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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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第66番 雲辺寺(うんぺんじ)

'09.08.23参詣 徳島県三好市
(現在、本堂は修復中です。)


「はるばると 雲のほとりの 寺にきて 月日を今は 麓にぞ見る」(空海)


雲辺寺は、四国霊場中最高峰にして 海抜921メートル、僧侶達からは゛四国高野"と称されています。
場所は徳島県と香川県との県境、香川県観音寺市からロープウェイに乗ると、簡単に山頂まで登れます。^^

これで三度目の雲辺寺詣ででしたが、今回初めてロープウェイを使いました。
全長2694メートル、高低差657メートルも僅か7分で到着です!!
以前は 雪の中、足場の悪い遍路路を歩いて登ったこともありますが、その時は半日近く掛かりました。

楽チンな上に、遠く見下ろす讃岐平野と瀬戸内海の景色の素晴らしさに、、、
ロープウェイさん、ありがとう。(o^―^o)

*

789年、16歳の弘法大師が善通寺(2/9日記)建立の材木を探すために この場所を訪れました。
そこで秀麗な山の趣きに心を打たれ、一夜にして堂宇を建立し、↑の句を詠まれたのだとか。
(開基は807年。)


戦国時代、このお寺に土佐の大名・長宗我部元親もお詣りに来たそうです。
元親は、眼下に広がる山河を見降ろして、四国制覇の野望を抱きます。

それを住職の俊崇和尚に話してみたところ、「貴公は土佐一国の主の器だ。やめておけ。」と諭されたのだそう。(笑)

しかし、元親はその言葉を聞き入れず、「仏法のことは住職だが、兵法のことは武士が決めるもの。」という臣下の進言を受け入れて、ついには四国統一の兵を挙げてしまいました!(><)

そのため四国は戦乱の巷となって多くの寺が焼かれ、雲辺寺もまた炎上してしまうのです。。。

1585年、元親は四国を統一。
けれど同年、豊臣秀吉に攻められ降伏し、
結局、阿波(徳島)・讃岐(香川)・伊予(愛媛)の土地は没収され、土佐一国のみ領有を安堵されたという話。(^^;

和尚さんの言葉に素直であったなら、無駄な血を流さずにすんだのにね。(T_T)

その後 雲辺寺は、徳島藩主・蜂須賀家の祈願所として再興されたそうです。


この話を戒めに、
私も変な野望を抱かずに、人の意見には素直に耳を傾けられる人になろうと思いました。(笑)

*

このお寺には、等身大の羅漢像が500体も並んでいます。
羅漢とは、お釈迦様のもとで悟りを開いた高層たちのこと。
2009-09-03 19:34:31

中には、こんな剽軽な像もありました。^^   2009-09-03 19:36:38


             2009-09-03 19:32:41

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思い出詰まったスニーカー。

このボロボロになったスニーカー、、、もう日常生活では使えないけれども、あと二度の出番を残しています。

そして 全ての役目を終えてしまったら、私の人生最期の時までこのまま保存しておいて、一緒に土へと帰るつもりです。(笑)


*

他の人にはゴミに見えるこのスニーカー、私の世界旅行の記憶がいっぱい詰まっているのです。^^


これを履いてモンゴルの大平原に立ったのは9年前。
ニュージーランド一周の旅も、常に足元にはこのスニーカーがありました。


オーストラリア大陸の濃い赤土にまみれて、一時はスニーカーまでもがレンガ色に染まってしまいました。

映画『AUSTRALIA』でも映し出されていましたが、あの大陸の大部分を占める砂漠には、独特の赤土が広がっています。
私が参加した世界中から若者が集まる゛コンチキツアー('08.7.11日記)"では、その赤い大地に寝袋のまま星空を見上げて眠った夜もありました。
夜中に激しい雨が降ってきて、急遽テントに移動しましたが、 それまで横になっていたその大地はあっという間に池となり、今まで歩いていた道も川になってしまいました。
びしょ濡れになった私と同様、すっかり水を染み込んでしまったスニーカーを、グショグショさせながらウルル(エアーズロック)へと向かったあの日のことが懐かしい。(^^)

当時の写真を広げると、スニーカーだけでなく日に焼けた私の顔までも赤土に染まっていました。(笑)


その赤土は、続く南米旅行でペルーの土と同化しました。
インカの天空都市・マチュピチュの背後に聳えるワイナピチュ、この山頂に登った時がその限界だったのかもしれません。

けれど ウルルもマチュピチュも、このスニーカーは私よりも近い場所でそのパワーを感じていたはずです。


この思い出詰まったスニーカーを、私はいつまでも残しておくことにしました。
(思ったほど臭くないし。。。・爆!)

*

ユーラシアもオーストラリアも南米大陸もこのスニーカーで踏んだんだ!

そこで、このままただ残しておくだけでは勿体ないと、全ての大陸をこれで制覇しようと決めました。^^

すでにくたびれきった状態でしたが、荷物が増えることも気にせずにアメリカまでも持って行きました。
せめて、一歩だけでも。。。

サンフランシスコの空港でたった3歩しか歩きませんでしたが、これで北米大陸もOK(?!)☆


残すはアフリカと南極大陸です!!

アフリカのサバンナでライオンに追いかけられてもこのスニーカーでは逃げられませんし、南極では滑って氷の隙間に落っこちちゃいそうですが(笑)、
それでも、あと二度の出番が楽しみです。


今日は、私の宝物を紹介してみました。(*^^*)

『AUSTRALIA』、観ました☆

日本では、今年の2月に公開された映画『AUSTRALIA』、、、
DVDになるのを待ちかねて、先日 早速に借りて来ました。^^

まだ新聞配達も来ていない早朝の静けさの中、私はちょっと興奮気味にDVDを再生しました。(笑)
AUSTRALIA.jpg


* * *


全体を通しての私の印象は、、、この映画、賛否分かれるだろうなぁ~というもの。

キャストもテーマも、そして壮大なスケールの映像も、どれをとっても素晴らしいはずのものなのに、゛もったいない"というのが一番の感想でした。


そこには、ニコール・キッドマン演じる英国貴族のサラとカウボーイ・ドローヴァーの身分違いの恋物語だけでなく、
オーストラリアの原住民・アボリジニの゛盗まれた世代"、また第2次世界大戦における日本の「2月19日のダーウィン大空襲」までが描かれていました。

゛盗まれた世代"については、
昨年2月にオーストラリア首相ケビン・ラッド氏が公式謝罪したことが記憶に新しいうちに、映画が公開されたのは良かったなって思います。^^
(オーストラリアでは昨年11月に公開)
*6/20にも書きましたが(『裸足の1500マイル』)、
オーストラリア政府は1869年から1969年まで、アボリジニと白人の混血の子供を親元から引き離し、彼らを野蛮な風習から守り、進んだ(と思い込んでいる)白人文化を強制的に植え付ける政策を行いました。


では何がもったいないかというと、上手く言葉では表現できないのですが、その意味ある内容が上っ面な、もしくは嘘っぽい感じを受けるのです。
それは恋物語がメインだから???
いえいえ、そんな単純な映画ではないでしょうに、、、。

*

映画の中の日本軍による大空襲を描いた場面で、オーストラリアに上陸した日本兵がアボリジニを撃ち殺すシーンがあります。
しかし、史実としてはそれは誤りで、日本軍はオーストラリアに上陸していないとのこと。

ということは、映画を盛り上げる為に虚偽の内容までも含まれているということ。
だからでしょうか、その他のシーンまでもがより嘘っぽく感じられてしまったように思うのです。^^;


そこで思い出したのが2001年5月公開の映画『パール・ハーバー』。
ご存知、真珠湾攻撃を背景に描かれた戦争&恋愛ものです。

この映画で真珠湾攻撃をより強烈に(アメリカ)国民に思い出させた後、あの「9・11」。

私は何かのTV番組の影響で、テロ組織と当時のアメリカ・ブッシュ政権との関わりを強く疑うようになりました。
だって、あまりにも映画公開時期と前宣伝が上手くでき過ぎていたから。
「9・11」を真珠湾以来の屈辱だと豪語した、アメリカ政府こそが実に怪しい。。。
映画に流されてはいけないと、この頃から思うようになりました。

映画『AUSTRALIA』で描かれている「ダーウィン空襲」とは、日本軍によるオーストラリア本土攻撃の皮切り日であり、真珠湾攻撃よりも激しいものだったと言われています。
オーストラリアで生まれ育った者なら誰もが知っている歴史。
それをあえて大袈裟に取り入れているとは、、、?

まぁ、映画『AUSTRALIA』の公開からは少し時間も経ちましたし、政府との関与は私の思いすごしでしょうけれど、
とにかく大宣伝のおかげで興行成績は良かったけれども、(オーストラリア)国内では酷評する人が多かったというのも『パール・ハーバー』と同じですね。。。


*

ですがこの映画、私は結構気に入って観れました。

それは、髭面をしたカウボーイ役のヒュー・ジャックマンがとってもセクシーだったから。
私って単純!? (笑)

そして彼がオーストラリア人だからでしょうけど、あの広大な大陸ととてもよく似合ってる。(*^^*)


原住民と白人とのハーフの少年ナラのキラキラ輝く瞳も、私の心をきゅん♪とさせました。

オーストラリア大陸の魅力が思う存分映し出された映像も必見!


2時間45分という長時間でも、途中で休むことなく最後まで楽しめました。

ただ、、、だからこそ、少し残念だなぁ~、勿体ないなぁ~って余計に思ったのかもしれません。

   オーストラリア.jpg

以上は、あくまでも私個人の感想に過ぎません。
これを気になさらずに、しっかりと映画をお楽しみくださいね。^^

奥祖谷二重かずら橋。

2009-08-24 18:34:30

~剣山(標高1955m)を源とする祖谷川の清流をまたぐ奥祖谷のかずら橋。
 その昔、平家の落人が源氏の追手を防ぐため、いつでも切り落とせるように「しらくちかずら」でつくったと伝えられています。~


平家の悲話が残る、徳島県祖谷(いや)地方。
そこは日本三大秘境とも謳われ、今なお物悲しい雰囲気を漂わせています。

そんな山道をクネクネと車を走らせ、有名な『祖谷のかずら橋』へ行って来ました。
それも、すっかり観光地化された西祖谷のかずら橋ではなく、もっともっと祖谷川を上流へと進み、秘境の趣きたっぷりの『奥祖谷二重かずら橋』を訪ねました。


真夏の暑さを忘れさせてくれる祖谷川の澄んだ青さは、その水面に古くから伝わる伝説を映し出しているかのようでした。

まるで平家の落人が都をしのんで奏でた琵琶の音色が、どこからともなく聞こえてくるような、、、
壇ノ浦の合戦ではありませんが、まさに小泉八雲の描く世界に似てるかも。。。^^

2009-08-24 18:35:57

     2009-08-24 18:39:18

               2009-08-24 18:36:56

* * *

゛平家物語"の名場面「扇の的」で知られる屋島(香川県高松市)の合戦、続く志度での戦いに敗れた平家の一族は、ご存知のように関門海峡の壇ノ浦まで退き、最期の決戦に挑みました。

その壇ノ浦の合戦において、三種の神器と共に入水した安徳天皇と平教経。
平教経とは平清盛の異母弟・教盛の次男であり、平家随一の猛将でした。(幼名、国盛。)

平氏一門は安徳天皇と共に壇ノ浦で滅亡した、、、そう教科書では習いましたが、ここ祖谷地方にも また別の伝説が残っていました。

*


屋島の合戦に敗れた平教経 率いる30名の残党は、讃岐山脈を経て阿波の吉野川を遡り、深い渓谷の奥へ奥へと逃げ隠れました。

教経は、幼い安徳天皇に三種の神器の一つ・草薙剣を持たせ、平家再興の望みを抱いて東祖谷地方へ落ち延びたというのです。

祖谷地方には、教経が屋島より奉持してきたと伝えられる日本最古の軍旗「平家の赤旗」や「安徳天皇御火葬場」など、平家の名残りが数多く見られます。


そんな平家の落人が、剣山の馬場に通うために架けたと言われる『奥祖谷二重かずら橋』。
剣山山頂(平家の馬場)では、落人達が再起を期して軍馬の調練をしていたのだとか。

そして、その剣山(つるぎさん)の名前こそ、安徳天皇の剣が納められたことに由来すると言われています。


ただでさえユラユラ揺れるかずら橋の上を歩くだけでも怖いのに、ここに眠る平家の落人達の無念さを思い起こすと、真夏の炎天下でも随分と涼しく感じられるかもしれませんね~。
ひゃぁ~!!(><)(笑)

ですが、そこから感じるものは怖さよりも哀れです。。。
                  2009-08-24 22:18:58

ジョン万次郎の夢!

*このタイトルは、劇団四季のファミリーミュージカル・「ジョン万次郎の夢」よりお借りしました。^^


ニュージーランドへ渡って3週間。
ホームシックに陥った自分を励ますために、カイコウラへ日帰りの小旅行に出掛けたものの、まだ心は沈んだままでした。
すでに語学学校へ通う手続きも整い、ボランティア先を斡旋してくれる事務所を回りながらも、一人ぼっちの寂しさに常に涙腺は緩んでいました。

その頃には すでにホームスティ先を出て、゛KIWI HOUSE"というフラットへ引っ越していました。
そのフラットの居間にあった本棚を前に、一冊の本が私の目に留まりました。

星亮一著『ジョン万次郎 ~日本を開国に導いた陰の主役』(PHP文庫) 
ジョン万.jpg



とりわけ近現代史に疎い私でも、同じ郷里の偉人である「ジョン万次郎」くらいは知っていました。
(私も高知生まれです。^^)

以前の日記にも書いたことがありますが、私の最も尊敬する歴史上の人物がジョン万です。^^
読書の苦手な私でも、その時は日本語に飢えていたこともあってか(笑)、その本を貪るように隅から隅まで読みました。

幕末から明治にかけて、日本を大きく舵取りした「ジョン万次郎」。
彼の生涯を描いた小説によって、私のうじうじした気持ちが晴れ渡っていったのです。

この一年、何とか海外で生きていけそう☆

* * *


そんな私の恩人(?)でもあるジョン万次郎は、現在の高知県土佐清水市の出身です。
足摺岬にある中浜の貧しい漁師の家に、ニ男三女の次男として生まれました。

そのジョン万次郎に関する資料や遺品、当時の捕鯨・航海に関する資料を展示した場所・『ジョン万ハウス』が、足摺岬から竜串(7/22日記)へと向かう途中の゛海の駅あしずり"にあるのです。


14歳の時、出漁中に漂流をした万次郎は、アメリカの捕鯨船に救助されました。
積極的に英語を覚え、人一倍役に立つこの少年を大変気に入った船長によって、
彼はマサチューセッツ州フェアヘブンで英語に数学、測量、航海術、造船技術といった当時の最新術を学びます。
また、アメリカで見た民主主義や男女平等なども、これまでの彼の概念を覆しました。

その知識や技術を持って、命がけで帰国した万次郎を受け入れてくれたのが薩摩藩主・島津斉彬公でした。
鎖国の日本に島津斉彬公がいなければ、帰国の翌年に浦賀へ黒船がやって来なければ、もしかすると万次郎は歴史上に名を残さなかったかもしれません。

まさに時代が彼を呼び、そして育てていったのだと思います。


本のページが進めば進むほど、私は万次郎に強く興味を抱いていき、
゛足摺岬を訪ねる時は、絶対に『ジョン万ハウス』にも行く!!"と、決心しておりました。^^

*

そこにはジョン万次郎の足跡や、彼が耳から学んだ英語の表記まで残っていました。
そして、彼から大きな影響を受けた幕末の志士達の顔も並んでいました。

やはりその中で一番に目を引くのは坂本龍馬でしょうか、、、。


万次郎から聞いた外国事情や 日本を離れていた10年間の体験を、
「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」としてまとめた河田小龍(かわだしょうりょう)という人物がいます。

その小龍から、アメリカの現状を踏まえ、開国の必要性や外国に追いつくための方法などを聞いて感化されたのが坂本龍馬でした。
その後 龍馬は脱藩し、勝海舟の門下に入ります。1862年のことです。


そして、龍馬といえば海援隊、それと「船中八策」でしょう。
龍馬が描いた国家構想である「船中八策」に基づき、後藤象二郎が山内容堂を説いて大政奉還が実現しました。

その礎にジョン万次郎が欠かせないことを、私は『ジョン万ハウス』で初めて知りました。



海水浴の季節に訪ねたこともあって、かなりの人出にうんざりしたことも事実ですが、
疲れた体に鞭打って、ジョン万次郎の生まれ故郷を訪ねたことは正解でした。^^


「日・米には目に見えない9,000キロの橋がかかった。」
その言葉通り、ジョン万次郎は近代日本の国際人第1号なのですね!

                    2009-07-25 18:20:16
                    足摺岬に立つ「中浜万次郎(ジョン万次郎)像」



*私のブログ仲間である「gundayuuさん」の8/14の日記に、ちょうど「坂本龍馬の船中八策」について詳しく書かれてあります。
gundayuuさんはあまり表に出ていない歴史にまでも明るい方で、私はそんなgundayuuさんのファンであると共に隠れ(?)生徒です。(笑)
http://plaza.rakuten.co.jp/gundayuu/diary/200908140000/

ニュージーランドには羊ですね。(笑)

せっかくニュージーランドで生活していたのに、私もファームスティを体験すれば良かったと、後になってすご~く後悔。。。

今からでも遅くはないかな? 
一週間の休暇を取って、ファーム体験の為にニュージーランドへ渡るのも悪くはないですよね。(笑)


* * * * * * *

クライストチャーチ発 ホエール・ウォッチングのJTBツアーは、
早朝7時の出発で、クライストチャーチ近郊の鉄道駅から゛トランツ・コースタル号"に乗車することから始まります。

ニュージーランドの長距離鉄道は、その殆どが一日一往復。
それは日々の移動手段としてはあまり役には立ちませんが、窓の外に広がる雄大な自然を眺めながらのゆったり旅は、日本にはない贅沢な時間を味あわせてくれるのですよ。^^


カイコウラ駅に到着後、まずはツアーのメインであるクジラを見る為に、大型高速艇に乗船します。
南太平洋をクジラやイルカたちと共に満喫した後は、あるご家庭に招かれてクレイフィッシュのランチを戴きました。(*^^*)

そのご家庭ではファームスティの受け入れをしているらしく、そこに短期間滞在している日本人の女の子とも知り合えました。
彼女の部屋には透明なガラス張りのシャワールームも用意され、可愛くベッドメイキングされた白いお部屋に、まるで洋画の中に紛れ込んだ感じです♪


「食事の後は羊の毛刈りを見せるわね~。^^」
このご家庭は、陽気なお父さんと笑顔の素敵なお母さん、そして小学生の息子さんの3人暮らし。
お母さんの明るい声がよく響きます。

お父さんに案内され、広い牧場に溢れる羊たちののどかな風景を見せて戴きました。


はいっ、これでこそ、ニュージーランド☆^^

2009-08-13 20:44:34 2009-08-13 20:45:11

   2009-08-13 20:44:06


これが、多くの日本人が抱くニュージーランドのイメージでしょう!



この日、ガイドのクリスさんから「子羊前線」のお話を伺いました。('08.03.22日記)


「羊渋滞」に会った時、クラクションを鳴らすことさえ禁じられているっていうのもニュージーランドらしいですよね。^^

私が出会った羊たちは、背後から車が近付いても前へ前へと逃げますから、いつまで経っても渋滞は改善されないままでした。
でも しばらくすると、その中でも賢い羊が横に避ければいいことに気付くんです。
そうなると、民族の大移動のように全ての羊がじわじわと横へ移動するんですよ。
あの、ちょっと間の抜けた表情で!(笑)

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