I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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皆さまも良いお年を!

*スイス・ルツェルンの朝焼け【'06.12.31】


それは今から3年前、水面の煌めきが眩しい湖畔の街ルツェルンでの思い出です。

とても小さなその街は、見どころだけであれば十分 徒歩で回れます。

前日の夜にルツェルンに到着した私は、まだ道路が凍ったままの朝早くから散策に出掛けました。
その日は、2006年大晦日。

ルツェルン駅を降りると、すぐ目の前に街のシンボルともいえる美しい屋根付きの橋「カぺル橋」が現れます。

その一番の観光名所は、昨晩 ホテルへ向かう途中ですでに渡っていましたので、まずは「ライオン記念碑」へと足を運びました。('08.04.18日記)

ぐっるっと街を半周し、辺りが随分と明るくなった頃に 改めてカぺル橋を訪れました。


せっかくだから、誰かにカぺル橋を背にした私の写真を撮ってもらおう。

まだ夜が明けて間がない時間帯でしたので、あまり人影は見受けられません。
何度も周囲を見回していると、向こうから まるでサンタクロースのような真っ白な長い髭をしたおじいさんがやって来ました。
そのおじいさん、かなりきちんとした身なりをしていました。

「Excuse me,・・・。」
そう声をかける私を見た途端、そのおじいさんはいきなり大きな声で「ニイハオ!」と叫びました。

に、にぃはぉ~?????
一瞬引いてしまった私でしたが、何度も何度も「ニイハオ!」と叫ぶおじいさんがなんだか可愛らしくなってきました。

「私、日本人ですけど、、、。^^」
今でもその時のハッとしたおじいさんの顔が忘れられません。(笑)

ニッ、、、コンッコンィ~チワ~!!!」
なんだ~、おじいさんったら日本語も知ってるんじゃない。(^^;

そして、無事(?)に写真撮影。
おじいさんはその姿が見えなくなるまで、私に向かって「コンィ~チワ~!!!」と手を振り続けてくれました。

*

そして一日を終え、スイス最古のバロック様式のイエズス教会において、その年最後の礼拝に参列した後のこと。
ディナーの前に、ルツェルンにあるもう一つの教会を訪ねてみようと思いました。

ホーフ教会・・・
それはルツェルン市民が多く通うルネッサンス様式の教会で、2本の鋭い尖塔が印象的な建物です。(写真にも写っています。↑)
マリアの祭壇には1500年代のレリーフが飾られ、スイス一の音色と言われるパイプオルガンが見どころです。

その教会の入り口で、、、そこでも礼拝に参列した多くの市民でごった返しておりました。

こちらの教会の方が信者さんが多いのかな~、、、そう思いながら中へ入ろうとしたその時!

「ニイハオ~、ニイハオ~~~!!!」 誰かがこっちに向かって大きく手を振っているではありませんか。
大勢の人の頭に隠れて、高く伸ばしたその手しか見えません。

「ニイハオ~~~!!!!!」 あっ、今朝のおじいさんだわ!
私も苦笑しながら手を振りました。

またもハッとしたおじいさん! 「コンィ~チワ~、コンチワ~!!」
おかしなほど「」が強調されたおじいさんの「こんにちは」が、ルツェルンの大晦日の夜空に響いていきました。。。(笑)

同じ人に二度もお会いできるなんて、小さな街っていいですね。^^



* * * * * * *

懐かしくこの出来事を思い出したのは、
先日 TVで放送された、メンデルスゾーン生誕200年を記念した山口智子さんの旅を見たから。

旅を好んだメンデルスゾーンは、とりわけスイスを、そしてルツェルンを愛したといいます。
オルガン奏者でもあった彼は、このホーフ教会でその美しいパイプオルガンを奏でたことでしょう。

ホーフ教会の内部が紹介された時、そこでパイプオルガンを弾く男性を見てびっくりしました。
後ろ姿ではありましたが、そこにはサンタクロースのような長い白い髭をしたおじいさんが映っていたのです。

もしかしたら、あのおじいさんかもしれない。(*^-^*)
あの印象的な「ニイハオ!」と「コンィ~チワ~!」が脳裏に蘇ってきました。
あのおじいさんだったら嬉しいな♪^^



ハンガリー行きもとうとう明々後日になりました。
そこでも また思い出に残る、素敵な面白い出会いがあればいいなぁ~と思っております。^^

皆さん、この一年も大変お世話になり ありがとうございました。
今年出会った方々も、本当にありがとうございました。

来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 皆さまも良いお年をお迎えくださいませ。

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別格第9番 文殊院(もんじゅいん)

'09.12.23参詣 愛媛県松山市


今年2月にスタートした四国遍路の旅。
88ヶ所中、今日で32の札所を廻り終えることができました。

弘法大師ゆかりの霊場は、四国八十八箇所の他に番外霊場として二十の別格があり、
これを合わせると百八となって、人間の煩悩の数となるのです。

好奇心旺盛といえば聞こえもいいですけど(笑)、無限に続く煩悩だらけの私ですので、
別格霊場の方もお詣りしなければなりませんよね。(^^;

そこで、本年最後にふさわしく、別格第9番札所・文殊院を参詣することと致しました。

* * *

といいますのも、

このお寺は、四国霊場発祥の地といわれ、四国遍路の元祖とされる衛門三郎の屋敷跡と伝えられているのです。

衛門三郎については、第51番・石手寺参詣の日記にも書きましたように、

ある日、門前にみずぼらしい身なりで托鉢をしようとした弘法大師を三郎が追いかえし、お大師様の持つ托鉢を地面に叩き付け、鉢を8つに割ってしまいました。

その後、三郎の家では 次々と8人の子供が亡くなります。
そして、それによって自分の罪に気付いた三郎は、自分の行いを懺悔して、全てを捨て、お大師様を追い求めて四国巡礼の旅に出ました。

* 続きは('09.07.13日記)

これが、四国遍路の始まりなのだそうです。


*

文殊院の境内より北へ数百メートル、辺りに広がる田んぼの中に8基の古墳群が並んでいます。
                    
言い伝えによれば、それが衛門三郎の8人の子供たちの墓なのだとか。

実際は、古墳時代末期の円墳と方墳と推定され、平安時代に生きた弘法大師とは時代が一致しないのですが、
古墳の前には「衛門三郎の子供の墓」と記され、それぞれの古墳上にお地蔵さまが祀られていました。

どうも まだ未発掘の古墳らしく、もしかすると本当に衛門三郎の子供たちが眠っているのかもしれません。^^


ここはお遍路さんでもあまり訪れる人はいないようで、のぞかな風景の中に昔のまま静かに溶け込んでいました。
頬を撫でる風も冷たくはなく、とても気持ちの良い散策となりました。

一年の締めくくりに、いいお詣りができたと思います。^^


* * * * * * *

ところで、、、
香川の山は、平野にぽっこり並ぶ おむすび山が多いです。

それに比べて、同じ四国といってもお隣りの愛媛県には西日本最高峰の石鎚山(いしづちさん)が聳えます。

まだ紅葉の残る低い山々の背景に、雪に覆われた白い石鎚山系を高速道路から見ることが出来ました。

頂上付近は深い靄で白く煙って見えませんでしたが、その姿は雄々しく、そして気高くありました。


そこで、俳句の盛んな愛媛ですので、私も一句詠んでみました。^^

とはいっても、江戸時代の曹洞宗の僧・良寛の辞世の句
「散る桜 残る桜も 散る桜」をもじってみただけです~。(笑)


 とける雪 残る根雪も とける雪・・・                                                                                    失礼しました。。。(^^;

飛行機の窓から・・・。

ハンガリー行きの航空券(Eチケット)とホテルクーポンが揃いました。

出発は、30日 12:20 関空発パリ・シャルル ド コール空港行きエールフランス291便です。

パリに17:15(日本時間 31日 1:15)着。

その僅か1時間半後にブダペストのフェリヘジ空港に向けて離陸します。

ブダペストには、21:05(日本時間 31日 5:05)に到着です。^^

* * *


「・・・ちなみに関空⇔パリの往復だけ、お座席が事前指定できます。
   窓側と通路側、どちらがよろしいでしょうか?」

旅行会社のMさんからメールが届きました。

お行儀が大変悪い私は、飛行時間が長時間の場合は必ず通路側をお願いしています。
トイレも行きやすいし、足も伸ばしやすい。

今回も、もちろん通路側!
そう思いつつ、その先の文章を読んでいると、

「窓側の場合は、もしかすると奇跡的にオーロラが見れるかもしれません。
(基本的には窓を閉めないといけないので微妙ですが。。。)」


**オーロラ**ですかぁ~。(*^―^*)

オーロラを見られる可能性が限りなく0%に近くても、
それでも0%でないのならば、その0.00001%に賭けてみるのも悪くはありません。

帰りの方が夜が長いかなぁ~と思いつつ、
疲れと浮腫みで足の置き場に困る帰りの便は通路側にして、行きだけでも窓側の席をとお願いしてみました。

「では、お座席は往路が窓側、復路を通路側で。

関空→パリの区間は、進行方向に向かって右の窓側で確保しております。

右の方が北極圏側なので、オーロラが見えるように願いを込めてみました。」
Mさんからのお返事です。


まぁ、なんというお心遣いなのでしょう!!!

例え オーロラが見えなくても、そのMさんの思いやりほど美しいものはないと思いました。

彼女あっての私の旅。
彼女に旅の手配をお願いするようになって今年で5年、これで9度目となります。

いつの頃からでしょう、
昔からの友達のように、旅の計画以外でもメールを交換するようになりました。

彼女は、私がどれほどザルツブルクを愛しているかも十分に理解してくれています。
そして、私以上に素晴らしい旅になることをいつも祈ってくれているのです。


彼女の優しい気持ちに触れ、すでに私の瞼には光のカーテンが浮かび上がっているようです。


* Mさん、本当にありがとうございました。^^

平山少年を訪ねて…。

風邪をひいて10日以上になります。

今年の風邪は例年になくしぶといようで、今も鼻がずるずる、、、
  もしかすると新型インフルエンザの方が治りが早いのかもしれません?!


随分と冬らしく、寒さが厳しくなってきました。
皆さまもくれぐれも気を付けて、体調管理はしっかりなさってくださいね。^^


* * * * * * *

もしかすると、これが風邪を拗らす原因だったのかもしれません。

12日の土曜日、片道2時間のドライブで広島県尾道市瀬戸田町へ行ってきました。

そこは、瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくちじま)。
12月2日に79歳でお亡くなりになった平山郁夫画伯の生まれ故郷です。

尾道市に編入されたのは2006年のこと。
市とは名ばかりの、島の斜面にはミカンやレモンの木が生い茂り、海岸線にはヤシの木が立ち並ぶ、いつ訪れても穏やかな周囲20kmばかりの小さな島です。

平山芸術の原点が、その自然豊かな生口島。

平山郁夫美術館で戴いたリーフレットにも書かれてありますが、
「神秘的な潮の流れや群青色の海は、平山少年の心に大きな影響を及ぼしました。
画家・平山郁夫の感性は、瀬戸内の風土に育まれたといえましょう。」

また、戦時中の中学3年生の時に広島市で被爆した体験が、後の作品に大きな影響を与え、『仏教伝来』などの平和を願う作品へと繋がっていきました。
その『仏教伝来』で、平山画伯は注目を集めることになるのです。

そこからシルクロードへ、世界の文化遺産保護へと活動が広がっていったそうです。

その全ての原動力は、平和への祈りでした。

*

画伯がお亡くなりになって10日後、
少し天気は下り坂でしたけど、心持ち体調も回復したかに思えた私は、まるで平山画伯に呼ばれるように生口島へ、平山郁夫美術館へ行くことを決心しました。


現在 秋の時別展として、「平山郁夫 幻想美の世界」が開催中です。
第三展示室には、画伯の文学的素養の研究に裏付けられた幻想画が独特の景色を生み出し、円熟期らしい筆の乗った作品が並んでいました。
これまでよく見てきた シルクロードや世界遺産を描いた作品と通じるところはあるものの、より画伯の内面に入り込んだかのようでした。

*

画家はその1本の線を見つけるために、何千、いえ何万本もの線を描き続けます。

集大成の域に入った作品たちは、確かに画伯らしい穏やかで壮大な世界観で観るものを圧倒させます。
けれど そこに至るまでの何万本もの迷った線こそが、画伯の歴史そのものであり、祈りなのです。

だからこそ、迷いの解けた晩年の作品からは天国にも似た安らぎさえも感じられるのでしょう。


私はそんな迷い悩んだ線こそが美しいと感じました。
そして、迷う前のスランプすら知らない子供時代ののびのびとした作品が愛おしいと思いました。

常設の第一展示室では、画伯の幼少時代から東京美術学校(現・東京藝術大学)入学試験の作品までを見ることができます。

幼いころから天才の素質はあったものの、まだまだ無駄な線がいっぱいの年頃。
上手だけれど、完成はされていない作品たち。
これが非常に面白いのです。
そして、それこそが大いに私を刺激してくるのです。

天才の作品とは、上手下手ではなく、「生きてる」んだなぁ~と感じました。

ただ絵を描くのが好きだった時代から、方向性を模索していた時代にかけて、
その作品たちの中に、今も生きる平山画伯自身にお会いすることができました。


79歳、まだこれからも素晴らしい作品を生み出して戴きたかった、、、
けれど これからは天国で絵筆を握って下さいね。

あらためて、ここにご冥福をお祈り申し上げます。

2009-12-17 21:17:24
~武者(源義朝)~   1943年、平山画伯13歳の作品です。

旅のお供に…。

「ちょっと、これしてご。」
(゛してご"とは、゛してみなさい"という讃岐弁です。^^)


ある日の昼下がり、職場(老人ホーム)の施設長が私の机にポンと新聞を置きました。

それは水曜日の四国新聞。
22面に掲載されている『数独』を指さし、それをしてみなさいと言うのです。

「苑長、今は仕事中ですけどぉ~?!」
心の中でそうつぶやきつつ、私の真横に立つ施設長の圧力(?)に負けて、初めて『数独』なるものに挑戦してみました。

「ボケ防止になると思ってねぇ。」
65歳になる施設長は、水曜日の朝はコーヒー片手に一問解いてから出勤されるのだそう。
数字にめっぽう強い施設長にとって、こんなパズルはたまらなく面白いのでしょう。

「ほら、ダイソーで数独の本を買ってきたんよ。^^」と、手には上級編が!!


「こことここの横列に9があって、縦の列のここに9があるってことは、このマスには9が入るしかないでしょう。」
は、はやい…。(^^;
日々このマス目を眺めている施設長の頭の回転には付いていけません。
施設長が指す部分を目で追うだけで精いっぱいでした。

数独のルールさえ知らない私が「え~、え~!!!」と焦れば焦るほど、得意そうにポンポン数字を埋めて行く施設長。
その速さに、コツを掴むまでの私は必死でした。><


それでも私は元々 数学が一番好きだったこともあり、数字を眺めることも嫌いではありません。
語彙量が恐ろしく少ない私にとっては、クロスワードパズルよりも肩の力を抜いて楽しめそうです。

まずは、マスの中にあらかじめ埋まっている数字の多いものから見つけましょう。
しばらくパズルと睨めっこしているうちに、なんとなくヒントとなるマス目が浮いて見えるようになりました。

今頃、数独…、と思いつつ、なんだか楽しくなってしまった私は、
その次の水曜日を待ちかねて、「解いてきました~!」と施設長に見せに行きました。(笑)


しっかり数独にハマった私を施設長は見逃さなかったのでしょう。^^
金曜日の朝、私の机の上には上級編のパズルのコピーが置かれていました。

「まぁ、やってご!(やってみなさい)」 施設長はニコニコ顔です。

これが思いの外 すいすいと解けて、ますます私は数独にハマってしまったようです。

面白い☆ (o^―^o)


早速 私もダイソーでナンプレブックシリーズを購入して来ました♪
両親にも頭の体操にと入門編をプレゼント。

そして、旅のお供にこれを持っていくことにしました。
欧州までの長い空の旅、いつもはなかなか眠れないと狭いシートにイライラばかりしていたけれど、『数独』さえあればあっという間にパリ上空?!

うん、うん、これはいい!!!


今更ながら、わが家に数独ブームが訪れそうです。^^

土佐のオナガドリ。

2009-12-08 18:24:21

「確か、闘犬センターにいたと思うんだけど…。」


今年9月、四国霊場第33番札所「雪蹊寺」をお詣りした帰り、高知の桂浜に立ち寄りました。

母がここを訪れるのは、私がよちよち歩きをしていた頃以来ですから、もう34~5年ぶりになるでしょうか。
くすんだ青色の龍馬像は、改修時に濃い緑色に塗り直され、
五色石で有名だった桂浜の浜辺は、残念なことにその美しい石ころはすでになく、今ではごく普通の砂浜になっていました。

「昔の方が随分と趣きがあったねぇ…。」
母が口にする前に、団体ツアーで来られていた老年のご婦人もそうこぼしておりました。

                         2009-12-08 18:44:10

*

「確かに、ここにいたんだけど…。」
闘犬センターの建物の壁にも、土佐犬とともにオナガドリの絵が大きく描かれています。

「すみません。オナガドリはどちらで見られるんでしょうか?」
昼休みで寛いでいる案内所の方に声を掛けてみました。

「昔、ここにオナガドリがいましたよね~。 」

「ええ、でも今は桂浜にはいないんですよ。 とにかく飼育するのが難しくてねぇ。
もし見たいのであれば南国市篠原にある゛長尾鶏(ちょうびけい)センター"へ行くといいですよ。」


* * *


そして3ヶ月。。。


行って来ました! 長尾鶏センターへ!!

何故か急に、この尾っぽの長いニワトリさんを見てみたくなったのです。^^

              2009-12-07 20:44:06

国の特別天然記念物である『土佐のオナガドリ』は、江戸時代の1655年頃に現在の南国市において、
武市利右衛門という人物が飼っていた小国(しょうこく)という品種のニワトリから突然変異で生まれたと伝えられています。

ニワトリは通常一年に一度羽が生え換わりますが、
オスのオナガドリは尾羽が生え換わらないため、尾が非常に長くなるのです。

明治時代までは尾の長さは3m程度でしたが、大正時代に止箱(とめばこ)と呼ばれる飼育箱が開発され、尾が損傷しないように鳥の動きを抑制するように飼育させるようになってから、尾がさらに長くなりました。
(Wikipediaより)



狭い飼育箱に閉じ込められ、ほとんど身動きのとれない状態で、オナガドリはその一生の殆どを過ごします。

「晴れた日には、一時間くらい外で遊ばせてあげるんですよ。^^」
見れば、お天道様を浴びながら、一羽のオナガドリが長い尾を引き摺りながら 俯き加減でコッコと遊んで(?)おりました。

黒色だと思っていたその尾っぽは、手に取ってみると深いグリーンがかった色合いだということに気が付きます。

「一羽づつでないと、喧嘩した時などにせっかく伸びた尾っぽが抜けてしまいますからね~。」

「私達がちょっと誤って尾っぽを踏んだだけでも抜けてしまうんですよ。」

若いオナガドリは一年に1メートル近く伸びるそうですが、一度抜けてしまった尾っぽは二度と生えてはこないそうです。

卵から孵ったひよこ達は、その全てがオナガドリになるとは限りません。
何十個とある卵の中から、一羽も生まれなかった年もあるそうです。

手間暇かけて大切に育ててさえも、立派なオナガドリになる確率は低いのです。

以前は南国市だけでも30ヶ所以上で繁殖させていたオナガドリも、今では随分と数が減ってしまったといいます。


こうやって箱から出して触らせてくれるのは、ここ長尾鶏センターくらいかもしれません。
詳しい説明つきで、貴重なオナガドリをじっくりと見ることが出来ました。

長尾鶏センターのこれまでの最高年齢は18才。
尾の長さの最長は、なんと13.5メートルにも達したそうです!
ギネスブックには、1974年に計測された10.6メートルが記録されています。


写真は、現在 長尾鶏センターで飼われている12羽の中で最も性格が穏やかで、尾っぽの伸びのいい、これからが楽しみな5才の男の子です。^^



<ご案内>

長尾鶏センター: 高知県南国市篠原48(国道55号線沿いにあります。)

オナガドリは、同じく高知県香美市にある日本三大鍾乳洞の一つ、龍河洞でも見られます。

ハプスブルク家物語より<フェリペ2世>とお帽子☆

ブダペスト行きを一ヶ月後に控え、そして来年早々に京都で開催される「THE ハプスブルク」展に備え、私にしては珍しく日々読書に励んでおります。

とはいっても、やはり難しく面倒くさい本は開いた途端に眠たくなってしまいますので、
鼻歌でも歌いながら 気軽に読める程度のものばかりです。(笑)

先日読み終わった一冊が、「名画で読み解くハプスブルク家 12の物語(中野京子著)」。
その後、ミュージカル「ルドルフ」の原作となった、フレデリック・モートン氏の作品「ルドルフ ―ザ・ラスト・キス―」と、
「ハンガリーを知るための47章(羽場久美子編著)」を並行に読み進めています。

* * *

高校時代、そのカタカナの多さと、「○○1世、○○2世」などという紛らわしい名前の数々に、世界史の教科書を開くやいなや<日本史を専攻しよう!>と決心しました。(^^;

今も似たような名前の羅列に混乱しながらも、ハプスブルク家系図を片手に、
当時のドロドロとした人間模様と個性的な主人公達に支えらて(?)、思うより簡単に欧州史デビュー(???)を果たすことができました♪

その中に登場する人物の中には、もちろん マリー・アントワネット、マリア・テレジア、そしてマリー・ルイーズにエリザベート皇后といったお馴染みの顔ぶれも出てきます。
けれど、そんな魅力的な女性達の影に隠れた ひ弱な男性陣にも(それなりに)ドラマがあったというわけです。(笑)

そして、当時の英国やフランス、ロシアとの関わりも知ることが出来て、今までバラバラに存在していた人物達が綺麗に頭の中で整理されました。


「戦争は他の者にまかせておくがいい、幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし!」


この家訓も大変素晴らしいですけど(笑)、その下で画策された数々の結婚の愉快なこと。


私的には四度の結婚をしたスペイン・ハプスブルク家のフェリペ2世が最も興味深かったです。

オペラ「ドン・カルロ」の主人公カルロスの父フェリペ2世は、ポルトガル、イングランド、フランス、オーストリアから妻を迎え入れました。
(その全員に先立たれました。)

彼の2番目の妻は、英国エリザベス女王の異母姉メアリー1世。
フェリペより11歳も年上で、容姿もさほどのメアリーとの結婚は、彼にとってはずばりイングランド領土そのものでした。
片やメアリーは美男(?)であったフェリペを愛情込めて受け入れたといいます。

メアリーの世継ぎを産みたい執念は叶い、結婚半年後に侍医は彼女の懐妊を発表。
もしも男児誕生ならば、スペインはいっそうの大国に!!
近隣諸国はこの報に慌てふためきました。

ところが、悲しいかな、、、
それはメアリーの想像妊娠でしかなく、腹部の膨張は腫瘍と判明。

フェリペはそんな彼女に見切りをつけ、
腫瘍の悪化で先の短いメアリーに隠れ、なんと次期女王候補のエリザベスに近付いていき、、、。
メアリーの葬儀に参列することもなく、エリザベス1世が戴冠すると同時に、正式に花婿候補に名乗りをあげたのだとか!(驚)

結局、「カトリック教徒とは結婚しない」とエリザベスに振られてしまうフェリペも滑稽ですけど、、、。

3人目の妻は、信じられないことに 息子カルロスの婚約者!

4人目は、立派な後継ぎ欲しさに多産な妹の娘アナを選びます☆

不運なフェリペが4人目の妻を失ったのは53歳の時。

さすがに もう結婚はしませんでしたが、
実は5人目にとスコットランドのメアリ・スチュアートを目論んでいた説が真実ならば、それは もう天晴れとしか言いようがありません。
彼は、最後の最後までスコットランドとイングランドの領土を諦めきれなかったのでしょうか?
結果は、幽閉中のメアリにフェリペが密かにコンタクトを取ったせいで、彼女は謀反人としてエリザベスから首をはねられてしまい、無念!(笑)

けれど、その執念たるに いやはや感服致しました。(^^;

*

もう一つ。
ナポレオンとマリー・ルイーズの息子ライヒシュタット公とシシィ(エリザベート皇后)の姑ゾフィの関係も意外でした。
メキシコ皇帝・マクシミリアン(フランツ・ヨーゼフの弟、ゾフィの次男)のお祖父様は、もしやナポレオン…かも?!

こちらは、エドワール・マネの作品「マクシミリアンの処刑」と、ゴヤの傑作「マドリッド、1808年5月3日(ナポレオン軍によるマドリッド市民虐殺を描いた歴史画)」との比較が面白かったです。


一枚の絵に秘められた野望に、時代を経てこそ分かる歴史的面白さ。
あまり深く絵画を読み説くことがなかっただけに、こういう解読の仕方があるのものかと新しい発見もありました。

そして、今なら 映画「エリザベス」や「宮廷画家ゴヤは見た」など、その時代を描いた歴史物の これまた違った角度が見えてきそうです。


それらに登場する彼らは、その時代をただ懸命に生きただけなのでしょうけど、
高みの見物の私は おかげで十二分に楽しませて戴きました。^^

血族同士の結婚を繰り返し、恐ろしいほど血が濃くなったハプスブルク家独特のお顔にも段々と親しみが湧いてきましたし…。
王子様=ハンサムという方程式は、われわれ庶民の勝手な理想でしかないのかもしれませんね。
少なくとも、私好みのハンサムさんはいなかったようです。(笑)


* * * * * * *


先日、「アヌーナ」のコンサートの為に神戸へ立ち寄った際、又も新しい帽子を購入しました♪

今回も私のお馴染みイタリア製『GREVI』です。^^

本当はロシアの画家クラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」が被っているような帽子を探したのですが見当たらず。。。 ('09.09.26日記)



ただ、冬のブダペストには黒色の帽子とコートで訪れたい私のこだわりで選びました。
せめて飾りだけでもと、ニューイヤーの華やかさをイメージ。

『GREVI』ならではのドレープ加減がお気に入りです♪^^

                      2009-12-03 18:08:41

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