I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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「幻影師アイゼンハイム」

公式サイトより
【19世紀末ウィーン。
ハプスブルク帝国末期の芸術文化の都では、大掛かりな奇術=イリュージョンが一世を風靡していた。
中でも絶大な人気を誇っていたのは、アイゼンハイムという名の幻影師。

ある日彼は舞台の上で、幼なじみのソフィと再会する。
今では、皇太子の婚約者として注目を集める彼女は、その後ほどなく皇太子邸で謎の死を遂げてしまう。
謀殺の噂も沸き立つ一大スキャンダルのさ中、アイゼンハイムはソフィの幻影を蘇らせる前代未聞のイリュージョンを発表するのだが…。

果たして彼女の死の真相は?】



「ウィーン」・「ハプスブルク家」・「マイヤーリンク事件」

この3つが背景にある映画『幻影師アイゼンハイム』。
昨年末、ブログ友達のnanaco☆さんの日記で紹介されて以来、ずっと気になっていました。
ましてその魅力たっぷりのレビューに、私は胸の高鳴りを感じながらDVDを手にしました。
*nanaco☆さん、いつもありがとう!!!(o^―^o)

主人公アイゼンハイム役"エドワード・ノートン"の演技は言うまでもなく、ヒロインを演じた"ジェシカ・ビール"、
警部ウール役であり、この話のナレーターとしての役割も果たす"ポール・ジアマッティ"、
そして、皇太子レオポルト役の"ルーファス・シーウェル"、
その主軸となる彼らの存在感と、アイゼンハイムが放つイリュージョンの数々に、それはまるで私までも一観客として19世紀末ウィーンに迷い込んだかのよう。

たぶん、この映画を観た方は誰しもレオポルトに嫌悪感を抱くと思うのですが、
なんといってもレオポルトのモデルはエリザベート皇后の一人息子「ルドルフ」なのですから、彼から目を離すことはできません。(笑)

「マイヤーリンク事件」が元となった映画といえば、古く「うたかたの恋(1935年・フランス)」が有名ですが、
そこではルドルフが主役ですし、彼自身の恋物語が描かれているのですからマイナスのイメージはないと思います。

ところが、この映画の中での皇太子のなんて嫌味なヤツだこと!!
思わずルドルフ(映画の中ではレオポルト)自身を見下すところでした。
これでは、アイゼンハイムとソフィの恋路を応援したくなるのも当然です。(笑)

ただ、マイヤーリンクといえばルドルフとマリーとの心中が頭にあった為に、この役どころには驚きました。
そして、映画は単なる恋愛ものだけでなく、当時のオーストリアとハンガリーの微妙な関係、皇帝と皇太子の確執、皇太子の神経質な性格など、上手く要所に織り交ぜているなぁ、、、と感心しまくり。
皇太子の鼻の下の髭までもね。(^^)/

本当のルドルフはもっと誠実な人だと信じているのですが、、、、。
保守的な皇帝に対して時代の先を読み革新的だった皇太子、この二人の対立が行き詰まって選んだ結果を、映画の最後の部分できちんと匂わせています。

と、ついつい本題から逸れてしまうほど、皇太子役に注目していた私です。(笑)


ですが、エドワード・ノートンのあの深い瞳と、映画そのものがイリュージョンの雰囲気たっぷりの、黄昏にある世紀末ウィーンの情景にしばし浸っていたのも事実。

愛し合う二人の美しいシーンも、まるで幻の中にいる錯覚を抱かせる描き方で私は好きです。

石畳に響く馬の蹄の音も、色褪せた背景によく似合います。

そして、ラストの爽快な驚き。
あの走馬灯のような流れも好きです。

アイゼンハイムの魔術に、もう一度掛かってみたくなる摩訶不思議な映画でした。^^

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母よ、、、。

昨日ご紹介した「善楽寺」の本堂向いには、「子安地蔵堂」があります。
ここは子宝祈願をはじめ、安産・子育て・水子供養の祈願に多くの方々がお参りされます。
(注:↑の写真は違います。)

今の私には縁の薄いお地蔵さまですが(笑)、
それを横目に、本堂でお線香と蝋燭に火を灯す母を見ながら、"ふっ"と昔のことを思い出しました。

* * * * * * *

母は、ある意味とても教育熱心だったと思います。
私は3歳からピアノを始めましたし、4~5歳からはお習字と絵のお稽古へ通っていました。
そして私が物心ついた頃には、自分の母校である県下でも指折りの高校を受験するよう言い渡されておりました。
今でこそ それがさほど重要ではないことを知っていますが、当時は学歴さえ高ければ人生なんとかなると信じこんでいたようです。(笑)


小学校の入学式の日から、私の大きなランドセルには母の願いが込められた「お守り」が吊り下げられていました。
それは、自我が芽生えてきた高学年になっても同じこと。
中学生になってからも、その「お守り」は常に私と共にありました。

中学3年生のある日の放課後のことでした。
どういう流れでそうなったのかは忘れてしまいましたが、私は「お守り」の中を開けてしまいました。

あまりにも母がその「お守り」にこだわるので、私はその中が一体何なのか 長い間 気になっていたのです。

ちょっとバチ当りなことをしたかなぁ~と思いつつ、、、、、
その中からは、なにやら呪文のような文句と、母の「高校合格祈願」の思いが込められた紙が出てきました。

ふ~ん、、、と元に戻そうとした時、ある4文字が目に飛び込んできました。

『安 産 祈 願』

絶句!! (@@
見間違いかしら???  いえいえ、何度読み返しても「安産祈願」と書かれてあります。
小学1年生ならまだしも、中学3年生の私にはその意味するところは十分に理解できます。(笑)

え~!!!!! 私ったら、9年間も「安産」のお守りを肌身離さず持っていたってことぉ~!!!!!
それも、まだまだ子供の時分にです。 しかも、高校受験を祈願するが為に…。(爆)

その後、あの「お守り」を私はどうしたのでしょう。
あの時の驚きばかりが記憶に残って、それ以外のことは殆ど覚えておりません。^^


母よ、、、、、。
安産よりも、合格祈願よりも、、、、、私にとっては「天然防止祈願」であって欲しかった…。(^^;

第30番 善楽寺(ぜんらくじ)

'09.02.22参詣  高知県高知市


高校3年の春のこと、ある事情で学校を退学することになった友達に会う為に、私は校外模試をさぼって高知市内へ出掛けました。^^

私学に通った私の周りには、県外から来た友達が何人もいました。
高知出身の彼女もそのひとり。


それは雨降りの日だったように覚えています。
傘の下、二人で第30番札所「安楽寺」へお参りし、大学受験の合格を祈願しました。
高知城から歩いていける距離だったと思います。

ところが、最近手にした本にはどれも第30番札所は「善楽寺」とあります!!!

なんで~、なんで~????? 
私は何度も首をひねりました。┐(’~`;)┌

* * *

土佐で最も古くから開けた「善楽寺」は、明治元年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
それにより、本尊である阿弥陀如来は「安楽寺」へ、大師像は「国分寺」へ移されました。

昭和4年、大師像や寺宝が戻り、善楽寺は第30番札所として復興します。
ところが、安楽寺へ渡った本尊はかえってこない。。。。。
そればかりか、安楽寺までもが第30番の札所を名乗り一歩も譲らないものですから、、、
さぁ~、大変☆☆☆

当時、2ヶ所もある第30番は遍路迷わせの札所として有名だったようです。

数々の揉め事や裁判までも経て、平成6年1月1日に第30番札所は「善楽寺」、その奥の院が「安楽寺」として今日に至っているそうです。
善楽寺が認められた理由とは、「四国の札所は大師の霊跡が主体で、遍路はその霊跡を一途に慕い歩くのである」とのこと。
これでお大師さまもホッとされたかしらね。^^

私が安楽寺を訪れたのは平成2年のこと。
そんな背景を知らない私達は、ただ素直に手を合わせて帰りました。



写真は、名誉を挽回した(笑)善楽寺の本堂です。

ここでは大型バスでやって来たお遍路さんでいっぱいでした。
墨書をしてくださるお坊さんは、高く積み上げられた納経帳を前に必死で筆を走らせていました。
ご苦労さまです~。(^^)

第29番 国分寺

'09.02.22参詣  高知県南国市


写真は、第29番札所「国分寺」の金堂(本堂)です。

さすがは聖武天皇の勅願によって建てられたお寺だけのこと、
他の霊場とは、格式が一段違うことが雰囲気からして伝わってきます。

4つの県の「国分寺」を比べてみるのも、当時のそれぞれの国勢を知れて面白いかな~って思いました。
ちなみに、徳島県は第15番、愛媛県は第59番、香川県では第80番の札所となっております。


この高知の国分寺には、聖武天皇自らが金光明最勝王経を書写して納められ、後に弘法大師によって真言宗の寺として中興し、近年では長宗我部氏や山之内家の庇護を受けて栄えたそうです。

それだけに、お寺全体が清楚でかつ堂々とした佇まいを見せてくれ、心地良い澄んだ空気が頬を掠めます。


本尊千手観世音菩薩を祀る本堂は、長宗我部元親によって1558年に再建されました。
柿(こけら)茸きの屋根と天平文化に模した寄棟造りが特徴です。

この屋根は、30年に一度は葺き替えをしなければ持たないそうで、その木材は岐阜県から取り寄せているのだとか。
岐阜県といっても、"たぶん美濃ではなく飛騨地方の辺りからかなぁ~"と、高山陣屋の立派な屋根を思い出しながら話を聞いていました。

* * * * * * *

「近場を先に廻ってしまうと、遠いところばかりが後に残ってしんどくなるよ。」
という上司Kさんのアドバイスに、"なるほど~"、、、と思わず納得してしまいました。^^

この高知行きも、前日に突然決心したもの。

行きは、愛媛県との県境まで一般道を走り、そこから高速で南下しました。
帰りは、南国ICから最寄りの善通寺ICまで一直線。
どちらもおよそ1時間30分の運転でした。

予想外の近さに驚いています。 (@@
それでも、途中に聳える深い四国山地を越えなければなりませんので、26もの長いトンネルが続きましたけど…。

この調子なら四国の最南端「足摺岬」もさほど厳しくない?!(^^)  …いえいえ、それほど甘くはありませんって。(^^;)


次回はどこへ行こうかなぁ~、、、すっかり観光気分の私です。(笑)

をとこ(男)もすなる日記。

『土佐日記』・・・・・

紀貫之は、930年からの4年間、土佐の国、今の高知県の国司として赴任しました。

905年に醍醐天皇の勅命により「古今和歌集」を編纂した彼が、土佐の国へ渡ったのは60歳を過ぎてから。

帰京する直前、彼は僅か6~7歳だった愛娘を急病で亡くします。

土佐から京への長い船旅を綴ったその紀行文の中には、"還らぬ娘"への情愛と哀傷をいたるところに滲ませているそうです。

* * *

四国霊場第29番「国分寺」のすぐ近くに、奈良時代から平安時代にかけて国府が置かれていた「土佐国衙跡」、そして「紀貫之邸跡」が残されています。

私も彼の屋敷跡を訪ねてみました。

そこからは、広々とした田んぼとビニールハウスが見渡せます。

屋敷跡の前には、古今集に歌われた山野草などを植えた公園「古今集の庭」が手入れされていました。

その他には特に何もなく。。。 ホント、のどかな処だわ~。^^ 



敷地内には、ここを訪れた高浜虚子の歌が石に刻まれています。

「 土佐日記  懐にあり  散る桜 」  



ではここで、虚子とpicchukoの合作を。(^^;)

「 土佐日記  懐にあり  散る桜   花びらの中  銘菓いただく 」            

私の中では、「土佐日記」とは紀貫之の仮名日記というよりも、すでに土佐銘菓としての印象が強いです。(笑)

* * * * * * *

いつになく暖かい今年の冬ですが、まだまだ桜の季節には早いですよね。


写真は、「土佐・国分寺(南国市)」境内に咲き誇る梅の花。

このお寺には、見事な枝ぶりの枝垂桜もありました。  

それは3月下旬から4月頭に掛けてが最も見頃なのだとか。

次回はその頃に訪れてみましょうか…。(^^)

TV大好き !

一昨々年の母のB.Dプレゼントだったポメラニアンの「クリス」君。
3年前、風邪気味で鼻水を垂らしながらやって来たクリスは(笑)、それはそれは大人しい仔犬でした。


ちょうどその頃、世間では開催中のトリノオリンピックが話題の中心でした。

フィギアスケートで荒川選手が金メダルを勝ち取ることになったフリーの演技、プッチーニの「誰も寝てはならぬ」。
たぶん、それがクリスにとってTV画面を見た最初の機会だったように思います。

じ~っと見つめる瞳は、まるで人間の子供のように好奇心旺盛な輝き。
次々と変化するTVの音と画面に、クリスは異常なほどの興味を感じたようです。

それからしばらくして、母と一緒に大河ドラマ"風林火山(2007年)"を見ていた時のことでした。
内野聖陽さん演じる武将が髪をバサッとおろしたその時、いきなりTVに向かって「あわわわわわわ~!!!」と吠え掛かっていったのです!!
何事か?!?(@@;

その後は、ドラマの乱闘シーンなどを目にすると大きな声で吠えることがしばしばとなり、、、。
最近では、登場人物の感情の変化にまで反応するようになりました。


先週のことだったかしら、、、?
大河ドラマ"天地人"の中で、兼続が母親と死に別れて悲しみにくれる場面でも、クリスは妻夫木聡さんと一緒に「ウォン、ウォン」鳴き続けます。

「クリス~、おまえは話の内容が分かるのぉ~?」
そう声を掛ける私を見上げて、「えぇぇぇ~???」と相も変らずおとぼけ顔。^^;
先程の賢そうなクリスはどこへ行ったのか?(笑)

TVの内容にいちいち反応するワン子は初めてのことなので、クリスの一挙手一投足がとても興味深いです。
こんな小さな頭の中に、一体何が駆け巡っているのでしょう。
ドラマの主人公にでもなっている気分なのでしょうか。。。
正義の味方のような気分?? (^^)


そんなクリスの隣りで仰向けになって眠っているヨンサマとの対比も面白いです。
ヨンサマは、TVに一切興味なし!(笑)

母へのB.Dプレゼント。

2月18日は母の誕生日でした。
愛犬「クリス」は3年前のB.Dプレゼントです。^^


「picchuがまたNZへ行ったら、"あの"クリームを買ってきてちょうだい!」
今年の誕生日プレゼントを何にしようか迷っていた時、そんな母の台詞を思い出しました。

「今度のGW、久しぶりにクライストチャーチ(NZ)へ行こうかと思ってる。」
昨年末の私の言葉に、母はすぐさま反応したのです。

"あの"クリームというのは、Hallifax社の「Alpine Silk」というラノリン・モイスチャークリーム。
NZのお土産にと、7年前に日本へ持ち帰った懐かしい商品です。

母は冬になると踵にひび割れが出来ていました。
カサカサの手も可哀想なほどでした。
肌に良さそうなアロエクリームで、気分的にはそれを紛らわしていたのですが、、、
それでも治らないひび割れは痛々しく…。

ところが、このNZ製・Alpine Silk ラノリンクリームとの出会いでその悩みはすぐさま解消。(^^\
他のクリームと違って、ベタつきもなく、す~っと肌に馴染む感じも気に入っています。

なんといってもニュージーランドは羊の国です。
そこで取れる天然のラノリン(羊毛の間に蓄積された油脂製の分泌物)使用のクリームですから、とても質が高いと思います。
(と、私は信じています。^^)

毎年行われる羊毛刈りの際に、刈り取られた羊の毛を洗浄処理し、そこから油脂を抽出し精製するとラノリンが出来上がるのだとか。
そういえば、牧場で羊の毛狩りを見学した際に貰った羊毛から、時間の経過とともに滲み出てきた油性分はラノリンの元だったのか!?(わが回想・笑)

ラノリンクリームは、皮膚に湿度をもたらすラノリンと血行を良くするビタミンE、皮膚を柔軟に保つバルバドスアロエを含むそうです。
母の頑固なひび割れが治ったことも大きく頷けますね。^^
保湿性に優れるラノリンは、ヘアケア製品としてもその力を発揮します。
私は同じくラノリンを使ったNZ製「ビューティースパ ラノリン・ヘアートニック」を使ってみようかな~と検討中です。

結局、このGWの行き先はNZではなく北半球にしましたので、母の誕生日プレゼントとして これをインターネットから注文することに。
到着が入金確認後1週間から10日ほどかかるので、もう少しおあずけ状態になってしまいますが…。
それは、私がNZ時代にもお世話になった(?)"Souvenirs Shop"、「Aotea(アオテア)」さんのサイトでお願いしました。
今、NZドルが安いというのも嬉しいですね。^^


◇「Aotea New Zealand」 HP : http://www.souvenirs.co.nz/jp/

『ラノリン・モイスチャークリーム』→http://www.souvenirs.co.nz/jp/Catalog/catalog.asp?subcat=25&offset=32

第73番 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)

'09.02.08参詣  香川県善通寺市


―捨身ヶ嶽まで通行料600円―
第73番札所「出釈迦寺」で納経をすませた私は、その張り紙を見つけました。

「すみません。私も捨身ヶ嶽へ行きたいのですが、ここで通行料を払うのですか?」
先程、納経帳に墨書してくださったお坊さんに訪ねました。

「軽自動車なの?」
「はい、そうです。」
「残念だなぁ~、軽自動車では登れないんだよ。
ここの坂はものすごく急だからねぇ~。 四駆の自動車か、せめて普通車じゃなければねぇ…。」

え? ダメなのぉ~?!
幅の狭い山道だから、軽自動車の方が登りやすいと思ったのに、、、その逆でした。(T_T)

「毎月、旧暦の15日にはピストンバスで送迎してるから、その時に来るといいですよ。」

* * *

『捨身ヶ嶽(しゃしんがたけ)』

弘法大師(幼名・真魚(まお))は7才の時にこの嶽に登り、大誓願を立てました。
「我、仏法に入りて一切の衆生を済度せんと欲す。
吾が願い成就するものならば釈迦牟尼世尊影現して証明を与え給え。
成就せざるものならば一命を捨てて此の身を諸仏に供養し奉る。」 

その意味は、
「仏門に入って多く人と衆生を救いたい。
世の人々の苦悩を救い安楽を与えることができないのであれば、この身を仏さまに献げます。」
と断崖絶壁から身を投じました。

よもや谷底へというその時、天に釈迦如来が紫雲に乗って現れ、落ちていく真魚を天女が抱きとめた言われています。

その山を我拝師山と名付け、そこに釈迦如来の尊像を刻んで本尊として祀ったのが出釈迦寺です。

* * *

お大師さまの幼い頃のこのお話は、私も以前から知っていました。
けれど、それがどの山なのかまでは知りませんでした。

それは、私が通った小学校の校舎からいつも眺めていた山でした。

今回はその麓にある出釈迦寺のみお参りして帰ってきましたが、次は旧暦の15日に合わせて、お大師さまが身を投げたという「捨身ヶ嶽」へ登ってみたいと思います。



◇参考までに◇

<2009年 捨身ヶ嶽・禅定・護摩祈願日(本日以降)>

3/11(水)・4/10(金)・5/9(土)・6/7(日)・7/7(火)・7/19(日)・
8/5(水)・9/3(木)・10/3(土)・11/1(日)・12/1(火)・12/30(水)

ドイツさん♪

'06年に公開された映画「バルトの楽園(がくえん)」の舞台となった『板東俘虜収容所』。
そこは、日本で初めてベートーベンの交響曲第九番が全曲演奏されたことで有名な場所です。

その第九のふるさとに『ドイツ館』が建設され、当時の様子を今に伝え、ドイツとの友好の掛け橋となっています。
徳島市内から車でおよそ20分、四国霊場第1番札所「霊山寺」の近くにあります。

* * *

『板東俘虜収容所』には、第一次世界大戦中に中国・青島での戦いに敗れたドイツ兵俘虜のうち、約1000名が収容されていました。

"収容所"と聞くだけで、私はあのアウシュヴィッツなどの恐るべき殺戮の場を想像してしまいました。
ところが、この収容所には暗さがないのです。
新しく清掃の行き届いたドイツ館からは、逆に気持ちの良い憩いの場のような空間を感じます。

それもそのはず。
収容所の所長・松江豊寿氏は、「捕虜は愛国者であって犯罪者ではないので人道的に扱うべき」と彼らの人権を守ったのですから。
時代背景を思うと、松江所長は自分の首をかけて彼らの為に創意工夫と努力をされたのですね。

朝の点呼以外は比較的自由が許され、彼ら自身で管理運営を任された様々な活動が行われていました。
音楽活動や演劇もそのひとつ。
それらから地域の人々との交流も生まれ、板東では俘虜たちを「ドイツさん」と呼んで慕っていたそうですよ。^^
敗戦後のドイツに帰国した人からは、板東収容所での生活の方が随分と良かったとの声もあったといいます。

* * *

さて、ベートーベンの「第九」が板東の人達の前で演奏されました。

ドイツ人にとって音楽は生きる上でかかせないもの。
特に彼らの心の支えであった「第九」は、私の住む隣り町にあった「丸亀俘虜収容所(塩屋別院)」でもよく演奏されていたと亡き祖母から聞いたことがあります。
後に丸亀のドイツ兵捕虜たちも板東へ移送されました。

「第九」の最も有名な合唱部分は本来ならば混声です。
しかし収容所には男性しかいませんので、女性のパートを男性用に編曲して歌われたのだとか。

合唱部分の終楽章は「全人類が同胞になる」というヒューマニズムの理想を歌い上げたものですから、ドイツ兵と板東の人達の友好に最も相応しいものだったのでしょう。


そこに立つだけで今でも心がポカポカしてくる、そんな心の交流が感じられるここ「ドイツ館」。
ドイツの国も人も尊敬する私にとって、また訪ねてみたいなぁ~と思わせてくれる場所でした。
ドイツから輸入された美味しいお菓子やビールも沢山売られていますしね♪^^


「鳴門市ドイツ館」HP : http://www.city.naruto.tokushima.jp/contents/germanhouse/

第1番 霊山寺(りょうぜんじ)

'09.02.11参詣  徳島県鳴門市


さすがだわ。^^
初めて潜る霊山寺の仁王門、風格のある「第1番」の文字が印象的でした。

境内の様子も本堂の中も、私の知る八十八箇所の他のどのお寺よりも堂々とした面持ちです。
(それでも、弘法大師さま誕生の地とされる善通寺さんだけは霊山寺でも比にならないほどの厳かさです。)

本来ならば、ここを四国遍路の起点とするのが望ましいのでしょう。
巡礼用品も全て揃っていますし、出発に当っての授戒をここで受けるのだそうです。
また、初心者の方は遍路作法を教わることもできるのだとか。。。

"なんちゃって遍路"の私はただ手を合わせ、納経を済ませただけでこのお寺を後にしましたが、、、(^^;)
実はここで十善戒の10の誓いを立て、それを守ることで弘法大師さまのお弟子となるようです。

「十善戒」とは、
不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見を指すとのこと。
すでに私は何ひとつ守れていないことをここで白状しておきます。(苦笑)


【霊山寺は天平年間(729‐48)聖武天皇の勅願によって、行基菩薩 が開基されました。

815年、弘法大師はこの地に21日間とどまって修法をされ、 四国に88ヶ所の霊場を開くことを祈願されました。

それは、人間の持つ88の煩悩をなくそうという思いから。

この間に釈迦如来の霊感を受け、その像を彫刻して本尊とし堂宇を建立し安置して、天竺の霊山をわが国に移す意味で竺和山・霊山寺と名付けました。

その後、大師は四国の地に大日如来の胎蔵界曼荼羅の道場を求め、各国を発心(阿波国)修行 (土佐国)菩提(伊予国)涅槃 (讃岐国)の道場とし、88ヶ寺をこの道場の中にお開きになって霊山寺を88箇所霊場第1番の札所にお定めになりました。】



私的に特筆することといえば、、、この霊山寺には「原爆の火」が灯されています。
(写真)
なぜ四国の霊山寺に???

この火は、昭和20年8月6日に広島に落とされた原子爆弾の炎です。
福岡県の山本達雄さんが肉親の形見として持ち帰り、灯し続けてきたものだそうです。

この炎も広島平和記念公園内にある「平和の灯」同様、核兵器廃絶のその日までここに燃やし続けると記してありました。
この炎がその役目を終え、一日も早く消されることを祈念して霊山寺を後にしました。。。


*もしもこのお寺をお参りすることがあれば、もう一つ!
池で泳ぐ沢山の鯉たちを覗いてみてくださいね~。 
その鯉たちの"おでぶちゃん"なことといったら! まるでお相撲さんみたい。^^
メタボについて真剣に考えさせられることと思います。(笑)

お大師さま、ありがとう。^^

*四国霊場第5番札所「地蔵寺」にて


徳島市内で行われた講演会に参加するという父に合わせて、この日も近隣の札所巡りへ出掛けました。

まず3箇所のお寺を巡った後、父を講演会場へと送ります。
講演はAM10:30~PM2:30。
その間、母と私は「鳴門市ドイツ館」と伝統芸能の人形浄瑠璃を観に行きました。
*人形浄瑠璃は、この1/10にも親友"きょんさん"を案内したばかり。
その思いもよらない見応えを、是非とも母に見せてあげたかったのです。

* * *

事の起こりは、帰りの道中にて。

ナビに不信感を抱いている私は(1/10・11日記)、地図を片手に慣れない道のりを急ぎます。
どこか じっくり地図を読める場所はないかしら…。

ある洋食レストランへ到着。 ここでコーヒーでも一杯戴きましょう。
一番に中へ入ったのは私です。続いて母。
奥のゆったりとしたスペースに座ろうとした、その時でした。

「あっ! あっ、、、、、」 店内に入ってきた父がバランスを崩し転倒!\◎◇◎/
中に入ってすぐの所に大きな段差があったのです。
しかも西日に照らされて、その段差が見えなかったと父。

いつもは小さな段差でも、踏みつけても大丈夫な小石でも、私は一々「ここは危ないで。」って声掛けをしていました。

本人はしっかりとしているつもりでも、歳を取ってくるとどうしても注意散漫になってしまいます。
77歳の父。  まして今日は久々の革靴、少しお酒も入っていました。

油断しました。 母も私も油断しました。

幸いにも、段差のすぐ下には観葉植物が置かれてありました。
その上に倒れこむ形になったので、直に地面に叩きつけられることはありませんでした。
手首を少々捻挫したようですが、まぁ、大丈夫でしょう。

これを禊と受け取るか、、、あるいは大難が小難で済んだと感謝するべきか、、、。
どちらにしても、「お大師さま、ありがとうございます。」^^

私に似て(?)、よく転ぶ危なっかしい父なのでした。(苦笑)

第71番 弥谷寺(いやだにじ)

'09.02.08参詣  香川県三豊市
*弘法大師ご学問の霊跡 「獅子の岩屋」


パタパタパタ~!!!
石段が続く山の麓の田舎茶屋で、数羽の野鳥が羽ばたいていました。

「綺麗な鳥~。^^」 人間に怯える様子もなく、"くるくる くるくる"飛び回ります。
「ヤマガラだよ。」 振り向くと、茶屋のおじさんが立っていました。


そこから登ること数十段、古びた仁王門が出迎えてくれます。
見上げると、どこまでも石段は続いていました。

「そういえば、弥谷さんって石段が多かったよね~。。。^^;」
子供時代のおぼろげな記憶が蘇ってきました。 
確か、ここも中学時代にクラス全員で登ったところ。。。


262段登ったところで一息。 
そこには人の3倍もの大きさの金剛拳大菩薩像が立っています。

そこから108段を一気に登ったところに「大師堂」があります。
*この「百八階段」は、人間の中にある108の煩悩を一段登るごとに減らしてくれるというもの。

「大師堂」に到着するや、目の前に現れる案内板『本堂→』と境内の地図。
この先まだまだ続くというのです。 しかも石段が!! (@@;

共に参詣するのは、今月末に78歳を迎える父と、75歳になる母。
「えぇ~!!!(><)」 これはその二人ではなく、私の叫びです!!

しかも、その古い石段は足元が斜めに傾いており、上りのしんどさは勿論のこと、これは下りが大変だと父の後ろ姿に心配しました。
「本堂(本尊:千手観世音菩薩)」は、「大師堂」をさらに約170段乗り越えた先に、岩山に取り囲まれた姿で立っています。

平成11年に設置された手すりのおかげでなんとか登ることができましたが、それでも手すりがないところは私が父の手を引きお参りをすませました。
この石段、ボタン一つでエスカレーターにならないかしら…。(笑)

* * *

「おっちゃ~ん、草餅3つちょうだ~い!」 
お参りを終えた私は、先ほどの茶屋を覗き込み 声を掛けました。

「寒かったやろ? お茶でも一杯飲んでいきな~。」
「ううん、石段のおかげで暑いくらいやわ。」
「この石段は536段もあるけんな~。ここ、88ヶ所の中でも一番石段が多いんで。」
「へぇ~、金毘羅さんみたいやな。」
「あはは、金毘羅さんには敵わんけどな。^^ 
ここは難所で有名やから、"いやだ、いやだの 弥谷(いやだに)さん!"って昔から言われとるんよ。」
なるほどぉ~、うまく言ったものだわ。^^

* * * * * * *

さて、石段のキツいここ弥谷寺のある弥谷山は標高382m。
死霊が帰る「仏の山」として昔から民間信仰を集めてきました。
石段の脇には死者の霊魂を祀る五輪塔が数多く置かれ、樹木の影には古いお墓も並んでいます。。。(; ̄Д ̄)

このお寺は聖武天皇時代に行基により創建されました。

そして弘法大師が幼少のみぎり、学問に励んだ場所が「獅子の岩屋(↑)」です。
現在は、阿弥陀如来、弥勒菩薩、大師像が安置されています。


見所はこの他にも、本堂へ向かう途中の切り立った岩に彫られた「弥陀三尊磨壁仏 」。
この弥陀三尊に念仏を捧げると、未来に極楽浄土が約束されているのだとか。
(あっ! 私、念仏を唱えてこなかったわ! ^^;)

高さ1mほどのその仏像は、中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩と勢至菩薩が刻まれ、鎌倉時代の作と言われています。
*私は数年前にタリバンによって爆破さた「バーミヤン石仏」を思い出しました。 
名付けて、「四国のバーミヤン」?!(笑)



まだ88ヶ所中7ヶ所しかお参りを済ませていませんが、ここ弥谷さんは独特の霊気が漂う雰囲気ばっちりのお寺です!(^^)

ヨンサマは恥ずかしがり屋さん。

そういえば、、、
以前ほど我が家の愛犬達の写真をアップしていないなぁ~、ということに気が付きました。^^


それもそのはず、
ヨンサマもクリスもカメラを前にすると逃げてしまうようになったのです。

それでも、クリスは無理やり体を押さえつけると しぶしぶカメラ目線をしてくれます。

ヨンサマはというと、自分の意志を決して曲げない性格ですから、どんなことがあろうともカメラに向かうことはありません。
幼い頃は、どの子よりも上手にポーズをとってくれたのに、、。(T_T)

仕方ない、、もう寝込みを襲うしかありませんね。(*^_^*)

どうですぅ~?(^^)
今は夢心地のヨンサマです。(笑)


* ヨンサマは、マオリ流の挨拶こそしてくれませんが、とにかく土を掘ったり嗅いだりすることが大好きです。
ですから、昔は真っ黒だった鼻の頭は色が剥げ、今ではうっすら茶色になりました。↑(爆!)

第75番 善通寺(ぜんつうじ)

'09.02.01参詣  香川県善通寺市

(以下、パンフレットより)
【総本山・善通寺は、真言宗の開祖、弘法大師(空海)のご誕生所。

唐より帰国した弘法大師自らが807年より6年の歳月をかけて建立した真言宗最初の根本道場です。

弘法大師の師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立されました。

紀州高野山、京都東寺とともに大師三大霊跡の一つとして全国に知られており、四国霊場八十八ヶ所の第75番札所として、毎年、多くの方々がおまいりに来られます。

「伽藍」と称される東院と、「誕生院」と称される西院からなる境内の総面積は約45,000平方メートル。

金堂・五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は創建時以来の寺域、御影堂を中心とする「誕生院」は弘法大師がご誕生された佐伯家の邸宅地にあたります。

その広々とした空間の中には、弘法大師にまつわる様々な史跡や秘宝が残されています。

なお、「善通寺(ぜんつうじ)」という名前は、父君である「善通郷(よしみちきょう)」にちなんでつけられたものです。

平成18年には建立1200年を迎えました。】



子供の頃より、この善通寺さんの広い境内がどのお寺よりも好きだった私。

中学2年生の冬、授業の一貫である体験学習に善通寺さんを訪れ、クラスメイトみんなで「ダルマさんが転んだ」をして遊んだ懐かしい場所でもあります。^^


その時、私は初めて「戒壇めぐり」を体験しました。
「戒壇めぐり」とは、仏様に見守られながら、闇の中を心静かに進みゆく精神修行の場。

真っ暗な地下道の中に入って、まずは左手を伸ばし、左側の壁をつたって「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と一心に唱えながらゆっくりと進みます。


その壁には密教におけるひとつの宇宙観"曼荼羅"にある37の仏様が描かれていて、
足元には"四国八十八ヶ所"のお砂が敷き詰められているそうです。

およそ100mも続く闇の中、その中央広間には弘法大師とそのご両親、そして"四国八十八ヶ所霊場"のご本尊様がおまつりされています。
(この真上で弘法大師は誕生しました。)


「こういう時、女の子の方が物怖じしないんですよね。」
その住職さんの一言により、当時 学級委員をしていた私が先頭に立って暗闇の中へ入ることになりました。

誰かの後ろだとまだ安心できるのです。
静かで何も見えない空間は、前からも頭上からも何かが迫ってくるようで、、、思わず尻込みしてしまいます。

何もない、誰もいないはずなのに異様な気配を感じるような、なんとも表現しがたい恐怖感。

一巡し終えて、出口から漏れる一筋の光にどれほど救われたことでしょう。。。
この見えない恐怖こそが己の邪気だということを後ほど教わりました。
とても貴重な体験だったと思います。


この戒壇めぐりを終えると、続く宝物館を拝観することができます。

そこには、弘法大師が恵果和尚から真言宗第八祖の証として授かった紫金銅の錫杖「三国伝来金銅錫杖」、
弘法大師が書を、そのお母様である玉依姫が仏像を描いたとされる「一字一仏法華経序品」などの国宝が展示されています。


*今でも県外の友達が香川に来る時、私はまずこの善通寺さんを案内し、時間があれば戒壇めぐりをしています。^^

メリル・ストリープ、最高です☆

観ました! 観ました!!  私も観てきましたよ~!!!(o^―^o)

多くの人を魅了してやまない「マンマ・ミーア!」
ミュージカルでその題名だけは知っていましたが、それが映画化されたとは。。。
何人もの方達の感想を読みながら、ワクワクする心を押さえきれずに映画館へと車を飛ばしました。

これほど幸せを感じた映画は、(私にとって)「サウンド・オブ・ミュージック」以来。
どうも私は、美しい景色と陽気な音楽を楽しめる映画が大好きなようです。^^

* * * * * * *

【舞台は、愛の女神アフロディテの泉の伝説が残るギリシャの小島。
主人公は、小さなリゾート・ホテルを経営するシングル・マザーのドナとその娘ソフィ。

父親を知らずに育ったソフィの夢は、「結婚式で、パパと一緒にヴァージン・ロードを歩くこと」。
挙式を控えて父親探しを思い立った彼女は、母の日記をこっそり読み、父親の可能性がある昔の恋人3人に招待状を送った。

物語は、その3人が島へやって来るところから始まる。】


どうすれば これほどチャーミングな女性になれるのでしょうか!!
ソフィ役のアマンダ・セイフライド、ドナ役のメリル・ストリープのみならず、
ドナの2人の親友ロージー&ターニャ、ワンシーンしか登場しない村のおばあちゃまだってイキイキとキラキラと輝いています。
もう腰の振り方までもがキュートなの!! (≧ω≦)b

私も一緒に踊りたぁ~い♪
何度もその衝動に駆られましたから、間違いなく映画館で体を揺らす私がいたことでしょう。^^


過去に嬉し涙の経験はありますが、楽しくて泣けてきたのは初めてです。
そして単なるコメディで終わらせず、その中には母娘の絆、思わず微笑んでしまう友情、女としての切なさや孤独感までもがぎゅっと凝縮されています。

~♪ 何もかも勝者が奪っていくのよ もうやめましょう 悲しくなるから ♪~
メリルの歌う「ザ・ウィナー」は、思わず感情移入しすぎて泣けてきます。
20年間も気丈に女手一つで娘を育ててきた彼女の、これまで見せなかった女性としての胸のうちを切々と歌い上げてくれます。


ここまで素直に感情表現できたなら、「生きる」って最高だろうなぁ~って思います。
そして、女に生まれてきて良かった~って心の底から思うことができました。

とにかく元気になれるんです。
ワクワクしてくるんです。
未来には絶対幸せが待っているって思わせてくれるんです。
胸の高鳴りが絶頂を迎える頃、きっと誰もが笑顔で納得できる結末へと進みます。


ますますメリル・ストリープの大ファンになってしまいました。
ここまで歌って踊れる女優さんだったのね。
なんて豊かな演技をするのでしょう。。。
彼女の作品を全て観たいって思いました。

そして、この映画「マンマ・ミーア!」のサウンド・トラックをすでに注文してしまった私です♪^^

私、お遍路さんになります☆(笑)

突然ですが、、、

今年から四国八十八箇所巡りを始めます。
ご存知、それは四国にある88の弘法大師(空海)ゆかりの札所を廻ること。
ぐる~っと四国を一周、全長およそ1400km(通して巡った場合)に亘ります。


これまで、私は「お遍路さん」に関心を持ったことはありませんでした。
ですが、88ヶ所を廻りたいなぁ~という人が私の周りに増えてきて、私だってせっかく四国に住んでいるのだから、、、と急に思い立ったのです。(笑)

「写経」をするほど気合が入っているわけでもなく、「般若心経」を覚えるわけでもなく、
それは修行でも、願掛けでもありません。
手を合わせて祈ることは、「お参りさせて戴きまして ありがとうございます。」 
ただそれだけ。

なんだか即席のいい加減なお遍路さんですが、それでも88ヶ所を巡ったその先には何かが見えてくるんじゃないかなぁ~と勝手に思っております。^^
あっ! 歩いては巡りませんよ。自動車遍路(?)です。(笑)
お遍路さんファッション(?)も絶対にしません。(爆)

私の家族は誰一人結願(88ヶ所全てを廻り終えること)した者はいません。
ですから、奥の院である高野山詣でもしたことがありません。
これは四国人として勿体ないですよね。
そこで、できるだけ両親を連れていってあげようと思っているのです。^^

実は、その先々で出会う四季折々の四国の景色も楽しみなんですよ。
小さな街の催しものをチェックして、それに合わせて廻るのもいいですよね。
(まるで観光目的だわ!・笑)

* * *

2/1(日)、早速3ヶ所の札所を巡ってきました。
第1番「霊山寺」(徳島県)や第88番「大窪寺」(香川県)から出発する人が多いでしょうが、
私はまず最初に、弘法大師の誕生の地とされる第75番札所「善通寺」から出発しました。
(ご近所さんですから…。^^;)

そこで納経帳とお札を買って、さぁ~! スタートです!! ^^/
納経所へ行くと、そのお寺の名前や本尊の名前、本尊を表すサンスクリット語に由来する梵字を墨書してもらえます。
そしてその上に札番印、宝印、寺号印の3つの朱印を押してもらうのです。
写真は善通寺さんのものです。


今後少しづつ、それら88ヶ所のお寺についても日記に書いていく予定です。
この日記で、皆さんも一緒に88ヶ所巡りしませんか?(笑)

加山又造さんをご存知?

*加山又造画「猫」


昨年のある日、私の働く老人ホームに2枚の絵が運ばれてきました。

それは、新たに入所されてOさんのご主人から戴いたもの。
1枚は若い時分に絵を描くことが趣味であったOさん自身の作品です。

もう一枚、こちらは青い目が印象的な一風変わったシャム猫の絵。
(↑の絵とは構図の違うものですが、同じ猫が描かれています。)
もちろん原画ではなくリトグラフです。

『加山又造』???
私も施設長も絵画鑑賞が好きなY主任も、誰もその画家の名前を知りませんでした。

「あはは(^^)、加山雄三さんの親戚~???(爆)」
「ネットで調べてごらん。」 施設長の言葉に私はその名前を検索しました。
「苑長、この人かなり有名なようですよ!」

その日の帰り、宿直員さんが私と施設長に声を掛けてきました。
「加山又造さんの絵が飾られていますね~。」

「ご存知なんですか?」
「この人、文化勲章を戴かれたこともある名の知れた日本画家じゃないですか!!、、、
天龍寺の天井画を描いたことでも知られていますよ~。」

"こんな有名な人、どうしてあなた達は知らないんだ!((@@ "といった表情です。^^;

「東山魁夷さんくらい有名?」 「そりゃぁ、それくらい有名ですよ~!!」
「彼もすでに亡くなっておられますから、葉書大の原画で2500万円はするそうですよ。」
「ええぇぇぇぇ~!!! 葉書大で2500万~~~!!!!!」\◎◇◎/

そう教えてくれた宿直員さんが、金曜日の朝に私を呼び止めました。
「明日(1/31)の夜10時から、「美の巨人たち」という番組で加山又造さんが取り上げられるみたいだよ。」
少しづつ気になってきた加山又造という日本画家、、、それでは見てみようではないかとTVの前に座った次第です。


そこで現れた数々の作品の迫力に、一気に私はのめり込んでしまいました。
番組でも説明されていましたが、彼の描く線が素晴らしい。
何万本もの中から選ばれたその一本の力強さ、そしてデザイン性の斬新さかつ大胆さにも圧倒されました。

彼は生前、「冬」を題材にした作品を多く制作しました。
その彼は、雪に覆われた冬を「深い美」と呼びます。
「冷たく透明な美…私の心を直接に打ってくる、、、、、。」
そんな彼の絵こそが、その冬の持つ深い美で今も変わらず人々の心を打ち続けているように思えます。

現在、国立新美術館にて大々的に「加山又造展」が開かれているそうです。(~3/2)

そして、一度は彼の作品を生で見たい、、、私の思いが通じたのか、4月にはその展覧会が香川県の高松市美術館へもやって来ます。
まだ正式には発表されていませんが、期間は4/21~5/31とのことです。
見たいけど東京は遠いなぁ~、、、という西日本の方達はぜひ高松へお越しくださいませ。^^

ありがとう、ザルツブルク♪

早いもので今日は2月1日、もうすぐ立春なのですね。

このザルツブルク&アウグスブルク旅行記もこれにて終了。
たった4泊6日(正味3日間)の旅なのに、1ヶ月にも亘ってよくぞここまで書けたものだと感心してしまいます。

あれからの月日の経過に寂しさを感じることもしばしばですが、
日記を書くことによって、1ヶ月もの間 ず~っとザルツブルクを旅する余韻に浸っていました。(笑)


写真はお馴染みミラベル庭園の入り口、まだうっすらと朝靄に煙っているホーエンザルツブルク城塞です。
旅行記の最後の写真は、どうしてもザルツブルク城で締めくくりたかったんです。^^

ここを「ドレミの歌」の撮影場所に使うだなんて、映画"サウンド・オブ・ミュージック"も憎い演出ですよねぇ~。
雪で覆われた冬の気高いザルツブルクもお勧めですが、より映画の舞台を感じたい人には春から夏の花々が咲き乱れる季節がいいでしょう。

* * *

帰国日の朝もミラベル庭園を訪れました。
ホテル・モーツァルトから旧市街へ向かう時は、いつもミラベル庭園を抜けて、「タンツマイスターハウス」と呼ばれるモーツァルトの住居、そしてカフェ・ザッハーを横目にマカルト小橋を渡ります。

その日の朝は特に冷え込んでいました。
地面は所々が凍っており、南国(?)育ちの私はおぼつかない足どり。。。
1/2にも書きましたが、至るところで「つるん、つるん」と滑っておりました。^^;

ミラベル庭園を目前に、、、
この時は「つるん☆」といった拍子に体のバランスを崩し、あっけなく「すってんころりん☆」(@@;
ザルツブルクで転んだのは今回が初めてです!、、、(だと、思います。。)


そんな時、目の前にはゴミ収集車のような清掃車のような、けれどそれにしては小さすぎる車が庭園内に入っていきました。
あの車、なんなんだろう???
滑りながら小走りで後を追いました。

男の人が何やら大きなスコップのようなものを振り回しています。
あわわ、危ないではないか!?(@@;;

しかしよくよく見てみると、車には小さな小石が積み上げられています。

そっかぁ~、ここを歩く人が(私みたいに・笑)滑らないようにと凍った道の上に小石を撒いているのね~!!!

きっと北国のどの町でも行われていることなのでしょうが、昨日の「岩壁」の心配りに感動している私には、ますます"ザルツブルクって優しい街なんだなぁ~"とキラキラ輝いて見えました。^^



ありがとう、ザルツブルク♪
それは、私を心の底から幸せにしてくれる街。

今もザルツブルクを思い出すだけで温かい気持ちになっています。
次回はどんな表情を見せてくれるのでしょう!!

*長らくザルツブルク&アウグスブルク旅行記にお付き合い下さってありがとうございました。^^

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