I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
MENU

乙女の祈り

*~行きはよいよい、帰りはこわい...~
「サイン・オブ・ザ・タカヘ」を横目にヴィクトリアパークへと向かいます。


ハロウィンって秋の収穫祭を祝い、悪霊を追い出す古代ケルト人のお祭りが起源なのですね。
調べてみると、
ケルト人は昔 カトリック諸聖人の祝日の前夜である10月31日のこの夜、死者の霊が舞い戻って来たり、聖霊や魔女が出てくると信じていたとあります。
それらから身を守る為に仮面を被ったり、魔除けの焚き火をしていたのだそうです。


私は2001年10月のある日の夕方、当時通っていた語学学校のハロウィンパーティーに参加しました。
大勢の学生が参加するということで、市内からバスで30分のところにあるヴィクトリアパークで行われることになりました。
それはシティから南へ5km、
小高い丘「カシミア・ヒル」にある有名な建物「サイン・オブ・ザ・タカヘ」(中はレストランになっていて、クリントン大統領や紀宮様時代の黒田清子さんもご訪問されています)を横目に、もう少し丘を登ったところに広がっています。

生卵を投げ合ったり、肝だめしみたいなことをして楽しんだと覚えています。

私は次の日に一時帰国することになっていました。
確か朝5時頃には空港に入っていなくてはなりません。
まだお土産も用意していなかった私は、みんなが楽しむ中 一人パーティから抜け出し、バス停までの薄暗い道を歩いて帰りました。

薄気味悪い道です。

というのは、この「ヴィクトリアパーク」、実際に殺人事件が起きた場所。

『乙女の祈り』
この映画をご存知ですか?
クライストチャーチを舞台とした実話です。
タイタニックでヒロインを演じた「ケイト・ウィンスレット」の映画デビュー作。
幼さを残した彼女がスクリーンの中にいます。

クライストチャーチの女子高生ポウリーンとケイト演じるジュリエット。
ジュリエットはイギリスからの転校生で、名門大学の学長の娘。
そのジュリエットと貧しい家庭で育ったポウリーンは、好みと感性が驚くほど似通っていて、次第に異常なほどの強烈な友情へと走っていきます。
娘達の親密さに不安を感じた親達はカウンセリングを受けさせます。
診断は「同性愛」。
ポウリーンの母は二人の交際を禁じました。
その母に激しい憎悪を抱くポウリーン。
やがてジュリエットの両親が離婚することとなり、南アフリカ行きが決定します。
自分とジュリエットの仲を邪魔する母親さえいなければ、一緒に南アフリカへ行けると思い詰めたポウリーンはジュリエットと共に母親をレンガで撲殺。

その現場が「ヴィクトリアパーク」なのです。
結局 裁判で有罪となった二人は、釈放された後も会うことを禁じられていると聞いています。


1954年6月の平和で静かな街クライストチャーチで起こったこの事件を思い出しながらの、たった一人の薄暗い帰り道。
この話を知っていたからでしょうが、ハロウィンに相応しい(?) 何とも不気味な帰り道でした。

スポンサーサイト

THE QUEEN

1997年8月31日、
パリでの交通事故で他界したダイアナ元皇太子妃。
彼女はすでに民間人になっていましたが、ダイアナを称える国民の声は次第に高まり、その悲しみの矛先が彼女の死を無視し続ける女王に向けられていきます。

人生を神と国民に捧げてきたエリザベス女王。
女王の知る英国民は慎ましく、品格があり、世界から尊敬される国民性。
誰よりも英国民を知るのは女王のはずでした。
しかし公式声明すら発表しない女王に対し、国民からの批判が集中します。
このままでは王室と国民が離れしまう危機を感じた就任当初の若きブレア首相は、その和解に力を注ぎます。
ダイアナの死から国葬が執り行われるまでの一週間、エリザベス女王の苦悩と人間味を描いた作品です。


この土曜の早朝と夕方、そして日曜の今日は朝と昼、
通して見たのは二度ですが、繰り返し繰り返し再生しました。

アカデミー主演女優賞を受賞しただけあって、ヘレン・ミレンの演技は見事でした。
本物のエリザベス女王かと勘違いしてしまうほど。
なんて"そっくり"なんだろうと思い、実際の女王の写真を見てみると、思ったほどは似ていません。
なのに、これほどにまで女王を感じさせる彼女は何者なんでしょう。
バッキンガム宮殿に手向けられた多くの花束の前に立つ姿などは、私が見た実物のエリザベス女王"そのまま"です。
気品と威厳に満ちた姿、彼女の生きざまをも感じさせます。

この作品を見て、やはりエリザベス女王は英国の母なのだと思いました。
伝統と格式を重んじる王室。
今まで築き上げてきたものと、現実との狭間で苦しむ女王。
彼女も一人の人間です。
傷つきもし、泣きもします。

英国王室の事実はきっと映画のものとは違うでしょうが、ロイヤルファミリーの私生活をほんの少しでも窺い知れたことは大変興味深いものでした。

そして何より恐ろしく感じたのがマスコミと群衆心理です。

あの事故から10年、
今改めて振り返ると、あの当時の英国民の感情は異常なものに見えてきます。
ブレア首相の言葉、『国民のプリンセス』。
確かにそうだったのでしょうが、あそこまで悲しみに沈み、女王をはじめ王室に対して反発心を抱いたのはマスコミが作り上げたといっても過言ではないように思えます。


私達は知らず知らずに誰かのメガネを通して物事を見ていますよね。
その積み重ねが今の自分です。
気が付けば何かに踊らされていたということは、情報化社会の現在においては日常のこと。
この映画を見て、その恐ろしさと現実に気付かされました。

女王であっても国民の声は無視できない。
でも、その国民の声は誰かが後ろで糸を引いている。
真実は一体どこにあるのでしょうか。。。

『エリザベス2世』

*上からオーストラリア、NZ、クックアイランドの国旗です。

2002年2月25日。
エリザベス女王がクライストチャーチに来られました。
NZの首都ウェリントンから王室専用のジェット機に乗って、
クライストチャーチでの滞在時間は僅か5時間です。

前日にオーストラリアから戻って来た私は、疲れた身体に鞭打って、朝から空港までお出迎えに行きました。
手にはオーストラリアとNZ、クックアイランドの国旗↑を持って。

私はその頃、7つ年下のKyokoちゃんと常に行動を共にしていました。
同時期に同じ人を好きになったくらいですから相性も合うのでしょう。

空港に着いた私達。
でも、どこにもエリザベス女王についての案内がない。
私達は空港まで行けば情報が入ると思っていただけに、唖然としました。

えっ? あのエリザベスが来るんでしょ?

カウンターで情報収集です。
あまり時間がない。
慌てて場所を移動しました。
お出迎えは思いの外に質素なもので、人出は50人くらいだったでしょうか。
そんな中、《ROYAL NEW ZEALAND AIR FORCE》と書かれた飛行機から、黄色の服と帽子に身を包み、彼女はゆっくりと階段を降りてきました。

私は夢中で国旗を振りました♪
UKの国旗ではないけれど、同じ英連邦一員のしるし「ユニオンジャック」が輝いています。
NZは独立国家といっても英国女王が国家元首。 国内の総督が女王の代理を務めています。

周りの人達は平常心のまま、少しはざわつきもしましたが、、。
エリザベス女王自身も 出迎えの私達に愛想を振り撒くこともなく、車に乗って 呆気なく走り去って行きました。

でも生のエリザベスです。
本物のエリザベス女王です。

私達は女王が走る道順を調べ、急いでバスで移動しました。
どうも彼女の追っかけは私達と後二人だけの様子。

その内の一人は体にUKの国旗を巻き付けていました。
負けたっ!(*_*) その時の感想です。

私達4人は広いハグレーパークを横切り、きっと来るエリザベスを待ちました。

今度こそ手を振ってもらうんだっ!!
ワクワク待つこと数十分。

護衛の車があるわけでもなく、車の規制があるわけでもなく、
えっ? 本当にここを通るのだろうか、、
不安が高まる中、又も呆気なく一台の車が走り去って行きました。
エリザベス女王が乗っている!!
私はここよっ!!! 心の中の大きな叫び!

こんなにも頑張ったのに、心の中でめいいっぱい叫んだのに、国旗を3本も用意したのに、、
無情にも車の中の彼女は窓の外を見るわけでもなく、横に座る旦那様「エディンバラ公」とお話されているようでした。

私達はここで諦めました。
でもUK国旗を体に巻き付けている彼だけは、もう一度 空港へと向かっていました。

『エリザベス女王』
遠い存在ですが、彼女は振り向きもしてくれませんでしたが、
私にとっても特別な女王様です。
どこの国よりも伝統ある、誇り高き女王。
同じ時間を共にできただけでも満足ですよね。


ずっと見たかった映画「クィーン」。
上映前から見たかったけれど、機会を逃してしまい今までお預け状態でした。
明日は待ちに待った週末です。
DVDも借りてきたし、準備OK (^-^)g"
内容は重いもののようですが、本当にずっと見たかった。。
もう一度、エリザベス女王にお会いしたいと思います。

ヨットで食べたカレーの味は・・・。

*NZ ファンガレイにて【'02.01.20】
~Walk beside me and take my hand.
Show me your love and companionship, and be always my friend.~
ファンガレイの港で出会ったチェコ人「イワン」。
彼は別れ際、私にこんな詩をプレゼントしてくれました。


今日の昼食はカレー。以前から、カレーを食べた日に書こうと決めていたことがあります。
それは私の人生最大(?)の過失です。


NZの最大都市オークランドの北、北島の中でもノースランドと呼ばれる最北部一帯は最も温暖な地域です。
このリゾート地で一番人口の多い、そして天然の良港を持つ町がファンガレイです。

私のNZ北島を巡る旅は暑さと貧しさの戦いでした。
真夏の1月のNZは狂いそうなほど暑くて熱くて、私は毎日のように吠えていたと思います。
あの2002年の夏が異常だったのでしょうか...?
日陰に行けば心地よい風が吹いていますが、容赦なく照りつける太陽の下は焦げるほどに感じます。

そんな日中の長時間のバスでの移動は体力を消耗させ、ファンガレイに着いた時はもうグッタリ。。
残る力を出し尽くして宿泊先のYHAにたどり着きました。

日が傾くまで休もう。
この旅行中、殆んどの活動時間が早朝もしくは夕方から日が沈む夜10時近くまで。
太陽から逃れるように生きていました。

そんなファンガレイでの午後5時。
少し楽になった私は町の散策に出かけました。
この港はオークランドほどではないにしろ、沢山のヨットで賑わっています。
気持ち良く風が肌をかすめます。
そんな時、日焼けした落ち着きのある年頃の男性が夕食を一緒にどうかと声を掛けてきました。

この旅行での予算は一日NZ$15~20。だいたい1500円弱でしょうか。
その内NZ$10はYHAの宿泊代で消えてしまいます。
豪華にディナーなんて身分ではありませんよね。

「いいえ、結構です!」
そう返事をした私に、彼はヨットでの世界一周について話し始めました。
「ヨットに乗ったことある?」
首を横に振る私。
「すぐそこに僕のヨットがあるんだ。せっかくだから乗せてあげるよ! ヨットでお茶でもどう?」
冷静な時ならば、ここでも首を横に振ったことでしょう。いえ、振るべきでした。

♪ヨットに乗せてもらえるの?♪
変な好奇心と空腹が災いして、ワクワクしながら彼の後をついていきました。

小舟に乗って立派なヨットへ向かいます。
彼はそのヨットで5回も世界一周をしているのです。
太平洋ではこのファンガレイの港でヨットを休めるのが常だとのこと。

甘く美味しいミルクティーを飲みながら、嵐に立ち向かった武勇伝に力が入ります。
「それはそれは凄い波だったんだ!!
こんなふうに体が傾いてねぇ、この額の傷はその時のものなんだよ。」
身体全体で説明します。
「そうだ、お腹も空いているだろう? カレーでも作ってあげようか。」
海の上での一人生活が長い彼は、慣れた手つきで小さな鍋に乱雑に切った野菜を放り込み、カレー粉を絡めて、こんな美味しいカレーは初めてだと思うほどに仕上げてくれました。

「美味しいだろ!」彼は上機嫌。
「君と僕はもう友達だね。僕は君のこと好きだな。」
そう言って、彼の故郷であるプラハの写真を見せてくれました。
「綺麗な街だろ。一度、来てみるといい。」


そんな話からどう変わっていったのか今では思い出せませんが、
「僕は手相や人相を見れるんだよ。」と彼が言い出しました。
「君の口元は……だね。」
……単語が分からない。
キョトンとしてる私に辞書で調べるようにと彼は言う。
それには、色気があるといったような意味合いが、、σ(^◇^;)。。。
「君の手はモナリザのようだね。」そう言って私の手を撫でる彼、、(・_・;)
これはかなりヤバいと思いました。ヨットに二人だけなのですから、こんな危険は予測できたはずです。

《あぁ~私がバカだった(>_<)》 あぁ~南無三!(><。)。。
そう思った時です。

「よぉ! イワン! 荷物が届いてるぞ!」彼の知人が荷物を届けに来たのです。
すかさず、「私、もう帰らなくっちゃ!」
荷物を持って来た男性に感謝感謝です。
何事もなく、奇跡のように無事に再び港に降り立つことができました。

日頃思わなくても、神様にも大々感謝です!!!!!

私の人生の課題。
それは★空腹時の正確な判断★ですね。
カレーには危険な匂いが漂っていますから。。
でも、私の不注意は反省すべき点として、話し相手もいない広い海原の長い旅、
彼は強引なわけでもなく、本当は素直にいい人だったのだと思っています。

チンギスハーンよ、再び!

*モンゴルの大平原【'00.06.29 夕暮れ時の一枚です。】


私の親友「きょん」さんは今もペルーへ添乗中。
お気の毒に...、特にあの国で他人のお世話をするなんて、私には到底無理な話です。。
どうも今回は面白い(かな?!)出来事があるそうで。。
21日の日曜日、ペルーで国勢調査があり、その日は『外出禁止令』が出るのだそう。
国民だけでなくツアー客もというのだから、これは添乗員さんとしては大変なことと思います。
ホント、お気の毒に...。
朝8時から夕方6時までだなんて、貴重な旅行の一日が丸々台無しになってしまいますよねぇ。
ツアー客の外出禁止は除外してもらおうと働きかけていたらしいけれど、どうなったことやら、、(^_^;)

海外へ出ると、こういう私達には想像もつかないお国柄に遭遇することってありますよね。


私の体験上、最も面白く興味深かったのがモンゴルでの出来事です。

モンゴルの首都ウランバートルから車で走ること1時間。
目の前に大平原が広がります。
そこに住(ゲル)を構える遊牧民のお宅で2泊3日のホームステイをしたことがあります。

本当に何もない。
ただただ平原が広がるばかり。
トイレはもちろん! 青空トイレです!!

道らしきものは どこにもなく、遊牧民の方達はどうやって方角を知るのか私には全く理解できませんでした。
360度の大平原。


私がモンゴルを訪れた時、ちょうど大統領選挙の直前でした。
子供達や牛馬達と走り回って遊んだ長い一日も終わりに近づいた頃、
どこからとなく馬に乗って 立候補者の応援の方がやって来たのです。
外はまだ明るかったけれど、夜の8時は過ぎていたと思います。
しばらく家長のお父さんと政治について(だと思います)話し込んでいました。
私達はゲルに入れてもらえず、いつまでも外で遊んでいました。

昼間は優しく くだけた笑顔のお父さんが、真面目な難しい表情で男性とゲルから出て来ました。
二人はまだ話が終わらない様子。
真剣そのものです。

話しが終わると、その男性はまた馬に股がって颯爽と走り去っていきました。
映画のワンシーンのようで、カッコいい♪って思いましたよ。

モンゴル語はやっぱり さっぱり分からない私。
でも、その真剣さだけは伝わってきました。
自分達の国の行く末について、責任を持って一生懸命考えている お父さんも格好いいと思いました。

こんな選挙活動風景も面白かったのですが、一番私の興味を引いたのが、その男性が被っていた帽子です。
彼の頭には《チンギスハーン》の顔を描いたバッチが輝いていました。
誰が立候補しようと、モンゴルの父はチンギスハーン!!
彼以外にないのでしょう。
自分達の国の遠い栄光を今も誇りに思い、「チンギスハーンよ、再び!」といった感じでしょうか。。

21世紀を目前にした、過去の偉大なる国父に触れ、モンゴルの血肉を感じた不思議な時間でした。
ただの観光よりも ずっとモンゴルが近くになった特別な思い出です。

獅子舞いと中国人

*オーストラリア・アリススプリングス、ショッピングモールにて【'02.02.18 中国人の方達と、コンチキツアーで知り合ったMasakoと共に】


今日は姉の嫁ぎ先、香川県観音寺市(大野原)へ秋祭りを見に行って来ました。
ここのお祭りは田舎なだけに大きな御神輿が何台もならび、かなり派手に多くの人で賑わいます。
といっても最近、とても疲れている私。
お昼のご馳走を戴いた後は御神輿で道路が混雑する前にお暇致しました。

10月はどこもお祭りで賑わっていますね。
私の職場の老人ホームにも毎週末のように獅子舞いがやって来ます。


日本の獅子舞いは秋らしくていいものですが、中国の獅子舞いもそれは見物です。
私はそれをオーストラリアとNZ、そして神戸の南京町で見たことがあります。
その中でも印象に残ったのがオーストラリア大陸のど真ん中、アリススプリングスでの出来事です。


偶然 中に入ったショッピングモールで何やら催し物があるらしい。
各々のお店の前にはレタスがまるごと吊り下げられています。
何が始まるんだろう、私とMasakoはワクワクしながら待っていました。
黄色い服を着た大勢の中国人が笛や太鼓を運んでいます。

"お祭り? 何のお祭り?"
私達にはよく分かりません。
他のお客さん達はあまり興味がない様子。
私達だけが一生懸命に見ていたからか、その中の一人の男性が声を掛けてくれました。

「中国の旧正月のお祭りなんだよ。
良かったら一緒に写真を撮ってあげようか?」
"うん♪、うん♪"
それが上の写真です。
半年以上も経って、私がこの日のことを忘れた頃、遠いオーストラリアから届きました。
中国の方も親切ですね。


獅子舞いが始まりました。
日本のそれとよく似た動きなのですが、違いといえば、
う~ん、獅子の色が黄色いということと、顔がひょうきんで可愛い?ということですかねぇ。

お店の前に吊るしたレタスを噛み砕き、それをくわえたまま頭を振りまくります。
そこら中にレタスが飛び散り、お店の人はいかにも迷惑な感じです。嫌そうな表情が一目瞭然。
でも、そこは中国人。全くお構い無しです。

次から次へとレタスを撒き散らす中国人。
それを嫌々不機嫌に掃除をするオーストラリア人。
思わず同じアジア人として、せめて後片付けをするように言おうかと思いましたが、中国人の勢いにはかないませんでした。


獅子舞いを見る度に、どこの国でも我が道を行く中国人の迫力を思い出さずにはおられません。
見習うべきかどうか、、、。
日本では《郷に入っては郷に従え》とありますが、中国ではどうなんだろう。。
異国の地で逞しく生きていく為には、どちらがいいのか、、。
本当のところ、まだ私にはよく分からないのです。
中国人の集団は恐いものがありますが、個人的に一対一で接すると良い人ばかりですから、、。

ナンチャン、故郷に錦を飾る!

~中世の芸能《狂言》と現代の笑い《コント》が一緒になる・・両者とも、人が生きていく為にとても大事な"笑い"を追及しているのですから、仲が悪い筈がないのです。
それぞれの持ち味をぶつけ合い、絡み合い、混じり合い、時には苦しさを伴うかもしれないその作業が、無限の可能性を広げていくことになると思うのです。~
【九世 野村万蔵氏】


『TANE~種~』
万蔵さんにとってこれがコント初挑戦!!
私の席のすぐ横から風を切るように颯爽と現れた万蔵さん、
その一瞬で観る者の心をさらっていきました。

【ナンチャン扮する男は、お笑いコンビ「世阿弥」の一人。
コンビ名だけでCM撮影に起用されたものの、実はこの世界から足を洗おうと悩んでいます。
そんな彼に本物の「世阿弥」の霊が乗り移ります。
《「世阿弥」は約600年前に『能』を大成させ、今も創作当時とほぼ変わらず演じられている その台本を執筆し、演じていた室町時代の芸能界第一人者。
彼の著述に「風姿花伝」があります。》
CM撮影現場は大混乱し、一時休憩。
その間世阿弥は、仕事に悩み 周りに気ばかり遣うカメラマンに案内されスタジオ見学をします。
この時、世阿弥自身ももう一つ越えられない芸の世界でもがいていました。
南原を心配した相方に、二人のギャグ「秘すれば花」を教えられ、芸の奥義を悟る世阿弥。
夢の中で喜びに舞う世阿弥の前に、
芸敵「音阿弥」が登場し、二人の舞比べになります。
渋いけれど地味な世阿弥の踊り、派手で華やかな音阿弥のダンス。
熱くなった大衆も舞台に出て舞に加わります。
大いに盛り上がった夢から覚めた世阿弥は、悩めるカメラマンに『寿福延長』という言葉を教え、全ては生命を豊かにすることに繋がると励まします。
CM撮影は再開し、敏腕ディレクターのいいかげんな編集に納得いかないカメラマン。
彼がとった行動とは...。】

お笑いコンビ「世阿弥」に南原清隆さんとイワイガワの井川修司さん。
敏腕ディレクターに野村万蔵さん。万蔵さんは途中、音阿弥にも扮します。
大物狂言師に島崎俊郎さん。
アシスタントディレクターにドロンズ石本さん。
カメラマンにエネルギーの森一弥さん。
世阿弥の霊に小笠原匡さんという配役です。

改めて思い出すと、想像以上に奥が深かったことに気付かされます。
実際 観ている時は、ただ面白くて面白くて。。
観客の笑い声に彼らの声が消されるほどでしたから。。(私の席は前から9列目でした)
それぞれの個性を上手く表現しています。
要所要所に旬の話題を混ぜ込んでますます笑いを誘います。
巧いですねぇ。
皆さん、声もよく透っています。

まず白装束に黒い仮面で目鼻を覆った世阿弥の霊が現れ、舞台の空気に緊張感をもたらします。
世阿弥の霊はこの演目中 一言も喋ることなく、舞台隅で控えている間 ずっと気配を消しています。
彼が扇子で「パンッ」と床を鳴らすと、舞台上の動きが止まり、そのうちの一人が心境を語るという手法。
「時間を止める」、見事です。

世阿弥扮するナンチャンと、音阿弥を演じた万蔵さん。
二人のダンスの掛け合いは見ものでした。
さすがに社交ダンスで鍛えているナンチャン。
そして、やはり何と言っても万蔵さんでしょう。
彼の長年の"身のこなし"とセンスと空気は圧巻です。

その他の芸人さん達のアドリブも大したものでした。
特に島崎俊郎さんの一挙手一投足には観客だけでなく万蔵さんも大笑い。
万蔵さんの大喜びの様子に、それ以上に嬉しくなる私。

古典狂言は各人表現の仕方に多少の違いがあるのかもしれませんが、ほぼ決まった所作のように感じます。
そんな世界にいた万蔵さんが、アドリブをきかせ、陽気に腰を振り、笑顔いっぱいで舞台上に存在します。
とても新鮮でした。
さすがとしか言いようがありません。
彼はただ立っているだけでも目を引いてしまうのです。


勿論、狂言とコントの結婚とその後の切磋琢磨は大成功。
ナンチャンが悩み苦しみ、そして見つけ出した世界は日本のお笑いの世界をより大きく広げていくことでしょう。

~"狂言とコントが結婚したら"のコンセプトの元、創られているこの舞台も皆様の応援のお陰で無事二年目を迎えることができました。
相手を尊重し、理解しようとした一年目。
そして、二年目を迎えると、相手のいいところを自分にとり入れたいという欲求が自然と芽生えました。
もちろん互いに不満もあるのでしょうが『形を変えて心を伝える。』発起人の故野村万之丞氏の教えを守り、よりおもしろく心ある舞台にしたいと皆が思っています。
色々なお客様と共に、現代狂言というジャンルを確立したいと願っております。
どうか、皆様今後とも末永いおつきあいを宜しくお願いいたします。~【南原清隆氏】

現代狂言

*今晩は島根で公演中です。
仕事をしながら、今すぐ松江に行きたいな、今から列車に乗れば間に合うのに...、昼を過ぎた頃より時計ばかりが気になっていました。
今日はどんなふうに客の心を掴んでいくのだろう。。


古典狂言『二人大名』を現代にあてはめたものが、『一人サラリーマン』
「いつの時代も人間模様に大きな変わりはないですよね」、ナンチャン談です。

【悪事を重ねて会社を大きくしてきた《青福》の社長と副社長は、毎晩のようにクラブで遊んでいます。
今日は《高松》の高級クラブにやって来ました。
そこへ彼らにとって社の命が関わる大切なCD-ROMを無能なサラリーマンに届けさせます。
それには彼らの悪事すべてが書き込まれているのです。
サラリーマンは社長の言うとおり、さんざん物真似芸をさせられます。
褒美をもらって、届け物の事をすっかり忘れて帰ろうとするサラリーマン。
それをひき止める二人。
サラリーマンが中身を出そうとすると慌てふためき、何やら尋常ではない様子がします。
実はこれって物凄く大事なもの!?
そうと分かれば立場は逆転!!
仕返しに今度は社長、副社長に物真似芸を強要します。
CD-ROMを取り戻し胸を撫で下ろして帰る二人ですが、、
そうは世の中甘くないですよねぇ。】

社長に渡辺正行さん、
副社長にエネルギーの平子悟さん、
サラリーマン役は岩井ジョニ男さんでした。

これを古典狂言のすぐ後に観ることで、難しく感じた内容が具体的によく理解できます。
言葉遣いも表現も本来の狂言から引用しているものがいくつもありましたから。

平子悟さんの筋がいいのには驚きました。
期待していなかった分 余計そう感じたのかな。
渡辺正行さんについて言えば、ベテランの安心感はあるけれど 特に印象に残らない。
若手芸人さん達の必死さの方が観る者を楽しませてくれました。

全体的に言えば、あくまでも古典狂言を分かりやすくするためのもの。
これだけでは舞台は成り立たない、
深みがないのかなと思いました。


長い歴史を持つ狂言の動きは無駄を省き、"間"を活かし、
面白さの中にも考えさせられるものがある、観客に伝えたいものがある、
何も分からない私ですがそう感じます。

ただ この『一人サラリーマン』は、後に続く新作『TANE~種~』と最初に演じた『二人大名』を結ぶ役割をきちんと果たしているとは思います。

これはこれで非常に面白かったですよ。

新作現代狂言『TANE~種~』については改めて。。

大好き!!! 万蔵さん!!!

和泉流狂言師・九世 野村万蔵さん(41歳)は人間国宝の野村萬先生の次男であるとともに、御自身も重要無形文化財であり、名誉都民でもあります。
私が万蔵さんをどのくらい好きかというと、そうですねぇ、、
野に咲く花を手に取って、思わず「独身? 独身じゃない、、 独身? 独身じゃない、、」と花びらで一枚一枚占ってみたくなるくらいです。
実際、独身でないことくらい見れば分かります(泣)。


現代狂言『狂言とコントが結婚したら』
昨日の舞台はきっと観客全員の期待を裏切らないものだったと思います。

まず、ナンチャンこと南原清隆さんが挨拶をされました。
ナンチャンにとって香川県は生まれ故郷であり、高校時代までの思い出が息づいている特別な場所。
勿論ナンチャンだけでなく、彼の沢山の友人にも昔のナンチャンと過ごした思い出が詰まっています。
そんなナンチャンの高校時代の同級生、同じ地域の皆さん、90歳のお祖母ちゃんをはじめとするご家族の皆さん、そして郷里を同じとする私達を前に、
ナンチャンは照れながら、舌を噛みながら、でもとても嬉しい気持ちに溢れていました。

「とにかく声を出して笑って下さい、それだけです。」
彼の成長を喜び そして温かく見守る空気が満ちた中、良い雰囲気で幕を開けたと思います。


古典狂言『二人大名』
ナンチャンは始まる前に「古典狂言を観る時、最初の3分は分からなくても"じー"と見続けて下さい」と言っていました。

大名役の小笠原匡先生と私の友達Y君が舞台に登場。
Y君がしっかり演じられますようにと客席から祈る私、ひたすら祈る私。
小笠原先生もY君もさすがに舞台栄えし、声もよく透っています。

内容は昨日の日記の通りですが、ここで特筆したいことがあります。
それは「九世 野村万蔵」さん。

彼は通りすがりの平民の男を演じました。
彼の登場により舞台が"ぽっ"と軽くなり、心持ち明るくなった感じがしました。

「あっ! この人、空気を変える人だ!!」、間違いなくそう思いました。

《重要無形文化財》の彼だから、そんなこと当然だと思うかもしれません。

私は昨年、大蔵流人間国宝の茂山千作さん、
そして この万蔵さんのお父さんで人間国宝でもある野村萬さん、
その弟で同じく人間国宝の野村万作さん、
万作さんの息子でTVでも有名な野村萬斎さんの舞台を各々に観る機会がありました。
茂山千作さんなどは顔の皺ひとつにまで表情が滲み出ています。

でも昨日の万蔵さんのような感覚は初めてでした。
若さというのなら萬斎さんの方がもうひとつ若いです。

「凄い人だ!!」
「凄いオーラを持つ人だ!!!」

こんな素晴らしい方に師事している小笠原先生、その弟子であるY君。
だからY君はますます人間性を高めてこれたんだと痛感しました。
あのオーラに包まれるだけで、とてつもない影響を受けるのだと思います。
そして、その存在感に触れることができた私も、かけがえのない経験をしたのですね。

できることなら昨日に戻りたい気持ちです。
「キャッキャ、キャッキャ」と子猿が喜んで手を叩き踊るようにはしゃいだ私。


明日はもう少し具体的に、ナンチャンやその他の芸人さん達の話題について書こうと思います。


「大好き!!! 万蔵さん!!!」

今日の演目

只今、うちの両親は喧嘩中。
どうも父のしたことに母が五月蝿く注意したのが原因らしい。。

今日は両親も高松へ現代狂言を観に行きます。
私は両親とは別に友達と観に行くのですが、彼らは二人だけで大丈夫だろうか。。
朝から口もきいていない様子。
ナンチャンは彼らに笑いをもたらすことはできるのでしょうか!
仲直りさせることはできるのでしょうか!
そして私を「エディット・ピアフ」の世界から解放させ、心を軽くすることはできるのでしょうか?

今晩、ナンチャンの笑いの真価が問われます!?!


今日の演目は、
1.古典狂言「二人大名」
2.現代狂言「一人サラリーマン」
3.現代狂言新作「TANE~種~」


『二人大名』
二人の大名が都へ行く途中、通りすがりの男に無理やり太刀を持たせ従者に仕立てようとする。
怒った男は、この威張り腐った大名達に仕返ししようと思う。
ちょうど太刀は自分の手の中にあるではないか!
そこで男は大名に向かって太刀を振りかざし、逆に大名達の身ぐるみをはがしてしまう。
「返してくれぃ」と懇願する大名達。
男はそんな大名達に犬や鶏の真似をさせ、さんざん面白おかしな格好をさせて大満足。
「さて、小袖長袴と太刀を返そう」
いや、返すのをや~めた!
と身ぐるみ剥がされた大名達をあとにして、男はそのまま「すたこらさっさ」
逃げ帰ってしまうというお話。

中世・室町時代の下剋上の世の中を風刺した作品だそうです。

それを現代風にアレンジしたものが、「一人サラリーマン」。

今晩はそれをどんな風に演じてくれるのか楽しみです♪

パスポートを落としたこと、あります?

*NZ南島最北部、北島への玄関口 ピクトンにて【今日(10/15)が誕生日のY恵ちゃんと '02.03.02】

写真手前(モノクロ状態ですが)のY恵ちゃんと、以前日記に書いたクックアイランドを共に満喫したC恵ちゃんは、ただのお友達ではありません。
2002年の1~3月、
私は帰国後の仕事復帰が決まり、ありったけのスケジュールを詰め込んでの旅行三昧の日々を送っていました。
2月中旬~末のオーストラリア旅行、
3月上旬~帰国前日までのペルー旅行、
その間の僅かな期間に4泊5日でY&C恵ちゃんとNZ南島の北ルートの旅へ出掛けました。
その時の『ご恩』を決して忘れることはできません。


NZ(とりわけ南島)には自然が溢れ、あらゆる場所にトレッキングコースがあります。
そして、オットセイ・イルカ・アザラシ・ペンギンといった愛くるしい仲間達と触れ合える海にも出会えます。
その中でも特に気候に恵まれた、NZの中心に位置する街「ネルソン」を起点にドライブやトレッキングを楽しみました。

空は広いし、海は青い。
太陽は眩しく水面に反射しています。
大きく深呼吸して、はしゃいで笑い転げて、私のNZ生活最終章は愉快に幕をおろすはずでした。

この旅行の締めくくりは、ネルソン中心部にあるマクドナルドでの朝食で。
飽きることなくお喋りした私達は、Y恵ちゃん運転の車でクライストチャーチへと帰路を急ぎました。
確か夕方6時までに車を返さなければならなかったはず。
少し時間に余裕が持てそうで、ホエールウォッチングで有名な「カイコウラ」という街でオットセイのコロニーに行ってみよう! と話が決まりました!
気持ち良く車は進みます。
私も風に吹かれながら、帰国後にやりたいことなどを頭の中で計画して やる気満々!!

その時 ふと私は自分の周りを見回しました。

《私のリュックが見当たらない》・・写真にちょっぴり写っている黄緑色のリュックです。

これはNZへ旅立つ前に、私を妹のように可愛がってくれたM.Oさんからの贈り物。
その中にはお財布にBKカード、VISAカード、携帯電話、そして何より大事なパスポートが入っていました。
(°д°;;)

もう一度自分の回りを見渡し、そして自分の行動を一つ一つ思い出してみました。
確かにマクドナルドには持って入った、、
そして椅子の下に置いた、、
その後が思い出せない。。

う~ん、
《やっぱりマクドナルドだ!!》
私は帰国間近であることと、5日後に控えたペルー行きの心配で頭の中が真っ白。

パスポートも全財産も落としてしまった私。

そんな私に代わって二人は公衆電話の電話帳でネルソンのマクドナルドを調べて連絡を取ってくれました。
「店にありますよ」

車はすでに帰り道を1/3以上走っています。時間にすると3時間以上。
せっかく走ったその道を、またY恵ちゃん運転でひきかえしてくれました。

勿論、マクドナルドの店員さんが親切に保管して下さったことにも大変感謝しています。NZの人は本当に信頼できると思います。

でも誰よりも頼りになり、私を助けてくれた二人には感謝してもしきれません。
ありがとうございました。

皆さん、パスポートを落としたことってあります?
旅行に馴れてきて、馴れた国ほど こんな間抜けな失敗をしてしまうものです。
(私だけかな?)
いつも彼女達のような友達が傍にいてくれるわけではありません。
きちんと自分を管理して、気を引き締めていきたいと思っています。

エディット・ピアフ

いつもお喋りな私ですが、今は異常なほどに無口です。口を開くと大きな溜め息ばかり。。

今日は映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』を見て来ました。
フランスが世界に誇るシャンソン歌手「ピアフ」。
47歳で幕を閉じた彼女の激動の人生を描いた大作です。


母に見捨てられ 祖母の経営する娼館で過ごした幼少期から、
パリの路上で日銭を稼いでいた青年期、
そんな彼女の才能を名門クラブのオーナーに見い出され 歌手としての道を歩み始めた時代、
殺人者の容疑をかけられ一度は絶望の淵に立たされながらも 著名な作詞作曲家「アッソ」によって再び舞台に戻ることができ 大成功をおさめた日々、
そして『愛の讃歌』を生んだ 世界チャンピオンのボクサー「マルセル」との大恋愛、
リューマチを患い麻薬に溺れながらも歌い続けた最期まで、
時間を忘れた2時間半でした。


かなり熱い人だとは思っていましたが、これほど激しく重いものだなんて思いもしませんでした!!
今も鉛を呑み込んだように胸が重く沈んでいます。


『愛の讃歌』という歌はあまりにも有名過ぎますが、これが生まれた背景にこれほどの悲しすぎる現実があったことを知ると、もう彼女以外では聴くことができなくなります。

彼女がこの歌を捧げるはずだった「マルセル」は、彼女に会うためにNYへ向かう飛行機事故で亡くなってしまう。彼女の悲痛の叫びが歌に乗り、耳から離れません。

実際、映画の中で用いられている歌の殆んどが彼女自身の声。
独特の地を這うような歌声から放たれる孤独と愛は、時代を経てもなお私の心に染み込んできました。

彼女を演じた32歳の「マリオン・コティヤール」。
大きな眼をますます見開いて、忘れられなくなるほど無気味な表情は怖いものを感じました。
話し声もピアフ自身の歌声と全く違和感がなく、よくここまで役に成りきれるものだと驚きました。
だから余計にこの映画にのめり込んでしまったのだと思います。

ピアフの歌を改めて聴いてみたいと思いますが、今の私が聴くのは危険だと感じました。少し現実に戻ってからでないと、これ以上の心の重さには耐えられません。


「エディット・ピアフ」
彼女の人生を本当に理解することは、私にとって到底無理な話ですし、
万が一それを理解できる日が来るとしたら、それはあまりにも恐ろしいことです。


彼女は歌います。
いいえ、ぜんぜん
いいえ、私は何も後悔していない
私に人がした良いことも悪いことも
何もかも、私にとってはどうでもいい
私はまたゼロから出発する
私の人生も、私の喜びも
今は、あなたといっしょに始まる
・・・『水に流して』

日本の心

10/16にナンチャンの「現代狂言」を観に行くことは先日の日記にも書きました。

偶然にも職場の守衛さんから、ナンチャンの「何がでっきょんな」という本をお借りする機会がありました。

「何がでっきょんな?」・・・これは讃岐弁の代表みたいなもの。
意味は「こんにちは。」
「何してるの?」
「お元気?」
「最近どう?」
みたいな感じでしょうか。。
意味合いの広い、誰にでも愛情を持ってかけてあげられる言葉です。
これを題名にして、'02.4月~'05.3月まで四国新聞で掲載されたナンチャンのコラムを集めたものがこの本です。
彼は香川県高松市出身ですからね。


その中に「狂言」に触れた内容のものがあり、なるほどぉ~と感心した内容を今日は取り上げてみたいと思います。

それはナンチャンが狂言師、総合芸術家の故・野村万之丞さんから教わった「相手を思いやる"間"と心」。

ナンチャンの疑問、
『日本人は何故「3」という数字にこだわるのか?』
確かにことわざにも「石の上にも三年」、「仏の顔も三度まで」など日本には「3」にちなんだものが多いですよね。

万之丞さんは、こう答えています。
『それは「3」が最も大きな数字だと考えているから』
どういうことかというと、
『日本は二つで一つという考え方、これを"対の文化"と言うんだな。
例えば寿司を食べる時、カウンターでトロを握ってもらうとトロの握りが二つ出てくる。お箸も二本の棒。
カウンターの奥にある座敷の屏風も二つで一つの図柄だろ。
南原君がやってるコントもボケとツッコミ、狂言もシテ役とワキ役の二つで一つなんだよ。
日本人は"表裏一体"の言葉にもあるように、一つだけの考えではなく、二つで一つと考えてきたんだ。
その二つにもう一つ足して、これ以上大きな数字はない、最大の数字が「3」というわけ』
ナンチャンじゃなくても、思わず !なるほどぉ! です!!

万之丞さんは続けます。
『今の日本人には、この"対"という考え方が抜けてしまってるんだな。だから相手を思いやることを忘れ、昔では想像もできない事件が起きてしまってるんだよ』
改めて !なるほどぉ!です。

そして芸について。
ナンチャンが書いてあるには、
ウルトラマンは飛ぶ寸前、膝をたたんで腰を下ろし空へ飛び立つけれど、海外で制作されているウルトラマンは手を上げていきなり飛び立つのだそう。
万之丞さんは答えます。
『日本の風土は湿度が高くて土がぬかるんでいるだろ。だから田んぼから出る時のように、かがむという習慣がついているんだ。
これこそが"間"なんだ。
海外では「1、2、3」とリズムを取るけど、日本では「1、2の3」と"の"が入る。これが膝をたたんでる"間"というわけ。
年配の方が音楽に合わせて手拍子を取る時、手を揉んだりするのも日本独特の"間"の取り方。
演者と演者、お客さんと演者との"間"。これが大事。
これを頭において押し引きしないといけないな』
う~ん、納得。

日本の伝統あるお笑いの世界は奥が深いですねぇ。
来週の舞台を観るのにも大変勉強になりました。
日本人は本来、「相手を思いやる"間"と心」を持ち合わせた、素晴らしい民族なのですね。
自信を持って、古き良きものを守っていきたいです。

~一緒に写真を撮ってもよろしくて?~

*懐かしのフランスフラン 【'00.1月 当時1F≒17円だったかな?】


私の趣味のひとつは、毎朝6時からNHK教育の語学番組を見ること。
半年ごとに振り出しに戻るので、遊び感覚の私にはちょうどいい感じかな。
後半に入ると難しくなってきて、正直 最近サボり気味でした。
でも10月からもう一度スタートです!

アラビア語とロシア語の講座は、特に新鮮な世界を垣間見れるのでオススメ。
それぞれ思考を凝らしているので、観光地、映画、俳優、ミュージシャンなど世界の旬も知ることができます。(注:今月からの番組は上半期の再放送です)

明日、土曜日は「フランス語」の日♪
『アンシャンテ.
ジュ マペル picchuko. ~はじめまして。picchukoです。』

私が一番に覚えたフランス語は「ジャポネズ」。(ボンジュールとメルシーは除いてね)

モンマルトルに近いパリ17区「イビスホテル」に宿泊した私は、貴重なパリでの時間が惜しくて、
まだ夜も明けない1月上旬のAM6:00、「サクレ・クール寺院」を目指し ひとり「クリシー通り」を歩きました。

海外初ひとり旅の私を心配して、大学時代からの親友M子さんに 夜のパリを独り歩きすることは止められていました。
だからといっては何ですが、朝は大丈夫かなぁ、と安易に思った次第です。

真冬の早朝、パリの街は緑色のゴミ収集車が目立ちます。
モンマルトル周辺は移民が多く、治安もいい方ではありません。
すれ違う何人かの人は、初めて間近で見る色の黒い人達。

一人の黒人女性に「タバコ持ってる?」と声を掛けられました。
「No.」
次に彼女は私を見て、「ジャポネズ?」と聞いてきました。
単純な私は「Yes!」と明るく返事をしてしまいました。

こういう時は無視するのに限るのでしょうね。

すでに二言も返事をしてしまった私に彼女は続けます。
「金を持ってるか?」「何か食べさせてくれ。」
「今 金を持ってないのならホテルへ取りに行け!」
「食べさせろ!」
彼女の額には大きな傷痕がありました。

何度私は お金を持っていないし、あなたに渡すお金はないと言ったことでしょう。
そして、「私は英語もフランス語も全く分からない」と強調しました。
少し怖く感じましたが、そんなやり取りの中、彼女が私より随分と背が低かったこともあったのでしょう、段々と気持ちに余裕が出てきました。


『記念に写真でも!』
さすがに本人には言えませんでしたが、心の中ではそう思っていたのです。

結局のところ、私が英語で話すから彼女はしつこいんだと気付き、「持ってないったら、持ってないの!!
あなた、しつこ過ぎるよ!」と日本語で言い返しました。
だって本当にポケットの中には使い捨てカメラと5フランしか入っていませんでしたもの。。

「バカにしてるのか!!」・・・確かこんな感じの台詞を吐いた後、?何故か?私を解放してくれました。
20分の出来事でした。

海外での独り歩きは十分に気を付けましょうね、と誰より自分に言い聞かせなければならないようです。f^_^;

*イランで拘束された大学生、一日も早く無事救出されるといいですね。

やっぱりイタリアも好き♪

*ローマ 「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」にて
【'06.01.01 気分はすっかりアン王女です!】

「イタリア語」は歌う言葉
「フランス語」は愛を語る言葉
「英語」は商売の言葉
「日本語」は敬う言葉
以前、そんな話を聞いたことがあります。
一概にはそう言えないと思いますが、上手く表現していると思いませんか?
フランス語の愛の囁きは甘くて切なくてどんなに素敵でしょう。
でも私は痛い程の視線で、ドイツ語の愛の台詞を聞きたいです。なんて...♪へ(^o^ヘ)


「IL DIVO」のファンの方達が要チェックのイタリア人歌手、
「Patrizio Buanne~パトリツィオ・ブアンネ」。
私もずっと気になっていました。
昨年に来日し、「題名のない音楽会」でも紹介されましたよね。

彼のデビューアルバム「限りなき世界」を買おうか買うまいか迷いに迷って、やっと月曜日、はるばる高松まで買いに行って来ました。(早くしないと日本でも2ndアルバムが出ちゃうかも..?!)

ジャケットの写真はちょっと悪びれていて、やんちゃな感じを受けたのですが(買うのを迷った理由です)、
DVDに映る彼の余裕ある立ち居振舞いに釘付けになってしまいました。

私の好きな『ジェントルマン』♪

長身、ハンサムな顔立ち、エレガントな身なり、これらは「IL DIVO」のメンバーに通ずるものですが、彼らに陽気なエッセンスを加えた感じでしょうか。。少し年齢も若いですしね。
ファッションはパトリツィオの方が好きかもしれません。


歌声についての第一印象は、「IL DIVO」の「Regresa A Mi」で受けたインパクトが強すぎて、あの時ほど耳に残らなかったのですが、
聴けば聴くほど味があって、艶があって、耳障りのいい声です。

なんたってイタリアのロマンティックシンガー!
選曲も主に60~70年代のイタリアンポップスを彼の中で消化させて、よりセクシーに、古さを感じさせない仕上がりです。

6ヶ国語を操るパトリツィオですが、このアルバムは英語とイタリア語。

聴いていると思わず身体が揺れてしまう。
心はトロケてしまいます。

私が特に好きな曲は、「愛の花咲く時」と「ローマの宵」。

有名な「フニクリ・フニクラ」はやはりイタリア語で聴きたいと言う人が多いと思いますが、歌詞を少しアレンジさせて英語で歌った彼の方がイタリア語以上に愉快で陽気な雰囲気が伝わってきて私は好きです。でもそれは彼が歌っているからこそ!

しばらくはパトリツィオに夢中の日々が続きそうです。(*^m^*)/


これ程パトリツィオのことばかり書きましたが、私が最も愛する男性は「IL DIVO」の『Urs Buhler』に変わりはありませんので、あしからず。。。

肩の力を抜いて、

*南太平洋の真ん中、トンガとタヒチの間にある"COOK ISLANDS"はNZ自治領の独立国家です。【'01.10.06 ラロトンガ島にて】

私の部屋にある時計は今、ザルツブルク=オーストリア時間を指しています。
でも、NZ帰国後からこの7月まで5年半の間はずっとNZ時間を指していました。

昨日の日曜日から南半球のNZではsummer timeになります。
これから3月の第3日曜日まで時間を1時間進めて、日本との時差は+4時間です。


NZに9ヵ月滞在した私は、もちろん通常と夏時間の交代を経験できるはずでした。

ところが、夏時間に変わる10月には日付変更線を越えて南太平洋のクックアイランドへ、通常に戻る3月にはペルーへの旅行中でしたので、楽しみにしていた貴重な体験はまだお預け状態です。

真夜中の2時、時計の針を進める感じってどんなものだろう?
気にとめていなければ、次の日の朝は1時間遅刻してしまい 慌てちゃいますよね。
^-^


NZの皆さんが時計を進めていた2001年10月のその日、私は学校で仲良くなったCちゃんと一緒にホワイトサンドビーチを満喫中でした。

まずクックアイランドのラロトンガ島に到着して驚いたのは、私達以外 東洋人がいないこと。
マオリ族の島民と、このリゾート地にやって来たNZ・OZ・欧米人の島のようです。

写真の通り、一面青い珊瑚礁の海は透明度100%。手の届きそうな所に色とりどりの魚達が泳いでいます。
少しホテルを離れると、そこは私とCちゃんだけの世界。そして目の前は180度に広がる水平線。

その美しい海の中、<カナヅチ>の私は大きな浮き輪で波に揺れながら、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」を歌ってました。
これが最高に気持ちいいのです!
もしかしてCちゃん、聞こえてた?(^。^;)


鯨が遠くで泳いでいるのを見た時、
水平線に半円の虹を見た時、
そしてこぼれんばかりの満天の星達を仰いだ時、
宇宙と生命の神秘に出逢えた気がしました。


まだ手つかずの世界が広がるクックアイランドへ、
人間関係に疲れた方、地球を感じてみたい方、ただただ感動したい方、
一度訪れてみてはいかがでしょうか。。

クックアイランドのマオリ語で「こんにちは」は「キオラナ」です!

今日の「報道特集」

*「誰も行かないところへ、誰かが行かなければならない」
長井健司さんのこの言葉、奥に込められた意味を考える時、言葉を失ってしまいます。


今日、ちょっと頭が疲れたから「ちびまる子ちゃん」でも見よっかな、とTVをつけました。
出てきた画面はTBSの報道特集。
「長井さんが撮影した映像47分32秒」


私は以前、ミャンマーのバカン遺跡へ行こうと計画を立てたことがあります。
ガイドブックの最初のページには、
「仏教を篤く信仰する敬虔な人々、
色鮮やかな衣装を纏う少数民族の人々、
黄金のパゴダと笑顔がまぶしい国・ミャンマーへ」
とあります。

でも、この時にはすでにスー・チーさんは軍事当局に身柄を拘束されていたのですよね。
そして、私が高校生の頃から軍事政権は樹立していた。
その軍事政権に対し、日本は多額の援助をしてきたんだ、、、。

あの長井さんが倒れた9月27日以降、より多くの方がミャンマーに関心を持ったことでしょう。
あまりにも失ったものは大きいけれど、でも沢山の人にミャンマーの今を伝えた長井さんの偉大さを感じずにはおれません。

ビデオの中、
撃たれる前日にデモの様子を撮影しようとした長井さんは、ガイドさんから「保障できない」と言われながらも、
「大丈夫、大丈夫。
私はイラクもアフガニスタンにも行ったことがあるのだから」と軽く言っていました。
その明るさの裏に、「大丈夫」の裏に、
「とっくの昔から覚悟はできている」という声が私には聞こえるようでした。


APF通信社の山路社長は、
「行かなければ伝えられないものがある」と話していました。
私も何となく分かります。
彼らに比べると吹けば飛ぶ程度のものですが、
カンボジア、グラウンド・ゼロ、広島の原爆ドーム、沖縄のひめゆりの塔など、
その前に立つと悔しくて悔しくてたまらなくなるのです。
私でさえそんな思いを持ったのですから、正義感の強い彼らは危険を承知で飛び込まずにはおられないのでしょう。


私が外国へ行く理由の一番は、
私が一歩でも足を踏み入れた国は、もう他人の国ではないということ。
そこで知り合った人達の国は「友達の国」ですよね。
世界中が友達になれば争いは起きない。。
そう望みたいところですが、現実はあまりにも厳し過ぎますね。

でも、そんな現実だからこそ、
長井さんのように命懸けで伝えてくれている「世界の今」から目を反らさずに、敏感でありたいと思います。


明日は長井さんの告別式。
ご冥福をお祈り申し上げます。

私の妹です。

*ザルツブルクの南東一帯、美しい山々と湖の世界ザルツカンマーグート。その中でも一際輝くハルシュタット。【釜山の大学生 Mi-jungと '07.07.15】


ザルツブルクに到着した次の日は日曜日でした。
たぶん街の多くのお店がお休み。
だから、郊外への小旅行もいいでしょう。

ウィーン行きの列車に乗り45分 アットナンク・プッハイム、そこで乗り換えること1時間半 夢のように美しい世界遺産の街「ハルシュタット」があります。

ハルシュタット湖東岸にある鉄道の駅から、対岸の町へ行く為に渡し船に乗りました。
僅かな時間ですが、その船からは世界一美しい湖岸の町をゆったりと眺めることができます。
風に吹かれながらの気持ちの良い時間、可愛い女の子と ふと目が合いました。
お互いハニカミながら笑顔で挨拶。
どうも彼女も一人旅のようです。

綺麗な町を背景に写真を撮ってくれませんか、と彼女。
船での会話はそれだけでしたが、船から降りる私に、
「一緒にこの町を観光してもらえませんか?」
と声をかけてくれました。

彼女の名前は「キム・ミージョン」

片言の英語と韓国語。ポツポツとした会話でしたが、たくさん笑い、沢山の感動を共にした二人だけの4時間でした。

同じアジア人ということもあるでしょう。
懐かしく愛しい気持ち。
なんだか妹に逢えた感じです。


帰国後の彼女からのメールに、
「I wish to call you "Un Ny".」
"Un Ny"とは韓国語で"お姉さん"という意味だそうです。

彼女も同じ気持ちだったんだ!!
とってもとっても嬉しくなりました。


別れる時、写真を送るからね、と約束。
忙しくてなかなかペンをとることができませんでしたが、今日やっと手紙を書くことができました。

仲良しのウォンさん(ソウル出身で結婚の為 来日。20年近く香川に住んでいます)に早速 訳してもらったところです。
ミージョンが妹ならば、ウォンさんは私の「Un Ny」!!


この連休明けには韓国へ向け、私達の友情が運ばれます。o(^-^)o

小さな片!恋の物語

誕生日ネタが続きますが、今日は私が大学時代に好きだったY.Y君の誕生日です。

彼はとても優しい人ですが、口が悪くクールな性格。
今の私の好みとは正反対のタイプですが、当時はその口の悪さが大好きでした。

Y君の第一印象は私にとってあまりいいものではなく、まぁ、二人で話すこともないだろうから 当たらず触らずでいこうといった感じでした。
その頃、親友のMAKIちゃんと、その彼を中心としたメンバーでよく遊んでいました。
宮島へ海水浴に行ったり、島根まで温泉へ行ったり、、。
Y君ともその輪の中で知り合いました。

苦手なはずが、気が付けば気になる存在になっていた、なんてよくある話ですよね。

その気持ちに気付いて間もない頃、もうすぐY君の誕生日だということを知りました。
何かプレゼントしたいな、、でも恥ずかしいじゃないですか...。
ちょうど同じ日にM君という友達も誕生日だと知り、2人にプレゼントを用意しました。
気合いの入りすぎたY君へのプレゼントは悲しいかなシワシワになっちゃって..。

誕生日当日は夜の12時を回って一番に「おめでとう」が言いたくて、
携帯電話時代の今では考えられませんが、電話の前に正座をし、深呼吸をして、ドキドキしながら ひとつひとつダイヤルしたのが懐かしいです。
彼を好きだったあの当時、私って本当にピュアだったなぁと思います。


去年の今日、「おめでとうメール」を送りました。

「Y君、お誕生日おめでとう。私、スイス人と結婚するけんねぇ。」
これは大学時代の彼への気持ちより強烈な「IL DIVO」のUrsを意識してのもの。
返事には、
「それって、picchuちゃんの現実? 願望? 妄想?」・・・(*^_^*)
昔とちっとも変わっていないようです。


今年もメールを送ってみました。
そろそろ、Y君もパパになってる頃かしら?
返事あるかなぁ?
あるといいなぁ。

2歳になりました。

*ヨンサマ(左)&クリス
お互いが大好きなようで、いつも一緒の2匹です。どちらも♂ですが、あまりの仲の良さに 飼い主の私は同性愛にならないかと心配しています。。


今日はクリスの2歳の誕生日。
うちの母は彼の為にお芋さんを蒸してあげていました。


クリスがうちに来たのは去年の2月、母の誕生日でした。
その日の広告に埼玉からやって来た大きなペットショップが載っていたのです。

その時、我が家にはすでに9歳のジロと1歳半のヨンサマがいました。
だから どんなワンちゃん達が来ているか少しだけ覗いてみよっか、という程度でした。

広い枠の中をだんごのように転げ回るワンコ達。
その中でみんなの後を何歩も遅れてトロそうに走っているワンコから目が離せなくなりました。
抱っこしてみると、しなぁ~と寄りかかってきて何ともいえない可愛さです。


「どうする? もう一匹飼っちゃう?」
「この子の値段、めちゃくちゃ安いし。
こんなになついてくれてるなら連れて帰ろっか...。」
母との会話です。


その子は風邪をひいていて、鼻水を垂らしていました。
お店の人も心配して他の子を勧めてくれましたが、私達はこの子じゃなきゃ要りません。

か弱そうなその子はどこか悩ましく、手に聖書を持たせら似合いそうな顔立ちをしていました。
そして、私がその年の元日にバチカン市国を訪れた記念も含め、「クリス」と命名したのです。

「敬虔なる鼻垂れクリスチャン」

今ではすっかり逞しくなって、どの子よりも大きく元気です。


彼が来て1ヶ月半後、
大事に大事に育てた愛犬ジロが突如 死んでしまいました。
私は悲しくて仕事を休んで泣きました。
誰よりジロが大好きだったヨンサマの、ジロの口元をひたすら舐め続ける姿が余計に涙を誘いました。
それからひと月、ヨンサマはほとんど食べ物を口にせず、ジロの後を追うのかと心配でたまりませんでした。

そのヨンサマを救ったのがクリスです。
まだ子供のクリスは事の次第を理解できず、無邪気にヨンサマにジャレつきました。
ヨンサマの寂しさはどれほど紛れたことでしょう。

母も私もジロのいない辛さを忘れてしまうほど、天真爛漫に感情をぶつけてくるクリスに振り回される日々。


「クリス」、彼はクリスチャンではなく、正に我が家の「救世主」。

お誕生日おめでとう、クリスちゃん! (^з^)-☆Chu!!
元気でいてくれることが私の喜びです。

21世紀のトルテ戦争

*有名なザッハー・トルテ【ウィーンの老舗 ホテル・ザッハーにて '04.01.02】
本場ウィーンのカフェを巡る・・あるTV番組でそんな内容のものがありました。
「あっ! コーヒーを飲みにウィーンへ行きたいな!」
これが私とオーストリアの出逢いです。


「トルテ戦争」をご存知ですか?
1952年から10年間も続いた裁判。
トルテをめぐり、本家「ザッハー」と王宮御用達「デーメル」の戦いです。

経営が苦しくなったザッハーは、伝統あるデーメルに助力を頼みました。
それによって自店でザッハートルテを作る了承を得たデーメルに、オーナーが変わったザッハー側が「オリジナル・ザッハー・トルテ」と表示するのは権利の侵害であると裁判を起こしたのです。
結局、両家とも「ザッハー・トルテ」を作ってよろしいということになったそうですが、、

それは「ザッハー」対「デーメル」のお話。


もうひとつ、21世紀のトルテ戦争の話があります。

「ザッハー・トルテ」対「picchuko」の戦い。

本物のザッハートルテを食べたことってあります?

味も見た目も申し分ないトルテです。

チョコレートもケーキも大好きな私にとって、
そのふたつが絶妙に組み合わさったザッハートルテは最高の洋菓子のはず。
「ザッハー」側のものしか食べていませんが、それにはトルテの中央部に「アンズのママレード」が詰められていて、チョコレートの甘さを引き立てるのに大いに役立っています。


2004年の元日の夜、お客様でいっぱいのカフェ・ザッハーに入る勇気のなかった私は、次の朝一番に乗り込みました。
朝からチョコレートケーキ、これも問題だったのでしょう。

田舎者のアジア人と思われるのが癪で、気取ったふうに「ザッハートルテとブラウナー(濃いコーヒーにミルクを少し加えたもの)」を頼みました。

気取ったものの、私はかなりの甘党です。
お店の人に見られないように 砂糖をたっぷり入れようとしました。
小さな小さなカップです。
うわっ!\(◎o◎)/、思いの他『ドバーッ』と入ってしまいました。

気持ちを落ちつけ、一口目。
なんて、なんて美味しいチョコレートケーキなんでしょう。
こんなに美味しいのは生まれて初めてです。
三口目までは最高でした。

けれど、甘党といえども日本人の私には強烈な甘さ。
その横にあるのは砂糖にコーヒーをかけたような飲み物。。
最後は本気でベソをかきながら食べました。


あれから3年半ぶり今年7月。
ザルツブルクのカフェ・ザッハーで再度挑戦しました。

もう間違いは繰り返さない、
コーヒーはブラックで。

一口目、
あぁ、なんて美味しいんでしょう。
ウィーンで食べた時、あんなに苦しんだのは何故でしょう。
本当に美味しいわ。

三口目、
やっぱり美味しいではありませんか。

もう一口、甘い?
もう一口、、、甘い、甘い、甘い。

真夏のオープンカフェで食べる代物ではありません。
暑さでチョコレートも溶けてきて、、
やはり最後まで食べるには苦しいものがありました。


今日、一年前から親しくさせて頂いている韓国人のウォンさんが、美味しいケーキを持って我が家へやって来ました。

お腹の調子の悪い父の分もと2つもケーキを頬張りながら、
年末のザルツブルクで今度こそ、
ザッハートルテを征服するぞ ! 、最後まで美味しく食べてみせるぞ !!
と決意を新たにしております。

心の底から満足できるその日が来るまで、私と「ザッハー・トルテ」の戦いは続きます。。

ナンチャンの~狂言とコントが結婚したら~

再来週の火曜日、10/16に香川県民ホールへ現代狂言を観に行って来ます!

~狂言とコントが結婚したら~

この現代狂言は以前TV番組での共演がきっかけで南原清隆さんと狂言師の故・野村万之丞さんが立ち上げたもので、伝統ある狂言と現代の笑いのコントを掛け合わせていると説明に書いてありました。
昨年の第一弾は大好評だったそうです。


狂言の世界を初めて覗いたのは去年の1月。
以前は能や狂言といった日本の伝統芸能に接するなんてこと、思いもしませんでした。

では何がきっかけだったかというと、、

私には大学時代に青少年活動(?)を共にしたY君という友達がいます。
彼は真っ直ぐな性格で芯があり、そしてとても可愛らしい人です。
私より6つ年下なのですが、しっかりした彼に会う度、感心させられてしまいます。

きっと弟がいたら、こんな感じなのかなって思うほど可愛いです。(立派な男性に可愛いだなんてごめんなさい。)

その彼が数年前に狂言方和泉流の先生に弟子入りし、今では人間国宝の野村萬先生の舞台の袖に控えるほどになりました。


実は狂言の世界に入る前、和太鼓で有名な「鼓童」の研修生として、佐渡島で2年ほど鍛えられた経験も持っています。


8月にも舞台の為に香川へ来た彼と、高松の街へ2人で食事に出掛けました。

お酒も強くなって、
あぁ 大人になったのねぇ、とやっぱり姉心。。
知り合った当時はまだ高校生でしたから。


未知の世界の話が大好きな私にとって、彼の話は興味に尽きません。
「弟子」という立場の厳しさ大変さなんて、現代の日本人の何人が知っているでしょうか...。
本当に誰にも負けないくらい素敵になったと思います。


彼の舞台を観に大阪まで行ったことがあります。
初めて観た「お能」は眠たくてたまりませんでしたが、迫力ある鬼の面に朱色の衣装が舞台に映え、それはそれは美しいものでした。

眉間に深い皺をよせた鬼の険しい表情が、不動明神に戒められた後、同じお面のはずなのに少しずつ柔和に浄化され変化していったのを、何も分からない私でさえ気付くことができました。
帰りにY君にその話をすると、演じ手のほんのわずかな顔の角度で表情が見事に変わることを教えてくれました。

能のお面が無気味なほどに無表情なのにも奥の深い意味があるのですね。

日本ならではの世界。奥がありすぎて難しいものですが、機会を作って触れていきたいと思います。
日本の伝統文化を知ることで、より深く世界の素晴らしい文化を感じれる気がするのです。


16日には彼も舞台に立ちます。
古典狂言、現代狂言、新作現代狂言の三部構成の中で、
彼は古典狂言の「二人大名」に出演します。
それには人間国宝・野村萬先生の息子さん、野村万蔵(九世)さんも出演されます。

先程 HPを開いたら、ナンチャンや野村万蔵さん達の名が連なる中、一番最後に彼の名前が!!
やっぱり姉心。
もの凄く鼻高々になってます。

該当の記事は見つかりませんでした。