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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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梅雨の晴れ間に。

今年はずっと迷っていた。


例年、紫陽花を見るのは「山陰のあじさい寺」と呼ばれる松江市の月照寺であったが、

松江藩主松平家の菩提寺であるその寺も年々寂れてゆき、紫陽花の手入れも行き届かなくなった昨年の様が心にブレーキを掛けていた。


兵庫県西脇市の西林寺が良さそうだ。

いやいや、京都は大原三千院も美しいらしい。


紫陽花が見頃を迎えた今の今まで迷っていた。


そして昨晩まで、いや今朝出発する直前まで京都行きを計画していたのだが、なんとなく遠出するのが億劫になり、

なんとなく紫陽花熱が冷めてきたこともあって、半日もあれば行って帰れる岡山は真庭市の普門寺へ急きょ向かうことにした。



花の山寺とも呼ばれるその寺は、霧深い山中にひっそりとある。

寺に近づくにつれ、道端に紫陽花が増えていく。


このお寺、紫陽花の数は3000株と、各地にある有名なあじさい寺と比べると少ないかもしれない。

しかし、そのひとつひとつがこれまで目にした紫陽花のどの名所よりも大きく、傷みも少なく、綺麗。


2016-06-26 6.普門寺

2016-06-26 4.普門寺

2016-06-26 5.普門寺

2016-06-26 7.普門寺

2016-06-26 9.普門寺

2016-06-26 11.普門寺

2016-06-26 12.普門寺

2016-06-26 14.普門寺

2016-06-26 1.普門寺


そして朝露に包まれた紫陽花と、競って鳴く鶯の声がまだひんやりとした早朝の空気によく似合っていた。




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しっとりとした朝は、

車を走らせ、サツキの美しさで有名な備中高梁市は頼久寺を訪ねてみた。

2016-05-29 5.頼久寺


縁側に腰を下ろし、愛宕山を借景とした枯山水のお庭を眺めるだけで静まる心。

斜めの線となって降り注ぐ雨は音もなく、庭園の木々や小石を潤わせていた。


大きなサツキの刈り込みは大海原を表しているのだと、説明にあった。


2016-05-29 6.頼久寺

2016-05-29 4.頼久寺


小堀遠州初期の庭園。


2016-05-29 1.頼久寺



夏の終わりに。

夏も終わりに近づいたので、潮風を感じながら2時間ばかりドライブした。

どこがいいかなーと思いついた鷲羽山。
瀬戸内海を挟んで岡山県は倉敷市児島にある景勝地だ。

中腹を瀬戸大橋が貫いており、展望台からは瀬戸内海や瀬戸大橋の全貌がよく見える。

たまには、いつもと反対側の瀬戸内の景色も悪くないだろう。



鷲羽山.jpg




瀬戸大橋が開通したのが昭和63年、私が高校一年の春だった。

この橋がない頃は、四国は本当に離れ小島だったと思う。

それまでに私が四国を出たのは僅か5回。
小中学校の修学旅行、そして家族旅行の奈良と神戸、日帰りでの鷲羽山だった。

家から汽車で1時間、高松港から今度は船に1時間乗って岡山の宇野港へと渡り、そこから電車に乗り換えて、あの頃は鷲羽山へ行くのでさえ結構大変だったと覚えている。


「橋が出来てしまってからじゃ、もう橋のない景色は見られないから。」
そう言って、中学時代の先生がまだ橋の架かっていない瀬戸内海の風景を何度も撮りに行っていたことも思い出した。




急にこんな昔を思い出したのは、もう一つの夏が終わったからかもしれない。



今年の甲子園は珍しく四国勢すべてが初戦敗退となった。

私が学生の頃は四国は本当に強かった。
四国四県すべてベスト8に残った年もあった。

「一度でいいから、ベスト4が全部四国勢ってのを見たいな、」と言ったら、「それじゃあ、あとは甲子園じゃなくて地元でどうぞって言われるよ、」って冗談めいて笑ったのに。

思えば、それだけ県代表というよりも四国代表って意識の方が強かったんだろう。

地方になるほどその意識はあると思う。


だから、昨日の決勝は仙台育英を応援していた。


来年こそは、初の優勝旗を東北勢に持って帰ってもらいたい。








岡山の清水白桃。

大学時代、夏休みに広島から香川に帰省する際はいつも、岡山駅での乗り換えが楽しみでしかたなかった。

今は改築して新幹線から在来線への乗り換えの距離が短縮されたが、当時は長い通路を歩かねばならず、その通路脇で、この時期ずらーっと並ぶのが、岡山産白桃の露店だった。

箱詰めの高価な桃は眺めるだけ。
少し傷のついた、しかし傷物でなければ結構なお値段になりそうな桃を探した。

確か、学生だった私が買ったのは500円の傷桃1個だったように覚えている。
それでも、大荷物とは別に大事に大事に抱えて帰ったのだった。

今でも時々思い出したかのように、「あの時食べた桃の味は忘れられないね、」と母は言う。

そういえばここ数年、桃を食べても地元産のものばかりだったと気がついた。
隣町の特産品のひとつが桃ということもあり、貰ったり安く手に入ることが多かったせいもある。


岡山・清水白桃.jpg


香川でも清水白桃を生産しているが、なんなんだろう、あの岡山産の別格なおいしさは。

乳白色の柔らかい皮をつるっと手で剥いて、がぶりと齧り付く幸せ。(笑)


先週、備中松山城からの帰りに、親友宅でその清水白桃をごちそうになり、お土産まで貰ってしまった。
親友の家から車で10分も走れば、道路脇に続く桃畑。

「春に桜が終ると、ここは一面桃の花でいっぱいになるのよ。」

白桃の花は遅咲きなんだろうか。
それにしても、桃の花がどこまでも広がる風景ってまさに桃源郷なんだろうな。
その季節にも訪れてみたいし、でも、やっぱり一番は白桃の実がなる今がいい。(笑) 


戴いた桃はあっという間になくなった。
そして、「桃は岡山産の清水白桃じゃなきゃ!」と、改めて思った。

「今年の桃はどの種も例年より早いから、清水白桃はもうすぐ終わるらしいよ。」
岡山在住の友が親切に教えてくれた。


そこで今日、私はわざわざ岡山に用事を作り、そのついでに産直市場をのぞくことにした。
正確には用事の方がついでだが。(笑)


岡山産直.jpg


こうはっきり書かれていれば、ここに桃があることは一目瞭然!
安くて美味しい桃を狙う多くの人たちを押し分け、私も桃とり合戦に参加して来たのだった。(笑)

たった今、また一つ食べてみた。
うん、やっぱり桃は岡山の清水白桃じゃなきゃ!!



備中松山城の旅。

岡山県高梁(たかはし)市にある備中松山城。
標高430mにあり、現存12天守の中で最も高い場所にある山城なんだそうだ。

数年前に雲海に浮かぶ竹田城跡(兵庫県)が注目され、一時期「天空の城」ブームになったが、備中松山城もそのひとつ。
(以下、松山城・・・愛媛の松山城とは異なる。)



「今回は私が岡山へ行く番だね。」
岡山に住む大学時代からの親友M子と1年半ぶりの再会とあって、日にちが決まってからは楽しみで楽しみで。

岡山市内や倉敷でカフェや美術館巡りもいいけれど、たまには体力を使う遊びもいいかも。
それなら以前から気になっていた松山城へ、ということで私が提案したのだった。

高梁市には数年前にも訪れたことが何度かあるが、お城はまだだった。
一番の観光名所と分かっていても、急な山道で知られているだけに「また、いつか」と先送り。
一人で行くのも寂しいし、かといって高齢の親には無理な話だろう。
ならば、富士登山の経験もあるM子なら、との思いつきだった。


「降水確率が高かったのに、さすがは晴れ女のpicchuちゃん。」
実は、その日の前日は四国の山奥では大雨が降り、高知発岡山行きの特急列車は運休となるほど天候が不安定だった。
けれど、いい感じに薄曇りとなってくれ、暑さもさほど厳しくない。


お城のある臥牛山の8合目の駐車場で車を降り、そこから700mの道のりだった。
登山口に置かれていた竹でできた杖を借り、うっそうとした山道へと入って行く。

少し息が上がったころ、下って来た青年が声を掛けてくれた。
「これからが大変ですよ。僕はちゃんとした登山の格好で来ればよかったと思いました。」

「どうする? うちらめっちゃ軽装だよね。」
M子と二人顔を見合わすも、「徒歩20分ほどって書いてたから、まあ、なんとか登れるでしょ」と、そこから先も大声ではしゃぎながら登っていった。

確かに、細く急な道もあったが、四国遍路で鍛えた足腰。
と、それは大袈裟であるが(笑)、四国八十八箇所の難所と呼ばれる山道と比べればなんてことない。
最初のおどし(?)のおかげで、意外と楽に登れた方だ。


備中松山城4.jpg


それでも、切り立つ岩壁の城塞に圧倒され、次第にただの山から城の造りになってきて、密かに城ブームが起こっている私の心は弾むのだった。(笑)


備中松山城.jpg

備中松山城2.jpg


「結構、立派な城じゃない! 小さな天守閣だけど威厳があっていいね。」
期待以上の風格に、ちょっとした感動。
堂々とした姿は実際よりもお城を大きく見せていた。

見物客もまばらで、天守内をわが物顔で見て回れたのも贅沢な話。
「装束の間」という城主の御座所では戦国時代の戦乱の紙芝居がDVDで放映されており、気持ちの良い隙間風に癒されながら、ひと時歴女と化していた。



「このお城の絶景ポイントへはどうやって行けばいいのですか?」

「紅葉に覆われて雲海に浮かぶ、まさに天空の城」の写真を見て、管理人さんに尋ねてみた。

「車で行くなら・・・、」と詳しい説明の後、「実は、歩いても行けるんだよ。」

「近世の城として紹介されてる松山城だけどね、この背後にある道を進んで行くと中世の城郭の遺構が見られるんだよ。
このお城は小松山城、山頂にある大松山城へ登るまでが20分くらい、そこから吊り橋を渡って40分ほど歩くと展望台に辿り着くから。
遊歩道になっているから、時候がいい時にでもまた来られるといいですよ。」


中世の城跡。
その響きに、冒険好きな二人の心はピクッと反応するのだった。


雲海が見られるのは、秋から冬にかけての、よく晴れた早朝。
その日はもちろん、そんな幻想的な景色を見られるわけでもないが、気分が盛り上がった二人は車でその展望台を目指すことにした。


雲海展望台より.jpg


スマホなので拡大しても殆どわからないくらい小さな天守だが、いい景色だった。
暑い盛りの午後、当たり前だが他に人はおらず、ここでもまた、わが物顔。



そして、帰りには岡山産の清水白桃。
甘い香りが口の中に広がり、みずみずしい果汁が乾いた喉を潤す。

久々に大満足の一日となった。(笑)



尾道にて。

尾道にて


数日前から無性に訪ねたくなって、今日はひとり尾道にやって来た。

尾道にて

尾道にて

尾道にて


レトロな喫茶店「帆雨亭」で、風情ある尾道の町を見下ろしている。

奥からはコポコポと珈琲を注ぐ音。
遠くでは、チンチン チンチン、遮断機が降りる音。

まるで時間が止まったみたい。

尾道にて

こんな日は珍しく、文学にでも耽ってみようか。

尾道にて

遅まきながら、お雛さまでも。

遅まきながら、お雛様を見に行って来た。

最近は私の住む田舎町の、アーケードさえ取り払った商店街でも、店先にお雛様を並べているのを見かけるが、

昨日、ちょっくら瀬戸大橋を渡って、岡山は倉敷にある、江戸時代の塩田王のお屋敷までお邪魔した。
以前から、そのお雛様を見たいと言っていた前職場の先輩方とともに。


それは、倉敷といえども有名な美観地区からは車で40分、瀬戸内海に面した児島という場所にある。

以前にもこのブログで紹介したが、国指定重要文化財・野崎武左衛門の旧宅だ。

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その界隈では、まだ町中にお雛様が展示してあり、野崎家別邸においては百畳敷の大広間で「おひな同窓会」なんぞも催されていた。

過去に徳島の勝浦町へ「ビッグひなまつり」なる、3万体もの雛人形を見に行ったこともあるが、

この度は数よりも、由緒あるお雛様の数々とその丁寧な飾り方に、一つ一つの人形に対する敬いの念というものも感じられ、結構感動させられた。

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そして、雛人形にも「格」というものがあるのだということを、つくづく感じた。

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それは、その家の格でもある。

人形の価値そのものが、これほど高価で立派なものに出会ったことも少ないのだが、古さとお金だけでは出しえない「格」の高い人形を見たのは初めてかもしれない。

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「格」といえば、昔 好きだった漫画に、こんなことを書いてあったなって、思い出した。
「父親(男性)は家庭の格を高めるために働き、母親(女性)はその格を守るためにつとめる」
昔の旧家の在り方は、きっとそうであったろう。

見ていて、背筋がピンとなるお雛様ばかりであった。


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こちらは、「享保雛」といって、明治5年に野崎家が池田家より拝領したもの。

その池田家とは、ご存知、備前国岡山藩主を指し、今上天皇の姉君にあたる池田厚子さまの嫁ぎ先の家系である。

以上、全て江戸時代のお雛様。


また、この野崎邸には「明治天皇雛」という軍服姿の珍しいお内裏様もあったようだが、あまりにも見事な雛人形の数々に見落としてしまった。。。

代わりにといってはなんだが、愛子さま(敬宮 愛子内親王)のお顔に似たお雛様を偶然見つけた時は嬉しかったりなんかして。(笑)

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そして、品の良いお雛様は、いつになく素敵な春を運んできそうだ。


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三度目の一目惚れ☆

3日前の夜のことだ。

「今年のお正月は、白蛇を祀る神社に大勢の参拝客がみえたみたいね。」
と母が言った。

「柱に大きな白蛇の像が巻き付いた神社がテレビに映ってたよ。」

「ふ~ん。 じゃあ どうせなら、本物の白蛇を見に行く?」 
そんな私の何気ない一言で、その2日後 片道250kmもある山口は岩国市まで行くことになった。

白蛇だけのために。

岩国には昨年 白蛇神社も誕生し、その他 資料館などもあるらしいが、私の目的はご利益よりも白蛇を見たい好奇心だけなので、本当に白蛇しか見ていない。(笑)


だが、何度見ても優美で清楚な姿がそこにはあった。

ご存知、国の天然記念物『岩国のシロヘビ』は、岩国にしか生息していない。

さすがに私も蛇は苦手だが、岩国の白蛇だけは心の底から美しいと思うし、可愛いとさえ思う。

昨日も、思わず見惚れてしまってた。

そこで白蛇を見るのは二度目か三度目か、それさえ定かではないけれど、何度見ても一目惚れしてしまっている。(照)


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私がいつも訪れるのは、錦帯橋の近くにある横山白蛇観覧所だ。

そこには3匹の白蛇がいるのだが、今回 私が一番「べっぴんさん」だな~と思ったのがこの子。
名前はサキちゃん、昨年の夏に生まれたそうだ。
(写真はクリックで大きくなる)

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白蛇というだけでも有難いが、このサキちゃん、何気に黄金に輝いているように見えるのは私だけか?(笑)


白蛇は弁天様のお使いと言われ、特に金運にご利益があるとされているが、
その功徳は、五穀豊穣ばかりでなく、如意宝珠の力によって、希うことはことごとく叶い、福を得ることとなり、合わせて本来の能力である、音楽・学問・叡智までの力を授けてくださる万能の神様と認められているそうだ。
(白蛇神社・御由緒による)


本来、アオダイショウが突然変異して白化した白蛇は、丈夫でない上に天敵に狙われやすく、自然での生育が難しい。

それにも関わらず、岩国ではおよそ400年前から記録に現れ、錦川の綺麗な水、旧家などの蔵や石垣、水路などといった生息条件に恵まれて、
また、幸福を呼ぶ守り神として、昔の人々も大切に保護したことにより、その数を増やしていったとのこと。

当時の人達も、その珍しさだけでなく、この「めんこい」顔にも惚れてしまったんだろうな。(笑)


とにかく、特定の地域に集中的に生息しているのは世界でも例になく、非常に貴重だということだ。

巳年の今年、そんな有難い白蛇で、ますます縁起を担ぎたいと思っている。


皆さまにも幸運が訪れますように。

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<脱皮額『寿』>

こんな、小さい秋。

静岡の素敵なマダムが大道芸を楽しまれている頃、

あ、マダムが大道芸を演じているわけではないですよ、念のため。(笑)

私は岡山県備前市のカフェで、まったりと黒豆茶で寛いでいた。



今年は、一足先に色づき始めた欧州の紅葉を楽しんだだけでなく、日本でも小さな秋を沢山みつけて満喫している。


中欧の旅日記を一旦お休みし、今日は私がみつけた そんな小さい秋をいくつか貼りつけておこうと思う。


すべて岡山で撮ったものだが、最初の6枚が備前市の旧閑谷学校にて、
残り3枚が、県北の新庄村で森林セラピーに参加した時に目にした可愛い秋。


紅葉には一歩早い感ではあったが、緑から赤へのグラデーションに思わず溜め息が洩れた昼下がりだった。


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ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!

ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!

エリザベス女王在位60年で賑わうロンドン。

今年、オリンピックが開催されるロンドン。

まさに今が旬であるその場所へ、昨日、およそ4時間ほどのドライブで行って参りました!
早朝5時半にわが家を出発です。

ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!

それは、最近ちょっと気になっていた鳥取市の「砂の美術館」。

鳥取砂丘の目の前にあるその美術館は、先月にグランドオープンしたばかりの世界初、屋内で常設展示される砂の美術館です。

今年は注目のイギリスをテーマに、有名な建造物や歴史上の人物たちが迫力ある姿で見る人を感動させてくれます。
まるで本当にイギリスを旅している気分になっちゃいます!


どんなものか想像すらしていなかった私は、一つ一つ作品を目の前にする度、驚きの声をあげていました。


札幌の雪まつりは寒いからちょっと~という方、鳥取で砂像なんぞいかがです?(笑) 
しかも年中見られます!


ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!
To be or not to be; that is the question☆

ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!
「Oh~, Romeo~,Romeo~, Why are you Romeo~~~~~?」


ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!
エリザベス1世も即位前に幽閉されたことのある<ロンドン塔>
窓からシンボルのカラスも顔を出している こちらが正面です。


ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!
こちらが大英帝国の繁栄を築き上げた、その<エリザベス1世>


ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!
ロンドンの風景に欠かせない<衛兵パレード>だって、このとおりです。


ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!
あ、今年主役の<エリザベス2世>も、ご覧の通り豪華な馬車でお出ましあそばされておりました。


そして、一番凄いなって思ったのがこちら。

ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!
ロンドンを象徴するビッグベンも間近で見ることができました。


と、まだまだ多くの作品で埋め尽くされておりますが、これから行かれる方の為にこのくらいでやめておきます。(笑)

この砂像たち、世界中から集まった15人の彫刻家の手によって、僅か12日で仕上げたものなんだとか!
糊などは一切使用せず、砂と水だけで造られているそうです。


今回の展示期間は来年の1月6日まで。
その後は再び砂に戻され、また新たな砂像へと変身するようです。


さぁ、本場イギリスは遠いな~ってお思いの、そこのあなた!
鳥取砂丘のお隣りにあるイギリスへ、近々お出掛けしませんか?(笑)

ドイツ旅行記の前に、イギリスの旅?!

せんせ~! おはよう!

せんせ~! おはよう!


「先生! おはようございます!」

元気に石段を駆け上がる、幼い子供たちの声が今にも響いてきそう。

けれど、祝日である今日はお休み。


それでも、100年以上もに亘り子供たちを育ててきた誇りからか、堂々とした面持ちが 秋晴れによく映えて、一層美しさを増していました。


岡山県にある高梁市立吹屋小学校は、木造としては国内最古の現役校舎です。

~明治6年(1873)に開校し、同32年(1899)に吹屋尋常高等小学校と改称して、現在の場所に移転、木造平屋建の東校舎・西校舎が落成しました。 
同42年(1909)に建てられた木造2階建の校舎本館は、現在も小学校として使われています。~
                                   (市のHPによる)


寂れた過去の景色ではなく、今も子供たちがここで学び、ここで遊び、泣いて笑って思い出を増やしている場所。

剥げた色と歪んだ窓ガラスが時代を感じさせるも、味わい深い木のぬくもりを感じられる場所。


清々しい風を頬に感じながら、23日の秋分の日、ドライブがてらにその懐かしい風景を目指しました。

せんせ~! おはよう!

ミーン、ミーン、ミーン・・・
あれ~? まだ蝉が鳴いてるよ~。 でも、ツクツクボウシじゃないんだ~。

ころろろ~、ころろろ~・・・
あれれ~? 今度はコオロギが鳴いてるよ~。

夏の声と秋の声が仲良く合唱しているんだね!^^

静かで素朴で、そして空気がとても美味しいね。 ここで勉強したら賢くなれそう。(笑)

うん、うん。 それに心も身体もすくすく成長できるよね、きっと。


せんせ~! おはよう!

せんせ~! おはよう!


昔は銅山の町として栄えた吹屋地区。 

当時、大勢の子供たちの姿がここにあったと思われます。

けれど、現在の生徒数は僅か7人。

できることなら このままずっと続けたいでしょうが、すでに今年度を最後に閉校することが決まっています。

子供の数の減少だけでなく、兄弟だけの学校になるのもどうなのかと・・・。
7人中、きょうだいが2組み5人ということも、閉校を決めた理由の一つになったのだとか。


ということは、小学校としては今年が最後の運動会なのか~。

初めてこの場所に立つ私でさえ、ものすご~く残念な気持ちになりました。

便利さとは代えられない豊かさがここにある、それが町からも校舎からも伝わってきます。


こっそり正面のガラスを覗くと、ピッカピカに磨かれた廊下が見えました。

ふざけ合いながらも一生懸命雑巾がけをする子供たちの様子が想像できそうです。

「先生! 今日は宿題出さないで!」
「先生! 今朝、ちょっとだけ寝坊しちゃった!」
な~んて声も聞こえてきそう。(笑)
  

*

すでにコンクリート校舎が当たり前で育った私ですが、私が卒業した小学校にも、20年ほど前までは昔の木造校舎が残っていました。

朽ちた校舎は立ち入り禁止でしたが、一階だけは物置きとして掃除道具などが置かれていました。

木造校舎前に植えられた木には、たくさんの蓑虫がぶら下がっていて、よく掃除をさぼっていた私たちは、それらの巣を破って、中の幼虫を出して遊んでいたのを覚えています。(笑)

色んな思い出と一緒くたになっている あの風景だって、う~んと昔に感じられるのに。



この校舎は今でも頑張ってるんだ。 そして、あと半年頑張るんだね。


隠居するのは寂しいけれど、卒業生一人ひとりの心の中で現役を続けるんだろうね。

それでも、いつか私が感じたように、この学び舎に通った小学時代がう~んと昔に思えて、きゅんとしてしまう日も来ることでしょう。

その時、訪れる卒業生を、また大きな胸を開いて受け入れてくれますように。

子供たちの笑い声が遠くなっても、この景色はいつまでも失われないことを切に願います。 


せんせ~! おはよう!


「せんせ~! おはようございま~す!^^」 

そして、あと半年、子供たちの笑顔をいっぱ~い留めてくださいね!

picchuko、捕まる!(><。)。

「急いでるところ すみませんね~。^^」

え"~!!! ほんなら、許してよぉ~!(><) 思わず叫びそうになりました。

「うっそ~? ダメなんですかぁ~?!」
「みんなもやってるじゃないですかぁ~!!!」
「これまで注意されたこともないですよぉ~!!!」
「わざわざ香川から来たんですよ~!!!(それは関係ない?・苦笑)」


私は必死で懇願しました。

ちょっと気のいい近所のおじちゃんって感じのその人は、
「まぁ、四国ではあまり厳しくないかもしれんけどね~、広島ではダメですね。」

そのおじさんの正体は、正真正銘 広島県警の警察官なのでした。(><)

*


私は今日、ひろしま美術館で開催中の「平櫛田中展」を観賞する為、母と姉を連れて広島まで出掛けていました。

その帰り道、私が通っていた大学の近くを通ろうと、ある交差点の赤信号で止まった時です。

ちょいちょいっと手招きするのは、制服を着た警察官の若い女性。

なんなんだろう?って思いながら窓を開けると、
「これ、ダメなんですよ。 運転手の視界が悪くなるので違反になるんです。 免許証を出してください。」

へ?
だって、みんなも付けてるじゃない!!?

運転席と助手席の窓ガラスに張り付けていた、取り外しできる吸盤タイプの日よけを彼女は違反になると言うのです。


「え"~! だって、だって、これまで注意されたこともないんですよ~!!(><)」

後部座席に座る姉も、「それって法律で決められてるのですか?」と応戦するも、、、
「はい、道路交通法第○条の~~~によって定められています。」と相手は至って冷静です。

「はい、はい、ちょっとそのサンシェードを貸してもらえますかね~。」
もう一人、もうすぐ定年を迎えそうなお巡りさんも現れてきました。
「それと、窓の大きさも計らせてもらいますね~。」

納得のいかない私の表情に対し、彼らは続けます。
「最近、事故がすごく多いんですよ。 さっきもここで事故が起きたばかりです。」

ってことは、事故処理に来た警察官の前を偶然に通ってしまった運の悪さっていうわけぇ???
(号泣)

「もしかして、これって罰金もあるんですか?」
恐るおそる見上げるように尋ねる私に、彼らは表情ひとつ変えずに「1点の減点と罰金は6000円です」と一言。(><。)。

「え"~~~、6000円も~!!! ねぇ、許してくださいよぉ~!(><。)。。。」
「まぁねぇ、四国では厳しくないかもしれんけどね~、広島ではいけんの~よね~。」
懐かしい広島弁の響きが、この時ばかりは無情にも私を突き放します。(泣)

「ホント、急いでるところ すみませんね~。^^」
それでも、警察官にしておくには勿体ないほど(?)可愛い女の子と優しそうなおじさんでした。

「ほんと、ごめんなさい。」と若い女性のお巡りさん。
違反したのは私の方なのに、何故か彼らは終始 私に謝っていました。

謝るくらいなら見逃してくれたっていいのにね~。(><)

反則金の振込用紙を貰って、私は早々に車を出しました。


で、数百メートル走った頃でしょうか、又も赤信号で停車している私の隣りに先ほどの警察官を乗せたパトカーが、、、。

もう顔見知りの私達です。
ニコっと笑って会釈を交わしました。

もう用はないわよね!と、青信号になるやいなや私は車を走らせました。

「そこの香川ナンバーの人、止まりなさい。」

えっ? また私~?!(><) 今度は一体なんなのよぉ~!!!!!o(><)o

「ごめんなさ~い! これ渡すの忘れてました~!^^」

彼女から手渡されたものは、交通反則告知書でした。
そんなものの為に追い掛けてきたのか、あなた達ぃ~。(><)

「いやぁ~、ホント、すみませんね~。^^」

最後の最後まで本当にいい人達でした、、、、、が、
だったら、見逃してくれたっていいじゃないねぇ~。(T_T)

いやいや、知らなかったとはいえ深く反省しております☆


それから周りの車が気になって、しつこくチェックしてみました。
あらら? 広島では運転席と助手席の窓ガラスにサンシェードしている車ってないんですね~。
無知は私だけかとがっかり。



ところが、香川に入って高速を降りてからのこと。

あ、あの人も、あの人も、あの人もだ~!!!
ちょっとあなた達、それって違反よぉ~!!!(`o ´)

思わず悲鳴をあげそうなほど、香川ではいるわ、いるわ! わんさといるわ!!!
違反車をそこら中で発見です☆

それら全部の写真を撮って、広島県警に送りつけようかと思いましたが、、、、、

帰宅後に調べてみると、例え取り外しできるサンシェードでも昨年から罰則化されたそうですね。

ただ、都道府県によって取り調べの厳しさはまちまちなようで、
とりわけ厳しいのが広島県、とりわけ緩いのが香川県(なんといっても、ほぼ毎年 交通事故数ワースト1ですからね~。^^;)といった感じでしょうか…。

いやいや、広島県警が正しいのです。


陽射しがキツクなって、ますます日陰が欲しくなるこれからの季節、
皆さま、くれぐれもお気をつけくださいませ~~~。(T_T)

10月10日、出雲大社参拝。

10月10日、出雲大社参拝

先週のことになりますが、
旧暦の神無月には まだ少し早いけれど、全国の神様方より一足お先に、出雲大社へ参拝させていただきました。

早朝6時半、我が家を出発。
少し体調が良くなった母を助手席に乗せ、「健康と縁を結べますように」との願いを込め、一路 山陰へと車を走らせました。

出雲大社といえば、誰もが知る 『 縁むすびの神様 』。
旧暦10月11~17日まで、出雲の地に 全国から八百万の神々が縁結びの相談をするために集まります。

10月10日、出雲大社参拝
(十九社 :
 神在祭の間、集われた全国各地の神々の宿所となる社であり、通常は全国各地の神々の遙拝所です。)

ガイドブックの見出しにも、「お願い神様! 私の恋を叶えて!」と書かれてあります。
良縁を望む独り身の私にとって、最高神とも呼べる大国主神様ですが(爆)、男女の縁ばかりを取り上げた客引きの仕方はどうなの~?
って思うほど、若い男女のカップルで境内はごった返しておりました。(笑)

というのも、この御縁とは森羅万象の縁を指すもの。
「良い方と巡り合えますように。」「私の恋が叶いますように。」という祈りが切実なことも分かりますが、もっともっと奥の深い『 縁 』を指すのです。

私は今回で四度目の参拝でしたが、拝殿で手を合わす前に、霊止(ひと)としての縁に気づかせて戴けたことは、とても有難いことだったと改めて感謝しています。

正面鳥居をくぐり、祓橋を渡り、松並木の参道を進むと、右手に『 ムスビの御神像 』が見えてきます。
それは、両手を大きく広げた大国主神様が、「幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)」を戴いている印象的な像であり、私が出雲大社へお参りする時は つい足が向いてしまう場所。

10月10日、出雲大社参拝

いつも通り、これを写真に収め、ふと説明文に目をやると、次のことが記されておりました。

【時に海を照して依り来る神あり 吾在るに由りての故に汝その国造りの大業を建つるを得たり 

  吾は汝が幸魂奇魂なり 大国主神これ吾が幸魂奇魂なりけりと知りぬ

  古事記また日本書紀に述べるところであります。
  出雲大社の御祭神大国主神はこの幸魂奇魂の"おかげ"をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となられました。
  生きとし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ"えんむすびの神"と慕われるゆえんであります。

  およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビの"みたま"をわが身にいただいて霊止すなわち人として生かされているからであります。
  大神からいただいたこの"いのち"を感謝して大切に正しくこれを生かしきりましょう。 以下、略。】

出雲大社のホームページによりますと、
「幸魂」とは、"花が咲く" "布を切り裂く" "物が割き分かれる"という言葉のように、物が分裂し、増加繁殖して栄える力を意味し、
「奇魂」とは、「櫛」「串」の言葉のように、"櫛で乱れた頭髪を解いて整える"、"串刺しにして、それぞれの物を統一する"というように、統一し調和する力を意味するのだとか。
つまり、「幸魂」によって分化繁殖したものを統一し、調和のとれたものとして、一層発展させてゆく力が「奇魂」なのだそうです。

ここでハッと目が覚めたように思いました。
まさに第三の目が開眼した感じ?(笑)

これまで浅はかで小さな縁ばかりにこだわっていた自分がなんとなく恥かしく、それしか感じ取れなかったこれまでの人生が勿体なく、少し真面目に本来の持つ縁の意味について考えさせられました。
ちょっとだけ悟れたのかな~。
それから、澄みきった秋空のように、清々しい気分で御仮殿へ向かうことができました。
* 現在、御本殿は修造中であり、平成25年5月まで、御神体は御仮殿へ遷されています。

(御仮殿と、修造中の御本殿)

10月10日、出雲大社参拝

10月10日、出雲大社参拝



* * * * * * *

さて、そんな有難い出雲大社参拝の現実は、、、。

到着予定時刻は11時過ぎのはずでした。


10月10日、出雲大社参拝

宍道湖のサービスエリアで休憩をし、予定どおり11時頃に出雲ICを降りました。

遠くに日本一の大鳥居も見えてきて、到着予定時刻まで残り5分となりました。

ですが、3連休の中日であり、時候も良くなり、まさに行楽日和です。
ずら~っと並ぶ車の列に、私ももれなく入ってしまい、どうにもこうにも動けない状態に陥りました。

あ~、このままじゃ、12時を回っちゃうな。。。
近くのスーパーに車を停めようかな~とも思ったのですが、大社まで3km程ありましたから、渋滞が緩和されるまでしばらく待とうと思いました。

ところが、にっちもさっちも動かない。
もうちょっと、もうちょっと、、、と言い聞かせながら、12時のサイレンを悔しく車中で聞きました。

10月10日、出雲大社参拝
途中、大勢の観光客が集まる場所を見つけました。 それは、<旧大社駅>。
すでに廃駅となっているものの、大正13年に造られた2代目の駅舎は、木造平屋で出雲大社を模した造りになっています。
その昔、多くの参詣者は、まずこの場所に降り立ったのでした。
帰りに時間があれば覗いてみようかな。
出雲大社まで約600m。 この時点で、ちょうど13時になりました。

<古代出雲歴史博物館>にも立ち寄ってみたいな。
先々に貼られたポスターを見ながら、もう大鳥居も間近だもの、直にお参りもできるでしょう、、、その時は安易にそう思ったのでした。
まだまだ続く車の列に、「いくらなんでも、15時には余裕でしょう。」なんて、冗談を言えたのもこの頃まででした。

10月10日、出雲大社参拝

大鳥居に辿り着くや、実はその先がまだまだ長く、、、やっとのことで正面鳥居に到達したのが14時半。
その後も渋滞は永遠と続き、大社駐車場へ入ったのは15時を優に回ってからのことでした。
げぇ~!(><) 冗談が冗談では済まされない渋滞でした!

時間があれば、<日御碕>へも行きたかった、歌舞伎の創始者である出雲阿国(いずものおくに)ゆかりの場所も見たかった、、、。

それなのに~~~!!! たった3kmが4時間です☆(ToT)

「ここまで待ったのなら、最後まで待とう。」なんて、「短気な人には御利益はないわ。」なんて自分に言い聞かせたことが裏目に出て、
目の前には大鳥居が見えていたのに、本当なら家から3時間半で着く道のりが、なんと8時間半も掛ってしまいました。(号泣)

出雲へ出向いてから分かったことですが、翌11日には各大学による出雲駅伝が行われ、その準備もあったようです。

この日までではないにしろ、常に混雑が予想される出雲大社。
出雲大社へ自家用車で行かれる方は、少し遠いくらいで車を預け、徒歩で向かわれる方が宜しいかと思われます。

10月10日、出雲大社参拝

景色はいい処だった。

景色はいい処だった。

寝ころんでいていろいろな物が見えた。

前の島に造船所がある。
そこで朝からカーンカーンと金槌を響かせている。

同じ島の左手の山の中腹に石切り場があって、松林の中で石切り人足が絶えず唄を歌いながら石を切り出している。
その声は市のはるか高い所を通って直接彼のいる所に聞こえて来た。

                             ~志賀直哉 『暗夜行路』より~


せっかくなので、今度は尾道へ行って来ました。


大学時代の夏休み、鈍行列車に揺られながら、4時間掛けて広島から香川へ帰ったことがありました。

「おのみち~、おのみち~」

駅から見上げる尾道の町は、海沿いのすぐそこまで山が迫っていて、家々の瓦が段々畑のように処狭しと連なっていました。

ここが、尾道か、、、。

林芙美子が小説「放浪記」に描き、大林宣彦監督が何度も何度も映画に登場させた町。
子供時分、殆ど映画を見ることのなかった私でも、大林監督の「尾道三部作」の話くらいは知っていました。

本当に急な坂が多そう、、、私は列車の窓から顔を上げ、そう思いました。


その尾道へ行って来ました。

* * *


思いつきで決めた尾道行き、まずは町のシンボル的存在である千光寺へと向かいました。

千光寺は千光寺山の中腹にあります。
中国地方では珍しい朱塗りの舞台造りで、そこから見下ろす町並みと瀬戸内の眺めが素晴らしいと、私は期待に胸ふくらませ訪ねてみました。

実際は千光寺のお寺そのものよりも、この地にゆかりある多くの文人たちが残した足跡こそに風情を感じました。



「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。
ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。

其頃から昼間は向島の山と山との間一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。
それはピカリと光って又消える。
造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。   (『暗夜行路』より)」



父と大喧嘩した志賀直哉は、家を飛び出し、知人から「いい処」だと聞いた尾道へとやって来ます。(大正元年)

そして、小説『暗夜行路』の一節そのままに、「三軒の小さな棟割長屋の一番奥」で半年ばかり暮らしていました。

その長家は千光寺から少し下った処にあり、また寺の多い尾道では彼の言葉通り、夕暮れ時にはお寺の鐘の音がゴーン ゴーンと響いてきたことでしょう。

志賀直哉の、見事なまでの写実さに驚きます。


千光寺山麓には、林芙美子をはじめとする尾道出身の文学者たちの記念室と、
アララギ派の歌人・中村憲吉が最晩年を送ったという旧居、そして志賀直哉が過ごした長家があり、
これらは「おのみち文学の館」として、文学の町・尾道に相応しい趣きを持っています。


志賀直哉はこの町で、彼の唯一の長編小説『暗夜行路』の前身である「時任謙作」に着手しました。
この町が、彼の代表作を生み出したといっても過言ではないでしょうか、、、。


直哉が住んでいたという その部屋には、真ん中にぽつんと机と文箱が、その脇には旅行カバンが置かれていました。

ここに寝転んで、彼は尾道の町を、尾道水道の向こうに造船所を、そして山腹の石切り場を眺めていたのでしょう。

景色はいい処だった

「十時になると多度津通いの連絡船が汽笛をならしながら帰って来る。
ともの赤と緑の灯り、看板の黄色く見える電灯、それらを美しい縄でも振るように水に映しながら進んで来る。

もう市からはなんの騒がしい音も聞こえなくなって、船頭たちのする高話の声が手に取るように彼の所まで聞こえて来る。   (同上)」



この部屋に上がらせてもらった私達が窓から外を眺めていると、録音された『暗夜行路』の一節が流れてきました。

多度津からの連絡船はとうの昔に廃止され、今では船の数も減ってしまってはいるものの、
まさに、小説の中の景色が目の前の風景と重なります。


ちょうど大正時代に、私の母方の祖父母が、新婚旅行で四国の多度津から連絡船で尾道へと渡りました。
時代は志賀直哉が尾道に滞在した頃よりも10年近く後のことですが、
この場所に立ち、『暗夜行路』の一節を聞かせてもらうことで、自分も何かしら ここに縁があるように感じられました。


*


帰宅した私は、この尾道で書かれたという志賀直哉の小説「清兵衛と瓢箪」を読んでみました。
12歳の子供ながら瓢箪の目利きである清兵衛と、それが気にくわない父親との確執を描いた短編小説です。

清兵衛は直哉自身を、瓢箪は彼の文学を表していて、当時 父親と対立していた彼自身の気持ちがよく表現されています。

これも彼の旧居を訪れ、その頃の話を聞かせてもらえたからこそ面白味が分かりました。

そして、「近代文学史上、白眉の文章」とされる志賀直哉の小説『暗夜行路』に触れるいい機会となりました。                  

景色はいい処だった

景色はいい処だった、、、、、かどうかは、是非とも 訪ねてみて下さい。^^

蔵のある風景。

好みのカフェというのは、ちょっとした旅先でも出会えることが多いです。

ですが、好みのカフェ+自分の口に合った珈琲との出会いというのは、これはちょっと難しい。。。


私にとって、その両方を満たしてくれるお店というのが、

1.岡山市立オリエント美術館 「カフェ・イブリク」
  (1、2年前にママさんが代わって、雰囲気まで少し変わってしまったのが残念です。。。) 
 

2.オーストラリア大陸のど真ん中の町゛アリス・スプリングス"で見つけた小さなカフェ。
  町の中心部にあるショッピングセンター゛アリス・プラザ"の近くだったと記憶しています。

  かすかに流れてくるラテンの調べと、茶色をベースにしたシックな内装、
 射し込んできた眩いばかりの木洩れ日が 窓際でキラキラと踊っていました。
  
そこで戴いた一杯のカフェ・ラテ、その美味しかったことといったら、10年近く経った今でも忘れられません。


と、少し話が飛んでしまいましたが、
もう一つが岡山県倉敷市、観光客で賑わう美観地区から少し外れた場所にある、
「夢空間 はしまや」さんです。

* * * * * * *


久しぶりに落ち着いた空間で美味しい珈琲が飲みたいと、11日の日曜日は海を越え、はるばる倉敷まで出向いて行きました。^^


こちらは、明治時代創業の゛はしまや呉服店"の米蔵だったところをリノベートしたのだとか。。。
通りに面した どっしりとした構えの呉服屋さんは、今もその当時の面影を残しているようです。

蔵のある風景

蔵のある風景

路地裏を抜けると、石畳に昔ながらの風情を感じる中庭が続き、大きな蔵へと入っていきます。

太く立派な梁や柱は、蔵屋敷の貫禄(?)を存分に見せつけてくれます。

ぷ~んと挽き立ての珈琲の香りが鼻をくすぐります。^^

いつもは1階席に座る私達ですが、
その時は ちょうど関東方面から来られたらしい 3人組のお客さんがいましたので、天井の高い蔵の造りを生かした2階席へと上っていきました。

そのおじさん達が写らないよう、それでも店内の雰囲気が伝わるようにと撮った1枚がこちらです。

蔵のある風景

低く流されたジャズの音色が素敵に場を盛り上げてくれます。
蔵って純和風のはずなのに、ジャズやシャンソンといったムードある音楽が似合うみたい☆

そして、このカフェのイメージに合ったシンプルな椅子は、ヨーロピアンデザインをバリで手作りしたものです。
ちょっとした工夫が施され、その座り心地の良さがついつい長居してしまう理由の一つでもあります。
                   
少しだけ酸味のきいた珈琲のお味も、とても飲みやすくて私好み。


観光地の騒々しさに酔ってしまった方は、少しだけ奥まったこんなカフェでひと休みしてはいかがでしょうか。^^


〈夢空間 はしまや〉
岡山県倉敷市東町1-20
086-422-2564
定休日は火曜日。

カフェの隣りにある、手作りのぬくもり溢れる家具(主に椅子)を展示したギャラリーも楽しめます。

紅葉にはまだ早い閑谷学校。

この三連休、今日を除く二日間はどちらも日帰りで岡山県へ行って来ました。

10/10の土曜日は、備前市にある特別史跡 『旧閑谷学校(きゅうしずたにがっこう)』へ、
そして昨日の日曜日には、倉敷の美観地区へと車を走らせました。


そこで、まずは『閑谷学校』で撮った何枚かの写真をご紹介したいと思います。^^
(ちなみに、写真は全て携帯の写メです。・笑)

* * * * * * *

ETC割引のおかげで 瀬戸大橋が1000円で渡れるようになって、一番に行きたいと思っていたのが閑谷学校でした。

そして、閑谷学校へ行くなら紅葉の時期が美しいと、秋の訪れを今か今かと待ちわびておりました。

先日のこと、ある旅行会社のチラシの中で、「閑谷学校の紅葉」を見るツアーを見つけました。
ということは、その時期 かなりの人出になると思われます。

落ち着いた風情も魅力の一つである場所なのに、人混みの中で見学するのは戴けないと、
紅葉にはまだまだ早いのですが、一足先に訪れた次第です。。。


*

「この地は読書・学問するによし」       

紅葉にはまだ早い閑谷学校

この校門(正門)の向こうに、
天下の三賢候の一人とよばれる岡山藩主・池田光政候によって創建された世界最古の庶民のための学校、『閑谷学校』の敷地が広がっています。

寛文10年(1670年)に建設が始まり、現在の姿に整えられたのは元禄14年(1701年)です。

創立以来、儒教精神に基づく教育がなされ、他藩からの入学者、学者、文人の来遊も相次いだのだとか。

その場所に立つと、キリリと身が引き締まります。

紅葉にはまだ早い閑谷学校

閑谷学校の写真は、これまでにも何度も見たことがあったのですが、
実際に目の前にして、これほど凛然とした建物だとは思いもしませんでした。

ずっと茅葺きだと思っていた講堂の屋根も、この地ならではの備前焼の瓦で敷き詰められておりました。

耐久性に優れた備前焼瓦は、ふつうの瓦が60年ほどしかもたないのに対して、300年以上経った今でも その殆どが当時のもの。
軒下には陶管を施し、雨水に対する対策も万全です。

*


備前焼瓦ともう一つ、
閑谷学校に独特の景観を演出しているものが、校地を取り巻く785メートルの石塀です。

周りの景色に溶け込むその風情と精巧さに、思わず溜め息が出てきます。
上部のカーブが、なんともいえない味わいを醸し出しているんです。        

紅葉にはまだ早い閑谷学校

日に照らされて、暖かくなったその石を、私は何度も何度も摩りました。
う~ん、いい触り心地!

しかし、、、どうやって この微妙な曲がり具合を造り出したんだろう。。。
私は腕を組み、しばし石塀を眺めながら唸っていました。

紅葉にはまだ早い閑谷学校

紅葉の季節、きっと燃えるような赤いモミジが続くのでしょうね~。
ここで愛でる紅葉は、お寺や日本庭園で観るものとは一味違う趣きがあるように思います。


そして、孔子像を祀る聖廟や講釈が行われた講堂と、学生たちが寝泊まりしていた学坊(現在は資料館)との間には、樹木の茂らない人工で築かれた丘がありました。
それは、万が一 学舎や学坊から火が出るようなことがあっても、講堂などには絶対に火が及ばないようにと造られた火除山でした。


*

また、閑谷学校より東へ500メートルほど行くと、「黄葉亭」と呼ばれるお茶室がひっそりと建っています。
そこは、来客の接待や教職員と生徒達の憩いの場として用いられていました。

私はその黄葉亭へ向かう途中、案内板を見間違え、池田光政候の遺髪などを納めた塚がある椿谷へと足を踏み込んでしまいました。

最近、私は不思議とお墓に縁があるようです。(^^;

ですが、ここへ至る椿の道の見事なことといったら!
これは実は紅葉よりも椿の方が素晴らしいかもしれません。
苔むした木の肌もいい感じです。                   

紅葉にはまだ早い閑谷学校

次回は早春に訪ねてみよう。^^

椿よし、梅よし、桜よし、、、。
紅葉の季節以外も見応えのある閑谷学校、私のイチオシの史跡となりました。


講堂は、学校建築の中で唯一の国宝です。

紅葉にはまだ早い閑谷学校

紅葉にはまだ早い閑谷学校

ここで、一と六の付く日に教授による四書五経などの講釈が行われていました。

そして、江戸時代から今に至るまで、この床も丸柱も、ここに座った生徒達によってピカピカに磨き込まれています。^^                 



<ご案内>

・10/24(土)に、「釈菜(せきさい)」という儒学の祖・孔子の徳を称え祀る儀式が行われます。
 閑谷学校では1686年の秋、津田永忠らによって執行されたのが始まり。
 湯島聖堂・多久聖廟などでも行われる珍しい儀式で、閑谷学校の釈菜が最も簡素で、最も厳粛とされます。
 講堂での論語講釈もあるそうです。


・年に10回、講堂にて論語の朗誦を中心とした一般の方向けの「日曜論語」が行われています。
 次回は11/1。
 釈菜と日曜論語は事前に申し込みが必要です。

 
・閑谷学校には、中国の孔子林の種を育てた一対の楷の大木があります。
 その紅葉が大変美しいらしく、11/7(土)~11/15(日)の夜にライトアップがなされます。


詳しくは、公式ホームページ(http://shizutani.jp/)をご覧下さい。^^

涙で描いた鼠。

涙で描いた鼠

それは水墨画の絵師で知られる禅僧・雪舟のお話。



室町時代のこと。
備中国赤浜(現・岡山県総社市)に生まれた雪舟は、幼少時代を宝福寺という禅寺で修行しました。

絵が好きだった少年・雪舟は、修行もそこそこ、お経も読まずに絵ばかり描いていたそうです。
そこで、禅師は雪舟を柱に縛り付け、反省するよう促しました。

夕刻になり、雪舟の様子を見に来た禅師は、その足元で逃げようとする鼠を見つけたそうです。

慌てて捕まえようとしましたが、その鼠は動かない。。。
よ~く目を凝らして見てみると、それは雪舟が流した涙を足の親指で描いたものだったという話。

*

その言い伝えが残る「井山宝福寺」が、備中国分寺より車で10分ほど北西に向かった処にあります。


涙で描いた鼠

その「方丈」という建物の中で、雪舟は涙で鼠を描きました。
方丈とは、禅寺寺院の住職の居室であり、室町中期以降は仏像や祖師像が安置した本堂の役割を担う建物です。


残念ながら、天正3年(1575年)の゛備中の兵乱"の際にその方丈は焼失し、雪舟が縛られたという柱は現存しておりません。
その後、二度にわたって復興されたものが、現在の姿です。(↑)



このお寺の庭園も それはそれは美しく、隅々まで手入れが行き届いておりました。
朝一番の空気は清々しく、その落ち着いた佇まいに自ずと背筋も伸びてきます。

そして、至る所に植えられたモミジの木、、、きっと秋には色鮮やかな紅葉で見る者を楽しませてくれることでしょう。^^

*

この宝福寺と先月末訪れた高梁市の頼久寺。
どちらも細やかな心配りが感じられ、とても清楚で気持ちのいい空間でした。

岡山県って、歴史も古く、文化も高く、意外と見どころたっぷりなのですね。
ちょっぴり嬉しい発見です♪^^

               

涙で描いた鼠
~宝福寺・雪舟碑~

400年の眠りから覚めた蓮。

400年の眠りから覚めた蓮

~備中高松城址公園にて~


蓮の花を見たのは、これが初めてのことかもしれません。

もちろん、大仏様の台座として描かれる蓮華は、例えば奈良の東大寺でも見ましたし、
極楽浄土には蓮池があって、その周りをお釈迦様がぶらぶらとお歩きになられているということ(?)も、芥川龍之介の゛蜘蛛の糸"を読んで知っています。(笑)

ですが お恥ずかしいことに、よく見かける睡蓮の花と勘違いしていたかもしれません。^^;

*

~池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好(よ)い匂(におい)が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。
極楽は丁度朝なのでございましょう。~

さすがは芥川龍之介。 その描写力に思わず拍手を送りたくなります。


私が見た蓮の花は どれも薄いピンク色の蕾を膨らませていましたが、僅かに咲く花の金色の蕊は陽の光を浴びて、とても神々しい姿を見せてくれました。

* * * * * * *


その場所は、高松城址公園。
羽柴(豊臣)秀吉が水攻めをし、そこで゛本能寺の変"を知ったという備中高松城の跡地です。

この高松城は沼地に囲まれた平城で、水面との比高が僅かしかなく、人馬の進み難い要害の城だったといわれます。

秀吉にとっては珍しく苦戦をし、数か月に及ぶ持久戦となりました。

そこで この城を堤防で囲い、梅雨による大水で見事に城を湖中に孤立させました。


本来ならば ここに招き入れるはずだった織田信長が6月2日の゛本能寺の変"で敗れ、これをかたく秘めた秀吉は毛利方と和議を結び、
城兵の命と引き換えに、城主である清水宗治は自刃に倒れました。(1582年6月4日)

*

城址には当時の面影は全くなく、綺麗に整備された公園は地元の方達の憩いの場となっていました。

そして、本丸と二の丸の間にあったという沼地には、一面に蓮の葉が広がっていました。

                   
400年の眠りから覚めた蓮

これらの蓮は、当時のものが地下で眠っていたものです。 
沼が復元されて後、およそ400年の時を経て、再び芽を出したと言いますから驚きです!


近くには、清水宗治の辞世の句がありました。
「浮世をば 今こそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の苔に残して」



それを読み、改めてこの蓮を見下ろしてみると、なんだか胸がきゅんとしました。

その゛きゅん"を噛みしめながらの帰り道でした。。。 
                               合掌

これも怪談?!

何故にそれほど疲れたかと言いますと、、、


それは備中国分寺からの帰り道でした。

ガイドブックを片手に、私は「造山古墳」を目指すつもりでした。


~昔の私は、、、

小学6年生の頃、最も行きたい場所が仁徳天皇陵という一風変わった子供でした。(笑)

中学時代には、夏休みの自由研究として地元の古墳群を調べ歩いたこともあります。

そして大学4年生の春、奈良に一週間ほど滞在し、神武天皇陵、天武・持統天皇陵、そして石舞台古墳など、飛鳥の地をサイクリングしながら回りました。~


そんな古墳好き(?)な私ですから、備中国分寺をチェックした時から、全国でも第4位の大きさを誇る造山古墳が気になって仕方がなかったのです。^^

すっかり古墳熱が再発してしまった私は(笑)、国分寺近くにある「こうもり塚古墳」にも足を伸ばしてみようと計画を立てました。

*

ちょっと面倒な顔つきの両親も、駐車場から200メートルとの看板に、しぶしぶ同行を決めた様子。
綺麗に整備された道路を、何人もの観光客の後をついて歩きました。


なのに、ふと気が付くと、辺りには誰もいなくなり、私と両親の3人だけに、、、。
200メートルのはずなのに、行けども行けども古墳には辿り着きません。

辺りは段々と暗い雰囲気になってきました。
薄気味悪い小道が続きます。><

まだかな、まだかな~、、、と進むうち、小道の分岐点に「こうもり塚古墳まで300メートル」という看板が現れました。

????? ますます、遠くなるのはなぜぇ~?????


その時、ふと足元を見降ろしました。

出た~~~~~!!!(><) 一瞬、私は飛び上りました!

いえ、それは幽霊ではなく、、、ただの亀さんです。^^;


けれど、つい一週間ほど前にお目にかかった月照寺の「大亀」のリアルさが、まだまだ不気味で強烈に脳裏に残っていた為に、
あの亀がはるばる岡山まで私を追いかけてきたのかと、自分の目を疑いました。
(6/3日記に写真)

亀さんはじ~っとして動かない。。。 生きてるの? 死んでるの?

そぉ~っと近づいてみました。
あの大亀と同じように首を上に向けています。

普通、亀がこんな道の真ん中でいる~?

ここまで歩いてきたの? (返事なし)
私を道に迷わせたのは、おまえなの? (やはり、返事なし・笑)

お水を持ってきていたら良かったね、、、暑くて亀さんもバテてしまったのでしょうか。
全く動こうとはしませんでした。 


しばらく眺めておりましたが、、、

ちゃんと、松江に帰りなね。。。^^
亀さんに挨拶をして、私はそのまま古墳へと向かいました。

*

さて、遠回りしてクタクタになって辿り着いた「こうもり塚古墳」。

ガイドブックには、゛飛鳥の石舞台に匹敵する巨大な横穴式石室"とあるにもかかわらず、しっかりと鉄の柵で仕切られておりました。(T_T)


しかも あんなに迷わなくても、私の愛車の待つ駐車場とは目と鼻ほどの距離でした。
一体、どこを歩いていたんだか…。^^;

きっと、あの亀さんが呼んだのね。。。


ぐったりと疲れ果てた私達が、造山古墳へ行く気力がなかったことを、ここに付け足しておきましょう。(苦笑)
                         

これも怪談?!

父の日。

父の日

今日は゛父の日"ということで、父のたっての願いであった「備中国分寺」へ行きました。
(これも、ETC 1000円のおかげです♪^^)


備中国分寺は、岡山県総社市(そうじゃし)にあります。

田園風景が広がる中、ひっそりと優しい面持ちで現れる五重塔は、吉備路を代表する景観として親しまれてきました。
その立ち姿は、数ある五重塔の中でもひときわ上品で、女性らしく感じます。

ただ、少し不便な場所にあるだけに、岡山の名所を殆ど渡り終えた父でさえも、未だそれを目にしたことがありませんでした。


私はというと、岡山に住む友人に一度だけ連れて来てもらったことがあります。
それは9月。一面に咲くコスモスに笑顔がこぼれました。^^

今回は、少し離れた場所に沢山の向日葵が明るく笑っておりました。^^
もうそんな季節なのね、、、と思いつつ、私の持つこの五重塔のイメージと大量の向日葵の花がミスマッチで、写真に撮ることは却下!(笑)

こんもりとした緑の中から顔を出す五重塔が、今も昔も変わらぬ懐かしい風景のように思えます。


*

そして、平山郁夫画伯が「備中国分寺五重塔(平成3年7月)」(↓)を描くために取材したという場所から、この五重塔を見上げてみました。^^

父の日

父の日

* * * * * * *

その国分寺から車で2分。
昨年オープンしたばかりの小さな洋食屋「Kanata」さんでランチを戴きました。^^

私が選んだメニューは゛ハンバーグのかくれんぼ"。
(どこが゛かくれんぼ"なんだ!というツッコミはしないで下さいね。・笑)

地元の野菜や肉・魚を使っているらしく、味付けはあっさり気味、ちょっとしたドレッシングにさえも一工夫加わって、とても美味しく食べれました。(*^^*)

食後にコーヒーゼリーとお飲み物。

明るい雰囲気の店内と、清楚な感じの店員さんも好印象です。^^

                      

父の日

<Kanata>
岡山県総社市地頭片山7-2
0866-92-5478
11:00~22:00、火曜日が定休日です!

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