I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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『狂言』のススメ

『能』に『狂言』、、、
数年前までは、私にとってかなり敷居の高い古典芸能でした。
("お能"は、今でも私にとっては睡魔との戦いです。^^)

いえ、それらがどういうものなのか 全く知らなかったと言う方が正しいですね。
中学高校時代に、日本史で室町時代の"観阿弥・世阿弥"について軽く習ったくらいでしょうか、、。

昔の参考書を紐解くと、
「14世紀末、観阿弥・世阿弥の父子は 幽玄を旨とする猿楽能を大成した。
幽玄とは気品があり、あわれの美をもち、かすかな奥深さといったものをふくんだ美の境地をさすことばである。」

「能のあいまに、息抜きとして演ぜられる即興のセリフ劇が狂言であり、
能やその脚本である謡曲が重厚なのに対し、狂言は当意即妙の滑稽を主とする軽妙さをもっていた。
その内容は、当時の社会の大名・山伏・僧なでを風刺したものや、庶民生活に題材を求めたものが多い。」

これでは、現代人が古典芸能離れするのも頷けますね。^^;
さっぱり面白さが伝わってきませんし、その世界を知りたいとさえ思いません。。。


そこで、10/13にも紹介しましたが、ナンチャンこと南原清隆さんの言葉を借りると、、、
「気付いたのは、600年も前から"シテとワキ"、現代風に直すと、"ボケとツッコミ"が存在していたということです。
ほかにも三段落ちや、くるっと一回りして"ここはどこに着いた"というようなことまで、実に多くの笑いの型が狂言の中に脈々と生き続けているのです。」

「この事実に触れ、僕は"あ~あ、ボケとツッコミ、この型自体、日本の大事なオリジナリティー、笑いの文化なんだ"と気付かされました。」

* * *

この"能と狂言"の世界をより庶民的に、より分かりやすく、そして華やかにしたのが"歌舞伎"の世界です。

古典芸能(能・狂言・歌舞伎・文楽など)で活躍されていらっしゃる人間国宝の先生方が一堂に会される時、
最も上座に座られるのが"能"のシテ役方、最も下座になるのが歌舞伎方なのだそう。
それだけ、能や狂言の歴史が古いということでしょうね。

余談ですが、
能や狂言の象徴である「お面」、歌舞伎では使うことが許されていないのだとか。
ですから、歌舞伎役者さんは顔を派手に塗ることで、お面の代わりにしているそうです。


主人公は、いつの時代も大差のない人間そのもの。
ですから、難しく感じる狂言の世界も慣れてくると非常に面白いです。

今回も、なんとか妻の目を誤魔化して浮気をしようと画策する男の悲喜劇「花子」など、大いに笑わせて頂きました。
風邪ひきの私は、"しゅん、しゅん"とひとり鼻水をかみながら、、、。(^。^;)

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迷ってました。f^_^;

「迷ってませんか?」

第一と二の演目が終わり、休憩に入ってから気がつきました。
なかなか会場(大阪能楽会館)にたどり着かない私を心配して、Y君がメールをくれていたのです。

あはは。 確かに迷っていました。f^_^;

一度来たことがあるからと、下調べもせずに怪しい勘だけを頼りにしたのが間違いだったようです。。(^_^;)

梅田から僅か7分の所にある会館を通り越し、肝心の会館周辺を40分も半べそかきつつウロウロしていた私。

今日は大好きな九世野村万蔵さんの舞台を観るのだからと、
いつもより丁寧にお化粧をし、髪もおろして行きました。

開演10分前、雨に濡れ、汗はびっしょり、鼻水止まらず、、、惨めな姿で会館到着。(T_T)

館内は冷房がしっかりときいていて、乾ききらない冷たい汗が肌に堪えます。
あぁ~、またもや風邪をぶり返してしまいそう。(ToT)

今から第三演目、
大好きな万蔵さんの「六地蔵」が始まります。

お年寄りを大切にしたいですね。

AM5:30。
けたたましい電話に、薬で熟睡していた私までも飛び起きました。

電話の主は近所に住むYさん。
寝たきりのご主人さんはもう何年も前から入院されていて、90歳近いその奥さんは 広い邸に一人きりで生活されています。


今朝、奥さんはトイレに行こうとして転んでしまい、何とか動けるようになるまで待って、電話を掛けてきました。

Yさん宅は、以前 建築業者の事務所だったところを増改築したのだそう。
ですから、あちこちに大きな段差があるのです。

寝室からトイレへ行くだけでも、段差を上がって下りて、また上がって、、。

奥さんは、高齢の為に足だけでなく 目も不自由で緑内障を患っています。

打ち身の箇所に湿布を張り、かすり傷の手当てをして、
今朝一番にうちの母が病院まで付き添いました。
今は微熱で眠っていらっしゃいますが、幸いにも打撲だけですんだ模様。


このYさんのように、高齢で独居生活をされているお年寄りは日本中にも数えきれないほどいます。
今の若い人と違って、お年寄りは本当に辛抱強く 頑張り屋さんが多いです。

口に出さないだけで、どれほどの不安を抱えて生きてらっしゃるのでしょう。
現在の恵まれた日本は、この高齢者の方達によって築かれたものなのに、、
その方達が一番生き辛い今の日本を思い、改めて悲しく寂しい気持ちになっています。


お年寄りを大切にできてはじめて、自分の将来をも大切にできるような気がしてなりません。

憧れの女性。

*"黒髪の貴婦人"、クーデンホーフ光子さん 〈1874年(明治7年)7月16日-1941年8月27日〉


私がブログを始めたのは昨年の9月1日。
この日記で300件目になります。

「3」という数字は、数霊(カズタマ)の意味としては"実(ミ)"を表します。

そして10/13の日記にも書きましたけれど、
狂言師・故 野村万之丞(八世野村万蔵)さんの言葉を借りると、
「日本人は"表裏一体"の言葉にもあるように、一つだけの考えではなく、二つで一つと考えてきた。
これを"対の文化"という。
その二つにもう一つ足して、これ以上大きな数字はない、最大の数字が「3」である。」
ということ。

ですから、私の中で一区切りとなる今日の日記には、私が最も憧れ 尊敬する女性について書きたいと思います。

* * *

奇遇にも、その方の名前も「おミツ」さん。^^
日本が開国して間がない時代に生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国の貴族に嫁いでいった『クーデンホーフ光子』夫人です。

ご存知のこと、
【"EUの父"であるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの母・光子は、18歳の時にオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として東京に赴任してきたカレルギー伯爵と出会い、結婚します。
それは、まだ明治初期の、それも写真を写せば魂が抜けるなどという迷信が蔓延っていた時代。
まして国際結婚だなんて!

伯爵の帰国と共に、22歳の彼女はオーストリアへと渡ります。
しかし10年後、7人の子供と光子を残し、カレルギー伯爵は突然の死を迎えるのです。

その後、ボヘミア一帯にある広大なクーデンホーフ家の領地の当主となった彼女は、それを女手ひとつで切り盛りし、子供達も立派に育てあげました。】


次男リヒャルトが、第一次世界大戦後に掲げた「汎ヨーロッパ主義」。
それは、当時のヨーロッパ分裂の流れと真反対の考え方。
ヨーロッパの乱立を統一し、生産と販売のアナーキイを調和する共同体の結成を主張するもので、"ヨーロッパ合衆国論"とも呼ばれました。

リヒャルトはこう語っています。
「全ヨーロッパは統一国家であらねばならない。
ひいては、世界はひとつの国家であらねばならない。」
この考えに至ることができたのは、オーストリア人の父と日本人の母を持つ自分だからであると、、。


光子さんは最期の時を迎えるその日まで、
日本を立つ時に明治天皇の皇后から賜った言葉、「異国の地においても日本人としての誇りを失わぬよう、、"大和なでしこ"の本分を忘れぬよう」に努めたといいます。

内なるものに熱い思いを秘め、常に誇りを失わずに激動の時代を生き抜いた日本女性、光子さん。

彼女までに程遠くても、私も彼女の生き方をお手本に進んでいきたいと、ますます思う今日この頃です。

今、晴天のリヒテンシュタイン公国にいます! (from きょん)

*我が大親友「きょん」さんより 【'08.06.22】


私の親友きょんさんは、只今 スイスを添乗中です。
今回、スイスのお隣「リヒテンシュタイン公国」に初めて足を踏み入れた模様。

私が以前に書いた「雨とファドゥーツ(リヒテンシュタインの首都)」の日記を覚えてくれていたらしく、晴天のリヒテンシュタインからメールを送ってくれました。(^o^)/
世界的に有名な"切手の国"に相応しい写真ですね。
きょんさん、ありがとう!!

今はヨーロッパを旅するには最高にいい季節です。
次回は私も青空のファドゥーツと出会いたいな。^^

* * *

実は私の"スイス&リヒテンシュタイン公国"への旅、、、
「ここで命がつきるのでは、、。」と真剣に(?)苦しんだ旅でもありました。


この旅行の出発より約1ヶ月前の'06年11月下旬のこと。
私の働く老人介護施設において、恐ろしき"ノロウィルス"が大流行しました。

何もうちの施設だけではありません。
香川県全般、いえいえ全国的にノロウィルスが蔓延した年です。

お年寄りも職員も、次から次へと感染していきます。
施設はもちろん面会謝絶。
デイサービスセンターでは平成6年開設以来 初めて一時閉鎖という事態にまで追い込まれました。

この悪夢の中、有難いことに事務員である私はノロウィルスにかかることはありませんでしたが、、。

大波乱の末、クリスマスの頃にやっと終結。
しかし、ほっとした私には"ぎっくり腰"の災いが待っていたのです、、。(T_T)
一週間ほど接骨院に通い、腰に腰痛ベルトを巻き、母から腰を固定する下着をもらい、痛々しい姿でスイスへと飛び立ちました。


そんな飛行機の中、後2時間でフランクフルト着陸という時になって激しい頭痛に襲われます。
我慢に我慢を重ねた私は、ドイツ人の客室乗務員さんに薬を頼みました。
アスピリンを飲んで一息ついたのも束の間、次は激しい吐き気に苦しみます。

もしかして、実は私、ノロウィルスに感染していたんじゃないかしら。( ̄○ ̄;)
だとしたら、ドイツまでノロウィルス菌を運んで来たことになります。

どうしよう!
私がヨーロッパ中にノロウィルスを撒き散らすことになるわ!(°д°;;)

せっかく飲んだ薬をもどした私は、顔面蒼白になってフランクフルトに降り立ちました。

不安と心配の中、それでも何とか体調は回復し、無事 スイスのルツェルンに予定通り12/30の19時到着。

きっと私の思い込みで気分が悪くなったんだわ。(^_^;)

次の日は元気にルツェルンを観光しました。

そして、明けて'07年正月元旦。
私はルツェルンからチューリッヒを経由してリヒテンシュタイン公国へと向かいました。

その列車の中、またも気分が悪くなります。やっぱり、ノロウィルスゥ~?

その日に泊まるホテルはチューリッヒ空港のすぐ近くです。
スイスまで来て非常に残念だけれど、今日一日ホテルで休んだ方がいいのかしら、、。(;_;)
苦しみながら迷う私。

しかし、不思議とチューリッヒに着いた時には体調が回復していました。

何とかなりそう。
そう判断をして、大雨のファドゥーツへと入って行ったのです。('08.04.09日記)

びしょ濡れになっての帰りの列車の中、又も気分が悪くなってきます。

やはり異常だわ、、。(∋_∈)
単なる吐き気ではありません。これはノロウィルスなんかじゃありません。

感覚として、身体に血液が回っていない感じ。意識が薄れていく感じ。

頭がもうろうとしていく中、
「あぁ~、私はここで息絶えるのね。
スイスに来たのは大好きなウルスの故郷が見たかったから。
でも私が強烈にウルスに惹かれたのは、ここスイスで命を終えるためだったのかも。。。」

今では冗談のようなこの話、、
その時は本当にそう思いながら、倒れそうな体を 残りの力を出しきって支えておりました。

さよなら、日本。。。。。(T_T)


そして、スイス旅行が終わりを迎えて気がつくのです。

ぎっくり腰で痛めた腰を守るため、しっかりと身体に固定した下着と腰痛ベルトのことを。
これが身体中の血流を悪くしていた張本人。

何故にもっと早く気がつかなかったのだろう。。(>_<)


きょんさんからのメールを見ながら、そんな遠い日の笑い話を思い出しています。^^;

散髪の日。

今日は雨の中、ヨンサマとクリスを散髪に連れて行きました。

お店に入った途端、大きな犬に吠えられた2匹は、尻尾を落として縮こまってしまいました。

うちでは恐いもの知らずの彼らでも、外の世界はそれなりに厳しいようです。^^

4時間後、いつもより丸く小さくなって帰って来ました。

少しは男前が上がったかな? ^^


*彼らの遊び場になっている按摩器の上で。
ひじ掛けの部分は、ヨンサマにかきむしられて痛々しい姿になっています。。。

新しい門出に。

先週は広島へ、その前の週末は岡山へ、、そして、来週は大阪へ出掛けることになった私、この週末は大変大人しくしております。^^

* * *

「お元気ですか?
今月末の大阪公演で狂言の世界から離れる事になりました。

大阪公演に僕は出ませんが、もし来られるようでしたら会ってお話できればなと思ってます。」

10/2の日記にも書いたY君からメールが届きました。
彼も、先日久しぶりに会ったN君と同じく、大切な広島の仲間の一人。

現在、和泉流狂言の名家"野村万蔵家"一門である萬狂言(よろずきょうげん)、その関西支部代表 小笠原匡先生に師事しています。

その彼が今月末をもって狂言の世界から出ることになりました。
その苦労を何も知らない私には 少し勿体ないように感じてしまいますけど、もうすぐ30歳を迎える男性の一大決心です。
彼は今後の道も大きく切り開いていく力を持っていますし、
何より「狂言」という特殊な世界の中で、人間国宝の野村萬先生、重要無形文化財の野村万蔵先生らの下で学んだ貴重な体験は、彼にとってかけがえのないものだと思います。


「もし、野村万蔵さんが出演されるのなら、私もぜひ観に行きたいわ。
S席、取れる?

私、万蔵さんの大ファンなのよ。
舞台の空気さえも変えてしまう彼の存在感には驚きました。」

もちろん、九世野村万蔵さんの舞台を間近で観たい気持ちも大きいですが、本心はY君の狂言界での最後の努めを見ておきたい。
新しい門出を応援したい気持ちでいっぱいです。


私がNZへ旅立った年、
彼は佐渡島にある和太鼓グループ"鼓童"の研修生として新しいスタートを切りました。
その後、そこで講師をされている小笠原先生と出会い、狂言という日本古来の伝統芸能の世界へ入っていきました。

ですから、これで三度目の大きな出発点です。
続けることも大変でしょう。しかし、飛び出すことはもっとエネルギーがいることと思います。
決して逃げた訳ではないのですから。

その力を私も分けてもらいたい、その勇気を私も見習いたいと思っています。
あっ、その根性も見習わなくっちゃね。o(^-^)o


〈萬狂言・大阪定例公演のご案内〉

6/29(日) 14:30開演 大阪能楽会館

・「重喜」 小笠原弘晃、野村萬(人間国宝)

・「花子」 小笠原匡

・「六地蔵」 野村万蔵、野村太一郎

癒しの時間。

《ザルツブルクの古城を、雪の樹間に見る構想は、音楽の都ザルツブルクへの、私の思慕の心を表す。
それは、聖夜の幻想にも繋がっている。》

東山魁夷画&詩 「雪の城」 1970年


東山魁夷画伯の詩と 静かな時間の中での出会いが好きです。

5~8月の金曜日のみ、香川県坂出市にある「東山魁夷せとうち美術館」では 閉館時間が通常の17時から19時に延長されます。

私は夕暮れ時にふらりと この美術館を訪れるのが好きです。

美術館のラウンジでは、穏やかな瀬戸内海を眺めながら、この時期 この時間帯に"夕焼けコンサート"が催されます。

その時間は皆さん ラウンジにお集まりになるので、小さな美術館では展示室に来館者がいなくなります。

私は、優しく漏れてくるコンサートの音色に耳を傾けながら、ひとり画伯の絵と向き合うのが好きです。

この日の調べは"弦楽器四重奏"。
曲目は「アメイジング・グレイス」に「千の風になって」、「愛の讃歌」など、、、「瀬戸の花嫁」には笑ってしまいましたが。。^^

2Fの出口近くに、2m四方のスライドがあります。
もちろん実際にある作品達も素敵ですが、私はその中にある 彼が描く"ホーエン・ザルツブルク城"の「雪の城」が大好きです。

ソファに腰を下ろし、何も考えずにザルツブルク城を見上げるのが好きなのです。

一週間の心の疲れから解き放たれる大好きな時間です。

サダコと千羽鶴。

♪千羽鶴  千羽鶴   翼を広げて~
舞い上がる  舞い上がる  サダコの夢乗せ~
平和の鐘  鳴らそ  みんなで  鳴らそう~~~

サ~ダ~コ~  will carry on (carry on)   サ~ダ~コ~  will carry on~
You are the symbol of peace ~♪


広島平和記念公園の一角にある「原爆の子の像」、今年で建立50周年を迎えるそうです。

ご存知、そのモデルとなったのは佐々木貞子さん。
2歳で被爆し、10年も経ってから白血病で短い生涯を終えました。

彼女は最期まで生きる希望を持ち、千羽鶴を折り続けました。
彼女が病室で折ったその折り鶴の一部は、今も平和記念資料館に展示されています。

その折り鶴の祈りは時代も国境も越えて、今では世界中に広がっていますよね。


広島には、その貞子さんの名前を戴いた「サダコクラブ」という団体があります。
それは広島県内の小中学生たちでつくる平和学習グループです。
(現在、活動を続けているかどうかは知りませんが、、)

私自身はその団体と無関係なのですが、偶然にも私達の青少年活動に参加していた中学生の女の子Sちゃんがそのサダコクラブの一員でした。(1995年)

被爆地ヒロシマの子供である彼女らは、原爆投下を行ったアメリカ・シアトル、その他にもシンガポールの子供たちと交流を持ちながら、歌を広めたり、折り鶴の折り方を教えたりと活動をされていました。


↑の歌が、ザタコクラブの歌「サダコと千羽鶴」。

私達もSちゃんを中心に、大勢の子供たちと一緒にこの歌を練習しました。
Sちゃんが着ていたTシャツの真ん中に折り鶴の絵が描かれていたことが 強く印象に残っています。


その年、確かフランスで核実験があったと記憶しています。
その時も、Sちゃんをはじめサダコクラブのメンバーが原爆ドーム前で核廃絶を訴える座り込みをしている姿がTVに流れました。

今も核実験が世界のどこかで行われる度に、広島市長が送り続けている遺憾の意を表した電報を資料館で見ることができます。


世界中で大規模な災害が続く中、せめて人間が引き起こす争いだけでも無くなりますように。

平和公園にある"平和の灯"、それは"核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続ける"という反核悲願の象徴とされている平和のシンボル。
一日でも早く、その灯が消される日が来ますように。

ヒロシマの子供たちの祈りが世界中に届きますように。

やっぱり好きだな、広島。

薄曇りの広島の街は、淡い紫色が少しずつ深まって 点々と灯り始めたオレンジ色の街の明かりが印象的でした。

港のすぐ近く、"プリンスホテル"の23Fからは穏やかな瀬戸内海と広島市内が一望できます。
微かにシャンソンも流れていました。
本当は写真を撮りたかったのですが、素敵な雰囲気を壊してしまいそうで、、。^^

やっぱり好きだな、広島。

* * *

「急な話だけど、今日の夕方時間ある?」
岡山から広島へ向かう新幹線の中、私は友達にメールしてみました。

前もって私の為にわざわざ時間を作ってもらうより、もしお互いに時間が合うのなら顔ぐらい見たいなっていう気軽さがいいのです。

今回久しぶりに連絡したのは、現在建築家を目指して勉学に勤しんで(? ^^)いるN君。
コンサート開演直前に返事が届きました。
「17時まで学校があるので、それ以降なら大丈夫ですよ。」


「平和公園のターミナルまで車で迎えに行きますよ。」
私より4歳年下の彼は、14年前に知り合った当時 まだ高校生でした。
再会は5年ぶり、、彼が高知へ一人旅した帰りに香川に立ち寄ってくれて以来です。

「ずいぶん顔が引き締まったわね~。」
「そりゃ、緊張しますよ。」
確かに久しぶりに二人きりで会って、しかもいきなり助手席に座ることは、相手が異性でも同性でも緊張するものです。
彼の一言で、何を喋ろうかって思考が停止してしまいそうでした。^^

「プリンスホテルでも行きますか、、。」
彼はリフレッシュしたい時、たまにこのホテルの最上階で珈琲を飲むのだそう。


N君は私の大学時代、共に青少年活動に参加した大切な仲間の一人です。
楽しいことも苦しいことも、惨めな姿だって十分すぎるほど見せてますね~。^^;


実は今回の広島行きの前、私の心が少し傷つく出来事がありました。
ヘイリーとの再会に胸弾むと言いながら、どこか沈んでいたと思います。

もちろん、そんな話は久しぶりに会ったN君には一言もしていません。
けれど、懐かしい笑顔を見ながらの他愛ない話に少しずつ心が解れていくのを感じていました。

広島の友達は、みんな個性豊かな人ばかり。
周りの目を気にして自分を出しきれない人が多い中、彼らは"こゆいなぁ~"ってくらい個性全開。^^
彼はそんな仲間の一人です。

「picchukoさんが普通の人なら、わざわざ香川まで会いに行こうだなんて思いませんよ。」
「どういう意味よ!(`o´)」と言いながら、
あぁ~、やっぱり彼は私をよく分かってるなって思いました。

私、狭い世界で息苦しかったんだと思います。
誰かに自分を、他の誰でもない私自身を認めて欲しかったのだと思います。

さすがに日常に戻るとまだ気分が沈むところはありますが、彼のこの一言と 優しい広島の夕暮れに救われた気がします。
N君、ありがとう。

やっぱり好きだな、広島。

* * * * * * *

もちろん昔からの友人も最高の宝物ですが、新しい出会いもかけがえのないものです。

先日、とても爽やかな声の持ち主Aさんとお友達になりました。
世界中には まだまだ私と縁のある素晴らしい人が大勢いるんだなぁ~って嬉しく思います。

ということは、もっともっと世界を旅しなくてはね~。(*^―^*)

Hayley Westenra ..PURE VOICE CONCERT 2008

「この娘(こ)、また綺麗になった。。。」
ステージに現れたヘイリーを見て、一番にそう思いました。


7年前、彼女を囲む周りの人達から大切に大切に守られながらステージに立った少女ヘイリー。

昨日、彼女は独特の飛び跳ねるような歩き方で 堂々と笑顔に自信を満たせて登場し、ステージは一瞬にして華やかになりました。
身長も随分と伸びて、身体つきも程よく丸みを帯びて、、。

あの頃 天使だったヘイリーは、いつのまにか神話に出てくるような美しい女神に変身してしまったようです。(*^―^*)

この姿だからピュアな声が生まれるのか、清らかな声だからこの姿なのか、、。
きっと、汚れのない心や魂の表れなのでしょう。^^
改めてヘイリーの大ファンになった私です。(*^―^*)

* * *

昨日は13:30から約1時間半。
「ポカレカレ・アナ」から始まったコンサートは、新しいアルバムから日本の歌を何曲も披露してくれました。
「白い色は恋人の色」、この曲は日本語で、、。

そして、やっぱりライヴだからでしょうか、、声の伸びが実に素晴らしい!!
彼女の声、単に美しいだけでなく、こんなに迫力があって伸びやかだったかしら、、。
新鮮な驚きです。

歌と歌との間には、ちょっとしたエピソードやその歌に対する想いなども語ってくれ、
彼女らしい優しい可愛い性格で、温かな空気を振り撒いてくれました。

今回 私が改めて気に入った曲は、カッチーニ作曲の「アヴェ・マリア」。
彼女の声にぴったりの曲。
ヘイリーが子供の頃、昔歌手であったお祖母さんからこの譜面を渡されたそうです。
彼女はそれを見もせずに ピアノの上に置きっぱなしにしていたのだとか。
何年も経ったある日、その譜面を目にしたヘイリーは その曲の素晴らしさに感動し、それ以来 数ある「アヴェ・マリア」の中でも最もカッチーニのものが好きになったと語っていました。

その歌手であったお祖母さんがよく歌っていた曲、「ダニーボーイ~アイルランド民謡~」も聴かせてくれましたよ。o(^-^)o


アンコールでは、彼女と日本の歌が出会うきっかけとなった「涙そうそう」を、そして最後に「ソニー」という曲を彼女自身のピアノの弾き語りで楽しませてくれました。


ニュージーランドのような澄んだ女性、清らかな女性「ヘイリー」。
最後に、パンフレットから彼女の台詞を一つだけ紹介しますね。

【The singing fills my whole body and soul. I'm lucky enough to give pleasure to other people.

~歌うことは身体と魂を満たしてくれる。 歌うことで皆さんを幸せにできるなんてとても幸運だわ。】


〈コンサートご案内〉

・6/17(火) 19:00~ 札幌コンサートホール Kitara大ホール

・6/19(木) 19:00~ アクロス福岡 シンフォニーホール

・6/21(土) 13:30~ 横浜みなとみらいホール 大ホール

・6/22(日) 14:00~ ハーモニーホールふくい 大ホール

淡い恋心、、それはクライトチャーチの風の中。

*クライトチャーチ、語学学校"Southern English Schools"前にて【'01.12月】


今日はこれからヘイリーのコンサートへ。 まるで海外へ行くような気持ちの高まり。^^
ですから、今朝は早朝5時過ぎから大掃除をしました。


久しぶりに、昔の想い出が詰まった箱を開いてみました。
中学2年の3月、卒業式の後 部活の先輩からもらった制服の第2ボタンも、、、
初めてYさんとデートした時に二人で拾った貝殻も、、実はまだ捨てられずにとってあります。(*^_^*)

そして、クライトチャーチでも淡い片思いをした記憶が蘇ってきました。
私だって、日本男性を好きだった時代があったのですね~。^^


それは、語学学校の午後の授業、メラニーのクラスで一緒になったYujiくん。
鋭い視線と可愛い顔立ちの彼に、気が付けば28歳の私は惹かれていました。

とっても気になる存在なのに、話し掛ける勇気はなかった私。
今まで私の周りにいた男性とは全く違うタイプの、神戸の雰囲気のような少しクールな感じの男性でした。

けれどメルアドを教えてもらったことを機に、思いきってメールを送ってみました。
「同じメラニーのクラスのpicchukoです。 Yujiくんって、すごく英語ができますよね。
何かいい勉強方法があれば教えて下さい。」

私達、とっても不思議な関係だったと思います。
学校で会ってもお互い一言も喋らないのに、長文メールで色んな話をするようになりました。

彼がブラックミュージックを好きなこと、神戸大丸で働いていたこと、私より1歳年下だということ。。
私の話も沢山しました。
けれど、会えばやはり無言でお辞儀をするだけ。

それでも、私にとってドキドキする時間があったのです。o(^-^)o

それは、まるで中学時代に戻ったかのような時間帯。 通学路での"まちぶせ"です。^^
(30歳目前にもなって、、。^^;)

彼から少し離れて、様子を伺いながらついていきました。

ある朝、そんな私に気付いた彼が、歩く速度をおとし 後ろを振り返って待ってくれたことがあります。
私は、嬉しくて嬉しくて、それこそ中学生のようにスキップのような小走りで駆け寄りました。

二言三言 言葉を交わし、、胸の高鳴りが絶頂を迎えたその時!

「picchuごん、おはよう! (^o^)/」背後からやけに明るい弾んだ声が、、。
振り向くと、そこには親友Chiekoの笑顔。。。。。

あっ!(T_T)
Yujiくんは颯爽と学校に入っていきました。

あぁ~。(T_T)(T_T)(T_T) Chi~e~ko~~~。(T_T)(-_-#)(`o´)

それ以来、二人だけでまともにお話したことはなかったと思います。

淡い淡い片思いのお話でした。^^

* * *

さぁ、もうすぐコンサートが始まります。
一曲目は、私の最も好きな曲「ポカレカレ・アナ」です。^^

きっと、ヘイリーは爽やかな懐かしいクライトチャーチの風を運んできてくれることでしょう。*^―^*

僕は陽気なブラジル人。

*彼、マルッシオはブラジルのサンパウロ出身。
2001年、クライトチャーチの語学学校で事務員をしていました。


今でも時々、マルッシオにメール送ろうかな~、なんて思うことがあります。(アドレス変わってるよね。。)
元気にしてるかなぁ~、なんて。^^

なぜマルッシオと仲良くなったのか、、今となっては不思議ですけど、いい年してはしゃいでいた私はラテン男から見ても貴重(?笑)だったのかもしれません。^^

* * *

2001年9月。

あの頃は毎日16時まで学校で、17時から19時まで老人ホームでボランティアをしていた私。
その日もちょっぴりくたびれて、帰りにどこかで晩ごはんを食べようと日本食のお店に入りました。

街の中心を走るグロースターストリート。 そこから少し奥まった所に「大阪屋」という食堂があります。
メインは関西風お好み焼きだったかな。
そこではお味噌汁が飲み放題(具は葱くらいでしたけど、、^^)。
日本の雑誌も置いてあるし、結構な数の日本人でいつも賑わっていました。

知ってる人はいないよね~。^o^
小さな街クライトチャーチの、これまた小さな日本人社会。
いつの間にか顔見知り、っていう日本人は沢山います。

よしっ! 知り合いはいないみたい。^o^
お店の中を一巡見回し、馴染みの日本人の顔がないことを確かめてから席につきました。

唐揚げ定食の登場です。^^
「いただきまぁす!(^o^)/」 大きな口でパクパク食べていると、、、。

「よっ! さっきから視線送ってるのに、ホント気が付かないんだから~。」
その一声に驚き顔を上げると、、そこには、マルッシオの輝く笑顔。(; ̄Д ̄)

彼は、美人でオーストリア人の奥さんと二人で食事をしに来ていました。
ははは。(^。^;) 日本人以外は全然チェックしていなかったわ。。(^。^;)

彼は何かしら私に一言投げかけて、ウィンクして店を出て行きました。^_-)-☆


次の朝一番です。
教室までマルッシオが私を探しにやって来ました。

「よっ! 昨日の話だけど、いつにする?」
「なんの話?」
「だから昨日の話だよ。 ほら、大阪屋で会った時、約束しただろ。」
・・・(・_・;) 約束だなんて、私には全く記憶がないのです。

「ほら~、今度一緒に大阪屋でお好み焼きを食べる約束さ。(^O^)/」
そんな約束、いつしたのさっ!!

しかし、彼は引きません。 仕方なく、日時を決めることになりました。

彼が去った後、私は真剣に悩みました。
マルッシオとお好み焼きを食べに行くだなんて、そんな長い時間 二人だけで英語の会話は苦しいわ。

そこで他にも4人の友達を誘って、彼とのお好み焼きディナーに向かいました。

待ち合わせは、"in front of the Cathedral"、クライトチャーチのシンボルです。

現れたのは、いつもの癖っ毛マルッシオではなく、オールバックにテカテカギラギラの整髪剤をつけた陽気な夜のラテン男!!w(☆o◎)w

おいおい、その頭でお好み焼きかいっ!(^_^;)
思わずツッコミを入れたくなるのも我慢して、、
マルッシオは5人の日本女性に囲まれながら嬉しそうに満足そうにお好み焼きを食べていました。^^
変なヤツ~。^^ でも、可愛いヤツ~。^^


ホント、ラテンな男は一緒にいて楽しいですね~。
*もう一人、私が出会ったラテン男ジェシー君については、('08.02.08日記)に書いてあります。^^

もう一度、ANZの口座作ろうかな~。^^

*クライストチャーチ、大聖堂広場でチェスをする人達。【'01.12月】


今日の為替レートは、1NZドル=およそ80.8円。
昨日の日記に、2001年当時は70円弱だったかなぁ~って書きましが、調べてみると どうも50円台前半だったみたい。^^;
昨年6月に96円まで上昇した時と比べると少し落ち着いてしまったけれど、この6~7年間でずいぶんと伸びたなぁって感じます。'01年9月の、NY同時多発テロ直後は一時49円だったのに。。

こんなことなら、ANZ(オーストラリア・ニュージーランド銀行)の口座を解約しなければよかったと、、ちょっぴり後悔。 利率もいいし、、、。(^_^;)


* * *

クライストチャーチに到着した次の日、大聖堂広場一角にあるANZ銀行で口座を作りました。
新規に口座を開く場合、私のような者でもきちんと個室に通されます。
そこで、何種類もある預金のタイプを詳しく説明して下さいます。
私は、ある一定金額以上を預金しなければならない条件の、そして管理手数料の少ないタイプのものを選んだと思います。
通帳の代わりとして、月に一度 出し入れの詳細を送ってきてくれました。

当時すでにATMは24時間対応でしたし、お金を引き出すのが何時でも手数料は掛かりません。
便利だったなぁって、今でも給料を引き下ろしに ATMへ18時ギリギリ駆け込む度に、そんなことを思います。


ある日、語学学校からのアクティビティとして、NZ南島西岸にあるフォックス氷河への小旅行に申し込みました。
お金を添えて事務所まで。 担当者は私と仲良しだったブラジル人のマルッシオです。^^

旅行代金は125ドルだったと記憶しています。
ATMで「125」をプッシュして、下りてきた金額を確認せずにそのままマルッシオに手渡しました。

彼はすぐに私を追いかけ教室に入ってきます。
「いったい、何人分なんだ?」
「え? 私一人分だけど、、? もしかして足りない?」
「よく数えてみろよ。」 彼は笑っています。

1枚、2枚、、、??? 20ドル札が12枚と、10ドル札が1枚あります。
「250ドルあるねぇ~。(^。^;)、なんでだろう?」
「なんでじゃないだろう。」 彼はやはり笑いながら、私の頭をコツリとしました。

確かに「125」って押したよね~、、。(・ω・;)
お金を下ろした時に出てくる明細の紙切れには、何度見直しても「125」の文字。。???

もしかして、ANZ銀行から私へのボーナス?!o(^―^)o、そんな訳はありませんって!!
では、銀行のミス?

どちらにしろ、私の手元にはマルッシオから返された125ドルが存在します。

おぉ~、ありがたい、ありがたい。*^m^**^m^**^m^*
私は勿体なく感謝をして戴きました。クフッ!*^m^*


それからしばらく後、私の手元に毎月の明細が届きます。
そう、それはすっかり125ドルのことなど忘れた頃。その125ドルの影も形もなくなった頃。

いつもより少し分厚い封筒です。
開いてみると、そこには特別なお手紙が入っていました。

「あなたが、10月〇日の〇時〇分に大聖堂広場にあるATMで引き下ろしした金額についてですが、こちらの手違いで125ドルのところ250ドル支払ってしまいました。
ですので、今回 あなたの口座から差額分125ドルを引かせて頂きます。」

え~ん。(T_T) なんでバレちゃったんだろう。。
お金を下ろしたATMの場所も日にちも時間までも合ってるし~。(T_T)

125ドル、、これが正確な処理なのは分かりますけど、なんだか とって~も損をした気分。(∋_∈)


でも こんなことがあったからでしょうか、、?
逆にANZ銀行は親切で信頼できるっていうのが私の印象です。^^


<余談>

この銀行カード、ニュージーランドでもオーストラリアでも使えるっていうのが便利でした。

ただ、オーストラリアでお金を下ろした時、残高は当然のことオーストラリアドルで表示されます。
50ドル程度引き出しただけなのに、1000ドル近く残高が減っているのに驚いた私。\(◎o◎)/

それがニュージーランドドルとオーストラリアドルのレートの違いだと気付くまで、真剣に悩んだことも懐かしい思い出です。(^。^;)

ヘイリーとの出会い。

*ヘイリー、NZ国内での2ndアルバム「my gift to you」。
主にクルスマスソングが収録されています。
NZ$32.95だったのね。当時、NZ$1=\70弱くらいだったかしら、、? わ、忘れてしまってるわ~。^^;


<"Hayley Westenra"プロフィール (公式サイトより)>

1987年生まれ。
ニュージーランドのクライストチャーチ出身のシンガー。

2人の妹弟と共に、バスキング(路上パフォーマンス)をしていた彼女は、2000年にデモ・アルバムを作る。
それが直ちに話題を呼び、ユニバーサルニュージーランドと契約。
2001年にリリースされたNZデビューアルバムはPOPチャートを駆け上り、ロビー・ウィリアムズらを押しのけて4週連続No.1をGET。
トリプル・プラチナを獲得し、NZ国内で最も早くトップに上り詰めた女性アーティストとなった。
2003年夏、インターナショナルデビューを果たす。


ごく普通の家庭で育ったヘイリーは、6歳の時、小学校のクリスマス学芸会の舞台で、一人の教師に才能を見い出されます。
彼女には絶対音感があると、、。

* * *

2001年7月、私はクライストチャーチに渡りました。

NZ生活が始まった当初、余裕のない私が手にしたCDはオールディーズでした。
その頃、ヘイリーはすでに国内デビューを果たしていたはずですけど、私は全く気がついていませんでした。
当時、私が聴いていた音楽はほとんどが邦楽でしたし、新しい洋楽を試す冒険もしていませんでしたし、、。

そんな私でさえも、すぐに彼女のCDを目にするようになります。
親友C子が、すでに世界的歌手だった"シャルロット・チャーチ"と勘違いするくらい、クライストチャーチでは店頭に彼女のCDが並んでいましたっけ。

綺麗で清楚な子だな、っていうのが最初の印象。
美しすぎる澄んだ歌声を知ったのは、クルスマス直前だったと思います。


私が通っていた語学学校"Southern English Schools"では、火曜日の午前の休憩時間に スチューデント・ルームで新入生歓迎の集まりがあります。
その時、みんなで一緒に歌うのが「ポカレカレ・アナ」というマオリのラブソングでした。
愛する人を想う切ない歌です。
そして、NZの風土を思わせるような美しいメロディ。

この曲をNZの、そして語学学校の思い出にと探し始めました。
色んな友達に聞いたと思います、「ポカレカレ・アナが入ったCD知らない?」

「ヘイリーのアルバムに入ってたよ。」

それは、クライストチャーチのメインストリート"コロンボストリート"にある小さなCDショップでのこと。

あっ、あの子だ!
嬉しくなって、聴くのが待ちきれない気持ちでレジに並んだ記憶があります。^^

なんて、なんてピュアな歌声。まだ14歳? どんな子だろう。(*^_^*)

それから すぐのことでした。
真夏のクリスマスを目前に、クライストチャーチではハグレーパークで野外コンサートが催されます。

サンタクロースもソリに乗って登場し、コンサートも終盤の盛り上がりをみせた時でした。
天使のような少女が突如現れ、清らかな歌声で"Silent Night"をクライストチャーチ市民にプレゼントしてくれたのです。☆^^☆

あの瞬間から、私はヘイリーの大ファンです。

まさか、まさかその彼女が世界デビューするなんて、、。
岡山のCDショップで、大人になった彼女の新作を発見した時の喜びは今でも忘れられません。

神様からの贈り物のような美しすぎる歌声とその容姿。
ニュージーランドの人だけが独占するなんて、あまりにももったいないですものね。(*^―^*)

『いのちの食べかた』を観て

'03~'05年にかけてドイツ・オーストリアで製作され、日本では昨年11月に公開された映画『いのちの食べかた』。
今(7~13日)、岡山の"シネマクレール"にて再上映されています。


<あらすじ>

誰もが毎日のように食べている大量の食品は、どのような過程をへて消費者の手に届くのか?
現代人の命を支えながらも、ほとんど知られていない食料生産の現場に密着。
ベルトコンベヤーに注ぎ込まれるヒヨコの群れ、自動車工場のように無駄なく解体される牛など、大規模な機械化により生産・管理された現場の実態が映し出される。
「シネマトゥデイ」より


確かに、ナレーションや音楽は一切必要ないかもしれませんね。

数えきれない生きたヒヨコが、ベルトコンベヤーで運ばれ吐き出されているシーンからすでに驚いてしまった私。
この後続く牛や豚の解体作業の現場と、そこで働く作業員の無情さ。
無機質で、淡々と、、そう、ただ"淡々と"、私達が毎日食べている食材が食卓にのぼるまでに欠かせない現実がそこにあります。

解体作業だけではなく、牛の帝王切開や種付けなども見せてくれますが、、。

かなり残酷とも思えるシーンが次から次へと映し出されていきますが、しかしこれが現実なんですね。


観た後、かなり落ち込みました。
大きな機械で切り裂かれるその姿には、"痛み"も"感謝"もなかったから。。
それは当然なのでしょうけれど、いちいち感情を持ってはできない作業なのでしょうけど、、その上にいるのが私達。

食物連鎖の頂点にある人間、でも地球上の自然な食物連鎖から外れているのも人間なんだなぁ、とつくづく感じました。


私は好き嫌いが沢山ありますし、食わず嫌いのものも沢山あります。
嫌いなものは、平気で残飯にしちゃいますしね。
反面、好きなものやお菓子などを食べ過ぎて "ダイエットしなくちゃ~"ってなることもあります。
"なんなんだぁ~、私!"って、そんな自分がとても恥ずかしかったです。

あぁ~、もとは全て『いのち』だったんだってこと、頭の片隅にもありませんでした。

人間の為により良く改良され、数多く産み出され、そして人間の為に殺されていく動物達。
でも その人間にしたって、世界中の多くの人は栄養失調であったり、食べ物がなくて餓死していったり、、。
改めて 先進国って、日本って恐ろしいと感じました。


これからは食べ物に感謝して きちんと手を合わせて頂こうって、そして"無駄"に食べるのはやめようって思いました。
沢山の『いのち』を貰って生きているのだから、私自身も"無駄"な生き方をやめようって、、。


この映画、正直観ることに迷いがあったのですが、ブログ友達のKさんのある日の日記を読んで決心しました。
そしてKさんが あるコメントの返事に書いてあった言葉、「先進国って一体何が進んでるんだろう?って最近本当に思う。」
胸に突き刺さったんですよね~。いつも いい刺激をもらっています。
Kさんに大感謝です。 ありがとうございますね!


ただ、本当に落ち込みました。
落ち込んだ私の感情の捌け口は、、、それは職場の上司Kさんと同僚のKくん。(^。^;)
いつも以上に意地悪なこと言って、八つ当たりしました。(^。^;)
ごめんねぇ~。(*^_^*)

さすがだわ、私! ^^;

今、岡山市にあるオリエント美術館のカフェ"イブリク"に来ています。

落ち着いた照明と、物静かなママ、、そしてウェッジウッドの器に入れてくれるコーヒーの美味しさに、
私は岡山に来ると必ずここに足を運びます。^^

* * * * * * *

昨日の午後、ヘイリーのチケットをネット予約した私。
今回は直前の予約ですので、支払・受け取りは"セブン-イレブン"のみという"すぐチケ"を利用しました。
レジにて払込番号を伝えて下さいとあります。

PCを閉じた私は、「ちょっとコンビニに行ってくるから~♪」と張り切って出掛けました。
勇んでコンビニに駆けつけた私は、一直線にレジまで進みました。
「e+で予約したチケットの支払いに来たのですけど。」
「セブン-イレブンのみ発券の"すぐチケ"、、。」と言いかけて、\(◎o◎)/"はっ"と気が付きました。

ここは、"ファミリーマート"だった、、、。(^。^;)

赤面しながら車に乗り込み、又も"あちゃー!( ̄○ ̄;)"

『四国には"セブン-イレブン"がないのだった...。(ToT)』


ということで、はるばる瀬戸内海を越えて岡山まで来た、、という訳です。f^_^;
瀬戸大橋よ、ありがとう。

今、ヘイリーのチケットは無事に手元にあります。

これから映画でも観て帰ろうと思います。

来週、広島へ行きます!

ヘイリー話題のNEWアルバム、『純~21歳の出会い/HAYLEY sings JAPANESE SONGS』を手にしました。

つい先日もNHKで、ヘイリーと本田美奈子.さんのデュエット「アメイジング・グレイス2008」を取り上げていたそうですね。
彼女は以前、TVドラマ"白い巨塔"の主題歌としてこの曲を歌っていますが、
今回は日本語を交えながら、本田美奈子.さんが遺した歌と時空間を越えてのデュエットです。

このCDをいつ買うか迷っていた私ですが、店頭でこのヘイリーを見た途端、迷いがふっ飛びました。^^
英語で歌っていても、メロディは全て日本の馴染みある歌ばかりですし、、どれも名曲ばかり。

ヘイリーはアイルランド系ニュージーランド人ですが、彼女の中にはそのマオリ族の誇り高い血も僅かに流れています。
ローマ字読みに近いマオリ語に親しみのある彼女だからなのでしょうか、日本語の発音もとても上手。
彼女のピュアボイスで聴く日本語も耳に優しく流れます。

*私は、彼女がよく歌うニュージーランドの原住民マオリ族の「ポカレカレ・アナ」が一番のお気に入りです。
それは、マオリの伝説。 許されない恋の実り、ヒネモアとツアネカイの愛の物語を歌ったもの。
私にとっては、クライストチャーチの語学学校の思い出の歌でもあります。


<曲目>

1. アメイジング・グレイス (duet with 本田美奈子.)

2. ハナミズキ

3. 雪の華

4. 白い色は恋人の色

5. 千の風になって

6. 花

7. 涙そうそう (この曲が、彼女が日本の歌を歌うきっかけになりました。)

8. 翼をください

9. 卒業写真

10. 時代

11. I belive

12. 白い色は恋人の色 (日本語歌詞)


彼女の伸びやかな歌声、私は"翼をください"が最も好きです。o(^-^)o

彼女が歌うと、ユーミンの曲も中島みゆきさんの曲も爽やかですね~。o(^-^)o

* * *

CDに付いていたヘイリーの来日ツアー案内。

彼女は昨年11月にも日本でのツアーを終えたばかり、私、今回のツアーをチェックしていませんでした。
昨年末は彼女よりもケルティック・ウーマンを選んだ私。
次回を心待ちにしていたのに~。><。。

明日(6/8)、滋賀県びわ湖ホールからスタートするこのツアー。
大阪は6/9月曜日、、まず無理でしょう。。

では 6/14土曜日、広島! 後1週間! 残席、間に合うか!

彼女のサイトからの問い合わせ先、サモンプロモーションでは広島公演の受付はすでに終了。><。。。。。

でも、"e+チケット"で何とか間に合いました~。
ですから 急ではありますが、来週末に広島へ行きます!*^―^*

6/14 13:30~  於・広島厚生年金会館  座席は10列目 向って右側中央寄りです。

やっとヘイリーと再会です♪


ヘイリー、、
私、今でも中学生だったあなたを覚えてますよ。^^

いつも一緒だよ。

映画『犬と私の10の約束』、見たい見たいと思いつつ すっかり忘れ去っていたことに、今日 気が付きました。(;_;)
昼過ぎのこと、施設に届いた郵便物を整理していたら、ある月刊誌のコラム欄にあった文字「犬の10戒」が目に入って。。。

改めて読むと、じ~んとしますよね。。
愛犬"ヨンサマ&クリス"、そして自分の為にも、ここに記しておこうと思います。


1. 私と気長につきあってください。

2. 私を信じてください。 それだけで私は幸せです。

3. 私にも心があることを忘れないでください。

4. 言うことを聞かないときは、理由があります。

5. 私にたくさん話しかけてください。 人の言葉は話せないけど、わかっています。

6. 私をたたかないで。 本気になったら私のほうが強いことを忘れないでください。

7. 私が年を取っても、仲良くしてください。

8. あなたには仕事もあるし友達もいます。 でも、私にはあなたしかいません。

9. 私は10年くらいしか生きられません。 だから、できるだけ私と一緒にいてください。

10. 私が死ぬとき、お願いです。 そばにいてください。
そして、どうか覚えていてください。 私がずっとあなたを愛していたことを。

(『犬と私の10の約束』公式サイトより)

* * *

私が最初に飼った犬は、今と同じくポメラニアンの"ゴロちゃん♂"。
小学2年生の春にやって来て、私が大学生になるまで傍にいてくれました。
子供の頃、一緒に"ままごと"をして遊んだことも覚えています。^^

次に来た子が、4/4にも紹介した"ジロちゃん♂"。
彼が来た半年後に双子の弟"サンチェ"も家族になりました。^^


↑の短編詩を読む時、10番になるといつも彼ら3匹を思い出し、思わず涙が込み上げてきます。


ゴロが最期を迎えたのは暑い夏の盛りでした。
夏休みで実家に帰っていた私の、そのベッドの隣りで 明け方ひっそりと息を引き取りました。


ジロは母に抱かれて、サンチェは私の腕の中で旅立っていきました。
サンチェが息絶える直前、ぶるぶるっと震えた感覚は今も残っています。
(こう書いているだけで、やっぱり泣いちゃいそうです。。)

ジロは母が一番大好きで、サンチェは私に最もなついていました。
だから、この2匹は一番いい形で見送ることができたのだと思っています。

ただ、生きている間にもっと近くにいてあげればよかった、もっと沢山言葉をかけてあげればよかったと、、、、、後悔もあります。
それが、今でも彼らを想って辛くなる理由なのかもしれません。

だから、今 一緒に生きている"ヨンサマ&クリス"は悔いのないように育ててあげたい。
そして、最期の時はやはり私の腕の中で眠りについてほしいと願っています。


先ほど、ヨンサマを年に一度の予防接種に連れて行って来ました。
いつまでも いつまでも 元気でいてくれますように。^^



*Iママ、お誕生日おめでとう。 今日のパパは優しかったかな?
また、ゆっくりお茶でもしましょうね。
いつまでも華奢で可愛いIママでいて下さい。(*^_^*)

茂木さん崇拝。

今日もTVで茂木健一郎さんを拝見しました!
そう、最近の私は彼にはまっているのです。^^

彼の頭の中が非常に気になって、気になって。
脳科学者の脳をちょっぴり覗いてみたい心境です。^^

昨日は彼の著者、「脳を活かす勉強法 ~奇跡の強化学習」を一気に読んでみました。
面白いですよ。自分の脳にも無限の可能性を感じることができますもの☆

『したがって、脳科学的に見れば人間は誰しも境遇や年齢、性格などにかかわりなく、飛躍的な成長を遂げたり、劇的な変化を遂げる可能性を秘めた存在であるといえるのです。』
うん、うん、茂木さん、私、頑張るよ!! o^―^o


脳とは、
「できるかどうか分からないことに、一生懸命になってぶつかり、そして苦労の末それを達成した時、意外性が強ければ強いほど喜びが大きくなるしくみ」、
「この苦しい状況を何とかして突き抜けることが重要」とあります。

当然のことを言っているように思えますけど、実際、私の過去は困難から逃げてきた連続ですので、自分の脳すら喜ばせてあげたことがなかった事実に気付き、かなりショックでした。


逆に、自信をくれた内容も。。。^^

茂木さんは、かつてニュートンも学んだことのあるイギリスのケンブリッジ大学"トリニティカレッジ"に所属していたそうです。
このカレッジには、ありとあらゆる分野の人が所属し、食事の際には、各分野を代表する研究者達が それぞれの専門など気にも留めずに大変高度な議論をしているとのこと。
ノーベル賞を81人も排出した実績は、この環境があるからではないかと茂木さんは悟ったといいます。

そのトリニティカレッジの雰囲気から伝わってくる思想。
それは、「変人であることの自由」なんだとか。^^

ケンブリッジでは、格好が良い人は"どうせ普通の人"とバカにされ、
例えば、穴の開いたセーターを着て、ボロボロの自転車に乗ってカレッジ内を走っているような人に、"きっと偉い学者に違いない"と敬仰のまなざしを送るのですって!
さすが、面白い。

「変人であることの自由」とは、「自分の好きなことをとことん追求することが許される自由」だと茂木さんは言います。

そして、日本には「ほかの人と一緒でなくてはいけない」、「平均値に引きずり下ろそう」という無言の圧力があるために、それがグローバルな競争の足かせになると。
日本の和を大切にする文化を認めつつも、そう書いてありました。

もちろん、イギリスにも似たようなプレッシャーはありますが、「イギリス人の発想が卓越していたのは、彼らをスポイルするのではなく、その変な人たちを集めてコミュニティを形成し、"知"として消化させるしくみを作り上げたこと」とあります。

なるほど~、周りの人達に合わせるばかりが能ではない、「変人」でいいんだ~って分かって"純粋に"ほっとしました。
ご存知、どの角度から見ても、平均値からほど遠い私ですからね~。^^

まだまだ茂木さん崇拝は続きそうです。


*この本、自己啓発にもってこいですけど、子供さんをお持ちの方にとっても 将来の天才・秀才を育てるのに非常に参考になると思いますよ!o(^-^)o

パリ"自由の女神"

「あの子、さっきからずっといるわよね。」
「なに、"自由の女神"でも見に来たんだろ。」

男は女の長い髪をかきあげながら、ちらっと後ろを振り返った。


場所はセーヌ川のほとり、アール・ヌーヴォー様式の建物が並ぶ"ラ・フォンテーヌ通り"の対岸である。

やっと雑踏の中から抜け出てきた二人は、雨上がりの夕暮れ、寄り添うようにセーヌの流れを眺めていた。

美男美女のパリっ子である。 彼らはパリの街と同化して、実に絵になる。


「あの子、まだいるわ。」
「気にするな。どうせ、すぐに立ち去るさ。」

ここからは"エッフェル塔"もよく見える。

「写真でも撮るか。」
若い二人は無邪気にポーズを取りながら、お互いをカメラに納めた。


「まだいるわよ。 せっかく二人っきりになれたのに、、。」
「あの子、気が利かないな。」

男は彼女の髪先を指に絡めながら、又もちらっと振り返った。


整った顔立ちのその男は、ため息をつきながら その東洋人らしき女に声をかけた。
「マドモアゼル、・・・。」

パリジェンヌの彼女は、そんな彼の後ろ姿を惚れ惚れと眺めていた。
二人はつき合い出して日が浅い。


男はその東洋人と二言三言 言葉を交わし、自由の女神を背に その女の写真を撮ってやった。

「メルシー。」
フランス語が似合わない女である。


男は苦笑いしながら、
「どうも写真を撮ってもらいたかったのだが、声を掛けにくかったようだ。」
とパリジェンヌの元に戻ってきた。

「やっぱり、あなたは後ろ姿も素敵ね。」

微笑みながら男は彼女の肩に手を回す。


あの東洋人はやっと消えたようである。
これで また二人だけの時間だ。

場所はセーヌのほとりである。


・・・・・。

・・・・・・・。


「なんか つまらないな。」
「そうね、なんか つまらないわね。」

そう言って、二人もまた"自由の女神"を後にした。


* * *

↑の写真は、ハンサムなパリジャンに撮ってもらいました。【'00.01.08】
(かなりボケていますが、、(^_^;))

彼は素敵なパリジェンヌと一緒に河岸に立っていました。

その時の話を、彼らの視点から想像して書いてみました。^^/
いかがでしょうか。。*^^*

パリ、ジュテーム!

まだ眠れない夜が続きそうなので、先日 DVDを何枚か借りて来ました。
少し軽めの映画を探して、、。

「Paris Je t'aime」
パリの街角を舞台に、18のショートストーリーが織り成す恋の世界。
一話5分程度のお話なので、気楽に楽しむことができます。

どの作品も後味のいい余韻を残す感じ。^^
パリの日常の延長線上にあるドラマです。
普段着のパリにユーモアや切なさが入り混じって、、どこにでもあるような出来事は勿論のこと、なんとヴァンパイアだって登場しちゃいます。o^―^o

そして、18話全てを見終わった時には、それらは不思議な輪舞曲のように回っていきます、、。


私は、パリと出会った4年後にウィーンを訪れました。
少し近寄りがたいウィーンの気高さを感じながら、パリは下町のような解放感があったことに気が付きました。
(どちらかといえば、それでも私にはオーストリアの方が肌に合うんですけどね。^^)

パリの街角では私だって、あなただって物語の主人公になれる、この映画を見ていたら そんな気がしてきます♪

* * *

そんな珠玉の短編集の18分の1をご紹介☆

〈バスティーユ~12区〉

男には、交際1年半になる客室乗務員の愛人がいる。
今日、妻を愛していないことに初めて気付いたレストランで、男は妻に別れ話を切り出すつもりだった。
しかし、その試みは失敗に終わる。
妻が号泣しながら、衝撃的な事実を告白したからだ。

末期の白血病を患った妻と一緒に過ごすことに決めた男、刻一刻と死に近づく妻。
こうして始まった男と女の最後の濃厚な日々。
彼は、妻に恋する男を演じることで、妻に2度目の恋をする。。



まだご覧になっていない方は、何気ない昼下がりにでもどうぞ。o(^-^)o

「モナ・リザ」

『パリ』といえば何を最初に思い浮かべるでしょうか?
エッフェル塔? 凱旋門? シャンゼリゼ通り?
私の一番はというと、それは"額に傷のある黒人女性"ですけど(^^;)('07.10.12日記)、その次に蘇るのが「モナ・リザ」です。


最終日、私もパリを訪れる多くの人の例外ではなく、"ルーヴル美術館"へと足を運びました。

それまで「モナ・リザ」という名画に対して、さほど特別には思っていなかった私。
けれど、やはりここまで来て見ずに帰るのは勿体無いと、その程度の思いで見に行きました。

想像よりも"うんと"小さな その一枚の絵。
防弾ガラスに囲まれて、大傑作が並ぶルーヴルでもやはり「特別扱い」されている その一枚の絵。

私はその絵を目の前にして、"あぁ~、何百年もに亘り多くの人達を魅了し続けてきたのは、間違いなくこの微笑みだ"ということに初めて気付くことができました。

「彼女には意志がある。」
そう、彼女は生きているのですよね。

この絵を前に誰しもが感じること、それは"どこまでも彼女と目が合う"こと。
彼女の視線からは強い波動が出ているように思えます。
その視線と、含んだ笑みと、、簡単には目を離させてくれません。

レオナルド・ダ・ヴィンチは相当の思いを込めて描き上げたのでしょうね。

確かに絵の技術も構図も大変素晴らしいものですが、この作品が名画中の名画として世界中で認められている理由はそこにあるのでしょうか。。

絵であって、単なる絵ではない「モナ・リザ」。
それは本物でなければ伝わりにくいでしょうけどね。。。


私が実際に見た名画の中で、一番の感動はこの「モナ・リザ」。
これとは別に身体全体が震えた作品は、ウィーンで出会ったクリムトの「接吻」でした。^^
これについても、いつか機会があれば書き残しておきたいと思っています。

神戸からパリへ!

*私が出会ったパリの街角【'00.01.08】


6/1は、私の尊敬するOさんの誕生日。
おめでとうございます!!
Oさんには大学時代、広島で大変お世話になりました。(^^)

彼は現在 奥様と横浜で住んでいらっしゃいますが、元々は関西の方。
数年前までは神戸にいらっしゃいました。

初めて神戸のルミナリエを案内して下さったのもOさん。
その時、親友のY子と3人で食べたチーズフォンデュの美味しさも格別でした。☆^^☆
確か、異人館近くの"スイスシャレー"というお店だったかな。o(^-^)o

* * *

(9/8と内容が重なりますけど、、)
そして、'99年6月。
私は母と「オルセー美術館展」を観に、神戸まで。。

美術館へ行く前に、Oさんが参加されていた ある集会を少しだけ覗いてみました。
目で挨拶を交わしただけですが、やっぱり彼は私のチーフ!
きっと、その時に彼から「大きな運」を分けてもらったのだと思います。
(Oさんは記憶にないだろうな...。)


その「オルセー美術館展」は人、人、人ばかり。絵画にも彫刻にも近付くことはできません。
溢れる人の頭に、人いきれに酔ってしまった私達は、"せっかく神戸まで来たけれど、もう我慢の限界だね"、と美術館を後にしました。

出口で一人一枚、ハガキを手渡されました。
裏返してみると、それは「抽選で本場オルセー行きが当たる!」というもの。

それまで私は、海外への憧れを感じつつも、一生日本から出るとは思っていなかったですし、出たいとも思ったことはありませんでした。
もちろん、パスポートも持っていません。

けれど、あの時はどうしてなのかなぁ~?
シャンゼリゼ通りをスキップしながら、エッフェル塔を見上げながら、パリを満喫している自分が見えたのです。*^―^*

ですから、ペンを片手に 抽選に応募するというよりも、むしろ申し込み書に記入している気分でした。
"当たるかも"とか、"運が良ければ"とか、そういった「もしも」ではなく不思議な確信。。。
神戸では十分に見れなかった作品達と、本場オルセーで再会できる!、という確信。

あの日のOさんの笑顔のおかげで、私、パリと それから広がる海外行きの切符を手にすることができたのかな。^^/
人生、何がきっかけになるか分からないから面白いですよね。o^―^o

改めて、Oさんに「おめでとう」と「ありがとう!」を伝えたいと思います。

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