I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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観るも、食べるも良し。

ここ数年、花見といえば土佐国分寺の枝垂れ桜からスタートする。

垂れた枝の、光を透かす無数のピンク色した小さな花びらが、まるで舞妓さんのかんざしのようで好き。
先週の土曜日にはまだ一輪も咲いてなかったそうだが、ここにきて一気に花開いたのだろう。

一週間も待てば地元香川の桜も見頃を迎えるだろうが、その数日が待てないんだよな。


土佐国分寺の枝垂桜.jpg


ご存知、南国土佐の桜は早い。
高速から見える日当たりの良い山々では、すでに葉が伸びて色あせた桜がいくらもある。

それでも市内はこれからといったところか。
土佐国分寺から車で30分ほど足を伸ばした高知城でも、ソメイヨシノはまだ三分から五分咲きという感じだ。

高知城と桜.jpg


高知城を訪れたのは25年ぶり。
なんと高校生以来。
昔から馴染みあるお城っていいなと思った。


そして昔馴染みといえば、私にとって浜幸(はまこう)のお菓子を忘れてはならない。
高知土産で人気の銘菓「かんざし」の店である。

高知生まれの私が生まれて初めて食べたお菓子も浜幸。(笑)
まだヨチヨチ歩きの頃でも、ウィンドーの前に座り込んで動かなかったほど浜幸のお菓子が好きだったらしい。
それは今も変わりなく、どんなお菓子よりも浜幸の味が一番おいしいと私は思っている。

だから、高知へ行くと必ず浜幸に立ち寄る。
今日は季節柄、桜餅を選んでみた。

浜幸の桜餅.jpg

観るも良し、食べるも良し。


土佐の高知のはりまや橋で、picchuさん「浜幸」食べよった。(笑)

よさこい よさこい


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里の春。

久しぶりにブログを開いてみたら、ブログ友達であるタケさんの日記に心が躍った。(笑)

なぜなら、そこに満開の春があったから。

須崎・桑田山.jpg


庭園や庭先では梅の花が咲き誇り、段々と春めいてきたといえどもまだ冷たさに手を擦る朝もある今日この頃、本物の春が待ち遠しいのは『早春賦』のとおり。

春と知ってしまった以上、寒さ厳しい冬よりも胸が急かされる思いは誰しも同じだと思う。


その思いが、タケさんのブログにアップされた写真のせいで一気に弾けた。

私も!と思い立ったら、母と愛犬2匹を連れてすでにハンドルを握ってた。(笑)


高知県は須崎市。
桑田山の雪割り桜で検索すると、それはすぐに見つかった。

ソメイヨシノよりも濃いピンク色と、桜らしからぬ独特の匂いが印象的だった。


一足お先に、のどかで優しい里の春。

須崎・桑田山2.jpg


満開の桜を見て、「ああ、やっと本当に春が来たんだなあ」という気になるのは私が日本人だからだろうか?



雪割り桜3.jpg

わが家にも持ち帰った、里の春。



桜が咲いた。

今年の桜は諦めていた。


私はもうじき旅に出る。
たぶん、桜は私と行き違いで終わるだろう。


だが、例年より一週間早い開花宣言に、期待半分諦め半分で高知まで車を走らせた。

昨年も思ったが、四国山地のトンネルを抜けると陽射しの強さが一変する。
高知の冬は、私の住む瀬戸内沿岸より風が強く 寒さ厳しい時もある。
だが、この時期だけは完全に、一足早い本格的な春が高知を包む。

そして気温だけでない、この陽射しのキツさに南国土佐を感じる。
  

天気は晴れ。

もしも桜が咲いていたら、きっと青空の下に薄桃色が映えるだろう。
いや、咲いているのは間違いない。 朝のニュースでも3分咲きだと言ってたもの。


そして、やって来たのが土佐国分寺。

こちらも昨年同様、境内に咲く垂れ桜を愛でに来た。



ふふふ。 咲いていた!

Picture032113_120556-1.jpg

まこと見事に咲いているではないか! 

まさに見頃。


梅は梅で初春の喜びを感じたが、この桜の淡さと軽さと優しさに、これまで着こんでいたコートを脱ぎ去ったような開放感。

心持ち、肩が軽くなる。

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さあ、今年も私に桜が咲いた!


Picture032113_120756-1.jpg



* 明日 日本を発ち、僅かな期間 旅に出ます。 家を出るのは午前3時半。(笑)
 渡航先からもブログをアップする予定です。

 しばらく皆さまからのコメントへの返事ができないと思いますので、一旦 コメント欄を閉じさせていただきます。

 これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 皆さまも、素晴らしい日本の春を満喫してくださいませ。


 旅先からのブログ更新につきましては、リアルタイムで楽天ブログにおいて update 致します。
 宜しければ、そちらにも遊びに来てください。


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龍馬の目線。

昨日、早朝からブロ友さんの記事を読んでいた。

そこには、見る者の心まで華やかにしてくれる蘭の世界が広がっていた。
今、写真を撮ることが楽しくてたまらないというふる~るさんのブログだ。

日々、新しい発見を求め、自分の感性を磨いてゆく彼女。
私は生命力を与えられた写真に憧れる。

気持ち良くコメントを書きながら、急に私も蘭の花と触れ合いたくなってきた。



高知へ行こう!と思い立った。


高知県出身で、"日本の植物界の父"と称される牧野富太郎氏の業績を記念して建てられた広大な植物園が、高知市にある。

その牧野植物園において、毎年2月に温室でラン展が開催されることを知っていた。


それに、つい先日の母の話を思い出した。
「今、龍馬像が貸出されているそうよ。 で、その間、龍馬と同じ目線から眺められるようにしてるんだって。」

龍馬の目線か~。 

ついでに、遠くアメリカでも眺めて来るか!(笑)


そんなことを考えながら、高速を飛ばした。


ソロモン諸島の地震による津波注意報はすでに解除されていたが、まずまずの高波。
駐車場では「波打ち際には近づかないでください」というビラを渡され、桂浜中に聞こえるよう放送もしていた。

打ち寄せる波の音を聴きながら、本来 龍馬像が建っている高台へと向かう。

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お馴染みの風景と広がる水平線に、桂浜に来た!と気持ちが高ぶる。
そして、自分の体に流れる土佐の血が騒ぎ出した。(笑)

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もうすっかり春めいた潮風を頬に感じながら、目的地へ歩を進めた。

 ・
 ・
 ・

あれ? 龍馬がいる!

「あんた、なんでいるのよ?」という私のトボケた顔に、「いたら悪いのかよ」とでも言う表情で見降ろす龍馬像。

「あんた、どこかに貸し出されたんじゃなかったの?」
ふてぶてしい龍馬の顔に、思わず私もむっとした。
だが、私が腹を立てたからといって、龍馬が場所を譲るはずもない。
仕方なく龍馬目線は諦めた。

なので、残念だが龍馬目線の写真はなし。
偉ぶる龍馬像の写真も逆光のため却下!

代わりに、横綱の土俵入りを撮ることにした。 500円也。
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生後4ヶ月という、幼く見えない幼い土佐犬にも会って来た。

龍馬よりイケメンじゃん! ちょっとやけくそ。


家に帰って文句を言った。
「桂浜に龍馬いたじゃん!」

「え? 私、桂浜って言った? 貸出されてるのは高知駅前の龍馬像なのに。」

「もうっ! 龍馬像って言ったら桂浜に決まってるじゃん! 桂浜って思うじゃん!(><)」 
思いっきり八つ当たり。(苦笑)


あ、私、蘭を見て来たはずだった。 なのに蘭のことなんか忘れてしまったのも龍馬のせい。

牧野植物園ではこの17日まで、珍しい青い蘭の花も楽しめる。

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トンネルを抜けると、、、。

県境の長いトンネルを抜けると常春であった。。。(笑)


3日ほど前、一足先に高知の桜が満開だとのニュースを聞き、急に思い立って高知へ出掛けて参りました。

高知市内は混雑しそうな予感がしたので、その手前にある南国市の土佐国分寺へ!
まさに南国です。


私の家からおよそ90km、車で1時間15分ほどの距離です。

ですが、四国山地の長いトンネルを抜けるだけで陽射しさえも全く違ってしまうのですから、不思議。
山々に咲く桜は、すでに葉桜のものもありました。

え~、香川はまだ蕾なのに~。

同じ四国とは思えない景色でした。
さすが南国です。


染みる陽射しに目を擦りながら、国分寺の垂れ桜は散っていませんように~と祈りつつ車を走らせます。


2012-03-31 21:34:48

おぉ~、間に合ったぁ~♪

すでに散り始めではありましたが、強風に吹かれながらも可憐な花達はしっかりと枝を染めておりました。


土佐国分寺は四国霊場第29番ということもあり、境内にはお遍路さんの持つ鈴の音が響きます。

桜を背景に白装束のお遍路さん、四国ならではの春の到来を感じさせる風景です。


2012-03-31 21:35:33

まるで、かんざしみたい。(*^^*)

2012-03-31 21:35:08


*


高知県南国市といえば、紀貫之。 
国分寺のすぐ近くに、「土佐日記」でお馴染みの紀貫之邸跡が残されています。


「 土佐日記  懐にあり  散る桜 」

これは高浜虚子が詠んだ歌。


以前、その場所で「土佐日記」を土佐銘菓「土佐日記」にかけて虚子とpicchukoの合作を発表したことがあるのですが(笑)、

今日も懲りずに詠んでみました。(^^ゞ


この為に(?)、松山銘菓「坊っちゃん団子」をサービスエリアで購入済みです。(爆!)

やっぱり花より団子ですもの☆


では、、、こほんっと咳払いして・・・


「 桜咲く  坊っちゃん団子  腹にあり 」  御免っ!

*蛇足ではありますが、実際に南国市にはJR御免(ごめん)駅があります。(笑)

慎太郎伝。

さわさわさゎ~。

気持ち良く風になびく竹の葉音を聞きながら、私はゴロリと寝ころびました。


慎太郎伝


『 捨身廻天 』
壁に掛けられたを見つめながら、私などでは到底理解し得ないその言葉の深い意味について、しばし思い耽っていました。

慎太郎伝


中岡慎太郎。
昨夏に訪れた彼の生家の居心地の良さをもう一度感じたくて、雨を含んだ重たい雲が空を覆う中、再び高知県は安芸郡北川村へ出掛けてきました。

どうしようもないほど田舎で辺鄙なこの場所に立つと、なぜか気持ちが澄んでいき、今日の天気とは裏腹に、心が晴れ渡っていくのを感じます。

『 捨身廻天 』 
その言葉のまま、身分を捨て、故郷を捨て、己を捨てて世直しに立ちあがった一人の幕末の志士。
彼の生まれたその場所には、彼の気骨の精神と深い懐を産み育てた何かが残っているような気がします。
そして、人情味溢れる慎太郎に相応しい居心地の良さに、あらゆる不安がすぅ~と解けていくような気がします。

*

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」を私も時々見るのですが、
その中で、龍馬がよく口にする言葉、「わしがニッポンを変えちゃるき。」
この言葉を聞く度に、このドラマはあまりにも脚色し過ぎなんだろうな~って思います。

私は、龍馬は決して「わしが日本を変えちゃる。」とは言わなかったと思います。
自分の胸中には「日本を変える」という思いはあったでしょうが、仲間内では機運を高めるためにそう口にしたことがあったのかもしれませんが、

人間、そこに「わし」がある限り、小さな「我」があるうちは、決して大事を成すことはできないと思うのです。

大我を持ち、天を廻すほどの人間は真の無心だと思うのです。

ですから、「龍馬伝」の龍馬は、あくまでも大衆受けするカッコいい福山龍馬像でしか存在せず、
そこに本当の龍馬の姿はないのでは、、、といつも思ってしまいます。

慎太郎もしかり。
彼は自分の名を残すことなど一切考えなかったことでしょう。
ただ維新回天に命を燃やした一人の志士にしかすぎず、それに彼は満足しているように思います。

*

慎太郎の生家からほど近くに、彼が幼少の頃 勉学に励んだ松林寺というお寺がありました。
今は侘しい山門が残っているだけですが、そこに慎太郎の遺髪が納められた墓地があります。
決して目立つお墓ではないのですが、そこからはちょうど生家が見降ろされ、家族とともにひっそりと並んで立っています。

慎太郎は、龍馬とともに京都の霊山護国神社に埋葬されているそうですが、
例え訪れる人が少なくとも、彼によって栽培が広がった柚子香る北川村に、家族の元に慎太郎は帰ってきたいんじゃないかなーって、ふと思いました。


慎太郎伝

なんて、少し真面目に(?)書きましたが、
慎太郎の遺髪墓地の前で、ちょっぴり胸が傷むことがありました。
それは、彼の隣りに「慎太郎の妻 兼」と書かれたお墓があったこと。

え"? 妻?
なんだぁ~、独り身じゃなかったのかぁ~。

じゃぁ、独身だったならどうするというのよ! 
チクっと傷む心に、自分で自分にツッコミを入れた10月最後の日曜日でした。

土佐のオナガドリ。

土佐のオナガドリ

「確か、闘犬センターにいたと思うんだけど…。」


今年9月、四国霊場第33番札所「雪蹊寺」をお詣りした帰り、高知の桂浜に立ち寄りました。

母がここを訪れるのは、私がよちよち歩きをしていた頃以来ですから、もう34~5年ぶりになるでしょうか。
くすんだ青色の龍馬像は、改修時に濃い緑色に塗り直され、
五色石で有名だった桂浜の浜辺は、残念なことにその美しい石ころはすでになく、今ではごく普通の砂浜になっていました。

「昔の方が随分と趣きがあったねぇ…。」
母が口にする前に、団体ツアーで来られていた老年のご婦人もそうこぼしておりました。

土佐のオナガドリ
                         
「確かに、ここにいたんだけど…。」
闘犬センターの建物の壁にも、土佐犬とともにオナガドリの絵が大きく描かれています。

「すみません。オナガドリはどちらで見られるんでしょうか?」
昼休みで寛いでいる案内所の方に声を掛けてみました。

「昔、ここにオナガドリがいましたよね~。 」

「ええ、でも今は桂浜にはいないんですよ。 とにかく飼育するのが難しくてねぇ。
もし見たいのであれば南国市篠原にある゛長尾鶏(ちょうびけい)センター"へ行くといいですよ。」


* * *


そして3ヶ月。。。


行って来ました! 長尾鶏センターへ!!

何故か急に、この尾っぽの長いニワトリさんを見てみたくなったのです。             


土佐のオナガドリ

国の特別天然記念物である『土佐のオナガドリ』は、江戸時代の1655年頃に現在の南国市において、
武市利右衛門という人物が飼っていた小国(しょうこく)という品種のニワトリから突然変異で生まれたと伝えられています。

ニワトリは通常一年に一度羽が生え換わりますが、
オスのオナガドリは尾羽が生え換わらないため、尾が非常に長くなるのです。

明治時代までは尾の長さは3m程度でしたが、大正時代に止箱(とめばこ)と呼ばれる飼育箱が開発され、尾が損傷しないように鳥の動きを抑制するように飼育させるようになってから、尾がさらに長くなりました。
(Wikipediaより)



狭い飼育箱に閉じ込められ、ほとんど身動きのとれない状態で、オナガドリはその一生の殆どを過ごします。

「晴れた日には、一時間くらい外で遊ばせてあげるんですよ。^^」
見れば、お天道様を浴びながら、一羽のオナガドリが長い尾を引き摺りながら 俯き加減でコッコと遊んで(?)おりました。

黒色だと思っていたその尾っぽは、手に取ってみると深いグリーンがかった色合いだということに気が付きます。

「一羽づつでないと、喧嘩した時などにせっかく伸びた尾っぽが抜けてしまいますからね~。」

「私達がちょっと誤って尾っぽを踏んだだけでも抜けてしまうんですよ。」

若いオナガドリは一年に1メートル近く伸びるそうですが、一度抜けてしまった尾っぽは二度と生えてはこないそうです。

卵から孵ったひよこ達は、その全てがオナガドリになるとは限りません。
何十個とある卵の中から、一羽も生まれなかった年もあるそうです。

手間暇かけて大切に育ててさえも、立派なオナガドリになる確率は低いのです。

以前は南国市だけでも30ヶ所以上で繁殖させていたオナガドリも、今では随分と数が減ってしまったといいます。


こうやって箱から出して触らせてくれるのは、ここ長尾鶏センターくらいかもしれません。
詳しい説明つきで、貴重なオナガドリをじっくりと見ることが出来ました。

長尾鶏センターのこれまでの最高年齢は18才。
尾の長さの最長は、なんと13.5メートルにも達したそうです!
ギネスブックには、1974年に計測された10.6メートルが記録されています。


写真は、現在 長尾鶏センターで飼われている12羽の中で最も性格が穏やかで、尾っぽの伸びのいい、これからが楽しみな5才の男の子です。



<ご案内>

長尾鶏センター: 高知県南国市篠原48(国道55号線沿いにあります。)

オナガドリは、同じく高知県香美市にある日本三大鍾乳洞の一つ、龍河洞でも見られます。

ジョン万次郎の夢!

*このタイトルは、劇団四季のファミリーミュージカル・「ジョン万次郎の夢」よりお借りしました。^^


ニュージーランドへ渡って3週間。
ホームシックに陥った自分を励ますために、カイコウラへ日帰りの小旅行に出掛けたものの、まだ心は沈んだままでした。
すでに語学学校へ通う手続きも整い、ボランティア先を斡旋してくれる事務所を回りながらも、一人ぼっちの寂しさに常に涙腺は緩んでいました。

その頃には すでにホームスティ先を出て、゛KIWI HOUSE"というフラットへ引っ越していました。
そのフラットの居間にあった本棚を前に、一冊の本が私の目に留まりました。

星亮一著『ジョン万次郎 ~日本を開国に導いた陰の主役』(PHP文庫) 

とりわけ近現代史に疎い私でも、同じ郷里の偉人である「ジョン万次郎」くらいは知っていました。
(私も高知生まれです。^^)

以前の日記にも書いたことがありますが、私の最も尊敬する歴史上の人物がジョン万です。^^
読書の苦手な私でも、その時は日本語に飢えていたこともあってか(笑)、その本を貪るように隅から隅まで読みました。

幕末から明治にかけて、日本を大きく舵取りした「ジョン万次郎」。
彼の生涯を描いた小説によって、私のうじうじした気持ちが晴れ渡っていったのです。

この一年、何とか海外で生きていけそう☆

* * *


そんな私の恩人(?)でもあるジョン万次郎は、現在の高知県土佐清水市の出身です。
足摺岬にある中浜の貧しい漁師の家に、ニ男三女の次男として生まれました。

そのジョン万次郎に関する資料や遺品、当時の捕鯨・航海に関する資料を展示した場所・『ジョン万ハウス』が、足摺岬から竜串(7/22日記)へと向かう途中の゛海の駅あしずり"にあるのです。


14歳の時、出漁中に漂流をした万次郎は、アメリカの捕鯨船に救助されました。
積極的に英語を覚え、人一倍役に立つこの少年を大変気に入った船長によって、
彼はマサチューセッツ州フェアヘブンで英語に数学、測量、航海術、造船技術といった当時の最新術を学びます。
また、アメリカで見た民主主義や男女平等なども、これまでの彼の概念を覆しました。

その知識や技術を持って、命がけで帰国した万次郎を受け入れてくれたのが薩摩藩主・島津斉彬公でした。
鎖国の日本に島津斉彬公がいなければ、帰国の翌年に浦賀へ黒船がやって来なければ、もしかすると万次郎は歴史上に名を残さなかったかもしれません。

まさに時代が彼を呼び、そして育てていったのだと思います。


本のページが進めば進むほど、私は万次郎に強く興味を抱いていき、
゛足摺岬を訪ねる時は、絶対に『ジョン万ハウス』にも行く!!"と、決心しておりました。^^

*

そこにはジョン万次郎の足跡や、彼が耳から学んだ英語の表記まで残っていました。
そして、彼から大きな影響を受けた幕末の志士達の顔も並んでいました。

やはりその中で一番に目を引くのは坂本龍馬でしょうか、、、。


万次郎から聞いた外国事情や 日本を離れていた10年間の体験を、
「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」としてまとめた河田小龍(かわだしょうりょう)という人物がいます。

その小龍から、アメリカの現状を踏まえ、開国の必要性や外国に追いつくための方法などを聞いて感化されたのが坂本龍馬でした。
その後 龍馬は脱藩し、勝海舟の門下に入ります。1862年のことです。


そして、龍馬といえば海援隊、それと「船中八策」でしょう。
龍馬が描いた国家構想である「船中八策」に基づき、後藤象二郎が山内容堂を説いて大政奉還が実現しました。

その礎にジョン万次郎が欠かせないことを、私は『ジョン万ハウス』で初めて知りました。



海水浴の季節に訪ねたこともあって、かなりの人出にうんざりしたことも事実ですが、
疲れた体に鞭打って、ジョン万次郎の生まれ故郷を訪ねたことは正解でした。^^


「日・米には目に見えない9,000キロの橋がかかった。」
その言葉通り、ジョン万次郎は近代日本の国際人第1号なのですね!

                                      

ジョン万次郎の夢

足摺岬に立つ「中浜万次郎(ジョン万次郎)像」



*私のブログ仲間である「gundayuuさん」の8/14の日記に、ちょうど「坂本龍馬の船中八策」について詳しく書かれてあります。
gundayuuさんはあまり表に出ていない歴史にまでも明るい方で、私はそんなgundayuuさんのファンであると共に隠れ(?)生徒です。(笑)
http://plaza.rakuten.co.jp/gundayuu/diary/200908140000/

高知はまっこと でかいぜよ。^^

白山洞門(7/20日記)の迫力もさることながら、こちらの景色も圧巻です。

足摺岬より車でおよそ1時間。
クネクネした岬の道を乗り越えて、そこから もう少し西へと車を走らせます。

そこに現れてくるのは自然が造り出す奇抜な彫刻、
             摩訶不思議な奇岩が続く「竜串(たつくし)海岸」です。

高知はまっこと でかいぜよ

高知はまっこと でかいぜよ

高知はまっこと でかいぜよ

高知はまっこと でかいぜよ

高知はまっこと でかいぜよ

Wikipediaによると、
竜串一帯は、砂岩と泥岩の層が互いになっており、その層が波食、風食を受けて形成されました。
中でも、一直線上に丸みを帯びた節理が見られる゛大竹小竹"は、竜串を象徴する代表的なものです。(写真4枚目)

*

この日、すでに満潮を控えた竜串海岸を、これらの岩を伝って20分ほど歩きました。
荒々しい太平洋の波しぶきを肌に感じながら、足元にはダイナミックな自然の造形が…。

地球の息吹きを感じられる場所が日本にもあったんだ!
しかも、四国にあったんだ!!
なんだか心の底からワクワクしてきました。^^

*

この竜串からまだ南下した先にも「見残し海岸」があります。
こちらも波や風による浸食で、岩々が蜂の巣構造のような独特の景観を作り出しているそうです。

それは、あまりの難所に弘法大師も見残した、、、それ故「見残し」と呼ばれるようになったのだとか。
これ以上 じっとりとした暑さの中で潮風にあたるなんて、復路の運転に自信が持てない私は、お大師様と同じく、その海岸だけは見残して帰ってきました。^^


この辺り一帯の青く美しい海の中は、サンゴと色とりどりの熱帯魚の生息地です。
それらをグラスボードに乗って楽しむこともできます。
(残念ながら、この日は波が高く、グラスボードは運行していませんでした。)

まだまだ四国の魅力は尽きないようです。
                           

高知はまっこと でかいぜよ

甘く見過ぎた洞窟探検。

足摺岬の灯台がよく見えるレストランで、その日の昼食を取ることにしました。


窓の外に、数人の親子連れが石段を下っているのが見えます。

「この下に何かあるのですか?」 私は店員さんに訪ねてみました。

「ちょっとした洞窟があるんですよ。^^」
聞けば、その洞窟へは数分で行けるとのこと。

「ここで少し待っていてね。」
両親が食後の休憩をしているうちに、私だけ ささ~っと見物してくるつもりで席を立ちました。

*

椿の名所でもある足摺岬らしい椿林を潜って、どんどん奥へと進みます。
亜熱帯らしい鮮やかな緑も印象的です。

甘く見過ぎた洞窟探検

この辺り一帯には、弘法大師七不思議といわれる伝説や事跡も残っています。

その一つ、岬先端から弘法大師が亀の背中に乗って沖の不動岩へ渡ったとされる自然石「亀石」を見つけました。

甘く見過ぎた洞窟探検


岬の先端では今も実際に、「亀さ~ん!」と大声で呼ぶと、亀の親子が頭を出してくれるそうです。
「毎年、亀さんに会いに来られるおじいさんがいるんですよ。」
レストランで聞いた話を思い出しました。^^

*

そこからも かなりの距離を歩いたでしょうか、、、。
まだまだ洞窟が現れる気配はありません。

石段の傾斜も段々と急になってきました。
これを下っていくことは、帰りには同じ石段を上らなければなりません。
ぞっとしながらも、ここで引き返しては意味がない、、、そう思って先を急ぎました。

そして、やはり帰りがキツかった!!!
石段の数は僅か二百数十段しかありませんが、
ただでさえ片道5時間の運転と、容赦なく照りつける 南国の厳しい陽射し。
前日は僅か3時間睡眠の私にはもの凄く堪えました。(><)

帰りの運転は大丈夫だろうか、、、そんな不安を覚えながら、ぜぇぜぇ ふらふら苦しみながら石段を上りました。


これが災いしてか、往復10時間の運転のせいか、、、
たぶん、積み重なってきた これまでの疲れが一気に表に出たのでしょう。

この日帰り旅行より帰宅して後、私は高血圧の為に3日間も寝込むことになるのです。(><)

もともと腎臓の持病で高血圧になりやすく、主治医の先生からもくれぐれも気をつけるようにと注意されてはいたのですが、、、。
後頭部に急な激痛を感じ、血圧を測ってみると「188/122」。
今回は、薬を飲んでも下がらない血圧に しばらく苦しみました。
(今は少し落ち着いて、「140/95」ほどに下がっています。)

*

そこまでして見に行った「白山洞門(はくさんどうもん)」。

足摺岬一帯は、海蝕による洞窟、洞門に恵まれる特殊地形です。
この白山洞門は、花崗岩の洞門のなかでは日本一の規模を誇るのだとか。
高知県の天然記念物に指定されています。

高さ16m、幅17m、奥行き15m、太平洋の荒波は今も洞門の基底を浸蝕し続けているそうです。

甘く見過ぎた洞窟探検

行って来ました、四国最南端☆

行って来ました、四国最南端

行って来ました! しかも日帰りで!!!

「足摺岬」といえば、同じ高知県に住む人でも そうそう足を伸ばすことのない僻地です。


まさか、ここまで遠いとは、、、。(T_T)
さすがに覚悟はしていましたが、今思い返しても ぞっとする程の遠さです。

よくぞ私一人の運転で、無事に行って帰ることが出来ました。


この日の総走行距離は547km。

距離数だけなら もう少し走れるかもしれませんが、大人3人を乗せた小さな小さな軽自動車です。
いくつもの峠をウンウン苦しみながら越えて行きました。(><)


まさか、まさか、これほどまでに遠いとは、、、。
同じ四国だと、甘く見過ぎておりました。

*

けれど、その道中の苦労は吹き飛びました!


青い海に映える真っ白な灯台。 
ざぶ~ん、ざぶ~ん、高く白い波しぶきに迫力を感じます。

やはり太平洋はいい! 

そして、世界を囲むように弧を描く土佐湾だからこそ、気分はまっこと龍馬ぜよ。^^
いや、ジョン万次郎かな。(笑)

そう、ここから日本の夜明けは始まったのです!!


見渡す限りの水平線、、
まるで自分までもが大きな器になった気分で、海の向こうに広がる世界を眺めておりました。


生まれて初めて、四国の最南端を制覇した記念すべき日です!
(しかし、遠かった…。笑)


四国地図.gif     
*これまでに このブログで取り上げた四国の主な名所(?)です。^^         

負けるな?! 慎太郎☆

高知県北川村。
「モネの庭(6/30日記)」で有名になったその村は、明治維新の立役者・中岡慎太郎の出身地でもありました。

「モネの庭」より車で10分。 少し山手へ向かって下さい。^^
そこには中岡慎太郎の生涯と業績を紹介した歴史資料館と、その周辺に慎太郎縁りの史跡が残されています。

実は、京都の寺田屋まで足を運ぶほど坂本龍馬のファンだった私も、片や中岡慎太郎には 全く興味がありませんでした。
いつも龍馬の後をついて歩く゛おまけ"のような存在でした。
実際、TVなどで幕末の志士が取り上げられる時、慎太郎は必ずと言っていいほど龍馬と共に、いえ龍馬の陰にあります。
「決して 主役になれない男」、、、それが私の持つ慎太郎像でした。(笑)

*

その日、「モネの庭」を見学し終わった私は、そのまま帰途につくつもりでした。


「もう帰るが~?(土佐弁です。^^)」 慎太郎が私を呼び止めたのでしょうか?!

不思議と、心の奥底から慎太郎が不憫で仕方なくなりました。
坂本龍馬の弟分としてではなく、一人の志士として、中岡慎太郎が近代日本に貢献したものは大きなはずです。

「慎太郎が気の毒で、、、。」 それが口癖のように、一路 慎太郎の生家へと向かいました。

それは、幕末の志士たちの遺品や書画などを展示してある゛中岡慎太郎館"から徒歩一分。
少し下った処に、茅葺きの屋根が見えてきます。
そして、少し早い蝉の鳴き声がミンミン響いておりました。

負けるな?! 慎太郎

入り口には、「よう来てくれたのぅ。 慎太郎は待ちゆうきよぉ。」の張り紙が。。。
少し遠出になったけど、はるばるここまで来て良かったかな。
なんだか嬉しくなってきました。^^

さすがに こんな辺鄙な処、
他の見物客は一人もおらず、私と両親はゆったりと寛ぐことができました。
さわさわと竹やぶからの涼しい風も入ってきます。
奥に積み重ねられた座布団を見つけ、それに凭れかかり足を伸ばした私は、少しの間 うつらうつらと居眠りしました。
                

負けるな?! 慎太郎

龍馬率いる海援隊に対して、陸援隊の隊長であった慎太郎。
この二つが車の両輪となって、世の中の流れを変えて行きました。

薩長同盟へ導いたのは何も龍馬の力だけではありません。
龍馬と慎太郎の二人三脚だからこそ、成し遂げられたことなのです。
私には、
「龍馬さんよぉ~。 わしゃぁ、これからの時代、薩摩と長州が手を結ばんことにゃぁ、話にならんと思うぜよ。」
と、慎太郎の方から龍馬に働きかけたような、そんな台詞が聞こえてきました。(わが妄想・笑)


それもこれも、この慎太郎の気さくな笑顔を見たからです。^^

負けるな?! 慎太郎

この写真は、慎太郎が亡くなる1年前に京都の祇園で撮影したものだそうです。
左側には女性が写っていたそうですが、慎太郎が削りとったと言われています。

「謹厳実直な性格ながら、実はけっこう女好きだった」
陸援隊のメンバーに、こう暴露もされています。(笑)

龍馬さんも好きですが、この笑顔のおかげか 慎太郎がうんと身近に感じられる今日この頃です。

弥太郎伝?!

そういえば、現在 横浜では開国150年を記念して、色々なイベントで賑わっているようですね。

滋賀県でも゛井伊直弼と開国150年祭"が開催中のようですし、、、。


そこで(?)、
私も、幕末に活躍した土佐の゛いごっそう"らと縁りある場所を訪ねてみようと思いつきました。(笑)

先週末に訪れた高知県安芸市は、三菱財閥の創業者である「岩崎弥太郎」の生まれた町です。
来年のNHK大河ドラマ、福山雅治さん主演の「龍馬伝」では、その岩崎弥太郎から見た坂本龍馬が描かれているようですね。

弥太郎は、龍馬率いる海援隊の経理を担当していたのだとか。
そして、海運業で世界に挑むという龍馬の遺志を受け継ぎ、「三菱商会」を立ち上げました。

弥太郎伝?!

こちらが、岩崎弥太郎の生家です。

今も岩崎家が所有しており、その保存管理は行き届いています。
ただ 敷地内はひっそりと 人の気配も感じられませんでしたので、泥棒と間違われては大変と(笑)、家の周囲を一周しただけで帰ってきました。


それでも、座敷と思われる部屋から見下ろす場所に、小さな庭を見つけました。

それは、弥太郎少年が日本に雄飛する夢を託して、自分で造ったものだと説明にありました。
そう言われてみれば、見方によっては日本列島に見えなくもないでしょうか…?!
     

弥太郎伝?!

もう一つの「モネの庭」。

高知県北川村にある「モネの庭」マルモッタンを、私が訪れたのが一昨日のこと。

ちょうど今朝の四国新聞に、その庭に咲くスイレンについての記事が掲載されていました。


今年は例年の倍近いスイレンが水面を彩っている。
原因は、「意外なことですが、記録的な少雨」だという。

梅雨に入り、本来のように雨が続けば池に水没して 花芽が腐ってしまうところ、
雨が降らないおかげ(?)で、その花芽が生き残っているためだとか。。。

赤、黄、白に熱帯性の青いスイレンも加わって、今年は200輪程度の花が咲いており、彩りを増している。
                 

もう一つの「モネの庭」


フランス・ジヴェルニーにある《モネの庭》。
それは、連作「睡蓮」の舞台として、モネが晩年最も情熱を注ぎ、自身の手で栽培をし、そして描き続けました。

創作以外の殆どの時間を庭仕事に充てていたというモネの想いが、南国の眩しい光に照らされながら、高知の北川村でもしっかりと受け継がれておりました。


この北川村の「モネの庭」マルモッタンでは、フランスの本家モネの庭・管理責任者であるジルベール・ヴァエ氏の指導を受けているそうです。

「日本庭園のように あまり手を入れ過ぎると、逆に注意されるんですよ。
自然に育つ美しさをそのまま大切にしています。」

「フランスのままそっくりモノマネするのではなく、我々は、モネの精神を受け継ぐ為に努力しています。^^」
この庭園を管理されている方でしょうか、、、沢山の見物客の前で説明して下さいました。


*

さて、庭園内で咲いているスイレンの殆どが、本場ジヴェルニーから株分けされたものです。


その中で、今、最も美しく咲いているのが「青いスイレン」。

気温の低い北フランス(ノルマンディー地方)では、熱帯性の青いスイレンを咲かすことはできませんでした。
それは、モネにとっても夢のスイレンだったのです。

そこで、北川村ではモネが苗を仕入れていた場所と同じ、南フランスの水性植物園より苗を持ち帰り、大切に育ててきました。

はい。 さすがは、南国高知です。(*^^*)
今では交流のシンボルとなっている「青いスイレン」は、ここ北川村で美しく花開きました。

もう一つの「モネの庭」

広い園内には見頃を終えた花も多く、雑草は生い茂り、ちょっと…(T_T)という思いを抱きましたが、このスイレンの池を前に、私は言葉を失いました。

私は本場の「モネの庭」を見たことはありません。
ですが、これが本物だとか モノマネだとか、そんなことは一切関係のないことでした。

所詮 ジヴェルニーの真似ごとだと高をくくっていた私ですが、
庭に対するその想いとこだわりに、この庭は そのままで一つのオリジナルなのだと感じることができたのです。


純粋に、私はこの北川村にある「モネの庭」マルモッタンが好きです。^^

 

もう一つの「モネの庭」

雨よ、来い !

雨よ、来い

今も多くの人々に受け継がれている童謡、
その数ある中でも、とりわけ親しみのある「春よ来い」・「雀の学校」・「鯉のぼり」・「靴が鳴る」などの名曲を生み出した作曲家が、高知県安芸市生まれの弘田龍太郎です。

ノスタルジックな町のあちこちには、そんな彼の名曲を刻んだ曲碑が立っています。

* * * * * * *


今日は、久しぶりに四国霊場の札所をお詣りしました。

行き先は、第27番「神峯寺」です。
それは 高知県東部、室戸岬から40kmほど手前(高知市側)にあります。


その神峯寺から足を伸ばして、睡蓮の咲く池が美しい北川村の゛モネの庭"へ、

その後、以前も室戸からの帰りに立ち寄った、安芸市・野良時計の隣りにある和カフェ゛高園茶屋"さん(3/26日記)でランチ、
といったコースでした。^^



天気予報では雨のち曇りの予報でしたので、少し遠出をするのにちょうどいいかなぁ~と思ったのです。
これからの季節、陽射しがキツいと体がバテてしまいますものね。

どちらかというと、雨の激しい高知県ですから、豪雨にならないかと心配しながらの出発でした。


ところが、、、天気予報は見事なまでに裏切られ、モクモクとした入道雲が見えるほど真っ青な夏空が広がります。
日焼け止めを怠っていた私は、思いの外 真っ黒になってしまいました。(><)

そして、香川県の水がめである早明浦ダム周辺でも、雨の降った形跡は全くみられませんでした。

このまま雨が降らなければ、この水不足はどうなるのでしょう、、、。
無事 この夏を乗り切ることができるのでしょうか、、、。(><)(><)(><)


雨よ来い、はやく来い! 

あぁ~、今も日焼けした肌が熱いです。(苦笑)


* * *


こちらは、

地元産のちりめんとシソをのせた柚子風味の、本日のランチ「ちりめん丼」と、
雨よ、来い

まっすぐ青空に向かう「タチアオイ」の花(゛モネの庭"にて)です。^^
雨よ、来い

紙のこいのぼり。

「仁淀川に紙のこいのぼりが泳いでるらしいよ。」
四万十川からの帰り道、高知県の伊野ICで高速を降りました。

「この先もう少しまっすぐ走ると左手に仁淀川橋があるから、それを渡ってすぐの河川敷だよ。
橋の上からも見えるしね。^^」
いの町の紙の博物館で、車の誘導をしているおじさんがそう教えてくれました。



仁淀川…
それは、西日本の最高峰・石鎚山に源を発し、四国山地を越え、太平洋に流れ込む四国で3番目に大きな川です。
また、四万十川に負けないほどの清流で有名(?)です。

その下流にある町・高知県いの町では、毎年この時期になると水中を泳ぐ「紙のこいのぼり」のイベントが行われています。
今年で15回目なのだそう。^^


和紙の産地は日本各地にありますが、ここ いの町は上質な土佐和紙の発祥の地として今でもその伝統を受け継いでいます。
その特産品の紙(不織布)で作られた色鮮やかな350匹のこいのぼりが仁淀川を泳ぎます。


口の部分に空のペットボトルを入れることで水に浮き、形も整えられるのだとか。

空を泳ぐこいのぼりもいいですが、清流に身をまかす姿も見ていて気持ちがいいですよ。^^


紙のこいのぼり




子供たちは川遊びに夢中になり、大人たちは河川敷でお弁当を広げて、頬に心地よい風を感じながら思い思いの時間を過ごしています。

地元の子供達が一生懸命にボランティアする姿も印象的。
自然に囲まれて育っているからかな、とっても親切で、すでに陽に焼けた笑顔が眩しかったです。^^


せっかくですので川舟にも乗せてもらい、水中で泳ぐこいのぼりを間近で楽しませてもらいました。
(舟に乗るには大人は一人300円。
この不景気でも多くの方達に楽しんでもらうよう、500円だったものを値下げしてくれたのですって。^^)
                   

紙のこいのぼり



5月3日からの3日間、大勢の人達を楽しませてくれた後は、
最終日の今日、水中で泳いでいた紙のこいのぼりを見学者の皆さんにプレゼントしてくれるそうです。

沈下橋のある風景。

沈下橋のある風景

*高知県四万十町にて
風景と同化してちょっぴり分かりにくいですが、少し遠目に沈下橋が見えています。


日本最後の清流と呼ばれる四万十川。

深い緑の山々を背景に、それに負けないほど深く青い川に架かる「沈下橋(ちんかばし)」のある風景は、最も四万十川らしい風景であるといえるでしょう。

増水時に水面下に沈んでしまう欄干のない沈下橋は、地域によっては゛潜水橋"とも゛冠水橋"とも呼ばれているのだとか。
高知県以外には、徳島県や大分県、茨城県など全国でも400箇所ほどその姿を見ることができるそうです。

*

今日は小雨の中、早朝6時半に家を出発し、高知県四万十町まで足を伸ばしました。

ここで第37番札所「岩本寺」をお詣りし、国道381号線を四万十川に沿って上っていきました。


「あっ! 沈下橋だよ!!」
「これで4つ目だね~。」
沈下橋を見つける度に、思わず心が弾みます。(^o^)

有名な四万十市(旧中村市)の岩間沈下橋や佐田沈下橋ではありませんが、こちらもなかなか趣きがありました。^^

沈下橋を車で渡るのが恐かった私は、橋のたもとに車を止めて歩きました。


沈下橋のある風景



ですが、地元の人は平気で車のまま渡るのですねぇ~。
それには少し驚きました。。。 落ちたりしないのかなぁ~。(^^;
               


沈下橋のある風景

(沈下橋の中には、通行不可のものもいくつかあります。)


*本日の総走行距離は430キロメートル。 我ながらよく頑張ったと思います。^^

土佐の高知のはりまや橋で…。

「たとい何年かかりても連れに行き申すべく候」
あぁ~、こんな台詞を(ウルスから)言われてみたい!(笑)

* 

さて、昨日 紹介した竹林寺ですが、
その昔、このお寺の僧であった゛純信"と、五台山ふもとの鋳掛屋の娘゛お馬"が恋仲になってしまいました。

そんな純信がお馬の喜ぶ顔見たさに、はりまや橋の小間物屋でかんざしを買い、彼女に贈ったという話。^^

♪~おかしなことよな はりまや橋で  坊さん かんざし 買いよった~♪
よさこい節で有名な「土佐の高知のはりまや橋で~」という歌詞は、当時はこう歌われていたそうです。

この有名なお話、高知に縁の深い私も子供時分から少々は知っていたのですが、、、。

                           

土佐の高知のはりまや橋で


~竹林寺 境内~

* * *

それは高校時代。
高知出身の友達がお土産にと、高知で有名な゛浜幸"さんの銘菓「かんざし」を買ってきてくれました。

ホイルの中を開いてみると、柚子の香りがほのかに漂い、可愛いかんざしの絵が描かれたお菓子が現れました。
今でこそ、マドレーヌ生地のホイル焼きは至る所で見かけるようになりましたけど、
この銘菓「かんざし」こそが、その始まりなのだそうですよ。^^

お菓子に添えられた、やまもも味(だったかな?)の何気ない かんざし飴も雰囲気をよく表していて…。(*^^)


その美味なお菓子に、私は虜になりました!(笑)
高知へ行けば、必ず浜幸さんのお店に立ち寄りました。

もちろん、゛土佐日記"と同様に、お土産売り場では必ず見かける土佐銘菓です。
ですが、浜幸さんのお菓子は「かんざし」に限らず、どれも上品で美味しくて迷ってしまうほど♪
素朴なクッキーや飴玉さえ、ちょっぴり美味しさが違うんだなぁ~。(o^ー^o)


銘菓「かんざし」を生んだ「純信とお馬」の恋物語、

「かんざし」が詰められた箱には仲睦まじい純信とお馬の絵と、二人の話が書かれてあります。^^                 

*

当時、純信は37歳、お馬17歳。
二人の仲はあっという間に知れわたり、純信は謹慎、お馬は寺への出入りを禁止されました。

ますます恋しさ募る二人は、1855年5月19日になんと駆け落ちをしてしまいます。(@@;

うまくいけば、四国を離れ、二人仲良く暮らせたかもしれません。。。
ところが、香川の金毘羅さんに辿り着いたところを 追ってきた役人に捕らえられてしまいました。(>_<)

二人はさらし者にされたあげく、純信は伊予(愛媛県)へ、お馬も市内から離れた場所へ追放の身となりました。


それからしばらくして後、
それでもお馬を忘れられない純信は、行商人に身をやつして お馬のところへ忍んでいきます。

ですが、たちまちにばれてしまい、二人はまたも引き離されてしまうのです。(><。。)

たとえどれほどかかろうとも、いつの日かお馬と一緒になりたい、、、
その純信の気持ちを託した恋文が、頭で紹介した一文です。

けれど、その想いはお馬に届かなかったのですよね。
お馬は後に別の人と結婚をし、二男二女を得て平穏に暮らしたといいます。

純信は、、、、、。


昔では考えられない激しい恋愛ですよね~。
悲しくも、、、ですが、それほどにも想える相手に巡り合えたということは羨ましいくらいです。^^

牧野植物園へ。

「植物園を造るなら五台山がええ。」


゛日本の植物学の父"と称される牧野富太郎博士は、1862年に高知県で生まれました。

10歳で寺子屋に入った牧野少年は、12歳で小学校へ入学、その2年後には中退して、大好きな植物採集に明け暮れた生活を送るようになります。

独学で研究を続けた彼は、65歳で東京大学から理学博士の学位を授与されました。


94歳でその生涯を終えるまで、採集した標本は約40万枚、新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名したと言われています。

その牧野博士の業績を顕彰するため、博士逝去の翌年(1958年)、
博士の言葉(↑)通り、高知市五台山に『高知県立牧野植物園』が開園されました。

園内には、博士ゆかりの野生植物など約3000種が゛生きた標本"となっています。

*

日本の人気植物園にランキングされていないのが残念ですが(笑)、

ヨチヨチ歩きを始めたばかりの私が初めて訪れた観光地、それがこの牧野植物園でした。
実は私、牧野博士や龍馬と同じく高知生まれなのです。^^


その時以来の来園となる母は、より広く綺麗に整備された植物園に感動し続けておりました。

本館にあるレストランでは、庭園を眺めながら、お手頃価格の美味しいランチが戴けますよ。^^

* * *


牧野植物園の温室では、毎年2月に華やかな蘭展が催されるとのこと。

その名残りを惜しんでか、昨日も私達の前には競い合うかのごとく無数の蘭たちが咲き誇っていました。

~ゾウタケと蘭~


牧野植物園へ

牧野植物園へ

゛胡蝶蘭"とは愛称であって、植物学的には゛ファレノプシス"というのが正式名なのですね。


南方の高い木々の幹に蘭の花を上手く這わせてありました。

~シマタコノキ(ポリネシア原産・幹から伸びたタコ足状の根が面白いでしょ。^^)と蘭~
       

牧野植物園へ




「温度も湿度も調整が難しいんですよ。」
植物園の係員さんの愛情を込めて手入れされている様子が印象的☆^^


外の空気を感じながら様々な野生植物と触れ合うことも楽しいですし、こうやって手の込んだ芸術的な花々も魅力的です。

次回、それは見事であろう蘭展の日程を調べて、改めて見に行きたいなぁ~と思っております。

                           

牧野植物園へ



植物園からは高知平野や四国山地が遠望でき、近くにある鷺のコロニーを観察することもできますよ♪

ついてる私 !

ついてる私 !


こちらは、土佐国分寺(四国霊場第29番札所)の垂れ桜です。

ちょうど今が見ごろでしょうか…。^^

*

先月22日のこと、国分寺を参詣した私は、境内にある見事な枝ぶりの垂れ桜に惹かれました。

これは桜が咲く時期にもう一度訪れなくては(o^ー^o)、、、と、
今日は第31番竹林寺のお参りを兼ねて、高知まで車を走らせました。


南国土佐というだけあって、竹林寺のある五台山の桜(ソメイヨシノ)はすでに半分ほど散り、多くの葉が顔を出していました。

えっ? もう葉桜???
香川はまだ2、3分咲きなのに、、、。
満開に咲き誇る桜を楽しみにしていただけに、ちょっぴりガッカリです。。。(T_T)

国分寺の垂れ桜も遅すぎたかしら…。
それでも、゛もしかすると、、、!"という淡い期待を抱き、国分寺へと向かいました。


そ~っと仁王門の向こう側を覗いてみると、
そこには今が盛りと桃色に染まる大木の桜が垂れ下がっていました。

わぁ~、私達ついてるねぇ~!(*^―^*)

ついてる私 !




* * * * * * *

24日の火曜日にETCカードを申し込んだ私。
手元に届くまでに一週間掛かるということで、今週末には間に合わないと諦めていました。


そんな昨日の午後。 「お嬢さんに郵便でぇ~す!」

゛ぐふっ、お嬢さんだって!(^m^*)"
何が届いたのかなぁ~と見てみると、それは待ちに待ったETCカードでした♪

おぉ~、私ってついてる!!!(^^)/

*

予報では、天気は下り坂との今日。
ついてる私の頭上には、おてんとう様が優しく顔を出してくれました。(^^)v


        

ついてる私 !

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