」と言う。
なんでも父さんとの思い出に繋がるのかと、思わず微苦笑した。


昔はガリガリ噛んでいた母だったが、「一番堅い石パンは遠慮するわ」とずらり並ぶ陳列ケースを前に弱気を見せる。

確かにテレビでも「日本一堅いカタパン」と紹介されたくらいだから、八十を過ぎた母に無理強いはすまい。
しかし、やはり私は石パンに挑戦せねばなるまい。
もちろん初めて食べるわけではないのだが、あまりにも久しぶりということもあり、石のごとく堅い石パンが懐かしくなった。



「石パンを100g、小丸パンは10枚、、、」

昔から使い続けているその古びた陳列ケースを眺めながら、
「あそこのえびせんも美味しいよなあ。添加物が入ってないけん、子供が小さいうちから食べさせられてええわ」と言っていた昨日の相談員を思い出した。

「あ、あとえびせんも。」


立春を前に



メインが「熊岡のカタパン」になってしまったので、善通寺さんへのお詣りはまた今度。

久々に石パンを口の中に放り込み、歯が折れないように柔らかくなるまで舐めてから噛んでみた。
砂糖の甘さと生姜の味が口いっぱいに広がる。
それでも「熊岡のカタパン」、やっぱり堅い。




明後日が立春ということで、本格的に平成三十年がスタートする。
小さな小さな目標として、毎日15分、大嫌いな漢字と、これまた大大大っ嫌いな英単語を勉強することに決めた。
まずは乏しい語彙力を増やしたい。


讃岐づくし

大寒のこの時期、人がまばらなこの場所をゆるり歩くのが好きだ。

今年は例年に比べても寒さ厳しく、ニュースから流れる遠方の大雪に震えている。
こちらは有難くも雪はなく、他県ほど冷えこみもキツくはないが、それでもひときわ寒さが応える。

その中にあって、ほんの少し寒さの緩んだ昨日の午後、私は一人栗林公園を訪れた。

讃岐づくし

讃岐づくし

梅もちらほら咲き始めている。
これほどまでに冷たいと、春はまだまだ遠いところに感じてしまうが、膨らんだ蕾は私たちより一足早く春の気配に気づいているのかもしれない。


讃岐づくし

讃岐づくし

讃岐づくし


ぴんと張り詰めた空気の中で見る松の緑は、年が明けてひと月足らず、すでに弛んできた私の心を正してくれるかのよう。

心が浄化される気がする。

2時間ばかりのんびりと身を置いた。


そして、冷えた体は讃岐のあん餅雑煮で温めよう。

といいつつ、昨日は先にお腹の中を温め済。
おかげで寒さを感じることなく一歩一景を楽しめた。


讃岐づくし


讃岐のあん餅雑煮。

それは、出雲地方の小豆雑煮と京都の白味噌雑煮が一緒になったような実に不思議な存在である。
出雲地方から伝わった小豆の食文化は、餅の餡として変化し、汁は京文化が伝わり白味噌仕立てになった。

味噌汁の中に餡餅が入っていると考えると、それだけで違和感を覚える人もいるだろうが、白味噌との相性は思いのほかよい。
白味噌といっても京都の西京味噌のように甘くはなく、どちらかといえば辛め。
餅をかじって中から餡が出てきて、それが煮干しの旨味がでた出汁と渾然一体となる。
これが、なんとも旨いのだ。


讃岐づくし


古い雑誌にはそんな風に紹介されていた。



雨滲むこんぴらさん。

お練りも三度目となると、場所取りもなかなか巧くなる。

雨滲むこんぴらさん

金丸座にて明日から始まる、琴平は春の風物詩「こんぴら歌舞伎大芝居」。
今日は14時からお練りが行われた。

雨滲むこんぴらさん


今年の座長は片岡仁左衛門さんということもあり、金刀比羅宮の沿道は多くの人でごった返す。

普段からこんぴらさんへと続くこの界隈は独特の趣きがあるのだが、歌舞伎役者の幟が立ち並ぶこの季節、とりわけ情緒あふれる景色となる。
特に桜の開花が遅れた今年は、こんぴら歌舞伎と桜の見ごろがちょうど重なり、より一層雰囲気を盛り上げる。

お練りはそれらを肌で感じられる上に、役者さん達を間近で見られる最高の機会。
ましてや人間国宝の仁左衛門さん。
これまで歌舞伎を見たことのない私でさえ、つい足を運びたくなる。

その仁左衛門さんが現れた瞬間「お年を召されたな」と思ったが、柔らかく優しいお顔がなんとも心に残って私までもがほんわかした気持ちになった。

今回の演目は、仁左衛門さんの得意とする「矢口渡」と「お祭り」。
どんな舞台が日本最古の芝居小屋で繰り広げられるのか、実は初めてチケットを入手できた私は今からわくわく楽しみにしている。
お練りで見せた表情と舞台に立つ姿と、両方見られるなんて贅沢な話だ。


雨滲むこんぴらさん


せっかくだから桜を観て帰ろう。
お練りの余韻に浸りながら、本宮へと続く参道を登って行く。

桜咲くこんぴらさん、雨に滲むこんぴらさん、しっとりとしたいい感じだった。

桜はやはり日本の景色に合うのだなあ。
優しい雨に濡れる桜も綺麗だなあ。

心までがしっとりと、桜の下、雨滲むこんぴらさんはまるで仁左衛門さんの柔らかいお顔のような雰囲気。


雨滲むこんぴらさん

雨滲むこんぴらさん

雨滲むこんぴらさん






滝宮→京都→大宰府の順で。

梅の香りに誘われて、天満宮を訪れた。

香川県綾川町、滝宮天満宮。

滝宮→京都→大宰府の順で

こちらは、菅原道真公が讃岐の国司として四年間住まわれた場所。

道真が地方で政権を取った唯一の地なんだとか。
此処での経験を活かして後に大出世した由縁で、ここは立身出世の登竜門と云われている。

滝宮→京都→大宰府の順で参拝するといいのだそう。

滝宮→京都→大宰府の順で

滝宮→京都→大宰府の順で


拝殿前には太宰府天満宮より株分けされた「飛び梅」がちょうど満開を迎えていた。

白梅のかぐわしい香り。
春には桜もいいが、この香りを嗅ぐと背筋がすっと気高い気分になる。

滝宮→京都→大宰府の順で

滝宮→京都→大宰府の順で

滝宮→京都→大宰府の順で

毎年、この時節には栗林公園の梅林を訪ねるのだが、今日はこちらに足が向いた。

不思議だ。
天満宮の梅と思うだけで、一段と凛々しく趣きが違って見える。

出世に興味はないけれど、ここ滝宮を参拝した今年はせっかくなので機会があれば京都と大宰府にもと思っている。


滝宮→京都→大宰府の順で

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う。

「節分の夜、こんぴらさんで小豆粥の接待があるよ。」

そう教えてもらった私は、次の日が仕事だったにもかかわらず、夜のこんぴらさんへ登ることにした。

こんぴらさんとはお馴染み、香川県琴平町にある金刀比羅宮のこと。
わが家からは20分ほど車を走らせた処にある。

地元の方の話では、そのこんぴらさんで年に三回、旧正月の前日と節分の夜、そして大晦日に小豆粥が振る舞われるとのことだ。

節分と言えば豆まきや恵方巻、小豆粥といえば小正月なのだろうが、白い息を吐きながら長い石段を登って小豆粥を戴く節分も悪くないと思った。
もちろん、こんぴらさんでも豆まきを行う節分祭もあり、それは午後5時より執り行われる。
小豆粥の接待は夜の10時からで、それを食すると邪気を除くとされるそうだ。


最近のこんぴらさんは奥社参拝を推しているのか、今年から新しい天狗守りが売り出され、「奥社はパワースポット」と書かれたポスターが至る所で目についた。
何故天狗なのかというと、奥社の西側は断崖となっており、そこに天狗とカラス天狗の彫物があるからだろう。

表参道を行くと、御本宮までは785段、奥社までなら1368段の石段を登らなくてはならない。
讃岐に住む私でも、奥社はこれまでに二度しか参拝していない。

しかし、小豆粥を頂ける接待所は神馬を飼養している御厩前の広場、だいたい400段目に設置される。
先日も表書院で円山応挙の障壁画を観るため430段ほど登ったばかりだったので、それなら貧血ですぐに息が上がる私でもなんとか登れるだろうと思った。

午後8時半、こんぴらさんの麓から登り始める。

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う

その夜、私と友達2人以外ほとんど人影はなく、暗くひっそりとした石段が続いていた。
夜のこんぴらさんは初めてだった。

普段の日は、巨大イノシシが出没するため夜間参拝は控えるよう申し渡しされている。

「もう200段目くらいかな。」
息切れがし、重い足を引き摺りながら顔を上げると「100段目」の文字。
なかなかキツイ道のりである。

御厩前の広場に近づいて、やっと人の気配を感じ始めた。
子供も数人元気に声を出して走り回っている。

ゆっくりと登ったので、午後9時頃接待場所に到着した。

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う


10時より早い時間であっても小豆粥が出来ていれば早く戴けると聞いていたのだが、その日の接待係は時間厳守の方のようで、それから1時間待たされることとなる。

風もなく、厚着のおかげで寒くもない夜だったが、さすがに冬空の下でただ待っているのはつらい。

そこで御本宮を参拝しようと決意した。
ただの参拝なら決意のいることではないのだが、あと385段の石段がそれを要した。

特に最後の100段が苦しい。
日ごろの運動不足で息は上がるのに足は上がらない。

​​​金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュ・・​・​​​
自分たちを鼓舞する意味もあって、大きな声で唄う。
辺りには誰もいない。

廻れば四国は讃州那珂の郡 象頭山金毘羅大権現 いちどまわれば・・・​
ちょうど785段目のところで唄い終えた。

「御本宮、到着ぅ~!」

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う

とその時、若い男性が一人、目の前に現れた。

かああぁぁぁ。 
その場が明るければ、顔面真っ赤っかな私が相手に見えてしまっただろう。

「うるさくしてすみません。」
「いえいえ、いいですよ。」

相手は確かに笑っている。
カメラを提げた、爽やかでなかなかイケメン風な男性だった。

「奥社まで行かれたのですか?」
「ええ、行って来ました。」

夜の真っ暗なこんぴらさん、しかもイノシシと遭遇するかもしれない長い石段を1000段以上も登る人がいるのか。しかも一人で。

違う意味でドキドキした私たちは、御扉閉していることもあってお参りするのをすっかり忘れてしまっていた。

いや、本日の目的は小豆粥。
お参りは改めて、その時は奥社にも挑戦したいと密かに誓う。

夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う

優しい味にお腹の底からしっかり温まった夜である。





粟島。

瀬戸内国際芸術祭2016の春夏秋すべてが終わった。

3年に一度の大イベントは今回も大成功だったんじゃないだろうか。

私は春に沙弥島、秋に高見島と粟島を訪れた。

どれも香川県西部に位置する島。

今では世界的に有名なアートの島となった直島や豊島(てしま)、小豆島などの東部の島は世界的にも有名なアーティストを呼んでの華やかな作品群だったんじゃないかと思う。
対する西側は秋期のみ開催の島が多く、島民を中心に島の歴史や生活と密接した作品が中心だった。

もちろん、東の島もそうであったと思うのだが、香川県は日本一小さな県の割に、東讃(とうさん)・西讃(せいさん)ときっちり県民性も言葉も文化も異なっているので、表現の仕方に違いがみられるだろう。
ちなみに食べ物でいえば、うどんと骨付き鶏は西、和三盆は東である。

と話は逸れてしまったが、今回訪れた島のうち粟島は以前から行きたい思いの強い島だった。

隣町の港から船で10分、少し海岸線をドライブすればいつも目にする島なのだが、船に乗るというのが腰を重くさせていた。
瀬戸芸はそんな身近であって身近じゃない島を旅するきっかけをも作ってくれる。

そこは、日本初の国立粟島海員学校跡があり、夏は海ほたるが美しいところ。
そして、漂流郵便局が置かれている島だ。

粟島

漂流郵便局。

それは、届け先のない手紙を受け入れてくれる郵便局。
昔の郵便局跡を利用して、3年前の瀬戸芸のアートプロジェクトで始まったものだ。

伝えたくても伝えられない想い。
大好きな人へ、片思いの君へ、初恋の人へ、未来の花嫁さんへ、可愛がっていたペットへ、そして今はもう永遠に会えなくなったあの人へ。

そのほとんどが故人に宛てたもので、読みながら涙を流している人もちらほら見かけた。
そう、その誰かに宛てた手紙は私たちが気軽に手に取って読むことができるようになっている。

行き場のない思い、届け先のない思いを乗せた手紙を読んでいると、今、自分の周りにあるすべてのものに優しくしよう、大切にしようという気持ちがおのずから沸いてくるようだった。

それは素朴な景色のなかだから余計に心に沁みて来る。

それは島時間のなかだから余計に心に刻み込まれる。

そして漂流郵便局の局長さんの穏やかな笑顔に、センチメンタルになった心がほっとする。

粟島


3年後の瀬戸芸を待たずして、また訪れたい島だった。

この頃。

8月頭に行った健康診断の結果が出た。

一番に目を引いたのが「貧血」という文字。
これまで、貧血といえば細身のか弱い人がくらくら~と立ちくらみするというイメージだっただけに驚いてしまった。笑

そういえば、いつからかすぐに息切れするようになり、座っていても頻繁に眩暈を起こすようになっていた。
この夏の暑さだから、きっとそれは熱中症の初期症状だろうと水分や塩分補給で対処していたのだが一向に良くならない。

ひどい時は座る姿勢すら辛く、なにもやる気が起こらない。
寝込む日も時々あった。

その理由がやっとわかった。

病院で薬を処方してもらい、波はあるが少しづつ改善してきたように思う。



そして服薬するようになって2週間、その日は珍しく気分が良いこともあって、車で片道1時間半ほどにある四国霊場第八十七番札所長尾寺にて菜懐石を戴くことにした。

過去にも何度かその菜懐石についてはこのブログに書いたことがあるが、その一つ一つ心のこもった温かいおもてなしは身体の隅々まで染み渡る。

お寺の庭園を眺めつつ、静かに丁寧に食事を戴く時間は贅沢だった。


2016-09-22 01.長尾寺

2016-09-22 02.長尾寺

2016-09-22 03.長尾寺

2016-09-22 06.長尾寺

2016-09-22 04.長尾寺

2016-09-22 05.長尾寺

2016-09-22 07.長尾寺

2016-09-22 08.長尾寺

2016-09-22 09.長尾寺

2016-09-22 10.長尾寺

2016-09-22 11.長尾寺




そして、それはちょうど彼岸のお中日だったこともあり、長尾寺名物「甘納豆入おはぎ」をお供えにと持ち帰る。
美味しいものはご先祖様にも。

2016-09-22 12.長尾寺


瀬戸芸へ行く!

瀬戸芸へ行って来た。

瀬戸芸とは、2010年に始まった今回で三度目となる瀬戸内国際芸術祭のこと。

3年に一度、春・夏・秋と3期に分けて、香川と岡山の主な島々を中心に国内外のアーティストと島民が造り出すアートな世界だ。

かなりの集客とみられ、この時期 島々は大いに賑わう。


春の瀬戸内国際芸術祭2016は10会場で催され、会期は春分の日からこの週末の17日、日曜日まで。


2016-04-13 03.瀬戸内国際芸術祭2016


今日は香川県坂出市の沙弥島(しゃみじま)を巡った。

沙弥島は、島といっても昭和42年の埋め立てにより陸続きになっている。
なので私が生まれた時にはすでに島ではなかったが、改めて訪れてみると島の風情がところどころ残っていて面白い。

その沙弥島のメイン会場が数年前に廃校となった沙弥小中学校で、実は60年ほど前に私の母が小学校の臨時教師として赴任された場所でもある。

すでに当時の校舎はないが、裏の浜辺で子供たちとよく缶蹴りをして遊んだことを今も懐かしむ。

「月曜日の朝、特船で迎えに来てもらって、金曜日まで島にいて、土日だけ本土に帰る生活だったの。」

「学校に併設された宿舎にはテレビが一台あってね、夜になると島の人たちみんなが集まって来てね、・・・。」

産休代替え教師だった母の島での生活は僅か3ヶ月であったけれど、個性的な島の子供たちはとりわけ印象に残ったのだろう。

浜辺で九九を練習したという話も、古き良き昭和の島風景らしいいい話だ。

2016-04-13 14.瀬戸芸会場


その沙弥小中学校では、神戸芸術工科大学の教授や学生のみなさんで立ち上げたアートプロジェクトが楽しめる。
地元の子供たちと共同で制作したというのが特にいい。


2016-04-13 04.瀬戸内国際芸術祭2016
中山 玲佳「Las Islas -しま・しま-」


瀬戸内には無数の島々があるが、そのひとつひとつに個性があって、それを活かしたアートを体感できるのも瀬戸芸の魅力の一つであると思う。

地元の特産品、真っ赤な金時人参に金時いも、金時みかんも姿を化けて登場する。

2016-04-13 06.瀬戸内国際芸術祭2016
さくま はな「完熟の唄、海原に浮かぶ瀬戸の太陽」

2016-04-13 07.瀬戸内国際芸術祭2016
かわい ひろゆき「ハレの日、金時への道」

2016-04-13 08.瀬戸内国際芸術祭2016

2016-04-13 09.瀬戸内国際芸術祭2016
戸矢崎 満雄「空飛ぶ赤いボタン」

2016-04-13 12.瀬戸内国際芸術祭2016



2016-04-13 01.瀬戸内国際芸術祭2016

浜辺には、五十嵐靖晃さんの「そらあみ」がはためいて。
カラフルな網の向こうには、かすかに秋期の会場である高見島も見えていた。

2016-04-13 02.瀬戸内国際芸術祭2016


2016-04-13 15.瀬戸芸会場

2016-04-13 17.瀬戸芸会場・オオシマサクラ



桜の花びらが舞い散る中、潮の香を感じながらの島歩き。
靴の中に砂が入ってざらざらしても、かえってそれが嬉しかったりする浜辺でのひと時。


夏は、秋は、どの島を巡ろうか。



お猿さんと私。

「あ!猿!」

香川県から徳島県へ抜ける県境の道で、木の上に登っている猿を見つけた。

そのまま通り過ぎても良かったけれど、両手で大事そうに柿を持って食べる真っ赤な顔をしたお猿さんがなんとも可愛らしくて、慌てて車を引き返した。

スマホを持って、そっと車から降りる。

その瞬間、目の前を一匹の猿がシュッと走り去ってしまった。

「あ!」
せっかくのチャンスを逃してしまったともう一度柿の木を見上げると、まだ一匹いた。

その一匹と目が合った。
一瞬、固まった彼ではあるが、ハッとした後、一目散に逃げ出した。

「あ、待って!」

待つはずがない。

木から飛び降り、電柱に登る。

11-29 1.逃げるお猿さん

てっぺんまで登ったら、今度は綱渡りのごとく慌てて電線を伝っていった。

11-29 2.逃げるお猿さん

11-29 3.逃げるお猿さん

11-29 4.逃げるお猿さん

2本の電線は、徐々に幅を広げて軒下へと繋がっている。
必死で伸ばすも手が届かなくなって焦った彼は、ターザンのごとく屋根の上へと飛び移る。

「あーあ。」
可愛く柿を食べる姿を写真に撮りたかっただけなのに。
来年の干支であるお猿さんの愛くるしい表情を残したかっただけなのに。

振り向くと、田んぼの向こうには優に10匹を超える猿軍団がたむろしていた。

再び近づきスマホを構える私を見つけ、またもや一目散に散らばる猿たち。


そんな私を見た地元の老婦人は、「よっけおるやろ。野菜も引っこ抜かれて困っとるんよ。猿も多いし、ここは猪も出るしねー。」

猿に負けじと夢中で追う私は、きっとおばちゃんには町の子に見えたんだろうな。(笑)



今日は私の43歳の誕生日でした。
惜しくも逃げられちゃいましたが、来年の主役くんに会えるなんて縁起いいでしょ。





イサムノグチ庭園美術館。

イサムノグチが晩年アトリエを構えていた場所が現在、イサムノグチ庭園美術館として開放されている。

香川県は高松市牟礼町。

随分と前から行きたいと思っていたが、それは2週間前までに往復ハガキで予約申し込みをしなければならず、面倒くさがりの私には近くて遠い美術館だった。

だが先月のこと、岡山に住む親友から誘いがあった。
彼女もずっと行きたい思いは強かったのだが、これまでタイミングが合わなかったそうだ。


「10月27日、午後1時に予約が取れました。1時間の見学だそうです。
お昼を食べてから行きましょう。ランチはpicchuちゃんにお任せするわ。」


少しづつ木々も色づき青空が美しい季節、太陽の下で制作し続けた彼の作品を鑑賞するのに最高の機会である。

そしてそれは、想像以上に素晴らしいものだった。


絶妙な空間。

写真では表しきれない大胆な動きと安定感。
思わず手を触れたくなるなめらかな質感。

石の持つあらゆる表情に驚いた。


芸術とは時に挑戦的であるだろうが、彼の作品のもつ美しさは見る人に安心を与えてくれる。

美しいって、すごいことだと思った。


そして、「彼は相当の女好きだったのが分かるよね。」
友人の言葉に思わず笑った私も、かつて石の彫刻にこれほど艶かしさを感じたことはない。(笑)

彼の作品には色気があると思う。
そういうと、ただ表面的に捉えられては全く意味が異なってしまうが、放つ色気がより人を惹きつけてやまないのだと思った。


10-27 2.イサムノグチ庭園美術館



見学する前に流れていたビデオの中で、日本人とアメリカ人のハーフであった彼はどこにいても異邦人で、根無し草のような孤独を抱えていたというような内容があった。

アトリエは、イサムノグチも気に入ったこの辺りで産出される世界でも評価の高い庵治石を積んだ円で囲まれ、彼の指示したとおり完、未完に関わらず、そのままの形で保存維持されている。

彼が線を引き、その上を囲んだというその円を見たとき、もしかしたら、彼はここに自分の居場所を作りたかったのかな、根を下ろしたかったのかな、と感じた。


彼は84歳で亡くなったのだが、84歳の誕生日もこのアトリエで制作していたそうだ。

拠点は彼の生まれ故郷のニューヨークであったが、春や秋などの時候のいい頃はここに滞在していたらしい。
県内の丸亀市にあった武家屋敷を移築し、そこに居を構えた。

1988年11月17日、ここで84歳を迎えた後、もう一つのアトリエがあるイタリアに移った。
そこで風邪をこじらせニューヨークに戻ったのだが、そのまま肺炎となり帰らぬ人となってしまった。

彼は、春にはまたここで制作を続けるつもりだった。

このアトリエはその時のまま、今もイサムノグチとともにある。


10-27 1.イサムノグチ庭園美術館


それは、屋島と庵治石が採石される五剣山に囲まれた自然豊かな場所にある。

アトリエを見学後に訪れた屋島から、彼が造った庭園の盛り土とそこに置かれた卵型の石が小さく見えた。





乗り鉄になる!

大阪に住む友人が、ご主人と共に生後7ヶ月の赤ちゃんを連れてやって来た。

13年前、オーストラリア旅行で出会った友達だ。


ご主人は世界160ヶ国を旅しているツワモノで、国内も都道府県すべて制覇している。
その上、乗り鉄。(笑)


その彼の希望もあって、香川の私鉄である高松琴平電鉄(通称、ことでん)の琴平線に乗ることとなった。

琴平線は、もともと金刀比羅宮参詣のために開業したもので、高松築港駅と琴平を結んでいる。

高松築港駅は高松城跡(玉藻公園)のすぐ近くにあり、月見櫓がホームから間近に見える。
琴平駅は言うまでもなく金刀比羅宮の最寄りとなる駅で、1865年に建てられた日本一の高灯篭の隣りにある。

今回、幼い赤ちゃんが一緒ということもあり、乗った区間は琴電琴平駅から綾川駅までの8駅、僅か20kmほどを往復した。
高松より琴平を選んだ理由は、この後琴平からJRで3つめの多度津駅でJR四国のレアな車両を見るためだ。(笑)


ことでんには小学生の頃に数回乗ったことがあるだけで、JR沿線に住む私はあまり縁がなく、琴平から乗るのも初めてでちょっとした冒険だった。

列車は30分に1本。

昔ながらの改札口で切符を渡すと鋏で切ってくれた。


コトデン.jpg


今じゃ都会ではICカードなんだろうが、私の町のJRの駅はスタンプを押してくれる。
まだまだ時間が止まったままだが、それでも改札鋏はとうの昔に姿を消してしまって、ここ何十年拝んだこともない。
だから、この改札鋏が懐かしすぎて、ちょっと興奮してしまった。


そこから先はテンションあがりっぱなし。(笑)


コトデン2.jpg


運転席の写真を撮ってみたり、車内の天井でクルクル回る扇風機にも大はしゃぎしたり。


コトデン4.jpg


列車についての薀蓄は右耳から左耳へとスルーしたが、こんな近くにこうも面白い乗り物が残っていたのかと嬉しくなった。

たぶん線路も昔のままなのだろう。
ガタンゴトンと大きな音に合わせて跳ねる身体を、椅子から転げ落ちないよう保つのに必死だった。


もともと鉄道好きな私だが、その日自分の隠れた一面を知ったような、僅かながらも鉄道の旅を満喫。



また乗ろう、と密かに思っている。


コトデン3.jpg



今朝の事でございます。

芥川龍之介  

蜘蛛の糸

ある日の事でございます。
お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。

池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、、、、、





あらら、極楽で咲く蓮の花は白色でありましたか。

そうとは知らず、ピンク色に染まる蓮の花を写真に収めるのに一生懸命の私でございました。



栗林公園・蓮9.jpg



栗林公園・蓮8.jpg



栗林公園・蓮.jpg



その玉のようなピンク色した花は、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、なんとも言えないいい匂が、たえまなくあたりへあふれております。

栗林公園はちょうど辰の刻なのでございました。






丸亀城。

母を歯医者まで送った後、終わるまでの僅かな待ち時間に丸亀城を訪ねてみた。


3月下旬に姫路城へ行って以降、続けて高知城と彦根城を巡ってみて、最近になって実は私は城好きなのだと気付いたのだった。

とりわけ丸亀城はいつも身近に存在し、母校の校歌にだって登場する。
あまりに普通の景色であるから意識したことすら殆どなかったが、改めて城の持つ威厳というか、雄々しい姿に魅かれて、機会を見つけては日本の城跡めぐりをするのも悪くないかと思った。

そこで、早速「日本百名城」という本を購入。
百名城すべて制覇する気はさらさらないが、なんだか楽しい。

そして、やはり私にとっての1号は『丸亀城』だろうということで、本日スタート。


丸亀城.jpg


さてその丸亀城、大手門側から登ろうとすると、天守までには見返り坂という心臓破りの急な坂がある。
体力に自信のない私は裏手の石段から登ることにした。
そういえば、最近は年配の方達に交じっていつも裏側から登っている気がする。

だが、裏といっても城ができた当初は現在と反対側に大手門があったんだそうだ。

ということは、天守閣も表裏が逆だったんだろうか? ちょっと疑問。

丸亀城・天守閣.jpg


私は丸亀城の天守閣のくるりとカールさせた髭(ではないが)が好き。(笑)

そして常に大手門側からのこの表情を見慣れている私は、たまに天守閣まで登ると反対側の顔(?)にしっくりこない。


丸亀城・天守閣2.jpg



丸亀城・石垣4.jpg

2015-04-02丸亀城と桜.jpg


丸亀城といえば日本一の石垣で有名だが、その石垣と小さな天守とのバランスが私は最高に美しいと思う。

現存12天守の中で最小であるが、高く積み上げられた石垣が丸亀城に他の城に勝るとも劣らない威厳を与えてくれているのだろう。

二の丸の櫓跡から望む讃岐富士も美しい。
天守が小さいからか、富士山までも可愛らしいんだな。(笑)

丸亀城より飯山を望む.jpg




春、告げる者。

写真展の帰り、懲りもせず栗林公園に立ち寄ってみた。

今年六度目。(笑)


梅は未だ盛りを見せ、ヤブツバキもまた見頃だった。
桜の蕾はまだ固そうだったが、それも次期ちらほら開いてくるだろう。

今年は梅の写真を満足ゆくまで撮ったから、今日はただぼおーっと眺めていよう。
天気も良く、気の向くままに園内を散策しようと思った。


栗林公園・南梅林6.jpg

多くの人がカメラを構える中、その日私は写真を撮らないつもりだった。

ところが、あちらこちらから「チー、チー」という鳴き声がする。
よく見れば、花蜜を求めて野鳥が飛び交っていた。

思わずスマホを取り出したが、ウロチョロ、ウロチョロ、数秒たりともジッとする気配はない。


「野鳥を撮るのはむずかしくてねぇ。」 近くに居たおじさんと目が合った。

「1秒間に5回連写するカメラを使っても、なかなか撮れないんだよ」と、見れば立派な一眼レフを肩に下げていた。

私はそんな本格的に撮ろうとは思わないが、それでもせめて梅の花に留まるメジロをとらえたいとスマホを掲げた。
別にスマホの底力を見せようという気はない。(笑)

ピントは合わず、ただ適当に鳥がいる場所めがけてシャッターを押す。
あてずっぽうだから、切るんじゃなくて押す。(笑)


メジロ2.jpg


嬉しそうに舞う姿に、春を待ちわびていたのは人間だけじゃないんだと気づかされた。

春を告げるのも花だけじゃない。



「おじさん!奇跡の一枚が撮れたよ!」 

そして、スマホだってなかなかやるもんである。(笑)

メジロ.jpg



香川がアートなんだ。

広島に住む友人から写真展の知らせがあった。


その名も、『フォト・ラボK』

フォトラボK2.jpg


「アートとして香川を記録し続けるためのプロジェクト」とし、
講師である写真家(大阪芸術大学客員講師)の所幸則氏と受講生14人の作品を展示しているという。

あらゆる展覧会で賞を取っている友人でも新たに講座を受けるんだという意外さと、
「半年間の講座で写真に対する考え方がかなり変わりました。すごい講座でした」という彼の言葉が心に残り、どんな作品が会しているのか楽しみに高松へと向かった。

何より、アートとして香川を観るという視点に関心を抱いた。

いつも何気なく通りすぎる風景の一瞬が切り取られる。
極々普通の地味な女の子がある時突然スポットライトを浴びたように、取り立てて褒めることのない光景がその時主役になる。

自分なら絶対にカメラを向けないだろう場所が、
間違えてシャッターを切ってしまったら、きっと削除したであろうアングルの景色が、

なぜか他の人のレンズを通すと芸術になっているから不思議だ。


面白い。


でも、やっぱり自分の大好きな地元がこんなふうに写る、いや映るんだという発見が一番面白かったかな。


フォトラボK.jpg

感性という言葉で片付けてしまうには、あまりにも勿体ないように思った。



友人の作品は5点。

磯崎君・写真展2.jpg

磯崎君・写真展.jpg

せっかく香川に来てたんだったら知らせてよねっ。

写真を前につぶやきながら(笑)、彼の目にはこんな香川の表情が見えたんだなと、


う~ん、もしかしたら香川の方が彼の前でこんな表情を見せたのかと、色々思い巡らせた。



まだまだ続く、栗林の美。

栗林公園の松2.jpg


つい色鮮やかな梅の写真ばかりアップしてきたが、栗林公園といえば松。


栗林公園・掬月亭.jpg

栗林公園の松3.jpg

なによりも松。

栗林公園の松6.jpg


松の美しさ抜きに栗林公園は語れない。


鶴亀松.jpg

栗林公園・南5.jpg


心の琴線に触れる美しさ。


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松の合間に折々の花鳥風月。


栗林公園・南梅林3.jpg

栗林公園・南2.jpg




まさに、『一歩一景』の美しさ。



栗林公園・南湖.jpg





これほど栗林公園を褒めちぎる私でも、数年前は栗林公園に物申す?!(笑)

まだ続く、梅三昧。

中津万象園・桃梅.jpg


讃岐には栗林公園ともう一つ、丸亀に中津万象園という大名庭園がある。

琵琶湖を形どった池に近江八景になぞらえた島々は、その昔この地を治めた京極藩の殿様の先祖が近江出身であったためだそう。
瀬戸内海に面した立地から、時間をかけて滞在すれば たぶん池の潮の満ち引きを楽しむこともできるんじゃないかな。


「日本庭園を眺めながらお茶しない?」

立春の日に栗林公園で梅見をして以来すっかり殿様気分になっている私は、突如友人のK西さんを誘ってみた。

「どこで?」
「中津万象園!」
「そんな処だと思った(笑)」

そんな処、、、そう、歩いて行ける距離にある中津万象園も、あまりに身近過ぎてすっかり有難みがなくなっている。(笑)

しかし、彼女は気持ちよく応えてくれた。
栗林公園と比べればもう一つであるけれど、並の日本庭園と比べると抜きん出ていると思う。

鴨.jpg

ぶらり、ぶらり、池に浮かぶ鴨と戯れながら1時間ほど散策。

今年は四季折々の美しさを満喫する年にしよう、そう思った。


* * * 


そう思い立ったら居ても立っても居られない。


早速、栗林公園の年間パスポートを購入し、高松まで再び車を走らせた。

栗林公園を知ってしまっては、やはりそれ以外では物足りなかったようだ。(笑)


実は、これまで香川県民といえども中讃(香川県中部)に住む私はあまり高松と縁がなかった。
買い物なら橋を渡って岡山や神戸に出掛けた方がお洒落なものが多いし、展覧会やコンサートも本土へ出向いた方が良いものと出会える。

だが、今年に入ってケアマネの実務研修で度々高松へ足を運ぶようになり高松行きが億劫じゃなくなったのと、
先日テレビで高畑淳子さんの故郷を巡る旅が放送され、屋島や栗林公園といった定番ではあるが高松の見どころの紹介に新鮮さと馴染みとが相まって、何とも言えぬ心地よさを感じることができたのだった。

とりわけ、「ねえ、どうしてこんな美しい処から離れようと思ったのかしらねえ」という高畑さんの言葉に、訳もなくじんときた。
彼女独特の話し方が耳と心にじんと残った。


ねえ、どうしてこんな美しい処が近くにあるのに足を運ぼうと思わなかったのかしらねえ。

栗林公園を散策しながら、独り言ちた。

中津万象園・紅梅.jpg


栗林公園といえば松の美しさが格別であるが、今日もほのかに香る梅の花が目を引いた。

一つひとつは小さな花であるけれど、それぞれの表情がとてもとても愛らしい。

白梅5.jpg

桃梅4.jpg

白梅3.jpg

白梅4.jpg


そんな一瞬の表情を写真に留められたら、、、。


桃梅3.jpg



本日もまた、梅日和。

まだ続く、梅三昧。

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