I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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やっぱり『Grevi』!

私にとって、神戸といえば「さんちか」。
「さんちか」といえば、('07.09.15日記)にも書いた帽子屋さん!!

1番街にあるそのお店は、小さいながらも大手デパートに負けない良品が揃っています。

神戸に来たら、必ず立ち寄ろうと決めていました。

そうです!!
このGWのソウル行きの帽子を探すためです。
春先から秋口まで使えるものを ずっと探していました。
けれど私が海外旅行に出掛けるのは、冬か夏。
春秋用は出番がなかったのですね。
(国内で被ればいいだけですが、、それでは勿体ない。。)


店先に、白地にピンクの刺繍が施してある可愛らしいデザインの帽子が飾ってありました。
縁の広いお洒落な帽子です。

「この帽子、被ってみてもいいですか?」

「ええ、勿論どうぞ。」、そう笑顔で答えてくれた店員さんは、以前お世話になった方でした。

その帽子を試着しながら、
「去年の夏に、ベレー帽を香川まで送って戴いたのですよ。その節はありがとうございました。」

そう話しながら 鏡を覗き込んでいる私を"じぃ~"と見ていた店員さん、
「あぁ、思い出しました。あのベレー、気に入って戴けましたか?」

それはザルツブルクでの年越しの為に購入した、ピンクがかったベージュのベレー。
一目惚れしたのは私です。

「私、イタリア製の帽子が大好きなのですよ。」
「目を引く帽子は、大抵がイタリア製です。」

そう言う私に、
「では、いいお帽子がありますよ。
一見、普通の帽子なんですがね、被ると違いが分かるはずです。
イタリアといえば、そのメーカーさんが一番ですね。」

少し離れた場所に展示してあった 黒色の帽子を手にしながら、彼女は話しました。

その言葉に私は"ピンッ"と反応。
「そのメーカーさん、もしかして『Grevi』じゃないですか?」

「お客様はよくご存知ですねぇ。そうです、Greviです。」

お洒落なイタリア製で、被れば印象が変わり、そして被り心地がいい帽子といえば、まずGreviの名が上がるでしょう。
その帽子達はユニークなデザインも多いです。

Grevi好きな私の為に、彼女は まだ季節の早い 箱の中にしまってあるものまでも取り出してくれ、
おかげで様々な色やデザインを試すことができました。

しかし最終的に私が選んだのは、ごく普通のデザイン↑。
彼女が最初に見せてくれたGreviの品物です。

写真では、あまりにも普通で面白みがないように見えると思いますが、
これ、被るとお洒落なんですよ。帽子に表情が出てくるというか、、。
頭にフィットする感じも格別です。(*^―^*)


〈ご案内〉

『Grevi』の帽子は、少数ですが大手デパートにも入っています。

けれど、もしフィレンツェに行くことがあれば、ぜひ唯一の直営店へ足を運んでみて下さい。
当たり前ですが、Grevi一色です♪
(オーダーメイドも可能ですし、日本へも発送してくれます。)

ドゥオモから徒歩5、6分。
ブランドショップが並ぶトルナブォーニ通りから西、スパーダ通りに入ってすぐ左手にあります。

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蝶々さん。

西宮へ向かう阪急電車の中からは、桜並木がよく見えます。
今日は春雨の肌寒い一日でしたが、ほんの少し早い花見を楽しんでいます。


兵庫県立芸術文化センターで上演中の『蝶々夫人』。
舞台上にも満開の桜が咲き誇っていました。
蝶々さんの喜びも悲しみも、その舞い散る花びらが心の内を伝えています。


私のオペラ鑑賞は今日が初めてです。
"一度は観たい"と長い間思っていたのですが、これという演目が決まらずに今までお預けになっていました。

そんな時、一昨年の夏に大成功をおさめた "佐渡裕"芸術監督プロデュースの"蝶々夫人"が再演されると聞きました。
主人公は日本女性、舞台は明治初期の長崎、作曲家がプッチーニとなれば、オペラ初心者の私でもストーリーに感情移入しやすいはず。
(イタリア語上演、字幕付き)

このオペラは、その期待にしっかりと応えてくれたように思います。

第1幕では、
15歳の蝶々さんは、仲介人の紹介でアメリカ海軍士官ピンカートンと結婚の契りを交わします。
蝶々さんはこっそりとキリスト教に改宗した為に、親類一同から絶縁されます。
それでも二人は愛の深さを確認します。

第2・3幕では、
本国に帰ったピンカートンを待ち続けて3年、周囲の者達は蝶々さんに他の男性との結婚を勧めます。
しかし彼の帰りを信じ、彼の愛を信じる健気な蝶々さん。
彼女には、ピンカートンとの幼い息子がいました。

そんな時、ピンカートンの船が長崎の港に帰って来ます。
けれど、彼女の喜びと期待とは裏腹に、ピンカートンは本国の妻を連れて来たのです。

それを知った蝶々さんは、彼らに愛する我が子を託し、自ら命を絶つのです。


これほど純粋な女性を見るのは、時に無性に悲しくなります。
あまりにも「健気」すぎて、あまりにも悲しいのです。

今日の蝶々さんを演じた並河寿美さんは、その一途な想いを全身から滲み出していました。

ピンカートンをあてもなく待ち続ける不安、彼への確固たる愛情、
少し上向き加減な顔の角度と、過剰な程に明るく振る舞う姿によって切なくなるほどに演じきってくれました。

~彼はもう自分を迎えに来ないかもしれない。~
彼女はそれを誰よりも分かっていたのでしょう。
けれども、それでも信じたかった。
信じ続けたかった彼女の気持ちが痛いほどに感じられます。

蝶々さんを囲む人物らにより、それがより伝わってきます。


プッチーニは、長崎に実在したといわれている日本女性の悲劇を知り、それに感動してこの作品を作ったそうです。

あぁ~、本当にあった話だからなのですね。
蝶々さんは昔の日本女性の健気さの象徴のような方でした。

この作品が初めて世に出た時代は、日本の思想も文化も まだ欧米人には未知の世界だったと思います。
もしかすると、蝶々さんの生き様は理解されなかったかもしれません。
でも、その彼女の心の奥底を感じることができたから、その美しく儚く散った彼女の人生に多くの観客が涙して、今なお演じ続けられているのでしょうね。

私が蝶々さんだったら、どうしただろう。
そんなことも考えながら観ていました。


彼女の死と、舞い散る桜。
見事な演出で、余計に涙を誘う作品でした。

記憶の遺産

『記憶の遺産』~アウシュビッツ・ヒロシマからのメッセージ~

番組案内より。
【人類の輝かしい文明の産物が主な対象とされてきた世界遺産に、第2次世界大戦で未曾有の被害を受けた場所であるこの2件が登録されたのは、後世まで"記憶"を伝え、世界平和につなげるためだった。
パリ・ユネスコ本部に残る、当時の登録審議の記録をひもとく。
また取材班は、1月27日のアウシュビッツ解放63年目の記念日に立ち会った。
収容所から生還を遂げ、今も世界各地で収容所での過酷な強制労働や脱走時の状況を語り伝えている、86歳の"元囚人"に話を聞く。
さらに広島では関係者への取材を行い、原爆ドームが象徴する核廃絶への祈りを伝える。】


『アウシュビッツ』は、私が是非とも訪れたい場所のひとつです。
ナチスドイツや独裁者が生まれる時代背景にも興味がある私。
同じ過ちを繰り返さない為にも、その場所を直接 肌で感じたいと思っています。

このアウシュビッツを世界遺産に登録する為に、新しく登録基準が設けられました。

それは、
『顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文化的作品と直接にまたは明白に関連するもの。』

これにより、1996年にヒロシマ原爆ドームも世界遺産として登録されました。

この二つの場所は、人類全体に普遍的警告を発するための"記憶の場所"なのです。

私はこれらを"負"イコール"悪"のように思っていましたが、番組の中で語られていた言葉に考えさせられました。
『原爆ドームが象徴する核廃絶に向けた祈りの場所、そしてアウシュビッツにおいては博物館として記憶を後世に伝えようとする意志、これらは"善"の遺産である。』、と。


そして原爆ドームの登録においては、
日本の戦争責任を問う中国と、原爆投下のおかげで戦争が終わったのだという意見を持つアメリカとの二ヶ国から反対の意見が出たという、国際議論についても説明されていました。
確かに、私にも当時の議論についての記憶が残っています。
けれども改めて、原爆ドームの遺産登録が許された意味の深さを思わずにはおられません。


また、今回初めて知ったこと。
今まで知ろうとしてこなかった事実も、この番組の紹介で出会うことができました。

それは、「韓国のヒロシマ」と呼ばれる『ハプチョン』という街。
ここには戦時中に広島へ移り住み、被爆後に帰国した韓国人が大勢います。
広島で被爆した10人に1人が韓国(朝鮮)人だったことにも驚きました。

彼らは長く記憶を閉ざし、いえ、閉ざさざるを得なかった過去を引きずって生きてきたのです。
彼らの証言を聞きながら、もうひとつのヒロシマの課題を見つけたように思います。

広島前市長、平岡敬氏も話しておられましたが、日本の歴史をきちんと認識していかなければならないこと。

その背後に犠牲になった国民や他の国々について、私は知らないことだらけだなと つくづく感じることができました。


『我々は、罪ではなく記憶を背負っていく義務がある。』、これはアウシュビッツ博物館の元館長の言葉です。

母なることの由来・母なる人の言葉

『問題は何をするかや、その大きさではありません。
その行動にどれだけ愛を込めるかです。』


「母なることの由来」、「母なる人の言葉」
マザー・テレサのこの2本のドキュメンタリーを観るために、先週の土曜日に岡山市丸ノ内にある"シネマクレール"へ行きました。

「母なることの由来」は3/5にも書きましたが、1986年に制作され、マザーの5年間 10ヶ国に及ぶ活動を記録したもの。

そしてマザーが亡くなられた後、国葬の日のカルカッタ市内の様子と、生前の彼女自身が語る姿とを交えて表したものが「母なる人の言葉」です。

彼女は1979年にノーベル平和賞を受賞されていますが、
毎年 受賞者について意見が分かれるというこの平和賞、彼女については珍しく満場一致で決まったのだとか。
それからも彼女の業績の偉大さを窺い知ることができますが、それ以上に亡くなられたマザーに対してお別れを告げたいという大勢の人の群れに、
彼女がいかに世界中から愛されていたか、そしてそれ以上にマザーが彼らを愛していたかが伝わってきました。

自分は決して特別なことをしたわけではない、誰にでもできることだと彼女は言います。
けれど、最も貧しい人に自分の人生を捧げるだなんて、誰が当たり前のこととしてできるでしょうか、、。
マザーと共に活動してきたシスター達も並の人ではありません。
彼女達の勇気ある行いを見ると、やはり神様から選ばれた人なのだと感じます。


多くを望んでも なかなか心の底から幸せを感じられる人が少ない世の中で、
貧しい者の気持ちを理解するために決して贅沢をせず、ただ与えるだけの人生の彼女達の笑顔の眩しさに大いに考えさせられることがありました。
映像からも、彼女達の周りには弾けんばかりの笑顔が溢れていました。
思わず吹き出してしまう冗談も飛び交っています。
大勢の人から取り囲まれたマザーの顔は、その皺一本からも笑顔と愛情がこぼれてきそうです。


確か私は、彼女が亡くなってすぐに放送されたこのドキュメンタリーを見た時もそうでしたが、
この温かい明るさにいつまでも包まれていたいと思いました。
その笑顔は今ではもう映像でしか見られない、このことにとても悲しくなるのです。

彼女を葬る場面では、何人もの人達のすすり泣きが映画館の中からも聞こえてきました。

亡くなられてから、もう10年以上も経つというのに。。。

一人でも多くの人に、そして世界のリーダーとして活躍する方には特に観てもらいたい作品です。

それは羊の国ですから、

*NZではお馴染みの『羊渋滞』。
NZをほぼ一周した私ですが、残念ながら羊渋滞には一度しか遭遇できませんでした。

旅の疲れか、"うつらうつら"していたバスの乗客達。
私も同じでした。

そのとき誰かが急に声をあげ、カメラを構えます。
すると他の乗客も同様に、窓から大きく身体を乗り出してシャッターを切りまくりました。
【'02.02.06 クイーンズタウンからティアナウへ向かう途中の出来事】

* * *

もう東京では桜が開花したのですねぇ。

少し肌寒さが戻ったように感じましたが、すっかり春本場になりました。
香川でも、きっと来週には開花してくれることでしょう!

桜前線の北上に伴って、全国から届く 桜の名所の映像を見るのが今から楽しみです。


春先は、日本では『桜前線』。NZでは『子羊前線』。

季節が逆のNZでは、春先を迎える8月下旬から9月にかけて、子羊前線が南下します。

この季節になると子羊が生まれるのです。

NZといえば、人の数の何倍もいる羊で有名ですが、こういった表現まで羊と離れられない国なのですね。
道路では、当たり前のように羊の群れが渋滞を引き起こすそうですからね。↑o(^-^)o
(市の中心部では、さすがにそれはないですよ。)

『子羊前線』・・・
しかし、これはどうもNZだけではなく、英国でもあるそうです。
ということは、きっと本場は英国ですね。

違いはと言えば、英国では南から北上するのに対し、NZは北の方が暖かい訳ですから、段々と南下していくということくらいでしょうか。。

世界が舞台!

*遠い昔になりました、1994年広島アジア大会。
開会式を前にカザフスタンの選手と共に記念撮影です!【'94.10.02】
先日、「ユーラシア人さん」のブログで"カザフスタン"という国名を見つけ、とても懐かしく嬉しくなりました♪


今日は、フィギュアスケートの浅田真央選手が世界選手権で優勝しましたね☆
もちろん私も彼女の優勝を願っていました。
彼女の実力は言うまでもなく、今回転倒はしたものの常に安定した演技なので、見る側にとっても安心して応援できます。
身長も伸びて、手足が長くなったせいもあり、より美しさが増してきました。

そして、私が真央選手と同じく応援しているのが「キム・ヨナ選手」!!
彼女が日本人なら、私は誰よりも彼女に優勝してもらいたいくらいです。

キム・ヨナ選手はリングに上がると、普段のあどけない表情から一辺。
曲目に合わせて様々な顔を見せてくれます。
技術だけでなく、その表現力の巧みさに、私はいつも魅了されています。
今年も昨年同様3位。
真央選手とともに、オリンピックでの表彰台中央を目指して頑張ってもらいたいです。

* * * * * * *

それは、私の大学時代のこと、今から13年半前の「広島アジア大会」。

開会式において、私達は選手の入場行進に旗を持って続いたのです。

この時、初めて世界を舞台に活躍する方達を"生"で見ました。

背の高い、少し怖そうなアラブ首長国連邦の選手は、サングラスをかけて民族衣装を着ていましたっけ。
当時は、近くて遠い国だった韓国人選手とも仲良く並んで写真に写っています。

それまでのアジア大会には出場できなかった旧ソ連の国々からも、多くの選手が集まっていました。
アジアというよりも、むしろヨーロッパの面持ち。
私は、カザフスタンという国の存在をこの時知りました。
色白でハンサムが多いカザフスタン。
昔から"面食い"だった私は、喜び勇んで声をかけたのだと思います。

そして、自動販売機の前に一人の素敵な日本人選手を見つけました。
"カッコいい~☆"
「すみませ~ん♪ 一緒に写真を撮ってもいいですか~♪♪」
気持ち良く私のお願いを聞いてくれた彼は、漕艇の「杉藤洋志選手」。
皆さんは、きっと知らないですよね。

私は、ただカッコ良いという理由だけでお願いしました。
しかし、後で新聞を見てびっくり!
彼は金メダリストになっていたのです!! 私が勝利の女神かしら?(笑)


オリンピックに世界選手権、アジア大会などの大舞台を目指して、日々練習に励む選手達。
頂上に立てるのは"たった一人"と分かっていても、みんなに金メダルをあげたくなる その頑張り。


今日は、その中でもやはり才能に恵まれて、その上人一倍見えない努力をされた真央選手だからこそ、それを手にすることができたのですね。
バンクーバーオリンピックが待ち遠しいです!


↑に書いた広島アジア大会の杉藤選手もそうですが、自分が応援する選手の優勝って、ものすごく嬉しいことですね。

迷子のブルーペンギン。

*私が撮ったNZの何百枚もの写真、それを見た友達の多くが 最も行ってみたい街はオマルだと答えました。
【'02.02.03 オマル市内にて】


「オマル」・「ロトルア」・「カイコウラ」
NZの懐かしい街が次々と出てきた昨晩の"ふしぎ発見!"。

私がオマルやロトルアを訪れたのと同じ季節、夏に撮影されたものでしょう。
NZならではの明るさや眩しさが画面から満ち溢れていましたね。

マオリ人独特の眼差しや神と自然に敬意をはらう姿に、このような霊格の高い民族が存在する国に私は数ヶ月も滞在していたのだということを、改めて感激致しました。

又もNZで生活するのなら(?)、マオリの多いロトルアがいいかなぁ~と、マオリの友達が欲しいなぁ~、そう思いながら「カウイ」の大木を眺めていました。

* * *

思いがけない『イエロー・アイド・ペンギン』との出会いに感動冷めやらぬ私達は、次に待つ『ブルーペンギン』を目指して出発しました。

昨晩のTVにも、ブルーペンギンが巣に帰る健気な姿を見るために集まった 世界中の人達が映っていましたが、私達も同じように、少し離れた観察小屋で息を潜めて待っていました。

私が訪れた日から、もう6年の月日が過ぎています。

あれからペンギンを見るツアーの人気がますます高まったのでしょうか。

観察小屋は以前よりペンギンと離れた場所に移されていたように感じます。
そして、ずいぶん立派になったように思いました。
私達は地べたに直接座って待っていましたから、、。(、、だったと思います。怪しい記憶。。)

イエロー・アイド・ペンギンのコロニーを出た頃には、まだ陽が傾いていました。
しかし気が付けば空は真っ暗。

このツアー、ブルーペンギンの方がメインなのでしょうね。
ここには観光客用にお土産屋さんもありましたし(ますます怪しい記憶。。)、大勢の方が集まっていました。

私とYumikoさんはラッキーなことに最前列の場所をget!!
"わくわく、わくわく"胸が高鳴ります。

けれど、何十分も待つ私達の前に なかなかペンギンは現れません。

まだかなぁ~。
数匹のペンギンが姿を現しました。けれど、こんなもの?程度の感動です。

かなりの時間、私達は待ちました。
私のすぐ隣に座っていた男性は、"痺れを切らして"とうとう帰ってしまいました。

それからも、しばらく待ち続けた私達。

"おぉ~!"
声を張り上げていいのなら、観光客全員がそうしたことでしょう。
"おぉ~!"
みんなの口から大きく息が洩れます。

数えきれないペンギンの群れが海から上がってきました!!!

小さな小さな体を"よちよち"させて、左右に揺れながら懸命に歩くペンギン達。
それぞれの巣を目指して、夢中に小走りするペンギン達。

かわいいっ!!
この言葉以外にありません。

めちゃくちゃかわいい!!
観光客みんな、満面の笑顔です。

そんな時、一匹だけ他のペンギンとは違う場所から陸に上がってきた子がいます。
観察小屋のすぐ手前から☆

その子は一生懸命 前に進んでいるのですが、ちょっと自分の居場所が分かっていない様子です。

私達はその子に釘付けになりました。

てけてけ。キョロキョロ。。よちよち。。。
てけてけ てけてけ、、、てけてけ てけてけ。。。

その子はなんと!私達のいる観察小屋目掛けて歩き出しました!!
そして、ある空間を発見した模様。

もしかすると、その子はその空間を巣と間違えてしまったのかもしれません。

その空間とは、先ほど待ちきれずに席を立った男性がいた場所。
そう、私のすぐ「隣り」です♪

少し手を動かせば、ペンギンに触れる近さです。o(^―^)o

周りにいた人達も、ペンギンが恐がらないように、行き先を塞がないようにと場所を空けてあげました。

その子は迷いながら、しばらくの間 人の輪の真ん中で"よちよち"していました。

偶然にもその日に、ペンギンを見るためだけに、同じ場所へ世界中から集まって来た見知らぬ者どうし。
普通なら挨拶すらせずにお別れしていたと思います。

けれど、その迷子のブルーペンギンのおかげでその場の空気は柔らかくなり、お互いに目を合わせ微笑み合うことができました。
言葉はなくともみんなの心は温かく、大満足であることは間違いありませんでした。


昨日も沢山のブルーペンギンが砂浜を歩いていましたよね。
あの光景を皆さんにも実際に見てもらいたいなぁ、って思います。

・・迷子の迷子のペンギンさん、あなたのお家はどこですか? o(^-^)o

私が出逢ったペンギン達。

*『イエロー・アイド・ペンギン』のマオリ名は"Hoiho~ホイホ"。
これは鳴き声を聞きならしたものだとか。
【クライストチャーチから南へ250km、海沿いに位置する街"オマル"にて '02.02.03】


今晩9時からの"世界・ふしぎ発見!"で、「ニュージーランド―生命と自然の大冒険」と称して、野生のペンギンが生息する街「オマル(オアマルともいいます)」が紹介されます。

この街には二つのペンギンコロニーがあり、世界でNZの南島オタゴ地方にしか生息しない希少種の『イエロー・アイド・ペンギン』や、オーストラリア南部とNZにのみ生息する体長40cmほどの『リトル・ブルー・ペンギン』を間近で見ることができます。

番組で放送されるのは、"世界最小種"のペンギンとありますから、きっとリトル・ブルー・ペンギンのことでしょう。

* * *

クライストチャーチを朝8時に出発し、バスに揺られること4時間、ちょうど正午にオマル到着です。

私はその足で、その日の宿泊先であるYHAに向かいました。

キッチンで出会った 一人旅をしている何人かの日本人の内、私は自分より少し年上で福島出身のYumikoさんと旅の情報交換をしていました。

私、「今晩、ペンギンコロニーへのツアーに参加しようと思っているの。」
Yさん、「えっ、そんなツアーがあるの? 私も行きたい!」
ということで、二人揃ってビジターセンターまで申し込みに行きました。

「夜の7時に あなた方が滞在するYHAまで迎えに行きますね。」
職員さんの対応はとても爽やか。


そして、約束の時間。私達以外にも後2人ほど参加者がいました。

まずは『イエロー・アイド・ペンギン(以下、ホイホ)』を見に行きます。

ペンギンの生活パターンは、日の出とともに陸上の巣から海へ出かけ、日中は海で漁をして過ごし、日没近くに巣に帰ってくるというもの。

ペンギンが作る巣は、海岸より数百mも離れた木々に覆われた場所にあります。
それは、太陽熱を遮り外敵から身を守る為です。

そのツアーでは、海から上がったホイホが砂浜を歩いて巣に戻る姿を断崖上にある観察小屋から眺めるというもの。

というのも、ホイホは非常に警戒心が強いため、原則として観察小屋からでしか見ることが許されていません。
ペンギンが巣に帰る夕方以降は海に近付くことすら禁止されています。

ガイドさんが指差します。
「ほら、あの小さくて"ぽてぽて"歩いているのがホイホだよ。」

しかし、あまりにも遠くて小さ過ぎる為に、全くと言っていいほど見えません。
これでは貴重なホイホを見たとは言い難い。。(T_T)

かなり不満を残したまま車に戻る私達。
その途中、コロニーを管理している係員さんに出くわしました。

「ちょうどね、子供にエサを与えているホイホが近くにいるんだよ。」

「ちょっと僕についておいで。」

顔を見合わす私達。
えっ? ペンギンの近くまで連れて行ってもらえるの? まさかねぇ~~。

「しぃ~~~、静かに!! 足音もたてないで。」

私達は無言で足場の悪い森の中に入って行きました。
"ペキペキ"と落ちた枝葉の上を歩く音だけがしています。

\(◎o◎)/ \(^o^)/ d(≧ω≦)b~~~

"わお!"目と目の会話です。

高台からは豆つぶより小さく見えたペンギン達が、目の前で仲良くお喋り?しているではありませんか!!

わぁ! 本当に『イエロー・アイド・ペンギン』の名前通り、目から頭にかけて黄色い色をしているのですねぇ!!

「フラッシュを焚かないのなら、少し離れた位置から"こっそり"写真を撮ってもいいよ。」
係員さんは小声で言います。

いいのぉ~? ありがとう!(^з^)-☆!! その時に撮ったものが↑。o(^-^)o


ペンギン達は大変デリケートな為に、本来決められた約束事は絶対に守らなければなりません。
ストロボを使った写真撮影はもってのほか。大声を出したり、近づいたりするのも問題外です。

私達は運が良すぎたのです。
その運はそれからも続き、この後に行く『リトル・ブルー・ペンギン』のコロニーでも嬉しい偶然に出会えました。

それについては、また明日。
今晩の"ふしぎ発見!"が楽しみです☆

パリとの相性。

*パリの中心、ノートルダム寺院前の広場にて【'00.01.07】


職場の同じ部署のT.Kさんの娘さんが、昨晩からディズニーランドへ行っています。
道中は往復とも夜行バスなのだそう。
今朝の8時にディズニーランド到着予定でした。
けれどちょっとした事故に遭ってしまい、若干到着時刻が遅れたようです。
乗客には怪我はなく、Kさんの娘さんも元気に遊んでいるとの知らせに、まずは"ほっ"と一安心。


私も旅先で、よく車のトラブルに遭遇します。

昨年末のザルツブルク(サウンド・オブ・ミュージックツアー)でも、NZ滞在時に語学学校から行ったミニ旅行でも、バスがエンジントラブルを起こして動かなくり、応援の車を呼ばなければなりませんでした。

カンボジアでは私の前を走る車が故障した為に、私が乗っていた少し大きめのワゴンにその乗客らを乗せたこともあります。

そして、実際に乗っていた車が接触事故を起こしたことだって。。

それは今から8年前、パリの"ど真ん中"において、、。

私が滞在したホテルは「ibisホテル」。
それはパリでも特に治安が悪い17区にあります。

明日が帰国という日、つい時間が経つのを忘れてしまい、少しだけ夜も遅くなってしまいました。

ホテルの最寄り駅「ポルト・ド・クリシー」へは13番の地下鉄に乗らなければなりません。

一度パリを訪れた方はご存知でしょう。
地下鉄13番に乗るとガラッと雰囲気が変わります。
それは移民が多い地区だからでもありますが、夜に女性が一人で乗るにはどうかなって感じです。

地下鉄に慣れてきた私も、危機感のない私も、さずがにこの時だけは迷いました。

そして選んだのがタクシーです。

若い運転手さん。まともに会話ができない私には冷たい印象でした。


「イビスホテルまで、、。」返事はなし。

パリの街は沢山の車で"ごった返し"ていました。

ネオンがキラキラ輝きます。
街を行き交う車のライトも眩しいです。

私が乗ったタクシーの、その若い運転手さんはかなり運転の荒い人でした。

隙間が少しでもあれば、強引にも平気で車を突っ込みます。

キキィ~~~!!(°д°;;)
案の定、他のタクシーとぶつかりました。

どちらにも怪我はなかったけれど、、。

彼は大きな交差点の真ん中に車を止め、相手側に話をつけに行きました。
どこまで非常識でしょう。
周りの車も大迷惑です。(>_<)

間違いなく、こちら側が一方的に悪いことは私にも分かりました。

数分の間、私は車の中に置き去りにされ、戻ってきた彼は又も無言で車を走らます。
(何か説明されてもさっぱり分からないでしょうけど、、一言あってもいいでしょう、、?)

イビスホテル到着。

あの数分間もメーターは上がり続けていました。けれど それはお構い無し。

挙げ句に大きめのお金しか持っていなかった私は、お釣りはチップではなく、きちんと返してもらいたかったのに、、それを伝える術もなし。
今なら強気で押せたかもしれませんが、この頃の私は海外にいることだけで小さくなっていましたっけ。

運転手さんは最後に一言、「じゃあ」と言っただけでした。(たぶん。。。)

きぃ~!!(`o´)/
けれど、やはり何も言えない私。

悔しい思いをしましたが、怪我がなかっただけでも良しとしなくてはと我慢しました。

パリでは毎日のように恐い思いをしています。('07.10.12日記)
そして、まさか交通事故に遭うなんて、、。

「トラベル」の語源が「トラブル」とは、大きく頷けることですね。

花咲く頃。

*NZ クライストチャーチ、ハグレー公園にあるボタニックガーデンにて 【'01.09.28】

この日、私はCちゃんと花見に出掛けました。
ハグレー公園は日比谷公園の1.5倍ほどの広さを持ち(とにかく広いのです)、その5分の1をボタニックガーデン(植物園)で占めています。
公園内を流れるエイボン川は穏やかで、春・夏には花々が競い合って咲いています。
さすが、「ガーデンシティ」と異名を持つだけありますね。
ふと見上げると、着陸間近の飛行機が空低く飛んでいました。


今日の気温は、3月下旬から4月並みだったようですね。
この時期って毎年こんなに暖かいのかと思うほどの陽気。
香川でも20℃近くまで上がったと思います。

すっかり春!! もうすぐ『お花見』の季節ですね。


2001年、私がNZに渡ったのは南半球では寒さが厳しい真冬の7月。
NZ行きを決心し、職場の方達や友達に伝えたのは、それから5ヶ月遡った2月です。

その年の3~5月、私は色々な仲間からお花見に誘われました。

それは、もうじき退職をし新しく旅立つ私への励ましであったり、
中には、「picchuちゃんは来年の夏まで帰国しないのなら、再来年まで日本の春はお預けだね。今年はしっかり桜を楽しみなさい。」、と声を掛けてくれた先輩もいました。

ですから その年の春は、"しばしの別れ"といつもの何倍もの花達を愛でました。


そして7月、NZへ。

そして9月、半年違いでクライストチャーチにも春がやって来ました!!

ボタニックガーデンにも日本庭園があります。
桜の花々も咲き乱れています。

次回桜を見るのは2年後と勝手に思いこんでいた私の前に、今が盛りと花びらが舞います。

クライストチャーチの春は日本(香川)よりもうんと空が高く、一段と青さが増してきて、暗い冬から一気に明るくなります。

その頃の私は愉快な友達に囲まれて、全ての不安や悩みから解放された「人生の春」そのものでした。


今年も後半月もすれば、桜も見頃を迎えるでしょうか。。

私も負けずに、まだまだ沢山の「人生の花達」を咲かせていきたいものです!!

傷心のヨンサマ。

昨日の夕方のことでした。

昼間は太陽の下、しっかり表の庭で遊んだ愛犬「ヨンサマとクリス」を、父が家の中に入れようとした時のことです。

うちのヨンサマは、人を振り回して楽しむ癖?があります。
あの時も意地悪そうに、すぐには部屋に戻らずにコタツの周りを"ぐるぐる"走り回りました。

父が追いかけます。

ヨンサマはそれを喜び、ますますスピードを上げ、捕まらないように逃げ回ります。

バターン!! オゥ!!w(☆o◎)w
大きな音とともに父が前のめりに転びました。コタツの布団に足を絡めたのです。

左肩を強く打撲し、顎にもかすり傷が、、。(*_*)
(父は長年 透析を受けているのですが、それを左腕で行います。些細なハプニングが大惨事に繋がることもしばしば。。)

父は痛みの為、しばらく起き上がれませんでした。

クリスが顔を近づけて"クンクン"と見舞います。

ヨンは少し離れた場所から"じっ"と父の様子を見ていたそうです。
何が起こったのか、ヨンにとっても一瞬の出来事で分からなかったのでしょう。

そんな昨日、父は痛みで夜が眠れないのではないだろうか、次回の透析は大丈夫だろうかと色々心配もしましたが、怪我は思ったより大事に至らずにすみそうです。


しかし、もっと心配なのは『ヨンサマ』の方。

それからしばらく自分のサ一クルから出ようともせず、"じぃ~"っとして動かない。。
母が名前を呼んでも動かない。。。

ご飯を食べる姿も元気がないのです。

母がヨンに遊ぶようにと仕向けてみるのですが、やはり動かない。。。。

そんな時、私は自分の部屋へ連れていく為に二匹を迎えに行きました。
(二匹は日中は裏庭に通じる犬専用の部屋で遊んで、夜になると私の部屋で眠ります。)

いつになく、ヨンが私に飛び付いてきました。
小さく丸まっています。

自分のせいで父が転んで怪我をしてしまった。。
ヨンは小さい頭の中で様々なことを思い巡らせていたのです。

ごめんなさいでは済まされないかもしれない。。
ヨンは叱られるのが物凄く恐かったようです。

私の部屋に移っても元気はなく、、
いつも寝る時はベッドの中に潜ってくるのですが、昨晩は朝まで床の上で蹲っていました。

こんな小さな子でも色んな痛みが分かるのですね。
小さな小さな心も傷つくのですね。


今は少し元気が戻ってきましたが、まだまだ意地悪をするまでには復活していません。

もう気にしなくていいのよ。
ますます愛しく感じるヨンサマです。

音楽評論家・クリス!

アルバレスはアルゼンチン人、家具工場で働いていた彼は、地元の声楽コンクールでアルゼンチン国歌を歌って優勝したのを期にオペラの道へ進み、今や世界的なテノール歌手です。
テノール二人のデュエットは2003年当時では大変珍しいことだったそうです。


3/6に申し込んだリチートラのCDが届きました。

本格オペラに免疫がない私は、いきなりオペラ色強い彼のみの歌を聴くのに抵抗がありました。

ですからまずは耳を慣らす為に、オペラ・アリアの旋律をもとにアレンジした曲や、ポップスが加わったバラード・コレクションの作品を選んでみたのです。

アルバレスについても 今までその存在も知らなかった私は、一度に二人の旬のテノール歌手を知るいい機会。
ただ、二人とも甘く魅惑的な声色なのですが、DVDならともかくCDの為、どちらがどちらの声かは分かりません。。(^_^;)

「IL DIVO」は彼らのデュオの延長上にあるのかもしれませんが、やはりアルバレスとリチートラの方が本格的です。

*大衆受けするのは、間違いなく、「IL DIVO」。
オペラ界出身の3人にポップス畑のセバスチャンを加えるなんて、プロデュースしたイギリス人のサイモン・コーウェルの手腕には脱帽です。


私にはオペラはまだ早いのかなって感じました。

美しい二人の声が溶け合って心地良く耳に入ってくるのですが、まだ肩に力が入ります。
寝る前に音量を下げて静か?に流すにはいいかもしれません。


そう、私には少し上品すぎるようです。

ところが、うちの音楽評論家さん「クリス」は彼らのデュオを大変に好評価しております。
(私も素晴らしいことくらいは分かりますが、、。)

愛犬クリスはまだうちに来て間がない幼い頃から、情操教育?の一貫として毎晩音楽を聴かせていました。

はじめはモーツァルト。
その後、飼い主の私がIL DIVOの虜になった為に専ら彼らの歌声を聴いて育ちました。

夜が来るとDVDを流します。

惚れ惚れする歌声と容姿に、♂犬クリスも画面に釘付け!!
(ちなみに、もう一匹の愛犬ヨンサマは仰向けで寝転んでいます。音楽には興味がない模様。。)

このせいで、クリスは犬とは思えない異常なほどの反応を、TVの画面にも、音楽にも示します。

彼にとって美しいと感じるもののみ穏やかな表情でそれらを受け入れるのですが、
それ以外の場面(特に乱闘シーン)や耳障りな音には「アワワワ、アワワワ!!」と吠えかかります。

ですから、TVをつけると大抵は興奮して吠えています。

静かに耳を傾けるものは極僅かです。美しいものだけ。

そのクリスが、今はアルバレスとリチートラの歌声を聴きながら、気持ち良さそうに眠っているではありませんか!!
α波が出ているのでしょうかね。(^^)

私よりクリスの方が、随分と音楽通のようです。。o(^-^)o

* * *

このCDには、ジョニー・デップが出演している映画『耳に残るは君の歌声』("エリザベス"のケイト・ブランシェットも出ていますね。)の中に使われている同題の曲も収録されています。
映画の中でもリチートラが歌っているそうですよ。

また、「君は永遠に僕のもの。君は僕に声を与え、希望をくれる。君なしでは僕は歌えない」という、有名なイタリアのラブソング『永遠に僕のもの』も甘さたっぷりで聴かせてくれます。
アメリカのクラシカル・クロス・オーバーの若手歌手ジョシュ・グローバンもこの曲を歌っていますが、私はリチートラ達の方が深みがあって好きですね。

そして、私には最も馴染みやすかった『ソロ・アモーレ』。
これはバッハの"G線上のアリア"の旋律にイタリア語の歌詞で歌い上げているもの。
弦楽器の響きの上に彼らの声を自然にのせて、なんとも表現できないハーモニーを醸し出しています。
これほど弦楽器と溶け合う声を私は聴いたことがありません。気持ちいい。。
実力ある二人ならではの作品です。

エリザベス:ゴールデン・エイジ

やはり、この場面が一番格好良いと思いましたね。
有名なスペイン無敵艦隊アルマダとの海戦。
「私はスペインなど恐れない。私は風に命じよう!嵐でスペイン軍を吹き飛ばせと!」
「この戦いでは自分も生死をともにする覚悟をしている、一緒に戦い抜こう!」
女の私から見ても惚れ惚れします。(*^_^*)


この映画、実は先週の木曜日に観ました。

1998年に映画界に衝撃を与えた『エリザベス』の続編。
ならば、まずはその映画で予習をしてからと思っていましたが、早く観たい気持ちに負けてしまいました。
見終わって、やはり第一作目を観ようと、あちこちのレンタルショップを覗いてみたのですが、どこもVHSのみ。。(悲)。

少し不完全燃焼の気もしますが、忘れないうちに感想を残しておきたいと思います。


多くの方が口を揃えて言うように、「ケイト・ブランシェット」の演技は圧巻でしたね。
エリザベス1世像の好感度を上げるのにも貢献しましたし、
気高さとは、女王とはこういうものなのだと見せつけてくれました。

そして歴史物らしく、女性としてのエリザベスを魅了した「ウォルター・ローリー」も、彼女のお気に入りの侍女「もう一人のエリザベス(べス)」も実在の人物であったことに感心しました。
実際は違うドラマが彼女達の間に存在したでしょうが、当たらずとも遠からずといった感じでしょうか。。

女王として、女性として、その狭間で苦しむエリザベス、頂点に立つ者の孤独をケイトは堂々と演じきっていたと思います。


『私はすでに国家と結婚しています。』
これは自分の結婚をも外交に利用するという並々ならぬ才を持ったエリザベスが、スペイン国王の求婚を断るときに吐いた名言です。

この覚悟を持つまでに、いえ、この覚悟を持つ魂だったがために与えられたエリザベスの試練を思う時、ケイト演じるエリザベスの節々に見せる翳りある表情がなんとも印象的でした。

きっと第一作目の映画『エリザベス』の中で描かれていることでしょう、僅か2歳で母親を失い、あろうことか私生児として扱われ、弟や姉が君主の時代にはロンドン塔へ幽閉される時代など、
大きな魂は、普通では耐えられない試練を乗り越えさせられるのですね。

それ故に磨かれた洞察力や強かな計算力。
数ある君主の中でも、名君と呼ばれる方は一味も二味も違うのです。

今回の作品では、女王に君臨してからも、なおも続く暗殺計画や、もう一人の女王「メアリ・ステュアート」の存在、そしてクライマックスのスペインとの戦いと盛り沢山の歴史が溢れています。

ついローリーやベスとの三角関係、ヴァージン・クィーンとして名高いエリザベスの女性の部分の葛藤に目がいきやすいところがありますが (勿論、それが見所です)、この時代そのものが面白いと思います。

2時間でこれほどの内容をまとめるのですから、多少歴史を知っていなければ「メアリって何者?」の段階で躓いてしまうかもしれません。

歴史に疎い私ですが、ちょうど一ヶ月前に読んでいた「世界悪女大全(桐生操著)」の中に二人が登場していましたので、その対比にも興味がありました。
*その点については、ちょっと物足りない私です。
まぁ、この部分だけで一つの大作映画が生まれそうですものね。


映像に関しては、前評判通りに当時の衣装の華やかさは目を見張るものでしたし、エリザベスの鬘を見るだけでも楽しめます。

そして、やはりスペイン艦隊との決戦の舞台。
英国の火船が敵艦隊中に突入する時など、きっと私も興奮して鼻息が荒くなっていた?!ことでしょう。(笑)

要するに、特に歴史物が好きな人にはたまらない作品。

ただ欲張りな私には、もう少しエリザベスの女王としての采配の場面が見たかった、、
もっとエリザベス自身が時代を動かしている姿を見たかったです。

最後に、ケイト・ブランシェットが演じているエリザベス女王は、臣下には見せられない弱さも、"国母ならではの、計り知れない無気味さ"も見事に表現していたように思います。


このエリザベス治世から約250年後。
もう一つの英国ゴールデンエイジを作り上げたのはヴィクトリア女王。
ここでも輝かしい時代を築いていったのは「女性」なのですね。(*^―^*)

マザー・テレサ

*この写真は、もう12年も前でしょうか、、高松市で催されていたマザー・テレサについての展示会に行った時に戴いたものです。


1997年9月5日、
その頃の私は、現在もお世話になっている老人ホームまで自転車通勤をしていました。

その日の夕方のこと。私は施設から程近い、産業道路を渡る為に車が通りすぎるのを待っていました。
自転車をこぎだした瞬間、"ふっ"と思ったことを今でも覚えています。

『お会いできないかもしれないな。』

同日の夜10時、TVから流れるニュースで「マザー・テレサ」がお亡くなりになったことを知りました。


私は大学生の頃から「マザー・テレサ」について気になり始めました。
1994、5年のことです。

彼女の生きる姿勢と、その深い愛情から生まれる行いに感銘を受けた私は、実際に彼女にお会いしたいと強く望むようになっていました。

就職して間もない頃だったと思います。
日に日にインドのカルカッタ行きへの思いが高まっていきます。

私はある方に、"インドで一年ほど、マザー・テレサのもとでシスターと共に生活したい"と打ち明けました。

「僕らのような凡人には彼女達と生活をし、同じような行いをするなんてことは絶対無理な話だよ。
いいとこ"マラリア"にかかるのが落ちだよ。」
そう答えられました。
"なんて失礼な人だろう"、と当時の私は腹を立てましたが、今思えば彼の言うとおり、私では到底彼女達の真似ができるはずもありませんね。

それでも一度でいい、マザーに会いたいと思い続けていたのです。

あの9月5日、もう会えない予感がしたのは"虫の知らせ"だったのでしょうね。


それから数日後、
TVで「マザー・テレサ 母なることの由来」が放送されました。
これは1986年に制作されたものです。

内容についてはHPから書き写しますね。
【悪疫と飢餓に悩むカルカッタ、戦禍渦巻く中東レバノン、麻薬と暴力の街ニューヨーク。
マザー・テレサの精力的な活動を5年間、10ヶ国に渡り追った記録と共に、ごく平凡な家庭に生まれた彼女の生い立ちから「偉大なる聖女」と呼ばれ世界中の尊敬を集めるまでの経過を克明に描いていく。
あらゆる困難を乗り越え、世界中に愛を届けた一人の女性の記録。】

私は涙を流しました。
"こんな素晴らしい人が、もう地球上にいないなんて、、。世界はどれほど大きな人を失ってしまったのでしょう。"
拭いても拭いても、涙が出てきます。

昨年このドキュメンタリーと、2004年に制作された『マザー・テレサ 母なるひとの言葉』が、彼女の没後10周年のイベントとして再度 全国の映画館で放映されました。

この作品が、もうじき岡山の映画館へもやって来ます。
すでに終了したところも多いようですが、
東京では〈吉祥寺バウスシアター〉にて3/29~、
大阪では〈シネ・ヌーヴォ〉にて3/15~、
北海道では〈シアターキノ〉にて4/19~5/2、
福岡でも〈KBCシネマ〉で7月に上映を予定されています。

10年経って、もう一度彼女の生きた軌跡を学びたいと思います。

マザー・テレサ、
『おこなってこそ、愛なのです』
人種も宗教も超えてこの言葉を実践した、ひとりの女性・・・。

研究の余地あり?!

最近の私は物忘れがヒドイです。

記憶力が悪くなったと言う方が正しいかもしれませんね。


私は学生の頃から勉強は嫌いでしたが、暗記力はいい方でした。
ですからテストは一夜漬けでも大丈夫。
(さすがに高校時代はそれでは済まされませんでしたけれど、、。)

特に数字に強かった私は、今でも中学・高校時代に好きだった男の子の住所や電話番号を覚えています。
(かなりの浮気性なので、好きな男の子は沢山いました♪)(*^_^*)

けれど今は、振り向いただけで忘れてしまうほどの重症です。。(T_T)
老人ホームという職場柄、愛すべきお年寄りの物忘れが移ったのでしょうか、。、

これは私にとって非常に重大な問題なのです!!


私はよく思い返してみました。これほど記憶力が低下したのはいつ頃からか、、。

何度 思い返してもたどり着く答えは一つです。

それは、『ニュージーランド』!

ワーホリでNZに滞在した あの9ヶ月。
確かに悩みもなくストレスもなく、ひたすら長いホリデーを楽しんだわけですから、その緊張感の無さが記憶力を失わさせたのかもしれません。

ですが私が思うに、『南半球』が要因ではないかしらということ。
『北半球で生まれ育った私が、長期間にわたり南半球で過ごしたこと』、これが大きく影響しているように思うのです。
*あくまで、私 一個人に対するものです。。

今までも何人かの友達に話したことがあるのですが、未だ大賛成してくれる人は一人もいません。(T_T)


〈北半球と南半球の主な違い〉
1. 季節が逆。(真夏のクリスマスもいいものですよ♪)

2. お月様も星座の向きも違います。(もちろん、見える星座も違いますよね。)

3. 太陽は北半球では東から昇り南を通って西に沈みますが、南半球では東~北~西へと移動します。(日当たりが良いのは北向きのお部屋です。)

4. 低気圧の周りの風は北半球では時計の針と反対向きですが、南半球は時計の針の回る方向に吹きます。

5. 自転の遠心力のかかり方が北半球と南半球では逆なので、台風や渦潮の巻き方が北半球では左巻き、南半球では右巻きになります。

私はこの他に海流も北と南では反対なのかと思っていました。
けれど調べてみて、これについては間違いだと分かりました。
*基本的に、北半球の亜熱帯・南半球の熱帯と寒帯循環は時計回り、北半球の亜寒帯と熱帯・南半球の亜熱帯循環は反時計回りに循環するそうです。

とにかく、北半球と南半球とでは逆さまなことが多いですよね。

地球から発する自転の影響などを考える時、その上で生活している動植物にも何らかの影響を与えているのは確かです。

ですから、北半球の人間の私がある一定期間 南半球で過ごしたことにより、その影響を受けたとしてもおかしくはないです、、よね?

ということは、まさか血流が逆になるとまでは言わないけれど、
もしかして、私の思考回路が逆さまになった?? (^_^ )( ^_^)

それはないでしょう、というお言葉が投げられそうですね。。。(^^)


これは研究の余地ありだと思うのです。
全く影響なしという方が疑問に思えるのですが、、。

さて、これを研究して、何かしら答えが出たとして、、
だから私の記憶力が悪くなったことには結びつきそうにはありません、、ね。


*ちなみに気候風土がもとになる風水について気になって調べてみました♪
風水の発祥は中国ですが、南半球でも赤道周辺でも風水のやり方は同じだそうです。
ただし、あらゆる方向が南しか存在しない北極と、その正反対の南極では通用しないということです。

眠たい理由。。

*さすがに今晩はお疲れのヨンサマ(左)とクリス。


昨日はヨンとクリスの散髪の日でした。

いつもは2ヶ月に一度カットをしてもらい、さっぱりと男前になって戻ってきます。

でも今回は季節が冬ということで、4ヶ月ほど長く毛を伸ばしていました。

家に帰ってきた早々、お互いを舐め合い、じゃれ合い、走る時も二匹並んで離れようとしません。

ヨンサマ3才、クリス2才、今は盛りの二匹です。
これからの春先は元気な男の子ですもの、ちょうど発情期に入ります。


お店でメス犬の匂いを嗅いできたのでしょうか、、。
「シャンプーの匂いで興奮するワンちゃんも多いのですよ。」、お店の人はそう言います。


「ハヒハヒ、ハヒハヒ。」
とにかく落ち着きがなくなります。
喉が渇くのか、飲み水を入れた器もすぐに空っぽです。


「ハヒハヒ、ハヒハヒ 。」
いつもは私と一緒におとなしくベッドで丸まる彼らも、昨晩はベッドから降りたり、また飛び乗ったりとその繰り返し。。


"うろうろ、うろうろ"、"パタパタ、パタパタ"。。。


時には私の顔をペロペロと、、。(∋_∈)
「こらぁ~、いい加減に寝なさぁ~い!!」
きっと私は夢の中でもうなされていたと思います。


それは明け方近くまで続きました。
ヨンもクリスも昼間に眠れるからいいものの、私は今日から長い一週間が始まります。

そんな憂鬱な月曜日。悲しいかな、ほとんど眠れずに夜が明けていきました。

真珠の耳飾りの少女

*オランダを代表する陶器「デルフト焼」。
このお皿は、アムステルダムから電車で15分ほどの「ザーンセ・スカンス」へ、風車を見に行った帰りに見つけました。
(最寄り駅「コーフ・ザーンダイク」には快速列車は止まりませんので要注意です。)


オランダ・デルフトが生んだ巨匠「フェルメール」。
"オランダのモナ・リザ"とも呼ばれる彼の名画『真珠の耳飾りの少女 (青いターバンの少女)』を私は二度も近くまで行きながら見たことがありません。

オランダを訪れた2004年末、この絵を観る為に「ハーグ」行きも考えたのですが、行き先を「ブリュッセル」に変更したのです。

そして、2000年7月。
確か大阪の天王寺で「フェルメール展」がありましたよね。
7/1、私はモンゴルから帰国し、関西空港からの帰りに美術館へ立ち寄ろうと思っていました。
開催はその翌日まで、場所は大阪市立美術館(JR天王寺駅から500mくらいでしょうか)でした。
その天王寺駅からの長い列を見た私は、疲れた体に鞭を打ってまで並ぶ勇気も出ずに泣く泣く諦めました。

この展覧会が開催される時、日本でも この『真珠の耳飾りの少女』が随分と話題になった記憶があります。

私は新聞に大きく掲載されたこの絵を切り抜き、しばらく自分の部屋に飾っていました。

この作品からアイデアを得た小説『真珠の耳飾りの少女』の作者トレイシー・シュヴァリエも、自分のベッドルームにこの絵のポスターを飾っていたようですね。
彼はそのポスターの少女をじっと見つめていたら、突然に小説の着想が浮かんできたようですが、同じようにいつも少女の顔を見ていたはずの私にはインスピレーションはなし、、。
悲しいです。。


今日は"ずっと"気になっていた、その映画『真珠の耳飾りの少女』のDVDを見ました。(やっと...)

【フェルメールの家に使用人としてやって来た少女グリートが、いつしか彼の弟子となりモデルとなり、そして画家に創造力を与え、いつしかお互い惹かれあっていく。
しかし、フェルメールには嫉妬に身を焦がす妻がいて、また好色なパトロンも存在する。
二人の許されない恋の行方と、あの名画が生まれた背景は、、。】

話しの内容も静かではありますが、実話かと錯覚しそうなほどの見事なできばえ。

当時の画家の背景にあるパトロンの存在や、絵の具の調合なども知れて興味深かったです。

まず最初に面白かったのは、グリートと共に働く使用人の女性が、フェルメールの名画「牛乳を注ぐ女」そのものだったこと。
この映画、何気ない細部までフェルメールの世界を再現しようとしたのですね。


そして何より、この映画の素晴らしさは『光と色彩』です。

映画の中の彼のアトリエは、実際のフェルメールの絵に描かれた『色』そのままに感じます。

映像の端々に感じる『光』と『青色』はまさしく彼の世界。
勿論それは、話しのモデルになった少女が頭に巻いているターバンにも、デルフト焼にも通じる青です。
それは決して華やかさや明るさではなく、あくまでも地味な中にも目を引く存在感。
巧い映像だなぁと感心しました。

色彩や視覚について学ばれている方は、この映画を違う角度で楽しめると思います。


二人は一度触れ合った手にお互いを感じたことはありましたが、それ以外は触れ合うこともせず、想いを口にするわけでもありません。
二人に流れる空気と時間は静けさに包まれています。

グリートが絵のモデルになった時、フェルメールは彼女に何度か彼女自身の唇を舐めるように促します。
私はあのシーンがこの物語を地味ながらもより艶(つや)やかなものにし、二人の感情の高ぶりを表しているようにも思います。
素朴ですが、逆に色っぽいです。


そして、後半になって重要な役割を果たす『真珠』。
作家トレイシーはこの真珠で作品に色合いを出しましたが、私はこの絵の青いターバンが好きです。
誰かこのターバンも主役に、この少女とフェルメールの話しを書いてくれないかなぁ、、と期待しております。

この映画は、もとになったトレイシーの小説と結末が少し異なっているのだとか。
これは小説の方も読む価置がありますね。


*nanaco☆さんへ
私はこの後、主人公グリートは肉屋の少年と平凡に暮らしたと思います。
その方が、彼女の人生の中で「あの時間」がひときわ輝きますから、、。
あくまで私の願望です☆

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