I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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心より感謝を込めて。

先日の私の誕生日には、皆さんからブログやメール、B.Dカードで沢山のお祝いの言葉を賜りまして、大変ありがとうございました。
35歳も最高の形でスタートすることができました。
いただいたコメントに、私なりに一つ一つ気持ちを込めて、一生懸命 返事を書かせて頂きましたので、宜しければ読んで下さいね。

『皆さんに心より感謝を込めて、、ありがとうございます。』


確か8月のことだったと思います。
何気なく「ケルティック・ウーマン」のHPを開いてみました。
ちょうど来日コンサートチケットの発売開始直後で、よく見ると 最も香川に近い大阪公演の日程が私の誕生日ではありませんか!!

<これって、自分にプレゼントしなさいってことよね>、と迷わず申し込み。
座席は、前から8列目。少し左寄りの通路横です。
私が最も好きな曲、『カレドニア』を聴きながら、こんな表情で歌っていたのかと、その切なさがより伝わってきたのも、ステージに近い席だったおかげです。

大阪の厚生年金会館は、私が今まで観劇した会場の中では最も小さく感じました。
18:30の開場時、本当にここに あの世界的に人気の高いケルティックウーマンが来ているのだろうか、と正直疑ったほどです。
でも、そんなこじんまり(?)した会場だからこそ、彼女達の歌声をより神秘的に聴くことができたように思います。

「興奮」?、いえちょっと違う。
「感激」?、それとも少し違う。
まるで『夢の中』にいるような気分。

澄んだ歌声と優しいハーモニー。
女性ならではの透明感溢れる、まるで音楽に祈りを乗せているような響きでした。

私はただ夢の中で、彼女達の歌声から広がる美しい景色を旅していたのでしょう。
身体は確かに大阪にいましたが、魂は私の大好きなオーストリアやNZ、そしてまだ見ぬ英国やアイルランドの空の上を飛び回っているかのようで、とても幸せでした。。。

『なんて心に"すぅ~"っと染み渡るのだろう。なんて気持ちいいのだろう。』

このコンサートを思いきって選んで大正解でした♪
CDから流れる音も素晴らしいですが、生で聴く貴重な意味を見つけられたと思います。


さて、今回のツアーは私の愛する「ヘイリー」は参加していませんでしたが、
それでも お気に入りの最年少メンバー「クロエ」の美しくけがれのない高音に特に大満足。
「オーラ」のハーブ演奏には、その歌声だけでなく、優雅でなまめかしい立ち姿に釘付けになりました。
勿論、「リサ」も 今回のツアーから新たに参加した「リン」も、大変美人で魅力的な女性です。うっとりしてしまいます。

「IL DIVO」の殿方を見てもいつも思うことですが、今回もやはり
<『天は二物を与えず』という言葉は、極一部の神様に選ばれた人達には当てはまらない> を痛感。
彼女達を見れば一目瞭然です。

そんな中でも異才を放つ「マレード」。
彼女はクラシックにアイリッシュの要素を加えることのできる貴重なフィドラーであり、ヴァイオリニスト。
彼女がステージに立つと、周りが"ぱぁ~"と明るくなるのです。
繊細な身体から驚くほどのエネルギーを醸し出し、ところ狭しとステージの上を駆け回ります。
フィドルを弾きながら"ひらひら"と舞う彼女は、まるで小さな妖精のよう。
その軽やかな身振りに、私も思わず身体が揺れて手拍子をしていました。

最後のクロエの言葉、『アリガトウゴザイマシタ。』
その声だって、なんて可愛いのでしょう。
マレードの姿が妖精ならば、クロエは天使の声を持っています。

今日 早速、彼女達のDVDをネット注文した私。
素敵な夢の続きに浸りたいと思っています!!

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『捨てる』決心。

2000年11月29日、
将来の方向性を見失っていた私は 28歳を迎えたこの日、ある決心をしました。


その頃の私には誰よりも尊敬し、一生そばにいたいと願う男性がいました。


彼とは大学3年の6月、ある雨の日に出会いました。
その日の広島は「とうかさん」という浴衣のお祭りがありました。
それを一緒に見たかった友達のY君にバイトがあると断られ、、
しょんぼり雨でびしょびしょになっていた私がとっても寂しそうに見えたそうです。
知らないオバサン(?)を元気づけようと彼は声をかけたのだそう(笑)。
私は私で、好みでもない彼を「ちょっとこのオジサン、失礼だわ。」って思いました(笑)。
お互い自分よりかなりの年上だと思っていたのですね。
実際は同い年でした。

決して良くない第一印象でしたが、統率力と洞察力の鋭い彼に、気が付けば強烈に惹かれていました。
だから彼からデートを誘われた時は、まるで天まで昇るような、でもすでに彼の気持ちに気付いていたような、、
私は世界一の幸せ者だったと思います。


誰よりも私を理解してくれ、誰よりも真剣に叱ってくれる彼。
幸せはあっという間に過ぎていきましたが、私にとって男性は彼しかいませんでした。

もう私からは気持ちが離れていると分かっていても、大好きで大好きで仕方がない。。
あの何年間はとても苦しかったですねぇ。

何が一番苦しかったかというと、友達という形で縁が続いていたことです。
時に突き放しながらも、やはり温かい彼。
昔と変わらず、誰よりも私を解ってくれていました。
私が隠し事をしていても、電話の声だけですぐに見破られてしまう。
彼の友達としての愛情が伝わってきて、
だからこそ 堪らなく もどかしく、ジレンマに陥ってしまうのです。


『このままでは絶対 前には進めない。』

そう痛い確信をした私は、
「もう一度、彼に気持ちを伝えよう。そして、おもいっきり振ってもらおう」、
そう一大決心をしました。
その後はすべての気持ちを一切捨てて、大きな夢に向かって進むのみ!!
その日を2000年の誕生日と決めたのです!!

『私が新しく生まれ変わる日!!』

今 思い返しても、あの時の決断はカッコ良かった♪と自分ながらに思います。

一番大切に守ってきたものを、バッサリと捨てました。
一番大切だと信じてきたものは、実は一番私の足を引っ張る『執着』でした。

あれからも様々な出来事がありましたが、
改めて今 前を向いて歩き出しているように思います。


あの時は彼からの大失恋によって禊をした私。
今まで誰にも打ち明けたことがなかったのですが、
今年は初めてこの想いを皆さんに公表し、改めてひとつの禊にしたいと思います。

35歳、これからが人生の最も素晴らしい季節です!!
明日は満面の笑顔の私でしょう。

一枚、一枚、心を込めて。

*左からpicchuko作「'07」「'05」「'01」の年賀状です。
(注 : 仲良しさん用です♪)


いつの頃からか筆無精になった私。
せめて年賀状くらいはと一枚、一枚、心を込めて書いています。


表書きは必ず手書きです。
そして裏側は、絵や写真を切ったり貼ったり、
ハサミと糊はもちろんのこと、時には色鉛筆ではもの足りず絵の具まで引っ張り出しての大仕事です。
そして必ず相手の顔を思い浮かべて、一言コメントを書くように心がけています。


決して可愛くも綺麗いでもない年賀状ですが、何人かの方達に褒めて頂くと有頂天になってしまいます。
そのくらい想いと力を入れているつもりです。


今年もそろそろ校正の段階。
大まかなデザインはとっくに頭の中にできています。
今回は写真と文字の組み合わせが難しいのです。

う~ん、上手く印刷できるといいな...。

地球を感じた日。

*オーストラリア・キングスキャニオン【'02.02.19】
この場所を訪れた方達は、各々 好きな格好で写真を撮り合っていました。
この時の私のポーズは、「世界は私のもの♪」です!!


1997年に採択され、2005年に発効された『京都議定書』。
CO2等6種類の温室効果ガスの、
まず2008年から2012年までの5年間で日本は6%の削減が義務づけられていますよね。
2008年を目前として、各企業などもやっと重たい腰をあげてきた感じです。

本来なら誰もがすでに取り組んでいなければならない問題。
最近やっと、私用で車に乗ることに抵抗を感じてきました。
ガスの排出はもちろん、貴重な地球のエネルギーを無駄に使っているのですから。
なのに、便利なものについ甘えてしまう私。寒い冬はこれからです。
今の贅沢か地球の未来か。。。。。


この3連休、私は特に予定を入れずのんびりと過ごしました。
動いたり感動を探したりするのも好きですが、何もない空白の時間は私にとってなくてはならないものです。
今回は映画館へ足を運んでみたり、気になっていたDVDを借りてきたりと、ちょっとテーマを決めて考える休日にしてみました。
実際は「ぼぉぉぉ~」とする時間の方が長かったですけど、、f^_^;

その一つが、『不都合な真実』です。
上映中に見逃した私は、以前店頭に並んでいたゴアさんの本を買おうかどうか迷いました。
でも、かなりの厚みに最後まで読み通す自信がなく、それなら先にDVDで見ちゃおうと思った次第です。
この作品は多くの方が観ていると思うので感想は後回しにしますね。

『地球』
皆さんは地球を感じたことはありますか?

日々の生活や旅先で、自然の美しさを感じることもおありでしょう。
今は紅葉の美しい季節ですから、日本の美に触れることも多々あるでしょう。
それも地球からの贈り物に違いはありませんね。
私も日本で海外で、沢山の自然を体感しました。

そして特別に地球を感じたのが、オーストラリア大陸のど真ん中でした。
ウルル(エアーズロック)、カタジュタ(オルガ)に出逢うために足を踏み入れた大陸。
その圧倒的な存在感には脱帽です。
それらから得た感動もさることながら、予想だにしていなかった「キングスキャニオン」からの息づかいに息を呑みました。

『地球の魂を垣間見た』・・ズバリ、この時の感想です。

赤い紅い地球の心臓。
今にも鼓動が聞こえてきそうです。

『確かに地球は生きているんだ』ということを、この目ではっきりと見ることができました。

大きな「静と動」を秘めた地球と、私達 そして未来の子供達の為に、私に何ができるのかを考え、それを実行に移していきたいと改めて思う休日でした。

アンジェリーナ・ジョリーに望むこと。

公開されたばかりの映画『マイティ・ハート―愛と絆―』、
昨日朝一番の上映を観るために、一時間ほど車を走らせて高松まで行って来ました。


2002年にパキスタンで起きたテロリストによるアメリカ人ジャーナリスト「ダニエル・パール」氏の誘拐事件。
その真相と、最後まで愛する人の無事を強く信じて待ち続け、それを寛容な心で乗り越えようとした一人の女性を取り巻く30日間を描いた実話です。

作品案内には次のように書かれてありました。
【極限状態に追い込まれながらも、テロリストへの憎しみを超え、深い愛情と強固な決意を見せようとする妻マリアンヌ。
窮地に立った時、人は愛する人間のために何ができるのだろう?
何を信じて、生きていくのだろう?
そんな普遍的な問いかけを通じて、未来への新たな希望と勇気を感じさせるヒューマンドラマです。】

考えさせられる作品。
メッセージ性の強い作品です。
マリアンヌ役のアンジェリーナの身を切るような叫び声に、私も魂をえぐりとられそうになりました。
最後の結末を聞いた時にもショックで鳥肌が立ちました。
重くて深い内容です。


アンジェリーナ・ジョリーは今やハリウッドのトップスターですが、私が彼女の作品を観たのはこれで2作目です。
初めて彼女の演技と出合ったのは、2003年『すべては愛のために』。
この作品も公開当日に映画館へ行きました。

この映画も同じ地球上に今も続く戦争・貧困・飢餓・天災の実態をエチオピア・チェチェン・カンボジアを舞台に描き、その救済活動に命をかける二人の男女の愛を単なる恋愛モノでは終わらせない、観る者に何かを投げ掛けてくる作品です。
アンジェリーナ自身、2001年頃から慈善活動を本格的に始め、国連難民高等弁務官事務所の親善大使を務めるほどですから、これらの内容は彼女の信念そのものでしょう。

彼女の姿勢に共感を覚えた私は、彼女について少し調べてみました。
驚きましたねぇ。
余りにも複雑な思春期に、彼女の演技と活動の背景を見たような気がしました。
その他のゴシップについては、彼女も同じひとりの人間ですからとやかく言うつもりはありません。

そんな彼女の2つの作品。
確かに素晴らしいものだと思います。
彼女が選ぶテーマは私の関心を呼ぶものばかりです。
だから、彼女への期待も他の俳優さん達に抱くものより自然と大きくなります。

私がアンジェリーナに望むこと。
それは、「もう一歩踏み込んでほしい。」

アカデミー賞を受賞された経験を持つ大女優さんに対して大変失礼なものですし、彼女のこれらの作品に満足の大勢の方にも失礼なことでしょう。
でも、うまく言えないのですが、もうひとつ何かがほしいのです。
内容の割には後に残らない。
私の器があまりに小さくて、そう感じてしまうのかもしれません。
でも、彼女ならもっと演じられる。
もっと世界中に訴えかけられると思うのです。

Well done !?

*2002年2月27日
私は3本の予防接種と引き換えにペルー行きを手に入れました。


今年のインフルエンザの流行は例年より早いようですね。
私の職場でも来週28日に予防接種が行われます。(>_<)
毎年注射の痛みが増すように思うのですが、皆さんはきちんと受けていらっしゃいますか?


又もペルー行きの話です。
何度も書きましたが、私のペルー行きはNZが基点でした。

私の愛するマスコット(?)、「ゆかち」さんがご両親とオーストラリア旅行をされるということで、フードコートの近くにあるトラベルセンターまで付いて行きました。
ちょうど目の前に並べられていたパンフレットが『マチュピチュ』でした。
そこは何年も前からどこよりも魅力を感じていた場所です。
(余談:私の『picchu』は本名を古代インカ語で表したもの、このネームはNZに渡る前から使っていました。)

《マチュピチュへ行こう!!》
何かが空から降ってきたような、、思い立ったが吉日です!!

私を担当してくれた方は、日本人と結婚されているMrs.Hosoi。
彼女は私の勉強の為に普段は英語で受け答えをして下さるのですが、難しい内容で肝心なことになると日本語で対応してくれるという優しい方でした。

ペルー行きの日程も決まり、お金も振り込んで、チケット受け取りの日だったと思います。

『黄熱病の予防接種が必要です。』
彼女はまず英語で話した後、きちんと日本語で説明してくれました。
私、「・・・( ̄○ ̄;)」

『まず、ここに電話をしてアポイントをとって下さい。』
クライストチャーチ病院のすぐ前にある医療機関の資料が手渡されました。
私の気持ち、「えっ?!私が電話するの?!」


フラットへ帰った私はドキドキしながらダイヤルしました。
この旅行の前2ヶ月はNZ、OZ旅行の予定でいっぱいです。
クライストチャーチにいる僅かな日程と、そしてペルー到着10日前には接種完了という条件から、やっとのことで2月27日に決定。


電話した時以上に緊張が高まる中、施設へ足を踏み入れました。
まずはドクターの問診です。

「黄熱病の予防接種に来たのね。ペルーへ行くの? 3月10日出発ね。」
「今日の体調はどう?」
ここまでは順調。

『ところで、あなたはA型肝炎と破傷風の予防接種は終わっているの?』
もともと英語の語彙力がない私です。
ドクターとの間に辞書を置いて会話が続きます。
「受けていません。」
「破傷風の予防接種は子供の時に受けたでしょう?」
どうだったかしら? 記憶にはないのです。
「日本に電話してみなさい、絶対に受けているはずだから!」
わざわざ日本へ電話が必要なの?!
「受けていないと思います。」
『じゃぁ、その2つも接種が必要ね!!』

出発まで10日余り、明後日にはNZの都市ネルソンへの旅に出かけます。
「私、ペルーへ行けるのでしょうか?」
「行けるわよ。」
「あのぉ、いつ残りの2つの注射を受ければいいのでしょう?」
ドクターは平然と、『あら、心配しないで。今日で済むわよ。』

一度に3本??? それも身体に悪そうな菌ばかり。
大丈夫なのかしら??


隣りの部屋へ移りました、連行されたと言った方が正しいでしょう。
ドクターの他に2人の看護師の登場。緊張と不安が高まります。

ドクターが言います。
『それぞれ効果のある期間は、黄熱病が10年、破傷風が5年、A型肝炎が1年です。
肝炎はまた一年後にも受けると効果は伸びますよ。』

もう、その時の私は無言です。

まず右腕に黄熱病。
続いて左腕にA型肝炎。
一番痛かったのは最後にお尻に打たれた破傷風の注射。
全てに耐えた私に3人は、『Well done !!』
その後、その施設からどうやって出ていったのかは覚えていません。
帰りにクライストチャーチ病院へ処方箋を持って行き、黄熱病の飲み薬をもらいに行った記憶だけです。

『私、生きてる(ToT)』
オーバーのようですが、奇跡を感じました。


ペルーでのこと。
同じツアー客のオーストラリア人、カトリーナにこの話をしました。
『大変だったわねぇ。』
「えっ? あなたは受けていないの?」
『だって私達、アマゾンには行かないじゃない。同じペルーでもアマゾンへ行く場合は受けなければならないけど。』

確かに日本からペルーへ行く場合も接種は不要です。
それは超衛生国NZだからなのか、アマゾンへ行くと思われたからなのか、今だに謎の多いものでした。

一年後、日本にいる私のもとへNZから一通のメールが届きました。
『そろそろ一年ですね。A型肝炎の予防接種に来てください。』
NZ、、あなたは余りにも親切すぎます。。

私流、応挙論 ?!

*1787年、円山応挙55歳、円熟期の作品です。【金刀比羅宮 表書院 「虎の間」障壁画】


「面白い」・・・私が美術鑑賞をするにあたって、これが最重要部分です。
好き嫌いも肝心ですが、好きではないものに何故か魅力を感じてしまうこともかなりありますよね。


金刀比羅宮の表書院で出合った円山応挙の作品、これが実に私の「ツボ」にはまりました!!

表書院には90面もある彼の障壁画。
今回、私的に大ヒットだったのが、鶴の間に続く『虎の間』です。
多くの方が前を通り過ぎる中、私達はゆっくりと腰をおろし、じっくり鑑賞(?)させて頂きました。

ある方が口にしていた意見、
「この時代、日本に虎っていたのかしら?」
どうなのでしょうか?
実際、一休さんが屏風に描かれた虎を退治するお話は応挙より随分と時代を遡りますし、豊臣秀吉の朝鮮出兵でも虎刈りをした逸話が残っています。

でも、応挙の描いた虎達は近寄りがたい雄々しい虎のイメージとはかけ離れていて、その あまりにも愛くるしい姿に私達は思わず微笑んでしまいました。
想像にしか過ぎませんが、もしかしたら応挙は見たことのない虎を人から聞いた話と猫をモデルにして描いたのかもしれませんね。


虎の間に入ってすぐにある『水呑みの虎』。
その左側の子供のような虎のおしりが非常に可愛らしくて、柔らかそうで触りたくて、つい手が伸びてしまいそうでした。

隣のMasakoはそれとは別に「ホワイトタイガー?」を見つけたと、一人とっても誇らしげに嬉しそう!

どれもチャーミングでしたが、私が特に気に入ったのが上の写真のこの子。
毛皮のふさふさ感がなんとも言えず、そしてよくよく見つめていると私の愛犬「クリス」に似ているから不思議です。
ますます愛着が湧き、単純に「可愛い !」って思えます。
クリスが餌を前に、ちょっと拗ねたようにお座りする姿とホントよく似ているのです。
円山応挙大先生のモデルを努めるなんて?、うちのクリスも大したものです?!
これって、「親?バカ」って言うんでしょうね。(笑)


でもこうやって偉大な作品を身近に感じることは、大事な美術鑑賞の仕方の一つだと思います。
本物に出会う機会を大切にして、そこから私流の面白さを発見できればいいなと思っています。



今日は大学時代の悪友「M地」の誕生日。
彼とは年に2、3度しか連絡を取らないのですが、突然「picchukoブー、元気?」と相変わらず失礼な電話があります。
いくつになってもアホなことを言い合える昔からの友達は心のオアシスですよね。
おめでとう。
すぐ近くに住んでいるのだから、たまには海を越えて「さぬきうどん」を食べに来なさいよね。
但し、最終電車を乗り過ごしたからといって、酔っぱらって夜中に電話してこないように!!

『若冲はこんぴらさん !』 だそうですよ !!

『金刀比羅宮 書院の美』 ~応挙・若冲・岸岱から田窪まで~
~2007年12/2、12/29~2008年1/31   於:金刀比羅宮 表書院、奥書院 他


岡山に住む親友Masakoがこの展示会に誘ってくれなければ、私は地元にいながらも これほどの価値ある作品に気付くことなく終わっていたことでしょう。

以前にもここ「こんぴらさん」で円山応挙の障壁画を観た記憶がありますが、ガラス越しではなく畳の間に入ることができる今回の展示は一段と迫力があります。
そして、通常非公開の奥書院の伊藤若冲をはじめとする数々の名品に、改めて金刀比羅宮の凄さと当時の影響力を感じずにおられません。
「幻の障壁画」と言われる、若冲の『飛燕図断片』もご覧になれますよ。


上の写真は若冲の『花丸図』 1764年、江戸中期の作品です。

京都青物問屋の長男だった若冲は金銭に不自由することがなかったので、彼の特徴でもある虫食いにも現れているように、細部にまでとことんこだわりを持って描くことができたのだとスタッフの方が教えて下さいました。

どの花の絵も素晴らしいことは言わずと知れたことですが、私は特に「牡丹」が好きですね。
あまりにも細かくて思わずのめり込んでしまいます。


彼は当初、白地の上にこれらを描きました。後の時代になって金砂をふりかけたそうです。
白地の方が彼の色が強調されたのではないかしら、とMasakoは言っていました。
なるほど確かにそうでしょう。そして違う魅力を放っていたと思います。

けれど、私が今回の展示で一番強く感じたことは、日本人の「金(キン)」の使い方の巧みさです。
何て言えばいいのでしょう。
感性と言えばいいのでしょうか。
是非にとも観てもらいたい。
香川県人の私としては、できれば金刀比羅宮の長い石段を登って、帰りには美味しい「さぬきうどん」を食べて、若冲達を感じてもらいたいです。

昨今の伊藤若冲の人気の高まりにも納得です!!

You're calling me, Now I'm going home.

*ザルツブルクからウィーン行きに乗り、アットナンク・プッハイムへ向かう車窓より【'07.07.15】


後10日余りで35歳の誕生日を迎えます。

去年の誕生日は「IL DIVO」の3rdアルバム『SIEMPRE』の日本での発売日でした。
彼らからのプレゼントのようで最高に嬉しかったです。

今年の11月29日、彼らはモスクワでチャリティコンサートを行うそうです。
遠い街から私に向けてのラブソングを是非とも歌ってもらいたいものです。(*^m^*)

彼らに会えないのは非常に残念ですが、その日は大阪へ「Celtic Woman」のコンサートに行って来ます! !

2ndアルバム『A NEW JOURNEY~新しい旅立ち~』からNZ・クライストチャーチ出身のヘイリーがケルティックウーマンの6人目のメンバーに加わりました。
ヘイリーは私がNZに渡った2001年に国内デビューを果たしています。
当時14歳の彼女の清楚な澄んだ歌声は、毎年特にこの季節になると恋しくなります。


ご存知「ケルティック・ウーマン」はアイルランド出身のメンバーで構成され、特にアイルランド発祥の伝統的歌曲を聴かせてくれます。
ヘイリーはNZ出身ですが、彼女の祖父母がアイルランドからの移民だそうで、そのバックグラウンドにアイルランドの伝統歌は欠かせないのでしょう。
先日、ヘイリーはソロの来日コンサートを終えたばかり。
ケルティックウーマンのライヴにも加わってくれると嬉しいのですが、、。

彼女達の1stアルバムは『You raise me up』であまりにも有名ですよね。
でも私は2ndアルバムの方が完成度が高いように思えます。

大好きな曲は、
『ザ・プレイヤー』
『カレドニア』
『ヴィヴァルディの"春"』

特に『CALEDONIA~カレドニア』は心に強く響きます。
この夏、ザルツブルクからハルシュタットへ向かう列車の中で、ずっと彼女達の歌声を聴いていました。
この曲と眩しいほどに美しい車窓からの景色に、熱い涙が私の頬をつたっていきました。
この歌はそれほどに私の心を揺さぶります。ザルツブルクを訪れて間もない出来事でした。

~Let me tell you that I love you
That I think about you all the time
Caledonia you're calling me, Now I'm going home..~

赤鼻の「珍」東洋人

*遠い遠い古代インカの首都、クスコの街角にて【'02.03.12】


どうも風邪をひいたらしく、昨晩から鼻と喉の奥が乾燥し、今は水鼻が出てきました。
どうか軽い鼻風邪で終わりますように...。

私が海外旅行で風邪をひいたのはペルーでのことでした。
2002年3月中旬のクスコは肌寒く、少し厚めの上着が必要でした。
標高が高いこともあり、空気の薄さも影響したのかもしれません。

それはペルー旅行も終盤に入り、出発地であるクスコへ戻ってきた日の夜のこと、ホテルで一人 咳き込みながらの長い夜を覚えています。
その前々日にマチュピチユの背後に聳えるワイナピチュ登山をして、しばらく汗をかいたまま 山頂の風にあたっていたのが悪かったのでしょうか。
それとも前日に冷たい雨の中、ピサックやチンチェーロの市場をぶらついたのがいけなかったのでしょうか。。
ペルーからの長い帰路、ずっとずっと鼻をかんでいました。
ポケットティッシュなどあっという間になくなって、何枚ものハンカチを鼻カミに使いました。
リマ空港ではカフェでナプキンを沢山もらい、トイレペーパーもしっかり拝借。。


ペルーからNZへ向かう道中では、東洋人に会うことはありませんでした。
真っ赤な鼻をズルズルとすする東洋人は誰が見ても滑稽だったに違いありません。


どのくらい帰路の道中が長いものだったのか、ぜひとも聞いて下さい。
まずクスコからペルーの首都リマへ。
ここでの待ち時間は9時間。
リマからチリのサンティアゴへ飛ぶこと4時間くらいでしょうか。そこで待つこと3時間。
サンティアゴを飛び立ちタンゴの国アルゼンチンのブエノスアイレスへ、
この白くて広い空港で14時間!!
そして南太平洋横断の空の旅を12時間、やっとNZのオークランドへ到着。
ここで3時間待った後、2時間ほどのフライトを経て愛しい街クライストチャーチに降り立ちました。
それは合計52時間です!!
往路は39時間でしたから往復で90時間以上なのです。\(◎o◎)/
気絶しそうな時間数ですよね。
同じ南半球だと安易に考えたのが間違いの始まりでした。

この日程しか取れなかったといえども、微熱と鼻水に苦しむ私にとって、この行程がいかに厳しいものだったか容易に想像できるでしょう。

あの頃より旅慣れた今の私であれば、サンティアゴやブエノスアイレスで2、3泊でもして観光を楽しんだことでしょう。
でもお金を使いきった私は街に出ることもできず、
その当時のアルゼンチンの情勢は非常に危険なものでしたから、知識のない私が一人ぶらぶらできるはずもありませんでした。
リマにしたって、私が立ち去ったすぐ後、街の中心部でちょっとしたテロが起きたくらいです。
(それはブッシュ大統領がリマに来るという理由からのものでした。)

旅の思い出は様々ですが、こんな大変なことほど貴重に思えます。
もう一度、決してもう一度できる旅ではありません。

ブエノスアイレスではベンチで横になりながら、新聞紙があれば暖かいだろうなぁ、と丸まっていた私です。
こんな経験もいつか役に立つ(?)でしょう!?


こうしているうちにも、机の上には丸めたティッシュが随分と増えてきました。
今晩は見たいDVDがあったのですが、早めに寝た方が良さそうですね。

重いよ。。

*クリちゃん、ごめんね。


今朝、重労働をした私です。

大きな大きなお餅、鏡餅には早いけれど 二段重ねの大きな平べったいお餅を運びました。
重くて重くて、押しても引いても動かない。びくともしない。

「えいっ!」
ありったけの力で引っ張りました。

『ゴロゴロ ズリズリ ドスン。。。』
クリスがベッドから転げ落ちた音です。

クリスが私のお腹の上で寝ていたのです。
私がお餅だと思って一生懸命引っ張ったのは、クリスが乗っかっていた布団。
夢の中での出来事でした。

可哀想にベッドから落とされたクリス。
ごめんね。

以前に何度も放り出された経験を持つヨンは、最近は賢くなり私の枕元で丸くなってスヤスヤ。。

でもクリスは学習能力がないのでしょうか?!
懲りずに布団に入ってきました。

でも、お願いだからお腹の上には乗らないでね。


今夜は、先輩兼お友達のSさんと同い年のSnaokkoさんと一緒に韓国料理のディナーです。
ヨーロッパでは日本食が恋しくならずに、キムチチゲが欲しくなる私。
チヂミも大好き。
今晩はいっぱい食べて、沢山お喋りをしましょうね!!

魅惑のMexico!

*ザルツブルク新市街ミラベル庭園にてメキシコ人男性と【'07.07.15】
「ミラベル=美しい眺め」に相応しく、ここから眺めるホーエンザルツブルク城は特に美しい。花壇には色とりどりの花々が競うように咲き誇っていました。
その時出会ったメキシコ人男性は、
「メキシコも素晴らしい国。ぜひメキシコにも来るべきだよ」、『You should!!!』
と言ってくれました。


私は『熱い人』が好きです。
そして、熱い人生を送った人物伝を読んだり観たりすることが大好きです。
私が尊敬する男性は、私と同じ高知生まれの「ジョン万次郎」。
坂本龍馬も大好きですが、ジョン万次郎の逞しさはダントツですね。
そして私が誰よりも憧れる女性、
それは日本名「青山光子」、後の「クーデンホーフ光子」です。
この女性の存在を知ったのは8年近く前なのですが、その頃より彼女を尊敬してやまない私もまた偶然にもオーストリアに惹かれ、彼女の生き方を手本にしたいと思っています。
でも彼女の話は後日することにしましょう。

今日、お話したいのはメキシコが生んだ女流画家『フリーダ・カーロ』
先日DVDを借りてきました。2003年に上映されたものです。
きっとその頃だったと思うのですが、あるTV番組で彼女の生涯が紹介され、強烈に印象に残っていました。


1925年、フリーダは18歳の若さで悲惨なバス事故に遭います。
フリーダは瓦礫の下、血まみれと半裸の状態で発見されました。身体には鉄棒が突き刺さされていました。
右足は10箇所以上の骨折。背骨、肋骨、骨盤、鎖骨は砕けていたのです。

そんな彼女が絵筆をとり、既に有名な壁画家のディエゴ・リベラと出逢い結婚します。
彼はフリーダより21歳年上で、そして何より大の女好き。

「あなたは私の同志で芸術家仲間で親友だった。けれど夫ではなかったわ。」
「私の人生には大事故が2つ。バスとあなたよ。あなたは最悪だわ。」
これらの彼女の言葉から分かるように、ディエゴの女癖の悪さに彼女の苦悩は永遠に続くのです。

彼女は言います。
「人間は意外と苦痛に耐えられるのよ。」
並みならぬ苦痛を耐えた彼女ならではの言葉です。

彼女が描く絵は、映画の最後でディエゴが語ったとおり、
「辛辣で優しく、鉄のように硬く、蝶の羽のように繊細で、笑顔の愛らしさ、残酷さを持つ」
そのままだと思います。
彼女の絵が好きかと問われれば、私は好きではないと答えます。
でも異常なほどの魅力を感じるのです。

私は随分と前からメキシコへ行ってみたいと思っていました。
ピラミッドも見てみたい。エジプトのそれよりマヤのピラミッドを見てみたい。
マヤ文明の不可思議な世界に身を置いてみたいと思っていました。
でもそれ以上に、彼女の作品をそれらが生まれたメキシコシティで見てみたい。

ディエゴはこう表現します。
「おれが描いたのは外の世界、君の世界は心の世界だ。
おれたちは互いの為に生まれてきた。」
この世界を見てみたいのです!!
Mexico!!! 憧れます!!

こちらこそ、ありがとう。

ブログって素敵だなって改めて思う出来事がありました。

足跡から偶然開いたページ、それは高校受験をひかえたRくんの日記でした。
懐かしい中学時代の問題に思わずほほえんでしまいます。
そして、中学時代の今を懸命に頑張っている様子も垣間見れ、素敵な子だなって思いました。

そんな彼がどうもプレッシャーに押し潰されそうな様子。
「受験ってそんなに大事?」
「そんな勉強しなきゃいけない?」
「いっそ めちゃくちゃ馬鹿に生まれてきたほうが良かった」
「高校で人生の何が変わるの?」
真面目に取り組んでいる分、余計に考え込んでしまうのでしょう。


私も自分の高校受験を思い出しました。

母は私が小学校に上がる前から、自分の母校へ行って欲しいと常々口にしていました。
だから、知らず知らずのうちに私には○高しかないと思い込んでいたのです。
「伝統ある名門校の○高さえ行けば、その後の人生は大丈夫。」
そんな架空の世界を信じていたのです。

当時、父も母以上に学歴にこだわっていました。

私は私で、「○高が私を待っている」、そんな錯覚に陥っていたように思います。


ところが、興味のなかった私立説明会でのこと。
一つの高校の話に非常に心惹かれました。
そこは少人数性の中高一貫校で、はじまって年月の浅い進学コースでした。
それまでは男子校だったのですが、はじめて女子を受け入れ出したとのこと、
ちょうどその年に私の中学の先輩がその高校から東大に合格したこともあり、説明に来た先生も力が入っていました。
私は前のめりになって話を聞いたことを覚えています。

でも私の進む道は○高ただ一つ。
その私立高校は受験慣れの為に受けました。

3月。
結果は私立高校行き。私は人生が終わったと思いました。
これは悪い夢なんじゃないのかと。
確かにその私立高校に魅力を感じました。
でもやはり○高以外は考えられなかったのです。
絶望感が私の全てを包みました。


今。
私はどう思っているのかって?
私は私の人生に感謝しています。
今の私があるのは、その私立高校のおかげです。
少人数性で県外の生徒が多かったおかげで、色んな世界や価値観を10代半ばで見ることができました。
同じ四国でも高知出身の男の子達は逞しく、しっかり自己を持っていました。
人懐っこい沖縄の友達も沢山できました。
そして私が高校3年生の時、中学1年に台湾の女の子が入学してきました。
彼女は相手が誰であろうと、自分の意見を堂々とはっきり述べます。
今まで私の周りにはいなかったタイプの友達が増えていきました。

どの先生とも親しくなれ、休み時間は必ず職員室へ。
かなり可愛がってもらったと思います。
先生に頼んで、特別に宿題を出してもらい、毎日添削してもらったこともあります。
違う学年の子供達とも職員室で同じ時間を過ごせました。
プライベートでは、バレンタインのチョコを渡すのを協力してくれたのも先生です。
o(^-^)o


どの高校へ行っても道は開けるけれど、そこで過ごす3年間こそに意味がある。
私は幸いにも友達にも先生にも恵まれました。
本当の自分にも出逢え、自分の個性を見つけることができました。
「自分らしく」等身大で生きていくことの大切さを学びました。

いい出逢いのためにも高校選びは大切です。
その為にもRくんに今をベストに過ごしてもらいたいし、しっかり悩んでもらいたい。
私は受験の時には悩まずに、その後の予想外の展開に右往左往しました。
どちらにしろ、そういった経験はかけがえのないものです。
ベストを尽くせば、自ずとより良い道は開けますしね。


彼に私なりのコメントを残しました。
早速のお返事。
「コメントを見て、『どこへ行くかも大切だけど、どうやって3年間を過ごすかが大切なんだ』と知ることができ、プレッシャーがちょっとやわらぎました。」
この言葉に私もどれだけ嬉しかったことか!!
彼がまた自分を取り戻して前を向くことができるなら、私の高校受験の体験も なお価値あるものになるでしょう。

私もまた返事を書きました。
それは私が高校受験の時、小学時代の担任の先生から教えてもらった言葉。
『意志あるところにのみ道は開ける』
彼に贈ったこの言葉を、改めて自分にも贈りたいと思います。
お互い、頑張りましょう!!!

大人の価値観、子供の可能性。

最近、友達のメールやブログを読んでみると、子育てについての内容が多いです。
そんなお年頃ですからね、、。

幼稚園選びなども大変なようで、東京でも福岡でもお母さん達は一生懸命 子供の将来を思って悩んでいます。
とても微笑ましいことですよね。
子を思う親の気持ち、半人前の私は表面しか理解できていないのでしょうけど、話を聞く度に感心し、感動します。
そして親になった友達の成長ぶりに何より驚かされます。


もう12年くらいになるでしょうか。。素敵な親子の話を聞いたことがあります。
教育については、ご家庭それぞれにお考えがあると思いますので、これは一つの記録として読んで下さい。


そのご夫婦は、毎晩必ず子供について話し合いを持ちました。
「小さなことでも話し合いを忘れない」、「子供には大人の価値観=偏見を押し付けない」・・これが二人の約束です。
普通の人がいつの間にか身に付けてしまっている先入観を持たずに、彼らの子供は小学校に入学しました。

その女の子は生まれつき目が弱く、幼い頃よりメガネをかけていました。
そして頭には傷があり、怪我をした後が少しだけ禿げています。
それについて、ご両親はその子にありのままを説明し、それが良いとか悪いとか、恥ずかしいことだとか、そういったことは一切口にしませんでした。

最近の子供は、ちょっとしたことがイジメに繋がります。
お母さんはほんの少しだけ心配でした。
「変にからかわれたりしないかしら...」

初めての学校から帰って来たその子は嬉しそうに話します。
「今日ね、私にあだ名がついたのよ!! メガネをかけているから『メガネザル』。
クラスであだ名がついたのは私が一番よ♪」

話をよく聞くと、早々に男の子達にメガネとハゲをからかわれたそうです。
『からかわれた』、この捉え方は私達の勝手な思い込みなのかもしれませんね。
その子は決して『からかわれた』とは思っていませんので、平気な顔で言います。

「私ね、生まれつき目が悪いの。この頭の傷も大変だったのよ。
階段を頭から落ちたみたい。お母さんもお父さんもビックリしたんだって。」

明るく話すその子に男の子達も調子が狂ったらしく、
「大丈夫なのか? 気を付けろよ。」と逆に心配してくれたそうです。
『メガネザル』にしたって、彼女は悪いイメージを持っていません。
可愛いでしょ、と言わんばかりの表情です。

この子のようには なかなか素直にいかないと思いますが、この話から学ぶべき点は多々あると思います。


もし私も子供を持つ身になれたなら、「躾」以外のマイナスの先入観を子供に植え付けないようにしたいと思います。
その為にも、今の内にもっともっと自分の感受性を磨いていきたいと思うのです。

子供の可能性は無限ですものね。
そして、まだまだ私達の可能性も無限です!

冷たい雨に濡れながら...

*NZ マウント・クック・ビレッジ近郊にて【'02.02.12】


この週末、長時間バスに揺られながら遠いNZを思い出していました。
NZを旅した時、そのほとんどがバスでの移動でした。

北島を2002年1月に、南島を2月前半と3月上旬とに分けて、クライストチャーチを基点にほぼ一周しました。
二ヶ所の世界遺産を巡る南島の旅は、2月3日にクライストチャーチを出発して、
オマル→ダニーデン→クィーンズタウン→ティアナウ→ミルフォードサウンド→ダウトフルサウンド→ワナカ→マウントクックビレッジ
というコースです。


オマル(ユニークな地名でしょ!)では世界でもここNZオタゴ地方沿岸にしか生息しない「イエロー アイド ペンギン」と、OZ東南沿岸とNZ全域に生息する「リトル ブルー ペンギン」のコロニーを訪れました。

ティアナウではツチボタルを見る為、古い洞窟に行きました。
ツチボタルをご存知ない方は、ぜひにとも一度 足を運んでみて下さい。
NZではティアナウの他に、有名な北島のワイトモ洞窟があります。
説明を受けた後、ボートに乗り込んで、息をひそめて洞窟の奥深く進みます。
暗闇に浮かぶ神秘的な青白い無数の光に思わず吐息を漏らしてしまうことでしょう。

これらの感動とミルフォードサウンドクルーズなどについては改めてお話するとして、この旅行で最も忘れられない出来事について今日は書いていこうと思います。


最後の訪問地、マウントクックビレッジでは その当時私の友達MIHOKOが登山ガイドをしていました。
パワフルで魅力溢れる彼女は私の憧れです!!
MIHOKOとの久しぶりの会話、マウントクックでのトレッキングを満喫した私は、彼女に見送られながらビレッジを後にしました。
YHAまでマイクロバスが迎えに来てくれ、バス停まで運んでくれます。
少し遅れてYHAを出発しました。
時計を見るとバスの時間が迫っています。
運転手さんに時間がないことを言うと、平然と「大丈夫、大丈夫」。
バス停に着いた時はすでに出発時刻を15分以上過ぎていました。
半べそをかきながら「もうバス出ちゃったよ」と言う私に、そのマイクロバスの運転手さんは又も「大丈夫、大丈夫」。
可哀想な私を一人置いて去って行きました。

「ひどい...(ToT)」
そこは国道の道端で、バス停らしき表示もない、全く何もないところ。
一番近い町は、車で30分の所にあるマウントクックビレッジです。
見渡す限り、本当に何もない場所でした。
仕方なく、もう出てしまったかもしれないバスを道路脇の草むらで待ちました。
もちろん、椅子などありません。
しばらくすると、雨がパラパラ降ってきました。
屋根などあるはずもありません。
心細さが高まる中、雨に濡れながら、やはり来るかどうか分からないバスを待ち続けました。


待つこと1時間。
やはりバスは通り過ぎた後だったのでしょうか、、。
ヒッチハイク・・やっぱりそれは止めておこう。。

冷たい雨と不安に耐えられず、MIHOKOに電話をしました。
「もうしばらくしてもバスが来ないようなら迎えに行くよ。」
心強い言葉に、もう少しだけ頑張れそうな気がしました。

それから30分ほど雨の下 佇んでいたように思います。

バスが見えてきました。
どんなにホッとしたことでしょう。

それからバスに揺られて3時間、どれほどクライストチャーチを恋しく思ったことでしょう。

あれから海外でバスに乗ることに、ほんの少し抵抗を感じてしまう私です。

最近のヨンとクリス。

*この格好を見て下さい。
私の布団のはずが、すっかり我が物顔のヨン。


高山へ行った夜、
愛犬ヨンサマ&クリスは、私の部屋ではなく母と一緒に休みました。
二匹ともおりこうさんだったらしく、朝6時のごはんまで起きることもなく、鳴くこともなくおとなしくしていたそうです。
いつもの二匹とは大違い。

二日間 可愛く猫を被っていた犬達は、私の部屋に戻るや否や好き放題に甘えます。
もともと甘えん坊で、甘えるために競争する二匹です。

夜 私が部屋に連れて入ると、
まずヨンがベッドに飛び乗り、その真ん中で↑この姿で寝転びます。
クリスは私のそばから離れません。

寝る時は、
いつも足元に用意してある毛布の上に丸くなる二匹なのですが、夜中に私を起こしてベッドに上げてちょうだいとばかりに、
「ハヒハヒ、ハヒハヒ(^O^)」。

確かに涼しくなって、クリスも朝まで静かに眠るようになりました。
けれど新たな問題があります。
犬達も布団が恋しくなるのです。
ベッドを占領された私は、隅で丸く小さくならなければなりません。

ゆっくりと のびのび朝までいい気持ちの布団の中、それは私にとっては「夢」の話。
寝返りすら満足にできず、、、(T_T)
今朝も身体のあちこちが痛みます。


あぁ、だから今でも私の朝は早いのです。。

私のお気に入り。

私が初めて「Wedgwood」に出会ったのは、大学時代からの親友Mさん宅に泊り、次の日の朝食でのことでした。
それまで食器に全く興味のなかった私ですが、その時のショックといったら、、。

「ティーカップって、こんなに時間を優雅に変えるんだ!」
初めて気付きました。

それ以来 何年もに渡り、少しずつ 少しずつ買い足しています。

Mさんのお宅で出された器は、「アムハースト」というシリーズ。
シンプルな柄ですが、どこか気品すら感じます。
岡山市のオリエント美術館のカフェに行けば、オリジナルコーヒーは必ずその器に入れてくれますよ。

Mさんに付き添ってもらい、岡山の天満屋デパートのウェッジウッドコーナーへ行きました。
もうすでに、「アムハースト」は製造されておらず、店頭からは姿を消していました。
その時 私は別のシリーズ、「パリス」に一目惚れ。

デパートへ行く度にウェッジウッドを訪れる楽しさ。
ウェッジウッド用にと小さな食器棚を部屋に置き、一つ一つ増えていくお気に入りに満足しています。

ある日、やはり岡山の天満屋本店で。
「アムハースト」のコーヒーカップとプレートがセットで限定販売されていたのです!!
とても嬉しかったですねぇ。
一セットだけですが、宝物を抱き抱えるように持って帰りました。

そして、つい最近のこと。
同シリーズのティーカップが一つだけ店頭に並んでいたのです♪
迷わず手にとりました。

私が好きなシリーズ、「アムハースト」も「パリス」も現在は製造されていません。
ネットで買う方法もあるのでしょうが、
やはり手にとって、一つずつ買い揃えていく喜びを思う時、こうやって出会いを待つのもいいかなぁと思っています。

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