I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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トイレで仲良し。

*これぞ!「青空トイレ」!


この家族の14歳の長女、彼女が家の中を切り盛りしていました。

みんなが帰った後、懐中電灯を片手に私をトイレへと案内してくれました。
夜のトイレは「星空トイレ」?!o(^^)o

頼りになるのは懐中電灯の明かりのみ。
近そうに見えるゲルからトイレまで、実は優に100mはあります。。。

このトイレ、両側を大きく跨ぐのではなく、真ん中の板に片足を置きます。
慣れない私は、誤って穴の中に落っこちてしまいそうでした。^^;

でも、きゃ~きゃ~言いながらの楽しいトイレタイム???
私達はすぐに打ち解けて、言葉は通じないけれども 大の仲良しになりました。
これが、ホントの臭い仲?!(笑)なのかもしれませんよね。^^

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遊牧民ゲル、ホームスティ☆

*モンゴル遊牧民の移動式住居・・・これを中国の内モンゴル自治区では「包」と書いて「パオ」と発音しますが、モンゴル語では「ゲル」と呼びます。


ゲルの正面入り口は、必ず南向きに立てられています。
直径5~6m、中央にはストーブを兼ねた炉が置かれています。
入って正面に、仏壇?のようなものや達磨さんに似た置物が飾られていました。

ウランバートルから車で約1時間。
私の僅か2泊3日のホームスティ先は、家族10人、2帳のゲルを持っていました。
そして、低い囲いのある青空トイレが一つと。。。(^。^;)


'00年6月28日。
到着の夜、同じ遊牧民仲間も沢山集まり、私の歓迎会を開いてくれました。

通訳兼ガイドのお姉さんが私を紹介してくれます。
すると、家長であるお祖父さん(↑写真右)、
「ここでの君の名は"オユナ"だ!」とモンゴル名を付けてくれました。

緊張気味の私にガイドさんがそっと耳打ち。
「オユナはモンゴル語でトルコ石っていう意味よ。 素敵でしょ。
モンゴルの女性名としては、最も親しみのあるものよ。」

新しい家族"オユナ"を歓迎して、まずは乾杯☆
モンゴルといえば、馬乳酒。
(馬乳酒とは、文字通り馬乳を原料とした乳製品に近いお酒です。これが酸っぱいの! (>_<))

ところが、その夜に振る舞われたお酒は、アルコール度の低い馬乳酒ではなく、厳しい冬を乗り越える遊牧民ならではの、テキーラにも負けないキツ~いお酒。
それを平気な顔で飲む私を気に入った彼らは、ますます上機嫌に盛り上がります。
「オユナ、偉いぞ!(^o^)/」

「無理してない? 日本人の女性でこのお酒を飲み干した人はあなたが初めてよ。」
ガイドさんは心配顔。

大丈夫、大丈夫。 私はよほど心を開いた相手の前でないと酔うことはありません。^^

と、こんなに強気でいられたのもガイドさんが帰るまでの話です。
すっかり夜も深まって、皆さん 解散の時間となりました。

残るはモンゴル語しか喋れない遊牧民の家族だけ。
一冊のモンゴル語の参考書だけが枕元に転がって、、。(T_T)


安易に飛び込んだ遊牧民ゲル、ホームスティ。
これから少し、モンゴルの話を続けますね。

ブータンとモンゴル。

*モンゴルの首都ウランバートルにあるラマ教(チベット仏教)の寺院にて。
写真に写るのは現地ガイドのオユナさん。 【'00.06.30】

「ブータンにはお墓がないのよ。」
又もや Masakoの問題発言か?!w(☆o◎)w

「え~、だってブータンも日本と同じく仏教国なんでしょう~?」
「だから~、日本の仏教が随分と違ったものなんだって。」

ブータンでは、死後四十九日が過ぎると再び新しく生まれ変わるという教えの元、日本のようなお墓や法事といったものがないのだとか。
(日本における檀家制度は、近世の歴史による独自のものなのでしょうから、50回忌までも法要を営む日本の方が珍しいのかもしれません?!)

輪廻転生の教えから、人は現世での行いにより生まれ変わる場所が決まってくる、、、今は人間でも その行い次第で来世は畜生に変わる可能性もあるわけです。

本当のところ、再生転生があるのかどうかは私も分かりません。
ですが、この教えがブータン人の支えとなり、自然と共に 質素ながらも助け合い仲良く暮らしている彼らの笑顔を見る時、それはとても素晴らしいことだと思いました。

ブータンの寺院を訪れると、そこには神聖な空気が流れ、生きた信仰の場であることが よく分かるのだそうです。

* * *

私もモンゴルを旅した時に、同じくチベット仏教の2つの寺院を訪れたことを思い出しました。

その一つが、モンゴルのラマ教総本山と仰がれる「ガンダン寺」です。
Masakoから聞く ブータンのお寺のような澄んだ空気というよりは、煙たいほどの土埃が舞うウランバートルに相応しい、モクモクとして 肌にまとわりつくような空気。

けれど、そこには所狭しと信心深いモンゴル人が集まって来ます。

お寺の周りには、経典が書かれてあるという円筒が ずらりと並んでいます。
それらを手のひらで回しながら唱えることにより、有難い経典を悟ることになるのです。

勿体なくも私が訪れた日は、ちょうどそのお寺にモンゴルにおけるラマ教の最高位の方がいらっしゃいました。

「なんて あなたはラッキーなの!
もちろん、それは今日この場所にお参りに来ている全ての人に言えることだけどね。」
オユナさんは目を輝かせます。
ウランバートルで暮らすオユナさんでさえ、中々お目にかかれない方だそうです。

私って、そんなにツイてるの?
その程度の思いでお寺の中に入りました。

重々しい衣装に身を包み 大きなオ一ラを持つその方は、参拝者一人ひとりの頭に手を置きながら何かしら唱えてくれます。
私は意味も分からず頭を下げているだけでした。

狭いお寺の中は、熱気とお線香の匂いで咳こんでしまいそう。
それでも、そんな中で見たモンゴルの人々の笑顔と手を合わす姿勢は印象的でした。

神聖というよりも むしろ現界そのものでしたが、やはりそこにも生活と共にある生きた信仰の場がありました。


遠いモンゴルを思いつつ、Masakoの不思議なブータンの話を聞きながら、"なんとなく分かる気がするなあ~"と感じた昼下がりです。^^

空海の里?!

ブータンの話で最も私が面白いなぁと感じたのが仏教についてでした。
インドから始まった仏教は、中国、朝鮮半島を経て日本に来るまでに随分と違ったものになったのだなぁ~と思いつつ、Masakoの話を聞いていました。

彼女は言います。
「仏教の経典も聖書と同じように、その中には壮大な物語が込められているそうよ。
ただ、お経の意味がきちんと分かりやすい日本語に訳されなかったから私達に親しみがないのよね。」

へぇ~~~と頷きながら、日本人にもサンスクリット語の原典を原語のままで読めた僧がいたことを思い出しました。

「弘法大師、空海」です。
宗教、芸術、教育、科学、文学、その全てに大きな足跡を残した人。

彼ほどの方なら、1000年以上先を見通して 今の私達でさえ分かる経典を残してくれているのではないかしら、と図々しくも思いつきました。

空海の里は「讃岐国多度郡屏風ヶ浦」、今の香川県善通寺市と伝えられています。
私の住む町の隣です。

そして私の町にも又、屏風ヶ浦の地名が残っていて、空海の母親の里とされる場所があるのです。
そこを探せば、何かが出てくるかもしれない。(*^m^*)!

* * *

四国は空海の足跡を辿る八十八箇所巡りで有名ですが、その他に別格二十霊場があります。

その十八番海岸寺、その奥の院には空海が浸かったと言われる「産井」が祀られています。
それが↑の写真の左奥、非常に見えにくくて申し訳ありませんが、赤く塗られた囲いの中。
その手前に並んでいる沢山の肌掛けが分かりますか?

色々書きましたが、実はこの肌掛けについて今日はお話したいと思います。


私の母は結婚してから10年近く子供ができませんでした。
祖父母は、海岸寺の奥の院で お大師様の肌掛けをお借りすると子供が授かるという話を聞き、母が33歳の時にお参りに行きました。

祖母は最初に赤色の肌掛けを戴こうとしました。
すると祖父が一言、
「それは女の子の肌掛けじゃないか。 白色のを取ってこい!」

慌てて手にした白色の肌掛け。
帰ってからよく見てみると、それにはネズミの絵が描かれています。

「ネズミ年だなんて、まだまだ先の話じゃないの!」
と母は半信半疑で肌掛けを枕元に置きました。

それから5年後。偶然か必然か、ちょうど子年に私が生まれました。
(私には2人の姉がいますが、異母姉妹です。)

それ以来、母も祖母も 子供が欲しいという人にはその話をし、今のところ 肌掛けをお借りした人すべてが1、2年の内に子供を授かっています。
嘘かホントか、私の再従兄弟もそのおかげで生まれました。

子供が出来た後、お借りした肌掛けと 新しく縫った肌掛けの2枚を持ってお礼参りするのだそうです。

私を見て下されば一目瞭然、いい子ができる保証は全くありません。(^。^;)
でも、何とも不思議な話だと思いませんか?

だから、善通寺で生まれたとされる空海ですが、実は母堂の里であるこのお寺が生誕地ではないかしらと私は勝手に信じているのです。

ですから、そこに今も空海の遺した偉大な何かが眠っていると考えても可笑しな話ではありませんよね?! ^^

ブータンのお話 2。

*ブータン国、「ナプカ」。
この建物には、裁判所などの公共機関が入っているそうです。



このナプカの地を、数年前に大洪水が襲いました。

地球温暖化の為にヒマラヤ山頂の雪や氷が大量に溶けて流れ、塞き止められ、そのせいで あちこちに大きな湖ができました。
それが決壊してしまったのだとか。

CO2排出量の少ない国、自然と共に生きている国ブータンが、日本のような我が儘な先進国の犠牲になってしまったのですね。


ブータンの皆さんへ、ごめんなさい。

ブータンのお話。

*可愛いブータンのお土産♪


6/17の日記で、ブータンから届いたMasakoの葉書について書きました。


「ブータンでは魚を殆んど食べないのよ。」
九州ほどの面積しかない 小さな山間の国。

「でも肉は食べるんでしょ?」
「うん、でも私が訪れた時は、スーパーで肉を売らない時期だったのよ。」
どうも5月中旬~6月中旬、庶民にはお肉が手に入らない期間なのだそう。

Masakoの幼なじみRさんの嫁ぎ先は、ブータンでは上流階級。
なんたって、前国王のお妃様からイベント案内が届くほどなのですから。。\(◎o◎)/
ですから、冷凍庫を持つRさん宅では、その時期でもお肉を食べられると話していました。

「食べ物に困ってるの?」
「ううん、向こうの人は自給自足の生活をしてるから、食べ物に不自由はないみたいよ。」
確かに、彼女の写真に写るブータンの人々は、ふくよかで笑顔が眩しい人ばかり。


ブータンは敬虔な仏教国。
信望の厚い王様の下、国民総生産の増加を目指すのではなく、「国民総幸福」を掲げる国です。

「みんな、王様が大好きなのよ。
でもね、第4国王はそんな愛すべき国民達が自分の足で立って歩けるようにと、民主化を取り入れることにしたの。
(最初、国民達は民主化を反対しそうです。)
そして、まだ50代前半の若さだったけど、彼の息子に国王の座を譲られたそうよ。

まだ20代の第5国王にはお妃様はいないみたい。
ハンサムな現国王は、タイでもかなりの人気なの。」

「なんで 国王に会わせてもらわなかったのよっ!
未来の国王妃になれたかもしれないのに~。(^^)」
Rさんの義父さんは、前国王時代に軍人として最高位にあった方です。

悔しがる私に、Masakoはくすっと笑って冷静に、
「ブータンは大乗仏教の国でしょ?
だから政治の世界のトップである国王は、仏教の中で位の高い家柄からお妃を選ぶんだって。」
なるほどぉ、政治でも宗教でも国の最高位として君臨なさるのか。


聞けば聞くほど、不思議な国ブータンです。

現在、ブータンが所有する飛行機はたったの2機。
タイやインドと結んでいるそうですが、小さな飛行機は毎日片道運航のみ。
ですから、空の便では一日200名程度しか入国できないのだとか。

入国の際に必要なビザは、ブータンでの日程と宿泊先、訪れる寺院などの許可証がなければ取得できないそうです。
しかも高い!

ツアーではなく、個人でブータンを訪れる場合は、一日のビザが約250米ドル。
その中には、宿泊代金と交通費、ガイドに対する料金も含まれているそうですが、それにしても高い!
いいホテルに泊まる場合は、これに+αも大きいですよ。

MasakoはRさんのおかげで招待ビザを取得、向こうで会った観光客に羨ましがられたと言っていました。
そして義父さんのおかげで、ブータン人でも中々行くことのできない寺院を訪れたりと、贅沢な2週間を大満喫したようです。

「でも、今回の私の旅は、本当のブータンの姿を見たことにはならないわね。」


「ブータンで寺院へ行く場合はね、お線香とランプオイル、それとお供え物を必ず持って行くのよ。」
仏教がしっかりと根強く幸せの国ブータン。
人々の笑顔を見ていると、近頃 ずいぶんと笑わなくなった自分がいることに気が付きました。

そんな私を、写真からではありますが、谷間から吹く澄んだ風が優しく出迎えてくれたように感じます。^^

~海のある風景~

オリジナルBagショップ  『DDW ~Doutoku design works』

SHOP : 岡山市天神町 9-39 上之町會館 3F
営業日 : 土・日・月・祝
営業時間 : 11:00~19:00
Phone & Fax : 086-272-2581
URL : http://www.doutoku.com


~海のある風景~がイメージ。
左手前にあるマリンスタイルが、この夏のイチオシだそうです。


オリエント美術館のすぐ裏手、そこで素敵な「鞄屋さん」を見つけました。o(^-^)o

美術館を出て、さぁ 次はどこへ行こうかという時に、
「この近くにハンドメイドの靴屋さんがあるんだけど、picchuちゃんも見たい?」とMasakoが言い出しました。
「うん、見たい!」、と言ったものの、連れていかれた先は、、、、\(◎o◎)/
え~、神社の境内~?(; ̄Д ̄)

古びた上に、なんだか怪しげな建物です。(^。^;)
Masakoも初めて訪れるとあって、二人無言で階段を上ります。

「3F。」
まずはお目当て、横田製靴さんから。(ここの革靴もオススメですよ。)

次に何気なく、ほんの少し覗く程度でドアを引いたそのお店が、↑の写真、オリジナル・バッグ屋の『DDW』さん☆

そこは岡山らしくデニム生地を中心に、夏や海をイメージした明るく爽やかな作品が並んでいました。
*岡山県倉敷市は、美観地区と大原美術館以外にジーンズの生産地としても有名です。


すべてを店長さん自らがデザインされていて、『DDW』の頭の『D(doutoku)』は、ご自身の名前を別の読み方にしたというブランド名だとか。
旅好きな人にも納得のいくこだわりの作品達が並んでいます。

私もMasakoも、時に旅を左右してしまう鞄への思いはひとしおです。
軽くて、身体にフィットして、シンプルだけれども個性的。
ガイドブックもスマートに収まって、カメラやお財布などの中身の形が表面には出てこない。
店長さんのアイデアが満載の愛すべき作品達です。

好みの形の商品を、頼めば革製品にだってしてくれるそうです。
(その時の値段は交渉次第かも?!)

まだお若い店長さんは、私達と同い年くらいかな?(笑)
とっても気さくな方で、たわいない会話からうまくお客のニーズを引き出していきます。
もちろん、そこには産みの苦しみはあるのでしょうけど、
それでも次から次へとアイデアが浮かぶ彼の作品と、このショップの将来が非常に楽しみ!

鞄以外の話だって、気が付けば、およそ2時間。
時間が経つのをすっかり忘れてお喋りしていました。

ネットショップも人気があるようですが、私はまた岡山へ行く時にもお店へ遊びに行きたいなと思っています。
9月には秋冬物も登場しそうだし(?)、次回のザルツブルク行きの鞄はここに決定!!


「次はどこへ行く予定?」

「ザルツブルクとミュンヘンの辺りを旅しようと思ってます。
ザルツブルク城を見上げているとね、思わず涙がこみ上げてくるんですよ。」

「なんかそれ分かるな~。^^
僕も感動的な素材と出逢った時、思わず涙ぐみそうになったことがあるよ。
まぁ、そういったものは、逆に売れないことが多いんだけどね~。」

心のこもった作品の数々。
ただ眺めているだけで温かな気持ちになれるんです。o(^―^)o

「青きウズベク」

*ウズベキスタンの民族衣装を着てみました。
この衣装、かなりの重さです。^^ 【'08.07.20】


この連休の中日である昨日、親友Masakoと共に「岡山市立オリエント美術館」へ行って来ました。
ここでは、只今 『シルクロードへの誘い ― 青い煌き ウズベキスタン ―』と題して、萩野屋慶記(はぎのやけいき)さんの写真展が開かれています。
8/31(日)まで。

【世界遺産に登録された青の都サマルカンドや城壁に囲まれた古都ヒヴァなどの存在で、ますます注目されるシルクロードの要、ウズベキスタン。
本展では、旅行写真家として著名な萩野屋慶記撮影のオリジナル作品約70点と、個人コレクションの美しい工芸品160点を一堂に集め、シルクロード・オアシス都市の魅力に迫ります。(リーフレットより)】


地元の人の話によると、この展示会の好き嫌いや意見はちょうど半分に分かれるのだそう。
ですが、ずっと前からウズベキスタンへ行ってみたい、この青の都を見てみたいと思っていた私的にはかなり面白い展示会でした。

なんといっても、体験企画として↑のように民族衣装を着れること(もちろん無料)が何よりの楽しみ。
以前もこの美術館でオリエントの国(イランだったかな?)の民族衣装を着て撮った写真を、大勢の友達にメールで送りまくったことがあります。(*^m^*)


とにかく、ウズベキスタンの遺跡が素晴らしいことは言うまでもなく、その空の青さといったら、モスクの青いドームよりも深い青さで私を驚かせました。
雲ひとつなく。。

建物に施されている洗練された幾何学模様の見事さは、それは息を呑むほどです。
それに、色彩の美しさは何も青色だけではありません。
赤や紫も印象的な極彩色の天井画や、夕日に照らされたレンガ色の建造物。

ほぉ~~~、美しい~~~。(*^_^*)

陶器の模様や装身具も可愛いし。。。


ある説明文に、この展示会の象徴でもある、↑の写真にも写る「グーリ・アミール廟」について、私の興味を引くものがありました。
~1941年、ソビエトの調査隊がこの遺跡を発掘。
それには、ある呪いがかけられているのか、、、。 その次の日に、独ソ戦争が勃発した。
それ以来、何人(なんびと)たりともティムールの墓を開けることはない。。。~

鳥肌を立たせながら、、でも どこか無気味なロマンを感じてしまいます。

ますます、ウズベキスタンへの憧れが増してきた私です。
日本から直行便もあるようですし、、思いきって、行っちゃう?!o(^―^)o


岡山市立オリエント美術館特別展 :
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/uzbekistan/



昨日はこのオリエント美術館だけで時間がなくなってしまいましたが、
次回は、この美術館から北へ数十メートルの所にある「岡山県立美術館」で現在 催されている 『浮世絵の美展 (千葉市美術館所蔵)』を訪れてみる予定。
そちらは、8/24(日)までです。

昨晩の「探検ロマン 世界遺産」

昨晩は久しぶりに、NHKの「探検ロマン 世界遺産」を見ました。

今回はフランス、『ランス大聖堂 ~ほほえむ大聖堂は少女に語りかける』。


番組が始まったばかり、私は他の用事をしながらTVに耳を傾ける程度でした。
過去にランス大聖堂へ行ったこともありませんし、行くつもりもありませんでしたから。。

ただ、画面に映る圧倒的な存在感と、見事な建築、壁面に所狭しと埋め尽くされた細かい彫像の数々(その数、2300体以上!)。
空から映された大聖堂の十字架の形。
中に入って見上げると、それは驚くほどに高い天井(35m、38mだったかな?)。
そして、天国を表すというステンドグラスの柔らかな光。
気が付けば その手を休めて、私はTVの前に釘付けでした。


この大聖堂は、フランスの歴史そのものであり、長い歴史の証人でもあります。
フランスの創始者と言われる王グローヴィスがランスでキリスト教に改宗したことにちなみ、1825年まで歴代の国王の戴冠式が行われていたそうです。
1429年には祖国の救世主ジャンヌ・ダルクも列席したのだとか。
彼女の像も祀ってありました。

今回の番組が特に素晴らしいと感じたのは、その中に出てきた一人の少女、12歳の「ジュリエット」さんです。

ある日、彼女のクラスでは、ランス大聖堂をテーマに 政治と宗教そして国家と個人のあり方をめぐっての話し合いが行われました。
自分にとっての、またランスにとっての大聖堂の存在について。

彼女はランス大聖堂の中に入ると、いつも神聖な気持ちになると言います。
きっと彼女なりに神様を感じているのかもしれません。

しかし彼女が道端で尋ねた殆んどの大人達が、この建築の素晴らしさと観光地としての役割を語るだけで、宗教的なことを感じると言う人は何故かいませんでした。

彼女はそれが少し腑に落ちないらしく、家族とも話し合います。
ご両親は、人各々考え方も違うし、初対面の人に自分の本心を語る人は少ないと思うわ、と彼女に聞かせます。

授業当日、クラスメイトが次々と発表する中で、彼女も堂々と大聖堂の持つ宗教的な役割について熱く語ります。
すると、彼女と反対の意見も飛び出しました。

先生もジュリエットさんと同じく、敬虔なクリスチャンではありますが、政教分離が基本のフランスで、また教育者としての立場上、言葉を選びつつ ジュリエットさんに問いかけます。
彼女自身がきちんと何かしらの答えを導き出せるよう、彼女の目を見つめ、一つひとつ丁寧に問いかけていくのです。

最後に彼女が見つけた答えは「寛容」。
はじめは宗教がなければ生きる意味がないとすら語った彼女です。
先生にも、その授業のあり方にも感心してしまいました。

街のシンボル、ランス大聖堂は子供達にとっても身近で特別なもの。
各々、自分の大聖堂像というものを持っているのでしょう。
授業の終わりを告げる鐘が鳴っても、子供達は手を上げ続けます。

素敵な授業だなと、
こうやって自分の思いを見つけ出し、みんなと語り合う場を与えることは彼女達の将来に大きなプラスになるだろうなと、
とても良い番組に出会えたように思いました。

ジュリエットさん達の将来を楽しみに感じつつ、いつかランス大聖堂を訪れた私を想像していました。


再来年はランス市政800年を迎えます。
今は修復中の大聖堂も、その時には素晴らしい全貌を見せてくれることでしょう。
今から待ち遠しい私です。^^

Dear...

「大芸術家であらせられる全知全能の神様が、最高傑作を生んだ日。」
それが37年前の今日です。(*^―^*)

そう、今日は「IL DIVO」のスイステナー『Urs Buhler ~ウルス・ブーラー』のB.D♪
世界中から愛のこもった"おめでとう!"の波動が彼の元に届いているはずですね。
(*^―^*)
私からもウルスへ、"Herzlichen Gluckwunsch zum Geburtstag!"(≧ω≦)b
そして、神様、ウルスのパパ&ママへありがとう!!!

* * *

そんな素敵な今日ですから、とっても愛らしい写真集を紹介します。

それは、ブログ仲間の「きりやまきっき」さんからのプレゼント☆

彼女のブログが28000アクセスになるのを記念して、先日 とても面白い企画がありました。
なんと、彼女のオススメの3冊の本を早い者勝ちで戴けるというもの。^^

絵画よりも写真を眺める方が大好きな私、
風景よりも人間や動物の写真がお気に入りの私は、
早速 それらの本の中からユニークな動物達の写真集『Dear Mom』をお願いしてみました。

すぐに「きっき」さんから当選のお返事が、、! 今週早々に送って下さいました。*^^*


『Dear Mom』
この本の著者は、ブラッドリー・トレバー・グリーヴさん、38歳。
オーストラリアのタスマニア島出身です。

この作品の前に出された、「ブルーデイ ブック」はかなり有名なのですね~。

この写真集を初めて開いた時、"どこかで見たことあるかも"、って思ったのは、すでにそれだけ知れ渡っているということでしょう。

今回も、母親への愛情と感謝の気持ちがこぼれんばかりに溢れている素晴らしい写真の数々。
写真の下にさりげなく書かれたコメントに、大きく "うん、うん!"と頷けます。
コメントと写真とのバランス、組み合せが最高なのです!


↑の写真に込められた言葉は、『よく見ると、つま先までそっくり。』^^


私も、たまには 自分の"おへそ"をいじりながら(笑)、素直に感謝の気持ちを母親に伝えてみようかしら、、。
生んでくれて、ありがとうって、、。o(^-^)o
やっぱり、照れくさい。。? (笑)


*きっきさん、とっても微笑ましいプレゼントをどうもありがとうございました。
私の宝物が また一つ増えましたよ! ☆^^☆

お誕生日と記念日と。

*ザルツブルク、ゲトライデガッセにて【'07.07.14】


7月16日。

今日は、いつもお世話になりっぱなしの上司「K.Kさん」と、私の憧れ ドイツ在住のブログ友達「suhさん」のお誕生日です。
おめでとうございます。☆(^―^)☆


「Kさん」は、みんなが逃げるような無理難題を いつも一人で対処し、そして誰よりも他人の痛みが分かる優しい方。
私にとって、宇宙のように広く大きな存在です。
なのに私といったら、毎日 そんなKさんを我が儘ばかり言って困らせるか、可愛い?意地悪をして疲れさせるか、、のどちらかです。(*^_^*)
ごめんなさいね。
今日だけは優しいpicchukoでいますから。(^^)

「suhさん」は、今年の元日、私に会う為だけに国境を越えてはるばるザルツブルクまで来て下さいました。
"夢は強い意思と力によって必ず実現できるもの"だということを、その柔らかな笑顔の下に秘められた熱い思いから伝わってきました。
私もそんなsuhさんに負けないように頑張りますね。o(^-^)o


お二人の新しい一年が、ますます素晴らしいものでありますように。
私はいつも応援していますよ~。(^-^)g"

* * *

そして、ちょうど一年前のこと。
私はザルツブルクへの旅行中でした。

そこで、「アレックス」という最高に素敵なオーストリア男性と出逢います。
彼の笑顔は私にとってなにものにも代え難い宝物。
その日が7月16日です。(*^―^*)


帰国後の私は、ただ寂しくて寂しくて。
そんな時、"IL DIVO"のファンサイトでsuhさんの存在を知りました。
大勢のファン仲間の中でも何故か気になるsuhさん。

ドイツ、、、アレックスのいるザルツブルクはドイツとの国境に面した街です。

お近付きになりたい。 できれば、お友達になりたい。

早速、私はそのファンサイトに登録しました。
そこでsuhさんが楽天でブログを開いていることを知ります。

私もブログを始めれば、より自分をsuhさんにアピールできるかもしれない。
私という人間がどういうものなのか分かってもらえるかもしれない。。
こうして、私もブログを書くようになりました。

アレックスとの出逢いが、私の人生を開くものだと感じた直感は間違っていなかった。(9/6日記)

それがsuhさんとの出逢いへ、そして皆さんとの出逢いへと広がっていったのだから、、。


7月16日。
私にとっても大切な忘れられない記念日です。(*^―^*)

アイリッシュ魂 !

ヒュ~!
口笛と いつまでも鳴りやまない拍手喝采。
終演後、会場はスタンディングオベーションの嵐でした。

私達も、ここまで粘るのかと自分たちでも感心するほど、ジンジンする手を叩き続けました。

* * *

昨日、私はブログ友達のsakuranomiさんと一緒に、大阪のフェスティバルホールで『リバーダンス』を楽しみました。

昨年末から楽しみにしていたステージ。今回、最後の日本公演です。

私は全く予備知識を入れず、先入観なしで席につきました。

まず最初は、世界の夜明けをイメージしたものでしょうか、、。
神秘的な雰囲気での幕開けから、気が付けば息もつかないステップに、私は終始 鳥肌が立っていました。

すごい。。。 すご過ぎ。。。

アイリッシュ・ダンスに留まらず、フラメンコ、ロシアのコサック、アメリカン・タップとの競演に、移民の歴史と伝統が織り成す世界観を存分に見せつけてくれます。

何これ、小宇宙そのものだわ。。。

「上半身は動かさずに、脚だけでタップを刻む独特のダンスですね。」
第一幕が終わり、15分の休憩に入ったところで、私はsakuranomiさんに話し掛けました。

「アイルランドって、長く苦しいイギリスの植民地時代があったでしょ。
アイルランド人は、自分達の感情や 決して失うことない自国の文化への思いを、イギリス人に見破られないように下半身だけで感情を表現したのよ。」

なるほど。だから、これほどに熱いのか。。。

解説を読むと、
「19世紀半ばの有名なジャガイモ大飢饉だけでなく、19~20世紀にかけて 主に政治や経済的な事情からアイルランド人はヨーロッパや北米、オーストラリアなどへ移民を繰り返した。
アイルランドの近・現代史は移民の歴史でもある。
『リバーダンス』はそうした別離と悲しみを演目に取り上げるだけでなく、移民たちがたどり着いた世界各国の魅力的な文化が対立から融和へと向かう様を、アイリッシュ・ダンスとの比較と融合で見せる画期的な試みがなされている。」

深い。。。深過ぎ。。。

抑えきれずに溢れ出す感情を、小国の小国ならではの誇りを、私もしっかりと受け止めましたよ。


人間って、こんなにも逞しく美しいものなのか。。。
私たち人間は、逞しく美しくあり続ける努力をしなければならない。。。

ステージから響く、突き刺さるようなタップの音に包まれながら、私はそう感じていました。

ダンスの合間に流れる懐かしい縦笛やイーリアン・パイプの音色。
そして、フィドルの軽やかで躍動感のあるリズムもまた 観る者の心を離しません。

幻想的な舞台背景も 地球や宇宙を感じられるスケールの大きなものでしたから、吸い込まれるように私もステージに釘付けでした。

最高 !

この舞台、感受性豊かなsakuranomiさんと一緒に観れたことに感謝しています。
*sakuranomiさん、お忙しい中 ありがとうございました! (*^―^*)

これはアイルランドまで追っかけしなくてはならないですね。(^o^)/

今もDVDを流して、感動を再生しています。

* * *

偶然にも、nanaco☆さんから教えていただいた小説「アイルランド幻想」が、今日の夕方 私の手元に届きました。
この中には、そんなアイルランドの移民の歴史やジャガイモ大飢饉についても書かれているのだとか。

そして、映画「麦の穂をゆらす風」からもアイルランドのその悲しい歴史を十分に知ることができるそうなので、早速 週末にでも観てみたいと思います。

リバーダンスは、悲しい歴史を乗り越えてきたアイルランドそのものです。
それ以上に、アイルランドの強さと美しさの現れです。

あっ! sakuranomiさん、今もステップ踏んでいますね♪(笑)

これも何かの縁かしら、、?

*中央オーストラリア、アリス・スプリングスのとあるパブ。【'02.02.18】
どことなく西部劇に出てきそうな雰囲気でしょ!?


アリス・スプリングス到着後、私は空港から真っ直ぐホテルへと向かいました。
ホテルがツアーの出発点です。

そこで、同じツアーに参加の、しかもシドニーから同じ飛行機だったというM子と知り合いました。

彼女は、見るからに清潔感のある知的な人で、しかもアクティブな魅力を持ち合わせていました。
聞けば、私より7歳も若いとのこと。
あっという間に打ち解けた私達は、ツアー最終日まで常に行動を共にしました。


陽射しが強く、気だるい真夏の昼下がり、
二人でアリス・スプリングスの街中を歩いていた時のこと。

アリス・スプリングスのあるノーザン・テリトリーは、オーストラリアの先住民アボリジニが多く生活している地域です。
シドニーやブリスベンなどで出会う観光客相手のアボリジニ人と違って、過去に差別を受けてきた貧しい人達が多いのです。
当時、ホームレスのような人が至る処にたむろしていました。
少し悪臭も漂います。

私は、それまで そんな独特の場所に足を踏み入れたことがありませんでした。
東海岸など大都会のイメージしかなかったオーストラリアの、私が知らなかっただけの最もオーストラリアらしい一面だったに違いありません。

マオリとも違う、もっと薄汚れた先住民らしい先住民。

頭の中では人種差別は最低だと分かっていても、敢えて自分からその中に入りたいとは思いませんでした。


何故か、彼らの中心人物らしき大きな体をした初老の男性が近付いてきました。
見た目より随分と若かったのかもしれませんが。

今でも忘れられない印象的な目で、彼は真っ直ぐに私を見ます。
私は身体中が強ばりました。

彼が口を開いたとたん、
「食べちゃう!」 そう日本語で聞こえました。

ひぇ~~~!( ̄○ ̄;) た、食べられちゃう?!
私は、逃げるように早足でその場を立ち去りました。
M子が追いかけて来ます。

「どうしたっていうの?」
「だって、あの人、私のこと食べちゃうぞって言うんだもの。」

「何、言ってんの! 彼はpicchukoに笑顔で"Welcome!"って言ったんだよ。」

へっ?
思えば、アボリジニ人であるあの男性が、いきなり日本語を喋る自体おかしな話です。

(^_^;)(^_^;)(^_^;)
「だって、そう聞こえたんだもん!」

それは、彼の姿から私が思い込みで勝手に想像したに過ぎません。
しかも笑顔だったなんて、、。

ごめんなさい。
この思い込みが すでに差別なのですね。

ごめんなさい。
でも、あれから どうしてもアボリジニ人が苦手な私。
どうしても私には恐く感じた彼の目が脳裏に焼き付いて離れないのです。。
ごめんなさい。


好きだと感じるものが自分にとって大切なものであることはもちろん、
もしかすると、苦手や嫌いと感じるものが自分に与える影響って思う以上に大きいのかもしれませんし、何か深い縁があるのかもしれませんね。


あぁ~、私の運命の人がアボリジニ人だったらどうしよう!
(T_T)(>_<)σ(^◇^;)。。。

『アボリジニ』

*ウルル(エアーズ・ロック)の岩肌。【'02.02.21 登岩口】


エアーズ・ロックに登ること、それを目的にここを訪れる人は多いでしょう。
私も同じくエアーズ・ロック頂上からの大景色を眺めてみたい思いで、はるばるオーストラリア大陸のど真ん中まで行きました。
けれど、その日が近付くにつれ、段々と気持ちが変化していきます。

「ウルルはこの地に住む原住民『アボリジニ』の聖地」、
故に、アボリジニの多くが実は登岩を快く思っていないことを知りました。

エアーズ・ロック観光の前夜、私はツアーで親しくなったM子と真面目に話し合いました。

自分達がアボリジニ人だったら、、、
それが生活の為だと割り切っていてもやっぱり嫌だろうね。
自分達が大切に守ってきたものを土足で踏みにじられるのは辛いよね。
ここまで来たけど、せめて私達だけでも彼らの気持ちを大切にしよう。。。

私達のこのような思いが届いたのか、当日は天候不順(強風)の為に登岩が禁止になりました。
*エアーズ・ロックから落ちて亡くなられた方は何人もいますし、その方達のメモリアル・ボードが登岩口右手の岩に嵌め込まれています。

その代わりに、エアーズ・ロックの周囲9kmほどを歩きました。

この岩肌には小さな洞窟が何ヵ所かあり、そこには遠い昔のアボリジニによるロック・アートが残されています。
描かれているのは、カンガルーやエミューの足跡など。

*ここエアーズ・ロック周辺は、アボリジニにとっての神聖な土地であることから、至るところに"撮影禁止"の看板が立っています。
言うまでもありませんが、落書きはもってのほか!(実際、日本人による落書きが多いです。)

* * *

先日の日記でNZの原住民『マオリ』の彫刻について少し触れましたが、『アボリジニ』の芸術も実に魅力的です。

色彩感覚もデザインのユニークさも、そして精神性の高さも、他の芸術に勝るとも劣ることはありません。

例えば私流に説明すると、
人間が再生転生するとして、生まれ変わった時にはすでに消されていなければならない前世・過去世の記憶、
それを神様ですら消し去ることができない強烈なインパクトといった感じでしょうか、、。

今年はアボリジニが生んだ天才画家「エミリー・ウングワレー」の展覧会が大阪と東京でありましたから、その芸術性の高さは日本でも随分と知れ渡りましたよね。
*東京では、国立新美術館にて7/28まで開催中。


この『アボリジニ』、実はアジアの流れをくむのだとか。
同じオセアニア圏といっても、マオリ族とはかなり雰囲気が違うのも頷けます。


*彼らの芸術はかなり好きだし、尊敬している私。
ただ、アボリジニ人自体はどの人種、民族よりも苦手なんです。ごめんなさい。
どうも出会いが悪かったようです。(>_<)

The national anthem、『君が代』

*contikiツアーの仲間達と 【'02.02.18 オーストラリア・ノーザンテリトリー、シンプソンズ・ギャップにて】

"Simpson's Gap"とは、
~オーストラリアの中央に位置するアリス・スプリングスから車で僅か30分。
いかにも中央オーストラリアといった景観が楽しめる場所である。
マクドネル山脈の真ん中に位置し、赤茶けた岩山が大きく切れこんだ様を見せている。
特に朝夕の光の中で見るシンプソンズ・ギャップは、その神秘的な色合い、長く延びる岩山の影のせいで、茫漠とした中央オーストラリアを実感させてくれるのだ。~
「地球の歩き方 オーストラリア2001~2002版」より


* * *

contiki~コンチキツアーをご存知ですか?

先日、ブログ仲間のkiyoshi-kunさんの日記の「アボリジナル・アート」を見て、私も懐かしのオーストラリア旅行を思い出しました。


NZで申し込んだコンチキツアー。
私は当時、「エアーズ・ロック」へ行くことができさえすれば、どんなツアーでも良かったのです。
日程と予算さえ納得できれば、、。

('07.11.23日記)で紹介した、クライストチャーチのトラベルセンターでお世話になったMrs.Hosoi(彼女自身はNZ人ですが、ご主人が日本人です)。
彼女は私の年齢を見て、このツアーを勧めたのだと思います。

コンチキツアーは、18~35歳の若者を対象にした国際的バスツアー。
世界中から旅好きな若者が集まって来ます!
移動は全てデラックスバス。
キャンプファイアにブッシュキャンプ、パブでのお酒にダンス、、etc。

まぁ、国境を越えての出会い系ツアーですね。^^
私は参加するまで この内容を知らなかったので、始めはかなり躊躇しました。(^_^;)

*残念なことに、このツアーで私は好みの男性に出会えませんでしたが、、、
『スイス人』の『アレックス』という『女性』と知り合ったことが、今となっては印象的です。(*^_^*)
・・・写真左側、イエロ―のシャツを着た男性の斜め右上。


ツアー3日目、↑の写真の次の日、砂漠の真ん中にあるキャンプ場にて。
野外でテントなしで寝袋に入って、しかも男女お構い無しに所狭しと寝た夜のことです。

動物達も寝静まるほど遅くまで、燃え上がる炎を囲みながらのキャンプファイア。
盛り上がってきた頃に、お決まりの「国歌斉唱」が始まります。

USAやオーストラリアなどに先駆けて、私達 日本人7人が歌うようご指名です。

「キャンプファイアで『君が代』は地味だよね~。」
「うん、うん、暗過ぎるよね~。」 私達は顔を見合せます。

「早く歌えよ~!」 多国籍軍?は遠慮なく急かします。

"き~み~が~ぁ~よ~は~、、♪"

「ちゃんと国歌を歌えよ~!」 リーダーのオーストラリア人・ポールが言います。

「これが国歌だよ!」

「ほら、あれだよ。あれ。」とポール。

「もしかして、彼らが言う日本の国歌って"上を向いて歩こう"かなぁ?」
私達は またも顔を見合せます。

「スキヤキソング?」
「そう、そう。それ。」

ということで、日本人の私達は2曲も歌わされてしまいました。

その後に続く各々の国歌。様になりますね~。^^

やはり日本の国歌といえば、世界的には「スキヤキソング」なのか、、。
オリンピックで日の丸とともに「スキヤキソング」。。まぁ、それもありかな~?o(^-^)o



* * *

【『君が代』は、
平安時代に詠まれた和歌を基にした歌詞に、明治時代に林廣守が作曲。
当初、イギリス歩兵隊の軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンによって作曲がなされたが、あまりに洋風すぎる曲であったため普及せず、後により日本人の音感に馴染みやすい曲に置き換えようということで、明治13年(1880年)に宮内省雅樂課の奥好義のつけた旋律を雅楽奏者の林廣守が曲に起こし、それにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトによって西洋風和声がつけられた。】

ヨン、ごめんね。

しばらく私を苦しめた夏風邪。
どうやら、愛犬ヨンサマにうつしてしまったようです。(>_<)

くしゃみと咳の連続で、夜も眠れないヨンサマ。
元々 気管支が弱いために、その苦しみ方は見るに耐えません。

動物病院の先生は、
「この子は生まれつき気管が細いんだろうね。
犬だって風邪をひくことはあるけど、たぶん気管虚脱だと思うよ。」

先生はそう言うけれど、きっと今回は私の風邪がうつったんだよ。
ヨン、ごめんね。


以前も似た症状で注射をしてもらったことがあります。('08.04.07日記)

今回は注射だけでなく、気管拡張剤の入った点滴も打ってもらいました。
短い時間で済むように、この点滴は皮下に薬を流しこみ、少ししてからお腹に降りてきて効き目が出てくるのだとか。

点滴と注射をしている間、私は少しでもヨンの不安が減るようにと、ずっとその小さな額に私のオデコをくっ付けていました。
痛いのでしょう、辛いのでしょう、小さな体をますます丸めて、目には涙を浮かべて私を見つめます。
ヨン、ごめんね。


2年前の春、9歳だった愛犬ジロを気管虚脱でなくしている私は、とりわけ この異常な咳に敏感になってしまうのです。

この処置のおかげで今は咳き込んでいませんが、それでも常にヨンのことが気になる私。

仕事から帰ってまず聞くことは、
「今日もヨンは元気だった? 変な咳はしてない?」

体調を崩すとますます甘えん坊になるヨンサマ。
今日も私を見るや、一目散に駆け寄って来ました。

クリスは、そんなヨンサマの尻尾をくわえて付いてきます。^^


おまえ達、元気が一番だね。

七夕の夜空に、、。

今夜は晴れてくれてありがとう。
年に一度の逢瀬ですもの、織姫様と彦星様の願いこそ叶えてあげたいものですよね。

7/2に吊るした私の短冊。
先日の梅雨明けの雷雨にも負けず、今日もゆらゆら風の中を舞っていました。

『スイス人のお嫁さんになれますように』

今朝、職場で仲良しNさんに、私の願い事を見せてあげました。

Nさんは55歳、可愛い女の子のお孫さんを持つユニークな おじいちゃん?!です。^^
でも、いくつになっても変わらず、若くて頼もしい とおちゃんです。^^

そんなNさんは、私の短冊を見るや否や、
「あほかっ、picchukoは!
日本人の嫁さんにもなれないくせして、スイス人の嫁さんになれるはずなかろがっ!」と一言。
笑顔の渇を入れられてしまいました。☆^^☆

「でも願い事は叶うもん!」 負けじと私は、思わず子供のような返事をしました。

そして、冷静になって気が付きました。

『すでに日本人のお嫁さんになっていたら、もうスイス人のお嫁さんになれるわけないじゃない!!』

むむむ。国を越えての重婚もありか、、多夫一婦制か。。

一途な私ですもの、、。*^^*
改めて、日本で売れ残っていることに感謝する七夕の今宵です。^^

モディリアーニのアフリカンは、私にとってのマオリ族。

*クライストチャーチにある「カンタベリー博物館」、充実したマオリの展示物。


モディリアーニ独特の縦長い頭部の絵画を前にして、
4/20に放送された NHK番組"新日曜美術館"での話が蘇ってきました。

(以下、"新日曜美術館"公式サイトより一部抜粋)
【長い首、わずかにかしいだ顔、そして瞳のないアーモンド型の目。
モディリアーニは、個性や感情を超えた人間の奥底にある魂を追い求めた。

アフリカなどの原始美術に影響を受けた彼は、魂の宿る造形を求め、ひたすら古代の女神像を描いては、石に刻んでいった。
それは、まるで精霊を宿したかのような石像だった。

モディリアーニの肖像画には、笑うことも泣くこともない、無の表情が宿っている。
仮面のようなその顔に込めた彼の想いとは、いったい何だったのか。】

この中に出てくる「原始美術」、、、
「プリミティヴィズム (原始主義)」とは、西洋の画家達がアフリカ、オセアニアなどの原始的な文化から美しさを見い出した芸術的動きなのだそう。

この流れから、構図や線を強調して形態をつきつめたものがピカソなどの「キュビズム」へ、
強烈な色彩と筆触を追及し感覚を重視したものがマティスを代表とする「フォーヴィズム」へと受け継がれていったそうです。

そして、そのどちらからも影響を受け、どちらにも同化しなかったモディリアーニ。
彼は表面に出てくるものより、精神性を強く求めたのでしょうか。
それは、彼の作品の中で絵画よりも彫刻の方が顕著に表しているように私は思います。

* * *

私は、モディリアーニの原始美術からの衝撃を、何となくですが、理解できるように思えるのです。

モディリアーニは特にアフリカ美術からショックを受けました。
私は、ニュージーランドのマオリ族の彫刻から衝撃を受けました。
(比べるには畏れ多いことですが。。^^;)

それは、マオリの文化が今も色濃く残るロトルアの街でではなく、
クライストチャーチにある「カンタベリー博物館」にて。
*本当はその彫刻の写真をアップしたかったのですが、探しても検索しても見つからず。残念。。
↑の写真は、私が感銘を受けた彫刻の斜め前にあるものです。

私がNZに渡って間がない頃、カンタベリー博物館で出会った一つの彫刻。

その原始的な勢いのある、荒々しい削りの彫刻を前に、私は魂が吸い込まれそうな感覚に襲われました。

元々、マオリ族の彫刻は、彼らが狩りをしているところをイメージして作ったものが多いとのことで、だから激しさと強烈さが溢れているのでしょうか。。
それを知った後は少し冷静さを取り戻しましたけど、、。

とにかく、その彫刻と出会った時の衝撃は半端ではなく、
この彫刻が私をニュージーランドへ、クライストチャーチへ呼び寄せたとさえ感じました。

当時、まだ友達もいなかった私は、ただ ただ寂しかったのかもしれません。


その衝撃の感覚を、今も変わらず私を可愛がって下さる上司のKさんに当てたエアメールに記しました。

クライストチャーチからバスで20分ほど走った所にある"リトルトン"という小さな港町の、これまた小さな図書館で、空低く飛ぶカモメたちを眺めながら。。

Kさんは、その内容と葉書の行間から、そんな空気を、私の寂しさをすぐに読みとったのでしょう。

次のような返事を送ってくれました。
「今回の決断、あまり早く意義を持たせないで下さい。焦らず。あせらず。」


モディリアーニがアフリカンアートから影響を受け、彫刻に没頭した理由の一つが、
絵画ではピカソやセザンヌの影響下から抜け出せない、
でも彼らのような前衛的な運動にも同化したくない、、
もしかすると、そんな迷いと焦りの中で生まれた葛藤からかもしれません。

原始美術は、そのような感情を根底から引き寄せ、どうしようもないほど魅了してしまう力を持っているように思います。
モディリアーニにとって、彼の根底を救う芸術だったのかもしれないと私は思うのです。

姫路でモディリアーニと出会う。

*アメデオ・モディリアーニ画「青い瞳 (ジャンヌ・エビュテルヌ夫人の肖像)」 1917年


モディリアーニ、35歳で結核性脳膜炎にて死去。
今の私と同い年で人生を終えたのですね・・・。


姫路で途中下車した私は、市立美術館へと足を速めました。
どんよりとした雲から 今にも雨が降り出しそうです。

6/8~8/3(日)の期間、特別企画展として、「アメデオ・モディリアーニ展」が開催されています。

いつの頃からか彼の作品に惹かれるようになりました。
彼の特徴として、目には瞳を描き込まない、異様に長い顔と首。
子供の頃は気持ち悪く感じていたこれらの画風が、今は不思議と安心感を私に与えるのです。

過去において、私が彼の実物の作品と出会ったのは、"大原美術館"と"ひろしま美術館"くらいでしょうか、、。
ひろしま美術館では、彼の彫刻も一体 展示されています。

今回、初めて一堂に会された彼の絵画を観て、私が何故 それらから安心感を得たのか、少しだけ分かったような気がしたのです。

それは、あの憂いを秘めた空間がもたらすものなのかもしれませんが、、、。

モディリアーニは彫刻家を目指していたからでしょうか。
彼の描く線に迷いが少ないように感じます。

彼は、セザンヌやピカソなどの多くの画家、そしてアフリカ等の民族美術から多大な影響を受けていたと聞きます。

また、美男子な上に物腰が上品でお洒落でもあったモディリアーニ。
まして、教養のある文学青年で、詩句などを織り混ぜながら語る話上手だったとか。
(まさに私好みの男性ではありませんか!・ 笑)

ですから、私生活の上では数多くの女性の上を渡り歩いた色男。
最後の最後で永遠の恋人ジャンヌと出会わなければ、ただの女ったらしですよね。^^

アルコールや麻薬に溺れて夭折したドラマティックな人生。
そんな彼の作品であるにもかかわらず、
何故なのだろう、、、彼の描く線に迷いも無駄もないということは。
色づかいにしても、意外にも挑発的で大胆さを感じるものが何点もありました。

だからなのか、逆に私は彼の絵からなんとも言えない安心感 (この表現しか当てはまらないのです)を得られるのでしょうか、、。


時間が少なかった為に駆け足のような鑑賞でしたが、それでも肩の力を抜くには最適の時間でした。

* * *

先日 東京で開かれた「モディリアーニ展」が、7/1~9/15(火)の間 大阪の国立国際美術館で開催されています。

姫路市立美術館で、「記念グッズ引換券」を頂きました。
これを大阪の会場入口で係員の方に渡すと、記念グッズ(絵はがき)が貰えるのだとか。
大阪会場でも同じように引換券が配られているそうですよ。

近々 又も大阪へ出向く機会のある私は、モディリアーニとの再会も楽しみで仕方ありません。

後 0.6kgで。

クリスの体重、ただ今4.4kgです。
先月の体重測定と同じ数値ではありますが、どうやら又も太ってきた様子。

むむむ。
ヨンサマは3.2kgですから、いかにクリスが大きいか。。

毎月のダニ・ノミ駆除薬にしても、4kg台になった時からクリス分だけ200円値上がりしました。
5kgになれば又+α必要になることを、本日 動物病院の先生に確認済みです。

むむむ。 後0.6kg。

* * *

もう4年前になります。

ヨンサマをペットショップで見つけた時のこと、近くの柵に入れられていた♀ワン子に驚きました。

ポメラニアンにしては大きい体に大きく長い顔。どんなに贔屓目で見ても可愛くない!

有難いことに、今までうちに来たポメラニアンは いつもハンサムな男の子ばかりです。
ですから、その♀犬を前にかなりのショックを受けました。


ヨンサマは佐賀県の伊万里市生まれで、長崎のブリーダーからやって来ました。

幼いヨンサマを前にして、
「いいこと? おまえがあまりにも大きくなり過ぎて可愛くなくなったら、その時は長崎に送り返すわよ!」
そう、私は繰り返し言い聞かせていました。^^

私は飼い犬に対しても"イケメン好き"なのです。(*^_^*)

もちろん、「可愛いね、可愛いね。」という声掛けも繰り返し繰り返ししていますけど。
本当に可愛いからでもありますが、言霊の力って凄いですね。

ヨンサマはどこの子よりも、うちに来た他のどの子よりも、小さく可愛いく成長しました。


で、さてお次はクリスちゃん。

「可愛いね、可愛いね。」 最も多く、そう声掛けしたと思います。

確かに見た目だけでなく、とってもとっても可愛い性格になりました。
本当に可愛いクリスちゃんです。

しかしクリスに対しては、「大きくなり過ぎてはダメよ。」と言い聞かせるのを忘れていました。

気がつけば、プクプク プクプク。

「ちょっとクリスちゃん、実はあなた 太ってなぁい?」

「えぇ~~~。」
大きな目を見開いて、クリスは相変わらずのおとぼけ顔。。。

今さら遅すぎでしょうか、、。
「群馬出身のクリスちゃん。
それ以上メタボになったら、いいこと~? 群馬に送り返すからね~。」

「えぇ~~~。」
又もやおとぼけ顔で、大きな体をフリフリさせて、ドッグフードに一目散。
元気ならば、まぁいっか。o(^-^)o

~神と民~

「私のブログに載せてもいい?」
「もちろん、構いませんよ。世界中に宣伝して下さい。」^^


創作芸能団『黒拍子~KUROBYOSHI』

・・・2004年、安田典幸さんと服藤菜美さんにより結成される。
佐渡の和太鼓集団"鼓童"にて研修を得て、その後大阪へと拠点を移し活動を開始。
(黒拍子HPより)

* * *

狂言の後、私達は梅田にある居酒屋へ場所を移しました。

「今日、鼓童時代の同期の友達も来てるんですよ。 呼んでもいいですか?」

和太鼓集団"鼓童"には、体験的学習を通して、次代に伝えるべく「新しい伝統」の創造を目指す2年間の研修制度があります。
この研修所を修了した後、鼓童の正式メンバーを目指す方は、さらなる研修と選考が待っています。

研修所において、
和太鼓に唄、踊りの稽古のみならず、文楽や狂言といった日本古来の伝統芸能を学びつつ、農業も生活の一部となっているそうです。

日課のように行われる10kmの走り込みも、心身共に大きく鍛えられるに違いありません。
冬は特に波の高い日本海、その大波を被りつつ避けながら走るのだとか。
寒さが半端でない冬には、手足の感覚がなくなることは言うまでもありません。

そんな自然厳しい佐渡ヶ島で、最後まで研修を終えたY君と同期(20期)のメンバーは僅か5名だけ。

その内の二人が、↑に紹介した『黒拍子』です。
彼らは、和泉流狂言師 小笠原匡さんはじめとするコラボレーション集団"風流"のメンバーでもあります。

6/29に私がお会いしたのは、菜美さんの方。
Y君とは、ご主人の典幸さん共々 本当に気が置けない間柄だということがよく分かります。
その菜美さんと、同じく鼓童研修所の後輩であるM穂さんを紹介して頂き、
私が知る広島時代のY君とはまた別の顔を見せてもらえました。^^

様々な試練を共に乗り越えてきた仲間というものは、家族のような深い絆ができるということを、彼らを前に改めて感じました。
友情をもっと太く濃くした感じ。

楽しい団欒の時間、彼らの世界を覗かせて頂きながら、私は今後の彼らの活躍への期待でワクワクしていました。

菜美さんは言います。
「日本人の私が世界に自信を持って誇れるものは、結局 日本のもの以外にないんだなって気づいたんです。」

和太鼓に出会う前の彼女は、ドラムで道を開こうとしていました。
けれど自分の中に流れる「和」を見失わず、彼女はこの道を選んだのです。

格好いいなぁ~って、何気なく彼女が語った言葉の重みを感じながら、惚れ惚れしていた私です。o(^―^)o

また一つ、私に与えて戴いた新しい出逢い。私の世界も広がる予感がしています。


〈ご案内〉

結成4年目、2008年『黒拍子~神と民~』公演が行われます。

・9/9(火)18:30~ 尼崎《ピッコロシアター 大ホール》

・9/12(金)19:00~ 福岡《パピヨン24・ガスホール》

・9/17(水)19:00~ 松山《松山市民会館 中ホール》


・出演者

安田典幸さん = 和太鼓、鳴り物、舞、唄

服藤菜美さん = 和太鼓、鳴り物、唄

安田勝竜さん = 太棹三味線、唄

吉岡正樹さん = 舞台美術、演出


・黒拍子公式HP http://kurobyoushi.com

・黒拍子公式ブログ http://blog.kurobyoushi.com

短冊に願いを込めて、、。

笹の葉 さ~ら さら~♪

職場の老人ホームで、七夕様の飾り付けをしました。
今年は、私も20年(正確には19年)ぶりに短冊を書いてみました。 高校2年生以来です。^^

『スイス人のお嫁さんになれますように』

一瞬、大好きなザルツブルクのある「オーストリア」とスイスのどちらにしようか迷いましたが、、
ちゃっかり短冊の裏面に、ウルスと私の相合い傘を書いちゃいました。(*^―^*)
さすがに、ちょっぴり恥ずかしい。。。(^。^;)


*同僚のK君は言います。
「"風邪が早く治りますように"って書けば~?」

施設長さんより、
「スイス人が来たら (来るわけないけど)、すぐ目につくように目立つ場所に吊るしておきなさい」とのお言葉。

お心遣い、ありがとうございます。o(^-^)o

小笠原先生、有難うございました。

「関西を拠点に活躍する和泉流狂言師、小笠原匡が29日午後2時半から、大阪市北区の大阪能楽会館で行われる野村万蔵家の一門会"萬狂言"で大曲"花子"を披らく(初演する)。」
・・・6月28日 産経新聞より


『花子(はなご)』

【洛外に住む男が恋人の花子に会いに行くために、妻に一日一夜の持仏堂での座禅を認めさせます。

夫は、太郎冠者(召使い)に自分の身代りを命じ、座禅の時に被る座禅衾を掛けて、勇んで花子のもとへ出掛けます。

妻はやはり持仏堂まで様子を見に来て衾を取り、騙されたことを知って怒ります。
そして太郎冠者に代わり、座禅衾を被ります。

そこへ何も知らない男は、夢ごこちで戻ってきます。

目の前の座禅衾を太郎冠者と信じて疑わない夫は、逢瀬のなりゆきを延々と上機嫌に歌を交えて聞かせます。

時にわが妻の悪口もとりまぜて。。
艶やかな小歌の調べが、花子のしとやかな美しさを描き出します。

しかし物語りの後、衾を取った夫は肝をつぶすのでした。】


朝帰りで浮かれる夫が有頂天になればなるほど、何も言わずに衾を被っている妻の存在が対比されて実に面白いのです。

小歌を交えて情事を語るところは、艶っぽさに品格が備わった狂言ならではの演出だそう。


この『花子』という大曲は、狂言の集大成ともいわれるほど、狂言師にとっては目標であり課題である大切な曲。
まして艶っぽい物語故に、演じるにもそれ相応の年齢が必要です。
上演 約55分。


小笠原先生は18歳の時に狂言の世界の門を叩き、萬先生(現・人間国宝)より基本を教授されます。

今では萬狂言の関西支部代表として、和泉流の普及だけでなく、新作狂言の劇作や演出を積極的に行っておられるそうです。

また、佐渡島の和太鼓グループ"鼓童"の講師でもあり、そこで私の友達Y君も先生と出会いました。

小笠原先生の舞台は、動きも表情も大胆で細やか。
観ていて頼もしく感じます。

この先生に5年もの間弟子入りしたY君。
昔から芯のしっかりした真っ直ぐな性格でしたが、ますます礼儀正しく堂々とした男性に成長しました。

それは、小笠原先生あってこそ。
そして、古典芸能という特殊な世界の中で揉まれに揉まれた貴重な体験が、彼をより大きな人間へと導いたのだと思います。

小笠原先生、真に有難うございました。

そんな思いで、私も先生の記念すべき大舞台を観させて頂いたのです。


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