I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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パリ"自由の女神"

「あの子、さっきからずっといるわよね。」
「なに、"自由の女神"でも見に来たんだろ。」

男は女の長い髪をかきあげながら、ちらっと後ろを振り返った。


場所はセーヌ川のほとり、アール・ヌーヴォー様式の建物が並ぶ"ラ・フォンテーヌ通り"の対岸である。

やっと雑踏の中から抜け出てきた二人は、雨上がりの夕暮れ、寄り添うようにセーヌの流れを眺めていた。

美男美女のパリっ子である。 彼らはパリの街と同化して、実に絵になる。


「あの子、まだいるわ。」
「気にするな。どうせ、すぐに立ち去るさ。」

ここからは"エッフェル塔"もよく見える。

「写真でも撮るか。」
若い二人は無邪気にポーズを取りながら、お互いをカメラに納めた。


「まだいるわよ。 せっかく二人っきりになれたのに、、。」
「あの子、気が利かないな。」

男は彼女の髪先を指に絡めながら、又もちらっと振り返った。


整った顔立ちのその男は、ため息をつきながら その東洋人らしき女に声をかけた。
「マドモアゼル、・・・。」

パリジェンヌの彼女は、そんな彼の後ろ姿を惚れ惚れと眺めていた。
二人はつき合い出して日が浅い。


男はその東洋人と二言三言 言葉を交わし、自由の女神を背に その女の写真を撮ってやった。

「メルシー。」
フランス語が似合わない女である。


男は苦笑いしながら、
「どうも写真を撮ってもらいたかったのだが、声を掛けにくかったようだ。」
とパリジェンヌの元に戻ってきた。

「やっぱり、あなたは後ろ姿も素敵ね。」

微笑みながら男は彼女の肩に手を回す。


あの東洋人はやっと消えたようである。
これで また二人だけの時間だ。

場所はセーヌのほとりである。


・・・・・。

・・・・・・・。


「なんか つまらないな。」
「そうね、なんか つまらないわね。」

そう言って、二人もまた"自由の女神"を後にした。


* * *

↑の写真は、ハンサムなパリジャンに撮ってもらいました。【'00.01.08】
(かなりボケていますが、、(^_^;))

彼は素敵なパリジェンヌと一緒に河岸に立っていました。

その時の話を、彼らの視点から想像して書いてみました。^^/
いかがでしょうか。。*^^*

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「モナ・リザ」

『パリ』といえば何を最初に思い浮かべるでしょうか?
エッフェル塔? 凱旋門? シャンゼリゼ通り?
私の一番はというと、それは"額に傷のある黒人女性"ですけど(^^;)('07.10.12日記)、その次に蘇るのが「モナ・リザ」です。


最終日、私もパリを訪れる多くの人の例外ではなく、"ルーヴル美術館"へと足を運びました。

それまで「モナ・リザ」という名画に対して、さほど特別には思っていなかった私。
けれど、やはりここまで来て見ずに帰るのは勿体無いと、その程度の思いで見に行きました。

想像よりも"うんと"小さな その一枚の絵。
防弾ガラスに囲まれて、大傑作が並ぶルーヴルでもやはり「特別扱い」されている その一枚の絵。

私はその絵を目の前にして、"あぁ~、何百年もに亘り多くの人達を魅了し続けてきたのは、間違いなくこの微笑みだ"ということに初めて気付くことができました。

「彼女には意志がある。」
そう、彼女は生きているのですよね。

この絵を前に誰しもが感じること、それは"どこまでも彼女と目が合う"こと。
彼女の視線からは強い波動が出ているように思えます。
その視線と、含んだ笑みと、、簡単には目を離させてくれません。

レオナルド・ダ・ヴィンチは相当の思いを込めて描き上げたのでしょうね。

確かに絵の技術も構図も大変素晴らしいものですが、この作品が名画中の名画として世界中で認められている理由はそこにあるのでしょうか。。

絵であって、単なる絵ではない「モナ・リザ」。
それは本物でなければ伝わりにくいでしょうけどね。。。


私が実際に見た名画の中で、一番の感動はこの「モナ・リザ」。
これとは別に身体全体が震えた作品は、ウィーンで出会ったクリムトの「接吻」でした。^^
これについても、いつか機会があれば書き残しておきたいと思っています。

パリとの相性。

*パリの中心、ノートルダム寺院前の広場にて【'00.01.07】


職場の同じ部署のT.Kさんの娘さんが、昨晩からディズニーランドへ行っています。
道中は往復とも夜行バスなのだそう。
今朝の8時にディズニーランド到着予定でした。
けれどちょっとした事故に遭ってしまい、若干到着時刻が遅れたようです。
乗客には怪我はなく、Kさんの娘さんも元気に遊んでいるとの知らせに、まずは"ほっ"と一安心。


私も旅先で、よく車のトラブルに遭遇します。

昨年末のザルツブルク(サウンド・オブ・ミュージックツアー)でも、NZ滞在時に語学学校から行ったミニ旅行でも、バスがエンジントラブルを起こして動かなくり、応援の車を呼ばなければなりませんでした。

カンボジアでは私の前を走る車が故障した為に、私が乗っていた少し大きめのワゴンにその乗客らを乗せたこともあります。

そして、実際に乗っていた車が接触事故を起こしたことだって。。

それは今から8年前、パリの"ど真ん中"において、、。

私が滞在したホテルは「ibisホテル」。
それはパリでも特に治安が悪い17区にあります。

明日が帰国という日、つい時間が経つのを忘れてしまい、少しだけ夜も遅くなってしまいました。

ホテルの最寄り駅「ポルト・ド・クリシー」へは13番の地下鉄に乗らなければなりません。

一度パリを訪れた方はご存知でしょう。
地下鉄13番に乗るとガラッと雰囲気が変わります。
それは移民が多い地区だからでもありますが、夜に女性が一人で乗るにはどうかなって感じです。

地下鉄に慣れてきた私も、危機感のない私も、さずがにこの時だけは迷いました。

そして選んだのがタクシーです。

若い運転手さん。まともに会話ができない私には冷たい印象でした。


「イビスホテルまで、、。」返事はなし。

パリの街は沢山の車で"ごった返し"ていました。

ネオンがキラキラ輝きます。
街を行き交う車のライトも眩しいです。

私が乗ったタクシーの、その若い運転手さんはかなり運転の荒い人でした。

隙間が少しでもあれば、強引にも平気で車を突っ込みます。

キキィ~~~!!(°д°;;)
案の定、他のタクシーとぶつかりました。

どちらにも怪我はなかったけれど、、。

彼は大きな交差点の真ん中に車を止め、相手側に話をつけに行きました。
どこまで非常識でしょう。
周りの車も大迷惑です。(>_<)

間違いなく、こちら側が一方的に悪いことは私にも分かりました。

数分の間、私は車の中に置き去りにされ、戻ってきた彼は又も無言で車を走らます。
(何か説明されてもさっぱり分からないでしょうけど、、一言あってもいいでしょう、、?)

イビスホテル到着。

あの数分間もメーターは上がり続けていました。けれど それはお構い無し。

挙げ句に大きめのお金しか持っていなかった私は、お釣りはチップではなく、きちんと返してもらいたかったのに、、それを伝える術もなし。
今なら強気で押せたかもしれませんが、この頃の私は海外にいることだけで小さくなっていましたっけ。

運転手さんは最後に一言、「じゃあ」と言っただけでした。(たぶん。。。)

きぃ~!!(`o´)/
けれど、やはり何も言えない私。

悔しい思いをしましたが、怪我がなかっただけでも良しとしなくてはと我慢しました。

パリでは毎日のように恐い思いをしています。('07.10.12日記)
そして、まさか交通事故に遭うなんて、、。

「トラベル」の語源が「トラブル」とは、大きく頷けることですね。

~一緒に写真を撮ってもよろしくて?~

*懐かしのフランスフラン 【'00.1月 当時1F≒17円だったかな?】


私の趣味のひとつは、毎朝6時からNHK教育の語学番組を見ること。
半年ごとに振り出しに戻るので、遊び感覚の私にはちょうどいい感じかな。
後半に入ると難しくなってきて、正直 最近サボり気味でした。
でも10月からもう一度スタートです!

アラビア語とロシア語の講座は、特に新鮮な世界を垣間見れるのでオススメ。
それぞれ思考を凝らしているので、観光地、映画、俳優、ミュージシャンなど世界の旬も知ることができます。(注:今月からの番組は上半期の再放送です)

明日、土曜日は「フランス語」の日♪
『アンシャンテ.
ジュ マペル picchuko. ~はじめまして。picchukoです。』

私が一番に覚えたフランス語は「ジャポネズ」。(ボンジュールとメルシーは除いてね)

モンマルトルに近いパリ17区「イビスホテル」に宿泊した私は、貴重なパリでの時間が惜しくて、
まだ夜も明けない1月上旬のAM6:00、「サクレ・クール寺院」を目指し ひとり「クリシー通り」を歩きました。

海外初ひとり旅の私を心配して、大学時代からの親友M子さんに 夜のパリを独り歩きすることは止められていました。
だからといっては何ですが、朝は大丈夫かなぁ、と安易に思った次第です。

真冬の早朝、パリの街は緑色のゴミ収集車が目立ちます。
モンマルトル周辺は移民が多く、治安もいい方ではありません。
すれ違う何人かの人は、初めて間近で見る色の黒い人達。

一人の黒人女性に「タバコ持ってる?」と声を掛けられました。
「No.」
次に彼女は私を見て、「ジャポネズ?」と聞いてきました。
単純な私は「Yes!」と明るく返事をしてしまいました。

こういう時は無視するのに限るのでしょうね。

すでに二言も返事をしてしまった私に彼女は続けます。
「金を持ってるか?」「何か食べさせてくれ。」
「今 金を持ってないのならホテルへ取りに行け!」
「食べさせろ!」
彼女の額には大きな傷痕がありました。

何度私は お金を持っていないし、あなたに渡すお金はないと言ったことでしょう。
そして、「私は英語もフランス語も全く分からない」と強調しました。
少し怖く感じましたが、そんなやり取りの中、彼女が私より随分と背が低かったこともあったのでしょう、段々と気持ちに余裕が出てきました。


『記念に写真でも!』
さすがに本人には言えませんでしたが、心の中ではそう思っていたのです。

結局のところ、私が英語で話すから彼女はしつこいんだと気付き、「持ってないったら、持ってないの!!
あなた、しつこ過ぎるよ!」と日本語で言い返しました。
だって本当にポケットの中には使い捨てカメラと5フランしか入っていませんでしたもの。。

「バカにしてるのか!!」・・・確かこんな感じの台詞を吐いた後、?何故か?私を解放してくれました。
20分の出来事でした。

海外での独り歩きは十分に気を付けましょうね、と誰より自分に言い聞かせなければならないようです。f^_^;

*イランで拘束された大学生、一日も早く無事救出されるといいですね。

マカロン

*パリ ルーブル美術館【'00.1月 ミロのビーナス】
前から見た姿も素晴らしいのですが、私は後ろ姿に一段と女性らしさと魅力を感じました。


先日 新聞にリニューアルした洋菓子店の折り込みが入っていました。広告の中央に「マカロン」の写真!

今まで私の住む町の周辺にはマカロンを売るお店がなかったので、休日の今日、早速買いに行きました。

マカロンを初めて食べたのは2000年パリで。コンコルド広場からマドレーヌ寺院に向かう通りの右手側にあるお店で買ったと記憶しています。

パリ・・私を海外へ導いた街。

'99年、神戸へオルセー美術館展を観に行き、その出口で一枚のハガキを手渡されました。
「抽選で本場オルセー行きが当たる!!」というもの。

それまでの私は絶対海外には行くことはないと思っていたし、半ば決意のようなものすらありました。

その私が応募するというより まるで申込みするかのようにハガキに記入し投函しました。
凱旋門やエッフェル塔が瞼に浮かんできて、気分はすっかりパリの中。

それからしばらくして、「当選!!」の知らせが。
心はすでにパリへ飛んでいたので驚きはしませんでした。

初めてのヨーロッパに浮かれ舞い上がっていたのは言うまでもありません。
シャンゼリゼ通りで、「お~♪シャンゼリィゼ~♪」と鼻歌を歌いながらスキップしていたのは私です。

7年半ぶりに食べたマカロンは、コンコルド広場の観覧車に乗って食べたそれより小さくて甘さが控えめで、日本人の口に合わせてありました。

でも、この味が私のヨーロッパの味「第一号」です。

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