I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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セルビア青年とコンパートメント。

さすがに、夜行列車は乗客も少なく、全てのコンパートメントが埋まるというのは珍しい。


それなのに、そのコンパートメントが全て満室だとは、

ミシェル車掌が言うように、世界中の人が今夜旅行に出ることにしたか、
前もって、全て計算されていたか、、、


あ、これは、アガサ・クリスティ作『オリエント急行の殺人』での話。

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さすがに寝台車両を使うほどの贅沢な旅は、今回の私にはできなかった。
それでも一応、予約席なのだが。

だから、6席ある3つずつ向き合う形のコンパートメントに横たわった。

一人きりの時もあるし、見知らぬ男性と一緒になったこともある。
そういう時、なまじ個室なだけに異様な緊張感がある。

照明を消した室内は、車窓から時々忍び込む青白い灯が走り去るくらいだ。
そして、静寂の中をゴトンゴトンと響く音。



そんなコンパートメントでも、昼間となれば話は別だ。

個室ゆえか、目が合えば二言三言交わしたり、先に降りる者は「じゃ、お先に」と声を掛けて席を立つ。

全く目も合わさない乗客は、数知れず乗った列車の中で2~3人もいただろうか。



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それは、セルビアのノヴィ・サド駅から乗った時のこと。

珍しく大混雑の乗客で、私は一つだけ空いた席を見つけた。

コンパートメントの6つの席のうち、埋まっている5つの席には仲間らしい16、7の男の子達が陣取っていた。
何やら大いに盛り上がっている。

だから、わざわざドアを開いて、そこへ座ろうとする者はなかった。

かといって、ぎゅうぎゅう詰めの廊下に立つのもしんどい。
ノヴィ・サドからベオグラードまでは1時間半ほど掛かる。 しかも、列車はすでに30分遅れだ。


「ここ、いいかしら?」 私はドアを開けながら、恐るおそる尋ねてみた。


「どうぞ! どうぞ!」 全員が手を伸ばし、にこやかに答えてくれた。
え? 意外な反応に思わず拍子抜け。


向かい側の真ん中の席に座る男の子が、一番に話し掛けてくれた。
「もしかして、日本人?」

「ええ。」

「ほら!やっぱり~。俺の勝ちだ!」とでも言っているのだろうか、勝ち誇った表情で仲間を見回した。
この列車内を見渡しても分かるように、あまり東洋人を見かけることはないらしい。
もしかして、私が何人(なにじん)か賭けていたとか?(笑)


「こいつ、日本語の詩を知ってるんだぜ。」 彼は一人の男の子を指さした。

すると、私の同列の右端に座っていた男の子が、ひとつの詩を音楽に乗せて歌い出した。

どこで聴いたか、それは戦前の古い映画にでも出て来そうな唄。
私はそれを知らなかったが、日本人なら懐かしさを感じる唄だ。

男の子にしては高音の、優しい歌い方だった。

君、本当にセルビア人? 私は驚きを隠せず、彼の顔を覗きこんでみる。

「ね、合ってる?^^」 そう言って、今度は彼の方が私を覗きこんできた。

「うん、合ってるよ。^^」
間違いなく、日本語だ。 だから、合っているはず・・・。
しかし、その歌詞が古過ぎて、正直、意味すら分からなかった私は、自分が日本人かどうかの自信がなくなってきた。(笑)


見るからに大柄で、眉もまつ毛も太くて濃い 西洋人にはない彫りの深い顔達だった。

だから、本当はこの席に座るのに勇気がいった。

だが、列車の風景にこんな思い出を残していってくれたのも、
セルビア青年の気さくで温かい人柄と、コンパートメントという独特の空間のおかげだろう。



社交場としても、はたまた殺人事件の舞台としても(!)、列車はスペシャルな存在感でもって楽しませてくれる。



写真は、一枚目がドイツ、ミュンヘン中央駅構内。
二枚目が、この日記に登場するセルビアはノヴィ・サド駅ホーム。



より大きな地図で 2012.09.15 Beograd - Novi Sad を表示

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私は今、オリエント急行に乗っていて、

そのシンプロン=オリエント急行は、終点のカレーを目指し、イスタンブールを出発した。

カレーという町が、海峡を挟んで英国と向き合うフランスの都市だということは、ロダン作の彫刻『カレーの市民』のおかげで、私でも知っていた。

順調に進めば、3日後にはヨーロッパ大陸を横断できるはずだった。

だが、事件は起きた。 ユーゴスラビアで。 

ベオグラードを21時15分に発車し、その3~4時間後のことだった。
列車は大雪のため、立ち往生している。



ここまで書けば、いや冒頭でお気づきか、
私は今、アガサ・クリスティの代表作『オリエント急行の殺人』を読んでいる。

日頃 推理小説に手を出すことのない私が、夢中で貪っているその理由は、

ユーゴスラビア、そして列車という舞台設定に引かれたからだ。

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育った処が鉄道と縁の深い町だからか、私は乗り物の中で一番列車が好き。

四国鉄道発祥の地であるとともに、高知行きと松山行きの列車が私の町で分かれる。


キキィ~。 昔はここで、それらの列車を連結したり切り離したりしていた。
時に不愉快に感じる その音も、知らぬ間に町の音風景となっていたようだ。

今でも夜になると、駅から数分のわが家には、ゴトンゴトンと走る音が風に乗って運ばれてくる。

だから、乗らなくても それは子供時代の私の日常にあった。

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EU を出ると、列車においてもパスポートチェックが行われる。

クロアチアはクロアチアの、セルビアはセルビアの独特の雰囲気でもって、それは行われる。
真夜中の国境越えでは顕著に表れた。 ドキドキする瞬間である。


真っ黒な夜のとばりの中、キキキキキィ~とブレーキがかかる。

話し声が隣りから漏れてくる。

すると、私の居るコンパートメントのドアが開き、シャッとカーテンが開かれた。
紺色の制服を着た2人の男が立っていた。 無言の圧力感がある。


外には、照明の乏しい長いホームと、何本も伸びる線路の上を寄り添って歌いながら去って行く4~5人の男の子達が見えた。
吐く息が白いのが私からも分かる。

セルビアは 『Sid』 という駅だ。

彼らはフードを頭に被せ、ズボンのポケットへ手を突っ込む。
彼らが身を寄せ合っているのは、思いの外 寒さ厳しいせいだ。


執拗にジロジロと人の顔を眺めた警官からパスポートを受け取ると、私は足を伸ばした。

なのに、すぐ別の男が入って来る。
変な物を持っていないか、探知機のようなもので座席下まで調べられた。

30分くらいしただろうか、確か20分は優に過ぎたと思う。
ゴ、ゴトン、ゴトンゴトン、、、ゆっくりと列車は再び夜を走り出した。

しかし、それも数分のこと。
またも列車はキキキキィ~と停まり、クロアチア側のチェックが始まった。
気持ち、セルビア側よりも優しい感じがしたのは気のせいか?


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オリエント急行のような贅沢な列車の旅はできなくとも、その線路も そこから見える風景も変わりない。
作品が生まれて80年近く経ているといっても、暗闇に隠れた正体は、どこまでも続く黄色いトウモロコシ畑に違いないだろう。


雪が降っているか、

殺人事件が起こったか、、、の差ぐらいである。(笑)


果たして、犯人は私の思う人物なのか。

異文化の行き交う孤絶の空間、それが立ち往生した場所に、アガサ・クリスティは何故ユーゴスラビアを選んだのか。


ヨーロッパ鉄道の旅、私はまだしばらく楽しめそうだ。




写真は、一枚目と二枚目が、どちらもセルビアのベオグラード中央駅。
三枚目はこの日記と日にちもルートも異なるが、二度目の夜行となったクロアチアのスプリット駅ホーム。




より大きな地図で Salzburg ・Ljbljana ・Zagreb・Beograd を表示

「プリトゥビツェ湖群」以上に輝く二人。

もう一つ、是非とも紹介したいこのブログ。


夏のヨーロッパが一晩で晩秋に姿を変えた、9月中旬のプリトゥビツェ湖群国立公園(クロアチア)で出会ったカップルのブログである。



2012-09-13 05:26:06

見るからに良い笑顔だが、実際はもっと輝いていた。

幸せ~~~!が伝染する この笑顔。


プリトゥビツェ湖群国立公園でというより、ザグレブからそこへ向かうバスの中で出会った二人だ。


「おはようございます。^^」
バスに乗った途端、爽やかな挨拶が聞こえてきた。 彼だ。

二人の前に座る。
その時 耳に入る背後の会話から、バスに乗る客の殆どが観光後に再びザグレブへ戻るのに対し、彼らはスプリットへ向かうことを知った。


バスは一通り乗客を拾うと、一つの大きなホテルの前で停車した。
恰幅のいい係員のおばさんが乗って来て、これから向かう国立公園の説明を始める。

「ここで、バス代の残金を集めます。
国立公園の入場料は現地で支払うか、今一緒に支払うかは皆さん各自で決めて下さい。
ここで払った方は、バスを降りる時にドライバーから入場券をもらって下さいね。」

そう言って、バス内を集金し始めた。

一番目は最前列に座っている私。
「入場料はどうします?」 おばさんは聞いてきた。

しかし、この時の私は頭が真っ白だった。
理由は現地から生の声で伝えたが(笑)

しまった! 入場料のことなど全くもって計算に入れていなかった!(><)

一瞬 固まった私に、「入場料もここで払うか聞いてますよ~。^^」と彼が声を掛けてくれた。

「はい。」 反射的に答えて、財布を掻きまわす。
なんとか入場料分くらいはありそうだ。

だが、これで手持ちの現金がないに等しいに変わりない。

親切な彼らと色々話はしたいけど、その先の不安から、目的地までの2時間、私はずっと無言であった。

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クロアチアといえば、ドゥブロヴニクを連想するように、オレンジ色の屋根と碧いアドリア海のコントラストが印象的だが、

大小16の湖と92もの滝の織りなす こんな表情のこの国も、この上なく美しい。

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私達が訪れた時は あいにく雨であったが、それはそれで 湖面を煙る蒸気と雨が描く輪が、まるで舞踏会を連想させた。

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よくエメラルドグリーンと表現されるが、そんな単語一つで片づけるなんてごまかしだ。(笑)

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寒さで凍えながらの遊歩道であったが、瞼に贅沢な自然の美が焼きついた。

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「どのコースを回りました?^^」
3~4時間コースをそそくさ終えてカフェで暖まる私に、チャーミングなその笑顔に滴る雨の雫を拭いながら、彼女が聞いてきた。

「バスまで時間があるので、一緒にお話でもしませんか?」

二人は今年の4月から一年間、世界各地を巡っているという。

「やっぱり醤油味が恋しいですね。」 そう言う彼女と、
何でもOKという、可愛い顔からは想像できない頼もしい彼。
どうやら彼の方は何度もバックパッカーとして、世界を周遊してるんだとか。

「どこでも生きて行けそうだよね。」
それは、単なる誰からでも受け入れられ、どこででも生活できるという意味だけでなく、
どんな困難があっても、ちゃんと対応できるだけの知恵も力もある人物だと、尊敬を込めて言ってみた。

二人は最高に似合いのカップルだと思った。

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別れの時、「私、ホームページ 持ってるんです。」と名刺をくれた彼女。

帰国後、ワクワクしながら開いてみた。

そこには、やっぱり最高に素敵な二人の世界があった。

なんと、旅立つ前に入籍を済ませた二人は、世界一周をしながら結婚式の準備をしていると書いてある。

ブログでは、その様子をリアルタイムで載せているのだ。

彼らが見た、世界の結婚式やプロポーズプランも紹介されている。


すごく恵まれた人生だな~と羨ましくなりながらも、彼らはその特別にも見える幸せを引き寄せるだけの力を、

幸せを描ききる力と、実現する力、その両方を兼ね揃えていることに気付く。



その名も、『 One Heart Wedding 』

女の子なら、男の子もそうかな?、誰もがうらやむ日記だ。





より大きな地図で 2012.09.13 Zagreb - Plitvice を表示

旅の意味が増す。

この旅は、私の人生における何かしらの節目になると感じていた。


1ヶ月という期間は物足りない感もあったが、病気持ちの高齢者を両親に持つ私には この辺りが限度だろう。

それでも、仕事を続けていれば決してできなかったことであり、この為に退職したわけではないが、自分の選択を認めている。

だが、帰国後の私は何から手を付けていいか分からず、無駄に生きてるという後ろめたさが、どこか心の中にあった。

このまま私はどうなるのだろう。 時々、不安が私を襲う。


そんな時、救世主のような言葉をくれた友がいる。
勝手に友と読んでいるが、まだ一度しかお会いしたことのない、ブログを通して知り合った友だ。


センスの良い 少し大胆な語り口と、
彼女の天性によるものか、バックグラウンドによるものか、たぶん両方からだと思うが、鋭く気持ちの良い感性にたまらなく憧れた。

物にも息吹きを与えられる人、そう私は思っている。

彼女の言葉は一つ一つに力があり、的確だ。 そして、褒め上手。
私より2つ年下とは思えない大人なのである。


ブログでも感じたそのことを、今年4月に大阪で出会った時にも強烈に感じた。
知り合って4年、それは念願叶う瞬間であった。


昨日、彼女からメールが届く。
またも彼女はどんぴしゃりな言葉をくれた。


「今は刺激的な日々の後に現実に戻って、何をしたらいいやらみたいな感じになってるかも知れませんが、動かないときは動かないでいいと思います。

時期が来て動きたくなったら全部が動きます。


全部なくなったときは全部が新しくなるチャンスで、前に進む準備ができたときにいろんなチャンスが突然やってきます。

なくなったものは未来の自分には必要のないもの。
これは違うと思ったら手放す勇気と前進する勇気があれば大丈夫。

未来が先に見えたら楽なのにね^^」


不安だった私の胸に閊えていたもの、それを一瞬で取り払うだけのものがある。
体現している人の台詞は直球だ。

生き返った。

大袈裟ではなく、そう思った。




今、彼女はネパールと日本を行き来し、ヒマラヤの青い石・Kyanite(カイヤナイト)に携わる仕事をしている。

彼女の手にかかると、石はより強く意思を持つ。

その意思は、自分(石)に合った相手を引き寄せる。

人間が石を選ぶのではない、石が人間を選んでいる。

そう確信させる力を、彼女自身も持っているから不思議だ。


私も彼女の下で、ひとつカイヤナイトを選ぶ。
彼女の手の中にあった時の輝きが失せているのは、今の私が輝けていないからだと素直に納得。

それでも、その石は現在の私を知りつくした上で、半年前に私を導いたのだと思う。

石を手にして以来、私の変化は目まぐるしかった。



その目まぐるしさ故、不安も大きかったのだが、それを彼女は理解してくれたのであろう。

彼女に感謝したい。

おかげで、この愛しい旅も より深い意味を感じられるようになったのだから。



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私が撮ると平凡になってしまうが、彼女が写すと息を吹き返すだけでなく、その中に虹が現れ、美しさも増す。
是非、一度覗いてもらいたいブログである。

⇒ Nepal Kyanite ヒマラヤの青い石

ナザール・ボンジュウ、その後?

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日頃、アクセサリーを身に付けない私がアップしたこの写真は、

ムラトさんのお母さまから戴いた、トルコのお守りナザール・ボンジュウである。


実は、5月に貰ってすぐ失くした(苦笑)ナザール・ボンジュウについて、まだムラトさんに告白していない。

なのに、またも貰ってしまったのは、
「是非、picchuに!(トルコでは親しい間柄では名前の末尾を略する)」と、先月 帰省した彼に持たせてくれた、彼のお母さまの愛情を感じたからだ。

(なのに、その息子を外国で捨ててしまってごめんなさい!)


前の(失くした)ブレスレットもそうだったが、お母さまが選ぶデザインは何気に私好み。

ザルツブルク中央駅前のカフェに座り、早速 首に掛けてみる。



なのにだ。

なのに、またもすぐさま鎖が切れる。
いくら手先が器用なムラトさんでさえ、繕えない場所がぷつんと切れた。


まぁ、その犯人が私ではなくムラトさんだったのが救いであるが。(笑)


「大丈夫。肝心なのは、災いを跳ね除ける青い目玉とコーランだから。」と当の本人はけろっとしている。

しかし今思えば、鎖が切れたのは、モスタルでの大事件をすでに予言してのことかも。



筒の中には、コーランが書かれた青い紙が丸まっている。

青い目玉だけでもプレッシャーだったのに、今度はコーラン付き、、、。
ますます責任重大だ。


身につけてまた失くすより神棚へと思ったが、いやいや これまでお世話になった氏神さまがアラーの神に負けそうだ。

喧嘩にもならない力の差が予想される、たぶん。(苦笑)
だって怖そうだもの、アラーの神さま。



神さまどうし仲良くしてくれれば、人間の世界も平和になるのに。。。。。

それも、たぶん。



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こちらは、世界を股に掛ける わが大親友 K美嬢から届いたトルコのチョコレートと、気分だけトルコ紅茶。

わが友、「トーマスクック」

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一ヶ月間、常に私の足元にあり、ヨーロッパ大陸を私よりも近い場所で感じていたのが このスニーカー。

それは、ちょっぴり奮発したカンガルーの革製品で、柔らかい生地は決して靴ずれすることなく、無職な主人に対して実に誠実で働き者だった。(爆)

今日、やっとそれを磨いてあげることができた。
ヨーロッパの土を落とすのが惜しい気がして、半月以上もそのままにしておいたのだ。(苦笑)



そして、それと共に旅の大活躍者だったのが「トーマスクック」君、言わずと知れたヨーロッパ鉄道時刻表である。


今回は、出発直前に届いたトーマス君をそのまま鞄に押し込んで旅に出た為、ルート選びと時間割にのみ重点を置いたが、

前もって彼をじっくり読み込んでおけば、旅は一層充実したものであったろうと、それは今後活かすものとする。

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それでも、当初の計画はどこへやら、すでに10日目から行き先不明であった私にとって、この時刻表は大いに活躍してくれた。

地図を読むように、いつもトーマス君とにらめっこだった。
国境越えの場所を、駅舎の絵でもって表していることも有難い。


今も何気に手にしてみると、またも私を旅へといざなう。


特に消化不良で終わった旧ユーゴへの思いは、自分でも驚くほど膨れ上がっている。

ただ、今の自分では まだ訪れるに等しい器でないことを その場でもって理解できたので、これから先の課題が山積みなのだが。


今、最も懐かしいのがベオグラードだ。
一番、私がしんどかった場所。
なのに、一番先に浮かび上がってくるのが、あの切ない風景であり、重い空である。

そして、サラエボ。
ここだけムラトさんと二人で観光したのだが、次回は時間を掛け、一人でじっくり向き合いたい。

そして、今回パスしたマケドニアもやはり気になるし、時代が許せばコソボにも立ってみたいと思っている。


*


実は、きちんとガイドブックや外務省のホームページを開いたのは帰国してからのこと。

そして、少しニュアンスが違うかもしれないが、知らぬが仏・見ぬが秘事という故事をしかと噛みしめている。(笑)


特にサラエボは、一つの町の中にクロアチア人・ムスリム人の連邦側とセルビア人共和国が今なお別々に存在し、その見えない境界線上を越えないことが最低限の安全であった。

そんなことも知らずに自家用車でサラエボ入りした私達が、気軽に町を散策し、何のトラブルにも巻き込まれなかったことは、単に運が良かったのかもしれない。



だが、それでは旧ユーゴにいつまでたっても近づけない。


現在、比較的治安が落ち着いている旧ユーゴであるが、未だ戦犯逮捕作戦も進行しているのだそうだ。

そういえば、ボスニア紛争時の大量虐殺における法廷も終わりを見せてはいない。
つい先日も、ベオグラードで公判があった。


傷痕は建物だけではない。人々の心における過去の傷痕だけではない。
まだ現在進行形の問題が、地雷のごとくあらゆる場所に潜んでいる。

勉強不足で飛び込んだことを改めて恥じた。


クロアチアからセルビア入りする時も、その逆の時も、
それぞれの国境駅の、不愉快に感じた まるで地雷探知機のような道具での荷物検査でさえ、よく考えれば当前のことだった。

これまで、国境意識、民族意識があまりにもなさすぎたのだ。



次はもう少しましな旅ができるかな。

できるといいな。


今もトーマスクックを捲りながら、ベオグラード・サラエボ間の鉄道ルートを思い描いている。


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私も欲しい、ディアンドル。

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これ(↑)は、ミュンヘンではなくザルツブルクのお祭りで撮ったものだが、

ドイツ南部のバイエルン州やオーストリアはチロル地方などの伝統行事に欠かせないのが、彼らが着ている民族衣装であろう。


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活気あるオクトーバーフェストをより一層 楽しく見せるのも、これら民族衣装のおかげであるし、

これなくしてはオクトーバーフェストはあり得ないと言えるほど、思いっきりジョッキ風景に同化している。


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「picchukoさんも一着買ってみたら?^^」
そういうsuhさんは、お顔を明るく見せる赤いキュートなエプロンが印象的なディアンドルを身に付けていた。


この民族衣装、

逞しい男たちが着る肩紐つきの皮製半ズボンをレーダーホーゼン(Lederhose)といい、

広い襟ぐりの、ホックか紐で締め上げた袖なしの胴衣に、半袖の白いブラウス、それにスカートとエプロンという女性のいでたちをディアンドル(Dirndl)というらしい。

あ、同じアルプスでも、ハイジの着るスイスの衣装は少し違う。



本当は、私も欲しいと思っていたのだ。(笑)

以前も書いたが、ザルツブルクにもこの民族衣装を扱うとても素敵なお店があって、
店先に飾られた数々のディアンドルを、これまで私はいくつ写真に納めただろう。


自分で言うのもなんだが、数ある世界の民族衣装の中で、たぶん私が一番(唯一(笑))似合う衣装だと思っている。
だって、どう逆立ちしたってサリーやチャイナドレスは無理であろうし、フラダンス衣裳なんぞ着たもんなら、それこそ冗談になってしまう。(爆)


「最近の流行は、スカート丈が膝上辺りなんだけど、少し前は超ミニが流行ってね~。
私はそれより随分前の、ロングが主流の時に買ったものなの。」

ちょっぴり短めのスカートを穿く若い女性が多い中、踝まで隠す衣装のsuhさんは、逆に慎ましくて愛らしかった。


あまり流行を感じさせないディアンドルであったが、そう言われてみれば、意外と個性豊かでもある。

それら衣装を見比べるだけでも、オクトーバーフェスト会場や、期間中のミュンヘン市内歩きはたまらなく面白い。


そして、夢膨らむ。(笑)

私は少し長めか、膝下辺りの丈がいいな。


そして、色々観察していると目も肥えてくる。

ミュンヘン近郊のバイエルン州と、そのバイエルンから僅か10kmしか離れていないザルツブルクの衣装とでも、趣向の違いを若干感じる。

私はやっぱりザルツブルガーデザインが好き。


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今すぐにでも買いたい衝動に駆られたが、" ちょっと待て、それを日本で着るつもり?"
たまにしか顔を出さない、もう一人の冷静なpicchuko嬢(?)に止められた。(笑)



でも、欲しい。

とりあえず、すでに一着 目を付けている。

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これぞ、オクトーバーフェスト!

今日は一日中、町のあちこちで笛や太鼓の音が響いていた。

秋晴れの清々しい週末、お祭りにはもってこいの日和だった。


だが、私の気分はラーベ氏のまま。
お祭り気分も、一足先にミュンヘンですませている。(笑)


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ミュンヘン行きをsuhさんにメールする時、私は深く考えずに「30日はどうですか?」と提案した。

その日がマックス・ラーベ氏のコンサートであったことも幸運だったが、

もう一つ、ちょうど世界最大のビールのお祭り・オクトーバーフェストが開催中というのも、これまたツイていたとしか言いようがない。

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なぜなら、これぞミュンヘン! これぞドイツ!という姿を、

日頃のうっぷんを力強く吹き飛ばす、ドイツ人ならではの気質を生で感じられたからだ。

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なんという盛り上がりだろう。


大きなジョッキを掲げる男たちの、太く逞しい腕にほれぼれしながら、力強いドイツを肌で感じ、お腹の底からふつふつと湧きあがる興奮を感じていた。

このダイナミックさ。


ウォ~、ウォッウォッウォ~。 地響きのような太く大きな男たちの声が会場を覆う。

ノリのいい音楽に、私だって負けずに踊り出したい気分だった。

う~、たまらないっ!

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今じゃ、世界各地でこのオクトーバーフェストの真似事をしているらしいが、

この骨のある空気は、ドイツでなければ出せないだろう。


そして、その空気だからこそ余計にビールも旨いはずだ。

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・・・はずだ。 そう、私はビールを飲んでいない。(笑)



「ごめんね。ビール飲みたいでしょうけど、ちゃんと席に着かなければビールを注文できないのよ。」

せっかくのビールの祭典なのに、、、という思いからか、suhさんは申し訳なさそうに言う。


十万人を収容できるほどの会場とはいえ、とっくの昔に満席である。

この盛り上がりを止められるものはない。


「ううん、私、そんなにビール好きじゃないし、この輪の中にいるだけですごく楽しい!!!」

それはsuhさんに気を遣ったのではない、その時の私の一番正直な気持ちだった。

それに、こんな派手な祭りにおいても、その律儀さがなんともドイツらしいではないか!(笑)


「あ、でもソーセージは食べたいかな。」 これも私の本音である。


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「えっ? もう食べっちゃったの?」

ただでさえ大きな目を、ますますまん丸に見開いて、suhさんは言った。

「え"? 全部食べっちゃったの?」

「食べちゃいました~!!!」 口の周りについた油を拭いながら、私は満足そうに答えてみた。

「あのソーセージ、50センチもあったのよ!」と、やっぱり驚きを隠せないsuhさん。


「え"?」

ショックのあまり、次に問い返すのは私の番であった。。。(笑)




より大きな地図で 2012.09.30 Salzburg - München を表示

pikoさま、ご招待☆

いきなり旅のクライマックスから書くのもどうかと思ったが、興奮冷めやらぬうち、したためておこう。



この旅で、私は信じられない幸運に恵まれた。

本物のジェントルマンというものに間近で接したのだ。 しかも、VIP待遇で?!


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「さて、30日ですが、実は私、ミュンヘンに行く用事があるのです。
大好きな、マックス・ラーベさんのソロリサイタルで、コンサート前にCDを持って会場の裏口で待機する予定です(照)。」

これは、私のブロ友第1号であるsuhさんから戴いた9月21日付けのメールだ。


ドイツ在住の彼女に、私はクロアチアのスプリットからメールを送っていた。

同じヨーロッパ、ましてミュンヘン近郊滞在を考えていた その時の私は、彼女に会いたい、そう思ったのだった。
ちなみに、今年5月にもお会いしている。


「観光はpicchukoさん お一人でも大丈夫だと思いますが、ワイマールの栄光時代の歌を艶やかなバリトンで歌い上げる紳士なマックス・ラーベさんを一緒に待ちませんか…。」


そのラーベさんをご存知だろうか?

私は彼女の以前のブログで知っていた。
モノクロで写し出された彼から、どこからとなく古き良き時代の品格と色気(笑)が漂っていたのを覚えていた。

ワイマールの栄光時代。

艶やかなバリトン。

上質なワインの酔いを連想させる彼のステージを頭に浮かべ、そのラーベさんをまちぶせするという 彼女の誘いに飛び乗った。


*

9月30日、午後2時。
ミュンヘン中央駅で待ち合わせた私達は、その足で地下鉄に乗り、コンサート会場へと向かう。

「その会場もちょっと素敵なの。^^」
suhさんは冷静に見えてはいたが、きっと胸弾んでいたに違いない。
ちょうどミュンヘンはオクトーバーフェストの真っただ中で、年下の私が言うのは失礼かもしれないが、バイエルンの民族衣装に身を包む彼女はなんとも可愛らしかった。



会場の右奥手にある関係者入口で、ラーベさんの到着がまだであること、ここから入って来るという確実な情報を得たsuhさんと共に、2時間ほど待ったであろうか。

背の高い細身の男性が、颯爽と目の前を横切った。
小さなスーツケースを引きながら、まるで鼻歌でも歌っているかのような風情で。

「ラーベさん!」
suhさんが声をあげた。

彼女の声で、私も「あっ!」と思う。
たった一人で あまりにもさりげなく目の前を通ったものだから、私は普通に見過ごすところだった。(笑)


彼は「荷物を置いてくるから」と会場に入り、再び現れた時には手にサイン用のカードを持参していた。

3人揃って石段にしゃがみ込み、「綴りはこう」と私達それぞれの名前を手持ちのレジ袋に書いて示す。
彼はそれを見ながら写真にサインをし、同じくsuhさんが準備していたCDにもさらさらっと記入した。


まちぶせのファンは私達だけ。 完全に彼を独占だ。

suhさんは流暢なドイツ語で彼と話し、私も何か一言をと「今度、広島か大阪にも来てください。」とお願いしてみた。
当然のこと四国は無理であろうと この2都市をあげた。

「大阪と東京には行ったことあるよ。」
そうなのである。 彼はすでに2回の来日公演を果たしていたのである。


握手をし、一緒に写真を撮った後、

「コンサートには来てくれるの?」とラーベさん。
「もちろん行きます。 あ、彼女はザルツブルクに帰らなくてはならないので、コンサートには出ません。」

suhさんの返事もドイツ語なので、たぶんそんなことを言っているのだろうと想像して聞いていた。
CDに書かれたサインのインクが早く渇くよう、サイン入りカードでパタパタと扇ぎながら。(笑)



「ちょっと信じられない出来事だったね。」



興奮する二人を前に、もう一度姿を現したラーベさんが私に問う。
「コンサート、聴きたい?」

「後ろの方の、あまりよくない席だけど。」

一瞬、脳裏に帰りの列車が気になったが、思わず「Yes!」と答えてしまった。


だって、例えファンであろうとも、見ず知らずの私達にこんなにも親切に接してくれた彼の歌声、
チャンスがあるのなら、是非ともと思うのは当然であろう。
(ちなみに この時点まで、私は彼の歌声すら知らないエセファンである。)


「ちょっと待ってて。」そう言って、またも会場に戻るラーベ氏。

次は手にナプキンを持って来た。

pikoで席を取っているから。 当日券引き換えの場所で名前を言えばいい。」


piko? 
picchukoと覚えられずに、彼の中にはpikoとインプットされていたらしい。(笑)


「あ、お金は要らないから。」と彼。


そう言って、来た時と同じ、颯爽と会場を去って行った。

数十メートル先で振り返った彼に、大きく手を振る。

彼もそれに応えて手を振る。


あ、この写真の信号待ちしている男性がラーベさん。(写真はクリックで大きくなる)
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さて、こんな素敵な劇場がコンサート会場であった。

後でガイドブックを見て知ったが、ここはプリンツレーゲンテン劇場(Prinzregententheater)といって、ミュンヘンでも指折りの劇場だ。

白亜の外観、そして それこそワイマール時代を彷彿させてもおかしくない趣きある内観である。

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コンサートを前に会場についた私は、ふと思った。

まさか これはラーベさんによる上質のジョークで、実は席など用意されていないのではなかろうか?

いやいや、もしかしたらステージの袖に罰ゲームのような席が設けられているとか?


想像して笑いの止まらない私に、
「もしかしたら、座った瞬間、ブーッって大きな音が鳴ったりしてね。(笑)」と、suhさんも負けてはいない。^^


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「pikoね。聞いてるわ。」

本当に席はあった。しかも、本当にpikoの名で。


しかも その席は、なんと前から3列目のほぼ中央であった。

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これまた後で知ったことだが、

実はマックス・ラーベ氏は、ドイツでは知らない人はいないと言い切ってもいいほどの大スターであった。



改めて、suhさんに大大大感謝の気持ちを贈りたい。

もちろん、マックス・ラーベ氏にも。



より大きな地図で 2012.09.30 Salzburg - München を表示

世界地図を広げてみる。

さて、気ままに話を進めていくが、

前述した I石家のY郎くんが大の地図好きだということも、過去のブログに書いた。

先日も、ライトで浮かび上がる お気に入りの地球儀を眺めるY郎くんに、I石ママは私が巡った国の位置を尋ねようと、一瞬思ったらしい。

だが、サンタの葉書を思い出し、慌てて言葉を呑む。(笑)


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Y郎くんの地図好きは小学校に上がる前からのことで、それを知って以来、私も時々 海外の本屋を覗くようになった。

珍しい世界地図はないかな、と。


だが南半球でもない限り、日本のそれとは変わりなく、ただ地名が現地の文字に変わっただけだ。

というよりも、店員による監視の目が厳しく、おちおち見比べもできやしない。(苦笑)

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そんな中、ある時から私は、海外の地図において日本の領土がどう示されているかが気になり出した。

で今回、店員の視線を感じながらも、セルビアのノヴィ・サドとオーストリアはザルツブルクの2つの町で地図を広げてみた。


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オーストリアでは、国境問題がはっきりしない箇所は色を違えてあったり、2つの国名で記されてあったりと、それぞれの国への配慮が見られる。

例えば、北方領土はどちらつかずの白色で塗られ、竹島は「Dokdo/Takeshima」、日本海は「Japanese sea/East Sea(ドイツ語表記で)」というふうに。

この二つの表記を見て少し可笑しかったのが、日本名と韓国名のどちらを先に記すかということにも気を遣っているらしいということ。
それは私のいらぬ考えか、それは分からないのだが。



では、セルビアはというと、こちらははっきりしている。
北方領土は完全にロシア領として描かれており、日本海はそのまま「Japanese sea」のみであった。

ちなみに、竹島と尖閣諸島は島自体が描かれていない。(笑)


セルビアとロシアの関係は詳しくないが、コソボを独立国と認めるかどうかについてを見た場合、その両国の距離感が分かるような気はする。

セルビアがコソボの独立を認めないうちは、ロシアもコソボを独立国とは認めない、そうはっきり言い切った。

なので、ロシアの地図も、北方領土がロシア領であることはもちろん、コソボはセルビア領として表されていることは当然のことと予想つく。
もちろん、セルビアではコソボは支配下のままである。


逆にオーストリアは日本と同じくコソボの独立を認めており、そこにはきちんと国境線が引かれていた。


たかが地図なのだが、その国の国際的立場などが面白く反映されていて、

時代別だけでなく、国別で地図を楽しむことをY郎くんのおかげで気付かせてもらった。



結局、サンタも子供達から夢や面白さをもらっているのだ。(笑)


写真は、全てノヴィ・サドの町。




より大きな地図で 2012.09.15 Beograd - Novi Sad を表示

picchukoサンタ、未だ健在!(笑)

私の『旅行記・ドゥブロヴニク&モスタル』を読んで下さった方は覚えておられるだろうか?

昨年暮れ、クロアチアはザグレブの空港から、サンタに成り済ました私が送った一通の葉書のことを。

送り先は、前職場でお世話になった I石氏の次男坊・Y郎くんだ。

→ ('11.12.31日記) ・ ('12.01.14日記)


昨日、1ヶ月半ぶりに Y郎くんのママ(以下、I石ママ)と会った。

旅話のクライマックスは、やはりムラトさんとのいざこざであろう。(笑)
そして、もう一つ。

picchukoサンタの続編である。

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旅先からもアップしたポストイナ鍾乳洞

8500以上ものカルスト地形の鍾乳洞を持つスロベニアの、代表的な観光地である。

規模はヨーロッパ一、美しさは世界一とも言われ、その日(9/11)も数えきれない観光客でいっぱいだった。


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本当のところ、首都リュブリャーナから列車で1時間以上も掛かる辺鄙な場所、なんとなく面倒で、行こうか行くまいか迷っていたのだが。

前日に参加したツアーで知りあったインド人カップルより「是非とも!」と勧められ、
しかし、さほど期待もせずに行ったせいか、余計にその美しさ、見事さに驚きを隠せなかった。

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内部は撮影禁止なのだが、至るところでシャッターを切る観光客の多さに、私も一度だけ誘惑に負けてしまう。

それはブリリアント鍾乳石という、この鍾乳洞内でもとりわけ目立つ存在の、ポストイナのダイヤモンドと呼ばれるものだ。

もちろん、ここだけでなく、その全容をカメラに納めたい衝動をひたすら押し殺さなければならなかった。


ただただ自然が生み出す大芸術に圧倒され続け、この感動を今すぐにでも誰かに伝えたい、そう思った。



歩いて見学できる最終地点の、コンサートホールと呼ばれる場所に着いた時、洞窟内から葉書が投函できることを知る。

そこは、高さ40mもある鍾乳洞内一の空間で、約10000人も収容可能な広さを持つホール。
6秒間ほどの残響があり、実際にコンサート会場としても使用されている。
天然のシャンデリアの下、ダンスパーティーだって大いにありだ。


ますます感動を抑えきれなくなった私は、サンタ計画続編を思い出す。

この旅に出る前、「向こうから季節外れのサンタ葉書を出すから」と I石ママに言ったことを思い出したのだ。


その時はサラエボから送ろうと考えていたのだが、この感動こそ伝えよう。

地球の凄さを、この神秘さこそを伝えよう。

私はペンを走らせた。


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投函してから10日近く経ったある日。

スプリットの港でぼぉ~っとカモメを眺める私に、I石ママからメールが届く。

「Y郎にサンタの手紙ありがとう。 
大事にしまってたから、私が知るのは時間差がありました。
学校の日記に、一番の宝物……と長々と興奮気味に書いてました。」

*

昨日もその話に花が咲く。

どうやら、Y郎くんはあの葉書を友達に見せに学校まで持って行ったのだそうだ。

今は机の奥底に、大切に仕舞ってくれているという。


ピュアな小学5年生の男の子。

私としては、サンタクロースをずっと信じてもらいたい気持ちは大きいが、この先のことを考えると少し心配もある。

だから、葉書の最後に「君だけのサンタより」と、ちょっとだけヒントを与えておいた。


だが きっと、彼はまだ純粋にサンタクロースを信じ続けているだろう。




より大きな地図で 2012.09.11 Ljubljana - Postojna を表示

気になるシリア上空。

帰りのミュンヘン発ドバイ行きの飛行機の中で、ふと思い立った。

この飛行機、大丈夫なのだろうか?

飛行機の機体に異常があるというわけではなく、飛行ルートが気になったのである。
それは、すでに時差ボケの前兆だったと思われる。(笑)


しかし、確かに行きはシリア上空を飛んだ。
まさか この飛行機、シリア軍によって撃ち落とされたりはしないよね?!(爆)

* * *


現在、緊迫を続けるシリア対トルコ。

そして、その緊張を一層高めたのが、10月3日のシリア側によるトルコへの越境砲撃であろう。

そのニュースを、私はドイツのアウグスブルクという街において、ほぼリアルタイムで知っていた。


ちょうどその時、トルコの現地ニュースを流す とあるトルコ料理店で、私は食事をとっていたからだ。
ムラトさんと彼の友人アランとの3人で。


トルコ側が直接流すその映像は、他の国を経由するよりも激しいものだ。

ムラトさんに限らず、レストラン内の大勢のトルコ人がテレビに釘づけであったことは言うまでもない。



と ここで、「え?ムラトさん?」と思われた方もいらっしゃるであろう。

実は、、、

ちょっとお恥ずかしい話、最後の最後で仲直りをして帰って来たのだ。(笑)


本当は、10月1日まで私は怒っていた。
彼に対し、訳もなく腹が立っていた。

ところがだ。

これもヨーロッパの甘~い空気のせいであろう。
長期で一人旅するには、ヨーロッパはあまりにも刺激的で淋し過ぎた。

そんな私の心の隙間に忍び込むように、ホーエンザルツブルク城塞は優しいまなざしで語りかけて来る。
「日本へ帰ってからだと、もう取り返しがつかないよ」と。


正直、ひとつだけ気になっていたことがあった。

それは、私にモスタルで捨てられた彼が殆ど無一文(無一セント?笑)であったこと。


9月半ばまでトルコに帰省していた彼は、私とザルツブルクで落ち合うため、残りの手持ちを全て叩いて駈けつけて来てくれたのだった。

ビザカードも手元にはなく、僅かな小銭もザルツブルクで姿を消し、
だからザルツブルクからサラエボまでの高速代などは全て私が負担した。

ちなみに、高速・ガソリン代とボスニア入国の際に掛かった費用の合計は150ユーロ弱、ホテル代80ユーロ弱。
全てといっても3万円にも満たないのだが。


あの後、彼はどうしたのだろう。
無事にドイツのアウグスブルクまで帰れたのだろうか?
モスタルからアウグスブルクまで、優に1200kmはあるだろう。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは個人の車での入国の際、パスポートを取り上げられ、ムラトさんは別室へと呼ばれた。
出国時も難しいことになってやしないか?

それらが頭を巡る。

私は、本気で彼のことが心配になってきた。

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そんな私を、オペラ『魔笛』の登場人物パパゲーノの像は呑気な顔で見下ろしていた。
像の前にあるベンチに腰を降ろし、私は彼にメールを送った。

「今、どこにいるの? 連絡ください。」


その後も何度か電話するも全て留守電になっており、

結局、私はアウグスブルクの彼のアパートまで訪ねることに決めたのである。


喧嘩の内容がどうのこうのではなく、あの捨て方はなかったよなと。

謝ろう。

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10月3日。

その日は、22年前に東西ドイツが統一を果たした日で、ドイツ国内は祝日であった。

私はアウグスブルクに到着して早々、市庁舎前から電話をした。

「picchuko? 今、アウグスブルクのどこに居るんだ?」
はじめは怪訝そうな声で答えた彼だが、私がアウグスブルクに居ることを知ると声を和らげて聞いてきた。

私は彼も怒っていて当然だと思い、本当のところ、少し怖かった。
なので、思いがけない優しい声に、一瞬、ひるむ。


そして、知った。
彼はその前日に、スプリットから戻って来たばかりであったことを。

無一文の彼は、親友オザールに連絡をし、オザールから送られてくるお金をスプリットで待っていた。
モスタルからクロアチアへ出て、スプリットでガソリンがなくなったのだそうだ。
10日間以上、そこで足止めしていたという。

彼から逃れようとスプリットへ向かった私は、結局、彼と同じ町に居たことになる。


ごめん。 私は何度も謝った。

が、彼を気の毒に思う反面、ちょっぴり可笑しくなっていた。




あ、そうそう、話は大きく逸れてしまったが、

ミュンヘンからドバイへの飛行ルートは、トルコから直接イラクへと入り、シリア上空を飛ぶことはなかった。

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より大きな地図で 2012.10.03 Salzburg - Augsburg を表示

picchuko版・中欧8ヶ国周遊マップ

かなりアバウトだが、旅のルートを直線で表してみた。

(距離数も直線距離)

大阪⇒ドバイ⇒中欧8ヶ国⇒ドバイ⇒大阪 : 29,601km

中欧8ヶ国周遊 : 5,293km
実際は陸路なので、この2倍ほどになると思う。



<picchuko版・中欧8ヶ国周遊マップ>


より大きな地図で 中欧8ヶ国 を表示


* Googleマップの作成は初めてで、かなりの労力(?)と時間を費やしたのに、こんな失敗作。(苦笑)





写真は、セルビア第2の都市、ノヴィ・サド駅正面。

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私達、日本人で良かったね。

ザルツブルクを発つ直前、私は大学時代の友人Y野くんにこんなメールを送った。

10月5日が、彼の誕生日だったからだ。


「Y野くん、お元気ですか?
お誕生日、おめでとう。

私は8月末で退職し、一ヶ月間ヨーロッパを旅してました。
今日、ドイツのミュンヘンから帰国します。

今回、ドイツ、オーストリア、スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、スロバキア、ハンガリーと8ヶ国も周遊しました。
色んな民族がいて面白かったよ。
肌も髪も瞳の色もみんなバラバラで、でもそれが普通なんだよね。

その中で、私はやっぱり日本人だなぁと実感しました。(笑)
そして、どれほど日本に守られているかということを。

Y野くん、私達、日本人で良かったね。(笑)

というわけで、39年前に日本で生まれたY野くんに乾杯です!(笑) 」



これが今の私の気持ちを最も表してるなと思いコピーしたわけだが、

この旅で、僅か一ヶ月とはいえ多民族の中に身を置いてみて、 民族や人種、宗教を超えて人間の繋がりを感じる反面、

このように自分の基本の部分、「日本人」を痛いほど、

そして、嬉しくて泣けてくるほど実感していた。(笑)



*


Y野くんといえば、彼からの言葉で一番嬉しかったものがある。

あれは、大学を卒業して2、3年後の夏のことだ。


「picchuちゃんなら、何処でも生きていけるよ。 受け入れてもらえるよ。」

いつもは口が悪くて人を褒めることを知らないような彼が、たま~に呟くように言う こんな台詞がたまらなく嬉しかったのを覚えている。(笑)



そろそろ列車がミュンヘンに到着という時、彼から返事が届いた。

「picchuちゃん、一人で知らん国によう行けるよね~。感心するよね~。」

彼も年を取った。
昔のような毒舌ぶりは、そのメールからは全く姿を消していた。(笑)



アラブ首長国連邦時間 2:20 ドバイ国際空港にて
これから搭乗、後12時間後に関空着だ。

真夜中なのに、アナウンスは「Good morning ~!」なのね。(笑)




さてさて、帰国前にドバイからクイズです。(笑)

2012-10-06 07:30:44

写真のアラビア語の意味は何でしょうか?

マークが少し写ってしまってるので簡単かも。(苦笑)

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