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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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向かうは、グドゥルー宮殿☆

旅程が前後しますけど、せっかくですので『グドゥルー宮殿(ゲデレ城)』について先にお話したいと思います。^^


・・・ブダペスト東駅から鉄道にて直行1時間に1~4便。

         所要30分~、2等600フォリント、1等750フォリント。・・・


1月1日の朝、ホテルから徒歩10分にある東駅(ケレティ)へと向かいました。

郊外列車(HEV)で行けば、最寄駅を降りると すぐ目の前が宮殿なのですが、
ホテルからは東駅が便利だし、鉄道の方が分かりやすいかなぁ~と、↑の説明だけを頼りに駅へと向かいました。

東駅は、主な国際列車が発着する大きな駅です。
(ちなみに、ブダペストからザルツブルク行きの列車もここから発車します。^^)

        2010-01-31 08:34:30

とにかく、まずはグドゥルー(Godollo)までの切符を買わなくちゃ。
そこで他の駅と同じように、切符売り場のお姉さんに、
「どの方面行きに乗ればいいのですか? 次は何時の列車がありますか?」と尋ねました。

「インフォメーションで聞いて。」 
そっけない表情とその返事に、思わず心の中で「ケチッ!」と叫ぶ私☆。(笑)
これがザルツブルクだったら、乗換え場所や所要時間まで詳しく印字してくれるのに!!
('09.01.25日記)

しぶしぶインフォメーションへ赴くと、そこでは乗り場のホームと、帰りの時刻まできちんと調べてくれました。
なんて親切なんだ!(人間って単純なものです、、、って、私だけ?・笑)


ゴトゴト 列車は進みます。
片道たった30分の小旅行ですが、郊外へ足を伸ばすだけで、その街と少し親密になった気がして嬉しくなるのです。^^

車窓からは、中欧の冬らしい薄暗く寂しい景色が続きます。
途中、寒空の下で 貧しい人達がテント生活をしている場面も見かけました。
また 騎馬民族の国らしく(?)、目の前を一頭の馬が自由に(?)駆けて行きました。

これが夏であれば開放感に満ちた気持ち良さを感じるのでしょうけど、どんよりとした真冬の空では印象も一変してしまいます。

そうだった、ブダペストはハンガリーのほんの一部分の表情でしかないんだ…。
僅か30分列車で走るだけで、こんなにも風景が違ってくるんだ…。

そんなことを思いながら、気が付けば あっという間にグドゥルー着。
こちらの駅も、夏の離宮があった街だとは思えないほど、どこか寂れた雰囲気です。

2010-01-31 08:27:25

さて、ここからは???
この街の象徴ともいえる『グドゥルー宮殿』ですから、駅を降りれば道順は容易に分かると思っていました。

ところが地図がない。 
いや、地図らしきものは目にしたけれど、どこに宮殿があるのか分からない。
先ほどまでいた人達も、私が地図を探しいる間にどこかへ消えてしまいました。><

ここまで来て迷子とは辛い!><
必死で当たりを見回していると、ありました♪ ありました♪ 可愛い道しるべがありました♪♪
                    
                           2010-01-31 08:27:56

ホッと安堵しながら矢印の方向へ進むも、私の他に人影がありません。
長く続く一本道は両側に深い木々が立ち並び、見上げると 今にも雨が降ってきそう☆
不安になりつつも、私は足を速めました。

歩くこと15分弱、やっと周囲が開けたように明るくなり、宮殿の屋根らしきものも見えてきました。
安心と嬉しさで 喜び勇んで扉に駆け寄りました! 
開館は通常10時から、その時 時計は11時少し前を指していました。

ところが、、、
開かない…! 押しても、引いても開かない!!!
なんてこった! もしかして、元日は休み~?! 

ここまで来て休みとは、、、私が顔面蒼白でウロウロしていると、一人の禿げたお爺さんが顔を出してくれました。
なにやらハンガリー語で喋ってくれましたが、私には全く理解できず…。(T_T)
そしてあっけなく、扉はもう一度 固く閉じられてしまったのです。。。

ちょっと、ちょっとぉ~! 今日は休みなの? もう少ししてから開くのぉ~???

それさえも分からないなんて、帰りたくても帰れないじゃありませんか!><


ドンドンドンッ!  「おじぃさぁ~ん!」
私はその大きな扉を何度何度も叩きました。「さっきのお爺さぁ~ん!!!」

扉が少し開きました。 つるっとしたお爺さんの頭が覗きます。
「おじいさん!!」 その頭に髪の毛は少なくても、私は藁をも縋る思いです。。。

怪訝そうな顔つきで、お爺さんは又も何やらハンガリー語で捲し立てました。

「ハンガリー語じゃ、何を言われても分かんないよ!!!」

眉のつり上がったお爺さんと、困り顔の私がしばし睨めっこしていると、
扉の後ろから「May I help you ?」と優しそうな青年が現れてくれました。
きっと私達の様子を見かねたのでしょう。

これほど英語が有難く耳に響くとは!! 
「今日はお休みですか?」
「いいや、いつもは10時からだけど、元日の今日はお昼の12時からなんだよ。」


あ~、よかった、よかった。(><)

そして1時間、グドゥルーの町で時間を潰した後、もう一度 出向いたシシィゆかりの宮殿について、
長くなりましたので、今月 鑑賞した京都の「THE ハプスブルク展」と、
岡山の「華麗なるオーストリア大宮殿展」とともに、次回の日記で記したいと思います。^^

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これぞ、ウエスト50cm☆

2010-01-26 20:40:22

身長172cm、体重47~50kg、ウエスト50cm前後。
その体型を維持するために、絶えず努力を惜しまなかったシシィ(エリザベート皇后)。。
特に全体の容姿を際立たせるために、ウエストには非常に気を配ったといいます。

理想的な体重保持の為、彼女は日々のエクササイズを怠りませんでした。
王宮内に運動器具が置かれていたことは有名ですが、
その他にも乗馬、水泳、フェンシングに凝り、特に好んだという乗馬の為にアイルランドまで出掛けたこともあるそうです。

早足で何時間も歩くことも運動の為に不可欠で、とりわけ歩くことの多かった旅先では、女官達が彼女に付いて行くことができなかったほどだとか。

* * *


そこまでして完璧な体型を目指した彼女の衣装が、ブダペスト郊外にあるグドゥルー宮殿(ゲデレ城)にも数点 展示されていました。

グドゥルー宮殿は、オーストリア=ハンガリー二重帝国成立記念に贈られた、シシィが最も好んで滞在した場所の一つです。
この宮殿については後日改めることにして、まずは彼女の衣装からご覧くださいませ。^^


「これ! これ、全部 本物なんですか!?」
興奮のあまり 部屋中を飛び跳ねながら、そう私は尋ねました。

「オリジナルはガラスケースに入っているもののみです。後は、すべて複製品なんですよ。」
ガラスケースには、衣装に施された刺繍の部分、そして歯並びの悪さを隠すために用いられた扇子などが並べられていました。

そうですよね~、オリジナルをここまで揃えるのは不可能ですよね~。(T_T)

それでも、これまで憧れ続けてきたシシィの衣装が目の前に飾られているです!
それも、彼女が最も美しく輝いた時代に手を通した衣装の数々!!

2010-01-26 20:39:03  2010-01-26 20:35:25 

2010-01-26 20:36:40  2010-01-26 20:38:00

どれほど豪華な衣装でも、急を要する場合には、30人のお針子が僅か2日間で縫い上げたのだそう。

 2010-01-26 20:34:01  Elisabeth.jpg

                   
ハンガリー王妃として戴冠式に臨んだ衣装も、乗馬に用いられた洋服も、
あの星型の入ったお馴染みのドレスまで、、、
生前の彼女の写真とともに、思う存分 眺めることができるのです。(*^^*)

洋服の隣りには、その服と同じ生地が並べられ、上等な手触りを確かめさせてくれました。
「わぁ~、とってもなめらかぁ~♪」


私って やっぱり女の子(?)なんだなぁ~って思った瞬間なのでした。(照)

エーヤン、エルジューベト!

・・・・・
    
一行はさらに東へと進む。 古都デブレツィンへ行くのだ。

ブダペストと違い、オーストリアへの敵意が根強く残っている街だ。

大聖堂広場には、市長以下 オーストリアと組んで儲けている連中が千人近く、黄色い旗を手に集まってくる。
黄色い地に双頭の鷲が縫い付けられた、オーストリアの紋章旗 ― これを振って皇帝夫妻をお出迎えというわけだ。

「おーい、馬車が城門をくぐったぞ!」
「いよいよ、オーストリア皇帝の到着だな。」

フランツ・ヨーゼフは、反オーストリア派の牙城デブレツィンでも、予想外の万を超える人出に驚いていた。
エリザベートの人気はここまで波及したのだろうか? 夫妻は玉座に立つ。

「オーストリア帝国皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世陛下のために、ハンガリー語で万歳三唱を致しましょう。」
市長が音頭を取る。
ドイツ語でしないのは、あえて市民感情を考えたのであろう。 市長が音頭を取る。

「エーヤン、フランツ・ヨーゼフ!」
市長の取り巻きの親オーストリア派の人々が黄色い紋章を振りかざし、続けて声を上げる。
「エーヤン、フランツ……」
その時、群衆の中から一人の男が走り出る。 「ハンガリーに独立を!」
男は黄色い巻布を投げ捨てて、赤白緑の色鮮やかな三色旗を振り立てる。

「ハプスブルクはウィーンへ帰れ!」 「帰れ!!!」
今まで歓迎の人波と同化していた独立派の人々は、一斉に黄色い旗と見せかけた巻布を捨て、三色旗を打ち立てる。

即時に軍隊が威嚇射撃を始める。 人々は叫び声を上げながら逃げ惑う。
広場は一瞬の内に修羅場と化した。

「やめろ! 市民に発砲してはならない!!」 我に返ったフランツ・ヨーゼフは、すぐ軍隊に射撃を止めさせる。

皇帝はこのまま大多数の市民に背を向け逃げ帰るのか、、、それとも、この親善旅行を弾圧粛正で終わらせ、世界中に自分の統治能力の無さを曝すのか…。
フランツ・ヨーゼフは身動きが取れない。


すると、今まで黙っていたエリザベートが意を決したように一歩前に出た。

そして、辺り構わず羽織っていた濃紺のガウンを脱ぎ捨てた。 群衆はどよめく。
エリザベートが着ていたのは、白い絹のドレスの上に、赤と緑のオーバードレスが重ねられたもので、鮮明に三色旗がデザインされていた。

エリザベートは落ち着いた表情で、群衆に対し右手を挙げた。

「エーヤン、ハンガリー!」

美しいハプスブルク家の皇后が文字通り、全身全霊を上げてハンガリーへの尊敬を示したのだ。
              
~ ミヒャエル・クンツェ著『エリザベート 愛と死の輪舞』より抜粋 ~


*

エリザベート(エルジューベト)の粘り強い勧めを入れ、フランツ・ヨーゼフはハンガリーの独立を認めました。

とはいえ、完全独立という訳ではなく、ブダペストにハンガリー人の政府を開くけれど、外交と軍隊と財政の三つは、オーストリアと組んで行うこと。
そして、ハンガリー国王には改めてフランツ・ヨーゼフが、ハンガリー王妃にエリザベートが戴冠しました。

1867年6月8日。
ブダペストの王宮の丘にある『マーチャーシュ教会』で、ハンガリー歴代王にならって戴冠式が行われました。

エリザベートはその時、ハンガリー民族風衣装を身につけ、ハプスブルク家を快く思っていないハンガリー民衆の心を掴んだといいます。
ミヒャエル・クンツェは、その逸話を元に、ミュージカル『エリザベート』をこう描いたのかもしれません。


そして、この戴冠式のために自身が作曲した「戴冠ミサ曲」を指揮しながら、
ハンガリーが生んだ作曲家フランツ・リストは、「これほど美しい王妃はいないだろう。」と賛嘆したそうです。^^


*

ブダの丘に一際目立つ 高い尖塔を持つマーチャーシュ教会。
残念なことに、その尖塔は現在 修復中で、美しい外観は覆われていました。

ですが、内部の厳かな空間と 見事な主祭壇やステンドグラスに、しばし時を忘れ見入ってしまった私です。^^


私のハンガリー旅行の中で、あの美しいエリザベートの残影が最も強く感じれらた場所がここでした。

というのも、
数々の歴史に翻弄され続けた ブダペストの象徴であるこの教会と、

本来の自分を求めて放浪し続けたエリザベートの、美しさに隠れた哀しくも強い意志が通じるように思えたのです。


2010-01-20 19:22:52 2010-01-20 19:22:20

ドナウ川のさざなみ。

そういえば、ホテルの朝食で一緒になった女性が言ってましたっけ。

「この街で地図を広げているとね、
何人もの人から、゛どこへ行きたいの? 道を教えてあげようか?"って声が掛かるのよ。」


そう。
私の場合も、行く先々でハンガリーの人達の温かさに触れる機会がありました。

くさり橋ですれ違った男性とそのご夫人、
「どちらから来たの?」
「まぁ、日本だなんて遠いところからようこそ! あなたから見て、ブダペストの街はどう?」
ただドナウ川を背に写真を撮ることをお願いしただけの私に、温かなまなざしでそう言葉を掛けて下さいました。

また、郊外からブダペストへ戻る列車の中でも。
私の斜め前に座っていた一人のお婆さん、
私の足元に置いてあって荷物をサッと除けて下さって、「お疲れでしょう。 足を伸ばすと楽になりますよ。^^」

オペラ座で隣りのバルコニーになったおじさまも優しい方でしたし、、、。

思い返すと、どれもこれもブダペストの少し霧がかった柔らかい情景と同化して、私の心にじんわりと広がっていきます。


一人 私は旅に出ると、例え「Excuse me!」の一言だけでもいい、沢山の方達と声を掛け合い、目を合わすようにしています。
友達になるには、まずはそこから。^^
世界中が友達の国になるように、その願いを込めて旅に出るのです。

特にハンガリーでは、逆に相手側から優しく声を掛けて貰うことが多かったように思います。
とても素敵な国なのだと、私は自信を持っておススメします☆^^

* * *


ハンガリー人(マジャル人)はウラル山脈を起源とし、9世紀頃に現在のハンガリーの地に定住しました。

その後、10世紀末に現れたイシュトヴァーン1世によってキリスト教に改宗され、ここにハンガリーの初代国王が誕生、王国が樹立されます。

13世紀にはモンゴル軍による襲来を受け、壊滅的な打撃を受けるも、
14~15世紀には中欧最強国となり、文化面でもルネッサンスが花開きました。

しかし、治世が安定していたマーチャーシュ王の時代が終わると、国政は大きく揺らぎ、貴族と農民の間に対立が深まります。

そこに力を付けて来たオスマン軍からの強い圧力を受け、
戦いに敗れたハンガリーは、以後 3分の2をオスマン帝国が、残りの3分の1をオーストリアのハプスブルク家によって支配されることになるのです。

オスマン帝国が軍事的に後退すると、その領土はオーストリアに割譲されました。
結局、支配者が全てハプスブルク家に代わっただけでのこと。
国内からは独立を求める運動がたびたび繰り返されるようになりました。

1848年の3月革命はロシア軍の介入により失敗に終わりましたが、オーストリアに民族独立運動を抑えるための妥協を決断させることに成功。
ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨するものの、
両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア=ハンガリー帝国となりました。

その二重帝国も第一次世界大戦での敗戦で崩壊。
その戦後処理に締約されたトリアノン条約で、ハンガリーは国土の70%近くを削り取られてしまいます!
そして、30%もの国民が国外に取り残される形となったのです。

この時の失望感と悲壮感、失ってしまった土地への郷愁が世代を越えて今も受け継がれているそうです。
現在でも、学校の教室には割譲される前の国土地図を掲げているところもあるのだそう。
そして海に面していないハンガリーが、水泳やカヌーといった水物スポーツに力を注いでいるのも、現クロアチアの海岸線を失った屈辱によるものだそうです。

もちろん、その後の第二次世界大戦、共産主義国家としてのソ連の衛星国時代、ソ連による動乱の鎮圧、、、
近年においても、数々の辛く悲しい、そして厳しい歴史をハンガリーは乗り越えてきました。



その痛みが、ハンガリー国民を強く優しくしたのかもしれません。

今はその全てをドナウの流れが静かに呑み込み、国の行く末を黙って見据えているようです。


*

2010-01-17 10:49:16

皆さんも、、、

深い赤ワインを片手に、
アコーディオンで奏でる『ドナウ川のさざなみ』に耳を傾けながら、
ブダペストの情景を瞼に浮かべ、遠くハンガリーの歴史に思いを馳せてみて下さい。^^

ドナウ川のさざなみ(You Tube)

picchuko流 ブダペストの歩き方。

*「漁夫の砦」より、 対岸に見える美しい建物は国会議事堂です。【'09.12.31】


その日の朝、
まずホテルの位置確認をして、ブダペストの3本の地下鉄が交差するデアーク広場へ行こうと決めていました。

そこからブダペストのシンボルとも呼べる「くさり橋」までは およそ600メートル。
そこまで行けば、すぐ目の前に「王宮の丘」が現れます。


そこで とりあえず、ホテルから1キロメートル先にある地下鉄2番線「Blaha Lujza ter」駅を目指しました。

うっすらと立ち込めた朝靄の中、道端でパラパラと見かけるのは どうも地元人ばかりです。
むさ苦しい髭を生やしたおじさんや、薄汚れたジャンパーに手を突っ込んで歩く人。

さほど治安の悪い街ではありませんが、この時だけは ちょっぴり背筋が伸びました。^^


ホテルは街の中心部から少し外れにありました。
今回 泊まったホテルは3つ星クラス。
過去に5つ星クラスの豪華なホテルを選んだこともありますが、最もその国らしさを感じられるこのレベルが 私的には面白かったです。^^

それに、、、クリスマスからニューイヤーにかけてホテル代金が驚くほど高くなる中で(国にもよります)、今回選んだホテル・アトランティックは良心的なお値段だったことが決め手でした。

そんな感じですから、ブダペストの第一印象は私にとって薄汚れた裏町、、、です。(笑)


それでも欧州らしい石造りの建物に、そして上手く表現できませんが、どこかしら漂う欧州の香りに、゛今、私はヨーロッパにいるんだぁ~!!!"と、思わず奮い立ちました。(><)

浮足立つ心を落ち着かせながら、でも辺りをキョロキョロ、、、
               よしっ! 間違いなくヨーロッパだ!(笑)


しばらく歩くと大きな通りに出て来ました。
少し向こうにトラムが見えます。

そこで、地下鉄よりトラムの方が外の景色を楽しめるかも~^^ と急に思い立ち、「王宮の丘」方面のモスクワ広場行きに飛び乗りました。

たぶん、この時の私が一番ワクワクしていたと思います。(^^)/

少し遠回りのルートなのですが、ブダペストのシャンゼリゼ「アンドラーシ通り」と出合うオクタゴンを越え、徐々に街並みが洗練されていきます。

ドナウ川に架かるマルギット橋に入ると、見えてくる国会議事堂。
それは、世界でも指折りの、世界一美しいとも言われる建築物なのです。  ほぅ~(*^^*)

この瞬間、ブダペストにいる自分を自覚しました。(笑)

*

トラムに揺られて20分ばかり、モスクワ広場に到着です。
当初 計画していた「くさり橋」方面からは、丘を挟んで正反対の場所になります。


では、まず最初に訪れた「漁夫の砦」から!

建国1000年を記念して造られた「漁夫の砦」。 
1902年に完成した、まだ新しい観光名所ですね。^^

ユニークなこの名前は、かつてここに魚市場があったこと、また城塞の辺りをドナウの漁師組合が守っていたことより付けられました。
白い石灰石で出来ており、ハンガリーの遊牧民族のテントに似た尖った屋根が特徴です。

街の美化計画の一環として建造されたに相応しく、対岸からは可愛らしい尖がり帽子(?)がひょっこり顔を出してくれます。
そして、何よりこの場所からドナウ川を挟んで見下ろす景観が息を飲む美しさでした☆

夏には回廊の下部にあるカフェがオープンされるようなので、その時期 行かれる方は是非!^^

2010-01-20 19:13:07

    2010-01-13 22:52:56

    私は、回廊から柱ごしに見る景色が好き。
    まるで城塞の中から街を見下ろすお姫様になった気分を味わえますもの♪(笑)

暗い日曜日。

~哀しみと甘さの絶妙なバランス、、、 たとえ歌詞がなくても私に語りかけてくるわ~

映画『暗い日曜日(Gloomy Sunday)』の中で、ある女性が「暗い日曜日」という曲を聴きながら口にした言葉です。

その夜、女性は手首を切って自殺する、、、そして、部屋には ただ延々と「暗い日曜日」が流れていた。。。

*
                   2010-01-10 22:17:26

オペラ座(写真)からそう遠くない場所に、映画『暗い日曜日』が実際に撮影されたレストラン『Kispipa(キシュ・ピパ)』があります。

私は帰国後に映画を見たので、残念なことに そのレストランには行っておりませんが、
とてもしっとりとした趣きあるお店です。
ランチが大体 2000~2500円と ブダペストでは少し高めですが、ブダペストの雰囲気を十分に堪能できる場所として、次回こそはその扉を開いてみたいと思います。^^


*

1999年に公開された映画『暗い日曜日』。

それは、1933年にハンガリーで生まれた曰く付きの名曲、映画と同じ題名の「暗い日曜日」を元にして生まれた小説を、ドイツとハンガリーの共同で映画化されました。


・・・聴きながら自殺する者があとを絶たず、゛自殺の聖歌"と呼ばれる「暗い日曜日」。

第二次世界大戦前夜のブダペスト。
レストランを経営するラズロ、若く美しい恋人イロナ、ピアノ弾きアラディの3人は愛を共有し合うが、アラディが「暗い日曜日」を作曲したことをきっかけに運命の歯車が回りだす。・・・


この映画、まさに私好みでした!
しかも、ドナウの真珠と謳われるブダペストの輝きが存分に映し出され、不思議な色気のある映画です。

また、イロナ役のエリカ・マロジャーンがたまらなく魅力的で、それだけでも見惚れてしまいます。(*^^*)

しかも、何気にサスペンスなんですよね。 ホント、私的にヒット作♪

瞼を閉じて音楽を耳にすると、まるでブダペストの街自体がヒロインのような、ブダペストの為の旋律のようにも聞こえてくるのです。
とても素敵な調べです。^^

もしもまだ観ていないという方は、「明るい日曜日」にでもご覧になってみてください。(笑)

*

ハンガリーだけでも157人もの人を謎の死へ追いやったという「暗い日曜日」。

その後もその死の連鎖は世界に広がり、英国のBBCをはじめ世界各国の放送局がその音楽を禁止しました。

現在では、数多くのミュージシャンがこの曲をカバーし、すでに死へと導く歌として恐れられてはおりません。


では、何故にあの時代、かくも多くの人々がこの歌の為に次々と命を絶ったのか、、、?

あるサイトによると、
自殺を生み出していた本当の原因は、この曲ではなく、あの時代の重苦しい空気だったという。

その当時、世界的に重い経済不況と政治的緊張が続いていました。

「つまり、この音楽は、多くの名曲がしばしそう言われるように、
その時代の空気を余りにも生々しく旋律として引き受けたために、時代を最も鮮明な形で象徴してしまった。
結果、その陰鬱な旋律は、人々の感情をある衝動へと駆り立てるトリガーとしての機能を果たしてしまったのだ。。。」


私が思うに、
あまりにも美しいその旋律ゆえに、もしかすると人生最期の時に選ばれてしまったのかもしれません…。


映画より Glommy Sunday(You Tube)

 2010-01-10 08:27:16

私、刺繍が好きなんです♪

*王宮の丘に建つ聖イシュトヴァーンの騎馬像【'09.12.31】


といっても、自分でチクチク刺繍をするわけではなく、
数ある工芸品の中で、特に伝統的な刺繍やレース編みが施された品物が大好きなのです。^^


ベルギーのレース編みも、ウィーンのプチ・ポアン(宮廷生まれの高級ゴブラン刺繍)も、ちょっと無理して買ったコレクションが私の部屋を特別にしてくれます。
(それは言い過ぎ?! ^^;)

「これ、お土産ね。^^」 はじめはニコニコ気前よく、そう母に渡すのですが、
「絶対に汚しちゃダメよ!」という言葉付きですから、いつも最後には私の手元に帰ってくるのです。
今回のカロチャ刺繍もそうでした。(笑)

*

時間があれば、ブダペストより約140kmほど南にあるカロチャという街や、刺繍を扱うお店がいっぱいの街 センテンドレにも足を伸ばしてみたかったのですが、
相変わらずの超特急の旅ですので、そんな贅沢は言ってられません。(><)

それに、商品価値の高い、丁寧に刺された刺繍ほど、本場カロチャよりも観光客の多いブダペストへ流れているようです。

そこで、ガイドブックに載っていた王宮の丘にある二つのハンドメイドショップへ立ち寄ってみました。
ここはブダペスト一の観光名所ですから、ブダペストを旅したことがある人は、きっと誰しも覗いてみたことでしょう。

2010-01-09 06:53:26

店内には、このように華やかな作品たちが 処狭しとぶら下げられています。^^

わぁ~、迷っちゃうな。(*^^*)


もともとハンガリーの刺繍の古くは、毛皮の縫い合わせに飾りとして色の糸を刺したもので、とあるお金持ちさんが美しい刺繍入りの毛皮のマントを作ったことに始まります。

チェーンステッチやクロスステッチなど基本的な技法で素朴な図案が多い初期の作品から、
次第に華やかなお花をモチーフとし、色々な模様が生まれてきました。

デザインだけでなく、刺繍糸の色も地域や宗教によっても異なるそうで、
ドナウ川とティサ川の間の地域では、カルヴァン教徒は赤を、カトリック教徒は青と黄色の色調を好んだそうです。

現在、お土産として最も親しまれている刺繍はカロチャ地方のもの。
白い木綿地に色彩豊かな花模様、そしてレースのような透かしが特徴なのですって。

一瞬、レース編みのように見えますが、木綿生地に一つ一つ穴を開け、かがりながら網状にしていく作業は気の遠くなる話ですね。


色鮮やかな作品に囲まれて、どれにしようかな~とグルグル店内を物色しておりました。

明るい色は喜びを、特に赤い花は生命の熱意を表しているとのことで、目が覚めるようなカラフルな作品たちが一番人気のようでした。^^

その時、単一の地味な色ではありますが、素敵な一枚が目に留まりました。

う~ん。。。
頭の中で値段交渉していると、店員さんが近付いてきました。

「綺麗でしょう~、こちらの方がもっと手が込んでいて綺麗ですよ。^^」 
次から次へと美しい作品を並べて見せてくれました。

「えぇ、どれもこれも綺麗だけれど、私はこれが気に入ったわ。」
元来 人にも物にも一目惚れするタイプなので(笑)、迷っているように見えても心はすでに固まっています。^^


そこで買ったのが、こちらの一枚。  幅35cm、長さ90cmのテーブルクロスです。

ですが、家で広げてみて気が付きました!
このテーブルクロスを飾れる大きなテーブルが、私の部屋にはないということを!><

今は悲しいかな、折り畳んで お気に入りのウェッジウッド用下敷きと化しております。(T_T)
                  2010-01-09 05:32:09

陽気に Boldog uj evet !

ハンガリーの音楽を聴きながら、今 これを書いています。
今年始めの晩餐で聴いた音楽を…。


・・・Csardas (チャールダーシュ)♪

チャールダとは居酒屋、チャールダーシュは酒場風を意味するハンガリー語で、ハンガリー音楽の一ジャンルをそう呼びます。

実際には、ハンガリー音楽に貢献したユダヤ系作曲家の作品名から広まったそうですが、

これは、ハンガリーのダンス音楽である゛ヴェルブンコシュ"から派生をし、そこから次第に藝術的要素を増していった 19世紀のヨーロッパにおいて大流行した音楽です。


それらの基礎となった男性ダンス音楽が゛ヴェルブンク"で、
           このダンスと音楽が生まれた背景が ちょっぴり興味深い。^^

18世紀から19世紀半ばにかけて、ハンガリーでは兵士の補充に強制的徴兵に加え、゛募兵"という方法を取っていました。
その募兵活動は、居酒屋(チャールダ)において酒宴という形で行われ、陽気な音楽と旨いお酒で 軍隊生活をアピールしようとしたそうです。^^


なるほどぉ~、だからかな、、、
チャールダーシュの音楽は寂れた場末の酒場を連想させ、弾けるほどの陽気さを演じた中にどこか哀愁漂う独特の雰囲気を醸し出しています。

最も有名な「チャールダーシュ」は、イタリア人作曲家ヴィットーリオ・モンティの作品。
この有名すぎる旋律は、ブダペストの至るところでも耳にしました。

You Tubeで検索すると、私の大好きなDavid Garrettの演奏を見つけましたので、宜しければ聴いてみて下さいませ。^^ → (You Tube)


チャールダーシュとウィンナーワルツを融合させ名声を得た カールマーン・イムレ(エメリヒ・カールマン)の音楽も素敵でした。(*^^*)


* * *


「おはようございます。」
12/31の朝、アトリウムスペースを活かしたホテルのレストランで、一人の日本人女性を見かけました。

早朝7時、他の利用客はまだ布団の中のようです。

「おはようございます。宜しければ、一緒に食べます?」
彼女の言葉に甘えて、私も同じテーブルに着きました。

し~んと静まった中、私達は低いトーンで話し始めました。
8階の天井まで吹き抜けになっているそのスペースは、暖かな季節ならば天窓から漏れる光に開放感を感じるでしょうが、真冬の今は ただただ静かな空間を生み出していました。

彼女は12/20にドイツへ渡り、オーストリア、チェコ、スロバキアを経て、前日の午後にブダペスト入りしたと言います。
「昨日はもの凄く深い霧で、ドナウ川に架かる くさり橋も、その向こうにある王宮の丘も何もかも霞んで見えなかったの。
でも、夜に行ったレストランはとても楽しくて良かったわ。」

「そのレストラン、もしよかったら どこにあるか教えて!」

*

そして教えてもらったのが、東駅(ケレティ)のすぐ近くにあるレストラン『HUSZAR』です。

元日の夜、予約もせずにレストランの扉を押しました。
少し暗めの照明が落ち着いた店内を照らし、見回すと どうやら客は私一人だけのよう。

テーブルの上に置かれた蝋燭に火を灯しながら、「どこから来たの?」 そうお店のご主人が聞いてきました。

日本からだと答えると、彼は軽いおじぎに日本語の「ありがとう。」^^

そこへ二人の男性が、、、
一人はヴァイオリンを、もう一人はアコーディオンを持って現れました。

そこから広がる ハンガリー音楽に満たされた素敵な夕べ。
時おり「さくらさくら」や「浜辺の歌」など日本の曲を混ぜながら・・・。

疲れ切った私の心を溶かしてくれた陽気な彼らと音楽たち。
ブダペスト最後の夜は、少し懐かしく古めかしい調べに包まれて、優しく暮れていきました。


         


  2010-01-07 21:53:26
*ライトアップされた くさり橋【'10.01.01】

picchukoサイズの旅を。

2010-01-04 18:46:06

*残念なことに、行きも帰りもオーロラを見ることはできませんでした。

ですが、予想もしなかった暖かさに、寒さを一切感じることなく観光することが出来ました。
日中の気温はおよそ10℃。
吐く息は白くなく、手袋もいらない、お天気も良好の恵まれた旅となりました。^^



「picchukoサイズで、picchukoの見たいものを見て、食べたいものを食べて、行きたい所にいってらっしゃい。」
わが親友・きょんさんから、関空に到着したばかりの私の元へメールが届きました。

ブダペストは彼女にとってもお気に入りの街です。^^

「・・・旅のヒントは、敢えて省略!」と一言。 もぅ!意地悪なんだから~!!><
でも、そういうところが何とも彼女らしくって、
そうだよね、私らしい私サイズの旅をして来ることが一番大切なんだよね。^^
*きょんさん、どうもありがとう。


* * *

数独ばかりやってる場合じゃないでしょう。(笑)

日本を経って8時間後、やっとこの旅行の行程を考えようという気分になってきました。


さて、どこへ行こうか・・・。

実際のところ、オペラ座でのガラコンサート以外は何一つ決めていなかったのです。
結局、予習といってもハプスブルク家のことばかり。(^^;

ハンガリーの国名をハンガリー語で「マジャロルサーグ」といい、
ブダペストをマジャル語(ハンガリー語)で発音すると「ブダペシュト」、
しかも「ブ」にアクセントを置くということも、お恥ずかしいことに飛行機の中で知りました。

一体、どうなることやら・・・。(苦笑)

そこで、
すでに遅かりしかもしれませんが、念入りに『地球の歩き方』を読み、私なりに興味ある場所をチェック☆

ブダペスト滞在は正味2日間。
大晦日と元日だけですので、休館している博物館もしばしば、、、という残念なところもありましたが、、、

けれど、とにかくブダペストの今を肌で感じようと、
もうこれ以上は進めない、立っていられないというほど、街中を歩き回りました。
それは、両足の薬指の爪が剥がれてしまうほど。
そこまで無理する必要があったのかと、自分でも少し不思議なくらいです。


そして、ブダペストという街は、
過酷な運命に翻弄されながらも、その多くの苦難から這い上がった誇りに満ちた堂々たる姿で私を出迎えてくれました。

その美しさの下にある逞しさこそブダペストの素顔かもしれない。。。


親しみやすいザルツブルクにも、高貴なウィーンにもない、また違う欧州の魅力を教えてくれたブダペストの2日間。

これから始める旅行記を、宜しければ しばしお付き合いくださいませ。^^


* * * * * * *


◆12月30日(水)

16:20 予定より1時間早くパリ(シャルル ド コール空港)着

21:05 ブダペスト(フェリヘジ空港)着

21:30 ホテルチェックイン


◆12月31日(木)

8:30 トラムに乗ってモスクワ広場へ

8:45~13:30 『王宮の丘』散策
 ・ウィーン門
 ・漁夫の砦
 ・マーチャーシュ教会
 ・金の鷲薬局博物館
 ・王宮地下迷路
 ・カフェ『Ruszwurm(ルスヴルム)』
 ・カロチャ刺繍のお店『St.Valentin Folklor』
 ・マーリア・マグドルナ塔

13:40~14:15 くさり橋

14:30 『聖イシュトヴァーン大聖堂』へ行くも、15:00まで結婚式が行われていた為、その足で『シナゴーグ』へ向かう

15:00~15:30 シナゴーグ

15:35~16:15 レストラン『ケーク・ロージャ』で遅めの昼食

16:40~17:10 再度、『聖イシュトヴァーン大聖堂』へ

17:20~17:45 アンドラーシ通り

18:10 一旦ホテルに戻り、休憩&ドレスアップ

20:00~24:15 オペラ座にてジルベスターガラコンサート
 ・(20:30~21:40) ヨハン・シュトラウス作曲、オペレッタ『こうもり』
 ・(22:00~23:50) ダンスを見ながらの豪華ディナー
 ・(0:00) カウントダウン

0:40 ホテル着


◆1月1日(祝)

8:15~ ホテル近隣散策、東駅(ケレティ)へ向かう

9:40 ブダペスト発

10:20 グドゥルー着

10:50 『グドゥルー宮殿』に到着するものの、元日の為2時間遅れの12:00開館と知らされる

11:00 近隣のホテルで軽く食事

11:30~12:00 グドゥルー内を散策

12:10~13:50 グドゥルー宮殿(シシィ(エリザベート皇后)お気に入りの宮殿)

14:25 グドゥルー発

15:00 ブダペスト着

15:30 工芸美術館(元日の為、閉館 ><。。)
   (しかし この美術館の一番の見所は建物自体、しばらくその外観を堪能しました)

15:45~16:15 国会議事堂周辺を散策

16:30~17:10 ヴァーツィ通り
 ・カフェ『ジェルボー』
 (ここは恐ろしいほどの人混みでした)

17:20~18:00 夕闇に輝くブダペストの夜景を堪能

18:20~19:00 レストラン『HUSZAR』にて、ヴァイオリンとアコーディオンの伴奏つきディナー

19:30 ホテル着


◆1月2日(土)

4:30 ホテルチェックアウト

7:10 ブダペスト発

13:40 パリ発 関空へ

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