I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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カイコウラでホエール・ウォッチング。

「フリー・ウィリー」ではシャチが主役だったのに対して、こちらはマッコウクジラです。
(同じハクジラ類といっても、シャチの方が随分と私好みですけど…。^^)


ニュージーランドの南島、クライストチャーチより180kmほど北に位置する『カイコウラ』は、クレイフィッシュ(イセエビの仲間)とホエール・ウォッチングで有名な街。
                           
そこには、暖流と寒流がぶつかり合う豊かな海域に、マッコウクジラやイルカたちが集まって来ます!
カイコウラは、クジラをウォッチングするのに世界でも絶好の場所のようです。
この私でさえ、僅か1~2時間の間に三度もクジラに遭遇できましたから。^^


ただし、、、ガイドブックによると、
カイコウラで見られるマッコウクジラは動きが大人しく、ジャンピングなどの派手な動きは殆どしないとのこと。

そういえば、私が出会ったクジラ達もゆったりと静かに海面を漂っていただけでした。
もちろん、一番の見どころである水中に没する寸前に見せる尾ヒレの動きだけは瞼に焼き付けましたけど。。。
2009-08-13 20:46:22
       
                2009-08-13 20:46:51

*

そして、マッコウクジラだけでなくイルカの群れにも出会いました!!

写真ではたった一頭しか撮ることができませんでしたが、無数のイルカが船の周りに集まって来て、しばらくの間、波の上を元気いっぱい飛び跳ねていました。
まるで私達に「遊ぼうよ!」と飛びついてくるみたいに。^^
2009-08-13 20:46:04

*

ホエール・ウォッチングに参加したのは、私がニュージーランドへ渡ってすぐのこと。
ホームシックにかかった自分を励まそうと、クライストチャーチを抜け出す計画を立てたのでした。(笑)

英語ができない上に、ビジターセンターでの要領が分からなかった私は、町の中心部にあるJTBのオフィスを訪ねました。
(さすがはJTB、常に日本人社員が対応してくれます。)
まだ、一人でクライストチャーチを出る自信がありませんでしたので。^^;

ツアーの催行人員は2名から。
「明日、クジラを見るツアーに参加したいのですが、、、。」
「お客様、今のところ一週間後の8月4日のみ出発予定です。」

同じツアーに参加したのは、三重県からやって来た同年代の姉弟2人組でした。
友達もいないその当時、二人の優しさと日本語が私の心を溶かしてくれました。
そして、カイコウラの輝く海と 遠くに見える白い帽子を被った山々に、ニュージーランドに降り立ってから 初めて大きな深呼吸ができたように思います。

イルカたちからも生き物のぬくもりが感じられました。
羊のイメージしかなかったニュージーランドの、また別の表情を知ることができて、
なんだか心の底からワクワクしてきたあの日のことを、今でも鮮明に覚えています。^^



ちなみに、
『カイコウラ(Kaikoura)』とはマオリ語で、カイ(Kai)が食べる、コウラ(Koura)がイセエビの仲間のクレイフィッシュを表します。

その名の通り、ここで獲れるイセエビの美味しいことといったら!!
どんな風に料理されていたのかは すっかり忘れた私でも、゛美味しかったぁ!!"という記憶だけは強烈に残っているのです。(爆)

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やっぱり、この映画☆

皆さんにとって、一番好きな映画って何でしょうか?

私はある作品と出会うまで、殆ど映画(洋画)を見ずに大人になりました。
それでも、映画との素晴らしい出会いがある日突然やってきました。^^

それは大学を卒業して数年経ってから、25、6歳の頃だったと思います。
名古屋から香川へ帰る長距離バスの中で流された一本のビデオテープに、一人感極まって泣いてしまいました。(笑)

* * *


「フリー・ウィリー」☆

ご覧になられた方も多いでしょうか、、、
少年ジェシーとシャチのウィリーの心の交流を描いた、1993年に上映された名作です。
dlt12965_j1_t.jpg

母親に捨てられ、孤児院を何度も抜け出すジェシーは、子供のいないある夫婦の元に引き取られます。
頑なに心を閉ざした少年が、ひょんなきっかけから小さな水族館でシャチのウィリーと出会う。
ウィリーもまた大海にいる母親から引き離され、寂しさを抱え、人間に心を閉ざしていたのでした。

人間嫌いのウィリーが、唯一ジェシーのハーモニカの音にだけ反応した場面では、ウィリーの心の叫びが聞こえてきそうです。

その日から、二人(?)は同じ孤独を抱える者同士、急速に心を通わせていき…。



久しぶりに、あの感動を観てみました。

ジェシーとウィリーの交流、そしてその出会いによって周囲の人達にも心を開いて行く少年の成長を見つめながら、
何度も観た作品であるにもかかわらず、またも目頭に熱いものを感じました。

やっぱり、この映画が一番好き☆^^

*


主題歌は、今は亡きマイケル・ジャクソンの「Will you be there」。

この音楽も最高ですよね♪
輝く大海原を気持ち良さそうに跳ねるウィリーは、マイケルの熱唱とともに瞼に眩しく映ります。

この曲は、広島において、私が大学時代に小中学生と一緒にある音楽祭で歌ったものでした。
その時の楽しい思い出と、この美しいメロディに懐かしさを感じ、
又も、゛これ、めちゃくちゃいい映画じゃない!"と一人顔をくしゃくしゃ感動しまくり。(笑)


この作品、VHSなら持っているのですけど、、、この際、DVDも買っちゃおうかな~。^^


http://www.youtube.com/watch?v=JFli8LgG9ng
懐かしい映像はこちらでどうぞ。(*^^*)

クライストチャーチの町はずれにて。

クライストチャーチへ渡って間のないある日、私はマオリ族の集会所を訪ねてみることにしました。

『ナ・ハウ・エ・ファ・ナショナル・マラエ』、
マラエとは、マオリ語で庭や集会所を意味するそうです。

それは、市の中心部から車で10~15分ほどの場所にありますが、私のホームスティ先からは徒歩圏内でした。


毎晩、ホストマザーから「今日はどこへ行って来たの?」と尋ねられます。
雨の日に゛リトルトン・ハーバー"('09.07.18日記)へ行ったり、晴れた日に「図書館にいました」と答える私に、
「あなたは変わってるわねぇ~。」とマザーはいつも呆れ顔。

そんなこと言ったって~!! と、内心 反発気味の私でした。
そう、マザーとの相性はイマイチだったのです。(T_T)


その日は、マオリ族の文化に触れようと、その場所へ行くことを思いつきました。
ニュージーランドといえば、先住民族であるマオリ族を抜きにしては語れません。
独特の彼らの彫刻は、私が一番楽しみにしていたものでした。


そこには、その彫刻が施された2棟の大きな集会所があるのです。

*

ガイドブックによると、
そこではマオリ族の歌やショー、伝統のハンギ料理を楽しめるとありました。
それは市内からのガイドツアーによるもので、最少人員でなければ催行しないと書かれてあります。

ですが、まずはマオリの彫刻だけでも見られたらいいかなと、私は一人歩いて行くことに決めました。

ニュージーランドへ来て1週間。
手持ちの地図といえば、まだ日本から持って来た゛地球の歩き方"だけでした。

私は自分が人一倍方向音痴であることも忘れ、大雑把で分かりにくい地図を片手にマラエを探します。
が、案の定、迷子です。><

その上、今にも雨が降り出しそうになってきました。
あぁ~、又もマザーに笑われる…。><

どんよりとした薄曇りの中、足元には凍った霜が溶けだした芝生が続いていました。
ここはどこ?????

そんな時、遠くにバス停が見えて来ました。
しかも、そこにはポスターのような、地図のようなものが貼ってあります。
反対方向ではありましたが、勇みバス停へと駆け寄りました。

少しづつ その地図らしきものが大きくなってきます。
まだ鮮明には見えませんでしたが、どうも赤色の線が道路を表しているようです。

何本も網の目のように引かれた線に、そんなに入り組んだ道では迷子になるのは当たり前、と自分を納得させました。(笑)

とにかく現在地を確認しようと急ぎました。

段々とバス停が近づいてきました。雨がポロポロ降り出しました。

(◎◎) 絶句!

私が地図だと信じて疑わなかったその大きなポスターは、、、、、なんと下着の広告でした!
しかも、真っ赤な女性用のショーツ☆

道路に見えたその赤い線は、網目模様のデザインだったのです。

Oh, my God !!(><)

こんな話、絶対にホストマザーにはするもんか!
間違いなくバカにされるに決まってる!!

「今日はどこへ行って来たの?」
英会話の練習だし、会話を作ろうとしてくれるのは有難いけれど、、、。
もう、放っておいて!!
この頃の私は寂しさのあまり、非常に閉鎖的になっていました。

「図書館です。。。」


*

こちらは、後日 改めて訪ねた『ナショナル・マラエ』です。
2009-07-18 16:56:16 2009-07-29 19:02:02

名付けて妙、パンケーキ・ロック☆

前回の日記では、ニュージーランドの真夏の海をアップしましたが、今日は初春のタスマン海をお届け致します。^^
2009-08-02 12:47:25


タスマン海に面した南島の西海岸゛ウェストコート"と呼ばれる地域は、
ニュージーランド内でも有数の降水量を持ち、それによって育まれた深く濃い緑の森と、断崖の切り立った海岸線がどこまでも続きます。


私と親友C子は、山岳地帯の景色が美しいサザン・アルプスを横断する人気の列車゛トランツ・アルパイン号"に乗って、クライストチャーチから西海岸のグレイマウスという小さな町へと出掛けました。
('07.12.15日記)


その町での宿泊先・YHAの窓口で、゛パンケーキ・ロック"への半日コースのツアーを見つけました。

「ここ、ここ!! ここ、行ってみたかったんだよね~。^^」と興奮気味のC子。
全く下調べをしてこなかっ私は、それが一体どんなものなのか想像もつかないまま、C子の後に続きました。

ところが、それが意外なほどに面白い場所でした。
グレイマウスから北へ車で1時間強。
まるでジャングル探検でもするような、湿度の高い緑の森の入り口の前に立ちました。

その当時('01.9月)、日本に宛てたメールの中で、私は次のようにこの場所を表現しています。
「それはね、まるでジャングルの横に東尋坊があり、東南アジアの隣りに日本海があるっといった感じ!」
その頃 東南アジア贔屓だった私らしい感想です。(笑)

プナカイキ.jpg

                    2009-08-02 13:03:13

そして それを抜けると、目の前にはその名の通りパンケーキが積み重なったような縞模様の奇岩が広がっていました!
2009-08-02 12:47:49

2009-08-02 12:47:01

整備された道を約20分程で見て回れます。

*

ニュージーランド専門のサイトによると、
パンケーキ・ロックスの形成は遥か3千万年前まで遡ります。
(3千年ではありませんよ、はるか゛3千万年前"ですよ!! @@)

海中の微生物や砂からなる沈殿層が数千年の時間をかけ、繰り返し海の底に埋まり圧縮された結果、硬い石灰岩と柔らかな砂岩が複数積み重なった地形が形成されました。

その後、地震により海底から隆起したこの地層が乾燥し、さらに雨や風がゆっくりと柔らかな砂岩層を浸食して行きました。
その結果、まるで巨大なパンケーキを何百も積み上げたような断面を持つ岸壁が形成されたのです。

そして、このパンケーキ・ロックの見どころ゛ブロウホール"。
満潮時になると、押し寄せてくる海のうねりが狭い穴へと大量の海水を押し込み、
それによって圧縮された空気が海水を伴って、「プッシュー!」と間欠泉のように吹き上がってくるのです。
(写真、5枚目)

前日に大荒れの天候だったことが運を招き、大迫力のブロウホールを見ることができました。(^^v


南島の西海岸は、どうしても僻地という印象が強いですし、確かにかなりの不便さですけれど、次回はレンタカーでも借りて、ゆっくり訪ねてみたい場所。
グレイマウスから少し南に下った゛ホキティカ"という町も、可愛らしくて私のお気に入りです。^^

こちらは最北端 !

先日、やっと四国の最南端「足摺岬」を制覇した私ですが、
今から7年半前、ニュージーランド最北端を目指したことを思い出しました。^^


NZ.gif
それは「ケープ・レインガ」。
南太平洋とタスマン海がダイナミックにぶつかり合う、ニュージーランドで最も温暖な開放感溢れる岬です。

どうでしょう、、、二つの海の青さが違うこと、この写真から見てとれるでしょうか…。
2009-07-30 19:50:32

*

ケープ・レインガは、ニュージーランド最大の都市・オークランドより北へ440km。

そこまでの道のりは、世界中からヨットが集まる港町・ファンガレイと、ケープ・レインガに最も近い町・カイタイアを経由するものでした。

カイタイアのYHA(ユース)のすぐ隣りにあった旅行会社で、私はそのツアーに申し込みました。
その名も゛Sand Safaris"。
ツアー料金は38ニュージーランドドル、お昼のお弁当付き。(^^)
(2002年1月、日本円で約2000円くらいだったでしょうか。)

どうして゛sand"なのかと申しますと、カイタイアからケープ・レインガまで、およそ100kmに渡って長く砂浜が続いているのです。
その「90マイル・ビーチ」の波打ち際を、観光バスは進んでいきます。
    2009-07-30 19:55:24
    永遠に続く無人のビーチ、私的にはレインガ岬よりも感動しました。^^

この90マイル・ビーチはタスマン海に面した西海岸を一直線に伸びています。
片や太平洋に面した東海岸は、複雑に入り組んだ海岸線。
表情豊かなニュージーランドらしい一風景です。

*

2009-07-30 19:51:52

レインガ岬に立つ灯台のすぐ下で、私は日本にいる懐かしい人達にエアメイルを書きました。
ここのポストから投函すると、゛ニュージーランド最北端"という記念スタンプを押してもらえるんですよ♪

このず~っと向こうに日本があります。
ケープ・レインガから東京まで8,831km。 思うよりは近いような、果てしなく遠いような…。
                             2009-07-30 19:50:57

「ケープ・レインガ」は、ニュージーランドを旅する時には是非とも足を伸ばしてもらいたい、私のおススメ・スポットです。^^



< 余談 >

オーストラリア大陸にも「90マイル・ビーチ」があるようです。
たぶん、日本人にはニュージーランドの方が知名度が高いと思います。

ですが、それは どうもオーストラリアにある砂浜を真似て名付けたらしい。^^


ペルー旅行で知り合ったオーストラリア人のパトリシア母さんが言っていました。
('07.09.22日記)('08.02.08日記)('08.02.20日記)

「ホントにもう!! ニュージーランドったら、オーストラリアの真似ばかりするんだから!!」
思わず、納得です!(笑)

だって、淋しかったんだもん。

愛犬ヨンサマとクリスは、小さな頃から甘やかせ過ぎたせいか 非常に甘えん坊の淋しがり屋です。^^;

週末になると朝早くから遠出をする私達に、いつも何かを感じているのでしょう。
そんな時に限って、なかなか餌を口にしません。
それが どれほど大好物であったとしても…。
(あっ、一つだけ訂正です。 餌を食べないのはヨンの方だけ、クリスはどんな時でも好物を見つけたら一直線です。(笑))


先日の足摺岬行きは、早朝の5時20分に家を出ました。
いつもなら夕方には帰るはずが、やはりその日だけは夜遅くの帰宅となりました。

確か、あの日はいつになく蒸し暑かったと思います。
帰宅後、一番に2匹の元へ駆け寄ると、朝から何も口にしていない様子でした。
あのクリスさえも、、、。

「お腹すいたでしょ。 ドッグフードくらい食べなさいよ。」
そう言いながら振り向くと、器の中にはなみなみとお水も残っていました。

「え~! お水も飲んでないの~?! 脱水してしまうじゃない!!」
そんな私の言葉よりも、人間がすぐ傍にいてくれることが嬉しいのか、ただただ足元に纏わりついてくるヨンとクリス。

「淋しかったんだね。 ごめん、ごめん。^^」

顔中、ペロペロと舐め回してくれます。
まるで、「本当に淋しかったんだからぁ~!(><)」と訴えているかのようでした。

あれから、ますます甘えん坊になったヨンとクリス。
夜はさりげなく体をピッタリと寄せてきて、安心しきった表情で眠っています。^^

2009-07-29 19:42:11 2009-07-29 19:42:34

* * * * * * *


先日、ブログ友達のPさんが、私のバナーを作って下さいました!!

*Pさん、いつもありがとうございますね~。 あまりの可愛さに、私もヨンもクリスも喜んでいます。
(o^―^o)

今より少しだけ若いヨン(左)とクリスです。^^
     2009-07-29 19:41:02

高知はまっこと でかいぜよ。^^

白山洞門(7/20日記)の迫力もさることながら、こちらの景色も圧巻です。

足摺岬より車でおよそ1時間。
クネクネした岬の道を乗り越えて、そこから もう少し西へと車を走らせます。

そこに現れてくるのは自然が造り出す奇抜な彫刻、
             摩訶不思議な奇岩が続く「竜串(たつくし)海岸」です。

2009-07-25 14:28:27

2009-07-25 14:26:09

2009-07-25 14:25:19

            2009-07-25 14:24:56

2009-07-25 15:26:16

Wikipediaによると、
竜串一帯は、砂岩と泥岩の層が互いになっており、その層が波食、風食を受けて形成されました。
中でも、一直線上に丸みを帯びた節理が見られる゛大竹小竹"は、竜串を象徴する代表的なものです。(写真4枚目)

*

この日、すでに満潮を控えた竜串海岸を、これらの岩を伝って20分ほど歩きました。
荒々しい太平洋の波しぶきを肌に感じながら、足元にはダイナミックな自然の造形が…。

地球の息吹きを感じられる場所が日本にもあったんだ!
しかも、四国にあったんだ!!
なんだか心の底からワクワクしてきました。^^

*

この竜串からまだ南下した先にも「見残し海岸」があります。
こちらも波や風による浸食で、岩々が蜂の巣構造のような独特の景観を作り出しているそうです。

それは、あまりの難所に弘法大師も見残した、、、それ故「見残し」と呼ばれるようになったのだとか。
これ以上 じっとりとした暑さの中で潮風にあたるなんて、復路の運転に自信が持てない私は、お大師様と同じく、その海岸だけは見残して帰ってきました。^^


この辺り一帯の青く美しい海の中は、サンゴと色とりどりの熱帯魚の生息地です。
それらをグラスボードに乗って楽しむこともできます。
(残念ながら、この日は波が高く、グラスボードは運行していませんでした。)

まだまだ四国の魅力は尽きないようです。^^
                            2009-07-25 14:42:50

第38番 金剛福寺(こんごうふくじ)

'09.07.19参詣 高知県土佐清水市


弘法大師さまの修行とは、いかに険しく厳しい道のりであったものか、、、。
今回、それを改めて噛みしめる旅となりました。

そして、この場所へ辿り着くまでの長い道中に見かけた 何人もの歩き遍路の皆さん。
その横を車で追い越す度に何だか申し訳ないような、思わず手を合わせたくなるような、そんな思いになりました。

*

第38番札所「蹉だ山 補陀洛院 金剛福寺」は、足摺岬をすぐ目の前にして建っています。

その山号である「蹉だ山(さださん)」の「蹉」と「だ」の文字は、両方とも「つまずく」を意味し、この場所がいかに難所であったかを示しているのです。
(「だ」は、足へんに它と書きます。)


私のような゛なんちゃって遍路"なんてもっての外!
この四国八十八ヶ所を巡る遍路路は、今から50年ほど前までは゛辺土"と呼ばれるほど道も悪く、決して現在のように容易に巡ることはできませんでした。

それは、いつどこで倒れても お大師さまの元へ行けるようにと、死装束であったと言われています。


1000年先を見通して、四国の観光業にも貢献して下さるなんて、さすがは弘法大師さまよね。
な~んて、その重みすら知らずに口走っていた自分が恥ずかしい。

気持ちの上で、これからは出直し遍路です。

* * *

2009-07-24 20:35:07

難所らしさを感じさせない、南国らしい陽気な雰囲気たっぷりのお寺でした。


ここは歴代の天皇の祈願所として、平安時代後期には都に聞こえるほどの信仰を集めていました。
そして源氏一門とも縁が深く、彼らによって多宝塔をはじめとする諸堂が寄進されております。

また、平安時代の歌人として有名な和泉式部もこの地を参詣し、彼女の黒髪を埋めて供養したという逆修塔(生前に死後の菩提の為に建てる供養塔)も見られます。
                       2009-07-24 20:33:28


境内は広く、本堂前に満ちた池の水に気持ちが和むのが分かりました。^^

甘く見過ぎた洞窟探検。

足摺岬の灯台がよく見えるレストランで、その日の昼食を取ることにしました。


窓の外に、数人の親子連れが石段を下っているのが見えます。

「この下に何かあるのですか?」 私は店員さんに訪ねてみました。

「ちょっとした洞窟があるんですよ。^^」
聞けば、その洞窟へは数分で行けるとのこと。

「ここで少し待っていてね。」
両親が食後の休憩をしているうちに、私だけ ささ~っと見物してくるつもりで席を立ちました。

*

椿の名所でもある足摺岬らしい椿林を潜って、どんどん奥へと進みます。
亜熱帯らしい鮮やかな緑も印象的です。

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この辺り一帯には、弘法大師七不思議といわれる伝説や事跡も残っています。

その一つ、岬先端から弘法大師が亀の背中に乗って沖の不動岩へ渡ったとされる自然石「亀石」を見つけました。

imgd5b59352zik5zj.jpg

岬の先端では今も実際に、「亀さ~ん!」と大声で呼ぶと、亀の親子が頭を出してくれるそうです。
「毎年、亀さんに会いに来られるおじいさんがいるんですよ。」
レストランで聞いた話を思い出しました。^^

*

そこからも かなりの距離を歩いたでしょうか、、、。
まだまだ洞窟が現れる気配はありません。

石段の傾斜も段々と急になってきました。
これを下っていくことは、帰りには同じ石段を上らなければなりません。
ぞっとしながらも、ここで引き返しては意味がない、、、そう思って先を急ぎました。

そして、やはり帰りがキツかった!!!
石段の数は僅か二百数十段しかありませんが、
ただでさえ片道5時間の運転と、容赦なく照りつける 南国の厳しい陽射し。
前日は僅か3時間睡眠の私にはもの凄く堪えました。(><)

帰りの運転は大丈夫だろうか、、、そんな不安を覚えながら、ぜぇぜぇ ふらふら苦しみながら石段を上りました。


これが災いしてか、往復10時間の運転のせいか、、、
たぶん、積み重なってきた これまでの疲れが一気に表に出たのでしょう。

この日帰り旅行より帰宅して後、私は高血圧の為に3日間も寝込むことになるのです。(><)

もともと腎臓の持病で高血圧になりやすく、主治医の先生からもくれぐれも気をつけるようにと注意されてはいたのですが、、、。
後頭部に急な激痛を感じ、血圧を測ってみると「188/122」。
今回は、薬を飲んでも下がらない血圧に しばらく苦しみました。
(今は少し落ち着いて、「140/95」ほどに下がっています。)

*

そこまでして見に行った「白山洞門(はくさんどうもん)」。

足摺岬一帯は、海蝕による洞窟、洞門に恵まれる特殊地形です。
この白山洞門は、花崗岩の洞門のなかでは日本一の規模を誇るのだとか。
高知県の天然記念物に指定されています。

高さ16m、幅17m、奥行き15m、太平洋の荒波は今も洞門の基底を浸蝕し続けているそうです。

img538aa9abzikczj.jpg

行って来ました、四国最南端☆

行って来ました! しかも日帰りで!!!

「足摺岬」といえば、同じ高知県に住む人でも そうそう足を伸ばすことのない僻地です。


まさか、ここまで遠いとは、、、。(T_T)
さすがに覚悟はしていましたが、今思い返しても ぞっとする程の遠さです。

よくぞ私一人の運転で、無事に行って帰ることが出来ました。


この日の総走行距離は547km。

距離数だけなら もう少し走れるかもしれませんが、大人3人を乗せた小さな小さな軽自動車です。
いくつもの峠をウンウン苦しみながら越えて行きました。(><)


まさか、まさか、これほどまでに遠いとは、、、。
同じ四国だと、甘く見過ぎておりました。

*

けれど、その道中の苦労は吹き飛びました!


青い海に映える真っ白な灯台。 
ざぶ~ん、ざぶ~ん、高く白い波しぶきに迫力を感じます。

やはり太平洋はいい! 

そして、世界を囲むように弧を描く土佐湾だからこそ、気分はまっこと龍馬ぜよ。^^
いや、ジョン万次郎かな。(笑)

そう、ここから日本の夜明けは始まったのです!!


見渡す限りの水平線、、
まるで自分までもが大きな器になった気分で、海の向こうに広がる世界を眺めておりました。


生まれて初めて、四国の最南端を制覇した記念すべき日です!
(しかし、遠かった…。笑)


四国地図.gif     
*これまでに このブログで取り上げた四国の主な名所(?)です。^^         

8年前の今日。

時が経つのは早いもので、私がワーキングホリデービザを使ってニュージーランドへ降り立った日から、ちょうど8年になりました。

2001年7月18日の午前8:30にオークランドで入国し、11:00に滞在先のクライストチャーチに到着しました。
日本との時差はプラス3時間です。

*

これまでの人生を振り返る時、一番大きな節目にあたるのがニュージーランドで過ごした9ヶ月間でした。


そこで出会った様々な風景を、私の視線からではありますが、これから時折り ご紹介したいと思います。

今までも、何度かクライストチャーチ滞在記を綴ったことがありましたが、もっと普通の、もっと普段のニュージーランドをお届けできれば幸いです。

*


2009-07-18 18:03:37

胸の高鳴りを秘めて降り立ったニュージーランドではありますが、
到着したその日の夜から 大好きな人達に会いたくて、日本が恋しくてたまりませんでした。

それまでは例え海外へ出向いても、それはたったの数日間。
旅行と生活とでは、まったく長さも意味合いも異なってしまいます。

強がりを言って日本を飛び出してきたけれど、一体 この場所で私に何ができるというのだろう…。


ニュージーランドの7月は、まさに冬の真っ只中。
とりわけ南にあるクライストチャーチでは、日本よりもずい分と早くに日が暮れてしまいます。
その暗さが、余計に寂しさを募らせるのでした。

そんな時、ふと訪れた「Lyttelton Harbour(リトルトン・ハーバー)」。
クライストチャーチからバスで20~30分くらいでしょうか。
リトルトンはクライストチャートの外港として発達した港町です。

もともと英国からの入植時代は、クライストチャーチよりも先に町づくりの中心地として発展しました。

また、英国のキャプテン・スコット率いる南極探検隊は、このリトルトンの港から出航しました。


古い町並みには、石造りの英国式教会など、そんな植民地時代を彷彿させる建物も数多く残っています。
それ故か、重くてどんよりとしたその空のせいか、まだ見ぬアイルランドの景色をも連想させてくれそうです。

この淋しい町並みを歩きながら、それでも負けてはならないと、、、と涙を拭いたあの日のことが懐しい。。。

坊っちゃん列車。

ポッポ~!

夏目漱石が「マッチ箱のような汽車」と表現した蒸気機関車が、ディーゼル車として半世紀ぶりに復活しました。(2001年~)

松山の城下を元気よく走る『坊っちゃん列車』は、まるで現在の松山の活気を象徴しているかのようでした。


ちょうど私が伊予鉄道の道後温泉駅前に立ち寄った時、ホームに列車が入って来ました。
                2009-07-18 04:39:46

思わずカメラを構える私に、「私がシャッターを押しましょう。^^」
振り返ると、まるで小説『坊っちゃん』から抜け出してきたような青年が、ニコニコ笑っておりました。

パラソル片手にマドンナお姉さんと、袴姿の坊っちゃんに扮したお兄さんが、列車の時間に合わせてお見送してくれるようです。


゛いで湯と城と文学の町"松山観光にとって、すでになくてはならない『坊っちゃん列車』。
伊予鉄道では、列車が現在どの位置を走っているのか、携帯電話からチェックできるサービスも行っています。

*

こちらの箱車は、伊予鉄道創業当初(明治21年10月)の客車です。
2009-07-18 04:48:37

                    2009-07-18 05:28:35

7/15の日記に紹介した、『子規堂』前の広場に置かれていました。


この列車、子規も漱石も乗ったのかな?(^^)

ひとつ屋根の下。

俳句を嗜む人にとって、松山といえば真っ先に思い出されるのが正岡子規でしょうか。

それとも、やはり「松山=坊っちゃん」でしょうか。


お恥ずかしいことに、私は小説『坊っちゃん』を読破できておりません。(^^;
(唯一、漱石の作品で読み終えたものは『こころ』のみです。・笑)

ですが、町の至る所で感じられるそのレトロな雰囲気に、いかにも小説の世界を知りつくした錯覚を覚えてしまいます。

*

この小説『坊っちゃん』が生まれるきっかけとなった、夏目漱石の松山赴任。

その漱石の下宿先で、ひとつ屋根の下で、子規も50日あまりの月日を過ごしました。

それが、漱石の俳号をとって名付けられた『愚陀佛庵(ぐだぶつあん)』(↑)です。

この階下に子規が、2階に漱石が暮らしていました。
その間、すでに病気を患っていた子規は、療養しながらも句会などの活動を続け、漱石もそれに同席していたとのこと。

ここで子規は著書『俳諧大要』を残し、子規の影響を受けた漱石は創作に目覚めました。


              2009-07-17 22:05:52
              子規が居候した階下の間です。    


当時のものは、昭和20年7月の松山大空襲によって焼失してしまいましたが、
その姿は復元され、現在は松山城の麓、゛坂の上の雲ミュージアム"・"萬翠荘"の裏手に存在しています。

* * *

(以下、Wikipediaによる)

漱石と子規は第一高等中学校時代の同窓生でした。

子規と漱石の出会いは、学友たちの間で回覧されていた子規の手がけた文集に対し、漱石が巻末にその批評を漢文で書いたことから始まったと言われています。

その頃、子規の数多いペンネームの一つであった゛漱石"という名を、金之助(夏目漱石の本名)が譲り受けました。
それは、唐の故事『漱石枕流(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)』から取ったもので、負け惜しみの強いこと、変わり者の例えなのだとか。(笑)


また、漱石の処女作である『吾輩は猫である』は、子規の一番弟子であった高浜虚子の勧めで『ホトトギス』から発表されました。

*

日本における大文豪゛夏目漱石"は、子規との出会いで人生が大きく変わっていったのですね。
正岡子規とは、一体どんな人物だったのでしょうか、、、。


今年の11月29日からスタートするNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』、なんだか楽しみになってきました。^^        
2009-07-17 23:28:37

松山市は現在、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公、正岡子規、秋山好古・真之兄弟が抱いた高い志、ひたむきな努力、夢や希望を取り入れた町づくりを進めています。
2007年にオープンした゛坂の上の雲ミュージアム"を中心に、市全体を博物館と見立てるフィールドミュージアム構想を打ち出しました。

正岡子規と『ホトトギス』。

「鳴いて血を吐くホトトギス…、と言ってね、、、。」


雑誌『ホトトギス』は、最初『ほとゝぎす』と題して、明治30年1月に松山から正岡子規の友人・柳原極堂によって創刊されました。
子規のすすめた俳句革新をバックアップし、20号まで松山にて発行されております。
その後、子規の希望によって発行所を東京へ移し、高浜虚子が跡を継ぎました。

2009-07-17 18:34:33
創刊当時の『ほとゝぎす』。


「ところで、ホトトギスの鳴き声を知ってますか?」

子規が17歳まで過ごした住居を復元した資料館・『子規堂』で、こんな話を耳にしました。


「知りません。」

「では、ホトトギスの口の中を見たことがありますか?」

*

「ホトトギスの口の中は真っ赤なんですって。 そして、゛ピピ ピピピ"と鳴くんです。」

「結核を患っていた子規にとって、゛ピピ ピピピ"という その鳴き声が、自分の咳に似てるように感じたんでしょうね。
゛コホコホ コホコホコホ。" ほら、結核の人って そんな咳をするでしょう。」

私も、子規の咳を真似てみました。「コホコホ コホコホコホ。」


「咳こんだ子規が口元から手を離すと、掌には血がついて、口の中は真っ赤に染まっていました。」

「鳴いて血を吐くホトトギスと言ってね、、、それ以来、自分を『子規』と号するようになったそうです。
ほら、゛子規"という字は゛ホトトギス"とも読むでしょう。」


子規がホトトギスに抱いた思いとは、それほど深いものだったんだ。。。


『ホトトギス』の名の由来だけでも とても興味あるものなのに、
゛子規"という文字に゛ホトトギス"という読み方があるなんて、無知な私にとって 非常に面白く勉強になったお話でした。


* * *

そんな話を聞きながら、子規の遺品が数多く展示されている その部屋の中を一巡しました。


こちらは、子規が病歿する迄の僅かな期間に、枕に頭をつけたまま画いたという写生帖です。
2009-07-17 18:35:30


そして、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の中で、
「中学3年の少年が書斎を持っているとは!」と、秋山真之が驚いたという子規の勉強部屋を復元したものが こちらです。
    2009-07-17 18:33:42

第51番 石手寺(いしてじ)

'09.07.12参詣 愛媛県松山市


その昔、伊予の国(愛媛県)に強欲な長者の衛門三郎という人物がおりました。

ある日、三郎の門前で みすぼらしい身なりの僧が托鉢をしようとしました。
何度追いかえしても現れる僧に腹を立てた三郎は、僧の持つ鉄鉢を地面にたたきつけ、鉢を8つに割ってしまいました。
僧も姿を消してしまいましたが、実はそれこそが弘法大師様でありました。

それから、あろうことに 三郎の8人の子供たちが次々と死んでしまいました。
悲しみに打ちひしがれた三郎の枕もとに大師が立ち、あの托鉢僧がお大師様であったことに気付きます。

自分の行いを懺悔して、全てを捨て、お大師様を追い求めて四国巡礼の旅に出ました。
20周しても出会えず、21週目は逆回りで四国を巡りました。

そして、とうとう徳島県の焼山寺(第12番)で行き倒れてしまいます。
そこに やっとお大師様が現れ、三郎は「もう一度、生まれ変わって功徳を積みたい。」と言い残し、息を引き取りました。

お大師様は路傍の石に「衛門三郎再来」と書き、三郎の手に握らせました。

それは、天長8年10月のことでした。

*

数年後、伊予の領主・河野家に男の子が生まれます。
しっかりと握りしめたその子の掌から、「衛門三郎」と書かれた石が出てきました。

その石は、今もここ石手寺に納められています。

そして この伝説が、四国遍路の始まりと言われています。


* * * * * * *


゛困難にある方は、この再生の石をお持ち帰りください。
一年経ったら七個を足して、八個にして、元気になってお返しください。"


境内には、その話にちなんで「七転八起・衛門三郎 再生の石」が無数 置かれてありました。

私も一つ、、、と手に取ったのですが、
十分過ぎるほど恵まれている私が、これ以上欲張ることは あまりにも卑しく恥ずかしいことだと気付き、そのまま置き直して帰りました。



私にとっては両親を喜ばす為、そして ただ物珍しさの為に始めた遍路ですが、

そうだ、、、藁にもすがる思いで遍路をされている方もおられるのだということに、この時 改めて気付くことができました。


なんちゃって遍路の私でも、そこは さすがお大師様。
少しづつではありますが、私にも何かしら悟らせるようにと 働きかけておられるようです。^^

熟田津(にぎたつ)に、、、。

「熟田津に  船乗りせむと 月待てば  潮もかなひぬ いまは漕ぎ出でな」

熟田津にて、船出をしようと月の出を待っていたところ、
    潮の流れも満ちて来て、航海に相応しくなってきた。

          さぁ、漕ぎだそう 今!!!



この有名な句に出てくる熟田津とは、愛媛県松山市の道後温泉の辺りであったと言われています。

3000年の歴史を持つ日本最古の温泉「道後温泉」は、古代から皇室の保養地でもあったそうです。

661年の斉明朝のみぎり、新羅征伐の為に天皇が九州へ向かう途中、それに従っていた女流万葉歌人である額田王によって詠まれました。

その文句からも、そして句間からも漲った力が感じられる、勢いのあるこの歌が私は好きです。


額田王は絶世の美人であった上に、豊かで堂々と歌の才能に恵まれました。
そして、大海人皇子(天武天皇)とその兄・中大兄皇子(天智天皇)の二人からの寵愛を受けたことはあまりにも知られ過ぎていますよね。

まるで女性の幸せを絵に描いたような額田王。
ですが その陰には、彼女の自由を求める強い意思が今にも吹き出てきそうに感じてしまいます。
この句が勇ましくおおらかで、自信に満ちていればいるほど、それとは裏腹な彼女の叫び声が私に届いてくるのです。

そして、それを自分の奥深くに呑み込んで、
キッと前を見据える雄々しい額田王の姿もまた、この句から目に浮かんでくるようです。

* * *


さて、この名句が誕生する65年前の596年に、聖徳太子も道後温泉を訪れていました。

聖徳太子は高麗の僧・恵慈と大和の豪族・葛城臣を従えて、伊予の温泉を楽しまれたようです。^^

その霊妙な温泉にいたく感動した太子は、
漢文体の文章を作り、湯の岡のかたわらに碑を立てました。

その碑は未だ発見されておりませんが、その碑文を刻んだ石碑が「椿の湯」の前に立っていました。
私には、、、意味はさっぱり分かりません。読めもしません。(^^;
                        2009-07-13 21:42:07

* * * * * * *


2月から始めた「遍路の旅」。
この日、初めて゛菩提の道場"である伊予の国の霊場をお詣りしました。
(私の遍路路は順不同ですから、、、。^^;)

それは、どの札所よりも線香のけむりが深く立ちこめている第51番・石手寺。

その帰りに何ヶ所か松山の名所も訪ねましたので、明日から少しご紹介したいと思います。^^

虫の知らせ。

もう10年前のことになります。
社会人になって、数年経った頃でしょうか。


その日も、夏の暑い盛りでした。

仕事中に、何故か『大きな古時計』の音楽が、頭の中で ぐるぐると回るのです。

それも、この部分だけ。
~ てんご~くへ の~ぼるおじいさん とけい~とも お~わかれ~♪ ~

何度 打ち消しても、ぐるぐるぐるぐる 回り続けました。

*

そんな日中の不思議な出来事を すっかり忘れた夜のこと。

大学時代の親友マキちゃんから電話がありました。

「picchuちゃん、まぁちゃんが亡くなったって!」

まぁちゃんとは、ある一時期 よく遊んだ仲間の一人でした。
その中でも 特に私と親しかった彼女は、私のアパートに歯ブラシを常備していたほど、いつも顔を出してくれました。^^


彼女が失恋した時も傍にいたのは私ですし、失恋した相手と再会するきっかけを作ったのも私です。

「まぁちゃん、事故だったそうよ。 広島から浜田(島根県)へ行く途中で…。
向こうのニュースで放送されたから、連絡が入ってきたの。」
その彼と一緒のところを、不運にも事故に遭ってしまったのです。

マキちゃんも声が震えていました。


「あのね、マキちゃん。 私、今日 一日中ヘンだったの。」と、『大きな古時計』のことを話しました。
なんて返事をすればいいのか分からなかったのです。

「そうだったの、、、。 それって、まぁちゃんがお別れを言いに来てたのかもしれないね。」
マキちゃんも涙しながら言いました。

「それなら、まぁちゃんは天国へ行ったんだよね。 あんないい子だもの、絶対に天国だよね。」
そう言って、二人で電話越しに泣きました。

* * * * * * *

あれから、、、
自分の意思とは関係なく、自然と脳裏に浮かぶもの、頭の中で繰り返されるものは、何か特別の知らせかもしれない、そう思うようになりました。

まぁちゃん、また暑い熱い夏が来るのですね。。。

夏休みの自由研究?!

「今年は、9月に長い連休があるのね。」 
この主任の一言から、私のどうでもいい疑問が始まりました。(笑)

*

申し込むには遅いけど、せっかくの秋のGW、、、
そうだ!! どこか海外へ行こう!!!

ふと、思い立ちました。

例えば南半球のクライストチャーチ(NZ)では、そろそろ桜が咲き始める頃。
まだ少し肌寒さを残しているかもしれません、、、。
やっぱり、行くならヨーロッパがいいかな☆

私の知るヨーロッパは、その殆どが年末年始です。
一昨年訪れたザルツブルクで、初めて夏のヨーロッパの素晴らしさを体験しました。
美しく花々が咲き乱れ、真っ青な空を映した湖水と木々の緑の眩しさと。
そして何より、夜の10時近くまで明るいということが、とてもお得な気分にさせてくれますよね。^^

9月のヨーロッパって、すっかり秋の気配かしら、、、?
ザルツブルクもさる事ながら、まだ未踏のアイルランドっていうのも素敵じゃない!(*^^*)

*

そこで、思い立ちました。

アイルランドといえば、かなり緯度が高い国です。
夏に訪れるなら最高ですけど、冬なら長~く冷たい夜が続くことでしょう。

では、9月、、、北半球では秋分の日。 それは昼と夜の長さがほぼ同じ日です。

ということは、アイルランドの首都ダブリンが北緯53度といっても、日中の長さは私の住む町(北緯34度)とほぼ同じなのですから、まずまずの時間まで一人街をぶらついても構わないってことでしょう?!
日の出と日の入りの時刻に多少のずれはあったとしても、全くもってOKです!


さて、その日 真反対の南半球では春分の日になるのですよね。

ならば、この日は世界中の昼と夜の長さがほぼ同じ、12時間ということなのでしょうか、、、?
(厳密にいえば、日本付近では昼の方が夜より平均で14分長いそうです。…大気差による。)


たぶん、その答えで正しいのでしょうけど、私の周りの人は誰も太鼓判を押してはくれません。(T_T)


こうなれば、自分で納得いくまで調べるしかないですよね。

本当は世界中を回って観測したいところですけど(笑)、しばらくはインターネットで日の出と日没の時刻を調べて、引き算をしてみることにします。

どうでもいいことなんですけど、、、
一度 気になり出すと、詳しいデータによる結果を見ないことには納得がいかない私なのです。(^^;

*

以前も、「赤道での夏至と冬至はどうなのか」、、、という疑問を持ったことがあります。

赤道上って、ほぼ日中の長さが一定なはず(?)ですよね。。。
その赤道上において、北半球や南半球における夏至や冬至というものが どんな動きを見せるのか、、、。

その疑問を解消すべく、気象庁や天文関係の機関に電話をしたことがあるのです。
小学生か中学生を装って、可愛い声色を使うつもりだったのですが、、、(笑)
ですが、誰も電話に出てくれませんでした。。。(悲)

*

この際、それも自分で調べてみよう!

これを今年の夏休みの自由研究にしよう!!(笑)(注 : 夏休みはありません。><)


正確にほぼ近い答えを導くべく、気分だけは中学生に戻って調べてみたいと思います。^^


そして、、、
すっかり こちらの方に気を取られ、9月の海外旅行気分はなくなりました。(爆!)

2009-07-09 19:54:29
~夏のハルシュタット('07.07.15)~

負けるな?! 慎太郎☆

高知県北川村。
「モネの庭(6/30日記)」で有名になったその村は、明治維新の立役者・中岡慎太郎の出身地でもありました。

「モネの庭」より車で10分。 少し山手へ向かって下さい。^^
そこには中岡慎太郎の生涯と業績を紹介した歴史資料館と、その周辺に慎太郎縁りの史跡が残されています。

実は、京都の寺田屋まで足を運ぶほど坂本龍馬のファンだった私も、片や中岡慎太郎には 全く興味がありませんでした。
いつも龍馬の後をついて歩く゛おまけ"のような存在でした。
実際、TVなどで幕末の志士が取り上げられる時、慎太郎は必ずと言っていいほど龍馬と共に、いえ龍馬の陰にあります。
「決して 主役になれない男」、、、それが私の持つ慎太郎像でした。(笑)

*

その日、「モネの庭」を見学し終わった私は、そのまま帰途につくつもりでした。


「もう帰るが~?(土佐弁です。^^)」 慎太郎が私を呼び止めたのでしょうか?!

不思議と、心の奥底から慎太郎が不憫で仕方なくなりました。
坂本龍馬の弟分としてではなく、一人の志士として、中岡慎太郎が近代日本に貢献したものは大きなはずです。

「慎太郎が気の毒で、、、。」 それが口癖のように、一路 慎太郎の生家へと向かいました。

それは、幕末の志士たちの遺品や書画などを展示してある゛中岡慎太郎館"から徒歩一分。
少し下った処に、茅葺きの屋根が見えてきます。
そして、少し早い蝉の鳴き声がミンミン響いておりました。

2009-07-06 18:57:08

入り口には、「よう来てくれたのぅ。 慎太郎は待ちゆうきよぉ。」の張り紙が。。。
少し遠出になったけど、はるばるここまで来て良かったかな。
なんだか嬉しくなってきました。^^

さすがに こんな辺鄙な処、
他の見物客は一人もおらず、私と両親はゆったりと寛ぐことができました。
さわさわと竹やぶからの涼しい風も入ってきます。
奥に積み重ねられた座布団を見つけ、それに凭れかかり足を伸ばした私は、少しの間 うつらうつらと居眠りしました。
                2009-07-06 18:57:39

*


龍馬率いる海援隊に対して、陸援隊の隊長であった慎太郎。
この二つが車の両輪となって、世の中の流れを変えて行きました。

薩長同盟へ導いたのは何も龍馬の力だけではありません。
龍馬と慎太郎の二人三脚だからこそ、成し遂げられたことなのです。
私には、
「龍馬さんよぉ~。 わしゃぁ、これからの時代、薩摩と長州が手を結ばんことにゃぁ、話にならんと思うぜよ。」
と、慎太郎の方から龍馬に働きかけたような、そんな台詞が聞こえてきました。(わが妄想・笑)


それもこれも、この慎太郎の気さくな笑顔を見たからです。^^
2009-07-06 18:56:56

この写真は、慎太郎が亡くなる1年前に京都の祇園で撮影したものだそうです。
左側には女性が写っていたそうですが、慎太郎が削りとったと言われています。

「謹厳実直な性格ながら、実はけっこう女好きだった」
陸援隊のメンバーに、こう暴露もされています。(笑)

龍馬さんも好きですが、この笑顔のおかげか 慎太郎がうんと身近に感じられる今日この頃です。^^

弥太郎伝?!

そういえば、現在 横浜では開国150年を記念して、色々なイベントで賑わっているようですね。

滋賀県でも゛井伊直弼と開国150年祭"が開催中のようですし、、、。


そこで(?)、
私も、幕末に活躍した土佐の゛いごっそう"らと縁りある場所を訪ねてみようと思いつきました。(笑)

先週末に訪れた高知県安芸市は、三菱財閥の創業者である「岩崎弥太郎」の生まれた町です。
来年のNHK大河ドラマ、福山雅治さん主演の「龍馬伝」では、その岩崎弥太郎から見た坂本龍馬が描かれているようですね。

弥太郎は、龍馬率いる海援隊の経理を担当していたのだとか。
そして、海運業で世界に挑むという龍馬の遺志を受け継ぎ、「三菱商会」を立ち上げました。

*

2009-07-05 21:19:22
こちらが、岩崎弥太郎の生家です。

今も岩崎家が所有しており、その保存管理は行き届いています。
ただ 敷地内はひっそりと 人の気配も感じられませんでしたので、泥棒と間違われては大変と(笑)、家の周囲を一周しただけで帰ってきました。


それでも、座敷と思われる部屋から見下ろす場所に、小さな庭を見つけました。

それは、弥太郎少年が日本に雄飛する夢を託して、自分で造ったものだと説明にありました。
そう言われてみれば、見方によっては日本列島に見えなくもないでしょうか…?!
                2009-07-05 20:47:43

オーラのある人。

いつもお世話になっているU内科医院にて。


受付を済ませた私に、柱に貼られた大きなポスターが目に入りました。

それは、「速水史郎展」のご案内。

速水史郎さんとは、香川県多度津町出身の彫刻家で、主に和瓦の技法を用いた黒陶と石彫の作家です。
そして、先生のアトリエは私の職場のすぐ近くにあります。


(以下、gallery ARTEさんのサイトによる)
速水作品の特徴は、大地の中にある生命のエネルギーをイメージさせる、簡明な形態と強靱な構成の中にあり、ことに瓦による黒陶は他に例を見ない独自のもので柔らかい曲面の有機的な形態を持っています。

また、石彫では剛健でしかも人間的な暖かさを持つモニュメンタルな作品が多く、東京都庁や国立科学博物館などをはじめとして、全国の100ケ所を越える公共スペースに設置されております。


(愛知県立芸術文化センターにある゛阿吽"という題名の作品が、最も速水先生らしいと思いますので、ここに写真をお借りします。)
速水史郎.jpg

* * *


その速水先生の新たな試み、「光」をテーマにした作品展が、現在 香川県坂出市の゛かまどホール"にて開催されているようです。

そういえば、数日前にも新聞に載っていたなぁ~、、、なんて思いながら振り向くと、


あれ? もしかして、あの人は速水先生?

隣りには白髪の女性が寄り添って、黒いTシャツにジーンズ姿のおじいさんが待合席の奥に座っておられました。


何気なく寛いでいる様子でしたが、どこか他の患者さんとは違うようです。

眼鏡の向こうにある視線も、お年寄りながら強い何かを感じます。

速水先生は、今年で82歳になられます。 
それにしては、そのおじいさんは かなり若く見えます。 初老といった雰囲気です。


でも、もしかして、、、やっぱり速水先生?
まさかねぇ~、、、いくら地元といっても、病院で偶然一緒になるなんて…。

チラチラっと横目で観察。。。
その清潔そうな おじいさんが、私にはどうしても速水先生のように思えて仕方ありません。

でも、私、、、速水先生のお顔を知らないし、、、。
どうして、この人が速水先生だって思うのかしら…?


そんな時、「速水先生、どうぞ~!」と看護婦さんの声。

やっぱり、速水先生だったんだ!!!

何かに秀でている人は、そして いくつになっても新たな挑戦をし続ける人は、独特のオーラがあるのですね。
ある病院でのひとコマの風景でしたけど、ちょっぴり感動しました。

*

速水先生は「あまのじゃく」という作品で、世の中に認められるようになりました。
そのモニュメントが、私の子供時代には小学校前にある町役場の噴水の中に立っていました。

クネクネしたヘンテコな彫刻、、、それが私の速水作品のイメージでしたが、
年老いた速水先生の凛としたお姿に、そのご無礼をお詫び致します。^^

見て、見て、見て♪(^^)

「貴女もがんばってますか?」
そうメールをくれたのは、高校時代の恩師・坂田福子先生でした。^^


坂田先生は、私の絵の先生です。 
その昔(笑)、職員室にいる先生の元へ、私の下手なデッサンを見せに 毎週 通っていました。


エネルギッシュな先生の作品は、いつも私に元気をくれます。

先日も、先生が子供たちと一緒に 毎年応募されている「全国かまぼこ板の絵展覧会」の出品作品を、写メールで送って来て下さいました。

先生は大の猫好きです。
その可愛らしい2匹の猫が、まるで水面から顔を出しているかのように、かまぼこ板の模様を上手く利用して描かれていました。

この作品、愛媛県の西予市文化協会長賞を受賞されたそうです。^^


見て、見て、見て♪
ねっ、とっても可愛らしいでしょう~!!(*^^*)


* 先生の愛すべき作品は、'08年 11/10~12の日記にも載せてあります☆

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