I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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エコ先進国、ドイツ。

*一ヶ月前、ドイツのお土産にと戴いたお菓子。
勿体なくて 自分の部屋にしばらく飾っていたのですが(^^)、今日の10時のTea timeに職場の仲良しさん達と一緒に戴きました。
Sさん、いつもありがとうございます!!

ドイツらしいというのでしょうか、それはどこか真面目な(?!)お味がしました。
私、ドイツのチョコレートも大好物なんですよ。(^з^)-☆

* * *

このお土産を開いてみて、"なるほど、さすがだなぁ"、と思いました。
無駄な包装や小袋がない。
日本のやり方が特別なのかもしれませんけれどね、、。

ゴミ排出の問題も、原料の使用量の問題も、世界に先駆けて取り組んでいるドイツの姿勢。
このドイツの環境事情について、先週の土曜日にお話を聞いてきました。

講師は、南ドイツのバイエルン州出身、香川で国際交流員を務める"ペトラ・ナーゲルさん"。

最初に、「あなたの母国の最も深刻な問題は何ですか?」について考えてみました。

参加者は30名弱。
年金問題、高齢化社会、教育、政治の腐敗、高騰する石油価格、貿易について、、etc。
私は食糧問題と答えました。^^

ドイツでは、1.労働市場、2.環境保護、3.社会格差、4.経済状態、5.年金(高齢化社会)と続きます。
環境について、年金や税金よりも関心を持っているという結果が出ました。(2006年)

ただ その環境問題について、「世界的に見ると環境は悪いけれど、自分達の地域は大丈夫である」と答えた人が大勢いました。
これは、きっと日本人の私達も正直同じではないかな、と思います。
ペトラさんは、この考えが一番危ないのではないでしょうか、、と話を始めました。

* * *

ドイツでミネラルウォーターを買う時、例えば商品の価格は0.19、デポジット価格が0.25、合わせて0.44を支払います。
勿論、買った店にペットボトルを返すと、その0.25は戻ってきますが、、デポジットの方が大きいこともあるのですね。

環境の為に何をすべきか、学校でもリサイクルの授業があり、何より家庭での環境教育が厳しいとのこと。

買い物は、ほとんどのお店が日曜日に休みますから、大抵の家庭ではきちんと一週間分の計画を立てて、土曜日に必要な分だけ買うそうです。
コンビニはないと話していました。
ペトラさんの故郷では、水曜日と土曜日に市が開かれるので、そこで地元で作られる野菜や果物を仕入れるのだとか。
それでも不足する物だけスーパーで調達。

空気中における車の排気ガスが一定量を超えた時、その排気量によって走ることを制限される車もあるのだそう。
これは導入している街とそうでない街とがあるそうですけど、、。
CO2にも税金がかかる、、政府が圧力をかけて環境問題に取り組んでいる話なども聞くことができました。

*日本も、、と思うことも色々ありましたが、やはり真剣さが違うように感じます。


EU全体としても、環境に対応する基準を表すエネルギーレベルのシールを電化製品に貼るよう法律で定められたように、ますます取り組みは進んできています。
ただ、環境問題はお金がかかることなので、EUの中でもバランスを取ることが難しく、ドイツのようなエコ先進国の方がレベルを下げなければならない実状もあるそうですがね。

* * *

90分では全然時間が足りないほど、参加者の中から様々な質問や意見が飛び交いました。
時には、こういう場や時間を設けて意識を高めるのもいいことですね。^^


そうそう、日本では"クリーン作戦"のように"clean"という単語をよく使いますけど、欧州では"green"なんですね。
些細なことですが、"green"の方が、地球に優しく感じます。o(^-^)o

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ザルツブルク生まれのモーツァルト

*ザルツブルクにあるミラベル宮殿の"大理石の間"は、モーツァルト一家が演奏していた広間です。
今でも毎晩のように室内楽コンサートが行われています。【'07.07.16】


夜になって、かなりの雨が降り出しました。
四国も今日から梅雨入りです。

こんな日、私は雨音とともに"Hotel Mozart"でもらったCDを部屋に流します。
もう少しだけザルツブルクについて。。

モーツァルトがザルツブルクで生まれたことはあまりに有名な話ですが、
それについての感想を、私なりに('07.12.17日記)に書きました。

「モーツァルトが天才モーツァルトたる所以は、彼がザルツブルク生まれであるから。
ウィーンでも その他でもなく、この街が彼の感性を産み出したように思う。」と、、。


一ヶ月ほど前、店頭で興味深い本を見つけました。
脳科学者の茂木健一郎著、『すべては音楽から生まれる』。

私と同じく、茂木氏もザルツブルクを深く愛しておられる方で、何度も何度も訪問した上、多忙な彼がここに3週間も滞在したことがあるそうです。

その著書の中で、茂木氏がザルツブルクについて、次のように語っています。
『ザルツブルクを最初に訪れた時、旧市街の美しい佇まいに心を打たれた。
そして、"あぁ、モーツァルトの音楽の精神は、ここにあった"と思った。
その印象は、ザルツブルクを訪問する度に強まっていった。』


モーツァルトの音楽が人間の脳に優しいように、ザルツブルクは人間の心に優しい街なのかもしれませんね。o^―^o

Eagle's Nest

*ドイツのベルヒテスガーデン近郊にヒトラーの山荘"Eagle's Nest"があります。
その山荘からの眺めは、私にとってホーエンザルツブルク城に次ぐ大好きな景色です。*^―^* 【'07.07.16】


先週末、私は高松にある国際交流協会"アイパル香川"で、「ドイツの環境事情」という講座に出席しました。

「ドイツ」。
私はその国を未だ旅したことがありません。
とはいっても、ドイツの南端の端にある"ベルヒテスガーデン"という小さな街に、ほんの数時間だけ訪れたことがあります。

それは、オーストリアのザルツブルクから車で1時間ばかり走ったところにあるでしょうか。


このベルヒテスガーデン近郊に、ナチスドイツの独裁者ヒトラーの山荘があります。
「ケールシュタインハウス」、「Eagle's Nest」という呼び名でも知られています。


残虐なヒトラーのもう一つの素顔を探す時、予言者としての表情も浮かび上がってきます。
私の想像に過ぎませんが、彼は 人並み外れた繊細で研ぎ澄まされた神経の持ち主たったように思うのです。
ただ、その才能の使い方次第で、自分自身だけでなく、多くを巻き込んで身を滅してしまうことも示してしまいましたけど。。。

そんな彼が、最もインスピレーションを受けた場所。
それが、この山荘だったのだとか。


実際に訪れてみて、その感覚がなんとなく分かるような気がしました。

急カーブが続く山道を、専用のシャトルバスで登ります。
バスから降りると、そこからも見晴らしのいい景色が眼下に広がっています。

外は容赦なく強い日射しが照りつける中、山荘に向かうトンネルの中のひんやりとした空気は 一瞬で汗を引かせてしまいます。

そして、トンネルから黄金のエレベーターを上ると そこはすでに山荘の中。

山荘内には、ヒトラーの50歳の誕生日にイタリアのムッソリーニ首相(当時)から贈られた暖炉が今も同じ姿で残っています。
*当時は、昭和天皇寄贈の絨毯(重量300kgを越える絹製の高級品だったとか、、(◎o◎)/)も敷かれていたそうです、、。

山荘自体は、その殆んどを連合軍によって取り壊されてしまい、ほんの一部分しか面影を留めていません。
けれど、山荘のある山頂からの眺めの、、その言葉では言い表せないほどの雄大さと開放感といったら!


アジア人の観光客は非常に少ない場所ですけど、大勢の欧米人で溢れる人気観光地。
ヒトラーとは別に、多くの人の興味をひく場所のようですよ。
私のイチオシの景観です。o(^-^)o

*ミュンヘンからもツアーがありますが、ザルツブルクからの方が随分と近く、交通の便もいいようです。


*山荘(外観)の写真は('07.09.06日記)に載せてあります。

忘れた頃にやって来る?!

「picchu、お帰りぃ~。 今日、広島のDさんから電話があったわよ。
今度、picchuに会いに香川まで来るつもりだから電話ちょうだいって。」
確か先週の金曜日だったと思います。 仕事から帰宅した私に母は言いました。

* * *

NHKの大河ドラマって、ご覧になってます?
殆んどTVをつけない私は、今年の"篤姫"も未だに見たことはありません。
ですが、平成9年に放送された"毛利元就"は例外でした。

それは、舞台が「広島」だったから。
大学を卒業して間がないあの頃、泣く泣く香川に帰って来た私にとって、広島に関わるもの全てがいとおしく感じられました。

ですから、何かと理由をつけては 海を渡り、遊びに行っていましたっけ。


その年、広島県北にある元就の故郷、吉田町(現:高田市)において、「元就村」が開かれました。
広島市内から車で1時間半、私は友達と3人で訪ねてみました。

一つの小屋で、あるおじいさん(といっても当時65歳くらいだったでしょうか、、)が藁で草履を編んでいます。
何気なく覗き込んだ私達に、その方は気さくに話しかけてくれました。
それが、Dさんとの出会いです。

それ以来、私はDさんの誘いにしっかりと甘えて、4~5回 吉田町まで行きました。
草履作りを教わったこともありますし、みんなで野草取りをし、それを上手にお料理して振る舞って下さったこともあります。^^

*この時にお土産で戴いた「たかたみそ」は、我が家では 10年以上経った今でも 広島から取り寄せている美味しいお味噌です。

何故か、私をすっかり気に入って下さったDさん。
"picchuちゃん、picchuちゃん"と可愛がってくれることは有難いのですが、、、。(^。^;)

あの頃から"吉田町に嫁に来い"と煩いのです。言葉だけなら私も全然気にしないのですが、、。

まず初めは、Dさんのご長男さんから。私より15歳ほど年上でしょうか。
私は渋りました。ものすご~く渋りました。
そうこうしている間にご長男さんに彼女ができたとのことで、まずは一安心。。。

これで普通なら諦めてくれるのでしょうが、吉田町は過疎化の進む花嫁大募集の町。
Dさんは、勝手に周りの独身男性に私の写真を見せ、話を進めていたのです。(-"-;)

「今度、近くの若いもんと一緒に香川に遊びに行くけんね~。」
以前は体調不良を理由に上手く逃げたのですが、、。

忘れた頃にやって来る、Dさんの仲人熱。(>_<)

あぁ~、確かに私は海外へお嫁に行きたいけれど、、
四国から見れば、確かに本州は海の外ではあるけれど、、。

Dさんに電話をするのが恐いです。
Dさんの勢いに負けてしまうのが恐いのです。

抜けました♪

*僕、たまには真面目な顔もできるんだよ。(クリス)


昨晩、フィラリアとノミ予防の為に、愛犬"ヨンサマ"と"クリス"を動物病院へ連れて行って来ました。
健康状態を診てもらうのも兼ねて。。

近頃のヨンサマの気管の弱さが気になる私ですが、舌の色も綺麗だし、今のところ大丈夫なよう。ほっ。^^

問題はクリス☆ 又も体重増加中。 現在4.4kg。 ヨンサマの+1.3kgです。
とにかくよく食べるからなぁ~。^^;

太ったことが原因でしょうか、最近のクリスはよく"尻もち"をつきます。
4本足で尻もちをつくなんて、そんな子は今までで初めて。
"スコーン、スコーン"と一日に何度も転んでいます。(^。^;)

病院からの帰り際、そんなクリスが歯茎を真っ赤にしているのに気が付きました。

「ちょっと、口を開けてみて。」
先生の奥さんが覗きこむと、逆に口を固く閉じてしまうクリス。

「どれどれ。」 さすがは先生です。
「歯が抜けそうになってるんだよ。まだ乳歯が残ってたんだねぇ。とっくに抜けてなくちゃならないんだけどね。」

クリスはただ今、2歳半。人間でいえば、25歳くらいかな?
なのに、まだ乳歯を持っていたのねぇ~。

「もうすぐ抜けるよ。」と言う先生に、
私は「今、抜くことはできますか?」と尋ねました。

「グラグラしてるから、ちょっと引っ張ってごらん。」
私は少しドキドキしながら、クリスの歯に手をかけました。
「クリちゃん、ごめん~。><。。」

ポロッ。。
引っ張っるも何も、あっさり取れてしまった小さな歯。

乳歯が抜ける時のグラグラした感じ、自分の小学時代以来でした。
ちょっとドキドキしたけれど、ワクワクもした瞬間でしたよ。o(^-^)o

「ははは、上の歯だから、縁の下にほおってやらなきゃなぁ。」、と先生。^^


これで? 大人になれたクリスは、家に戻ってドックフードに一目散!
あぁ~、また太るじゃないのぉ~。(`o´)

「私、ユジンの家に住んでいました。」

*古い話になりますが、韓国ドラマ"冬のソナタ"はご覧になりました?
ここは撮影に使われた「ユジンの家」のすぐ前の道、そしてヨン様演じるチュンサンが壁にもたれ掛かり煙草を吹かしていた坂道です。
昔、そのユジンの家に住んでいた"宋胤子さん"と共に【'08.05.05】


いつもの海外旅行では、私はものすごく夜更かしをし、朝は太陽を待ちかねて早起きをします。
興奮して眠っていられないのです。(^^)
それに、誰もいない早朝の街並みを散策すると、自分もその街に溶け込んでいくようで、その感覚が大好きなのです。

けれど 韓国最終日の5/5、前日見学した「独立記念館」による疲れと心の重さに、私はなかなかベッドから起き上がることができませんでした。

やっとのことで立ち上がった私は、その日の日程を頭に入れようとガイドブックを広げます。

15時には仁川空港行きバスに乗らなければなりません。

「西大門刑務所歴史館」に行く前に、「京福宮~キョンボックン」に寄ってのんびりしようかな。
カフェでくつろぐのもいいし。。

ペラペラ、ペラペラ。

京福宮では、伝統的な宮中文化の再現として、李朝時代に王宮の警備を担当していた守門将の交代儀式が"興礼門前広場"で行われます。
せっかくですから、これも観ましょう。、、、とイベントの時間を調べてみると、
「10:00 11:00 12:00....16:00」とあります。

10時かぁ~、、それまでどこで何しようかな~。。

ペラッと一枚ページをめくると、、
ソウルの中心部にも韓国の文化を感じる伝統家屋が残された村(マウル)があると、、。
その一つが、明洞のホテルから地下鉄で一駅"忠武路駅"からすぐの「南山韓屋マウル」。
最初はここに行くつもりでした。

けれど、京福宮の近くにもマウルがあると載っています。
それが、「北村韓屋マウル~プクチョンハノンマウル」です。
私は中学時代、"北村くん"という男の子が好きだったことを思い出し、「北村地区」に決定しました。*^―^*
(なんて単純な私、、。)


9時前に、その最寄り"安国駅"に降りた私は、都心にしてはひっそりとした佇まいの、どこか懐かしさを感じる町並みを、少し上り坂を歩いていきました。

どうも気が付かないうちに、「北村エリア」に入っていたようです。
緩い坂道を登り詰めたところにある「中央高校」まで、まずは行ってみましょう。

その高校のすぐ目の前で、ある女性に話しかけられました。
日本語です☆

「私、ユジンの家に住んでいました。」
「へっ?」・・・私。
「冬ソナ、知ってますよね。ユジンの家はすぐそこです。」
「へっ???」

へっ? ここがドラマの撮影場所~?
中央高校は、ユジンとチュンサンが通った高校です。

そうだったのかぁ~。
*私が持つガイドブックは、実は前回(2004年)の旅行で使ったもの。
確かその頃に冬ソナ人気が始まり、まだロケ地について記載されていませんでした。
最近のガイドブックにはしっかりと「冬ソナロケ地」と書いてありますね。

知っていれば、「南山地区」を選んでいたのにぃ~。
と悔やんだところで、その女性"宋さん"は一人勝手に喋り続けます。

「こちらですよ~。ユジンの家、覚えてますか?」
えぇ、えぇ~、一度は見たドラマですから覚えていますよ。。

「実は、ユジンの家は壊されてしまって、今はもうないのですよ。」
なら、なんで連れて行くのよぉ~。(>_<)

「でも、ここから見下ろす北村韓屋村の景色が一番美しいですよ~。」
そぉお~~~? まぁ、見晴らしは良さそうね。

この宋さん、今は中央高校前でスターグッズのお店を開いているとのこと。
私は韓流スターのファンではないわよ! 、と心の中で叫びつつ、いつの間にか宋さんのペースにはまっていました。(^。^;)

「お茶でもどうぞ。」 お店に案内されて、一杯のお茶を出されました。
ゴクッ。。 何のお茶だろう、とっても美味しい!o(^^)o

「これ、すごく美味しいですねぇ~。」 これには私、完全に負けてしまいました。
「そうでしょ。トウモロコシのお茶ですよ。」

気が付けば、、(*^_^*)
お店にあるグッズを手にとりながら、宋さんと話が弾む、弾む♪

結局、"チェ・ジウ"さんの写真集と、母が大好きな"パク・ヨンハ"さんの2008・2009年版カレンダーを買ってしまいました。

私、韓流スターのファンではないと言いながら、実はチェ・ジウさんに憧れていることを忘れていました。^^
宋さんに勧められて、ジウ姫の写真で埋め尽くされた傘を射しかけ、「はい、ポーズ!」。*^O^*
彼女のメモ帳までプレゼントされました。(-◇-;)

母もこのお土産が一番気に入ったようだし、、
何より、今回の重~い旅行で"ほっ"と一息つけた 優しいひとときでした。


*韓国旅行記、一旦終了です。お付合い、ありがとうございました。(カムサハムニダ~。^^)

*幼なじみの親愛なるN子ちゃん、お誕生日おめでとう!
物事をいつも冷静に見れる姿、尊敬していますよ。^^

関心を持つこと。

*ソウル特別市西大門地区にある『独立門』。
高さ14.28m、幅11.48m。フランスのパリ凱旋門を模して、約1,850個の御影石で作られています。
【'08.05.03】


ガイドブック"ワールドワイド"によると、この独立門は「日本の圧力が強くなり始めた1894年に、韓国独立の実現を願って建てられた門。今でも独立のシンボルとして保存されている。」とあります。

しかし、実際は「清(中国)からの独立を記念する門」であると、韓国出身の日本評論家である呉善花~オ・ソンファ氏(拓殖大学教授)をはじめ多くの方達は述べています。

"Wikipedia"から引用すると、
「日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制(中国王朝の皇帝が、その周辺諸国の君主と名目的な君臣関係を結んだことによって作られた国際秩序)から李氏朝鮮の独立を認めさせた。
これにより、李氏朝鮮は清の支配から開放され、自主独立国家として歩みだすことにより、その記念として、清への服属のシンボルの一つであった"迎恩門"を壊し、そのすぐ隣に建設された。」とのこと。
それを多くの韓国人が"日本からの独立"を記念した門だと勘違いしているのだとか。

* * *

先週、「韓国はなぜ反日なのか ―内側から見た韓国の"真実"―(吉井英一著)」という本に出会いました。

第1章は"韓国人の特徴"について、第2章では"歴史問題と韓国反日の真因"についてが書かれています。

特に第2章では、「とかく韓国の歴史教育において明らかに恣意的に事実や解釈が歪められているであろう部分を上げて、日韓の捉え方の違いを考察しながら、なぜ韓国人が反日感情を抱くのかを検証する」とあります。

この本、韓国人が読めば腹が立つだろうなっていうのがまず感じた印象なのですが、、。

彼は、日本と同じく「韓国でも国定教科書に自国の不都合な部分は記載せず、悪いことが起きるのは全て日本のせいであるかのように教えている」と述べています。

もしかすると、吉井氏の言う通り、
壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)で全焼したと大きく掲げられている朝鮮正宮の"景福宮"は、実は当時の朝鮮で奴隷扱いを受けていた最下層の朝鮮人によって放火されたのかもしれません。
「従軍慰安婦」の強制連行はなかったのかもしれません。
「民族抹殺政策」として行われた創氏改名や韓国語の使用禁止も強制ではなかったのかもしれません。・・この意見には、少々首を傾げたくなります。

韓国で見た歴史記述が100%真実ではないだろうことと同様、この本の記載内容も全てが絶対ではないでしょうけどね。

「国」としての日本の行いではないにしろ、確かに一部の日本人による事実もあったでしょうし。。


日本が犯した罪も、彼らに誤解されていることも、この反日感情を韓国政府にうまく利用されているかもしれないことも、
韓国人がどのような教育を受け、それに対しどれほどの関心を持っているのかも、
せっかくですので、今後も興味を持って見ていきたいと思っています。

何故か、韓国の方達と縁の深い私です。
その友情を大切にする為の第一歩でもあるかな、、と思います。

色んな言い分があって当然だと思います。
けれど、無関心でいることだけはやめようと、今回の旅行で痛感しています。

「西大門刑務所歴史館」

*ソウル市内にも、日帝による残虐な行為が残されています。
その代表が、『西大門刑務所歴史館』。
地下鉄3号線"独立門駅"を出るとすぐ、駅構内にも案内があります。【'08.05.05】


5/5は韓国でも"子供の日"の祝日でしたので、通常月曜日が休館のこの場所も見学することができました。
「独立記念館」と同じく大勢の家族連れで賑わっていました。

「西大門刑務所歴史館」は、1908年に"京城(けいじょう)監獄"として始まった韓国で最初の刑務所跡です。
日本に対して抗日(独立)運動を行う韓国人を捕まえて監禁・拷問・そして処刑する為の場所。
一度ここに入れられたら、生きて出てくることはできなかったと言われています。
一昨日('08.05.19日記)にも紹介した、韓国のジャンヌダルクとも呼ばれる"柳寛順"さんもここに収容され、命を落としました。


私にとってこの刑務所跡は、あの独立記念館よりも、そして広島の平和記念資料館よりも辛く厳しい場所でした。

けれど、100年も経たない歴史の中、日本が隣国にしてきた事実を知る上で、一度足を運んでみる意味はあると思います。
ここでも日本人観光客の姿は、私を除くと一グループのみ。


この歴史館には、当時の拘禁室・拷問室・地下監獄・死刑場などが残されています。

拷問の様子は、等身大に近いリアルなロウ人形で再現され、何度も繰り返される録音による悲鳴が耳に残ります。
非情な態度の日本人と、もがき苦しむの韓国人。
当時、日帝が韓国を強制的に侵略しながら公に流布させた言葉の一つが、「朝鮮人と干し魚はたたいてやらなければならない」との侮辱的な暴言だったのだそう。

「朝鮮人は日本の法規に服従するか、死ぬかどちらかを選択せよ」

その臨時拘禁室に書かれた言葉、「独立を叫びながら死んでも、お前らには屈服しない」が強く胸に突き刺さります。

説明には拷問の様子がこう書かれています。
"日帝が韓国の男女愛国烈士達を捕まえて棒で殴るのは基本だった。
逆さまに吊り下げ、鼻や口にトウガラシ水を入れたり、手足を縛って全身を熱い鏝で焼き、また電気拷問や言葉では言い表せないほど残酷な方法で容赦なく性拷問を行った。"

日本人は誇り高い素晴らしい民族だと私は思います。
けれど悲しいかな、この行いも同じ日本人の歴史なのですよね。


ここにも「拷問体験の場」として、"壁棺"があります。
この壁棺とは、人一人が立って入るだけの大きさに作られた拷問用の独房で、2、3日監禁されると全身が麻痺するというもの。
内部には電気拷問器具までも設置されていたそうです。

監獄は、衛生面も食糧配給状態の面でも獣の檻と等しく、多くの投獄者達は飢え死にしました。
投獄される数もこの収容人数を大きく越え、1/3づつの交代で横になっていたといいます。


そんな投獄者達の悲痛な叫びがこだまする敷地内の一角に、ひっそりと建っている木造の建物があります。
それが投獄された愛国烈士達の絞首刑場でした。

内部には入れませんが、建物は開放されています。
開閉式床の上には死刑囚が座った椅子がそのまま置かれ、その目の前には太く無気味に垂れ下がった一本の縄の輪。
死刑執行人が使った長椅子もありました。
そして、地下には処刑された遺体を刑務所外にある共同墓地に捨てる為の秘密通路が伸びていました。

ここだけはその時のまま時間が止まっているかのように、ただただ静かなのです。

死刑場の入り口に今も空高く聳え立つ1本のポプラの木。
それは、死刑場に入る死刑囚達がこの木に向けてしばし慟哭したと言われています。
そして、塀の内側にあるポプラの木は、死刑囚の恨みであまり育たなかった話も伝えられているそうです。


私は言葉を失い、この場を立ち去りました。

私が見た韓国の歴史教育。

*「独立記念館」のゲートを潜ると、目の前に聳える"キョレー(民族)の塔"と大会堂"キョレーの家"。【'08.05.04】


説明によると、
『独立記念館~トンニプ キニョムグァン』は、1982年から建築資金を韓国の全国民からの募金活動で集め、5年間の建設工事の末に、解放(独立)以来の韓国国民の宿願事業のひとつとして、1987年"8月15日"に開館した歴史記念館。

その目的は、
自主と独立を守り通した韓民族の歴史と文化、特に国難克服史、及び日本帝国主義の侵略に対抗した独立運動、そして国家発展に関する資料を収集・展示・研究することにより、国民の強固な民族精神を打ち立て、人類平和に貢献することである。

実際、韓国の子供達の歴史教育の為にと、全国から学校の遠足、修学旅行で記念館に足を運んでいるとのこと。
また、子供に対する歴史教育として、家族連れも比較的多く、かなりの割合の韓国人がここを訪れているといえる。

* * *

私がここを訪れた日は、日曜日だったせいもあるのでしょうか、特に家族連れの多さが目立っていました。
子供達の声が賑やかです。

展示室内では、父親を子供達が囲み、何やら真剣に説明を聞いています。その興味深く覗き込んでいる姿が印象的でした。
きっと このお父さんも幼い頃、このように両親から当時の様子を詳しく教わって大きくなったのでしょう。

また、記念館の敷地内には、"拷問体験の場"が設けられ、見学者が当時の日帝による拷問を体験できるようにしてあります。
ここも遊び場と同じ、子供達には身近な場所のようです。

第1~7まである展示館の内(第2・3館は展示物の入れ替えの為、この日は見学できませんでした。)、
私が最も強烈に感じたのが、昨日も紹介した第4展示館「3・1運動館」。
多くのジオラマを用いて(これは全館共通)、万歳運動をリアルに伝えています。
室内を取り囲むように写真と説明文で埋め尽くし、内側には万歳をした等身大の人形が数多く並んでいます。

それらを観ることにより、当時の独立への熱い思いを感じ、まるで自分達も万歳運動に参加しているような気分にさせ、その気持ちが大いに高まったところで目の前の扉が開く仕組みになっていました。
そこで見上げるのが、「3・1精神像」です。('08.05.19日記の写真)

その仕組みに気が付かなかった私が、茫然とその像を眺めていた時でした。
突然、後ろの扉(それまでは単なる壁かと思っていました。)が大きく開き、何人もの韓国人が「万歳!」という歓声を挙げながら入って来ました。

これには私も驚きました。圧倒されました。

「バンゼ~イ! バンゼ~イ!」
大人も子供も、まるで まさに今ここで独立を宣言したかのような表情で像の周りを歩いています。
背景にも録音された「万歳!」の声が響きます。

なるほど、こうやって韓国では当時の記憶を鮮明に次世代に繋げていっているのか、、。
私は目眩すら感じそうになりました。


日本人として、正直 この記念館を見て回るのはキツいものがあります。
疑問に思うことも多々あります。

この教育を続けていくということは、これからもずっと日本に対する嫌悪感を抱いていくことにもなるでしょう。

伝えていくことも大切。
過ちを繰り返さないことはもっと大切。
けれど、それ以上にこの記念館からは憎しみがありありと伝わってきます。
これが今後の日韓両国の関係にどう影響を与えるかを考えた時、思わず眉をひそめてしまうのも確かです。

ただ、この記念館ができた背景には日本の教科書問題があるということ。
もしかすると、当時の出来事以上にそれに対する日本政府の誠意を感じられない対応が一番の問題だったのかもしれません。

昨日も書いたように、私はこれらの展示物の「全て」が事実とは受け入れていません。

では、私が一番に知りたかったこと。
それは、韓国ではどのような歴史教育がされているのか、ということ。
それを知るには、ここはどこよりも一番相応しい場所であったように思います。

「独立」への思い。

*天安市の「独立記念館」、その第4展示館にある『3・1精神像』。


なぜ「独立記念館」がソウルから特急列車で1時間余り南下した天安市に建てられたかというと、
"3・1独立運動"で活躍し、後に「韓国のジャンヌダルク」と呼ばれた梨花女子大学校の女学生、"柳寛順~ユ・グワンスン"さんの出身地であるからだそう。


『3・1独立運動』、これを私が高校時代に使っていた参考書で調べてみると、次のように記されていました。

「1910年の韓国併合によって、朝鮮は日本の支配下に置かれるようになったが、民族自決主義やロシア革命の影響のもとに、1919年、ソウルで"3・1事件(万歳事件)"と呼ばれる大規模な民族独立運動が起こった。
33人の人物によって独立宣言書が発表され、数千の学生達が公園に集まり"朝鮮独立万歳"を叫び、その影響はソウル以外の地にも広がった。
しかし、この運動は日本によって鎮圧され失敗に終わった。」


では、韓国ではこれをどう説明しているのか、、。

「1910年、国権を強奪した日本は、我が民族の言論・出版・集会・結社の自由を剥奪し、憲兵警察を先立たせて武断支配を恣行した。
それに対し、多くの愛国志達によって独立運動基地建設と独立戦争を準備し、国内でも地下運動を展開。
そんな中、突然の光武皇帝の死。それは日帝(日本政府)による毒殺という噂が広がり、国を失った悲しみと鬱憤が爆発するようになる。

この機会に乗じて1919年3月1日、あらゆる宗教界の指導者と学生層代表者は、我が国が独立国で、我が民族は自主民であることを宣言して、ソウル・平壌を始めとする色々な地域で万歳示威に入った。
それは遼原に烈火の如く広がっていき、全国津々浦々に述べ200万人が参加する全民族的な示威へと発展。
国内だけでなく、満州・ロシア・米国・日本など同胞がいるところ全てで万歳示威が起こった。」

まだまだ続きます。

「日帝は銃と刀で無慈悲に弾圧したが、そのような弾圧の中でも悠久な歴史と燦爛な文化を持つ民族としての自負心と、自由がないと死を選択する不屈な自由精神を全世界に見せた。
3・1運動は、日帝に我が民族は銃と刀で支配できないことを気付かせ、武断統治を文化政治へと緩和せざるをえなくした。
また、中国・インド・インドネシア・フィリピンなど弱小被圧迫民族の独立に大きな影響を及ぼした。」


"3・1運動"は、これから続く独立運動への序章。
ここからも、韓民族がいかに誇り高い民族であるかを伺い知れます。


説明は、上段から韓国語、英語、中国語、日本語で記されています。
いくら私が韓国人を装ったとしても、下を向いて読んでいれば日本人だってことは一目瞭然ですよね。
大勢の韓国人の中、私の心はドキドキでした。

私は、韓国で示すこれらの内容が全て絶対だとは思いません。
けれど、当時の韓国の独立への思いを少しは感じとることができたと思っています。
そして、日本が韓国にしてきた事実についても、逃げずに直視しようという覚悟で見たものを、備忘録という意味も込めて書いていこうと思います。


*今日から少し、重い内容の日記が続きます。お付き合いして頂ける方はお読み下さいませ。

私が何故、この場所を訪れようと思ったかは、('08.02.16日記)に書いてあります。

日本海? 東海?

職場の仲良しIさんの次男坊、Yくんは地図を見るのが大好き。
この春、小学校に入学したばかりの彼ですが、すでに世界中の国名を覚えています。

昨年夏、私が初めてザルツブルクに行った時のこと。
オーストリアのお土産にと、"モーツァルト・クーゲル"というチョコレート菓子を持って帰りました。
Iママは一瞬、オーストリアがヨーロッパのどこにあるのか分からなかったのだそう。
「Y郎、オーストリアってどこにあるんだっけ?」とIママ。
5歳の彼は冷静に、「ドイツの下だよ。」と答えました。

私が幼稚園の年頃、いったい幾つ外国の名前を言えたでしょうか、、?
まして、"オーストリア"は大人でさえも"オーストラリア"と間違えやすいのに。。
(実際、オーストリアのお土産物屋さんでは、「No Kangaroo」と書かれた品物も売られています。^^)


そんなYくんに、韓国で面白い地図があればお土産にしたいなぁと、、何軒か本屋さんを覗いてみました。

何冊か地図帳をめくりましたが、いたって普通。
確かにハングル文字はユニークかもしれませんけど、全く読めないですし、、。
子供が喜びそうな地図には出会えませんでした。 残念。。(∋_∈)

* * *

先日、池上彰さんの著書「世界がわかる!国際ニュースななめ読み」を読んでいて気が付きました。
それは、少し前に話題になった「日本海」の呼び名について。

韓国や北朝鮮は、世界的に「Sea of Japan」と表記されていることが気に食わない。。
国際基準で「東海」という呼び名にしたいという話。
そして、「東海」がダメなら「平和の海」ではどうかという盧武鉉前大統領の発言が韓国国内で問題になったことについてです。
当然のこと、韓国側からすれば「日本海」という表記は気に入らないですよね。
分かります、その気持ち。

せっかくソウルの本屋さんで地図帳を探したのに、あんなに地図帳をめくったのに、、
私はうっかり韓国の地図帳に「日本海」がどう表記されているのか見てくるのを忘れました。

きっと「東海」なのでしょうけど。

* * *

国が変われば、そこで教えられる地理も歴史も異なって当り前。

私の中でそれが特に印象的だったのはモンゴルでのこと。

私がモンゴルを訪れた時、ちょうど大統領選挙を控えた選挙活動真っ只中でした。('07.10.23日記)

ガイドのオユナさんと何故かその話からチンギスハーンの話題に移りました。

当時のモンゴル大帝国への誇りが伝わってきます。
いつの時代になっても、その誇りがモンゴル人を支えているように感じます。

目を爛々させながら、「モンゴルはどこよりも強い国でした。《日本だって負けましたよね。》」とオユナさん。

えっ、負けた???
元寇といえば、モンゴル勢は2度ほど日本に攻めてはきたけれど、確か神風(台風)で撤退したはずでは、、?
決して日本が負けたなどと、私はそんな話を聞いたことがありません。

けれど、ここで歴史について討論しても始まらないと、私は苦笑しながら無言で首を傾げていましたけど、、。


真実は別にして、、
色んな国の色んな言い分、だから外の国から地理歴史を学ぶことは新しい見方があって面白いですよね。

小心者の私です?!?

*韓国は天安市にある「独立記念館」。
黒城山山麓の120万坪という広さを占め、民族精気の発揚と生きた国民教育の場として発展し続けています。
【'08.05.04】


自分でも"肝が太く"なったなぁ、と感じます。

「独立記念館」を後にしたバスの中。
ハングル文字が分からないと言いながら、椅子に座った途端に一息ついた私は、窓ガラスにもたれ掛かり居眠りをしていました。(― ―)zzZ

コクリ。コクリ。

行きはタクシーで15~20分ほど走りました。
きっとバスでもそれくらいか、それより少し時間が掛かるだろう、、、そう私は思いました。

少し眠っても大丈夫かな?! 気持ち良くバスに揺られます。

うっすら目をあけると、少し街中に近づいてきたような、、。
さて、どうするか、、、どこで降りるか。。

* * *

記念館前でバスの扉が開いた時、何も分からない私ですが、ただ駅まで行くことを頼りに飛び乗りました。
良かった、良かった。
まさかバス内がハングル一色だと気付くまで、ただただ安堵しておりました。

すると、前の席から何やら私に対する声が聞こえます。
意味こそ分かりませんが、間違いなく私に話しかけている模様。

あっ! ごめんなさい。先にお金を払うのね。

不機嫌そうな運転手さん。
言葉が通じない私を前に、ますます機嫌が悪くなるのが分かります。
金額がいくらか分からず トロトロとお金を出している私に、「はぁ~」と溜め息をつきながらイライラしているのも伝わってきます。

降りるバス停が分からないのであれば、いつもなら運転手さんに「駅に行きたいので、一番近くのバス停で教えて。」と頼んだことでしょう。

けれど、この運転手さんとは もう絶対に喋りたくない!
私も意固地になりました。(意固地になれる立場ではないのですがね、、。(^。^;))

自力で何とかしてやるぅ~!\(`O´
と意気込んでみたところで、ここがどこなのやら、、。(T_T)

浅い眠りからさめた私は、窓の外を必死で眺めていました。
街の中心部まで行けば、適当に降りても何とかなるだろう。。。

20分は走ったでしょうか。
バスの表示にハングル文字ではありますが「天安」の文字!
正確には、「天安●」と書かれてありました。

もしや、「駅」?
あぁ~、●の文字が何を表すのか分からない。(;_;)
「駅」の可能性も大ですが、例えば「門」であったり、「市庁」である可能性だってなきにしもあらずです。。

躊躇している間に、バスは「天安●」を後にしました。

う~、まだ迷っている私。

その時、数時間前にお世話になった"Information"の看板が☆
やっぱり「●」は「駅」のことだったんだ!

降ります! 降ります!
私は急いでブザーを鳴らしました。

こうして無事、天安駅に戻ることができた私。
"ほっ"としてお腹も空いてきました。
そして、駅の隣りにある食堂に足を踏み入れてみました。

「キムチチゲください。」
店員さんは若いお兄さん。
「うちはキムチチゲはありません。後ろのメニューから選んで下さい。」

振り向くと、、(T_T)又もおまえかぁ~~~。(>_<)

当然のことながらハングルハングル。。(T_T)
とっさに読めたのは"ビビンバ"ただ一つです。

「ビビンバ、ジュセヨ。。」
あぁ~、ビビンバなら"石焼き"が食べたかったのになぁ~。
はぁ~、石焼きって韓国語ではどう発音するんだろう。。(T_T)


*Karianneさんのコメントの通り、次回はちゃんとハングルの単語帳を作って行きます。m(_ _)m

天安で困る私。

*天安駅前の広場。
この日の天気予報はソウルでは雨、ソウルから南に95km下った天安市では曇り空でした。
【'08.05.04】


さて、天安駅で下車した私はとりあえず "Information"を覗いてみました。
若い男女二人が座っています。
私はここでも日本語版「独立記念館」の行き方が書かれた紙を見せて尋ねました。

地図にある漢字を見たお姉さんは聞きます。「チュングーサラン(中国人)?」
「アニヨ、イルボンサラムニダ。(いいえ、日本人よ。)」と答える私。

「バスで行くのなら4番です。」と教えてくれました。


けれど時間がない中、あまりにも分かり難いバス停を前に、、、
仕方ない、行きだけタクシーを使おうと乗り場を変更。

そこでお世話になったタクシーの運転手さんは年配の方。
おかげで「独立記念館」という漢字を理解してくれ、記念館まで無事スムーズに行くことができました。


10時半に記念館着。
それから3~4時間ほど滞在しましたっけ。
*この内容については、この次の日に見学した「西大門刑務所博物館」とも関連していますので、後日改めることにします。
(非常に重いテーマでもありますし、、。)

広い敷地を持つ記念館を見て回るだけで、足は棒になってしまいます。
そんな役立たずの足を引き摺りながら、帰りのバス停を探してさ迷います。
しかし大勢の家族連れの車ばかりが目につき、なかなかバス停までたどり着けません。

先程のタクシーの運転手さんがくれた名刺に甘えそうになりました。
いやいや、帰りこそはバスを使うと決めたじゃないの、、心の中で葛藤します。

そんな時、遠くに大型観光バスを発見した私。それに吸い込まれるかのように歩き出しました。
運が良かったのか、近くにバス停が見えてきます。

ほぉ~、これで帰れる。(^。^;)  ...さて、天安駅行きはと、、、、、。

ダー!!(ToT) 全てハングル文字!!(ToT) アルファベット表記すらありません。(ToT)

ここに来るバスは全て天安駅を回るのか、、? 乗ってしまえば何とかなる???
・・ただでさえ言葉の通じない知らない国の知らない町。そんな博奕のようなことはできません!!

これは困った、困った。(T_T)
しかし天は私を見捨てなかったのです!!

「いち、に、さん、し、ご、ろく、??」「その次は"なな"だよ。」
すぐ傍には、本を開いて日本語を勉強している女の子達の姿が!

「あなた達、日本語が話せるの?」
3人は顔を見合せて、「無理、無理。」と首を横に振りました。

それでも私はお構い無しです。
学生なら英語はなんとかなるでしょう。「あのバスは天安駅に行く?」

女の子達は又も顔を見合せ首を傾げます。

う~ん、やっぱり困ったぞ。。('~`;)
そんな私の困った表情を不憫に思った彼女達は、バスが来る度に運転手さんに行き先を確認してくれました。

「このバスが駅に行くよ。」
(>_<)゜゜ありがとう!ありがとう!!
思わず彼女の手を握りしめ、この時だけは私の感謝が一番表れる日本語で「ありがとう!」を言いました。

勇んでバスに飛び乗る私!!

そして1分後に気付くのです。

やはりハングル文字しか表示のないバスの中。
私はいったい どこで降りればいいというのか。。。(ToT)

目の前には、英語で尋ねても韓国語でしか答えてくれない"しかめっ面"の運転手さんがいるだけです。(>_<)

母の日はドライブで。

*平山郁夫画「蘇州 1995」


今日は母の日ということで、昨年と同じく瀬戸内沿岸を一周"ぐるっ"とドライブしてきました。

今回で3度目、【香川―愛媛県今治市~しまなみ海道~広島県生口島―岡山~瀬戸大橋~香川】というルートです。

前回の9/23は、両親と共に広島県尾道市にも立ち寄りました。
今日は、友人と高知へ行った父とは別に、母と二人きりの小旅行となりました。

ですので、二人のお気に入りである『平山郁夫美術館』をゆっくりと訪れることができました。
平山画伯の作品も、その美術館のカフェで戴くコーヒーも、毎回 私達を大満足させてくれます。


平山郁夫画伯は瀬戸内海に浮かぶ生口島(広島県尾道市瀬戸田町)に生まれ、この豊かな海の恵みに囲まれて幼少時代を過ごします。

中学3年の夏に広島市で原爆投下に遭い、九死に一生を得た平山少年。
その後も原爆後遺症で苦しみますが、この被爆体験が後の彼の文化財赤十字(文化財保護)活動の原点になっているといいます。
そして、その苦しみから生まれた三蔵法師をテーマとする「仏教伝来」で院展に入選し、彼の永遠のテーマであるシルクロードへと広がっていきます。


そんな平山画伯の原点である生口島。
お昼前には晴れ間が広がり、海は潮の流れが速いのか様々な青さで煌めいていました。
道端では蜜柑が売られ、素朴な島の風景と 島と島を結ぶ架け橋のコントラストが美しかったです。


美術館では尾道市制110周年を記念して、4月から6/18迄の間「中国と西域を描く」をテーマに展覧会が催されています。
滋賀県守山市にある佐川美術館の所蔵品が多く展示されていました。

特に印象的だったのが、中国は蘇州を描いた作品達。
近くで見ても穏やかな情景に心洗われますが、離れて見るとより作品の素晴らしさを感じることができます。
水の揺らめきが、揺らめく水に浮かび上がった町並みが、まだ見ぬ懐かしい大陸への憧れに繋がっていくのです。

* * *

10年程前になります。
私が初めて観たミュージカルは、劇団四季の「李香蘭」でした。

その時聴いた『蘇州夜曲』。
私の中でその印象的な歌声と平山画伯の作品『蘇州』とが結び付き、その絵を前に思わず口ずさみそうになりました。


~君がみ胸に 抱かれてきくは 夢の船歌 恋の唄
水の蘇州の 花散る春を 惜しむか柳が すすり泣く~

ソウル駅発。

*新ソウル駅の中はまるで空港のようでした。
高く明るい空間が広がり、乗り場と降りロの改札口は2Fに各々わかれています。
自動改札すらない田舎に住む私にとって、ソウル駅はただただ感心するばかりでした。
構内には「さぬきうどん」のお店もあり、何だか嬉しくなってしまって こっそり写真を撮りました。 どうも韓国では、「Japanese noodle="さぬき"うどん」のようですね。^^
【'08.05.04】


5/4の朝、私は南大門を見たその足で、ソウル駅へと向かいました。
今回の旅のメインである天安市の「独立記念館」へ行く為です。
それは以前、韓国語講座で知り合ったSさんから教えて戴いたところ。
私は彼女から借りた資料より、記念館までの交通手段をコピーして持って行きました。

もちろん、それは日本語版です。
汽車で行く場合、天安駅で降りてバスを利用(12km)とあります。


ソウル駅の切符売り場は大変広く、各々の窓口には映画館のチケット売り場のようにマイクがついています。

私は窓口のお姉さんにそのコピーを見せます。
「ここまで行きたいのだけれど、、。」地図を指差しながら英語で言いました。

漢字表記の地図を見ながら、「ここはKoreaですよ。」と彼女は答えます。
そんなこと分かってますがな、、。「この地図は韓国ですよぉ~。><!」

『天安』...もしかして、このお姉さん世代は漢字を習っていないのかな?
彼女は困った顔をして悩みながら、『Cheonan?』と聞き返してきました。

今度は私が困った顔をする番です。(^_^;)
Cheonan???...又もしまったぁ~、『天安』の読み方を調べてなかったよぉ~~。(冷汗;)
漢字を見せれば十分に通じると思っていたのです。

そのお姉さんは年配の方に『Cheonan』だと確認してくれ、「次の特急列車は8:45発です。」と答えました。

「それは釜山行き?」、と私。

「そうです。ただ今、満席ですので立ち席になります。」...standing...この単語が頭の中に響き渡ります。
・・ええ~、結構遠いのにぃ~、、、でも、時間があまりないのだから仕方あるまい、、。

「それでも構いません。往復切符でお願いします。」
「帰りは何時ですか?」
・・そんなの行ってみなくちゃ分からないよぉ~!!
「まだ決めていません。」
「分からないのですね。じゃぁ、帰りの切符は天安駅で買って下さい。」

時間指定されていないと切符が買えないのかしら???
そんな疑問を抱きつつホームへと向かいました。

ホームには長い長い車両が連なっています。
出発間近、中を覗くと空席が至るところにあるではありませんか。
自由席の車両があるかもしれない。。

私は淡い期待を抱きつつ、ホームに立つ車掌さんらしき人に切符を見せながら尋ねました。

彼は"じっ"と切符を見つめ、笑顔で答えます。「No seat!」
...no seat...no seat...no seat...no seat...no seat...no seat...no seat...頭にこだまします。
(T_T)ちっ、、、やはり無いのか、、、。(T_T)

ちょっぴり膨れっ面をした私は、こうしてソウルを後にしました。

ソウルでは沢山残っていた空席。
けれど列車が駅を進むごとに、キムチの臭いを引きずりながら"わんさ"と乗客が乗り込んできました。(^。^;)


1時間15分後、午前10:00に天安駅に到着。さぁ、次はバスかタクシーか、、。

『NANTA』!!!

前回(2004年)のソウル行きは家族4人でツアー参加だった為でしょうか、、海外という感じが全くしませんでした。
けれど今回一人きり街を歩いてみて、韓国人は日本人と同じ匂いを持ちつつも明らかに違う気質を秘めた国民性だと感じました。
それを最も肌で感じ、エキサイティングしたのが『NANTA』です。


「とにかく凄いですよ!」
数年前、釜山出身の国際交流員であるチェさんは、目を輝かせながら話してくれました。

何がそんなに凄いの?
コンセプトは「In the kitchen」。
支配人と料理長、sexy guyと美人女性の2人の料理人、そして彼らのアシスタントとして支配人の甥が登場します。
決められた僅かな時間で、結婚披露宴の料理を包丁や鍋などを乱打しながら完成させていきます。
何がそんなに凄いの? 技? 料理?


実際にこの目で見るまでは全く想像がつきませんでした。

しかしこのミュージカル、、およそ90分間、観るものを笑いの渦に巻き込んでしまいます。
それはストーリー性がしっかりとしているので、台詞がなくリズムとビートだけで構成されていても十分に理解できます。
いえ、万国民全てが彼らのパフォーマンスに釘付けになるのです!!
実際に韓国と日本だけでなく、東南アジアにオセアニア、ヨーロッパにNYと23ヶ国150の都市で公演され、その全てで大絶賛を受けています。
そして2003年9月、NANTAは97年の初公演からたった5年程でブロードウェイ進出を果たしました。


笑いあり、リズム感あり、見事な包丁さばきあり、皿投げあり、マジックあり、恋愛あり、緊張あり、感動もあり、etc、、。(^^)
そこには韓国的な食のこだわりまで存在します。
飛び散る汗と野菜!(笑) アジアの血が躍る。。 時間の経過などすっかり忘れ去っていました。(^^)

観客もただ観ているだけではありません。
舞台からは色んな物が飛んできますし、彼らとともに身体を使って参加します。
*"ぼぉ~"としていると当てられますよ。^^

気持ちを高めた最後には、韓国伝統音楽サムノリのリズムにのせて笑いだけではない高度な技が披露されます。
私までも息もつかず、目が離せず、そのリズムと技に夢中でした。

これほどとは、これほど一体感があり興奮するミュージカルだとは思いもしませんでした。

NANTAの為だけにソウルに行くのもいいかな~、と思っています。
NANTAの中に、エネルギー溢れる今の韓国の勢いがしっかり凝縮されていますしね。
自信を持ってお薦めできます。
思い出しただけで興奮してしまいそう!(^^)/

韓国人、さすがです☆


〈ご案内〉

NANTA専用劇場は、地下鉄ソウル市庁駅より"徳寿宮"に沿って徒歩10分。

月~土曜日 : 16時~、20時~
日曜日&祝日 : 15時~、18時~

キャストは「赤」「青」「白」「黒」「緑」「紫」の6つのグループがあり、その日によって出演するグループが異なります。
全て5人構成。
グループごとに内容も若干違います。
私が観たのは「Redチーム」です。

公演の後、メンバーがサインと握手をしてくれます。
爽やかな笑顔が印象的でした。^^

HP : (NANTA) http://www.asahi.com/ad/clients/nanta/what.html


*私にNANTAの存在を教えてくれたチェさん、そしてこの公演のチケット(前から3列目、中央の席)を用意して下さった旅行会社のMさんに大感謝です。
カムサハムニダ~!(^O^)/~~

噛みきれない冷麺。

いつも海外旅行に出掛けると 興奮と疲れからか食欲が"ぐっ"と減る私。
けれど、今回は大好きな韓国料理です。
ガイドブックに載っている気になるお店には事前に大きく丸印でチェックチェック!! ^^


到着日の5/3、この日はソウルでも気温は27℃まで上がりました。
こんな暑い昼下がりにはのど越しさっぱりの"冷麺"を食べましょうと、明洞にある「明洞咸興麺屋~ミョンドンハムンミョノッ」の暖簾を潜ってきました。
この店は本来の味を守る為に支店を出さないという"こだわり"。

咸興(ハムンシッ)式冷麺は、北朝鮮から伝わったもの。
汁気が少なく、麺はサツマイモの粉で作るのだとか。

お店には日本語のメニューもありますし、店員さんも日本語で話しかけてくれます。
「辛いのと普通、どちらがいいですか?」

せっかく韓国まで来ているのです。
「辛いのでお願いします。」

運ばれて来た早々、冷麺をハサミで切ってくれます。
味はしっかり、"かんこ~く!"、という感じ。(どんな感じ?(^^))
辛さ的にも大丈夫。上にのせた梨の甘みが効果的です!

うん、うん。美味しい、美味しい。

ただ、決して固い訳ではないのに、なかなか噛みきれないこのビビン冷麺。
使い慣れていない金製のお箸と冷麺の相性にも苦労しました。

そして、元々 何事も途中で投げ出すタイプの私です。^^;
はぁ~~~。(^。^;)
噛みきるのに疲れちゃったよ、、、私は溜め息をつきながら辺りを見回し、あっさりとご馳走様しちゃいました。^^;
*ごめんなさい、食べ残してしまって。。。

結局、暑さと疲れで又も食欲が激減した私。
この後、ガイドブックに掲載されたお店に行くことはありませんでした。


そんな私が最も美味しく感じたのが、ソウルから特急列車で1時間15分、天安(Cheonan)駅に隣接した食堂の"ビビンバ"です。
本当は「石焼きビビンバ」が食べたかった。。。。。
ソウル市内であれば日本語で十分だったのでしょうが、、、けれどここは田舎町。
とっさに「石焼き」のハングル読みが分からなかった私は、ここでも又 悔し涙を飲むことになるのです。(>_<)
*「石焼き=トルソッ」・・・当り前ですが、下調べは重要ですね。トホ。

ハングルとの戦い!

*李王朝最古の王宮「景福宮(キョンボックン)」にて、慶会楼を背に【'08.05.05】

このひととき、唯一「ハングル文字」と「キムチ」臭い雑多な人混みから解放された私は、気持ちの良い爽やかな風に吹かれていました。

* * *

ソウルの地下鉄。
それは市内全域を網羅していますので、乗り方と路線さえ頭に入れれば最も便利な移動手段です。
運賃は初乗りが10000W。
早朝5:30~24:00、時刻表はありませんが頻繁に電車が入ってきます。
路線は全部で11です。

よりソウルを感じる為には、市民の足である地下鉄をマスターするのが一番!
ソウル到着後、早々に荷物をホテルに預けた私は、勇んで"明洞"駅へと向かいました。

まずは私のソウル行きを決定付けさせた「南大門」を見に、"明洞"の隣り駅"会賢"で降りましょう。

私は、日本でも地下鉄に慣れていません。
人の動きを観察し、切符を購入。
自動券売機ではコインしか使えず、紙幣しか持っていない私は仕方なく切符売り場の窓口へ。

どうも周りの人達は、係員さんに行き先を告げているようです。

、、どうしよう、、"会賢"ってどういう読み方なんだっけ、、。σ(^◇^;)。。。
〈答 : Hoehyeon〉

えぇ~い、どうせ近場なら どこでも10000W。適当に他の駅名を言っても問題はあるまい。
「Seoul Stationまで。」
*後ほど、別に駅名を告げなくてもいいことに気付きます。

方面を確認して列車に乗り込みました。確かに確認して、間違いなく確認して、、?

駅の階段を上ると、そこは大きな道路が伸びています。
はて、、どの方角へ行けばいいのだろう。。┐('~`;)┌

そんな時、スーツ姿の男性に声を掛けられました。
「£§△¢◇*∞・・・。」
ごめんなさい、韓国語は分かりません。(>_<)

「英語は分かりますか?」その男性は苦笑いしながら首を横に振ります。
「じゃぁ、日本語は?」やはり横に振ります。

けれど、せっかく声を掛けてくれた貴重な人、このまま手放す訳にはいきません。

「私、南大門(ナンデムン)へ行きたいの。」
「タクシー? バス?」
「ううん、歩いて行くつもり。」
彼は又も困った顔です。

会賢駅から南大門まで徒歩5分とガイドブックには書いてあります。
何をそんなに困るのだろうと、よ~く駅名を見てみると、、"忠武路(Chungmuro)"の文字。

しまったぁ~!! 私、反対方向に来たんだわ。(ΘoΘ;)

今度は私がその男性に苦笑を投げ掛け、一目散に地下へと駆け降りました。


韓国では、当然のこと"ハングル文字"の氾濫です。
地下鉄ではハングルの駅名の下にアルファベットで読み方が書かれてありますが、その読み方と漢字の地名が全然結びつかない。。f^_^;

車内の放送は韓国語の後英語の説明もありますが、韓国独特の地名の響きに慣れるまでは随分と苦労しました。
そして、いくつもある(多ければ8つくらい)駅の出口を間違えずに選ぶこと。

これらの簡単なことをマスターするのに、私は半日も費やしてしまいました。


全てハングル文字に馴染みがない故。
この暗号のような文字を解読するのに必死だった私の目は、旅の一日目終了後にホテルの鏡を見てビックリ!
(◎◇◎)

左目下は目イボのように赤く腫れ上がっていました。
痒くて痒くて、夜眠っていても熟睡できず。

ハングルとの戦いは2日目も続行です。打倒! ハングル!!


*韓国では英語が通じないことが多いです。
ソウル市内の明洞や市場などでは日本語が飛び交っているので大丈夫ですが、観光客が少ない場所(特に市外)では日本語も英語も通じにくく困ってしまいます。

韓国は熱かった!

*まだ修復のめどすら立っていないようなソウル「南大門」。
痛々しいその姿に言葉が詰まりました。【'08.05.04】


韓国は、私が過去に訪れた中で最もエネルギッシュで熱い国でした。
底力というのでしょうか、、土地からも人からもエネルギーがみなぎっていて、熱気がムンムン感じられます。

元々、土地の持つパワーから影響を受けやすい私にとって非常にキツくて激しい国。
4年前にも一度家族とソウルを訪れたことがありますが、その時と比べても影響力は雲泥の差です。
昨今の韓国の勢いを肌で感じた旅となりました。

岡山空港から僅か1時間のフライト。
けれど、片道12時間以上かかるヨーロッパ旅行の方が私にとっては楽ですね~。
こんなに"ぐったり"したのは初めてです。

しかし、その分違った感動もありました。
今後、韓国がアジアだけでなく世界でリーダーシップを発揮する日も近いのでは、と楽しみでもあります。

そのエネルギーを象徴するかのような舞台「NANTA」。
逞しい韓国の若者に脱帽!! とっても見応えがありましたよぉ~☆

そして('08.02.16日記)に書きましたように、今回の旅は自分の国を再認識することが一番のテーマでしたので、
天安市にある「独立記念館」、ソウル市内にある「独立門」と「西大門刑務所歴史館」を訪れ、日本統治時代の韓国の現実をしっかりと見て来ました。
まだ考えがまとまっていませんが(まとまるかどうかも分かりませんが)、これから少しずつ考えていきたいと思います。


この旅についてもぼちぼちとアップしていきますので、宜しければこれからもお付き合い下さいね。

明洞で占う。

先程(5/4 PM5時半)、ソウルの繁華街"明洞"の一角にある占いカフェ「sharp#」の扉を叩いてきました。

地下鉄4号線"明洞駅"6番出口からおよそ3分。
入り口に大きく書かれた「占い」の看板、それを横目に階段を上った2Fにあります。
足音を聞いて、お店のお姉さんが「日本人ですか?」と顔を出してくれました。

まずは飲み物の注文。
疲れて甘いものが欲しかった私は、パイナップルジュースを頼みました。

日本人用の占いは30000W(100W=約13円?)。
韓国で最も人気の『四柱八字』は、生年月日や生まれた時間などから占ってくれます。

占い師さんと日本語堪能なオーナーさんが席につき、分かりやすく説明してくれるのでリラックスして楽しめます。
予約の必要はありません。

* * *

↑は私の「監命書」。私が聞かれたのは、名前と生年月日、生まれた時間のみです。

運命を「水・木・火・土・金」に分けて表すと、私自身は『木』なのだそう。
本来、木というものは青々と繁って花を咲かせるものですがが、冬生まれの私は今まで凍ったままの木だったとか。
そのせいで運勢の変動もゆっくり流れていくそうです。

「特に今まで冷たい"水"の気の影響を受けていましたので、何事も行動に移せないことが多かったでしょう。
まだ結婚はされていませんね。
結婚する意志もなかったでしょうが、まず結婚する必要性もありませんでした。
あなたは束縛を嫌うはず。
"木"を切るような、あなたの自由を縛るような方は絶対に合いません。」
・・ふ~~~ん。(^。^;)

「あなたは"金"の影響を強く受けていますので、"医療系"か"福祉系"の職業につく可能性が高いです。」
「えっ? 私、今 福祉の施設で働いていますよ。」
当然でしょう...という目をして、占い師さんは頷きました。

「35歳からは水ではなく"火"の気に移行することになります。
ですから運勢は大きく動き出し、思いは実現へと進んでいくはずです。
今より性格も明るくなります。」

「方角は南が良く、ネオンなどが煌めくところもいいですね。
赤色と黄色がラッキーカラーです。」

「お金は土台がしっかりしていますので、人生を通して困ることはないようです。」
・・ひとまず、ほっっです。(^_^)

どうも結婚もできるようです。^^
そして気になるそのお相手は?
「年下でも大丈夫ですよ。貿易関係など外国と縁の深い方がいいでしょう。」

ここで"すかさず"私は質問しました。
「外国人ではどうですか?」
占い師さんは目を大きく見開いて答えます。
「外国人? その方がいいですねぇ。ええ、外国人がいいです。」
・・でしょ! でしょ!!

身を乗り出して私は尋ねます。
「スイス、オーストリア、ドイツの人がいいのですが、、。^^」
「あなたの場合、外国人ならどこの方でもいいですよ。」
・・ど、どこでもOK???...とは言ってもスイス人とインド人、アルゼンチン人とでは全然違うのでは、、? (^_^ )

「何度も言いますが、35歳から全てが変わるのです。あなたの夢も実行に移せるようになるでしょう。」

よしっ!! 何もかも、私の人生これからです!!
ウルスと出逢える日ももうすぐぅ~?! てへっ!*^―^*

岡山空港にて。

張り切って4時20分に家を出た私。
(昨晩の睡眠時間は2時間半!)

思いの外、列車とバスの乗り継ぎがスムーズにいき、これまた想像以上に小さな小さな空港に驚いています。
6時半に空港着、予定より1時間も早く到着してしまいました。
おかげで、しっかりとガイドブックを見ることができ、食べたいものもチェック済み!!

旅行会社Mさんが選んで下さったサボイホテルは、立地条件抜群の明洞にあります。
実は、先程知りました。(^_^;)...オイオイ。。

今晩は8時から、話題の「NANTA」を観に行きます。
今のところ確定している予定はそれだけです。(*^_^*)

たった今、チェックイン完了☆


*今朝、始発の列車に乗りました。4:59にJR坂出駅を発車。
こんな早朝でもかなりの方が移動されているのですね。
何故か、その列車に乗る全ての人がソウルへ行くように思えてしまうから不思議です。。^^

なんとかなるはず。

*NYのセントラルパーク。
一面 雪に覆われた、人気のない夕暮れ時。【'03.02.09】


実は、まだ旅行の計画を全く立てていない私。。(^_^;)
仁川空港からソウルに向かう方法すら調べていない。。う~、、、毎度、自分のことながら心配です。

今日の昼休み、「まだ荷物の用意さえしていないのよ。」って上司のKさんに言いました。
Kさんは相変わらずの真顔で、「近いんだから、忘れ物があれば取りに帰ればいいじゃない。」
確かに近いけれど、、こんなコメントってあり?(*^_^*)

この近さが海外旅行って気持ちにさせない理由かなぁ~。

* * * * * * *

私がNYの"JFK国際空港"に降り立った時、それは ある真冬2月の夜8時過ぎでした。

世界の中心「NY」!
国際色豊かに沢山の人達が溢れるNYですから、空港からマンハッタンまでの移動なんて人の流れについて行けばいいではありませんか。

私は下調べを一切せずに、NYに足を踏み入れたのです。

だーーー。。(; ̄Д ̄)あっという間に私は一人。
あれほどいた人達は、一体どこに消えたのでしょう。

急に不安が込み上げてきました。もう夜も深まっていくのにぃ~。(;_;)

バス停にも人影はありません。

キョロキョロしていると、大きな体をした 空港の職員らしき二人の黒人男性が歩いてきました。
ラテンの男性はペルー旅行で免疫がありますが、黒人男性と話す機会が過去に全く無かった私。
(黒人女性ならパリの早朝、忘れられない思い出を戴きました。('07.10.12日記))

あまりにも体格のいい二人に、近付くことさえ恐かった私。
決して人種差別するつもりはありませんが、正直に恐かったのです。

けれど、彼らしかいません。彼らに聞くしかありません。
「マンハッタンまで行くにはどうすればいいの?」

彼らはバスのチケットを渡してくれました。
「もう少ししたらバスが来るからね。
それまで寒いだろ。暖かい室内で待っているといい。バスが来たら教えてあげるよ。」
私が勝手に恐いと思っていただけで、とっても親切な方達でした。
*偏見を持ってしまって、ごめんなさい。。。。(〃_ _)

私は一人寂しくバスを待ちます。

「ここでバスを待ってるの?」
振り向くと、藤井フミヤさんをもっと爽やかにした若い男性が、黒いコートを纏って立っていました。

日本人ではありません。韓国人?
「僕の名はKini Wong。オーストラリア人なんだ。」
きっと、お父さんかお祖父さんの時代に移住したのね?

「僕は仕事でシドニーから来たんだけど、NYまでホントに遠かったよ。」

「日本人に人気のマンハッタンツアーを教えてあげるよ。良かったら電話してみるといいよ。」
彼は色々な資料を鞄の中から取り出します。
この人は何者だろうと思いつつ、いつの間にか先程の不安もかき消されていました。

彼はセントラルパークに程近い"ウェリントンホテル"に宿泊なのだそう。
このバスは主なホテルに停車してくれます。

「君のホテルは?」
私が予約してある"ホテルメトロポリタン"にはバスは停まってくれません。

「どこで降りるの?」
彼の質問に、「グランド・セントラル・ステーション」と私は思いつきで答えました。

思いつき、、そうです。知っている名所の中で、最もホテルに近いであろう名前を言ったのです。

しばらくの楽しい会話の後、
「あっ、ここがグランド・セントラル駅だよ。」とKiniは教えてくれました。

もう安心。マンハッタンに到着です。o(^―^)o
オーストラリア人のKiniと、あの二人の黒人男性のおかげで、無事にたどり着くことができました。
とても気持ちのいい旅のスタート。

時計を見ると、夜の9時半を回っていました。

さて、ここからの道順は、、。
つい先ほどの大安心の後、これから40分も冬空の下、NYの夜をさ迷うことになろうとは、まだこの時の私は知る由もありません。


明後日のソウル。
まぁ、なんとかなるでしょう。。。?

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