I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
MENU

Propaganda~プロパガンダ

*『祖国フランスの地が平穏な世界を快復できるように、1918年度国債を買え』 B.Chavannaz(シャヴァナス)作


話しが前後しますが、ひろしま美術館で開催されている「田園讃歌」について、自分が忘れない為にも もう少し書いておきたいと思います。

説明によると、
この展覧会はミレーの「落ち穂拾い、夏」とモネの「ジヴェルニーの積みわら、夕日」を核として構想され、収穫図や農耕図など田園主題の絵画の展開を辿り、西洋と日本の比較を交えながら考察していきます。
さらにポスター、写真などの作品や資料を加え、多角的な視点で紹介を試みます、とあります。

展示内容は以下の通りです。
1. 豊饒の大地と敬虔な農民たち ―ミレー《落ち穂拾い》とその周辺
2. 近代都市パリを離れて ―印象派・ポスト印象派の田園風景
3. 日本の原風景を求めて ―近代絵画に見る田園風景
4. 何処から、そして何処へ ―ポスター、写真に見る田園風景


近頃の私は、メッセージ性の強い作品が好きです。
ですから、今回の展示の中でも特に目を引いたものは、プロパガンダの役割を果たしたポスターでした。

↑のポスターを描いたシャヴァナスは、第一次世界大戦下のフランスにおいて、情報戦や国内大衆に向けた政治的意図を持つ宣伝のために 急速に発達したポスターを手掛けた画家でした。
生没年も経歴も不詳です。

当時、フランスは多数の国債を発行し、その購入を促すためのポスターが頻繁に制作されたそうです。

彼の作品では、
フランスの国力や希望に溢れた未来を謳い上げるモチーフが取り上げられ、国威発揚といったプロパガンダ的な役割が表れています。

こういった 絵画や音楽の側面って面白いですよね。


いつの時代もそうでしょうが、誰しも何らかのプロパガンダの宣伝効果に惑わされ、踊らされています。

特に現代は情報がなくてはならない時代。
だからこそ、情報の取捨選択を自分で見極める力が必要不可欠な厳しい時代。
私は現代の落ちこぼれだなぁ~、と思います。


ちなみに、↑の絵のような農耕の様子はモチーフとしてしばしば登場しており、農業国フランスの豊穣な姿や大地の担う意味、農産業の重要性などが強調されているのですって。。

この他にも、大戦で食糧難に陥ったヨーロッパを憂慮してアメリカが行った食料節約運動の一環として、アメリカ食糧局が発行したポスターも展示されていました。

一枚の絵に広がる歴史や背景には、現代にも通ずるテーマが潜んでいますので、いくら見ていても飽きることはありませんでしたよ。

こういうプロパガンダを研究するのも非常に面白いかも、、。

スポンサーサイト

宮島でのお宿は・・。

*宮島の古い町並み【'08.02.24】


今回の小旅行で泊まった宿は、旅荘『かわぐち』さん。

宮島の商店街には、もみじ饅頭などのお土産屋さんと並んで、「世界一の大杓子」が展示されています。(長さ7.7m、幅2.7m、重さ2.5t)
平成8年12月に厳島神社が世界遺産登録されてから、今の場所に置かれているとのこと。
*宮島の杓子は、江戸時代の僧「誓真」が琵琶の美しい形から着想したそうです。

その大杓子を少し越えて、商店街を一本奥に入ると、人気(ひとけ)の少ない古い昭和の面影を残した通りにでます。↑

旅荘『かわぐち』は、そんな通りの一角にあります。

ほんのちょっと歩いて 階段を駆け上ると、そこにあるのは朱色に染まる五重塔です。
五重塔の眼下には厳島神社が見えていますよね。


この旅館はとても清潔で、おかみさんも素朴で古風な方。
彼女の持つ空気にホッと一息つけそうです。
1Fお風呂も貸し切りにしてくれますし、ダイニングも2F客室も「和」の雰囲気たっぷりの照明です。

私達が泊まった"紅藤"というお部屋は6畳間。
決して広い訳でもなく、特筆するような宿ではないけれど、その昔ながらの「くつろぎ」に癒されます。

私もきょんさんも、旅行といえば最近専ら海外です。
畳の上に寝そべって、、、和紙で囲ったちょっと暗めの照明と、薄明かるい光が射し込む障子、まぁるい"ちゃぶ台"がなんとも日本チックで気に入りました。

3Fには窓辺に並ぶ椅子やソファーに腰掛けて、海と町並みを見下ろせるパノラマ空間があります。

また宮島に泊まることがあれば同じ旅館に宿泊し、懐かしい景色を眺めながら読書でもしたいなぁ、と思っています。



《旅荘 かわぐち》
address: 広島県廿日市市宮島町469
TEL: 0829-44-0018
HP: http://www4.ocn.ne.jp/~kawaguti

ご馳走様でした。

*写真では分かりにくいですが、雪の舞う『錦帯橋』です。【'08.02.24 山口県岩国市】


今日の仕事帰り、ふと空を見上げると、昨日 岩国で見た「シロヘビ」のような雲がたなびいていました。
これは大幸運の予兆?!

蛇って、、実は私も大嫌いなのですが、、
天然記念物「岩国のシロヘビ」だけは大変美しく、いつまでも見ていられます。
赤い目がつぶらで可愛いですね。

どうも400年ほど前にアオダイショウが色素細胞のない変種となって、それが遺伝して生まれてきたのだとか。
岩国だけに生息している蛇です。

岩国ではシロヘビが住み着けば端兆と喜ばれ、福運金運の神のつかいと言われているのも何だか頷けますね。

* * *

宮島を後にした私ときょんさんは、一路「岩国」へと向かいました。
宮島口から岩国まではJRでおよそ20分。

「錦帯橋」は、岩国駅からバスで15分くらいです。


ここは私が大学4年生の頃、友達とよくドライブで来た思い出の場所。
誰もいない夜中にも、幾度も橋を渡ったことがあります。

きょんさんは仕事柄、何度も観光客を連れてこの橋を渡りました。

数秒差で行きのバスを逃した私達は、タクシーで錦帯橋まで走りました。

さすがは添乗員のきょんさんです。
まるで初めて来たかのようにタクシーの運転手さんから情報を集めます。
「岩国寿司って、どこで食べられます?」


錦帯橋を渡ったすぐの所に「佐々木屋小次郎商店」というお店があります。
*岩国は佐々木小次郎の出身地とされ、橋のたもとには小次郎が"つばめ返し"を編み出したとされる柳の木が寂しそうに立っています。
(彼の出生地も色々な説がありますが、)

この佐々木屋小次郎商店が有名なのは、日本一とされるソフトクリームの専門店ゆえ。
とにかく種類が豊富です。

しかし、ここでは私達はソフトクリームでなく、「岩国寿司」を食べました。

ご存知、岩国寿司は一見鮮やかなちらし寿司風の押し寿司です。
レンコン、椎茸、錦糸卵、穴子、しその葉、瀬戸内の魚などをふんだんに用いたもの。

お寿司だけでは物足りず(?)、店頭で売られている「レンコンコロッケ」も頬張るきょんさん!!
このコロッケ、"しゃきしゃき"してて、かなりGoo~dです!!
レンコンは岩国の名産です。
*きょんさん、一口ありがとう。o(^-^)o


実はこの小次郎商店のすぐ隣りには「むさし」という、これまた何十種類ものソフトクリームが並んでいるお店があります。

そう、「佐々木小次郎vs宮本武蔵」ですね。面白い♪(*^_^*)

ここは小次郎に対抗してできたお店(むさしの方が後に出店)で、ソフトクリームの種類はむさしの方が多いようですよ。

きょんさんが選んだ「夏みかん」味がとっても美味でした♪
そうそう、ソフトクリームも食べたのです!!

私が学生の頃は、先ほどにも書きましたように、ここを「夜中」に訪れることも"しばしば"。
ですから、お店が閉まっていて当然ですよね。
今回、まるで初めて来た観光客のようにはしゃぎまくりました。いえ、食べまくりました。

懐かしい場所での新しい発見☆
ますます、錦帯橋が好きになった私です!!

*、、、しかし読み返すと、錦帯橋については全く触れていないですね、私、、、。(^_^;)

想いは通じる?!

*安芸の宮島、雪に覆われた『厳島神社』
【'08.02.24 am7時過ぎ】


もうすぐ新幹線に乗り、広島を経ちます。

16時15分、広島駅新幹線口より空港へ向かう「きょんさん」を見送った後、
駅前にある福屋デパート10Fの書店に立ち寄りました。

実際に手にとって本を選ぶ時の"わくわく感"が好きな私。
香川の書店では本の種類も少なく、私の興味をひくようなものに出会うことは稀ですので、書店を覗くことも四国を出る楽しみの一つです。

今日も迷いに迷って2冊を手にし、かなり嬉しくなっています。

* * * * * * *

昨日のことです。
JR広島駅から一駅、横川駅近くにある『得』というお気に入りのお店で「広島風お好み焼き」を食べた私達は、その足で宮島へと向かいました。

一旦 船で宮島へと渡り、可愛い鹿と戯れながら厳島神社を参拝しました。

*おみくじ: きょんさん=末吉、私=平
私、"待ち人来たらず"ですって!
ぷんぷんっ! 私は待たずに自分から行っちゃうんだから!!(`ε´)
片や きょんさんは、"待ち人来たる"ということで、嬉しそうに その"おみくじ"の写真を撮っていました。


その後、宝物館の刀や"平家納経"の複写などを見て、
商店街では"もみじ饅頭"を揚げた新名物「揚げもみじ」を食べ、藤い屋さんでも もみじ饅頭とお茶を頂き、、。
*ホント、食べてばかりですね。(*^_^*)


夕食は「あなご飯」と決めてはいましたが、問題はどこで食べるかです。

きょんさんが若かりし頃(?)に食べたものも、私がいつも行くお店も対岸の宮島口にあります。

宮島で宿泊する私達ですが、"あなご飯屋さん"の為だけに、もう一度フェリーに乗船することとなりました。

船を待つ私達が"ふと"見上げると、そこに飾られているのは雪化粧をした厳島神社の写真。

私はきょんさんに、「宮島の雪景色を見たいねぇ。綺麗だろうねぇ。」って軽い気持ちで言いました。

きょんさん、「えぇ~、寒いからやだよぉ~。」

o(^―^)o
その数分後、フェリーから海を眺めていると、白いものが"ちらほら"と、、。

きょんさん、「picchukoが変なこと言うから、雪が降ってきちゃったじゃないの!!」(`o´)
決して、私のせいではあるまい。。

あなご飯を食べている間も降りしきる雪。

"しばれるねぇ~"、、震えながら、帰りのフェリーに乗りこみました。

でも私達が宮島に渡り終えた頃には雪はやんでいました。

* * *

今朝、窓から外を見ると!!
昔ながらの懐かしい町並みはうっすら雪で覆われているではありませんか!!

私は思わず声をあげて喜びました。

早速、布団の中にいるきょんさんを置いて、まだ人の少ない宮島を散策して来ました。

人気のない静かな雪の宮島は、観光地としてではなく、また別の表情を私に見せてくれました。


『雪の宮島もいいだろうな。。』  ふと思っただけのことですが、、。

想いは通じるものですね。o(^-^)o

『田園讃歌』 inひろしま美術館

*ミレー『落ち穂拾い、夏』


「きょんさん」との待ち合わせは午後1時。

少し早めに広島入りした私は、今 ひろしま美術館のカフェで寛いでいます。


本日より4/6まで、「ひろしま美術館」に於いて、『田園讃歌 ~近代絵画に見る自然と人間』が「ミレーの《落ち穂拾い、夏》が広島にやってくる!!」と称して開催されています。


私は大学時代から、この美術館の雰囲気が大好きなのです。

今回は偶然にも特別展と重なりましたが、常設展も何度足を運んでも見応えがある作品ばかり。

美術館入口の庭園には、1978年11月にこの美術館の開館を祝して、ピカソの子息クロード・ピカソより贈られた「マロニエ」が植えられています。
4月下旬~5月上旬にかけてピンクの可憐な花を咲かせてくれるそうです。o(^-^)o


この↑ミレーの《落ち穂拾い、夏》は、一般的によく知られているオルセー美術館蔵のものよりもかなり小さな作品で、1853年にパリの建設家アルフレッド・フェイドー氏から四季連作の1点として注文されたもの。

フランスでは、小麦の収穫は7~8月にかけて行われる為、ミレーは「夏」の場面に「収穫」を選んだそうです。

説明によると、
農民の労働力の結晶であり豊饒の象徴である積みわらの前で、3人の女性達が収穫後に残った落ち穂を拾っています。
フランスでは刈った穀物を全て収穫せず、畑を持たない貧しい人々のために残しておく習慣があったのだそう。

ミレーが感銘を受けたその光景から、その当時のフランスの田舎の様子が窺い知れて面白く鑑賞できました。

多くのバルビゾン派の画家の作品、また彼らに影響を受けた日本人画家 (浅井忠、岸田劉生など)の作品も見ることができます。


130年ほど前の日本の田園風景の写真も展示され、今では決して見ることのない農民の姿も興味に尽きないものでした。


それらは全て、静かではありますが、力強さを持った「生きる力」が表れた作品ばかりです。

見ている私の方が負けてしまいそうなほど、逞しく生きる姿がそこにはありました。



注: 午前9時から午後5時まで、会期中は無休です。

マチュピチュ列車は今日も往く。。

*マチュピチュ麓の町、アグアス・カリエンテスにあるジェシーお薦めのレストランにて
ピザがとっても美味しいお店でした。【'02.03.15】


『インカ・マヤ・アステカ展』にはマチュピチュのジオラマが置かれてあります。
ここで、私のすぐ後ろにいた女性二人の話し声が聞こえてきました。

「私がマチュピチュへ行った時、天候が悪くて遺跡に入れなかったんだよね。」
「え~、そんなことってあるの?」
「また行くにしても、簡単には行けないよねぇ~。」

ご存知、マチュピチュは「空中都市」の異名を持ちます。
遺跡に入れないからといって、「じゃあ、遠くから眺めましょうね」、、って訳にはいかないのです。

マチュピチュは、チケットを買って、ゲートをくぐって、そして"くねくね"した山道を登りつめてはじめて、"あの"姿を現します。

地球の裏側まで行ったのに遺跡に入れないという不運なことは非常に稀だと思いますが、
今後行かれる方には余裕のある日程の組み方をお薦めしますね。

クスコからの日帰りはちょっと勿体ないように思います。

* * *

クスコからマチュピチュへ向かう時、
大抵の方は『アウトバゴン』という特急列車を利用することになるでしょう。

『アウトバゴン』には車内販売のサービスもありますし、時にはアンデスの音楽を流してくれます。
列車の中で購入したそのCDは、今でも私のお気に入りです。


ジェシー率いる私達7名はマチュピチュからクスコへの帰り、オリャンタイタンボというインカ帝国時代の要塞跡のある町までその列車に乗りました。

そこで、私とオーストラリア人・パトリシアと向き合う形でアルゼンチン人のご夫婦が座りました。
真ん中にはテーブルがあります。

マチュピチュを出発して数分、お喋りなパトリシアが黙っているはずがありません。

気が付けば私達4人は、パトリシア中心に会話が弾んでいました。
パトリシアはオーストラリアから持ってきた小さなコアラの人形やオーストラリアの名所の写真などを拡げ、私達に説明します。

オーストラリアの"90マイル・ビーチ"の写真を前に私は、
「NZにも90マイルビーチがあるよ!」と"つい"口を挟みました。

するとパトリシア、
「NZはなんでもオーストラリアの真似をするんだからっ!!」
珍しく少し"ムッ"とした表情です。
*オーストラリアとNZの仲があまりよろしくないのは、まんざら嘘ではないようです。。


少しして、アルゼンチン男性がコーヒーを飲みはじめました。

その時、私は"ふっ"と思いついたように、彼に言いました。
「今、アルゼンチンの硬貨を持ってるの?」
持っているなら見せてほしいなぁ、というのが本心。

「荷物の中にあると思うよ。」
人の良さそうなその彼は、親切にも頭上の棚に乗せてあった荷物から硬貨を取り出そうとしました。

その時です。
列車は大きなカーブに差し掛かり、大きく"ぐらっ"と揺れました。

彼の体も大きく傾きます。

あっ!

パシャ~!! w(☆o◎)w
彼が手にしていたコーヒーが、彼の前に座っていたパトリシアのズボンにかかってしまったのです。

その日のパトリシアが履いていたのは"真っ白"なズボン!!

Oh!!! No!!!!! \(◎o◎)/

白色に茶色の大きなシミが広がります!!!

誰もが驚きました。
誰もがパトリシアの反応を見ていました。

「きゃはははははは!」
パトリシアは車両いっぱいに響き渡る甲高い声で笑いだしました。

私は一瞬、彼女の気が触れたのではと思ったほど。

その後の彼女がとった行動は、、。

そこら中の乗客に、
「見て、見て!! 私のズボン、こんなになっちゃった!!」と見せびらかし始めたのです。

「ごめんなさい。」、、私とアルゼンチン男性のお詫びの言葉にも、
「気にしなさんな。こんな愉快なことはないわ!!」

まるで、みんなの注目を一身に浴びたことを喜ぶかのように、、。
この日から、私の中にあるオーストラリア人のイメージは、世界一おおらかな国民性。


今日もあの列車は様々な思い出を乗せて、マチュピチュへと向かっていることでしょう。

パトリシアは今もあの列車での出来事を忘れずにいるでしょうか、、、。

夢とロマン

*上段 左より「ワシの戦士(アステカ)」・「チムーの金の装身具(インカ)」・「雨の神トラロック(アステカ)」
中段 「鳥形貝製装飾品(マヤ)」・「足形彩文土器(アンデス)」
下段 「キープ(インカ)」・「ヒスイ製仮面(マヤ)」・「ミクトランテクトリ神像(アステカ)」


今日は有休を頂いて、2/10に行った『インカ・マヤ・アステカ展』を再度見に行きました。
今回は一人でしたので、音声ガイドを借り、自分のペースでゆっくり見ることができ大満足です。

* * *

入ってすぐの所にあるこの展示会の挨拶の中で、メキシコ国家文化芸術庁総裁の「セルヒオ・ベラ氏」は次のように書かれています。(一部抜粋)

《国と国との関係は、共通の文化的価値とともに、それぞれの国の歴史、伝統、民族性、文化に関する相互理解を基にして築かれなければなりません。

さまざまな民族や国民と、話し合い協力しあう精神をもち、それに必要な関心と連帯感を喚起することも、私たちの責務です。》

* * *

私は以前から、インカとマヤについては意識して目にするようにしていました。
しかし、ことアステカというと、その存在すら知りませんでした。
実際のところ、アステカもマヤの一部だと思っていたのです。
同じ中央アメリカですしね。

ですから、この展示会の面白さは私にとって、マヤとアステカの違いと共通性を知ることでもありました。

そして、この三大文明のうちマヤ文明だけが紀元前から2000年にも渡り続いたもので、インカとアステカは日本の室町時代や戦国時代という"つい最近(?)"のものであったことも意外でした。
もちろん、それらの前衛となる文明は存在しましたが、、。
*このように一連で並べてあると、つい同時期の文明と勘違いしてしまいそうです。

どちらにしても、これらは全て高い精神性を持ち、天文学に秀で、王様は神々と人間との仲介の役目をされていたのですね。

インカやアステカの文明は、近代のスペイン人の征服によって終焉を迎えますが、
マヤの高度な文明の崩壊は、過度な人口増大、伝染病、環境の悪化、内戦、頻発する侵略によるものと言われています。
なんだか、現在の地球上と同じように思えませんか、、、?


そして侵略者スペイン人も驚いた、アステカの『生け贄』の儀式と、インカの『ミイラ』。

アステカの神話によると、
人間の創造も自然界の秩序も神々の自己犠牲の上に成り立っていました。
太陽は神々の犠牲によって誕生したのです。
その太陽の輝きは、人間の犠牲によって生まれると信じられていました。
ですから、人間にとって最も大切な命、心臓と血を神に捧げることによって、世界の自然な運行は保証されたのです。

このアステカの思想も、
人間は亡くなった後も生き続けると考え、死者をミイラに加工して埋葬した後も時々遺体を取り出しては衣服の着せ替えを行い、死者を身近に感じ、死者とともに生活していたインカの死生観も、
私達には想像もつかないものですが、
だからこそ、時代を経ても摩訶不思議な匂いと魅力が漂ってきます。

今回の催しの最後には、TVで見たことのある親子であろう二体のミイラが展示されています。
何年も前にエジプトのミイラが岡山に来た時も見に行きましたが、それらと違って穏やかで静かなミイラでした。
きっと彼らに「欲」がなかったからでしょう。
長い眠りと優しい時間の流れを感じました。
*でも亡くなった後、何百年もして地球の裏側まで来ることになろうとは、生前の彼らは思いもしなかったでしょうね。


気が付けば3時間以上、私はただ夢中でした。

余談ですが、
大学時代の私を大変可愛がって下さった方に、広島在住のHさんという男性がいます。
現在、65歳くらいでしょうか、、。
その方はまだ若い時分(今のように簡単に海外へ行くことができなかった頃)、自転車で南米大陸を回られた経験をお持ちです。

私を見ると大きな声で、
「picchukoちゃん、夢とロマンを持ってるか~い!」とよく声を掛けて下さいました。

「夢とロマン」、、
密林に覆われたマヤの遺跡も、天空に浮かぶインカのマチュピュも、古代中南米は彼のこの言葉そのものです。
「夢とロマン」に導かれて、
この展示会をご覧になった方の何人もが、インカ・マヤ・アステカの地を訪れることになるのでしょうね。

* * * * * * *

〈福岡(九州・山口)の方達へ〉

この展示会は3/16まで岡山市デジタルミュージアムで開催された後、3/25~6/8と福岡市博物館を巡回します。
楽しみですね。

赤い靴ではありませんが、、。

先週の日曜日に岡山へ出掛けた私は、お馴染みの靴屋さんを覗いてみました。

そのお店は、「Clarks」。
やはり英国はジェントルマンの国ですから、そこで作られる靴もお洒落で履き心地がいいですよね。

残念なことに四国にはクラークスの専門店がなく、私は岡山に出向いた時に足を運んでいます。

基本的に小物類はイタリア製が好きな私です。
靴も斬新なデザインと色合いのイタリア製を"つい"買ってしまうことが多々あります。
*フィレンツェでは半日で2足も買ってしまいました。(*^_^*)

でも長年愛用するのは、やはり英国製の靴ですね。

特にクラークスの靴は足にすぐ馴染み、長時間履いていても疲れないので大のお気に入りです。
手頃なお値段ですし、、。

今回もGWの旅行用にと新作を見に行きました。
その時はフランス行きに合うものを探していました。

結局、パリではなくソウルへ行くことになりましたが、↑の靴はどちらでもOKでしょうか。
(実際は写真よりずっと明るい色です。)

ザルツブルクでもOKかしら?

GWの行き先は、、。

*NZ北島、ハミルトンにある「ハミルトン・ガーデン」の日本庭園にて
【'02.01.15 USA・NYC出身のクリスティン(左)とソニア】


オークランドからバスで2時間、「ハミルトン」には当時マオリ族の女王様(テ・アタイランギカアフ女王、第6代マオリ王、統治1966~2006年)が住んでいらっしゃいました。
*その女王様はすでにお亡くなりになられています。現在マオリ族の王様は彼女の長子ツヘイティア・パキ1世です。)

ハミルトン市内にはNZで最も長い「ワイカト川」が流れていて、その川沿いに発展した都市です。

ワイカト川では、一日に3回のクルーズが施行されています。
*ランチクルーズ 12:30~14:00、アフタヌーンクルーズ 15:00~16:00、ディナークルーズ 19:00~22:00

このアフタヌーンクルーズに参加した私は、船上で二人のアメリカ人女性と出会いました。

ワイン片手にクリスティンが私に声をかけてきたのです。
「あなた、一人なの?」
「せっかくだから、一緒にお喋りしない?」
その後3時間くらい行動を共にしたと思います。
船から降りた後も、彼女達の車でハミルトン・ガーデンに連れて行ってもらいました。

私がクリスティンを忘れられない理由は、その気さくで優しい性格だけでなく、彼女との何気ない会話にあります。

「ねぇ、あなたは日本の首相の靖国参拝について、どう思っているの?」

その少し前でしょうか、小泉首相の靖国参拝が最初に大きく取りざたされたのは、、。

えぇ?!!!!
私は言葉につまりました。

お恥ずかしことにその当時、私は「靖国問題」について全くの無知でした。
何をそんなに騒ぐことがあるのかしら、といった感じ。。

返事に困った私を見て、クリスティンはそれ以上その話題を口にすることはありませんでしたが、
今思い出しても、自分の国の問題に意見すらできなかったことが非常に恥ずかしく申し訳ないですね。

おかげ様で靖国問題は勿論のこと、もっと日本について、現代史について勉強しなければならないと痛感させられました。

* * * * * * *

先日皆さんから戴いた沢山のアドバイスの下、私はGWにフランス行きを決めていました。

ですが南大門の火災を見た時に、以前からずっと訪れたいと思っていた場所があったこと、そして何故かこのクリスティンの言葉を思い出したのです。


韓国ソウルから南へ95km。 天安市にある『独立記念館』。

韓国を旅された方はご存知かもしれませんね。
私は数年前に韓国語講座でお友達になったSさんから教わりました。

ここには韓国内外に散在している独立運動関係の資料を集めて展示しています。

第1展示館では、先史時代から1850年代までの朝鮮民族の歴史と文化、国難克服の過程を見ることができます。

第2展示館は、1860~1910年の日本や列強による侵略に抗して展開された近代民族運動、愛国啓蒙運動、義兵戦争を、
第3展示館は、日本帝国主義の侵略と蛮行の実状を、
第4展示館は、朝鮮民族最大の抗日抵運動を、
等々、第7展示館までが常設展示館です。


私はニュースに流れる韓国や中国の反日感情について、本当のところきちんと理解ができていません。
教科書問題にしてもそうです。

その背景にある近代史と、韓国・中国人が受けている教育を知らなければ、それを本当に理解することは不可能ですよね。

せめて同知識がなければ、同じ土俵でお話することはできませんし、知らず知らずの内に相手を傷つけているかもしれません。

ですから、ヨーロッパは冬までの楽しみにとっておいて、今回は韓国でこれらを勉強したいと思います。

皆さんからの貴重なアドバイスは年末の旅行で活かしたいと思っています。

讃岐漆器をご存知ですか?

*今日は高校時代からの親友「Kanako」の誕生日です。おめでとう!!

漆芸家の彼女は昨年6月に結婚しました。
その時の引出物の中に入っていた「あけぼのどんぶり」↑。
このお椀は彼女のご主人が研いたものを、彼女が塗りました。
一つ一つ心のこもった作品は、結婚式の参列者全員に贈られています。


漆器といえば、大抵の方が「輪島塗」を思い浮かべることでしょう。

では、『讃岐漆器』はご存知でしょうか?

漆器産地の規模としてはその輪島と大差はありません。
ところが知名度は低くなるばかり、、。

まして昨今では、軽くて安価なプラスチックが台頭し、高価で広い場所を有する漆塗りの家具は敬遠されがちという、ますます厳しくなる漆業界。
伝統工芸の伝承は非常に大切なことでしょうに、思う以上に難しいものなのですね。


そんな世界に私の親友は飛び込んだのでした。

紆余曲折しながらも自分の道を切り開いていった彼女。

彼女は普通に大学の教育学部を卒業した後、しばらくして「香川県立高松工芸高校」内にある『香川県漆芸研究所』に入学し、そこで3年間讃岐漆器を学びました。

時々遊びに行った彼女の部屋は常に漆の匂いがして、彼女の手は漆に負けてかぶれていました。

それでも漆の話をする彼女の目は、高校時代から"ずっと"彼女を見てきた私ですら初めて見る輝きでした。

表面は自信なさげに見せてくれたデッサンも、彼女の内では満足していることが伝わってきます。
それは作品そのものよりも、今歩んでいる自分の人生への確信のようにも見えました。


今は同じ漆業界の旦那様と一緒に日々制作していることでしょう。
二人で同じ道を歩めるなんて本当に素晴らしいことですよね。


私は彼女がこの世界に入るまで、讃岐漆器の価値の高さを知りつつも興味を持つことはありませんでした。

今も詳しいことは分かりませんが、デパートへ行った時などは"ウェッジウッド"などの洋食器を見て楽しんだ後などに日本の伝統工芸の美しさも鑑賞するようにしています。


〈ご紹介〉

讃岐漆器の代表は次の通りです。

・蒟醤(キンマ)塗り
・象谷(ゾウコク)塗り
・独楽(コマ)塗り
・後藤塗り

特にキンマ塗りは漆を塗り重ね、模様を線彫りし、この刻まれた陥文に色漆を埋め、研き工程を経て模様に色漆を残したもの。
漆塗りの最高峰ともいうべき技法だそうです。

ちなみに私が好きな作品は、コマの美しさから源している独楽塗りです。

ちょっと、恥ずかしい。。

*『平和の鐘閣』
韓国・統一展望台を訪れる時に立ち寄りました。【'04.06.13】
これは、朝鮮戦争時に使用された銃やヘルメットを溶かして作られた鐘。
多くの人々の平和への思いが込められています。


今日の昼過ぎ、ソウルに住む韓国人の友人「Jeanna」からメールが届きました。

彼女との出会いについては12/26の日記でも書きましたが、昨年夏のザルツブルグでした。

彼女は大好きなアニメから日本語を勉強しています。
彼女自身も韓国のアニメコンテストで賞を取ったことのある実力者です。


実は先日、「南大門」の崩壊を嘆き悲しむ韓国人の気持ちが痛いほど伝わってきた私は、Jeannaにお見舞いのメールを送っていたのでした。


《 私もこのニュースを知って、とても残念で悔しい思いです。
信じられない。 あまりにも酷い、とても悲しい。
ジーナと、そして韓国の全ての人達がこの深い悲しみから立ち直ることができるよう祈っています。》

日本語の勉強にもなるように、英語とその和訳を書いて、、。


驚くことに、今日の彼女からの返事は全て日本語でした。
ぎこちないながらも、一生懸命さが溢れていて、それだけでも感動です。


《 手紙をありがとう。
南大門という貴重な文化財が焼失しました。 気分がとても悪く、悲しいです。

そして、あなたの元にこんなニュースが聞こえてしまったことは、ちょっと恥ずかしいです。

韓国の全ての人に対して、酷いことをしたのだと私は思います。
みんなに大きな悲しみを与えています。

この日は朝から、白い花が南大門の前に供えられている写真をニュースで見ました。
その写真を前にして、私は悲しくて涙が出ました。

南大門がまた同じように造られても、価値は元通りにはなりません。
あぁ~、分かりません。思いが沢山です。。

それでも、あなたからの手紙は力になりました。 本当にありがとう。》


私はこの内容から、ある一文にショックを受けました。

それは、『あなたの元にこんなニュースが聞こえてしまったことは、【ちょっと恥ずかしい】です。』という文章。

この『恥』という思いを、私は忘れていたように思うのです。

もう一昨年になりますか、、法隆寺東大門の柱に「大スき」と刻まれているのが話題になった時。
確かに、この考えなしの酷い行動に腹立たしさを感じましたが、
それを『恥』だとは思いませんでした。

例えこの話題が海外に聞こえていようとも、『恥』という気持ちは一切ありませんでした。

ある一人の悪行を、同じ韓国人としてJeannaは『恥』と思っているのですね。


『恥の文化』、これはそれほど遠くない時代の日本にも、当たり前に存在していた文化です。


このJeannaのメールに、逆に現在の日本の『恥』を知りました。

巷に溢れる尋常とは考え難い犯罪も、礼儀知らずの常識も、政治の腐敗さえも、
恥ずかしい気持ちを忘れ去ってしまった日本の現れだったのですね。

今一度、私も自分自身を見つめ直そうと思います。

そしてJeannaと出会えたことを、友人と呼び合えることを感謝したいと思います。

悲しいです。。悔しいです。

*昨晩の火事で全焼したソウル『南大門 (正式名称「崇礼門」』。【'04.06.13】


こんなショッキングなニュース、、、。
いったい誰がどうして放火なんてことを、、、。

その人はこれがどれほどの大罪なのか分からないはずがありません。
なのに、どうして、、。

もう二度と元の姿を取り戻せないことも誰にだって分かります。
なのに、なのに、どうして、、。

天災なら、まだ諦めもつきます。
それが人災、しかも故意に行われたなどと、絶対に許されることではありません。

あぁ、韓国の方達の衝撃と深い悲しみを思うと胸が引き裂かれそうです。
私だって悲しい、物凄く悔しい!!

あの堂々としたソウルの象徴の姿が、今はあまりにも労しい姿に、、。
激しい憤りを覚えます。


南大門は1398年、朝鮮王朝時代に漢陽(ソウル)が城塞都市だった頃に建設されました。
外敵から都を守る為に周囲を強固な城壁で囲んで、その南側に造られた現在「国宝第一号」の大門。


そこには"譲寧大君"が書いたとも、朝鮮の名筆"安平大君"が書いたとも言われる「崇礼門」の看板が掲げられていました。
それも一部棄損されたとのこと。

韓国人が今も恨みに思っている豊臣秀吉の朝鮮出兵。
あの1592年の壬辰倭乱(文禄の役)の戦禍からも免れてきたのに、、
それが放火という形で無惨な姿になるなんて、、、。
腹立たしくてたまりません。

* * *

以前の日記にも書いたことがありますが、
私の父はソウル生まれです。
韓国人には嫌われることですが、父方の曾祖父は戦前日本の領土であった朝鮮を統治する為の朝鮮総督府(最近までは博物館として残っていましたが、現在は全て撤去されています)で働いていました。

また偶然にも母方の曾祖父も同時期にソウルへ土木技師として移住していました。

ですから、その頃にソウルを訪れた祖母からも話しを聞いたことがあります。

当時、日本(香川)からソウルへ行くには、下関から関釜連絡船に乗り釜山へ渡り、そこから列車で北上してソウル市内に入ったのだそう。
ソウル駅にほど近い「南大門」は、ソウルに降り立った人々がまず最初に目にした建造物だったことでしょう。

南大門の周りには路面電車が走り、今のように多くの方で賑わっていたことでしょう。
日本人もこの南大門を大切にしていたと話していました。

私にとって4年前に家族で訪れた場所としてだけでなく、
父の生まれ故郷、両祖父母と曾祖父母の思い出の地での今回の出来事に、
他人事とは思えない悲しさと悔しさを感じています。

インカといえば、、。

*『インカ・マヤ・アステカ展』で購入した「INCA KOLA ~インカコーラ」と「Chicha Morada ~チチャモラーダ = 紫トウモロコシのジュース」。
帽子は、2002年3月に訪れた古代インカの首都「クスコ」で買ったものです。

念願のインカコーラを手にすることができました♪

この黄金(実際は黄色)のコーラとチチャモラーダを各々2本づつ持って帰った私。
1本は来週にでも職場へ持っていこうと思います。
博学(?笑)の上司Kさんと、最近ちょっと意地悪(?爆)なKくんへのお土産です☆
飲むの嫌がるかなぁ~?・・いやっ、絶対飲んでもらいましょう!!

最近、何かと気になる「原産国」。
「チチャモラーダ」はペルーと記載されています。
では、「インカコーラ」は?・・アメリカ???
これはペルーの飲み物で、ペルーの"Jose R. Lindley社"が発売しているコーラ。
なぜ??

早速、Wikipediaで調べてみました。
*だって、おかしいと思いませんか?

それによるとインカコーラは、日本へ貿易会社を通じて日本仕様の缶が作られ、一定量が輸入されています。
ペルーには缶を作る技術が無く、缶の製造をアメリカに委託しているのだそう。
それで、この缶にアメリカ産と記されているそうです。
*"ふ~ん"???といった感じです。。

それに、コカ・コーラ社はLindley社とジョイントベンチャー契約を結んで、ペルー国外での製造販売権を取得したのだとか、、。


飲んだ方の感想を見てみますと、
、、、(^_^)、甘い、甘すぎるほど甘い、炭酸はキツくない、薄い、咳止めシロップのような味と匂い、、

とまぁ様々ですが、共通していることは、
「・・・・・」どうも美味しい飲み物ではないようです。。(^_^ )/

面白いと思った意見は、「ペルー人との会話に詰まったらネタにする」。・・なるほどぉ~~~。

しかし、ペルーの首都リマ市の建設400年を記念して1935年から発売され、ペルー人に今も愛され続けているのですから大したものですね☆

* * *

続いて「チチャモラーダ」についてですが、、。

これにはアントシアニンが多く含まれているため、

1. 疲れ目を改善し、視力を向上させる

2. 活性酸素の生成を抑制し、血液をきれいにする作用がある

3. 肝機能を向上させる

4. 血圧を上昇させる酵素の働きを阻害するので、血圧抑制効果に期待が持てる
とのこと。

その上、ダイエットにも効果的だとか!!

わぉ!!(^o^)/、いいことだらけではないですか!!(^o^)/

この清涼飲料は、リンゴ、パイナップル、シナモンなどのスパイスと一緒に煮込まれていて、果物の甘さにほのかなトウモロコシの風味がするそうです。

これは飲むのが楽しみですね。

私の大好きな上司Kさんにも"ぜひ"このチチャモラーダを飲んで頂いて、これからもずっと元気で居続けてもらいたいです♪

皆さんの中にも健康を気遣っている方がいらっしゃいましたら、ぜひ「チチャモラーダ」を試してみてはいかがです?

楽天さんやYahoo!さんからでも簡単に手に入るようですよ。

* * *

ペルー旅行で、ずっと気になりつつも勇気が持てず飲めなかった「インカコーラ」。
6年を経て、今!、私の手中にあると思うだけでもドキドキしています☆

『水の中のASIAへ』

~妹みたいね 15のあなた 髪を束ね前を歩いてく
籠の鳩や不思議な果物に 埋もれそうな朝の市場
痩せた年寄りは責めるように 私と日本に目をそむける

でも"RASA... RASA SAYANG GEH (和訳 : 残念だね)"
その次を教えてよ
少しの英語だけがあなたとの 架け橋なら淋しいから RASA SAYANG GEH~


私のブログ友達の中でも大変興味深い旅をされ、魅力いっぱいの「Karianneさん」。
彼女が今朝インドネシアへと出発されました!!

彼女との交流は彼女のカンボジア日記がきっかけです。

そろそろジャワ島の「スラバヤ」に到着する頃でしょうか、、。


『スラバヤ』・・・インドネシア第2の都市。ジャワ島北岸に位置します。
太平洋戦争で日本に占領されるまでは、オランダによって植民地化されていました。
当時から貿易の中心として栄えています。

* * * * * * *

私は高校、大学時代と松任谷由実さんの大ファンでした。

彼女の言葉による表現の巧みさと、色彩や香りまでも感じられる歌詞は私に多大な影響をもたらしたと思います。
読書をほとんどしない私は、彼女から日本語を学んだといっても過言ではないほどです。

そんなユーミンのアルバムでひときわ異色の作品が『水の中のASIAへ』。
収録されている歌は"たったの"4曲です。

その半年前に「恋人がサンタクロース」を世に送り出したことを思うと全く地味な作品ですが、私は年齢を重ねるほどこのアルバムの良さが分かってきました。

* * *

このアルバムの一番目の曲『スラバヤ通りの妹へ』を聴くと、私は何故か東南アジアへ行きたくなります。
逆に東南アジアへ行く時は、何故かこの曲が聴きたくなるのです。

だから一人この曲を聴く時は、
脳裏にアンコールワットで出会った"サムナンくん"(9/14・12/14日記)の笑顔が浮かんだり、
シェムリアップやアユタヤ遺跡で象に乗ったこと、バンコクの街の真ん中で迷子になったことなどが懐かしく思い出されます。

私にとって大切な曲です☆


東南アジアへはある日突然行きたくなる私。
ですので、今の私はKarianneさんの出発に多いに刺激されているのを感じています。
その証拠に最近全く邦楽を聴いていなかった私が、今はユーミンのこのアルバムを流しているのですから、、。


~妹みたいね 小さなあなた
けれどとてもしっかりしている
写真で見た波止場に着く頃は あなたくらい陽に焼けそう

オランダ造りの町もやがて新しいビルに消されてゆく

でも"RASA...RASA SAYANG GEH"
その歌が大好きよ
土埃り馬車がゆくスラバヤを思い出せる
遠くても RASA SAYANG GEH~
【スラバヤ通りの妹へ】


*でも明日は岡山へ「インカ・マヤ・アステカ展」を見に行って来ます♪

ラテンの男☆ジェシー

*マチュピチュ遺跡へと向かう道。
左からパトリシア、カトリーナ、ジェシー。【'02.03.15】


インカの旅をより愉快にしてくれたのは、やはり現地ガイドのジェシーでしょう!!
彼は私より一つ年下で、当時28歳でした。
まずまず堪能な英語を喋り、気遣いもなかなかのものです。

ツアーが始まる前日、ジェシーを囲んで、ツアー客7人で初顔合わせをしました。
私が高山病にかかったことをパトリシアが大げさに話していたらしく、部屋までジェシーが迎えにきてくれました。
第一印象から優しくて陽気な雰囲気。

そんなジェシーを、彼に勝るとも劣らず親切なオーストラリア人の皆さんは満面の笑顔で迎えました。

一週間常に行動を共にしますので、もちろん仲良しになりますよね。
温かいオーストラリア人の皆さんは、何かと独り者の私に目をかけてくれました。
ジェシーも唯一私と同年代ということで、「picchuko、picchuko、」と声をかけてくれます。

その中でもパトリシアは、私にとってペルー旅行の"お母さん"!!
(彼女がそう言っていました。)

可愛い?娘?に悪い?虫(ジェシー)が付かないように目を見張らせてくれます。


「あなたっ!! ちょっと、ジェシーに近づき過ぎよ!」
決してそんなことはなかったのですが、パトリシア母さんの目は光ります☆
オープンなオーストラリア人にしては???と思いませんか?!

しかし、彼女の男性を見る目は確かでした。
(ジェシーが悪い人という意味ではなく、、。)

* * * * * * *

ジェシーは至るところにガールフレンドがいます。

クスコ周辺では、常に若い女性から「は~い、ジェシー!」と甘い視線を投げかけられます。


それはマチュピチュへ向かう列車の中で、、、二人の魅力的な女性が彼の近くに座りました。
彼女達も彼と同じラテン系です。
列車が走る3時間ほど、彼らは仲良くお喋りをして、かなり親しくなったようです。

ジェシーは日本人の女性から好かれるタイプではないかもしれません。
でも、ラテンではかなりの色男☆☆☆


先ほど列車で知り合った二人の女性とマチュピチュ遺跡で再び出会い、ウィンクを投げる彼。。
一日目のマチュピチュ観光は、ジェシーにとっても実に愉快だったと思います。

* * *

麓のホテルで宿泊した私達は 次の日の午前中、二班に分かれて行動しました。

一班は私とパトリシアとカトリーナの「ワイナピチュ行き」。
そしてもう一班は「温泉」へ。
そのメンバーはパトリシアの友達と、カトリーナのご両親とおばあさんです。

マチュピチュ近郊には、「アグアス・カリエンテス」という村があり、そこは有名な温泉保養地なのです。
水着必着ですので、プール感覚で入れます。露天風呂だそうですよ。

おばあさんは足が若干不自由で、歩くのに杖が必要です。
ワイナピチュ登山が不可能な彼女を気遣って、他の3人も温泉を選ばれたようです。


ワイナピチュ行きは早朝5時半にホテル発の予定でした。
ホテルからマチュピチュ入り口まではジェシーが付き添うことになっています。

5:20には3人集合完了です。しかしジェシーはまだのよう。。。

約束の5時半になってもジェシーは現れません。

5:40。まだ彼は現れません。

パトリシア母さんはジェシーの部屋のドアを"バンバン"叩きました。
出てきません。

パトリシア母さんは叫びます。 「ジェシー!! 起きなさぁ~い!!(*`θ´*)」

何度もドアを叩かれて、眠たそうにジェシーは頭をかきながら現れました。
目は開いていません。
「急いで仕度しなさいっ!」とパトリシア母さん。

一本バスを遅らせて、私達はマチュピチュへと向かいました。

パトリシア母さんは私に耳打ちします。
「だから私は言ったでしょ! ジェシーに近づくのは危険だって!」
決して近づいてはいませんけど、、、?^-^?

「彼ねぇ、昨晩 私のところにお金を借りに来たのよ。昼間に出会った女の子達と遊ぶためにねっ。o(`へ')o」
「だから言わんこっちゃないっ!(`ε´)」

なるほどねぇ~、ジェシー君♪ やるねぇ~、君も♪ ( ̄ー+ ̄)ニヤリ

* * *

少人数で一週間もずっと一緒にいれば、初対面では分からなかったことも"しっかり"と見えてきます。

なるほどぉ~、パトリシア母さんは人生経験が豊富で、様々な国の人達を見ていますから、ジェシーの本性をいち早く見破ったのでしょう。

段々とばれてきた「遊び人ジェシー」ですが、人間としては優しくて人懐っこくて私は大好きです!!


ただ後になって怪しく思ったことが一つだけ。。(^人^;)

それはツアー初日のこと。

私達は朝一番、『サクサイワマン』へ行きました。
そこは毎年6/24に「太陽の祭り」が行われ、世界中から人々が集まる有名なインカの遺跡です。

まだ馴染みの薄い私達。
ジェシーはとても悲しそうな表情で話し始めました。

「昨晩、僕の友達が自殺したんだ。首を吊って、、、。」今にも泣き出しそうです。

私達もかなりのショックを受けて、何よりジェシーのことが心配でたまりませんでした。

優しいオーストラリア人達。
「ジェシー、今日は午後から休みなさい。私達は勝手にクスコ市内を見て回るから、、。
本当に私達のことは心配しなくていいから、今日はゆっくりしなさいね。」

? ? ? ? ?

果たして、この友達の話は真実だったのでしょうか、、?
その3日後に夜通し女の子と楽しんだジェシーを思うと、、???

そんなもの? 実に怪しい、、。。。。。( ̄ー+ ̄)/
今となっては迷宮入りですね、、、。( ̄ー+ ̄)/

さすがだねぇ~、ジェシー君♪ 君は私の知る典型的なラテン男です☆

劇団四季『オペラ座の怪人』

【劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい。】

昨日の「オペラ座の怪人」について、私なりに思うことを書き残しておきたいと思います。

このミュージカルを観るのは初めてですし、劇団四季の作品も私にとって「李香蘭」と「ジョン万次郎の夢」に次ぐ3作品目。
観劇初心者の私ですので軽く読み流して下さいね。


はいっ! 実に素晴らしかったです!!

怪人ファントムの孤独、嫉妬、なおも溢れるクリスティーヌへの愛情、切なさ、、、
昨日 ファントムを演じられた佐野正幸さんはそれを見事に歌い上げました。

彼の声は深みも広がりもあり、ファントム役には"もってこい"だと思います。
今回の劇団四季「オペラ座の怪人」で、舞台と衣装に次ぐ魅力は彼の圧倒的な声でしょう。

* * *

私はA席。しかも1Fの最も後ろです。

大阪四季劇場は思うより随分と狭かったので、この席からでもしっかり観ることができました。

この作品の舞台そのものが『オペラ座』ですので、最後尾から見ているとその他大勢の観客すべてを含み「一つ」のステージのようでした。
こういう見方も面白いですね。

最初のオークションのシーンでは、私も思わず「〇フラン!!」と声を張り上げそうになったくらいです♪

こういう見方ができたのも、事前にお友達がDVDを貸して下さったから。

しっかり予習ができた今回のミュージカル。

ストーリーが頭に入っているおかげで、舞台装置の見事さや晴れやかな衣装を楽しむ余裕がありました。

確か、舞台装置・演出・大道具・衣装デザインはロンドンのオリジナル公演に使われたものと同等のものを使用しているのですよね。
これは映画では体感できませんよね。
もうっ!目を見張りました!! 素晴らしい!!
また、この感情をこうやって表現するのかと、演出方法も興味深く観ることができました。

*Sさん、ありがとうございます☆


そして特筆することは、やはり何より「アンドリュー・ロイド=ウェバー」の音楽でしょう。

彼は真の天才ですね。彼の音楽は、ミュージカル以上に耳と脳裏にこびり着いて離れない。

この音楽で観客の心を"ぐっ"と掴んで離さないのでしょう。
*もう、離さないで!!

彼と、彼に愛された元妻「サラ・ブライトマン」の存在が、この最高傑作を生んだことは間違いないですね。

* * *

この怪人ファントム役は、演じる方次第でいかようにも表情を出すことができます。

怪人の『マスク』はその意味からしても、奥のある存在感だと思います。

この「オペラ座の怪人」の原作小説を書いたフランス人作家『ガストン・ルルー』は、
小説の中でこの「マスク」というアイテムと、「オペラ座の地下」に広がるミステリアスな世界をバックグラウンドにもってくることで、
より読む者の想像力を豊かにしたのだと思います。

ですから、ある意味において、この怪人はもっと演じ手のオリジナリティを出していいとも思うのです。

一つの演出方の中においても、もっと゛とことん″冷酷になってもいいですし、
優柔不断さに悩む怪人だっていいではないでしょうか。。

映画で観たファントムと、劇団四季の佐野ファントム。
表現の仕方に多少の変化はありますが、
私は全く違うファントムの姿を描いてもいいと思います。冒険してもいいと思います。

あとは観る側の受け入れ方。

どんな風に演じても芯さえ失わなければ、観る者に怪人の悲痛な叫びは届きます。

もっと大胆で迫力ある、忘れたくても忘れられないファントムを望みます。

* * *

『オペラ座の怪人』、次回はロンドンかブロードウェイで観たい作品です。

ロイド=ウェバーの音楽は英語で聴いてみたいのです。

今回最も残念だったことは、彼の音楽に日本語が付いていけてない部分があったこと。
やはり音楽は流れですから、自然な流れで聴いていたい、、。

感激で思わず声をあげそうになった曲もありましたが、きっと英語ならもっと音と感情を楽しめるはずでしょう。

私はそう思います。


私にとって今回のミュージカルは、
『劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい。』というより、
【アンドリュー・ロイド=ウェバーのオペラ座の怪人は最高らしい。】という感想でした。
でも、実に素晴らしかったですよ。

あぁ~、目の前なのにぃ~~。

しっかり楽しんだ一日も終わり、只今 帰路の途中です。
20:00頃に到着予定。

今日は「ホテルグランヴィア大阪」の19Fで贅沢なランチを戴きました☆ (大満足!!!)

まず、オーストラリアはタスマニア産の"スモークサーモン"。

続いて"キノコのリゾット"に"和牛のヒレ肉"。

パンはフランスパンとクルミパンで、
デザートはソフトクリームとチーズケーキ、それと苺のムースでした。

当たり前に、すんごく美味しかったです。

特にパンが美味しいと、先週に同じコースで行ったグループの方が言っていた通り、
フランスパンのパリパリ感が最高でした。

ここの赤ワインも大変口あたりが良く、飲みやすいとのこと。
*私は、この後のミュージカルに集中したかったので、気持ち良くなりすぎるワインではなく、グレープフルーツジュースにしました。

違う部署の方達とは日頃ゆっくりお話する機会が少ないので、このような旅行はとても有難いです。
11:30から始まった食事も話が弾んで、"あっ"という間に食後の飲み物。

気が付けば13:00に!
劇団四季『オペラ座の怪人』は13:30「開演」です!!

食事前の話では、早めに食事が終わったら梅田大丸や四季劇場内を見て回るのもいいね、とのことでした。
しかし時間がありません。

ホテルを出る頃は13:10を過ぎていました。


大阪を知る方はお分かりでしょうが、ホテルグランヴィアと四季劇場は目と鼻の先にあります。

すぐ目の前に見えているのです。

でもなんと言っても、大阪に不慣れな私達13名。
まずホテルを出て、どの方角なのか一瞬分かりませんでした。

見上げると、"怪人のマスク"!!

あっちだよ! ということで、その方角に向かいました。

道路を渡れば"すぐそこ"です。

地元香川であれば、道路を斜め横断することも可能でしょう。

けれども、そこは大阪。
どこから行けばいいの? 時間がない私達は少々、いえかなり焦り気味です。(冷汗...)

あぁ~、目の前なのにぃ~~。

その「目の前」に行く為には、随分と遠回りしなくては横断歩道はありません。

地下道は?、 あったのでしょうか?
でも、そんなものを探す余裕もありません。

早く!早く! 始まっちゃうよ!(汗・汗...)


なんとか駆け込んで間に合いましたが、一時はどうなるかと思いました。

席について"ほっ"と一息。

さぁ! 今からパリのオペラ座の世界です。

ワインを飲んで"ほろ酔い"の皆さん、
暗くなった劇場と、間に合った安堵感もあり、彼女らを睡魔が襲ってきたことは言うまでもありません。

私はジュースにしといて良かった♪


あっ、そろそろ職場に到着です!

「ワイナピチュ登山」のススメ

*霧に包まれて幻想的なワイナピチュ 【'02.03.16】
この急勾配を登っていくのです。。。

('08.01.31日記)('08.02.01日記)の写真をもう一度見て頂けるでしょうか。。
インカの遺跡の謎を解くヒントの一つは遺跡の形。

ガイドのジェシー曰く、ワイナピチュから見るマチュピチュは「コンドル」を描いているのだとか。。
私の写真では見えにくいですけどね。

余談ですが、
コンドルはご存知の通り、南米大陸アンデス山脈に生息する鳥。
クチバシから尾の先までは約1.2m、両翼の端から端までの長さは3mもあります。
コンドルの胸骨は、その大きな羽の筋肉を支えるには不十分な大きさ故に、
彼らは羽ばたいて飛行するのではなく、高空から滑空飛行で空を舞っているそうです。

そして、ワイナピチュを横から眺めてみて下さい。
人の横顔に見えませんか?
そうです、ワイナピチュ山頂が鼻の先です。左側が顎ですね。

あれ以来ワイナピチュを見る度に、「顔」に見えてしまうようになりました。

* * *

実は私、知りませんでした。

何をかと言うと、
「ワイナピチュ登山は一日当たり入山者400名」と限られており、200名で一度締め切るということを!!

7時きっかりに開門するそうですが、すでにゲートの前には長蛇の列が出きているそうで、できるだけ早く並ばないといけないらしいです。

その為に朝一番で向かう観光客の列は、麓のバス乗り場から始まっているもよう。
早朝6時ではすでに気の遠くなるほどの人の数です。
ちなみに始発のバスは5:30です。
(以上、2007年現在)

* * *

私が訪れた2002年3月は、こんなことは全くありませんでした。

ジェシーのせいで(これについては又後日)、予定よりかなり遅くに出発した私達。

7時過ぎにマチュピチュへ入り、その足でワイナピチュ入口へ。

入山者はここにある管理小屋のノートに、氏名とパスポート番号、入山時間を記入します。

私達はその日の4番目でした。その他に人は見当たりません。

一面を霧に包まれていますので、時代を遡ってインカ時代に舞い戻ったようでした。


ワイナピチュ登山は大抵の人なら、誰にでもできるものですが、
この登山中に滑落して亡くなる方が何人かいるのも事実です。

かなりの急勾配で、雨も多い地域なので足元は滑りやすくなっています。
(実際、下山途中にパトリシアも足を滑らしましたから。)

ですから、履きなれたハイキング用の靴、雨具などが必要でしょうね。
もちろん、リュックを背負い両手が使えるようにしていなければ、とても危険ですよ。

頂上に近づくほど その急傾斜は増し、鎖を持つ手にも力が入ります。


でも、山の頂にある当時の建造物や段々畑に目を見張り、
そこを登り詰めると眼下に広がる あのマチュピチュ全景に、乗り越えて良かったと心底思えます。
この登山だけでなく、遠く何万kmも離れた国からここまで訪れた苦労も一瞬にして消えてしまいました。

まさに「コンドル」になった気分です♪


〈追記〉

ワイナピチュ山の反対側にはマチュピチュ山が聳えています。

登山口はマチュピチュ遺跡から「太陽の門」に向かう道の右手、遺跡の外れにあるそうです。

この登山道はさほど危険ではなく、道も分かりやすいとのこと。

やはり頂上に近づくにつれて勾配はキツくなりますが、
こちらの方が人も少なく、落ち着いて景色を楽しむことができるかもしれませんね。

この展望地からは真下にマチュピチュを望み、ワイナピチュの全景もウルバンバ川もよく見える穴場のようですよ。

私がもう一度マチュピチュを訪れる時(行く気満々!!)、
次回は「マチュピチュ山登山」に挑戦しようと思っています。

クスコのタクシー事情?!

*マチュピチュ『主神殿』("本神殿"とも呼ばれています)。
これは多角の石で造られた神殿。
幅8mで、三方の壁に囲まれています。
"地球・先史文明研究家"、浅川嘉富氏によると、
マチュピチュは先史時代の高い技術力で建造した石積みと、それから遥か後のインカ人による石積み、遺跡崩壊直後に僅かに生き残った生存者達が再建した石積みの三種類あるそうです。
この神殿は、使われている石の切り口や積み方から、先史文明の遺構であるとのこと。

写真はその主神殿を前に、一週間このツアーを共にしたガイドの「ジェシー(右端)」と、彼の説明に熱心に耳を傾けるツアー仲間のオーストラリア人達。
左端が「パトリシア」。【'02.03.15】


('08.01.31日記)で、リマ空港で7人の荷物が出てこなかったことを書きました。

空港の係員さんに名前を言って、ペルーでの滞在先を伝えます。

奇遇にも、その中のオーストラリアのメルボルンから来た二人の女性が、私と同じツアーに参加することが分かりました。
それが「パトリシア」↑とそのお友達。
あんなに大勢の乗客がいた中でのほんの一握りの偶然。

そこからは一緒に行動することになりました。
リマ空港での乗り継ぎ、そしてクスコ空港から一人でホテルまで行くことに少々不安があった私にとって、このロストバゲージはラッキーな出来事だったようです!


リマ空港での長い待ち時間。
旅慣れている彼女らは、空港にあるシャワーを浴びてくると席を立ちました。

私はその間、職場の上司だったK.Kさんと、NZにいるChiekoに電話をしましたっけ。。

クライストチャーチ空港まで見送ってくれたChiekoは、誰よりも私のペルー行きを心配してくれていました。
彼女は私がペルー行きを断念してクライストチャーチへ戻って来たのだと思ったようです。
この時、ペルーでは早朝4時前。
日本は夕方6時、NZでは夜の10時前だったと記憶しています。


そうやって過ごした待ち時間も終わり、
いざ行かん! 憧れの街クスコへ!!

クスコに降り立った時の あの肌にまとわりつく哀愁漂う冷えた空気は、どの街の空気よりも感覚として残っています。


クライストチャーチの旅行会社で頂いた詳しい説明文には、
クスコ空港から私達が宿泊するホテル「San lsidro Labrador」まで、タクシーで約$10~$15と書いてありました。(注 : 米ドル)

そのホテルはクスコの中心「アルマス広場」から徒歩数分に位置しています。

タクシーのおじさんとパトリシア達が交渉を始めました。

おじさんは最初、「$15 でどうかな。」と言いました。

彼女達は首を横に振ります。私も一緒に横に振っていました。
当然です。

続いておじさん、「じゃぁ、$12は?」

やはり横に振る私達。

"しぶしぶ"おじさん、「じゃぁ、$10にしてやるよ。」

私は妥当なのかなぁ、と思わず首を縦に振りそうになりました。

その時パトリシアの友達は、
「そんな"あほ"な話がありますかいな!!」
ちょっと意訳し過ぎていますが、そんな勢いで彼の言い値をはねのけたのです!!o(^-^)o

結果、ホテルまで$3で構わないということに。。
一人たったの$1です!(^o^)/

私だけでしたら、間違いなく$10は支払っていたことでしょう。

こんなのあり??

あれ以来、私は彼女達ほど強気にはなれませんが、
海外での値段交渉が楽しくなったことは言うまでもありませんね。

『きみに読む物語』

午後から降り出した冷たい雨と冷え込んだ空気、、
外へ出るのが億劫な今日に相応しく「nanaco☆さん」お薦めの映画『きみに読む物語』のDVDを鑑賞しました。

これって、本当に多くの方から愛されている作品なのですね。

今まで出会っていなかったことが不思議なくらいです。

もしまだの方がいらしたら、是非この美しい世界を覗いてみて下さいね。

* * * * * * *

美しさを残した認知症の老女に、ひとつの純愛物語を繰り返し読み聞かせる年老いた男性。

それは遠い昔の二人の物語なのですが、
過去を失いつつあるその女性にとっては、どこかで聞いたことのある話に過ぎません。

でも老女はこの二人の将来がとても気になって、、
「結局、彼女はどちらを選ぶの?」と急かします。

物語に出てくる女性は、17歳の夏に身分違いの恋をします。

良家の娘アリーと田舎者の貧しい青年ノア。
もちろん二人はアリーの両親の大反対にあいます。

彼女の将来の可能性を思い、悩むノア。

結局 喧嘩別れをしたまま、物理的にも離れ離れになってしまう二人。

ノアは365日、毎日アリーに宛てて手紙を書くのです。
ですが、彼を想い待ち続けるアリーの元へは届かず、、。

ノアはアリーを愛し続け、アリーには新しい恋人ができて、、、。

* * *

若い頃の二人を観ていても切なくなるのですが、年老いた二人の物語が深く心に染み込んできます。

これほどの愛情って本当にあるのかしら、、。
男性は彼女が認知症だと分かっていても、奇跡を信じ読み続けます。

時間が経つほど、"じわぁ~"としてくる作品ですね。
観ている時も、"じわじわ"と味わい深くて、平凡なシーンのはずなのに涙しそうになります。

nanaco☆さん、ありがとうございました。
心が洗い浄められた感じです!!

* * * * * * *

私がこの映画からもう一つ感じたことは、認知症を患うアリーの身なりについて。

美しくお化粧をし、華やかな赤い洋服を着ています。


私はNZに滞在していた頃、ほんの3ヶ月ですがクライストチャーチの老人ホームへボランティアに通っていました。
あの時の記憶が蘇ってきたのです。


映画では、あまりにも小綺麗な彼女と穏やかな時間。

日本の老人ホームでは考えられない時間の流れです。


少なくとも私の知る日本の施設は、、

お年寄り〇名に対して介護職員は〇名配置しなければならない。
〇時に~をして、〇時迄に入浴介助を終わらせなければならない、、。

といった、施設側の「守らなければならないこと」や、「~しなければならない」でいっぱいです。

自然と介助する方も神経が尖ってきますし、常に"バタバタ"しています。

正直私には、ごく自然の年老いた"生活の場"とは思い難いところもあります。

ならば、アリーが生活している施設は映画の中だから、上に記した現実とかけ離れているのでしょうか、、?


クライストチャーチの施設は映画に出てくる゛そのまま″でした。

食前のお祈り、レクリェーションの時間、曜日ごとに決められた行事、、
確かに「~しなければならない」ことも沢山あります。

でも、そこには穏やかな時間が流れているのです。

各々の部屋には、彼女達の歩んだ歴史が溢れています。

壁一面に思い出の写真を飾っている方もおられました。

個室がいいとか、多床室がいいとかのレベルではなく、
一個人としての彼女達の生きた歴史の延長がその部屋には存在しています。
理屈ではなく、、。


食事についても、
ディナーはスープから始まりメインディッシュ、食後の飲み物まで一皿づつ運ばれます。
レストランのようにナプキンも置かれています。


それは国が違うからかもしれません。
その国の歴史が違うからかもしれません。


でも個人の存在の大きさは同じはずです。

今まで頑張って生きてきた諸先輩方だからこそ、
これまでの道のりを大切に、穏やかな時間を過ごしてもらいたいですね。

この主人公のアリーのような認知症の方はなおさらのこと。

ノアの根気強く深い愛情の万分の一でも見習ってお年寄りに接したいと改めて思いました。

そういった意味においてもとても勉強になった作品です。

『picchuko』の由来

*マチュピチュの背後に聳えるワイナピチュ頂上より。
マチュピチュ 標高2280m、ワイナピチュ 2720m。【'02.03.16】

一面を霧で覆われたマチュピチュ、私とカトリーナは雲が晴れるのを山頂でしばらく待っていました。。


マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って114km下った地点より、400m一気に登った山頂にあります。

あたりは同じように尖った山々で、周囲は断崖。
はるか下を流れるウルバンバ川流域は熱帯雨林の繁るジャングル。

海抜1180mのウルバンバ川から見上げてもマチュピチュは全く見えません。
そんな山上にあることから『空中都市』という異名を持つのです。

* * * * * * *

ピサロに率いられたスペイン軍に皇帝アタワルパを殺されたインカ帝国残党は、
クスコ北方の山奥に立て籠り抵抗を続けました。

その最後の都「ビルカバンバ・ビエホ(幻の都)」、
1911年にアメリカ人ハイラム・ビンガムがこの地を発見した当時、マチュピチュがそれであるかと思われました。

しかし、インカ帝国の人々が持ち出して隠したとされる黄金が発見されないことから、
ビルカバンバはさらに奥地であったことが分かっています。

未だにマチュピチュについての謎は深いままですが、
16世紀のある時期 この地に高度な文明を持つ人々が住んでいたことだけは確かです。

~"世界遺産の旅"&"地球の歩き方"より抜粋~

* * * * * * *

マチュピチュの綴りは《Machu Picchu》。
先住民の言葉で「老いた峰」の意味です。

対するワイナピチュ=Huaina Picchuは「若い峰」。

『picchuko』は、このマチュピチュ&ワイナピチュの「picchu」から頂きました。
これを訳したのが本名です。(*^_^*)

「pichu」と表記したものもありますが、世界遺産登録名の「picchu」を使っています。

今の私はまだ「ワイナピチュ子=若いピチュ子」でしょうか?
数十年後の私は「マチュピチュ子」ですね!o(^-^)o


<ご紹介>

少年漫画 『ジパング少年』 いわしげ孝著
小学舘より 全15刊

〈日本の管理教育に疑問を抱き、高校を退学させられてしまった主人公・柴田ハル。
彼は理想の学校を創るという夢実現の為に4人の仲間と日本を脱出。
南米大陸伝説の黄金郷「エルドラド」を探しに行くのですが、、。〉

このお話の後半、特に最後のクライマックスは、この古代インカにあります。

私は友達K君から借りて読んだのですが、気が付けばのめり込んでいました。
インカの場面は著者の創造から生まれたものですが、大変興味深いものになっています。

該当の記事は見つかりませんでした。