I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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今年最後の使命を果たす!(笑)

クロアチアの玄関口、ザグレブ空港のカフェで寛いでいます。

意外と美味しいエスプレッソ。
ザグレブ空港に来られる方へお勧めです。(*^^*)

この美味しさは、この旅の一大使命を終えたからかもしれませんが。(笑)


*

クリスマス明けの月曜日のこと。

それは、職場の仲良し I石さんの、
「うちの Y郎ったら、小学4年生にもなるのに、今でもサンタクロースを信じてるんだよ。」
この台詞から始まりました。

I石さんの次男坊の Y郎くんは、サンタクロース宛てに手紙を書いていたのです。

そこには、もちろんのこと、純粋にサンタクロースを信じる Y郎くんの気持ちが健気なほど込められておりました。

「こんどお返事ください。」


お母さんの I石さん、
「ほんまに可愛いやろ~。 picchuちゃん、良かったら返事書いてやってよ。(笑)」と冗談で言いました。

「え~。(笑)」 と答えつつ、その時ピンッとひらめきが!

「良かったら、クロアチアからエアメール送ろうか?」


サンタクロースになりかわった私が、海外から Y郎くんへエアメールを送る。
なんだか夢がありません?(*^^*)

「それはええわ!(^^)」 お母さんも乗り気です。

「それは喜ぶやろな~。(^^)」 お父さんも嬉しそうな表情で言いました。


ということで、

picchukoサンタが心を込めて書いた返事を、たった今、ザグレブ空港内にある郵便局から投函したというわけです。


「サンタさんへ
電話番号が毎年変わるのだったら毎年教えて下さい。 住所も毎年お願いします。」

封筒の表にも、サンタさんへの思いがいっぱいでした。


「ぼくは今も世界中をとびまわっているんだ。
今年は世界中で "じしん" や "こうずい"があっただろ。
辛い思いをしている子どもたちが日本にも世界にもいっぱいいるんだ。
だから、クリスマスが終わった今でも、ぼくは子どもたちにプレゼントをくばっているんだよ。
しばらくは同じ場所にはいられないから、住所をおしえてあげられなくてごめんね。
Y郎くんもみんなこと、おうえんしてあげてほしいんだ。」

そして最後に、「日本ご、へたでごめんね。」と。(笑)


信じてくれるかな?

信じてしまったら、もっと大きくなって恥ずかしい思いをするかな?


でも今は、その純粋な思いを大切にしてあげたいです。
夢を見させてあげたいです。(^^)


では、picchukoサンタは 今年最後の使命を果たし、これからドゥブロブニクへ向かいます。


クロアチア時間 '11,12,30 PM 8:00
ザグレブ空港にて

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難関は東京駅?!

一番の不安はなんといっても東京駅!


昨晩、寝台特急サンライズ瀬戸号に乗って、四国から東京まで出てきました。

で、問題がその東京駅での乗り換えです☆

これが、今回の旅行の最大の関門でした。(爆)

とにかく広~い東京駅で、田舎者の私は果たして目的地まで辿り着くことができるのでしょうか?

心配症の私は、乗り換えに一時間近く時間の余裕を取りました。

ところが!
あれよ あれよと迷うことなく順調に、たった10分で成田エクスプレス乗り場へ到着。

ほっ。(^-^)

誰? 東京駅が難しいって言ったのは!
(誰も言ってませんって!(笑))

今、無事に東京駅を発車しました。

そして、新たな問題発生が、、、。

オーストリア航空って、第一ターミナルだっけ? 第二ターミナルだったっけ?(汗)

2012年は素晴らしい年に☆

今年は日本も世界もあまりに辛いニュースばかりが続きました。

想像を絶する映像に、何度言葉を失ったことか。

そして、多くの方達が苦しみ悲しんでいる中、当たり前の日常を送ることができている奇跡に深く感謝致します。


今年も皆様からの温かいお言葉、お心遣いに支えられ、無事来年を迎えられそうです。

いつも変わらぬご厚情を賜りまして、まことにありがとうございます。

どうぞこれからも末永く宜しくお願い申し上げます。


迎える2012年は、笑顔が溢れる素晴らしい年になりますように。

少し早いですが、今年一年の感謝を込めてご挨拶申し上げます。



* * * * * * *


いつもは12月中旬に仕上げる年賀状、今年は早めに12月頭に完成しました。

毎年、自分なりに自分らしいレイアウトをと、色々考えて工夫するのが大好きです。

時には絵の具やパレットを引き出してきたり、写真を貼り合わせたり、

今回は色紙を使って、細かい作業を3時間も掛けて仕上げました。(笑)


今年の色んな思いと、祈りを込めて、写真と色紙を組み合わせたデザインです。

印刷が完了した後、母に見せてみました。

「すごく苦労したんだよ。」と肩を叩きながら私。

「え~、普通の写真じゃないの。」と母。

え"・・・?
印刷したものを見てみたら、、、
あらら~、私の苦労の痕が写真と同化してしまって、殆ど分からなくなっていたのでした。(><)

無器用な私がピンセットも使わずに、太い指先を苦心して完成させたのに。(T_T)


すでに80枚の印刷が完了していましたので、諦めてこのまま出すことに致しました。

ですが、思いだけは宇宙大に込めてありますので!!!(笑)

私の思い、一人一人に届くといいな~。
そして、私の祈りが天まで届くと嬉しいな~。^^


*こちらは、一年前の年賀状です。
2011-11-30 13:06:49
マトリョーシカは下手なりにも一生懸命 絵の具を使って描きました。
マトリョーシカから思い出(写真)がどんどん溢れだすのを表現しようとして、でも こちらも失敗作。(爆)
それでも、それは幸せが次から次へと飛び出すことをイメージして作りました。^^


では、皆さまも 良いお年を!

追伸 * できれば、ドゥブロヴニクから今年最後のブログ更新をしたいと思っております♪

The Prayer...

お友達からクリスマスプレゼントが届きました♪

「私もつい数週間前に知ったばかりなんだけど、たぶんpicchuちゃんが好きだろうと思って。^^」
お礼の電話に、そう答える彼女。

彼女が送ってくれたのは、11歳の天才歌姫 Jackie Evancho(ジャッキー・エヴァンコ)のアルバムでした。

ジャケットにはまるで天使のような少女の姿と、私好みの曲名がずらり。
ホント、どうしてこんなにも私の好みずばりが分かったんだろうって、思わず飛び上がりそうになりました。

初めて聴く歌声、
11歳なら、きっとまだ幼さが残る可愛らしい歌声かしらと耳を澄ましていたら、

まるで成熟したヴィーナスの歌声が流れてきて、その美しさと表現力に心の底から驚きました。

これが11歳の声?
信じられないほど、大人なのです。

そして、吸い込まれそうになるほど清らかで、自分を失いそうなほどジャッキーの歌声に聴き惚れてしまいました。

どれもこれもお勧めなのですが、私が思わず泣いてしまいそうになった一曲、


今年のイブに相応しい「A Mother's Prayer(with Susan Boyle)」を皆さまにも送ります。

I pray you'll be our eyes
And watch us where we go
And help us to wise
In times when we don't know

A world where pain and sorrow will be ended
And every heart that broken will be mended
And we'll remember we are all God's children
Reaching out to touch you
Reaching to the sky

Needs to find a place
Guide us with your grace
Give us place so we'll be safe




  *:*:*:*:* Merry Christmas *:*:*:*:*

いつまで続くのでしょうか?

ロイター通信。

【ニュージーランドのクライストチャーチ近郊で23日、マグニチュード(M)5.8の地震があった。
警察は人的被害の報告はないとしたが、負傷者1人が病院に搬送されたとの報道もある。

同国当局によると、震源地は同市北東20キロ、震源の深さは8キロ。
最初の地震発生後、M5.3を含む強い余震が続いた。津波警報は発令されていない。

住民の1人は地元ラジオ局に対し、
「とても激しかった。棚に置いてあった食べ物が床に落ち、グラスや絵の額縁も落ちた」と話した。

地元ラジオ局によると、ショッピングセンターやオフィスにいた人たちは、建物の外に避難した。
スーパーなどでは、陳列棚から商品が落ちるなどの被害があり、液状化現象や落石の報告もある。
また、電力会社によると、1万5000世帯で停電が起きている。

発生当時、ショッピングセンターでは、クリスマス直前ということもあり、買い物客らでにぎわっていた。
強い地震の発生を受け、一部の道路はクライストチャーチを脱出しようとする住民の車で渋滞しているという。

クライストチャーチでは今年2月、M6.3の地震があり、日本人留学生を含む182人が死亡した。
同市内では、現在もなお立ち入りが制限されているところがあり、復興作業が進められていた。

同市のボブ・パーカー市長は、
「ここまで長い道のりだった。余震は終わったと皆が思っていた。タイミングが最悪だ」
とした上で、通常の生活に徐々に戻りつつあった市民には心理的にも影響するはずだと語った。

警察当局は、ビーチにいた4人が落石により閉じ込められたが、無事救助されたとし、2月の地震で損壊した建物2棟が倒壊したと発表。
クライストチャーチ空港は、ターミナルや滑走路の点検のため閉鎖された。】




涙はもう枯れ果ててしまいました。

どうか神様、やっと前を向いて歩き始めた人達を、街を、これ以上 傷つけないでください。

なぜギリシャ危機で欧州全体が揺れている?ーユーロ経済の基礎知識(日本経済新聞)

<「一つのヨーロッパ」を目指す歴史的な大実験(1)>

「ユーロ」は、1999年に欧州諸国で導入された単一通貨の名称です。
50もの国がひしめく欧州では民族や国同士の争いが絶えず、20世紀前半には2度の世界大戦を引き起こし、多くの犠牲者を出しました。
戦後はこの反省から、欧州では「一つのヨーロッパを作る(欧州統合)」という機運が生まれました。

これを受け、52年にドイツ(当時は西ドイツ)、フランスなどの6ヶ国により軍需物資の石炭と鉄鋼を共同管理する「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」が発足し、58年には「欧州経済共同体(EEC)」「欧州原子力共同体(EURATOM)」がそれぞれ設立されました。
67年にはこの3つの共同体が統合されて「欧州共同体(EC)」が発足。
欧州域内の市場と経済の統合が進められました。
そして93年には、経済関係の強化だけでなく政治分野も含めたより広範な欧州の協力関係をつくることを目的に、現在の「欧州連合(EU)」が誕生しました。

欧州統合の一環として実施されたのが、各国共通の通貨制度を導入する「通貨統合」でした。
ドイツはマルク、フランスはフランというように欧州各国で長年使われてきた通貨を廃止して、欧州全体で一つにしてしまうという歴史的に類を見ない試みです。
99年、EUの当時の加盟15ヶ国のうち、イギリス、ギリシャ、スウェーデン、デンマークを除く11ヶ国で為替相場が固定され、金融取引で用いられる通貨単位としてユーロが誕生しました。
これに先立ち、98年にはユーロ導入国全体の金融機構の中枢を担う中央銀行として「欧州中央銀行(ECB)」が設立されます。
2002年にはユーロ紙幣・硬貨の流通が開始しました。
現在のEU加盟国は数度の拡大により27ヶ国となり、ユーロ導入国も17ヶ国にまで増えています。



<「一つのヨーロッパ」を目指す歴史的な大実験(2)>

ユーロ導入国では、国境を越えた貿易や金融取引をする際に、為替変動で損失を被るリスク(為替リスク)がなくなり、両替手数料も払わずに済みます。
また通貨が同じなため、各国企業は国境を気にせずにユーロ圏全体を舞台にビジネスを展開できるようになりました。
ドイツの企業がフランスやイタリアの金融機関から資金を調達したりするのも容易になります。

世界の貿易や金融取引を媒介する通貨を「国際通貨」といいます。
代表的な国際通貨はドルであり、米国以外の国同士が貿易するときの決済にも広く用いられています。
このため、仮に米国経済の信頼が大きく揺らいでドル相場が暴落するようなことがあれば、世界中の貿易や金融取引にも悪影響が及ぶという面がありました。
ユーロは加盟国だけでなく周辺国の間の決済でも利用されており、ドルと同じように国際通貨の役割を担いつつあります。
ユーロの利用がさらに拡大していけば、欧州経済はドル相場の変動などの影響を受けにくくなるとも考えられます。



<ユーロ導入によりギリシャ危機が欧州に波及(1)>

通貨統合に伴う効果もあり、これまでユーロ経済は堅調に成長してきました。
しかし現在のユーロ経済は最大の困難に直面しています。
2009年秋以降からユーロ導入国の財政問題が表面化し、これがユーロ相場の急落と金融市場の混乱を招き、実体経済にも悪影響を及ぼしているのです(欧州経済危機)。

危機の発端はギリシャでした。
09年10月、ギリシャが深刻な財政赤字状態にあることが明らかになり、国債発行を通じて借りたお金を返せない状態「デフォルト(債務不履行)」に陥るのではないかとの不安が金融市場に広がりました。
国の財政に対する不安が強まると、その国の国債を売る人が増えて価格は下落します。
その国債を保有する金融機関の経営にも大きな打撃を与え、その国に投資する海外投資家が減るので為替相場も下落します。

先述の通り、ユーロ導入により域内経済が緊密になったため、欧州各国の金融機関はギリシャの国債も大量に保有しています。
ギリシャ国債の下落により経営が悪化した金融機関は企業などへの資金貸し出しを控えるようになりました。
資金供給が縮小していけば、欧州全体の景気を悪化させるおそれがあります。

ギリシャが債務不履行に陥るのを避けるために他のユーロ圏の国が金融支援をすれば、支援した国の財政状態が悪化する可能性もあります。
このため、ポルトガルやイタリア、アイルランド、スペインなどギリシャ同様に財政状況が厳しいユーロ圏の国(各国の頭文字をとって「PIIGS=ピッグス」と呼ばれています)の財政への不安が広がり、ユーロ相場の一層の下落を招いています。



<ユーロ導入によりギリシャ危機が欧州に波及(2)>

事態を重く見たEUは10年5月、危機の連鎖を食い止めるためにIMF(国際通貨基金)と共にギリシャに対して1100億ユーロの支援を決定。
同6月には、資金調達が困難になったユーロ導入国への融資や銀行への資本注入などを担う「欧州金融安定基金(EFSF)」を設立しました。
EUはこうした枠組みも活用しながら、その後はポルトガルやアイルランドに対する金融支援も決定し、11年7月にはギリシャに対する追加支援も実施しました。
さらに同10月には、ギリシャの債務の圧縮、EFSFの規模拡大、欧州銀行の資本増強を柱とする、欧州債務危機の克服に向けた「包括戦略」を打ち出しています。



<各国独自の金融政策を打てないことが危機を加速>

包括戦略により、当面の危機に対する手当ては整った格好ですが、ギリシャ国内では反発が強まっています。EUの支援を受け入れるのと引き換えに、公務員の給与削減や人員整理、公的部門の資産売却など幅広い歳出削減を求められているからです。このため、ギリシャ国内ではユーロから脱退すべきという意見も少なくありませんが、ギリシャがEUの支援を拒否して自力で財政再建を進めるのも極めて難しいといえます。

独自の通貨と中央銀行を持つ国の場合、金融政策によって景気を刺激することで、税収増を期待することもできます。
しかしユーロ加盟国であるギリシャは、自国だけの通貨や中央銀行を持ちません。
財政支出は増やせず、しかも金融政策が打てないことから、景気浮揚策は乏しいといえます。
税収は容易に上がらず、財政赤字の削減目標もなかなか達成できないのです。
PIIGSと呼ばれる他の国も事情は同じです。

通貨と中央銀行は一つなのに財政は国ごとに異なっていることは、ユーロ圏の不安材料として通貨統合の当初から問題視されていました。
また、そもそも競争力に大きな差がある国同士が同じ通貨を使うことに無理があるとの声も少なくありませんでした。

こうしたユーロ圏の構造的な問題に対処するため、EUは12月上旬の首脳会議で欧州安定メカニズムを前倒しで発足させるほか、財政規律を強化する新条約を作ることで合意しました。
ただ市場では短期的な危機対応は力不足との見方が根強く、信用不安を払拭するのは難しいとみられています。
欧州が「一つのヨーロッパ」という理想をさらにおし進められるか。
財政危機を乗り越え、世界の金融市場や実体経済への深刻な影響を回避できるか。
ユーロは今、発足以来の最大の正念場を迎えています。




(2015年3月2日)

続けて3回言ってみよう!(笑)

ドゥブロヴニク、ドゥブロヴニク、ドゥブロヴニク・・・

さぁ、早口で続けて3回言ってみましょう!

私は3回目で必ず、ドゥブドゥブドゥぶぅ~ってなってしまいます。(笑)

「ドゥブロヴニク」という地名は、最近でこそ頻繁に旅番組で紹介されるようになりましたが、数年前まで私はその街の存在すら知りませんでした。
クロアチアという国そのものに関心が薄かったから。

クロアチアといえば、旧ユーゴスラビア。
歴史が複雑な上に、冷戦時代は東側諸国ということで、少し敬遠していたのかしら。

けれど、2年前にハンガリーとロシアを旅したことで、旧共産圏の国々との距離が私の中で一気に縮まり、それらの国々の中でもオーストリアとの縁がとりわけ深い国への興味が次第に高まってきました。

ましてクロアチアはアドリア海に面してイタリアとも近く、お料理は美味しいし、美男美女の多い国。
それだけでも、行きたくなる要素がたっぷりだと思いませんか?(笑)

来年の年越しは大人しく日本で~と思っていましたが、東日本大震災とクライストチャーチ大地震への義援金による税金の還付が思わぬ金額になりそうなので、

今年も思い切って海外へ出掛けることにしたのです。

行き先は、すでにお分かりのように、クロアチアのドゥブロヴニク。
「アドリア海の真珠」と謳われる、素晴らしい景観を持つ世界遺産の町です。

ドゥブロヴニクへはオーストリア航空を使うので、ウィーンとザグレブ(クロアチアの首都)との二度の乗り継ぎで向かいます。
ですから、ドゥブロヴニクに到着するのは、30日の午後10時。
いつも以上に往復だけでぐったりしそうな旅ですが(笑)、一年分の大きな深呼吸をして来ようと思います。

* * *

昨年のメキシコも候補にあげていたのですが、急に気分が変わってしまいました。

けれど、とうとう迎える 2012年!
マヤ文明への興味だって、私の中で沸々と沸いていることには変わりありません。

今も昨年お世話になった現地ツアー「ウォータースポーツカンクン」さんのサイトは常にチェックしております。

先日、2012年のマヤカレンダー終焉の後を予言する、地球滅亡の根拠となった碑文を実際に見学し解説するという、コバ遺跡ツアーを発見しました。
しかもお一人様から催行とのこと。

そこで、早速 店長さんへメールを送信!
「このツアー、2012年以降も行われるのですか?」

だって、来年中にメキシコへは行けそうもないですし、でも2012年が終わってしまうと地球滅亡の予言の価値がなくなってしまう、、、。
マヤ文明を巡る旅も今後続けていきたい私には、すごく気になることだったのです。

すぐさま、店長の吉田さんからお返事のメールが届きました。
「コバ遺跡のツアーはもちろん続けますよ。」と。

吉田さんの情報の嬉しいところは、私の質問だけでなく、いつもマヤ文明における未知の世界を教えてくださること。
「更に店長今ちょっと気に入っている遺跡がムイルという、シアンカーンのツアーでご案内する遺跡なんです。」と続く文章にふむふむと引き込まれる私。(笑)

以下、吉田さんからのメールの抜粋です。

「900年ごろマヤ文明は一度崩壊しています。
これは曲げる事の出来ない事実であり、その後のマヤ文明とそれ以前とではまるりっきり違った文明になってしまっているような状態です。
このムイルでも発掘された交易品は900年ごろを境にがらっと変わってしまっています。

900年に何があったのか?
人口増大による食料需給バランスの崩壊?
そして、その食料を巡る大規模な戦争?
その際に蔓延した疫病や天災がトドメをさした???
今言われているマヤ文明の崩壊はこの程度です。

この謎は一言で言えば、発達した文明が絶頂期を迎えたその直後に原始時代に戻ってしまったという事です。
これは人類の歴史上類をみません。

来年2012年の説もいろいろ理由があります。
何をもってこの説が唱えられているのか、しっかりと根幹を学べば予言ではない事も分かります。
しかし、それでもマヤ文明の謎、900年崩壊の事実が解けるわけではないのです。

書き始めたらきりがないですが、是非近くまたいらしてください。
マヤ文明は今ホットですので(笑)」


古代マヤ文明の謎、非常に魅力的で、たまらなく興味をそそられるのですが、
すでにクロアチアの手配が全て完了していただけに、その謎への招待は来年以降。

2012年以降、この地球が存在していれば、是非 その扉を開いてみたいと思います。

あ~、休みとお金がもっともっと欲しいです。
それ以上に、体をもう一つ欲しいかな。

地球上には未知で魅力的な世界が広がっていて、私は永遠にこの星の迷い子になりそうです。(笑)

また逢えますように。

ハルシュタット滞在は僅か3時間。

2011-12-21 17:20:56

食事をして、ぶらり街を散策して、

2011-12-21 17:09:26

2つの教会をゆっくり見て回り、、、

2011-12-21 17:10:54

カトリックの多いオーストリアにしては珍しく、ハルシュタットにはカトリックとプロテスタントの教会がすぐ近くにあります。

尖塔を持つ方がプロテスタントの教会です。

2011-12-21 17:11:31

そして、三角形のマルクト広場でちょっとだけお買い物。^^

2011-12-21 17:12:26

たったそれだけの時間なのに、すごく愛おしく感じるのは、ハルシュタットの魔法かな?(笑)

2011-12-21 17:16:43

お馴染みの景色は、変わらずとても美しかったです。


ザルツブルク旧市街もまだまだ見どころが沢山で、どれもこれもと欲張りたい中、
あえてハルシュタットを選んだのは、やっぱりこの景色を見せたかったから。

小雨で体が冷えてしまったので、帰りの船が来るまで少し辛いところもありましたが、
そんな時は暖房の入ったプロテスタントの教会で体を温めました。

霧は晴れることなく、ますます立ち込めてゆきます。


10月上旬のザルツブルクとハルシュタットは、しっとりとした演出で秋の深まりと冬の足音を感じさせてくれました。

* * *


一人旅が殆どの私が、旅慣れぬ母と姉を初めての欧州へ案内するということで、
今回はいつもとは違う緊張感がありました。

それでも、誰かと一緒にいるという安心感を感じることもできました。

ザルツブルクは温かく私達を出迎えてくれましたし、私達もこれまで以上にザルツブルクに親しみを感じ、優しい気持ちになれたように思います。


次はいつ逢えるかしら?

私だけでなく、どうやら母も姉もザルツブルク再訪を望んでいるようです。



これにて、母と姉とのザルツブルク旅行記を終わります。
お付き合い下さいまして、まことに有難うございました。^^


* * * * * * *


◆10月6日(木)

15:00 フランクフルト着
    強風の為、2時間遅れでフランクフルトを離陸

20:30 ザルツブルク着

21:00 ホテル・モーツァルト チェックイン

21:20~22:00 ミラベル庭園を散策


◆10月7日(金)

5:30 起床

5:50~7:00 新市街散策(一人)

8:30 ホテル出発

9:00~9:40 『聖セバスティアン教会(モーツァルトのパパのお墓)』

10:00~11:30 『大聖堂』・『大聖堂博物館』

11:30~12:30 『カフェ・デーメル』にて軽くランチ

12:30~14:00 『ホーエンザルツブルク城塞』

14:00 『聖ペーター教会』・・・映画「サウンド・オブ・ミュージック」撮影場所

14:30 『ノンベルク尼僧院』・・・同上(マリアがいた修道院) 

14:50 『レジデンツ広場』でIgor Zindovicさんの絵を買う

15:00~15:45 『カフェ・トマッセリ』

15:45~16:30 『ゲトライデガッセ』でウィンドウショッピング

16:30~17:00 『カフェ・モーツァルト』・・・ザルツブルガーノッケルンを食す

17:00~17:30 『モーツァルトの生家』

18:00~19:00 ホテルにて休憩

20:00~22:00 『ミラベル宮殿』にてコンサート

22:30 ホテル着


◆10月8日(土)

8:30 ホテル出発

9:10 ザルツブルク発

11:30 ハルシュタット着

12:00~13:00 『ヘリテージホテル』にて昼食(スープ&マスのムニエル)

13:00~14:30 ハルシュタットを散策

15:00 ハルシュタット発

17:30 ザルツブルク着

18:00 ホテルのレセプションのお兄さんと記念写真(笑)

18:30~19:30 ショッピング

19:30~20:10 『カフェ・ザッハー』・・・トルテ戦争第5戦☆

20:30 ホテル着


◆10月9日(日)

7:00 ホテル チェックアウト

9:55 ザルツブルク発

13:55 フランクフルト発

          2011-12-21 19:28:48

ハルシュタットで食べた魚料理は最高でした♪

2011-12-10 14:05:47

ハルシュタットの鉄道駅と街との間には、深い翠の澄んだ湖が広がっています。

この日は低く雲がたなびき、いつになく神秘的な面持ちで私達を出迎えてくれました。


観光客は列車から降りると その足で船着き場へと向かい、列車の到着時刻に合わせて待っている船へと乗り込みます。

ハルシュタットの写真には必ず登場するといってもいいほど象徴的存在の尖塔を持つ教会が、対岸に小さく姿を現わしました。

それは、誰しもが「あ~、ハルシュタットに来たんだな~」と思う瞬間です。

同じ船に乗り合わせたのは私達3人と、偶然にも前日にホーエンザルツブルク城塞で言葉を交わした年配の女性2人だけ。

私達は冷たい雨を避け、デッキではなく船内の椅子に腰をおろしました。

僅か10分足らずのクルーズ。
少し曇ったガラス越しに、可愛いハルシュタットの街並みがゆっくりゆっくり近付いてくるのを楽しみます。

風もあるのか、水面が大きく揺れていました。
目の前には、大きな波に今にも呑まれそうな、なのに いたって平常心で優雅に泳ぐカモ達が群れをなしていました。
でも、水面下では必死なんでしょうね、きっと。(笑)


教会が大きく見えてきました。 到着です。

すると、ハルシュタットに足を踏み入れるやいなや、ぷ~んと美味しそうな匂いが漂ってきました。
それまでは忘れきっていたのに、いきなりお腹もぐ~って反応。(笑)

「まずはお腹を元気にしますか!」

そこで、その匂いの源である 船着き場すぐ前の ヘリテージホテルのレストランへ直行!

ドアを開けると、くるんとカールした短い後ろ髪が可愛い 背の高いボーイさんが出迎えてくれました。
案内されたのは、湖が見渡せる窓際の席。
小さく映るカモさん達は、懲りずにまだ大きな波と戦っているようです。


「何を食べるかは picchuちゃんにお任せするわ。」
姉も母もメニューを開きもせず、だけど目にはしっかり「美味しいものをお願いね!」と書いてあります。

私は苦手なドイツ語&英語のメニューとにらめっこしながら、ハルシュタットは湖で取れる新鮮な魚が美味しいことを思い出しました。

「じゃぁ、まずは体を暖めるためにスープと、、、この魚料理をお願いします。」

「え? picchu が魚?」と驚きの母。
「なによ、悪い?」 私は口を尖らせて答えました。

「そういえば、picchuちゃんは魚が嫌いじゃなかったっけ?」と姉も意外そうな表情で私の顔を見つめます。
「私だって、たまには魚を食べたくなることあるわよ!」

とは言ったものの、正直 ちょっぴり不安もありました。
苦手な魚だったらどうしよう、、、。

スープを飲みながらも、これから出て来る魚料理が気になって、気になって。
やっぱりお肉の方が良かったかな~。

           2011-12-10 14:04:39


まずは母と姉に料理が運ばれてきました。
覗くと、お皿からはみ出しそうな大きな魚がまるごと一匹☆

げっ! 切り身じゃないんだ~。(T_T)

なのに、
「君のは小さい魚だったから、特別おまけに一切れつけといたからね。^^」
って、くるんとカールした後ろ髪がやっぱり可愛いボーイさんが、笑顔で運んできてくれました。

え"~! そんなサービス、してくれなくていいのに~!
私はぼそっと日本語で、、、 「おおきに・・・。(T_T)」

2011-12-10 14:03:25

ところが!

この魚、マスでしょうか?
淡白で、身もホロッと取れやすく、とにかくすごく美味しいのでありました!!!
まるごと一匹も、おまけの一切れも、あっという間に完食の私。

「美味しい~~~~~。(≧*≦)」

あまりに私が「美味しい」を連呼するものだから、母も姉も顔を見合わせて首を傾げておりました。

お皿を下げに来たボーイさんに、「いや~、これ めちゃくちゃ美味しかったですぅ。」と私。
「そりゃぁ、なんたって新鮮だからね。^^」
うふふ、やっぱり くるんと巻いた後ろ髪がたまらなく可愛い!(笑)

冷え切っていた体も温まったし、なんだか天気まで回復しそうじゃな~い?(^^)

*

「いや~、ハルシュタットの魚料理はホント美味しかったよね~。」
今でも時々、私はあの味を思い出しては繰り返し言っています。

ちなみに、
母と姉は、「美味しかったけど、picchukoが言うほどではないんじゃない~?」とのことですが、、、。(笑)

世界・夢列車に乗って♪

月曜日の夜8時から BS-TBS で放送される番組 『世界・夢列車に乗って』を、母も私も結構楽しみに見ています。

母にとって初めてとなった欧州・ザルツブルクの旅からちょうど一ヶ月経った11月中旬のこと、
偶然にも、「森と湖の郷 オーストリア列車紀行」が放送されていました。


~ 澄んだ空気と緑豊かな森、目の前に次々と現れる湖。
オーストリアアルプスの麓を列車に乗って旅をする。

出発地はザルツブルク。

2011-12-04 18:26:17

モーツァルトの音楽のようになめらかに、列車はザルツカンマーグートへと向かう。
自然豊かなこの地方には、ハプスブルク家をはじめとする王侯貴族の館が多く残されている。

そして世界遺産ハルシュタットへ。

雄大な自然と人間の足跡が流麗なハーモニーを奏でるオーストリアの旅を紹介する。 ~


* * *


10月8日の朝、私達はハルシュタットへ向かうため、ザルツブルク中央駅を目指しました。

ザルツブルクから湖岸の街ハルシュタットまでは、私はいつも列車を使います。

2011-12-04 18:06:54

ザルツブルク中央駅を出発し、ウィーン行きの特急列車・QBB でおよそ50分走ったら、そこは乗り換え駅 アットナンク・プッハイム。
(初めての時は、この駅名を覚えるのに苦労しました。(笑))

そこから1時間20分ほどでハルシュタット対岸の無人駅に到着です。

先日の番組は、ちょうど私達が走ったルートそのままに撮影されたものだったので、旅を再現できる楽しみを戴きました。

                          2011-12-04 18:19:51


この旅で最も印象に残った場所が、姉にとっては墓地!(笑)であったのに対し、
母のお気に入りは、その車窓から眺めた のどかで牧歌的な、これからご案内する景色だったようです。^^

2011-12-04 18:25:25

2011-12-04 18:24:54

2011-12-04 18:24:16

2011-12-04 18:23:41

2011-12-04 18:22:49

どこまでも続く緑の景色に、いつの間にか溜まっていた心の疲れに気付きます。

ちょっとしたことにムッとなったり、慌ただしさでイラッとしたり、
そんな私に対し、当たり前の毎日がどれほどありがたいものか、そっと優しく諭してくれます。

そして、大陸のように雄大な気持ちを、小さな私の心の中に広げてくれます・・・。


2011-12-04 18:22:15

この風景、一人で眺めていると、じわ~っと涙が滲んでくるんです。


ですが、今回は女三人旅でしたので、ワイワイはしゃぎながらの列車の旅となりました。

「見てみて~! 向こうの山、もう雪が積もってるよ!!!」

「この列車の扉、取っ手がついてるから一生懸命引いてみたのに、な~んだ~、 auto って書いてあるじゃない!」

「ほら、また牛さんが見えてきたよ~!」とか、(笑)


でも、時々は静かになって、それぞれの心に それぞれの形で その景色を留めておりました。


        2011-12-04 18:46:19


テレビに映る風景は、まさに私達を癒してくれたその時と同じ表情で流れていました。


ここは急いでないんだね。


何度訪れても変わらない安心がここにはあって、

目を閉じて脳裏に浮かぶ あの景色はきっと、今もそのまま あの場所に広がっているんだろうな。

宮殿での夜。

「今晩、ミラベル宮殿のコンサートへ行きたいんだけど、チケットの手配をお願いできるかしら?」

午後6時を少し回った頃、一旦ホテルに戻った私達は、レセプションのお兄さんに尋ねてみました。

宮殿の広間入口でも直前に購入できるのですが、観客が大勢になると良い席が取れなくなるのです。

大きく目を見開いて、お兄さんはポンっと胸を叩きながら、「もちろん! 僕に任せておいてよ!」と。(笑)

お兄さんが取ってくれた席は、会場のちょうど真ん中くらい。
宮殿大広間といっても、こじんまりとしたお部屋ですので、リラックスして聴くにはベストな席でした。



煌びやかな装飾。

輪舞のようにぐるぐると回るシャンデリアの光。

柔らかく反響する楽器の音色。



幼きモーツァルトが演奏したというこの部屋では、音楽に酔うと同時に、その場所にいることそのものに酔ってしまう方もいらっしゃるでしょう。

ですから、モーツァルト時代に思いを馳せ、宮殿の雰囲気をより楽しむには、ここでは真ん中より後ろの席が宜しいかと私は思います。
ただ~、あまりに後ろに座ってしまうと、完全にモーツァルト時代に吸い込まれていきますので気合が必要です!(笑) → ('09.01.05日記)

 
2011-11-27 13:34:15

ミラベルコンサートでは、「Twins Quartett」という双子の2姉妹のバイオリン四重奏が私はとりわけ好きです。
20代から30代前半の二組みの姉妹、美しく優しそうな彼女達の表情を見るだけでも幸せな気分になれるのです。
今回も、彼女達の演奏を最も楽しみにしておりました。


ところが、その日 現れたのは日本女性!
どうやら、今晩の演奏はこの女性とバイオリスト「Luz Leskowitz」氏との二人きりのようです。


彼女は少しはにかみながらも、優雅におじきをし、白いグランドピアノの前に座りました。

一曲目は、もちろんのことモーツァルト。

彼女は目を閉じ、深呼吸をし、そっと鍵盤に指を乗せました。

そして、もう一度深呼吸。

なめらかに動き始めた彼女の指は、次第に加速をして滑るよう走り出しました。
それは、まるで羽が生えた音符が、宮殿の大広間を自由に踊っているような明るい音色。

それをベテランのLeskowitz氏が、堂々としたバイオリンで応えるのです。


私が最も気持ち良く聴けた曲がドビュッシーの『月の光』。

ミラベルにはモーツァルトが一番似合うと思っていたのですが、シューベルトもショパンもどれもこれもミラベル色に染まってしまいました。(笑)


いつの間にか観客全てを呑みこむほど、ひたむきに鍵盤を叩く彼女の姿。

音楽の都・ザルツブルクで活躍される一人の日本人女性の存在に胸が熱くなりました。


演奏が終わると、一瞬の沈黙と、一斉に響く拍手の渦。

彼女は登場した時と同じ はにかんだ表情で、ちょこんとおじきをして、拍手に応えました。


とても素晴らしい演奏会だったと思います。

母も姉も頬を赤らめ、至極の贅沢を味わった表情をしておりました。


「どう? 最高でしょ!」
いかにも自分が演出した時間のように、私は「えへへん!」とした表情で言いました。

「うん、うん、すごく素敵だった~~~!」
初めての優雅な時間に、二人の興奮はしばし冷めやらぬようです。

私も、これまで以上に良い時間だったな~と浸り気味。
ホント、ピアニストの彼女に「ありがとう!」と叫びたいくらいでした。


その女性は、帯広出身の加藤マリさんと仰る方で、2000年からザルツブルクに滞在されているのだとか。
彼女はカラヤンも学んだモーツァルテウム音楽院を卒業され、現在は欧州と日本とで活躍されています。



ザルツブルクを訪れたら、やっぱりミラベルコンサートは外せないな~。(*^^*)

少しひんやりした空気でのぼせた頬を冷ましながらの、ホテルへの帰り道でした。

          2011-11-27 13:35:37

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