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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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これが、わたしの町。(番外編)

ここしばらくブログを開けなかったのは、私の周りに起こるあらゆる変化についていけなかったから。

といっても、特に何がと言えば何も変化していない気もするし、
でも、自分の精神状態はぐちゃぐちゃで、自分でも自分が分からないくらいです。(苦笑)


そんな時、ふと思い立って、私の町にある一つの島を訪ねてみることにしました。

その島を思い出した理由は、私の職場で今年3月まで看護師をしていた友達(10歳年上のお姉さん)が、島の漁師の奥さんだから。
私が最も信頼し、一緒にいて優しい気持ちをくれる彼女に会いたいと思い出したからでした。


「急だけど、一緒に島を探検しない?」
「いいよ。^^ ちょうど明日はタコ釣りで早朝から島に行ってるから、良かったら朝の便で渡っておいでよ。」

ということで、朝9時発のフェリーに乗って、瀬戸内海に浮かぶ高見島へ行ってまいりました。

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多度津港から30分。
ほとんど波のない内海を船は進みます。

そういえば、この島では寅さんや、郷ひろみさんと夏目雅子さんが出演した『瀬戸内少年野球団』が撮影されたんだよな~。

寅さんでは、マドンナ役で来ていた松阪慶子さんがものすご~く綺麗だったけど、周りを寄せ付けない冷たさがあったって、、、
でも夏目雅子さんはすごく気さくな方で、島人が振る舞ったカレーライスを美味しそうに頬張って、おかわりしてくれたって言ってた。(笑)

そんなことをぼぉ~っと思い出しながら、水しぶきが作る虹や空に浮かぶ雲の流れを眺めていました。

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島のフェリー乗り場には、麦わら帽子を被った彼女が自転車を押して待っていました。

「さぁ、私は自転車に乗るから、picchuちゃんは走って付いて来るのよ!(笑)」
「え"~!! うっそ~!!!(><)」

「あっ、どんなに暑くて喉が渇いても、この島には自動販売機はないからね!(爆)」
「え"~? それ、本当ぉ~?(><)」


まずは漁船を訪ね、彼女のご主人にご挨拶。
「picchuちゃん、何かええ話でもできたんか~?(笑)」
ご主人(以下、お父さん)とも15年来の付き合いで、私が20代の頃から可愛がってくださいます。

「じゃ、また海に出るから後でな。^^」
毎日、カンカン照りの中、漁船で海を走り回るお父さんは、常に真っ黒に日焼けをして、笑った時の真っ白な歯が眩しいです。


「まずは島のお寺から行く~?」
小さな島といってもかなり急な石段の連続に、この炎天下の季節に島を訪れたことを ほんの少し後悔しました。(笑)

「あ、この道はまだ通れないわ。
お盆前には島の人達で草刈りをするんだけどね、今は鎌を持ってないから前に進めないね、別の道にしよう。」
「かっ、かま~?(笑)」

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恐ろしいほどの陽射しに負けず、野生の植物の繁殖も勢いが止まらないようです。
「ほら、家の中まで蔦で覆われてる!」

そんな、すでに廃墟となった家々を縫って、なんとか島の中腹にあるお寺へ辿り着きました。

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高台まで登ると、かすかに頬に風を感じました。

「せっかくだから、お墓参りしようかな。」と彼女。
「お盆にも来なくちゃいけないけど、暑くて自信ないし、、、。(笑)」

真夏の島は半端じゃない暑さです。陽射しも遠慮なく突き刺さってきます。
まして、瀬戸内の凪による蒸し暑さはそれこそ半端ではなく、べとっとした潮風は思う以上に体を疲れさせます。

お墓の掃除に精を出す彼女の後姿を眺めながら、私はふとあることを思い出しました。
「そういえば、この島って、つい数年前までは土葬だったよね。
確か、埋め墓と参い墓があって、、、。」

「あぁ、10年くらい前まではまだ土葬してたと思うよ。」
毟った草をどこへ捨てようか見回しながら、彼女は続けました。

「私はお嫁に来て初めて ここで土葬が行われてるって知ったんだけど、その時 思わず「私は焼いて下さい!」って言っちゃった。(爆)」
「お母さん(お姑さん)なんか、今でも土葬を望んでるみたいだけどね~。」

「で、この島には何人くらいの人が住んでるの?」
実は これまでも2、3度 仕事関係の行事で島を訪れたことのある私は、その頃よりも一層人気のなさに聞いてみました。

「う~ん、20人くらいかな。私が来た頃は200人くらいは居たんだけどね~。」
彼女が結婚して瀬戸の花嫁になったのは、今から25年くらい前のことです。

「その20人にお父さん(ご主人)は入ってるの?」
「ううん。お母さん(お姑さん)だけ。(笑)」

「お母さんも一時は本土に籍を移したんだけどね~、やっぱり生まれ育った島を離れたくないみたい。
お姉さん(義姉)だって、将来は島に帰って来たいと言ってるし、、、。」

確かに、それはこの島に限った話ではなく、私の町のもう一つの島でも顕著に表れているのでした。
若い頃に大阪や東京に出ていた人達が、定年後には島に戻って、毎日 畑仕事や釣りをして余生を過ごし、懐かしい顔ぶれとともに年老いていくことを希望して。

「なんとなくその気持ち分かるような気がするけど~、お店すら一軒もない島で住むのはね~、もともと島の人じゃなきゃ絶対に無理だよね。」
「ホント、ホント。 信号機すらない、何にもない島だもんね。(笑)」

私達はそんな他愛無い話をしながら、海岸沿いを歩きました。
「本土(四国)から見るのと、同じ瀬戸内海の景色でも少し違うよね。」

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その時、お父さん(ご主人)の船が走っていくのが見えました。
「毎日、大変だよね。」
絶対にこちらは見えてないであろう船に乗るお父さんに、手を振りながら話を続けました。
「うん、でも9月と1月だったかな、釣りをしてはいけない期間があって、その時期は無職になるの。(笑)」

「うちはタコとイカナゴだけだから、他もやってたら違うのかもしれないけどね。」
聞けば、一日で80万円近くの収入になることもあれば、もちろん収入ゼロの月もあるそうです。

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周囲6キロほどの島は、引き潮の時でないと一周できません。
満潮になると、道が海の中に沈んでしまう場所があるからです。
私達は島の5分の3程度を歩いたのかな、気が付けば 私の鼻の頭は信じられないくらい真っ赤に日焼けしていました。(笑)

「帰りはお父さんの船で戻ろうね。」
彼女の島の家で大きな西瓜を頬張りながら、タコ漁を終えたお父さんの帰りを待つことにしました。

「フェリーは朝便と夕方の便しかないから、船がないと不便でね~。(笑)」
「私、一時間に一本くらいはフェリーが出てるのかと思ってた!」
「いやいや、お盆シーズンは便数も増えるけど、毎日4往復くらいしかしてないんじゃないかな~。」
「フェリーもいいけど、お父さんの船に乗るの好きだから、今日はラッキーかな。」
なんたってスピードも違うし、海面はすぐそこだし。^^


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何も言わなくても私の不安定な気持ちを感じ取り、何も聞かずに ただ一緒に島を歩いてくれた彼女。

そして、相変わらずの明るさと気さくさで、私の気分を転換させてくれたお父さん。

二人に対して、感謝の気持ちでいっぱいです。 


ありがとう。。。

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これが、わたしの町。(3)

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あの三角お山の向こうには、一体何があるんだろう?

あの三角お山の頂上に、人間って立つことができるのかな?

あんなに急な三角のお山、登るなんてとても大変だろうな。




この連なった おむすび山達を遠くに見つめながら、私は大きくなりました。

幼い私は、それらの山々の間にちょこんと座す三角形の山ばかりが気になっていました。


あの三角お山にお大師さまも登ったのかな?

この一帯は弘法大師・空海が生まれ育った場所です。

三角形の右隣りの山は、幼少時代の空海が身を投じたという伝説を残す我拝師山。

だから、それに連なる小さな三角お山にも、お大師さまはきっと登ったに違いない、そう子供心に信じていました。

そしてその頃の私は、三角お山は地球の最果てのように思っていました。

誰もそんなことなど言っていないのに、自分だけで信じ込んでたみたいです。(笑)



少し大きくなって、確かあれはお姉ちゃんの結婚式の日だったかな。

小学一年生の時。

これ以上遠い場所はないと思っていた三角お山のすぐ傍を、物心ついて初めて車で通ることがありました。

尖っていると思っていた頂上は、近くで見上げると実はまあるい形になっていて、

麓から一直線に頂上まで伸びていると思っていた道も、くねくねと山肌を縫っています。


そして何より、この三角お山の向こうにも道は続き、家々が立ち並んでいることに驚きました。

地球って広い!

そう生まれて初めて思った瞬間です。(笑)

旧ユーゴ旅行記・番外編

今さらながら、2006年に亡くなったロシア語通訳兼エッセイストの米原万里さんの本を読み漁っている。

彼女の代表作『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を、ふらりと立ち寄った書店で手にして以来、物の見事にハマってしまった。

重い内容のはずなのに、コミカルに時に下ネタまでも織り交ぜて、なまじ教科書じみた歴史書を紐解くよりもうんと身近に1960年代以降の東欧の歴史を学ぶことができる。
いや、学ぶというよりももっと身近で、とにかく面白い。

*

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は、1960~64年までの5年間、著者が滞在したチェコ・プラハでのソビエト学校時代の3人の親友を通して、激動の東欧の真実の姿を個人の目線で描かれている。

米原さんは子供の頃から観察力も優れていたのだろう。
その上でさらに多くの体験を経た後、改めて少女時代の親友と再会を果たし、当時では知り得なかった真実と出会い、彼女ならではの洞察力と表現力でこの本が生まれたのだ。

その中で、3人目の親友として登場するのが、セルビアはベオグラード出身のヤスミンカ。
彼女について記した頁の中で、かつてのユーゴスラビアにおける紛争について書かれている箇所がある。

旧ユーゴは私にとって2012年を迎えた縁のある場所。
ここに、旅行記の番外編として、また旅行記の補足として、彼女の文章を写し出しておこうと思う。


* * *


ところで日本では無頓着に「東欧」と呼ぶが、どの国もこう括られるのをひどく嫌う。
「中欧」と訂正する。

ウラル以西を欧州とするなら純地理的には、当地域はそのへそに当たるが、地理的正確さを期して「東」を嫌がるわけではない。

「東」とは第一次大戦まではオーストリアまたはトルコの支配収奪下に、第二次大戦後はソ連邦傘下に編入されていたために、より西のキリスト教諸国の「発展」から取り残され、さらには冷戦で負けた側を表す記号だ。
後発の貧しい敗者というイメージが付きまとう。

「西」に対する一方的憧れと劣等感の裏返しとしての自分より「東」、さらには自己の中の「東性」に対する蔑視と劣等感。
これは明治以降脱亜入欧をめざした日本人のメンタリティーにも通じる。


(中略)


たしかにユーゴ多民族戦争の端緒となった91年6月のスロベニアとクロアチアの独立宣言の性急で強引なやり方にはそら恐ろしいほど激しい「脱東入西」欲を感じる。

両国がバルカン半島分割時代ハプスブルクのカトリック文明圏に組み込まれたのに対して、セルビア、マケドニア等はビザンツ帝国の正教文明を引きずったままオスマン・トルコのイスラム文明圏内で生きてきた。
しかも旧ユーゴでは経済先進地域とカトリック圏、後進地域と正教圏がほぼ完全にオーバーラップする形で「南北格差」が極端に拡大していった。

この矛盾を背に容貌上の特徴を言語も双子のように相似形の、カトリックのクロアチア人勢力と正教のセルビア人勢力の対立を主軸にして、それにボスニア・ムスリムが巻き込まれた形で今回の戦争(ボスニア紛争)は展開した。
各勢力とも優劣つけがたい残虐非道を発揮した。

ロシア語が理解できる私には、西側一般に流される情報とは異なる、ロシア経由の報道に接する機会がある。
だから、「強制収容所」や「集団レイプ」も各勢力においてあったことを知っている。


だがセルビア人勢力のそれだけが衝撃的ニュースとなって世界を駆けめぐり強固な「セルビア悪玉説」を形成したのは周知の通り。

NATOの三千数百回以上の空爆の対象とされたのもひとりセルビア人勢力のみであり、EUと国連の制裁にはセルビア人勢力の後ろ盾として新ユーゴ連邦まで対象とされた。


この一方的な情報操作のプロセスは今後早急に検証されるべきだが、現時点で気になるのは、ユーゴ戦争の両主役の支援諸国の宗教的色分けの露骨なほどの明快さだ。
EUでセルビア制裁に反対したのが正教を国教とするギリシャだけであることひとつ見てもそうだ。


そして現代世界の宗教地図を一目すれば国際世論形態は圧倒的にカトリック・プロテスタント連合に有利なことが瞭然とする。


* * *


改めて、旧ユーゴの旅、ドゥブロヴニクとモスタルで見た痛々しい傷痕を見つめ直そうと思う。


マルッシオの解釈はどうなのだろうか?
今も時々、彼に問いかけることがある。
もう二度と会うことのない彼ではあるが、今では私の心の友であるようだ。(笑)

これが、わたしの町。(2)

どれほど美しい風景も、いつも眺めていれば それが当たり前の景色になり、感動することも少なくなる。

でも、この景色だけは 毎日見飽きることなく、美しいな~と私は思う。


遠く島々が霞む日もある。

蜃気楼のように島々が浮かび上がることもある。

時に小さな島ながら、可愛く笠雲を覆う姿を見せてくれることもある。


はっと思うほど海の色を青く感じたり、

瀬戸内海はやはり碧色だな~と思ったり、

夕凪の淡いグレーに染まる瀬戸内の海は、どの海にもない ここだけの色合いだな~と感じたり、


この微妙な色彩の移り変わりの中で眺める穏やかな風景を、私はずっと持ち続けていたい。



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Turkish-English Dictionary♪ と、アランのお話。

帰宅した私を待っていたもの。

それは、フランスはレユニオン島にお住まいの絵本作家mimi_ylangさんからの作品展のご案内と、なんと「トルコ語⇔英語」の辞書でした!

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数年前にイスタンブールを旅されたというmimiさん、そこで購入された辞書を私のトルコ語学習にと送ってくださったのです。

ちょうど鞄のポケットに入る手頃なサイズで、中も見やすくて使いやすそうな辞書です。
英語の勉強にもなる優れモノ。^^

早速、ムラトさんに見せてみると、私以上の喜びようで、何度も何度も日本語で「ありがとう!」とmimiさんの代わりに私に向かって頭を下げていました。(笑)
おぉ?トルコ人もお礼を言う時、頭を下げたりするのね~?

*素敵なサプライズプレゼント、mimiさん、本当にありがとうございます!^^


* * * * * * *


最近、親友のアランとべったりのムラトさん。

「これからアランとランチなんだ!」
「今から、アランにトルコ料理をご馳走するんだ!」
「アランがpicchukoに宜しくって言ってるよ!」

アランの話題がのぼらない日はないほど、「アラン」「アラン」の毎日。
ちょっと~、私、疑っちゃいますわよ~。(笑)


アランって名前を聞くと、『アラン・ドロン』を思い浮かべる方も多いかと思いますが、

私が思い出すのは、子供の頃にハマった細川知栄子さんの漫画『伯爵令嬢』に出て来るアラン。

そのたまらなくカッコ良い紳士のアランは、子供時代の私の王子様でした。

ジュ・テーム…… ジュ・テーム…… おお きみを…… 愛さずには いられない~~~

アランの台詞は、子供の私でさえもくすぐったく感じるほど。(*^_^*)
完璧な容姿は、今思うに、漫画版ウルスと言えるでしょうか!(爆)

そのアランの印象は、その後も私の脳裏に焼き付いていたようで、カッコいい西洋人=アランという方程式が私の根底にはありました。(笑)


それからしばらくして、今から10年ほど前のこと。

クライストチャーチの語学学校のある日の授業で、数人のグループを作って、英語のショートストーリーを作りなさい!という課題がありました。

私とペアになったのは、韓国人のハンミン。
アランとは対極にあるような、大きくふてぶてしい顔のハンミン(ごめん!ハンミン!(><))ではありましたが、気心が知れると結構話しやすい、ちょっとした遊びの喧嘩相手にもってこいの友達でした。

その時は、何故か彼と仲良く盛り上がり、
主人公の男性がある橋のたもとで素敵な女性とすれ違い、彼女の落としたハンカチを拾ってあげたことがきっかけで恋に堕ちるといった、ありきたりで面白みもない話を二人で笑いながら作ったのでした。

その時、主人公に使った名前がアラン。

自信たっぷりで発表した私達に、先生のロビンが一言。

「アランはフランス名で、イングリッシュ名ではありません!」
確か、この物語に対する判定は、その一言で終わってしまったように記憶しています。(笑)

その時は、まさか自分に『アラン』という人物が関わってくることなど夢にも思っていませんでしたが~、

実際に出会ったアランは、
フランス人ではなくイラク人(でも中東の男性にしてはラテン要素も混ざっている感じかな)で、
堂々と甘い台詞を囁けるタイプではなく、ものすごくシャイな男性です。


今日もそのアランとともに、ムラトさんはアランの友人であるカロのアパートで仲良くランチなんだとか。

*

自分はアランとの時間を大切にして私からの電話に気付かないこともあるくせに、私が数回連続して電話を取らなかったりすると、何故か怒り出す自分勝手なムラトさん。

他のことでは一切怒らない彼ですが、少しでも連絡が取れないと怒るのです。

トルコ人男性は女性に対して独占欲が強いとか、所有物扱いをするという話は聞いたことがありますが、、、

ムラトさんも例外ではなかったか。。。(><)


そこで、私なりに色々研究した(?)結果、
そんな時、私は時々(ここも肝心!) 嘘泣きをすることにしました。(爆)

もともと女性にはマメで甘く優しいトルコ人男性ですから、女性の涙には非常に弱いのです。(^m^)

「私だって何度も何度も電話してるのに、ムラトさんこそ出てくれないじゃない!
私、すごくすごく寂しかったんだから~。」

などと、泣きながら殺し文句(?)の一つでも言えば、
「Oh、、、Darling,don't cry, don't cry, my darling. I'm so sorry.」となるわけです。(笑)

あ~、トルコ人男性って、扱いやすくていいわ~。(爆)


あら、アランの話から思わず脱線してしまいましたが、最後に少し早いpicchuko版・夏休みの自由研究の発表でした!(笑)

picchuko、叫ぶ☆

緑の多いのどかな風景が流れていきます。

ぽつりぽつり見られる低いお家よりも、ところどころに現れる菜の花の広大な黄色い絨毯の方が目を引きます。

サンルーフから見上げる空は真っ青で、気持ちのいいドライブが続きました。

そして少し木立を抜け、彼は車を停めました。


「どこへ行きたい?」と聞かれて、「郊外へ行きたい。」と答えた私。
街中を観光するのも好きだけど、せっかく車があるんですもの~、ほっとできる自然の美しい風景を見たいなって思ったのです。


小さな森の入口のような場所に、私達はいました。
彼はトランクを開け、ごそごそとパラソルとマットを取り出しました。

ぬかるんだ小路を抜けると、碧く澄んだ湖の景色が目に飛び込みます。

「わぁ!綺麗!」

思わず叫んだ私を振り返り、彼は「へへ、そうだろう?」って感じの自慢げな表情を浮かばせました。

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これまでも色んな湖を訪れたけれど、その殆どが大きくてクルージングができる湖であったり、ツーリストが来るような有名な湖であったり。

こんな穴場のような静かな湖は初めてです。

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どこからか聞こえる小鳥のさえずりも素敵。^^

私は興奮気味にカメラを構えました。



ところが、、、、、


・・・。


・・・・・。 (° ° ;)


もしかして、私、今、見てはいけないものを見てしまった???(° 口° ;)



残念ながら、湖の写真は僅かこの二枚だけです。

写真、いっぱい撮りたかったんですよ。
ここで私も大きく背伸びして、思いっきり美味しい空気を吸い込みたかったんですよ。

思う存分、この景色を見渡したかったんですけど、、、

でも、できなかった、、、、、。(><)


「picchuko~、、、、、」彼が何かを言おうとした途端、私は叫びました。

いやぁ~、私には絶対に無理~、絶対に嫌ぁ~~~~☆(><)」


「誰もpicchukoにもそうしろとは言わないから~。」

当たり前よっ☆


その時、私の目の前に広がっていた光景、もうお分かりになられたでしょうか?

そうです、湖畔で楽しむ人達の殆どがヌーディストだったのです。(><)

もちろんムラトさんはヌーディストではありません☆

ですが!

いくら美しい景色を見せたいといっても、だからってこんなところに連れてこなくても!


「信じらんないっ☆」

私は怒りました。

いや、正直なところ、ナザール・ボンジュウの件が後ろめたくて、さほど強くは怒れませんでしたけど(笑)、

それでもムッとしました。



でも、後で分かったこと。

ドイツには、ヌーディストの人達が結構いるってこと!

街中でも裸でベランダに立っていたり~、聞けばそう珍しいことでもなさそうなのですが、

観光地としての欧州しか見たことのなかった私には、それはそれはショックでした!



もうっ! 
わざわざドイツくんだりまでやって来て、知らないおじさん達の裸なんて見たくないんだから~!

思いっきり叫び続けたいのを呑みこんだpicchukoです。。。(苦笑)

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