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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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阿蘇神社、参詣。

昨年の熊本地震でショックを受けたのが熊本城と阿蘇大橋、そして阿蘇神社倒壊の映像だった。
神社の楼門と拝殿の無残な姿には居たたまれない気持ちになった。
神様がいらっしゃる場所なのにどうして、とも思った。


阿蘇神社、参詣

阿蘇神社、参詣



別府港から高速で湯布院へ、そこから下道で2時間ばかり。
至るところで地震の爪痕を目にしながら走った。

阿蘇神社も復旧工事中で大きな囲いがされており、私はどうお詣りすればいいのか戸惑い、無料のボランティア案内を頼むことにした。

案内役の女性は気さくな人柄で、手水の手順から丁寧に説明してくださった。

阿蘇神社、参詣

「ここは神武天皇の孫にあたる『健磐龍命(たけいわたつのみこと)』を中心に、その子孫を含め12の神様を祀ってあります。
なので、それぞれお得意の分野がございますので、どんな願い事でも叶えてくれますよ。」

そんな話から始まったと思う。

私は去年の地震で倒壊するまで、実はこの神社の存在すら知らなかった。

「もともと有名な神社だったんですねー。」
「結婚式で謡われる高砂の歌をご存知ですよね。」
「ああ、『たかさごや~この浦舟に帆を上げて~』ってやつですね。」母も熱心に聞いている。

「そうです。その高砂の歌に阿蘇神社の神主さんが出てくるんですよー。」

どうやらあの歌詞は、播磨の国・高砂の浦を訪れた阿蘇宮の神官が松の下を掃き清める老夫婦にその松の謂れを問うところから始まるらしい。
詳しいことは世阿弥作・能の演目『高砂』にゆだねるが、

「千歳飴の袋にお爺さんとお婆さんの絵が描かれてるんですが覚えてます?」
私と母はお互い顔を見合わせて首を傾げた。

「お爺さんとお婆さんが箒と熊手を持っているのですが、それぞれどちらを持ってると思います?」
「お婆さんの手に箒、お爺さんの手には熊手が描かれています。どの絵もそうなってるはずです。」

「ほらあ、『おまえ百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで』って言うじゃないですか。
『おまえ百(掃く)までわしゃくじゅうくまで(熊手)』、ね、分かります?
高砂の松の下を掃き清めていたお婆さんが箒を、お爺さんが熊手を持っていたそうです。機会があれば、また見ておいてくださいね。」

阿蘇神社、参詣

「で、これが参道になるのですが、珍しい横参道なんですよ。」
「横参道?」
「普通、参道は拝殿に向かうように伸びているのですが、ここは神社に並行して参道があるんです。」
「昔から阿蘇山の中岳火口は神霊池と呼ばれ、その新宮と国造(こくぞう)神社を結んでいるのがこの参道です。」

阿蘇神社、参詣

阿蘇神社、参詣


参道から一つ中に入ると修復中の楼門と拝殿の前に出た。

「楼門は国の重要文化財なので元々の材木を使って復元することになります。
なので実はこれ、まだ解体の途中なんです。」
「番号をふって、取り壊す方が大変ですものねー。」

「でも、ここの修復には伊勢神宮を受け持った宮大工さんが携わってくれてるんですよ。変な言い方ですけど、ここで技が引き継がれることは嬉しいです。」

母も私も一つ一つに「へえ~」と興味深く聞いていた。

「拝殿があった時は見ることが出来なかった神殿を今なら見ることができますので、ぜひお詣りなさってくださいね。」

「神殿は無事だったんですか?」
「損傷はありますが、楼門や拝殿のように倒壊はしなかったんです。」

阿蘇神社、参詣


「大きな揺れだったのにこの辺りは被害が少なく済んで、みんな阿蘇神社が身代わりになってくれたと言ってます。
それまでも参拝される方に身代わりのお守りを勧めてたんですが、あれからここで身代わり御守りを買っていかれる方が多くなりました。」

阿蘇神社、参詣

聞けば楼門は重要文化財なので国から費用が出るらしいが、拝殿などの修復費用の一切は神社負担となるらしい。
復旧には7年ほどを要するとのこと。
私たちは身代わり御守りを買った後、少しばかりの御奉賛をさせてもらうことにした。

偶然それに対応してくださって神官さんが地震当日当直だった方で、当時の話も聞かせてもらえた。


「全然想像もしてなかったけど、阿蘇神社にお詣りできて本当に良かった。」
母は今でもそう言ってくれる。



改めて、この地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りし、被災された皆様にお見舞い申し上げます。
そして、一日も早い復興を願っています。



帰ろうとする私たちを先ほどのボランティア女性が見つけて駆け寄ってきた。
「お母さんがくまモンをお好きだと聞いて。ちょうど今貰ったものなんですけど、お母さん、どうぞ。」

阿蘇神社、参詣



そのあと、阿蘇神社の北宮とも称される国造神社も参詣した。

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大分で『とり天』を食す。

5月24日から一泊二日で大分と熊本を訪れた。

九州へはこの1年半で三度目の訪問となる。
それまで滅多に行くことはなかったし行く機会もなかったのだが、設備の整った清潔で環境のいいドッグラン付ホテルと出会ってからはお犬様孝行をするために度々足を運んでいる。笑

それは由布岳を真正面に仰ぐ場所にあり、いつもならその美しい姿を存分に眺めることができるのだが、その日は残念なことに深く雲に覆われていた。

けれどおかげで適度に芝生も湿っており、すでに真夏のようにギラギラした太陽を浴びることもなく、二日間好きなだけドッグランで遊べた彼らにとってはいい時間だったのではないかと思っている。

大分で『とり天』を食す

大分で『とり天』を食す


その他の観光はというと、福岡や佐賀などに足を延ばすことも考えたのだが、何故かいつも阿蘇方面へと走ってしまう。

今回は阿蘇と、大分県は杵築市にお邪魔した。


杵築は国東半島の南端にあり、その昔は3万2千石の小さな城下町。
今は和服の似合う町として大きくPRしているらしい。

大分で『とり天』を食す


それは一言で云えば趣きある坂の町。
それもただ坂が続くのではなく、なかなか面白い創りをした町なのである。

市の観光協会の表現をそのまま借りると、日本でただ一つといわれる『サンドイッチ型城下町』。

杵築城を中心に据え、『塩屋の坂』と『酢屋の坂』というそれぞれの坂の上にある南北の高台に屋敷を構えた武士たちは、その谷あいで商いをする商人たちの町を挟むように暮らしていた。
二つの坂は、商人の住む谷町通りを挟み向かいあうように一直線に結ばれている。

大分で『とり天』を食す

大分で『とり天』を食す

大分で『とり天』を食す

高台に続く武家屋敷通りも当時の面影を色濃く残しており、確かに着物を着てそぞろ歩いてみたいと思わせてくれる。

大分で『とり天』を食す


ここで昼食をとることにした。

前日、ホテルで見たテレビで「大分県民のソウルフードは『からあげ』か『とり天』か」みたいなのをやっていて、どちらを食べようかという話になった。
谷町通りで立ち寄った和菓子屋さんのおかみさんは「私は『とり天』の方が好きですかねぇ」と言う。
では、ランチは『とり天』にし、『からあげ』はテイクアウトにしようと決まった。
大分を車で走っていると、いたるところでからあげ屋さんを見かけるのだ。

大分で『とり天』を食す

入ったお店は笑食(わらべ)さん。
なかなかのボリュームだが、とても柔らかくて美味だった。

そして、これだけ食べたのだから満足する。
満足しすぎて、もうしばらく鶏はいいやということになり、からあげは次回までお預けとなった。



デザートは、和菓子屋さんで買ったイチゴの葛アイス。

大分で『とり天』を食す




熊本。

そして、今回見たかった景色が阿蘇五岳。
熊本県阿蘇市の大観峰から見るこの景色だった。

熊本

阿蘇のカルデラもよく見えた。

熊本

実は中学の修学旅行ですでに一度訪れていたのだがほとんど記憶になく、それでも頭の片隅にこの景色が残っていたのか、行きたい、行きたいという気持ちは日増しに大きくなっていた。

そして、やはりここは気持ちのいい場所だ。

空は雲一つなく晴れ、小春日和の恵まれたこの日、柔らかい涅槃像を拝ませてもらった。
ここから望む阿蘇五岳は、その姿から涅槃像に例えられる。



大観峰に到着したのが午前11時過ぎ。
ジュースを2本買い、展望台などでゆっくりと寛いで出発したのが12時10分。

帰りの船は午後2時発ということで、1時40分には港に着かなければならない私たちだった。
この雄大な景色に後ろ髪をひかれながら、一路別府港へ。

寄り道する余裕など全くなかった。

僅か1時間弱の熊本滞在。

微力ながら熊本の復興の応援をと、その気持ちはどこかにあった。
確かに金銭だけが応援ではないけれど、四国に戻って改めて振り返り苦笑した。

熊本で使ったお金、それはジュース2本のたった260円也。



九州、こぼれ話をふたつ。

その1  湯布院の動物病院にて。

「この子の名前はなんていうの?」と先生。

九州、こぼれ話をふたつ

「ウルスです。」
「ウルフくん?」「いえ、ウルスです。」

「もし、また倒れることがあったらその時、まずウルフくんの脈をみること。心臓は空打ちをしてる可能性もあるので、足の付け根で確認できるよう練習しておいてください。」
「そして、その時のウルフくんの状態を動画で撮っておいてください。そうすると、病院に運ばれてからの対処に役立ちますから。」
「再びこういうことがあれば先天性の可能性もあります。5歳までなら先天性、それ以降は後天性で、後天性の場合は脳腫瘍などが考えられるのですが、ウルフくんはまだ3歳でしたよね。」

延々と「ウルフくん」を繰り返す先生でした。
ウルスはドイツ語の語源で「くま」なんだそうですが、九州で「おおかみ」くんデビューです。笑



その2  湯布院で迎えた朝。

ホテルでの就寝前。
「6時に目覚ましかけとくからね」と、私は母に伝えました。

そして次の日の朝。

ピピピ ピピピ ピピピ

スマホが6時を知らせます。
「クリスとウルスを外でトイレさせなくちゃ」、私は目覚ましを止め起き上がりました。

その横で、「地震、地震」と慌てる母。

「地震?」
「今から地震が来るよ!」

どうやら母は私のスマホの目覚ましを、緊急時の合図と勘違いしたようです。

「だって九州だし。この前の鳥取の地震でも同じように鳴ったから。」




九州、こぼれ話をふたつ
湯布院・金麟湖



ウルス倒れる★

九州ふっこう割第2期分が配布されたらしいよ、という情報が友人よりFBでアップされた時には、すでに宿の予約は完了していた。


ウルス倒れる

昨年宿泊した湯布院のドッグラン付ホテルがとても良かったので、今年も九州行きを計画していたのだった。
本当は青葉が茂る頃と思っていたのだが、あの大地震。
なので余計に行きたい思いを募らせての出発だった。
今回も愛犬2匹を連れての旅。


八幡浜港から船で別府へと向かう。
その日は曇り空だったが、デッキにいても潮風が心地いいほど11月にしては気温が高かった。
けれど船内は暖房が入っており、かなりの暑さを辛抱しての3時間弱。
愛犬たちはその暑さと久しぶりのお出掛けに興奮し、水をがぶがぶ飲んでいた。

別府から湯布院へは下道を通っても車で1時間ほど。
相変わらず景色の美しさには息を呑むほどで、まさにドライブ日和。
くねくね道のあちこちで車を止めては由布岳を見上げたり、色づいた木々を眺めたり、なかなか目的地にたどり着けない。

やっぱり九州の自然は大好きだなーと深呼吸ばかりしていた。


予定ではそのままホテルへ直行のつもりだったが、チェックインには少し早く、私たちは金麟湖の畔のカフェで一服することにした。

ウルス倒れる

ウルス倒れる

ウルス倒れる

でも、その判断が間違ってたのかな。
多くの観光客で韓国語が頭の上を飛び交っていて、逆に私たちの方が遠慮がちになるほどだった。
特に愛犬ウルスは何度も彼らの被写体となり、わけのわからない言葉にかなりのストレスを感じている表情。


ウルス倒れる


金麟湖の周りはせっかく見事な紅葉であったのに、ずっしり疲れを背負った午後になってしまった。

そして、ホテルの玄関にて。

白内障のために慣れない場所ではすぐに座り込んでしまうクリスを抱きかかえようとした矢先、バタンと大きな音がして振り向くと、そこにウルスが転倒していた。
一瞬の出来事で、私には何が起こったのかさっぱりわからなかった。

「え?ウルス?ウルス?」
大きな声で呼びかけても、体を硬直させて横向きに倒れているウルスには意識はなく、私はその時ウルスが死んでしまったのかと思った。

「なんで?うそでしょ?」
必死で声を掛け体を擦る。心臓に耳を当てるとまだ動いているようにも思う。

パニックになっている私を見て、ホテルスタッフの皆さんが駆け寄ってきてくれた。
「〇山を呼んで!」
後で聞いた話では、〇山さんという若い女性スタッフは動物を看護する専門学校を卒業されているとのことだった。
「これは低血糖かも。砂糖を舐めさせてあげて。」

「病院には電話しました。すぐに私の車で行きましょう。」
少しづつ体の硬直もとけ意識を戻しつつあるウルスを抱いて、私は〇山さんの車に乗せてもらった。

「病院はこの近くですから。ここ(ホテル)のワンちゃんたちも診てもらってる先生なんです。」
「こういう時は、飼い主さんが落ち着くこと。ワンちゃんは飼い主さんの気持ちを敏感に察知しますから、飼い主さんが慌てているとワンちゃんも不安になるんです。」
「私も沢山子犬を見てきましたけど、低血糖を起こして意識をなくす子は結構いるんですよ。」

初めてのことで動揺している私の不安をなくそうと、運転しながらも彼女は話し続けてくれた。

病院に着くころにはウルスも意識を取り戻し、元気はないものの普通の状態に戻っていた。


ホテルの方達にはとても迷惑をかけてしまったが、あの時もし私だけだったらどうしていいかわからず、あたふたするだけだったと思う。
そして、こんなにも親切にしていただいて、私もウルスも本当に恵まれていたなと感謝している。


九州、温かい思い出がまたひとつ増えた。




阿蘇。

2015-10-20 36.御宿小笠原より

2015-10-20 35.御宿小笠原より


阿蘇の壮大な風景は、気持ちが大きくなって好き。

大きなカルデラに抱かれて、両手いっぱい広げたくなる。


2015-10-21 40.阿蘇


中学生の頃に登った中岳の噴火口は、9月に起きた噴火のせいで近づけず。
草千里より先は通行止めだった。

それでも、私が望んだ景色で阿蘇山は出迎えてくれた。
可愛い米塚もすっかり秋模様。
大分と宮崎の県境で見た一面ススキ野原は阿蘇でも見られた。


2015-10-21 41.阿蘇


2015-10-21 43.阿蘇


杵島岳だろうか、ベルベットのような裾野はまるで高貴な方のドレスみたいで、嘗ての乙女心をくすぐってくれる。(笑)



緒方高千穂線。

九州の旅はこれで六度目。
ちょっと中途半端な数字だけど。(笑)

中学時代、修学旅行で訪れたのが初めてのことで、その時は新幹線が博多駅に着いた時、友達と「はじめの第一歩!」なんて言って飛び降りたのを覚えている。

当時、国語の教科書に草千里の写真が載っていて、のびのびとした阿蘇の風景に胸膨らませたものだ。
実際は阿蘇山の中岳をウォークラリーで登山させられ、ゴールの草千里ではみんな疲れ切った顔で写っている。


だが、その阿蘇の雄大な景色は私の大のお気に入りとなった。

なぜか三十年近くも経って、母にも見せてあげたいと急に思い立った。


それは、十月半ばのこと。
愛媛は八幡浜港から大分県臼杵市へと渡った。

一日目の行き先は、宮崎県高千穂町。
臼杵石仏をするっと観光して、大分県の豊後大野市と高千穂町を結ぶ緒方高千穂線へと入る。


これが結構な山道で、くねくねしたカーブがいくつもいくつも続いており、一向に先が開けない。

まあ、四国遍路で険しい山道の運転には慣れていたので、あれに比べたらまずまずの道幅だし、勾配も急じゃないので運転そのものは苦ではなかったが、ほとんど対向車の来ない知らない山道が延々と続くと、いくら昼間でも不安になる。

それでも、紅葉が始まったばかりの祖母山の頂に癒されつつカーブを縫った。

2015-10-20 07.緒方高千穂線


このまま峠を越えると思いきや、いきなり電灯もない真っ暗で不気味なトンネルが待ち構えていた。

でこぼこしたトンネルの壁面が意外と怖い。
もしも独りぼっちだったら、小心者の私はきっと泣き出していたと思う。

いつまでこの道続くんだろ。



そんな時、一気に前方が明るくなり、一面見渡す限りのススキ野原が現れた。

2015-10-20 08.緒方高千穂線


「うわーーーー!!!」
思わず叫んでしまった。

私は車を脇に停め、転がるように山の斜面を走って降りた。

「後ろに乗ってるクリスもウルスもびっくりしてたよ」、と母。
どうやら、愛犬たちもあきれるほどの勢いで、ススキ目指して駆け下りたらしい。


2015-10-20 09.緒方高千穂線


2015-10-20 10.緒方高千穂線


棚田に輝く稲穂も美しかった。

いい季節に九州へ来た。


2015-10-20 11.緒方高千穂線



それは帰りの出来事でした。

2008-12-21.jpeg

*大分県豊後大野市の緒方川にある『原尻の滝』。
幅120m、高さ20m。
こちらも日本の滝百選に選ばれており、"東洋のナイアガラ"と呼ばれているそうです。

* * *

大分県の臼杵港から高千穂まで、国道10号線を走って2時間半の予定でした。

ところが、実際に掛かった時間は3時間10分。
帰りのフェリーに乗り遅れないようにと、次の日は早めにホテルを出発しました。

「帰りは別の道を走るから・・・」とドライバーさん。
どうも海岸線寄りの国道ではなく、阿蘇山を左手に見ながら真っ直ぐ北へと向かったようです。

私はしばし、うつらうつらしていました。
ある道の駅でバスが停車し、目を覚ましました。

降りるのが面倒だなぁ~、、と私は一人 バスの中に残りました。
気持ちのいい居眠りの真っ只中、K西くんから電話が入ります。
「滝があるんだって~!」

滝ねぇ~。。。滝なら高千穂峡で充分堪能したしなぁ~。
欠伸をしながら しぶしぶ腰を上げ、みんなの後を追う私。

あれぇ~、みんな どこへ行ったんだろう。
滝の音は聞こえるけれど、先程まで見えていたみんなの姿がありません。

『←滝壺』の矢印に従って、私は階段を下りて行きました。

みんな歩くの速いなぁ~。 影も形もありません。
私は急ぎ駆け下りました。

ゴオォォォ~!
その轟音に はっとして見渡すと、目の前には雄大な滝が流れ落ちています。

うわぁ~! この滝も凄いじゃな~い!!!

見ると、仲間の何人かが河原で石を積み上げています。
それは「天安河原」と同じように。^^

私は走りました。夢中で走りました。
最後の階段は段差が大きく、えいっとひとっ飛び!

グキッ☆w(☆o◎)w

バランスを崩した私は勢いよく転びました。
イタタタタ~。(><。)。。
右足首の捻挫です。


私の後を追って来たO崎さんが抱え起こそうとしてくれましたが、簡単には立ち上がれません。
イタタ、イタタ~。(>_<)

「おぉ~い!」
やっとこさ立つことのできた私がその声で見上げると、頭上に掛けられた吊り橋から K西くん達が笑顔で手を振っていました。

「みんな、どこにいたのよ~。(`o´)」
「お店の中を通ると近道だってドライバーさんが教えてくれたよ。(^O^)」
「それなら、それを先に教えてくれたっていいじゃない!(`ε´)」
「あはははは。」 彼は涼しい表情です。

イタタタタ。。。(T_T)
大した捻挫ではありませんでしたが、おかげでその痛みは3日間続きました。

あぁ~、最後の最後まで~。(T_T)



『原尻の滝』は、「道の駅原尻の滝」にあります。
大分自動車道 米良ICより約70分。
こちらも見応えのある風景ですよ!! (^^)/

近くには、瀧廉太郎が作曲した「荒城の月」のモデルとなった山城「岡城」があります。

高千穂峡。

~引く水に麻のをひてて 月待つは  清き河原の 天地根元づくりの家~ 

これは、昭和16年3月に高千穂を訪れた北原白秋が詠んだ歌です。

天孫降臨の際、水の種を移した所とされる天真名井とそのそばを流れる神代川で麻の皮を水に浸して洗う「おこぎ小屋」の夜の情景を歌っています。
翌年亡くなった白秋最後の長歌でもあります。

* * *

『高千穂峡』

高千穂峡は太古の昔、阿蘇火山活動により噴出した溶岩流が五ヶ瀬川にそって帯状に流れ出し、急激に冷却してできた柱状節理の懸崖がそそり立つ渓谷です。

高いところで100m、平均80mの断崖が東西にわたり約7kmも続いています。


写真は、高千穂の象徴でもある「真名井の滝」。

高さ17mの日本の滝百選に選ばれている名瀑です。

私達が訪れた時間帯、ちょうど朝日が射し込んできて、それはまさに感動の瞬間でした。


その神聖な雰囲気に、私は伊勢神宮の五十鈴川を思い出していました。

そういえば、お伊勢さんの御祭神も天照大御神様でしたよね。

そして伊勢神宮が御鎮座されたのも、高千穂神社と同じく垂仁天皇のみ代。


私の中の日本の心が呼び醒されるような・・・。
日本古来の伝説を訪ね歩くのも味わい深いなぁ~、としみじみ思う高千穂の旅でした。^^

天岩戸を前にして。

「30分でバスに戻って来ます。」
ちょっと無愛想なドライバーさんに そう声を掛け、私達は「天岩戸神社」を参拝しました。

この神社の御神体が、天照大神がお隠れになったという洞窟・天岩戸です。


前日、夜神楽を見たおかげで、神話の世界に少しだけ興味が沸いてきた私達。

「手力雄命が投げた岩は長野県にあるんだよね~。」
神楽の説明を思い出しながら、私達は神社へと向かいました。

「天岩戸の洞窟って、思うより小さいのかな~。」
「手力雄命が放り投げたくらいだから、そんなに大きくはないんじゃないか。」
「でも、手力雄命って神様なんだよ。人間業じゃないんだから~。」
仲良しN川さんとの会話です。^^

* * *

参拝の後、一眼レフのカメラを片手にN島氏が走り出します。
「ちょっと待ってよ~!!」私も負けじと追いかけます。
少し凸凹した小径を下って行きました。

「ねぇ~、この先に天岩戸があるの~?」

静かで冷たい空気は、まるで魂まで浄化されるよう。
マイナスイオンを身体全体に浴び、"凄~い、凄~い"を連発しながら小走りで急ぎました。


「えっ?」 息を呑む私達。

「ほぉ~。(*^_^*)
ここが天照大神がお隠れになった天岩戸なんだね~。」

木々が深く生い茂り、眼下には澄んだ川が流れています。
その余りにも神々しい空間に、私達は思わず感嘆の息を漏らしました。

みんな各々の想いに耽りながら、その景観をカメラに収めていました。

「手力雄命が投げた岩って随分と大きかったんやね~。」
N川さんも感極まった表情で、「ほんまやなぁ~。」と大満足のようでした。^^

* * *

後はただ一目散にバスまで帰るのみ。 約束の30分は過ぎています。
はぁはぁ~言いながら、先ほど下った道のりを今度は上って行かなければなりません。

そして天岩戸神社の前まで戻った時、何気に案内板が目に入りました。

「ちょっと、ちょっと~!!!\(◎o◎)/
今、うちらが行った場所って天岩戸じゃないみたいだよ~!!!( ̄○ ̄;)」

「そんなことないよ~。たぶん、ぐるっと回って来たんだよ。」
そのK西君の言葉を遮って、
「ほら~、天岩戸に行くには川の対岸に行かなくっちゃならないんだよ~。うちら、そこまで行ってないじゃない!(>_<)」

「うん、確かに川の反対側には行ってないよ。」N島氏も頷きます。

(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)

あぁ~~~、天岩戸じゃなかったんだぁ~~~。(ToT)

* * *

後で調べてみると、私達が訪れた場所は『天安河原(↑)』といって、ここも意味のある大切な場所には違いありませんでした。

ここは、天の岩屋に隠れた天照大神を外へ導こうと、八百万の神々が相談された場所と伝えられています。

神々を偲ぶことから「仰慕ヶ岩(ぎょうぼがいわ)」とも言われ、岩をえぐったような洞窟の中には祠があります。

ここで石を積むと願いが叶うと云われ、足元には転がる石がないくらい、所狭しと願掛けして積み上げられた石が置かれていました。


又、帰りに出会った神主さんの話に拠ると、天岩戸周辺は足を踏み入れることができないのだそうです。

社務所に申し出ると御神体を拝観させてもらえるそうですが、あまりにも草木が生い茂っている為に天岩戸がどこなのか分かりにくいと仰っていました。
そして、天岩戸の写真撮影は禁じられています。

天岩戸に行けなかったのは非常に残念ですが、やはり手の届かない神聖な場所だからこそ有り難く畏れ多いのかもしれませんね。


しかし、あの感動は、いったい。。。。。(T_T)
この後私達全員に、どぉ~っと疲労感が押し寄せてきたことは言うまでもありません。
トホホ。。。(T_T)

神話の国。

「天岩戸神社」参拝を前に、高千穂ゆかりの"天孫降臨"の神話を備忘録として記しておきたいと思います。。
これらを神々へ奉納した舞が、国の重要無形文化財にも指定されている高千穂の夜神楽です。(12/17日記)

以下、「高千穂 観光ガイド」による。


【ひむかの国に伝えられる 天孫降臨の神話】

〈神々の誕生〉

天地のはじまりとともに神々が現れ、現れてはどこかへ姿を隠し・・・、
そうして最後に現れたのがイザナギノミコト・イザナミノミコトの男女二神でした。

天つ神(高天原に現れた神)一同は、この漂っている国を作り固めよと命じ、天の沼矛を授けました。

天地のあいだに架かる橋天の浮橋の上に立ち、矛で混沌とした海をかき混ぜました。
矛を引き上げる時にしたたり落ちた潮水が、積もり固まって出来たのがおのころ島。
二柱は、天の御柱をまわって夫婦の契りを結び、次々と島を産み、たくさんの神々を生みました。

イザナミは最後に火の神様を生んでお亡くなりになり、黄泉の国へと旅立ちます。
イザナミを追って黄泉の国へ行ったイザナギが見たのはすっかり変わり果てたイザナミの姿。

驚き恐れ慌てて逃げ帰ったイザナギは、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をしました。

この時、脱ぎ捨てた衣服や垢からはたくさんの神様が生まれ、最後に左目を洗うと太陽の神・天照大神が、右目を洗うと暦の神・ツクヨミノミコトが、鼻を洗うと風雨の神・スサノオノミコトが生まれました。

イザナギはこの神々の誕生に大喜びし、天照大神には高天原を、ツクヨミノミコトには夜の国を、スサノオノミコトには海原を治めるように命じたのでした。


〈天岩戸伝説〉

太陽神・天照大神は万物の母なる神。
しかし、その弟の荒ぶる神・スサノオノミコトは、海の国を治めることもせず、高天原に乱入し、乱暴をはたらいていました。

そのことに怒った天照大神は、天岩屋の中に閉じ籠ってしまいます。

太陽神がこもられた世界は闇に閉ざされ、邪神の騒ぐ声が満ち、数々の災いが起こったのでした。

困り果てた八百万の神々は、天安河原に集い秘策を練ります。

そこで登場するのが、踊りの名手・天鈿女命。
岩屋の前で桶の上に乗り、小笹をふりかざしながら面白く踊る姿に神々は声を上げて笑い合います。

この騒ぎを不思議に思った天照大神は、岩屋の戸をわずかに開きそっと身を乗り出します。

そこですかさず、手力雄命が岩戸を押し開け女神を外へ招き出し、ようやく天にも地にも明るい光が戻ったのでした。


〈天上から地上へ〉

天照大神は地上界の混乱を治めるために孫であるニニギノミコトに降臨を命じます。

天児屋根命、天太玉命をはじめとする神々とともにニニギノミコトは『高千穂』のくしふる峰に降り立ったのでした。

「ここは韓国に向かい、笠沙の岬まで真っ直ぐに通じており、朝日がよくさし、夕日が照る国である。
ここは誠によき国だ。」

ニニギノミコトはそう語り、ここに宮殿を建てて住まわれたと伝えられています。

* * * * * * *

この神話にあるように、高千穂の地はどこか特別で神秘な雰囲気を醸し出していました。

高千穂峡を散策しながら何気なく撮った写真(↑)からも、神様が舞い降りてきそうな眩しい光を感じるでしょう?(*^_^*)

合言葉は『16番』☆

*夜神楽を365日楽しめる場所が「高千穂神社」です。
毎晩8時から1時間、本殿脇の神楽殿にて見学することができます。(500円)


「夜神楽を見る時って寒いのでしょうね~。」
出発前に、私は旅行会社の方に尋ねてみました。

「夜神楽というより、高千穂自体が山手にありますから非常に寒いと思いますよ。」

年の瀬にもなって風邪をひいては大変だと、一緒に行くメンバーに厚着をするよう伝えました。

皆さん、モコモコ。(*^_^*)
どんなに冷たくても、隙間風が入ってこようとも、少々の寒さなら感じないほどの身なりです。

ところが神楽殿の新しいこと、綺麗なこと。
真ん中には大きなストーブが焚かれており、それさえも途中で消されるほど暖かくしてくれていました。

* * * * * * *

高千穂地方に伝わる神楽は、
天照大神が天の岩戸にお隠れになった折に、岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめ=芸能の神)が調子面白く舞ったことが始まりとされています。

神話の中の神々が次々と登場するのが特徴です。


そして夜神楽とは、定められた民家に氏神様を招いて行う「村まつり」をいい、
毎年11月末から翌年2月にかけて各村々で33番の神楽を夜を徹して行われ、秋の実りに対する感謝と翌年の豊饒を祈願するのだそうです。

その33番のうち、28番「手力雄(たぢからお)の舞」、29番「鈿女(うずめ)の舞」、30番「戸取り(ととり)の舞」、16番「御神躰(ごしんたい)の舞」の4番を私達は見て来ました。

28~30番は、天の岩戸伝説にまつわる「岩戸5番」と呼ばれる舞の一部。
それは、天照大神の隠れ場所を探すところから始まって、岩戸を取り除き天照大神を迎え出すまでを表した舞です。

* * *

さて、衣装替えを行った後の『16番』!

こちらは、「一名国生みの舞」と呼ばれています。

イザナギ・イザナミの男女二神が酒を作って仲良く酌み交わし、ほどよく酔っぱらいながら抱擁し合う、夫婦円満を象徴している舞なのだそうです。

その抱擁の仕方や、ちょっと意味深な腰の振り方に会場中は大喜び。(*^_^*)

先程までの訳の分からない舞(きちんと説明はあります、、、が、聞いていないだけです。^^;)と比べると、この16番は誰もが笑える滑稽なもの。
おかげで先の3番は、綺麗さっぱり忘れ去ってしまいました。f^_^;

ちなみに、一晩中行われる夜神楽では、夜中の2時頃 最も眠い時間帯に16番が演じられるのだとか。
しかし居眠りしていた人達も、すっかり眠気を覚まして大笑いするんだそうですよ。^^


十二分に楽しんでホテルに戻った私達。
この日の合言葉は何と言っても『16番』でしょう☆

お風呂の後、全員男性陣の部屋に集まって、神楽(もちろん16番!)の話題で愉快に夜が更けていきました。(笑)

写真は、酔っぱらったイザナギ・イザナミの神様です。(*^m^*)

天孫降臨の舞台。

高千穂神社は、第11代垂仁天皇の御代に創建されました。
今から およそ1900年前のことでしょうか、、。

御祭神は、上古高千穂皇神。

平安朝期(938~946年)には、高千穂八十八社の総代となりました。

境内には、源頼朝の代参として ここを訪れた畠山重忠が手植えした樹齢800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)や、2本の杉の根元が一体となった夫婦杉があります。
夫婦杉は、木の周りを3回廻ると夫婦円満になると伝えられています。

ここは古くから、武神、農産業、厄払い、縁結びの神様として広く信仰を集めています。

* * *

「さぁ、朝の散歩に行くで~!」
16日の朝食後、私達はホテルから徒歩数分にある高千穂神社を参拝しました。

"外は寒いよなぁ~、面倒だなぁ~"、本心ではそう思った人もいたでしょうが、メンバーの殆んどは朝の新鮮な息吹きを十分に満喫して来ました。

肌に感じる冷たさが気持ち良く、凛とした神聖な空気が漂っています。

前日は、お参りもせず 神楽殿でただ夜神楽を楽しんだ私達。
皆さん、珍しく神妙な面持ちで手を合わせておりました。(*^_^*)


さて、神社といえば、やはり「おみくじ」でしょう。^^

"50円? 安いなぁ~"、なんて思いながら一枚引いてみました。

『末吉』、、が~ん。(ToT)

まぁ、凶じゃないだけ良しとしよう。。。(T_T)
裏面には、「いつも どこでも神様は見てらっしゃる」といったような内容が書かれていました。

中身を見るのが恐いなぁ、とおそるおそる"恋愛"のところだけ、、、。

『あきらめなさい。』、、ずど~ん。。(ToT)(ToT)(ToT)

あぁ~ん、「おみくじ」なんて引くんじゃなかったぁ~~~。><。。。

ちなみに、もう一度。
ここは縁結びの神様としても親しまれています。(T_T)


えっ? "縁談"???

そんなもの恐くて見ていません!!(>_<)
そんな項目、あったかどうかさえも見ていません!!!(>_<)

改めて、もう一度!!
これは、天孫降臨の舞台『高千穂』での出来事です。(T_T)(T_T)
ふぇ~ん。  神様のいじわるぅ~~~。><。。(笑)

宮崎県高千穂町に来ています。

朝8:30、香川を出発。
17:15、高千穂町着。

バスの中では、ひたすらに飲んで食べて、、、。

宴会でも、食べて食べて、、。

その後、夜神楽(岩戸神楽)を見に行きました。↑

夜は、0:00まで又も飲んで食べて、、、

胃袋ビックリの一日でした。@_@


あ~、体重計に乗るのが恐い。。。^^;

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