I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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アイルランドを旅して来ました♪

3年続けば、毎年恒例と言ってもいいでしょうか、、、。

今年もクリスマスに向けて、恒例のコンサートへ行って来ました。^^
それは、('09.06.11日記)に書いたアイルランドの男女混声コーラスグループ『アヌーナ(ANUNA)』です。

私とケルティックとの出逢いはそれほど古くはなく、 3年前に「ケルティック・ウーマン」のCDを手にして以来。 

その澄んだ歌声と、日本でも馴染みあるアイルランドの伝統音楽にたちまち虜になりました。

そして昨年 観劇した「リバーダンス('08.07.14日記)」によって、その内面に秘められた熱く激しい思いと 暗く厳しい歴史に触れて、ケルト民族により一層 興味を持つようになったのです。

 

アヌーナによって知った アイルランドの中世の宗教曲や聖歌は、北国の冬を思わせる暗く切ない雰囲気と 崇高で神秘な空気とが混ざり合って、それはそれは摩訶不思議な空間を生み出していました。

薄暗くしたステージの上に立つ、蝋燭の炎を模すライトを手にした長い髪の女性達。

彼女達が着る黒いロングドレスは、どこか中世の魔女狩りさえも思い起こさせるような、墓標さえもイメージさせる独特の雰囲気です。

けれど そこには陰湿さは一切なく、

瞼を閉じると、まるで断崖に立って遠く北の果ての海を眺めているような、

なだらかな丘の上から広大な荒野を見降ろしているような、

深い森の奥地に入り込んだような、碧い湖の底を覗きこむような、

まだ訪れたこともないはずの アイルランドの幻想的な風景が脳裏に浮かんでくるようでした。

あげくに そもそも自分が起きているのか眠っているのかさえも分からなくなり、現界と天上界を行ったり来たりと彷徨っている感じ。(^^;

す~っと魂が抜けていくような感覚で、非常に気持ち良かったです。(笑)

 

今回 初めて聴くアイルランドの伝統音楽も多く、これまでの音楽感を覆されたところもしばしば。

世界にはまだまだ尽きぬ興味で溢れているようです♪

 

その透明な歌声に相応しいアイルランドの地を、私が訪れるのは 随分先のことになるでしょうけど、

私の36歳最後の一日、日本にいながらアイルランド上空を飛び回って来ました。

* * * * * * *

 

私事ですが、本日11月29日で37歳を迎えました。

昨年の日記には、「世界中の方々に感謝をする日」と書きました。

今年の私は、感謝とともに、皆さんに「ごめんなさい。」を伝えたい。

うまく言えませんが、今の自分ではとても申し訳なく感じるのです。

 

ただ年を重ねるだけでなく、我が儘に生きるのではなく、

これからは もっと世界の人達のことを考えて、今の自分に何が出来るのか、

その為には何を始めなければならないのか、じっくり自分の心と向き合っていきたいと思います。

                             2009-11-29 06:30:31

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また逢う日まで。

もうじき見納めとなる姫路城。

10月から着工された平成の大修復は、大天守の白漆喰の塗り替え・瓦の葺き替え・耐震補強を重点とした補修工事が行われ、竣工予定は5年後の2014年です。

その為に大天守を防護壁で覆うこととなり、来年4月の花見が終わる頃より修復完了まで、一旦 あの白く美しい姿は見納めとなります。
2011年春からは、大天守からの展望や外観の展望も完全に望めなくなるそうです。

5年…。
このニュースを知って以来、修復前に一度 両親を姫路城へ連れていってあげたいと思っていました。
高齢者である両親の5年先を思うと、天守閣のキツイ階段を6楷まで登ることは今回が最後のチャンスかもしれない、、、そう思ったからです。

* * * * * * *


そこで、先日の勤労感謝の日、片道2時間半のドライブで姫路まで行って来ました!

高校時代に一度だけ登城したことがあるのですが、その時は真夏だったせいで「暑い☆熱い☆」の印象しか残っておりません。
それ以外、新幹線の中から眺めるだけの 近くて遠い存在、それが私の姫路城でした。

この日、私は初めてじっくり姫路城と向き合うことができました。
両親もいつになく大喜びで、ここを訪れて本当に良かったと思います。


雨降りの後の清々しい晴天で、ちょうど紅葉の季節と重なって、いつになく美しい姿を見せてくれました。
その威風堂々たる雄姿は、しばしの別れを前に一層輝きを増していたように感じます。



もう言葉はいりませんね。^^
携帯のカメラで大変申し訳ありませんが、その「気高く美しい姿」を是非ともご覧下さいませ。

2009-11-24 13:16:06

               2009-11-24 13:17:44
               (菱の門)

               2009-11-24 18:21:06

2009-11-24 13:18:39

2009-11-25 05:49:03
(十月桜と天守閣)

2009-11-24 13:19:29

            2009-11-24 13:21:26

2009-11-24 18:19:15

2009-11-24 13:27:39
(天守閣より姫路城下を臨む)

2009-11-25 05:51:42

2009-11-24 13:22:00

                      2009-11-24 13:25:46

2009-11-24 13:25:15

2009-11-24 13:23:10


姫路城は、播磨の守護職・赤松則村が元弘3年(1333)ここに砦を築き、その子・貞範が正平元年(1346)城を構えたことに始まります。
その後、小寺氏と黒田氏が守りました。

黒田官兵衛孝高のとき、彼の勧めで羽柴秀吉が天正8年(1580)西国攻略の根拠地として入城し、翌9年3層の天守閣を完成させました。

現在の城郭は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康が豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制する目的で改修させたということです。


そして長い歴史を経て、
1993年12月、姫路城は法隆寺地域の仏教建造物とともにユネスコの世界遺産委員会で、日本で初めて世界文化遺産に登録されました。

*

第二次世界大戦下、1945年7月3日の大空襲で姫路の町は灰燼と帰しました。
その時、大天守にも焼夷弾が直撃したものの、不発であったことで奇跡的に城郭焼失を免れたといいます。

また、築城されてから一度も外敵との戦闘を行なわなかった不戦の城であることで有名。

これほどまでに美しいと、神様でさえも つい守ってあげたくなるのでしょうか。(笑)
それほどに、360℃ どの角度から見上げても完璧なのです。^^

             2009-11-24 13:16:50

ムーミンからシシィまで♪

「あら! 日本ハンガリー交流年2009~?!」
先日、職場で郵便物を開封している時、そこに貼られた一枚の切手がふと目に留まりました。
それは、日本とハンガリーの国交樹立140年を記念して発売された特殊切手でした。

2009年は、日本とハンガリーが外交関係を結んで140年であるとともに、それが再開されて50年という節年でもあるそうです。

「へぇ~、交流年にハンガリーへ行くだなんて、私ってまるで大使みたいだわ!(笑)」


140年前といえば、まさに「オーストリア=ハンガリー二重帝国」時代。
早速、日本郵政グループのホームページで検索してみると、
同じくオーストリアとも交流年として、こちらも記念切手が発売されていました。

これら2種類の切手は、すでに10月16日から発売されており、その一部を両国共通のデザインとして、共同で発行されているそうです。

見れば、そこには 大好きなシシィ(皇后エリザベート)が、そして何より愛すべきザルツブルクやハルシュタットの風景が並んでいるではありませんか!
仕事帰り、私は迷わず郵便局へと向かいました。(笑)

「良かったですねぇ~。まだ少しだけ残ってますよ。^^」

2009-11-19 19:09:08
(ハンガリー)

            2009-11-19 19:08:42
            (オーストリア)

* * *

私は熱心な切手収集家ではありませんけど、
それでも旅先でカラフルで綺麗なデザインのものを見つけると、思わずそれを手にしてしまいます。

切手に興味を持ち始めたのは、数年前にフィンランドを旅した親友M子にお土産で貰った「ムーミン」の切手から!(笑)
その何とも言えない とぼけた表情につい惹かれてしまいました。^^
             2009-11-19 19:07:56
 


現在、手元にある切手の中で特にお気に入りが、リヒテンシュタイン公国とクック諸島(南太平洋のNZ自治領)で買ったもの。
どちらも独特の美しいデザインが有名で、小国の両国にとって切手による収入は欠かせないものなのでしょう。

カラフルな切手といえば、モンゴルも負けてはおらず、
さすがは遊牧民の国、そこにはイキイキと動物達の姿が描かれています。

何気ない一枚の切手にも、その国らしさが表れていて面白いですよね。

少しずつ気に入ったものだけ揃えてきたコレクション、そろそろ一冊のアルバムが完成するほどに集まりました。
その中に、今回 新しくオーストリアとハンガリーとの交流を祝う切手が仲間入りしました。

この交流の背景にある両国間との歴史を思いながら、その架け橋として活躍された方々に感謝しつつ、これからもいい関係を築いていきたいものですね。^^

大歩危で詠む。

岩はしる 水をも染めし 紅葉かな

今から80年ほど前のこと。
祖父(母方)は、俳句仲間とともに徳島県の大歩危峡へ紅葉狩りに出掛けました。

その時に読んだという この句で、俳句雑誌「ホトトギス」において賞を戴いたそうです。
俳号は「流石子(さすがし)」。

幼い頃に母を亡くし、次から次へと変わる継母のいじめに耐えた祖父は、誰よりも早く独り立ちをしたものの、常に心に孤独を抱えていました。
俳句を始めた当初の俳号は「孤舟(こしゅう)」、後に 流れる石の子と書いて゛さすがし"と改めました。

* * *


先週末、母と二人で大歩危峡へ行って来ました。
祖父の句を思い出し、「どの辺りで詠んだんだろうね~」って会話しながら。。。

それは雨降りの後だったせいか、深い渓谷を囲む四国山地の山々には濃い靄が立ち上っておりました。

連なる山々に靄が上る その幻想的な情景は、まるで水墨画の世界に迷い込んだかのよう。
ところどころ、靄の向こうに赤く染まった紅葉が目にとまります。

しんなり湿ったカエデの葉は、むき出した岩々に溶け込んで、晴れた日の趣きとはまた違った姿を私達に見せてくれました。

*

「水走る 岩をも染めし 紅葉かな」
間違って、私は祖父の句をそう読みました。

「水と岩が逆になっちゃったじゃないの。」と母。
「いいの! 靄で湿ったカエデの葉が岩をも染めてるって、そういう句なの!」 私はムキになってそう言いました。

「でも、水走る…、ではおかしいでしょ。」



靄のぼり 岩に染めいる 紅葉かな (読み人知らず・笑)

少し沈黙が続いた後、「こんなのはどう?」と、母が詠んだ俳句です。^^

                    2009-11-15 20:40:34

音楽大国ハンガリー♪

こんな話が残っているそうです。^^


まだハンガリーがハプスブルク家の統治下にあった時代。
パリを訪れたオーストリア=ハンガリー二重帝国の外相アンドラーシは、ブダペストの都市改造計画を思い立ち、シャンゼリゼー通りのように両側に美しい建物が並ぶ 幅の広いメインストリートを造ろうとしました。

デアーク・フェレンツ広場に近い場所には お洒落なカフェやレストラン、ブランドショップが立ち並び、
そしてブダペスト一と謳われる ひときわ美しいオペラ座が控えているそうです。^^


1873年に建設が始まり1884年に完成したオペラ座は、その当初、ある約束事がありました。

「ハンガリーのオペラ座は、ウィーンのものより大規模であってはならない。」

ハンガリーをこよなく愛したことで有名なエリザベート皇后とは逆に、夫フランツ・ヨーゼフ皇帝はハンガリー人が大嫌いでした。

その言いつけ通り、
ブダペストのオペラ座は外観こそウィーンのオペラ座を真似ているものの、規模は少し小さめで、客席はウィーンよりも200席程少ないのだとか。

設計はイブル・ミクローシュ、客席の天井画はロツ・カーロイ。
ともにハンガリーを代表する建築家と画家です。

では、「大きさではなく、よりゴージャスでより美しいオペラ座を造ろう!」
イブル・ミクローシュは考えました。

真っ赤なビロードで覆われた座席やカーテンに、ゴールドの淵飾りが眩しいほど施され、
内部の美しさではウィーンをはるかに凌ぐオペラ座が完成しました。

 オペラ座2.jpg  オペラ座.jpg
 (写真は借り物です。)


その こけら落としに招かれたフランツ・ヨーゼフ皇帝は、、、
「ウィーンのオペラ座より美しくあってはならない、という制約を付け加えるのを忘れてしまった。。。」
と一言こぼしたんだとか。(笑)


その壮麗たるブダペストのオペラ座は、奇跡的にも大戦の戦禍を免れ、建設当時のままの姿で訪れる人を魅了しています。


*:*:*:*:*:*:*


一昨年の大晦日は、ホーエンザルツブルク城塞のジルベスターガラコンサートに出掛けました。

昨年はアウグスブルクにおいて、ドイツ在住のsuhさんご夫妻と共に、オペラ「セビリアの理髪師」を堪能しました。

さて、今年。。。

クラシックコンサートやオペラもいいけど、ハンガリーならではの民族舞踊を鑑賞するのも楽しいかな。
な~んて思いながら、なんとなくチケットを手配するのが面倒で今になってしまいました。

慌てて調べてみるものの、どの劇場も私の僅かな日程には公演がありません。><

今年は久々に地味にいくか、、、と思いつつ、まだ未練が残ります。

ハンガリーといえば、ハプスブルクの名残りを持つ音楽大国。
そう何度も訪れる場所ではないですし、どうにかして何らかのチケットを手に入れたい!

ここ数日、夜はひたすらパソコンで検索しておりました。


そこで やっと一つ、「Danube Symphony Concert with Cimbalom Show」なるものを見つけました。

ジルベスターコンサートはないけれど、1月1日の夜にニューイヤーコンサートが開かれます。
それに続くディナー付きドナウクルーズも魅力的ですし、会場も欧州らしくお洒落な内装です。^^

早速 チケットを手配しようとしたものの、、、1月1日だけがどうしても出てこない。
自分では無理かもしれないと、あらゆる海外のチケット代行業者をあたってみるものの、どこも取り扱いできませんとのこと。

大晦日とニューイヤーコンサートのチケットだけは、現地入りしてからでは到底手に入るものではありません。

やはり諦めるしかないのか。(T_T)

がっかり。。。


*

それでもしつこくパソコンと睨めっこしていると、ふと☆オペラ座☆が頭に浮かびました。

検索すると、ジルベスターもニューイヤーもどちらも華やかなコンサートが開催されます!

ですが、オペラ座。
11月半ばになってからでは、どちらのチケット入手も難しいだろうと思いました。
金額もかなりのものになりそうです。

え~い!
悩むのは後からにしよう!!!

調べてみると、ジルベスターコンサートにまだ空席が残っていました♪♪♪
しかも、バルコニーの一列目☆

金額は、、、、、。(^^;

え~い!
どうにでもなるわ! 向こうでパンと水しか口にできなくてもいい!(笑)

清水の舞台から飛び降りる覚悟で、「申し込み」しましたぁ~!!!(><)

というのも、昨年の旅行で残ったユーロが、現在のレートで5万円と少し残っていたのです。
もちろん、それでもまだ足りませんけど、、、。

こんな機会、一生に一度あるかないかですし、少し無理をすれば取れるものを諦めて 後悔だけはしたくありません。

ボックス席というのが、まるでシシィ(エリザベート皇后)のようではありませんか!
(もちろん、ロイヤルボックスでも、彼女がお忍びで鑑賞した舞台真上のボックス席゛シシィ・ロージェ"でもありません。・笑)


6年前の大晦日の夜、ウィーンの国立オペラ座を横目に、
「いつか こんな素敵なオペラ座で生演奏を聴いてみたいなぁ~。」
外に設けられたTV画面を眺めて、そう溜め息をつきました。

その夢を叶えるチャンス到来、行って来ます!


最高に贅沢な時間、気分はすっかりシシィです。(*^^*)


* ちなみに演目は、
ドイツ語圏の主な歌劇場では大晦日恒例の出し物、ヨハン・シュトラウス2世作曲「こうもり」を中心としたものになりそうです。
ウィンナーワルツに酔って、居眠りだけはしないように、、、頑張ります。(笑)

You'll never walk alone.

もうクリスマスシーズン到来なのね~。
朝、職場の玄関に飾られた赤いポインセチアが目に入りました。


山々の紅葉もまだこれからなのに、なんだか気分だけが浮かれてしまって、車の中では一足お先にクリスマスソングを流しています。

数あるクリスマス・アルバムの中で、私の最もお気に入りが Hayley Westenra(ヘイリー)の2nd(NZ国内において)アルバム『 My Gift To You 』。

以前にも書いたことがありますが、
それは私のニュージーランドの思い出そのものでもあります。
('08.06.11日記)


生まれて初めて海外で迎えたクリスマスは、2001年 クライストチャーチの真夏のクリスマスでした。

11月下旬の日曜日、メインストリートであるコロンボSt.ではクリスマスパレードが繰り広げられ、
12月頭の土曜日には、ノースハグレーパークでクリスマス野外コンサート。
イヴの夜は、市の中心部にあるヴィクトリアスクエアにて、多くの市民が集まってキャンドルサービスが厳かに行われました。

クリスマス当日は街の全てがひっそりと、それぞれの家庭の食卓でキャンドルが揺らめいていたはずです。

そういえば、クライストチャーチのクリスマスは、街全体でお祝いしていたことに気が付きました。
派手な飾り付けはなかったけれど、
隣りになったあの人も、あのおじいさんも、あの坊やも、みんなで微笑みを分かち合いました。

そんな温かなクリスマス。
ヘイリーの歌声は、クライストチャーチ市民の心に染みわたっていきました。
その年にNZ国内でデビューを果たしたヘイリーは、まさに神様から賜った天使のような存在でした。

*

ヘイリー.jpg
このアルバムは、ヘイリー 13歳の時の作品です。
その澄みきった歌声は、まさにクリスマスの雰囲気にぴったり。
私にとって、IL DIVOの「The Christmas Cllection」にも勝ります。(笑)

汚れなき天使の歌声で、聖なるクリスマスの気分を高めてみてはいかがでしょう…。^^


そのアルバムの中から一曲を、、、「You'll never walk alone」

この曲は、1945年のミュージカル・回転木馬(Carousel)のためにリチャード・ロジャーズとオスカー・ハマースタイン2世によって製作されたものです。

~ ♪ When you walk through a storm
 Hold your head up high
  And don't be afraid of the dark
 At the end of the storm
 There's a golden sky
  And the sweet silver song of a lark

  Walk on, through the wind
   Walk on, through the rain
    Though your dreams be tossed and blown

  Walk on, walk on, with hope in your heart
      And you'll never walk alone
             You'll never walk alone ♪ ~

(嵐のなかを進むなら 顔を上げて前を向こう 暗闇を恐れることはない
 嵐の向こうには青空が広がり 小鳥の優しく澄んだ歌声が聴こえる

 風に向かって進もう 雨にうたれても歩みを止めず
 たとえ夢破れようとも進むんだ

 希望を胸に抱いて行こう 君は独りぼっちじゃない 君は独りぼっちじゃないんだ)


この秋にもヘイリーの新しいクリスマスアルバムが発売されましたが、この曲は収録されておりません。


*

ちなみに、私の一番好きなクリスマスソングは、ロイヤル・ガーズメンの「Snoopy's Christmas」 ('07.12.21日記)
可愛いスヌーピーの背景に、第一次世界大戦の「クリスマス休戦」が込められた、奥の深い一曲です。^^


* * * * * * *


やっとパスポートの更新が終わりました。
これで無事に息苦しい日本を脱出できそうです。(笑)

今回の行き先はハンガリーのブダペストですが、

どうか新しいパスポートもザルツブルクと深い縁がありますように。。。

その願いを込めて、ホーエンザルツブルク城塞の写真を挟んでいます。(^^*)

そうだったのか! ザルツブルク

*凍った湖面の向こうに見えるレオポルツクロン城。【'07.12.31】


゛私は見落とさなかった。"
それは4日付け 四国新聞のコラム欄、その中の『ザルツブルク』という文字を!

映画「サウンド・オブ・ミュージック」ではトラップ一家の邸宅として登場する、湖畔に建つ「レオポルツクロン城」。
私も実際に訪れたことがありますので、現在 そこは湖を挟んで眺めるだけの、観光客は立ち入れない場所だということは知っていました。
なぜなら、そこは私有地であるから、、、。

では、今の持ち主は誰なのか。

ニュースに疎い私は、昨日初めて『ザルツブルク・セミナー財団』なるものを知りました。

*

ザルツブルクの大司教兼領主によって、18世紀半ばに建てられたその城は、高位の聖職者、貴族、富豪らの所有を経て、
1918年、ザルブルク音楽祭の創始者のひとりであり、著名な演出家であったマックス・ラインハルトの手に渡った。
ラインハルトはこの城を愛し、欧州中の演劇人、音楽家らのサロンとした。

しかし、1938年のこと。
ナチス・ドイツによるオーストリア併合によって、「ユダヤ遺産」として接収される。
ユダヤ人のラインハルトは、当時 仕事でハリウッドに滞在中だった。

この城は、しばらくナチスの夏の保養所として使われていたのだそう。
戦争が終わってからラインハルト家に返還されたが、すでに彼はニューヨークで亡くなっていた。

戦後間もない1947年初め、オーストリアから米国へ逃れ、ハーバード大で学んでいた青年がニューヨークの地下鉄で旧知のラインハルト夫人と再会する。
そこで青年は、仲間と練っていた計画を夫人に熱く語った。

「戦争を二度と起こさないため、世界中の知識人が知的交流をする場をつくりたい。」

夫人は活動に城を提供。
ここに『ザルツブルク・セミナー』が誕生した。

青年の言葉のとおり、戦争でぼろぼろになったヨーロッパの国々の学生と、アメリカの学生を交流させ、理解を深め、二度と戦争が起こらないようにすること、それが当初の目的だったという。

それが発展して財団となり、これまでに行われた知的交流は450回を超え、世界中から延べ22,000人もの有識者が参加している。

*


私の知らないザルツブルク、そこにザルツブルクの素顔が隠されているかもしれない。。。

早速 私は、『ザルツブルク・セミナー』について検索してみました。


すると驚くほどに世界の今が凝縮され、活発に議論がされていました。

例えば、
゛平和構築への市民社会と女性の参画について"、また゛環境・気候変動政策について"など、
世界中から集まった専門家たちが 朝から晩まで缶詰状態で話し合うのです。


10年ほど前でしたら、゛欧州通貨統合の国際的影響"をテーマに、
主に日米欧三極各国の政治家、学者、オピニオンリーダーを講師として招き、各国若手指導者がFellowとして参加して、セミナー形式の討議を行いました。


また昨年は、アメリカ大統領選挙を意識して、
「9・11」やその後も続くテロとの戦いを総括する形で、戦争後の社会インフラの構築や社会制度、法の整備、新しい国づくりに助成参加をどう促すのか、、、
復興を進め、平和を定着させるために国際社会はどのような支援ができるのか、
が話し合われたといいます。

そしてオバマ政権について、
゛信頼の再構築"こそ新政権がまず取り組むことだ、と意見が一致し、
就任演説で核兵器なき地球の実現を約束してはどうか、議論は政権移行チームへの提言としてまとまったそうです。


まさに、時代の「今」が動くところ!


わぁ~、一番端の隅っこでいいから、私もこのセミナーに参加してみたいなぁ~。(^^*)

ちょっとしたブレイクタイムにも、
「国連で一緒に仕事をしないか」とか、「私のNGOの地域代表として○○で活動してくれないか」、
な~んて人材発掘や引き抜きが行われているそうで、そんな熱い場所に私も立ってみたい!
間違いなく、ぽか~んと口を開けたまま放心状態になっているでしょうけどね。(笑)



そうだったのか! ザルツブルク!!(池上彰さん風・笑)

今度はまた違った角度からザルツブルクを見ていきたいです。

注目すべきは、実は音楽祭だけではなかったのですね☆

古代カルタゴとローマ展。

紀元前15世紀頃から紀元前8世紀にかけて、シリアの一角、地中海東岸にフェニキア人は都市国家を形成し、海上交易を中心に発展しました。

その都市国家の一つであるティロス(現在のレバノン)の王女エリッサは、神官である父王の弟シュカイオスと結婚をし、巫女として仕えていました。

父王は、エリッサと兄のピュグマリオーンが共同で国を治めるように、と言い残して亡くなりましたが、
兄ピュグマリオーンは王位の独占と財産目当てにシュカイオスを暗殺し、エリッサの命も狙おうとしました。

エリッサは忠臣を連れ、ティロスを脱出します。
地中海を西へ西へと進み、現在の北アフリカ・チュニジアの地に辿り着きました。

そこで彼女は、原住民の王イアルバースに「1頭の牝牛の皮が覆えるだけの土地が欲しい。」と願い出ます。
そして、牝牛1頭分の皮を細かく引き裂いて、砦を築くほどの広い土地を得ました。

イアルバースは彼女の才能に惚れて求婚しました。
けれど亡き夫以外の男性を拒んだ彼女は、自ら炎に飛び込み、命を絶つことで貞操を守り抜いたといいます。

そのエリッサが建国した国を、フェニキア語で゛新しい町"を意味する「カルト・ハダシュト」から、『カルタゴ』と呼ぶようになりました。
紀元前814年のことです。


* * * * * * *

岡山駅の駅ビルで少し遅めの朝食を取った私は、その足で゛岡山市デジタルミュージアム"へと向かいました。

只今、『古代カルタゴとローマ展 ~きらめく地中海文明の至宝~ 』が開催中です。
古代カルタゴとローマ展.jpg


古代史といえばエジプトとローマ帝国くらいしか知らなかった私は、ここで初めて「カルタゴ」という地名を知りました。

入り口で建国にまつわる伝説(↑)を読み、地図で「ティロス」と「カルタゴ」の位置を確認しながら奥へと進みました。


海洋国家カルタゴは、広大な地域の人々を制圧するよりも貿易で富ませ、顧客として育てることで自らも繁栄したといわれています。
アリストテレスも賛嘆した優れた国制、大西洋沿岸をも探検した航海術、美しい工芸品(染色・金銀細工・ガラス製品)でその名を知られていました。

けれど100年にも及ぶ 新興国ローマとの戦い(ポエニ戦争)に敗れ、紀元前146年に滅亡してしまいます。

それから又も100年後、ローマのアウグストゥス帝により再建されたカルタゴは、「北アフリカのローマ」として再び円熟期を迎え、モザイクをはじめとする華麗な文化・芸術を花開かせることとなるのです。


今回の展覧会では、
第一章「地中海の女王カルタゴ」と、第二章「ローマに生きるカルタゴ」の大きく2つの時代に分けて展示されています。

目の前に並べられている発掘品の、その細かく優れた芸術性に溜め息を漏らしながら、丁寧にゆっくりと鑑賞していきました。

見学者の中には小学生も多く、一生懸命ガイドホンに耳を傾けながら、想像すら及ばない世界にワクワクしている姿が印象的でした。
幼い頃から゛本物"に接する機会に恵まれているなんて羨ましいなぁ~、、、子供たちのキラキラした目にそう思いました。^^

この展覧会、子供たちにとってはエジプト展やインカ展などよりも面白いんじゃないかな。^^

細かい調度品や装飾品だけでなく、富裕層などの邸宅の壁や床に施された大きなモザイクには神話の世界や動物などが描かれており、歴史的価値を知らなくても十分に楽しめるものです。
しかもガラス越しではなく そのまま直に展示されていますので、1500年以上も昔の職人の息遣いまでもが伝わってきそうです。


*

以下、会場で買ったポストカードの中から、私の気に入った展示物をご紹介致します。
説明文は公式サイトより。

2009-11-03 18:30:31
(1) 有翼女性神官の石棺(紀元前3世紀)
 棺の形式はエジプト型、傾斜の鋭い屋根形をした蓋はギリシア様式のもの。
 そして横に臥した女性神官の像は、エジプトのかぶりものを身につけ、エジプトの女神イシスやネフティスのイメージを想起させる人物像である。
 まさにフェニキア、ギリシア、エジプトの文化の融合を示し、数多くの芸術的潮流に着想を得た、古代地中海美術の結晶といえる。


2009-11-03 18:43:01
(2) ヴィーナス頭部像(2~3世紀)
 頭部しか残されていないが、裸身の女神が立ち上がり入浴しようとする姿をかたどった、ローマ時代に大変人気のあったタイプのヴィーナス像と推定できる。
 レプティス・マグナ(現リビア)にあるハドリアヌス浴場から非常に類似した作例が見つかっている。


2009-11-03 18:28:08
(3) メドゥーサ(3世紀)
 覗き込む者を石にしてしまう邪悪な眼と逆立った蛇の頭髪をもつメドゥーサのモザイク。
 ギリシア神話にヒントを得た作品であるが、本来は地母神的性格を持ち、豊饒と厄除けを願って描かれたメドゥーサ像は、北アフリカでは非常に好まれたモチーフの一つである。


2009-11-03 18:29:34
(4) バラのつぼみを撒く女性(5世紀)
 チュニス近郊シディ・グリブで発見された私邸の浴場の床を飾っていたモザイクの一部である。
 バラ園を背景に展開され、片方を前に出したその姿は、踊る身振りを示している。
 その形姿、半裸像、バラによって、愛と美の女神ヴィーナスとの関連性が指摘される。

* (1):古代カルタゴ、(2)~(4):ローマ時代のカルタゴ



《ご案内》

2009年10月31日(土)~12月20日(日) 岡山市デジタルミュージアム
2010年1月7日(木)~2月2日(火) 岩手県民会館
2010年2月11日(木・祝)~4月4日(日) 京都文化博物館
2010年4月17日(土)~5月30日(日) 浜松市美術館
2010年7月16日(金)~9月12日(日) 宮崎県総合博物館
2010年10月23日(土)~11月21日(日) 松坂屋美術館

古代カルタゴの至宝は、一年以上も掛けて日本中を巡回するのですね。^^

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