I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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龍馬さんより気になる男性は…。(笑)

異様な存在感で、それは私の目を引きました。

隣町のさほど大きくないスーパーの小さな書店で、私はある本に呼ばれました。

一度は手にしたものの、「きっと最初の2~3ページを読めば、いつもの通り眠くなって、そのまま本棚へ…ってことになるだろう。」
そう思った私は、ペラペラ目次を眺めただけで元の場所へ戻しました。


そして、次の週。

絶対に呼ばれている。。。
何故かそう感じて、もう一度手に取ってみました。 「意外と、これは読破できるかも~。^^」

それが、大前研一著『ロシア・ショック』です。

この本が最初に世に出てからは1年半近くも経っていますので、その当時からも随分と情勢は変化していることでしょう。

ですが、帯に書かれた「日本人よ、今こそロシアとの新しい関係を構築せよ!」
という力強いメッセージに、私はどうしても惹かれるものを感じました。


最も気になった点は「ロシアとEUの接近」なのですが、
何より「プーチン」について悪く書かれていない、、ということが私にこの本を買う決心をさせました。


私が高校時代、「会ってみたい歴史上の人物は?」と聞かれたら、それは本気で惚れこんでいた「坂本龍馬」であり、
「では、現代の有名人では?」と聞かれると、それは「ソヴィエトのゴルバチョフ書記長(当時)」と答えていました。

現在は、可笑しな盛り上がりを見せる世の龍馬熱にすっかり冷め、
けれど、会いたい人物は、ゴルバチョフに「ウラジーミル・プーチン」が加わりました。

いや、彼を気になり出してからは、もう数年は経つでしょうか、、、。
彼の持つ鋭い視線に惹かれ、背は低いものの あの素晴らしい肉体と私の許容範囲のイケメンだからというのも理由であります。(笑)

「プーチンをどう思うか?」と聞かれたら、まずは「恐い」と答えるでしょう。
けれど、強烈に惹かれる…。


ソ連崩壊後、どうしようもない どん底を体験したロシアの奇跡的な変貌ぶり(サブプライム問題後の世界経済の悪化を受け、ロシア経済は大打撃を受けたりと、まだまだ波はあるものの)は、
それは凄腕のプーチンならではのことであり、
そのプーチンは、2012年までメドベージェフに大統領の座を譲るものの、その後 再び大統領に返り咲きし、2期8年、つまり2020年までは「強いロシア」の復権を目指して君臨するだろう、、、とあります。
(この大前氏の予測は、2010年の現在では多くの方達が持っている意見でしょうが、、、。)


私のロシアに対するイメージは、完全に社会主義時代のままでした。
ゴルバチョフが゛ペレストロイカ"を掲げていた当時のままでした。
対ロシアといえば、「北方領土問題」でした。

いや、もっと悪いことに、
幼い頃、亡き祖母からよく聞かされた、「にっぽん勝った!にっぽん勝った! ロシャ負けた!」という日露戦争後の日本の流行り唄(?)のままだったのかもしれません。(爆!)

完璧にロシアは悪者、卑怯者、、、とずっと思い込んでいたように思います。



大前氏は語ります。
~ 今、日本が最も注目すべき国はどこかと聞かれれば、私は悩むことなく答えることができる。
ロシアである。

日本人は古いパラダイムのままで「ロシアはけしからん」と言うのではなく、
ロシアの真実の姿を知り、
メンタル・ブロック(心の壁)を解いて 一刻も早く新しいロシア・パラダイムへの転換を図らなければならないのである。 ~


この本に書かれていることは、すでに世間では常識になってきているのかもしれませんが、
それでも私には新鮮で清々しい驚きでした。

大前氏はこれ以前にも、著書『東欧チャンス』の中で、
「脱中国一辺倒、東欧(中東欧)のチャンスを生かすこと。
中東欧をうまく活用できないものは、21世紀に勝ち残れない。」と提言されているそうで、
こちらは もっと古い情報となりますが、これも私とハンガリーの縁の一つだと思って読んでみたいと思っています。

*

さて、私が『ロシア・ショック』を読み始めてから、
事実 ロシアでは、モスクワの地下鉄をはじめ南部の町にまで自爆テロというショッキングな事件が続いています。

まだまだロシアは大量の膿を出さなければならないことも事実ですし、
大前氏の意見が全て絶対ではないことも分かっています。


だけど、気になるプーチンさん! 
とても恐いように思えるけれど、今の私には龍馬よりもプーチンさんの方が非常に魅力的に映るのです。(*^^*)

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北の国から、南の島から♪

次回の旅は、「フィンランド航空」を利用したいと思っています。

前回のブダペスト行きで初めて乗った「エア・フランス」の、あの具のない゛ミソスープ"にいたく感動致しまして(笑)、
「お! 欧州行きは、ルフトハンザドイツ航空以外もなかなかいいかも~!!」などと思い始めました。^^

ちなみに、これまでに利用して気に入っている航空会社は「エアNZ」に「カンタス航空」、そして意外に感動したのが南米チリの「ラン航空」。
(あらっ! 全て南半球ですね。^^)


ただ経由するだけのフィンランドではありますが、一足お先にその世界に触れようと、
先々週、広島県立美術館まで 『ムーミン原画展(~3/28迄)』 を観に行きました。(笑)

2010-03-27 04:25:37

(実は帰国便の乗り継ぎの際、ヘルシンキで少々待ち時間があるのです。
空港から市内中心部まで、タクシーならおよど20分程度で行けるようですので、ちょっとだけ゛ムーミンの国"を覗くのもいいかなって計画中です。^^)

*

「ム~ミ~ン~~~♪」 

会場には、無邪気にはしゃぐ子供達のムーミンを呼ぶ叫び声、
原画に穴が空くのかと思うほど 真剣に覗きこんでいる青年、
この人もイラストを勉強しているのかな、、、って つい想像してしまう女子大生など、

゛ムーミン谷"というひとつの空間であるにも関わらず、それぞれに自分達の世界を広げていってるんだな~って、そういうところも 他の展覧会以上に強く感じるものがありました。

ムーミンといえば、「ねぇ、ムーミン。こっちむいて。」しか知らない私。(笑)
きっと あの場所にいた全ての人達の中で、私が一番 ムーミン初心者だったと思います。

そのお話が一体どんなものか知らなくても、作者トーベ・ヤンソンの表現力に、いつのまにかのめり込んでおりました。

細か過ぎるほど丁寧に描かれているものも、さらさらっと鼻唄でも歌いながら数秒で描いたんじゃないかしらって思える作品も、どれもこれも彼女の見事な表現力が存分に溢れ返っています。

なるほど~、こうやって描けば雪のように見えるのか、、、
水中にいるように、霧の中を彷徨うように、妖しげな満月に照らされた真夜中のように見えるのか、、、
その技術を観察する為に、盗み取る為に、私も夢中で原画を眺めました。

一本の線やひとつの点まで、全てが彼女の感性から生み出されたもの。
モノクロだからこそ感じる何か…。
その感性に少しでも近付こうと、気が付けば近くにいる子供達さえも押しのける勢いで(笑)、画面の前から動かない私がいました。(^^;

そして、これまで明るく陽気なイメージを持っていたムーミンの世界ですが、意外に影の部分も潜んでいたんだなって、ちょっぴり印象が変わりました。

以下は、公式サイトから拝借した数点です。^^

ムーミン.jpg

初期のムーミン。(ちょっと変なのぉ~!笑)  キュートなお尻がたまらないムーミンママ。^^
初期のムーミン.jpg ムーミンママ.jpg

一年に亘って全国7ヶ所を巡回した今回の原画展。
28日(日)をもって全て終了とは少し淋しい気持ちもしますけど、

本当にご覧になりたい方は、フィンランドのタンペレ市立美術館にあるムーミン谷博物館へ行きましょう!(笑)
そこには、トーベ・ヤンソン本人が寄贈されたという約2,000点もの原画が所蔵されているそうです。^^

* * * * * * *


ところで、
フランスはレユニオン島から、ブログ友達の「Mimiさん」から素敵な絵手紙が届きました♪

2010-03-27 04:34:22

* Mimiさん、どうもありがとうございます!!!
* Mimiさんをご紹介して下さったchloeさん、どうもありがとうございました!

先月送って戴いた1枚目の絵手紙は、どうもどこか世界を旅しているようで(貰い手に似て、放浪したくなっちゃったのかな?・笑)、
今回、私の為にわざわざ2枚目を描いて下さったのです。

このチャーミングな子は、インド洋に浮かぶレユニオン島のヤモリ君だそうです。

この明るい色遣いと、クリクリっとした可愛いお目目は、
南の島だからということもあるでしょうけど、何よりMimiさんそのもののように思えてくるから不思議です。

よ~く見てみると、Mimiさんの筆遣いまでも感じられそうで、一枚一枚にMimiさんの温かい心が込められているんだな~と、ふつふつと喜びが湧いてきます。


芸術って本当に素敵ですね。
遠く離れた方、これまで会ったこともない方、そして時代を越えた人の輪を作ってくれるのですね。^^


ということで(?)、
この週末は、島根県立美術館まで
『ピーターラビットの生みの親 ビアトリクス・ポター展 ~イギリスの自然を見つめて~』
を観に行きたいと思っております♪^^

私のブダペスト。

ブダペスト到着の夜、
フェリヘジ空港に降り立った私は、これまでにない陰鬱な空間を感じました。

到着は、予定通りの'09年12月30日、午後9時5分。

少しでも早くホテル入りしたかった私は、すでに日本円からフォリントへの両替を関空で済ませていました。
(日本では大手銀行でもフォリントを扱うことは少なく、関空では唯一 直営店でのみ両替可能です。)

とにかく足早にその場を去りたかった、、、その記憶が今も残っています。


けれど、その印象は空港だけではありませんでした。
私が3泊滞在する「ホテル・アトランティック」のロビーはとても狭く、学生らしき若者たちが吸っていた煙草でむせかえりそうなほど煙っていました。

手早くチェックインを済ませ、8階だという部屋の鍵を片手にエレベーターに乗るものの、
そこには7階までしかボタンがありません。

確かに8階のはずなのに、、、と「7」の数字を押しました。
当然のこと、扉は7階で開きます。
そこから先、私の部屋へ行く為には目の前にある階段を、自分の足で上るしかないようです。

常に荷物は最小限という私でも、長時間の飛行機の疲れで、一瞬ムッとしました。
安いホテルなのだから、ポーターさんがいないのは当然です。
しかし、最上階までエレベーターで行けないだなんて、、、。

見降ろすと、ホテルは2階部分のレストランが吹き抜けになっており、それを囲む四角いアパートメントのような造りをしていました。
本来は、最上部から射し込む陽射しによって 明るい空間を生み出す役目をしているのでしょうけど、真冬の夜、もしくは どんよりとした曇り空の下ではかえって閉鎖的な雰囲気を醸し出しています。
圧迫感に近いものすら、私には感じました。

そして、それが私の持つ旧共産圏のイメージと重なったのです。

少し不愉快さを感じながら扉を開きました。
部屋は思ったよりも広く、いや一人では十分すぎる広さがあり、小さな照明ではそれが逆に部屋の中を薄暗く感じさせてしまいます。

ホテルの周囲は、同じ高さの建物が隙間なく並んでおり、そのせいで各部屋には外へ向かう窓さえありませんでした。
一つだけある通路に面した大きな窓にはカーテンはなく、味気ない白いブラインドがぶら下がっているだけです。

テレビはありました。 電話もあります。 もちろん、ガラス張りのシャワールームだって、きちんとお湯は出て来ます。

けれど、それ以外は何もない、、、冷蔵庫の中はもちろんのこと空っぽです。

ここまで何もないホテルというのは初めてのこと、まさかユースホステルじゃあるまいし、、、。


実は、私の機嫌を悪くしたのは、何もホテルのせいだけではありませんでした。
飛行機の中において、ブダペストへと着陸態勢に入ってからの耳鳴りがず~っと続いており、不快な違和感は布団に入ってからも私を困らせました。

もともと時差には強い私でも、こうも耳鳴りが続いた中では眠ることはできません。
そして、外すら見えない部屋なのに、天井には降り出したばかりの雨音がバラバラと大きな音を立てて響き始めました。

シトシトと降り注ぐ雨音ならば 多少の風情はあるものの、こうもバラバラ降られてはたまりません。
次の日の天候も気になって、私はますます眠れなくなってしまいました。


「私ったら、どうしてブダペストなんかに来ようと思ったのかしら、、、。」

「なんで、慣れ親しんでいる大好きなザルツブルクを選ばなかったのかしら、、、。」

何度も何度も寝返りを打ち、布団で頭を覆いました。

「何が゛ドナウの真珠"よ! 何が゛ドナウの薔薇"よ!!」

自分の直感でブダペスト行きを選んでおきながら、ガイドブックの謳い文句にさえケチをつけ、
その最初の夜、私は悶々と後悔の中に蹲っていました。


* * *


これが私とブダペストとの正直な出会いです。(笑)

明け方、少しうつらうつらしたおかげで、この酷い感情を朝まで、まして観光に出てまで引き摺ることはありませんでしたが、
ここまで第一印象が最悪な旅は初めてです。

          2010-03-22 09:29:44

だからでしょうか?
その最悪な印象が幸いして、それからブダペストの表情と一つ一つ出会うごとに新鮮な驚きを覚えました。
哀愁漂う街の雰囲気は、それはあまりに美しく そして優しく私の心に映っていきました。

ブダの丘からドナウ河を挟み、薄く霧がかった国会議事堂を見降ろした時などは、前日の自分の後悔を恥ずかしくさえ思ったほどです。

それは、オペラ座での華やかなジルベスターや グドゥルー宮殿でのシシィのドレス、そして本当に真珠を散りばめた様な美しい夜景のおかげで、ますます魅力的に膨らみました。

そして、最初は毛嫌いしていたホテルでさえ、それがハンガリーの一つの顔を私に教えてくれたように思え、好ましく面白く感じるようになっていきました。


帰国後、旅の余韻に浸りながら もっとあの国と街を知りたいと思う分だけ、また新たな発見と親しみが湧いてきて、
気が付けば、ブダペストは私にとって特別な場所になっていたのです。

*

2010-03-22 09:30:46

今日で、このブダぺスト旅行記も終了です。


本当は、ブダの丘の地下に広がる鍾乳洞の真っ暗闇の「王宮地下迷路」や、
見上げても先が見えないほど長い、地下鉄のエスカレーターの異常なほどの速さ
(駅によっては、日本のエスカレーターの倍以上のスピードがあります!)、そのせいで大きく風にあおられ、あわやエスカレーターから吹き飛ばされそうになった思い出など、

まだまだ記しておきたい出来事は沢山沢山あるのですが、
なんだか それらは蛇足のような気がしてきて、この辺で止めておこうと思います。


私はこれからも愛すべきハンガリーについて色々調べていこうと思っていますし、
これを次回の旅(行き先は未定ですけど)にも繋げていきたいと思っています。


3ヶ月近くに亘るこの旅行記にお付き合い下さいまして、まことに有難うございました。^^

2010-03-22 06:29:04

ブダペストと「ツィゴイネルワイゼン」

紀行文『異国の窓から』の中で、宮本輝氏はドナウ河について こう語っています。


~ハンガリーのブダペストを流れるドナウ河、そしてブルガリアとルーマニアの国境に流れるドナウ河は、それぞれ川幅も流れも速度も、色も、周囲の景観もまったく趣きを異にしている。
にもかかわらず、この三つのドナウ河は見事である。

バイエルンのドナウは、うねうねと曲がりくねって、ついきのうまで「美しき青きドナウ」であったかのような幻想をもたらせる。
ブダペストのドナウは、悠々としていて、しかも絶えずそこに黄昏を漂わせている。


サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」は、ブダペストの街と河が作曲家にそっと旋律を伝授して生み出された名曲だと思えてくる。

ブルガリアとルーマニアの国境を成すドナウは、終末感を帯び、寂しくひなびている。
イワノヴィッチの「ドナウ河のさざ波」の軽快なワルツは、きっと、ひなびた孤独な河がもたらしたのだという気がしてならない。


東西ヨーロッパの歴史は、この二千数百キロにおよぶドナウ河抜きにしては語れないが、
歴史に残ることのなかった無数の人間ドラマを、愛を、別離を、苦しみを、それぞれの国のドナウ河は飲みこんで流れつづけているのである。~



私がウィーンを訪問した数年前、ドナウ河といえば ヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」のイメージを抱いていました。
それを求めて、地下鉄で郊外まで足を伸ばしたものの、私の期待するドナウはそこにはなく、大河というよりも運河に近い、どこか人工的で味気ない川が目の前を素通りしたのです。

ですから、いくらブダペストが゛ドナウの真珠"と謳われていても、今回はさほどそれに対して思い入れを持つことはありませんでした。

けれど、ブダとぺストに挟まれた少し濁ったドナウ河を前に立った時、
独特の何ともいえぬ哀愁が肌にまとわりつき、それは不思議といつまでも いつまでも感触として残りました。
ドナウ河の印象は大きく変わり、本物の大河へと成長していたのです。


帰国後、そのドナウ恋しさに、宮本輝氏の『ドナウの旅人』を読んでみると、
その旅人の一人である母・絹子は、サラサーテの有名なヴァイオリン曲「ツィゴイネルワイゼン」に惹かれ、ドナウ河に沿って旅をしたくなったとあります。

ところが、私のドナウに「ツィゴイネルワイゼン」のイメージは一切ありませんでした。

どちらかといえば、「ドナウ河のさざなみ」の方がブダペストに合っていると思ったのです。


*

ブダペストのメイン・ストリートであるアンドラーシ通りの一角に、『Terror Haza(恐怖の館)』という博物館があります。
大晦日と元日は休館だった為、残念なことに今回の旅行では訪ねることができませんでした。

それは、第2次世界大戦中、ハンガリー極右政党であった「矢十字党」やナチスの本部として使われた建物で、
戦後は共産主義の秘密警察の本部として、また地下には政治犯を収容する牢獄があった場所を大改装したものだとか。
ハンガリーにおける共産主義時代を知る上で、貴重な場所の一つとなっています。

どの時代もどの国もそうですけど、こういう場所は、時の主導者によるプロバガンダ的要素が強いのも事実でしょうが、
そのベールに包まれた そう遠くない過去について、私には大変興味深いものがあります。


オペラ座での夢のような体験とともに、
帰国後に 少しづつではありますが、あらゆる角度からハンガリーの複雑さを調べることで、
ブダペストにおける煌びやかさの裏側とそのギャップに、
逆にサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を強く感じるようになりました。


これが作曲された1878年は、オーストリア=ハンガリー二重帝国時代。
ハプスブルク家の支配下にあったものの、それでもまだ彼らに明るさがあった時代なのかもしれません。
その後に続く、幾多の苦難はまだ想像もされていなかったでしょう。


けれど、もともと陽気で逞しいマジャールの血を引く彼らです。
どんな苦境に立とうとも、そこから這い上がるマジャールの力をこの音楽は表現している、、、そんな風に思えたのです。
とりわけ、速いテンポの後半部分からそれを感じました。

この「ツィゴイネルワイゼン」も、ハンガリーのジプシー音楽や民謡を基にして、以前もご紹介した「チャールダーシュ」という舞曲形式なのだそう。

彼らはどんな思いを抱えて、この旋律に耳を傾けてきたのか、、、。

そんなことを考えながら、もう一度 宮本輝氏の文章を読んだ時、
彼の描くドナウがいかに深みを帯びているか、私は感ぜずにはいられないのでした。

picchuko版 『夢から醒めた夢』、、、。

豪華な内装に合わせたであろう ゴールドとワインレッドの無数の風船が、
2010年を迎えると同時に オペラ座いっぱいに溢れ出しました。

各ボックス、そして天井近くに飾り付けてあった風船が、この時を待って、一斉に降ってきたのです。

これは夢?
煌びやかな会場の中を、ふわふわと舞い降りる数えきれない風船のせいで、まさに観客は夢の世界を錯覚します。

ぽ~ん、ぽ~ん、、、
近くに降りてきた風船を、誰かがもう一度 上へと飛ばし始めました。

そんな風船と大勢の人達の合間を縫って、私は元の場所へと帰ろうとしました。
長い裾を踏まないように片手でスカートを少し持ち上げ、もう一方でグラスを持って…。


カチン。 
小さく音を立て、すぐ目の前のおばあさまとも、先ほどまで給仕してくれていたウェイターさんとも、
目が合った全ての人と新年を喜びあい、笑顔の乾杯を交わしながら席へと戻りました。

そして、席に着いた私を待っていてくれたのが、隣りのボックスのおじさま、、、ではなく、なんと 先ほどまで恐そうに座っていた 彼の奥さまだったのです!
いえ、全然 恐そうなんかじゃありません。
やはりご主人が素晴らしい方だけあって、その奥さまも優雅な物腰でグラスを軽く上げました。

「Happy New Year !!」

頭上にはまだまだ風船が舞っています。

ぽ~ん、、、今度は一つ 私のところへ飛んできました。
見降ろすと、あるおばあさまが笑顔で応えてくれています。 「私よ!」というように手を挙げています。
私もその風船を飛ばし返してあげました。^^

あちらこちらで、そうやって風船で遊ぶ姿が見られます。
私もお隣りのおじさまや奥さまとも 風船を飛ばし合い、しばらく楽しい時間を過ごしました。^^

そのうちに、今度は何人かがパ~ンパ~ンと風船を割り始め、
多くの風船が割られるその音が、美しいオペラ座内部で反響し、まるで打ち上げた花火のように響き亘りました。

この時、゛現実"という世界にいる人は、このオペラ座内では きっと一人もいなかったことと思います。
夢の中の そのまた夢の中へ、誰しも入り込んでしまったようです。^^


リサ達がステージで踊っているのが見えました。
おじさまも奥さまと腕を組み、ステージへと向かう姿が見えました。

今宵 オペラ座では、生演奏をバックに 夜通し舞踏会が開催されるというのです。


時計の針は0時30分を指していました。
このまま夢の世界に浸りたいけれど、ブダペスト滞在が短い私は、どうしても明日の余力を残しておかなければなりません。

今日出会ったばかりの素晴らしい大好きな方達に、
「ありがとう」と「さよなら」をこっそり心で呟いて、私は会場を去ることにしました。

*

クロークで預けたコートを手にし、足早に階段を降りようとしたその時、
深い黒色の髪と瞳を持つ私好みの男性から、「マダム。。。」と呼び止められました。

「マダム、足元に襟巻きを落としましたよ。」

シンデレラがガラスの靴を片方置き忘れてしまったのなら、私は同じく階段で 黒色の襟巻を落としたのでした。(^^*)

完璧だわ!(何が?・笑)
そう自分で自分に酔いしれながら、私はオペラ座を後にしました。


あぁ~、このまま 酔いが醒めなければ良かったのですが、、、。(^^;

* * *

     2010-03-14 13:59:42

オペラ座の面したアンドラーシ通りとその周辺は、2002年に世界遺産に登録された美しい大通りです。
別名、「ブダペストのシャンゼリゼ」と言われるほど。

午前0時をとっくに過ぎても、大晦日のアンドラーシ通りは輝きを失う様子はありません。

さて、ここからどうやって帰ろうかしら、、、。

地下鉄やトラムに乗っても、最寄りの駅からホテルまで少し距離もあることだし、
何より爆竹が建物に反響する派手な音が恐い。。。

私はタクシーでホテルまで帰ることを決心しました。


私は、ブダぺストの流しタクシーが宜しくないことを知っていました。
正規の料金よりも かなり高く請求されることも知っていました。

ですから、ブダペストでタクシーを利用する場合、
必ずホテルやレストランから信頼できるタクシー会社に電話してもらうべきだということも、十分過ぎるほど知っていました。


ですが、すっかりほろ酔い気分の私は、少しくらい高額でもいいかな~と、オペラ座前にずら~っと並んだタクシーに自分から近付いて行ったのです。

「どこまで?」 「ホテル・アトランティックまで。」
「じゃぁ、○フォリントでどう?」 
たぶん、ハンガリーの゛いまどきの兄ちゃん"って感じの運転手でした。

私は頭の中で、ホテルで頼んだ 行きのタクシー料金を思い出していました。 
確か1,500フォリントだった…。
いくら深夜といっても、4,000とは高いわねぇ…。

「せめて3,000フォリントでどう?」
「ダメダメ~、今晩は大晦日なんだよ。それにこんな真夜中、特別料金で当然さ。」

他に並ぶタクシーも、どうやら彼の仲間らしい感じです。

う~、寒くなってきたしなぁ~。 「まぁ、いいわ! あなたの言う料金でお願いするわ!」

まだ少し私は酔っていました。

タクシーに乗り、遠く鎖橋方面で打ち上げられている花火にしばし見とれながら、
はたと我に返りました!!

あ゛~!!!(><)
私ったら、完璧に酔っていたようです。

彼が言った「○フォリント」は、、、
実は4,000ではなく『6,000』だったのです!(><)。。

あまりに単純なミス、、、『six』と『four』を間違えるなんて!!!

6,000とは、通常料金の4倍ですぅ~!!!(><)

あぁ~、これこそが夢の世界であって欲しかった…。(T_T)


しばしお付き合い下さったシンデレラの夢は、こうして一気に醒めたのでありました。(爆)

せめてもの反抗は、「あんたになんか、チップをあげるもんですか!!」(><)

夢のあとさき。(後篇)

「失礼。。。」
その一声に顔を上げると、そこには 私と同年代であろうドイツ人カップルの姿がありました。

「こんばんは。はじめまして。^^」
この方達と今宵、私はジルベスターを共にするのです。

*

オペレッタ『こうもり』は、
ヨハン・シュトラウス2世の代表作であるとともに、数あるウィンナー・オペレッタの中でも最高峰とされる作品です。
オペレッタは基本的に喜劇であり、またヨハン・シュトラウスの優雅なウィンナー・ワルツがその陽気さに一層の彩りを添えてくれます。

通常は、3幕からなる2時間半の上演なのだそうですが、
音楽は自由に挿入または省略され、観客を笑わせる為に、台詞や演出もその都度 アドリブが加わるのだとか。

それが一般庶民には少し敷居の高いオペラとは違う、「小さなオペラ」の意味を持つオペレッタの特徴でもあるのですって。


さて、その『こうもり』ですけど、

物語の舞台が大晦日の夜ということで、ウィーンをはじめドイツ語圏の主な歌劇場では大晦日恒例の出し物になっているとのこと。

まして幕中では、登場人物の一人である男爵夫人が仮面を被ってハンガリー伯爵夫人に扮したり、ハンガリー民族舞踊のチャールダーシュまで歌われるのですから、
まさにブダペストのジルベスターにぴったりの演目でした。


「ちゃんと楽しんでるかい?」
時々、隣りのボックスからおじさまが顔を出し、私の様子を窺います。

というのも、こんな夢のような舞台は初めての私ですから、舞台上の喜劇なんて そっちのけだったのです。(笑)

ただただ その豪華絢爛な内装に目を奪われ、
いえ、この貴重なオペラ座での時間をしっかり頭に刷り込もうと、何度も頭をもたげては辺りを見回していたのです。


それでも 言葉は分からなくとも、笑う場面くらいは分かります。^^
男爵夫人の小間使いが女優を装って、陽気に酔っ払いのバレエを演じるシーンなど、観客の笑いの渦がオペラ座内部を包み込みました。

「ちゃんと楽しんでるみたいだね。^^」

ええ、おじさまもとても嬉しそうだから、私も本当に幸せだわ!(*^^*)


*

オペラ座内がわっと沸いたところで、『こうもり』は終了。

上演時間はわずか1時間15分と短縮されておりましたが、今宵はなんといってもジルベスターなのですから、そんな 堅っ苦しいことは抜きですよね。^^

その後 少しの休憩が入り、観客の皆さんがロビーでシャンパンを楽しんでいる間に、
ステージ上には多くのテーブルが並べられ、カチャカチャと食器を並べる音が聞こえてきました。


「マダム、、、3人ともこちらでお食事されますね。^^」
蝶ネクタイをしたウェイターさんが、ボックス席にも ディナーの準備にやって来ました。

ステージ上は平土間席の観客用、各ボックスにはそれぞれタキシード姿の給仕が配置されているのです。

「ええ、後の二人ももうすぐ戻ってくるはずよ。」

            2010-03-08 18:36:13

小さなテーブルに、前菜が並べられます。

魚のマリネにオレンジとフェンネルで味付けされたサラダ、そして松の実でコーティングされた鹿の肉..etc。


「さぁ、私達も戴きましょう。」 

ベルリンからやって来たという その二人は、この夏にワイマールで結婚したばかりの新婚さんだと話し始めました。

あら、、、私ったらお邪魔虫ね。(実際、本当にお邪魔だったに違いありません。(^^;)
そんな私の表情をとっさにくみ取った その若奥さまは、
「付き合い出してからは、もう7年になるんだけどね。」ですって。^^

「あぁ、自己紹介がまだだったよねぇ。 僕はベルリンの大学で講師をしている○○だよ。」
すでにシャンパンでほろ酔い気分の私は、その若いご主人の名前を聞き洩らしてしまいました。

「こちらが妻のリサ。」
「はじめまして。 私、picchukoと申します。」

「日本の方なのね。 あら、私、中国語なら少しだけ勉強しているのに残念だわ。」
「じゃぁ、せっかくだから ニイハオということで。(笑)」


ステージの前方では、生演奏とともに様々な種類のダンスが披露され始めました。
(ステージ後方はボックス席以外の観客が食事を楽しんでいます。)

ワルツあり、タンゴもあり、次から次へと踊り手が変わります。


私は前菜を口にしながら、そのかなり手の込んだ独特の味付けに舌が慣れてくれず、
半ば水で流しこむように胃の中へと押し込みました。

「ねぇ、picchuko、、知ってた?」 「ん?」
「今日ね、私達 セーチェニ温泉に行ったんだけど、、、」 「セーチェニ温泉?」
「ほら、お風呂の中でチェスをするのが有名な!」

「その温泉の近くに、高級レストランの『グンデル』があって、そこでランチを取ったの。
それがとても美味しかったのよ~。^^

そしてね、picchuko、、、この晩餐もそのグンデルのものなのよ♪」


「グッ、、、!!!」 私は今 飲み込んだばかりの その料理を、喉に詰まらせそうになりました。

『グンデル~~~☆ w(◎◎)w』 
それはハンガリー一の、いや欧州でも名の通った超一流レストランではないですか!?

「ね、ナプキンにだってGUNDELって書いてあるでしょ!^^」 とニコニコ顔のリサ。


絶対に縁がないと思っていたグンデルの料理が、知らぬ間に目の前に並べられ、しかも゛美味しくない!"と感じた私の舌って、、、、。(><)

しかし、味覚とは 非常に奇にして妙なもの!
グンデルと知って、その後に出てきたメインディッシュのステーキの柔らかで美味しいことといったら、
デザートのチョコレートケーキの頬がゆるみっぱなしの美味しさといったら、、、

わぁ~、これが有名なグンデルの料理なのねぇ~、さすがだわ~。(^^ゞ)


ただし、極々庶民の私が最も美味しく感じられたものは、何を隠そう「マッシュポテト」なのでした。
ここだけの内緒話(?)、料理全般を絶賛し通しのリサもそうだったみたいです。(爆)


順調に食事と会話が進む中、私はふと気が付きました。
出逢って間もない彼らに対して、どうしてこんなにも親しみが持てるのかということを。。。

それは、彼らが私に声を掛ける度に、必ず「picchuko!」という呼び掛けから始まっていたことだと気付きました。

そういえば、これまで海外で出会った人達は、どの人も私の名前を何度も何度も口にしてくれたように思います。

親しみを込めて相手の名前を呼ぶ、、、
あまりにも簡単なことなのに、私はこれまで「you」で片づけてしまっていたのです。

意外にも、誰とでも仲良くなるコツは、相手が外国人であろうと日本人であろうと、こんな単純なことなのかもしれませんね。^^


*
      
             2010-03-08 18:30:59
      
とうとう、2009年も残すところ後10分程となりました。

「picchuko、私達 ちょっと階下へ行って来るわね。」 
リサ達はそう言って、席を立ちました。

一段と盛り上がりを見せるステージ上では、一組、また一組と、観客までもがお互い 肩と腰とに手を回し合い、ゆったりとリズムに乗って踊り始めました。

こういうところは、やっぱり恋人同士か夫婦二人で来なくっちゃね。。。
階下には、ご主人と寄り添うリサの姿も見えました。
私、一人ぼっちだ…。

ちょっぴりセンチメンタルになっていると、またも隣りのおじさまと目が合いました。
「おじさまは踊りに行かないの?」

「じゃぁ、僕と一緒に踊るかい?」 
「まさか!(笑)」 私は奥さまに視線を向けて、そう答えました。

私が踊れるのは阿波踊りぐらいでんがな、、、。(笑)
場所が場所ならそんな冗談も言えたのでしょうけど、ここはオペラ座、しかもその時の気分はおセンチな私です。
そして、目の前にいる この方は、本物のヨーロッパ紳士なのですから。


「もう少ししたら、僕達もステージに行って来るよ。」 そう言って、彼は奥さまを指さしました。

*
                       
           2010-03-11 22:00:13

カウントダウンまであと3分を切りました。
誰しも、たった今 配られたばかりのシャンパンを片手にステージを見上げます。

私って、カウントダウンを迎える多くのカップル達をただ眺める脇役でしかないのかな。(;_;)
(実際には、おひとりで来られた おばさまや、3人組の若い男性グループなど他にも何人かいましたけれど…。)

やっぱり私の心はおセンチです。。。

ブダペストにいる場合じゃないわ! 
     今すぐザルツブルクまで飛んで行き、急いで婚活しなくっちゃ!!
自分で自分を慰めます。(苦笑)


その瞬間!
私のボックス席の扉がバタンと大きく開かれて、リサのご主人が「picchuko! 急いで!!」と飛び込んできました。

訳も分からず慌てて付いて行くと、
「ほら、ここからの方がステージがよく見えるわ!」 リサがシャンパンを傾けてくれます。

彼らは私を一人ぼっちで年越しさせない為に、
数時間前に知り合ったばかりの可哀想(笑)な日本人と新年の乾杯をする為に、わざわざ私を呼んでくれたのでした。

「A Happy New Year!」 

グラスの向こう、シャンパンの泡越しに、
ゴールドとワインレッドの二色の風船で形作られた『2010』という文字が浮かびあがっていました。


ありがとう。本当にありがとう。 あなた達の優しさは、私 一生忘れないから。。。

夢のあとさき。(前篇)

「午後7時にタクシーを呼んでちょうだい。」
フロントのお兄さんにそう言って、私は一度 ホテルの部屋へと戻りました。

さぁ、もうすぐ夢の舞踏会。
2009年のクライマックスであり、華やかなる2010年の幕開けがあと数時間後に迫っているのです。

30分ほど横になって疲れを取り、軽くシャワーを浴びてから、ほんの少しだけドレスアップしました。

そして、もう一度だけ服装をチェックする為、私は鏡の前に立ちました。

じぃーーーっと、鏡に映る自分の姿を眺めていると、、、
この私が伝統あるブダペストのオペラ座の、ましてジルベスターガラコンサートにおいて、ボックス席に座るなんてそんなこと、
実はものすごく無謀であり、オペラ座の名誉すら傷つけることになるのではないか、、
まさかオペラ座の怪人でもあるまいし…、、、
臆病なもう一人の自分が頭をもたげ出しました。

トゥルルル・・・  「タクシーが到着しましたよ。」

複雑な気分で外へ出ると、辺りは深い霧で覆われはじめ、すでに幻想的な雰囲気に包まれていました。

この日の為に買ったグレヴィの帽子を深く被り直し、「オペラ座まで。」

*

午後8時の開場には少し時間が早かったけれど、
さすがに外は冷え込み始め、私はオペラ座の重い正面扉を押してみました。

そこには大きなクリスマスツリーが飾られており、
高級そうな毛皮のコートを着た紳士淑女の皆さんが、すでに数人集まっていました。
            2010-03-08 18:32:55

私、場違い?
そんな不安そうな顔をした私に、皆さんは優しく笑顔を向けて下さいます。


誰かが、あっ!と声を立てました。
ふりむくと、あっ! lots of Mozart(s)!(笑)

2010-03-08 18:34:20

彼らは一人一人に「New Year's Eve Ball 2009 Budapest Opera」と書かれたゴールドの腕輪を巻いてくれ、チケットを確認していきます。

赤いビロードの絨毯が敷かれた階段を上り、クロークにコートを預けると、シャンパンが手渡されます。
今日だけモーツァルトに扮した彼らの一人が 私に深々とおじきをし、慣れないこの一観客をボックス席までエスコートして下さいました。

「こちらがあなたの6番ボックスです。」

扉を開くと、ワイングラスの並んだ小さな机が片隅に、そして舞台に面して並ぶ3つの席。
その最も右端が私の場所だと、彼はゆっくりと椅子を引いてくれました。

「さぁ、どうぞ。」
「クスヌム(ありがとう)。」

私はこの場所で浮いていないかしら…。 まだ少しだけ不安な気持ちが顔を出します。
だって、珍しくロングスカートを履いた私は、何度も何度もスカートの裾を踏んでは 躓いていましたから。(笑)

それに、なんとまぁ豪華絢爛な世界なのでしょう。

      2010-03-08 21:02:17

ここが、あのウィーンよりもゴージャスなオペラ座なのね…。 
まるで夢の中に迷い込んだよう。 
いえ、夢でだって、こんな壮麗な世界に足を踏み入れたことはありません。。。

よ~く見ると、派手に着飾ったドレスを身につけている人は主に平土間席へ、
ボックス席には、シンプルながらもかなり高価であろうドレスに身を包んだ、年齢層の高い紳士淑女が現れました。


2010-03-08 18:40:16

ふと隣りのボックスに目をやると、白髪の洒落たおじさまと ちょうど目が合いました。
「君のカメラを貸してごらん。」 

オペラ座の美しい内装に、ひたすらカメラを構える私を、彼はずっと見ていたのでしょう。
いきなり、そう英語で声を掛けてきたのです。

一瞬、゛なんなの?"と躊躇している私に、彼は「君はフランス語しか喋れないのかい?」
「まぁ。ふふふ。^^」

そしてカメラを手渡すと、ボックス席に座る私の姿をカメラに収めてくれました。
ちょっと疲れが顔に出ていたのが残念ですけど、その貴重な写真は私にとって宝物♪^^

今だから恥ずかしげもなく言えますけど、
そのおじさまったら、とても渋くて味のある素敵な男性だったのですもの!
きっと、お若い頃はかなりのハンサムであったに違いありません。
今のお年でだって、彼に誘われれば、私はそのまま(しっぽを振って!・笑)付いていったことでしょう。(*^^*)

けれど残念なことに、彼の後ろには少し頑固そうな奥さまが、背筋を伸ばして整然とご鎮座あそばされておりました。(爆!)


さぁ、まずはヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ「こうもり」の始まりです。

その舞台の途中でさえ、煌びやかなオペラ座の内装と、ボックス越しにウィンクを投げてくれる そのおじさまにクラクラしどうしのpicchukoなのでした。^^

聖なる右手?!

*通りの向こうは聖イシュトヴァーン大聖堂【'09.12.31】


鎖橋を渡り終え、ぶらぶらっと聖イシュトヴァーン大聖堂まで訪ねてみるものの、「午後3時まではプライベートの式典の為、入場禁止」の貼り紙が…。
聞けば、内部では結婚式が行われているらしい。

綺麗な花嫁さんを見たい気持ちもありましたが、なにせ私は時間が極度に限られた身。(^^;

そこで、先にシナゴーグまで足を運んだというわけですが、
遅めのランチで活力も復活(笑)、再度 大聖堂を目指しました。



ブダペストで最も威厳に満ちた巨大な建造物、『聖イシュトヴァーン大聖堂』。
それは大きなドーム型の屋根を持つ、ブダペスト随一の大聖堂です。

建設は1851年から始まったものの、壁のひび割れや、嵐でドームが崩れ落ちるといったアクシデントの連続で、完成までに54年もの歳月を要しました。


大聖堂の名前からも分かるように、ここに祀られているのは、イエス=キリストでも聖母マリア様でもなく、初代ハンガリー国王イシュトヴァーン1世。
彼こそがハンガリーにおいてキリスト教を国教とし、アジア系騎馬遊牧民族であるマジャールの国をヨーロッパの一国として位置づけた、ハンガリー建国の父なのです。

後にイシュトヴァーン1世は列聖され、8月20日を゛聖イシュトヴァーンの日"とし、今も国民の祝日になっているのだそう。
毎年その日になると、この大聖堂に安置されているイシュトヴァーンの『聖なる右手』を掲げ、行列が行われているというのですから、やはり彼は国民的聖人なのでしょう。


その『聖なる右手』が、ここの一番の見所???
それは、大聖堂の最も奥、゛聖なる右手礼拝堂"に恭しく祀られております。

お忘れなく、、、彼が亡くなったのは1038年のこと、聖なる右手とは、墨のように黒くなった゛ミイラ"のことです。

2010-03-06 04:04:53

それはガラスケースに入れて保管展示され、100Ft(単純に50円)硬貨を入れると2分間ライトアップしてくれます。

何もわざわざミイラを照らすこともないかな~、と思いつつ、
きっと誰かがコインを投入するだろうとしばし待っていたところ、やはり現れてくれました~!!(^^)

それは、幼い子供連れのお父さん。
すぐに飽きてしまったお子さんに代わり、この私がまじまじとミイラ観賞をさせて戴きました。(笑)        

Wikipediaによると、
「遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、1771年マリア・テレジアによってブダに戻されたものである」とあります。

*

はて、何故に右手だけ???と思いつつ、、、。

一部の欧米人は、右手が聖なる天を、左手が地獄を象徴するというのだそうです。
例えば食事の時、左手でパンを取ろうとすると、右手で取るように諌められるといいます。
パンは、キリストの身体であって、聖なる右手で取るべきものであるからです。

少し意味が違うかもしれませんが、ご存知 イスラム教、ヒンドゥー教でも右手は清浄、左手は不浄。

仏教国タイにあっても、左手で物をやりとりすることはタブーです。
(実際、バンコクで つい左手を差し出した私は、チャオプラヤ川に振り落とされそうになりました。・笑)

それは、トイレの際に使うのが左手だからというのだけれど、もともとトイレで左手を使うようになったことにも意味がある?

いや仏教においても、右手が仏、左手は衆生を表わすもの。
(余談ですが、左右二つを合わせて仏と衆生が合体した姿(合掌)が、成仏の相を表わすものと考えられているのだそうです。
いやはや、これは日本における二つで一つという考え方、「対の文化」にまで繋がっていくのだろうか???)


な~んて、ついつい浅はかに意味もなく考えを膨らませてしまいましたが、
イシュトヴァーンの遺体から右手だけが失われていたのは、その意味するところは 天でも仏でもなく、単なる偶然なのかもしれません。(^_^)


それにしても、これは黄金のガラスケースに入っているから眩しく映るのであって、
初代国王の『聖なる右手』と称されるから見たのであって、
拳を握ったその黒ずんだ右手は、少し薄気味悪くもありました。

「これを見たあなたは億万長者に!!!」
そんな嬉しいことでもあればいいのですが、、、、、そのようなことはどこにも書かれておりません…。(爆)



       2010-03-06 04:04:06

  ~ イシュトヴァーン王は、1038年8月15日に逝去された。
    1083年8月15日、シュケシュフェルヴァールにて聖人に列せられた。
    生前のままの状態で発見された右手は、以後国民に非常に尊敬されている。~


* * * * * * *

生前、そのイシュトヴァーンの右手が指し示した先にあったものは…。


彼らの祖先が東方から現在のハンガリーの地に移住してきたのは9世紀末。
10世紀前半のハンガリー人は、おのおのの部族ごとに自由に行動していました。

そして、なお西へ南へと掠奪遠征を繰り返していたものの、955年に大敗を喫しことにより西方への掠奪は終焉せざるをえなくなります。

すると、今度は逆に国力を高めたドイツからの圧力を受けることになる。
ドイツの軍勢が攻め入ってくる、その最も都合のいい大義名分こそが「異教徒ハンガリー人の討伐」だったのです。

そこで、イシュトヴァーンの父・ゲーザはカトリックを受容し、ドイツとの友好関係を築こうとしました。

それを引き継いだのがイシュトヴァーン1世。
はじめは抵抗する者を容赦なく武力で制圧していたものの、力だけでは支配は永続しないことを悟り、
権威を必要とするため、ローマ教皇から王冠を授かり、紀元1000年クリスマスの日に戴冠して国王となりました。

ここにカトリック王国ハンガリーが誕生したというわけです。



なんだ~、じゃぁ、イシュトヴァーンよりもお父さんこそが建国の父に相応しいじゃな~い!
というのは、私の勝手な独り言。(笑)

民族と歴史と宗教の複雑な絡まりは、島国である日本で生まれ育ち、まして信仰心のかけらさえもない私には到底理解の及ぶところではありません。(^^;

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