I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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これは、もう罪。

この美味しさは、もう罪だと思う。

しまなみ海道への道中、石鎚山SAで買った愛媛ブランド『紅(べに)まどんな』。
このSAのマルシェでは、季節ごとのみかん生しぼりジュースを楽しめるので、よく立ち寄る。
そして少し割高にはなるだろうが、ここで買うみかんはいつも満足できる美味しさでおススメだ。


この時期、近ごろは当然のこと紅まどんながずらりと並ぶ。
「樹になるゼリー」と評される紅まどんなはオレンジ色の見た目も美しい。


マルシェを一巡しながらも目はを追う私に気づいたのか、店員さんが声を掛けて来る。

「私も柑橘類で一番紅まどんなが好きです。」


「贈答用なら紅まどんながよろしいかと思いますが、ご自宅用でしたら媛まどんなで十分ですよ。」

「でも、は外れもあるんですよね。」


紅まどんな』には同品種に『媛まどんな』がある。

以前私はこの店で、はJA全農えひめが扱っている商品で 一定の品質基準をクリアした外れのないもの、の方は当たり外れがたまにあると教わっていた。

「確かに、紅まどんなは厳しいチェックに合格したものばかりなので間違いはないですが、の方も美味しいのを見分けるコツがあるんですよ。」

「触ってみて、なるべく柔らかいのを選んでください。」

お店の方が持ってきてくれた、少しぷよぷよ感のある媛まどんなを手に取った。

「これは熟して柔らかいわけではないんです。」
「このは決してに負けない味だと思います。」

一個1000円近くはする紅まどんなと比べると低価格で迷いなく手を出しやすい。
私は手にその感触を覚えようとした。


「じゃあ、媛まどんなを・・・」
と私がレジに向かおうとしたとき、「どちらもください」と背後に母。

「そんなにいっぱい買ってどうするの?」
「美味しいんだから、両方買ったらいいじゃない。」

「この時期なら、常温で2週間くらいはもちますから」と、店員さんも母を後押し。




これは、もう罪



しかし、美味しい。
ほんと、この美味しさは、もう罪じゃないかと思ってしまう。

好き好きだろうが、私は『まどんな』を食べてしまうと、昔大好きだった『せとか』をはじめ、どのみかんも残念に感じてしまう。


そして、愛媛県人のみかんに対するプライドに、毎度感服する瞬間。

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日本総鎮守参詣

三年連続、古代より日本総鎮守と尊称される大山祇神社を参詣。


日本総鎮守参詣


御祭神は大山積大神。
風光明媚なしまなみ海道の真ん中、ここ愛媛県は大三島に鎮座したのは推古天皇二年、594年と伝えられている。

大山積大神は山の神であり、海の神、産土の神。
全国にある大山積神(大山祇神)を祀る神社の総本宮でもある。


朝廷より日本総鎮守を下賜され、天皇や多くの武将がこぞって宝物を奉納するような由緒ある神社が何故このような瀬戸内の小島にあるのかは学者さん達に任せることとして、日本の古い歴史に想いを馳せここに立つとき、なるほどなと思はざるを得ないのも確か。


日本総鎮守参詣


神社の周りには国の天然記念物に指定されているクスノキ群があり、樹齢2600年の御神木をはじめ、日本最古の楠「能因法師雨乞の楠」は伝承樹齢3000年といわれている。

日本総鎮守参詣

日本総鎮守参詣

残念ながら雨乞の楠は現在枯死しているのだが、まるで彫刻のような美しさで、私は何度出会っても感動する。
日本の総氏神さまにふさわしい老木に、身の引き締まる思いと安らぎとの両方の思いを抱いてしまう。
そして、私にとって大山積大神さまを身近に感じられる場所でもある。

大山積大神は霊峰富士の御山に鎮座するコノハナサクヤヒメの父神にあたる。
昨年、富士山と縁のある一年になったのも初詣にここ大山祇神社を参詣したおかげかもしれない、とふと思った。
ならば、今年もと思ってみたり。
もう一度富士山を訪れる機会があればその時は、コノハナサクヤヒメを祀る富士山本宮浅間大社にも足を運んでみたい、そんなことを思いながらの帰り道となった。


日本総鎮守参詣

日本総鎮守参詣


そして、大三島に来たらやっぱりこれでしょ。
神島(みしま)まんじゅう。
出来立てをホクホクと戴く幸せ。
お店の方は村上水軍の末裔なのか?、店の名に気づいたのも帰り道。
次回、尋ねてみようと思っている。


皆さま、あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

明日は七草がゆの日ですね。

空にしられぬ雪ぞふりける

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


昨日は愛媛県今治市の大山祇神社に参詣しました。

空にしられぬ雪ぞふりける

空にしられぬ雪ぞふりける

こちらは芸予諸島の大三島にあり、しまなみ海道を渡ります。
しまなみの風光明媚な景色もさることながらこの神社の厳かな雰囲気が大好きで、少し遠出ではあるものの、時々お詣りさせていただいております。

空にしられぬ雪ぞふりける

樹齢2600年の御神木を前にすると、それだけで神代時代からのパワーを戴けるようで、気持ちも一段と引き締まります。

おみくじは大吉。
母が凶を引いたので、二人合わせて末吉くらいでしょうか。笑
良すぎるのも気が緩みがちになりますので、それくらいの方がよしとしておきましょう。

おみくじに書かれた御歌は、

桜ちるこの下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける (紀貫之)

桜の花びらを雪に例えた美しい歌です。
空にしられぬとは、つつましさを感じられる素敵な表現だなと、貫之の豊かさを感じずにはおられません。
今年、私もこのような感性を磨けたらと思いました。


そして本日、七草粥を戴く日。

空にしられぬ雪ぞふりける

新しい一年が皆様にとっても無病息災でありますように。




大洲の臥龍山荘。

この頃、よく愛媛へと足を延ばす。

波長が合うのだろうか。

今手に取ってる本までも、松山が舞台の「坊っちゃん」である。
それは、二宮くん主演の新春ドラマが思いの外面白くて、それに感化されたわけだけれど、
しかし、まぁ夏目漱石という人物は松山と松山の人々のことをああも貶して書けたものだ。(笑)

しかも松山は、それを逆手にとって町の個性にしちゃうあたり、やはり私は愛媛が好きだ。


年が明けて10日あまり、すでに二度も訪ねている。

来年にも道後温泉本館の耐震改修工事が始まるらしく、「坊っちゃん」ゆかりの温泉はそれまでに改めて足を運ぶことにして、

二日には大洲の臥龍山荘へ、昨日はしまなみ海道を渡って大三島の大山祇神社へ参拝に出掛けた。


その臥龍山荘とは、なんてことない町を流れる肱川の畔に建つ明治時代の山荘なのだが、
こんな田舎町の山荘がどうしてミシュランに選ばれているのか不思議だった。


2016-01-02 04.臥龍山荘


また、行く人行く人揃って「いい処だ」と言うものだから、ずっと気になっていたのだ。

だが、訪れてみて納得。

2016-01-02 02.臥龍山荘

足元に置かれた花弁の愛らしさに心を掴まれ門をくぐり、母屋の欄間の細かすぎる透かし彫りに息を呑む。
苔むした表情もまたいい。

各所に施された粋な計らいに何度も何度も驚かされた。

その憎いほど行き届いた心配りに、大洲の懐の深さを見たようだった。

そして、これが例えば京都の鴨川沿いにあったんじゃあ、大してつまらなかっただろう。


ここは道後の湯に負けていない思う。

ここで日がな一日、ぼんやりと肱川を眺めるも良し、愛媛ゆかりの小説を読むも良し。

松山やこの辺りは俳句や和歌が自ずと生まれる土壌もある。
その落ち着いた趣きは、新春を迎えるのにふさわしい場所だった。


坊っちゃんも連れて来てあげたかったな。
曲がったことが嫌いで喧嘩っ早い江戸っ子気質の坊っちゃんが、風流を愛でたかどうかは別にして。



               2016-01-02 06.臥龍山荘




内子を旅する。

子供の頃は同じ四国内と言っても遠い遠いところだと思っていた愛媛県の南予地方も、道が良くなった今では気軽に日帰りできるようになった。

最も南西部にある宇和島市へは3時間半、芝居小屋の内子座で有名な内子町へは高速に乗れば私の町から2時間で行ける。
それでもどこか縁遠くて、南楽園へ花菖蒲を見に行くほかは松山より向こうへ足を延ばすことはなかった。


ところが数ヶ月前、
「この前ね、テレビで内子の木蝋資料館上芳我邸(かみはがてい)が映ってて、なんかすごくいいところみたいだから、一度連れてってもらいたいわ」と、以前の勤め先の元施設長から電話があった。

「か、かみは? そのかみはなんとかって何ですか?」
無知な私は、読み名もわからなければ、上芳我邸という漢字なんて想像すら出来ない。

「昔、木蝋(もくろう)で財を成した豪商の大きなお屋敷よ。」
と言われても、「はあ、木蝋ですか、、、。」といった具合だった。

それから数日後、外出先に再び電話があり、
「さっき、うちにジパング倶楽部のパンフレットが届いたんだけど、そこに今度は下芳我邸っていうのが載ってるわ。」

「はあ、しもはがていですか。」
「前に言った上芳我邸と関係があるのかしらね。」
「はあ、、、。」


こうして、内子といえば内子座しか知らなかった私が内子町へ行くはめとなった。


内子町は、明治末期から大正にかけて、木蝋や生糸の生産で栄えた町。
とりわけ国内最大規模の製蝋業者であった本芳我家と、その分家であった上芳我家、中芳我家、下芳我家らによって一大繁栄を築いてきた。

今でも保存されている昔の町並みには立派な蔵構えがずらりと並ぶ。

そして、その有志らの出資によって地元の人々の娯楽の場として建てられた芝居小屋が内子座である。


2015-11-19 1.内子座


木蝋資料館である上芳我邸も、現在お蕎麦屋さんとして賑わっている下芳我邸も町を代表する名所であるが、内子といえば内子座と頭に刷り込まれている私たちが一番最初に訪れたのは、その内子座だった。


なぜか見物客が少ないといわれる木曜日、ぽつりぽつりとお客がいるだけで、思いのほか寛げる。

芝居小屋といえばわが香川県には日本最古の金丸座があるのだが、この内子座は金丸座よりこじんまりとしているものの、その佇まいは決して負けてはいない。
むしろ、客席と舞台は近く、花道と客席の段差が小さい内子座の方が、きっと贅沢に演者と向き合えるにちがいない。

2015-11-19 2.内子座

金丸座が故中村勘三郎さんの思い入れが特別強かった芝居小屋であったならば、内子座は人間国宝である坂東玉三郎さんが贔屓にされる芝居小屋。
内子座が金丸座に引けを取らないのも納得できる。


その場所で、地元の中学生たちにアンケートをお願いされた。
「どうして内子に来られたのですか? 内子座の良さはなんですか?」

その後も何人もの中学生に同じ質問をされたから、きっと校外学習の一環なのだろう。

玉三郎さん好きの上司は毎回丁寧に答えていた。
「それに、内子はノーベル賞を受賞された大江健三郎さんの故郷でもあるので、一度来てみたかったんですよ。」


たぶん、他にほとんど客のいなかった今日のアンケートは、みんなほぼ同じ答えになるんじゃないか。
真剣に答える上司と、少し難しい話になると目が泳ぐ中学生たちを交互に見ながら、そんなことを思って一人可笑しくなっていた。


その後は定番のコースを巡った私たちであったが、そう大きくない町でも一日では回り切れない見どころがある。


2015-11-19 6.中芳我邸



次回、そう遠くない先に訪れるのを楽しみに、そのときも下芳我邸ではお蕎麦を、上芳我邸ではお抹茶と愛媛の伝統和菓子「ゆずっ子」を戴きたいと思っている。


2015-11-19 4.下芳我邸

2015-11-19 8.上芳我邸

今年も南楽園。

昨年の6月1日。
父の日でも母の日でもない、なんでもない日曜日であったが、両親を連れて愛媛県は宇和島市にある南楽園へ花菖蒲を見に行った。

片道230kmの運転も、もうその頃には苦にならないくらいドライブ好きな私だった。


すでに足腰が弱っていた父のため受付で車いすを借り、のんびり押しながら庭園を歩く。

大きく2つの池に分けられた広大な庭園には、西菖蒲園と東菖蒲園におよそ3万株、25万本の花菖蒲が植えられており、とりわけこの季節は賑やかになる。


南楽園.jpg

南楽園3.jpg


車いすを借りたものの、うっかり座布団を持ってくるのを忘れ、「尻が痛い、痛い」と父に文句を言われながらの散策であったが、柔らかく大きな花菖蒲の花弁の波は私たちをひと時楽しませてくれた。

そして、それが父との遠出の最後の想い出となった。


南楽園5.jpg


あれから一年、また花菖蒲の季節がやってきた。

「南楽園に行こうか。」
どちらからともなく声を掛けた。

一年、母も歳をとった。


南楽園10.jpg


南楽園6.jpg


南楽園7.jpg


南楽園12.jpg


来年もまた来られますように。


南楽園8.jpg



ふくよかな花弁をかすかに揺らす風が、ほのかな雨の匂いを運んでいた。




花より団子。

「先日テレビでね、松山の椿が見事に咲いているのが映ってたの。」
もう半月以上も前、元職場の上司から電話があった。

椿は松山市の花であり、町の至る所に椿や椿にちなんだものがあるんだそうだ。
椿好きの上司は、「松山市の観光課に電話したら、松山総合公園という所に椿園があって、それが4月まで見頃だと教えてくれてねー」と、声を弾ませていた。

当初、3月19日に松山行きを計画していたのだが、あいにくの雨降りで、後日に伸ばそうということになった。


松山総合公園・椿6.jpg


「31日はどうですか?」 先週上司にメールをすると、二つ返事で「OK!」とのこと。
椿もいいけど桜もそろそろかなーと、淡い期待も半分あった。


松山総合公園・椿8.jpg

松山総合公園・椿3.jpg


椿の予想を超える量と品種の数に驚きもし、期待以上にソメイヨシノが見ごろを迎えていたことにも驚いてしまった。

今朝の桜開花情報には「咲きはじめ」と記されていたのに、あっという間に満開になったようだ。


松山総合公園の桜.jpg



陽射しも一気に強くなり、椿はもちろん桜さえも季節外れみたいに暑くなった。


温泉で汗を流すのもいいかなーと、だが温泉には入らず道後温泉商店街にある団子屋へ。
このいかにも団子!という三色団子を時々無性に食べたくなる。

大きな団子は普通の坊ちゃん団子9個分だと言っていた。(笑)


坊ちゃん団子.jpg

道後温泉.jpg



まずは元気に「ただいま!」です。

GWから早10日。
帰国後はなにかとバタバタして、何から書こうかな~と思っている間に10日間が過ぎてしまいました。

遅くなりましたが、まずは元気に「ただいま!」です☆^^

ドイツでの僅かな3日間はお天気もそこそこ恵まれて、夏日の日もあり、ビールを飲むのに良い季節でした。
ただ、いつもとは違い、名所の観光一切なしの今回の旅。
その上、ここはドイツ?と疑ってしまうほど、トルコ色の濃い時間だったようにも思います。(笑)

そんな旅行記は今後ゆっくり進めていくことにして、今日はまず別の話題を…。


* * * * * * *


愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶ「しまなみ海道」。


瀬戸大橋や明石大橋のような経済的メリットは少なさそうな海道ではありますが(笑)、

瀬戸内に浮かぶ島々を眺めながら、青い海と緑色の島々に架かる白い橋のコントラストを楽しみながらのドライブなら、ここが一番!かな。^^


そんな「しまなみ海道」を、先週の土曜日、一日早い母の日のプレゼントとして母娘三人でドライブしてまいりました。


2012-05-13 09:04:56

2012-05-13 09:06:10


その「しまなみ海道」のちょうど中央に、大三島という愛媛県で最も大きな島があります。

かつて神の島と崇められ、中世においてはここを拠点に三島水軍が活発に活動しておりました。


そして、この島には天照大神の兄神である大山積神を祭神とした有名な「大山祇神社」があります。

日本の神社の中でも由緒ある古~い神社で、平安時代には朝廷より日本民族の総氏神として「古来日本総鎮守」の号を下賜されているそうです。

どうやら神武天皇の御代より神地と定められているみたい。


           2012-05-13 09:06:26
堂々と彫られた『大日本総鎮守大山祇神社』の文字は、伊藤博文公が書かれたもの。


ですから、ここは古くから朝廷や武将などの要人達がこぞって参拝をし、数々の宝物を御奉納している国宝の島でもあるのです。


「全国の国宝や重要文化財に指定されている甲冑のおよそ8割が、ここに納められています。」
JTBのツアー客に混じって、こっそりガイドさんの話に耳を傾けていました。(笑)

「みなさんはお時間がありませんので、中には入りません。」
え"~???
ここまで来て宝物館に入らないなんて、それこそ仁和寺にある法師ですよ~!

「きっと入場料の1000円が高くて、ツアーの行程から外されたのよ、きっと!」
な~んて、姉にこっそり耳打ちし(笑)、私達は宝物館に入場です。


「ここね、10年くらい前に職場の仲良しさんと一緒に入ったんだけどね、、、
I崎さんったら、宝物館にいる間中、お腹がキリキリと痛んで、、、でも、ここを出るとケロっと治っちゃったんだよね~。」
これ、本当の話です。

それくらい無数の甲冑と刀がずら~っと一堂に会されています。

その一つ一つが、何も分からない私でも溜め息がでるような立派な品々。

とりわけ刀は見事なまでに研ぎ澄まされて、妖しいほどに輝きを放っていました。
それは、思わず吸い込まれそうになるほど!

「うわ~、観てるだけで斬られた気分になっちゃうわ!」
つい「痛そう!」って口から出ちゃいます。(笑)

見下ろすと、そこに連なるのは無知な私でさえも知っている歴史上の人物達。

源頼朝に源義経、弁慶、巴御前、平重盛、、、
時代をもっと遡って斉明天皇や天智天皇が納められた鏡などもありました。

「これも、これも国宝だよ!」

「こんなにまで集められていることも凄いけど、こんなに古い時代のものが今まで揃って無事に残ってるっていうのも凄いよね。」
「やっぱり島というのが良かったのかな?」

ここが初めてだという母も姉も、その宝物の数と質に驚きを隠せないようでした。

2012-05-13 09:08:39

しばし時を忘れて見入った宝物殿を出て、私達はもう一度境内に戻りました。

2012-05-13 09:08:16



それは、再び御神木である大楠を見るために。

2012-05-13 09:08:00

大山祇神社の正面には、樹齢2600年になる楠が今も堂々たる姿で参拝者を出迎えてくれています。

そう、この楠こそ、私のお気に入りパワースポット!

2012-05-13 09:07:15

2012-05-13 09:07:33

残念ながら手に触れることはできないのですが、漲るパワーだけでなく、2600年の歴史に対する誇りというものが、この木からは滲み出ているような気がします。

この神社には楠群が生い茂り、それらは天然記念物に指定されています。

中には樹齢3000年という大御所も。。。
といっても、こちらはもう枯れてしまっているのですが、それでもこの貫禄です。
2012-05-13 09:06:51


胸いっぱい澄んだ空気を吸い込んで、新緑の瑞々しさと眩い太陽に手をかざし、

ちょっと贅沢な昼下がりとなりました。


う~ん、やっぱり「しまなみ海道」ドライブは最高だな~。^^

ここ、私のいちおしです☆

私も見つけたっ!ハートストーン☆ 四国最西端の旅!

お彼岸の頃のこと。

何を思ったか、急に何かを制覇したくなって、四国の最西端・愛媛県は佐田岬へ行って来ました。

四国の西の果てに細~く伸びた、あの半島です。

半島の先を少し伸ばせば、そこは九州・臼杵市です。


思い立ったのが午前10時半過ぎでしたので、寄り道もせず、ただひたすら走るだけ。


香川から高速で松山を抜け、伊予の小京都と呼ばれる大洲のICで降りるのですが、

そこからが意外と長くて、片道200kmほどなのに車で4時間以上掛かりました。

ですが、四国最南端の足摺岬と比べると、半島に伸びる道は整備され、ドライブコースとしては最適です。

2012-04-01 11:07:44

駐車場から灯台までは片道1.8km。

楽勝じゃ~んっ!と、椿の木に覆われた小道を歩くこと数分。


げ、これ下り坂じゃん! げっ、これを帰りは登るのか?(><)

せめてスニーカーで来ればよかった~!

車から灯台まで そんなに歩くこともないだろうと、この日の私はパンプス(フラットタイプですが)を履いていたのでした。(><)


強風の為、木々は傾いているし、、、。

と、なんやかんや言いながらも、それでもなんとか半分まで到達。

2012-04-02 21:42:55

ほんの少し、瀬戸内とは違う海の色が見えてきました。

それに励まされ、その先の坂も結構辛かったけれど、なんとか展望台まで辿り着きました。

2012-04-01 11:09:06


「おぉ~~~~~~~い!」
大分に住む、親友・Tomoyoに大きく手を振ってみました。

「おーい、ぴちゅこぉぉぉぉぉ~~~~~!」
なんだか、彼女の返事が聞こえてきそうな気がしませんか?(笑)


もう一度、手を振ろうとした時(爆)、誰かが展望台へ上って来たのでそそくさ退場。(^^;

急ぎ足でもと来た道を歩いていると、あ! 私も見つけた!


見つけたよっ! ハートストーン!!!


足元に敷き詰められた石の中に、かなりイビツではありますが、かろうじて(苦しいかな。笑)ハートの形をした石を見つけたのです☆

2012-04-01 11:08:27

え"~? ハートじゃないじゃん!なんて言わないで!(爆)


実は少し前、ブログのお友達・Belgische_Pralinesさんが長崎で見つけた可愛いハートストーンの写真をアップされていて、すご~く羨ましかったのです。(*^^*)


な~んか、幸せを見つけた気分じゃな~い!(*Ü*)

四国最西端も制覇したことだし!

上機嫌で再び車を飛ばし、私は帰路につきました。


*

その数日後、毎日新聞に佐田岬の広告が載っておりました。

お~お~、私が制覇したところだっ!

満足げに新聞を広げていると、、、、そこに書かれた小さな文字に絶句☆


日本一細長い佐田岬半島を西へ走り続けると、紺い海と青い空の中、目にも鮮やかな白亜の灯台。

夜間航行の船を安全に守り、人びとの無事を祈って、はるかかなたまでその灯をともす。

ここを踏んで佐田岬の旅と言われています。



あ"~~~、踏んでないじゃんっ!(T_T)

私ったら展望台で満足して、岬の先に立つ灯台まで行かずに帰ってしまったのでした。(爆)

これじゃ~佐田岬を、四国最西端を制覇したことにならないじゃんっ!(><)

あ~ん(><。)、出直しです。(苦笑)

坊っちゃん列車。

ポッポ~!

夏目漱石が「マッチ箱のような汽車」と表現した蒸気機関車が、ディーゼル車として半世紀ぶりに復活しました。(2001年~)

松山の城下を元気よく走る『坊っちゃん列車』は、まるで現在の松山の活気を象徴しているかのようでした。


ちょうど私が伊予鉄道の道後温泉駅前に立ち寄った時、ホームに列車が入って来ました。
      

坊っちゃん列車

思わずカメラを構える私に、「私がシャッターを押しましょう。^^」
振り返ると、まるで小説『坊っちゃん』から抜け出してきたような青年が、ニコニコ笑っておりました。

パラソル片手にマドンナお姉さんと、袴姿の坊っちゃんに扮したお兄さんが、列車の時間に合わせてお見送してくれるようです。


゛いで湯と城と文学の町"松山観光にとって、すでになくてはならない『坊っちゃん列車』。
伊予鉄道では、列車が現在どの位置を走っているのか、携帯電話からチェックできるサービスも行っています。

*

こちらの箱車は、伊予鉄道創業当初(明治21年10月)の客車です。

坊っちゃん列車

坊っちゃん列車

7/15の日記に紹介した、『子規堂』前の広場に置かれていました。


この列車、子規も漱石も乗ったのかな?(^^)

ひとつ屋根の下。

ひとつ屋根の下

俳句を嗜む人にとって、松山といえば真っ先に思い出されるのが正岡子規でしょうか。

それとも、やはり「松山=坊っちゃん」でしょうか。


お恥ずかしいことに、私は小説『坊っちゃん』を読破できておりません。(^^;
(唯一、漱石の作品で読み終えたものは『こころ』のみです。・笑)

ですが、町の至る所で感じられるそのレトロな雰囲気に、いかにも小説の世界を知りつくした錯覚を覚えてしまいます。

*

この小説『坊っちゃん』が生まれるきっかけとなった、夏目漱石の松山赴任。

その漱石の下宿先で、ひとつ屋根の下で、子規も50日あまりの月日を過ごしました。

それが、漱石の俳号をとって名付けられた『愚陀佛庵(ぐだぶつあん)』(↑)です。

この階下に子規が、2階に漱石が暮らしていました。
その間、すでに病気を患っていた子規は、療養しながらも句会などの活動を続け、漱石もそれに同席していたとのこと。

ここで子規は著書『俳諧大要』を残し、子規の影響を受けた漱石は創作に目覚めました。


              

ひとつ屋根の下
子規が居候した階下の間です。    


当時のものは、昭和20年7月の松山大空襲によって焼失してしまいましたが、
その姿は復元され、現在は松山城の麓、゛坂の上の雲ミュージアム"・"萬翠荘"の裏手に存在しています。

* * *

(以下、Wikipediaによる)

漱石と子規は第一高等中学校時代の同窓生でした。

子規と漱石の出会いは、学友たちの間で回覧されていた子規の手がけた文集に対し、漱石が巻末にその批評を漢文で書いたことから始まったと言われています。

その頃、子規の数多いペンネームの一つであった゛漱石"という名を、金之助(夏目漱石の本名)が譲り受けました。
それは、唐の故事『漱石枕流(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)』から取ったもので、負け惜しみの強いこと、変わり者の例えなのだとか。(笑)


また、漱石の処女作である『吾輩は猫である』は、子規の一番弟子であった高浜虚子の勧めで『ホトトギス』から発表されました。

*

日本における大文豪゛夏目漱石"は、子規との出会いで人生が大きく変わっていったのですね。
正岡子規とは、一体どんな人物だったのでしょうか、、、。


今年の11月29日からスタートするNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』、なんだか楽しみになってきました。^^        

ひとつ屋根の下

松山市は現在、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公、正岡子規、秋山好古・真之兄弟が抱いた高い志、ひたむきな努力、夢や希望を取り入れた町づくりを進めています。
2007年にオープンした゛坂の上の雲ミュージアム"を中心に、市全体を博物館と見立てるフィールドミュージアム構想を打ち出しました。

正岡子規と『ホトトギス』。

「鳴いて血を吐くホトトギス…、と言ってね、、、。」


雑誌『ホトトギス』は、最初『ほとゝぎす』と題して、明治30年1月に松山から正岡子規の友人・柳原極堂によって創刊されました。
子規のすすめた俳句革新をバックアップし、20号まで松山にて発行されております。
その後、子規の希望によって発行所を東京へ移し、高浜虚子が跡を継ぎました。

正岡子規と『ホトトギス』
創刊当時の『ほとゝぎす』


「ところで、ホトトギスの鳴き声を知ってますか?」

子規が17歳まで過ごした住居を復元した資料館・『子規堂』で、こんな話を耳にしました。


「知りません。」

「では、ホトトギスの口の中を見たことがありますか?」

*

「ホトトギスの口の中は真っ赤なんですって。 そして、゛ピピ ピピピ"と鳴くんです。」

「結核を患っていた子規にとって、゛ピピ ピピピ"という その鳴き声が、自分の咳に似てるように感じたんでしょうね。
゛コホコホ コホコホコホ。" ほら、結核の人って そんな咳をするでしょう。」

私も、子規の咳を真似てみました。「コホコホ コホコホコホ。」


「咳こんだ子規が口元から手を離すと、掌には血がついて、口の中は真っ赤に染まっていました。」

「鳴いて血を吐くホトトギスと言ってね、、、それ以来、自分を『子規』と号するようになったそうです。
ほら、゛子規"という字は゛ホトトギス"とも読むでしょう。」


子規がホトトギスに抱いた思いとは、それほど深いものだったんだ。。。


『ホトトギス』の名の由来だけでも とても興味あるものなのに、
゛子規"という文字に゛ホトトギス"という読み方があるなんて、無知な私にとって 非常に面白く勉強になったお話でした。


* * *

そんな話を聞きながら、子規の遺品が数多く展示されている その部屋の中を一巡しました。


こちらは、子規が病歿する迄の僅かな期間に、枕に頭をつけたまま画いたという写生帖です。

正岡子規と『ホトトギス』

そして、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の中で、
「中学3年の少年が書斎を持っているとは!」と、秋山真之が驚いたという子規の勉強部屋を復元したものが こちらです。
  
正岡子規と『ホトトギス』

熟田津(にぎたつ)に、、、。

熟田津(にぎたつ)に

「熟田津に  船乗りせむと 月待てば  潮もかなひぬ いまは漕ぎ出でな」

熟田津にて、船出をしようと月の出を待っていたところ、
    潮の流れも満ちて来て、航海に相応しくなってきた。

          さぁ、漕ぎだそう 今!!!



この有名な句に出てくる熟田津とは、愛媛県松山市の道後温泉の辺りであったと言われています。

3000年の歴史を持つ日本最古の温泉「道後温泉」は、古代から皇室の保養地でもあったそうです。

661年の斉明朝のみぎり、新羅征伐の為に天皇が九州へ向かう途中、それに従っていた女流万葉歌人である額田王によって詠まれました。

その文句からも、そして句間からも漲った力が感じられる、勢いのあるこの歌が私は好きです。


額田王は絶世の美人であった上に、豊かで堂々と歌の才能に恵まれました。
そして、大海人皇子(天武天皇)とその兄・中大兄皇子(天智天皇)の二人からの寵愛を受けたことはあまりにも知られ過ぎていますよね。

まるで女性の幸せを絵に描いたような額田王。
ですが その陰には、彼女の自由を求める強い意思が今にも吹き出てきそうに感じてしまいます。
この句が勇ましくおおらかで、自信に満ちていればいるほど、それとは裏腹な彼女の叫び声が私に届いてくるのです。

そして、それを自分の奥深くに呑み込んで、
キッと前を見据える雄々しい額田王の姿もまた、この句から目に浮かんでくるようです。

* * *


さて、この名句が誕生する65年前の596年に、聖徳太子も道後温泉を訪れていました。

聖徳太子は高麗の僧・恵慈と大和の豪族・葛城臣を従えて、伊予の温泉を楽しまれたようです。^^

その霊妙な温泉にいたく感動した太子は、
漢文体の文章を作り、湯の岡のかたわらに碑を立てました。

その碑は未だ発見されておりませんが、その碑文を刻んだ石碑が「椿の湯」の前に立っていました。
私には、、、意味はさっぱり分かりません。読めもしません。(^^;
                        

熟田津(にぎたつ)に

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2月から始めた「遍路の旅」。
この日、初めて゛菩提の道場"である伊予の国の霊場をお詣りしました。
(私の遍路路は順不同ですから、、、。^^;)

それは、どの札所よりも線香のけむりが深く立ちこめている第51番・石手寺。

その帰りに何ヶ所か松山の名所も訪ねましたので、明日から少しご紹介したいと思います。^^

しまなみ海道は花盛り♪

しまなみ海道は花盛り



「まだ桜が残ってるといいね。」

ここ数日の初夏をも思わせる暑さに、先日まで見事だった桜並木も緑の葉っぱが目立ち始めました。

「どうかなぁ~? もし葉桜になっていたとしても、菜の花畑がまだ綺麗かもしれないよ。
島から眺める海も最高だし…。^^」


愛媛県の今治北ICから来島大橋を渡り、大島を越えると、゛伯方の塩"で有名な伯方島(愛媛県今治市)に入ります。

その島にある『開山(ひらきやま)公園』は、愛媛県下で指折りの桜の名所です。
そして山頂の展望台からは、゛しまなみ海道"の美しい島々と橋を一望することができます。

そこは5年前の桜の季節、仲良しのY子ちゃんとドライブに出掛けて偶然に見つけました。

私が知る桜の名所の中では最高の場所、山一面がピンク色に染まります。

*

平山郁夫美術館のある広島県尾道市の生口島を目指す途中、気分転換に伯方島ICで降りてみました。

少し葉っぱの緑が濃くなっていたとしても いいではありませんか。
もしも まだ見頃であるのなら、それに越したことはありません。


「ご苦労さまです。^^」 駐車場で車を誘導している男性は随分と日焼けしていました。

「先週が桜の見頃だったのですか?」
「いやぁ~、先週はすごい人出でねぇ。。。でも、桜は今日の方が綺麗だよ。^^」


車から降りて見上げると、
少し葉桜の木もありましたけど、まだまだ満開の桜が私達を待ち受けてくれました!
ハラハラと舞い散る花びらに包まれて、今年最後の桜を満喫です♪


しまなみ海道は花盛り




菜の花畑はピークを過ぎていましたが、そちらもまだ美しさを残しています。


しまなみ海道は花盛り




そして青く穏やかな瀬戸内の海は、今日もキラキラと輝いていました。


しまなみ海道は花盛り

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