I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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アンナ・カレーニナには黒髪が、、、

今、光文社刊行の望月哲男さんによる新訳『アンナ・カレーニナ』を読んでいます。

とはいっても、
本を開くと眠くなる私ですので、その進行具合は遅々として進まず、、、。(^^;

場面はアンナの兄・オブロンスキーの離婚騒動の只中、、、
そう、アンナの登場どころか、未だこの長編小説の入り口でウロウロとしております。(苦笑)

* * *


そんな私の救いの主(?)か、
レンタルショップで偶然見つけた映画版『アンナ・カレーニナ』。

数多く撮られた中でも、フランスの人気女優ソフィー・マルソーがアンナを演じた、1997年版の作品です。
アンナ・カレーニナ.jpg


~ 浮気がばれたオブロンスキー公爵は、調停役として妹のアンナをサンクトペテルブルクから呼び寄せる。

モスクワに到着したばかりの汽車から降りようとしたアンナは、偶然 母を出迎えに来た青年将校ヴロンスキーと対面する。

一瞬、時間が止まったかのように交差する視線。

ロシアの高官カレーニンの妻であり、8歳の息子セリョージャの母親であるアンナに、ヴロンスキーは一目惚れしたのだった。


華やかな舞踏会で再開した二人。
アンナに夢中とあからさまに分かるヴロンスキーの視線とは対照的に、アンナはそれを上手くはぐらかす。
しかし、眩い二人が手を取り合って舞う姿は絵に描くよりも美しく、その短いダンスが「アンナの子宮に火をつけた」のだった。~

この場面、特別に美しいんです。^^
漆黒の長髪を艶っぽく結いあげたソフィー・マルソーは、まさに私のアンナ像とぴったりでした。

この恋に堕ちる瞬間、それがいいか悪いかは別として、この瞬間こそが絶頂の時。
アンナの中の何かが弾け、理由もなく熱く踊り出した感覚が、一観客である私の心にも連鎖しました。

*

~ 束の間の夢から逃れたはずの、サンクトペテルブルクの現実へと帰るアンナの前に、そこにいるはずもないヴロンスキーが立っていた。
真っ暗な夜の吹雪の中で、ヴロンスキーは抑えきれない想いをアンナに告げる。

「あなたの言葉 あなたの身振り 一生忘れません。」~


~ いつしか激しく求め合う二人の関係は社交界の話題となり、夫カレーニン公爵の耳に届くことになる。

「死にそうに不幸なの。」
離婚を申し立てたアンナだが、夫は息子の親権を盾に拒否をする。

すでにアンナの中には、ヴロンスキーとの新しい命が宿っていた。~


~ アンナは流産する。

軍隊を辞し、アンナを連れてイタリアで生活を始めるヴロンスキー。
しかしアンナの離婚問題は進展せず、モスクワへ戻った二人は世間から圧し掛かるプレッシャーと冷ややかな視線に耐えきれなくなっていく。

屋敷から出ることもままならないアンナは、とうとうヴロンスキーさえも信じられなくなり、やがてアヘンに溺れ出す。

アンナの選んだ結末は、あまりにも悲しすぎる最期であった。~


壊れていくアンナ、、、
その壊れゆく過程と、自分ではどうにも止められない狂った感情が痛いほどに伝わってきました。

さすがはソフィー・マルソー、アンナ以上にアンナになりきっていたと思います。

これを男であるトルストイがどう小説の中で表現しているのか、、、本を読む楽しみが増えました。^^


*

この二人のいきさつを、まるで二人の対角線上にいるかのような、
地主貴族リョーヴィンと 昔はヴロンスキーに淡い恋心を抱いていたキティとの、堅実な愛と対比させながら描いて行く。

リョーヴィンはトルストイ自身なのか、、、。

最後に悟りきったかのように語られるリョーヴィンの言葉は、全てを失ったヴロンスキーの心に響くのか、、、。
いや、読者(観客)の元まで届くのであろうか。


トルストイが描く世界なのですから、それは単なる不倫話でも悲恋でもなかったわけです。

それを理解するには、その感想を語るには、
私はあまりにも無知で、これまで浅はかな人生しか送ってこなかったことに気付かされました。

*

また、この小説の要となるシーンごとに登場する鉄道や駅舎。


光文社刊行の第一巻の巻末に掲載された読書ガイドによると、

当時、ロシア社会の急速な近代化を示す指標のひとつが鉄道の発達ぶりであり、この物語が描かれた1874年にはその長さは約18,000キロにも及びました。

しかし、近代化のシンボルであるその鉄道を、当時の作家たちの多くが、世界の基盤を揺るがす破壊装置のように不吉なものとして描いているのが興味深いです。

急速に広まる鉄道網が無神論や物質文化を広めて世の滅亡を招き、人間を破壊的な試練にいざなう呪われた機械として登場するとのことですが、
なるほど、だからこそ、あれほどまでにインパクトのある描き方がなされているわけですね。

そういう時代背景を知るだけでも、一歩 話に踏み込めます。^^

これから入門するロシア文学、やはり歴史も並行して勉強する必要がありますね。



何もかも上辺しか汲み取れなかった私ですけど、この映画を見て一つだけ確かなこと。(笑)

* アンナ・カレーニナには黒髪がよく似合う *
アンナ(ソフィー・マルソー)の哀れなまでのその美貌が、この物語をいっそう美しく切なく見せてくれました。


そして、映画に使われたチャイコフスキーの音楽と、白く澄んだロシアの原風景が実に素晴らしかったことは言うまでもありません。

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景色はいい処だった。

景色はいい処だった。

寝ころんでいていろいろな物が見えた。

前の島に造船所がある。
そこで朝からカーンカーンと金槌を響かせている。

同じ島の左手の山の中腹に石切り場があって、松林の中で石切り人足が絶えず唄を歌いながら石を切り出している。
その声は市のはるか高い所を通って直接彼のいる所に聞こえて来た。

                             ~志賀直哉 『暗夜行路』より~


せっかくなので、今度は尾道へ行って来ました。


大学時代の夏休み、鈍行列車に揺られながら、4時間掛けて広島から香川へ帰ったことがありました。

「おのみち~、おのみち~」

駅から見上げる尾道の町は、海沿いのすぐそこまで山が迫っていて、家々の瓦が段々畑のように処狭しと連なっていました。

ここが、尾道か、、、。

林芙美子が小説「放浪記」に描き、大林宣彦監督が何度も何度も映画に登場させた町。
子供時分、殆ど映画を見ることのなかった私でも、大林監督の「尾道三部作」の話くらいは知っていました。

本当に急な坂が多そう、、、私は列車の窓から顔を上げ、そう思いました。


その尾道へ行って来ました。

* * *


思いつきで決めた尾道行き、まずは町のシンボル的存在である千光寺へと向かいました。

千光寺は千光寺山の中腹にあります。
中国地方では珍しい朱塗りの舞台造りで、そこから見下ろす町並みと瀬戸内の眺めが素晴らしいと、私は期待に胸ふくらませ訪ねてみました。

実際は千光寺のお寺そのものよりも、この地にゆかりある多くの文人たちが残した足跡こそに風情を感じました。



「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。
ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。

其頃から昼間は向島の山と山との間一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。
それはピカリと光って又消える。
造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。   (『暗夜行路』より)」



父と大喧嘩した志賀直哉は、家を飛び出し、知人から「いい処」だと聞いた尾道へとやって来ます。(大正元年)

そして、小説『暗夜行路』の一節そのままに、「三軒の小さな棟割長屋の一番奥」で半年ばかり暮らしていました。

その長家は千光寺から少し下った処にあり、また寺の多い尾道では彼の言葉通り、夕暮れ時にはお寺の鐘の音がゴーン ゴーンと響いてきたことでしょう。

志賀直哉の、見事なまでの写実さに驚きます。


千光寺山麓には、林芙美子をはじめとする尾道出身の文学者たちの記念室と、
アララギ派の歌人・中村憲吉が最晩年を送ったという旧居、そして志賀直哉が過ごした長家があり、
これらは「おのみち文学の館」として、文学の町・尾道に相応しい趣きを持っています。


志賀直哉はこの町で、彼の唯一の長編小説『暗夜行路』の前身である「時任謙作」に着手しました。
この町が、彼の代表作を生み出したといっても過言ではないでしょうか、、、。


直哉が住んでいたという その部屋には、真ん中にぽつんと机と文箱が、その脇には旅行カバンが置かれていました。

ここに寝転んで、彼は尾道の町を、尾道水道の向こうに造船所を、そして山腹の石切り場を眺めていたのでしょう。

志賀直哉旧居

「十時になると多度津通いの連絡船が汽笛をならしながら帰って来る。
ともの赤と緑の灯り、看板の黄色く見える電灯、それらを美しい縄でも振るように水に映しながら進んで来る。

もう市からはなんの騒がしい音も聞こえなくなって、船頭たちのする高話の声が手に取るように彼の所まで聞こえて来る。   (同上)」



この部屋に上がらせてもらった私達が窓から外を眺めていると、録音された『暗夜行路』の一節が流れてきました。

多度津からの連絡船はとうの昔に廃止され、今では船の数も減ってしまってはいるものの、
まさに、小説の中の景色が目の前の風景と重なります。


ちょうど大正時代に、私の母方の祖父母が、新婚旅行で四国の多度津から連絡船で尾道へと渡りました。
時代は志賀直哉が尾道に滞在した頃よりも10年近く後のことですが、
この場所に立ち、『暗夜行路』の一節を聞かせてもらうことで、自分も何かしら ここに縁があるように感じられました。


*


帰宅した私は、この尾道で書かれたという志賀直哉の小説「清兵衛と瓢箪」を読んでみました。
12歳の子供ながら瓢箪の目利きである清兵衛と、それが気にくわない父親との確執を描いた短編小説です。

清兵衛は直哉自身を、瓢箪は彼の文学を表していて、当時 父親と対立していた彼自身の気持ちがよく表現されています。

これも彼の旧居を訪れ、その頃の話を聞かせてもらえたからこそ面白味が分かりました。

そして、「近代文学史上、白眉の文章」とされる志賀直哉の小説『暗夜行路』に触れるいい機会となりました。

                     2009-10-25 11:53:20


景色はいい処だった、、、、、かどうかは、是非とも 訪ねてみて下さい。^^

さて、問題です!(笑)

ハンガリー行きまでには後2ヶ月半もあるものの、年の瀬も迫ってくると 慌ただしく予習などできないでしょうから、今から少しずつ下調べを始めています。

といっても、これまで 殆ど関心のなかった国ですから、そこで使われている通貨の単位からして知りませんでした。
EUに加盟して5年、てっきりユーロ圏だとばかり思い込んでいたのです。(^^;

ハンガリーの通貨は「Forint(フォリント)」!

ブダペストでは日本円との両替も問題ないようですけど、郊外へも足を伸ばしたい私はユーロを準備しておいた方が良さそうですね。


私が初めて欧州を訪れたのが、2000年 パリ。
その当時はユーロが導入されたばかりの頃で、一般的にはフランス・フランがまだ流通していました。

フランス・フランに描かれていたのは、゛星の王子様"の作者サン・テグジュペリや画家のセザンヌ、作曲家のドビュッシーなど。
それらの紙幣を並べるだけで楽しかったのに、、、ユーロ紙幣の地味(?)なことといったら、最初に手にした時はがっかりしました。(笑)


そんな私も少しずつ訪問国が増え、手元には色んな紙幣が集まってきました。


さて、そこで(?)問題です☆(笑)


* * * * * * *

これら(1)~(12)の紙幣を日本円に換算した場合、金額の大きな順に並べ替えてください!

この写真の金額のまま、2009年10月19日 20:00現在のレートです。
すでに使用されていない紙幣もあるかもしれませんが、あしからず。(笑)

外貨1

左上から下へと順に、

(1) 中華民国(台湾)・圓   → 100 圓 
(2) モンゴル・トゥグリク   → 500 トゥグリク 
(3) タイ・バーツ   → 20 バーツ 
(4) 中華人民共和国・元   → 5 元
(5) 大韓民国・ウォン   → 5000 ウォン
(6) USA・米ドル   → 20 米ドル


外貨

(7) スイス・スイスフラン   → 10 フラン
(8) ニュージランド・NZドル   → 10 NZドル
(9) オーストラリア・豪ドル   → 5 豪ドル
(10) EU・ユーロ   → 5 ユーロ
(11) ペルー・ソル   → 20 ソル
(12) アルゼンチン・ペソ   → 2 ペソ


☆直観☆でお願い致します♪(o^―^o)

*

せっかくですので、これらの紙幣の絵柄について少しだけ、、、


(1) 辛亥革命を起こし、中国革命の父と呼ばれる「孫文」。

(2) モンゴル帝国初代皇帝「チンギス・ハーン」。

(3) タイ国軍最高司令官制服姿のラマ9世(現国王=プミポン国王)。
       …入院されて一ヶ月、一日でも早く病気が回復されますように。

(4) 回族(チベット族)。

(5) 朝鮮儒学の父、李朝時代(朝鮮中期)の政治家・朱子学者「李珥(1536年 - 1587年)」。

(6) 第7代アメリカ合衆国大統領「アンドリュー・ジャクソン」。

(7) スイスで生まれ、フランスで活躍した近代建築の三大巨匠の一人「ル・コルビュジエ」。

(8) ニュージーランドの過去と未来を表す図柄が採用された紙幣。
  (2000年のミレニアムを記念したデザインです。)

(9) 「エリザベスII世女王」、こちらではオーストラリア国家元首です。

(10) ゛欧州の時代と様式"をテーマに、欧州に共通する文化的遺産を象徴的に表した架空の建築物が描かれています。
  5ユーロは、クラシック調。(ちなみに、この紙幣はオランダで印刷されました。)

(11) ペルーの歴史学者であり外交官であった「ラウル・ポラス・バレネチェア」。
  中央には、彼が教鞭をとったサンマルコス大学旧校舎が描かれています。

(12) 1862年~1866年、アルゼンチンの大統領を務めた「バルトロメ・ミトレ」。
  政治、軍事、歴史に際立った知識を持ち、ジャーナリストでもありました。



<おまけ>


私の最もお気に入りの紙幣は、カンボジアのリエル。
こちらは、今では使われていない昔の紙幣なのだとか。^^

リエル

一番上の紙幣には「プレア・ヴィヒア寺院」が描かれ、二枚目の絵柄は「アンコール・トム(バイヨン寺院)」の観世音菩薩です。

* * * * * * *


=答え=

 (6)-(7)-(8)-(10)-(11)-(9)-(5)-(1)-(4)-(12)-(3)-(2)

 
参考までに、

 (6): 20米ドル ≒ 1815.2円   (7): 10スイスフラン ≒ 894.7円  
 (8): 10NZドル ≒ 677.9円   (10): 5ユーロ ≒ 677.25円  
 (11): 20ソル ≒ 634.4円   (9): 5豪ドル ≒ 417.95円
 (5): 5000ウォン ≒ 400円   (1): 100圓 ≒ 281円  
 (4): 5元 ≒ 66.45円   (12): 2ペソ ≒ 58.56円  
 (3): 20バーツ ≒ 54.4円   (2): 500トゥグリク ≒ 30.5円

                          ご協力、ありがとうございました♪

蔵のある風景。

好みのカフェというのは、ちょっとした旅先でも出会えることが多いです。

ですが、好みのカフェ+自分の口に合った珈琲との出会いというのは、これはちょっと難しい。。。


私にとって、その両方を満たしてくれるお店というのが、

1.岡山市立オリエント美術館 「カフェ・イブリク」
  (1、2年前にママさんが代わって、雰囲気まで少し変わってしまったのが残念です。。。) 
 

2.オーストラリア大陸のど真ん中の町゛アリス・スプリングス"で見つけた小さなカフェ。
  町の中心部にあるショッピングセンター゛アリス・プラザ"の近くだったと記憶しています。

  かすかに流れてくるラテンの調べと、茶色をベースにしたシックな内装、
 射し込んできた眩いばかりの木洩れ日が 窓際でキラキラと踊っていました。
  
そこで戴いた一杯のカフェ・ラテ、その美味しかったことといったら、10年近く経った今でも忘れられません。


と、少し話が飛んでしまいましたが、
もう一つが岡山県倉敷市、観光客で賑わう美観地区から少し外れた場所にある、
「夢空間 はしまや」さんです。

* * * * * * *


久しぶりに落ち着いた空間で美味しい珈琲が飲みたいと、11日の日曜日は海を越え、はるばる倉敷まで出向いて行きました。^^


こちらは、明治時代創業の゛はしまや呉服店"の米蔵だったところをリノベートしたのだとか。。。
通りに面した どっしりとした構えの呉服屋さんは、今もその当時の面影を残しているようです。
2009-10-16 20:31:53

                2009-10-16 20:31:22
路地裏を抜けると、石畳に昔ながらの風情を感じる中庭が続き、大きな蔵へと入っていきます。

太く立派な梁や柱は、蔵屋敷の貫禄(?)を存分に見せつけてくれます。

ぷ~んと挽き立ての珈琲の香りが鼻をくすぐります。^^

いつもは1階席に座る私達ですが、
その時は ちょうど関東方面から来られたらしい 3人組のお客さんがいましたので、天井の高い蔵の造りを生かした2階席へと上っていきました。

そのおじさん達が写らないよう、それでも店内の雰囲気が伝わるようにと撮った1枚がこちらです。^^;
2009-10-16 20:32:49

低く流されたジャズの音色が素敵に場を盛り上げてくれます。
蔵って純和風のはずなのに、ジャズやシャンソンといったムードある音楽が似合うみたい☆

そして、このカフェのイメージに合ったシンプルな椅子は、ヨーロピアンデザインをバリで手作りしたものです。
ちょっとした工夫が施され、その座り心地の良さがついつい長居してしまう理由の一つでもあります。
                   
少しだけ酸味のきいた珈琲のお味も、とても飲みやすくて私好み。


観光地の騒々しさに酔ってしまった方は、少しだけ奥まったこんなカフェでひと休みしてはいかがでしょうか。^^


〈夢空間 はしまや〉
岡山県倉敷市東町1-20
086-422-2564
定休日は火曜日。

カフェの隣りにある、手作りのぬくもり溢れる家具(主に椅子)を展示したギャラリーも楽しめます。

紅葉にはまだ早い閑谷学校。

この三連休、今日を除く二日間はどちらも日帰りで岡山県へ行って来ました。

10/10の土曜日は、備前市にある特別史跡 『旧閑谷学校(きゅうしずたにがっこう)』へ、
そして昨日の日曜日には、倉敷の美観地区へと車を走らせました。


そこで、まずは『閑谷学校』で撮った何枚かの写真をご紹介したいと思います。^^
(ちなみに、写真は全て携帯の写メです。・笑)

* * * * * * *

ETC割引のおかげで 瀬戸大橋が1000円で渡れるようになって、一番に行きたいと思っていたのが閑谷学校でした。

そして、閑谷学校へ行くなら紅葉の時期が美しいと、秋の訪れを今か今かと待ちわびておりました。

先日のこと、ある旅行会社のチラシの中で、「閑谷学校の紅葉」を見るツアーを見つけました。
ということは、その時期 かなりの人出になると思われます。

落ち着いた風情も魅力の一つである場所なのに、人混みの中で見学するのは戴けないと、
紅葉にはまだまだ早いのですが、一足先に訪れた次第です。。。


*

「この地は読書・学問するによし」



        2009-10-12 20:21:23
この校門(正門)の向こうに、
天下の三賢候の一人とよばれる岡山藩主・池田光政候によって創建された世界最古の庶民のための学校、『閑谷学校』の敷地が広がっています。

寛文10年(1670年)に建設が始まり、現在の姿に整えられたのは元禄14年(1701年)です。

創立以来、儒教精神に基づく教育がなされ、他藩からの入学者、学者、文人の来遊も相次いだのだとか。

その場所に立つと、キリリと身が引き締まります。

        2009-10-12 20:22:04
閑谷学校の写真は、これまでにも何度も見たことがあったのですが、
実際に目の前にして、これほど凛然とした建物だとは思いもしませんでした。

ずっと茅葺きだと思っていた講堂の屋根も、この地ならではの備前焼の瓦で敷き詰められておりました。

耐久性に優れた備前焼瓦は、ふつうの瓦が60年ほどしかもたないのに対して、300年以上経った今でも その殆どが当時のもの。
軒下には陶管を施し、雨水に対する対策も万全です。

*


備前焼瓦ともう一つ、
閑谷学校に独特の景観を演出しているものが、校地を取り巻く785メートルの石塀です。

周りの景色に溶け込むその風情と精巧さに、思わず溜め息が出てきます。
上部のカーブが、なんともいえない味わいを醸し出しているんです。(*^^*)
              
 2009-10-12 20:23:34
日に照らされて、暖かくなったその石を、私は何度も何度も摩りました。
う~ん、いい触り心地!

しかし、、、どうやって この微妙な曲がり具合を造り出したんだろう。。。
私は腕を組み、しばし石塀を眺めながら唸っていました。(笑)


2009-10-12 20:27:01
紅葉の季節、きっと燃えるような赤いモミジが続くのでしょうね~。
ここで愛でる紅葉は、お寺や日本庭園で観るものとは一味違う趣きがあるように思います。


そして、孔子像を祀る聖廟や講釈が行われた講堂と、学生たちが寝泊まりしていた学坊(現在は資料館)との間には、樹木の茂らない人工で築かれた丘がありました。
それは、万が一 学舎や学坊から火が出るようなことがあっても、講堂などには絶対に火が及ばないようにと造られた火除山でした。


*

また、閑谷学校より東へ500メートルほど行くと、「黄葉亭」と呼ばれるお茶室がひっそりと建っています。
そこは、来客の接待や教職員と生徒達の憩いの場として用いられていました。

私はその黄葉亭へ向かう途中、案内板を見間違え、池田光政候の遺髪などを納めた塚がある椿谷へと足を踏み込んでしまいました。

最近、私は不思議とお墓に縁があるようです。(^^;

ですが、ここへ至る椿の道の見事なことといったら!
これは実は紅葉よりも椿の方が素晴らしいかもしれません。
苔むした木の肌もいい感じです。^^
                    2009-10-12 20:19:42


次回は早春に訪ねてみよう。^^

椿よし、梅よし、桜よし、、、。
紅葉の季節以外も見応えのある閑谷学校、私のイチオシの史跡となりました☆^^

*


☆講堂は、学校建築の中で唯一の国宝です☆


2009-10-12 21:19:15

                 2009-10-12 20:17:11
ここで、一と六の付く日に教授による四書五経などの講釈が行われていました。

そして、江戸時代から今に至るまで、この床も丸柱も、ここに座った生徒達によってピカピカに磨き込まれています。^^                 



<ご案内>

・10/24(土)に、「釈菜(せきさい)」という儒学の祖・孔子の徳を称え祀る儀式が行われます。
 閑谷学校では1686年の秋、津田永忠らによって執行されたのが始まり。
 湯島聖堂・多久聖廟などでも行われる珍しい儀式で、閑谷学校の釈菜が最も簡素で、最も厳粛とされます。
 講堂での論語講釈もあるそうです。


・年に10回、講堂にて論語の朗誦を中心とした一般の方向けの「日曜論語」が行われています。
 次回は11/1。
 釈菜と日曜論語は事前に申し込みが必要です。

 
・閑谷学校には、中国の孔子林の種を育てた一対の楷の大木があります。
 その紅葉が大変美しいらしく、11/7(土)~11/15(日)の夜にライトアップがなされます。


詳しくは、公式ホームページ(http://shizutani.jp/)をご覧下さい。^^

女帝エカテリーナ。

先週末に鑑賞した「国立トレチャコフ美術館展 ~忘れえぬロシア」。(9/26日記)

会場から出た私は、高揚した感情を持て余しながら、ミュージアムショップで絵ハガキなどを選んでいました。

ふと顔を上げると、そこには図録などと混じって池田理代子さんの漫画『女帝エカテリーナ』が並べられているではありませんか!

池田理代子さんといえば、あの「ベルサイユのばら」☆
私の生まれた年に連載が開始した「ベルばら」は、リアルタイムでこそ読んでいないものの、
高校時代にTVで再放送されたアニメを見て感動し、今も全巻揃えて持っています。^^

「ベルばら」を描いた漫画家の作品かぁ~。
ロシアについて もっと沢山知りたいし…。
        ということで、全3巻まとめて衝動買いしちゃいました。(^^;

* * *


これは、フランスの小説家アンリ・トロワイヤ氏の作品を漫画化したものです。

モスクワ生まれであったトロワイヤ氏は、ロシア革命を避けて両親とともにヨーロッパへ移住し、その後 パリに定住しました。

フランス屈指のベストセラー作家であったトロワイヤ氏。
彼の描くロシア史上の人物やロシア文学者の評伝は、特に人気が高いそうです。
その中の一作品が、この『女帝エカテリーナ』。


エカテリーナ2世という女性を語るには、トロワイヤ氏のこの言葉が相応しく思いますので、ここに拝借致します。

「エカテリーナに私が興味をもった理由は、
あのドイツ生まれの小さなプリンセスが15歳でロシアに来て、あらゆる意味でロシア人になりきろうと努力をし、
ドイツの血を一滴たりとも残したくないと決意したところにあるのです。」


内容については史実を忠実に表わした大変興味深いもので、
私は漫画そのものこそ あまり好きになれなかったものの、これは今後 私のロシア研究の為の保存版と致します。(笑)


このエカテリーナ2世を知ることによって、
欧州でも、純粋なアジアでもない謎めいた大国ロシアの内側を覗くことが出来ました。

そして、見事な彼女の政治手腕も読み応えある部分でした。


時代的には「ベルばら」とも重なり、フランスのルイ15世やオーストリアのマリア・テレジアと同時代。

また エカテリーナは、親露派であり恋人の一人であったスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキをポーランドの王位につけ、そこからポーランドの内政に干渉をし、
これが後で言う「ポーランド分割」に繋がっていきました。

それらの歴史も、今後 もっともっと詳しく知りたいところです。


ロシア正教会も不思議な存在だし、、、。


とにかく未知な世界が多すぎて、私の知識欲をそそります。(笑)

*


エカテリーナの時代、
欧州から見たロシアは、゛遠く野蛮の北の国、けれど巨大な富と栄華がびっしりつまった素晴らしい宝石箱"と思われていました。

今のロシアは、、、
一昨年の夏にロシアを旅した私の親友の話によると、゛社会主義の名残と豊かさの両方が見られる まだまだ不思議な国"なのだそう。

その魅力を肌で感じる為には、、、これは実際に行ってみなければなりませんよね♪

また一つ、私の世界が広がるようで嬉しいです!!

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