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高いトコロはお好き?

2015-11-12 02.祖谷渓



この季節になると訪ねたくなるのが大歩危峡。
俳句が趣味であった祖父がその景色を好んで詠んでいたこともあり、母を隣りに乗せて昔話をしながら車を走らせる。


今年はそこから少し足を延ばして、祖谷渓を訪れてみることにした。


有名な祖谷のかずら橋までは行っても、そこから奥となるとまだ二、三度しか赴いたことがない。

明治30年から約20年かけて造られた道路は片側が断崖絶壁、細い急カーブの連続で、隔絶された深山幽谷と形容される秘境を走るのは、いつも億劫だったから。

今日も、どこかの家の取り壊しやら道路の維持改修やらで通行制限があったりと、ただでさえ対向車が来れば面倒な道が一段と難度を上げていた。

なにも紅葉の時期に行わなくてもと思ってみたが、そうか、雪の季節はもうすぐそこなんだ。


2015-11-12 10.祖谷渓


2015-11-12 06.祖谷渓




そして、祖谷渓といえば小便小僧。
かつて地元の子供達や旅人が度胸試しをしたという逸話をもとに作られたそうだ。


2015-11-12 04.祖谷渓



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大塚国際美術館へ行って来た。

これで二度目。

徳島県の鳴門の渦潮のすぐ近くに、陶板で作られた原寸大の世界中の名画を一堂に会した美術館がある。
「ボンカレー」で有名な大塚グループによって平成10年に開館された大塚国際美術館で、そこには地下3Fから2Fまで1000点以上もの作品が展示されている。

車を1時間半飛ばし、その大塚美術館へ行って来た。

前回は2010年、5年ぶりの訪館だった。


大塚美術館6.jpg


美術館の駐車場には四国外からの車でいっぱい、館内でも遠方からの来館者でいっぱいだった。
なので、もうすっかり全国的にも知れ渡ったのかなと思っていたのだが、実はまだそうじゃないらしい。

それでも、修学旅行生らしき高校生も大勢来ていたのが印象的で、本物と出会うきっかけをここで見つけてくれたら嬉しいなと思った。

そう、大塚美術館に本物は一つもない。ぜ~んぶレプリカ。
なのに感動しちゃう圧倒的な美術館。


大塚美術館3.jpg


だが、本物にこだわる人は期待しすぎない方がいいかもしれない。
かく言う私も初めて訪れた際、ロシアのモナリザとも表現される「見知らぬ女(ひと)」の陶板画を前にがっかりした。
私にとって特別な絵で、モスクワまで追いかけて行ったほど好きな絵だ。
その絵が、そっくりだけど全然違う。
ま、同じなら本物の意味がないのかもしれないが、ということは、本物の価値を再確認できる場所でもあるということか。

大塚美術館19.jpg


確かに本物ではないのでそこに命を感じられはしないが、しかし昨今のように天災や戦争などの人災で本物が失われていく中、記録保存という点においても素晴らしい役割であると思う。

また、私が気に入っているところは空間が見事に表現されているところ。

バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画やスクロヴェーニ礼拝堂の壁画などはちょっとした驚きである。
そして、スクロヴェーニ礼拝堂内で感じた匂い。
気のせいかもしれないが、いつか欧州の古い教会で嗅いだ空気と同じ匂いのように感じた。


大塚美術館16.jpg

そして、陶板だからバンバン写真に撮れるし、触ることだってできる。
「モナリザ」や「真珠の耳飾の少女」と一緒に写れるのも人気のひとつ。

「モナリザ」と同じポーズで写真に納まる2人の男子高校生に、なんだか微笑ましいものを感じた。
気取って鑑賞するよりもうんと作品に近づける、そんな風に私は思う。
触ることができるというのも、芸術に接する上でとても貴重なことだと思う。

また、モネの「睡蓮」といえばオランジュリー美術館でも光にこだわった展示方法を工夫しているが、ここならモネが追い求め続けた天然光の下で見ることができる。
光に色あせないというのも陶板画の強みだ。

失われた遺産を復元できるところも凄いと思う。


大塚美術館18.jpg


あまりの広さと数の多さで半日以上滞在しても一部分しか見ることができなかったが、かなり楽しめた。
あとになって足の痛さと目の疲れ、どっとくる身体の重さに、意外と夢中になっていたんだと気付かされた。


それにしても、美術館で出会った高校生の礼儀正しさと絵画に対する造詣の深さには感心した。
エレベーターでは、すれ違い様に「失礼しました」と言われた時は思わず振り返って顔を見てしまった。


あらゆる意味でこの大塚国際美術館が今後も役立ってくれることを楽しみにしている。



大塚美術館10.jpg





鯉のぼり。

毎年この季節、徳島県の大歩危峡まで鯉のぼりの川渡しを見に出掛ける私だが、

でも、一番好きな鯉のぼりはやっぱりこの景色。


こいのぼり.jpg


四万十川が発祥の川渡しは、いつのまにか数を競って町おこしの一環になってるみたいだけど、

鯉のぼりはやっぱり一軒一軒の庭先で、甍の波の上を家族揃って泳いでもらいたい。


こいのぼり2.jpg


気持ちよさそうにたなびく鯉のぼりをあちこち眺めながら、今日は徳島の美馬市にあるギャラリーカフェを訪れた。

今回は、「トラビス・フリンクガラス展」。
最終日の今日は作家のトラビスさんも来店されていた。

トラビスさんは、アメリカはコロラド州出身で現在は徳島在住の38歳。
どこか原住民のアートともつながるような作品から、着物のデザインにもなりそうな古風な日本を表した作品、オーロラをイメージして作られたものまでと、幅広く楽しめた展覧会だった。

一枚、オーロラの花器を写真に撮らせてもらった。
和室に牡丹とガラス製の花器の面白い組み合わせ。

トラビス・フリンク ガラス展.jpg


和菓子・藤.jpg

最後は藤見で一服し、再び家々を泳ぐ鯉のぼりを眺めながら帰路についた。


やっぱり鯉のぼりは屋根より高い景色がいい。






私、変わった。。。

どんどん行こう!


近頃、地元ラブな私。(笑)

それは、一ヶ月ほど前に友達に教えてもらった喫茶店がきっかけになった気がする。

嬉しいことに、わが家から車で10分も掛からないその店は、見上げると葡萄畑が連なる山の麓、私の住む町の外れにある。

納屋を改造したという建物に、今の季節なら奥さま手作りの和風のれんが涼を呼ぶ。
出入口には大きな瓶の中で泳ぐ立派な出目金がお出迎え。

ひと手間もふた手間もかけ、その上にもう一つ手を加えて作られる心のこもった料理の数々は、これほど美味しいものはないと思わせてくれる。

そして あまりにも居心地良すぎて、気が付けば奥さまと大の仲良しになっていた。(笑)

帰り際には、「また遊びに来てちょうだいね。」
「帰りの運転、気を付けるのよ。」
まるで私を近所の子供のように可愛がってくれるのは、「うちの娘の性分とよく似てる」からだろう。

私にとって、今最高に寛げる場所だ。
そこへ、つい先日の土曜日、恩師と親しい友達の2人を案内した。

大好きな人がいる大好きな場所へ、大好きな人を連れて行く喜び。(笑)

2013-06-12すずめ茶屋.jpg

その日も贅沢な朝食を戴き話も弾んだ後、次に徳島は美馬市にある、これまた自慢のギャラリーカフェへとはしごした。

そちらも、見事な和の空間。 
昔から大事に大事に扱われてきた和箪笥の艶にもつい見惚れてしまう。

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ちなみに、その和カフェは徳島在住のブロ友・タケさんからの紹介だ。
教えてもらって以来、何人もの友達を連れていったし、そこで出会ったガラス彫刻家の東條裕志氏とも友達になった。

もちろん、カフェの超美人ママともすでに仲良し。(笑)


そこも居心地良すぎて、その日も気が付けば3時間を優に過ぎるほどお邪魔していた。

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はるばる険しい讃岐山脈を越え、わざわざ県外へそこだけの為に行く。

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だが、また道中も素晴らしいことを付けくわえておこう。

以前、世界を駆け巡る大阪の友達が、こんな嬉しいことを言ってくれた。
「四国には、神様がいっぱい居そう!」

そうなんだ! まさに、徳島はそんな場所。
秘境と呼ばれる山間部ではとりわけ思う。

それは、大仏様のような大きな神様が、偉そうにデンッとご鎮座遊ばされているのではなく、
道端のお地蔵さんのような、小さくて可愛い神様達がいっぱいいっぱい手を振ってくれている、そんな感じだ。


私は土佐生まれの讃岐人ではあるが、徳島の魅力なら永遠に語れそうだ。(笑)

いや、狭い四国。 香川も徳島もありゃしないだろう。
私にとって地元とは、四国全て、、、

いやいや、徳島と同じだけ気に入っている岡山も、大学時代を過ごした広島も、
よくドライブに出掛ける島根も兵庫も私の地元。(笑)


近頃、地元ラブラブなpicchukoなのである。

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え? 店の名前?
そんな貴重な情報、そう簡単に教えてあげるわけないじゃないか!(笑)

今日は、秘境の秋。

小さい秋を集めている私は、今日は徳島県三好市の大歩危峡まで走ってみた。

まさに山の麓の裾模様はこれからといったところ。

だから欲張って、もう少し山奥の秘境と呼ばれる祖谷のかずら橋まで足を伸ばした。

Picture110612_111608-1.jpg

たぶん、今はかずら橋よりもその道中の紅葉が人を喜ばせる。


深緑をバックに赤や黄色や黄緑色が錦を織り、時折 紅を差したような はっとする鮮やかな色に目が覚める。

昨日までの小さい秋は、知らぬ間にここまで深まっていた。

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誰のしっぽ?


秋はかくれんぼの季節でもあったりして。(笑)

大歩危で詠む。

岩はしる 水をも染めし 紅葉かな

今から80年ほど前のこと。
祖父(母方)は、俳句仲間とともに徳島県の大歩危峡へ紅葉狩りに出掛けました。

その時に読んだという この句で、俳句雑誌「ホトトギス」において賞を戴いたそうです。
俳号は「流石子(さすがし)」。

幼い頃に母を亡くし、次から次へと変わる継母のいじめに耐えた祖父は、誰よりも早く独り立ちをしたものの、常に心に孤独を抱えていました。
俳句を始めた当初の俳号は「孤舟(こしゅう)」、後に 流れる石の子と書いて゛さすがし"と改めました。

* * *


先週末、母と二人で大歩危峡へ行って来ました。
祖父の句を思い出し、「どの辺りで詠んだんだろうね~」って会話しながら。。。

それは雨降りの後だったせいか、深い渓谷を囲む四国山地の山々には濃い靄が立ち上っておりました。

連なる山々に靄が上る その幻想的な情景は、まるで水墨画の世界に迷い込んだかのよう。
ところどころ、靄の向こうに赤く染まった紅葉が目にとまります。

しんなり湿ったカエデの葉は、むき出した岩々に溶け込んで、晴れた日の趣きとはまた違った姿を私達に見せてくれました。

*

「水走る 岩をも染めし 紅葉かな」
間違って、私は祖父の句をそう読みました。

「水と岩が逆になっちゃったじゃないの。」と母。
「いいの! 靄で湿ったカエデの葉が岩をも染めてるって、そういう句なの!」 私はムキになってそう言いました。

「でも、水走る…、ではおかしいでしょ。」



靄のぼり 岩に染めいる 紅葉かな (読み人知らず・笑)

少し沈黙が続いた後、「こんなのはどう?」と、母が詠んだ俳句です。

大歩危で詠む


奥祖谷二重かずら橋。

奥祖谷二重かずら橋

~剣山(標高1955m)を源とする祖谷川の清流をまたぐ奥祖谷のかずら橋。
 その昔、平家の落人が源氏の追手を防ぐため、いつでも切り落とせるように「しらくちかずら」でつくったと伝えられています。~


平家の悲話が残る、徳島県祖谷(いや)地方。
そこは日本三大秘境とも謳われ、今なお物悲しい雰囲気を漂わせています。

そんな山道をクネクネと車を走らせ、有名な『祖谷のかずら橋』へ行って来ました。
それも、すっかり観光地化された西祖谷のかずら橋ではなく、もっともっと祖谷川を上流へと進み、秘境の趣きたっぷりの『奥祖谷二重かずら橋』を訪ねました。


真夏の暑さを忘れさせてくれる祖谷川の澄んだ青さは、その水面に古くから伝わる伝説を映し出しているかのようでした。

まるで平家の落人が都をしのんで奏でた琵琶の音色が、どこからともなく聞こえてくるような、、、
壇ノ浦の合戦ではありませんが、まさに小泉八雲の描く世界に似てるかも。

奥祖谷二重かずら橋

奥祖谷二重かずら橋

奥祖谷二重かずら橋


* * *

゛平家物語"の名場面「扇の的」で知られる屋島(香川県高松市)の合戦、続く志度での戦いに敗れた平家の一族は、ご存知のように関門海峡の壇ノ浦まで退き、最期の決戦に挑みました。

その壇ノ浦の合戦において、三種の神器と共に入水した安徳天皇と平教経。
平教経とは平清盛の異母弟・教盛の次男であり、平家随一の猛将でした。(幼名、国盛。)

平氏一門は安徳天皇と共に壇ノ浦で滅亡した、、、そう教科書では習いましたが、ここ祖谷地方にも また別の伝説が残っていました。

*


屋島の合戦に敗れた平教経 率いる30名の残党は、讃岐山脈を経て阿波の吉野川を遡り、深い渓谷の奥へ奥へと逃げ隠れました。

教経は、幼い安徳天皇に三種の神器の一つ・草薙剣を持たせ、平家再興の望みを抱いて東祖谷地方へ落ち延びたというのです。

祖谷地方には、教経が屋島より奉持してきたと伝えられる日本最古の軍旗「平家の赤旗」や「安徳天皇御火葬場」など、平家の名残りが数多く見られます。


そんな平家の落人が、剣山の馬場に通うために架けたと言われる『奥祖谷二重かずら橋』。
剣山山頂(平家の馬場)では、落人達が再起を期して軍馬の調練をしていたのだとか。

そして、その剣山(つるぎさん)の名前こそ、安徳天皇の剣が納められたことに由来すると言われています。


ただでさえユラユラ揺れるかずら橋の上を歩くだけでも怖いのに、ここに眠る平家の落人達の無念さを思い起こすと、真夏の炎天下でも随分と涼しく感じられるかもしれませんね~。
ひゃぁ~!!(><)(笑)

ですが、そこから感じるものは怖さよりも哀れです。。。
                

奥祖谷二重かずら橋

卯建(うだつ)、上がります。

剣山を断念した私達が向かった先は、
香川との県境にある徳島県美馬市脇町の「うだつの町並み」。

ここは、徳島(阿波)を代表する染物・「藍染め」によって栄えた城下町です。


運や境遇に恵まれず、いつまでもぐずぐず出世できないことを「うだつが上がらない」と言いますよね。

脇町では逆に、立派な「うだつが上がっている」趣きのある古い町並みを散策してきました。
        

卯建(うだつ)、上がります




卯建(うだつ)…
それは、ニ階の壁面から突き出した漆喰い塗りの袖壁で、火よけ壁とも呼ばれ防火役目をしていました。
江戸時代、裕福な商屋はこの「うだつ」をあげた立派な家を競って造ったそうです。


* * *

これら「うだつ」もそうですが、徳島でも特にこの辺り(旧美馬郡)で見る民家の屋根瓦の立派さに目を見張ります。

もちろん、家そのものが大きいから均整がとれるのでしょうが、とにかく瓦に施された装飾が凄いのです。
鯱鉾だけならまだしも、中には玄関の屋根の上に雄々しく立ち上がった虎までもいるではありませんか。。。@@

この辺りは裕福な人が多いのかな、、、そして、家に掛けるお金も大きいのかな?

* * *


『卯建あがります。』
町並みにある一軒のお茶屋さんの前で、こんな貼り紙を見つけました。

すっかり体も冷えてしまったし、ちょうどお腹も空いてきたこともあって、その扉を引いてみました。


「そば米雑炊が美味しいですよ。^^」
お店の人の勧めもあって、この辺りの郷土料理だという゛そば米"を用いた雑炊を注文しました。

「吉野川が暴れ川でしたから、昔はここら辺ではお米が採れなかったんですよ。
その代わりに、山の上の方でも採れるそばの実を食べてたんです。」

口に入れてみると、そばの実がぱぁ~と花咲いたような、ぷちぷちした食感で実に食べやすく美味しいんです。^^

特におだし。
かつおにコンブ、炒子に干し海老・干しシイタケ、阿波尾鶏のだしが上品に仕上げられていました。


「こんなに美味しいものだとは思いもしなかったです。^^」

「そうでしょう~。^^ どうしてもそば粉をイメージする方が多いんですけどね。
それに、なんといっても阿波尾鶏が上等ですから…。(ちょっと自慢気!・笑)
健康食品だし、、、これを食べてたらメタボなんかも解消されますよ。」


その雑炊に入っていたお餅もちょうど搗き立てだったとかで、とっても柔らかかったですよ。^^

父は雑炊を食べた後、お餅の美味しさに「きなこ餅」を追加しました~☆


剣山の「祖谷そば」は残念でしたけど、却ってこちらの方が良かったかも…。
冷えた体もぽっかぽかに温まりました。(o^―^o)



<茶里庵(さりあん)>
徳島県美馬市脇町 脇町うだつ通り
0883-53-8065

「そば米雑炊セット」は、食後の飲み物付きで1000円です。

卯建(うだつ)、上がります

幻の祖谷そば。

もう5年ほど前になります。

私のお姉さん的存在である8歳年上のIさんと、職場ではみんなから゛父ちゃん"と親しまれる愉快なNさんと一緒に、徳島県の祖谷地方にある「奥祖谷二重かずら橋」へ行きました。

二重かずら橋とは、有名な「祖谷のかずら橋」よりもさらに上流、秘境の風情たっぷりの場所に架けられた、男橋と女橋の2本のかずら橋です。

慣れない私の運転であったにもかかわらず、
もともと祖谷出身のNさんが一緒だったことで心強く、渓谷美を楽しみながらの笑いの絶えないドライブとなりました。

その帰り道、もう少し険しい山道を上って、剣山の登山口で名物「祖谷そば」を食べようという話になりました。
寒い冬に仲良くコタツを囲んで食べた祖谷そばの美味しさといったら、それは今でも忘れられません。^^

* * *


今日は久しぶりにお四国さん巡りをしようと、徳島県吉野川市にある第11番札所「藤井寺」へ両親を連れて行きました。

私の頭の中での計算では、
午前10時過ぎに藤井寺を出て、その足であの「祖谷そば」を食べに剣山へと向かうと、たぶんお昼頃には到着するだろう…。

詳しい道順は分からないけれど、ナビもあることだしなんとかなるだろう…、と安易に車を走らせました。


記憶って、かなりいい加減なものですね。(^^;
祖谷といえば、日本でも指折りの秘境の地であり、辺りは断崖絶壁の道のりが続きます。
国道とは名ばかりの、対向車線すらない山道をしばらく走らなければならないのです。。。

5年前のドライブがあまりにも楽しすぎて、その道中の大変さをすっかり忘れきっていました。(T_T)


今回はそんな祖谷のかずら橋方面からではなく、香川県と隣接している美馬市から国道492号線をくねくね南下したのですが、、、、、。

その492号線もクセモノでした。><
途中から438号線とも重複している別名「3ケタ酷道」…

時折り、雨風も強くなります。

1時間近く走ったでしょうか、、、秘境の奥深くに進むにつれて、、、

土砂降りの雨になったらどうしよう。
タイヤがパンクしたらどうしよう。
このまま遭難したらどうしよう。
何かあった時、頼れる人は誰もいないのです。><


初めのうちは緩いカーブに美しい新緑を満喫していたのですが、
どんどん山道を登るに従って、不安な気持ちも膨れ上がっていきました。><


「こんな山奥にも人が住んでるんだねぇ。」
少しでも気持ちを上向きにする為、山腹に見える家々を見上げながら会話を続けました。

ふと、平家の落人伝説を思い出し、、、
都で優雅な暮らしをしていた平家の人々が、辺境の地に追いやられてどれほど大変だったことか…。
その栄枯盛衰を思うと、なんだか胸がきゅんとしました。


そんな時、「剣山まで40キロ」の看板が目に入ります。
ということは、これから先、険しく続く山道をまだ1時間近く走らなければなりません。
そして、その結果 本当に剣山まで行けるのだろうか…。
それさえも信じられなくなりました。><

あ~、もう我慢できない!!
確かに、この程度のカーブならまだ大丈夫かもしれない、、、
ですが、今日のような天候の悪い日に 慣れない山道が後1時間も続くだなんて、もう~我慢できない!!><

せっかくここまで来たのに、私はなんだかとても恐ろしくなってきて、今来たばかりのその道を引き返しました。


あぁ~、あの「祖谷そば」は幻であったか…。(いや、それほどオーバーではあるまい。・笑)

次回はあらかじめこの道のりを覚悟して、再挑戦したいと思います。
それでも、、、他に車の運転ができる人と一緒じゃなきゃ、やっぱり不安になるかなぁ~。。。(^^;

大歩危峡で舟下り。

近くの山も遠くの山も、新緑の眩しさに活き活きとしています。
若葉が盛り上がって、モコモコした感じが可愛らしいですよね。^^


日曜日の午後。
そんな緑を楽しみながら、一路 徳島県の大歩危峡を目指しました!

大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)は、゛四国三郎"の異名を持つ吉野川の中流域に位置する渓谷です。

吉野川は、四国では四万十川と同じくらい有名な川。
水不足に悩む香川にとって、上流の早明浦ダムから供給される水はこれ以上にない貴重なものです。

どうして゛四国三郎"なのかな~と、この際 調べてみました。^^
それは、利根川・筑紫川に次ぐ日本三大暴れ川だからとか…。

なるほど、この大歩危・小歩危峡は日本一の激流らしく、
これからの季節、ラフティングやカヤックの愛好者でとても賑わうようですよ。^^

*

        

大歩危峡で舟下り



ドライブイン「まんなか」からは、舟下りをしながら渓谷美を堪能できます。

初夏の風を頬に浴びながら、新緑と川の青さも楽しもう!
私の町から大歩危まで、片道およそ1時間半のドライブです。^^

そこでは ちょうど、この季節ならではの こいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいました。
(今年はこいのぼりにも縁があるなぁ~。^^;…4/12日記)



大歩危峡で舟下り




思いっきり澄んだ空気を吸って、緑と青さに心清められた私たち。
そして大自然が造り出した美の彫刻と出会う、そんな30分間の遊覧でした。^^

こんなふうに、頭上に泳ぐ こいのぼりを見上げるのもいい気持ちですね~。


大歩危峡で舟下り

大歩危峡で舟下り




舟下りを終えて陸に戻ろうとした時、眼下には一匹の薄いベージュ色した鯉が泳いで来ました。
まさか、こいのぼりが本物の鯉に変身したわけではないわよね~。(笑)

      

大歩危峡で舟下り

3万体のひな人形。

3万体のひな人形


昨日とはうって変わって、ぬけるような晴天の今日、
第20番札所「鶴林寺」のお参りと兼ねて、徳島県勝浦町の「ビッグひな祭り」へ行って来ました!

高さ7メートルのひな壇「100段飾り」を中心に、全国から寄せられた約3万体のひな人形が飾られる、その名の通り超ビッグなひな祭りです。(◎◎)

ビッグひな祭り実行委員会では、家庭で飾らなくなった古いひな人形を引き取って供養もしてくれます。
供養後はこのひな祭りや文化交流に使うとのこと。
ですから、年々その数は増えていくのです。(@@

最近では、ここから7000体のひな人形を譲り受けた千葉県勝浦市でも、同じくビッグひな祭りが開催されているようですね。

期間はどちらも2月20日過ぎから、千葉県では2週間、徳島県は1ヶ月間('09年は3/22迄)です。

* * *

処狭しと並ぶひな人形を、よく目を凝らして見てみると、、、
何故かお雛様よりも三人官女の方に゛べっぴんさん"が多いです。(^^)

お顔がキリリと引き締まり、目もと口元から気品が滲み出ているのは、どれもお雛様ではなく三人官女の特に右端の立った女官。
あれれ? 主役でもないのにぃ~???

もしかすると、現実もそんなものなのかな~、なんて思ったりもしました。(*^^*)

*

時代や地域によって全く異なる個性を放つひな人形。

やはり私は自分の子供の頃に流行ったお顔が好みでした。^^

昭和9年生まれの母の時代は、人形自体が随分と小さくて、可愛いとか綺麗というよりも上品で大人しい面持ちのものが一般的でした。

戦前だったにもかかわらず、一人娘だった母は贅沢にも「御殿飾り」のひな人形を持っていたそうです。
友達から羨ましがられたというその人形は、空襲から守る為に地下室に仕舞いこまれました。
それが却ってマイナスとなり、カビが生えて駄目にしてしまったと、母は今でも悔しそうに話します。

今日は、そんな母のお雛様によく似た人形と出会うことができ、娘に返ったように喜ぶ母の笑顔を見ることができました。^^



3万体のひな人形




そして、母と歳の近い妹を持つ父ですが、子供時代をソウルで過ごした父は「御殿飾り」を見るのは今回が初めてだと言います。
叔母のお雛様は、現代のものと同じく背後に屏風が飾られたものだったとか。
ですから、珍しいこれらのお雛様を興味津々で見入る父もかなり満足気でした。


これほど様々な種類のお雛様を前にすると、各々の思い出と照らし合わせて鑑賞できるので面白いですね。

* * * * * * *

ここ数年、ず~っと眠りっぱなしの私のお雛様、来年こそは飾ってあげようと心に決めました。
(*^―^*)

も、もしも髪の毛が伸びていたらどうしよう?!(><)

ドイツさん♪

ドイツさん


'06年に公開された映画「バルトの楽園(がくえん)」の舞台となった『板東俘虜収容所』。
そこは、日本で初めてベートーベンの交響曲第九番が全曲演奏されたことで有名な場所です。

その第九のふるさとに『ドイツ館』が建設され、当時の様子を今に伝え、ドイツとの友好の掛け橋となっています。
徳島市内から車でおよそ20分、四国霊場第1番札所「霊山寺」の近くにあります。

* * *

『板東俘虜収容所』には、第一次世界大戦中に中国・青島での戦いに敗れたドイツ兵俘虜のうち、約1000名が収容されていました。

"収容所"と聞くだけで、私はあのアウシュヴィッツなどの恐るべき殺戮の場を想像してしまいました。
ところが、この収容所には暗さがないのです。
新しく清掃の行き届いたドイツ館からは、逆に気持ちの良い憩いの場のような空間を感じます。

それもそのはず。
収容所の所長・松江豊寿氏は、「捕虜は愛国者であって犯罪者ではないので人道的に扱うべき」と彼らの人権を守ったのですから。
時代背景を思うと、松江所長は自分の首をかけて彼らの為に創意工夫と努力をされたのですね。

朝の点呼以外は比較的自由が許され、彼ら自身で管理運営を任された様々な活動が行われていました。
音楽活動や演劇もそのひとつ。
それらから地域の人々との交流も生まれ、板東では俘虜たちを「ドイツさん」と呼んで慕っていたそうですよ。^^
敗戦後のドイツに帰国した人からは、板東収容所での生活の方が随分と良かったとの声もあったといいます。

* * *

さて、ベートーベンの「第九」が板東の人達の前で演奏されました。

ドイツ人にとって音楽は生きる上でかかせないもの。
特に彼らの心の支えであった「第九」は、私の住む隣り町にあった「丸亀俘虜収容所(塩屋別院)」でもよく演奏されていたと亡き祖母から聞いたことがあります。
後に丸亀のドイツ兵捕虜たちも板東へ移送されました。

「第九」の最も有名な合唱部分は本来ならば混声です。
しかし収容所には男性しかいませんので、女性のパートを男性用に編曲して歌われたのだとか。

合唱部分の終楽章は「全人類が同胞になる」というヒューマニズムの理想を歌い上げたものですから、ドイツ兵と板東の人達の友好に最も相応しいものだったのでしょう。


そこに立つだけで今でも心がポカポカしてくる、そんな心の交流が感じられるここ「ドイツ館」。
ドイツの国も人も尊敬する私にとって、また訪ねてみたいなぁ~と思わせてくれる場所でした。
ドイツから輸入された美味しいお菓子やビールも沢山売られていますしね♪^^


「鳴門市ドイツ館」HP : http://www.city.naruto.tokushima.jp/contents/germanhouse/

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