I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
MENU

湖東三山・西明寺(さいみょうじ)

「まあ、ここに座りなさい。」

国宝の本堂の中に足を踏み入れた私に、お寺の男性が声を掛けてくださった。

「どちらから見えられたのですか?」
「四国の香川です。」
「じゃあ、ライバルというわけだ。」
???
「ここはね、天台宗のお寺なんですよ。」
「ああ、お大師さま、、、」


湖東三山・西明寺


彦根城の帰り、いたるところにある桜並木に目を奪われながら、湖東三山のひとつ、西明寺を訪ねた。
一番美しいのは紅葉の季節らしいが、8年ほど前、同じく湖東三山の百済寺(ひゃくさいじ)を訪れた際、京都とはまた違う趣きの深さに感動し、他の二つの寺院もお参りしたいと思っていた。
湖東三山とは、琵琶湖の東側にある三つの天台宗寺院をまとめてそう呼ぶ。


「ここの本尊の薬師如来さまは秘仏でね、実は私も見たことがない。」
この後、40分ほど説明が続くことになろうとは知らない私は、「へえ」と本堂中央に座した。

写真の薬師如来像は左手に薬壺を持ち、右手の薬指は少し前に曲げられていた。
薄暗くてよく見えなかったが、薬壺を持つ左手も僅かに薬指のみ曲げられているようだった。
「薬指は薬師如来さまからいただいた指でしてね、薬などはこの指で塗ると治りが早いですよ。」

「生きている間は誰しも病気をしますから薬師如来さま、生まれる前は釈迦如来さま、亡くなった後は阿弥陀如来さまが守ってくださります。
釈迦如来さまは手のひらを見せる形、薬師如来さまは先ほども言ったように薬指を曲げてらっしゃる。そして、指で輪を作ってらっしゃるのが阿弥陀如来様。」

こういう話をじっくり聞く機会がなかった私は、少し前のめりになって真剣に頷いていた。

秘仏の薬師如来像を祀った箱の両側に並ぶ十二の像にライトを移して説明を続ける。

「あんたの干支はなにかな?」
「ネズミです。」
「じゃあ、子年の像を拝むんだよ。それ以外に拝んでも聞いてもらえないから。」

薬師如来を守護する十二神将は、生まれ年の干支の守り本尊とされている。
「ここの十二神将立像は、文字の読めない人にもわかるように頭上に干支を乗せてるのでよく見てごらん。」
「この像が造られた当時、日本にはトラと羊が入ってきていなかったから、この二つは本物と全然似てないのが面白いだろ。」
西明寺の十二神将像は、運慶の弟子の作と伝わっている。

「ここはね、宝くじとギャンブル以外はなんでも言うことを聞いてくださるからね。それも一つだけじゃない、いくつお願いしても聞いて下さる。」
別に頼み事をしようと思ってお参りにきたわけじゃない私は、何をお願いすればよいか思いつかずきょとんとした。

「もしも他の方のお願いを代わりにする場合は、その人の干支に向かってするように。」
「実は、私も息子もここでお願いして癌が治ってね。・・・・・・・・・・・」


おじさんは非常に話が好きらしい。
住職さんではないとのことだった。

湖東三山・西明寺


「あ、国宝なのはこの建物の本堂と三重塔。どちらも鎌倉時代の作で、まず本堂が滋賀県第一号の国宝に指定されて、その数年後に三重塔。二天門は室町時代作で重要文化財。」


湖東三山・西明寺


「実はこのお寺も戦国時代に織田信長に焼き打ちされたんだけど、本堂と三重塔、そして二天門のみ焼かれずに済みましてねえ。」
昔習った教科書では、信長といえば延暦寺の焼き打ちとしかなかっただけに驚いた。

話は延々とその後も続いた。


外は青空が広がり、さきほど歩いた庭園では陽の光が眩しく踊っているに違いない。
この寺のお庭は蓬莱庭と呼ばれ、薬師如来や十二神将などをあらわした石組と鶴亀の形をした島が浮かぶ池が美しい。
苔の緑に心鎮まる。


湖東三山・西明寺



ー 龍應山西明寺略縁起 ー

西明寺は平安時代の承和元年(834)に三修上人が、仁明天皇の勅願により開創された寺院である。
平安、鎌倉、室町の各時代を通じては祈願道場、修行道場として栄えていて山内には十七の諸堂、三百の僧房があったといわれている。
源頼朝が来寺して戦勝祈願されたと伝えられている。
戦国時代に織田信長は比叡山を焼き打ちしてその直後に当寺も焼き打ちをしたが、幸いに国宝第一号指定の本堂、三重塔、二天門が火難を免れ現存しているのである。
江戸時代天海大僧正、公海大僧正の尽力により、望月越中守友閑が復興され現在に至っている。


スポンサーサイト

彦根城の桜

4月3日、ちょうど満開を迎えた桜を観に彦根を訪ねた。

彦根城の桜

彦根へは、どんなに車を飛ばしてもわが家から5時間は優に掛かる。
だが、彦根城の桜が一番好きだと母は言う。

彦根城の桜


濠を囲む咲き誇った無数の桜の競演もさることながら、一本一本の枝ぶりも花弁のまとまりも別格の美しさだと私も思う。


彦根城の桜

彦根城の桜



彦根行きを決めたのは、先月末のことだった。
その日の朝、行きつけの喫茶店で古い雑誌を開いた私は、こんな記事を偶然目にした。


「城にはなぜ桜が咲くのか」


彦根城の桜


その中で、日本城郭史学会代表(当時)の西ケ谷恭弘さんはこう語っていた。(以下、抜粋)


日本の城址を訪ねると、近くに護国神社が建てられていることが多い。
明治4年の廃藩置県により、日本のほとんどの城郭は破却され、その跡地の広々とした城址は、招魂社や学校、軍用地などに利用される。
招魂社は東京では靖国神社、地方では護国神社と呼ばれ、戦死者の霊を祀る社であり、その霊を慰めるため桜が植えられたのがそもそものきっかけである。

明治政府は桜が一斉に散るさまを「潔し」とし、武士道精神に関連付けて桜の植栽を進めた。
護国神社の桜は、やがて城址も埋め尽くしてゆく。
折しも明治34年、土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲の「荒城の月」が発表され、城と桜の結ぶつきを強めた。


彦根城の桜


城と桜は、明治維新以降に結びついたもの。
戦国から江戸期まで、何の関係もなかったと、西ケ谷さんは言っている。

本来、城に植えられた木は松だった。
松並木は防風林となり、夜警の松明や柵を作る用材にも使え、樹皮の下の白く柔らかい部分は水でふやかせば救荒食にもなる。
また、松脂は油や止血剤にもなり、松茸も採れる。
松山城や高松城など、名前に松を冠する城が多いのはその名残である。



読みながら、そうだったのかと納得した。

以前も彦根で花見をした際、昭和9年に桜を植えるまで彦根城に桜は殆どなかったと耳にしていた。
また、彦根城前には滋賀懸護国神社が鎮座している。
私が20代半ば頃、職場のデイサービスで「同期の桜」を泣きながら歌っていた明治生まれのおじいさんの顔も思い出された。


彦根城の桜


今では桜のない城など想像すらできないが、名城には桜が本当によく似合う。
そう改めて感じた花見となった。


彦根城の桜

彦根城の桜

彦根城の桜


花ぞ昔の香ににほひける

日ごと天気が移り変わる春、休みと好天が重なった今月2日に弾丸観梅ツアーを敢行した。

思い付きは前夜だったが、そうと決まれば早起きなんかは苦でもない。
早朝5時に家を出て、龍野西SAで厚切りトーストに姫路アーモンドバターのモーニングを堪能、10時過ぎ大阪城公園に辿り着く。
予定では9時半には到着するはずだったが、田舎では縁のない駐車場事情と融通のきかない道路事情に戸惑ってしまった。


大阪城公園の梅林が素晴らしいことは以前母から教わっていた。
20年以上前になるが、大阪城を訪れた際に天守閣から見下ろした先に広がる梅林に驚いたという。


いつになく寒さ厳しい冬が長引き、梅の開花が大幅に遅れた今年、まだ満足に梅を見ていないことから大阪行きを決めた。
雪に縁のない生活で車は夏タイヤのまま、近場でウロウロするしかなかった鬱憤をここで晴らそうとも思ったわけだ。

急な遠出に少し面倒くさがっていた母も、大阪城と聞いて腰を上げた。


大阪城公園


結果、大満足の一日だった。
天下の名城は梅の花もよく映える。

屋台のたこ焼き屋のお兄さん曰く、「今年は寒かったからやっと咲き出したところ。2~3日前から多くの人が集まるようになってきたよ。」


大阪城公園

大阪城公園

大阪城公園

大阪城公園

大阪城公園

大阪城公園

大阪城公園


一気に暖かくなったからか、咲きはじめにしては開いた花が多かったように思う。
小梅が愛らしい。

公園内では梅に囲まれ囲碁を打つおじいさんやお弁当を広げる人々、中国や韓国はもちろん、フィンランドやフランスなどの外国人観光客とも大勢すれ違った。
みんな自国の言葉で話しかけてくるので、何処から来たのかよくわかる。
それはもちろん、私にではなく私が連れている愛犬たちに。
犬を連れて入場できることも嬉しかった。

大阪城公園


20年前と比べると人出が多く、人混みになれていない私たちには大変だったが、母は父との思い出の場所を懐かしむことができたようだ。
それならばと、父を追憶する旅を母にプレゼントしようと今あらためて計画中である。


大阪城公園


今年最後の紅葉狩り。

2017年、今年最後の紅葉狩り

先月は本栖湖より千円札裏面の富士山を拝んできたので、今日は10円玉表面へ。

宇治の平等院鳳凰堂。

10円玉、10円玉と思っていたら、一万円札の裏面に描かれているのだって平等院の鳳凰像であるし、二千円札裏面はここ宇治も舞台になっている源氏物語絵巻と紫式部の絵柄である。

と、別に貨幣柄を追っているわけではなく、今年最後の紅葉狩りに奈良を訪れ、その帰りに京都へも立ち寄った次第。
奈良から四国への帰り、交通量が多く走りにくい阪奈道路を避けるのに京滋バイパスが頭に浮かんだのだ。
京滋バイパスは名神高速より南を走るため、京都市内ではなく宇治の平等院へ行こうということになった。

2017年、今年最後の紅葉狩り

2017年、今年最後の紅葉狩り


平等院にはこれまで一度だけ訪れたことがあった。
大学入試の二次試験の帰りだったと記憶しているので、もう20年以上昔のことになる。
もちろん世界遺産に登録される前の話であるから入園者もそう多くなく、まして外国人の観光客には全く会わなかったように思う。
鳳凰堂内部に入るのだって当時は入園料だけで良かったような気がするが、今は別料金の上、解説付きの団体行動にまごついてしまった。

過去の記憶が美化されているのかもしれないが、昔の鳳凰堂の方がしっとりしていたなあと残念に思った。

2017年、今年最後の紅葉狩り


それでも、本尊の阿弥陀如来坐像と雲中供養菩薩像を目の前にすると「ほお~」とため息が出てしまう。

阿弥陀像は平安時代の仏師・定朝の作であることはうろ覚えながら頭に残っていたのだが、彼の作と確実に言い切れるものはこの本尊のみということを初めて知った。
定朝が完成させた寄木造りのまさに頂点のような作品。
その柔らかさは、実に極楽浄土をイメージするのに相応しい阿弥陀様のように感じた。


2017年、今年最後の紅葉狩り

こうして今年最後の紅葉狩りは、平等院の阿弥陀様のお顔のような柔らかい色合いで締めくくることとなった。

奈良の大仏さん。

「ついで」というのは神仏事では褒められたものではないが、せっかく奈良まで来たのだからと東大寺に立ち寄ることにした。

いや、東大寺というよりは「奈良の大仏さん」に会いに行こうと思ったのだった。
「奈良といえば大仏さん、大仏さんといえば奈良」だろう。


奈良の大仏さん


奈良の大仏さん


奈良県内には何度も足を運んでいる私だが、ここ10年近く大仏さんを訪ねていない。
そういえば、奈良公園の鹿さんたちにも挨拶しよう。
それになんといってもこの旅の本命、運慶を中心とした慶派一派による「南大門の金剛力士像」を忘れちゃいけない。


奈良の大仏さん


奈良の大仏さん


そして東大寺の中で最も天平時代に思いをはせることのできる「八角燈籠」も楽しみだった。
飛鳥からは100年ほど歴史は浅いが、それでも700年代。

日本はどんな未来を目指していたのだろうか。




なんか久しぶりに「奈良に来たー!!!」という感じだった。



奈良の大仏さん


奈良の大仏さん


今年は10月7日~9日に「鹿の角切り」があったらしい。
そして、秋は鹿さんの恋の季節、発情期のため注意するよう教えてもらった。

今年三度目、飛鳥の旅。

「わしは六甲を見ながら育っとったんか、と思ったわけよ。」

ふらり立ち寄った「ぶどう」と掲げた産直市のおじさんは、二上山と畝傍山、甘樫丘の遥か向こうに連なる山々を指してそう言った。
なんと、明日香村から神戸の六甲山が見えるんだそうだ。
そろそろ西日本では終わりに近い頃だろうか、色も味も濃い巨峰を味見する私に、おじさんは教えてくれた。


今年三度目、飛鳥の旅


石舞台古墳の傍にある食堂で昼食をとった私たちは、桜井市にある二つの寺院を巡るため車を走らせていた。

どこもかしこも日本の古代史に登場する場所、おじさんの話は尽きない。
「ここは小原(おおはら)地区といって、藤原鎌足誕生の地でね。」
懐かしい日本の原風景が広がっている。


奈良県は飛鳥地方。
今年5月、キトラ古墳と高松塚古墳壁画を見学して以来の訪問だった。

車窓からは、黄金色に実った稲穂にすでに色あせた赤い彼岸花の景色が続く。
青空の下、ススキの穂は気持ちよく風になびいている。
ところどころ古代へといざなう史跡案内の道しるべが道行く人の目を引いていた。
ここはいつ来てものどかでいい。

今年三度目、飛鳥の旅


そして今回のお目当てが、ここ飛鳥でしか出会えない仏像を巡ることだった。


一つは聖林寺(しょうりんじ)の国宝・十一面観音菩薩。

あのアーネスト・フェノロサが激賞したという天平時代のミロのヴィーナスだ。
お姿全体から溢れる堂々たる優美さと指先まで行き届いた繊細さに、よくぞ廃仏毀釈の波を乗り越えてくれたと心底思う。
そして、ここは郊外のひっそりとしたお寺であるため、国宝の観音菩薩と一対一で好きなだけ対面できる贅沢さえも味わえた。


* * *


現在、興福寺中金堂再建記念特別展として『運慶』展が東京国立博物館で開催されている。

それに触発されたわけではないが、「ちょっと快慶を観に行こう」と思い立ったのが、この飛鳥旅のはじまりだった。
ちなみに、『快慶』展は、奈良国立博物館にて今年の春に大盛況で幕を閉じている。

国宝級の仏像が並ぶ特別展も悪くはないが、なにせ人の多さが気になる私は年々そういう展示ものから足が遠退き、またどれもこれもがメインの仏像ではすべての印象がぼやけてしまうこともあり、面倒ではあるが一つ一つ足を運べたらという想いが飛鳥まで私の背中を押してくれた。


それは、日本三文殊のひとつである安倍文殊院のご本尊、国宝・渡海文殊菩薩群像。


今年三度目、飛鳥の旅
(安倍文殊院HPより)


今から800年以上も昔に大仏師・快慶によって造立された、説法の旅路の文殊様が4人の脇侍を伴って雲海を渡っている姿を現したものだ。
獅子に乗った文殊菩薩像は高さ7mにもなり、日本最大の文殊様でもある。

もうなんと言えばよいのか、
素晴らしい、美しい、神々しい、圧倒されるなどという月並みな表現では到底表しきれないものがそこにあった。

いつまでもいつまでも見ていられる、見ていたいお姿。

飛鳥の地でまた新たに出会えた尊い仏像に、はるばる車を走らせた疲れも一気に吹き飛ぶ。


今年三度目、飛鳥の旅

境内には可憐なコスモスが風に揺れ、のどかで優しい飛鳥の秋がそこにあった。


picchukoに老眼疑惑。

京都国立近代美術館を後にした私は京都最古の禅寺・建仁寺に赴いた。
洛バス100号に乗れば、近代美術館から建仁寺の最寄りとなる清水道まで乗り換えなしで行くことができる。

そのお目当ては俵屋宗達の「風神雷神図屏風」(原本は京都国立博物館へ寄託)ではなく、天井画の「双龍図」と海北友松の襖絵「雲龍図」。

この寺には龍や風神雷神図以外にも、禅宗の四大思想である地水火風を表すとされる「〇△□乃庭」に禅庭の「潮音庭」など見どころは沢山あるのだが、その日の私は龍に集中と決めてあった。

時間に余裕がなかったこともあるが、とにかく大迫力で龍が見たい!そんな気分だった。

であるから、寺に到着するや一直線で法堂(はっとう)へ向かう。
法堂の天井に双龍が描かれている。

picchukoに老眼疑惑
小泉淳作筆「双龍図」・縦 11.4m、横 15.7m(畳108枚分)

これは建仁寺開創800年を記念して、構想から2年の歳月を経て平成13年10月に完成し、平成14年に開眼法要が執り行われたもの。
建仁寺の歴史の中で、この法堂の天井に龍が描かれた記録はなく、創建以来初めての天井画となるらしい。

通常の雲龍図は大宇宙を表す円相の中に龍が一匹だけ描かれることが多いのだが、この双龍図は阿吽の龍が天井一杯に絡み合う躍動的な構図が用いられ、その二匹の龍が共に協力して仏法を守る姿なのだと説明書きにあった。

picchukoに老眼疑惑

頭上一杯の大迫力でしばし動けず。

picchukoに老眼疑惑

picchukoに老眼疑惑
海北友松筆

龍は仏法を守護する存在として、禅宗寺院の天井にしばしば描かれてきた。
また「水を司る神」ともいわれ、僧に仏法の雨を降らせると共に、建物の火災から護るという意味が込められているのだそうだ。

龍の大胆にうねる構図と大きく見開いた眼(まなこ)は描く者によってその表現は千差万別であるが、それぞれに趣きがあって出会うたびに胸に届くものがある。
海北友松の龍は特にしびれるものがあった。

海北友松(かいほう ゆうしょう)は安土桃山から江戸時代にかけての絵師であり、父は浅井家に仕える武将であったらしい。
若冲より100年以上昔に生きた人なのか。
ちょうど今年の4~5月に京都国立博物館で開館120年を記念して彼の特別展があったらしいが、その情報を知らなかった私は惜しくも見逃してしまった。
いや、海北友松という人物自体、恥ずかしながら知らなかった。
改めて、自分は日本画家の絵師に対して全く知識がないことを痛感する。


ここで、せっかく一人で京都のお寺に来ているのだからと写経に挑戦することにした。
般若心経は頭の「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」くらいしか知らないけれど、どうせ紙に書かれた文字を筆でたどるだけだから私にもできるだろう。
筆の代わりに筆ペンもお寺に用意されていることもあり、気軽に申し込みを行った。

picchukoに老眼疑惑

書き始めて2~3行目だったと思う。
とにかく文字が薄い。
画数が多く少し崩された文字、ましてや常用漢字にないものはなかなかわかりづらかった。

顔を近づけたり遠ざけたり、どうにかしてその線を辿ろうと努力するものの薄くて見えない。
用紙を持ち上げて透かしてみるもはっきりとせず、自然と目を細めながら手を伸ばして見ようとする自分に気づきハッとした。

も、もしや、老眼?????
40代にもなるとそろそろと聞いてはいたが、とうとう私もその仲間入りなのか?

老眼とは老いる眼と書く。 そう、老いると書くのだ。

そうなると、もう心鎮まるはずがない、心穏やかなはずもない。

最初こそ一文字一文字丁寧に文字を追っていたが、見えにくい文字がどんどん現れてくるたびに心は乱れていく。
そして、いくつの文字を誤魔化しただろう。

こうして、自分としては生まれて初めての写経は45分かけて未完成のまま完成した。

あんなに満足した龍もそっちのけで、頭の中は老眼の二文字がぐるぐる巡る。
すぐさまスマホで「老眼」を検索する。
すると、どうも老いた眼の症状に私はまだ当てはまらないようだ。

単なる疲れ目か、眼鏡の度数が合わなくなったか。


しかし建仁寺以来、老眼疑惑が私に付きまとって離れないことをこの場で白状しておこう。

picchukoに老眼疑惑

一人いにしえの旅。(4)

璉珹寺を出たのが16時少し前。
その日午前3時起床の私は、そのまま帰路に就くつもりだった。
それでも帰宅は午後8時を回るだろう。

阪奈道路を目指して奈良市内を走っていると、IC手前で看板に唐招提寺と薬師寺の文字が現れた。


ふとキトラ古墳で出会った女性との会話を思い出す。
「今日はこの後どちらへ?私一人暮らしだから、良かったら泊まっていってもいいのよ。」
「いえ、今日は日帰りの予定なんです。でも、キトラ以外の予定は全く立ててないです。」
「なら、石舞台からすぐのところにある談山神社はどう?中大兄皇子と鎌足が大化の改新の談合をしたところ。」
「そうですねぇ。」
これまでに二度そこを訪れている私はあまり乗り気じゃなかった。

「じゃあ、唐招提寺と薬師寺がいいんじゃない。」
どちらもすでに行ったことがある。
けれど、それは20年以上も前のことだ。
薬師寺は現在、『凍れる音楽』と謳われる東塔が修理中で観れないのが残念だけど、唐招提寺の落ち着いた雰囲気はいいかもしれない、そうちらっとその時思ったのだった。


時計は午後4時を過ぎたところ。
えいっと車を左折した。
そこから唐招提寺まではすぐだった。
大きな駐車場に車を停めて南大門をくぐると、大勢の観光客が引き上げた後のひっそりとした金堂が目に入って来た。

一人いにしえの旅(4)

一人いにしえの旅(4)


懐かしかった。
大学時代、一週間ほど滞在した奈良はレンタサイクルであちこち巡った。ここもそうだ。
この南大門の先に見える金堂の外観は有名すぎて、それでも昔から好きなお寺だったなと、しばらく立ち止まってその景色と向き合った。

一人いにしえの旅(4)

そこに立つ盧舎那仏と薬師如来像、そして千手観音像の迫力は言葉にならないほどだった。
作は奈良時代。
改めてすごいなと感心した。

たぶん、22歳の私はそれらに圧倒されすぎて、それ以外は見ずに帰ってしまったか、それともそれ以外の記憶は全く飛んでしまったか。


私は受付でもらったリーフレットを見て、ぐるり境内を一巡することにした。
拝観時間は残り40分しかない。

一人いにしえの旅(4)

講堂と鼓楼を見て、礼堂・東宝の横を通って開山堂へ。

開山堂には鑑真和上の御身代わり像が祀られている。
有名な国宝の像は毎年6月5、6、7日の3日間のみ開扉され、それ以外は御身代わり像を参拝してもらおうとつくられたらしい。
それは本物を模造して、当初のお姿を再現しようとしたものだ。
しかし私は、その像に心を打たれることはなかった。

御身代わり像に手を合わす人たちをするりと抜け、私は鑑真和上御廟に向かうことにした。

一人いにしえの旅(4)

一人いにしえの旅(4)

5人の団体にガイドさんが一人、先客がいた。
何食わぬ顔でガイドさんの話に耳を傾ける。

「当時、お坊さんの墓を建てることはなかったんです。像を作ることもなかった。なので、絶対とは言い切れませんが、これは日本で初めてのお坊さんのお墓ということになります。」

「そして、この細い木をご覧ください。これは瓊花(けいか)という木なんです。瓊花は鑑真和上の故郷、唐の揚州にあった花なんですが、ながらく門外不出の花でした。」

一人いにしえの旅(4)

「昔の皇帝がその花をたいそう気に入って門外不出としたのです。ですが鑑真和上遷化1200年の昭和38年、特別に揚州からいただいたものがこちらに植えられています。」
「花が咲く時期は4月下旬から5月上旬、残念ながらもう終わってしまいました。」

その時、「あそこに見えるのは花ではないですか?」と誰かが言った。
「あれ?ホントですね!普通ならもう終わっているのですが、日当たりが悪くてまだ残っていたのですね。」

一人いにしえの旅(4)

それは紫陽花によく似た花だった。
わずかしか咲いてはいなかったが、それでもその珍しい瓊花を見れたことはツイテるなと思った。


一人いにしえの旅(4)

そして鑑真和上に手を合わせた後、正倉院よりも古い日本最古の校倉造である経蔵と宝蔵を見て、再び金堂でお参りをし、南大門を目指す。


ここで今回のいにしえの旅は終わった。

やはり、やはり奈良はいい。
時空を超えて再び奈良を訪れよう。


一人いにしえの旅。(3)

先月のこと、行きつけの珈琲屋さんで、特別企画として「仏をたずね、京都・奈良へ」と題した雑誌を目にした。
ちょうど石舞台古墳で花見をした数日後のことで、帰りに拝した飛鳥大仏と中宮寺の菩薩半跏像の余韻からまだ冷めきれていない私は自然とその雑誌に手が伸びた。

そこでふと目に留まったページに、白い女性の美しい阿弥陀如来像が袴を履いて立ってらした。

その像は鎌倉時代作、モデルは光明皇后とある。
女人の裸形という珍しさもあってか、頭の片隅にそれは深く刻み込まれた。


一人いにしえの旅(3)



キトラ古墳、高松塚古墳、天武・持統天皇陵と巡った帰り道、せっかく奈良まできているのだから一つくらいお寺参りでもしようかなという気になった。

その時思い出したのが、その女人像だった。

場所は奈良市内、奈良公園の近くにある璉珹寺(れんじょうじ)という小さな寺で、もともとは紀氏の氏寺である紀寺だったところだ。

一人いにしえの旅(3)


雑誌で見かけなければ、きっと足を踏み入れることのなかった場所。
フシギな縁を感じながら門をくぐった。

2人の女性が立ち去ろうとしているところに私が入り、薄暗い本堂の中はお寺の方と私だけという静かな時間になった。
御住職の語られるテープを流していただき、御本尊を見上げる。

写真のお顔よりもうんと柔らかい表情をされていた。
説明にそって仏様の頭を見ると、それはよく見られる丸まった螺髪ではなく綱を巻き上げたようになっており、指と指との間は水かきのような曼網と呼ばれる膜があり、それは一切の衆生を救い上げるという意味なんだとか。

「どうぞ間近に。」
テープが終わるとそのお言葉に従って、手を伸ばせば届く場所でゆっくりとじっくりと拝させていただけた。

本当に華奢で女性らしい美しさ。
金色の袴には細かく様々な図柄が織り込まれている。

その袴は50年に一度お取替えされるのだという。
平素は秘仏とされるこの像は、昔は袴のお取替えを行う時だけ御開扉されていた。
しかし、現在は毎年5月の一箇月間のみ御開扉され拝観することが許されている。

本堂を出たのち奥の部屋へと案内される。

そこには平成10年に取り替えられるまで仏様が召されていた、一つ前の袴がガラスケースの中に納められていた。
その真ん前に座り、説明を受ける。

写真には写っていないが、鶴の模様が沢山入ったその袴をじっくり覗くと、そこには先ほど飛鳥で出会ったばかりの「玄武・朱雀・白虎・青龍」も描かれていた。
白虎はひときわ浮き出る白っぽい糸で織られており、それが袴の印象を明るく見せている。
この絵柄はこの仏様だけのもので、それは昔から変わっていないのだそうだ。


ここでも出会えた四神の絵。
飛鳥の帰りにここに立ち寄ったのも、やはり何かの縁だったのだろうか。

一人いにしえの旅(3)

お庭を眺めながら琵琶茶で一服していると、「これもご覧くださいな」と一冊の雑誌を持ってきてくれた。
それは創刊40周年記念特大号と書かれた『クロワッサン』という雑誌だった。

「あ、これを見てここに来たんです、私。」



私が席を立った時、また別の見物客が現れた。
一気に押し寄せるのではなく、入れ代わり立ち代わり、ちょうどいいペースで参拝者が続くその場所は、境内にニオイバンマツリやオオヤマレンゲが咲き競う小さな小さな寺だった。

一人いにしえの旅。(2)

「もうこの頃になると防衛やら他のことにお金が必要だったのか、古墳も小さくなっちゃったわね。」
声の主はまた彼女だった。

「ホント、私の町にある地方豪族の古墳の方がまだ大きいくらいです。でも、さすが高貴な方のお墓だけあって中はすごいですよね。」
「この向こうに天武・持統天皇陵があって、この一帯はその血筋の者たちの古墳が集まってるのよね。」
天皇に近い存在ならば、この壁画のように当時時代の最先端だったものが描かれているのも頷ける。
たぶん、優秀な渡来人たちの存在が大きいのだろう。

「鎌倉時代に一度盗掘されてるらしいけど、その後古墳に入ろうとする者はいなかったのかな?」
私が一人呟くと、「たぶん、たぶんだけどね、祟りを恐れて入らなかったんじゃないかしら。」
ということは、鎌倉時代の泥棒はその後不幸な最期を迎えていて、それを祟りととらえて後世まで言い伝えられた、、、彼女の真剣な表情に、なぜかそうなのだと納得させられてしまった。
展示物の中には、その泥棒さんが盗掘時に使った瓦器片も発掘品に並んでいる。

以上、キトラ古墳での話。




「きっと高松塚でも会えるわね。」
そして、キトラ古墳横に建てられら壁画体験館・四神の館の駐車場で別れてから5分後、私たちは高松塚壁画仮設修理施設の前で再会した。

一人いにしえの旅(2)

一人いにしえの旅(2)



予約なしでも見学の許可を戴いた私は、彼女と同じグループで修理室に入ることができた。

そこはキトラのそれと違って、実際に壁画を修理している場所、その場所にずらっと並べられた石室の断片を窓越しに見学するというものだった。

それは博物館のように見せる展示をしておらず、非常に見えにくいという印象を誰しもが持ったと思う。
そして、思うより小さい絵というのが一番の感想だった。

なので手前にあった玄武や青龍、飛鳥美人を描いた女性群像などは比較的よく見えたのだが、少し離れた場所に置かれた男性群像や天文図は全く見ることができなかった。


一人いにしえの旅(2)

一人いにしえの旅(2)

けれどみんな夢中だ。
みんな夢中でガラスに張り付いていた。
だって、あの壁画が、あの飛鳥美人が目の前にあるのだから。

気が遠くなる時を越え、こうして壁画と向き合っているなんて、それぞれにみんな胸に浪漫を抱いているみたいだった。

僅か10分の見学だが、こんなすごいものを無料で観させてもらえることもありがたい。
日本人みんなの宝物なんだなって、じーんとなった。



「たぶんここの埋葬者は忍部ね。」
彼女の解説はまたここから始まる。

「近くに古代米のランチが食べられるお店があるんだけど、一緒にお昼食べない?」

それからもう1時間、私は彼女の古代飛鳥物語を延々聞くことになる。


一人いにしえの旅(2)

一人いにしえの旅。(1)

ちょうど一週間前、何気なくテレビを付けるとNHKの歴史秘話ヒストリアで高松塚古墳の壁画について取り上げられていた。

高松塚古墳といえば今から45年前、飛鳥美人で有名な鮮やかな色彩の壁画が見つかり、考古学史上まれにみる大発見と騒がれた史跡。
それは遠い記憶の歴史教科書に数多く並ぶ写真の中でもひときわ印象に残っていた。

その高松塚古墳の壁画修理作業室が公開されることを、番組最後に知らされる。
これで17回目、これまでだって公開されることを知らないわけではなかったが公開時期に間に合ったのは初めてのこと。
私は早速文化庁のホームページを開いてみた。
しかし期間中の応募定員はすべて満員、この番組で応募した人も多いだろうが、その競争に負けてしまった。

けれど未練がましく探していると、「キトラ古墳」の文字が目に入る。
キトラ古墳も一時期話題になった考古学ファン憧れの場所。
その石室内からも壁画が発見されており、今のところ壁画の残る古墳は国内ではキトラと高松塚しか見つかっていない。
そして、そこでも壁画公開が行われているという情報を目にすることができたのだった。



5月16日、私は先月も訪れた奈良は明日香村へと車を飛ばす。
応募したキトラ古墳の壁画見学の参加証が届いたのだ。
急きょ決まったことで、前もっての知識は全くないが気にしない。

それは訪れて知ったこと、キトラも高松塚に勝るとも劣らない壁画が存在したということだ。
高松塚と同じ、四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)が描かれており、その姿もほとんど同時期のものゆえかよく似ている。
残念なことは、どちらの古墳も鎌倉時代に盗掘を受け南壁に盗掘孔があけられており、そのせいで高松塚の朱雀は残っていないのだが奇跡的にキトラのものは助かった。

そして高松塚においては石棺を囲むようにある女性群像などの代わりにキトラには十二支が描かれ、頭上には現存する世界最古の科学的な天文図が広がっている。
ちなみに高松塚の天文図は略式のものだ。


今回はその中の青龍と十二支の寅のみの公開であったが、内心鳥肌が立つほどの興奮であった。
有名な高松塚が見れないのは惜しいけれど、実はキトラの方が凄いんじゃないか、、、そう思いながら目の前の壁画に見入っていた。

壁画は現在、そのままにしておけばやがて崩れてしまう極端なもろさであるために石室内より取り外されている。


一人いにしえの旅(1)

一人いにしえの旅(1)



「私は高市だと思う。」
急に声がして振り向くと、隣りに立つ年配の女性が私に向かってそう呟いた。

この古墳の埋葬者が誰なのか断定はできないが、様々な説の中から天武天皇の第一皇子で太政大臣にまでなった高市皇子だろうと彼女は言う。
私も高市だといいなと思っていたので、素直に彼女の話に耳を傾けていた。

「高松塚とキトラは兄弟。」
古墳自体も類似点が多いが、高松塚の埋葬者も天武天皇の皇子である忍部皇子が最有力候補とされている。

「あなた、高松塚壁画も見に行くんでしょ?」
「いえ、応募するにも満員で無理だったんです。」
「大丈夫よ。当日必ずキャンセルが出るから行ってみなさい。」

彼女に出会わなければキトラの壁画だけで満足していたかもしれない。
私は壁画見学後、キトラ古墳を見てから高松塚壁画にも足を延ばしてみることに決めた。

「キトラは本当に可愛い古墳よ。」

こんもりと小さく盛られたその古墳は、まさか内部にこれほどまでの宝物が埋もれていたのか信じられないほどひっそりと存在していた。

長い長い時間、ここで埋葬者と共にそれらは眠りから覚めるのを静かに待っていたのだろうか。
私はしばし古墳の前に立ちすくんでいた。


一人いにしえの旅(1)

一人いにしえの旅(1)

明日香の地を訪ねて。

今年は桜の開花予想が立てにくく、まずは第一弾で訪ねた土佐国分寺は全くの空振りだった。
もちろん地元にも桜の名所は山ほどあるが、この時期だからこそ花見を兼ねての遠出がしたい。
高知くらいの距離ならば外れを引いても諦めはつくが、片道200km以上もの距離を走るのであればできるだけ最高の状態でと思ってしまう。
一昨年と去年に行った彦根城が大当りだっただけに余計に期待もしてしまう。

だが、桜の開花状況に天気と休み、この3つをクリアするには雨の多いこの時期特に難しい。

その中で選んだのが、4月10日(月)、奈良県は明日香村。
近くには藤原京跡もある日本の古都だ。

同じ古都なら京都でもいいのだが、「歳がいくとあの人混みはどうにもこうにも我慢ならない」と田舎者の母が言う。

もともと私も奈良好きで、大学時代は一週間ほど滞在してあちこち巡ったこともある。
当時、明日香村もレンタサイクルでユニークな巨石や古代浪漫を探してまわった。

明日香の地を訪ねて

その明日香村にある石舞台古墳。
築造は7世紀初めとされ、蘇我馬子の墓という説が有力だ。
城と桜、神社仏閣と桜、瀬戸の島々と桜、桜には色んな景色が似合うのだが古墳と桜という組み合わせも私には新鮮で面白かった。
その日はあいにく薄曇りであったが、なかなかの趣きだ。

明日香の地を訪ねて

明日香の地を訪ねて

明日香の地を訪ねて


近くには聖徳太子の生誕地とされる橘寺や日本最古の仏像を祀った飛鳥寺もある。
何度訪れても心癒される場所。

明日香の地を訪ねて

明日香の地を訪ねて

明日香の地を訪ねて

明日香の地を訪ねて


飛鳥大仏を拝んだのはこれで三度目だったのだが、初めてその美しさに見惚れてしまった。
内から滲み出る慈悲のようなものが感じられたのだ。
桜も良かったが、最も心に刻まれたのが飛鳥大仏だったような気がする。

帰りには足を延ばして斑鳩の里にも。
お目当ては法隆寺ではなく中宮寺の本尊菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩)。

遠い遠い昔の人たちも向き合った仏様に、しばし包まれた時間だった。


明日香の地を訪ねて

緑と対話する、

そんな一日になりました。

2016-05-21 14.瑠璃光院

2016-05-21 18.瑠璃光院

2016-05-21 20.瑠璃光院

2016-05-21 19.瑠璃光院

2016-05-21 23.瑠璃光院

2016-05-21 26.瑠璃光院

2016-05-21 12.瑠璃光院

2016-05-21 11.瑠璃光院

2016-05-21 08.蓮華寺

2016-05-21 09.蓮華寺

2016-05-21 10.蓮華寺


緑の上で踊る光と影の移ろいに、息を呑みました。

じーっと緑を眺めていると、心が満たされていきますね。


京都市左京区は、瑠璃光院と蓮華寺にお邪魔致しました。


城の崎にて。

私が高校1年の時であるから、もうかれこれ25年も前になるが、
ある日、先生はさらっと太宰治の志賀直哉批判の話をしてから「城の崎にて」の授業に入った。

一通り読んだ後、私を指名し感想を聞いた。
だが当時、太宰好きだった私は先ほどの先生の話ですっかり志賀直哉を受け入れられなくなっていた。

「私、この人の文章、嫌い。」

内容は全く頭に入っていなかった。
正しくは、「好かん」って答えたと思う。

「わし、いらん話をしてしもたみたいやの。」
先生はあの時、きっと苦笑いしていた。


その後、ずっと志賀直哉を敬遠していた私だったが、何年も前に尾道を訪れたことで「暗夜行路」をきっかけに彼の作品を読むようになった。

意外にも読みやすく、情景も自然と浮かんでくる。
描写がいい。


ただ、それでも「城の崎にて」はあの授業以来手に取っていない。


2015-11-25 10.城崎温泉


11月下旬にしては暖かかった昨夕の城崎は、浴衣姿でぶらりぶらり歩く観光客で賑わっていた。
いい湯だった。


封印された「城の崎にて」、もうそろそろ解ける気がする。

まるでそれは一幅の絵を見るようだった。

雨がひとしきり降った朝、紅葉を見に但馬の安国禅寺を訪れた。

年々口コミで広まったその紅葉は、多い日には狭い境内に3千人もの人が押し寄せるそうだ。
もちろん、お寺の方がうまく誘導してくれるのだが、できればゆっくり穏やかに観賞したい。


香川から兵庫県豊岡市にあるお寺までは片道およそ4時間半掛かる。

拝観時間は朝の8時から。

朝一番ならそう人も多くないだろうと、再び得意の真夜中ドライブを決行することにした。(笑)


この安国禅寺は、夢窓疎石の薦めによって足利尊氏が全国各地に国家安泰祈願のため建立した安国寺のひとつ。
歴史は古いが、七堂伽藍を有したというその境内は享保2年(1717年)に火災により焼失し、現在建物はそれより北方に移されている。

その本堂の裏庭に、樹齢100年を越えたドウダンツツジが広がっている。
それが秋になると真っ赤に燃え上がるのだ。

その僅か2週間、お寺は一般客にも開放される。



2015-11-10 03.安国禅寺



安国禅寺に着いたのが7時半。

駐車場は私が気づいた範囲で第4駐車場まであり、第3駐車場から入る細道は一般車両はご遠慮願いますとの看板が立っていた。
だが、まだ時間が早いのと、母が高齢であったため、寺門を掃除していたご住職の奥様が、お寺のすぐ前に停まらせてくれた。

「遠方から来てくださったんですね。」 

気さくに声を掛けてくださり、「まだ拝観時間ではないですが、せっかくなのでどうぞ中へお入りください」とまで言ってくださった。

恐縮しながら車を降りると、奥様は私の車のナンバーを見ながら、「私も香川の出なんですよ」と話し出した。
そこから一気に親しみが沸いたように会話も弾んだ。


2015-11-10 11.安国禅寺


私は写真を見て知っていたが、全く想像だにしていなかった母はこの瞬間、思わず「うわぁ」と声をあげた。

知っていたはずの私も息を呑んだ。


「上にあがって、もっと前の方でゆっくりご覧になってください。」

私たちは祀ってある達磨大師にお参りもせず、そのドウダンツツジから目が離せなくなった。


「昔は一本の株だった木が、子や孫でここまで増えましてね。
それにここは雪深いところでして、本来なら上へ上へ伸びる枝が雪の重みでこんな風に横へ広がったんですよ。」

「これは雪が造った芸術ですね。」

奥様はこまごま用事をされながら、そんな話を聞かせてくれた。


「それで、いつからこんなに有名になったんですか?」

その時、上述したお寺の縁起を教えてくださり、
「20年前、昔のお寺の跡地に千本ものナツツバキの群生が見つかりましてね。
たぶん、当時お庭に植わっていた木の種からなんでしょうけど、それが先に話題になったはずなのに、今ではこのドウダンツツジの方が見事だと有名になりまして。」

「春には白い可愛い花が一面に咲くんですよ。紅葉の方が見事だから、春は開放していませんけど。」 
そう言って、2枚のポストカードをお土産にくださった。


「へぇ、夜中に香川から来なさったんですか。 それは遠いところから、、」
そう言いながら、お寺のおとこしさんがお盆に急須と茶碗を乗せて現れた。

「せっかくやから、ドウダンツツジをバックにこれを真ん中に置いて写真を撮ってあげますよ。」

まさかお茶までと一瞬思った私は、「そうお気遣いなさらずに」と喉まで出かかっていた言葉を飲み込んで正解だった。(笑)



2015-11-10 09.安国禅寺



それは、まさに一幅の絵を見るようだった。





奥様から戴いたポストカードは、そうだ、ドウダンツツジが大好きな恩師へのお土産としよう。

2015-11-10 12.安国禅寺のポストカード

あんぽ柿。

高野山へ行く前日、「そういえば、和歌山の美味しいものって何があるだろう?」とネットで検索してみた。

梅や蜜柑では面白くない。
高野山参詣の記念に仏前に供えれるものがいい、と思った。
でも饅頭はありきたりだし、親しい方達にもちょっぴり印象に残るお土産になるものがいい、とも思った。


そこで目を引いたのが「あんぽ柿」。
渋柿を干したものではあるが、乾燥して黒ずんだ堅い干し柿ではなく、果肉がしっとりやわらかで半生のような柿のこと。

香川ではお目にかかったことがないが、美味しそうだしちょっと珍しいかも、と興味がわいた。


金剛峯寺16.jpg


金剛峯寺を後にした私たちは、その「あんぽ柿」を探していくつか土産物屋を覗いてみた。

けれど、高野山名物の麩饅頭やごま豆腐、高野豆腐に梅といったものばかりが並んでいるだけで、どこにも柿は見当たらない。

時季が違うからかなと思いつつも通販では年中買えることを思い出し、高野山で見つからないなら和歌山港までの道中で探すことにした。

スマホで再び検索し、産直市場をナビに入力。
ちょうど高野山から和歌山市へ向かう途中にあるかつらぎ町が、平核無柿の生産日本一ということで期待が高まる。

そしてナビの案内に従っていくと、途中「串柿の里」という看板が目についた。
ナビが示す産直市とは違う方向だが、看板の数の多さに自然と「串柿の里」へ足が向いた。

少しづつ「串柿の里」を山奥へ入って行くと、一軒の店で干し柿を見つけた。
そこで聞くと、「あんぽ柿は季節のものだから、年内(11~12月)くらいしかないですね」と言われてしまった。


諦めきれずに、もう一つの店で尋ねる。


かつらぎ町・串柿の里.jpg


「ありますよ。あんぽ柿は冷凍だから、年中あります。うちにも保存しているのがありますよ。」

「家はこの近くだから、入り用分取ってきましょうか?」


「お願いします!!!」即、返事した。


串柿の里にて4.jpg

串柿の里にて.jpg


そのお店で食事も戴く。 素朴で懐かしい、田舎のおばあちゃんの味。
きっと、あんぽ柿もそうだろう。


あんぽ柿.jpg


無添加で素直な美味しさがギュッとつまった「あんぽ柿」。

口にすると和歌山の自然が思い出される。



帰宅早々、恩師の家を訪ねた。 「高野山のお土産です!」

「まぁ、懐かしい。 昔は毎年福島の友人が送ってきてくれてたの。」
あんぽ柿はもともと福島が発祥らしいことを、恩師の話で知った。


だが、私にとっては高野山参詣の想い出の味として、これからも時々懐かしむだろう。


亀山苑長からの葉書.jpg


恩師も、そしてきっと亡き父も喜んでくれたと思う。
仏前に供えたあんぽ柿は、一段とおいしそうだった。




藤を見に、丹波の国へ。

私が人生の師と仰ぐ方が大の寂聴さん好きで、その影響か私も瀬戸内寂聴訳「源氏物語」を読んでいる。

色恋沙汰も面白いが、嫉妬や嫌がらせなどの人間臭いところが千年前も今も全く変わってないのが興味深い。

ストーリーは大和和紀さんの漫画「あさきゆめみし」を子供のころより何度も何度も繰り返し読んで頭に入っているのだが、文章として読むとまた違った新鮮さがあることに気が付いた。


美しい日本語と和歌の数々。
遠い時代の人々の繊細さに憧れる。


その源氏物語の世界に色艶を添える藤の花。


百毫寺の藤2.jpg


丹波にある白毫寺の九尺藤が見事だと聞いて訪ねてみた。


百毫寺の藤6.jpg

百毫寺の藤8.jpg


せっかく光源氏に負けぬ男前をと思ったが。(笑)

ウルスの藤.jpg

彦根城の桜は格別でした。

夜中1時に出発。(笑)

今年の桜は『彦根城』と決めていたので、毎日ネットで開花情報をチェックしていた。
数年前にブロ友さんがアップされてた写真に衝撃を受けてから、ずっと彦根城の満開の桜を狙っていたと言っても過言じゃない。


一昨日の夕方、とうとう開花状況が満開となった。

天気は少し前の週間予報では曇り時々雨であったのに、曇り時々晴れに変わっている。
それ以降はまたも続く雨、曇り。
土曜日なら高速も安い。

帰宅後とっとと片付けを済ませ、急きょ彦根行きを決行した。

道中二、三度休憩をし、朝7時半に到着。
少しづつ人出が増してきていたが、お堀の周りをきっと毎日そうしているであろう人達が普段通り散歩やランニングを楽しんでいた。


彦根城・桜3.jpg


もう何と言っていいんだろうね。
あまりの見事さに言葉を失うやら、我を忘れるやら。

こんなにも素晴らしい桜の景色は、どう思い出しても生まれて此の方観たことがない。

彦根城の桜は日本のどこにでもあるソメイヨシノなんだろうが、土や水もいいのかな。
樹齢80年生が優等生なんだろうか。
もともと城には桜が似合うし、お堀と桜、石垣と桜は定番と言えるほど調和するけど、彦根城が国宝だから桜も国宝級といった感じかも。(笑)

とにかく、桜一本一本からして別格だった。
桜にも格があるんだと、大袈裟ではなくそう思った。



彦根城・桜5.jpg


彦根城・桜2.jpg


「今日はちょうど名古屋城も見頃だったんだけど、やっぱりこっちを選んじゃいましたね」と話すのは、名古屋からのカメラマン。
今年は満開時にあいにくの天気とあって、悩んだあげくの選択だったようだ。

「私の花見は毎年ここ。」 宝塚から来た可愛い愛犬連れの女性もいた。


四国では滋賀県の知名度が低いからか、これまで彦根城の桜について聞いたこともなかったが、これほどだもの、有名なはずだ。
朝一で来て良かったと思った。


彦根城・天守閣4.jpg


城好きの人は今年は姫路城へ足が向くかなと単純に思ったが、どうだろう、彦根城には桜にも天守閣にも独特の趣きと魅力がある。
固定ファンも多いだろうな。

琵琶湖も遠く望める。


彦根城から琵琶湖を望む.jpg


彦根城8.jpg


ちょうど青空も眩しくなって、これ以上にない花見日和となってくれた。


彦根城の桜と飛行機雲.jpg


彦根城・桜.jpg


彦根城の内堀.jpg


そして、一番観たかったのが外堀の桜。
溢れんばかりに盛り上がった一面の桜に、「この桜を観るまでは死ねない!」とずっと憧れ続けてきた。

彦根城の外堀3.jpg


彦根城の外堀.jpg


なので、もう思い残すことはない、、、


彦根城の外堀2.jpg


というくらい満足できた彦根城の桜と、お城のすぐ目の前にある『たねや』のお菓子。(笑)




再会の悦び。

修理のため、長い間その姿を仰ぐことができなかった姫路城。

『大天守の再オープンは平成27年3月27日!』というニュースがちらほら届くようになって、頭の隅で「行きたいな~」と思っていた。
しかし昨年の夏、久方ぶりに城の全貌が見えるようになり、そのあまりの白さに「白すぎ城」とまで言われた写真がネット上にアップされると、私も思わず「えー」となった。

ほんとだ、白すぎる。

汚れやくすみで褪せた姫路城の姿が脳裏に焼き付いたままで、本来の姿だというその白さに違和感を持ったのだった。
それよりも、先に「白すぎ」という見出しの文字が飛び込んできて、「白すぎて変」というイメージが刷り込まれてしまったのかもしれない。

だから、姫路を通過する際でも城に立ち寄ることもなく、これまで月日が流れてた。


それでも、『3月27日グランドオープン!』の声が聞こえてくる。
今週半ばからは祝いのプログラムがめじろ押しのはず。
そしてオープンしてしまったら、ちょうど花見の時期と重なって、それは恐ろしい混みようが想像できる。


今日は天気もいいし気温も高いし、、、ということで、白すぎ承知で行って来た。


姫路城3.jpg


姫路城4.jpg


実物は、想像を大いに裏切って、その白さが殊さら美しかった。

友人が教えてくれた。
黒い板張りの岡山城に対して漆喰の姫路城、烏城と白鷺城、男城と女城。
黒白の対比からしても、この白さが最も美しい。


まだ天守に登れなくとも、城の周りは多くの人で賑わっていた。
待ちわびていた日がもうすぐ来る悦びが伝わってくるようだった。


まるでおしろいを塗ったような真っ白で愛らしい姫路城、おかえりなさい!(笑)

そこらじゅうに植えられた桜の蕾も膨らんで、青空に映える天守を見上げながら、いい季節の訪れを感じた今日。


人の入りが落ち着いた頃、今度は愛犬たちを連れてこよう。



今度こそ! チャジャンミョン!!!

今度こそ! チャジャンミョン!!!

9月18日の出来事です。

ブログのお友達・うさぎの春子さんに、大阪の今里にある韓国式中華料理店、『紫金城』へ連れて行ってもらいました!

以前、「チャジャンミョンが食べた~い!」と私が日記に書いていたのを覚えてくださっていて、

韓国料理屋さんではなく、中華料理屋さんでもない、韓国式中華料理店を見つけてくださったのでした。
さすが、大阪!(*^^*)


前にも書きましたが、私がクライストチャーチで韓国人の友人にご馳走してもらったのが、
真っ黒なタレのかかった麺料理、『チャジャンミョン』です。

韓国では中華料理店で見かけるものだそうですが、それは中国のジャージャー麺から派生した食べ物だから。

韓国人のソウルフードと呼ばれるその麺を、NZから帰国後10年間、私の力だけでは日本で見つけ出すことはできませんでした。
う~む、韓国式中華料理店にあったとは☆


そして、何より嬉しかったことが、今回 食べたチャジャンミョンが、懐かしいクライストチャーチの韓国料理店で食べたものとよく似た味だったこと。

最初の一口は、ちょっと甘さが違うかな~と感じたのですが、
じゃがいもが沢山入ったトロミのある豆味噌のタレが、コシのある少し太めの麺にしっかりからんでくると、
あ~、あの味だ~。と、体は大阪にありながらも、心は瞬時に2001年のクライストチャーチへ戻った感じでした。^^

あ~、あの味だ~。
それこそ、さすがに表には出しませんでしたが、心の中は嬉し涙でボロボロ、ボロボロ。(笑)

え~、え~、見た目は汚いですよ。
食べる時はこれをグチョグチョ混ぜて、口の周りに黒いタレがビチョビチョ飛び散って、、、。(^^;

え~、え~、それは決して上品な食べ物ではないですよ。
ですが、お行儀の悪い私にはそんなことはどうでもいいことですし、何よりこれが思い出の味なのです。
懐かしい大切な思い出を前にして、汚いとかお行儀が悪いとか、そんなことを気にする方が野暮なこと。(笑)


実は、2月のクライストチャーチ大地震以降、私の精神状態は見えないところで何かが狂っていました。

毎日、ふとした時に急に目頭がぎゅっとしめつけられて、車の中では一人泣いていましたし、
どこか心が重く傷つき、決して晴れ渡ることがありませんでした。
大聖堂が崩れた時、自分の心の半分までも崩れてしまったようで。

ですが、9月に入ってラグビーW杯が始まり、オールブラックスの活躍と、彼らの逞しい姿に少し勇気づけられ、
そして、この『チャジャンミョン』の味に、全てが失われたわけではないんだと気付きました。

私なんかより、クライストチャーチとそこに住む市民の皆さんの方が、ずっと早くに立ち直って前へと向かっている。
私とは比べ物にならないほど傷ついた人達が頑張っていることを、この『チャジャンミョン』の味で思い出したのでした。


あ~、美味しかったぁ~。(o^ー^o)
本当に美味しかった。 心の底から美味しかった。 涙が出そうなほど、すごく美味しかったです。

うさぎの春子さん、どうもありがとうございました!!!!!



また弱音を吐きそうになった時、大阪までチャジャンミョンを食べに行こうと思います。

〈紫金城(しきんじょう)〉
大阪府大阪市生野区新今里3-10-26
06-6751-8844
近鉄今里駅より徒歩5分

このカテゴリーに該当する記事はありません。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。