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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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~アジアの大地に咲いた神々の宇宙~

『世界遺産 アンコールワット展 ~アジアの大地に咲いた神々の宇宙~』

待ちに待っていた展覧会が岡山までやって来ました。


私が本気で外国に興味を持ったのは、私にとって三度目の渡航先、カンボジアでした。

アンコール・トム南大門の通路両側にずら~っと並ぶ神々と蛇神・ナーガ。
出発直前まで眺めていたその写真は、アンコールワット以上に私の想像を掻き立て、
今でも 当時の興奮を 鮮明に覚えています。
まるで太平洋に沈む伝説の大陸「ムー」を探しに、picchuko率いる探検隊が はるばる南の国まで赴くような、そんな錯覚すら感じていたのでした。(笑)

そして、密林から一気に姿を現したアンコールワットを見上げた時、一瞬 身体中に電流が走り、言葉を失い、自分とアンコールワットとの奇跡の出会いに涙を呑み込んだほどでした。


もう一つ、私にとってカンボジアを特別にしてくれた存在が、一対一でガイドをしてくれた見習い青年「サムナンくん」。
('07.12.14日記) ('08.04.28日記)
彼との出逢いによって、カンボジアだけでなく、世界とは本当に素晴らしいものなのだと教えられたように思います。


*

そのカンボジアの神々が日本へやって来る。
しかも、上智大学創立100周年記念事業として、約1年半もの永きに亘り、日本各地を巡回する。

2001年、それは私がカンボジアを訪ねた次の年のこと。
「上智大学アンコール遺跡国際調査団」が、バンテアイ・クデイ遺跡において、千体仏石柱と274体の廃仏を発掘しました。

また2007年には、アンコール遺跡群の拠点であるシェムリアップに「シハヌーク・イオン博物館」が開館しました。

私は当時の感動を思い出し、次回のカンボジア訪問を期待しながら、
「早く来い! 岡山へ来い!」と今か今かと楽しみにしていたというわけです。^^

*

上智大学の石澤良昭学長は、アンコールワット見たさに20歳そこそこでカンボジアを訪れ、
そこでアンコール遺跡群に魅了され、現地の遺跡調査団と共に活動を始めました。
しかし、その後に待ち受けていたのが想像を絶するあの内戦。
(今もその傷跡は、遺跡の至る所に痛々しく残っています。)

1980年、まだ内戦中であったカンボジアを12年ぶりに彼は訪ねます。
ポル・ポト時代の知識人抹殺政策によって、かつて一緒に働いた同僚だった遺跡保存官36人のうち、3人以外は全て殺害されたことを知り、
仲間の無念さに報いる為にも、カンボジア人の手による遺跡の発掘、修復を目指し、人材育成に力を注ごう、と決意されたそうです。

石澤学長は次のように仰っていました。(DVD 映像ですが、、、。^^;)

「当時、共に活動していたカンボジア人の仲間が言ってたんですよ。
カンボジアの風土に生まれ、カンボジアの水に触れ、風に触れ、雨に触れた我々カンボジア人の感性の結集がアンコールワットを生み出したと、、、。」

きっと、昔 夢を語り合った友人のこの一言が、石澤学長の中に深く刻まれていたのではないかな。
多くを語ってくれた石澤学長の言葉の中で、最も私の心に響いてきた台詞でした。

それを肌で感じるには、当然のことカンボジアの地を踏み、遺跡そのものに触れる以上にないけれど、
海を越えて運ばれてきた アンコール王朝最盛期の彫像作品は、それでも何かを語りかけてくれるはずです。

*

私は、仏教もヒンズー教も、それらの仏像についても全く無知ですし、
まして インドや中国の仏像、その他 ギリシャなどの彫刻との比較なんて、そういった細かい部分までは全く分かりませんけれど、

どの彫像も、一度 どこかでお会いしたような、そんな親しみのあるお顔をされていて、前に立つだけでもの凄く癒されました。

ヒョウキンなお顔のガネーシャも忘れてはいけませんね。
思わず笑みがこぼれます。^^


個人的には、リーフレットの表紙を飾っている菩薩様のご尊顔が、
正面から拝すると、以前 私が老人デイサービスセンターで勤務していた頃に仲良しだった ハルコさんというお婆さんにそっくりで、思わず声を掛けそうになりました。(笑)


そして、「鎮座する閻魔大王ヤマ天」。
鎮座する閻魔大王ヤマ天.jpg

こちらは、"三島由紀夫が戯曲の題材にしたという砂岩の丸彫による大彫像" と説明にあるほどの閻魔様ですが、とても穏やかで素朴さすらも感じられるそのお姿。
今回の展示場の中心に置かれておりました。

前からのお姿の写真しかなくて非常に残念ですが、後ろ姿こそバランスの取れた いいスタイル!
とりわけ お尻のふっくら感に、「触ってもいい~?!」と(ご本人に)尋ねてみたくなったほどです。(爆)

他のアンコール朝の仏像のお尻が貧相なだけに、余計にそう思えてしまいました。^^;



すでに5会場で開催済みの この展覧会、まだまだ全国を巡回します。

岡山県立美術館では来月の5/30(日)まで。

群馬県立近代美術館   6/5(土)~7/7(水)
福岡市博物館       7/10(土)~8/29(日)
熊本県立美術館      10/19(火)~12/5(水)
大分県立芸術会館     12/11(土)~2011年1/23(日)

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思い立ったが吉日 !!

全面的に正常化しつつある欧州の空。
モスクワ上空は大丈夫として、それでも私が利用するフィンランド航空はまだまだ怪しい雲行き。

ヘルシンキ経由が吉と出るか 凶と出るか、今の段階において、それらは「全て神のみぞ知る!」といった具合です。

「ねぇ、プーチン! こっちむ~いて!」なんて冗談を言えるのも今のうちかもしれません。(爆)

*

そのモスクワ行きですが、
実は、お正月のブダペストより帰国して2週間後には航空券を予約しており、1/20 にはすでに発券済みでした。
そして、2月頭にホテルの手配完了。
そう、私の旅は全て『思い立ったが吉日 !!』なのです。(笑)


ブダペストの余韻に浸りながら、その先のものを探していた私には、不思議とロシアしか思い浮かびませんでした。

ハンガリーを知っていく上で、旧ソ連に対する感情は悪化こそすれ 決してプラスになることはなかったけれど、それでもモスクワ以外 考えられませんでした。
いや、だからこそロシアの中でも人気の高いサンクトペテルブルクではなく、旧ソ連の象徴でもあるモスクワでなければならなかったのでしょう。

そして、一度 旧共産圏に一人足を踏み入れたことで、不安が一気に吹き飛んだこともロシア行きを後押しした理由の一つでした。


ところが、やはりロシアはハンガリーとは全く異なっていました。

そう簡単に「picchukoちゃん、 いらっしゃ~い!!」という国ではなかったのです。(><)

*

いつも以上に早く航空券を手配したのも、ビザ取得にかなりの日数を要するからでした。

旅行会社のMさんの、
「GW出発ですので、ビザ取得後では飛行機の席が取れないケースも多いため、先に航空券を予約された方がいいですよ。」
このアドバイスがあったから。

その上、 ロシアの場合は全ての滞在ホテル予約確認書と、ロシア外務省に登録されている現地旅行会社からの入国許可証がないとビザを取得できないという面倒さもありました。
まぁ、トランジットでさえビザが必要なケースがあるくらいですから、滞在となればそれくらいは仕方ないですよね。(^^;


ですから、殆どのロシアへの日本人旅行者はツアーを利用されるのです。
滞在都市、ホテル、移動手段、旅の全行程なんて、初めて行く何も知らない国のこと、ツアーならば全てお任せできますもの。

「picchuちゃん、ロシアで個人旅行っていうのはもの凄く大変よ。
モスクワに友達がいる人でさえ、わざわざツアーに参加して、そのうち1日だけモスクワで友達に会う為に自由行動させて貰ったくらいだもの。」
と、これは一昨年の夏、両親とツアーでロシア旅行に参加した親友M子から教えてもらっていたことでした。

ロシアでは、未だ異国人は決められた日程とコースに従うことを求められます。
私のお得意(?)とする、旅先での急な予定変更は非常に難しいのです。

ですから、念のために私は、滞在先をモスクワ以外に2ヶ所ほど 郊外の町も申請時に記入しました。
ただ、列車の手配はその時の都合に合わせて現地で、、、と思っているのですが、それは実際に可能なのでしょうか、、、???
しかも申請時に書いた街が一体どこだったのか、難しいロシアの文字に気を取られ、すっかり忘れてしまいました~。(爆!)
あぁ~、ロシアで怪しい者として監禁されないように注意しなくちゃいけませんね。(^^;


そうやって、少しだけ面倒くささを感じながらも 2月下旬に申請していたロシアビザ、私の手元に届いたのは4月に入ってからのことでした。

*

さて、
モスクワ着が19時、発が13時ということで、この時期のモスクワは日中の時間が長いのですから、空港-ホテル間くらいは自分で何とかしようと思っていました。

ところが、先日 ビジネスマン向けの本を読んでいて、
「シェレメチェヴォ空港からモスクワ市内に公共手段を使って移動するのは難しいので、あらかじめ車を手配するのが望ましい。」とあるではありませんか!
一瞬 冷や汗を掻きつつ、慌ててMさんに市内までの送迎サービスをお願いした次第です。

そして、その空港こそロシア最大の難所であり、薄暗い施設、効率の悪い手続き、係官の横柄な対応は何度出会っても心地よいものではないとのこと。

確かに、提出要の税関申告書や出入国記録カードを見ただけでも、すでにロシア語の文字に目眩を起こしそうです。(笑)


『思い立ったが吉日 !!』
果たして、これは超異質な(?)ロシアでも通用することなのか?

「ロシアが私を呼んでいるぅ~!!」なんて偉そうに言いながらも、知れば知るほど不安が募り、「もしや今回の決断は失敗~?」なんてっ!
ですが、「どんなハプニングに出会えるのだろう!!!」とワクワクしているのも事実です。^^

ただ、そのハプニングが後で笑える愉快なものでありますように、、、
              それだけは真面目に神様に祈っておこうと思います。(笑)

お願い、神様!?

「アイスランドで火山が噴火?」

最初にその記事の見出しを見つけた時、それは遠い世界の果ての出来事で、さして興味も持たず、そのニュースを詳しく読もうとすらしませんでした。

まさか火山灰の影響がここまで大きくなってくるとは、、、。
空港閉鎖が少しずつ解除されてきたといっても、いつまで噴火が続くのでしょうか。

単なる火山の噴火だと、私は桜島程度を想像していただけに、まさかここまで世界に影響を及ぼすとは思ってもいませんでした。


いつもお世話になっている旅行会社のMさんからメールが届きました。

「連日報道されておりますので ご心配されていらっしゃるかと思いますが、
火山の件で4/15以降 ほとんどのヨーロッパ便が欠航となっている状態です。
現時点では出発の前日に欠航かどうかが決定するようになっており、picchuko様ご出発の日にちは現時点では特に何も連絡はきておりません。

ですが、今後の状況によっては影響が出る場合もございます。
今のところ、航空会社次第ということになってしまいますが、随時連絡が入り次第 ご連絡致します。」


お願い、神様!(><)

例え 帰国便が飛ばなくとも、それでも私はモスクワへ行きたいの!!!
例え シベリア鉄道で大陸横断とまでなっても、どうしても私はロシアへ行きたいの!!!

と、本来なら神頼みさえしそうなほどなのに、不思議と今の私はこの噴火についてのロシア行きの影響を殆ど気にしておりません。(笑)


今回、これまでになくモスクワ行きを期待しており、珍しくロシアについて勉強を始めた私です。

読書が大の苦手である私が、
ロシア文学の最高傑作の一つであるトルストイの 『アンナ・カレーニナ』を毎日 コツコツと読んでいますし、現在のロシアを知る為に、ビジネスマン向けの本まで購入しました。
モスクワで生まれ、ソ連時代とその崩壊後の大混乱、そして現在の急成長を体験されている経済学者の本も読み始めました。
(私は今後 ロシアと貿易でも始めるのか???・笑)

相変わらず私のプーチン熱は冷めることなく、新聞などで「プーチン首相」「ロシア首相」の文字を見つける度にドキドキときめいているのも事実です。(爆)

万が一、今回のモスクワ行きが流れてしまっても、私とロシアは深い縁で結ばれている、、、根拠は全くないのですが、そう勝手に信じています。
ですから、時が来れば 必ずロシアの方からきっと私を呼ぶでしょう。(笑)

もしも このGWにモスクワの地を踏めないとすれば、それは私にとって 今がその時期ではないだけなのだと、そう素直に受け止められそうです。
*ですからMさん、どうか心配なさらないでね。 いつもありがとうございます。^^

* * * * * * *

先日(4/17 )、興味深い記事を四国新聞の「一日一言」で見つけました。
(朝日新聞の「天声人語」の部分です。)

~ 標高こそ800メートル以上あるが、周辺が盛り上がっていて、240メートルほどにしか見えない貧相な山。
後に世界史に刻まれる出来事は、その山の火山灰が遠因だったとの説がある。

1783年、アイスランドのラキ山が噴火した。
溶けた氷河の洪水や溶岩の被害も小さくなかったが、それ以上に悲劇を生んだのは火山灰。
牧草を枯らして家畜を餓死させ、日照量を減らして農作物に打撃を与えた。

噴火後の最初の冬、9千人以上の命を奪った火山灰は国外に及び、フランスでは穀物の不作と高騰をもたらす。
パンが値上がるたびに人々は不満を募らせ、暴動を起こした。
その果てがあのフランス革命というのである。
(以下、略。)~

この文章は、この先 昨今の思わしくない日本の政治経済への皮肉へと繋がっていくのですが、
私はそれよりも、マリー・アントワネットとルイ16世の悲運さを感じていました。
あぁ、彼女以上に贅沢をしてきた者も過去に沢山いたでしょうに、、、。
これは一説に過ぎませんが、ギロチン台に上る彼女の姿が哀れでなりません。(><)


いや、フランス革命ごときではない!!
随分と昔に見た、あるTV番組を思い出しました。

それは、一つの「恐竜絶滅説」。
現在では巨大隕石の地球への衝突によるものが定説になりつつありますが、大噴火の火山灰による太陽光の遮断と、地球規模による天候異変説も根強いものがあります。


職場で、同僚のI石氏にこの話をしました。
「怖いよねぇ~、火山灰。 恐竜が絶滅した理由に火山灰の影響があるかもって話だよ。」

「ふ~ん。」
゛コイツ、又もいつものごとく 変なことを言い出したぞ!" とでも言いたそうに、半ば呆れ顔でI石氏は答えました。

「ねぇねぇ、今回の火山灰の影響で、例えば人類が絶滅したとして、もしも私一人が生き残ったらどうしよう!!!」

彼はチラッと私を横目で見て、「知ってる? ゴキブリは原爆でも死なないんだってさ。」

「それ、どういう意味よ!!!」

たまには日本史も、、、。

帰宅した私が食卓につくと、「真説!日本史傑物伝」と大きな見出しの雑誌の切り抜きが置かれていました。

「お前の為に貰って来てやったよ。」と父。
行きつけの喫茶店で、偶然手にした雑誌に 『中岡慎太郎』 について書かれた記事があったから、わざわざマスターに取っておいてもらったというのです。

確かに、昨年の夏に行った慎太郎の生家で見た彼の気さくな笑顔に惹かれ、
実は坂本龍馬に負けないほどの男性だったのでは、、、と少し興味を持つようになりました。

奇しくも、私が尊敬するブログ仲間のgundayuuさんの日記でも慎太郎の偉業が紹介され、
私の中では勝手に「龍馬 ≦ 慎太郎」という方程式が出来上がりました。(笑)

司馬遼太郎先生、どうして龍馬を選んだのですか?
何故に慎太郎は主役になれなかったのですか? 彼に何が足りなかったのですか!
な~んて、実は私、司馬先生の 『竜馬がゆく』 を未だ読んだこともありません。(^^;

*

さて、
せっかくの貴重な切り抜きなのですが、私は必要以上に物を溜めることが嫌いですので、
ここに備忘録として、その主な内容を抜き出しておこうと思います。(笑)


時野佐一郎氏によって構成された その文章の出だしは、まさに私の慎太郎像そのものでした。
~ 薩長同盟の締結や、陸援隊の設立など、日本の変革に大きくかかわった中岡慎太郎。
 その存在はすっかり坂本龍馬の影に隠れてしまっているのが実状だが、忠節を重んじ、正義の道を歩んだこの男こそ、真に゛日本を変えた男"だという声は少なくない。~


討幕への勢いが一気に加速することになった薩長同盟。
薩摩と長州という犬猿の仲にあった二つの藩が同盟を結ぶにおいて、その交渉がなかなかうまく進まなかったことは私も歴史の時間に習いました。
そんな中、西郷隆盛と桂小五郎との間を取り持ち、この同盟を成立させたのが坂本龍馬であったと、、、。
それが事実なのは間違いないでしょうが、あたかも龍馬一人の手柄であったかのような誤解をその記事の中でも指摘しておりました。
実は、中岡慎太郎の方が先に薩長同盟をとなえ、龍馬以上に力を尽くしてきたということ。


慎太郎は子供時分より大の読書好きだったそうで、常に本から目を離さなかったといいます。
それは忙しい攘夷・討幕活動の間にあっても、その慣習を続けていたのだそう。

しかも、彼が読んでいた書物のレベルが高い高い!
中国の古典である 『大学』・『前漢書』・『孫子』にはじまり、福沢諭吉の『西洋事情』に至るまで。
そして、書物で重要だと思った箇所を手帳にどんどん抜き出し、瓦版(新聞)や見聞した内容も全て書き留めていたようです。

このたゆまぬ知識と情報の吸収により、的確に時勢を認識し、仇敵であった薩摩と長州の握手を思い立ったというのです。

そして自分の得た最新の知識や各藩の情報を、盛んに郷里の土佐の仲間達に書簡で知らせたのも慎太郎でした。

土佐藩は、幕末の最終段階で公武合体派から転換して討幕派に加担していくのですが、その動きに慎太郎の与えた影響は相当のものだったと考えられます。
特に、藩重役であった板垣退助は、慎太郎の入説で討幕を決心したくらいです。

彼の言葉がこれほど影響力を持ったのは、説得するだけの後の展望を明示してあったからだと時野氏は言います。
そして、明示しただけでなく、彼には強い精神力の元、決して裏切らない実行力があった!

1865年には、『時勢論』と題する小著を出版し、その中で日本の進むべき道をこう明快に語っていたそうです。

「まず攘夷をやめ、開国して外国の兵器・技術に学び、国力を充実させることだ。
そうすれば、富国強兵の暁には、鎖国・開国を自主的に決定できる。
ただ、幕藩体制(地方分権)では意見統一が難しく、これからは薩摩・長州に期待すべきだ。
なぜなら彼らは、外国と戦争したことによって、列強諸国の強さをはっきり認識し、軍制改革を推進しているからだ。
戦争という体験が両藩を変えたのだ。」

薩長同盟はその少し後、1866年3月に結ばれました。


龍馬とは少し路線が異なっていたのかなって気もしますが、国を思う熱い思いと、日本の未来を見据える力は慎太郎も同じ。

確かに、龍馬の人柄や発想も素晴らしかったに違いないけれど、

゛ちょっと美味しい部分を一人で持っていき過ぎてやしませんか?"

と、龍馬に、いや龍馬ばかりをヒーローに祭り上げてきた人々に問いかける私がいました。(笑)
かといって、中岡慎太郎だけを英雄視するつもりもありません。
あの時代、日本を守ろうと立ち上がった若い志士達全てがヒーローだったはずです。


日本を立て直して欲しい歴史上の人物に、決まって一位に「坂本龍馬」の名前があがってきますけど、いつの間にこれほど龍馬人気が高まったのでしょうか?

恐るべし、歴史小説。 恐るべし、大河ドラマ。

昨年は毎月のように高知へ行っていた私ですが、大河ドラマの影響で凄い人出と噂される今年だけは、高知方面行きを避けようと密かに誓うpicchukoなのでした。(笑)


(それにしても、龍馬は享年31歳、慎太郎は29歳。 今の私は37歳、、、、、はぁ~~~~。苦笑)

近頃の日曜日の過ごし方。

偶然見つけた隠れ屋のような特別な場所。

カーブした道の向こうに現れた「CAFE」の看板に、ちょっとだけ立ち寄ってみようと車を停めました。


まるでヨーロッパを思わせる、必要以上に手が加えられていない豊かな緑に囲まれながら坂を上っていくと、
そこは それこそピーターラビットでも出て来そうな、素敵なエントランスに突き当ります。
(実際、ピーターを思わせるような可愛らしいウサギの像が、至る所で出迎えてくれます。)

           2010-04-18 14:36:15


入り口を探してウロウロしている私達に、オーナーらしき少し洒落たおじさんが手招きしてくれました。

「まるで英国みたいですね!」 そう興奮して辺りを見回す私達に、
「ここのイメージは南仏なんですよ。そうだなぁ~、英国はもっと色が濃いように思うよ。」

そんなことを仰りながら、「でも、僕はピーターラビットも大好きなんだけどね。^^」


南仏を旅したオーナーさんは、その魅力の虜になり、
瀬戸内海に突き出た荘内半島にある自分の別荘を改築して、日曜と祝日のみ 趣味でカフェを開いているのだそうです。

そして、その庭園内にはピンク色した内装の小さなMusseがありました。
その入り口には、オーナーさんがフランスの骨董屋で購入されたという数点もの鳥籠が 洒落た風情で飾られており、
なんと「ジャン・コクトー」や、その同時代にパリで活躍された「藤田 嗣治」の希少稀な絵画が20点近く並べられていたのです。

「僕は Fujita の絵が非常に好きでね、、、彼は特に猫と子供の絵を好んで沢山描いてるんだよ。」
Musse以外でも、何気なく飾られた愛らしい子供の絵に目をやると、そこには「Fujita」と普通にサインされているではありませんか?!


こんな片田舎の、しかもあまり名の知れていないカフェで、まさか本物のアートに出会えるとは思ってもいなかった私は、一瞬にしてその場所が大好きになりました。


気さくで陽気なオーナーのおじさんとも話が合い、
それ以来 日曜日になると、特別な用事でもない限り、手作りのバナナケーキが添えられた お気に入りの美味しいカフェ・オレを飲みに いそいそと通っています。^^


昔、親友のM子が「ナポリの海より断然こっちの方が綺麗だわ!」と、
又 大学時代からの友達N君が「まさに日本のエーゲ海だ!」と称した瀬戸内の海を眺めつつ、

背後に流れる古いフランス映画に耳を傾け、
とりわけ気に入ったガラスに囲まれた小さな部屋では、オーナーさんが趣味と勉強を兼ねて揃えた数々の芸術の本を開きながら、
とてもゆったりと優雅な時間を過ごしています。

2010-04-18 11:34:52

もっと暖かくなれば、ベランダに並べられた椅子に腰かけて、私の好きな「モディリアーニ」の画集でも広げながら、のんびりそよ風に当たるのもいいかな~なんて思っています。^^

午後は大抵が混み合うということで、いつも朝一番に訪ねている私ですけど、
西側にある 穏やかな瀬戸の海に沈む夕日を眺めるのも格別に良いでしょうね。


かなりのこだわりをもって揃えられた家具や小物に食器まで、そして四季折々の草花に囲まれた何とも贅沢な空間がここにあります。

今はまだ散りきっていない桜の花に、真っ赤な椿とクレマチス、クリスマスローズにレモンの木、
そして小さな山紫陽花も可愛らしく咲いていました。
もう少しすると、山の斜面に紫色の藤の花が見頃を迎えるのだそうです。
         
             2010-04-18 11:35:23

香川にもこんな素敵なカフェがあったなんて、
今日は、日常から逃げ出したい私の隠れ屋にピッタリのカフェ 『Veranda』 の紹介でした。^^

2010-04-18 11:33:04

2010-04-18 11:33:55

                       2010-04-18 11:34:22

ミス・ポターと日本の春。

宍道湖畔に建つ島根県立美術館。

3月最後の土曜日に、私は瀬戸大橋を渡って はるばる島根県松江市まで『ビアトリクス・ポター展』を観に行きました。

ビアトリクス・ポターとは、絵本「ピーターラビットのおはなし」で世界中に知られる絵本作家であり、
またイギリスの美しい自然をこよなく愛し、農業生活や自然保護運動の推進者でもありました。

リーフレットから抜粋すると、
今回の展覧会は、そのビアトリクスの絵本作家としての活動とともに、これまで知られてこなかった優れた水彩の風景画、動植物画を中心に、スケッチ、貴重な初版本、映像などによって彼女の画業を振り返るものです。


厳格な両親の元で育ったビアトリクスは、子供のころから小動物や昆虫の写生を好みました。
学校に通わず家庭教師に学んだ彼女には同じ年頃の友人はおらず、ペットなどの動物が 何より大切な友達だったのです。

それを単なる友達で終わらせなかったところが、彼女の並み外れた才能だったのでしょう。

その細かく鋭い観察力は、後に解剖学的な精確なデッサンまで描くようになり、
キノコについてなどは、繁殖の実験と研究まで行って、研究論文を学会に提出するという熱心ぶりだったそうです。
そのとことん追求する性格は、例えば犬の頭骨をスケッチするほどまででした。
(その絵とリアルな蜘蛛のスケッチには、正直 一瞬ひいてしまった私です。^^;)

そんな彼女の一面を知って、子供時代に昆虫や科学に興味を持って 細かく写生していた手塚治虫先生を思い出しました。
やはり 何かに秀でている人は、小さい時から゛見る目"を鍛え養っているのですね。

ただ当時(19世紀末)としては、一風変わった女性であったことは間違いないですし、
それは映画 『ミス・ポター』 からも良い意味で窺えます。^^


彼女の作品の中で、とりわけ私の興味を惹いたものが、16歳の時に水彩で描いた「ぶどうと桃の静物」という作品でした。
果物の瑞々しさはもちろんのこと、木からもぎ取られた静物たちも、自然が生み出した確かな生き物だということが画面いっぱいに輝いていたのです。


そうそう、もう一つ心に残ったことは、
「ピーターラビット」という有名な一つのウサギの物語は、もとは彼女が家庭教師をしていた病弱な男の子の為にお話を作って贈ったことがはじまりだということ。

あの今にも絵本から飛び出してきそうなピーター達の愛らしさの中には、彼女の思いやりがぎっしり詰まっていたんだなって、
物語の誕生からして微笑ましいものだったんだなって、今回 初めて知りました。



この展覧会は、4/12まで島根県立美術館で開催された後、

4/23~5/23   北海道立旭川美術館、
6/4~7/11    新潟県立万代島美術館
7/17~9/5    郡山市立美術館 
9/16~10/24  下関市立美術館
                         を巡回致します。


英国の湖水地方とスコットランドは、私にとっても以前から訪れたい場所の一つでしたが、
彼女の自然を愛する気持ちと、彼女の描いた生き物達に出会える日を楽しみに、ますます夢を膨らませておこうと思います。^^


* * * * * * *


少しだけ <おまけ> 画像を。

花冷えがひどかったこの日、
島根までおよそ3時間の運転の途中、立ち寄ったサービスエリアから眺めた岡山県北・蒜山(ひるぜん)の雪景色。
2010-03-30 17:56:31
(本当は、鳥取県米子市近くで 雪を覆った美しい大山が姿を現わしてくれたのですが、写真を撮る機会を失ってしまい、それが非常に心残りです。)


こちらは、4月頭に足を運んだ、徳島県鳴門市の「ガレの森美術館」にて。
小さな美術館ですが、ここではフランスのアール・ヌーボーを代表するガラス工芸家「エミール・ガレ」の優美な装飾芸術を堪能できます。
2010-04-10 17:53:36
(この像は、エミール・ガレとは関係ありませんので、あしからず。)


そして、毎年3月下旬から5月31日まで吉野川上空を泳ぐ、徳島県大歩危峡の「鯉のぼり」たち。
2010-04-10 17:55:13 2010-04-10 17:55:44

少し風がキツかったせいもあり、渓谷美を背景に いつになく大きくはためいておりました。^^
     2010-04-10 17:54:16

それでも私は行こうと思う。

「嫌だよ、テロが起こるような国なんて!」

それは、2002年3月22日の朝のこと。
古代インカの空中都市「マチュ・ピチュ」旅行を終えて、ニュージーランドの玄関口オークランド空港から、クライストチャーチにいる わが親友・きょんさんに電話を掛けました。

「ペルー、めっちゃ良かったよぉ~!! 
南米って怖いイメージがあったけど、私ひとりでだって大丈夫なくらい安全だったよ!
きょんさんも行ってみなよぉ~♪」
興奮しきりで そう喋り出した私の言葉を、彼女はピシャリと遮ったのです。

「picchuko、知らないの? 
さっき、ペルーの首都リマで爆弾テロがあったってニュースで言ってたもの。
そんな危険な国、私は絶対に嫌だよ!」

「へっ?」
まさにそれは私にとっては寝耳に水でした。


以前も書きましたが、
私のペルー旅行は、NZからアルゼンチン(ブエノスアイレス)とチリ(サンティアゴ)を経由して、ペルーの首都リマに入り、そこから古代都市クスコへ飛ぶ、、、といった行程でした。

3/19 にクスコを経った復路では、トランジットの気の遠くなる待ち時間を含め、片道だけで50時間以上という長旅。
9時間待ちというリマ空港では、その殆どが夜だったこともあり、私は空港を出ることはありませんでした。

私がリマを去ったのは、確か 3/20 未明のことだったと思います。

その2002年3月20日。
首都リマにある米国大使館向かいのショッピングセンター駐車場で、センデロ・ルミノソが仕掛けた自動車爆弾が爆発し、10人が死亡、30人以上が負傷するという事件が発生したのです。
それは、3日後に控えたブッシュ米大統領(当時)のペルー訪問を抗議してのものでした。

私がリマを離れて、僅か数時間後の出来事です。
ですから私は、運良くテロの被害を受けなかったですし、テロがあった事実さえ知る由もありませんでした。


例えその時、私がリマに残っていたとしても、きっと空港内にいたはずですから、テロと遭遇することはなかったでしょう。
けれど、その直後からリマ空港は一時 閉鎖という事態になりました。

もしも私の出発時間が少し遅かったなら、誰も頼る人のないペルーの真ん中で、途方に暮れて一人泣いていたことでしょう。
泣く、、、それだけでなく、その後をどう対応すれば良いのか、間違いなく当時の私では見当もつかなかったことと思います。



世界では今も至るところでテロが発生し、多くの死傷者を出す哀しいニュースが飛び交います。
きっと、私達の耳に入らない事件も無数存在していることでしょう。

* * *

さて、
個人旅行では面倒だと言われるロシアビザを、今回 無事に取得することができました。

はい! ブダペストの次はロシアの首都モスクワを旅したいと思います。
* さすがは Belgische_Pralinesさん、灰色ウサギさん、大当たりです!^^

多くの皆さんを魅了するエルミタージュ美術館のあるサンクトペテルブルクは、私の愛する(?)ウラジーミル・プーチン氏の故郷です。
ですが、今回もいつも通りの直感で、『今の私には間違いなくモスクワだ!』と決めました。(笑)

出発はGW真っ只中の5/2、帰国は5/6の午前という、相変わらずの超特急の旅。

職場には内緒のこと、6日の午後からは真面目に出勤したいと思っております。
(無事に帰国できれば…。^^;)

ただ、私の身体も本調子ではありませんし、3月末から母も体調を崩してしまい、
昨年のGW同様、直前でお流れになってしまう可能性も無きにしもあらず。


まして、先日のモスクワ地下鉄爆破テロの実行犯であるチェチェンのウマロフ司令官は、「今後もロシア領内でテロが起きるだろう。」と予告しています。
原因は、「プーチン政権の北カフカス政策への報復である。」とありますが、もっと根深いものがあるはずですので、これについては 今後 少し勉強したいと思っております。

以前、テロのせいでロンドン行きを考え直したこともある私ですが、
今回の私は、それでもロシアに行こうと思います。


そして、これも何かの知らせでしょうか。
今朝、私はプーチン首相とお会いする夢を見ました。^^
これが現実となるならば、それは私がテロの被害者にでもならなければ不可能でしょうけど、
なんとなくロシアに、そしてプーチン氏に不思議と縁を感じるのです。


(ロシア行きはブログでのみ公表し、それ以外は例え親友に対しても、敢えて知らせるつもりはありません。
一人で南米へ渡ったあの時のような、余計な心配をかけたくないからです。^^)

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