I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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昨日 出会った不思議な人。

《晝間(ひるま)の雪も納まって、色とりどりのスキー客の姿もない。
夜の帳(とばり)と共に静寂が訪れる。

どこからともなく射し込む月の光に誘われて、精霊の踊りが始まりそうな澄んだ夜である。
そんな期待を胸に秘めながら、私は、じっと山小屋の窓辺に腰を下ろし待っていた。》

東山魁夷画&詩「月光」  山形県・蔵王  1998年 麻布彩色
(香川県立 東山魁夷せとうち美術館所蔵)


*この作品は東山画伯晩年のもの。
その次の年、画伯は90歳の生涯を静かに閉じました。
1999年11月、第30回日展に出品、最後の日展出品昨となりました。

* * *

ちょうど私が『月光』の前に立ち止まった時、一人の女性が声を掛けてきました。

「これ、億がつくほどの絵の具が使われているそうですよ。」
それは、まるで半分は独り言のように、ボソボソっと繰り返しました。

「億がつくほど高価な絵の具なんですって。」

億~? あぁ、絵の具の値段のことね。
(一瞬私は、何億種類の絵の具を使って描かれたのかと勘違いしました。^^;)

よく見れば、無数の深い青の表情の上に目立たない金箔を散らせてあります。


「どうも、今回の展示会の中で これが一番素晴らしい作品のようですよ。」
彼女は勝手に続けます。

「美術館の人に聞いたんです。
一番はこの『月光』、二番目に価値があるのは『松庭』、三番目は2Fの出口間際.....これは楽しみの為に言わないでおきますね。」

*『松庭』は、東山画伯らしくない???大胆な構図と色遣いで、大画面いっぱいに生命力あふれる松の木が描かれています。
こちらも当館所蔵です。

「へぇ~、そうなんですかぁ~。」
絵の価値と私の好みに若干の差があるなぁ~と思いつつ、相づちを打ちました。

「美術館に来たら、まずは その美術館の人に尋ねてみるといいんです。」
それも名画を見落とさないコツかなぁ~と頷きながら聞いていました。

「こんなに作品を間近で見られる美術館って他には少ないですよね。」
「そうですね~。」
絵にくっつくほど顔を近づけ、画伯の筆の流れを感じようと、私は作品に見入っていました。

「蔵王かぁ~。こんなに美しい世界があるなんて凄いなぁ~。」
「これは"リトグラフ"じゃなく、本物だしねぇ。」
彼女はひとり呟きます。


「額縁も凄いでしょ!」

億が付くほど値打ちのある絵の具に気を取られ、全体像をまだ見ていなかった私は、彼女の言葉に一歩下がりました。
まるで彼女に誘導されているかのような鑑賞です。(*^_^*)

それは渋いシルバーで品格があり、内側は落ち着いたゴールドで絵を囲んでいました。
見るからに高価そうな額縁です。

周りの作品を見渡しても、これほどの額縁が使われているものはありません。

又も私は感心して、夢中で眺めながら「お詳しいですね~。」と振り返ってみると、
すでに彼女はそこにはおらず、2Fへの階段を勢いよく駆け上っておりました。^^


不思議な人。。。

突然現れて、言いたいことだけ言って、そして消えていった人。

おかげで、いつもとは違う名画との触れ合いができました。。。
が、やはり不思議な人でした。

後で別の人に伺ったのですが、
この『月光』という作品は、90歳を迎えて大作を描けなくなった画伯が精魂込めて仕上げたものなのだとか。


いつもは観客がまばらな小さな美術館。
それが、昨日は岡山からも大型バス2台で多くの方が観に来られていました。

急な思いつきで訪れた場所で、思いもよらない貴重なお話に出会えた面白いひとときでした。^^


〈展覧会のご案内〉

現在、"東山魁夷せとうち美術館"では、
第3期テーマ作品展『白雪にかがやく静寂な光景 & 心の投影/水に移る情景』が開催中です。
来年1月25日(日)まで。

第4期テーマ作品展は、『京都慕情/都のすがた―とどめおかまし & 高原を歩く』です。
こちらは、1月28日から。

この美術館だけの為に、遠くからわざわざ香川に来られるには、あまりにも小さ過ぎる美術館ですが、
もし近くまで来られることがありましたら、足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

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世界中に感謝の花束を。

今日、私は36歳の誕生日を迎えました。


段々と年齢を重ねるにつれ、誕生日を迎えるのが あまり嬉しくないという方もいらっしゃるでしょう。

けれど私にとって、子供の頃と全く変わらず、一年で最も嬉しい日☆...それが誕生日です。^^


今が人生で一番いい時だと思うのです。


それは30代だからというのではなく、、、

小学生の頃から、私は「今が人生で最高の時」と感じておりました。


"あの頃は楽しかったなぁ~!"という時代は山ほどありますが、

だから その時代に戻りたいかというと やはりそうではなく、

それぞれの「今」が一番いいのです。


これって、なによりも幸せなことですよね。^^


改めてまして、今までお世話になった全ての皆さんに、「ありがとう」を届けたい。。。

世界中の方々に感謝をする日。

誕生日とは、そういう一日にしたいと思っています。



*↑の写真は、ニュージーランドのクライストチャーチ大聖堂・・・毎年2月に開催される「フラワーフェスティバル」にて。
撮影は、私の親友Chieko。
'02年夏の模様です。

僕も 2年待ちました。

「僕も "IL DIVO" のメンバーになれる~?」

つい先日、長く伸び放題だった毛を、ペット美容室でカットしてもらったばかりのクリスです。^^


クリスは0歳の時から、毎晩のように"IL DIVO"の音楽を聴いて大きくなりました。

いつか僕も仲間になれるよね。(*^_^*)

その日を夢見て、クリスは日々 発声練習に励んでおります。

彼らを発掘した敏腕プロデューサー・サイモンさんが、どうか "うちのクリス"をスカウトしてくれますように。(笑)

* * * * * * *

本日、"IL DIVO"の4thアルバム『THE PROMISE』が日本でも発売されました☆

前作から2年ぶりです。
多くのファンが、この日をどれほど待ちわびたことでしょう。


私は まだ"アメイジング・グレイス"しか聴いていませんが、すでに とろけてしまいそうな響きです。*^^*

このアルバムの感想は後日 改めて。
これから暫く、彼らの歌声に酔いしれようと思います。 では。(*^―^*)

:*:*:*:

《 THE PROMISE 》


1. The Power of Love (愛の救世主)

2. La Promessa ~ ラ・プロメッサ

3. ADAGIO ~ アダージョ

4. HALLELUJAH ~ ハレルヤ

5. L'alba del Mongo (世界の夜明け)

6. ENAMORADO ~ エナモラード (恋して)

7. ANGELINA ~ アンジェリーナ

8. The Winner Takes It All ~ ザ・ウィナー

9. La Luna ~ ラ・ルーナ

10.She

11.Amazing Grace ~ アメイジング・グレイス

12.With You I'm Born Again

来年に向けて、、

*これは、皆さんに送った今年の年賀状です。


来年の年賀状のデザインが完成しました。

表だけは手書きで、、というのが私のこだわりですので、
まだまだ これからが大変です。

けれど、ひとまず ほっ。。。^^


テーマはもちろん「ザルツブルグ」♪
普通なら来年の干支をモチーフにするのでしょうけれど・・・。^^;

ここ数年、写真と文字だけの味気ない年賀状でした。
ですので、今回は絵の具を引っ張り出して 慣れない手つきでイタズラ描きをしてみました。

決して満足のいく仕上がりにはなりませんでしたが、"私らしいかな~"っていうデザインになったと思います。

そして、"私らしく"、かなり子供っぽくなったかも・・・。^^;

後5日で。

*7~8年前に飛行機から撮った『富士山』の写真です。

この写真は、ワーホリで9ヶ月間 ニュージーランドへ渡った時も、家族や友達の写真と一緒に鞄に入れて行きました。^^

* * *

36回目の誕生日を後5日に控え、今朝はとても素晴らしい夢を見ました。(o^―^o)


それは職場の仲間達と共に富士登山をする夢です。

何合目からかは覚えていませんが、かなり下の方から登り始めたと思います。

険しい道のりをなんとか頂上までたどり着き、、、
でも、気が付けば辺りは真っ暗。

その暗闇から、眩いばかりの真っ赤な日の出が顔を出してくれたのです。

詳しいことは全く覚えていませんが、その赤い太陽だけは夢とは思えない輝きでした。(*^―^*)


36歳☆
最高に充実した一年になるといいな。^^

「宗教改革」後

さて、アウグスブルク中央駅から南東へ2km、マクシミリアン通りを南に行くと『聖ウルリヒ&アフラ教会』があります。

1555年、ルター派の信仰が認められた「アウグスブルクの宗教和議」を記念してつくられました。

これは、カトリックとプロテスタントの異宗派の教会が同居するという、世界でも非常に珍しい教会です。

* * *

参考までに、、

「聖ウルリヒ」とは、10世紀のアウグスブルク司教です。

当時、キリスト教徒は金曜日の夜に肉を食べることを禁じられていました。
ある木曜日の夜、友人の司教と一緒にウルリッヒ司教は肉を食べました。
次の日、彼に会いにきたバイエルン大公の使者に、「帰途の途中に食べるがいい」とその肉の残りを与えます。
大公にウルリッヒ司教を悪く吹き込もうと企んだ使者は、「司教は金曜の夜に肉を食べていました」と与えられた肉を証拠として差し出しました。
ところが、その肉がいつのまにか魚に変わっていたという逸話が残されています。


また、304年に殉教した「聖アフラ」は、もとは娼婦でした。

キリスト教迫害の為に追放されたスペインのへローナの司教が、アウグスブルクの彼女の母の家に泊まった時に改心しました。
そして、過去の罪を償い、どのような苦しみも甘んじて忍びました。
ある日、キリスト教信者であることを訴えられたアフラは、異教徒の裁判官にローマの神々に犠牲を捧げるよう命じられます。
「私の体は罪に汚れていますから、苦しんでもかまいません。しかし、偶像を拝んで私の心を汚すことはできません」と信仰を守り通し、火刑に処せられました。


『聖ウルリヒ&アフラ教会』には、その「聖ウルリヒ」と「聖アフラ」の墓所があります。


* * * * * * *

「アウグスブルクの宗教和議」で宗教紛争は平静が保たれたかのように見えましたが、、、

この和議は、諸侯と都市に信仰の自由を認めたもので、個人の信仰の自由が認められたわけではありませんでした。

住民は支配者が選択した宗派を選ばなければならなかったのです。

その後も続く宗教戦争。
今では当り前の個人による信仰の自由、、これを得るまでには長い年月と多くの血が流されたのですねぇ。。。

「宗教改革の街・アウグスブルク」は、思う以上に重い歴史を抱えているようです。

フッガー家のもう一つの素顔と、「宗教改革」

昨日はフッガー家のプラスの顔を紹介しましたが、今日はその莫大な富を得たもう一つの素顔を。


アウグスブルクにフッガー一族が登場するのは、織工として農村から出てきたハンス・フッガーが始まりです。

その息子ヤコブの時代に、まずはヴェネチアとの交易で利益を得ました。

その頃ヨーロッパでは、すでにローマ教皇をトップにした支配網が組み上げられていました。

しかし16世紀になると、イギリスやフランスでは王の中央集権化が進み、教皇の権威も徐々に衰退していきます。

ただ、各地の諸侯の力が強く中央集権化が進まなかったドイツでは、依然 教皇の支配力は強く、ドイツから送られる金銭は教皇の貴重な財源になっていました。

交易で富を築いたフッガーは金融業にも進出し、政治・宗教にも深く関わってきます。
そして銀・銅の発掘権も手に入れて、ますます力をつけていきました。

フッガー家は高利貸しとして、ハプスブルク家やローマ教皇、神聖ローマ皇帝にも多額の金銭を貸し出します。

サン・ピエトロ大聖堂の改修資金を借りたローマ教皇でしたが、その頃 財政難だったローマ教皇庁では高額の利子さえも払えません。

そこで、苦肉の策として考え出されたのが「贖宥符(しょくゆうふ)」。
それは、「この贖宥符を買うことで過去の罪が消され、天国へ行ける」というもの。

ドイツで売り出された贖宥符の売上の半分はフッガーへの借金返済に使われました。

(シェイクスピアの「ベニスの商人」に出てくる高利貸しのユダヤ人゛シャイロック"は、もしかしてフッガー家がモデルなのでしょうか? ・苦笑)

* * *

この腐敗・堕落した教会を改革しようとした運動が、゛マルティン・ルター"で有名な「宗教改革」です!

ローマ教皇の大規模な贖宥符の発売に反対した神学教授ルターが、ウィッテンベルク教会の門扉に「95ヶ条の質問状」を掲げたことがその始まり。

ルターは、「聖書を唯一の典拠として信仰の問題を決定すべきである」と主張しました。

ローマ教皇は激怒し、ルターは「アウグスブルク」でその使節団から尋問を受けたのだとか。
その場所が、フッガーの屋敷でした。

その後 長年に亘って続いた宗教・政治権力抗争で内乱状態だったドイツ。

内乱終結の「アウグスブルクの宗教和議」により、
プロテスタントもカトリック教会と同様に、信教の自由の地位を保証されることとなったのです。


「アウグスブルク」と「フッガー家」は、「宗教改革」とは切っても切れない関係なのですね~。^^

これが、('08.10.29日記)に書いた"宗教と音楽との関わり"や、
('08.10.26日記)の映画鑑賞「ブーリン家の姉妹」にも描かれた"イングランド国教会"の誕生にも影響を与えるのですから、私的には非常に興味深い歴史です。^^

大富豪フッガー家と福祉住宅

ウィーンには世界で最初の公営集合住宅「カール・マルクス・ホーフ」があります。
オーストリアが第一次大戦で敗戦した後、社会主義体制の下で労働者のために住宅が供給されました。
それは、ナチス・ドイツの影響を受けた保守派の政府軍と労働者が争った砦になったことでも有名です。

その「カール・マルクス・ホーフ」よりもさらに400年も昔。
すでにドイツのアウグスブルクでは、豪商フッガー家の当主 ヤコブ・フッガーが慈善事業として資金を提供し、生活に窮する市民の為の福祉住宅「フッゲライ」を建設しました。
1521年のことです。

驚くことに、今もそこでは150名もの人々が生活をし、その家賃は当時のまま「年間 88セント(100~150円)」なのだとか!!!

「フッゲライ」の中には、教会に学校、病院、図書館、そしてお土産物屋さんまであるのだそう。^^  
博物館も併設されています。
67軒に区分された長屋に140ものアパートがあり、1部屋の広さは60平方メートルです。

では、ここに入る為の条件とは !
まず、カトリック教徒であること。 
そして、アウグスブルク市民であることと、借金はないが生活が貧していることだそうです。
(むむむ、、、今の私では無理なのね。。。^^;)

そして、この「フッゲライ」には今から300年もの昔、モーツァルトの曾祖父゛フランツ・モーツァルト"が10年近く住んでいました。
モーツァルトの曾おじいちゃんは、ここで生活しながら大工頭をしていたそうですよ。^^

その当時のままの厨房や居室、寝室は「フッゲライ」にある博物館で見学することができます。

* * * * * * *

世界の大富豪のお金の使い方って勉強になりますよね。^^

決して自分の為だけには使わない、生きたお金の使い方を知っている方達だからお金に裏切られないのですね。

きっとお金にも感情があるんです。
小さな欲にとらわれず、多くの人を喜ばすために使ってくれる人の下へ、お金は沢山の友達と幸せを連れてやってくるようです。

アウグスブルクのフッガー家は、その後 次第に力を失ってしまいましたが、今も貴族として存続しています。

モーツァルト縁の地

「モーツァルトの街」と呼ばれる都市 …
それは、生まれ故郷のザルツブルク、音楽の都ウィーン、そしてドイツのアウグスブルクです。


私が幼い頃、モーツァルトの生涯をドラマ化したものがTVで放送されました。

そこには、映画「アマデウス」に出てくるような彼の才能とあまりにもギャップのある人格ではなく、スマートでハンサムなモーツァルトが描かれていました。
(実際の彼の容姿と性格は、きっと「アマデウス」に近かったのでしょうけれど…?・笑)

丸一日放送されたにもかかわらず、私の周りにその番組を記憶している人は誰もいませんので、もしかすると私の幻だったかもしれません、、、。

でも、とても強く印象に残っているのです。

20年以上も経って、彼の足跡が残るウィーンの路地裏を覗いた時、゛わぁ~、懐かしい!"ってその時の映像を思い出しました。

きっと、昔から私はモーツァルトが好きだったのでしょうね。

彼の音楽というより、むしろ彼自身に惹かれていたのだと思います。


そんなモーツァルトと縁のある街、アウグスブルク。

彼の祖先がアウグスブルク地方の出身で、今ではその地区のことを「Schwabischer Mozartwinkel = モーツァルトの一角」と呼んでいるそうです。

彼らモーツァルト一族は、大工や彫り物師などの職人や音楽家として古くからこの地で活動しており、1719年に後の天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父「レオポルト・モーツァルト」が生まれました。

゛Frauentorstraβe = フランエントア通り"にはレオポルトの生家が残されています。


大作曲家モーツァルトがこのアウグスブルクを訪れたのは、1763年、1766年、1777年、1781年、1790年の5回。

親戚に会いに来たり、演奏会を開いたり、、、、そして、私のように単なる観光でも訪れたことがあるようです。^^

市庁舎の゛黄金の間"に大聖堂など、街の至る所で彼を感じることができるかもしれませんね。

* * *

かつてウィーンを訪れた私は、その気高さからオーストリアという国に魅了され、それがザルツブルクの旅へとつながりました。

そのザルツブルクから、次は国境を越えてアウグスブルクへ。

まるでモーツァルトの人生を遡るような私の旅。

彼の音楽の持つ明るさや気品は、モーツァルト縁の地を踏むたびに私の中で ますます深まっていくようです。^^

ザルツブルグ発 - アウグスブルグ行き♪

*誰もいない 雪のミラベル庭園より、ホーエンザルツブルグ城塞を仰ぐ。【'07.12.31】


ドイツとの国境に程近いザルツブルグ↑から列車で およそ2時間20分。
そこは、ドイツで最も国土の広いバイエルン州で3番目に大きな都市アウグスブルグです。

紀元前15年に造られたという、国内で最も古い街のひとつ。

つい先日、年末の鉄道スケジュールが決まったとの連絡がありました。
今回は切符の手配も旅行会社にお願いしてあります。 振込みOK!

早速、時刻表とにらめっこ。^^
ザルツブルグを12/31の午後に出発、アウグスブルグには16時過ぎに到着予定です。
短い時間ですが、しっかりバイエルン地方を満喫したいなぁ~、と思っております。

今はワクワクしながらガイドブックをめくる私。(*^―^*)

アウグスブルグは、ルネッサンス時代の街並みが連なる、本当に美しい街なのですね~。
なんたって、ロマンチック街道ですもの。(*^_^*)
素敵な出逢いがあれば帰国しませんからね~!!!(爆)

もうすぐ沢山の写真を撮って このブログでも紹介しますから、楽しみに待っていて下さい☆^^


明日から少し、アウグスブルグについて記していきたいと思います。
まだ見ぬ土地ではありますが、古い歴史を誇る街ですので しっかりとした予習が必要です。

どうか、皆さんもお付き合い下さいませ。^^

もう少しだけ寝させてよ~!

寒くなってきた今日この頃、、

うちの愛犬ヨンサマは、朝起きるのがとても辛くなりました。

「もっと暖かい毛布にくるまっていたいよぉ~!!」

寝ぼけ眼(まなこ)で舌を半分出しながら、起こしにきた私をウラメシそうに見上げます。

「もう少しだけ寝させてよ~~~!」


朝からテンションの高いクリスだけは、元気よく裏庭で走り回っております。


どちらも可愛い私の息子?です。(*^_^*)

アンナ・タタンジェロ

待ちに待った"IL DIVO"4thアルバム「THE PROMISE」発売(日本は今月26日)を前に、新たにお気に入りのミュージシャンを見つけようとPCに向かいました。

これから始まる本格的な冬に相応しい声量と幅のある声質の歌手がいいな。^^
できれば、私に衝撃を与えた"フィリッパ・ジョルダーノ"のような圧倒的歌唱力を持つ女性シンガーで、
英語よりは、もっと深みのあるイタリア語やフランス語の歌ならなおさらOK♪

そこで、フィリッパ・ジョルダーノも出場したことのある、イタリアの若手歌手の登竜門「サンレモ音楽祭」を検索してみました。

おぉ~、さすがはイタリアン・ポップス界注目のコンテスト。
あの"アンドレア・ボチェッリ"も新人賞を受賞しています。(*^_^*)

何気なく その中から一枚、私の好みに合いそうなアルバムを購入してみました。


洋楽好きな方、イタリア好きな方は もうとっくにご存知かな。
2002年のサンレモ音楽祭新人賞受賞者「Anna Tatangelo~アンナ・タタンジェロ」☆
1987年生まれ、イタリアはラツィオ州出身です。

昨年発売された彼女の3枚目のアルバムを選びました。

『Mai dire mai』↑

なんともセクシーな写真ですよね~。
まだ二十歳そこそこなのに すでにこの美貌と色気と存在感の持ち主。
ドキドキしちゃいますね。(*^_^*)

歌声も私の期待を裏切らず、スケールの大きな歌唱力を惜しむことなく聴かせてくれます。

アップテンポな曲を織り混ぜながら、哀愁漂う しっとりとしたバラードに、たちまちファンになってしまいました!^^

お気に入りは 一曲目『il mio amico』、
彼女の曲をプロデュースしている「Gigi D'Alessio~ジジ・ダレッシオ」の作品です。

mio=my、amico=friend ですから友達への歌でしょうか。。。?
ilとmioの活用からすると、Boyfriend~?
(イタリア語に詳しい方、どなたか教えて下さいませ。^^)

呟くように、語りかけるように その曲は始まり、次第に心を抉るほどの盛り上りへと流れていきます。
彼女の声質だからこそ、最高の仕上がりになったのでしょう。


これは これは、早速 彼女の1st&2ndアルバムもチェックしなくちゃ!!!

彼女の歌声の素晴らしさはもちろん、曲そのものにも恵まれたシンガーですね。
超~オススメ~~~♪^^

明るく元気な作品たち。

こちらも坂田先生による作品の数々。

全て かまぼこ板に描かれています。
先生の手に掛かると、ちょっとした遊び心が素敵な作品に仕上がります。^^

* * *

私の出身高校は、中高一貫の進学校。
(私は高校からの入学組です。)

坂田先生は、そこで中学生に美術を教えていらっしゃいます。


中学時代まで美術が得意だと自負していた私は、
高校3年になったばかりのある日、それまで話すらしたことのなかった坂田先生に自分の絵を持って行きました。

確か、自分の手をデッサンしたものだったと覚えています。

「先生、私の絵を見て下さい。」
そこから、私と坂田先生の繋がりができました。^^



今も変わらず、先生の下には沢山の子供達が絵や図工を習いに集まってきます。

先生の明るく元気な作品は、子供達に無限の可能性をプレゼントしてくれるのです。^^

ニャンとも、、^^

こちらも坂田先生の作品です。^^

かまぼこ板の上の猫。
後ろの二匹は紙粘土で作られています。


ニャンとも、可愛い猫ちゃんでしょ~。(*^―^*)

芸術は長し☆

*坂田福子先生画、 『オンフルールの猫』(水彩・色鉛筆)
私、この絵を囲む額縁も気に入ってるんです。^^


《人生は短く 芸術は長し》
この言葉は、私が高校を卒業する時、恩師の坂田先生から戴いたものです。


「やっと会えたわねぇ~!!!」
そう言いながら 大きく両手を広げてくれたのは、高校生の私に絵を教えて下さった坂田先生でした。
なんと、10年以上ぶりの再会です。^^

毎年 先生から年賀状が届く度に、"今年こそは会いに行こう!"と思いつつ、月日だけが過ぎていき、、、。

そんな中、先生から一枚の葉書が届きました。
「お元気ですか? 女子美の元気な女性達とグループ展に参加します。
一度、会いたいネ。」

『ヴィーナスたちの108年』と題して、
香川県在住の女子美術大学同窓生による作品展が、高松市美術館において 昨日まで開催されていました。
今まで先生にお会いするタイミングを逃してきた私は、これは絶好のチャンスだと思いました。

ドキドキしながら、高松へと車を走らせます。(*^_^*)

先生、お変わりないかな~? ^^
そぉ~っと会場を覗いてみると、、 、わぁ~!昔のまま! 全然変ってないわぁ~!!

当時から元気いっぱいでイキイキとしていた先生、ますます輝いて見えました。
お母さんというには若過ぎる先生、少し年の離れたお姉さんといった感じです。o^―^o


主にデザインを専攻されていた先生の作品は、大胆な構図に鮮やかな色彩、ユニークな発想が非常に魅力的。
そして、何より見る人に元気を分けてくれます。^^
線に迷いがないところも、観ていて気持ちがいいですね。

先生は、私の憧れの芸術家でもあります☆

久々に先生の絵に触れて、私の中の何かが弾けました!


「見に来てくれてありがとう。 とっても嬉しかった。
貴女も描きませんか? 私もまだこれからです。」
先生からのメールです。

そして、最後にはやはりこの一文が、、
《人生は短く 芸術は長し》です。^^


*"私のブログに先生の作品を載せてもいいですか?"とお願いしたところ、気持ち良くOKの返事を戴きました。

↑の作品以外にも、写真に撮らせて頂いたものが数点あります。
特に、猫好きな先生ならではの可愛い作品を明日以降も紹介したいと思います!!

坂田先生、ありがとうございます。(*^―^*)

懐かしい出会い。

*旧山田寺仏頭(国宝)

私、この顔に似た人、知ってるんです。^^


《旧山田寺は奈良県桜井市にあったお寺で、蘇我氏の一族であり、持統・元明両天皇のお祖父さんである蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀に建てられました。

その山田寺の本尊薬師如来像を、1187年に興福寺の僧兵が強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えたそうです。\(◎o◎)/

室町時代に東金堂の火災の際に焼け落ち、仏頭だけがかろうじて残りました。》
以上、Wikipediaより抜粋

* * *

11/24(月・祝)まで、興福寺では国宝(五重塔と南円堂)が特別公開されています。
*南円堂は重要文化財、本尊の不空羂索観音菩薩坐像が国宝です。


正倉院展や国宝展が開催される この時期(特に休日)、奈良の町では どこも大勢の人達でごった返しています。

東大寺の大仏さまの"鼻の穴"を潜るのだって、幼い子供達がずら~っと並んでいるのですから、、、
ふぅ~、思わず溜め息が出てしまいます。^^;


最後に訪れた興福寺でも、五重塔をぐるっと囲んだ人の群れにうんざりとし、
とにかく、国宝館に納められている「阿修羅像」だけ見て帰ろう、そうM子と二人話し合いました。

しかし、ここで余分なチケットを購入してしまい、結局 東金堂と南円堂の中に入る為に列の後ろに回る羽目になります。
五重塔は諦めました。(∋_∈)

慣れない人混みと疲れから、クタクタになっていた私です。
そんな私に安らぎを与えてくれたのが、↑の仏頭でした。^^

国宝館で阿修羅像を見た私は、「仏頭の前にいるからね~」とM子に言い残し、
一人 ぼぉ~~~っとこの仏像と向き合っておりました。

昨日の日記に書きましたように、仏像に願い事をするのではなく、ただ ぼぉ~っと眺めていただけです。


何なんだろう、この安心感。

そうだ! この仏さま、私がかつて好きだった人に似てるんだ!!(爆)

その人はとても心の深い人で、まっすぐに見つめる瞳が印象的でした。^^
その視線に、幾度 恥ずかしく俯いたことか、、。

もちろん、この仏さまには瞳が描かれていませんので、恥ずかしがらずに真正面から堂々と見つめることができます。

ホント、似てるんだな~。(*^_^*)

その彼とはもう二度と会うことはないでしょうが、全てを見透し 支えてくれたその広い心が この仏さまの静かな表情と重なって、懐かしさと安心感で私を包んでくれました。

古都奈良の町での意外な出会い。。。



これにて、奈良の旅日記は終了です。
ありがとうございました。^^

もしや、私はユダヤ人?!

*東大寺大仏殿 八角燈籠(国宝)

大仏殿の手前にある「八角燈籠」は東大寺創建当初のもので、
各扉に菩薩と獅子が菱格子の透かし地に浮き彫りされており、歴史的にも芸術的にも非常に価値のあるものです。

私は大学時代、芸術学の授業でその価値の高さを知りました。
大仏さまをすぐ前にして、多くの観光客は この素晴らしい工芸品の前を素通りして行きます。
なんだか勿体ないです。

先日も、「八角燈籠」を囲んで見入っていた人の殆んどが海外からの観光客でした。
彼らは、ガイドブックなどでしっかりと予習をして来たのでしょうね。^^

* * * * * * *

"奈良の大仏さま"と親しまれる「毘盧遮那仏」に、

俯き手を合わせる人。
大仏さまのお顔を見上げながら、じ~っと見つめる人。
そのお姿を一生懸命 カメラに収めている人。
各人の有り様を眺めるのも面白いものです。^^

「picchuちゃん、ちゃんとお願い事した?」
お詣りを終えたM子は、そう私に話し掛けてきました。

実は私、願い事は一切していません。
ただひたすらに大仏さまを見つめるM子の横顔があまりに美しく、その姿に見とれていました。^^

では、その為に願い事をしなかったのかというと、そうではないのです。

* * *

ヨーロッパを旅するようになって、歴史と宗教・芸術の関わりの深さから、聖書を知ることの必要性を感じました。

ある時、手塚治虫さんの漫画「旧約聖書物語」を読んだことがあります。

その中に出てくる「モーセの十戒」、
それが大仏さまを前にした時、何故か脳裏に浮かんできました。

まさか、神様からのお告げ!!(爆)

~あなたは、私をおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。~

ユダヤ教は徹底的な偶像拒否、唯一神信仰の宗教です。

もちろん、私はユダヤ教徒ではありません。
けれど、大仏さまに形上 手を合わせはしましたが、祈ることはできませんでした。

私は過去世にユダヤ人だったのか、
はたまた遠い祖先がそうだったのか、、^^

シナイ山から戻らないモーセに痺れをきらせたイスラエルの民が、金の偶像を造って神様からお叱りを受けた場面が頭から離れず、
せっかく奈良の大仏さまを目の前にしているにもかかわらず、私は妙なこだわりに縛られてしまいました。

遠い遠い昔、金の偶像を造った張本人は もしかして私かも?(笑)

いやぁ~、元ユダヤ人ならもう少し賢くないとおかしいし、、。

しかし、どうして そんなことが頭に浮かんできたのでしょう。
全くもって、変な私です。^^;

日本のミケランジェロ。

*東大寺南大門 金剛力士像"阿形像"の力強い足です !


徒然草の"仁和寺にある法師"にならないように、奈良国立博物館を後にした私達は、そのまま人の流れに従って「東大寺」へと向かいました。^^

その東大寺南大門の「金剛力士像」、これほど迫力があったとは、、、!!!

「うわぁ~!」 見上げた私は、思わず声が出ました。

東大寺参詣はこれが六度目。
その度にこの仁王門を潜っていたはずなのに、これほど衝撃を受けたのは初めてでした。

肉体美といいますか、盛り上がった筋肉と 今にも動き出しそうな躍動感。
呑み込まれそうなその表情に、すぐには その場を立ち去ることはできませんでした。

日本のミケランジェロ☆
いえ、ミケランジェロに勝る勢いだと私は思います。


これほどまでに逞しく、人間以上に人間臭い仁王像の誕生の背景には、源平争乱当時の平清盛による寺院の焼き討ちがあったのだとか。
その動乱期に末法思想が結びつき、民衆の間には現実社会への不安がますます広がっていった時代。
ですから、この時代(平安末期~鎌倉時代)の仏像は、どこまでも人間臭い、喜怒哀楽を彫ったものが多いそうです。


大仏師「運慶」は、人々の魂を救おうと仏像作りを決心します。

運慶が13人の小仏師を率いて、この2対の仁王像を手掛けました。
その期間、70日弱。
高さ8.4m、重さ6トンもの巨大像です。


その2対の内、私は阿形(口を開いた像)から特に気迫を感じました。

阿形は、一切の始まりを表し、息を吸い込む姿。
対する吽形は、一切の終わりを意味し、息を吐き出す姿です。


"阿吽の呼吸"の真ん中で、厳しく睨み付ける仁王像に、ただただ恐れ入るばかりの私でした。
日本の仏教美術の素晴らしさに、改めて気付かされた一瞬です。

◇正倉院◇

正倉院展を回った後、奈良国立博物館の庭先でお抹茶を一服 戴きました。

ふぅ~。
池に垂れ下がったモミジの葉は まだ青々としていましたが、少し離れた場所には赤く色づき始めた木も見られ、秋の深まりを感じるひとときでした。^^

あと半月もすれば紅葉も見頃になるでしょう。
一年で最も気持ちのいい季節ですね。

* * *

せっかく正倉院展まで来たのですから、その宝物を1000年以上に亘って保管してきた『正倉院』へ足を運ぶことにしました。

今回 初めて知ったことですが、
今では固有名詞化している「正倉院」、実は"正税を収める倉"として その他の南都七大寺にも同じように存在していたようです。

その中で東大寺のものだけが残り、「正倉院」といえば東大寺大仏殿の北西に位置する倉を指すようになりました。


現在、正倉院の中に入ることはできませんが、校倉造りで有名なその外観を見ることはできます。

*公開時間は午前10時から午後3時まで。
土曜・日曜・祝日、そして年末年始はお休みです。
正倉院展期間中は、特別に無休で午後4時まで開かれています。


静かに佇むその姿は、長い長い間 多くの貴重な宝物を守り続けてきた誇りを秘めているようでした。

笑えます。^^

『椰子実』・・・
これは、ココヤシの殻の凹凸を利用して、人の顔にした容器です。
(直径11.8cm、重さ170g、小さくて可愛らしい品ですよ。^^)

発芽孔を広げて口にし、眉や目、瞳を描き、中は漆のようなものを塗っています。

南方から海流に乗って漂着したのを日本で加工したとか、
はたまた、南方産の製品が輸入されたとか、、、。

* * *

正倉院展へと続く長い列に並びながら、「読売新聞2008年10月特別号"正倉院展へ行こう!"」を手にしました。

一面には、『平螺鈿背八画鏡~へいらでんはいのはっかくきょう』という螺鈿飾りの鏡と↑の『椰子実』の写真が取り上げられています。

眩いほど見事な鏡は勿論のこと、そのユーモラスな表情で思いの外 存在感をアピール?していたのが、剽軽で笑いを誘うこの人面容器でした。^^


博物館の中は、当然ながら押し合い圧し合い、一つひとつの展示物に近付く為にはかなりの労力を要します。

聖武天皇遺愛の宝物、
大仏様への捧げ物、
天平文化の華やかさを垣間見れる 当時の貴族達の装身具、
そして、聖武天皇の一周忌法会で用いられた品々など、
どれもこれも目を見張る宝物が続きます。

最初は張り切って見ていた私も、人いきれと疲れに負けて 次第に集中力が欠けていくのが分かりました。^^;

そんな後半戦、誰もが"ほっ"と息をつけるように、この『椰子実』が置かれているのです。

「あっ、これだよ。^^」 思わず微笑む見物客。

遠く奈良時代の人達も、これを見て、きっと同じように笑顔になったのでしょうね、、。^^

* * * * * * *

そして、沢山の人が興味津々に眺めていた展示物が、『続修正倉院古文書 第十九巻』に収められている写経所に勤務する写経生の休暇願いや欠勤届けでした。


「親族の誰々が亡くなったので3日間休みを下さい。」

「病気で3日の休みを貰っていたが、まだ治らない為、後5日休みを伸ばして欲しい。」

「今、治療をしなければ命にかかわる。」

他にも、屋根の修理の為に休暇を下さいなど、今も昔も休暇を貰うためには一生懸命 理由付けが必要だったようです。^^


それと並んで、
「写経所への出仕を怠りました。
以後、昼夜を問わずに仕事に邁進するので、今回は許してほしい。」(必死!)
などという始末書までも!!

当時もなかなか大変だったのですね。(笑)


ただ、ここで驚いたのが、その届け出が記された紙。
まるで、つい何十年か前に書かれたように感じるほど綺麗に保管されているのです。

これらを書いた写経生は、まさか1200年以上も経って、これほど見事に自分の字が残っているなんて、
いえ、それ以上に自分の不始末を後世の人に笑われるなんてこと、絶対に思ってもいなかったでしょう~。

笑えます。^^

《すべての道はローマに通ずる》

756年(奈良時代)に聖武天皇がお亡くなりになった後、光明皇后が東大寺の大仏様に遺品を捧げたことが正倉院宝物のはじまりです。

今年で60回目を迎える「正倉院展」。
およそ9000件ほどもある宝物のうち、過去に出陳されたものは述べ4000件にも及ぶのだとか。

その中にシルクロードを通って運ばれてきたものが数多くあることは、あまりにも知られていることですよね。


シルクロードとは、ローマと長安(現:西安)を結ぶ交易の道。
草原・砂漠・海といった各々のルートを通って、東から西へは絹・香料・陶磁器など、西から東へは主に工芸品が運ばれていきました。

その"シルクロードの東の終着点"がこの正倉院です。

* * * * * * *

↑の写真は、正倉院の貴重な宝物の中でも人気の高い『白瑠璃碗~はくるりのわん』。
(口径12cm、高さ8.5cm、重さ485g)

カットグラスの碗です。


説明によると、

【ササン朝ペルシャ(226~651年、現在のイラン)から伝わったガラス器で、
シルクロードの交易を示す品として、第1回正倉院展で展示されました。

外側に円形のカットが80個施され、凹レンズ状のカット面から円形の連なりが美しく透けて見えます。


イランや大阪府羽曳野市の安閑天皇陵(6世紀)から似た器が出土。

古墳時代には日本に来ていた可能性があり、最古の正倉院宝物かもしれません。】


ガラス器は、ササン朝ペルシャの輸出商品だったようです。
ガラス容器を作る技は古代ローマから伝わっていましたが、それを壊れにくいように厚めにして、円やかめの甲羅のような形に細工しました。

イラン国立博物館にも同じようなガラス器が納められています。
それは、長い間 土の中に埋まっているうちにガラスが風化して、すでに透明なままではありません。
それと比べ、今も変わらず輝きを放ち続ける『白瑠璃碗』の美しさは、正倉院の凄さを堂々と伝えています。

* * *

初めて『白瑠璃碗』を目の前にした時、やはり私も例外ではなく、その鈍く気高い輝きに思わず息を呑みました。

人の波に押されながら会場を一巡した後、もう一度 振り返ってみると。。。

「ローマだ!」 一瞬、そう思いました。

現在のイランのものだと説明にはありますが、私の中では正に「ローマ」だったのです。
すべての道はローマに通じていますしね☆^^


遥かなる古代ローマを連想させる そのガラス器は、見る度に違う表情を見せてくれました。

角度やその時の私の感情で、輝きも形さえも変わって見えます。


また会いたいな。
そう思わされる、素晴らしい宝物との出会いだったと、、、今 改めて振り返っています。^^

奈良の旅。

*奈良といえば「大仏さま」!
確か、奈良東大寺の大仏殿は世界一の木造建築物ですよね。
(ちなみに、NZ贔屓の私から一言。
第二位は、NZの首都・ウェリントンにある"旧政府公邸"です。^^
こちらは現在、ビクトリア大学の法学部校舎として使われています。)


この日の奈良は爽やかな青空が広がって、ゆっくりと雲が流れていました。

日向に出ると、ぽかぽかとして気持ち良く、、、。


早朝6時50分に岡山を出発した私達は、奈良国立博物館の開館時刻である9時前に到着していました。

近鉄奈良駅を出ると、どこから集まってきたのか大勢の人々が、、。
間違いなく、その殆んどが「正倉院展」を観に来ていたのでしょうね~。

博物館では すでに長蛇の列ができており、待ち時間"60分"の表示が目に入ります。

事前に前売り券を用意していて大正解。
それだけでも、随分と待ち時間が異なってくると思います。

*前売券発売 :
ローソンチケット・電子チケットぴあ・ファミリーマート・サークルKサンクス・JTB・日本旅行・
JR東海ツアーズ・近畿日本ツーリスト・e+・セブンイレブン


並ぶこと30分弱。
思ったより早く入場できましたが、会場内も人の山で溢れかえっておりました。

やっぱり・・・。(∋_∈)

「正倉院展」は、体調を整えてから観に行くことをオススメします。^^

* * * * * * *

今回の旅のコースは、
『奈良国立博物館 → 東大寺大仏殿 → 正倉院 → 興福寺』

途中、何度も休憩をしての道のりでしたが、かなりの体力を消耗してしまいました。

クタクタ。ボロボロ。(T_T)

けれど、それは歩き疲れや人混みの多さの為だけではなく、感動と驚きの大きさ故だったと思います。

それらを少しずつ皆さんにお伝えできれば、、、嬉しいです。^^


改めて、◇奈良◇へ行って良かったなぁ~。

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