I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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気分はMexico~♪

数々の美声はあるけれど、私の魂にピッタリくる歌声の持ち主はイタリアが生んだ『 フィリッパ・ジョルダーノ 』ただ一人です。

少しハスキーで厚みがあって、本格的なオペラファンには賛否両論があるようですけど、
彼女のセクシーかつ大胆な歌い方が、私の奥深くにある熱い部分を呼び醒ましてくれる、そんな気がするのです。。

ユーミン一色だった私が洋楽を聴くようになったのは、彼女の1stアルバム「Filippa Giordano (イタリア国内では「Passioni」」と出会ってから。

新しいアルバムが出る度に、次はどんな歌を選ぶのだろうか、どんな風に名曲をアレンジするのだろうか、
そんな私のワクワクした想像を遥かに超えて、そして意外性をもって、絶対的な迫力で私に迫ってくるのが大好きでした。

1stアルバムが発売されたのが2000年のミレニアムですから、今年でちょうど10年になります。
それは、10年間も私は邦楽を一切 聴いていないことをも意味します。(笑)

彼女と出会わなければ、きっと愛する『 IL DIVO 』の素晴らしさも気付くことはなかったでしょう。

『 ケルティック・ウーマン 』も澄んだ美しい歌声で私を魅了してはくれますが、
それは切なく胸を締め付けることはあっても、そこから生まれてくる熱く高ぶる気持ちはありません。

ブログを始めた当初にも書いてありますが、私は" 熱い人 "が好きです。
そして、それに気付いたのも、彼女の歌声と出会ってからでした。


2000年に国際的にデビューをした後、2002年に2ndアルバム「Il Rosso Amore」を、
その後 活動拠点をアメリカに移し、2005年に「Prima Donna」を発売した彼女。

それ以後、ぱったりと新しいアルバムが登場してこないことに、私は寂しさと不安を感じていました。

出すアルバムごとに賛否両論が飛び交い、それに疲れて歌を止めてしまったのではないかしら、、、
デビュー当時、千年に一度の歌声と絶賛された彼女ですから、決して歌うことを止めるなんてありえないとは思いつつ、
ここ数年、私はず~っと新しい作品を待ち続けてきました。


2ヶ月ほど前のこと。
何を思ったのか、ふと彼女の今を探そうと、ネットで検索してみました。

ただ待つだけなんて、彼女のアルバムが3枚きりだなんて、それはあまりにも寂し過ぎたから。

すると、海外ではちゃんと発売されていたのですね。

しかも、今回の作品は、これまた想像だにしていなかった新しい世界。
ますますラテン色が濃くなって、メキシコを意識し出した私の心を読みとっているかのような、そんなアルバムに仕上がっておりました。

その名も『 Con Amor a Mexico 』!

Filippa Giordano.jpg

輸入盤を手にして以来、私は彼女一色です。
一足お先に、気分はMexico~♪って感じでしょうか。(*^^*)

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ありがとうございました。

この度は、皆さまからの温かいお言葉に随分と励まされました。
心より感謝申し上げます。

おかげ様で母も落ち着き、私も元気で頑張っております。
これからは ゆっくり自分なりの新しいペースで進んでいこうと思いますので、どうか皆さまも応援してくださいね。^^

今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

* * * * * * *


飛騨高山といえば、まず思い出されるのが、高山陣屋や古い街並み、合掌造りの家に朝市といった感じでしょうか。
それとも、朴葉みそや五平餅、飛騨牛といった美味な食べ物でしょうか。

さすがに人気の観光地とあって、見どころ満載な飛騨路ではありますが、
私が高山を好む理由の一番は、その澄んだ空気にあります。
ここほど清らかな空気を感じられる場所は、私は他に知りません。

一週間前の土曜日は あいにく大雨のお天気でしたが、山間に沈む深い霧の幻想的な雰囲気が、私に新たな飛騨路の魅力を教えてくれました。



私の親友が住む清見村(現在は高山市)から高山市内までは、車で20分近く掛かります。

その市内から、今度は名古屋方面へ少し車を走らせると、久々野町(こちらも現在は高山市)に入ります。

そこに現れるのが、標高1529メートルとさほど高くはありませんが、昔から霊峰と謳われる『位山(くらいやま)』です。

ここにはイチイ(別名アララギ)の原生林があり、古来、皇室の大儀にはこの木を笏の材料として献上し、その木に一位の称号が与えられました。
現在でも、天皇即位に際して位山のイチイの笏が献上されているのだそうです。

そして、位山山頂付近には、天の岩戸をはじめ、鏡岩、祭壇石など巨石遺構が現存しており、古代からの巨石崇拝や太陽信仰に関係があるとも言われております。

その上、この位山そのものが超太古におけるピラミッドだったのではないか、、、という説があるのです。


私は古代史についても全くもって無知なのですけど、随分前に聞いたこの話が今でもしっかり頭の中に残っていました。

そこで、いつの日かピラミッドを見に行く時は、その前に この位山を見ておこうと心に決めていたのでした。

*

母の体調にまだ心配もありますが、これからもっともっと回復に向かい、安心できる状態になっていれば、
次回の年末年始はメキシコへ行こうと思っています。

すでに航空券もホテルも確保済みです。

またも5日間という極々限られた時間の旅になりますので、
900~1200年頃にユカタン半島で繁栄したと言われるマヤ文明の代表的な都市遺跡である「チチェン・イツァー」のみに絞る予定。

ですから、遺跡のすぐ傍のホテルに滞在し、古代マヤの懐で新年を迎える、
華やかさこそないけれど、いつになく浪漫溢れる年越しにしようと夢を膨らませております。


*

本当は、次回の旅はポーランドへと決めていました。

歴史に翻弄され、苦く厳しい歴史を歩んできたワルシャワの街を、ブダペストとモスクワの延長線上で訪れたいと思ったからです。

ですが、モスクワの旅があまりにも緊張の連続だった為に、私の中で一本の線がプチッと切れてしまいました。(笑)

突然、熱い国へ行きたい! ジャングルへ行きたい!!と強く思うようになりました。
独特の湿度を肌で感じながら、野生の血が騒ぐ場所へ行きたいと思ったのです。

最も心惹かれるのはアマゾンの奥地なのですけど、まだそこへ行くには時間も勇気も足りません。

そこで、以前より憧れていた密林に聳えるマヤのピラミッドへ行こう!と心が固りました。


どうか、次回も笑顔で旅立てますように、、、いつになく強く祈る私です。

それは ある日 突然に☆

「例えば、一人の運転で、片道 500km 以上もの距離を、たった1日半で往復するのは可能だと思う?」

3日前の木曜日の朝、職場に着いた早々、私は同僚の I石氏に尋ねました。

「そういえば、前回 奥さんの実家(大分県杵築市)へ帰った時、船を使わず瀬戸大橋を渡ったって言ってたよね~。
琴平(香川県琴平町・金毘羅さんの町)から大分までどのくらいあるの?」

「だいたい500くらいかな~。 でも、帰りは船を使ったからな~。それでも かなり キツかったよ。
・・・・・ で、今度はどこへ行くつもり?」

I石氏は私の無鉄砲さをよ~く知っています。(笑)
含み笑いを浮かべた表情で、私に質問を返してきました。

「500かぁ~。 そうだなぁ~~~、飛騨・・・違う?」
彼は私の行動をお見通しのようです。

それに対する返事はせず、私はひきつった笑顔で それが正解であることを示しました。


*


私の行動は、ある日突然! 思いつきから始まります。

木曜日の朝、この天から降ってきた思いつきを、なんと次の日の夜には実行に移しておりました。(笑)


金曜日は、普通に17時半まで仕事をしました。
しかも、来週は早々から個人的な用事がありますので、一週間早めの仕事も終わらせる為、自分としてはかなり手早く頑張ったと思います。

18時に帰宅。 その後、夕食を取り、入浴を済ませてから20時過ぎに家を出発しました。

そう、飛騨高山へ行く為に!!!

「目的地までおよそ 530km あります。 所要時間はだいたい7時間15分くらい掛かります。」
冷静にナビは案内を開始しはじめました。


*


この春先に体調を崩した母が、月曜日にカテーテルを使って心臓の検査を行います。
狭心症や心筋梗塞のような症状がみられた時は、その場で即手術の予定です。

最近は調子も良く、ちょっとスローペースで普通の生活を送っていますが、
それでも入院手術となれば、私としても相当な不安がありますし、何となく落ち着くことができません。

それが、今回の無茶な計画が浮かんだ理由の一番ですけど、
では、なぜ飛騨高山なのかと言えば、高山には私の無二の親友がおり、
それと もう一つ、次回(年末年始)の旅先に関係のある場所だから、ということも私の心を決定づけさせました。


*

20時半、香川県の善通寺IC から高速に乗りました。

相当の覚悟が必要な長旅ですので、自分の中である決め事を定めました。
まず、時速80~90km のペースを守ること。
そして高速では、ブレーキではなく、主にエンジンブレーキで減速する、ということ。

瀬戸大橋と淡路島を渡る二つの選択ルートがあったのですが、軽自動車の私は余裕の運転を心掛ける為、2車線ある瀬戸大橋を選びました。
淡路島を通る道は、高松から徳島までが単線だからです。


夜中といっても、本州に入ると車の数はぐっと増えてきました。
それに、お盆のUターンラッシュと重なっています。
案の定、兵庫の宝塚から京都市内を抜けるまでは渋滞の列に加わってしまいました。

それでもイライラすることがなかったのは、長旅に耐える愛車を思ってこそ。
渋滞で進まないことが逆に、疲れた車を休ませるいい時間だと、そう思えたのでした。


トイレ以外は全く休憩せずに、夜中の2時過ぎに愛知県の一宮ジャンクションを抜け、岐阜方面へと東海北陸道に入りました。

4時過ぎ、飛騨清見IC に到着。 そのまま高山市内へと中部縦貫自動車道を走ります。
そして、高山西IC に降りたのが土曜日の4時半頃だったでしょうか。

IC を出るとすぐ目の前に道の駅があるのも有難かったです。
それから少し横になり、軽く目を閉じて朝が来るのを待ちました。


*

行きが9時間、帰りが7時間半。 総走行距離は 1127.3km。
土曜日の20時半に帰宅しましたので、ちょうど24時間で、それだけの距離を一人で走ったことになります!

友達にも会えたし、行きたい場所へも行けました!!!

そして、今、疲れはさほど残っておりません。
今朝も6時半には起床して、近場をウォーキングしてきたほどの元気さです。
そして、今日だって70km 近く車を運転しました。(笑)


明日の母の検査がまだ不安ではありますが、ウジウジ心配だけするよりも、いい気分転換になったと思います。


そう! 
私の無茶な行動は、ある日 突然 降って来る 「思いつき」 によって、意外と簡単に実行されるのでありました。(笑)

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モスクワ旅行記の終わりに。

3ヶ月もに亘って綴ってきたモスクワ旅行記。

少しでもモスクワの雰囲気を感じて戴けたら、重いロシアのイメージを変えられたらと、
そう願いつつ進めてきました。


例え戦争の歴史を知らなくても、ロシア = 卑怯者 という方程式は日本人の中に根強くあるように思います。

一度植え付けられた感情は、そう簡単には消し去ることはできませんが、
それでもロシアってこんなに魅力的なんだよ!、面白い国なんだよ!って伝えたかったのです。

そう言いつつ、失敗談ばかりになってしまいましたけど、、、。(苦笑)


*

今年頭、私はハンガリーを訪れたことで、鉄のカーテンの向こう側にあった東欧諸国の苦しみを知ろうとするいい機会となりました。

まして、ハンガリー動乱やメルボルンの流血戦(水球)を描いた映画 『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』 を見た暁には、
「ソヴィエト、許せ~ん!!」なんて偉そうに思ったりなんかして。(笑)


そんな私でも、これほどロシアの魅力に気付くことができたのは、名画 『忘れえぬ女(ひと)』 だけではありませんでした。

それは可愛らしいネギ坊主頭の教会でも、クレムリンにあるダイヤモンドでも、圧倒される軍事パレードでも、プーチン首相の鋭い眼光(笑)だけでもありません。

何気なく言葉を交わしたロシアの人々の温かみある笑顔が、一番 私の心を溶かしてくれたのだと思います。^^

確かに、街中を歩くロシア人の表情は、どうしても硬く冷たく感じます。
事実、冷た~い!!って思った人も何人かいますけど、

けれど、一声かければ、ぱぁ~っと向日葵でも咲いたような笑顔を見せてくれる人、はにかみながらも優しく微笑んでくれる人、そんな出会いに恵まれました。


私が嫌っていたロシア(ソヴィエト)とは、ただロシアという名を被った国家に過ぎなく、
そこに生きる人々とは全く異なっていたのでした。

思えば、帝政ロシア時代においても、ソヴィエト時代においても、その国家に苦しめられたのは何も諸外国ばかりではありません。
最も辛い思いをさせられていたのは、その国家の下敷きとなったロシア人だったのだと気付きました。

そして、その厳しい時代を乗り越えて、逞しく強く生きるロシア人達は本当に美しいと思いました。


旅した国は友達の国であって、すでに他人ではありません。
ロシアの末永い幸せを心から願っております。^^

2010-06-19 04:14:15

          2010-06-19 04:13:43


長らく このモスクワ旅行記にお付き合い下さいまして、まことに有難うございました。
あと少し、番外編を残して、終了したいと思います。


* * * * * * *


◆5月2日(日)

15:00 冷たい風が吹き荒れる中、ヘルシンキ到着

19:00 モスクワ(シェレメチェヴォ空港)着

20:30 ひたすら待たされた入国審査を終え、一路 ホテルへ

21:45 イズマイロヴォホテル チェックイン


◆5月3日(月)

6:50 ホテル出発

8:00頃 ヤロスラーフスキー駅到着

8:43 モスクワ発

10:10 セルギエフ・ポサード着

10:30~10:50 小さな食堂にてピロシキを食べる

10:50~12:45 世界遺産『トロイツェ・セルギエフ大修道院』観光

12:45~13:30 セルギエフ・ポサード散策

13:30 セルギエフ・ポサード発

15:00 モスクワ着
 
16:00 レストラン『グラブリ』で遅めの昼食(バイキング形式)

17:00 一旦、ホテルへ戻る

18:00~ モスクワ川水上バスに乗る為、雀が丘船着き場へ向かう

20:00 乗船

21:00~23:10 遊覧船にて『モスクワ川クルーズ』

23:50 ホテル着


◆5月4日(火)

7:30 ホテル出発

8:00~9:00 レストラン『カフェ・プーシキン』にて朝食(カプチーノ&特製目玉焼き)

9:30~10:30 国立歴史博物館前にあるマネージナヤ広場より『赤の広場』へ向かうが入場禁止
(10:00 航空ショー)

10:30~13:00 世界遺産『クレムリン』見学
 ・トロイツカヤ塔
 ・クレムリン大会宮殿(外観)
 ・十二使徒教会(外観)
 ・アルハンゲリスキー大聖堂
 ・ブラゴヴェッシェンスキー大聖堂
 ・ウスペンスキー大聖堂
 ・イワン大帝の鐘楼(外観) 
 ・大砲の皇帝・鐘の皇帝
 ・大クレムリン宮殿(外観)
 ・『ダイヤモンド庫』

13:00~13:30 クレムリン周辺散策

14:00~16:30 トレチャコフ美術館(名画『忘れえぬ女』との再会)

17:00~19:30 再び『赤の広場』に挑戦

19:30~20:30 グム百貨店のカフェで一服(パイナップルジュース)&ブログ更新(笑)

20:30~21:30 戦勝記念軍事パレードの予行演習の見学

22:00 ホテル着


◆5月5日(水)

5:30 地下鉄の始発に乗る為、パルチザンスカヤ駅へ向かう

6:00 懲りもせず、再々度『赤の広場』を目指す

6:00~6:45 『赤の広場』と『聖ワシーリー寺院(外観)』の観光!!!(涙)

7:00~8:00 レストラン『カフェ・プーシキン』にて朝食(パイナップルジュース&パンケーキ&カプチーノ)&読書(アンナ・カレーニナ)

8:45 ホテルをチェックアウトし、空港へ

10:30 空港着(大パニック!(><))

12:50 モスクワ発

17:20 ヘルシンキ発 関空へ    

             2010-08-07 18:22:41

忘れえぬロシア。

名画「忘れえぬ女(ひと)」が日本へやって来る!
しかも、私が最も好きな街・広島へやって来る!!
昨夏、国立トレチャコフ美術館展の広告を新聞で見つけた時、私は思わず歓声をあげ 手を叩きました。


それについて、詳しくは過去('09.09.26) の日記に記していますので、ここで改めることはしませんが、
その展覧会からの帰り道、気がつけば瞼にあの絵の女性がチラついて、その名の通り 私にとっても「忘れえぬ女(ひと)」となりました。

そして、「いつの日か、もう一度 あの絵に会いにロシアへ行きたいなって思うの。」 そう冗談交じりに話していました。

*

あの絵に再び会うこと。
それが、今回の旅の一番の目的でした。

この絵が本来あるべき空気の中で彼女と対面したかったから。

気高く美しく、どこか寂しげな一人の女性。
まるで自分の人生を、否 暗雲たちこめた世の中の流れを憂いているかのような瞳。
時代は19世紀後半。 まさに激動の時代を彼女の瞳は映してきたのだと思います。

うっすら涙を浮かべているかに見える あの瞳が忘れられなくて、
その絵に導かれて、まさか自分の足でモスクワの地を踏むことになろうとは、半年前の私は全く想像もしていませんでした。
ですが、それくらい あの絵に私は魅了されたのです。


その絵は、国立トレチャコフ美術館 2階の一室に、その他多くの名作とともに並べられています。

広島で見た彼女は、彼女がその展覧会のメインということもあり、一枚だけ特別扱いの展示方法がされていました。
けれど本場トレチャコフ美術館は、この絵に勝るとも劣らぬ名作で、それこそロシア美術の傑作たちで溢れていますので、彼女だけ特別、、、ということはありませんでした。

だからでしょうが、、
彼女の持つ高慢さよりも、むしろあどけなさの方が強く表に現れており、
手が届かない上流階級の貴婦人というより、まるで妹のような親しみやすさを感じました。

きっと日本に居た時の彼女は、私がロシアに居た時と同じように背筋を伸ばし緊張しており、ロシアに帰国して それが解けてしまったのでしょうね~。^^


彼女を見つけた瞬間、不思議とずっとこの場所で彼女が私を待っていてくれたように思えました。

なんとなく口をモゴモゴさせているように見え、
日本に滞在した時のよそよそしく気取った(?)彼女ではなく、ふるさとの空気に包まれている安心感から、少しお喋りになっていたのだと思います。

「言いたいことがあるのなら、なんでもいいから言ってごらん。」
周りに人がいないことを確認して、私はこっそり彼女に耳打ちしました。(笑)
もちろん絵画の中の彼女ですから、本当に口を開くわけはありませんけど、ですが本当に目の前に実在する人物のように、私には彼女の中の生命力が伝わってきたのです。


1時間くらい彼女を独占したでしょうか、、、。
素晴らしい作品の中に埋もれた彼女に気付かずに、多くの見物客は勿体なくも素通りしていきました。
おかげで 誰にも気兼ねすることなく、思う存分 彼女と心の対話ができたものと自負しております。



「もう行くね。」
けれど、やはり振り返らずにはいられません。

次の部屋に移っても、まだ後ろ髪を引かれるような気がして、再び彼女の前へ戻ってしまいます。

「帰れないじゃない。。。」
困った顔で、私は彼女に言いました。
彼女の口元は、やはりモゴモゴ動いているように思えるのです。

それを何度か繰り返した後、私は意を決して立ち去ることにしました。
それほど彼女に心を奪われたような、あの場所に心を置き忘れたような、、、そんな錯覚を今でも感じています。

   忘れえぬ女.jpg


この絵のことは、以前 あるブログ友達さんが日記で紹介して下さったことで初めて知りました。
その時は、「いつか本物を間近で見たいな~。」程度の思いだったのですが、
まさか これほど私に影響をもたらす絵になろうとは思いもしませんでした。
いや、これほど強く私に語りかける絵がこの世に存在することすら想像もしていませんでした。

私をロシアへ呼ぶほど、彼女の波動は強いのです。
そして、それこそロシアという大国も、この絵に負けないほど強烈な印象を私に残しました。

そして、実際にロシアの地に立ちこの絵を前にすると、この絵の表情も空気感も まさにロシアを表しているな~と感じます。
画家クラムスコイは、単なる一人の女性ではなく、時代や国そのものを彼女を通して描いたのでしょうね。


もしも この先、なんらかの形でロシアを思い続けるならば、この絵が、この絵を紹介してくださった Mさんが、私の人生を変えたことになります。
大袈裟な言い方かもしれませんが、それくらい今回の旅は忘れられないものとなりました。

純粋に、ロシア好き~!ってことにはなりませんでしたけど。(笑)




*トレチャコフ美術館には、正教会に見られるイコン画の大傑作から 繊細な写実をもって表現された近世のロシア美術、印象派などの影響が感じられる近代の作品、そしてカンディンスキーに代表される抽象画にいたるまで、奥深く幅広く名画を楽しむことができます。
そのコレクションは13万点にも及ぶそうです。

ロシアの美術館といえば、西洋画を多く揃えたサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館が筆頭に上がってしまいますが、
純粋なロシア美術をめいいっぱい堪能したい方には、このトレチャコフ美術館をお勧め致します。                                                            2010-08-05 04:50:02

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