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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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スポーツの秋…今日は体育祭でした☆

今日は、香川県下の老人福祉施設が集まって、職員による体育祭がありました。

うちの施設からは私を含め6名が参加。
気持ちの良い秋晴れの下、日頃のストレス発散にと、よく食べ、よく喋り、よく笑いました。^^

そうです。o(^-^)o
参加した競技は、"玉入れ"・"借り物競争"・"パン食い競争"・"千本釣り"の4種目だけ。
後は、ず~っと皆でお喋りしていました~。(*^_^*)

体育祭の後も、近くのカフェでTea time♪

おかげで、せっかく楽になってきた胃袋は、又もパンク寸前です。(∋_∈)

く、苦しい~。><。。
あぁ~、学習能力はまるでなし。。。(T_T)

* * *

さて、今回の体育祭では、"千本釣り"という初めての競技が行われました。

それは、放射状に伸びた何十本ものロープの先を、その本数分のメンバーが手に持ちます。
参加者は、その立ち位置から動くことはできません。

ロープの真ん中にフックの先を付け、それで地面の獲物(この先にもフックが付いています)を釣り上げ、その時間を競うというものです。

今回の獲物は、ペットボトル5本。
メンバーが大きな声を掛け合って、引いたり押したり、上げたり下げたり、気持ちを合わせ上手く獲物を掬い上げなければなりません。

簡単そうに見えて、気が付けば汗が滲むほど集中していました。^^


実はこの競技、うちの施設の上司Kさんが提案したもの☆

Kさんは、似たような遊びからヒントを得て、お年寄りや障害のある方にも参加してもらえるものを編み出したのです。
もちろん、うちの施設内のお年寄りの運動会でも大人気!

今日だって、他の施設の職員さんも無我夢中で楽しんでいました。^^

さすがはKさん! この競技を取り入れて大正解!
これを自分の施設でもやってみようという声もちらほら聞こえ、香川県下の老人ホームで密かなブームの予感です?!

*子供達でも十分に楽しめると思いますよ~。^^


せっかくの思い出、
せめて一枚でも写真に納めれば良かったなぁ~と、今頃 残念に思っています。。。

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クラシックのお好きな方には、、、。

手前がモーツァルト記念碑、右がシューベルトのお墓です。
【'04.01.01】

『ウィーン中央墓地』

240ヘクタールもの広大な敷地に、音楽家や画家など多くの著名人を含めた300万人を超える人々のお墓があります。

中でも、「楽聖特別区」の"第32A区"には、ベートーベン、シューベルト、シュトラウス父子、ブラームスといった大作曲家たちが数多く眠っています。

敷地内の並木道は、映画「第三の男」に登場したもの。

* * *

「私が中央墓地へ行った時、すでに日が沈みがかった夕暮れ時でね、、、
とても怖くて、"一生懸命、歌の練習を頑張ります!"とだけ祈って、急いで墓地から出てきたわ。」

そう私に話すのは、関空からウィーンまでの飛行機の中、偶然隣りになった女性です。

屈託なく、マイペースでよく喋る人。^^
彼女は声楽のレッスンの為、パリへ渡航しているとのことでした。

「私、以前はウィーンに住んでたのよ。」
そんな彼女が、ウィーンの効外にある中央墓地を訪れた話をしてくれました。

「一人で行ったの?」
「まさか! 友達と一緒よ。その子の後ろに隠れながら、恐る恐るついていったの。」

ふ~ん、中央墓地かぁ~。。。
彼女が少し眠った間に、私はガイドブックを開いてみました。

《モーツァルト前後の時代、ウィーンを中心になんと数多くの音楽家たちが活躍したことだろうか。

宮廷や教会の中での音楽の位置付けが重要だったことが大きいが、現在でもヨーロッパでは宗教と音楽は密接につながっている。

プロテスタントの多いベルリンを本拠地とするベルリン・フィルではバッハやワーグナーの曲の演奏が好まれ、
カトリックの多いウィーンを本拠地とするウィーン・フィルではモーツァルトが好まれるというように。

私たちが当地で音楽鑑賞する場合、宗教の差異を少し頭にいれておくことも、また違う鑑賞の仕方ができるのではないだろうか。

その見方からすると、同時代ドイツで活躍したシューマンが、ウィーンでは殆んど活躍していないのも頷ける。》
「まっぷるマガジン ウィーン・プラハ・ブダペスト 2003-04」より

* * *

2004年1月1日。

シェーンブルン宮殿から市内へ戻った私は、次の行き先を考えていました。
モーツァルトがオペラ"フィガロの結婚"を作曲した「モーツァルトハウス(当時はフィガロハウス)」も、
ベートーベンが有名な第5交響曲"運命"などを作曲した「パスクァラティハウス」も、
やはり元日は休館なのです。(T_T)

美術館という気分でもなく、路面電車の停留所で、"う~ん"と腕を組み悩んでいました。

そして、あの彼女の話が頭に浮かびます。
『中央墓地』かぁ~、、、もし そこへ行くとしたら、どの電車に乗ればいいのだろう。

「すみません。 中央墓地へ行くには どの電車に、、、、」
ちょうど目の前にいた女性に声を掛けました。

彼女は私の言葉の最後までを聞かず、「これよ。 急いで!」そう叫んで、私の背中を押しました。

訳も分からないまま、"プシュー" ドアが締まります。

行くかどうか、まだ決めかねていたのに~。><。。
けれど これも何かの縁なのかと、そのまま墓地へ向かいました。


そこは、洋画に出てくるとおりの雰囲気です。
独特の空気が漂っています。
淋しい感じではあるけれど、決して気味の悪い場所ではありません。

ただ、天気も悪く薄暗い空の下、元日から墓地に訪れる人も少なくて、、、
真冬に一人で来る場所には相応しくなかったかも???しれませんね。^^;

キューピッドは私よ。

もう何年前になるだろう。。

大学2年の春、一学年上の"まぁくん"という仲の良い先輩がいました。
とても可愛らしい顔に、ユーモアと話題の多さで女の子達から結構人気があったと思います。

同じ高校出身で、同じく広島に住んでいたMegumiが、私の大学へ遊びに来た時のこと。
その まぁくんに一目惚れをしてしまったのです。

私に協力を求めるMegumi。
けれど私は、彼が彼女に気がないことを十分すぎるほど知っていました。

う~ん。。。
二人の間で悩みながら、、、
ある日、まぁくんが主催する郷土料理研究会の集まりに彼女を連れて行きました。

ここでも二人の間に座った私の居心地の悪さといったら。(∋_∈)

ですが、そこで3人の男の子と仲良くなります。 
その一人は、元々私と親しかったTaka。

Takaはすでに私に対してため口でしたので、遠慮のかけらもありません。
まぁくんが気になりながらも、ギクシャクしながら彼と一緒にいるよりはMegumiも楽しそうでした。


それから少し経った頃。
どうしても まぁくんを諦めきれない彼女は、私に彼の電話番号を聞いてきました。

う~ん。。。
MegumiにはTakaがお似合いのような気がする。。。

そこで私は、まぁくんではなく Takaの番号を教えました。
しかも、まぁくんの番号だということにして、、。 きゃは♪

きっとMegumiは胸を高鳴らせながらダイヤルしたと思います。^^
勿論、出てきた相手は、、、「はい、Takaです。」(*^_^*)

その時はびっくりして、すぐに電話を切ったそうですが、、。^^

それを期に、なんと二人は付き合うことになりました~☆

6年後、ゴールイン。(*^―^*)

* * *

「もう だいぶ落ち着いたので報告します。

実は、お子ができました。 5月に出産予定です。 

当の本人たちが一番びっくりって感じです。」

彼女らしい文章だわ。^^


結婚して10年近く。
半ば子供を諦めていた二人です。

良かった、本当に良かった。 おめでとう、Megumiさん!

キューピッドの私としても、とても嬉しい知らせでした~。o(^-^)o

ブーリン家の姉妹

歴史とは、一人一人の感情の積み重ねなんだなぁ~。

映画『ブーリン家の姉妹 (原題 : The Other Boleyn Girl)』を見て、改めてそう思いました。

そして、エリザベス1世の母「アン・ブーリン」がこれほどに野心家だったとは、、。
(もちろん、実際はどうだったか、、、?)

どちらかといえば、映画の中でアンの妹として描かれたメアリーの方が、今までの私の中のアン像でした。


時代に翻弄されつつも、自らの手で人生を切り開いていったアンを演じるのは、"宮廷画家ゴヤは見た"でもその才を見せつけた「ナタリー・ポートマン」。
平凡で穏やかな人生を望んだメアリーに、「スカーレット・ヨハンソン」。

そして、この二人の美の競演に、私も興味を示した一人です。(*^_^*)


アンの知的で挑発的な姿にまずは目がいくのですが、メアリーの柔らかな温かみに自然と心が和みます。
ヘンリー8世が最初メアリーに心惹かれ、最後まで彼女を信頼したのも分かるような気がします。

皮肉にも、姉妹で王の愛情を奪い合うことになるのですから、そこには嫉妬と憎悪が渦巻きます。
けれど姉妹であるからこそ、お互いを理解し、愛情と信頼で支え合う姿も印象的でした。
それを引き立てた二人の美貌が憎いです。^^

しかし、その二人が愛したヘンリー8世は、なんとも"しがない男"だこと。^^;


"最初に愛されたのは妹メアリー、王妃になったのは姉のアン。"

【時は16世紀イングランド。
20年にわたる夫婦生活で王女メアリーしかもうけることが出来なかったヘンリー8世の目下の関心事は、立派な男子の世継ぎをあげる事。

一族の富と権力を高めるため、振興貴族のトーマス・ブーリンは自慢の娘アンを差し出す。

しかし、王が目をとめたのは清楚で心優しい妹のメアリー。
姉より先に結婚したばかりのメアリーは夫と共に、王の愛人となるべく宮廷にあがる。

アンは姉でありながら、結婚も王の愛人という立場も妹に奪われてしまったのだ。

一族の発展のための企みが、次第にアンとメアリーの絆を、王の愛を巡る非情な対立へと変えていく。
メアリーの王への純粋な愛情を知りながら、容赦なく王の愛を求めるアン。

果たして王の寵愛を射止めるのは2人のどちらなのか・・・。】
(公式サイトより)


いつの時代も、男が時代を作っているようで、実はそれを陰で操る女の存在がある。

あぁ~、この映画は女の生き方をも考えさせられるものでした。



*実際は、メアリーはアンの姉であったようです。

そして、彼女達を道具にのしあがろうとしたブーリン家は、わずか4代前までは地方農民の家系だったとか。
だから、余計に地位や権力に憧れと執着があったのですね。


*この映画のおかげで、"イングランド国教会"がどういう流れで成立したのかを知ることができました。^^

私は見た。

映画の後、一枚、一枚、スクリーンに映し出される画家ゴヤの絵。
この映画でまさに命を吹き込まれたかのように、生きた姿で私の前に現れました。


『宮廷画家ゴヤは見た』

本来なら主人公であろうゴヤが狂言回しとして描かれ、
その彼の目を通して、一組の男女と、彼の生きた18世紀末から19世紀初めにかけてのスペインの動乱が生々しく映し出されています。

視点を少しずらしただけで、映画がこうも生きてくるなんて、ちょっと興味深い仕上がり。^^


私は子供の頃より絵画鑑賞が好きでした。
しかし、ゴヤの暗い作風はどこか馴染めず、あえて見てこなかったように思います。
きっと、最初に見た作品「我が子を食らうサトゥルヌス」が子供心にあまりにも衝撃的だったからでしょう。

この映画で、ゴヤのあの不気味な絵は、彼が架空に産み出したものではなく、彼が実際に見た悲しすぎる現実だったことを知らされました。


当時、隣国フランスでは"自由・平等・博愛"精神の下、フランス革命が勃発。
その時代に逆行するかのように、スペインでは異端審問所が存続し、
カトリック教徒以外の人々を異端と称し、連行拷問の末 強制的に自白させられ、火刑に処されるか異端審問所に送り込まれるか、、非人道的なことが日常に行われていたのです。

けれど、そのスペインにもフランス革命の波は押し寄せ、ナポレオンの指揮により古い王政は倒されます。

そのナポレオンによって弾圧されるスペイン民衆。
しかし、これもまたイギリスを中心とした反ナポレオン連合軍によって倒され、旧宗教勢力が復活するのですから皮肉なものですね。

・・・真実とは・・・。


その時代背景を、

かつて神父として異端審問を推し進め、「ある出来事」により国外逃亡を余儀なくされ、後にナポレオンにより検察官に任命されて再びスペインの地に戻ってきたロレンソと、

些細なことで異端とみなされ、15年間も牢の中に閉じ込められたせいで正気を失った美しくも悲しい娘イネスの数奇な運命と、

それを脇から見守ることしかできなかった宮廷画家ゴヤの視点から見事に復活させました。

権力やお金に執着し、時代に踊らされる人間の哀れさ、
それとは逆に、どんな時代でも力強く生き抜く人間の逞しさを表現した考えさせられる作品です。


ロレンソには、かつてアカデミー賞助演男優賞を受賞した"ハビエル・バルデム"。
堂々と汚れ役を演じきったイネス役に"ナタリー・ポートマン"。
フランシスコ・ゴヤ役には、時々見せるお茶目な笑顔が魅力の大ベテラン俳優"ステラン・スカルスガルド"。

そして、あの「アマデウス」の"ミロス・フォアマン"が監督なのですから、見て損はありません。

最後の最後、
全てに見放されたロレンソの手を握りしめ、心が壊れきった健気なイネスの歩き去る後ろ姿がなんとも印象的でした・・・。



歴史を知ることで、今の社会も垣間見れますね。
そして、自分の内面までも・・・。

ローマの夜☆

*古代ローマの象徴、コロッセオ(コロッセウム)【'06.01.01】


昨日、帰宅した私の目にとまったものが"格安イタリア周遊6日間"というチラシでした。

「もしかすると、picchukoがこの春にでも行くと思って、、。」と母。
「どこに そんな余裕があるの!」
「でも、せっかくだから行ってくればいいのに。 イタリア、好きでしょ。」

そう、私はザルツブルクの次にローマが大好きなのです☆(*^―^*)

イタリアを思い出した私は、早速フィリッパ・ジョルダーノの3枚目のアルバム「Prima Donna」を聴いています。
(このCD、大のお気に入りなのです。^^)

* * * * * * *

私の中にあるローマ、
一番に浮かんでくるのは、空港からホテルまで運んでくれたドライバーさんの顔。

ローマ到着が夜だった為に、この旅行では空港からの送迎を事前にお願いしていたのでした。
まだまだ嫁入り前の娘ですからね~。(笑)

そのドライバーさんは、まるで彫刻のように彫りが深く、漫画のようにひょうきんな顔。

「君がpicchukoだね。」
その一声から、爆弾トークは始まりました。
ちょっとしたイタリア語講座、彼オススメのピザ屋さん、ローマに来たなら必見の5つの教会、、etc。

そんなに一度に覚えられないよ~!(>_<)
思わず悲鳴をあげそうなほどの勢いでした。


彼は一度だけ東京に来たことがあります。

一人勝手に、お寿司を食べた時の話に盛り上がるイタリア男性。(^。^;)
目も爛々に輝いています。

あまりにも続くお寿司の話題に、
「よっぽどお寿司が好きなのねぇ~。」、半ば呆れて私は言いました。

彼は大きな目をますます見開いて、
「OH! Lovely、 lovely。。。」そう言って、私の頭を撫でました。

???????????(・ω・;)
彼は、どうも「私のこと好き?」と尋ねられたと勘違いしたようです。

そんなこと言わないよぉ~。 しかも、この話の流れでそれはないでしょ~。
二人で大笑い。(^O^)

最後の最後まで、彼は愉快な人でした。

* * *

そんなドライバーさんのちょっとしたお心遣い。^^

ホテル手前で少し寄り道をして、コロッセオのライトアップを見に連れていってくれました。

「どうだい、ロマンチックだろう?」
少し高台に車を停めて、彼は自慢気に指差しました。

その時の私は確かに笑顔で頷きましたが、
正直な感想として、"ぼぉ~"っと浮かび上がったコロッセオは、何とも言えず不気味な佇まい。
そういえば、闘技場であったコロッセオは、かつて多くの剣闘士がここで命を落とし、また公開殺人も行われた場所。
"わぁ~、綺麗!"、そんな単純なものではないのです。

後日調べてみると、
コロッセオは現在、死刑廃止イベントに使用されているそうです。
11/30の「死刑に反対する都市(Cities for Life)」の日、あるいは新たに死刑を廃止した国が出た時に、その記念としてライトアップされるのだとか。
2007年1月には、イラクのサダム・フセイン元大統領の処刑に抗議するために点灯されました。
(Wikipediaによる)


2005年12月30日、
私が見たそのライトアップの意味については知りませんが、
そのコロッセオの不気味さが、余計にドライバーさんの陽気さを引き立てたことは言うまでもありません。^^;

その思わず飛び出しそうな彼の瞳と共に、今でも忘れられないローマの夜です☆

油断ならない海外旅行。

*ローマの街角。【'06.01.01】


今でこそ あまり読まなくなりましたが、
数年前、私は色々な方達の海外旅行記ばかり貪り読んでいた時期がありました。

彼らの失敗談や恐い体験などを客観的に眺めることは、とても愉快で、そして非常に参考になるものばかりだったと思います。
それでも、おっちょこちょいの私は同じような失敗ばかり繰り返していますけど、、、。^^;

* * * * * * *

フィレンツェから列車(ESスター)でおよそ1時間半。
ルネッサンスの街から肥沃で広々としたトスカーナ風景を抜けると、そこは古代ロマンが今も息づくローマです。

昼前にテルテミ駅に着いた私は、その足で その日の宿泊先"HOTEL DEI CONSOLI('08.03.01日記)"へと急ぎました。

荷物を置いてすぐ、まず向かった先はヴァチカン市国。
サン・ピエトロ広場には、ローマ法王の姿を一目見ようと集まった大勢のカトリック信者でごった返していました。
その日が1月1日だったからです。
(注 : 元日は、サン・ピエトロ寺院とヴァチカン美術館には入れません。(T_T))

そこで予想以上に時間をとられた私は少々焦っていました。

コロッセオ、フォロ・ロマーノ、パンテオン神殿、"真実の口"で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会、トレヴィの泉、スペイン広場、、、
行きたい場所に限りがありません。^^
(注 : コロッセオもフォロ・ロマーノも、元日はやはり中へは入れません。(ToT))

真冬のヨーロッパは、夕方 日が暮れるのも早いです。
ただでさえ、どんよりとした曇り空。(;_;)
とにかく、移動時間をいかに短縮させるかが勝負でした。

リソルジメント広場のタクシー乗り場がホテルから一番近いことを、レセプションのお姉さんに教えてもらいました。
(いつもなら、「Could you call a taxi for me?」と頼んだでしょうけれど、その時はそれすら思いつかないほど慌てていました。)

スタンドで待つこと20分。
こういう時に限ってタクシーって来ないんですよね~。(>_<)

イライラ、イライラ。
懸命に他の手段を頭の中でぐるぐる、ぐるぐる。

その時です☆
「HEY♪ タクシーはこっちだよ!」
振り向くと、小肥りの中年のおじさんが手を挙げていました。

良かったぁ~~~。(^_^)
私は勇んでそのタクシーに飛び乗りました。^^

しばらくして、ふっと気付いたこと。
あれ? このタクシー、、、メーターがない。(―◇―;)
そういえば、彼はタクシースタンドではなく、少し離れた場所から私を呼んだ。。。(・ω・;)

これ、タクシーじゃな~い!!!(*`θ´*)

とにかく冷静に、
まずは目的地であるコロッセオに連れて行ってくれたら良しとしよう。
陽気に話し掛けてくるそのおじさん、しかし運転はかなり荒い人でした。

ひやひやし通しでしたが、無事コロッセオに到着。
「あの~、おいくらでしょうか~。。。」
「20ユーロだよ。」

走り去るその車には、タクシーの印など どこにも付いていませんでした。
やっぱり。。。(^_^;)
きっと本物のタクシーなら、およそ15ユーロの距離だったと思います。

* * *

海外での注意事項。
頭では分かっているはずのことでも、慌てたり戸惑ったりした時には"まんまと"落とし穴にハマることがあるということ。

まぁ、確かにこの時は1分1秒が惜しいくらいでしたから、いつまでもタクシーを待ちぼうけするよりは良かったのかもしれませんが、、、。
万が一、怪しげな場所に連れて行かれてたとしたら、、、。(>_<)


この年末、ザルツブルクは地図すら要らないほど慣れた街ではありますが、くれぐれも気を付けて行きたいと思います。

〈書く力〉

爽やかな秋晴れとは裏腹に、どことなく身体がだるく やる気の出ない今日この頃。
せっかくの日曜日、私は一日中 ごろごろとしておりました。^^;

本でも読もうかな。
そうして手にとったのが、随分と前に父から貰った『原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝著)』。

あぁ~~、今、読むんじゃなかった。。。(∋_∈)
ただでさえ元気のない時に、ますます落ち込んでしまいました。(T_T)

いえ、決してマイナスの気分になる本ではないのです。

この本は、

【「引用力」のためには、「書くための読書術」を身につけ、キーワードをつかむ。

「レジュメ力」のためには、キーフレーズを見つけ、書く前に設計図を作成する。

「構築力」のためには、三つのキーコンセプトをつくり、それらをつなぐ。

「立ち位置」をつけるには、自分の立場をはっきりさせ、オリジナリティある文体をつくる。

これら四つの力を磨けば、だれでもかならず「書く力」が身につく!】

という内容で、
さすが齋藤孝さんの文章はとても理解しやすく、これから「書く力」をトレーニングするには実に役立つものです。


ただ今の私には、自分の「書く力」のなさを改めて突きつけられたような気がして、"ずど~ん"と落ち込んでしまいました。

その上、自分の読解力のなさ、表現力の乏しさ、
その未熟さを素直に認めたくない部分、あえて気付かないようにしてきた部分がはっきりと見えてしまったのです。。


齋藤さんは"まえがき"で、
「もっとも大事なことは、"書く力"を身につけることで、読書力がつくだけではなく、これからの社会でもっとも必要とされる"考える力"をつけることができるということだ。」
と述べています。

今まで特に文章力を問われる職種ではなかっただけに、私の「書く力」も「考える力」も貧しい学生レベルのまま。

この本は、だからこそどのようにすれば「書く力」を身につけることができるのか、
その有難い道しるべのはずなのですが、、、、、

何故なのだろう。
社会人としての自分の能力のなさに、ものすご~く落ち込んでしまいました。


しかし、これは非常に勉強になる本には違いありません。

もう少し元気になった時、改めて読むことにしましょう。。。

◇吉村作治・エジプト展◇

以下、リーフレットより抜粋。

《2007年1月、ダハシュール北遺跡から「吉村作治調査隊が新たな未盗掘ミイラを発見!」というニュースが世界を駆け巡りました。
エジプト考古学史上でも過去に例がないといわれる夫婦ミイラの発掘。

さらに同年10月には、新たな親子ミイラの発見!という驚くべき快挙が成し遂げられました。

そして今回、発見されたばかりの3500年~4000年前の未盗掘木棺、「チャイの人型棺」「セベクハトとセネトイトエスの箱型棺」が日本で世界初公開されます。

本展では、これらの木棺と、「埋葬に関わる神々の像」、「ミイラ製作」「副葬品と死者供養」の遺物など、エジプトの国立カイロ博物館所蔵の至宝70点を加え、
「古代エジプトのミイラと埋葬」をテーマに展覧します。》


◇美術館「えき」KYOTO
2008年10月10日(金)~11月24日(月・振休)、会期中無休
開館時間 = 午前10時~午後8時 (最終日 : 午後5時)
入館締切 = 閉館30分前

* * * * * * *

フェスティバルホールにて、、オペラ「カルメン」18:10 終演。

京都行きの新快速は、毎時00、15、30、45分に大阪駅を発車します。
大阪~京都間、約30分。
18:30の列車に乗れるようなら京都へ行こう。

慣れない地下道を小走りで大阪駅へと向かいました。
息を切らしながら、10分後にはホーム到着。
何とか間に合いました。

美術館には19:10に着いたと思います。

入り口には、古代エジプトの神々の説明から始まっていました。

その神々の小像を過ぎると、ミイラ製作をする際に取り出した内臓を入れる"カノポス壺"が並びます。
それが何千年も前のものとは思えない美しさ。
これはカイロ博物館のコレクションです。

閉館まで僅かな時間。
入場者の少ないこの時間帯は、独り占めして見学することができますね。^^

ミイラ製作の手順を見て、今回 初公開の夫婦ミイラが入っていた木棺、親子ミイラの人型木棺との対面も、誰にも遠慮することなく、ゆっくりと見ることができました。

死後の世界と復活を信じた古代エジプト人の死生観に、ほんの少しですが向き合えた感じかな。

結構、面白い展示だったと思います。
ミイラに包帯を巻いた後、死後も自由に話しができるよう、最後に口開けの儀式を行うなんて、今回初めて知りましたし、、。


ただ、、さすがに疲れきった私は、せっかくの3連休の残り2日、殆んど家から出られませんでした。
気力なし。。。(T_T)

古代の霊に魂を抜き取られたのか、、
はたまた私の魂がエジプトまで飛んでいったのか、、。
こんなにも疲れる為に、わざわざ京都まで行った意味は???

はぁ~、明日からまた仕事です。。
なのに、まだまだバテ気味のpicchukoなのでありました。(∋_∈)

ローザンヌ歌劇場  『カルメン』 2008

これほど、あらゆる赤色が似合う女性はいないのではないだろうか。
それが私の持つカルメンの印象です。


『カルメン』という演目にも、カルメンで演奏される組曲にも、
昔から思い入れが深かった私は、今回のオペラ鑑賞は特別に期待していたものでした。

今回 残念なことに、カルメンを演じるはずだった"マリーナ・ドマシェンコ"が体調不良の為に来日できず、代わってフランス人の"ベアトリス・ユリア=モンゾン"が舞台に立ちました。
けれど彼女も又、数々の歌劇場で大成功を収めた実績を持ち、「カルメン歌いの第一人者」と目されているほどの歌い手です。

気が付くと、彼女演じるカルメンに大勢の観客が酔いしれていました。
最後には、ベアトリスというオペラ歌手なのか、本物のカルメンなのか分からないほど「カルメン」になりきっていたのです。
それほど舞台上での存在感も、カルメンの風貌もイメージにピッタリ。


これまでも、映画やTV、漫画などで繰り返しカルメンを見てきた私。
移り気で情熱的な彼女の魅力の虜になっているのは、何もドン・ホセや闘牛士エスカミーリョだけではありません。
この私もです!!

ですから、とりわけ この役にはこだわりがありました。
これほど納得のいくカルメンに出会えたこと、私は大満足です。^^

そして、真面目だけが取柄の、面白みがなく、ある一線を越えたら歯止めがきかない男、ドン・ホセ役を演じた"ルーベンス・ペリッツァーリ"も、
少し気取った雰囲気のエスカミーリョ役の"ミコワイ・ザラシンスキ"も適役だったと思います。

ホセの婚約者、ミカエラ役に扮したソプラノ歌手スイス人の"ブリギッテ・フール"の歌声も伸びがあり、観客から一際大きな拍手をもらっていました。

また、舞台演出が特に素晴らしく、その色合いや大道具にも「カルメン」の雰囲気がたっぷりでした。


小さな国スイスの一都市に過ぎないローザンヌ。
けれど、この劇場で上演されるプログラムの質の高さは世界に名を馳せているのだとか。

ますます要チェックの『ローザンヌ歌劇場』です♪^^

* * * * * * *

ご存知、オペラ『カルメン』の舞台はスペインの都市"セリビア"。

私の切なる願望として、、
いつか「IL DIVO」のメンバー、スペイン人カルロス出演の『カルメン』を観てみたいなぁ~、と思います。(*^―^*)

う~ん、彼はドン・ホセ役よりもエスカミーリョの方がお似合いかな?

今ではスイステナーのウルスが大好きと叫んでいる私ですが、
初めて「IL DIVO」の4人を見た時に、その姿と声で一番に私を魅了したのはカルロスでした。

あの黒い瞳と圧倒的な歌声が、私のストライクゾーンを突き抜けたのです。
彼がエスカミーリョなら、カルメンじゃなくても私だって間違いなくエスカミーリョに心変わりするわっ!! (*^_^*)
例え、ドン・ホセに刺し殺されようともね、、、。

こんなに素晴らしい舞台を観ながらも、時折 そんなことを考えていた私です。^^

ほんの少しだけ"京都"。

やはり私にとって、東京と大阪は世界一難解な街のようです。
今回も"サザエさん"のようなことを仕出かしてしまいました。^^;


新大阪駅に降りた私は、いつものように在来線乗り場へと足を速めていました。

というのも、只今 梅田の阪急百貨店にて北海道展が催されている情報を、ブログ友達「yorosiku!」さんが知らせて下さったからです。
*yorosiku!さん、わざわざ有難うございました。^^

"ロイズのチョコポテチも売ってますよ♪^^"
先日も書きましたように、私は大のチョコレート好き☆
そして、"じゃがいも"だって主食になってもいい程 大好きなのです。^^

私はオペラ「カルメン」の鑑賞を前に、これを買おうと浮き足だっておりました。

いつもと変わらぬ乗り場へと急ぎます。
そう、何度も乗り換えたはずの乗り場ですから迷いもしません。

ちょうど列車がホームに入っていましたので、特に何も考えず乗り込みました。

どうせ一駅。^^

列車はビュンビュン飛ばします。
いつもよりスピード出てるなぁ~、、と思っていたら、目の前をあるホームが通り過ぎました。

えっ?! 大阪駅は次の駅なのに???

よ~く見てみると、、σ(^◇^;)。。。
乗った列車は「米原行き」でした~。(T_T) しかも「新快速」!(ToT)

又も失敗!! 又もやってしまいました。
どうも新大阪駅でホームを間違えていたようです。

「たかつきぃ~、たかつきぃ~。」
高槻駅到着です。 トホ。。(T_T)(T_T)(T_T)

* * *

この列車の中で、何気なく見上げた一枚の広告。

「吉村作治の新発見! エジプト展 ~国立カイロ博物館所蔵品と~」

JR京都伊勢丹7F、"美術館「えき」KYOTO"で開かれています。
開館時間は10時から20時まで。
入館締め切りは閉館30分前です。

「カルメン」が18時頃に終演したら観に行けるかな。。。

ということで、19時も近くなってから京都駅まで足を伸ばしてみました。

行きしなに間違えた列車のおかげで、新大阪から京都まで新快速でたったの二駅だということが分かりましたから。
意外と近いのね~。^^

その帰りに京都駅で、ロイズのチョコポテチの代わりとして(?)、ゴディバのチョコレートを買いました。
勿体なくて、まだ 三ロほどしか食べていませんが。(*^_^*)

上機嫌♪

*ザルツブルクで最も賑わいのある通り"ゲトライデガッセ"のウィンドウにて。 【'07.12.31】


今日の私は上機嫌♪

少し気が早いかもしれませんが、年末年始の旅行計画が具体的になってきました。
年々 贅沢になってきたカウントダウンの過ごし方、、今年はその中でも最高の夜になりそうです。(o^―^o)

12/31の午後、ザルツブルクを離れ ドイツへと国境越え。
ミュンヘンを経由して、中世の面影を今に伝えるアウグスブルクへと向かいます。

アウグスブルクは、日本人好みのロマンチック街道の中でも特に人気の高い街。
モーツァルトのお父さんの故郷でもあるようです。
そして、私の親愛なるブログ友達「suhさん」が住んでらっしゃる街でもあります。^^


今年の元日には、suhさんがザルツブルクまで来て下さいました。
今回 又も無理をお願いして、今度は私がドイツへお邪魔することになったのです。

ドイツはとても興味のある国なのに、何故かこれまで縁がなかったんですよね~。
アウグスブルクがザルツブルクに勝るとも劣らない美しい街だということは、suhさんの日記からも十二分に伝わってきます。
帰国後に、このブログのタイトルが『I love Augsburg』に変わっているかもしれませんね?!(笑)

そのアウグスブルクの市立劇場で、大晦日の夜にロッシーニのオペラ「セリビアの理髪師」が上演されるとのこと。
お忙しい合間を縫って、suhさんがチケットを手配して下さいました。(*^―^*)

これは事前に予習をして、しっかりストーリーを頭に入れておかないとね♪
字幕なしのドイツ語上演??、、、ちょっぴり緊張、ワクワク倍増!!

上品に?(笑)芸術鑑賞した後は、
カウントダウン恒例、suhさんのご近所さん総出の花火の打ち上げに仲間入りさせて頂く予定です☆

* * *

今晩は、職場の仲良しさんと5人で、私のオススメ 韓国料理屋さんへ行くことになっています。

明後日からは3連休♪
土曜日は大阪へ、ローザンヌ歌劇場によるオペラ「カルメン」を観に行ってきま~す! ^^

秋といえば、"ロシア文学"?!

ツルゲーネフ・『はつ恋』。
長年 気になっていた小説を、昨晩ようやく読み終えることができました。

【16歳のウラジミールは、別荘で零落した公爵家の年上の令嬢ジナイーダと出会い、初めての恋に気も狂わんばかりの日々を迎える、、、
が、ある夜、ジナイーダのところへ忍んで行く父親の姿を目撃する・・・。

青春の途上で遭遇した少年の不思議な"はつ恋"のいきさつは、作者自身の一生を支配した血統上の呪いに裏づけられて、不気味な美しさを奏でている。

恋愛小説の古典に数えられる珠玉の名作。】


目眩を感じる甘美さと、不意に足元から掬われそうな危険を匂わせた恋物語。
読み進むに連れ、意外な展開に胸を高鳴らせながらページをめくりました。^^

恋する相手の掌の上で、一喜一憂する青年の心情が細かく丁寧に描かれています。
その振り回され方が面白い☆^^

16歳という多感な年頃。
そうですよね。
恋する相手の薄情な薄笑いに、悪戯を秘めたその目付きに、つい踊らされてしまうのも頷ける年頃です。(*^_^*)
(余談ですが、、、。
今だって、もしもウルスの視線を目の前にしたら、私は間違いなく自分を失い 溺れてしまうことでしょう。^^;)


そんな16歳。
私がその年頃には、高校の図書室でよく"詩集"を借りていました。
"ハイネ"に"ゲーテ"に"バイロン"など、、。

それらを読むというよりは、詩集を手にする自分に酔いしれていたと言う方が正しいのかもしれません。
そして、ちょっと古めかしい和訳の言い回しが、どことなく心地良かったのです。

その中でも、最もよく借りたのが「プーシキン詩集」。
プーシキン、、、ご存知、ロシアの詩人・作家です。

ただでさえ文学に疎い私ですので、ロシア文学など何一つ分からなくて当然ですが、
それでもプーシキンの巧みな表現が好きでした。
きっと訳し方も自然な流れだったのでしょう、、す~っと高校生だった私の中に入ってきました。

小説『はつ恋』の中には、そのプーシキンの一節がところどころに登場します。

ロシアの近代文学に最も影響を与えたプーシキン。
ツルゲーネフとて例外ではなさそうですね。

そして、この微妙な年頃にはプーシキンの響きが似合うのかも。。

秋が深まるこれからの季節、
木の葉が舞い散る頃合いに、もう一度「プーシキン詩集」を開いてみるのも悪くはないかなって思っています。^^

* * *


どんな結末でも、、、
"はつ恋"って、いつまでもいつまでも心の奥深くに住み着いているものなのですね~。

はて、、、?
私の"はつ恋"っていつだったのかしら、、、???(^。^;)

愛するチョコレート☆

毎日、一つずつ大切に食べてきたお土産のチョコレート。

残り僅かとなってきて、なんだか寂しい今日この頃です。。(;_;)

8月末のこと、親友「きょんさん」からスイスのチョコレートを戴きました。(写真、中央"GOLDKENN"&右"TOBLERONE")
そして9月には、新婚旅行のお土産にとN子さんからパリのチョコレートが届きました。(同、左"MAXiM'S DE PARIS)
どちらも伝統ある高級チョコレートです。^^

私、チョコレートが大好きなんです☆
それもヨーロッパのチョコレートが!
日本のチョコレートと少し甘みが違いますよね。

私の一番のお気に入りは、イタリアの"Baci~バッチチョコレート"。
バッチとはイタリア語で「キス」を意味するそうですが、少し苦味を秘めたその甘さが切ないですよね。
カルピスが初恋の味なのであれば、こちらは人知れぬ大人の恋の味とでも言いましょうか、、?!^^
ヘーゼルナッツとチョコのバランスも絶妙ですし。。

* * *

私がヨーロッパで買ってきたお土産で喜ばれたもの、それもやはりチョコレートでした。

まずは、ウィーンの老舗カフェ"DEMEL"。
さすがシシィ('08.10.03日記)が好んで食べたとあって、それは気品ある味わいなのでしょう。
(実は、私はまだ食べたことがありません。^^;)

そして、スイス・ルツェルンのお土産物屋さんで買ったチョコレートも大好評でした。
これは、↑に紹介したような世界的に有名なものではなく、極平凡な土産品。
それなのに、甘さに隠された塩気加減がほどよく口の中に広がります。


私、本当にチョコレートに目がないんです。^^

ですから、皆さん!!
またのお土産を、心より期待しておりますよ~!(≧◇≦)b

追伸 : オーストラリアの"Tim Tam"も大歓迎です!!(笑)

珠玉の贈り物 ~星の王子さま~

ブログ友達「nanaco☆さん」は驚くほどの読書家です。^^

7/8の彼女の日記で、サン・テグジュペリの名作『星の王子さま』のレビューを読ませて頂きました。

恥ずかしながら、こんなに有名なお話を、私は今まで開いたことすらありませんでした。

遠い記憶に、、
私がまだ幼い時分、確かTVでアニメ放映をしていたと思います。
主題歌は完璧に覚えているのですが、
内容は? となると、王子さまと真っ赤なバラが言い争っている場面しか私の中には残っていません。

nanaco☆さんが改めて紹介してくれなければ、私は一生 この作品に触れることはなかったでしょう。
*nanaco☆さん、どうもありがとう !

* * *

◇いちばんたいせつなことは、目には見えない◇
キツネから王子さまへの贈り物の言葉です。

キツネと王子さま、そして王子さまと僕が結んだ絆に、私も少し泣きたくなってしまいました。

◇きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠の責任を持つんだ◇
きみは忘れちゃいけない。

1ページ、また1ページ。
ページが進む度に、私までも王子さまとの別れが淋しくなってきて、
私と王子さまとの間にも、いつのまにか絆が結ばれていることに気が付きました。


私も時々は星空を見上げてみよう。

頭の真上にある王子さまの星☆
けれど、その星は小さすぎて どこにあるのか分からない。

夜空いっぱいの星のどれかひとつ。
だから、ぜんぶの星を見るのが好きになる。
ぜんぶの星が友達になる。
5億もの星たちの、鈴のような笑い声が夜空に響き渡るのだから。


◇子どもたちだけが、なにをさがしているのか、わかってるんだね◇
と王子さま。


この物語の"僕"であり、"王子さま"でもあったサン・テグジュペリは、今もこの広い星空を泳いでいるんだろうな。

そして、こう呟いているんだろうな。

◇それがどんなに大事なことかは、おとなには、ぜんぜんわからないだろう◇
ホント、おとなって、まったくどうかしてるね。


そんな大人達へ、サン・テグジュペリからの珠玉の贈り物。
それが、『星の王子さま』なのです。

『Smile Please !』~藤原紀香写真展~

8年前のこと。
私が国際NGO『フォスター・プラン』を通して、僅かながら毎月の寄付を始めた時、
「その団体って信頼できるの?」
「自分が良かれと思って寄付しても、それがきちんと活かされているのか疑問に思わない?」
と友達から聞かれたことがあります。

勿論、きちんとした活動報告や決算報告も頂いています。
けれど、私にはそんなことはどちらでもいいのです。

その内の"1円"でもいい、何かの役に立っているのなら、、。
今はまだ何もできていない私に代わって、活動を続ける団体を応援することから始めたいと思ったのです。

* * *

昨日の夕方、私は高松市にある天満屋デパートへと車を走らせました。

只今7Fの催し会場にて、藤原紀香さんの写真展『Smile Please!』が開催中です。(13日まで)

02年にアフガニスタン、04年にプライベートでカンボジアを訪れた際に撮った写真、そしてアフガンの子供達からの手紙など約100点が展示されています。

そこには地雷で手足を失った子供達、
両脇が地雷源の細道を歩く人達の姿もあります。

そして、それらには輝く笑顔が写し出されていました。

その笑顔を前にした時、
私はこんなに恵まれているのに、最近"ちっとも"笑顔になっていないことに気付きました。


実は、近頃の私は随分と気分が滅入っていたのです。

職場において、私の頭の上を多くの悪口や陰口が飛び交う毎日。
"いい加減にして!"と叫びたい程、うんざりしていました。

なにも私の耳に入ってくるのは私の悪口ではありません。
しかし、その場にいない者が陰口を叩かれるのであれば、席を立てば 次は私が言われている番だということも容易に想像できます。
人間不信にさえ陥りそうでした。

私の悪口ならまだしも、他人の悪口に同意を求められることが、
いえ、とにかく悪口を聞いていること自体が耐えられないのです。

そのような場所で、苦笑こそすれ 笑顔になるなんてこと、、。

ストレスの溜まった私は、きっと他の人に八つ当たりをしていたでしょうし、
思わず車の運転も荒くなり、昨日の仕事帰りには 大きくクラクションを鳴らされてしまいました。^^;


そんなムシャクシャした気分の中、
腕のない少女や片足を失った少年のその笑顔から、私の方が救われを感じたのです。
目頭が熱くなるのが分かります。

アフガニスタンでの10日間の取材を終えた紀香さんは、自宅で白いご飯とお味噌汁を口にした時、思わず涙が出てきたとありました。
私達の当たり前の生活が、世界では決して当たり前ではないことを痛感したと。

私は、そんな彼女の写真を見て涙しそうになりました。


『ありがとう。』
何故だか分からないけれど、彼女と彼女が出逢った世界の子供達に、何度もそう伝えたい気持ちになりました。

長い間の内戦で全てを失った子供達の、
医療も教育も行き届かない環境の中、それでも片道2時間もかけて 地雷と隣り合わせの道を喜び勇んで学校に通う子供達の、
その眩しい笑顔のおかげで、私の心も少し強くなれたような気がします。


『私って、意外と強いじゃない!』
"強い"ということは、"何かできる"ということです。


ほんの数時間前、自分の周りだけのちっぽけな悩みと憂鬱を持って高松へと走りました。

"もっと真剣に何ができるかを考えなくては。"
"「いつか」ではなく、「今から」始めることを見つけなければ。"
同じ悩みでも、他人の為の大きな悩みというものは喜びに繋がるのですね。

帰りには私、すっかり元気になれました。


紀香さん、そしてアフガニスタンやカンボジアの子供達へ
『心を込めて、どうもありがとう。』^^


*展示会による収益や寄付はすべて各NGOを通じて、アフガ二スタン・カンボジアの教育支援事業の資金に充てられるそうです。

3歳の誕生日。

そういえば、、、

このブログに、ヨンサマの赤ちゃん時代の写真を何枚か載せましたけど、クリスの写真はまだでしたよね。^^

これは、クリスが我が家に来て2、3日目、
生後4ヶ月の写真です。(o^―^o)


あの頃のクリスは大変 大人しく、どの子よりも か弱そうに見えました。
それが有難いことに、一度も病気にかかることなく、明るく元気に育ってくれました。

そして、本日 無事に3歳を迎えることができました。

『クリス、お誕生日おめでとう。』(^з^)-☆Chu!!


こうやって、改めて幼い頃の写真を見ると、
いつの間に こんなに大きく逞しくなったのだろうかと、何だか不思議な感じです。(*^_^*)

最近は、自分より1歳半もお兄ちゃんであるヨンサマに意地悪をする程 "やんちゃ"なクリスになりました。(^。^;)

そして、誰からも好かれる健気で愛くるしいクリスに成長しました。


クリスとヨンサマの仲良し兄弟。(血は繋がっていませんが。^^)
これからも、彼らは私にとってかけがえのない宝物です。(*^―^*)

拝啓、 シシィ様

「随分と髪が伸びたわねぇ。」
最近、色んな方からそう言われます。^^

髪をおろすと、ウェスト近くまであるでしょうか、、。


大学生の頃はよく髪型を変えていた飽き性の私ですが、10kg程痩せたのを期に、真面目に(?)髪を伸ばし始めました。
これほど長くなったのは子供時代以来かもしれません。


その理由の一つが、
オーストリア=ハンガリー帝国皇后「エリザベート(シシィ)」の黒髪の豊かさに惚れてしまったからです。(*^_^*)

もちろん、彼女の美貌は当時ヨーロッパ宮廷一と謳われていましたので、その気品ある容姿の美しさから彼女に惹かれたことも否めません。

身長172cm、ウェスト50cm、体重50kg。
ウェストの細さは驚きですが、見た目はそれほど痩せ身を思わせず、ほどよい肉付きとバランス、女性の丸みを感じます。


けれど私にとって、彼女の一番の魅力はその黒髪なのです。

長く豊かな黒髪。

ほどよくウェーブのかかった黒髪。

自然な美しさを讃える黒髪。

彼女の白い肌には、その黒髪の輝きがよく映えていますよね。^^

* * *

昔は私、人一倍多く粗い自分の髪がとても嫌いでした。
お下げに結ぶと、私の髪の量が人の倍ほどあることは一目瞭然。
まとまり難く、非常に重いですし、、。


そんな私ですが、シシィの立ち姿を見て、自分の黒髪を少しだけ好きになれました。

流行りの髪型にはとってもとっても不向きなのですが(^_^;)、
その昔、豊かな髪が何故に洋の東西を問わず人を惹き付けてきたのか、、
それがシシィを見て分かったからです。



その他の容姿はさておき、、(T_T)
いつかシシィの髪型をして、愛するウルスにエスコートされ、ウィーンの社交界にデビューしたいですね~。

って、私はいつの時代の人だろう、、???(*^_^*)

お目覚めに♪

*ザルツブルク、ミラベル庭園にて 【'07.07.16】


おはようございます。

今日から10月。
外は台風の影響で雨が降っていますけど、気持ちだけは晴れ晴れと前向きでありたいですよね。^^


モーニングコーヒーを飲み、今はゆったりと音楽に耳を傾けています。
珍しくクラシックが聴きたくなって。。

曲名は『フルート四重奏』、モーツァルト作曲です。

以前の日記(07/12/17)で紹介したザルツブルクの「Hotel Mozart」で戴いたこのCD。
モーツァルトが天才モーツァルトたる所以を証明してくれたCDです。
(宜しければ、その日記も一緒にお読み下さい。^^)

久しぶりにそれを流してみて、朝がこんなに清々しいものになるなんて、、と少し驚いています。

中学時代、クラシック音楽にはまったことのある私ですが、正直 モーツァルトは私の好みではありませんでした。
ザルツブルクを訪れてからですね、彼の音楽の素晴らしさを体感できたのは!!

ヒュ~♪、ヒュルルル~ル~ヒュルル~♪
小鳥のさえずりにも似た、陽気で優しい音色達が心地良いのです。^^

この曲、、、
1777年、音楽愛好家であり、自身もフルートを吹くというオランダの裕福な商人ド・ジャンに頼まれて、
少しでも収入が欲しかったモーツァルトがそれに応じて出来上がったもの。
当時、彼は21歳でした。

けれど、実はモーツァルトはフルートの音色が嫌いだったようです。
1778年2月の父に宛てた手紙に、
「我慢できない楽器のための作曲をずっと続けなければならないと、お分かりのように僕はうんざりしてしまうんです。」と漏らしているそうです。^^;
~Wikipediaより引用~

さすがは天才モーツァルト☆
どんなに苦手な音色でも、これほど見事な音楽に仕上げるのですからね。

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