I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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シドニーの風

*シドニー湾 The Rocks【'02.02.14 ハーバーブリッジ近くにある白人オーストラリア発祥の地】

NZ滞在7ヶ月、クライストチャーチから直接オーストラリア入りしたせいか、シドニーは全く外国を感じない街でした。
日常の延長にある、肩の力を抜いて歩ける、それが私のシドニーです。


今日の午後、一枚のアルバムと出逢いました。
もう日本でも有名になってきた頃でしょうか...。

歌手の名は、
「デルタ・グッドレム」

シドニー生まれの22歳。
5年程前にデビューを果たし、オーストラリアは勿論、すでにUKでも人気の高いシンガーですが、まだまだ未開拓の可能性を秘めていそうです。

というのも、一枚目のアルバムの大成功の後、命に関わる大病を煩い、奇跡の復帰を果たした彼女の歌には「生」への力強さが溢れているように思えるのです。


彼女の歌を聴いていると、オセアニアを感じます。

私にはどこかNZやOZを思わせる懐かしいサウンド。

先入観からかもしれませんが、本当にシドニーの街がよく似合う。
NZでいえばオークランドやウェリントンの港といった感じでしょうか、、。

お気に入りの海岸線を雨の中、彼女の歌を流しながら一時間程 車を走らせました。
日本にいながら心はシドニーにいるような、、シドニー・ハーバーの風に吹かれているような、ひとり気持ちのいいドライブでした。


オーストラリアが好きな人、
オーストラリアに興味のある人、
そしてオーストラリアを訪れたことのある人は一度 彼女の歌を聴いてみるのもいいかもしれませんね。。
お薦めです。

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私はカジノで救われた。

*クライストチャーチ・カジノ【'01.12.31 大晦日のディナーはカジノのレストランで...】
私は小心者なので、カジノへ行ってもNZ$2、多くてもNZ$5を賭けるくらい。
専らレストランでお喋りです。


夕方、いつものようにお年寄りのHanakoさんが事務所へやってきて、私に手招きします。

今の私は腰痛と筋肉痛に苦しんでいて、椅子から立ち上がるのも歩くのも顔をしかめてしまいます。
Hanakoさんはそんな私を見て、
「腰、大丈夫なんな。慰霊祭から歩き方がおかしいで。無理な格好しとったんやろ。」
と私の腰をなでなでしてくれました。

いつも我が儘ばかりで私を困らすHanakoさんとは思えない台詞。

なんだぁ、いつも私のことを見ててくれて、ちゃんと心配してくれてるんだぁ。。
と思うとちょっぴり意地悪なHanakoさんがいとおしくなりました。

他人であるHanakoさんでさえ こんなに優しいのに、うちの両親ときたら愉快そうに、
「もう中年だからやろ」とニヤニヤ。

「中年」・・もちろん気にならないとは言い切れませんが、それにはもう少し時間がありますし、何より老年大ベテランの二人に言われても全然おかまいなしです! o(`へ')☆


中年=middle age

NZで過ごした2001年、9月下旬のある日。
PM7時頃、私は自転車でチャリチャリ帰宅途中でした。
背中のリュックから
♪パッパラパラ パッパラ パラパラパラパ~♪と携帯が鳴ります。
それはY恵さんと「ゆかち」さんから。

「今、カジノにいるけどpicchukoも来ない?」

クライストチャーチ・カジノは黒と紺のジーンズでは入れません。

その時、白のジーンズを履いていた私、、。

どうかなぁ~と思いつつも覗いてみたら、ボーイさんに引き止められることなく、あっさり足を踏み入れることができました。

片手には先程買ったばかりの洗剤が入った黄色のスーパー袋、腰にはリュックに吊り下げた赤いヘルメット。。
決して夢を買う場所に釣り合う格好ではありませんでしたが、問題なかったようです。
しばらく3人でお喋りをし、スロットで遊んで楽しみました。


次の日の新聞に、
「マオリ族の男性、middle ageの女性をレイプ」の記事!!

場所は私の住むフラットのすぐ近く、同じ Gloucester St. で。。
時間はPM7時頃。

マオリ族の若い男性はその晩、誰でもいい、呼び鈴でドアを開けた女性を狙ったのです。

私があのまま カジノへ行かず帰宅していたら、きっと道端で彼と鉢合わせしていたでしょう。

あの時、ゆかちさんとY恵さんが私を思い出して誘ってくれたから、私の清い??!操は守られたのです。
ありがとう、あなた達は恩人です。

もしも今、私があの時の女性と同じ被害に遭ったとしたら、NZの新聞は同じく「middle age」と表現するのでしょうか?

どうでもいいことですが、腰痛のツラさより、今はその方が気になります。。

十六夜日記

*クリスはうちに来た5匹目の‘わんこ’です。
彼ほど「天真爛漫」という表現がピッタリの子を私は知りません。。


「十六夜」という音の響きは日本語の慎ましさが感じられ、私は好きですね。

昨晩の十六夜のお月様を見ましたか?

満月も十四番目の月もそれぞれに美しいと
思いますが、私は
一番の盛りを過ぎた十六夜の月が最も魅力を秘めているように感じます。
「もののあはれ」とでもいうのでしょうか...。

昨晩の十六夜の月を、私は夜ではなく 今朝の4時前に見ました。
まだ外は真っ暗なはずなのに、どうしてこんなに明るいのだろうと見上げてみると、雲のない空に青白く澄んだお月様が輝いていました。
これを言い表すのに「綺麗」の一言以外は蛇足のような気がします。

ピンと張り詰めた気持ちのいい空気の中、こんなに美しいお月様を見れたのは早起きのおかげですね。


私の朝は早いです。
正確には私の部屋で寝起きを共にしている愛犬クリスの朝はとてつもなく早いです。

朝晩涼しいこの季節、彼は大好きな朝が来るのが待ち遠しくて待ち遠しくて。。。

だいたい3時半には (早ければ2時前の時も!! これは朝???) 私の耳元で、
「ハヒハヒ、ハヒハヒ」。
私が無視して寝ていると 足の指を舐めてまで起こそうとします。

仕方なく起きる私と もう一匹の愛犬ヨンサマ。
眠そうに伸びをするヨンと 目を擦る私に、爽やかな笑顔(?)で目を輝かせ、
いかにも「おはよう!!」と言っているかのように、ますます大きく「ハヒハヒ(^o^)/、ハヒハヒ(^o^)/」

ヨンを抱いた私の前を可愛いお尻としっぽをフリフリ、トイルへと誘導します。

彼の背中からはまるで「あ~た~らしい、朝が来た!!」と、あのラジオ体操の歌が喜び溢れて聞こえるようです。。


私は4時前には着替えをし、新聞を取りに行き、洗濯機を回しています。

その後は音楽を流しながら優雅に Tea time。
清々しい早朝の後 再び睡魔に襲われるのは、毎朝 今から出勤という7:30。
長い一日の始まりです。

今日も仕事と眠気との戦いに疲れきった私が帰宅すると、
「二匹とも昼間はよ~く寝てたわよ」
との母の声。

あぁ、クリスの朝は明日も早い。。。
明朝のお月様を楽しみにしましょうか。。

メラニー、お元気ですか?

*クライストチャーチ Southern English Schoolsにて 【愛すべきteacher Melanie '01.09.25】
私にとってNZ人といえば、誰よりもまず 彼女の顔が浮かびます。


今日はメラニーの誕生日。
おめでとう!!!
もう直接 伝えることはできないけれど、これからも彼女らしく素敵に年を重ねていってほしいと願っています。


私が通った English school は個性豊かな先生ばかりでした。

その中でも とりわけキュートでチャーミングだったのが「メラニー」。
感情を素直に表現できる彼女の表情を じっと見つめていることが、授業中の楽しみの一つでもありました。

もちろん 生徒が楽しく授業を受けれるよう 色々と工夫されていましたし、彼女のクラスは人気が高かったと思います。
手相をみたり、博物館へ行ったり、お花見にハグレーパークにも行きましたっけ。

今でも繋がりのあるNZ時代の友達の半数は彼女のクラスで知り合いました。


2001年の9月24日、新潟出身の Atsuさんと、
「確か明日はメラニーの誕生日だよね。
クラスのみんなで何かお祝いしたいよね。」って話になりました。
その結果、私が花束を用意する係。
Atsuさんはメラニーが教室に入る前にクラスメイトに説明をし、みんなで !わぁ! と出迎えの音頭をとる係ということに。

25日の昼休み、私は時間がない中、 フードコートの近くにあるお花屋さんで可愛いブーケを買いました。

あっ! 遅刻しそう!
慌てて学校に戻った時、すでに授業開始の3分後。

バタバタ 目立つ足音で階段を駆けのぼる私の前に、眉間にシワをよせた校長ピーターが、、
「今日はメラニーの誕生日よ!」
私は笑顔で花束を見せました。
するとピーターもニッコリと笑い、「そうだったねぇ。」
(彼の笑顔を見たのはこの一度きりです。)

そして花束を背中にまわし教室に入ると、メラニーが「Pi~chu~ko~(`o´)」(実際は本名です)
「また遅刻したわねぇ~。(`ε´)」といった感じです。
(実際、よく遅刻もしましたし、サボりもしました。。。)

私は最高の笑顔で、
「お誕生日おめでとう、メラニー(≧ω≦)b
これ、みんなからよ!」と花束を差し出しました。

振り向くとみんなの頭の上には「 ??????? 」
はぁ~?
私はすぐさま視線を Atsuさんに移しました。
彼は下を向いてもぞもぞと...。
「あなた、また口だけなの?!(*`θ´*)」
思わず日本語で叫びそうになりましたが、メラニーのものすごく嬉しそうな顔を見れば、そんなことなんてどうでもよくなりました。

本当は私一人でも何かお祝いしたかった。


あのメラニーの満面の笑顔があったから、
大切な友達の誕生日はいつまでも忘れずにいたいな、一言でもおめでとうを伝えたいなと いつも思っています。

面白いなって思います。

*しまなみ海道   多々羅大橋
愛媛県大三島と広島県生口島を結ぶ世界一の斜張橋です。平成11年5月に開通しました。


今日も瀬戸大橋を渡り本州 岡山へ行って来ました。

それは 韓国語講座で知り合ったSさん、Tさん、Oさんと一緒に。

1年以上お会いしていなかったこともあり、本当に嬉しくて嬉しくて、皆さんに甘えて、お喋りし過ぎたように思います。
楽しい時間をありがとうございました。


岡山に着いて、まず驚いたのは新しくなった岡山駅の変貌ぶり。

確かに大阪や神戸とは比になりませんが、私の知る岡山駅から大きく生まれ変わっていたのです。

人の流れに変化ができたのでしょうが、お店の数と人の多さが目立ちました。

私の住む香川県も最近 新しい構想の下、少しは変化がありました。
少しは何かが変わったかもしれません。

でも人の流れを変えるまでには至っていないように思います。

だから 余計に岡山の変身に驚いたのでしょう。

一つの街づくりも10年、100年と見据えて、お互い協力し合い 切磋琢磨していかないといけないんだなぁと、時には大胆な発想も必要だなぁと、
大変 勉強になりました。
街を比べるのも面白いものですね。


こうやって岡山(本州)をとても近くに感じられるようになったのは平成になってからのことです。

瀬戸大橋が開通した昭和63年に高校へ入学した私、、
それまでは小中学時代の修学旅行を含め 5回しか本州に渡ったことがありませんでした。

今でこそ電車で1時間弱で岡山まで行けますが、昔は船しかなかったですから。。

余程でないと四国を出るなんてこと、我が家ではあり得ませんでした。


小学6年生の時、ある授業で後4年もすれば瀬戸内海に橋が架かる話題が取り上げられました。

その時は空想の世界のような、、
自分には関係ない話のような気がしていました。

本州の方には分からないかもしれませんが、当時の私にとって本州、それ自体が海外だったのです。


この20年で瀬戸内海に3本の橋が掛かりました。
私のようにそのおかげで人生が変わった人も少なくないはずです。

橋が私達に影響を与えたように、
岡山のように今も発展し続ける街が また沢山の人に影響を与えていくのですね。

う~ん、やっぱり面白いと思います。


これからの日本、そして世界がどんなふうに私達に影響を与えてくれるのでしょうか。。
プラス思考の私はとても楽しみです。

尾道、それは昭和と人情の町。

*広島県尾道市 商店街
時代を遡り、古き良き昭和チックな、なんとも言えず懐かしい感じがします。


三連休の中日、今日は両親を乗せて瀬戸内沿岸小旅行に出掛けました。
この5月の「母の日」に、
【香川―愛媛・今治~しまなみ海道~広島・尾道―岡山~瀬戸大橋~香川】
というルートのドライブをプレゼントしました。
これが非常に気に入った母の提案で、今回は敬老月間のプレゼントとしての運びになったのです。


天候もまずまず、暑さもまずまず、、
瀬戸内の海と島々の輝きは今日も最高でした!!

この内海ならではの穏やかさと その美しい景観を前にすると、世界中の人達に見せてあげたくなります。

広い世界の中でも こんなに見事な内海は他にあるのでしょうか。。
私の中ではどこよりも誇り高い世界遺産です。

そんな瀬戸内海の対岸にある尾道商店街で昼食を...。

尾道ラーメン vs 広島風お好み焼き

両親に「どっちが食べたい?」と一応聞きました。
あくまでも、「一応」です。。

両親は「どっちでもええけど、やっぱりラーメンかなぁ。」

すかさず私、「ラーメンは行列が長くて、ゆっくり食べられへんで。」

私は広島風お好み焼きが大好き!!
以前も職場の人を連れて お好み焼きを食べるためだけに二度も広島市内に行ったほどです!!

もちろん私の意見が尊重され、お好み焼き屋さんにしては ずいぶん小綺麗なお店を選びました。


そこで父がやってくれました。

熱々の鉄板の上に 一瞬ではありますが、指先を二本乗せたのです。

「あっつぅ!w(☆o◎)w」

この声にお店の人が飛んで来てくれました。

火傷はしなかったのですが、急いで氷を持ってきて下さり、沢山あるからとバンドエイドを一箱もくださいました。

注文したのは 平凡な「肉玉そば」。
その横に香り豊かなマッタケまで添えて、デザートにフルーツのヨーグルトがけまでどうぞと。。

こんな おもてなしは 久しぶりだったので、家族揃って、
「いやぁ~、尾道の人は人情味があってええなぁ~。また来たくなるねぇ~。」
と感動しまくりました。

聞けば奥さんのご両親の里は四国とのこと。話は盛り上がるばかりです。

父の不注意から始まったことですが、きっと私達だけでなく お店の人にも印象に残る出来事だったと思います。

尾道へ行くことがあれば、ぜひ商店街にある「ふうらん」の暖簾をくぐってみて下さい。

美味しいお好み焼きとあったかぁい広島弁、人情溢れるご主人と奥さんが出迎えてくれることでしょう。

こんな日本も大好きですね。

高山病には気を付けて。

*ペルー クスコにて【'02.03.12】
古代インカ帝国の首都であり、インカ人にとって世界の"へそ"を意味する宇宙観の中心の街です。


今日の新聞に「チリ最高裁がフジモリ元大統領の身柄をペルーに引き渡す」と載っていました。

私がペルーを訪れた年、彼はすでに失脚後ではありましたが、車窓から見た田舎の家々の壁には まだ赤く大きく「FUJIMORI」と書かれていたのを覚えています。

そのペルーへ今日、私のNZ時代からの親友「きょん」さんの添乗するツアーが出発しました。
海外添乗員になってしばらくの彼女にとっても初めての国。
かなり不安そうでしたが、懐の深いペルーは優しく迎えてくれることでしょう。


私がペルーへ旅立ったのは日本からではなく、同じ南半球のNZから。
アルゼンチンとチリを経由しての、トランジットの待ち時間を含めると片道39時間の長旅。
日本から行く方がかなり便利かもしれませんね。。

クスコに着いた時、何とも言えない哀愁漂う空気にギュッと胸を締め付けられました。
本当に「コンドルが飛んで行く」がよく似合う街でしたねぇ。

私はクスコ発のマチュピチュとインカ&プレインカ遺跡を巡るツアーに参加したのですが、私以外のツアー客(5人)は全てオーストラリア人でした。

クスコは標高が3360mあるので、体調を整える為にツアー出発の2日前に到着。

空港に降り立った時は高山病の用心もしていましたし、空気の薄さもさほど感じなかったと思います。

ホテルに荷物を置いて、同じツアー客のパトリシアとその友人と一緒に市内散策に出掛けました。
クスコに着いて2、3時間経った頃でしょうか。
段々と胸の辺りが苦しく、気分が悪くなってきたのです。
パトリシア達に支えられながら、何とか部屋へ。

彼女達はとても親切で、薬や水を持って何度も何度も様子をみに来てくれました。

丸2日寝込んでいた私は それでも身体がだるく、彼女達の夕食の誘いも断りました。

その時です。初めて外国の方に叱られたのは!!
「あなたは こんな遠くまで寝に来たの? しっかりしなさい!!」

この言葉で私は立ち上がれました。

そのおかげで精神的にも気合いが入った私の体調はどんどん良くなりましたね。


・クスコに着いたら、まずは薬としっかり水分を取ること。
・過密スケジュールではなく、身体がなれるまでゆっくり穏やかに過ごすこと。
・体調が悪いなら入浴(シャワー)は避けること。・・・私は何も考えずシャワーを浴びてしまい、ただでさえ酸素不足の中 血液の循環を良くしたのが原因か、身体中、特に手足と唇が痺れてきました。

そして、最後は気合い!です。
でも一番は優しい心遣いかもしれませんね。
ペルーの話はどこよりも長くなりますので、続きはまたということで...。

30年経って...

*カンボジア 「東洋のモナリザ」【'00.03.02バンテアイ・スレイ遺跡】


日頃 テレビを見ない私は、やはりニュースを知るのも人より遅いです。
でも 昨日のニュースは接骨院のおかげでいち早く知ることができました。

それは、カンボジアの「ポト派No.2」ヌオン・チアの逮捕について。


内戦当時、あの有名なアンコール・ワット遺跡はクメール・ルージュ(ポル・ポト率いる共産党勢力)の本拠地でした。

今も遺跡には数多くの傷痕が痛々しく残っていますが、その頃のカンボジアを知るのに戦場カメラマン 一ノ瀬泰造氏の「地雷を踏んだらサヨウナラ」という本があります。

彼は近づくこともままならないアンコールワットをクメールルージュと一緒に撮りたい気持ちから単独潜行し、最期は処刑をされてしまったそうです。
浅野忠信さんで映画にもなった作品です。

地雷・・・
私も遠い国の話のように聞いていました。

私が訪れた2000年、シェムリアップ近郊は 当に観光地化されたアンコールワットから少し離れた「バンテアイ・スレイ」という遺跡が注目され始めた頃でした。

*2001年からは遺跡保護のため見学に制限があるそうです。

その頃まだバンテアイスレイ遺跡の周辺には地雷が残っている話を聞き 少し躊躇ったけれど、ガイドさんに付いていけば大丈夫とのこと。
そこへは新米のサムナン君ではなく、ガイド歴の長い彼のお兄さんに案内してもらいました。

確かアンコールワットより古い時代のものだと思うのですが、美しかったですねぇ。
赤茶の土埃が懐かしいです。

美しいけれど、周りのどこかに地雷はある。。

バンコクの空港で知り合ったカンボジアに詳しい方に、
「もし歩いていて、カチッ て音がしたら足をあげてはダメだよ。そこから足を離した瞬間に身体は吹っ飛ぶからね。」
と聞きました。

そのような物がいたる所にある。。
信じられますか?

随分と撤去作業は進んでいると聞きますが、まだまだ地雷と隣り合わせの国、それがカンボジアです。


内戦から30年近くも経って、また一歩 大虐殺を裁き 真相解明に向けて進みました。

一度でも縁のあった国の出来事は他人事には思えませんよね。

でも旅行に馴れてきて、どの国にもある深い歴史について さほど思わなくなっていたことに気付きました。

ちょっぴり反省して、まだまだ勉強しなければと気持ちを新たにしています。

「ひまわり」のような

私には好きな女優さんが3人います。

それは、チェ・ジウ
(「冬ソナ」ではぺさんより彼女の素朴な美しさに惹かれました)

オードリー・ヘップバーン
(やっぱり「ローマの休日」のアン王女が一番でしょうか)


そして「夏目雅子」さん


昨晩 「夏目雅子」さんの生涯を仲間由紀恵さん演じるドラマがありました。
当時の髪型やメイクのせいか、上手く似せていたと思います。
本当に「華がある」方だったなぁと、その彼女を偲ばせる演技に、そして 今彼女はこの世にいないんだなぁと思うと、ついつい泣いてしまいました。

当時 子供心に何て綺麗な方だろうと思っていましたし、彼女をテレビで見る度 嬉しかったのを覚えています。

その彼女が生前、瀬戸内海に浮かぶ「高見島」に来たことがあります。

それは「瀬戸内少年野球団」の撮影の為に。

その時を知る方に、
彼女は島の人からふるまわれた カレーライス を誰よりも美味しそうに食べ、おかわりまでした話を聞いたことがあります。
美しいだけでなく、とても周りに気を配る温かい人だったそうです。

あんなに短く走り去ってしまった彼女ですが、私の中では最も印象的な女優さんです。

本当に「ひまわり」のような方だったと思うのです。

命懸けの2週間

今日は愛車の一ヶ年点検の日でした。
異常なし、また一年頑張ってもらいましょう。

私が免許を取得したのは大学2年の春休み。

教習所でかなり先生に叱られた私は、免許を取ってからも恐くて乗れませんでした。
自宅がJRの駅に徒歩3分、職場も自転車で10分の所にあったので不自由もなく何年も過ぎました。

でも今から4年前のこと、職場の上司 K.Kさんの
「今なら運転を教えてあげるよ」
というお言葉に甘えて、10年近くハンドルを握っていない私でしたが新車を買う決心をしました。

車購入の際はNZ行きの前、長年 机を向かいあって仕事をしたY.Nさんに大変お世話になりました。

それから2週間。
仕事が終わると男性職員の方達と特訓の日々。
Kさんは休みの日までお付き合いしてくれました。

ここで改めて、そのK.Kさん、Y.Nさん、そしてN.Kさん、T.Iさんに感謝を伝えたいです。
本当にありがとうございました。

助手席に一人、私の車の前後に一台づつの大掛かりの練習でした。

Iさんが隣に乗ってくれた時は、すぐ後ろが川(溝のような小さい川ですが)なのに 直進とバックを間違え、
Kさんが横の時は右折ができず青信号で停止し 死にそうになったこともあります。

前方を走るNさんがブレーキをかけたにもかかわらず、私はアクセルを強く踏み Kさんを驚かせたことも!!

私には楽しい思い出ですが、皆さんには命懸けのものだったはずです。

おかげ様で今は両親を病院や買い物に連れて行ってあげることもできますし、すっかり生活の一部になっています。

あの時の皆さんの多大な親切を忘れず、明日からも安全運転を心掛けていきます。

一度、赤信号で捕まった私ではありますが...。

今度 帽子を買う時は、

*2005年12月 フィレンツェで出逢ったお気に入りの品物達!!


今日は母と高松へ買い物に出掛けました。
とはいえ、買い物をするのはいつも母のみ。

私は香川ではほとんど買い物をしません。
そして服や化粧品にお金を掛けない代わりに 帽子や手袋といった小物達にちょっとしたこだわりを持っています。

特に帽子は私にとってなくてはならないアイテム。

それも普段使うものではなく、全てヨーロッパ旅行の為だけに...。

きっと私の中に理想のヨーロッパ像があるのでしょう。
商品を選ぶ時、その景色の中に立つ自分の姿に焦点を絞ります。
でも、決して高額の物は買いませんし、買えませんよね。
旅行に費やすお金を考えると勿論そんなことは不可能ですから。。

先日 神戸の「さんちか」にて。
ウィンドウにちょっとレトロな雰囲気を持つお洒落な帽子が飾ってありました。

迷わず店内へ入り、お店の方に勧められるまま鏡の前へ。
う~ん、思ったよりしっくりこない...。

ふと目をあげると そこにはなんともキュートなベレー帽が!!!

おとなしいピンク系のベージュの生地に毛糸の花飾りが付いています。
実は私、ベレー帽だけは似合う自信があるのです。(自己満足ですがね)

早速 店員さんにお願いして、浮かれ気分で財布の中を、、
「ない! ない! カードがない!!」
前日使った鞄の中にカードを入れたまま。

いつも現金は最小限しか持たない私です。
カードがないなら仕方ありません。

お店の人に事情を話し、肩の力を落とし外へ、、。
でも 諦めきれない。
もう二度と出逢えない帽子です。

悩んだ末、勇気を持ってもう一度 そのお店へ入りました。
「すみません。銀行振込みしますので、後で郵送して戴けないでしょうか..」
祈るような気持ちでした。

お店の方は気持ち良く対応して下さり、今は無事 私の手元にあります。
帽子の入った袋には一枚のメモが、、
「よくお似合いになると思いますよ。」

一つの買い物でこんなに感激したことはありません。

今度 帽子を買う時は、間違いなく神戸の「さんちか」一番街へ!!
お気に入りのお店がまた一つ増えました。

アンコールの空の下

*カンボジア アンコール・トム【バイヨン寺院にて '00.03.01】
この笑顔と出逢わなければ、私は世界を知りたいとは思わなかったでしょう。。


今年も夏が過ぎ、暑さを残しながらも秋の風を感じる季節になりました。
そういえば この夏、狂おしい蝉の鳴き声を聞いていないように思います。

蝉の鳴き声に、私は噎せ返るほどに懐かしい思い出があります。

それはまだ夜も明けていないアンコール・ワットの遺跡の中で...。
ひっそりと静寂に包まれた その空は、陽が昇る直前 いっせいに鳴き始めた蝉の声に呑み込まれていきました。
アンコールに響き渡るその声は私の記憶に染み込んでいます。


バンコク上空の天候の乱れから、1時間遅れでシェムリアップ空港に着きました。
私はその旅行で一人ツアーを申し込んでいました。

空港で出迎えてくれたのは、写真にうつるサムナン君。


彼は日本語を学び始めてまだ3ヶ月の見習いガイドさん。
カタコトの可笑しな日本語ばかりでしたが、一生懸命努めてくれました。

彼の必死な話に目が離せず、せっかくの車窓からの景色もお預け。

ヒンズー教の難しい話を適当に流していると、突然 復習問題を出されます。
彼の「分かりましたね」の後、いつも苦笑いして頷く私がいました。

キツい日差しが当たらないよう いつも自分の陰に私を座らせ、土まで払ってくれる心配り、45度もの傾斜の階段を一段一段ゆっくりと引いてくれた手の温もり、優しい思い出をありがとうと今も伝えたいです。

彼はポル・ポト時代に生まれ、食べること 否、今日を生きることすら必死だった時代に育ちました。
この笑顔の下にどんな苦労や悲しみがあったのでしょう。

私は帰国後 無性に寂しさを感じ、心を忘れて帰ったような気がしてなりませんでした。
「ポル・ポト」、もちろん知る名前ではありましたが、もう一度調べてみようと思いました。

これからの私が小さいながらも何か世界に貢献したい、その気持ちが芽生えた瞬間です。

今日もアンコールの空の下、きっと彼はあの蝉の鳴き声を聞いていることでしょう。。

NYの貴重な一日

*NY グラウンド・ゼロ【'03.02.09】


私は時々、周囲の人が驚き呆れてしまう行動をとることがあります。

その一つが2003年2月のNY行き。

私はワールドトレードセンター跡地が「911」の傷跡を色濃く残しているうちに、この目で見ておこうと、強行スケジュールで飛びました。

連続休暇が取りにくいため、土日の休みと火曜の祝日、その間の月曜に有休を取っての、たった4日間の旅。

関空から12時間 まずはサンフランシスコで入国し、その後6時間のフライトを経てNYへ。
マンハッタンのホテルに着いたのは一日目の夜10時過ぎでした。

私に与えられた時間は夜の時間を除く12時間!!

朝一番にバッテリーパークからリバティ島へ渡り、まずは「自由の女神」O.K!

そして本命の「グラウンド・ゼロ」!!
大勢の人達と星条旗、「Never forget」の文字に冷たい風が印象的でした。
悲しさや祈りより、USAの復讐の思いが伝わってきて、平和がほど遠いことを感じた瞬間です。

その後、時間が無いためタクシーでメトロポリタン美術館へ、、その入り口で使い捨てではありますがカメラを置き忘れたことに気付きました。

大切な「グラウンド・ゼロ」の写真が!
冷静になれば写真などどうでもいいではありませんか。

でも あの日の私はいつも以上に尋常ではなかったのです。
美術館には入らずに再度「グラウンド・ゼロ」へ。

結局、私のNYの一日は望み通り「グラウンド・ゼロ」一色で幕を閉じました。

無駄な抵抗として、薄暗くなって何も見えないセントラルパーク、無情に明るいタイムズ・スクエアをそぞろ歩き、唯一口にしたものはスターバックスのパンとコーヒーのみ。

帰りの飛行機で、
普段なら見向きすらしないアメリカンジョークの映像を何度も何度も繰り返し、ただひたすらに笑い続けた私。

理屈ではなく、「グラウンド・ゼロ」はよほど大きなショックを私に与えていたことに気付かされた長い長い帰路でした。

ミス・ミンゴの涙

*クライストチャーチ大聖堂広場【'01.09.15】
2001年9月11日の後、誰が置き始めたかは知りませんが、大聖堂広場には沢山の花とメッセージが手向けられていました。


毎年「911」が近づくと思い出す人がいます。
それは「Miss Mingo」

あの日のNZはいつもと変わらず平凡で平和な一日でした。
確か夜空には南十字星が輝いていて、見つけたことが嬉しかったのを覚えているくらいですから。

私はその頃、朝から夕方4時過ぎまで学校に通い、5時から7時まで老人ホームで介護のボランティアをしていました。

「911」:日本時間では同日の夜の出来事だったと思います。NZは日付が変わった真夜中のことでした。

いつも通りの朝、何も知らず学校へ行くと、スチューデントルームのテレビの前にいつになく人だかりが、、。
みんな呆然として、何度も流れる あのワールドトレードセンターが崩れ落ちる場面に釘付けでした。

誰もがそうだったでしょうが、同じ地球上で何が起こっているのか私には分かりませんでした。
ただ立ちすくむだけ。

その日のボランティア先でのこと。
私は夕食介助の後、ミス・ミンゴの部屋へ着替えの手伝いに行きました。

ミス・ミンゴは困ったおばあちゃんで、夕食のパンやデザートなどをポケットや袖の中に入れて持ち帰り、引き出しやクローゼットの中、時にはベッドの下に隠してしまいます。
おかげで服も部屋もベチャベチャ。
想像もしないところからパンが出てくることから、私はいつも彼女に「あなたはマジシャンね」って言ってました。
その度「エヘヘ」と笑う顔が可愛らしかったです。

その日のミス・ミンゴは私が部屋に行く前から入り口で待っていて、私の顔を見るとテレビを指差し「USAが大変なことになってる!!」と泣きじゃくるのです。

あの映像より彼女の涙に胸が張り裂けそうでした。

今も世界中で涙を流し、祈りを捧げている方達が沢山いるはずです。

なぜか私は、彼女達の涙を"テロリスト"よりむしろブッシュ大統領に見てもらいたいと思うのです。

捨てられない思い出

*大学時代【'94.10月 広島アジア大会開会式】


久しぶりに要らないものを整理しようと思い、クローゼットを開くと、、、

いつも処分したくて、でもできない服が3枚あります。

1枚目は大学時代に合唱団で着ていた裾の広がった黒のドレス。
本当は学校に返すべきものですが、私は2年で退団したし、その後すぐ合唱団は解散してしまって..。
友達と どうするぅ~? と言いつつ、あれから12年。
これはやはり勝手には捨てられないでしょう。

2枚目が写真の水色の服。
アジア大会が広島で行われた年、私達は広島市にある大学の3年生でした。
開会式の選手入場時、旗を持っての行進に参加したのです。

あんなに外国の方達が会した場所は初めてで、韓国やアラブ、カザフスタン選手などと写真を撮りまくり はしゃぎまくったのを覚えています。

この頃もやはり外国の方が好きだったようで、、。
思えば子供の頃から。。
15年前までは私の町には外国人がほとんどいなくて、年に一度見かければいいほど。
それでも偶然道端で会った外国人には必ず「Hello!」(これしか言えない..)と声を掛けては喜んでいました。自分ながら幼いなぁ と思いますが、やっぱり外国の方が好きだったのでしょう。

話は飛びましたが、この服を見ると当時の貴重な体験を思い出せます。
でも絶対二度と手を通すことはないでしょう。う~ん。。


3枚目がモンゴルで買った赤地に金の刺繍の入った女版「チンギスハーン」のような派手な服。
ウランバートルでお店の人に「似合う、似合う」と勧められ(似合う方がどうかと思うけれど)、つい その気になって買ってしまったその服。
モンゴルにはもう二度と行かないだろうねぇ、と思うと これまた絶対着ないはずなのに捨てられないのです。

振り返れば、他にも「ここでしか手に入らないから」と買ってしまったガラクタ達が...。

少しは海外旅行にも慣れてきたはずなので、これからはよく考えて買い物をしようと思います。

あぁ、やっぱり捨てられない。。

マカロン

*パリ ルーブル美術館【'00.1月 ミロのビーナス】
前から見た姿も素晴らしいのですが、私は後ろ姿に一段と女性らしさと魅力を感じました。


先日 新聞にリニューアルした洋菓子店の折り込みが入っていました。広告の中央に「マカロン」の写真!

今まで私の住む町の周辺にはマカロンを売るお店がなかったので、休日の今日、早速買いに行きました。

マカロンを初めて食べたのは2000年パリで。コンコルド広場からマドレーヌ寺院に向かう通りの右手側にあるお店で買ったと記憶しています。

パリ・・私を海外へ導いた街。

'99年、神戸へオルセー美術館展を観に行き、その出口で一枚のハガキを手渡されました。
「抽選で本場オルセー行きが当たる!!」というもの。

それまでの私は絶対海外には行くことはないと思っていたし、半ば決意のようなものすらありました。

その私が応募するというより まるで申込みするかのようにハガキに記入し投函しました。
凱旋門やエッフェル塔が瞼に浮かんできて、気分はすっかりパリの中。

それからしばらくして、「当選!!」の知らせが。
心はすでにパリへ飛んでいたので驚きはしませんでした。

初めてのヨーロッパに浮かれ舞い上がっていたのは言うまでもありません。
シャンゼリゼ通りで、「お~♪シャンゼリィゼ~♪」と鼻歌を歌いながらスキップしていたのは私です。

7年半ぶりに食べたマカロンは、コンコルド広場の観覧車に乗って食べたそれより小さくて甘さが控えめで、日本人の口に合わせてありました。

でも、この味が私のヨーロッパの味「第一号」です。

いくつになっても...

私の勤める老人ホーム(特養)は この10年で倍近くの規模になり、職員は約70名います。私は事務員。主に経理や庶務、雑用をしています。

事務所には事務員の他、相談員に施設管理員の6名が所属。男性女性3名づつです。

最近、ショートスティを利用されてるH.Kさんが夕方になると事務所へやって来られます。

それは相談員Kさんに会うため。

ME:「Hさん、こんにちは。どうかしたの?」

Hさん:「ちょっと散歩に...」
Hさんの目は事務所奥にいるKさんを探している模様。

ME:「Kさんに用事があるん?」

Hさん:「別にないけど、、」
目は一生懸命Kさんを追っている。

当のKさんは忙しく仕事中で彼女の視線に気付かない様子。

ME:「Kさんを呼ぼうか?」

Hさん:「いや、いや、、」
でも しっかり目はKさんを離さない。

Hさんはその後少しの間 Kさんを見つめ、彼がやはり自分に気付かないことを知ると寂しそうに帰っていきました。


何歳になっても こういう気持ち、女心を持つって素敵ですね。
それが恋心に近いものか、息子を思う母のような気持ちかは私には分かりませんが、その一生懸命にKさんを見つめているHさんがとても可愛く見えました。

昨日は私もついKさんに、仕事の合間にでもHさんの所へ話をしに行ってほしいと頼みました。勿論、Kさんはいつもお年寄りを思い、声をかけていることは分かっているのですが、Hさんは私から見ても特別だったのです。

きっと昨日、HさんはKさんとゆっくりお喋りできたのでしょう。
そしてそれがとても嬉しかったのでしょう。
今日は朝に昼にと何度もKさんを探しに事務所まで来られました。
いくつになっても可愛くあり続けたいと改めて思った、今日の昼下がりです。

不思議な体験。

*ドイツ・ベルヒテスガーデン近郊 【Eagle's Nestにて '07.07.16】


今朝早く 勤め先の看護婦さん「わっこさん」の娘さんに無事男の子が誕生しました♪
わっこさん、おめでとう。きっと可愛くて愉快なおばあちゃんになられるのでしょうね。勿論 おばあちゃんという感じは全くしない 若いわっこさんですけどね。

人の誕生も含め出会いというものって不思議なものと思いませんか?
私は出会いと別れという人生において大切な出来事の中で二度程「不思議な体験」をしたことがあります。

一度目は随分と昔の話になるのですが、私が大好きでたまらなかった人ととの別離の時。
あまりにも辛く悲しくて、その先の人生が本当に真っ暗に感じ、私は行き先を失った魂の抜けがらになっていた時。
その絶望の中、岐阜県高山市で私はある声を聞いたのです。
「大丈夫だよ。必要ならば帰ってくるからね」って。

耳から聞こえたというより、脳裏をよぎったという方が正しいのでしょうか。
直感とも違う、それは もしかしたら潜在意識のなせる業だったのかもしれませんが、私はその言葉で立ち直れたのです。
そう、必要ならば必ず帰ってくるから。。


そして二度目が この夏のザルツブルクで。正確にはドイツにあるヒトラーの山荘「Eagle's Nest」で...。

ザルツブルクから半日の現地ツアーを申し込みました。
何故か旅行前から気になっていた場所で、ザルツブルクよりむしろ この場所に惹かれていたように思います。

私はヒトラーの別荘内(今はレストランになっています)で、そのツアーのドライバーさんと目が合い、微笑みを交わした時のこと、空気が柔らかくなったのを感じました。

その後 山荘を出て背景に広がる美しい山々や湖を眺めていた時、「あっ!今 世界中で私が一番 天に近い!」と感じる地点がありました。

そして それはヒトラーも勿論利用した黄金のエレベーターの中での出来事でした。

「彼に一言声をかけたら人生がかわる」、いえ「彼に今 声をかけないと私の人生は開かない」という言葉が私を急かしたのです。

彼の笑顔はとても可愛くて温かくて私の宝物です。

出逢いも別れも今の自分にとって必要なもの。

私が出会った人達に幸せが訪れますように、今日も優しい気持ちで一日を終えることができそうです。


追伸:ただ一つ残念なことは、今年の1月30日。念願の「IL DIVO」の来日コンサートで すぐそこにUrsがいたのに、あんなに近くだったのに、心はめいいっぱいときめいていたのに あの声は全く聞こえませんでした。
やはりUrsを遠くから眺めているだけしかできないのかなぁ、ちょっぴり切ない気持ちです。

味噌汁の思い出

*NZ クライストチャーチ大聖堂【'01.12月 クリスマスバージョン】
大聖堂広場はいつも みんなの待ち合わせ場所でした。休みの日などは大聖堂の前に行けば必ず知人に会える... クライストチャーチのシンボルです。


職場の同じ部署のT.Kさんが今日の tea time にとオーストラリアのチョコレート菓子「Tim Tam」を持って来てくれました。
私がワーホリ時代にNZで Tim Tamをよく食べていたのを知っていて、懐かしいでしょって。
それも私の一番よく食べていたキャラメル味... 優しい心遣いですよね。
ありがとうございます。

最近まで香川では高松三越の輸入コーナーくらいにしか Tim Tamを置いてなかったのですが、町内のスーパーの店頭に並んでいたのですって!!
懐かしい味は懐かしい風景を思い出させますよね。

NZへ渡って2週間が過ぎた頃、学校もボランティアも始まってなく、まだ友達もできてなくて極度のホームシックに陥ってました。
偶然 街で日本食堂のチラシを見つけ、ふらふらっと立ち寄ってみました。
そこでは「お味噌汁」飲み放題。
具は全くなくて、ネギぐらいのものだったように思います。
でも美味しくて美味しくて、感動だったのです。
それまでは日本にいても あまり味噌汁を飲む私ではなかったのですが、こんなに美味しいものだったなんて。

その感動を伝えたくて その店を出てすぐ、大聖堂広場の公衆電話から日本へ電話をしました。
7月末のNZは寒く暗い冬空が広がっていて、教会は午後4時の鐘を鳴らしていました。
日本では暑いさかりの午後1時。
電話をした先は NZに来る直前までお世話になった前職場(実は帰国後 又お世話になっております..)、
その中でも特に優しく面白かったK.Kさん。
Kさんの第一声、「おっ! 珍しい人からの電話じゃないか!」に思わず泣いてしまいました。
あまりにも懐かしかったからなのか、優しすぎる声だったからなのか、味噌汁が美味しすぎたからなのか 自分で自分の感情が分からなかったけれど、ただただ泣けてきたのです。

今日はそのKさんも一緒にTim Tamを食べました。
今度はNZを思い出し、温かい気持ちになっています。

金運UP!!

*いつもお世話になっている旅行会社のR.MさんよりNew Yearの贈り物!!! 【'06.12.31 スイス・ルツェルンにて】
私の旅が素晴らしいのは常に彼女のサポートと温かい心遣いがあるから。
心から感謝しています。いつもありがとうございます。


今日は張り切ってトイレと洗面台の大掃除をしました。
掃除なんて当たり前のことを胸を張って言えるものではありませんが、侮れないのがトイレ掃除!

確か風水か何かの本を立ち読みした時のこと。トイレ掃除が金運UPにつながると何冊もの本に書いてありました。

去年の私は取りつかれたかのように、毎日朝晩 トイレと玄関を研き続けました。

いつもの年末年始のヨーロッパ旅行から帰国して間がない今年1月のある日、郵便局から私の名義で10年間出し入れしていない通帳があるので残金を整理してほしいとの通知が届きました。
私も母も「えっ?!」
全く記憶になく、本当に私のお金か確信のないまま手元に返ってきました。

中身は5万円ちょっとだったのですが、このお金があったおかげで少し無理をして夏のザルツブルク行きが実現しました。

私の収入からして、年に二度もヨーロッパへ行くのは苦しいものです。
それが可能になり、冬のヨーロッパしか知らない私が一日の長~い夏のヨーロッパを体感でき、その上 今までで最も心に深く刻まれた旅に出逢えたのも全てこのおかげだったのです。

最近 決して無駄な支出ではないのですが かなり散財が続いてると思ったら、
そうだ! 最近真面目にトイレを掃除していないことに気付きました。

今はとても爽やかです。心持ち少し甘いものへの食欲も減ったような、、、ダイエットにも効果があるのかも?!
明日の朝、早速職場のトイレも掃除しようと思います。

韓国語で書かれたラブレター。

以前 韓国語講座で仲良くして頂いたM.Oさんからメールが届きました。
それは同じく講座で親しくなった方達と4人で瀬戸内海にある直島に行きませんか、という嬉しいお誘い。
こう書くと何だか私が韓国語を勉強してるように思えるでしょうが、一番に脱落したのが私です。あの難解ハングル文字恐怖症に陥ってしまいました。

そもそも韓国語を習おうと思ったきっかけは、2004年6月 家族と行ったソウル旅行でした。海外旅行に対する私のポリシーは一人旅なのですが、父が戦前のソウル生まれということで例外に家族とツアーに参加したのです。
でも私はやはり一人で街に出たい気持ちを抑えられず、2時間だけ別行動をしました。

「景福宮」で一人熱心に写真を撮ってる男性と親しくなり、1時間程 観光を共にしました。彼の写真は韓国で賞を取ったことがあるほどの腕前で、何故かとても気に入られ モデルみたいに色んなポーズをとらされました。

帰国後、彼からかなりの枚数の写真とハングル文字の手紙が届き、困った私は在日韓国人の方に訳してもらったところ、それにはおおまかに次のように書かれてありました。
・一緒の時間がとても楽しかったこと
・自分は韓国の新聞社に勤めているカメラマンであること
・ぜひ釜山に遊びに来て欲しいとのこと(彼は釜山近郊の街に住んでいます)
「釜山に素敵な海岸があるので、一緒に行きましょう。そこで写真を沢山撮ってあげるから。」
・自分は日本語も英語も苦手なので、私に韓国語を勉強して欲しいなどなど。
封筒の裏には可愛いハートのシールを貼ってくれてました。

今思えば一方的だなぁという感じもしなくはないのですが、その時の私は悪い気もせず、じゃあ私が韓国語を習いましょうと素直に思ったのです。

結局 早々にギブアップしたので彼に韓国語の手紙を書けず、申し訳ないことに返事を出せず今に至ってます。ごめんなさい.....。
M.Oさんのおかげで懐かしい想い出を思い出せました。ありがとうございます。
これから少しずつ忘れたくない大切な想い出についても触れていきたいなと思います。~若くなくなってきたからかなぁ~。。。

愛する迷犬達。

左側が「ヨンサマ」3歳
右側が「クリス」1歳
ヨンサマは犬なのに猫のような鳴き声をあげます。
クリスは時々寝言を言います。。

白鳥の湖

今日からブログを開始します。まずは最近一番感動したことから。

8月26日、兵庫県立芸術文化センターへアイススケートの【スワン・レイク】を観に行きました。

数々の大会でのロシア人メダリストの舞台で、狭いリンクの中を少ない助走でトリプルアクセルをきめたり、男性一人が女性三人を抱き抱えて滑ったり、宙を舞ったり、氷の真ん中に炎のリンクが出現したりと見事なパフォーマンスでした。

白鳥の美しさとスケートは優雅で華やかでとてもよく合います。

スケートといっても、ちゃんとバレエのように要所要所では爪先立ちになりお馴染みのポーズをとるんです。
反対に悪者の魔術師役の人は力強くメリハリとスピード感があり、不気味さも怒りも上手く表現していました。

席が前から2列目だったため、表情もよく見れて、氷も飛んでくるし ドライアイスの煙に まかれながら一体となって観賞できたのは幸運でした。

たぶん出演者の匂いかな、かなり近いためか私の場所までも匂ってきて、でもそれが私の中にあるオーストリアな香り(勿論、オーストリアが舞台ではありませんが)と一致して、何よりオーストリアが好きな私は幸せに浸っていました。

そして出演者は観客ときちんと目を合わせて笑顔をくれます。
特にジークフリート王子の親友ベノ役の<アンドレイ・ペンキン>氏の笑顔はこの上なく親しみやすくチャーミングでした。

前半はその演出に釘付けになり、後半は彼らの演じる役の感情が胸に響き 痛い程伝わってきました。

怪しくも美しいオディール、その彼女に惑わされ一瞬でも我を忘れてしまう王子。
その裏切りに動揺し悲しみにくれるオデット。
自分の過ちに気付き、どうしようもない後悔に打ちひしがれた王子の姿。
そして何より最後の最後で二人結ばれた歓喜。

表情だけでこんなに心に染み込んでくるとは驚きでした。

目新しさだけでなく実力も持ち合わせた素晴らしいものでしたので、機会があれば又観たいと思います。

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