I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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憧れの大陸への道のりは遠く...

*ずっとこの場所に立つことを夢見てたんだなぁ~、私。。
『マチュ・ピチュ』とその後ろに聳えるワイナ・ピチュを背にして【'02.03.15 オーストラリア人カトリーナと共に】


来週末に行く「インカ・マヤ・アステカ展」。

それに向けて思いを高める為に、私がペルーから日本へ送った当時のメールを引き出してみました。

改めて読んでみて、このペルーへの旅行によって知らない国を一人で旅する度胸がついたように思います。

その懐かしいメールから、、、

* * * * * * *

この旅行は"クライストチャーチ"から飛ぶこと1時間半、NZ最大都市"オークランド"で出国し、
南太平洋を横断しアルゼンチンの"ブエノスアイレス"へ。
そこから"ラン・チリ航空"でチリの"サンティアゴ"。
ペルーの首都"リマ"を経由して"クスコ"へという行程でした。


オークランドから12時間、ブエノスアイレス空港を目前にして大嵐のために近づけず、、。

その立派な"カンタス航空"の飛行機は何度も着陸を試みたのですが、3・4度 強風に吹き飛ばされました。
それは乗客でもわかるほど。

空港上空を何度も円を描きつつ、30分後再度挑戦!
しかし、この時もあっけなく吹き飛ばされてしまいました。

急遽、300kmほど先にあるウルグアイの首都"モンテビデオ"に着陸。
ここでブエノスアイレス上空の天候回復待ちと燃料補給。

そして いざその時が来たら、今度はモンテビデオ上空が荒れ狂う始末。。(T_T)

これは困ったと思いました。

当初のブエノスアイレス空港での待ち時間は7時間。
その時間も着実に減っていきます。

~次の便に間に合わなかったら、、~

色々考えても仕方ありません。
どうにか自力でマチュ・ピチュまで向かう覚悟を決めた時、飛行機はモンテビデオを飛び立ちました。

きっと乗り継ぎ便もこの飛行機を待っているはず、、。
・・そういえば、この嵐の為にブエノスアイレス空港発着が一切出来なくなっていたとスチュワートさんが言っていました。

そして、念願(?)のブエノスアイレス到着。
この時は乗客みんなで拍手喝采でした!!
なんたって皆さん、大風に吹き飛ばされた時、必死で胸に十字架をきっていたくらいですから、、。


駆け足ですれすれ次の便に間に合って、続いてサンティアゴにて。

少々乗り換えが不安だった私はそこら中のラテン系顔の人に、
「私はリマまで行くのだけれど、あなたはサンティアゴまで?それともリマまで?」と聞きまくりました。

この地はすでに南米。
何かトラブルがあった時、英語とスペイン語の両方を喋れる人と一緒なら安心だと思ったのです。

オーストラリアからNZ経由で来たペルー人の男性を見つけ、
「ご一緒していい?」とお願いしました。

そして乗り換え!!
彼はすんなりOKだったのに、私はいきなり搭乗券を没収!!\(◎o◎)/

☆なんでやねん☆
さっぱり訳が分からず、香川県人の私だって関西人になってしまいます☆

話を聞くところ、どうもクライストチャーチ空港チェックインカウンターのお姉さんにミスがあったらしい。。
なんとか訂正してもらい、またもすれすれ搭乗口へ。


そして「リマ空港」。
先ほどのお兄さんを発見♪・・今度こそ見逃さないように、しっかり後をつけていきました。

なぜ彼を追いかけたのかというと、
ブエノスアイレスのドタバタで万が一荷物が出てこなかったら、同じルートで来た彼と居ればなんとかなる?!と思ったのです。

心はいつも他力本願♪♪

すると、あっけなくも彼は自分の荷物を発見。
笑顔で私に、「Have a nice trip !」  そう言って立ち去りました。

私の荷物もこれで安心ね。
で、待つこと数分。

・・・出てこない、、、出てこないじゃないっ!!・・・
☆なんでやねん☆

荷物はブエノスアイレス空港に、、
それは私も含めた7人だけでした。  ☆なんでやねん☆
*次の日にクスコまで運んでくれましたが、、。

この後、私に待っていたものは「高山病」!!
クスコ発のツアー、このツアー客7人のうち私だけが高山病。
☆なんでやねん☆

☆なんでやねん☆
これが私の一人旅の醍醐味のようです。


出だしからハプニング続きだったペルー旅行、
無事に帰国できたことを奇跡に思います。

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! インカ !

*ペルー・クスコ、その中心「カテドラル」前 アルマス広場にて【'02.03.12】

16世紀にスペイン人の征服者達によって、山奥へ追いやられたインカ。
かわってスペイン人達が造ったものは、インカの礎石の上に建つ教会や邸宅でした。
この不思議なコントラストが、『クスコ』を特別な町にしています。
~地球の歩き方より~


皆さんのブログを拝見させて頂いていますと、
観たい映画、読みたい本、聴きたい音楽、そして行ってみたい国がどんどん増えていきます。

そして、四国に閉じ籠っていては知りもしない展示会なども紹介して下さるので、関西に出向いた時などに足を運ぶことができますね。
ありがとうございます☆

その中でも特に興味を持った『インカ・マヤ・アステカ展』!

やっと岡山まで来てくれました♪
1/11~3/16と岡山駅西口、岡山市デジタルミュージアムで開催されています!!

香川から岡山まで、JRに乗って瀬戸大橋を渡れば、1時間も掛からずに行くことができます。
2月の3連休にでも観に行こうかと計画中です。


私はこれら3つの古代文明の遺跡の中で、唯一『マチュ・ピチュ』だけ訪れたことがあります。

マチュ・ピチュは小学生の頃より憧れていました。
高山病になりながらも(9/22日記)、嵐に遭いながらも、気の遠くなる道中('07.11.16日記)('08.01.31日記)を乗り越えて、この地を踏めて良かったと心の底から思っています。

インカの首都『クスコ』、
この町に漂う哀愁も、愁いを秘めたその街角も、私にとっては「ザルツブルク」に次ぐ忘れられない場所です。

有名なフォルクローレ「コンドルは飛んでいく」のように、うら悲しげな空気が流れています。
思わず、胸が"きゅんっ"となるのです。。


クスコの中心『アルマス広場』。

ここで、靴磨きをしている「フォワン」という男の子と出会いました。

彼は貧しい家庭で育ちながらも、片言の英語を話します。
私の靴を磨かせて欲しいと言ってきたのです。

でも、その時 私が履いていた靴は、破れかけたスニーカー。
彼はそれを革靴のように磨くというのです。

「それはやめてちょうだい。」、私は何度も断りました。

彼の瞳を見ていると、観光客目当てにお金をせがむ様子でもなく、、。

でも、私のスニーカーを磨かれては困ります。
靴を磨いてもらわないのにお金は払えません。

「磨かせてよ~。」
「だから、この靴では無理なんだって!!」

この押し問答は20分近く続きます。
たったこれだけの会話ですが、彼に段々と親しみを感じてきました。

仲良くなって、撮った写真が↑です。

最後まで、この言い合いは続きましたが、、(^。^;)


他愛のない会話。
でもこんな些細なことが、訪れた町の印象に繋がって、いつまでもその風景とともに心に残るのですね。

クスコは独特な空気と匂いを持つ町です。
一度訪れれば、決して忘れられないでしょう。


*クスコの街中で売っていた『インカコーラ』。
あの時は勇気を出せず、、、でも飲まずに帰ってきたことを"ずっと"後悔していました。
今回の展示会場で売っているらしいですね。
今度こそ挑戦したいと思います!!o(^-^)o

クライストチャーチに霰が降った日。

*クライストチャーチ Southern English Schools・student roomにて【'01.9月】
NZ人の先生と韓国人(女性)、中国人の友達と。
NZにいた9ヶ月、その後半は一人旅に出掛けていました。
でも、やっぱり語学学校へ通っていたこの頃が一番楽しかったかな。


今日は私の住む香川でも寒い一日でした。
珍しく"ミゾレ"が降りましたよ。

でも暖かい室内にいる私は、左足の踵にできた"霜焼け"が痒くて痒くて、、
ひどい時は仕事も手につかないくらいでした。

何故、"踵"に?

仕事も終わり、同じ部署のN.K君に「お先にぃ~!」と挨拶すると、
意地悪な表情で一言、「はよ水虫治しなよ。」ですって!!(`ε´)
違ぁぁぁ~う!!! 水虫じゃな~い!!!(*`θ´*)


* * * * * * *

私がNZでお世話になった語学学校の最終日、'02年1月4日午後。
クライストチャーチの天候は最悪でした。
大雨から激しい大きな"アラレ"へ。そのせいで、街中が水浸しになりました。
夏だというのに、かなり冷え込んで寒いっ。


その日の夜は語学学校で友達になった中国人「ビビアン」のフラットへお呼ばれになっていました。

ビビアンは北京出身、将来は歯科医になりたいと話していましたっけ。

傘を差しながら、水溜まりを避けつつ待ち合わせ場所へ。

彼女のフラットでは当時、もう一人の女の子と二人の男性、計4人の中国人ばかりでの生活です。

ビビアンがお兄さんと呼んで慕っていた男性が手料理を振る舞ってくださいました。

やはり中国人の作る中華料理は少し私には癖があるように感じます。

でもお皿に盛り上るほど沢山の料理に、気さくな中国人の方達の優しさに囲まれて食事は進みました。


食事も終わり、ビビアンの部屋へ。
彼女の友達ともすぐに打ち解けて、話も弾み、時間もあっという間に過ぎていきます。

タレントの話では、「木村拓哉」さんが好きだという二人。
当時、木村拓哉さんと松嶋菜々子さんの人気は中国でもかなりのものだったようです。

木村拓哉さんについては今もアジアで根強い人気ですね。
*余談になりますが、昨年7月にオーストリアで出会った韓国人の友達も彼のファンだと言っていました。

しばらくは そんな軽めの話をしていましたが、私達って真面目だなぁ~。

カタコトの英語でも、歴史問題について話題が移りました。
「蒋介石」や「毛沢東」といった名前も出てきました。

ビビアンも、その友達も真剣な表情で言います。
「大陸と台湾は一つになるべきだ。」

中国も朝鮮も、元々は同じ国民同志が国境を隔てて争わざるをえない現実。

そんな同胞が敵となるようなツラい経験のない恵まれた日本、まして恵まれた時代に生まれ育った私には彼女達の本当の思いまでは理解できなかったと思います。

日本についても、
「確かに日本政府は好きにはなれないけれど、個人でお付き合いする友達としては日本人は大好きよ。
それに、済んでしまった出来事。私達には全く関係ないわ。」

本当は決して"済んでしまったこと"ではないでしょうに。。
でも彼女達は私に気を遣って、そう話してくれたのでしょう。


ここまでは、"まとも"なお話。 、、でしょ?

でも、話が進むにつれて、ビビアンとその友達が異常なほど"ベダベタ"し始めたのです。
ベッドの上でキスする二人。。

(°д°;;)
ちょっと怪しい?? いや、かなり怪しい???

そう、実は彼女達はレスビアンだったのです!!(>_<)(>_<)(>_<)

どうりで、普段からビビアンは執拗に体を近づけてきたわけだっ!!

「もう少し一緒にいようよ」、という二人の言葉を無視し、
私は「絶対に今すぐ帰るぅ~!」と心の中で必死に叫んでいました。

次の日は、朝一番にウェリントンへ立つ予定だった私。

「明日の朝が早いから」、と二人のもとから逃げるように去りました。


あぁ~、本当は食事のお礼もしたかった。。。
でも それ以後、ビビアンに連絡するのも恐ろしく、そのまま疎遠になっています。


天気の悪い こんな冷え込んだ日は、"ふっ"とビビアンを思い出します。
彼女は今頃、どうしているのでしょう。。

ちょっぴり複雑な思い出です。

ぬくもり。。

*愛犬『ヨンサマ(左)&クリス』
(ヨンサマとクリスの名前の由来は12/20と10/4に各々載せています。
もう一度書きますが、私は決してぺ・ヨンジュン氏のファンではありません。)


今日は午前中は大掃除、午後はお友達が我が家へやって来ました。

友達とお茶をしながら、他愛ない会話を4時間近く。。
お茶といっても、ケーキに紅茶などとシャレたものではなく、地味に「あべかわもち&番茶」の純和風です。


その友達は今、悩みを抱えています。
一人暮らしをしていて、最近は家に引きこもりがちとのこと。

何かにつけて涙もろくなっていました。

私はただお話を聞くだけで、気のきいた台詞も思いつかず、、、ごめんね。

その時"ふとっ"裏庭で遊んでいる、私の愛犬達を思い出しました。

犬達と戯れたら、少しは気が紛れるかもしれない、、。

早速、連れていきました。
ヨンサマもクリスもちょっぴり"おすまし"、「よそゆき顔」です。

二匹を見た途端、友達は"くしゃぁ~"とした表情に。
「犬っていいよねぇ~。いつか飼いたいと思ってるんだぁ。」

いつもとは全く違って大人しい二匹。

特にクリスは可愛くお座りをして、友達に抱かれていました。

彼は温もりが恋しかったのでしょう。

クリスを何度も何度も優しく撫でて、その温もりに思わず涙を流していました。

*そんなに辛かったんだね。辛抱してたんだね。

人見知りするヨンさえも無邪気に膝の上で甘えています。

その温もりが彼を救ったように見えました。

生き物の温かさってすごいな、って改めて感じます。

きっと私も気付かないだけで、毎日この愛犬達に慰められているのでしょうね。

単なるペットの二匹が、今日は神様からの贈り物のように思えた昼下がりでした。

二度目の金刀比羅宮『書院の美』鑑賞

*1794年、円山応挙61歳、亡くなる1年前の作品です。【金刀比羅宮 表書院「上段之間」障壁画『爆布古松図』】


11/18に訪れた"こんぴらさん"、
今月末まで開催の『書院の美』に再度足を運んでみました。

11月の感想は11/20と11/21に載せていますが、改めて今回感じたことを書き綴っておきたいと思います。


やはり伊藤若冲の『花丸図』は圧巻ですね。
でも、私はどうも円山応挙の方がお気に入りらしい?!

前回は応挙の『虎之間』に非常に愛着が湧きました。
今回も、あの思わず"撫でたく"なるような愛くるしい虎達に思わず微笑んでしまいました。

"ふさふさ"、"モコモコ"感がたまらない!!

当時、実物の虎を見たことのない応挙。
毛皮をもとに、虎は猫を少し大きくしたものだと人から聞き、想像で描いたからでしょうか、、、
「ニャォ~」という太い鳴き声が聞こえてきそうです。

そこには何故か一匹だけ「豹」が描かれています。

虎だけでなく、豹だって実際に見たことのなかった応挙さん!
彼は豹の毛皮を「メス」の虎だと思い込んで、この『虎之間』に描いたそうです。
面白いですねぇ。


そして、前回は見事だと感じながらも、強くは印象に残らなかった『爆布古松図』↑。

今日はこの壁画に釘付けになりました。

さすが、殿様を迎える最上の間。
この滝は書院横にある庭(林泉)の池に流れるごとく描かれ、
その流れは「山水之間」に繋がっており、そこに描かれた京都の伏見川に注いでいます。
庭も含め、部屋を一周して一つの大作になっているのですね。

*この部屋の四方全体を使う描き方は、同じ表書院にある邨田丹陵作「富士一之間」でも活かされています。

この応挙の壁画を見ながら庭を眺めていると、本宮からでしょうか、上の方から微かに雅楽や笛の音色が聞こえてきました。

朝一番に行ったので、人も少なく、こんな風流を味わえて大満足でした。

しかし、11月は応挙55歳の作品に感動し、今回61歳の大作に感銘を受けた私。
たった2ヶ月でそんなにも感じ方が歳を取っちゃったのでしょうか?!


その後、奥書院を経て「白書院」へ。
ここは国内外で活躍されている田窪恭治さんが描く『椿』が制作途中です。

私には彼の作品『椿』と『こんぴらさん』の印象が、どうも"しっくり"こない。。
日本間と上手く溶け込んでいるとは思えない、。
ですが、これはあくまで一個人の好き嫌いからくる感想に過ぎませんので。。

田窪さんはフランス・ノルマンディー地方にある「サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂」において、
国際的なプロジェクトを立ち上げ、礼拝堂外内部を全てご自身の作品で再生されました。

内部はノルマンディー地方特産物「林檎」が描かれ、屋根は色とりどりのガラス瓦で彩られているそうです。

その写真も展示されていましたが、
こちらの方は素敵だなぁと感じました。

* * * * * * *

今日の香川は日差しも暖かく、こんぴらさんの階段を登っていると汗ばむ陽気でした。

しかし同じ香川といっても、
私の住む海沿いの町と、そこから車で20分ほど奥まった琴平町とでは2、3℃気温に差があります。

まして、書院は石段を500段も登ったところ。
先週の日曜日に降った雪がまだ残っていました。
さすがは"底冷えの町"、琴平ですね(笑)。

今月31日で、この展示が終わってしまうのは残念ですが、
このおかげで自分の住む香川県の良さを再発見できて嬉しく思っています。
こんぴらさん、ありがとう!!

* * * * * * *

〈若冲さんファンの方達へ〉

こんぴらさんの第10代別当が若冲から絵を習っていたこともあり、奥書院を全て若冲の襖で囲むという、なんとも贅沢なことを成すことができたそうです。

残念ながら、今は奥書院「上段之間」にしか彼の作品は残されていませんが、、。

奥書院は3年前に初めて一般公開されました。
それまでは、こんぴらさんに関係のある方々や、有名な絵描きさんくらいしか見ることはできなかったのです。
田窪恭治さんは金刀比羅宮の宮司さんと同級生だったこともあり、早くから この若冲の壁画をご覧になったことがあるのだそう。

で、その田窪さんの制作途中の白書院こと『椿書院』は3年後に完成予定。
その時、もしかすると又も"幻の"奥書院が公開されるかもしれないですよ!!

迷言集?!

やっと週末ですね。

事務員の私の仕事について言えば、昨日 税務署へ「法定調書」を提出しました。
各市町へ出す「給与支払報告書」も無事終了!
これで、昨年の年末調整一切が完了です!!

私の職場では、給与関係のソフトはいまだ使用していませんので、「源泉徴収票」は全て手書き。
私の受け持ちは86名ほどですが、一枚一枚計算を確認しつつ進めていくので、毎年時間が掛かります。

でも字を書くのが好きな私にとって、一年の業務の中で最もお気入りのこの仕事。
終わって、"ホッ"としている反面、なんだか"物足りない"今日この頃です。

* * * * * * *

今日の午後、90歳を優に過ぎているT.Mさんが、男性職員のN.Kさんに声を掛けていました。
大きな声ですので、事務所に座る私の元まで聞こえてきます。

「私、ごはん 食べてへんけど、、。
4Fに食堂があるいうて聞いたんやけど、4Fへはどうやって行ったらええの?」

もちろん、彼女は昼食をきちんと食べています。
朝食後も同じようなことを、介護職員さんに言っていました。

Kさんは答えます。
「ここは平屋やから、4Fはないでぇ。」

Mさん、
「ほぉなぁ~。
で、どうやって行ったらええのぉ?」

・・・だから、4Fはないんだって!!
その『ほぉなぁ~。』は何を指して言ったのでしょう。。


老人ホームでは、毎日、こんな風に会話が成り立っているようで
なんとなく"おかしい"場面に出くわすことがよくあります。
思わず"ツッコミ"を入れたくなることばかり。

歳を取るって、楽しいですねぇ~。o(^-^)o


私はこの施設を一度退職してNZへ渡りました。
帰国後、又も同じ職場でお世話になっているのですが、
そのNZから一時帰国した時に同じ施設内にあるデイサービスセンターへ遊びに行きました。

仲良しのおばあさん、M.Mさんが来ていました。
Mさんはその当時、私の顔を見る度に「はよ、嫁に行きな」と言っていました。

この時も、
「あんた、まだ嫁にいってないんな。はよ、行きなさい!!」

毎回言われる私の方も、言い訳するのも面倒になっていました。
「あのねぇ、Mさん。私は満月になるとお月様に帰らなくちゃならないの。
だから、今はお嫁にいけないのよ。」

Mさん、一言。『・・・ほぉなぁ~。気をつけてな。』

おいっ! そこは頷くところじゃない!!
でも、訂正するのも面倒で、その会話はそこまで。

今でもMさん、時々思い出したように、「はよ、嫁に行きな」と言っています。(*^_^*)


一番、印象に残っているのは、もう名前すら忘れてしまった あるおじいさんの台詞。

優しい介護職員さんが そのおじいさんに言いました。
「○○さん、しんどくないですか?」

「えぇ~?」
その方は、とても耳が遠いのです。

介護職員さん、大きな声で「しんどくないですかぁ?」

「えぇ~?」

ますます大きな声を耳元で、「しんどぉないですかぁ~?」

おじいさん、
『・・・、まだ死にとぉない、、、。』

そのおじいさんは、とうにお亡くなりになってしまいましたが、当時のこの気持ちは切実だったのでしょう。。。


毎日、毎日、新たな迷言が生まれます。

なんやかんや言っても、私が10年以上も施設で働いてこられたのも、
こんな愉快なお年寄りさん達がいてくれるからでしょうね。

きっと今晩も施設では、誰か彼かが色んなことを言って、介護職員さんを困らせ笑わせていることでしょう。(*^_^*)
ホント、飽きませんよね。

決まりました。

*パリ・オランジュリー美術館、モネの「睡蓮の間」にて【'00.01.08】
『ロダン美術館』は、このオランジュリーから南へ1kmほど。
メトロ「VARENNE ~ヴァレンヌ」駅を挟んで向かい側には「アンヴァリッド」という17世紀に建てられた巨大な廃兵院があります。
ここは現在、軍事博物館になっていて、
そこにあるドーム教会にはナポレオンの棺が安置されています。
*オランジュリーより少し西、ロダン美術館より北には『Alexandre3世橋』、
そうセーヌ川にも☆アレックス☆の橋が架かっていますよ。(*^_^*)

皆さんは「時差ボケ」になることってあります?

私はほとんどありません。

だから、こんな無謀な旅行ができるのだと思っています。

私の旅はハードです。
旅そのものだけがハードなのではなく、その前後を含めて かなりキツいスケジュールです。

今までで最も厳しかったのは、昨年夏のザルツブルク行き!!

7/13(金)、いつも通り17時半に仕事を終え帰宅。
日本出発は明日の9:55。

その日、日本列島には大きな台風が近づいていました。

旅行会社のMさんが、心配してメールをくれました。
「国際便はよほどでなければ飛ぶと思いますが、関空までの連絡橋が強風の為に通行止めになる可能性があります。
ですから、早めに関空に入って下さいね。」
ならば前日から関空入りしようと、最終列車で空港へ向かいました。

関空には、欠航の沖縄便に乗るはずだった人達がベンチで丸まっています。
私も2Fのラウンジで毛布と枕を借りて、ベンチで一夜を明かしました。
(関空のベンチで眠ったのは、実はこれで2度目!!)


台風は思ったより大きなカーブを描いたので、私の乗る「ルフトハンザドイツ航空・フランクフルト行き」には影響はありませんでした。

後で聞いたMさんの話によると、午後の便は大荒れになったのだとか。
私は単に運が良かったのですね。o(^-^)o


ザルツブルクには7/14の夕方17時半に到着、
ホテルに荷物を置いてすぐ旧市街を散策し、この日の内にホーエンザルツブルク城にも登りました。

17日の朝10時にはザルツブルク空港を離陸します。

僅かの時間を惜しんで、3日間とも夜10時近くまで街中を歩き回りました。
朝も5時半からミラベル庭園へ。

この旅行では、
韓国人のMijungにJeanna、そして愛しのAlexといった素晴らしい出逢いに恵まれましたので、
夜は興奮してほとんど眠れていません。

食事も喉を通らないほどで、この旅行で3kg痩せましたっけ。。

そして、7/18の朝8:15に関空着。

すぐに特急「はるか」に飛び乗り、新大阪と岡山を経由して香川に着いたのが、11時半。

家に着いた私は荷物もそのまま、急いでシャワーを浴びました。

機内食も手をつけなかったので、少しくらいはとご飯を口に押し込めて、
12:45に家を出発。

13:10には職場のいつもの席に座っていました。

頭は"くらくら"貧血気味。

でも私のザルツブルク行きは内緒のこと。

とにかく半日、たった4時間ですが頑張りました。


この5月。
4日の連休に半日の有休を取って、ヨーロッパへ行ってきます!!

たまに、『私って化け物?!』と、自分で思うこともありますが、
行きたい気持ちは押さえられませんよね。

又も超人的なスケジュールを乗り越えようと思っています。

♪サウンド・オブ・ミュージック・ツアー♪

*ザルツブルクからバスで1時間弱。
湖岸の街「Mondsee ~モントゼー」にある教区教会『Pfarrkirche』の祭壇です。【'07.12.31】
映画の中では、主人公マリアとトラップ大佐の結婚式のシーンに使われました。


さて、『サウンド・オブ・ミュージック・ツアー』についてですが、もし皆さんが参加されるのでしたら英語版ツアーをお薦めします。
もちろん、日本語ガイドツアーもありますが、様々な国の人がいる方が断然 愉快です♪

今回も、7月に参加した「Eagle's Nest (ヒトラーの山荘)」へのツアーも、私は『Salzburg Panorama Tours ~パノラマツアー』に申し込みました。
ミラベル広場の一角に申し込み所があります。

このようなツアーでは、ガイドさんは参加者の出身地を話の種に使うので、本当に世界各国から観光客が集まっていることが分かります。

これも何かの縁でしょうね。
夏も冬も沢山のNZの方とご一緒しました。

12/31の午後0時。 NZ時間では1/1の午前0時です。
ザルツブルクでは、まだ12時間も2007年が残っていたのですが、
NZ人を中心に、ここでひとまず「A Happy New Year」!
こういうのって、些細なことですが楽しいですよね。


ツアーのコースはいたってシンプル。
9:30~13:30の4時間で回ります。

レオポルツクローン城 (湖の対岸より) →
ヘルブルン宮殿 (庭園のガラスのパビリオン) →
車窓より フシェル湖、ザンクト・ギルゲン (モーツァルトのお母さんが生まれた町) →
モントゼー →
ミラベル広場にて解散

*レオポルツクローン城は現在、個人の所有になっている為 中には入れません。

時候のい季節ならば ちょっと"あっさり"し過ぎて物足りなく感じるかもしれません。
けれど、真冬の氷点下の世界では「車窓」からで十分な場所もあります。

12時から13時まで滞在する「モントゼー」という三日月の形をした街でランチ休憩。

ガイドさん、「13時にバスまで戻って来て下さいね。今日の13時ですよ~。いいですかぁ~、明日までは待ちませんよ~。」
ぷっ!!o(^-^)o
いつもなら流してしまう冗談も、英語だと"つい"笑ってしまう私です♪


時間が勿体ない私は、食事も取らずにまずは教会↑へ。
お土産屋さんもそこそこ、湖畔を歩く時間を含めると1時間では全然足りませんっ。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 

『モントゼーの教区教会』・・・
15世紀に建てられたそうですが、その後の火事で焼け落ちてしまい、現在のものは1960年代に建てられました。
内部は13もの祭壇が並び、オーストリア最大の規模を誇るのだとか。
もともとゴシック様式で建てられたものですが、増改築のためにバロック様式の彫刻や内装が入り交じっています。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

雪の白さに沈む街は、"ぴんっ"と張りつめた空気がとても澄んでいて、
私は肌をさす その冷たさを逆に気持ち良く感じていました。


バスの中では、映画に出てくる音楽を流して、気分を高めてくれます。

あれ?
マリアのパートなのに、かすかに男性の声???

ガイドさん?
いえ、違う。 ガイドさんは一番前の席に座るお客さんとお喋りしてる...。

あれれ??
耳を澄まして聴いていたら、、
なぁ~んだ!! ドライバーさんの歌声なのね♪
体を揺らしながら、とっても楽しそう♪♪♪
きっと毎日のように このコースを走っているでしょうに、
やっぱりこの音楽は人の心を陽気に上機嫌にさせるようです♪

窓ガラスに映る前の席のお姉さんも、後ろの席のお姉さんまでも、
気が付けば "みんな" 音楽に合わせて口ずさんでいます。
もっちろん! 私も歌っていました♪

あらあら、ついにはガイドさんも大きな大きな声で歌い出しました!!

外は寒空の下、真っ白な雪景色でしたが、
きっときっと皆さんの瞼の奥には映画のように緑があふれ、碧い湖が広がっていたことでしょう。


こんなにも多くの方に愛される『サウンド・オブ・ミュージック』。

今週末にでも、もう一度ゆっくり観てみようかな。

ジュリー・アンドリュース

今晩は8時からNHK・BShiで、あの「サウンド・オブ・ミュージック」で主役のマリアを演じた『ジュリー・アンドリュース』を取り上げていました。

内容としては、1993年にNHKホールで収録したコンサートと、最近の彼女へのインタビューを交えたもの。

今、彼女は72歳。

10年ほど前に声帯にできた腫瘍の手術の失敗がもとで、あの美しい歌声が失われました。
確かに、現在は話し声も少しかすれて聞こえます。

その発病より5年前のステージですので、あの伸びやかな歌声が溢れていました。

57歳の彼女でしたが、綺麗でしたねぇ。
映画の頃(28歳)より洗練されて、さらに美しく魅力的になった感じ。

もちろん、映画の中の"温かみがあって、くるくる変わる"表情はそのままでしたけどね。

彼女のステージを観ていると、とにかく気持ち良い♪
なんて言えばいいのかな、、歌が「元気」になる感じ。
音楽が、音符達が、弾むように踊り出すのね♪♪♪

彼女ならではの魅力だなって思いました。


今は子供達のために絵本や童話を書いていらっしゃるのだそう。

その童話の内、何作かを近々ミュージカルにするそうです!!

1999年頃から始めたそうで(35年前から書きためていたとのこと)、
娘さんと出版会社を立ち上げて、今は順調に進んでいる様子。

「自伝」も書かれたそうですので、是非ともいつか読んでみたいと思います。


彼女は子供達に「創造」する喜びを知ってもらいたいと言っていました。

あの名作「サウンド・オブ・ミュージック」のマリア役が『ジュリー・アンドリュース』で良かったと、やはり彼女しかいなかったと改めて思います。

彼女なしでは、ザルツブルクの魅力も伝わらなかったかもしれませんね。

「熱い人」はお好き?!

*ロダン作『Camille Claudel ~カミーユ・クローデル』
1884年、ブロンズ、高さ27.0cm 、ロダン美術館蔵
この作品は、ロダンとカミーユが出会って2年目のもの
二人の出逢いはカミーユ18歳、ロダン42歳。


先日、フランスはリヨン在住の「suzuran-rachelさん」の写真日記 ~ラベンダーの風~ を拝見させて頂いて、『ロダン美術館』の美しい階段に魅せられた私。
そのロダン美術館についての日記があるとのことで お邪魔してみました。

そこで、オーギュスト・ロダンの弟子であり、愛人( この表現は嫌いなのですが、)であった『カミーユ・クローデル』を発見。

彼女については、もう何年も前にTVを通して知っていましたが、
随分前(1988年 フランス)に映画化されていたことは知りませんでした。

11/12にも書いたように、『熱い人』が大好きな私は、今さらながらですが、早速 そのDVDを観てみました!!


う~ん、映画の流れとしては"もうひとつ"の感はありますが、
彼女を演じた『イザベル・アジャーニ』は素晴らしかった!!!
彼女の表情に引き込まれましたねぇ。
形相まで変化していく俳優さんを観たのは久しぶりです。

この人自身、かなり「熱い」方とお見受け致しました。
情熱的で、それゆえ狂気に陥る女性を演じさせたら右に出る人はいないようにも思います。


ロダンへの激し過ぎる熱情と、その破局。
平凡な男女の単なる別れであれば、カミーユもこれほどまで苦しまずにすんだでしょうに、、。

ロダンはロダンで長年連れ添ってきた内縁の妻を捨てるという悪役にはなりきれず、、。
優柔不断な彼は、結局カミーユを捨ててしまいます。

彼女はロダンへの愛情をもてあまし、それは強迫観念へと変化して、
とうとう自分を見失い、1905年に発狂してしまうのです。

1914年、彼女は精神病院へ幽閉されます。
1943年に亡くなるまで30年間、とうとう病院を出ることはなかったのだそう。。

なんという、生涯でしょう。(涙)(涙)
あ~ぁ、波乱に満ちたなどという"ありきたり"な言葉では表現できないように思えます。


そして、この作品を観て一番恐ろしかったことは、、、
『エディット・ピアフ』の映画を観た時、
〔 ピアフの人生を本当に理解することは私にとって到底無理なことですし、もし理解できる日がきたら、それはあまりにも恐ろしいこと (10/14日記)〕
私はそう感じました。
『フリーダ・カーロ』を観た時も、どこか客観的に眺めていた感があります。

でも今回、カミーユの精神が破錠していく過程が、なんとなくですが理解できるのです。(恐いっ!!)


彼女の情熱と才能は、彼女自身をも上回っていたのだと私は思います。

自分でも抑えきれない感情、芸術に没頭するだけでも まだ有り余る思い。。
天才の中でも、卓越した才能の持ち主故の悲劇でしょうね。

彼女の作品を実際に観たことはありません。
ロダンの作品だって、私、本物を観たことあるのかなぁ、、。

見終った後、写真集やパソコンから調べてみました。

「彫刻」というものは、やはり実際に観て、一番は触ってみることだと思うのですが、
写真を観るからに、カミーユの作品は傑作ばかりだと思いました。

非常に残念なことに、彼女は気が狂った時に作品の多くを壊してしまった、、。

彼女はロダンから沢山の影響を受け、師匠と仰ぎ、教えを受けたのでしょうが、
「ロダンよ、」
私は彼女の方があなたより一まわり大きな器を持った芸術家のように思います。

女は恐い!、でも女は凄い!んだってこと、ロダンはカミーユを通して心底感じたと思います。

そのカミーユの作品が、ロダン美術館の一室に展示されているのだという。

いつかパリのメトロに乗って、訪れてみたいと思っています。


*suzuranさん、ご紹介ありがとうございました。
私には、大変勉強になりました。

寒さに耐えた"ご褒美"☆

*NY バッテリー・パークの朝【'03.02.09】


今週は寒かったですねぇ。
日は少し長くなってきたようですが、寒さはこれからが本番!!
気合いを入れて、乗り切りましょう。
( しかし、私は少々 風邪気味...、大きな"くしゃみ"が聞こえたら、犯人は私です。。)


冬の寒さで私が一番辛く感じたのは、2003年、2月という真冬真っ盛りにNYを訪れた時のこと。


『NYの貴重な一日』については、('07.09.11日記)に書きましたが、
その中では軽く流した「自由の女神」観光。

これが最も寒かったっ!!
何かの試練かと思うほど、私には厳しかったのです。


相変わらず時間のない私ですので、朝一番にまっすぐ「バッテリー・パーク」へと向かいました。
この公園は、「自由の女神」がある「リバティ島」行きのフェリーが発着する所。

季節を選べば、海沿いの遊歩道をのんびり散歩するのもいいでしょう。
ここからは、小さいながらも、たいまつを持った右手を堂々と掲げる「自由の女神」がよく見えます。

まず、バッテリー・パーク内のクリントン砦の中庭でフェリーのチケットを買います。
そこからすぐの所に乗り場があります。

夏の観光シーズンは長い列を成すフェリー乗り場も、真冬の朝一番には人もまばらです。

それでも、乗船時のセキュリティ・チェックは厳しかったですね。

「9.11」のテロから一年半。
博物館も含め、女神の内部見学は一切できませんでした(泣)。。
王冠までの354段の階段を、"こんぴらさん"のある香川出身の私としては登ってみたかった(悔)。。。
・・・今はどうなのでしょう??

飛行機に乗るように、荷物とボディ・チェックを受けて乗船します。

屋外デッキからは、マンハッタンの街並みが一望でき、
島へ停泊する前には「自由の女神」正面へ回ってくれるので、寒くても船内には入りません。

風も冷たく吹いています。耳も切れるほどの寒さです。

えっ? 鼻水?
えぇ、えぇ、垂らしていましたよ。
垂らしていたことにも気付いていませんでしたよ。。

隣に座ったコロンビア男性と目が合う度に、「寒いねぇ。寒いねぇ。」と言い合っていました。

リバティ島では女神の周りを一周しただけですが、風のキツさと寒さでまともな写真は撮れませんでした。

凍えながら、鼻水を垂らしながら、バッテリー・パークに再び到着。

その頃には大道芸人達がそれぞれに愉快な芸を披露してくれていましたし、露店の土産物屋も並んでいました。

その何軒かで、今は無き『ワールド・トレード・センター』、そう"ツインタワー"の写真を売っていました。

『グラウンド・ゼロ』の為にNYまで来たのだから、一枚買おうかな。

それは、額縁に入ったコピー用紙B5サイズの大きさです。

どれにしよう、と覗き込んでいたら、インド人だという店員が声を掛けてきました。

「一人?」
「ええ、そうだけど。」

「この写真をあげるよ。」
「えっ?」

くれると言うのなら、もらってあげましょう。

その後も私は何枚かを見比べていました。

「今晩はどのホテルに泊まるの?」
・・・無視っ!!・・・

「ディナーを一緒にどう?」
・・・私、「どの写真にしようかな、、。」
「ねぇ、ねぇ。」・・・うるさいっ!!

「7時くらいはどう?」・・・しつこいっ!!

彼はその時、私が手にしていた携帯電話を見つけました。
( それは写真を撮るため。もちろん、電波は届いていません。)

「もう一枚あげるよ。」
「くれるの?」・・ここでは素直に反応。

「今晩、一緒に夕食を食べようよ。携帯番号を教えてよ。」

しっかり2枚の写真を手にした私、
「携帯番号はねぇ、、」
私が番号を調べるふりをしていたら、彼はしっかりチェック。
( もちろん、圏外ですけどね。)( ̄ー+ ̄)))

「絶対、電話するから! もう一枚もあげるよ。」

そんなに要らないけど、、まぁ、くれると言うのなら、、、。
( しっかりお土産に使わせて頂きました。今でも母と姉はこの時の写真を飾っています。)

決して金額の高いものではありませんでしたが、寒さに耐えたご褒美ということで、、。( ̄ー  ̄)

もし皆さんがバッテリー・パークで写真を高く売りつけられたら、それは、私の分も金額に含まれているのかもしれません。
その時は宜しくお願い致します。m(_ _)m

世界の祈り

*NZ クライストチャーチ 「ヴィクトリア・スクエア」の一角で【この写真は'01.12月のある日です。】


昨日は阪神大震災の様々な追悼行事が営まれ、多くの方達の鎮魂の祈りに伏す姿が新聞にも掲載されていました。

私も黙祷こそは捧げませんでしたが、毎年、気持ちの上だけでも手を合わせるようにしています。


それは、昨日も書いた8月6日も同じこと。

広島に縁のあった私は、「8.6」を無視することはできません。
なぜなら、広島の人達の「8.6」への思いを知ってしまったからです。

* * * * * * *

私は、2001年7月にNZへ渡りました。

語学学校へは8月6日から入学。

その間の半月、私はボランティア先を探す為にクライストチャーチの街中を歩き回りました。
(NZ版、ハローワークにも行きましたよ。)

たぶん、その時にどこかのビルのエレベーターの中で一枚のチラシを見たのだと思います。

【8/6 18:00~ ヴィクトリア・スクエアに於いて Hiroshima原爆の日、平和集会】

『Hiroshima』の文字にすぐ目がいきました。

えっ! クライストチャーチでも「広島の日」に何かするの?
私は、それは主に日本人の集会かと思いました。

私も行ってみよう!!

まだクライストチャーチの地理に疎い私でも、シティ中心部にあるヴィクトリア・スクエアなら分かります。

NZの8月は冬。
日も早く暮れてしまいます。

集まった人達を見て、少しビックリ !
日本人は2~3人しかいなくて、殆んど全ての方がクライストチャーチ市民でした。

今以上に英語が分からない私でしたから、ただ その場にいるだけしかできませんでしたけど。。。
詩を朗読する人、平和の歌を合唱する人、平和活動を訴える人など様々です。
1時間くらいのものだったでしょうか、私は共に静かな祈りを捧げました。

広島では太田川で灯籠流しをするように、
クライストチャーチではエイボン川にロウソクを流します。


( NZといえば、過去の大戦で日本の敵だったはず。
*北島にあるオークランド博物館3Fは戦争博物館になっていて、日本軍と戦って命を落とした人々の名前が壁一面に刻まれています。)


日本から10000kmも離れた一つの街で、こうやって同じ日に祈りを捧げている人達が沢山いること。

それは「Hiroshima」を通して、世界の平和を希求する姿でした。

私がただただ感動したことは言うまでもありませんね。


この地球上では、毎日のように争いが起こり、天災に見舞われ、多くの方が涙と怒りに溢れています。

でも その反面、
毎日のように、その争いや天災を振り返り、それによって命を落とした人々を悼み、祈る姿もそれ以上に溢れているのですね。

私が知らないだけで、今も平和を祈る人達の尊い思いが、世界を守っているのですね。

* * * * * * *

神戸の方達の「1.17」を思う姿から、そんなことを思い出しています。

『1.17』

『1995年1月17日、5時46分』

あれから13年が経つのですね。


私は当時、広島の大学生でした。

広島市では、震度3。
でも、私には無関係なこととは思えませんでした。


あの日、私は早朝6時からの清掃ボランティアの為に、自転車で広島駅近くへと向かっていました。

少々、遅れ気味。
私は通いなれた いつもの交差点で信号待ちをしていました。

東区スポーツセンター斜め前の大きな交差点です。

朝早いといっても、やはり広島も都会です。
ちょっと信号無視できる香川とは違いますね。(あくまでも自転車ですよ。)

その場所から広島駅までは、自転車で15分ほど。

信号が青に変わりました。
あ~、ギリギリで間に合うかなぁ~。。
腕時計を見ると、AM5:46。そう、あの時間。

きっと、私が自転車をこぎ出してから揺れたのでしょう。
私はあの大地震を全く気付きませんでした。

広島でもかなり揺れたそうです。
建物の5、6Fでは立って歩けないほどだったと聞いています。


大学にある大きなTVから流れる悲惨な映像。
それを見ながら、私は遡ること3年、大学受験を控えた秋の日を思い出していました。


その頃は志望校について悩んでいた時。

私は美術を専攻したかったので、国立大は教育学部の美術を受験することに決めていました。

私立大については、高校が普通科でしたので、実技を殆んどしていない私は美大を受けるなんてとんでもないことと思い、美学美術史学科を探していました。

神戸の近くで一校、推薦入試が取れそうな大学を見つけました。

私は早速、母と下見へ。

その帰り、神戸の異人館近くにあるお店で、愛らしい人形を見つけました。
それが、↑の写真。

二人が気に入ったので、迷わず購入。
大切に持ち帰り、ピアノの上に飾りました。

気持ちの上では、4月からオシャレな神戸の女子大生♪


そんなある日、今でも何故かは分からないのですが、
大きな音とともに その女の子の人形が転げ落ち、上半身と下半身が真っ二つに割れてしまったのです。
(すぐに接着剤でくっ付けましたが、)

それから間もなく、高校側からその年は推薦を一切しない話を聞きました。
(前年の結果が悪かったからでしょう。)

私にとって、推薦が取れないのなら、その大学に魅力はありませんでした。
それまでの縁ということで。。。


そんなことを思い出しながら、燃える神戸の町を見ていました。

もし あの時、神戸の大学へ行っていたならば、あの人形のように私が真っ二つになっていたかもしれない。。。
「身代わり」になってくれたんだ、、。


だから、私も神戸や淡路の方々の大惨事を他人事とは思えませんでした。


結局、神戸ではなく広島で4年間を過ごしたわけですが、
広島も60年前に被爆という大きな痛手を受けた町です。

人災と天災の違いこそありますが、どちらもあの途方に暮れた状態から復活した町。

広島の人達と接すると、あの体験が広島を大きく強くしたと感じることがあります。
広島だからこそ、乗り越えられたと思うこともありました。

同じように、
大きな傷を抱えながらも今を懸命に乗り越えてこられた神戸の方達。
もちろん、中越地方などその他の町もそうですけれど、こういった体験をされた方々は私では想像もつかないほどの苦労があり、それによって弱くも強くもなったことでしょう。

失った物は大き過ぎますが、それによって培われたものも大きいはずですよね。
そして、人の絆の大切さを痛感しました。

またも1月17日を迎えた今日、
新たに前を向いて 大きく進んでいただきたいと思います。

私は、そんな他人の痛みの分かる心を持っていたい思います。

Something Good

*映画『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台、「ヘルブルン宮殿」の庭園にあるガラスの家【'07.12.31】


この「ヘルブルン宮殿」は、大司教マルクス・シティクスが夏の宮殿として1615年頃に建てたもの。

一番の見どころは、水力を利用して作られた様々な仕掛けのある「Wasserspiele~水の庭園」。
ここはガイドツアーで見て回ります。

予想もしない所から、突然に水が吹き出してくるので、訪問した人達は歓声とともに、"ビチョビチョ"になってしまいます!!
涼しい顔をして立っていると、ガイドさんに狙われるので要注意ですよ☆

暑い夏にオススメの観光名所です。


そんな夏とは別世界の冬の離宮。
今回は『サウンド・オブ・ミュージックツアー』で立ち寄りました。

ここが最初に登場するのは、トラップ家の長女"リーズル"と、そのBoyfriendの"ロルフ"が踊りながら歌う、「もうすぐ17歳」のシーン。

そして、夜のとばりの中、トラップ大佐とマリアが心通わせ見つめ合う、最もロマンチックなシーンの舞台です♪


映画をご覧になった方は誰しも ここを訪れた時、思った以上に狭いことに気付くでしょう。

この場所では外側から全体を映しただけで、内部の映像は別にセットを組んで撮影されたそうです。
(ツアーガイドさんがそう説明してくれたのですが、、そう言っていたと思うのですが、私の英語力ですから間違っていたらごめんなさい。。)


この時のトラップ大佐とマリアが歌う、「Something Good ~何かよいこと」。
私が一番好きな歌です!!


《 Perhaps I had a wicked childhood
幼い頃、私はたぶん悪い子だった。

Perhaps I had a mis'rable youth
たぶん救いようのない娘だった。

But somewhere in my wicked, mis'rable past
There must have been moment of truth
でも そんなどうしようもない少女時代にも、真実の時がいつかあったはず。

For here you are standing there loving me
だって、あなたがこうして私を愛してくれているんですもの。

Whether or not you should
それは愛することが努めだからというものではなく、、

So, somewhere in my youth or childhood
I must have done something good
きっと私、子供の頃に何かよいことをしていたのね。


Nothing comes from nothing Nothing ever could
だって、無から生まれるものなど何もない。

So, somewhere in my youth or childhood
I must have done something good
だからこれはきっと、私が幼い頃に何かよいことをしたからなんだわ。》


* * * * * * *

私は今日、ある方の「涙」を知ってしまいました。

過去の自分の過ちが、今誰よりも自分を苦しめているのです。
「過ち」かどうかは私には分かりませんが、何かが道からずれてしまったのでしょう。

彼はもう十分に大人なのに、この先どう歩んでいけばいいのかを見失っています。


彼は私がNZにいた頃、「親愛なるpicchukoさん」という出だしでいつも優しくメールをくれました。


『無から生まれるものなど何もありません。』

確かに過去において、彼は何かを間違ったのかもしれない。

でも、何かよいこともしているはず。
*昔くれた、私への励ましだってそうですね。

間違いのない人生を送っている人などいないのですから、
彼の苦しみはそれ以上であってはならないと思うのです。

きっと彼も昔、何かよいことをしているはずですから、本当に耐えられなくなった時には私にできることを、いつでも手を差し伸べてあげたいと思います。

私こそ、間違いだらけの人生ですもの。
でも、私だって今までに何かよいことをしているはずですよね。

みなさん、そうですよね。

ジルベスター・ガラ・コンサート

*Mozart Kammerorchester Salzburg
Konzert um 22:00 Uhr im Furstenzimmer
Montag,31. Dezember2007


〈Programm〉

Mozart : Le nozze di Figaro ( Ouverture )
モーツァルト : 「フィガロの結婚 (序曲)」

Dvorak : 2 Walzer
ドヴォルザーク : ワルツ

L.Mozart : Alphornkonzert( Sinfonia da camera )
レオポルド・モーツァルト(父) : アルペンホルンコンサート (室内交響曲)

Mozart : Champagner Arie
シャンペンアリア

Mozart : Papageno Duett
歌劇「魔笛」より

Strauss : Pizzicato Polka
ヨハン・シュトラウス2世 : 「ピッツィカートポルカ」

Mozart : Ein nachtliches Standchen
セレナーデ

Strauss : Donner und Blitz
ポルカ「雷鳴と稲妻」

~~~ Pause 休憩 ~~~

Strauss : Wein, Weib und Gesang
「ワイン、女、そして唄」

Strauss : Schwipslied
「ベネチアの一夜」より

Brahms : Ungarischer Tanz
ブラームス : 「ハンガリー舞曲」

Kalman : Tanzen mocht ich
カルーマン : ワルツ

Strauss : Eljen a Magyar
ポルカ「ハンガリー万歳」

* * * * * * *

昨年暮れのホーエンザルツブルク城でのコンサート。

私は8月末、海外のエンターテイメントならお任せの「カーテンコール」さんにこのチケットをお願いしました。

というのも、7/16に「ミラベル宮殿」での室内楽コンサートに大満足した私は、次回もモーツァルトを楽しみたいと願ったからです。

〔A〕
コンサート (19:00) + ディナー (20:45) + レセプション花火 (24:00)

〔B〕
コンサート (22:00) + レセプション花火 (24:00)


一人の私は〔B〕を選びましたが、一緒に行かれる方がいらっしゃる皆さんは〔A〕が優雅でお洒落だと思います。


夜も更けて始まったコンサート。

ヴァイオリン4名、ヴィオラ2名、コントラバス1名、チェロ1名

カーテンコールさんがいち早く手配をして下さったのでしょう。
私の席は最前列の中央に近い場所でした。

少し伸ばせば、チェロに手が届きそう。

彼らは演出のプロでもありますから、様々なパフォーマンスで楽しませてくれます。

アルペンホルンを生まれて初めて聴くこともできました。
アルプスの羊飼いを想像させる身なりで登場!!
「プワフォー」と大きな音にはビックリしましたよ。

ソプラノとバリトンのデュエットも、
ワイン片手に"ほろ酔い加減"を装い、愉快に楽しく会場を盛り上げてくれます。
民族衣装も古い雰囲気溢れる城塞には"ぴったり"です。

お城の一室での小さなコンサートですので、観客と歌い手さん、演奏者さんが一体となって温かな空気が流れていました。

ステージの背後には、気の早い花火の打ち上げが窓から見えて、とても素敵。

そして、お隣になった老夫婦。
驚いたり、面白いことがある度に、私の方に顔を向けて声をかけてくれました。

私達は、その度 目を合わせ、"ふふふ" と微笑み合います。
何だか心まで柔らかくほぐされるようでした。


ウィーンとも違う、
一つの確かな気高い文化がここにも又、存在しているのです。

私までもが誇り高く感じていました。

ザルツブルク市民の方ならなおのこと、
この素晴らしい伝統と文化を誇らしくに思っていることでしょうね。

"シェイクスピア"にだって負けません!!

*今は真っ白な「ミラベル庭園」にて【'08.01.01】


昨日は皆さんから沢山の励ましのお言葉を戴きまして、ありがとうございました。

おかげで今は元気です。
(神様にイジワルされたのは、何も今回だけのことではないですものね。(*^_^*))

私は転んでもただでは起き上がりませんから!!


1/1にsuhさんを見送った後、私はしばらくの間、真っ暗な「ミラベル庭園」から大好きな「ホーエンザルツブルク城塞」を見上げていました。

後から後から溢れる涙。
でもそれは、Alexと会えなかったからだけではありません。

あまりにも白く浮かび上がったお城が美し過ぎたから。。

この街をまた後にしなければならないことに、悲しくて涙が止まらなかったのです。


そして私は思いつきました!!

大好きなザルツブルクを舞台に、大好きなAlexとの想い出を文章にしましょう♪

シェイクスピアにだって、ゲーテにだって負けません!!

『ロミオとジュリエット』に負けないお話を、
『サウンド・オブ・ミュージック』のようにザルツブルクの魅力溢れるお話を、
いつかこの想い出を ただ懐かしく感じれるようになったら書いてみましょう!!

そう思い立ち、ホーエンザルツブルク城に約束し、ミラベル庭園を後にした私です。


*次回からは、Alexとは違うザルツブルクの魅力をご紹介しますね。

神様は"イジワル"

*私とアレクサンダー大王(Alex) 【'07.07.16 ドイツ・ベルヒテスガーデンにて】


('08.01.04日記)に書いたように、今回のザルツブルクでは「Alex」こと「Alexander」との再会は実現できませんでした。

彼がイタリアへ引っ越した話を聞き、やはり寂しくて辛くて、ザルツブルクの雪景色に埋もれてしまいたいほどでした。


そんな想いをひきずっての、12/31の午後。
私はまず旧市街の中心にある『Residenz~レジデンツ』・・大司教の館 を訪れました。
*前回は胸がいっぱいで市内観光が全くできませんでしたので、今回が初めてです。


『レジデンツ』は、ザルツブルクを約1000年にも渡り支配してきた歴代の大司教の宮殿です。

現在の建物は、ヴォルフ・ディートリヒ大司教により1595年に着工の命が下され、1619年に完成しました。
それは約180もの華麗な部屋からなります。

公的な場所として使用された部屋としては、「会議の間」「謁見の間」「控えの間」など。
司教の権力を誇示する華やかで見事な装飾品が展示されています。

確かにウィーンの「シェーンブルン宮殿」には足元にも及びませんが、それでも6歳のモーツァルトが初めて大司教の前で演奏をした「会議の間」や、「騎士の間」など、至るところに興味深い話題が残っています。

ヴォルフ・ディートリヒ大司教は、「北のローマ」を目指して建てたそうです。


そんなレジデンツの内部を、入口で借りるガイドホン (日本語あり) の案内で見て回ります。

各部屋の説明とともに、それぞれの天井に描かれた絵画の説明も聞くことができます。

この日の私にとっては とても皮肉なことに、
この天井画は「アレクサンダー大王」の遠征について描かれているのです。

ガイドホンは部屋を進むごとに耳元で言います。

「これはアレクサンダー大王が初めて~した場面」
「次にアレクサンダー大王が~~。」
「この部屋には~するアレクサンダー大王が、、」
「続いて、これは~する〇歳のアレクサンダー大王」

腹立たしいほどに『アレクサンダー大王』を連発してくれます。


あぁ~、『アレクサンダー』、、『アレックス』、、、、

繊細で傷ついた乙女心(?)に塩を塗るようなもの。
さすがザルツブルク、「塩」の街ですね。(苦笑)。。

あまりにも続く「アレクサンダー大王」に、その名前の響きだけが頭に残り、
どうして このレジデンツに大王の絵が描かれているのか、
ザルツブルクと大王の繋がりがどういうものかという肝心なことを私は聞きもらしてしまいました。

帰国後に調べてみても分からない。。

アレクサンダー大王はギリシャ全土を従えたマケドニア王フィリッポス2世の子で、
彼はペルシャ軍を破り小アジアを平定し、エジプトを従え、最後にはペルシャ帝国を滅ぼしてインドまで進んだ東方遠征の話はあまりにも有名ですが、
その彼とザルツブルクの関係は?

それとも大司教がアレクサンダー大王を尊敬して描かせたのでしょうか、、。

どちらにしろ、あの日の私には切ない切ない名前の連続でした。


もし次にこのレジデンツを訪れた時、天井画の内容が変わっていたら (絶対に有り得ませんが)、私は大きく吠えますよ!!

『コッペリア』

英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団 『Coppelia』

1/11 19時~
於 : 兵庫県立芸術文化センター


〈Cast〉

スワニルダ : 佐久間奈緒
フランツ : ツァオ・チー
コッペリウス博士 : マイケル・オヘア


〈Story ~BRBパンフレットより〉

ポーランドのとある村。
青年フランツは、スワニルダという恋人がありながらも、最近ある女性に夢中。
その女性とは、老人形師・コッペリウスの家の窓辺で本を読む美しい娘コッペリア。

よそ見ばかりの恋人にヤキモキするスワニルダはコッペリウスの留守中に家の中に忍び込む。

大きな人形でいっぱいの薄暗い部屋の中、コッペリアを見つけたスワニルダは驚く。
なんだ ! 人形じゃないの !

ちょうどコッペリウスが帰ってきたので、慌てて身を隠すスワニルダ。

と、そこにコッペリア会いたさに なんとフランツが忍び込んできた !

自分が作ったコッペリアが人間になることを夢見ていたコッペリウスは、フランツの命をコッペリアに吹き込んで人間にしようと企む。

恋人の絶体絶命のピンチに、スワニルダが取った行動とは・・?!


〈見どころ ~同パンフレットより〉

19世紀末、パリ・オペラ座で誕生した、ロマンティック・バレエ最後の傑作『コッペリア』。

華やかなマズルカなどポーランドの民族舞踊も賑やかな第一幕。

ヒロイン、スワニルダが人形になりすまし踊りまくるコミカルなシーンが有名な第二幕。

そして、村の祭りでの「夜明け」「祈り」「結婚」など、色彩豊かな踊りがたっぷりの第三幕。

これこそまさにバレエの宝石箱です!!

* * * * * * *

バレエ公演を観るのは、今回が初めてです。

昨年、私が毎週日曜日の朝に見ていたNHKの英語番組の後、バレエレッスンが放送されていました。
何気なく観ていた私ですが、その優雅さに夢中になり、ぜひ本物を観たいという思いが高まりました。

そんな時、会員に登録している兵庫県立芸術文化センターから この『コッペリア』の案内が届いたのです♪


綺麗でしたねぇ。
踊りの優雅さはもちろん、その衣装の色合いも、舞台の大道具も、ライトアップによって一段と華やかで別世界です。

ストーリーが大変コミカルなものなので、あらゆる場面で観客から笑い声が漏れ、終始明るい雰囲気に包まれていました。


主役のスワニルダ役は日本人の佐久間奈緒さん。
ちょうど5日前の毎日新聞のコラムに彼女について載っていました。

17歳で英バレエ学校に留学した彼女は、言葉の壁と劣等感に悩み続けながらも卒業公演で主役に抜擢され、名門BRB~英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団へ。

正確な技術と日本的な繊細さ、英国仕込みの演技力を併せ持ち、
今や「最も詩的なバレリーナ」と、英国批評家からも評されているのだそう。

エリザベス女王の即位50年や80歳の誕生日など祝賀公演には、今回のパートナーでもある中国出身のツァオ・チーさんとともにカンパニー代表として踊られています。

彼女は周りの人達と比べると、決して背丈も高い方ではありませんが、とても舞台映えするバレリーナです。

細やかな技も表情も、何も分からない私でさえ、彼女が抜きん出ていることだけは分かります。

スワニルダというコミカルな役柄も、彼女の一挙手一投足によって非常にユーモアに磨きがかかり、とても愉快なものでした!!

相手役のツァオ・チーさんの踊りもジャンプも素晴らしく、この二人のペアは絶対にまた観たいと思います。

後ろで踊るアーティストの中でも、一人日本人女性がいました。
それは平田桃子さん。
彼女の踊りも目を引くものがあり、今後が楽しみです。

同じ日本人やアジア人の活躍を嬉しく感じました。
とても動きが繊細なのですね。


バレエは観る者をしばし現実から引き離し、幸せの世界へ運んでくれます。


〈ご案内〉

今回の英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団は12年ぶりの来日だそうですが、近々、姉妹カンパニーである英国ロイヤル・バレエ団も7月に来日します。

大阪公演のみ、あの「吉田都」さんが出演されますよ!!

*2008年7月8日、9日 19時~
於 : 大阪厚生年金会館
演目 :「オマージュ・トゥ・ザ・クィーン」
(エリザベス英女王の即位を記念して、1953年に創作されたものです。)

世界的英雄『エドマンド・ヒラリー』さん

*NZ 5ドル紙幣
表:登山家 エドマンド・ヒラリー氏
裏:「イエロー・アイド・ペンギン」・・NZのオタゴ地方 (南島東南沿岸)にしか生息しないペンギンです。


世界最高峰のエベレスト山(8848m)に世界で初めて登頂した『ヒラリー』さん。
彼は誇り高きニュージーランド人です。

1953年、英国のエベレスト遠征隊に参加。
ネパールのシェルパ民族のガイド、テンジン・ノルゲイさんと共にその年の5月29日に初登頂しました。

そのヒラリーさんが11日、88歳で亡くなられたとのニュース。


2001年、NZに渡った当初の私は一切を知りませんでした。
エベレスト山に初登頂したのがNZ人であること。
その男性の肖像がNZ$5紙幣に描かれていること。
それがヒラリーさんであること。

その話を聞いた時も、昔の人のことのようで、実はまだご存命中だったとは思いもしなかったのです。

だから、このニュースを知った時、つい先ほどまで生きてらしたことに驚き、
また、その偉大な方がお亡くなりなられたことに衝撃を受けました。

新聞を読んで、彼がいかに謙虚な方だったのかを今になって知りました。

・ エベレスト初登頂をめぐって、テンジンさんとどちらが先に頂上に立ったのか議論を呼んだ時。
彼はテンジンさんが亡くなる1986年まで沈黙を守り、99年に初めて自分自身の著者で自分が先だったということを明かしました。

・ 1924年に頂上付近で消息を絶った英国のジョージ・マロリー氏の遺体が99年に発見され、「初登頂はマロリー氏では?」という声にも、
「マロリーらの初登頂が証明されれば、喜んで事実を受け入れる」とコメントされたそうです。


ニュージーランドのクラーク首相は彼について、
「決意と謙虚さ、寛容さに満ちた人生を送った"巨人"だった」と、
又、「伝説的な登山家、冒険家、博愛主義者であり最も有名なニュージーランド人だった」と悼まれました。

ニュージーランドの国民的英雄、いえ、世界的英雄であるヒラリーさんのご冥福をお祈り申し上げます。

続・ザルツブルク行き

お馴染み「梅田大丸」へ行って来ました♪

今回は両親と一緒です。
3人で西宮市の兵庫県立芸術文化センターへ、「英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団」の『コッペリア』を観るために!!
このバレエについては改めましょう。


「梅田大丸」については、('07.12.01日記)にも書いた通り、私が最もお買い物を満喫できる場所。

毎度のことですが、いつもの「帽子屋さん」と「PELLE BORSA (鞄屋さん)」で。

ありました♪ ありました♪

私は人にも物にも"一目惚れ"するタイプ。
なので、あまり迷うことはありません。


まずは、1F「帽子屋さん」。
今回その一角では、小物のバーゲンをしていたので、帽子を置くスペースが随分と狭くなっていました。

あぁ、大好きな『Grevi』の品物がないっ。(∋_∈)

小物達はイタリア製のお洒落なデザインが大好きな私。

8月に神戸の"さんちか"の帽子屋さんも言っていましたが、季節早めにイタリア製とドイツ製が入荷かれ、遅れて日本製が店頭に並ぶのだそう。
もう、イタリア製のいいデザインのものは売れちゃったのかなぁ~、と力を落としました。

でも、ありました♪
日本製でも私好みの帽子さんが待っていてくれました♪

やっぱり、"一目惚れ"でしたね。(*^_^*)


続いて、3F「鞄屋さん」!!

ここでは、新作を見て楽しむだけのつもりでした。
というのも、先ほどの帽子でかなり張り込んだ私。もう散財はできません。

なかなか素敵な品物が並んでいます。
ほぉ~~。(*^_^*) 母と一緒に溜め息。

なかなか その場から離れない二人に痺れを切らしたのか、父が一言。
「本当に欲しいのであれば、買ってやるよ。」

えぇぇ~~! おぉぉぉぉぉ~~~! こんなこと、初めてです!!

「本当にいいのぉ~?」

生まれて初めて父親に感謝できた気がします。(*^_^*)


という訳で、またも次回のザルツブルク行きの帽子と鞄が揃いました!!!

鞄は季節を問わず使えそう。 帽子は次の冬用ですね。

もし今年も夏にザルツブルクを訪れるとしたら、、、
もちろん!! 夏の帽子はとっくに用意済みですよ。(*^0^*)/

はいっ! これから又、ザルツブルクへ向けて倹約とトイレ掃除の日々が続きます☆

あぁ~! ホーエンザルツブルク城 !

*ホーエンザルツブルク城塞より【'08.01.01】
うっすら雪化粧した世界遺産のザルツブルク旧市街、永遠に美しい街ですね。


私が迎えたカウントダウン。

2002年 : NZ・クライストチャーチ
2004年 : オーストリア・ウィーン
2005年 : オランダ・アムステルダム
2006年 : イタリア・フィレンツェ
2007年 : スイス・ ルツェルン
2008年 : オーストリア・ザルツブルク

雰囲気こそ それぞれに違いますが、やはりコンサートと花火が定番ですね。

でも今年は少し、いえ、かなりお洒落なものでした。

城下では、街中あらゆる場所から花火が上がっています。
それを上から眺めるという贅沢。

カウントダウンも間近になった頃、
城塞のふもとから城全体を包み込むほど大きな花火が打ち上げられました。

バーン、バーン!!
空一面に花火が広がります。

皆さん、真上を見上げて「うおぉ~~~!」というどよめき。

ズバーン、バーン!!
大きな大きな花火の音です。

耳を澄ましてみると、その間から大聖堂の鐘の音が聴こえてくることに気付きます。
街中の鐘も鳴り響いているようです。

それだけでも神聖で夢のような世界なのに、背後から流れる~ウィンナーワルツ~、、。
なんとも憎い演出でしょ。


そんな城塞からの帰り道、なんとなく下界に降りた感じです。

それほど、ホーエンザルツブルク城塞で過ごすひとときは天空の時間のよう。
寒さなど すっかり忘れていました。

『タリス』をとめた女☆

*ベルギーのとある駅 (アントワープからブリュッセルへ向かう途中にあります。)【'05.01.01】
結構 広い駅だと思うでしょう?
でも、この日は誰もいない、猫の子一匹もいない、寂しい風が吹いていました。。


「ザルツブルク」の旅日記に戻す前に、私が迎えた新年で、最もドキドキしたお話をしますね。

それは3年前。
オランダのアムステルダムで年を越した私は、「ゆかち」さんお薦めのブリュッセルにある「グラン・プラス」へ向かう為、新年一番の列車に乗ったのです。

その途中にあるアントワープは、「フランダースの犬」の舞台であまりにも有名な街。

ネロとパトラッシュが最期を迎えた「ノートルダム大聖堂」と、その中に実在する「ルーベンスの3枚の絵」。

欲張りな私の当初の予定では、ブリュッセルの帰りにアントワープにも立ち寄るというものでした。
それを考慮して、お馴染み旅行会社のMさんに新幹線『タリス』のチケットを往復手配してもらい準備OK。

ところが、日本からオランダへ向かう長い飛行機の中、私は気付いたのです。

夕方にアントワープ入りしても、日が短いこの時期、きっとノートルダム大聖堂の美しさがよく見えない、、。
*この大聖堂はフランドル地方最大のゴシック建築で、それはそれは見事なものです。

ならば、ブリュッセルへの行きしにアントワープで降りましょう、そう決めました。

前日の2004年12月31日、東京駅のモデルでもあるアムステルダム中央駅でチケットを変更しようとしました。

駅員さんは怪訝そうな表情で、「列車の中で話して下さい」。
まっ! ちょっと感じ悪いわよ、あなた!(`ヘ´)


正月一番、アムステルダム中央駅には大勢の人達でごった返していました。
色んな人種の方達がいます。

ヨーロッパでは初めての長距離列車。
生まれて初めて鉄道での国境越え。

私はいつも以上に興奮していたことでしょう。

贅沢に『タリス』1等車の席を選んでいます。

うふふ。 なんだかお嬢様にでもなった気分です♪

列車に揺られること数分。
"由美かおる"似?!の綺麗なお姉さん、フランス人の係員さんがチケットの確認に来ました。
私はアントワープで降りたい旨を伝えました。

彼女は笑顔でチケットをチェックし、
「ここに変更を書いておくから、またアントワープで乗車した時に見せてちょうだい」。

その後、
さすがフランスを走る列車、長身のハンサムさんが「ボンジュール、マダム~☆」と朝食を運んで来ます。

1等車に乗って良かった!!(*^0^*)
すごく優雅な感じです。(でも実際は機内食みたいなものですが、、気分の問題?)

満足な時間も流れ、アントワープ着。

私は列車から降りようと乗車口に立ちました。
ドアを開けるためのボタンを押しました。

! 開かない ! ! 開かない ! (°д°;;) 何度 押しても開かない。。

私は急いで隣の車両口へ行きました。

Too late...。

プシューッ、、発車オーライ!

きゃぁぁ、出ちゃったよぉ!!\(◎o◎)/

それを見ていた一人の女性も私を見て苦笑い、そして言いました。
「Too late.」


肩の力を落とし、元の席に戻りました。
それしかないですものねぇ。
やっぱりアントワープは帰りにしよう、、。

その時、先ほどの"由美かおる"似のお姉さんが飛んで来ました。
「ごめんなさい。降りられなかったわね。」
「アントワープではこの車両のドアが開かないことを言い忘れていたわ。」

どうも、この車両に座る人はブリュッセル行きの人ばかり?

彼女は私に付いてくるように言いました。

「あなた、アントワープへ行きたいのよね。」 彼女の勢いに、ただ頷く私。

「大丈夫。すぐに引き返せるわ。」
何がなんだか分からない私、でも彼女に付いていくしかないようです。

彼女は"???頭"の私を横目に誰かと電話でお話中。
どうも運転手さんらしい??

「この次の駅で止めてもらうから。大丈夫よ。」

えぇぇぇぇぇ~~!\(◎o◎)/
『タリス』をとめるのおぉぉぉ~~~!\(◎o◎)/

『タリス』は日本でいう新幹線のようなもの!!
その『タリス』を臨時停車させるというのです!!
それも私ひとりのために。
それも、私のちょっとした思いつきのためだけに(これは決して言えませんよね、恐ろしくて言えません)。

とある駅が近づきました。
『タリス』は減速します。

"由美かおる"似のそのお姉さんは、「大丈夫」という視線を投げ掛けてくれます。
( ̄○ ̄;) ( ̄○ ̄;)

「気をつけて行くのよ。 向かい側のホームだからね。」

『タリス』、停車。
彼女ともう一人の係員のお姉さんは、列車から乗り出すように手を振ってくれました。

プシューッ。ドアが締まります。

私も大きく手を振ります。
彼女達も私が見えなくなるまで、列車のドアから手を振り続けてくれていました。

信じられない出来事。
あまりにも親切すぎますよね。
今も彼女の笑顔をはっきり覚えています。


で、はたと周りを見回すと、、
当然のことながら、『ここは、どこ???(・_・;)』

又もや、( ̄○ ̄;) ( ̄○ ̄;)


余談ですが、これほど苦労して行ったアントワープの「ノートルダム大聖堂」。
元日の朝だった為なのか、ドアにはしっかりと鍵がかかっていました。
そのひっそりとした街に又も呆然と佇む私。

大聖堂の隅で作業しているおじさんに聞きました。
「いつ、大聖堂は開くの?」
「さぁね、いつかねぇ。。」
( ̄○ ̄;) ( ̄○ ̄;) ( ̄○ ̄;)

まぁ、私の旅はこんなものですけど。。( ̄○ ̄;)


改めまして、『タリス』のお姉さん、運転手さん、ご乗車のお客様達、
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

私はいつも、

私はいつも海外へ出ると、日本に向けて何通か「AIR MAIL」を書きます。

その年に特別お世話になった方、しばらく疎遠になってる方、ふとお顔が浮かんだ方、、、etc。
旅先で絵葉書を買う楽しみにもなりますね。

どうせ私の方が先に日本に着いてしまうのですが、それでも訪れた街の空気や匂いを運んでくれるようで大好きなのです♪

まして、いつもひとり旅ですから、カフェなどでペンを走らすなんて、ちょっと贅沢な時間じゃありませんこと?!


その中で、私が毎回 絵葉書を送る方がいます。
職場の前施設長のY.Kさん。

K施設長が退職されたのは2年半前のこと。
現職の頃はもちろん、今も私を大変気にかけて下さり、季節の葉書なども下さいます。

私も彼女が退職されて、だからこそ できるだけ以前よりも、その方とのお付き合いを大切にしていきたいと思っています。

お世話になったお礼もありますが (今なお、お世話になってばかりですが)、そのご恩を忘れる自分にはなりたくないと思うからです。

ついつい毎日に追われ、疎遠になってしまいますが、、。
*それは彼女に限ってではなく、大切なお友達 みなさんにもそうですね。
ごめんなさいね。


だから、旅先での絵葉書には重宝します。
こういう機会は、懐かしい方達との交流にも大切なものです。


そのKさんよりお返事が届きました。

『遥かザルツブルクの地から、ものすごく綺麗な絵ハガキが届きました。
何とも神秘的な色合いですね。
こんな美しい街を夏と冬 訪れたpicchukoさんブラボー!!...』

彼女は以前にカナダとスイスを旅したことがあります。
初めての海外カナダではロッキー山脈の雄大さに圧倒されたそうです。

次に訪れたスイスでも、360度に広がるアルプスや一軒一軒のベランダに溢れるお花達に感激感動し、スイスは世界で一番美しいと豪語します!!

私がそのスイスではなく、ザルツブルクを再び旅したことを知ると、彼女は何度も興味深そうに聞きます。

「ねぇ、スイスとどっちがいい? どっちが綺麗?」

スイスと答えてあげたいけれど、、。

それは各人感じ方が違うわけですし、縁や相性というものもあるわけですから、一概には答えられませんよねぇ。

『ウルス』ファンとしてもスイスと答えてあげたいけれど、
今の私にはザルツブルク以上の街はないようです。


でもね、ルツェルンもクスコもシェムリアップも、もちろんローマもクライストチャーチも、数えあげればきりがありませんが、どの街も本当に素晴らしい!!

色々な街を訪れる度に、もう一度来たいと思わされますよね。
だから世界中を全て回りたい欲張りな私は、最低でも世界を2周しなければならないわけです...。(*^_^*)


また、どこかの街から「AIR MAIL」を送りますね♪

~Danke schon♪~の街

*ミラベル庭園の夏と冬、手前に見えるのは「ペガサスの泉」です。【'07.07.16 & '08.01.01】
フィッシャー・フォン・エルラッハによって現在の形に設計された庭園には、ギリシャ神話に出てくるような石像に噴水と庭木、そして花壇が可愛らしく配置されています。

韓国人の友人Jeannaは、ウィーンの「シェーンブルン」に比べるとあまりにも小さい上に、思うほど綺麗じゃないと厳しく評価していましたが、私はこの場所が大好きですね。
ここからのホーエンザルツブルク城塞は堂々と私達を見下ろしていて、思わず額づいてしまいそうです。

花々が咲き乱れる夏の庭園があまりにも見事であることは言うまでもなく、
冬の凛とした空気の中、ここから見上げると夜空に白く浮かぶ城塞には、自然と涙がこぼれてきます。


昨年の夏のお話をしましょう。

このミラベル宮殿のすぐ北側に「Kurgarden~クーア公園」があります。

吹く風が心地よい早朝、私は列車に乗って「ハルシュタット」へ行こうとザルツブルク中央駅を目指していました。

"ちらっ"と横を見ると、仲の良い白髪の老夫婦が手を繋いで歩いています。

~なんて微笑ましいのでしょう。
なんだか、私までも幸せな空気に包まれている感じです。~

あっ、!!
その老婦人が石につまづき、転びそうになりました。

私も思わず駆け寄り手を差し伸べました。

"大丈夫、大丈夫。"

私の手が彼女に届くその前に、ご主人がしっかり彼女の手を握っていたおかげで、"しりもち"をつく手前で 体勢を立て直すことができました。

ほぉ~~。
3人とも胸を撫で下ろしました。

ご主人が振り返って私に一言、
『Danke schon!!~ダンケ シェーン』と軽く会釈。
奥様もはにかみながらお辞儀をしてくれました。

私もさりげなく、『Bitte schon!!~ビッテ シェーン』と言ってみたかったのですが、
ニコニコお辞儀をするだけで精一杯。(*^_^*)


今回のザルツブルクもあらゆる場所で、『Danke schon!!』が飛び交っていました。
その度に、あの老夫婦が思い出されます。

今も仲良く寄り添っていらっしゃるのでしょうね。

羨ましくもあり、憧れでもあります。

頬も心もほころびます。


きっと今も街中で、『Danke schon!!』が溢れていることでしょう♪

Alexのお友達

*レオポルツクロン城を背景に【'07.12.31】
一面真っ白な景色ですが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中では、トラップ家の子供達がマリアと船遊びをし、湖に転覆するシーンに登場します。
凍った湖面を私も歩いてみました。
私が乗って大丈夫なのですから、かなり分厚い氷なのでしょうね。
この場所と「ヘルブルン宮殿」では、ひどく吹雪きました。


12/31の朝、私は迷っていました。

宿泊先の「ホテル・モーツァルト」と、Alexと出逢うきっかけとなった「パノラマツアー」の申し込み所は、徒歩2分という目と鼻ほどの近さ。


「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」の出発は9:30。
7月に私とAlexが出逢ったのは9:00少し前。

寒さは厳しいけれど、早めに行って待ってみようかしら、、。
でも、ツアー会社の人に怪しまれるかしら、、、。
(夏に出逢った時、私とAlexが木陰でお喋りしていただけで、ガイドさんとその他のお客さんに冷やかされましたから、、。)

でもでも、もし彼が9:00に現れたりしたら、、きっと後悔してしまう、、、。

気持ちを固め、8:45 私はその場所に立ちました。


続々とツアー会社のバスが入って来ます。
全てサウンド・オブ・ミュージックの絵が描かれた赤いバス。

でもAlexが運転するのは超大型の「イエローバス」です。

次こそは、この後に来るバスこそはと、私は待ち続けました。

そこへ忘れもしない『あのイエローバス』!!

心臓が止まりそうでした。

でも、それも束の間。
運転手が違う!!
顔が違う!!

きっと同じバス会社の運転手でしょう。
ショックながらも、彼ならAlexを知っているかもしれない、、やはり心臓が飛び出しそうな思いです。

年はAlexより少し若い感じがします。
私が実際に会ったことのある男性の中で、1、2位を競う美男子です。

私の何か言いたげな表情に気付いた彼は、温かい笑顔と共に 身体を私の方に向け 待ってくれました。


「あのぉ~、あなた、Alexを知ってる?」

「Alexかぁ~。もちろん、知ってるよ。
彼は僕の友人さ。」

「今日は、、」
この場所に来ないの? という思いが溢れる私の目を見て、

「彼は今、イタリアだよ。」

イタリア? そのツアーはいつ帰国するのだろう、、。

「ここへは いつ戻って来るの?」
祈るような気持ちです。

彼は優しいけれど、非常に残念そうな瞳で言いました。
「イタリアへ引っ越しちゃったんだよ。家族全員でね。。」

あぁ~~~、遅すぎたのね、私。。。

私の気持ちを汲んだ彼は、
「Alexを想っていたんだね。」
「君はここに住んでいるの?」

「いえ、、」
そう言いかけて、私は自分が思う以上にAlexとの再会を夢見ていたことに気付きました。

とても素敵な想い出だから、そのまま"そっと"心に仕舞っておこうとしたけれど、その想いは知らぬ間に誰に対するものより大きくなっていました。

ハンサムなその運転手さんの言葉で、自分の気持ちに気付くなんて馬鹿な私です。

あまりにも優しいその彼の瞳に泣き出してしまいそうでした。
でも、あまりにも素敵なその彼の瞳に"クラクラ"ともしていました。
(私はかなりのイケメン好き?!)

その彼が次に何か言う前に、私は一言「ありがとう」とだけ言って、その場を立ち去りました。


Alexが今 どこにいるか聞けば良かったと思うでしょう?
でも私は、これもこういった縁なのだと悟ったのです。


その後、午後にツアーを終えた私は、旧市街へと足を速めていました。

後方から大きなクラクションが鳴り響きます。

何気なく振り返ってみました。

そこには、『あのイエローバス』!!!

中からは先程の彼が笑顔で大きく手を振ってくれていました。o(^-^)o

『ありがとう!(^o^)/』
心でそう叫びながら、私も笑顔で思いっきり手を振りました。


私の知るAlexは、ほんの数時間。
少しシャイで優しくて、、。
でも、それは彼のほんの一部分にしか過ぎません。

今回彼の友達に会えたことで、私の知るAlexは間違いなかったと思いました。
友達を見れば、彼がどういった人か分かりますものね。


もちろん、今もAlexが恋しいですし、会いたい気持ちでいっぱいです。
でも友達のハンサムさんにも、もう一度会いたいかな。(*^_^*)

ホント、彼の眼差しに足元から崩れそうなほど"クラクラ"しましたから、、。(*^_^*)

ザルツブルクは私好みの男性が世界一多い街でもあるようです。(*^_^*)

2008年幕開けの「トルテ戦争」

*昨日の日記で紹介した「マカルト小橋」からの「ホーエンザルツブルク城」と旧市街。【'08.01.01】
この景色はザルツブルクの象徴ですね。


この内容は、('07.10.03日記)「21世紀のトルテ戦争」の続編です。

決戦日は2007年12月31日!!のはずが、2008年1月1日!!
というのも、、、。(^。^;)


picchukoにとって、2戦2敗中のトルテ戦争。
最後の一口まで美味しく食べようと、今回も懲りずに戦いを挑んで来ました!!


カウントダウンも押し迫った12月31日の午後4時。
そろそろ『Sacher~ザッハー』に参りましょうか、そう決心をした私。

* * * * * * *

過去の敗因を改めて振り返ってみました。

第1戦. 2004年1月1日
一緒に頼んだコーヒーに砂糖を入れ過ぎたことで甘さ100倍!!
"朝一"ということも要因か、、。

第2戦. 2007年7月16日
真夏の昼下がり、川沿いのテラス席にて再挑戦。
暑さの為、少しするとチョコレートが溶け出してきて、、暑い盛りに食べる代物ではないらしい?!

* * * * * * *

やはり、戦う前には相手の出方をしっかり分析すること、これは重要ですよね。


今回は寒さ厳しい真冬、しかも時間帯は陽が傾いた午後4時過ぎ。

もちろん、コーヒーをブラックで飲めるまでに成長した私です。

念のために、もう一工夫。(^o^)/

カウントダウンを待つ町中に、屋台のお店が軒を連ねています。
甘さが恋しくなるように、私はレジデンツ広場にて "プライドポテトとマスタードがしっかり塗られたホットドッグ" を派手な音楽を背に頬張りました。

ここからカフェまで徒歩数分。
後味を残すために飲み物も我慢、我慢。。

おぉ~!! ザルツァッハ川対岸に「ホテル・ザッハー」は、まるで戦いを受けて立つかのごとく聳えているではありませんか!!

唾を呑み込み、扉を開きます。

あれっ?
ウィーンのザッハーとは少し色合いも雰囲気も違う?
前回はテラス席だったから気付かなかったのかしら?

覚悟を決めて、その紳士的なウェーターに、
「ザッハートルテとコーヒーを下さいな。」

「ザッハートルテはありません。」

えっ? ザッハーにザッハートルテがない???

確かに今日は大晦日。
いつも以上に多くの人で賑わっています。
売り切れだって仕方のないことでしょう。

そこで頼んだのが、ミカンのデコレーションケーキ。
口の中を塩気で満たしていた私には、この甘さが程好く、とても美味に感じました。

さすが!! 名門ザッハー!!
トルテ以外だって世界に誇れるはずです。
私的にはトルテより大々好き♪(*^o^*)

カフェの雰囲気もいい意味でウィーンのクラシックな感じ♪♪♪

大満足でカフェを後にしました。


そして一本道路を横切り、ふと目を向けると又も「カフェ・ザッハー」!!

へっ?????

振り替えると先程のカフェの店先に『CAFE BAZAR』の看板が!!!

(◎ o ◎)(*`θ´*)( ̄○ ̄;)

私は違う店に入っていたのかぁ~(><。)。。
もうっ! 気付きなさいよぉ~(><。)。。

確かにザッハートルテがない訳だ。。。
確かに器も違っていた。。。トホホ、、、。


その後、トルテに挑戦する勇気のない私は、大人しくホテルへ帰りました。


年を開けて、次の日。
10時半に今度は間違いなく『カフェ・ザッハー』の扉を引きました。
前日の意気込みはありません。

一気に食べると、また甘さに負けてしまうだろうと思った私。
優雅にも絵葉書にペンを走らせつつ賞味させて頂きました。

あぁ~、最後でまたも敗北。。。


まだまだザッハートルテとの戦いは続きそうです。。トホホ、トホホ。。(T_T)


追伸 : ガイドブックによると、『カフェ・バザール』は常連客も多く、静かにくつろげるクラシックなウィーン風のカフェ。
自家製のケーキも自慢だそうです。
これには、大いに頷けます。
宜しければ、ぜひ!!

まるで『お姉さん』のような方。

*ザルツブルク中央駅 「22番」ホーム【'08.01.01】
suhさんを乗せた「Inter City」は『12:03』、ザルツブルク中央駅へ入って来ました。
ちょっぴり恥ずかしくて、看板の後ろに半分隠れていた私です(笑)!


外国で誰かと『待ち合わせ』って、なんだか素敵だと思いませんか?

もちろんNZのクライストチャーチでも、お馴染み「大聖堂広場」は待ち合わせ場所No.1。。
でも、クライストチャーチは私達にとって決して「外国」ではありません。

だから、私にとって今回のsuhさんとの『待ち合わせ』は特別なものでした。

まして私が『お出迎え』だなんて、なんだかとっても嬉しいことではありませんか!!
\(^-^)/!!


ドキドキ、ドキドキ。胸が高鳴ります。
suhさんに会う前の数十分、二人が出逢うきっかけとなった「IL DIVO」の歌声を聴きながら気持ちを高めます。

ドキドキ、ドキドキ。ウルスの声に、ホームの「Salzburg」の文字に、またも涙、、、。

ドキドキ、ドキドキ。泣き顔では、初めて会うsuhさんにあまりにも失礼。。

ドキドキ、ドキドキ。涙を拭いて、気持ちを入れ直します。

「suhさんですか? はじめまして、picchukoです。」

ここザルツブルク中央駅は、去年の夏には韓国人のMijungやJeanna達とお別れをしたところ。
出逢いも別れも、、素晴らしい想い出を引き立たせる場所ですね。

suhさんは不思議な方。
初めてお会いしたのに、ずっと以前からこうやってお喋りしていたような、まるで「お姉さん」のようでした。

まずはバスに乗って「ミラベル庭園」へ。
本当はお花が咲き乱れる庭をお見せしたかったのですが、今は白一色。
ここは私の大好きな場所ですから、一番にsuhさんをお連れしたかったのです。

そして、「モーツァルトの住居」前を通り、「マカルト小橋」を渡り旧市街へ。
*この橋から仰ぐ「ホーエンザルツブルク城」と旧市街はあまりにも美しいですよ。

そして、当然のこと「ゲトライデガッセ」を可愛い看板を見ながら通り抜け、「馬洗い池」を横目に「祝祭劇場」前を歩きます。

この「祝祭劇場」は有名な夏の「ザルツブルク音楽祭」メイン会場♪
ウルスは以前、この音楽祭でコーラスに参加したことがあります。
彼もこの道を歩いたことがあるのですね。
そんなウルスが大好きな二人には、なんとも嬉しくなる道です!!

suhさんは16:53の列車で帰ってしまいます。
本当はもっとゆっくり沢山のザルツブルクをお見せしたかったのですが、何より一緒に行きたかった場所は、「ホーエンザルツブルク城塞」。

ケーブルカーから降りた私達の前に広がるのは、雪に覆われて一段と美しい街「ザルツブルク」でした。

この景色って、思わず抱きしめたくなりますよね。
suhさんもそうだったかしら?!

そのお城にあるレストランでランチをしました。

suhさんはオーストリアならではの「ヴィーナーシュニッツェル」を、
私は「Salzburger...」と書かれた牛・豚・鶏肉を平凡に味付けて、それにポテトを添えたものをお願いしました。

以前、ウィーンで食べたヴィーナーシュニッツェル、、
あまり私とは相性が良くなかったのですが、今回suhさんのお皿に溢れる仔牛肉の料理はとっても美味しそう。
「次回はあれだっ!」と内心こっそり決意する私。。


suhさんの前では不思議と正直になってしまいます。
(あっ! いつもが"嘘つき"って意味ではないですよ!)

あまりにも温かいオーラを持った方で、優しい空気溢れる方。
でもドイツに単身で渡り、移住されるくらいですから、内なるものに熱い何かをお持ちなのでしょう。
憧れますね。(*^_^*)

私もsuhさんのように、早く自分本来に戻れる場所を見つけたいです。
人生の分岐点に立っている私には、思う以上にこの出逢いは今後に影響を与えるものと信じています。

あっという間の5時間弱。

でも何故か、これが最初で最後のようには思えないのです。
きっと又すぐに再会できる。
必ず近いうちに再会できるという確信があります。

お見送りは非常に淋しいものでしたが、そんな気がしてならない私は次回が楽しみでなりませんでした。

suhさん、元日という一年で最も大切な日に、私の為に国境を越えてまでザルツブルクに来て下さってありがとうございました。
これからも末長く、宜しくお願い申し上げます!!

本年も 宜しくお願い申し上げます。

*ザルツブルクでの大晦日の花火!!
(写真は絵葉書のものです。
実際の私は、ホーエンザルツブルク城でのジルベスター・ガラ・コンサートの後、街中を覆う花火を城塞から眺めていました。
次回はこの写真のように、城下から見上げるのも素敵でしょうね。o(^-^)o)


1/3の朝、私は無事に帰国致しました。
12月30日に出国して、1月3日には日本にいるのですから、毎度のことながら、なんて目の回るような旅でしょう。


今回の旅も昨年夏と同様に、沢山泣いて笑って、また泣いて、、、ザルツブルクは私の心を(いい意味において)、乱さずにはおられない街のようです。


何からお伝えしましょうか。。

頭の中を整理する為に、まずは行程を記してみますね。


★12月30日(日)

17:40 ザルツブルク空港定時着

18:10 ホテルチェックイン

18:30 新市街クーア公園周辺を散策

19:00 『マリオネット劇場』へ
・19:30~21:30 「ヘンデルとグレーテル」を鑑賞



★12月31日(月)

8:50 Alexのお友達に会う(偶然?)

9:10 ミラベル庭園散策

9:30~13:30「サウンド・オブ・ミュージック」ツアー参加
~パノラマツアー~

・『レオポルズ・クローン城』===小舟に乗るマリアと子供達が湖で転覆するシーン。

・『ヘルブルン宮殿』===トラップ大佐とマリアが想いを通わせるシーン&「もうすぐ17才」にも使われています。

・『フシェル湖(車窓より)』

・『モンテゼー教会』===マリアの結婚式が撮影された教会。


14:30~15:30 大司教の館『レジデンツ』

15:30~16:00 『大聖堂』

16:00~16:30 『レジデンツ広場』・・・新年を祝い、若者達によるコンサート(年を明けて、夜中1時過ぎまで賑わっていましたよ。)

16:40~17:30 『Cafe Bazar』

その後、ホテルに戻り少し休憩(カウントダウンに向け、エネルギー補給)

20:40 『リンツァーガッセ』、『ゲトライデガッセ』など歩行者天国の通りをぶらつきながら『ホーエンザルツブルク城』へ

22:00~23:40 「ジルベスター・ガラ・コンサート」

23:45~00:20 花火

01:00 ホテル着



★1月1日(祝)

9:00~10:30 『モーツァルトの住居』・・・彼はここで1773年~81年と住んでいました。

10:30~11:20 『Cafe Sacher』・・・ここでは長年の対決、「ザッハートルテ vs picchuko」が繰り広げられます。

11:50 ザルツブルク中央駅へ

12:03 suhさん、「Inter City」にて到着♪・・・ドイツの古都「アウグスブルク」から「ザルツブルク」までは超特急で2時間半~3時間もかかります!!
suhさんの温かさに感謝でいっぱいです。
ありがとうございました。

12:15~13:30 市内散策

14:15~15:30 「ホーエンザルツブルク城」のレストランにてランチタイム

15:45~16:45 駆け足で市内を回る・・・『モーツァルト広場』に立つモーツァルト像、かなりハンサムでしたね。(*^_^*)

16:53 suhさん、アウグスブルクへ(;_;)(淋)(泣)

17:15~18:30 『ミラベル庭園』より夜空に映えるホーエンザルツブルク城を見上げ、佇む私。。。

Alexとの想い出の場所をゆっくり踏みしめながら、ホテルへ帰りました。



★1月2日(水)

9:55 ザルツブルクを後に、、(号泣)


ホーエンザルツブルク城はただ黙って、私を優しく包み込んでくれました。
私の気持ちは、ザルツブルク城のみ知っています。

やっぱり、ザルツブルクとのお別れは心を引き裂かれるほどの悲しさでした。

何故だろう、こんなに一つの街に想いが溢れるのは、、、。

5ヶ月前も今回も、『Salzburg』という文字を見ただけで涙腺が緩んで、
街中でも、空港でも、一人泣いていた私です。


宜しければ、また お話し聞いて下さいね。

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