I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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お城の後は、老舗カフェで。

雨に祟られた今回の旅でしたが、唯一 ホーエンザルツブルク城塞に登っている間だけは雲間がきれ、かすかに太陽が顔を出してくれました。

城塞内部をガイドツアーで回ることもできたのですが、せっかく雨が止んだのだからと、
母の希望で、美しい景色と美味しい空気をめいいっぱい満喫することにしました。

2011-11-19 06:03:21

     2011-11-27 13:59:35

城塞に囲まれた小道を歩いたり、小さな教会を覗いたり、輪投げをして遊んだり。(笑)
                        2011-11-27 14:05:26

まだまだ時間はあったけれど、その夜に予定していたコンサートの為に体力消費を控えめに、
城塞を一巡だけして降りてきました。

       2011-11-27 14:01:00



雨が再び強まってきたので、有名な老舗カフェ・トマッセリ (Tomaselli)でいっぷく。


こちらはケーキが美味しいことで評判のお店なのですが、すでに甘く大きなケーキを警戒していた私達は紅茶のみをオーダー。
オーストリアで紅茶というのも邪道かな~と内心思いつつ、ここは軽めに優しいものをと・・・。(笑)

天気が悪いこともあってか、カフェは大勢のお客さんでごった返しておりました。


人いきれが煙たいほど混んだカフェで、すぐお隣りの細身のおじさまはケーキを2個も注文!

すごく神経質そうな顔をしながら、真面目に語らいながら、なんの抵抗もなく大きなケーキをペロっと2個とも その男性は頬張りました。
なんだかその姿に感動(?)してしまった私は、カフェに居る間中、ず~っと彼を観察☆(笑)

・・・胸やけしませんか?

そう尋ねようかと思ったけれど、お顔はやっぱり気難しそうで、、、さすがの私もちょっと弱気に。(^^;

私の予想では、彼は毎日 ここでケーキを2個食べてるな。
それなのに何故か細身~~~、だけど、糖尿病予備軍だと私は見た!(笑)


カフェ・トマッセリは1705年創業の、古くからザルツブルクを代表するカフェ。

モーツァルトが生まれたのが1756年のことだから、もしかしたらモーツァルトも足を運んだことがあるかもしれないですね。
ううん、絶対にあるような気がします。
ここで一曲生まれていたとしても、おかしくないかも???^^

おススメのメニューは熱々のオムレツと、正午から2時までだけ食べられる林檎のケーキなのだそう。
そちらは次回のお楽しみということで・・・。^^


あまりの人数に店内での写真は無理だったのですが、重厚な雰囲気の趣きある素敵なカフェです。
中世の面影を残す旧市街に相応しい、老舗のプライドを感じられるお店。
例え座れないほど人が溢れていても、きちんと対応してくれるのもさすがだな~って思いました。

最後に、オーダーした紅茶の写真を一枚だけ。
何気ない一杯なのに、それを特別にさせる何かがここにはあるように思います!
2011-11-27 14:32:54

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ホーエンザルツブルク城塞でひとりごと。

ホーエンザルツブルク城塞から見下ろす景色は、どこまでも優しい。

淡い色合いに染まる街並みを眺めながら、人々の心も優しくなる。

          2011-10-12 20:10:59

この街の歴史が、一瞬、私に語りかけているような気がした。

                                2011-11-19 06:05:14

雲は低く流れ、私に手を伸ばす。


人に感情があるように、地球に感情があるように、一つの街にもまた感情がある。

風が雲が木々たちが、その思いを代弁するかのごとく、いつになく優しく言葉をかけてくれるのだ。

私は目を閉じて、胸いっぱいの深呼吸をし、それに応える。



こんなにも私を素直にさせる街は、ザルツブルクしか知らない。

この街との出逢いをくれた大いなる仕組みに感謝をし、私はまた、深呼吸する。

          2011-11-19 06:04:08






2011-11-19 06:02:55


私はホーエンザルツブルク城塞を見上げる景色が好き。

私はホーエンザルツブルク城塞から見下ろす景色も好き。


神さまが そっと被せた その王冠は、ザルツブルクの街を一層美しく特別にする。

I miss you so much.

私の住む町と中国上海市普陀区とは姉妹都市を結んでいます。

その普陀区から昨日、日帰りで私の勤める老人ホームへ視察団(5人)が研修に来られました。

今年は、夏にも 西安から3人の実習生の受け入れがあり、中国との縁の深い一年となりました。


そして、こんな時、私はふと思うのです。
中国からの来苑者の中に、NZ時代の親友・エリックがいたらいいな~って。

エリックは、クライストチャーチの語学学校で知り合った外国人学生の中で、私と最も仲の良かった友達です。
私より10歳くらい年下だったかな。

NZに来たばかりの頃は、いかにも~っていうほど中国人を絵に描いたようなタイプだったのに(笑)、
それが数ヶ月後には随分とアカぬけて、見違えるほど素敵な男の子に変身しました。^^

いつから親しくなったのか もう忘れてしまいましたが、友達になるのに そう時間は掛からなかったと思います。

真面目な反面、授業中にはよくウィンクを投げかけてきたり、なかなかお茶目で可愛い弟のような存在でした。

そのエリックが上海出身だったのです。

ですから、上海から視察があると聞くと、今度こそエリックが来るんじゃないかしら~って、
絶対あり得ないと分かっていても、つい期待してしまう私なのでした。

もちろん、今回の視察団の中にもエリックがいるはずもなく・・・。ちょっと、がっかり。



最後にメールのやり取りをしたのが2007年の2月のこと。

その時のメールには、まだクライストチャーチにいるということ、そして夏には上海へ帰国することなどが書かれていました。

あれからしばらく・・・
今年に入って 久しぶりにメールを送ってみたら、すでにアドレスが変わっていました。(T_T)

なのに会いたいと思い始めたら、もう連絡がつかないと思ったら、ますます想いは募るばかり。

部屋中を探し回って、彼に書いてもらった中国の住所を必死で見つけ出しました。

ちゃんと届くかどうか分からないけれど、来年の年賀状をエリックにも送ろう!^^

これで再び連絡が取れたなら、昨日 頑張って視察団の皆さまを接待した甲斐もあったというものです。



エリックと一緒にカウントダウンした2002年からもうすぐ10年。

クライストチャーチで同窓会は無理そうだけど、上海で同窓会っていうのもいいじゃない?って思う今日この頃です。^^

*

10年前にエリックからもらったメッセージも見つかりました。

改めて読んでみて、あ~、エリックったら本当に良いヤツ!ってニンマリしてしまいます。(^m^*)

Dear Picchuko
You are very lovely.
If you go back Japan, maybe I'll miss you.
But I want to ask you. Will you come back again?
If you will, I'm very happy.
26. October 2001 Eric

絵になる街、ザルツブルク。

「僕は本当に悲しかったんだ!」

手で涙を拭う格好をしながら、彼は何度も繰り返しました。

「テレビの前で呆然となったよ。 あんな現実とは思えないようなことが実際に起こるなんて。」

私たちが日本人だと知った彼は、今年3月に起きた東日本大震災のショックを早口で繰り返しました。


*

私は、旅先で絵描きさんを見かけると、その傍へ行くのが大好き。(*^^*)

街角で出会う絵描きさんの殆どが、風景や人物画を通して その人自身の人生を描いているのを見るのが好きです。

涙の痕も笑いの皺も多い人生の方がいい。
そんな人がさらさら~っと描く絵の向こうには、その人しか表せられない何かがきっとある。

だから あの日も、レジデンツ広場で自分の作品を広げていた彼の絵を覗き込んでみたのでした。


「これはゲトライデガッセを描いたもの。ほら、鉄細工の可愛い看板も見えるだろ。^^」
「これは見ての通り、モーツァルトの生家さ。」

けれど私は、彼が差し出す絵には目もくれず言いました。
「私はお城が好きなの。」

「お城? あ~、確かにザルツブルクにはお城が一番だね!
じゃあ、これなんかどう?」
彼は、旧市街の街並みの向こうに聳えるお城の絵を広げました。

それには答えず、「私はミラベルから見たお城が一番好きなの。」と、一枚の絵を指差しました。


キョロキョロ見回しながらも、私が選ぶザルツブルクの絵はこの構図と最初から決めていたのです。

私がいつもホーエンザルツブルク城塞と語り合う場所、その場所の絵を一枚記念に欲しかったから。

かといって、何も彼の作品じゃなくても良かった。
けれど、一見 よくあるタッチに見える彼の絵からは、彼の笑顔が見える気がして、その絵を買うことに決めました。

感情表現が豊かな彼は、悲しい顔も笑った顔も人一倍オーバーに映ります。
人の良さがそのまま伝わってきます。

そんな人が描いてくれたザルツブルクの風景、いい感じです。^^


「僕は心の底から日本の為に、日本の皆さんの為に祈ったんだ。」
ただでさえ赤い顔を ますます高揚させて(笑)、彼は続けました。

「今も日本の復興を願ってるよ。」


ありがとうと握手を交わし、私たちはその場を離れました。



彼の名前は、Igor Zindovic 。
モンテネグロで生まれ、大学時代にクロアチアのドゥブロヴニクで絵と写真を始めました。
旧ユーゴスラビアで育ったようです。

気に入ったザルツブルクには、1991年から住んでいます。


もしもレジデンツ広場で彼を見かけたら、どうぞ宜しくお伝え下さいませ。(^^)


* * * * * * *


秋の深まりを感じる今日この頃。
ドライブするにも気持ちのいい季節になりました。


ということで!

これから愛犬ヨンサマとクリスを連れて、久々に散歩へ出掛けて参ります。=^ェ^=

では、ちょっと奈良の明日香村まで~!(爆)
                 AM 4:30

カラヤンからウルスまで♪(*^^*)

20世紀 クラシック音楽界の巨匠であるカラヤンは、ザルツブルクの貴族の息子として1908年に生まれました。

彼はウィーン音楽院を卒業後、ザルツブルクにおいて指揮者としてデビューを果たします。

また、ザルツブルク音楽祭の芸術監督に、1956年から1960年まで就任しました。

彼は亡くなる前日にも、ザルツブルク祝祭大劇場で、その年(1989年)の音楽祭でプレミエを迎えるヴェルディの歌劇『仮面舞踏会』のリハーサルを行っていたそうです。



そのカラヤンに注目されてザルツブルク音楽祭にデビューした指揮者に、イタリアはミラノ出身のクラウディオ・アバドという人物がいます。

アバドは、カラヤンに次いでベルリン・フィルの芸術監督をつとめると同時に、
カラヤンが創立したザルツブルク復活祭音楽祭においても、芸術監督として1992年から2002年まで指揮しました。


*ザルツブルク復活祭音楽祭とは、夏のザルツブルク音楽祭より小規模ではありますが、世界的な名指揮者がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するという点が最大の魅力なのですって!
開催は、イースター前後の10日間、すべてザルツブルク祝祭大劇場で行われるそうです。
音楽好きな方は、こちらも要チェックですね!

          2011-11-08 20:54:59
          *カラヤン広場から続く祝祭劇場



かつて、その名指揮者アバドの下、私の愛する IL DIVO のスイステナー・ウルスがザルツブルク音楽祭に合唱団として参加したことがありました♪^^

そう、まだ無名であった若きウルスが、ここに立っていたわけです!!!


ウルスはこの路地を覗いたかしら~?

ウルスはここで鼻唄でも歌ったかな~?

ウルスはここで くしゃみしたかも~?(笑)
           
                         2011-11-08 20:57:46


そんな空想を膨らませながら歩くのも、ザルツブルクならではの picchuko流楽しみ方です♪

カラヤンの足跡も、ウルスの指紋(笑)だって、探せばまだどこかで見つかるかも~!(爆)


と、冗談はさておき、

神様!(><)
どうか、どうか いつかきっと、湖のように深く碧く澄んだウルスの歌声を、ここザルツブルクで聴かせてください!
picchukoの切なる願いです!(>人<)

そして できるなら、ウルスと腕を組んでザルツブルクの街並みを歩けますように~、、、って、それは望み過ぎか、、、。(笑)

2011-11-08 20:56:57




<お知らせ>
11月9日は、待ちに待った IL DIVO の5枚目のアルバム『 Wicked Game 』の発売日です!!!
(≧∇≦)

何度も生まれ変わってきた大聖堂。

ニュージーランドのクライストチャーチでは、仮設のコンテナで商店街が復活したり、新しい仮設バスエクスチェンジができたりと、明るいニュースが少しづつ届いてくるようになりました。

コンテナのショッピングモールはまるでカラフルなおもちゃ箱を積み上げたみたいですごく可愛いし!
私達がクロスステッチの材料を買いによく通った(笑)バレンタインデパートも復活しているようで、なんだか嬉しくなっちゃいます。^^

そんな中、クライストチャーチ大聖堂はその後 どうなっているのかな~?

すごく気になるけれど、あの場所は特に被害が大きかったから、修復するには長い月日がかかるよね・・・。


* * * * * * *


大聖堂の存在は、クライストチャーチに関わらず、どの街にとっても大きなものなんだな~と、
改めて ザルツブルクでも感じました。

            2011-11-06 15:13:18

ザルツブルクの大聖堂は、これまでに三度、新しく生まれ変わりました。

歴史は古く、最初に創建されたのは774年のこと。

そして1167年、当時の権力者達の争いにより街が放火され、新しく後期ロマネスク様式で大聖堂が改築されたのは1200年のことです。

けれど 400年後の16世紀末、再び大火災に見舞われ、その大部分が焼失しました。

すぐさま時の大司教、ヴォルフ・ディートリヒによって、ローマのサン・ピエトロ寺院に匹敵する巨大な教会建設が計画されます。

ディートリヒ大司教は、ザルツブルクを「北のローマ」にしたかったのです。
彼は、イタリアのメディチ家と親戚関係にあったのでした。

80メートルもの大理石の双塔を持ち、バロック様式である今日の大聖堂は、1628年に落成しました。


ところが、、、まだ試練は残されていたのでした。

それは、第二次世界大戦真っ只中の1944年。
飛行機から落とされた爆弾が、丸天井と祭壇の一部分を破壊します。

改修され、再び落成式を迎えたのは1959年のこと。
1万人収容可能な大聖堂と、6000本ものパイプを使ったパイプオルガンはヨーロッパ最大です。

そして、1961年にはドイツ語圏最大の聖堂の鐘が設けられ、現在に至っています。

こうやって、何度も何度も生まれ変わってきたザルツブルクの大聖堂。
その堂々たる威厳は、その都度 確固たるものとして培われてきたのでしょうか。

2011-11-06 15:11:56 2011-11-06 15:17:16


クライストチャーチ大聖堂の歴史は僅か150年足らずです。
それでも、市民の心の拠り所として、かけがえのない存在であることに変わりはありません。

これまでだって何度も大地震に見舞われて、今年の2月に壊滅的な大打撃を受けたクライストチャーチ大聖堂。
このザルツブルクの大聖堂に負けない市民の熱い思いで蘇り、
いつか何世紀も時を経て、そんなこともあったのだと、長い歴史を見つめてきたのだと、
遠い未来の人達に、その威厳を見せてあげてほしいと思いました。


ザルツブルクの大聖堂さん! 励ましてくれてありがとう。
             

*

2011-11-06 15:20:09

そのザルツブルク大聖堂では、10月7日の午前中、祭壇上の神父さまを囲んで、子供達の行事が行われていました。

子供達は神父さまのお話を静かに聞いた後、みんなで円になって歌を歌ったり、可愛く踊ったり、、、。^^
そんな子供たちに合わせて、最前列に座っていた母も体を揺らしておりました。(笑)

行事の後、子供達はクッキーを一粒もらい、きちんと列をなして退場です。
私達も子供達も、お互いはにかんだ笑顔で手を振り合います。

「おひとつ、どうぞ!^^」
子供達に気を取られていた私達の前に、一人の女性が籠に入ったクッキーを差し出してくれました。

「ダンケ シェーン。^^」
何気ない出来事なのに、すごく心が温かくなって、、、「美味しいね!」ってその場でクッキーを戴きました。



こちらの大聖堂、5~10月の間は隣接する博物館を見学できます。

歴代の大司教の宝物、
なんでこんな生き物まで?!と、ちょっとびっくりな剥製に、
美しい絵画の数々まで、
日本語のガイドホンをお借りして、落ち着いた雰囲気の中、じっくり楽しむことができます。

ヨーロッパ最大のパイプオルガンも手の届くところまで行くことができ、違う角度から大聖堂を見渡せられておススメです。^^

2011-11-06 15:15:41

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