I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
MENU

スイスへ行こう!

さて、2006年暮れに私はスイス中央部にあるLuzern(ルツェルン)を旅して来た。

その時の想い出は、過去にブログでも綴ったことがあるので 改めないが、澄んだ湖と雪を被った山々は息を呑む美しさだった。


本当は、その年末年始の休みで英国へ行くつもりだった。
ロンドンまでの飛行機も、ホテルの手配も済ませていた。
毎朝 紅茶を飲みながら、英国やアイルランドの音楽を聴いて気分も高めていた。

だが、その年のクリスマスから年始にかけて、IL DIVOも休暇に入るという情報を得る。
もしかしたら、メンバーの一人であるUrsは 久しぶりに実家のあるスイスに帰るかもしれない、、、そんな気がしてきた。

ご存知、IL DIVOは多国籍4人組のヴォーカル・グループである。
その中のスイス人テナー・Ursにとりわけ熱を入れていた。

IL DIVOの活動拠点はロンドンだが、人混みの都会よりもスイスの方が偶然に出会う確率は高いはず、そう思い立った。


スイスへ行こう! 
思った時には、すでに手元のチケットは関空~チューリッヒ間になっていた。(笑)

でも今思えば、Ursに関係なく、昔からスイスへ行きたかったのだ。
子供の頃に好きだったアニメ「私のアンネット」の舞台もスイスであったし、
小学時代に使っていた算数の参考書「学習自在」、その見開きのページにあったアルプスの山々の写真に、私はずっと憧れていた。


Ursはきっかけを作ってくれたにすぎない。


CIMG1476.JPG
(2006.12.31)

CIMG1396.JPG

CIMG1425.JPG

CIMG1454.JPG

CIMG1457.JPG

CIMG1466.JPG
スイスの国民食とも言われるジャガイモ料理のレシュティ(Rösti)だが、2つの目玉焼きを乗せるとウルトラマンに変身する。(笑)



あ、当然と言えば当然であるが、スイスでUrsとご対面~は夢のまま。。。(悔)

スポンサーサイト

贅沢なひととき。

「picchuちゃんなら、ここへお母さんでも連れてきてあげたらいいと思って。」

一週間前も前職場の方達とフレンチコースを食べに行ったばかりだが、今日も先輩方から声を掛けて戴いた。

中には半年ぶりにゆっくりお会いできた方もいて、楽しくてあっという間の時間だった。

そして、先輩達の細やかな心配りも嬉しかった。


行き先は、四国霊場八十七番札所・長尾寺。

その本坊膳所において、月に八日程度、美しい庭園を眺めながら菜懐石や点心を楽しむことができる。

運ばれてくる料理はどれも身体に優しいものばかり。

だから、私の母にもどうかしら?と思い出してくれたのだ。
「良かったら、今度、連れて来てあげたら。^^」

美味であり上品ながらもメリハリのある丁寧な味付けに、ホント、ここなら母も喜ぶだろう。
舌鼓を打ちながら、私もそう思った。

Picture022113_134230.jpg
(写真はすべて、クリックで大きくなる)


Picture022113_122059.jpg
― 八寸 ―

Picture022113_124434.jpg
― 温物 ―

Picture022113_130040.jpg
― 油物 ―

Picture022113_132311.jpg
― 蕎麦 ―

Picture022113_133137.jpg
― 御飯 ―


先日もみんなで頷いたのだが、

職場において気心が知れ、一緒にいて落ち着ける相手というのは、不思議と自分が就職したての頃からお付き合いのある先輩方が多い。

後輩の中にも気が置けない人はもちろんいるが、新米当時 厳しく優しく指導してくれた先輩方に対しては安心感もある。

職場を離れても、自分を知ってくれた上で 今も受けとめてくれる相手がいるというのは、本当に有難いものだと、この団欒のひとときも そう思った。

Picture022113_134754.jpg
― 甘物 ―

2時間掛けてゆっくり戴いたので、お腹がいっぱいというより、お腹の底から温まったという感じ。
女4人、ぺちゃくちゃ他愛ない話に時間の経過を感じなかった。

そうそう、食事を戴いた本坊膳所も趣きある佇まいだった。 
庭には、梅にマンサク、胡蝶佗助、土佐ミズキ、、先輩から花の名前も教えてもらったが、私が覚えられたのはこれくらい。(笑)


そして、ブログにアップしようとして気がついた。

食べ物の写真しかない!

お寺ならではの落ち着きや風情を感じられる本坊、いや草花一枚 写していない。(笑)


次回、母を連れて来た時にでも、改めてご紹介できればと思っている。

旬菜とお椀の写真はもともと撮らなかった。
とろとろ写真を撮ってるうちに冷めてしまっては勿体ないと、すぐに口へと運んでしまったのだ。(笑)


あ、「働かざる者食うべからず」には、耳栓っ☆(爆)

全身、筋肉痛ということは?

「明日、太ももが筋肉痛になってると思うよ。」

昨日、介護福祉士国家試験の実技試験に向けての講習がスタートした。

それは、県の介護福祉士会が主催するもので、2時間(PM7時~9時)を10回、私の家から車で30~40分離れた老人ホームで行われている。

定員20名に対し、昨日の参加者はたったの4名。
講師も4名ということで、つきっきりの指導だった。

初日ということもあり、まずは基礎の基礎、シーツのたたみ方、敷き方、外し方から徹底的に練習。

シーツ交換なんて~って思われがちだが、意外と基礎ってできていないのだ。
しかも、ベッドに人が寝たままの状態でシーツ交換するなんて、きれいさっぱり忘れていた。

まして、私は12年以上も現場を離れているので、全てに戸惑うやら緊張するやら。
しかし、他の3名の参加者も、緊張のあまり手が動いていなかったので安心した。(笑)

というのも、介護の仕事に携わっていても、施設で働くのか在宅なのかで全く異なる。
施設であっても、介護度の重い利用者を相手にするのと、見守りが主の比較的元気な利用者を相手にするのとでも大きく違う。

現場は12年前といっても、最初の4ヶ月を特養(特別養護老人ホーム)、後の5年を重度者の多いデイサービスセンターで働かせてもらっていた私は、
現在 訪問介護や介護支援専門員をしているという他の3名よりも、実際にやったシーツ交換、おしめ交換、着脱、車いす介助等々の回数ははるかに多い。

これは、すごく恵まれていたのだと改めて気付く。
様々なベテランの先輩方を常に観察できるのも、施設の良さだ。

だが、そこには少し落とし穴もある。
諸先輩方の介護を見よう見真似で覚えたこと、それが必ずしも正しいわけではないということ。
あ、間違ってるという意味ではない。

今回の講習では、国家試験に向けてという前に、明日から活かせる介護方法をみっちりと指導してくれる。
それは、利用者だけでなく、介護者である われわれの身体に負担をかけない介護方法ということだ。

「そんなこと、せんでもええ。 しんどいやろ?」が、先生の口癖。(笑)


無駄な動きや無理な姿勢というものは、知らず知らずに癖になっている。

長年慣れた現場では、利用者への介助や声掛けなどには気を配っても、
シーツ交換時の足の向きであるとか、腰の高さといった細かい部分まで、一つ一つ注意しあうことは少ないと思う。
あ、時間と人出が足りない!というのも原因のひとつ。

それを、昨日 徹底的に指導された。

そこで、明らかになったのが、意外と膝を使っていないということ。
これでは腰痛になっても当前だ。

先生は「太ももが筋肉痛になるだろう」と言っていたが、まだまだ無駄な動きの多い私は、朝起きてみると全身筋肉痛になっていた。
ま、忘れた頃に筋肉痛~よりはいいかな?(笑)


「腹筋と背筋、それと太ももの筋肉を付けると介護する時に楽になるよ。腰痛も防げる。」

これは介護とは関係なくても言えることだな、、、そう思いながら、聞いていた。


その流れで、こんな笑い話も。 だが、実際にあった話。

「何年か前の実技試験でね、僕もその時 会場にいたんだけど、会場に救急車が入って来たんだ。 
なんでかって言うと、受験生がぎっくり腰になっちゃってねえ。(笑)」

どうやら、その年の問題は、ベッドから降りているお年寄り(実際の試験では福祉系の学生さん)を、まず声掛けしながらベッドまで戻すというものだったらしいが、

たぶん、お年寄りを起こす時点で変な姿勢をとったのだろう。
その場で動けなくなったらしい。


その話にみんなで笑ったが、実際は笑いごとではない!!!


私も昔、職場でぎっくり腰になったことがある。
それは軽症で、自力で家まで帰れたのだが、それも笑える話。

なにも介護していたわけではない、その時 私はすでに事務職であった。
目の前に落ちていた紙切れを、ゴミ箱に捨てようとしてギクッとなった。

拾う時ではなく、捨てる時。 しかも、紙切れ。(爆)

でも、それがぎっくり腰というものだ。 
重い荷物を持つ時は、頭からすでに指令が出ている。 軽いものほど、思わぬ時ほど油断しがち。
大きな段差ではなく、何もないところで躓くのと同じ。。。


笑えない。 鍛えなくては。

もう若くない、脂肪を落とすというのも大切だが、筋肉つけなきゃ。
久々のシーツ交換 + 緊張感くらいで、いちいち筋肉痛になっていたのでは情けない。


今日は、寝たきりの利用者に対する衣類の着脱を練習する。
上から被る服と前開きの服、そしてズボンが持参物。

和気あいあいと、緊張感も取れて来た。 楽しい。

早く夜にならないかなあ。。。

続・クリスと私のバレンタイン☆

いつもクリスを撫でてくれる、とても可愛い10歳の女の子がいる。

毎日、仲良しの男の子と一緒に下校している。
今日も学校帰りの赤いランドセルに、手には紙袋。 

その男の子の家の前まで来ると、「はい!」ってその袋を手渡した。

突然のことに、男の子は何も言えない。

ちょうど裏口から顔を出したおじいさんに、「ほら、ありがとうと言わんかい!」と叱られていた。(笑)


「そっか、今日はバレンタインだもんね。^^」
それに偶然出くわした、犬を連れてるおばさんがそう言うと、女の子はほっぺたを真っ赤にしながら頷いて、

そして、恥ずかしそうに走り去った。
スカートの裾からは、折り上げたジャージがちらっと見えた。



片やおばさんは、クリスとお散歩~~~~~~。( ̄。 ̄ )))~~~

クリスと私のバレンタイン☆

まだヨンサマが居た3ヶ月程前までは、外へ出しても私の足元にまとわりつく小心者のクリスだった。

好奇心旺盛で、一瞬目を離せばどこへでも飛んでいくヨンとは違い、私の周りをぐるぐる回るだけだった。

ちょこんと首を傾げて上目遣い。
ちょっとおとぼけな表情がクリスの魅力である。(笑)


そんなクリスに変化が起こる。

一匹になり、段々と本性を現わし始めたのだ。

いや、これまでも甘えん坊で、自分の思うままに行動していたと思うのだが、

ここ最近、わがままな表情がやけに目立つ。


挙げ句に、火曜日なんか、ちょっと目を離した隙にバックするゴミ収集車めがけて走り出した。

いくらどんくさいクリスでも、夢中になると私より足が速い。
間一髪で、下敷きになるのを免れた。

「クリス! 轢かれちゃったらおまえなんか ぺちゃんこよ!」

痛いじゃないか! 
むんずとしっぽを掴まれて、不満顔したクリスに腹も立ったが、ホッとした。

あんなに私の足元から離れなかったクリスが、今じゃ好奇心むき出しで手に負えない。

「おまえも もうリードなしではお外に出られないね。」 そんな私にまた不満顔。


寝顔はこんなに可愛いのに。

Picture020213_202827.jpg


バレンタインを前に、昨日 車で小一時間掛かる大型スーパーまで買い物に出掛けた。

自分用のチョコレートと、クリスへのバレンタインプレゼントを買うために。(苦笑)


私はイタリア土産で有名な、Baciチョコレートがチョコの中では一番好きだ。
ご存知、Baci はイタリア語で Kisses の意味。
田舎なこちらでは、この時期でないと店頭に並ばない。


もう10年くらい前になるかな、親友のM子がお土産に買って来てくれたのが、Baciとの出会い。
続けてその翌年も、また別の親友K美嬢から貰った。

以来、私の中でのチョコレートNo.1はBaciになった。
あのビターな甘さ加減が私の味覚にマッチした。 ヘーゼルナッツも好き☆

それは、たぶん大好きな二人への私の気持ちもあるのだろう。
どんな高級チョコレートでも、彼女達への私の思いに敵うものはない。

そんな特別なチョコレートを今年も食べられる幸せ…☆


で、クリスへの「かぼちゃと豆乳のムース」と並べるとこんな感じ。(笑)
(注:もちろん、ムースはワンコ用である。)

Picture021413_101219.jpg

お皿に敷いたクロッシェレースのホワイトドイリーも、M子から。
「picchuちゃん、刺繍やレース編みが好きだったでしょ? これチェコのお土産よ。^^」

読んで、観た、『カティンの森』。

ちょっとまだ自分では消化しきれなくて、ここに感想を書くのはやめようと思ってた。

なのに、何らかの思いを綴らなければ次の本へ進めない。
いつまでも本棚に戻せない、机の上にあり続ける一冊があった。

そういう作品もあるんだな、と知る。

だが、読後半月以上経過しているため、詳細は定かでない。


*


それが、『カティンの森』。

随分長く積読していた本だが、わが年下の彼女(笑)、ブロ友nanaco☆さんの、映画化された同作品のレビューで読む決心がついた。


そこで彼女も触れていたが、思い出すのは 2010年4月に起きたポーランド空軍墜落事故

カティンの森犠牲者追悼式典に出席するためにロシアのスモンレスクへ向かった、ポーランド大統領夫妻と同政府要人96名を乗せた飛行機が墜落、全滅した事故だ。

私はその事故で初めて、背景にあるカティンの森事件を知る。
ニュースに疎い私がそれを強く記憶し、ざっと歴史を調べた理由は、その翌月にモスクワを旅することにしていたからだろう。

あの時、プーチン首相(当時)の冷めた目に、ロシアに対する胡散臭さをどうしてもぬぐえなかったことを覚えている。


また、その事故の3日前にも行われた式典に、ポーランド首相と共に参列したプーチン首相は、カティンの森事件について改めてソ連の責任を認めた上で、ロシア国民に罪を被せることは間違いだとし、謝罪しなかった。

その式典参列者の中に、この作品の映画監督アンジェイ・ワイダ氏もいた。

ロシア側のその態度に、その時 ワイダ氏はどう思っただろう。

ワイダ氏の父は、カティンの森事件で虐殺されている。


ひょっとしたら父親は生きている、、、
彼の母親は、ほとんど生涯の終わりに至るまで夫の無事を信じ、帰りを待ち続けたという。

彼は、この映画があの事件の真実を明るみに出すだけでなく、
カティン犯罪の巨大な虚偽と残酷な真実を、永遠に引き裂かれた家族の物語として描くことで、
歴史的事実よりはるかに大きい感動を引き起こし、祖国の過去から意識的、かつ努めて距離を置こうとする若い世代に語りかけたかったのだ。


この作品は、そう映画化されることを前提に、アンジェイ・ムラルチク氏によって執筆された。

ムラルチク氏は言う。
「独りでは、この主題を取り上げる勇気はなかったと思います。
カティンについて虚構の物語を書くと考えただけで、身が震える思いでしたよ。
でもそれが映画の原作となれば、別です。俳優が演じるわけですから、仮構も可能になるのです(訳者あとがきより抜粋)」

「ワイダと約束しました ― 彼には映画監督として独自のヴィジョンを創造する権利がある。
わたしは自著で自分のヴィジョンを守ると。
でも、映画と小説は理想的に補い合っていると考えています(同)」


私も思う。
この作品は原作を読み、映画を観ることによって、より深く理解できると。

映画の中で強烈な印象を残すのは、エンディングの、ただ淡々と、同じ血が通った人間の仕業とは思えない凍りつくような虐殺シーンだが、
片や原作では、そのような露骨な描写はなく、待ち続ける家族の痛々しい感情が細かく丁寧に記されている。
待つ女性たちに、一段とスポットを浴びさせている形だ。


それは、ポーランド将校であるアンジェイ・フィリピンスキ少佐の、母・ブシャと妻・アンナ、そして娘・ニカの物語。

ブシャとアンナは、アンジェイの生還をひたすら信じて待ち続けている。
「カティン以前」の光に満ちた生活と、「カティン以後」。

娘ニカも父との懐かしい想い出、父の誇らしい姿を忘れたわけではないのだが、彼女は父との再会をほとんど諦め、今を楽しみたいという気持ちの方が強くなる。


カティンを奇跡的に生き抜いたアンジェイの部下・ヤロスワフ大佐と、
後にニカのボーイフレンドとなる、戦時にパルチザンとして抵抗運動をしていた美術学生のユル、
この2人も物語を展開さす上で要となる人物である。

その6人の苦しみ、哀しみ、諦め、うらぎり。
ニカはある出来事から、アンナと同じ道(気持ち)を歩むこととなる。

それらを生み出したのが、カティンの森事件であり、その罪をナチス・ドイツになすりつけたソ連の嘘であり、
そして、その真相に触れることすら しばしタブーであったポーランドの弱さであった。



強国に挟まれ、常に侵略され続けたポーランド。
このカティンの森事件の直接な背景に、1939年のドイツとソ連によるポーランド侵攻がある。
さらに遡ると、ドイツ・ロシア・オーストリアの三国に分割された時代にぶつかる。


弱国ゆえの宿命か。


だが、だからといって、なぜソ連によって優秀なポーランド将校がカティンを含め1万数千人も虐殺されなければならなかったか

訳者はこう記す。

それは、ポーランドとソ連関係の「過去」と「未来」に関わると。

「過去」とは、ソ連が敗北したポーランド・ソ連戦争を根に持つスターリンが、ポーランド軍人に対して強い不快感を持っていたこと。
事実、虐殺された捕虜の多くが、ポ・ソ戦争に従軍した者だった。

それではなぜ、そのポ・ソ戦争が起こったかというと、第一次世界大戦後、ロシア革命で混乱しているソ連(ロシア)に対し、ポーランドがかつての領土を取り返すために侵略したからであった。


では、なぜそこに「未来」も関わってくるのか?

それは、ポーランドの軍人と知識人たちを抹殺することで、指導者を失ったポーランドに真空状態を作りだし、そこにソ連仕込みの連中を入れることで、


結局、いつの時代もソ連(強国)の思惑通りにされてきたということだ。


これらを頭に入れた上で改めて物語と向き合うと、もっとすんなり話に入っていけるだろうし、

映画の冒頭シーン、ドイツ軍から逃れるアンナ母娘たちと、ソ連軍から逃れてきた人達が橋の上ですれ違う、進んでも引き返しても先はないポーランド人の姿を理解できるだろう。

真実を闇に葬る為に消された人々のことも。。。




真実を知ろうとすると、いつも現れる「なぜ?」。

この「なぜ?」に歴史があり、「なぜ?」をどんどん遡っていくことが歴史教育だと思う。

答えは見つからないかもしれないが、
それを導き出そうとする過程が、今後 我々の未来に必要なこと、同じ過ちを繰り返さずにすむヒントを教えてくれると思っている。


ほぅ。。。苦し紛れにこう締めくくろう。(笑)

龍馬の目線。

昨日、早朝からブロ友さんの記事を読んでいた。

そこには、見る者の心まで華やかにしてくれる蘭の世界が広がっていた。
今、写真を撮ることが楽しくてたまらないというふる~るさんのブログだ。

日々、新しい発見を求め、自分の感性を磨いてゆく彼女。
私は生命力を与えられた写真に憧れる。

気持ち良くコメントを書きながら、急に私も蘭の花と触れ合いたくなってきた。



高知へ行こう!と思い立った。


高知県出身で、"日本の植物界の父"と称される牧野富太郎氏の業績を記念して建てられた広大な植物園が、高知市にある。

その牧野植物園において、毎年2月に温室でラン展が開催されることを知っていた。


それに、つい先日の母の話を思い出した。
「今、龍馬像が貸出されているそうよ。 で、その間、龍馬と同じ目線から眺められるようにしてるんだって。」

龍馬の目線か~。 

ついでに、遠くアメリカでも眺めて来るか!(笑)


そんなことを考えながら、高速を飛ばした。


ソロモン諸島の地震による津波注意報はすでに解除されていたが、まずまずの高波。
駐車場では「波打ち際には近づかないでください」というビラを渡され、桂浜中に聞こえるよう放送もしていた。

打ち寄せる波の音を聴きながら、本来 龍馬像が建っている高台へと向かう。

Picture020713_141125.jpg

お馴染みの風景と広がる水平線に、桂浜に来た!と気持ちが高ぶる。
そして、自分の体に流れる土佐の血が騒ぎ出した。(笑)

Picture020713_140551.jpg

もうすっかり春めいた潮風を頬に感じながら、目的地へ歩を進めた。

 ・
 ・
 ・

あれ? 龍馬がいる!

「あんた、なんでいるのよ?」という私のトボケた顔に、「いたら悪いのかよ」とでも言う表情で見降ろす龍馬像。

「あんた、どこかに貸し出されたんじゃなかったの?」
ふてぶてしい龍馬の顔に、思わず私もむっとした。
だが、私が腹を立てたからといって、龍馬が場所を譲るはずもない。
仕方なく龍馬目線は諦めた。

なので、残念だが龍馬目線の写真はなし。
偉ぶる龍馬像の写真も逆光のため却下!

代わりに、横綱の土俵入りを撮ることにした。 500円也。
Picture020713_143625.jpg

Picture020713_144128.jpg
生後4ヶ月という、幼く見えない幼い土佐犬にも会って来た。

龍馬よりイケメンじゃん! ちょっとやけくそ。


家に帰って文句を言った。
「桂浜に龍馬いたじゃん!」

「え? 私、桂浜って言った? 貸出されてるのは高知駅前の龍馬像なのに。」

「もうっ! 龍馬像って言ったら桂浜に決まってるじゃん! 桂浜って思うじゃん!(><)」 
思いっきり八つ当たり。(苦笑)


あ、私、蘭を見て来たはずだった。 なのに蘭のことなんか忘れてしまったのも龍馬のせい。

牧野植物園ではこの17日まで、珍しい青い蘭の花も楽しめる。

Picture020713_122815.jpg

Picture020713_122916.jpg

Picture020713_122657.jpg

picchukoの正体。

大学時代、中国からの留学生、露さんにこんなことを言われた。

「picchukoさん、砂漠へ行ったことある?
もしまだだったら、人生観 絶対に変わるから、一度は必ず行くといいよ。」

その時は自分が外国と縁があるとは思っていなかったし、日本を出たいと思ったこともなかったので、ふ~んって聞き流してた。


だが、それから8年後、モンゴルはウランバードルへ飛ぶ途中、飛行機の窓からゴビ砂漠を見た。

それが生まれて初めて見た砂漠だったと思う。

露さんはこの砂漠を見て人生観が変わったんだろうか?
砂というより、乾燥した茶色い大地を見降ろしながら、彼を思い出していた。


二度目に思い出したのは、さらに1年半後、オーストラリアへウルル(エアーズロック)を訪ねた時のことだ。

それが、私が初めて降り立った砂漠だった。
オーストラリア大陸の中央部に広がるシンプソン砂漠だ。

どこまで車を走らせても延々と続く赤土の砂漠。
ドライバーのスコットは、大きなフロントガラス越しのパノラマに、「ごらん、これが僕のオフィスさ!」と自慢した。

確かに、凄い!と思った。 
しかし、その時はまだ露さんの言う「人生観を変える」ところまでは感じなかったように思う。


それからしばらく、私は砂漠へ行くこともなかったし、彼の言葉を思い出すこともなかった。

それが昨年の暮れ、NHK紅白歌合戦を見て思い出した。

MISIAである。


摂氏50℃のアフリカはナミブ砂漠から、民族衣装を着たMISIAが熱唱した。


砂漠が凄いのか、彼女が凄いのか、


その時、私は露さんの言葉のほんの一部をやっと理解できた気がした。

人生観を変えるほどの感動は、心が感動するレベルではない、魂が震えるんだということを。


しばらく邦人歌手の曲を聴かなかった私が、それを機に彼女のCDを買った。

2月20日まで待てばデビュー15周年のベストアルバムが発売されるのだが、それまで待てなかった。


彼女の描く詩も、彼女の歌唱力も素晴らしい。

地球を感じるし、宇宙を感じる。

とりわけ気に入ったのが、『飛び方を忘れた小さな鳥』。

今日ご機嫌だった私は、お風呂に入りながら歌っていた。


そして、気付いた自分の正体。

そっか、私って地球人という宇宙人だったんだ。(爆)

地球も太陽系も超えた大きな銀河系という船に乗ってる自分が想像できた。



空を翔ける飛行機 窓から見下ろす雲は雪のよう
あなたの住む場所へと向かって この心は揺れています

季節も時間も 全て変わっていく
ねえ見てよほら オリオンが地平線に輝く

飛び方を忘れた鳥のように 僕は何かを見失って
傷ついたその場所から生まれ出た 痛いほどの幸せを見つけた

すり抜けていく幸せ程 儚い夢とは知らずにいた
すれ違いや憤りに そっと瞳をそらしていた

季節も時間も 追いかけてみよう 
ねえ見てよほら 太陽が昇る淡い空を

飛び方を忘れた鳥のように いつか何かを見つけたなら 
気がついてその場所から生まれ出た 痛いほどの幸せに きっと

飛び方を忘れた鳥のように 僕は何かを見失って
傷ついたその場所から生まれ出た 痛いほどの幸せに 今 気付いて



*You Tubeで見つけた、トルコ人が歌う『飛び方を忘れた小さな鳥』
不覚にも、出だしに一瞬だけ笑ってしまった。。。

結局 観てきた『レ・ミゼラブル』。

前評判の高い映画は、正直苦手な私。

天邪鬼な私は、ついケチをつけたくなる。(笑)
というより期待しすぎるのかな、その時は感動したつもりでも、心に残る作品はわりと少ない。

だから、現在上映中の『レ・ミゼラブル』も見に行くつもりはなかった。


けれど ある日のこと、スマホがメール受信を伝えた。

「picchuちゃん、最近なにしてる?
私は、先日 久しぶりに映画を見に行きました。 レ・ミゼラブルです。
picchuちゃん、おススメですよ。 ミュージカルだけど、曲が良いわぁ、と思ったの。
picchuちゃんに伝えよう、と思ってメールしたの。」

岡山に住む親友M子からのメールだった。

M子と私は非常に好みが合う。 
男性以外は、彼女が良いと言ったものは大抵 私も気に入る。

M子が言うならと、ちょうど目の前にいた母に声をかけてみた。

『レ・ミゼラブル』なんて洋物、本を読まない母は知るまい。
そう思い、ちょっとふふんって感じで誘ってみた。

「知らないと思うけど、昔 日本では『ああ無情』って題名で有名な作品が映画になってるんだけど …」
ここまで言った時、母が私の言葉を遮った。

「あ、レ・ミゼラブルでしょ。 母さん、中学2年の時に舞台を観たことあるのよ。」
「へ? だって母さんが中学生の頃っていったら、、、」
「そうそう、戦後3年くらいだったけど、母さんが通ってた女学校の講堂が、当時県下では珍しく設備が整ってて、そこで上演されたのよ。」

なんか、無性に悔しくなった。
「じゃ、観に行かなくていいのよね!」
「そんなこと言ってないじゃない。 もちろん観るわよ。」


こんな感じで、結局 観に行くことになったのだ。(笑)


* * *


泣ける話ということだが、私は映画や舞台を観て、そう簡単には人前で泣かない。

とりわけ男女や親子の情を誘う話ほど、意地でも泣かない。(笑)

なんか自分の過去や心の内を覗かれるようで、変に見栄をはってしまう。


だが、そんな私でもホロロとくるものもある。

それは、健気な動物ものと、、、
このレ・ミゼラブルのように、自由を求めて立ち上がる民衆の姿だ。

そうなると、ホロロではすまなくなる。

自由・平等・博愛を表す三色旗がはためくだけで、胸が熱くなる。

そういえば高校時代、再放送された『ベルサイユのばら』で、三色旗を掲げたオスカルに胸が震えたことを思い出した。


私、フランスの国旗にも弱いんだよな。(苦笑)


民衆がそれらを勝ち取るまでに流した血と涙を思うだけで涙が出る。

今では多くの人を惹きつけてやまないパリの街も、礎になった彼ら抜きでは語れない。

しかも散っていったのは、多くの勇ましい(カッコいい)若者達だ。


<民衆の歌>が頭から離れない。


思いの全てを絞り出して歌い上げたファンティーヌにさえ泣かなかったのに、若者にやられた。

だが、隣りに母が居た。 私はぐぐぐっと涙を呑みこんだ。(笑)



M子に返事を書こう。

「M子の言う通り、曲がすごく良かったわぁ。
色んな愛と涙と感動が詰まった作品だね。 いい映画を教えてくれてありがとう。」



あ、若者達と共に戦った、あの幼い少年が超~私好みだった。

該当の記事は見つかりませんでした。