I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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せんせ~! おはよう!

「先生! おはようございます!」

元気に石段を駆け上がる、幼い子供たちの声が今にも響いてきそう。

けれど、祝日である今日はお休み。


それでも、100年以上もに亘り子供たちを育ててきた誇りからか、堂々とした面持ちが 秋晴れによく映えて、一層美しさを増していました。


岡山県にある高梁市立吹屋小学校は、木造としては国内最古の現役校舎です。

~明治6年(1873)に開校し、同32年(1899)に吹屋尋常高等小学校と改称して、現在の場所に移転、木造平屋建の東校舎・西校舎が落成しました。 
同42年(1909)に建てられた木造2階建の校舎本館は、現在も小学校として使われています。~
                                   (市のHPによる)


寂れた過去の景色ではなく、今も子供たちがここで学び、ここで遊び、泣いて笑って思い出を増やしている場所。

剥げた色と歪んだ窓ガラスが時代を感じさせるも、味わい深い木のぬくもりを感じられる場所。


清々しい風を頬に感じながら、23日の秋分の日、ドライブがてらにその懐かしい風景を目指しました。

2011-09-23 18:46:30


ミーン、ミーン、ミーン・・・
あれ~? まだ蝉が鳴いてるよ~。 でも、ツクツクボウシじゃないんだ~。

ころろろ~、ころろろ~・・・
あれれ~? 今度はコオロギが鳴いてるよ~。

夏の声と秋の声が仲良く合唱しているんだね!^^

静かで素朴で、そして空気がとても美味しいね。 ここで勉強したら賢くなれそう。(笑)

うん、うん。 それに心も身体もすくすく成長できるよね、きっと。


2011-09-23 18:50:51

                 2011-09-23 19:45:53


昔は銅山の町として栄えた吹屋地区。 

当時、大勢の子供たちの姿がここにあったと思われます。

けれど、現在の生徒数は僅か7人。

できることなら このままずっと続けたいでしょうが、すでに今年度を最後に閉校することが決まっています。

子供の数の減少だけでなく、兄弟だけの学校になるのもどうなのかと・・・。
7人中、きょうだいが2組み5人ということも、閉校を決めた理由の一つになったのだとか。


ということは、小学校としては今年が最後の運動会なのか~。

初めてこの場所に立つ私でさえ、ものすご~く残念な気持ちになりました。

便利さとは代えられない豊かさがここにある、それが町からも校舎からも伝わってきます。


こっそり正面のガラスを覗くと、ピッカピカに磨かれた廊下が見えました。

ふざけ合いながらも一生懸命雑巾がけをする子供たちの様子が想像できそうです。

「先生! 今日は宿題出さないで!」
「先生! 今朝、ちょっとだけ寝坊しちゃった!」
な~んて声も聞こえてきそう。(笑)
  

*

すでにコンクリート校舎が当たり前で育った私ですが、私が卒業した小学校にも、20年ほど前までは昔の木造校舎が残っていました。

朽ちた校舎は立ち入り禁止でしたが、一階だけは物置きとして掃除道具などが置かれていました。

木造校舎前に植えられた木には、たくさんの蓑虫がぶら下がっていて、よく掃除をさぼっていた私たちは、それらの巣を破って、中の幼虫を出して遊んでいたのを覚えています。(笑)

色んな思い出と一緒くたになっている あの風景だって、う~んと昔に感じられるのに。



この校舎は今でも頑張ってるんだ。 そして、あと半年頑張るんだね。


隠居するのは寂しいけれど、卒業生一人ひとりの心の中で現役を続けるんだろうね。

それでも、いつか私が感じたように、この学び舎に通った小学時代がう~んと昔に思えて、きゅんとしてしまう日も来ることでしょう。

その時、訪れる卒業生を、また大きな胸を開いて受け入れてくれますように。

子供たちの笑い声が遠くなっても、この景色はいつまでも失われないことを切に願います。 

         2011-09-23 18:47:22


「せんせ~! おはようございま~す!^^」 

そして、あと半年、子供たちの笑顔をいっぱ~い留めてくださいね!

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やはり、完敗でしたか・・・。

続けて、本日2度目の更新です!^^


9月9日に開幕したラグビーワールドカップ。

ラグビーなんて見たこともなかった私の中で、今年のW杯は密かなブームを巻き起こしています。(笑)

というのも、今回の開催地はニュージーランド!

大地震のせいでクライストチャーチが会場から外れたことは残念でしたが、
"NZといえばラグビー"というほど、ラグビーに熱い国ですもの!

職場でも何人かの仲良しさんに、「ワールドカップ見てね~。」と声を掛けました。
もちろん、ワールドカップといえば、みなさん サッカーを思い浮かべますので、最初は「あんた何言ってんの!」って顔をされるのですが、それも楽しくて。^^


そして、何よりの楽しみは、オールブラックス(NZチーム)が試合前に踊るハカですよね!
あの迫力を生で見たいな~と、これまた密かに思っているのですが、試合会場よりテレビでアップを見る方が迫力満点かな~とも。

ハカとはご存知、マオリ族の伝統的な踊りで、自らの力を誇示し、相手を威嚇するもの。


実は私、生のハカは過去に二度ほど見たことがあるのです。

一度目は、ロトルアのファカレワレワのマオリ村で見た、いたって平均的な観光客相手のマオリショー。

そして、二度目がクライストチャーチ郊外のアカロアという街で、偶然出くわしたイベントでした。

アカロアでは、大きく張られたテントの中で様々なショーが行われていたのですが、中を覗いた時にはすでに観客はいっぱい。
所狭しと並べられたパイプ椅子は満席で、私と友達の3人は、こっそり舞台袖に座って見ることにしました。
ところが、いざハカが始まると、私達にすれすれまで迫ってくるマオリ達。
私達が舞台袖と思って座った場所は、お恥ずかしいことに袖ではなく舞台上だったのです。
だって、きちんとしたステージがなかったので分からなかったのですよ~。(汗)

刺青のある逞しい身体で、大きく舌を出し、顔すれすれに威嚇してくるマオリ達。
さすがに逃げも泣きもしませんでしたが、一人だったら悲鳴をあげていたかも。

ですから、あの迫力は誰よりも身を持って知っております。


ですが、どうしても見たいものは、やはりオールブラックスのハカ☆
だって、だって、ものすご~~~くカッコいいんですもの~。(*^^*)


「あれは強いからこそやれるんだ。」と私の職場の施設長。
そりゃ~、例えば あのハカを日本チームがやったとしても、全く様にならないでしょうね。
自身が昔 ラグビーをやっていただけのことあって、いかにラグビーがハードなものか、施設長はしみじみ思い出したようです。


ところで、ラグビーを知らない私がハカを知ったのは、クライストチャーチの語学学校の授業でビデオを見せてくれたから。

Ka mate! Ka mate! Ka ora! Ka ora!
Ka mate! Ka mate! Ka ora! Ka ora!
Tenei te tangata puhuru huru
Nana nei i tiki mai, Whakawhiti te ra
A upane! ka upane!
A upane! ka upane!
Whiti te ra! Hi!

くぅ~、カッコいい~~~☆o(≧∇≦)o これぞ真の男☆ 見ていると鳥肌が立ちます!(笑)

皆さんもご覧になりますぅ~?(笑) → All Black's Haka
                      ラグビーW杯2011・開幕戦のハカ

どうしても、「頑張って、頑張って行こう!」と聞こえるのですが。(笑)
オールブラックス、カッコ良すぎです!!

*

と、ついハカについてばかり書いてしまいましたが・・・。


16日の午後8時(NZ時間)から、ハミルトンのワイカト競技場で日本 vs NZの試合が行われました。

オールブラックス(NZ)は世界ランキング1位のチーム。
それを相手に、日本チームはどれだけ戦ってくれるのか。 少しだけ楽しみにしていました。

けれど、結果は、、、7 対 83で日本の完敗☆

やっぱり・・・ね。¬( ̄∇ ̄;)「



開幕当日に行われたNZ vs トンガ戦を見て、ラグビーの面白さに気付き出した私。

ボールを前に放ってはいけないというルールしか知らない私でも、オールブラックスの上手さと強さは一目瞭然でした。


日本 vs NZ戦が終わった今、後はオールブラックスの優勝を祈るのみ!

決勝は、10月23日です☆

カメさんとコツルさん。

「何事にも感謝ですよ。感謝を忘れてはいけません。」
テレビカメラに向かって、そう熱く語るのは、今年100歳を迎えるコツルさん。
画面に大きく映し出されたコツルさんの顔は、100歳とは思えない、白くツヤツヤのお肌です。

そして、もうお一方(ひとかた)、カメさんだって負けてはおりません。
「ほんま、みなさんのおかげです。」
手を合わせながら そう答えるカメさんのドアップも、本当に綺麗に映っておりました。

*

老人の日である9月15日、私の働く老人ホームへ県知事さんのご訪問がありました。
マスコミ関係者も4社来苑。

例年は、県からの高齢者訪問といっても、健康福祉部の部長さん、課長さんクラスの方が代理訪問されるのですが、
今年は、わが施設で100歳を迎えられる方が4人もいらっしゃり、内閣総理大臣からの祝状と記念品(銀杯)の伝達式が行われたのでした。

その様子は、その日のお昼と夕方の地域版ニュースで流れました。
そして、コツルさんとカメさんのインタビューに答える様子も大きく映りました。

こんな綺麗な100歳は、そうそういらっしゃらないのではないかと思うほど。
お二人とも、お若い頃は相当の美人だったと思われます。
今も真っ白な髪をこぎれいに纏め、整った顔立ちは往時の面影を残しています。
見た目は、どちらも90歳にしても若いな~と思うほど!
その上、ハリのある声。


「コツルさんもカメさんも、本当に綺麗やったで~。^^」
翌朝、私はお二人に会うために食堂へ行きました。

「本当によぉ映っとったわ~。」
二人は少し照れながら、「ほんまな~。」とにっこり。

「インタビューの答えも良かったし…。」
「ほんま、ほんまで~。ほんま、感謝が大事なんでぇ。」 今にも再びコツルさんの熱弁が始まりそうです。
「まぁ~、ええことばっかりではないけどな~。」
100年も生きていると、私では到底想像もできない荒波を乗り越えてきたはず。
だからこそ、コツルさんの゛感謝゛の一言にずっしり重みを感じました。

「今度も鶴亀揃って、元気なまま世界一になってテレビに出てな~。^^」
「あはは。よぉ言うわ。^^」

「うちらがおかしなことしよったら、ちゃんと言うてぇな。」とコツルさん。
「いやいや、こちらこそ 何でも遠慮せず言うてぇよ。」と私。
「ほんま、悪いところはお互い注意しあわなな~。」 コツルさんはまん丸い目をますます見開いて言いました。

コツルさんもカメさんも、安全の為に歩行器を使っていますが、自分の足で歩き、ほとんどのことを自分でされます。
もちろん、身なりも自分で整えます。

今回、テレビに大きく映し出された姿を見て、私は改めて二人の大ファンになりました。(*^^*)

繰り返しますが、本当に本当に、しっかりとされた綺麗なおばあちゃん達なのです。

*

「カメさんとコツルさんの写真、欲しいわ~。」 私は相談員の I石氏に頼みました。
「なんなら、一緒に撮ってもろたらええやん。」と I石氏。

「それもええけど~、うちが写らんほうが綺麗やん。」 ちょっと謙遜のつもりで言ってみました。(笑)
ところが、、、I石氏、一言。「・・・そやな。」
きぃ~~~~!o(><)o

こんな失礼な I石氏ですが(笑)、私は日本一素晴らしい相談員だと、内心は尊敬しております。(^m^)
I石氏の案で、知事さんとともに、みんなで歌った゛赤とんぼ゛はいい思い出になりましたね。

常にお年寄り目線で、お年寄りとその家族思いで、そしてあらゆることに長けている I石氏。
お年寄りはみんな I石氏が大好きです。
これからも I石氏の元で、どのお年寄りも幸せで元気に長生きしてくれますように。^^


そして、カメさん、コツルさん! いつまでもいつまでも輝いていてください!

ドン・ジョヴァ~ンニィ~♪

場面はいきなり、18世紀のイタリアはヴェネチアから始まりました。

真夜中、小舟は静かに運河を進む。 
青白い顔をした2人の男を乗せたその舟は、ランタンに照らされて無気味に浮かび上がる、巨大な真っ白い石像を乗せた舟とすれ違う。

ドン・ジョヴァ~ンニィ~♪


昨晩、簿記の勉強が今週の目標まで進んだので、
2009年公開の映画『ドン・ジョヴァンニ ~天才劇作家とモーツァルトの出会い』を見ました。

舞台は、ヴェネチアからウィーンへ。
う~ん、この頃のウィーンの雰囲気って好きだわ~。^^

ヴェネチアの映像も素敵でしたが、当時の厳粛で重く暗いヴェネチアと華やかなウィーンの対比がこれまた美しく、しばし酔っておりました。

絵画を巧く映像に取り込んでいて、それが18世紀の雰囲気を漂わせる効果になったのでは、
そう私は感じます。

この映画は、モーツァルトの代表作、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』が生まれるまでの物語を、
作曲家モーツァルトではなく、劇作家ロレンツォ・ダ・ポンテを中心に描いたもの。


聖職者でありながら放蕩生活に明け暮れ、思想的にも危険人物と見なされたダ・ポンテは、
ヴェネチアから15年間の追放を言い渡されます。
向かった先は、ウィーン。
そこで出会ったのがモーツァルトでした。


すでにオペラ『フィガロの結婚』で大成功を収めた二人。
そして、ダ・ポンテが次にモーツァルトに持ちかけた作品が、『ドン・ジョヴァンニ』だったのです。


「『フィガロの結婚』より衝撃的になります。」とダ・ポンテ。
その題材が『ドン・ジョヴァンニ』と聞くや、「二番煎じは嫌だ。」と断るモーツァルト。

『ドン・ジョヴァンニ』という題材は、すでに過去にも戯曲化されていたのです。

ダ・ポンテはモーツァルトに迫るように、彼の描いているドン・ジョヴァンニの世界を語り始めました。

青白い顔がより白く、目の周りは赤く、ダ・ポンテの顔は無気味に大きく映し出されます。
そして、彼の語る物語の展開に、知らずとのめり込んでしまったモーツァルトと私。(笑)


その場面まで、正直 私はダ・ポンテ役のロレンツォ・パルドゥッチに対して、薄気味悪い人という感じで好きになれませんでした。
こんな気持ち悪い人が、決してお世辞でもハンサムと言えないこの男が、どうして色男の役に選ばれたのか、それが全く理解できませんでした。

ですが、その無気味な彼のアップを見つめていると、それこそ その妖しさに魂を抜かれたような、魔性にとりつかれたような、彼から滲み出た色気に酔ってしまいました。
彼が吸血鬼なら、私は自分から進んで首筋を差し出すわ~!(爆)

ダ・ポンテに酔い、美しく煌びやかな映像に酔い、音楽に酔う。 う~む、完璧だ!(笑)


ところで、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』と並行して、ダ・ポンテの恋物語も展開していきます。
これが、また巧い☆
現実と劇中劇が混ざり合った恋愛駆け引きも見どころで・・・。



こういう物語の構成を、随分前にも見たような~と監督さんを調べてみたら、
そうそう、私が思っていた1983年制作の映画『カルメン』を作った監督と同じ、スペイン人のカルロス・サウラでした。

あの時も、オペラ『カルメン』を題材に、カルメンのミュージカル化を目指して稽古に励むフラメンコ舞踊団の主宰者アントニオと、主役を掴んだカルメンとの恋愛を、劇中劇を織り交ぜながら描いて、魅力溢れる作品に仕上げていました。

カルメンといえば、真っ黒な髪と深紅の唇に褐色の肌、そして、惑わすような、時に突き刺すような視線の持ち主。
映画の進行に伴って、監督は主演女優からカルメンの要素を巧みに引き出していったと思います。

それが、今回のダ・ポンテも同じだったのでしょう。
最初は好みじゃないわ~とダ・ポンテを見て思っても、気が付けば虜になっておりますのでご注意くださいませ。

今も、出だしの「ドン・ジョヴァ~ンニィ~♪」のメロディと、
その妖しい彼の表情が、頭から離れない私からの忠告です。(笑)

台風も去って。

台風が高知に上陸したなんて何年ぶりでしょうか。

私が子供の頃は、当たり前のように高知県が台風の通り道って感じだったのですが、
いつからか台風の進路にも変化が見られ、今では紀伊半島や豊後水道へと逸れることが多くなりました。

それが、今回は久々に四国がすっぽり台風に覆われ、ホント久しぶりに台風直撃です!

しかも、その大型の台風はかなり遅いスピードで北上し、各地での被害も大きく、雨風の激しい様子がテレビからどんどん伝わってきます。
そして、その進路上に私の町があったのです。


高潮の恐れのある私の職場(老人ホーム)では、施設長が昨夜は夜通し待機をして、台風の通過と満潮時に備えていました。

けれど、実際は暴風域圏内にあったはずにも関わらず、少し強めの雨が降った程度で終わりました。
大潮ではなかったので、高潮の被害も免れました。


町の一部では川が氾濫した場所もあったようですが、おかげさまで施設もわが家も無事。
台風なのに窓を開け、逆に涼しい風が吹いて気持ち良かったくらいです。

同じ香川県内でも避難されている方がいたというのに、本当にありがたいことです。

今回は台風の中心から遠く離れた場所の方が被害が大きかったのかな?

後は、どうか台風12号さん、これ以上 被害を出さずに去っていってくれますように。


*台風の被害を心配してメールをくれた みっちゃんとたけさん、どうもありがとう。(*^^*)


* * * * * * *

2ヶ月に一度、全国社会保険協会連合会から職場に月刊誌「社会保険」が届きます。

たまにしか中身を読まないのですが、先日は珍しく8月・9月号をめくってみました。

その中に、「世界の街かどで 道ばたで」というシリーズものがあり、
今回は、「白への憧憬と白への恐怖」、いわゆる人種差別がテーマの文章が掲載されていました。

著者は、江戸川大学客員教授である藤川鉄馬氏。


18世紀後半、ドイツ人の医師ブルーメンバッハは、頭蓋骨から人種を分類する研究に取り組んでいた。
彼は、あるとき、素晴らしく美しい頭骨と遭遇した。
その頭骨は、コーカサスから送られてきた。 「神がつくりたまう」美しさであった。

トルコの東端のコーカサスにアララト山が聳える。
標高5266メートル、ヨーロッパ、中近東で最も高い山である。
旧約聖書によれば、ノアの方舟は、大洪水が鎮まったあと、その山に辿り着いた(創世記第6章)。
ヨーロッパの人々は、すべての人間はノアの子どもたちの子孫であり、コーカサスは人類発祥の地と考えていた。
コーカサスは、彼らの憧れの地であった。

ブルーメンバッハは、人種を、1.白人種、2.黄色人種、3.褐色人種、4.黒人種、5.アメリカ赤色人種の5つに分類する(1793年)。
その中で、白人種は、最も美しく、文化的に最高の性格と知性を持つ。
その理想的に近い美しさから、白人種を「コーカサス人」と呼ぶこととする。・・・



ここで、すでにぐいぐいと文章にのめり込んでしまっていました。


私は人種差別の根本的なことは分かりませんが、感情的には少し分かるような気がするのです。

その感情を初めて抱いたのは、オーストラリアのアリス・スプリングスの街角で、原住民のアボリジニの人達と出会った時でした。
たぶん、私は嫌な感情を表に出していたと思います。

もちろん、差別的な言葉を発したり、行動したのではありませんが、理屈とは関係なしに、思わず表に出てしまった感情。 
いや、感情そのものが、思わず湧き出たといった感じです。
そして、自分の中にそんな一面があったことにも驚いてしまいました。

ですから、逆に自分が海外で露骨に嫌な態度を取られたり(殆どありませんが)、
例えば、ニュージーランドではアジア人はKiwi(NZ人)から卵をぶつけられることがあるのですが、
それに対し腹を立てつつも、仕方ないかな~って感じだったのです。

ただ、それをきっかけに、人種主義については意識的に目にするようになりました。


藤川さんのお話で、人種差別の問題は人類の起源にまで議論が展開され、そこにはやはり聖書の影響があったのだな~って知ることができました。

そして、その差別は植民地化をも正当化するものだったのだと。

白人たちは、次のように考える。
「先天的に優越する白人が、劣等な未開の有色人種に対し、文明を齎し、キリスト教を布教することは、利他主義に基づく高貴な仕事であり、白人としての義務である。
その責務を遂行するためには、植民地による支配が必要である。」
科学的な人種主義は、植民地化を正当化した。


以前、白豪主義を取り上げた映画「裸足の1500マイル」を見て初めて知った、白人最優先主義とそれにもとづく非白人への排除政策を思い出しました。
ただの毛嫌いではなく、人種そのものをも否定する恐ろしさ…。


そして今回、新たに、アイルランド人に対する差別もあったことを知りました。

それは、「白人種は優越する」という科学的人種主義において、ではどこまでを白人に含めるかの線引きに関わっていたのですが、
そのあまりにも身勝手な人種主義に呆れました。

私からすれば、イギリス人もアイルランド人も、どちらも同じ白人種に見えるのですが、
プロテスタントのイギリス系植民者が主導して発展したアメリカにおいて、カトリックの多いアイルランド人への差別は、黒人に対するもの同様酷いものだったようです。

アイリッシュ(アイルランド人)の移民は、貧しく、教育が低いため、最下層の危険な仕事に就いた。
イギリス系植民者は、アイリッシュを「白い黒んぼ」と呼んだ。
レストランには「犬とアイリッシュはお断り」の掲示が貼られ、求人広告には「アイリッシュはダメ」という「NINA」の4文字が記載された。

新聞の漫画では、アイリッシュはサルや原始人として描かれた。
アイリッシュの知性は黒人並みとされ、肌の色は白くても、アメリカ市民としては相応しくないと看做された。


アイルランド人はイギリス人による本国の植民地化だけでなく、移民先のアメリカでもとことん痛みつけられていたのですね。


ですが、ここまでくれば、人種差別というより、ただの人種虐めですよね。

それは、私の内側から自然に湧き出た嫌悪感とは、全く違ったものを感じました。


一口に人種差別といっても、ものすごく複雑なものなんだな~。

けれど、それは決して他人事ではなく、白人至上主義に限ったことではなく、
藤川さんが文章中に述べていますが、人種の概念は、恐ろしい力で世界の常識を支配し続けてきました。

そして、きっと今も根強く残っていて、知らぬ間に今のこの時も世界を左右しているのかも。


他にも藤川さんの著書を読んでみたいな~と思っています。

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