I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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クライストチャーチで美容院へ行く。

*Worcester St. Christchurch【'01.11月 語学学校への通学路にて】


初めてNZで美容院へ行った時のこと。
ある日、学校帰りにショッピングモールの小さな美容院を覗いてみました。

"ずいぶんと髪も伸びてきたし、今日はさっぱりと切ってもらおう!"o(^-^)o

英語でうまく説明できない私は、雑誌の中から気に入った髪型を指差します。

「じゃぁ、流し台のところに来て。」 まずはシャンプーをしてくれます。
私の知る日本の美容院は、全てシャンプーは別料金。
ですから、「今日はシャンプーをなさいますか?」といつも尋ねられていました。

NZでは、カットをお願いするとシャンプーは無料でしてくれるようです。
ふ~ん、、何だか得した感じ。

手際の良い美容師さんでしたので、あっという間にシャンプーもカットも完了です。
ここでもう一度、髪を流します。

軽く髪を拭きながら、美容師さんは初めて私に尋ねました。
「ドライヤーはかけた方がいい?」

日本では当たり前のようにドライヤーで乾かした後、綺麗に整えてくれますよね。
まだ全然乾いていないのに~、、 「ドライヤーはして下さい。」と私。

何だかめんどくさいそうな美容師さん。
一通り髪に風を送った後、「はい、終わったわよ。」
その程度では髪はまだまだ濡れています。 え~、まだ冷たいよぉ~。(-"-;)

ブラシで髪をとくのもいい加減。

私がアジア人だからでしょうか、
英語がほとんどできなかったからでしょうか、
それとも、NZではこれが普通なのでしょうか。。

日本が丁寧過ぎるだけかもしれませんけど。。。

* * *

明明後日出発の韓国旅行の為、今日は仕事帰りに美容院へ行って来ました。

2年前には顎の少し上ほどの長さだった髪の毛は、気が付けば背中の真ん中まで伸びています。

美容師さんも、「picchukoさんの髪は伸びるのが本当に速いよね。」と驚いた様子。

今回は後ろ髪を揃え、前髪を少しだけ増やしてもらいました。

ここは丁寧過ぎる日本ですから!
気持ちの良いマッサージのおかげで、昼間から辛かった頭痛も治りました。(^^)


韓国の美容院ってどうなのでしょう?!
なんだか、アジアンビュ一ティ一って感じですよね。^^

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David Garrett

*デイヴィッド・ギャレット(ヴァイオリン)

1980年9月4日、ドイツ生まれ。アメリカ人とドイツ人のハーフ。
4歳の時にヴァイオリンを始め、8歳にして国際的オーケストラとソロとして共演。
子供の頃から、ヨーロッパや日本などの主要都市で演奏をしたり、偉大な指揮者らと共演し、ソリストとして大絶賛される。

* * *

ドイツ在住のsuhさんが1/14の日記で紹介して下さった"David Garrett"。

そのsuhさんが、彼に興味を持った私の為にとCDをコピーして、はるばるドイツから送ってくれました。
*suhさん、改めまして有難うございます。

届いてすぐ、封を切るや否や早速聴いてみました。
suhさんと同じく、やはりその音色に魅了された私。*^^*


そして、suhさんの3/18の日記からは、彼のミュンヘン公演の興奮が伝わってきます。

日本にも来ないかなぁ・・と調べてみると、4月に来日するではありませんか!!

"チケットぴあ"のHPには彼のインタビューも掲載されていて、既に日本にも多くのファンがいることを知りました。

大阪公演は4/25夜。
行きたい! 行きたい! 行きた~い!! 心は高鳴るばかりです。

25日は金曜日。
仕事を半日休まなければ、19時からの公演に間に合いません。
う~~~、、GWを目前に、この決算期に、有休をくださいとは何となく言いにくい、、。(>_<)

行きたい今が"旬"なのにぃ~、、。(>_<)
私は最後まで迷いつつも、結局は断念しました。

後日suhさんの話によると、Davidの体調不良で来日自体が中止されてしまったとのこと。
諦めた私にとっては次回の来日が早まるチャンスかとも思いましたが、それ以上に彼の健康が心配です。

そうです。ヴァイオリンの音色だけでなく、私はセクシーな彼の姿に一目惚れ。
どうも私はセクシーな男性に弱いようです。(≧▽≦)
(又も注意書き : それでもウルスが一番です!)
一日も早く、元気で来日される日を心待ちにしています。

* * *

彼のヴァイオリンは、聴く人の中に"すぅ~"と入ってくるような。。。

伸びやかで、リズミカルで、遊び心も含まれて、、。
心の深呼吸に"もってこい"の音色だと思います。

収録曲には、私の好きな"カルメン"もありました。
彼が演奏したカルメンは、
カルメンの舞台であるスペインとも、作曲家ビゼーの故郷イタリアとも違う、私にとって不思議とドイツを連想させるもの。
妖麗な魅力を醸し出しながらも、凛とした響き。
新たなカルメンの魅力との出会いでもありました。


少し前のことになりますか、
NHK教育のある番組で、岸恵子さんが画家"モディリアーニ"について、
「彼が描くと、誰を描いたとしても結局はモディリアーニになってしまうのよね。
自分とそっくりに描いて欲しいのなら、絵描きではなく似顔絵師に頼まなくちゃね。」
と語っていらっしゃいました。

これに頷くと共に、私はDavid Garrettの音色を思い出していました。
天才Davidは、曲そのものを自分の中で消化しつつ、また別の新しい曲として生み出していて、
その上で、あのテクニック。

そして、聴く度に新鮮な時間をプレゼントしてくれる。。。


最近の私はいつも、車の中では「IL DIVO」、部屋の中では「David Garrett」の音色に包まれています。


*suhさん、本当に感謝しています。

サムナンくんと象に乗る!

*シェムリアップ到着後、最初に向かったのがアンコールトム。
その入り口である南大門に至るまで、幅130mの橋の両脇には蛇神ナーガを引き合う阿修羅と神デーヴァの像が54体ずつ配されています。
モチーフはヒンドゥー教の天地創造"乳海撹拌"。

その神々の前で、「はいっ! ポーズ!」【'00.03.01】

* * *

出会った瞬間から心が通い合う、、
そういうことって、一生のうちで何度経験できることなのでしょうか、、。

サムナンくんとの出会いは正にそうでした。('07.12.14日記)
"なんだぁ~、あなたはここにいたのねぇ。"
まるで、遠い昔に離れ離れになった弟と巡り合った感じ。

二人は笑い転げながら遺跡の中を駆け回りました。


午前中に「アンコールトム」、午後に「アンコールワット」というお馴染みのコースで巡ります。
日中はかなり日差しが強く、暑さで身体が参るほど。
あまりに広い遺跡を観て回るだけでも体力が消耗してしまうのに、アンコールワットでは第3回廊へ続く45度の急傾斜の階段を、足を震わせながら上っていきます。

上りも恐いけれど、下りは泣きそうに恐かった。。。(私、とても恐がりなんです。)
サムナンくんに助けてもらいながら、ようやく下界?に戻ることが許されました。(>_<)

疲れと緊張でクタクタの私。
横にいるサムナンくんの笑顔とは大違いです。

その日の夕方は、観光客なら必ず訪れるでしょう「プノン・バケン」の丘からアンコールワットの夕日を拝みました。

プノン・バケンとは、ヤショバルマン1世によって900年頃に建立された寺院。
高さ65mの自然の山を生かして、世界の中心となる須弥山としました。
山頂には基壇と祠堂が残っています。
そういえば、かなり怪しいけれど"ブッタの足跡"も祀ってありました。

山頂からの視界は360度。
密林の中に浮かび上がるアンコールワットを見た時、時空間というもの全てが一瞬 封じ込められたような錯覚を覚えます。
息を呑む瞬間です。

振り向くと、サムナンくんも嬉しそう。
何といってもクメール人の誇りですものね。

* * *

このプノン・バケンを上り降りする時、象に乗ることができます。
上りがUS$15、下りがUS$10と記憶しています。

旅の想い出に、せっかくですので帰りに乗ってみることにしました。
「僕がお願いしてきますね。」
確か、そこで記名をした覚えもあります。

「私一人だと寂しいから、一緒に乗りましょう。」
私はサムナンくんを誘いました。

「心配しないで。あなたの$10は私が支払うから。」

彼は戸惑いながらも、でも嬉しさを隠しきれない表情で自分の名前を書きましたっけ。

恐がりの私は、ここでも彼に手を引かれながら象に乗ります。
思いの外の高さにドキドキです。

象はゆっくりと歩き出しました。

草木が垂れ下がる中、右手には今!まさに夕日が落ちていこうとしているアンコールワットが、最後の輝きを見せています。

象のお尻が揺れる度に、私達も身体が上下左右します。

「うぉっ! うおっ! うお~!」
サムナンくんは自分がガイドだということを忘れ去っているようです。

「初めて乗ったの?」
興奮に興奮している彼は、象の背中で飛び跳ねるように頷きます。

「はぁ~、スゴいですねぇ~~~!!」
半ば下り終えた時、彼は少し我に返ったようでした。。o(^^)o


これほどの無邪気な笑顔に、カンボジアは私にとって特別な国になりました。

あぁ、ソウル行きを目前に、又も違う国に気持ちが飛んでしまったようです。。
5/3早朝発、そろそろ荷造りしなくては、、。(^_^;)

生まれ変わるカンボジア!

*「アンコールトム」にて"バイヨン寺院の観世音菩薩の四面塔"
このお顔が一番美しいとガイドのサムナンくんに勧められて撮った一枚です。
この日のバイヨン寺院は珍しいことに他に人影がなく、噎せ返る暑さの中を私達二人だけが遠い昔に還っていくかのようでした。
【'00.03.01】

(サムナンくんとの思い出は、9/14と12/14の日記に載せてあります。)


毎週土曜日、夜の8時からのNHK番組"探検ロマン世界遺産"と9時から始まるTBS"世界ふしぎ発見!"。
私は、興味ある国が紹介される度にチェックをし、いつも放送を楽しみにしています。

昨日の"ふしぎ発見"では、「黄金の大地カンボジア もうひとつの邪馬台国の謎」がテーマでした。

私がアンコール・ワットを訪れてから 早7年。
あれから、目まぐるしい成長を遂げるカンボジアの姿がそこにありました。

2001年、私がカンボジアと出会って間がない頃、上智大学学長の石澤教授率いる調査団が、アンコール遺跡から274体もの石仏を発見されました。
私も現地で立ち合いたかったなぁ~、と思った日のことが懐かしいです。

昨年11月に、アンコール遺跡群のあるシェムリアップにおいて、「シハヌーク イーオン博物館」がオープンしたとのこと。
そこには、その発掘された多くの石仏のうち、バラバラになっていた頭部と体の部分が一致したものを展示してあるそうです。
次にカンボジアを訪ねた時、新たに行きたい場所が増えました。o^^o

アンコール王朝の起源となるかもしれないプンスナイ遺跡から始まった今回の番組。

中国の長江文明を栄えさせた人々が、漢民族の侵入から逃れて南下してカンボジアへ。
東に向かった人達が日本に稲作を伝えたのではないかという興味深い内容。
タイ国境に近いカンボジアの扶南に現れた女王"柳葉"と、邪馬台国の女王"卑弥呼"の共通性。

カンボジアの人々の屈託のないあの笑顔を、より身近に感じた1時間です。o(^―^)o

そして、これらの面白い話題の延長線上に、現在カンボジアの復興に力を注いでいる何人もの日本人が紹介されていました。

地雷除去機を開発されている方。
カンボジアのシルク織物を復活させ、黄金のシルクの元となる黄色の繭を生む蚕の飼育や樹木の栽培に取り組んでいる方。
内戦により、3本しか残されていなかったカンボジア特産の胡椒の木の栽培を立て直されている方。
*カンボジアの胡椒は粒が大きく、柑橘系の香りがする世界一美味しい胡椒だそうですよ!(^O^)/

しっかりと足元から復興しているカンボジアを見る時、
こうやって多くの方々の支援の大きさに改めて感動致しました。


カンボジアは、私が初めて愛おしく感じた外の国。
ザルツブルクへの想いとは全く違うものですが、やはり胸が"きゅん"とします。

親心?のように、新しく成長したカンボジアと再び出会える日を楽しみにしている私です!

ヨンサマ、4歳になる!

今日は、愛犬『ヨンサマ』の4回目の誕生日です!
*私のヨン!、おめでとう!!これからも、ずっと一緒だよ。(≧ω≦)b

この子は非常に賢い犬。
その理由の秘密は誕生日にありました。
彼は英国の大文豪"シェイクスピア"と同じ誕生日に生まれたのです。
シェイクスピア生誕より440年後。

ホント、「4」という数字に縁の深いヨンサマですね。
四つ葉のクローバーのように、沢山の幸せを運んでくれます☆

* * *

シェイクスピアのお話とは違うのですが、
"イソップ寓話"に「犬と肉」というお話がありますよね。

【一匹の犬が肉をくわえて橋を渡っていました。
ふと川を見下ろすと、知らない犬が同じように肉をくわえて、こちらを見ています。

"なんだかアイツの肉の方が大きそうだぞ。
そうだ。少し脅かして、あの肉も奪ってやろう。"

「ウ~、ワン!!」
ボッチャ~ン! 案の定、肉は川に落ちて流されてしまいました。】

あまりにも有名過ぎて、あらすじを書く程のものでもありませんが、うちでは↑と似た出来事がヨンサマとクリスの間で日常茶飯事のように繰り返されています。

* * *

ヨンサマの弟分クリスは、いつもいつも食欲旺盛の育ち盛り。

ヨンサマは自分の必要なだけ食べた後、きちんと"ご馳走さま"のできる お利口さん。

ですから、おやつとして犬用ビスケットを与える時、少しだけ大きめの"かけら"をクリスにやります。

クリスは勢いよくビスケットに飛び付きます。
ヨンサマは、慌てずゆっくりビスケットに近付きます。

自分のビスケットをくわえながら、クリスは横目でもう一つのビスケットを発見です!

"しめしめ、ヨンサマはそれをまだ口にしていないぞ。"へ(^o^ヘ♪

欲張りクリスは、"それも欲しい☆"とヨンサマを押し退け、彼より先に飛び付きました。
夢中のクリスは自分がくわえているビスケットのことなど"すっかり"忘れています。
もう片方のビスケットのことしか頭にありません。

大きく口を開いた瞬間、自分がくわえていたビスケットは足元に転がっていきました。
けれど、それさえも気付かない間抜けなクリス。

ヨンサマのビスケットを食べて大満足のクリスですが、
実は、自分に与えられた大きめのビスケットは、彼が得意そうにヨンサマの分を食べている間に、冷静で静かな表情のヨンサマによって食べられてしまうのです。

欲張ると、逆に損をするということですね。 ^^; ぷぷぷ。

まぁ、おとぼけクリスがその事実に気付いていないのが救いでしょうか。。(^^)

大切なのは「トイレ事情」!

*ブリュッセルのある日の午後。
【欧州最古かつ最高級のアーケード街、"ギャラリー・サンテュベール"入り口にて '05.01.01】


今日の話は、('08.01.08日記)『タリスを止めた女☆』の続編であり、一昨日('08.04.23日記)と同じく『~を探して三千里編』でもあります。^^


「ノートルダム大聖堂」を後にした私は、正月元旦のひっそりとした街中を歩いてアントワープ中央駅へと向かいました。
途中 道に迷った私は、近くの男性に駅への行き方を尋ねたものの"さっぱり"分からず、、、
バスの運転手さんに聞こうとしても、「すぐそこだよ。」と相手にされず、、、。
迷いに迷って何とか駅に辿着きました。

オランダのアムステルダムから、特急列車タリスの始発と最終での 無謀とも呼べる"ベルギー日帰り旅行"。
時間のない中で、ふと気が付けば太陽は真上に昇っていました。
私は駅構内に駆け込みます。

アントワープからブリュッセルまで1時間弱、今度は普通列車に揺られます。

目的地はブリュッセルの「グランプラス」。
それは世界一美しいと称賛された、壮麗な建物に囲まれた欧州屈指の広場です。(1998年、世界遺産登録)

グランプラスの最寄り駅はブリュッセル中央駅。
*タリスでブリュッセルに行く場合は、この中央駅には停まらないので要注意です。
ターミナル的性格が強い南駅から一駅のところにあります。

ブリュッセルが近づいて来ると、列車の中はどんどんと混み合ってきました。
乗車口付近は特に混雑しています。

中央駅に着いた時、最もドア近くに立っていたのはイスラム系らしき身なりをしたご夫婦と小さな子供でした。
列車から降りる時、彼らはドア開閉ボタンを押さなければならないことを知らないのか、「なぜ? なぜ開かないの?」と焦りを隠せない様子。

それに気付きながらも私は、人混みのせいで簡単に彼らの下に近づくことができません。

周りの人達がザワザワし始めました。
他の誰かが彼らのパニックに気付いた時にはすでに遅く、列車は中央駅を後に走り出しました。

私にとっては、たった半日間で2度の乗り越し。。(―_―;;)

次の南駅で下車した私は、引き返す列車までの時間、ぐるっと構内を見て回りました。

「今日はついてない。(;_;)」、そう思ったこの出来事、実はこの後、《塞翁が馬》となるのです。


中央駅到着後、まずグランプラスを訪れた私は、少しトイレに行きたいと感じました。

どこかに公衆トイレはないかしら、、?
広場を一回りするも、それらしきものは見当たらず。

お腹も空いてきたのでレストランでトイレを貸してもらいましょう。
そうしましょう。そうしましょう。(^^)

客引きの賑やかな『イロ・サクレ地区』にある、一件の老舗レストラン。
気さくなお兄さんにニューイヤーのシャンペンをサービスしてもらい、一緒に仲良く写真まで撮りました。
しかし、すっかり馴染んだのが裏目に出たのか、なんとなく「トイレに行きたい」とは言い出せず、、。

レストランを出た私はトイレを求めて中央駅へと向かいました。

さほど大きな駅ではないけれど、トイレはとても地味に分かりにくい場所にあります。
やっと見つけたにもかかわらず、「故障中」☆(ToT)(ToT)(ToT)

あぁ~ん、やっぱりレストランでお願いすれば良かったぁ~。。。><。。

又もや当てもなくトイレを求めてさ迷う私。。
当たり前ですが、誰も代わってはくれません。(T_T)

その時に天からのお告げか、数時間前に何気に見て回った『南駅』構内が脳裏に浮かんだのです!!
(>_<) 神様、感謝します! (>_<)

私は列車に飛び乗りました☆
我慢に我慢を重ねた私の救世主は南駅のトイレでした!
ですが、私にとって用を足してしまえば、後は全く用のないこの駅、すぐさま中央駅まで戻りましたけど。。(^_^;)

旅先では、『トイレ事情』は最重点事項です! 要チェックです!!

ウェリントン=ハンバーグ?!

*NZ唯一の政府管理による博物館「ティパパ」。1Fが博物館、2Fが美術館です。
マオリ族の文化や歴史にも触れることができてとても面白いですよ。
2階建ての黄色バスも可愛いでしょ!!【ウェリントン '02.01.06】


一昨日の夕食は、私の大好物のハンバーグでした。
昨日の朝、その残りを食べて仕事場へ。

そして昼食。
昼食はいつも施設の給食を戴いています。
なんとその日のお昼もハンバーグ。。。
いくら好きだと言っても、こうも続くと夢にまで出てきそうですね。(^^)


昔からハンバーグが何よりも大好きだった私。
そんな私の為なのか?、県内にあるハンバーグ専門のレストラン『ウェリントン』。
家から車で30分以上はかかるでしょうか。
遠い昔、滅多に連れて行ってもらえない幼い私にとって、レストラン・ウェリントンは本当に特別なお店だったのです。

『ウェリントン』・・これがNZの首都の名前だと知った頃には、すでに私の中で"ウェリントン=ハンバーグ"という方程式がしっかりと成り立っていました。o^^o

ワーホリ先をNZに選んだ時、
はじめは南島のクライストチャーチに滞在し、慣れた頃にウェリントンへ引っ越そうと考えていました。
(実際は、最後までクライストチャーチを基点としていましたけど。。)

クライストチャーチは緑豊かで開放的で、どこの街よりも暮らしやすい所なのですが、やはり刺激が足りません。
少しつまらなさを感じ始めた頃、私はウェリントンを訪れました。

ウェリントンは大都会ではないにしろ、NZの中では洗練された賑わいのある街。
また、"Windy Wellington~風の町ウェリントン"と呼ばれるほど強風で有名な街でもあります。

"ウェリントンでハンバーグを食べましょう♪"

レストラン・ウェリントンとNZの首都ウェリントン、直接関係がないことは十分に知ってはいましたが、
せっかくですもの、ウェリントンのハンバーグ屋さんも覗いてみたいではありませんか。(*^―^*)
*レストランの名前自体は、NZの首都名からとっているそうです。

2泊3日の小旅行。
ウェリントンの街並みをくまなく歩きながらも、心の中ではハンバーグ探し!

しかし、最後までハンバーグ屋さんを見つけることはできませんでした。シュン。。(*_*。)
結局、ハンバーグの代わりに「バーガーキング」でハンバーガーを食べて、自分を慰めましたっけ。

そして、半月ばかりで再びウェリントンを訪れた私が入ったお店は、、、やっぱりバーガーキングでした!!f^_^;

ルツェルンで台湾人・・・。

*ライオン記念碑【'06.12.31 ルツェルン】

~スイスは中立国として宣言する以前から中立的な立場にあったが、生活のために他国で戦う傭兵が相当数いた。
傭兵とは、金で雇われて戦争をするのである。
戦争は理念や理想を守るため、あるいは愛国心からやむを得ず戦争に赴くこともある。
しかしスイス人は、伝統的に金のために戦争に参加し続けてきた。
剛胆な山の民であるスイス傭兵は、ヨーロッパ最強の軍団の誉れを得た。

その敢闘精神の表れは、ルツェルンの瀕死のライオン像にある。
1792年、フランス革命勃発。
パリのチュイルリー宮殿で、民衆に襲撃されたルイ16世とマリー・アントワネット王妃を警護するために、身を挺して玉砕した786人ものスイス傭兵。

スイス傭兵は、雇い主に忠誠を捧げるのだ。
傭兵は国の外で戦うことにより、国内への外敵侵入を防ぐ。
つまり、金を稼ぎながら自国の永世中立を守ってきたのである。
不思議だが、巧妙な国防理念だといえる。~

~戦死したスイス傭兵を、心臓を矢で貫かれた瀕死のライオンになぞらえて、1821年に慰霊碑が完成。
勇敢な彼らを讃えるとともに、戦争の悲惨さを伝えてくれる。
これは、天然の岩に刻み込んだもの。
作家マーク・トウェインは"世界で最も悲惨で心打たれる岩塊"と記している。~
以上、「るるぶ ワールドガイド スイス」より


この悲しいモニュメントに足を運んだのは、スイス到着後の一夜が明けてすぐでした。

キラキラ輝く湖畔を歩き、空に向かって伸びる2本の鋭い尖塔が印象的な"ホーフ教会"を横目に少し坂を登ります。

ライオン記念碑のある広場入り口で、一人の男性がカメラ片手に誰かを待っていました。

一人旅をする私も、通りすがりの人に写真をお願いすることがよくあります。
きっと彼も同じように写真を撮ってもらいたいんだろうな、と思いました。

「私がシャッターを押しましょうか?」

彼は待っていましたと言わんばかりに、笑顔で大きく頷きます。

一枚、ライオン像を背景に写真を撮ってあげました。
すると、彼も私の写真を撮ってくれると言います。

こういうことは よくある話ですので、私もお願いしました。

「もっとライオン像に近づいて写真を撮ろう」、と彼は言います。

その時、ライオン像の前にある小さな池の周りにはアジア系の団体さんでいっぱいでした。
一人旅だと思っていた彼は、その観光客の一員だったのです。
台湾から来たのだそう。

池の手前に立ち、パシャリ。
またも交代してシャッターを切ります。

次に、「一緒に並んで写ろうよ」ということで、彼の友達にお願いをし、仲良く並んで一枚に納まりました。

すると、そのお友達も私と一緒に写ると言い出します。

又もライオン像をバックに、もう一人の台湾男性と並んで写真に入りました。

なんだか有名人の気分?!
訳の分からないまま、パシャリ、パシャリと台湾人のカメラに納まった私。???

彼らはとっても気さくで、そして不思議な人達でした。


おかげでスイス傭兵の死を悼むモニュメントを前にしても、少しも悲しくありませんでした。

ライオン像よりも彼らの濃い顔の方が記憶に鮮明に残っています。

私は予習をせずに旅行に出ることが多い中、ルツェルンだけはウルスの故郷だと"しっかり"下調べをして行きました。
スイス兵の忠誠心に胸打たれるはずでした。
なのにぃ~・・・(^_^)です。

地震予知ならお任せ??

昨晩、真夜中の1時過ぎ、大阪湾を震源地とする地震があったようですね。
兵庫県明石市で震度4、神戸でも震度3程度の、驚くような大きさではありませんでしたが、、。
けれど、いつ大地震が来てもおかしくない今日この頃、小さな揺れでも気持ちが悪いです。
それに震度4ってかなりの揺れですものね。

ちなみに高松では震度1、香川県中西部ではピクリともしませんでした。

* * *

私が左上の親知らずを抜いてから、愛犬ヨンサマ&クリスは別の部屋で休んでいます。

しかし、怖がり(讃岐弁で"おとっちゃま")の二匹ですので、夜中に鳴き出して近所迷惑になっても困ります。
ですから、母の隣りの部屋で眠るようになりました。

食欲旺盛のクリスは、早朝4時半からご飯が欲しいと催促に吠えます。
昨晩はなんと1時前から鳴き出しました。

その時はすぐに鳴き止んだそうですが、5分ほどして又も吠え始めるクリス。

母は仕方なく二匹の傍に行き、半分寝ぼけながらもなだめていました。

何時頃だろう、とラジオをつけると1時の時報。
そして地震速報がありました。

もしかして、クリスは前もって地震を感知したの?
今朝、その話を聞いた私がクリスに問いかけてみても、相変わらずの"おとぼけ顔"です。

もしも地震を知らせる賢い犬だとしても、、。
クリスはお腹が空いたといっては吠え、見知らぬ人が来たといっては吠え、TVを見ては吠えかかる始末。
いつもいつも吠えてばかりですので、その声色を判断できない私には意味がありません。

昨晩の吠えた意味だって、「クリスのみぞ知る」ですね。。o(^^)o

数分間のトキメキ?!

*スイス・ピラトゥス山 山頂より、遠くにルツェルンが見えています。【'06.12.31】


私にとって一番の慰めであり元気の源は、なんといってもウルス・ブーラー(IL DIVO)!!
彼の写真を見ずに、声を聴かずに一日を終えることは決してありません。

そんなウルスの故郷、スイスのルツェルン。
('07.12.19日記)にもルツェルンでの思い出について載せていますが、これはそのほんの数分前のお話です。

無事にピラトゥス山頂まで登ることができた私を前に、雪を覆ったアルプスの峰々が連なっていました。
スイスに来たんだぁ~、と感じた一番の瞬間です。

その年の暮れのルツェルンは、暖冬のために山頂(2070m)でも全然寒くありませんでした。
少し冷たい風が頬をつねるくらいでしょうか、、。

意外にも大勢の観光客。
冬のスイスは、スキーなどを楽しむ欧米人の観光客で溢れています。

皆さん、凍った足元に気を配りながら、その贅沢な絶景にため息を洩らしたり、はしゃいだり。。。

私もしばし その景色に見とれていましたっけ。
あまりにも空が近くて、思わず両手を広げてしまいます。

「ピラトゥス山」・・・
かつてイエス・キリストに死刑を宣告したというポンテウス・ピラトの亡霊がいると恐れられていたピラトゥス。
別の伝説では、大昔に竜が住んでいたとも。
標高はそれほど高くありませんが、天を突くような険しい岩だらけの山容はルツェルン市内からも望むことができます。

いくら暖冬といっても、山の天気は読めないもの。
私は、少し早めに下山をしようとロープウェイ乗り場まで行きました。

「君、下に降りるんだね。」
ロープウェイを管理するお兄さんに声を掛けられました。

「後5分くらいあるよ。お土産でも見てくるといい。」
乗り場からすぐの所に、観光客用のお店があります。

笑顔が眩しく、体格も良く、見るからに好青年のお兄さん。
年格好からして、私と(ウルスと)同年代かしら?

その他大勢の観光客は、まだまだ山頂からの眺めを堪能している様子。
ロープウェイは私とそのお兄さんだけを乗せて、山腹まで下りていきました。

眼下には愛らしい街ルツェルンが見渡せます。
澄んだフィアヴァルトシュテッテ湖も広がっています。

し~~~~~ん。。。。。

狭い空間に素敵なお兄さんと二人だけだなんて、、その沈黙が余計に緊張感を高めます。

「見てごらん。あれがルツェルン。いい眺めだろ?」
沈黙を破ったのはお兄さんから。やはり気まずかったのでしょうね。

「あなたは昔からルツェルンに住んでいるの?」
私も勇気を出して尋ねてみました。

「そうだよ。」
そう言って微笑む彼はなんて爽やか!(*^^*)

~もしや、もしや、ウルスのお友達ぃ~?~
ルツェルンはあまりにも小さな街です。ふと、そんなことが頭をよぎりました。

そうなると、それが気になって気になってたまらなくなりました。
ドキドキ、バクバク。胸の鼓動が高まります。

ウ~、ウ~。。「ウ~ルスのお友達ぃ?」
今にもその質問が喉から出てきそうです。

ウ~、ウ~。。。
バクバク、バクバク。真っ赤な顔をしていることは、自分が一番分かっています。

こんなにトキメキを感じたことは、本当に久しぶりでした。

ロープウェイが山腹に到着するまでの数分間、
私は窓の外を見ながら、ずっと「ウ~、ウ~。」とうなっていました。(心の中で)

さすがに、ウルスの故郷に来てまで恥ずかしいことはしたくないと、自分の気持ちを圧し殺しましたけれど、、。
あのお兄さん、もしもウルスの友達だったなら、、私は一生、いえ生まれ変わってさえも後悔することでしょう。
今となっては、それすら聞くに聞けませんけどね、、。(^^)

昨日の『鶴瓶の家族に乾杯!』

*四国霊場八十八ヶ所 第七十七番札所「道隆寺(どうりゅうじ)」
別にお参りするわけではなかったのですが、今日のブログにアップしようと、仕事帰りにちょっとだけ立ち寄ってみました。


昨日の『鶴瓶の家族に乾杯(NHK 毎週月曜日、PM8時~)』、見ました?

今回、鶴瓶さんと筒井道隆さんが訪れた町は「香川県多度津町」、私の住む町です!!

番組の後、ブログ仲間さんからメールが届きました。「しっかり見ましたよ。」って!!
なんだか、とっても嬉しかったです。o^^o

でも、どうして多度津なんかに?
・・筒井道隆さんが多度津の町を選んだそうですが。。

ご存知、筒井道隆さんのお父さんは俳優で武道家でもある"風間健さん"。
風間さんは昔、少林寺拳法に入門されたのだとか。

その少林寺拳法の総本山が、ここ多度津町にあるのです。
そして少林寺拳法の創始者、宗道臣さんから"道隆(どうりゅう)"という僧名を戴かれた風間さんは、長男である道隆さんにその名前を付けました。

その名の由来になったお寺、「道隆寺」↑も多度津にあります。

少林寺拳法総本部に道隆寺、うどん屋"平野屋"さんがTVに映り、うちの施設もお世話になっているお弁当屋さんのおじさんも登場して、個人的ではありますが、見ていてとっても面白かったです。

筒井道隆さんといえば私と同世代、私の2つ年上です。
彼が"あすなろ白書"や"君といた夏"などで人気があった頃、ちょうど大学生だった私も、毎回ドラマを楽しみにしていました。
ファンまでではなかったけれど、好感の持てる俳優さんですよね。
今回の番組では、"オロオロ"している姿ばかりが映っていて、~あれぇ~?こんなに頼りなかったっけ?~って感じでしたが、彼の場合は思わず助けてあげたくなります。

来週の月曜日(4/21)に"後編"が放送されます。

私がいつも通る何気ない道や、見慣れた町並みがでてきます。

宜しければ、ぜひご覧になって下さいね。(^^)

ドイツ年?!

元日にバイエルン在住のsuhさんとお会いできた今年、何かとドイツに縁があるようです。
何故か昔からドイツを信頼している私にはとても嬉しいこと。


香川県のJR丸亀駅前にある「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」。
4/6~6/22の期間、『Neue Fotogrofie~ノイエ・フォトブラフィー、1920-30年代のドイツ写真』が開催されています。

昨日、お馴染みのカフェで何気なく手にした↑のリーフレット。

"1920年代後半、ドイツで勃興した写真の動向。
透徹した機械の眼と創造的な視覚をたずさえ新たな写真をつくりだしたドイツの写真家。"

現代美術に大きな影響を与え続ける、、
否、現代の写真表現の大河の源流のひとつであるこの時代のドイツ写真とはどんなものだろう。

ナチス台頭の直前の時代、第一次大戦後の苦境の時代。
この急激な社会の変化の真っ只中で、機械時代の到来による知覚の変容と拡張の只中で、新しい写真の時代を築き上げてきた作品達はどんなものだろう。

興味津々に、早速 美術館を訪れてみました。
結構、若い大学生が来ていましたねぇ。

この時代の写真ですので、全てがモノクロの作品。
どこか重圧感があり、そこに写っている人物の表情も、植物のクローズアップも、時代を感じる建築も全て重々しい空気が漂っています。

一歩 展示室に足を踏み入れた時、思わず圧倒されてしまいました。

どうも私には難しい。
一度観ただけでは、時代の渦に巻かれたこれらの写真を読み解くことはできないように思います。

"これは重い"、第一印象です。


説明より、一部抜粋。

~第一次世界大戦を経て、社会の有り様が「速度」「量」「密度」の面からそれぞれ急激な変化を遂げた1920年代。
当時、世界一民主的と謳われたヴァイマール憲法のもと、敗戦からの再出発をはかったドイツは、工業技術の躍進によって経済的な復興を遂げつつあり、それに呼応するかのように様々な芸術領域で大きく発展しました。
とりわけ写真表現の領域において、ドイツを震源とする動向が世界を席巻します。
それが1920年代後半、ほぼ同時期に開花した2つの動向「新即物主義」と「新しい視覚」です。

客観対主観、記録対創造という対立関係にあるようにもみえる2つの動向ですが、根底にあるのは共に、機械時代の到来を背景に、写真を絵画の模倣から解放し、新しい時代の知覚にとって重要な表現媒体として再定義しようとしたことであったと言えます。~


これを少しでも理解するには、私の場合は何度か足を運ぶ必要がありそうですね。
6/1、6/8の14時から2回シリーズで、「ノイエ・フォトブラフィーとは何か?」というレクチャーがあり、
それ以外の日曜日は、同じく14時から展覧会の見所を教えてくれるとのこと。

私のドイツへの興味は、まだまだ尽きることはないようです。

本当の"プラハの春"。

土曜日の8:00から放送されるNHKの「探検ロマン世界遺産」。
今回は、"百塔の街"とも"建築博物館の街"とも称される美しいチェコのプラハが舞台でした。

私はプラハに憧れつつも訪れたことはありません。
オーストリアから近いですし、ゆっくり滞在したい街ですね。

この街並みは、14世紀に建てられたプラハ城やカレル橋など、中世の面影を今に伝えてくれます。
後世のものも、昔から受け継がれた美しさに調和するように造られているのですね。

けれどその背景には、ドイツナチスの侵攻や戦後40年にもわたる共産党独裁政権を潜り抜けた、多くの市民達のプラハを守り抜こうとする強い思いがあったことに感動しました。

"プラハの春"についても触れ、
自由を弾圧されてもなお、秘密出版で活動を続けた作家たちや、祖国の自由を歌った歌手"マルタ・クビショバさん"なども登場していました。

印象的だったのが、古本屋のおじさんと人形屋のお姉さん。

古本屋のおじさんは実は詩人でした。
彼は表現の自由がなかった時代、逆に自分だけの為に詩が書けた最も自由な時代だったと話します。
私には考えられない強靭な精神です。
一見温厚そうに見える彼の心底に流れる熱い思いは、きっと他のプラハ市民にも通じるものでしょう。


そして、もう一人の人形屋のお姉さん。
プラハのあちこちで目にする人形は、マリオネット~操り人形のことです。

チェコ人にとって、普通に抱っこできる人形は「おもちゃ」、マリオネットは「自分の感情を伝えるもの」だそうです。

この彼女の何気ない言葉の奥にあるチェコの歴史。
自分の国の言語すら使うことができなかった時代に、マリオネットの人形劇において彼らはチェコ語を守り続けてきました。

これらの非暴力的な抵抗で、自国の文化やそれを育んできたプラハの街を守ってきた市民の皆さんの思いを知り、この街に対する興味が一段と沸いてきました。


*昨年暮れ、私はザルツブルクで初めてマリオネット劇を観ました。
この時は単なる人形劇だと、疲れも伴って居眠りをしながら観ましたが、もしかするとザルツブルクにも表現の自由を奪われた時代があったのかしら?
共産圏だったプラハほどではないにしろ。。。

当たり前に自由がある今の日本しか知らない私には、実に恵まれた環境にいることを気付かせてくれたいい番組でした。

雨とファドゥーツ

*リヒテンシュタイン公国 首都ファドゥーツ表通り。
丘の上に見えるのは"ファドゥーツ城"、大公様のお屋敷です。【'07.01.01】


どんよりと低い雲がたなびく雨降りの午後、私は仕事をしながらも遠いファドゥーツの空を思い出していました。

私がリヒテンシュタイン公国を訪れた'07年元日も、今日と同じような空の色。

その日、スイスのルツェルンで新年の朝を迎えた私は、ザァザァ降りの雨に呆然となりました。

僅かな時間、貴重な一日、
どうしようかなぁ~、と窓の外を眺めながら悩む私。

ルツェルンのお洒落なカフェでのんびりとお茶でもしようか、、。 ・・せっかくスイスまで来てるのにぃ~。

列車で1時間、スイスの首都ベルン観光でもしようか、、。 ・・だけど本降りの雨だしぃ~。

ベッドの上に寝転びながら、ガイドブックをペラペラとめくります。

そこで目にしたのが、『リヒテンシュタイン』!!

幼い頃からスイスとオーストリアに憧れていた私は、その両国の間にとても小さな国を発見した時のめいいっぱいの感動を今でも覚えています。
地図帳を見ながら、嬉しくて、嬉しくて。。
この国にはどうやって行くのだろう。
この国はこんなに小さくても大丈夫なのだろうか。
子供心に夢が広がります。

20年あまり経って、そのリヒテンシュタインのすぐ近くに私はいるのです。
雨のことなど"すっかり"忘れて、上機嫌でリヒテンシュタイン行きを調べました。

ふむふむ。まずはルツェルンからチューリッヒに出なくちゃね。
ふむふむ。チューリッヒで列車を乗り換え、サルガンスという駅まで行けばよいのか。
で、その駅脇にあるバス停からポストバスに乗るのだな。

ルツェルンからチューリッヒまで列車で約1時間。
チューリッヒからサルガンスまでもおよそ1時間。
そこからファドゥーツまでバスで30分。ふむふむ。

なんとかなりそうです。\^-^\

思い立った時には行動に移している私ですので、ファドゥーツに何があるのか、見所は何なのかも全く知らずにルツェルンを後にしました。

車窓からの風景は、スイスならではの牧歌的な雰囲気。
霧が立ち込めて、遠くの山々は雪のお帽子を被っています。

列車の中で少しだけ予習を。
リヒテンシュタインは、1719年公国に昇格。
ハプスブルク家崩壊後にスイスとの関係を深め、現在の通貨はスイスフランで、スイスとの国境審査はない、、なるほどねぇ~。

どうも"リヒテンシュタインといえば切手"といわれるほど、世界的にも有名なこの国の切手。
街の中心部には切手博物館もあるとのこと。

なになに。大公は世界有数の絵画の個人収集家として知られ、その膨大なコレクションを一部美術館で一般公開しているらしい。

期待に胸を膨らませながら、雨模様の下、私はバスに乗り換えました。

いつの間に国境を越えたのか分からないまま、気が付けばファドゥーツに到着。

待ちに待った小さな国で、首都とは思えない小さな街で、私が一番に足を踏み入れたのは中央郵便局に隣接したバスターミナルの「トイレ」です。o(^^)o

なんか夢がないなぁ~と苦笑いしながら、郵便局目の前にある、ガイドブックには"休みなし"と書かれた切手博物館のドアを押しました。

・・・・・(∋_∈) やはり元日、休館です。

リヒテンシュタイン美術館?
聞くだけ野暮というものでしょう。

ちなみに、大公の居城であるファドゥーツ城は一般公開しておりません。

・・・・・(・_・) 私は何しにここまで来たのだろう。。

雨は激しさを増してきます。

一つだけ開いていたお土産屋さんを覗き、ホテルのカフェでその年一番のお茶を戴きました。

何もすることがない。特に何かがあるわけでもない。
ならば、お得意の"ぼぉ~"とするしかないではないか、、。

びしょ濡れになりながら、私はカトリック教会へと足を踏み入れました。

それは町の中心的役割を持つ教会のよう。
中は薄明かりだけ、誰もいません。

しかし外はどしゃ降りですし、なんたって真冬なのですから、行く当てのない私はサルガンス行きのバスが来るまで この薄暗い教会で一人座っておりました。

はじめは薄気味悪い、中世の魔女狩りに出てくるような、そんな感じがしていたのですが、慣れてくるとおとぎ話の世界に身を置いたような、穏やかで静かな自分だけの時間を過ごすことができました。
*そう、"わざわざ"こんなに遠いリヒテンシュタインまで来てねぇ~、、。(^。^;)

私のファドゥーツ滞在は、たった2時間の何もない時間。
子供の頃から惹かれていた小国は、私にとって違った意味で特別な国になりました。


帰国後、リヒテンシュタイン公国について調べてみると、
元々、大公の財力と政治力で築き上げた国ですから、今でも一般国民の直接税(所得税、相続税、贈与税)が非課税なのだそう。
OECD(経済開発協力機構)が3年に一度実施する学習到達度調査でも常に上位にランクインしているではありませんか。
言わずと知れたワインの産地でもありますし。

次に訪れる時は、きちんと下調べをして、半永住するつもりで行きたいなって思います。

リヒテンシュタインも、それを囲むスイスとオーストリアも、自然に抱かれた優しい国。

憂鬱なはずの雨降り、懐かしいファドゥーツを思い出せて一人幸せな気分に浸っています。

元気になってね。

昨日の夜から咳が止まらないヨンサマ。
風邪気味なのか、気管に炎症を起こしているのか、"エヘン、エヘン"と苦しそう。

仕事から急いで帰宅し、すぐに動物病院へ連れて行きました。

私の説明を聞きながら、
「もしかしたら心臓が弱いのかもしれないね。」と先生。

「えっ? 心臓?」
"そんな恐ろしいこと簡単に言わないでよ!"、私は心の中で叫びました。

「でも、まだ3、4歳だよねぇ。。」
「食欲もあるようだし、体重も増えているし、熱もないしねぇ。
まずは気管拡張剤と咳止めの注射を打っておくね。」

先生は触診もせず、口の中を診ようともせず、ヨンの背中に2本の注射を打ちました。

私にとってこれは少し不満なのですが、去年の夏、ヨンは先生の指を怪我させたことがあるのです。
気の強いヨンは、自分にとって嫌なことをされると容赦なく噛みつきます。
この子の牙に噛まれるとどれほど痛いか、飼い主である私もよく知っています。
ですから、きっと先生はヨンの口に手をあてるのが怖かったのでしょうね。


さすがに今日は大人しいヨンサマ。
震えながら私にしがみついてきます。
無事に注射も打ち終えることができました。

病院では気管拡張の飲み薬も戴いて、
先程は晩ごはんもまずまず食べてくれたので一安心。

これで落ち着いてくれるかなと思っていたら、またもや辛そうな咳が続きます。

あまりにも辛そうで可哀想で、私はしばらくの間 ヨンの喉を擦ってやりました。
それが気持ち良かったのでしょう。
今は静かに眠ってくれて、"ほっ"としている私です。

今のところ咳は止まっているようですが、本当に大丈夫かなぁ、、、。

早く元気になりますように。

「東山魁夷せとうち美術館」

*東山魁夷画「曙」


香川県坂出市沙弥島(現在は陸続きです)にある「東山魁夷せとうち美術館」。

彼の父方の祖父が、坂出市櫃石島の出身という縁で、今から3年前に開館しました。

見上げると、そこには大きく伸びる瀬戸大橋(この春、開通20周年を迎えました)。
瀬戸大橋のライトグレー色は、東山画伯が提案したものです。


この美術館では、年間4回のテーマ展と春秋の2回に特別企画展を催しています。

来週の日曜日までは、「魁夷 ― 夢の中 / 未知の国への誘い」と題して、07年度の第4期テーマ作品展が開催中。


今日の昼下がり、ぶらり美術館へ立ち寄ってみました。

小さな小さな美術館ですので、気負わずに観ることができます。

東山画伯の作品自体が柔らかな印象で、ちょっぴり心が疲れた時になどオススメの場所といえるでしょう。

今回のテーマが夢の中だからなのか、画伯が幼い頃から童話に慣れ親しんでいたからなのか、
確かにこの展覧会で並ぶ作品達は、可愛らしい明るい色合いのものが何枚もありました。

そして、彼の描く印象的な緑と優しい光。
そこだけは現界とは違う空気が漂っていますし、、、
作品とともに展示されている画伯の詩的な言葉からも、未知の国へと誘われていくような、、、
彼独特の世界観に包まれるようです。


東山画伯は様々な国を旅されて、その旅先の出会いにイメージを膨らませながら制作されたのだとか、、。

彼の記憶と想像力から生まれた作品達は、誰をも幻想的な世界へと招待してくれますよね。


この美術館は、本当に小さすぎるほど小さいのです。

1Fの展示室をぐるっと一回りした後 階段を上って2Fへ、その東西に延びた展示室を出ると、もうおしまいです。

けれど、この小ささが私にはちょうどいい。
東山画伯の世界に浸るには、このぐらいがちょうどいいのです。

展示室にある椅子にゆっくり腰かけて、
画伯の絵を見ながら自分の世界に入っていけるこの空間が私のお気に入りです。


通常は午後5時で閉館するのですが、5月から8月迄の金曜日だけは午後7時まで開館してくれます。
仕事帰りにでも、海沿いをドライブがてらに絵画鑑賞できる季節はもうすぐです!!

綺麗な方ですね、海老蔵さんって。

*『第24回四国こんぴら歌舞伎大芝居』成功祈願お練り。
頭が切れしまったのが非常に残念ですが、人力車に乗る「市川海老蔵さん」です。
【香川県琴平町 '08.04.04】


今日から開幕の"こんぴら歌舞伎"。
今年は、歴代最年少で座長をつとめる市川海老蔵さんを筆頭に、役者さんの平均年齢も大変若く、勢いのある舞台が期待できそうだとか。。

また海老蔵さんは今回初めて女形に挑むということで、
ただでさえ入手困難なチケットは飛ぶように完売したそうです。

* * *

毎年、開幕前日に行われるのが、顔見せの「お練り」。
沿道に溢れるファンの方達の熱気に驚きました。(^。^;)

14時に金刀比羅宮の沿道にある"金陵"という酒屋さんを出発し、JR琴平駅、商店街を回り、金陵に戻るコース。
お練りを終えて15時前、金陵に設けられたステージで挨拶されます。
*来年以降、お練り見物をされたい方は参考までに。。

毎年来ている方が多いのか、折り畳み式の椅子や紙吹雪を用意されている方もいらっしゃいました。

私はこれが初めての見物だったのですが、まぁ、大勢のファンが集まる集まる。
わざわざ着物で来られている方も見受けられました。

こんぴらさんへの参道は、普段でさえも独特な趣きがあります。
その上に、人力車に乗った歌舞伎役者さん、それに舞う紙吹雪。
歌舞伎好きでなくとも楽しめる行事ですね。

私は昨日、親友Masakoと共に琴平町へ行って来ました。

早めに着いた私達は、振り袖姿のミスこんぴら歌舞伎の女性についつられ、2時間も前に金陵へ入って行きました。
そこには、もうすぐ海老蔵さんが腰を下ろす人力車も並んでいます。
それを写真に撮った私は、思わずその椅子に触ってしまいました。(*^^*)キャッ!!

そして長い待ち時間、挨拶をするであろうステージのすぐ前で陣取りをしました。
「まるでファンのようだね、私達。」o(^-^)o

隣りになった岡山から来た女性は、私に興奮して喋ります。
「さっきねぇ、金丸座を見に行って来たのよ。
さすがに今日は中に入れなかったけどねぇ、ちょうど海老蔵さんがホテルから出てきたところでねぇ、、。
彼、車の中でメールしてたわよ。」
「誰に打ってたのかしらねぇ、、。」(*^m^*)


1時間半も待ったところで、ステージでの挨拶は「お練り」の後だという情報が入ります。
ということは、沿道で待っていた方がいいに決まっています。

皆さん、よくご存知ですねぇ。
いつの間にか大勢の見物客が、所狭しと群がっていました。

私達も負けじと並びます。
しかし、おばちゃんパワーに圧倒され、最前列にいたはずの私達は気が付けば4列目。

「まぁ、海老蔵さんの特別なファンでもないし、見れればそれでいいよね。」

写真くらいは撮れるでしょう、と軽く考えておりました。

そんな時、海老蔵さんが登場。
"きゃぁ~~~!"、という歓声とともに、私までももみくちゃにされる勢いの女性陣。

きゃぁ~、というよりも、"ぎゃあぁぁぁ~"と叫びたい気分です。

何人もの方が海老蔵さんを正面から写真に納めようと、道をふさぐほどに身を乗り出しました。

それに反応して、私のすぐ前にいた60歳前後のある女性。
「下がりなさい! 下がりなさい!!」
迫力ある声で叫びます。
「下がりなさいって言ってるでしょ! 下がりなさい!!」

海老蔵さんはすぐそこです。 目の前です。
けれど その女性、
「下がりなさい! 下がりなさい! 常識でしょ!!」
大きな声、大き過ぎる太い声。

あなたの声は常識なのか、、、私は問いかけてみたくなりましたが、、。

おかげで、私にとっては海老蔵さんより彼女の方が強く印象に残っています。σ(^◇^;)。。。

大勢の追っかけの方達は、その後もお練りに続いて行ったようですが、少し白けた私達。
近くの喫茶店でお茶でもしようか、と参道に並ぶ一軒のドアを引きました。

一服をして表に出ると、ちょうどお練りを終えた海老蔵さん達が挨拶を始めています。

彼はTVで見るよりも、ずっと男前、綺麗な顔立ちをしていました。
顔も身体も思うより小さいのですね。

Masakoが言うには、
「海老蔵さんは綺麗だけれど、オーラがないよね。」

そう言われれば、そうかもしれません。
以前見た狂言師の野村万蔵さん(10/17日記)などは、その場に立つだけで空気が"ぽっ"と明るくなる、華のある方でした。

万蔵さんと比べるには、海老蔵さんはまだ若いのかもしれません。
歌舞伎役者として本当の実力が伴ってくるのは これからでしょう。
それに、彼は舞台に立つと一まわりも二まわりも大きくなれる方なのかもしれません。
って、歌舞伎自体を観たことのない私ですが、、。

あれほどの人気と美しいお顔。
私はそれを拝させて戴けただけで満足。


今年の「こんぴら歌舞伎」は5~23日まで。
日本最古の芝居小屋、「旧金毘羅大芝居(金丸座)」にて執り行われます。

ジロちゃん。

*ジロ 【'96.12.06~'06.04.04】


2年前の今日は、我が家の家族になった2番目のポメラニアン『ジロ』が死んでしまった日です。


ジロは生まれて間もない、手のひらに乗るくらい小さな頃にやって来ました。

ジロは双子の片割れです。
双子のうち一匹は"ウルフサブレ"というグレーに近い毛の色で、もう一匹は普通の"茶+オレンジ色"の毛並み。

「どちらの色がご希望ですか?」
「もう お一方からもお願いされているので、、。」

私の方が先に申し込んでいましたので、まずは希望を聞いてくれたようです。

聞けば、もう片方の人は珍しいウルフサブレ色のワンちゃんをお望みとのこと。
「私はどちらでも構いませんので、ではオレンジ色の子でお願いします。」

親犬から離してもかまわなくなるまでの数日間、私は首を長くして待っていました。

ところが、
「先日の件ですが、オレンジ色の子が足の骨を折ってしまったので、片方のウルフサブレの子をもらって戴けないでしょうか?」との電話。

「えっ? でも、その子を希望している方がいらっしゃるのでしょう?」
そう言いながらも、そのウルフサブレの男の子を私が飼うことになったのです。
それが『ジロ』ちゃん。↑

半年後、ジロ一匹では寂しいだろうと、
足が少し不自由ではありますが、もう一匹のオレンジ色のワンちゃんも我が家で引き取ることになりました。
その子の名前は『サンチェ』です。

結局、2匹とも私の元へ来る運命だったのでしょうね。


私が現在飼っている「ヨンサマ&クリス」もかなり個性的な二匹ですが、「ジロ&サンチェ」も対照的でユニークな組み合わせでした。

元々双子ですので仲も大変良く、毛の色こそ違いますが 顔もよく似た美男子くん。

けれどサンチェは足が悪かった為に身体も丈夫ではなく、僅か7歳で死んでしまいます。
その時からジロも一気に老け込んでしまいました。

ジロの元気を取り戻すためにヨンサマを飼うことになったのですが、それでもやはり寂しかったのでしょう。
ジロも9歳で力尽きてしまいました。


サンチェが死んだ時も、ジロが死んでしまった時も、私は仕事を休んで泣きました。
泣いても泣いても涙が止まらず、、。
今も時々思い出しては、目頭がキュッと締め付けられます。

ジロの晩年を一緒に過ごしたヨンサマは、
ジロの死後1ヶ月もの間 餌をまともに食べられなくなり、歩くこともおぼつかなくなるほど悲しがりました。

1ヶ月半後、ヨンサマはクリスと動物病院のおかげで何とか復活をし、元気いっぱいの"やんちゃ坊主"に戻りましたが、、
2年経った今でも時々ジロを思い出すことがあるのでしょう、ジロが埋められている場所に一人うずくまっていることがあります。

犬同士の感情のやりとりを、私は理解することができませんが、
人間が想像する以上に思いやりや相手を慕う気持ちが強いようですね。

それ行けカープ!!

"次回は絶対、カープ側外野席で応援しよう!!"

これは、私が広島市民球場で 初めてプロ野球観戦をした時の感想です。


高校時代の私は青春時代に相応しく、高校野球に夢中でした。
好きな選手の学校(香川のお隣、徳島県にある池田高校)まで押し掛けて、当時 かなり有名だった蔦監督の色紙までもらってくるほどの熱狂ぶり。

けれど片やプロ野球となると、
その頃の香川ではTVに流れるのはいつも巨人戦でしたし、活躍する選手達も幼い私には"おじさん"のように見えました。
そんな私でも、現巨人監督の「原選手」くらいは知っていましたが、、。

ですから、大学の為に広島へ行き、そこで出逢った広島ファンの熱い想いに圧倒されました。
やはり、ホームグラウンドのある街は思い入れが違いますねぇ。

広島は選手を上手に「育てる」球団ですし、地元広島市を育て、そして 育てられて成長してきたことがよく分かります。

でも、これは今の感想であって、大学入学当初はプロ野球に全く興味はありませんでした。
(香川に戻って13年、今も興味が薄れています、、。)

ある日 ヤクルトファンの友達に誘われて、内野の指定席でヤクルトを応援したのが市民球場を訪れたきっかけです。

その日はヤクルトが勝ち、友達は上機嫌。
けれど私は、内野の大人しいファンに囲まれて観戦するより、遠くで熱く赤いメガフォンを振る外野のカープファンが羨ましくてしかたありませんでした。
それに市民球場なら、やっぱりカープでしょ!!

*それからは必ずカープを応援するようになりました。(*^^*)


ヤクルト側にいたにもかかわらず、何故か広島側の"ある選手"が気になります。
名前も一番に私の頭にインプットされ、彼の特徴ある大きな振りと走り方から目が離せません。

それは背番号10番『金本知憲』選手。(1992年当時)
確か金本選手はその前年に広島へ入団し、その頃はあまり活躍をしていなかったようですね。

その頃のカープでは、江藤智選手やハンサムな前田智徳選手が目立っていました。
けれど、金本選手にも光る何かがあったのでしょう。

現在も阪神で大活躍の、阪神になくてはならない存在の彼を見ると、親心?のように嬉しくなります。


今はすっかりプロ野球から関心が薄れている私ですが、
この金本選手と広島カープの勝敗は心のどこかで気になっています。

今日やっと、今季初勝利を上げた広島。
相手は金本選手のいる阪神です。

5連勝で波に乗っていた阪神をよくぞ破りました!!
奇しくも今日 4月3日は金本選手のお誕生日でしたが、、。



これから5月5日の"こどもの日"まで、この季節は至るところで「鯉のぼり」が上がります。
香川の田舎では、大きな屋敷に負けずと大きな鯉のぼりが棚引く姿を見ることができます。

そう、これから1ヶ月。
特に幼い男の子のいるご家庭では、皆さんカープファンになるのです!!
カープは鯉ですからね。o(^―^)o

私の僅かなデータによると、これからの短い期間はカープの勝率は上がります。

がんばれカープ! それ行けカープ!!


*私が球場で観戦すると、必ず応援した球団が勝つのですよ☆
これ、私の数少ない自慢のひとつです。o(^-^)o

まさか、信じる?

*今から6年半前、クライストチャーチの語学学校での一枚です。
真ん中の女性がNZ人のロビン先生。
生徒11人の国籍は、日本、中国、韓国、そしてタイ。誰がどの国だか分かります?
ちなみに最前列左端の私は、この時28歳の日本人でした。(^^)【'01.09.07】

* * *

「ベルギーに本部がある欧州連合はとうとうエイプリルフール廃止へ動き出した。
欧州でエイプリルフールのいたずらの被害者の訴訟が急増中だからだ。
― というのは3年前のエイプリルフールの英紙サンのウソ記事だ。(鈴木拓也著"世界のエイプリルフール・ジョーク集")」
これは、今朝の毎日新聞「余録」の頭の文章です。

一瞬 "へぇ~"と読んでいた私は、思わず騙されそうになった自分が可笑しかったです。(*^^*)

* * *

エイプリルフールに巧く人を騙せた記憶はないのですが、
NZにいた頃、騙すつもりはなかったのに、"まんまと"私のウソに引っ掛かってくれた人がいました。( ̄ー  ̄)\
それが、毎度お馴染み「きょんさん」です!

当時、私は学校に通い出して2週間が経とうとしていました。
それは、ある日の午後のクラスで。。

人見知りの激しい私には、この時 まだ親しい友達はいませんでした。

向かい合わせに座った私達。お互い、相手の年齢も性格も知らない者どうしです。
目の前の相手が、帰国後もずっと続く親友になるとは、まさか思ってもいません。

「あなた、何歳?」
きょんさんではなく、他の誰かが私に尋ねてきました。

『18歳』!!
(10歳サバをよんでみました。(*^m^*)へへ。)

2、3歳ならともかく、10歳も誤魔化されたら絶対に気付くはずですよね。
それに、私はほんの冗談のつもりでそう答えました。

その後 別に訂正することもなく、私の頭の中からもそんな会話は消え去っていました。

ところが、きょんさんはそれを信じていたのです。
・・・まさか、信じるぅ~?

"四国のような田舎には、こんな18歳もいるのだろう。"、そう思っていたらしい。。
・・・どういう意味だろう???

ですから、知り合ってしばらくの間、きょんさんは自分の年齢を"トップシークレット"として教えてくれませんでした。
・・・実際は同い年でした!

このような、すぐにばれて当然の冗談を信じきっていたきょんさんって。。。( ̄* ̄;)ぷぷぷ。

実はきょんさんの他にも、私のマイナス10歳年齢を信じていた人がいました。
年齢の話をした時に、近くにいたらしいカミーユくん(注:日本人)。

あるパーティーの2次会で、彼は私の本当の年齢を知ります。
「えぇ~!(◎◇◎)/ 俺より年上だったのぉ~! 18って言ったじゃん!!」
彼は当時、確か23歳くらい。
自分より5歳年下だと思っていた私が、実は5歳年上だったことに大ショックだったようです。o(^―^)o

あの時の彼の驚きと裏切られたような表情、今も忘れられません。(^。^)/


あぁ、あれからしばらく"ヒットなウソ"をついていないなぁ~。
せっかく今日はエイプリルフールだったというのに、、。


*広島在住のM恵ちゃん、お誕生日おめでとう!!
可愛い3人の子供達に囲まれて、ますます素敵なママ&女性になって下さいね☆

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