I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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Isle Of Hope, Isle Of Tears...

まだ流れる涙が残っています。

先日、またもクライストチャーチにいる夢を見ました。
正確には、市の中心部から10kmばかり南東へ下ったところにあるリトルトン(Lyttelton)という港町。
あの大地震の震源地、リトルトンです。

半壊したタイムボール・ステーションの中に私は居ました。
もう一度 余震がきたら怖いなぁ~、そう思った時に目が覚めました。

たぶん、被災後の映像の中に、悲惨な姿に変わり果ててしまったタイムボール・ステーションを見つけてしまったからでしょう。

*

私がクライストチャーチに滞在したのは9ヶ月間。
その間にもNZ一周の旅に出たり、オーストラリアやペルーなどにも出掛けましたので、実際に街でいたのは7ヶ月ほどでしょうか。

その間、私は5~6回ほどリトルトンを訪れました。

リトルトンはNZの主要な貿易港で、ロバート・スコット率いる英国の南極探検隊がここから出発したことでも有名です。
世界初の南極点到達を目指しこの地を後にしたスコット隊ですが、現実はノルウェーのアムンセン隊に先を越され、失意の帰路で遭難し亡くなったこともよく知られています。

また 1850年12月16日、リトルトンは英国からの最初の移民が4隻の船に乗って到着した場所でもありました。


そんな南極探検やスコットに関する資料が豊富で、植民地時代の面影を残した英国風建物の多いリトルトン。

南極ペンギンの剥製にこっそり触ってみたり(笑)、、、石造りの小さな教会を訪ねてみたり、
NZへ渡った当初は、一人寂しくリトルトン図書館でカモメを眺めていたりと、私にとっても色んな思い出がこの地とともに蘇ってきます。

そして、ここから船に乗り、リトルトン湾内にある無人島を探検したことも懐かしく思い出されます。

2011-02-27 18:45:38

そのリトルトンの高台にあるタイムボール・ステーションは、まさに英国を思い起こさせるゴシック様式の建物で、その上に大きなタイムボールが乗っかっています。

タイムボールとは、船が海へ戻る前に航海士に正確な時間を知らせるための報時球のこと。

直径1メートルあまりの大きなボールが柱を伝え落ちることで、グリニッジ標準時を知らせ、
港の船舶はこれを見て航行機器を秒単位で合わました。

ビクトリア女王時代には世界中にあったタイムボール、現存するのは世界に僅か9機だけなのだとか。

このリトルトンのタイムボールはその中でも貴重なもので、
私は世界一美しいタイムボールだと、痛ましい姿になった今でもそう思っています。



クライストチャーチでは街のシンボルである大聖堂の尖塔が崩れおちました。

そして、リトルトンにおいてもまた、象徴であるタイムボール・ステーションが半壊しました。

リトルトン・タイムボール.jpg


* * * * * * *

「行こうと思っとるやろ。」

ニュースにくぎ付けになっている私の背後で、同僚のI石氏がそう声を掛けてきました。

「行けるもんならね。」 私は答えました。

そう、行けるものなら行きたいけれど、、、

今 私が行っても、正しくは 今の私が行ったとしても、ただ足手まといになるだけのこと。

地震直後は、少しでも早くクライストチャーチへ行こうと色々考えていたのですが、でも今じゃない!


まずはクライストチャーチが必要とする自分にならなければ、、、と気付きました。

まだ思い悩んでいる最中ではありますが、あることを決意しつつ、
ここにこの悲しみを封印致します。


*

ケルティック・ウーマンの作品の中に、
Isle Of Hope, Isle Of Tears(希望にあふれ、涙にあふれる島)」という曲があります。

これはアイルランドからアメリカへ移民した一人の少女を歌ったものですが、

クライストチャーチを想う今の私の心の底に、深く深く染み込んできます。



In a little bag she carried All her past and history

And her dreams for the future

In the land of liberty And courage is the passport

When your old world disappears But there's no future in the past
When you're fifteen years


Isle of hope, isle of tears Isle of freedom, isle of fears
But it's not the isle you left behind
That isle of hunger, isle of pain Isle you'll never see again

But the isle of home is always on your mind

But the isle of home is always on your mind.....

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クライストチャーチ大聖堂

珍しく、こんな夢を見ました。

「今晩は大聖堂広場でカウントダウンね。」
「最近、大聖堂前での年越しは若者達の派手な集まりになってしまったから、あまり行かない方がいいよ。」

それは予知夢だったのかもしれません。

2011年2月22日早朝、私はその会話で目を覚ましました。

夢の中では、
久しぶりにクライストチャーチを訪れた私が、カウントダウンを迎えるために大聖堂広場へ行こうとするのを他の邦人観光客にとめられて、仕方なく郊外の高台から街を見下ろし新年を迎えていました。

私が実際に大聖堂前で新年を迎えたのは2002年のこと。
たぶん、今も変わらず あの場所で大晦日にはコンサートが開かれ、大勢の市民達が賑やかに新年を迎えていることでしょう。

それなのに、何故 こんな夢を見たのでしょうか。
しかも2月も下旬になってカウントダウンの夢だなんて。
ここ数年、クライストチャーチを思い出すことも少なくなっていたのに、、、。

今となっては、それから数時間後に起こる大地震を告げる夢だったのでは、、、と思わざるをえません。

* * *


私は探しました。

NZに居た頃の写真 全てを引っ張り出してきて、必死になって探しました。

なのに何百枚もある中から見つかった大聖堂の写真は僅か数枚のみ。


あんなに普通に存在したのに。
いつも私達とともにあったのに。

あまりに馴染み過ぎていた大聖堂、なのに探しても探しても見つからないのです。


「じゃぁ、明日の9時に大聖堂前でね。」
「大聖堂前にいるんだけど、今すぐ来れる?」

たとえ約束をしなくても、あの場所へ行けば、必ず誰かと会うことができました。

クライストチャーチに居た当時、大聖堂を見なかった日などあったのかしら、
大聖堂という名を口にしなかった日ってあったのかしら、、、。


あの街には大聖堂だけなのです。
クライストチャーチと言えば、あの大聖堂なのです。

あれほど街に溶け込んだ、市民の心の拠り所的存在を私は他に知りません。


クライストチャーチ市民はもちろん、私のようにクライストチャーチで数ヶ月を過ごした人、僅か数日 クライストチャーチを観光した人、

クライストチャーチを知る人は、クライストチャーチを思う時、間違いなく あの姿を一番に思い浮かべることでしょう。
そう断言できるほど、みんなに最も近い存在だった大聖堂。


尖塔が崩れた大聖堂の姿がテレビに映し出された時、私の心臓は本気で止まるのかと思うほどショックを受けました。


そして、あの大聖堂がどれほど大きな存在だったのか改めて気付きました。

私達だけではありません。

遠い昔、はるばるヨーロッパから移民してきた人々がどんな思いで大聖堂を建てたのか、
どれほど心の支えであったかを思う時、またも私の胸は引き裂かれそうになるのです。


あんなに普通にあったのに。。。

2007-09-05 21:17:18



そして、優しく善良なクライストチャーチのみなさんは、、、。

まだ救出作業が難航していると聞きます。
多くの方々が家を失い、避難場所で眠れない夜を過ごしていると聞きます。
電気も水道も止まったままだと聞きます。
余震がまだまだ続いていると聞きます。


私達に笑顔をくれたみなさん、私達に沢山の思い出をくれたみなさん。

みなさん、無事かしら。
みなさん、怪我などしていないかしら。
みなさん、家族と連絡は取れたのかしら。

被害がこれ以上広がりませんように、一人でも多くの方が助かりますように、
心の底から祈ってやみません。


2011-02-22 21:49:21    2011-02-22 21:48:51     

クライストチャーチ!!!

こんなにショックを受けたことは初めてです。

まさか、まさか、クライストチャーチが、、、まさか、私達の大聖堂が、、、。


9月の地震の爪痕がまだ残っているのに。

9月の地震では、奇跡的に大聖堂は助かったのに。


涙出そう。

今すぐクライストチャーチへ飛んで行きたいです。

あぁ~美しきかな、セノーテ。

「これから行くセノーテは、弊社のみがお連れする場所です。」


セノーテとは、ユカタン半島の地下に広がる聖なる泉のこと。

密林の湿潤地帯であるユカタン半島は、石灰岩質の土壌のために降って来た雨は全て地中にしみ込んで、地下に水のたまる空洞ができます。
その空洞の上の地面が陥没してできたのが、セノーテと呼ばれる泉です。
(「地球の歩き方」より)

ユカタン半島には3000ものセノーテが存在し、それは全て地下で繋がっているのだとか!
川のないこの地域では、セノーテの真水はまさに生命の源であったに違いありません。

チチェン・イツァのセノーテのように、水底から多くの生贄や財宝が発見され、それは聖なる儀式に用いられた場所もあるようです。

ここ最近はテレビでも多く取り上げられ、日本でもすっかり有名になってしまいました。
そして、その美しい泉で泳ぐことをメインに、ユカタン半島を訪れる人も多くなったことでしょう。

*

私達を乗せたワゴン車は、ゴトゴトと次の目的地、とあるセノーテへと向かいました。
どうやら、他の日本人向けツアーでは訪れることのないセノーテに、これから連れて行ってくれるらしいのです。

わくわくっ!^^


窓から見下ろす地元の人々は、どの人も背丈は低くずんぐりしていて(笑)、真っ黒な髪に褐色の肌をしています。
鼻はそう高くないものの、黒い眉とぱっちりした目が印象的な濃いお顔。
「どの人もみ~んな同じに見えるのね~。(笑)」
「ね~。^^」

「そういえば、メキシコにいるっていうのに、まだ一度もサボテンを見てないわ~。」
「うんうん、私達も。」

すっかり打ち解けた皆さんとの会話に、あっという間にセノーテに到着。


「泳ぐ方はここで水着に着替えてください。」

皆さんが着替えている間、ガイドの岡さんは生のココナッツジュースを飲んでいました。
ここでは、日本人を見つけては、ココナッツを片手に子供達が「アミーゴ、美味しいよ!」と近寄ってくるのです。
「それ美味しいですか?」
「ええ、結構飲みやすいんですよ。」


「先に中へ入っててください。僕も後ですぐ行きますから。」
それならと、一人だけ泳がない私はお先に洞窟へと入っていくことにしました。


え? こんなところに?って思うほど小さな入口です。

滑りやすい階段を恐るおそる下りて行くと、目の前に神秘な空間が現れてきます。

ごくり。
差し込む光に照らされた水は青くキラキラ輝いていて、その神秘さをより強調するかのように大木の根っこが長く長く泉に伸びています。

あ~、もっと私に表現力があったなら、、、。
この美しい空間を、どう言葉に表せれば伝えることができるのかしら、、、。

ここが真の聖域だからでしょうか、、、カメラを構えると、不思議と美しさは消えてしまうのです。


"瞼に焼き付けて帰りなさい。形に残そうとしても、すべてニセモノになってしまいます。"

マヤ人が信仰した神々の声が、まるで私の耳にも届いてきそうな、そんなセノーテとの出会いでした。

神々が造り賜うた芸術を、我々人間が一瞬に封じ込めてしまおうとするなんて、実はおこがましいことなのかもしれません。
そんな気分にさえなってきました。

それでも、やっぱり写真に撮りたくて、、、
本物の魅力は一切 写し出されておりませんが、雰囲気だけでも~と、ここにアップしておきます。^^

2011-02-19 04:34:02
   
2011-02-19 04:35:33

                       2011-02-19 04:34:40

「思ったよりも随分と深いですよ~。」
I川さんの奥さんが、高揚した頬を赤くしながらセノーテから上がってきました。

透明度が高いせいか、見た目よりもかなり深い泉のようです。

泳ぎが苦手だという彼女には、冷たくて深いセノーテはちょっとレベルが高かったのかな?
ですが、ご主人に必死でしがみつく彼女を、私はちゃ~んとカメラに収めましたよ!
ふふふ、それもハネムーンの幸せな1ページとなってくれることでしょう。(*^^*)

            2011-02-19 04:36:22






正直に申しますと、私も泳ぎは大の苦手です。(^^;
それでも、やはりここまで来たからにはセノーテへ入りたい、、、。

本当なら足先でも~って言いたいところなのですが、





じゃん!



2010-12-23 21:42:01
(笑)

旅行も直前になって右足親指が化膿して、出発の前日にやっと靴が履けるようになったばかりだったのです。
これでは聖域に入るには申し訳ない、、、というよりも、またも傷口が痛み出したらたまらないですから~。(苦笑)

息を呑む神秘な景色の足元は、どこへ行っても様にならないpicchukoの皮肉な運命でした~。(泣)

毎夜、空を見上げて…。

その旧チチェンの遺跡群の中で代表的なものといえば、こちら、

天文台『カラコル(El Caracol)』です。
2011-02-12 05:39:04

旧チチェンのエリアにありながら、マヤ・トルテカ時代にも改築され、実用化され続けておりました。

これ、ピラミッドに劣らぬ優れものです。^^

カラコルの意味はカタツムリなのだそうですが、それは厚い石組みの壁とらせん状の階段がある 内部の構造からそう呼ばれているのだとか。
決して、カタツムリ研究所ではありませんし、天空のカタツムリ座(?)を探す場所でもありません。(笑)


9mの露台の上に、直径11m、高さ13mの観測台が載っており、観測用の3つの窓が残っています。

「地球の歩き方」によれば、
南は、子午線に向かう窓、
西南には、月没の最北線を見る窓、
西には、角度によって春分、秋分の日没と月没の最北線を正確に観測できる窓が造られているのです。

そして 天文台の台座は、金星が最も北に沈む方向にあるといいます。

ということは、この天文台を造った時点で、すでにマヤ人はかなり高度な天文学の知識があったのでしょうね~。


ここで毎夜、空を見上げて観測したというわけですが、、、、、
(あ、太陽も観測していたわけですから、一日中?)


ウォータースポーツカンクンの店長・吉田さんから戴いた資料によりますと、
現在の最新科学によって示されている太陽の公転周期は365.2522日。

今、私達が用いているグレコリオ暦(16世紀に提唱されたもの)では365.2525日であり、その差は0.0003日。

では、マヤ人が肉眼だけで観測した暦では、その周期は365.2520日、その差は0.0002日。



「グレコリオ暦では3300年に1日の誤差が生まれるのに対し、マヤの暦は96000年に1日の誤差ですむという正確さです。」と岡さん。

私からすれば、0.0003も0.0002もどちらも限りなくゼロに近いように思うのですが、
天文学の世界とは、無限に広がる天空を相手に極限まで導き出すということなんですね~。

マクロの世界とミクロの世界、究極は同じこと?

無知な私が"ゼロの概念"を語ることはできませんが、ゼロの存在をすでに理解していたマヤ人の凄さをここでも改めて感じました。


「毎夜、毎夜、この場所で観測が行われたわけですけど、
では、その細かく正確な周期を導き出すには、肉眼でどれだけの月日が掛かると思いますか?」


私は空を見上げました。


その先に夢とロマン広がるマヤ文明ですが、地道にコツコツと観測し続けたマヤ人の素朴な姿がそこにありました。

「およそ200年掛かると言われています。」

そして、彼らはそれだけでなく、金星の公転周期をも6000年に1日という誤差まで精度を高めていたそうです。
そちらは肉眼でおよそ500年の歳月を要するというのです。
[ウォータースポーツカンクンの店長・吉田さんメモ]

短気で飽き性の私は 開いた口が塞がりません。(笑)

それでも マヤ人の可愛いところは、天文学においてはこれほどに優れた能力を示しながら、
それ以外は・・・レベルの文明であったこと。

そのギャップが愛おしいと言いますか、
単純で真面目で無器用なマヤ人が想像されて、それまで遠い存在であった彼らが とても身近に感じられます。^^


2011-02-12 05:39:09

チチェン・イツァに隣接するホテルに滞在した私は、遺跡に入場しなくても道端から見える このカラコルを、時間が許す限り、体育座りをしてぼぉ~っと眺めておりました。

新チチェン? 旧チチェン?

*ホテルの部屋に飾られていた旧チチェン・尼僧院の絵画


マヤ文明は紀元前4世紀頃に熱帯雨林を中心とした地域に誕生しており、およそ2000年もの間 繁栄を続けました。

その中で、古代都市『チチェン・イツァ』が中心となった時期は、
マヤ古典期に属する6世紀頃の「旧チチェン」と、10世紀以降の後古典期の「新チチェン」に分けられます。

その大きな違いは、トルテカ文明の影響にあります。

トルテカとは何ぞや?

知ってるようで全く知らないのが、私にとってメソアメリカの文明。

数年前までアステカ文明すら知らなかった私は、この旅行に出掛けるまで、
これまたお恥ずかしいことに、中米にはマヤとアステカの二つの文明が栄えたのみと思っていました。(^^;

よく考えてみれば当然のことですが、広範囲にわたり大小いくつもの文明が入り混じって栄えていったのですね。

で、トルテカについてですけど、あえて定義づけするのであれば、
7世紀~12世紀頃、テオティワカン崩壊後にメキシコ中央高原で多く建設された都市国家のようです。

ではテオティワカンとは?(笑)

テオティワカンと聞いて一番に思い浮かぶのは、超巨大な月と太陽のピラミッド。

それらの遺跡は、近世に起こったアステカ文明のものだと思い込んでいた私。(笑)
実は500年ほど前にアステカの人々によって発見された、紀元前2世紀~6世紀まで存在した巨大宗教都市のものでした。

アステカは、そんなテオティワカンやトルテカの文明を継承したものだったのです。

ですから、同じくトルテカの影響を受けた後期のマヤ文明とアステカ文明に多くの共通点が見られるのですね~。
なるほど。(笑)



「新チチェン」では、そのトルテカ様式を多く見ることができます。

チチェン・イツァで最も有名なものは「ククルカンのピラミッド」ですが、

そのククルカン(羽毛ある蛇)をアステカの言葉に言いなおすと「ケツァルコアトル」となり、
アステカ神話に登場するこの神は、その昔 トルテカ族の祖神として篤く崇拝されていたようです。

好戦的な兵士の像や生贄のドクロ、トルテカの象徴であるククルカンが新たに描き加えられたものが新チチェンのモチーフ。



対して、旧チチェンで多く見られる「チャック像」。
マヤ古典期には、鼻の長い雨神チャックが最も信仰を集めていました。
そこには血生臭い生贄を感じさせるものはありませんでした。(たぶん…。)

2011-02-05 15:02:34
旧チチェン・『尼僧院』(壁面には13のチャックが飾られ、入口がチャックの口になっています。)
尼僧院というのは後にスペイン人によって付けられただけで、その使用目的は未だ分かっていないのだとか。



通常、新チチェンを見学してから旧チチェンへと向かいます。

恐ろしい生贄の話を聞いた後だからでしょうか、
おどろおどろしいドクロのレリーフを見た後だからでしょうか、、、

旧チチェンのエリアに入ると、ピラミッドのような大迫力はない反面、どことなくホッとするものを感じます。^^

picchukoとマヤ人。

「どうして一面にドクロの絵が描かれていると思いますか?」

2011-02-05 19:54:58

そう岡さんに質問されるまで気が付かなかったドクロの壁。

ホントだ~、壁中 ドクロだらけ。

「角の部分は正面を向いたドクロが彫られてますよ。」
ホントだ、ホントだ~!!
2011-02-05 14:58:21

私ってかなり注意力散漫で、個人で観光している時に見落としてるものって 凄く多いんだろうな~って、久々のツアー参加で気付きました。


これは『ツォンパントリ』といって、生贄の台座なのだそうです。
どうもトルテカの人身供養に関連した建築物であるようですが、、、

神殿で生贄の儀式が行われた後、切り落とされた生首をこの上にずら~っと並べたそうです。

『ツォンパントリ』とは、アステカ語でドクロの壁という意味なのだとか。
そのままじゃん!(><)

あまり想像すると恐ろしくなって、夜に思い出してトイレへ行けなくなっては困るので、ここで思
考はストップ。(笑)
だって、私が泊まったホテルはこの場所から600m ほどしか離れていないのですから、丑三つ時に 一人っきりの部屋に生首の亡霊(?)達がやって来たら怖いじゃないですか!!


「どうして こんな風にドクロの絵が描かれてると思いますか?」
う~ん、どうしてだろう? 正直、趣味悪いよね~。(^^;
第一、生贄志願者が多くて競うほどだったこと自体、マヤ人の感覚が分からないもの!

「例えば、他の民族がここに攻めて来た時、これを見てどう思いますかね~。」

「こんな無気味な民族をわざわざ相手にしようとは思わないでしょう。」
なるほど、そういうことなら分かる気がする。。。
だけど、ここに生首を並べる感覚はやっぱり分からない。(><)


ここで、岡さんは一枚の写真を広げました。それは、やはり頭蓋骨の写真。
しかも、頭の形が大きく変形されて、E.T.に似たいびつで異様に大きな頭蓋骨。

「人とは異なること、それをマヤ人は"選ばれた者"と考えたのです。」
それで幼い赤ん坊の頃から頭の形を歪め、人とは違う姿に変えたようです。

「皆さん、宇宙人をイメージした時、どんな姿を想像しますか?」

「背が低く、、、こんな風に異常に大きな頭をした姿を思い浮かべませんか?」
それってE.T.の影響じゃぁ~?と思いつつ、私は黙って聞いていました。

「マヤ人は文明が滅んだと同時にいなくなった訳ではなく、ただ文明を放棄しただけ。
今もマヤ人の子孫はこの地に生きています。

皆さんも民族衣装を着たマヤの人達を見かけると思いますが、
どうです?背が低くて、ちょっと太った感じの人が多いでしょう。」
うん、うん、確かに! どの人も同じような背格好をしてる!!

「謎の多い文明であり、高度な天文学、そして 背が低い上に こんな歪められた頭蓋骨が発見されたことで、マヤ人は宇宙人ではなかったのか?という説に拍車をかけたんですよ。」

「今では随分と謎も解明され、マヤ人が宇宙人ではない事が明らかになってきました。(笑)」


こうやって岡さんの説明を受けているうちに、
最初は訳の分からない変な民族だな~と思っていたマヤ人に対して、
段々と「もしかして、マヤ人って実はすごくピュアだったんじゃないかな?」って思うようになりました。

もしかして、単純ですごく可愛い人達かもしれない。(^^)

* * *


嫌だ!とか、分からない!とか言いつつも、

皆さんからの生贄に対するコメントを読んだり、返事を書いたりしているうちに、
段々と 私の中でマヤ人の感覚が少し理解できるような気がしてきました。

彼らだって、頭では自分の心臓を神に捧げることが尊いことだと思っていても、やはり怖さはあったのです。
実はものすご~く怖いんです。
怖い、、、けれど、それこそが興奮を呼ぶんですよね~。

その興奮が頂点に達した時、その怖ささえも優越感や達成感に似た感覚に変わり、
選ばれし者としての誇りに繋がっていったんだと、私は思いました。

もしかして、、、私の前世はマヤ人だったのかも?
何故か"選ばれし者"って言葉に弱いし~。(笑)



手塚治虫先生の漫画の中で、ずばり『生けにえ』という作品があります。(『ザ・クレーター』に収録)

舞台は2000年前のメキシコ。
マヤ帝国全土から選ばれた一人の娘。

彼女は生贄になる寸前、
「あたしは あと10年生きたいのです。
平凡なふつうの人と結婚して子供をつくり しあわせな家庭をもって… それから死にたいのです!」
と神様に願い事をします。

場面は現代の日本に変わり、そこで記憶を失ったその娘はある男性と知り合い、結婚して子供を産みます。
そして10年後、願いが叶った娘は再びマヤの神殿にて首を落とされる、、、という話。

記憶がないはずなのに、"首"や"生けにえ"に異常な反応をしめす彼女。


私がおかしなほど "生贄"に気を取られたのは、まさに彼女と同じく遠い記憶によるものかも(?)しれません。(笑)


こんな残酷で血生臭い彫刻は、10世紀以降に造られた新チチェンの遺跡でのみ見られるもの。
それ以前はここまで酷くなかったのかもしれません。

血を流すことが唯一天国へ行けるという考え方はあったとしても、
それがイコール"死"であったり、"生贄"へとエスカレートしていったのは、随分と時代が経ってからのことでしょう。


前世の私は、その新チチェン時代(ククルカンのピラミッドも新チチェンのものです)に多くの人を生贄とし、最後は自分までもが生贄になってしまったということでしょうか?
ほら、「怖い、怖いも好きのうち!」って言うでしょ?! (あ、それを言うなら「嫌い」ですね。笑)



『生贄』から見えたpicchukoの前世! 
これを機に、前世を占う職業に転身してみるのもいいかしら?(爆)

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